無能なオバマはウクライナで躓き、日中韓でも躓く (二)

無能なオバマはウクライナで躓き、日中韓でも躓く (一)

 オバマ政権は世界が見えなくなっています。世界の中の何が重要かつ肝心なポイントであるか、自分の権能の及ぶ範囲はどこまでで、どこから先に仮に力が及ばないならきちんと計算して予防措置の先手を打つべきではないか、というようなことが分らなくなっているのです。

 韓国が昔とは違った国になっていて、中国の従属国に自ら進んで転じたことに日韓問題の新局面があることにオバマ氏は気がついているのでしょうか。イスラエルとパレスチナほどではないにせよ、日韓の間にあるのは根の深い宗教トラブルです。両国には議会制民主主義という制度上の共通点があるから、四月自分が来訪するまでに日米韓の首脳会談が開けるように調整せよ、と簡単に言って来ているのは、オバマ氏が冷戦思考にとらわれている証拠です。日韓の間に共通の価値観はありません。中国と韓国の間には恐らく一定の共通の価値観はあるのでしょう。

 オバマ氏の認識の低さはウクライナの失敗にもはっきり現われました。ウクライナの国家主権の統一を守りたかったのなら、ロシアの立場を著しく脅すような、冷戦の勝利に余勢を駆った一九九〇年代以来の西欧側からの攻勢を、アメリカは一定段階で停止し、手控えるべきでした。NATOの拡大や東欧のミサイル防衛システムの敷設などがみられるたびに、そのつどロシアはいらいらして反発し、抗議しましたが、アメリカはずっと黙殺しました。ウクライナはもともと緩衝地帯で、ロシアの影響を排除することはできない国家です。NATOやEUに参加するのを欲しているのは都市住民で、農民は必ずしも望んでいないと聞いたことがあります。ウクライナはしかも農業国家です。ロシア嫌いの住民が比較的多い西部地域で反ロシアのデモが起こったとき、オバマ政権はこれを支持するという間違いを犯しました。一気に火が点いて、ヤヌコビッチ大統領の追い落しが起こって、後もどりができなくなってしまいました。これ以上やればロシアは自らの地勢学的権益への脅威がぎりぎり限界を越えたと感じる怯えであろう、などと前もって想像できる親露派の知性が、オバマ政権の内部にはいないのです。日本に対してもそうでしたが、外交はいつも単眼的なのです。

 アメリカは武力財力ともに充実していた一極超大国の幻想の中にまだひたっています。しかもそれでいて本気でロシアを抑える軍事行動などを考えてもいません。その足元をロシアに見抜かれていました。口先で言うだけで何もしはしない。シリアへの軍不出動でみせたオバマの逃げ腰はプーチンに読まれています。そこで二言目には経済制裁を言うのですが、ガス・パイプラインを握られている西欧諸国がアメリカの望むような規模で制裁に同調するとは思えません。ロシア軍はクリミアの併合にとどまらず、アメリカの出方ひとつで、場合によってはウクライナ西部を侵攻し、全土を掌握することだって考えられないことではありません。
 要するにアメリカの失敗は、ロシアの強硬姿勢を予想していなかったことです。つまり相手を甘く見てなめていた。国境近くに迫る防衛上の脅威にはどの国も敏感で――クリミアも沖縄もその点では同じ――万難を排して予防に走るのを非難できないこと、等々にオバマ政権の理解が行き届かなかった迂闊さにあります。かつてキューバ危機で恐怖の挑戦に応じたアメリカが、ロシア側を不安にした「クリミア危機」を想像できなかったのは、ヘーゲルもケリーも焼きが回っていたとしかいいようがありません。ソ連崩壊後のロシアはもう大国ではない、と安易に考えていたに相違なく、プーチンの登場で国際政治上の立つ位置が変わりつつあるのを、考えていなかったのでしょう。

 国際政治は刻々動いていて、大国と大国、大国と中小国との力のバランスの関係も微妙に揺れつづけ、変動しています。それゆえ国際情勢の鏡に自分を写して自分の位置を知るのは難しく、日本人にはとくに苦手だといわれ、アメリカを鏡にしてわれわれは戦後、外交上の行動計画を立てていたわけでしたが、その頼みとなるアメリカが今や当てにできません。安倍首相が政権発足以来、世界中を飛び回る外交活動をくりひろげてきたのは、アメリカという基軸のこの不安定のせいでしょう。同じようなアメリカへの不安を、トルコ、サウジアラビア、エジプト、イスラエル等々も感じています。ロシアの地位が相対的に上っているのもそのせいで、ロシアに安倍首相が早くから敏感に反応しているのもその同じ不安のゆえでしょう。先に名を挙げた「戦前生まれの保守重鎮」の面々が現役であった時代には、アメリカという基軸は安定していました。自民党は「親米保守」の単一路線の上を迷わずに黙って歩んでいけばよかったのです。しかし今はそうは行きません。安倍首相のご苦心のほどが察せられますが、ウクライナ問題で躓づいたアメリカの外交知性がアジアにおいて再び同じ躓きを演じはしないかが心配です。

 オバマ政権にはまともな「知日派」がいないようです。政権はほとんどすべて「親中派」で固められているのではないでしょうか。アメリカは中国からG2時代の到来だといわれ、太平洋は米中二国で共同管理するにふさわしいなどとふざけた言葉が飛び交わされる中で、鷹揚で融和的な姿勢をとりつづけています。

 三月十九日時点で、中国はウクライナ問題について明言せず、米露の動きを固唾を呑んで見守っています。アメリカは中国を見方につけてロシアを少しでも牽制したい。しかしプーチンの力による国境変更に有効な手が打てず、これが既成事実化するなら、中国の力による尖閣や南シナ海の現状変更に道を開くことになるでしょう。アメリカはじつは今、歴史の曲がり角に立っていて、いつの日にか起こり得る中国との大規模な衝突のテストケースを迎えているのです。

 それなのにオバマ政権は複眼で見ていません。ウクライナに気を取られて、中国の力を借りてロシアを抑えようとして、アジアで妥協し、ずるずると日本に不当な仕打ちをしかねません。アメリカはロシアに対して経済制裁が可能でしたが、米国債の最大の保有国である中国にどんな制裁の手があるのでしょうか。ここまで中国を経済的に肥大化させたのもアメリカの責任です。

