『中国人国家ニッポンの誕生』出版(二)

目 次

はじめに ……3

◆第一部 徹底討論(ト ークライブ)日本を「移民国家」にしていいのか

◎第一章 移民政策ここが大問題

 西尾幹二 日本人よ移民を徹底的に差別する覚悟はあるのか ……16
 関岡英之 技能実習生の約八割が中国人という実態 ……20
 河添恵子 世界に侵食する中国の「移民ビジネス」 ……23
 坂東忠信 「移民」以前に今ある中国人犯罪を直視せよ ……30
 三橋貴明 「人手不足」は経済成長の好機、中国人に頼ると安全保障の危機 ……34
 河合雅司 気づけば総人口の「三人に一人が中国人」 ……39

◎第二章 移民が絶対にいらないこれだけの理由

 移民問題の本質は「中国人問題」 ……46
 世界の国家中枢に中国人が並ぶ光影 ……51
 「投資移民」で富裕層も中国脱出 ……54
 表沙汰にならない来日(傍点フル)中国人の犯罪 ……56
 移民対策で天国と地獄のスウェーデンとデンマーク ……59
 人手不足が十分国内で解決できる理由 ……63
 特養の内部留保金二兆円を活用せよ ……67
 中共の反日教育をまともに受けた「ニューカマー」 ……70
 ニューチャイナタウンと「危険ドラッグ」 ……75
 「国防のための入国制限法」とは ……78
 じつは中国人も中国共産党の被害者 ……82

◆第二部 総力特集  世界も大失敗した移民幻想に惑わされるな

◎第三章 【経済】  世界の反移民とナショナリズムの潮流…三橋貴明
 移民政策でアメリカの政治家重鎮がまさかの落選 ……90
 移民先進国・シンガポールでも反移民感情 ……92
 まだ改善できる日本の「労働参加率」 ……94
 欧州議会選挙で“圧勝”した反EU政党 ……96
 移民に寛容なスウェーデンの惨状 ……99
 世界中でグローバリズムとナショナリズムが対立軸に ……101

◎第四章【中国問題】 隠蔽された中国人移民の急増と大量受け入れ計画…関岡英之
 外国人労働者受入れ論が急浮上 ……106
 必ず中国人問題になる ……109
 原発事故以降も定着化が進む在日中国人 ……112
 中国の情報戦は始まっている ……119
 自民党の大罪 ……121

◎第五章 【海外事例】中国系移民が世界中で引き起こしているトンデモ事態…河添恵子
 カナダが移民政策に急ブレーキ ……128
 富裕層の関心事は「五輪ではなく移民」 ……131
 「白豪主義」ではなく「黄豪主義」になる ……135
 住民登録簿の名字にミラノ市民がショック ……139
 日本が日本でなくなっていく ……143

◎第六章 【外国人犯罪】外国人「技能実習」制度で急増する中国人犯罪…坂東忠信
 国民不在の移民論議 ……148
 犯罪の減少ではなく検挙の困難化 ……149
 国ごとに違う外国人犯罪 ……151
 来日より在日の方が犯罪発生率の高い韓国 ……155
 すでに定着している実質移民制度 ……157
 「実習」制度は低賃金労働システム ……158
 将来に禍根を残す経営者視点のご都合奴隷制度 ……160

◎第七章 【人口政策】 移民「毎年二〇万人」受け入れ構想の怪しさ…河合雅司
 このままでは人口は激減するが……
 日本人がマイノリティーになると ……167
 大量移民が生み出す新たな社会的困難 ……170
 東京五輪決定でリベンジに出た黒幕・財務省 ……173
 後世の日本人に顔向けできるのか ……177

◎第八章 【総論】自民党「移民一〇〇〇万人」イデオロギー…西尾幹二
 国家権力が溶けた時代 ……182
 呆れた自民党幹部の移民構想 ……184
 本音は安い労働力 ……186
 人口減少で不安を煽る手口 ……190
 日本は対決型・欧米社会とは断じて違う ……193
 国家と国民を守るのが保守政党の本能 ……197
 保守の真髄を取り戻せ ……199
 移民問題関連著作 ……203
 執筆者一覧 ……204

amazon書評より

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
坦々塾事務局(中村) 携帯090-2568-3609
     E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
  