 クリミアに軍事的に手出しができないアメリカが西太平洋の小さな無人島のために、いかに条約上の約束があるとはいえ、率先して介入するとは思えません。日本は自分の国土を自分で守る以外にない、待ったなしの瞬間を迎えつつあるのです。

つづく

無能なオバマはウクライナで躓き、日中韓でも躓く(一)

『正論』5月号より  特集:安倍政権の難問

アメリカ・オバマセイケンノ「迷い」が世界を混乱させている。
日本にとっては国防上の危機だが歴史回復の好機でもある。

 三月中旬のある朝、新聞を見ていて二つの雑誌の広告欄に目が留まりました。「NHKvs官邸メディアの死――籾井新会長の独走が始まる 森功夫」という巻頭論文の大きな文字と、「『永遠の0』百田尚樹“暴言”の読み方 保阪正康」という巻末寄りの小さな文字です。『文芸春秋』四月号の広告のことです。

 どちらの論文も読みました。しかし論文の内容はここで扱うつもりはなく、私が気になったのは「暴走」とか「暴言」というような題字の付け方です。編集部が付けたのでしょうが、いつから『文藝春秋春秋』は日本を代表する公正で知的な雑誌であることを止め、煽動的な常套句で政治の一方向に加担する機関になったのでしょうか。

 同じ朝に見たもう一つの広告は『週刊ポスト』3月21日号で、やはり巻頭にヨコに「日本を破滅させる安倍外交の暴走」とあり、タテに大きな文字で「河野談話撤回で何が起きるか――日米の溝を深めるだけの自己満足外交を中国・韓国が大喜びしていることを安倍首相はわかっていない」と書かれていました。そして第二論文として、長い題ですが、「戦前生まれの保守重鎮はなぜ『安倍改憲』に反対なのか――中曽根、ナベツネから野中広務、与謝野馨、古賀誠、村上正邦まで」と書かれてあります。これも早速買って読みましたが、読まなくても長い題字だけで内容の大部分は予想がつくでしょう。

 私は第二次安倍内閣の今日までの外交努力を評価しています。背筋を立てて日本を主張しようとしている首相の姿勢にエールを送りますが、第一次内閣のときのようにいつへたれるのではないかと(健康ではなくアメリカの圧力によって)たいへんに心配しています。つまり私は『文藝春秋』や『週刊ポスト』とは逆方向の心配をしているわけです。

 私はNHK籾井新会長の記者会見の発言は百パーセント正論だと思いました。慰安婦は世界中のどの国の軍にもあるという彼の常識をどうして反対できるのでしょう。それ以上の失言を引き出そうとしてしつこく絡んだ記者団のひっかけ質問のほうが卑劣で、反日的でした。百田尚樹氏の新宿駅頭の選挙応援演説はたまたまネットで見たし、文字起こしも読みましたが、これまた歴史観としてまともな内容でした。南京虐殺はつくり話で、アメリカが広島長崎の戦争犯罪をごまかすために、東京裁判で被害者の数合わせまでやったのだというようなことは巷間言い古されてきたことで、すでにこれも常識であり、選挙演説だから多少は力をこめて述べられただけです。いまさらなんでこれが「暴言」なのか分りません。

 慰安婦、南京、侵略概念などをめぐる戦争時代の歴史認識については、戦後70年近く経ったいまなおオモテとウラの意見が分かれています。GHQ(連合国軍総司令部=アメリカ占領軍)が公認したオモテの意見と、プレスコードで封印されたままのウラの意見との対立が二重構造をなして並存しています。日本人は二重性を生きているのです。そのうちの南京は80年代に中国が、慰安婦は90年代に韓国が取り上げた新型テーマで、彼らが政治的な課題を解決するのに役立つ利用価値をここに発見して、今日の大騒ぎとなりました。しかしそれらを含めて戦争関連の歴史認識がほぼすべて、アメリカ占領軍に封印されたままであることの現われであり、日本が今なお占領下であることにあらためて気がついて、驚かされているのは最近の出来事です。

 籾井氏は公共放送の会長の発言だから問題だというのです。百田氏は小説家の放言なら良いが、公共放送の経営委員のもの言いだから許されないというのです。こんなことを言うマスメディアは言論にオモテとウラがあり、薄々ながらオモテが嘘、ウラが本当であることを認めてしまっていて、自らアメリカ、中国、韓国の支配下にあることをすでに良しとする前提に立っています。

 面白いのは最近少しずつ、ウラがオモテになりつつあることです。これはアメリカでも同じで、ルーズベルトの戦争責任は歴史学界の公然たる通念となってきたようです。少なくともウラとオモテの境い目がはっきりしなくなってきた。慰安婦や南京や侵略について政治的表現と歴史的真実の二つの意見があるのだとしたら、二つのうちの後者を選び出し、何とかして一つに絞り込んでいくのがメディアの仕事ではありませんか。慰安婦をめぐる河野談話、南京や侵略をめぐる村山談話を解消する課題について、いっぺんに難しければ、河野談話から先にでもいいのです。大切なのは解消への意志です。「暴走」とか「暴言」とかいうような野次で日本の立場を取り戻そうとする努力をなじり嘲笑するあの雑誌の広告の文言には、アメリカへの恐怖があります。恐怖をごまかすためにすべてを先延ばしにしようとする現状維持派、敗戦利得者、平和の名において何もしない後ろ向きな怠惰政治の卑劣な臆病心ばかりを私は感じます。はしなくも『「週刊ポスト」が名を挙げた「戦前生まれの保守重鎮」こそ自民党をダメにし、鳩山・菅の民主党政権に道を開いた人々ではなかったでしょうか。もう日本人は懲りたはずです。「中曽根、ナベツネから野中広務、与謝野馨、古賀誠、村上正邦まで」と書かれてありましたが、彼らこそアメリカ二ズムとコミュニズムの合体イデオロギーの信奉者であり、占領軍への恐怖から身動きできなくなった挙句に、中国・韓国に日本を売った人々です。

 日本再生への願いを「暴走」「暴言」と嘲った『文藝春秋』『週刊ポスト』の広告はあることを暗示しました。日本の国内には一本の線が敷かれていて、その線はどうやら自民党を真っ二つに割っていることを暗示しています。今のアメリカすなわちオバマ政権の世界を見る眼がリアルでなく、日本を混乱させているのはアメリカの世界政策の迷い――ウクライナ問題に端的に現われている――にあるようです。今でも冷戦思考にとらわれて、世界を何となくなめてかかっている甘さを孕んでいるのがオバマ政権ですが、それに日本で気がついているか否か、自ら冷戦思考のままであるかどうか、その違いの中間に一本の線が引かれているように思います。

(つづく)

日本はアメリカからとうに見捨てられている

『言志『 平成26年5月号より

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 私が『日本がアメリカから見捨てられる日』という本を出したのは2004年(平成16年)8月だった。十年早すぎたかも知れない。今ならきっとピンと来る人が増えているだろう。

 この本の第二章に標題と同じ題が付けられていて、次の三つの節に分れている。

① いざというとき軍事意志の片鱗も示せない国
② 国家なら他国に頼る前に自分に頼れ
③ 「対中戦略」以外にアメリカが日本を気にかける理由はない

 次の第三章の標題は「やがて日本は香港化する」で、やはり三つの節に分かれているが、ここでは二つの題のみ紹介する。

① 生活レベルは高いが、個人主義だけが跋扈する虚栄の市
② 日本の国防を内向きにしているのは憲法が原因ではない
(以下略)

 だいたい何を言おうとしていたか勘のいい読者はすでに十分にお分かりになるだろう。

 この本の第一章は小泉純一郎批判なので、いま関係がないので第二、第三章の標題のみを記した。日本は内側がダメになっていて、外側の急速な変化に追いつけず、アメリカは日本を防衛する気がなく間もなく立ち去るが、見捨てられる前にわれわれは大急ぎで国家体制を立て直さなくてはいけない、と言っているのである。私は十年前からこういう事を言いつづけてきた。少し早過ぎて本は売れなかったが、今なら売れるかどうかそれは分からないものの、内容は今の時局にドンピシャリと合致していると思う。

 ひょっとすると日本の国防はもう間に合わないのかもしれない。多くの日本人は薄々気がついているだろう。日本はすでにアメリカに見捨てられているということ、アメリカはアリューシャン列島、ハワイ、オーストラリアの線まで軍事防衛線を下げていて、今さら沖縄の基地も要らないし、自衛隊に集団的自衛権があってもなくてもどうでもよくなっているということを。

 それでもすぐに日本が亡びるのではない。中国の属国になって「香港化」するということが起こる可能性が高いということを私は言ったのである。まるでそれに符牒を合わせるかのごとく、自民党は今、毎年20万人ずつ外国人移民を受け入れる案を討議し始めるという。

 住み易いこの列島に住民がいなくなるということは決してないのである。住民は必ず存在しつづける、否、増えつづけさえする。しかし日本民族がいなくなる。日本文化が消えてなくなる。そういうことである。

 外国人移民のうち六、七割が中国人に占められることは今の趨勢から明らかだし、自民党はそれを予定して、国境の内側に敵国人を招き入れるトロイの木馬たらんとしているのかもしれない。

中国肥大化は米国の責任

 私がこんなことを考え、一段と危機感を募らせているのは、ウクライナ情勢を見て以来のことである。プーチンの力による国境変更にアメリカも西欧各国も有効な手段の手が打てず、既成事実化しかけている。このことから世界中の人が心配しているのは東アジアの動静である。台湾や尖閣や南シナ海の現状変更を望む中国の野望に火の点く可能性があることは、誰にでも見え易い動向である。いま中国はアメリカとロシアのどちらに与するのか明確な態度を見せず、アメリカが中国を味方につけようと必死になっているのを見るにつけ、オバマ政権の無能と無策を見せつけられる思いがする。

 アメリカはじつは今が歴史の曲り角に立っていて、いつの日にか起こり得る中国との大規模な衝突のテストケースを迎えているのかもしれない。それなのにオバマ政権は問題を複眼で見ているようには思えない。場当たり的にロシアへの経済制裁を重ねているのは、慌てている証拠である。ウクライナの動きを押さえようとする余り、アジアで妥協し、ずるずると日本に不当な仕打ちをしかねないのだ。それはアメリカにとっても将来大きな災いの原因となるのではないだろうか。アメリカはロシアに対しては曲りなりにも経済制裁の手を打つことができたけれども、米国債の最大の保有国である中国に対しどんな制裁の手があるのであろうか。ここまで中国を経済的に肥大化させたのもアメリカの責任である。

 ありとあらゆる面でアメリカの身勝手な振舞いにより日本は今不利な状況に置かれており、追いこまれていて、安倍首相の力量ひとつに国の運命がかかっている観さえある。ウクライナ=オバマ問題は、わが国にとっては慰安婦=河野談話問題とひとつながりの形で、三月中旬に大きなうねりとなって列島を襲った。3月14日に首相は河野談話の「見直し」はしない、と明言せざるを得なくなり、韓国朴大統領との日米初会議を辛うじて可能とした。だが、歴史問題がこのように封じ込められたのは日韓両国にとって不本意である。大波瀾もあっておかしくはない検証と論争を一度はくぐり抜けることが必要であったのに、おそらくオバマの命令にも近い要請によって、問題の追究が封じられたものに相違ない。

 オバマは日韓の間のトラブルはイスラエルとパレスチナほどではないにせよ、ある種の宗教的対立でもあるという困難さを理解しようとする気がない。また靖国参拝をヒトラーの墓詣でのごとくに侮辱する中国の見当外れも、冷静にこれを解釈し、判断する意思もない。それどころか安倍首相を「極右」とか「修正主義者」とか呼ぶニューヨーク・タイムズの誹謗中傷――これは玉本偉という日本人の左翼学者が書いていることが明らかになったが――をいいことに、これに悪乗りして、日本のナショナリズムを抑えこみにかかる。分かり易くいえば、アメリカは今、中国と韓国の対日歴史非難の共同戦線を都合よく利用して、日本の独立と自存への動きを抑えにかかっている。そこへウクライナ問題が発生して、日本が期待していたロシア外交という自由で独自な行動までが危うくなりかけているのである。

オバマの徹底した日本軽視

 アメリカは中国に大統領夫人ミシェルを一週間も送りこんでファースト・レディ外交をくりひろげた。それなのにオバマ自身の訪日ではたった一日の滞在日程とした。かつての歴代米大統領にはみられない日本軽視の行動である。台湾は今は第二のクリミアになりかねない情勢だが、オバマは北朝鮮の核問題には注視するものの、台湾の危機には口を緘し、むしろ中国の方に荷担してさえいる。