閑居人さんのアマゾン書評より

「『十七歳の狂気』韓国」西尾幹二。
韓国の新聞の主なものは、今、インターネットで日本語版が読める。だから、彼等の「夜郎自大」ぶりは、あまりに滑稽なものとして、「笑韓」と笑い飛ばすこともできる。しかし、北の核開発が進み、国内に従北勢力が蔓延し、全教祖による北を正統とする教育・教科書が学校教育で進み、昨年12月には、親北・従北派を代表する文在寅候補が当選寸前までいった。保守層、老年層の巻き返しで朴槿恵の逆転勝利にこぎつけたことは記憶に新しい。
その朴槿恵の「自滅外交」である。日韓防衛協力協定を締結一時間前にドタキャンした背景には中国の恫喝とともに朴の強い意向があったと言われる。日本の「集団防衛権」解釈変更を「右傾化」と呼んで騒ぎ立て、立ち寄る国の先々で「慰安婦問題」に火をつけてまわる姿は、北と中国の脅威に囲まれていながら味方にナイフを突きつける狂気の十七歳そのものである。
韓国人に良識がないわけではない。例えば、朴槿恵政権の立役者、知日派の趙甲斉はさすがに放っておけなくなって、「日本の集団的自衛権の解釈変更」が有事に際して、どれほど韓国の助けになるものか、8月以来諄々と諭している。ソウルに置かれた国連軍本部は、後方基地である東京横田、沖縄の支援を得ない限り十全に機能することはない。
大陸では中国・ロシアの圧迫を受け、海からは日米経済圏に取り込まれた韓国の地政学的位置付け。その人口・資源から中級国家としてしか生きようのない韓国の現実。中国と日本という二つの異なる文明圏の強い影響下に置かれた歴史。その真実の実態を韓国人自身が認識できるのは、いつの日になるのか。
怒りにあふれているように見える西尾の文章には、悲しみのかげりすらある。

秦郁彦「河野談話を突き崩した産経大スクープ」
十月十六日の産経新聞は、二十年にわたり政府が封印してきた韓国の元慰安婦十六人の聞き取り記録を掲載した。「河野談話」のいい加減さを決定づける証拠である。
1973年、千田夏光が「従軍慰安婦」という言葉を発明したとき、これに関心を抱いた人は少なかった。秦郁彦は雑誌社のもとめで千田と対談したが、そのとき秦は、「新たな視点からの戦史の掘り起こし」という観点から千田に好意的に接しているように見えた。
秦が、昭和史研究者として「慰安婦問題」で果たした最大の貢献は、1983年発行吉田清治「私の戦争犯罪」に描かれた済州島での「娘狩り」が、根も葉もない捏造であったことを実地調査で証明したことだろう。吉田清治の証言を頼りに展開された運動は、本来ならここで潰れるはずだった。しかし、中韓の策動とそれを支援する朝日新聞、研究者吉見義明、高木健一・戸塚悦朗弁護士たちの活動はどこまでも続いている。
秦は、「日本政府が一括して国際社会へ騙した責任(朝日、吉田、吉見、高木、そして河野談話を含む)を謝罪するのも一案かと思う」と述べる。しかし、これは、また、逆に利用されるだけだと思えるが、どうだろうか。

その秦郁彦の関係する「昭和史の謎」に焦点が当てられようとしている。
西尾幹二を主宰者とする「現代史研究会」による「柳条湖事件 日本軍犯行説を疑う」である。
1931年(昭和三年)9月18日、南満州鉄道の奉天(瀋陽)駅の北東7.5キロ地点にある柳条湖で中国軍による鉄道爆破事件が起きた。この事件から、「満洲事変」へと拡大するのであるが、後に、関東軍の自作自演とされた事件である。
新にこの研究会の一員となった加藤康男は「張作霖爆殺事件と同じく、柳条湖事件も関東軍の謀略によるものだとは思っていません。あとひとつハード・ファクツ(動かぬ証拠)さえ出れば、一挙にひっくりかえります。柳条湖事件がひっくりかえれば昭和史は全て書き直しです」と語る。
「東京裁判」は「関東軍の謀略」と断定したが、事件当時の関係者の直接的証言はなかった。戦後、昭和三十一年、河出書房「知性」12月号に、「花谷正論文」が掲載され「関東軍の謀略」がほぼ間違いない事実と考えられるに至った。花谷は、当時、関東軍参謀陸軍中佐として奉天に勤務していたから、信頼できる証言と思われたのである。
実は、このとき、花谷にインタビューして文章もまとめたのが当時23歳の秦郁彦である。つまり、「花谷論文」は相当程度、秦郁彦の手になるものなのである。秦は、東大に在学中からオーラル・ヒストリーに取り組んでいたが、これはその成果の一つだった。関東軍が満洲制圧計画を持っていたことは間違いないが、柳条湖事件そのものには謎も多いのである。詳しくは、本文を読んでいただくしかない。