 アメリカが中国の民主化を心から望んでおり、独裁政権に対する厳しい意見をもつのなら――それがかつてのアメリカの姿勢であった――日本の右傾化を非難するのは筋が通らない。中国の尖閣威嚇が先行する事件であった。それゆえに日本の国内に防衛心理が芽生え、愛国心が高まったのだ。本来ならアメリカには日本の対決姿勢は有利なはずではないか。韓国の場合も、大統領の竹島上陸など韓国の対日侮辱が先にあった。日本はすべて受け身である。同盟国アメリカがこれを正確に見ていない。中国と韓国を諌めるのではなく、日本に「失望した」などと言って彼らを喜ばせるのは逆倒している。

 アメリカは中国の国防予算の増大に対して何も言わない。要人がたびたび中国に出掛けて行って、秘密外交をくりかえしているが、日本にはあまり来たがらない。中国からの巨額のロビー活動がホワイトハウスを麻痺させていると聞く。国務長官も国防長官も副大統領も典型的な親中派であって、有力な知日派はオバマの周辺にはいない。これらを勘案すると、アメリカは同盟国日本がもう邪魔になっていて、守るつもりはないのかもしれない。日本は早々とそう覚悟した方がよい。「核の傘」がそらごとであることはすでに自明であるが、「日米安保」もいざとなったら頼りにならないことを前提としてわれわれの防衛論議を組み立てるべきである。

 『日本がアメリカから見捨てられる日』を私が書いた時の予測はちょうど十年経って現実となったのではないだろうか。それならわれわれは一日も早く正確に自国の防衛の正体を知った方がよい。辺野古に基地を建設してアメリカ軍を必死に引き止めようとしているなどの日本の政策は、どこか哀れで見ていられない。可能な限り日本人は自分自身で起ち上がるべきだ。そのうえでアメリカと協力するならそれはそれでいい。同盟関係なしでは今の世界ではやって行けない。しかしそれは命令し命令される関係であってはならない。命令と依存の関係のままでは日本はかえって危うくなるのである。

『言志』平成26年5月号より

百鬼夜行の世界

 このところ東アジア太平洋地域には信じられない出来事が相次いでいる。マレーシア航空の行方不明事件も、韓国のセウル号沈没事件も、機長や船長に不明な点があった。謎はたぶん解明されないだろう。台湾の議会占拠事件はアジアの一大変動の兆しとみえなくはないが、日本のメディアが積極的に報道しないことが謎だ。

 が、何といっても最大級の謎は、北朝鮮の帳成沢粛清劇だった。その後直系親族が孫に至るまで処刑され、すでに200人以上、関係者全員含めると500人以上が処刑されたと聞く。拘束した大量の政治犯を送り込むために、閉鎖されていた収容所の一つが急遽再開されたそうだ。

 一族に刑死が及ぶこんな話は、わが国の歴史では秀吉の怒りを買って三条河原で遺児、側室、侍女ら39人の首がはねられた秀次事件を思い出させる以外に他に例がないほど、遠い遠い出来事である。

 私たちはまったく正体の見えない恐ろしい不明のもやに包まれて、地上の現実について何も真実を知らされずに暮らしている気がする。

 横田滋・早紀江さん夫妻がモンゴル・ウランバートルで孫娘と初めて会ったニュースが3月にあったが、ひょっとしたらご夫妻はあのときめぐみさんに引き合わされたのではないかとの噂を聞く。もちろん噂である。韓国が中国にすり寄り、北朝鮮が日米に接近する力学はたしかに存在する。

 北朝鮮はミャンマーに次いで、地上に残された最後の未開の市場、豊富な鉱物資源と安い労働力の魅惑の地だ、とアメリカ人にも中国人にも思われているであろう、と話す人がいた。何かが起こるかもしれない。恐ろしいことにつながらなければ良いが、とのみ願う。

 ウクライナをめぐる新しい米露対立は、私は無能なオバマ政権の躓きの現れと「正論」5月号に書いたが、アメリカの仕掛けた罠にロシアがはまったのだと言う人もいる。フーン、と私は唸った。

 アメリカは戦争の種子をさがしている。自分はまきこまれず、他国に戦争をさせる紛争地をつねに必要とする。オバマはなにものかの手先に使われているのに違いない。ウクライナは恰好の舞台だ、というのだ。そんなこともあるまいと思っていたら、ウクライナの金塊がアメリカにいち早く持ち出されている、という。カラパチア山脈周辺に新たな金鉱脈が発見されてもいて、金塊と金鉱脈をロシアの手に渡るのを抑えるのがウクライナ紛争の真相であった、というのだ。ならばプーチンはクリミアだけで満足せずに、ウクライナの西部へ進出する機会をいつまでもうかがいつづけるであろう。

 アメリカがいま一番警戒しているのはロシアと中国が手を結ぶことである。ロシアと中国はアメリカのドル支配からの脱却を願っている点で利害が一致している。ロシアと中国の連繋を断つのに最も有効な位置にあるのは、アメリカではなくわが日本であろう。ロシアはメイド・イン・ロシアの産品が売れるような産業国家に何としてもなりたい。それがプーチンの夢だ。プーチンの日本接近には理由があるのである。

 安倍オバマ会談でそんな話は出たのだろうか。中露接近を防ぎたいオバマに、安倍さんが「任せて下さい。北方領土と引き換えに日本はあの国を西側と同じ産業国家にすることで、ロシアに恩を売り、中露分断を図る計略がありますよ」とか何とか、言ったであろうか。

 けれどもオバマは一方では、中国との「新型大国関係」におもねるようなことを言っている。この「新型大国関係」と「日米同盟」はそもそも両立しないのだ。この簡単な真実を、オバマはどこまで知っているのであろうか。

 なにか煮え切らないアメリカの態度に、われわれのいらいらは募り、不安が高まってくるのを今後とも避けることはできそうもない。

 私たち国民は正確な国際情報を与えられていない。首相は国民の百倍もの情報をつかんだ上で舵取りをしている。私たち国民は半ば盲人である。

 最近の私はもやに包まれて見えない世界の現実に、推理を重ねるのも正直いってやや疲れがちである。

ウクライナ情勢と安倍外交

 ウクライナの情勢を憂慮しています。ことに日本の立場、安倍外交の判断の難しさは、予想されていたこととはいえ、同情に値します。

 距離が遠い国は、ある程度、あいまいに対応、ずるい逃げの姿勢でいるのを許されることがあります。かつて天安門事件のとき、欧州各国は中国に対し冷淡に拒否的でした。日本政府は孤立する中国を助ける方針を打ち出しました。ロシアのウクライナ政策に対するアメリカと欧州の制裁に日本は必ずしも参加する必要はなく、せっかくうまく行き始めた対ロシア外交を日本政府としては大切に守りたい思いでしょう。ロシアは日本の隣国です。菅官房長官はそういう方針を口にしていました。

 しかしロシアのクリミア奪い取りは中国の尖閣奪い取りと同レベルにも見えるので、ウクライナの主権を平然と犯すロシアの軍事行動を日本が黙認することはブーメランのごとく自分にはね返って来ます。ここは原則尊重で、アメリカや欧州と同一歩調をとることが一応は必要に思えます。しかし、アメリカと欧州の対ロシア制裁はどのていど本気なのでしょうか。

 欧州も戦火を交える気は毛頭なく、アメリカも同じように武力行使など考えていません。ロシアはそこを見越していて、一気にクリミアを併合する構えです。中国はこれを後押ししています。

 日本はアメリカに顔を立てても、たゞロシアの不興を買って、せっかくアメリカからの自立外交として目立っていた対ロシア接近は効果激減となるでしょう。ここは一番踏ん張って、何年か先の政治効果を狙ってロシアの顔を立て、制裁はやならいという方針もあり得るだろうと考えられます。

 しかし、しかし、ここがよく考えなければならない正念場です。ロシアと中国は接近し始めています。一連の動きは「冷戦」は終っていないこと、北方共産回廊が亡霊のごとくユーラシア大陸に再び暗雲をひろげ始めたとも考えられます。

 だとすれば、日本は反共国家として、アメリカと欧州各国の行動に歩調を合わせざるを得ないということになりましょう。結局、そういうことになり、安倍自主外交はしばらくお休みいたゞくことになるのではないでしょうか。

 尤も、この面倒な諸国家間の関係をどう泳ぐかで安倍外交はその真価を試されているともいえます。

歴史認識と安倍総理

 3日午後記者クラブで行われた各党党首の記者会見をテレビで見た。質疑は多岐にわたったが、その中で歴史認識について安倍総理は質問に答え、今まで通り、歴史の内容について政治家が政治判断を下すのは間違いで、専門家に委ねるべきだと語ったが、私は聴いていて、その言葉の影に、いつもより強い信念のようなものを感じた。

 記者が専門家の仕事は歴史の細かいデータの検証に関わるのであって、日本が朝鮮を植民地にしたのか否か、中国を侵略したのか否かのような大局の認識は中曽根氏がそうであったように、政治家が断を下すべきものではないのかと問うたのに対し、安倍氏は中曽根氏もそういう決定の断を下したことはない、と述べた。そして植民地とか侵略とかの概念の重さに対し政治家はどこまでも「謙虚」であるべきであって、それを簡単に認めることはかりに今の情勢下では政治家にとってやり易く、気が楽だとしても、自分はそういう風に弱い逃げの態度であってはいけないと考えている、ときっぱりと仰有った。内外からの風圧に決して負けない、との気概を示されたように私は受けとめた。

 私はそこから8月15日か秋の例大祭かのいずれかで総理は靖国参拝をなさるのではないかという気がした。アーリントン墓地にアメリカ大統領は参拝する。南軍の将兵が祀られているからといって参拝は奴隷制度を認めるものではない、と総理が言ったのに対し、記者団の中から南北戦争は内戦であって意味が違うと反論の声があった。安部氏はこれに対し、アメリカの学者の議論をもち出ししきりに切り返していた。相当思いつめいろいろ考えを深めて来た様子がうかがえた。これら全部を聴いていて、靖国参拝をなさるつもりなのではないかとの予感をもった。

 私は7月発売の『正論』8月号に40枚の評論を書いて、歴史認識についての所見を述べた。題して、「日本民族の偉大なる復興――安倍総理よ、我が国の歴史の自由を語れ――」(上)である。この題がある人の専用の題をもじったアイロニーであることは気がつく人はすぐ気がつくだろう。分らない人は、論文の4ページ目に種明かししてあるので、そこを見てもらいたい。

 間違えていけないのは、朝鮮半島は「植民地支配」ではなく「併合」である。アメリカのハワイ併合のごときものである。支那事変は「侵略」ではなく仕掛けられた挑発を受けて立った「事変」であって、従って宣戦布告はない。盧溝橋も第二次上海事件も、蒋介石がコミンテルンに踊らされた謀略攻撃に対するわが国の自衛的対応にほかならない。日本政府に対応のまずさ、深追いし過ぎた処理の仕方の混乱はあったが、全土を制圧する征服戦争の意図はなかった。日本は和平を言いつづけていたのだ。拒んだのは支那サイドだった。

 安倍総理はこうした論点に細かく深入りすることは恐らくできないだろうし、すべきでもない。せいぜい言えるとしたら、19世紀から1941年まで日本は侵略される側にいて、侵略されずに残った最後の砦であったこと、それが今から見て明らかな地球全体の動きだった、という大局観を叙べることだろう。そして詳しいことは学者の論争に委ねたい、と。(歴史家と言ってほしくない。日本の歴史家は歴史を語る資格がないのだから。)

 いくらこう言っても中国や韓国が理解を示すとは思えない。しかし世界は広い。他のアジア諸国に共鳴の手を挙げる人は必ずいるだろう。欧米にもいるだろう。

 70年近く経ってもそういう声を世界中に向けて上げて、論争の渦をまき起こす時期だろう。それができれば安倍氏は世界的スケールの政治家になれる。

 私は上記論文にこういうテーマについて書いている。『正論』8、9月号に(上)(下)として二回つづけて掲載される。始めたばかりの大型連載(「戦争史観の転換」)のほうは申し訳ないが休載させていたゞく。

オバマ・習近平会談、皇室の新しい兆し、そして私の新刊(二)