「WILL」なのか「歴史通」なのかよく分からなくなってきてしまった。こういうときは、読者はひとまず「蒟蒻問答」でも読むに限る。

「アメリカ観の新しい展開」(十二)

「対日戦争は『正義病』の歴史の一コマ」(西尾)

 西尾 宗教を見てみましょう。アメリカに渡った移民は多様で、メイフラワー号に乗ったプロテスタント、ピューリタン(清教徒)だけではありません。カトリックも、クエーカー教徒もいました。ただ、いずれも宗教戦争に敗れ、排斥され、追いつめられ、救いを求めて新天地に逃れてきた人々でした。その彼らがインディアンを根絶やしにし、黒人を奴隷にしたわけです。

 江戸時代の太平にまどろんでいた同時期の日本人には夢にも考えられないような残虐な体験の数々が、アメリカという国の体質の深層にあるのではないか。その体験がトラウマとなり、これまで取りあげてきたアメリカの「正義」という問題、「正義病」と言ってもよいアメリカ人の行動原理を形成したように、私には思えてなりません。

 ヨーロッパで迫害され、追放されて心に傷を負ったがために抱えた宗教的な救済思想が、彼らを「正義」へと駆り立てる。そうであるがゆえに、インディアンを虐殺し、黒人を虐げたことを直視することができず、頑なに「救済する国家」として振る舞う。心のトラウマの反映だと思います。戦いでは自分の側には決して落ち度を認めず、相手の自尊心をつぶすまで打ちのめす。敗者の気持ちを認め、許し、生きる道を残すという勝者の余裕もない。相手の息の根を止めるまでやる。日米戦でも、日本に無条件降伏を要求し、結果として戦争を長引かせました。相手にも理があると考えてみるという発想を最初から頭の中から追い払っています。

 この対談の第一回で述べた南北戦争の戦い方もそうでしょう。第一次世界大戦で破ったドイツのヴィルヘルム二世の訴追。第二次大戦でナチスを裁いたニュルンベルク裁判や東京裁判では、人類の名において敗者を裁いた。人類という名前を出すことで、自分たちの問題を巧妙に消し去ったのです。十字軍意識と言ってもいいかもしれません。この十字軍意識というものが、戦争に至った日米関係を考えるうえで、いままで語られてこなかった重要な要因だったのではないか。

 日本だけなく、イラクに対しても、イスラム原理主義のゲリラたちに対しても、イランに対しても同じです。自分たちが守り育てて擁護して優しい態度をとっていた相手に対して突然豹変して、徹底して破壊する。第二次大戦中は、アメリカはソ連とも手を結んでいました。前回の対談ではアメリカのウォール街とコミュニズムの論理が近いという話をしましたけれども、ソ連と握手できる要素があったにもかかわらず豹変して、半世紀近くも世界中を厳しい対立状況におき続けた東西冷戦を生み出した。あるいは?介石と中国を賞賛して熱心に支援しておきながら、大戦が終わると手のひらを返すように?介石も中国も否定してしまった。そして突然、また手を結んだ。自らの主観だけで善か悪かを決めて、悪だと決めたら、あるいは言うことを聞かなければ殺してしまう。極めて単純で脳にひだのない自己正当化を繰り返してきた。  虐殺したインディアン、奴隷とした黒人たちのほうが「正しかった」と少しでも考えたり、自分たちの理を疑い始めたりすると国家が崩壊してしまう。アメリカ人自身の人格が崩壊してしまう。だから屁理屈をつけてでも、「あいつらが悪いからこうなった」と信じ込んでいる。本当は違うと薄々は分かってはいても、その感情を押し消している。これが、アメリカの「正義病」の根源なのだと思います。

 冒頭で申し上げた、さまざまな要因の総合作用として歴史をみるということは、こうした分析です。日米関係だけに注目して日米戦争を考えると、わが国がペリーに強姦された、あるいは黒船来航以降の日米の宿命的な対立が戦争へとつながった、といった受け身の議論になり、誤解を招きやすい。日本だけに視点を向けた従来の矮小な議論、蛸壺史観へと議論が方向づけられてしまうからです。