 『週刊新潮』6月20日号に「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」という目をみはらせる巻頭記事が掲げられている。日本の歴史の中で「幼帝」というのは何度もあった。小学生、中学生でも天皇に即位できる。摂政をつければ問題はない。今上陛下、皇太子、秋篠宮の三人による頂上会談が昨年来つづいていて、そこで煮つまった案だという内容の記事である。週刊誌といえども、ここまで書く以上、それなりの証拠があってのことであると思う。

 皇后陛下が雅子妃を見放した、という書き方である。何かとんでもない事件があってとうとう事ここに至ったのかもしれない。宮内庁も官邸も動いているという書き方だが、宮内庁長官はそんなことはない、と直ちに新潮社に抗議した。記事では雅子妃だけでなく、皇太子に対する両陛下の失望が公然と語られている。さりとて、皇太子は短期間でも一度は即位しないと、日本の皇室のあり方として具合が悪い。秋篠宮は兄弟争いの図を避けるために、即位を辞退している。かくて「幼帝」の出現ということになる。

 私の読者ならお分りと思うが、以上の流れは本当かどうかはまだ分らないのだが、実現すれば大筋において私が書いてきた方向とほゞ一致している。私はすべての焦点を「雅子妃問題」に絞って書いてきた。だから批判や非難も受けた。そして、雅子妃に振り回される皇太子の不甲斐なさにも再三言及してきた。私は「廃太子」(橋本明氏)とも「退位論」(山折哲雄氏、保阪正康氏)とも違う立場だった。そして、何度も天皇陛下のご聖断を!と訴えた。ついに「ご聖断」が下りたのだとしたら有難い。「幼帝」というアイデアは陛下以外の誰が出せるであろう。正夢であってほしいと祈っている。

 『週刊文春』6月13日号にも重大な記事がのっていた。読者アンケート1500人で、皇后にふさわしいのは雅子妃38%、紀子妃62%という結果を報じていた。皇室問題をアンケートで論じるのは間違いだが、各週刊誌とも堪忍袋の緒が切れた趣きがあるのが面白い。雅子妃は今月18日に予告していた被災地お見舞いをまたまたキャンセルした。

 私の新刊『憂国のリアリズム』のリアリズムというところに注目していただきたい。この本も6篇の私の皇室論を収めている。読んでいる方も多いと思うが、あらためて題名と出典だけを書いておく。

『憂国のリアリズム』の第四章「皇族にとって自由とは何か」
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」(THEMIS)
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体(歴史通)
背後にいる小和田恒氏を論ずる(週刊新潮)
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったか(週刊新潮)
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂
  ――山折哲雄氏の皇太子退位論を駁す(WiLL)
皇后陛下讃(SAPIO)

 私は皇室問題について書くのはもうここいらで止めよう、と思って、WiLLの担当者に昨日その話をしていた処へ、本日、『週刊新潮』の驚くべき記事に出合ったのである。

 間もなく出版される『憂国のリアリズム』と併せ読んで、問題の落ち着くところが何処であるかを皆様も占っていたゞきたい。

 『週刊新潮』の記事内容の続報を知りたい。

追記: 皇室典範の改正報道に抗議  「朝日新聞」6月14日号より

 内閣官房と宮内庁は連盟で13日、宮内庁長官が皇位継承をめぐる皇室典範改正を安倍晋三首相に提案したと報じた「週刊新潮」の記事は「事実無根」だとして、同誌編集部に抗議文を送り、訂正記事の掲載を求めた。風岡典之宮内庁長官は記者会見で「このようなことは一切なく、強い憤りを感じている」と述べた。菅義偉官房長官も会見で「皇位継承というきわめて重要なことがらで国民に重大な誤解を与える恐れがあり、極めて遺憾」と語った。週刊新潮編集部は「記事は機密性の高い水面下の動きに言及したものです。内容には自信を持っております」とコメントしている。

オバマ・習近平会談、皇室の新しい兆し、そして私の新刊(一)

 評論集が出しにくい時代なのに、つづけて何冊か出して下さるという版元があって、その編集をずっとしていて、今日ほぼ終った。題して『憂国のリアリズム』という。版元の名はビジネス社。七月初旬に店頭に出る予定だ。

 全集第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』もすでに出て、その内容報告もまだしていないのに、気になることが相次いで起こり、暇がない。

 習近平が登場して、中国の強引さと鉄面皮ぶりは一段と倍化した観がある。尖閣は中国の「核心的利益」だって? 1953年の「人民日報」と58年の中国発行の地図に、尖閣は日本領だと中国政府自らが記していた事実が過日突きつけられたが、そんなことはいくら言っても蛙の面に水である。厚顔無恥もここまで堂々としていると毒気を抜かれる。

 つまり、彼らは、俺さまが俺のものだと言っているのだから、テメエたちはつべこべ言うなとやくざのように開き直っているのである。先日のシンガポールの会議では、東南アジアの国々が怒った。中国が自分たちは対話の窓を開いているときれいごとを言ったからだ。海上侵略をしている国が対話を口にするのは、出席している欧米オブザーバーに聞かせるためなのだ。宣伝しつつ侵略する。昔から中国の体質はまったく変わっていない。孫文も蒋介石も、鄧小平も習近平もみんな同じだ。

 尖閣紛争と中国の脅迫は、私たちに大東亜戦争の開戦前夜の感覚を思い出させた。日本人はすっかり忘れているが、戦前は世界中がみんなこういう無理難題を吹きかけて来た。その代表格はアメリカだった。

 今日はその話は詳しくはしないが、日本はトータルとして受け身だった。アメリカ、イギリスはすでに有利な前提条件、金融、資源、武力、領土の広さの優越した立場をフル利用して、無理なごり押しを平然とくりかえしていた。日本はどんどん追い込まれた。それが戦前の世界である。

 私はじつは深く恐れている。アメリカは今だって自国のことしか考えていない。2013年6月7日~8日のオバマ・習近平会談で、尖閣についてオバマ大統領がどういう空気の中でどういう口調で何を語ったかは明らかにされていない。アメリカは強権国家に和平のサインを送って何度も失敗している。朝鮮戦争で北朝鮮が、湾岸戦争でイラクが突如軍事攻撃をしかけてきたのは、アメリカの高官のうかつな線引きや素振りやもの言いのせいだった。アメリカが軍事的に何もしないとの誤ったサインを与えると、中国のような強権国家は本当に何をするか分らない。八時間にも及ぶ両首脳の対談で、尖閣についてオバマ大統領は日中の話し合いでの解決を求めたというが、話し合いなど出来ないところまで来ているのに何を言っているのだろう。アメリカの弱気、軍事的怯懦、今は何もしたくないということなかれ主義が読みとられると、習近平はこれは得たりとばかりほくそ笑んで、突如尖閣を襲撃する可能性はある。

 オバマ大統領はいま国内の情報問題で行き詰まっている。軍事的知能に欠ける大統領だという説もある。アメリカの大統領の体質いかんで日本の運命が翻弄されるにがい経験をわれわれはつみ重ねている。日米安保は果して日本を守るためにあるのか、日本を束縛するためにあるのか、見きわめる必要がある。

 『憂国のリアリズム』はこういう問題点について、さまざまな角度から追究している。七月に入ったら、目次をここに掲示する。

首相は何をこわがって靖国参拝をしないのか

 安倍首相は春の靖国参拝をやはり実行しなかった。外交問題になっているからだと弁明している。夏の参議院選挙の成功を狙っているからだともいわれる。だとしたら外交問題が原因ではなく、国内の人気下降を心配しての措置であろう。

 私が『WiLL』3月号巻頭に「安倍政権の世界史的使命」を書いたのは、高い水準の要望を掲げて、この線で政権運営をして欲しい、といわば釘を刺したつもりだった。

 その中で私は、尖閣に公務員を常駐させたり港を作ったりするのは今はしばらく見合わせた方がいいかもしれないが、竹島の式典、靖国参拝、河野談話見直し等をためらう理由はないだろうとも書いた。今止めて、いつ始めればいいのか。参議院選挙の後でも今でも外交問題になることに変わりはないだろう。

 安倍首相はまた再び第一次安倍内閣のときと同じ道を歩み始めているようにみえる。残念である。2007年4月27日に私がコラム「正論」に書いた拙文「慰安婦問題謝罪は安倍政権に致命傷」を今このタイミングに掲げ、反省を促したい。

 ブログTEL QUEL JAPONに出た安倍、ブッシュ両首脳の記者会見を併せ見ていただきたい。こんなことではTPPでも日本の立場を守れるのかどうか心配である。

慰安婦問題謝罪はやがて国難を招く

 私は冗談のつもりではなかった。けれども人は冗談と取った。話はこうである。

 月刊誌『WiLL』編集部の人に二ヶ月ほど前、私は加藤紘一氏か山崎拓氏か、せめて福田康夫氏かが内閣総理大臣だったらよかったのに、と言ったら「先生冗談でしょ」と相手にされなかった。今までの私の考え方からすればあり得ない話と思われたからだが、私は本気だった。

 安倍晋三氏は村山談話、河野談話を踏襲し、東京裁判での祖父の戦争責任を謝り、自らの靖国参拝をはぐらかし、核と拉致で米国にはしごをはずされたのにブッシュ大統領に抗議の声ひとつ上げられず、皇室問題も忘れたみたいで、中国とは事前密約ができていたような見えすいた大芝居が打たれている。これが加藤、山崎、福田三氏の誰かがやったのであれば、日本国内の保守の声は一つにまとまり、非難の大合唱となったであろう。

 三氏のようなリベラル派が保守の感情を抑えにかかればかえって火がつく。国家主義者の仮面を被った人であったからこそ、ここ10年高まってきた日本のナショナリズムの感情を押し殺せた。安倍氏が総理の座についてからまぎれもなく歴史教科書(慰安婦・南京)、靖国、拉致の問題で集中した熱い感情は足踏みし、そらされている。安倍氏の登場が保守つぶしの巧妙な目くらましとなっているからである。

 米中握手の時代に入り、資本の論理が優先し、何者かが背後で日本の政治を操っているのではないか。

 首相になる前の靖国四月参拝も、なってからの河野談話の踏襲も、米中両国の顔色を見た計画的行動で、うかつでも失言でもない。しかるに保守言論界から明確な批判の声は上がらなかった。「保守の星」安倍氏であるがゆえに、期待が裏切られても「七月参院選が過ぎれば本格政権になる」「今は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)だ」といい、米議会でのホンダ議員による慰安婦謝罪決議案が出て、安倍氏が迷走し、取り返しのつかない失態を演じているのに「次の人がいない」「官邸のスタッフが無能なせいだ」とかわいい坊やを守るようにひたすら庇(かば)うのも、ブレーンと称する保守言論界が政権べったりで、言論人として精神が独立していないからである。

 考えてもみてほしい。首相の開口一番の河野談話踏襲は得意の計画発言だったが、国内はだませても、中国サイドはしっかり見えていて安倍くみしやすしと判断し、米議会利用のホンダ決議案へとつながった。安倍氏の誤算である。しかも米国マスコミに火がついての追撃は誤算を超えて、国難ですらある。

 最初に首相のなすべきは「日本軍が20万人の女性に性奴隷を強要した事実はない」と明確に、後からつけ入られる余地のない言葉で宣言し、河野衆議院議長更迭へ動きだすことであった。

 しかるに「狭義の強制と広義の強制の区別」というような、再び国内向けにしか通じない用語を用い、「米議会で決議がなされても謝罪しない」などと強がったかと思うと、翌日には「謝罪」の意を表明するなど、オドオド右顧左眄(うこさべん)する姿勢は国民としては見るに耐えられなかった。

 そしてついに訪米前の4月21日に米誌『ニューズウィーク』のインタビューに答えて、首相は河野談話よりむしろはっきり軍の関与を含め日本に強制した責任があった、と後戻りできない謝罪発言まで公言した。

 とりあえず頭を下げておけば何とかなるという日本的な事なかれ主義はもう国際社会で通らないことをこの「保守の星」が知らなかったというのだろうか。総理公認であるからには、今後、元慰安婦の賠償訴訟、過去のレイプ・センターの犯人訴追を求める狂気じみた国連のマクドゥーガル報告(1998年8月採択)に対しても反論できなくなっただけでなく、首相退陣後にもとてつもない災難がこの国に降りかかるであろう。

 米国は核と拉致で手のひらを返した。六カ国協議は北朝鮮の勝利である。米中もまんざらではない。彼らの次の狙いは日本の永久非核化である。米国への一層の隷属である。経済、司法、教育の米国化は着々と進み、小泉政権以来、加速されている。安倍内閣は皇室を危うくした小泉内閣の直系である。自民党は真の保守政党ではすでにない。私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない。不安だからである。保守の本当の声を結集できる胆力を持った首相の出現を待つ。
(2007、4月27日 コラム「正論」)

平成25年 謹賀新年

日本が「孤独」に強くなる心得

 中国で暮らしている日本人は、昨年は不快なだけでなく不安な思いに襲われただろう。国内の日本人に動揺はなかったが、大陸全土を挙げてのあれほどの破壊行動を見せつけられては、鷹揚(おうよう)な国民もさすがに沈黙した。心の底に冷たい拒絶感情が宿った。

 第一次世界大戦のあと、1920年代にも、「日貨排斥(はいせき)」と当時は言った同じようなしつこい日本商品ボイコットがあった。中国人の日本への劣等感と抑鬱(よくうつ)感情と世界の中での自分の弱さをまったく見ようとしない独善性が原因だった。それに英米がけしかけた。キリスト教教会が反日暴動に手を貸す裏方の主役だった。1923年頃からそれがコミンテルンに取って代わり、一部において英米も排斥されるようになった。ロシア革命からわずか5-6年でコミンテルンの影響は野火のごとく燃え広がった。

 情勢は入り組んで複雑だったが、もしも英米がソ連と手を組まなかったならば、第二次世界大戦は起こらなかっただろう。そして英米ソの結合には中国の内戦が深く絡んでいる。

 私は昨年9月のあの滅茶苦茶な中国全土を蔽った暴動デモのシーンをテレビで見ながら、1920-30年代の世界動乱もまた、支那人の「日貨排斥」が始まりだったな、と考えていた。当時の支那は国家ではなかったが、今の中国もまだ国家ではない。図体だけがいかに大きくても、発達段階の遅れた、独裁と非文明の前近代集団である。

 いまわれわれの眼の前にあるのは、他国の力で経済的に有頂天になった中国の次第に近づく没落への秒読みと、黄昏(たそがれ)の帝国アメリカのどこまで踏ん張れるかの半ば逃げ腰のポーズと、そのどちらが長持ちするかの勝敗分け目のシーンに外ならない。もちろんわが国の運命を直撃するドラマである。

 それにつけても思うのは、中国の災いは日本にのみ「政治リスク」となって降りかかり、アメリカやヨーロッパ諸国は大陸で稼ぐだけ稼いで機を見てさっさと逃げ出せばよく、日本だけが耐え忍ばねばならない不運と悲劇であることは、第二次世界大戦前とまったく同じだということである。その点をわが国民はどの程度認識しているであろうか。

 私はテレビを見ながら、わが国民に心の中で訴えていた。わからず屋の中国人と半ば逃げ腰の欧米人を見て、皆さん、先の大戦がなぜ起こったか体験的によく分ったでしょう。現代を通じて過去の歴史が分ったでしょう、と。百年以上前から日本民族が東アジアでいかに誠実で孤独であったか、日本人の戦いが不利で切ない状況下でのいかに健気な苦闘であったかが、今度のこの尖閣をめぐる情勢を通じてしっかり心に思い描くことができたでしょう、と。

 アメリカは尖閣の防衛に安保条約第五条が適用されると言っていて、目下一応の抑止にはなっているが、武力行使には議会の承認が必要で、しかも尖閣の施政権はいま日本にあるが、主権がどの国になるかに関しアメリカの立場は中立であると言っている。尖閣の実行支配は日本がしているが、島の帰属について責任ある判断はしないという意味で、中国が侵略して実行支配を開始したら、アメリカはそのあと何もしないと言っているのと同じである。

 しかも武力以外の中国の侵略、流民の大量放出であるとか、沖縄独立を煽動(せんどう)しての行政の間接支配等については、安保条約はまったく適用されない。島の防衛は日本人自らがこれに当るしかなく、いよいよとなったときアメリカは当てにならないことは明らかである。日本がアメリカから独立した軍事意志を確立することがまさに急務である所以だが、それには時間がもうそんなにはないのである。

 欧米が国際法の取り決めなどを先に決めておいて、それが中国に有利、欧米に好都合で、日本に一方的に不利だった戦前のワシントン条約以来の流れがまだつづいていて、何となくそれが残っているのではないかとしきりに感じられることが最近はまま多い。

 私がいつも不思議に思うのは、自由主義の国が共産主義独裁国家の人間に土地や株や債権を売ることを国内法で禁じていないことである。日本人が中国の土地を買って私有化できないのに、なぜ中国人が日本の不動産や水源地を自由に買うことが許されるのだろうか。中国の政府系ファンドがM&Aで日本の会社を買うことが許されるなら、その逆の自由があってしかるべきであろう。全体主義的共産主義国家の人民に、自由主義国家の国民と同等の権利を、自由主義の国家内部において与えることは矛盾であり、はっきり国内法で禁止すべきだと思う。

 考えてみるとどうもこういう見境のなさを許しているのは、戦前も戦後もアメリカである。その方がそのときどきのアメリカに都合がいいからである。アメリカの意図的なルーズさが日本につねに固有の「政治的リスク」でありつづけた記憶がわれわれにはある。

 一度も国政選挙をしたことのない国、三権分立を知らない国、法治国家とはいえない国、政党間対立を経験したことのない国、人民元がいかに強くても外国通貨と交換できない国、知的所有権などいくら言い聞かせても分らない国、WTOに入れてあげたけれども違反を繰り返す国、何かというと過激な表現で他国を脅迫し威嚇する国、精神的に閉鎖している国、要するに北朝鮮をただ図体大きく膨張させただけの国……。

 このような国が国際非難を浴びずに平然と存立しているのはアメリカその他がまともな国家として扱い、尊重し、対話するからである。戦前にも同じようなことがあった。国際基準が混乱し傍迷惑(はためいわく)であることおびただしい。日本は長いものに巻かれろでじっと我慢するばかりである。しかも一番大きな被害を受けるのはつねに日本であってアメリカその他ではない。

 ただこの不当と不運を強く訴えれば、アメリカ国内にはそれに耳を傾ける勢力が必ずいる。その政治勢力は日本の政財界、経済界、いわゆる親米保守派が気脈を通じているアメリカの主流派ではない。アメリカの主流派は昔も今も、日本を飼い馴らし、骨抜きにし、利用しようとしている勢力にすぎない。日本の親米保守派は日本国民の本当の利益を考えていない。

『鶯の声』1月号より