 日米が開戦に至った理由を考えるうえで日米関係を特殊化してはならない。そうではなく、「アメリカとは何か」という命題を立ててアメリカの歴史全体の中で考察する。インディアン虐殺や黒人奴隷、フィリピン征服などアメリカ人が起こした世界史的トピックの流れの中に対日関係、日米戦争を位置づけることで、見えてくるものがある。「アメリカとは何か」という命題を生体解剖学的に考えるべきだと思うんですね。

 福井  米英ソのような本物の大国に比べれば、戦前の日本はせいぜい二流の地域大国でしかありませんでした。その日本が戦争を欲したので世界大戦となり、日本がおとなしくしていれば東アジアの平和は保たれたという現在支配的な史観は、悪役とはいえ日本をまるで世界史の主役であるかのように描く、裏返しの皇国史観ではないでしょうか。そういう人に限って戦前の皇国史観に批判的なところが滑稽ですが。

西尾 戦後の左翼こそが皇国史観だというのは言い得て妙で、面白い見方です。今までの話を少しつづけます。

 中国という国が、「北守南進」といって北方に向けては万里の長城をつくって守りを固め、南方へ進むという本能を持っていたように、アメリカには「東守西進」の本能がある。東方に対してはモンロー主義という名前で防波堤をつくり、西方にはどんどん遠慮なく進撃してきました。  リンカーン政権の国務長官だったスワードは、南北戦争を戦いながら大西洋の守備の重要性を訴えましたが、大西洋には防衛拠点となる島がないために苦労した。そのために彼は太平洋時代に備えてハワイ征服を考えます。これは一八六〇年代の話で、実際にアメリカが太平洋に進出してハワイを侵略するにはそれから三十年を要しましたが、スワードは一八六七年にアラスカを買収するなど、さまざまな太平洋進出策を画しました。いわばアメリカにおける最初の帝国主義者です。彼は太平洋と大西洋を睨んでいた。つまりアメリカは日本だけを叩こうとしたのではなく、大西洋も太平洋も睨んでいたのです。その根底には「ワン・ワールド」思想があった。そのことを抜きに、当時の日米関係を語ってはならないと思います。「私たちの国対アメリカ」という構図で考えるのはあまりに矮小だということです。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(十一)

アメリカは なぜ日本と戦争をしたのか 下

「正義病」の根源 「アメリカ人とは何か」という視点で歴史を 分析して初めて見えてくる日米戦争の深層

 西尾 少し長く話したいと思います。私は、歴史というものは、宗教であったり、人種であったり、金融であったり、地政学的な力学であったりと、さまざまな要因の総合作用の結果なのだと考えています。とくにアメリカの歴史を考えるときには、そうした視点が必要です。  十九世紀のヨーロッパにとって、「アメリカ」とは端的に言って「ラテンアメリカ」、つまり南米大陸を指す概念でした。十九世紀初頭、南アメリカの原住民、いわゆる「インディオ」の人口は千五百万人でした。これに対し、北アメリカの「インディアン」は五十万?百万人です。それだけの差があったのです。移民の数も南アメリカが千七百万人で、北アメリカの五百万人の三倍以上でした。

 ところが約百年後の十九世紀末には、南北の移民の数は逆転していました。南アメリカの六千万人に対し、北アメリカは八千万人。力が一気に北に移動し、いつの間にか北アメリカがアメリカの代表になっていたのです。

 いうまでもなく、南アメリカの移民は主にスペインから、北アメリカの移民はイギリスからやって来ていました。当時の両国の政治体制をみると、いまだ封建末期だったスペインに対して、イギリスは近代国家の道を歩み始めていました。文明が歴史的に辿ってきた段階としていえば、百年から百五十年の違いがあった。あるいは重商主義と資本主義の違いと言ってもよいでしょう。移民も、南アメリカにやって来ていたのはスペイン王朝のための富を求めた人々だったのに対して、北アメリカにはイギリスの王家に反逆し、「新しい土地」で共和主義的自治国をつくろうとした人々でした。

 原住民への対応はどうだったでしょう。スペインからの移民たちの基本政策は、原住民をキリスト教に改宗させてスペイン国王に富をもたらす臣下にするというものでした。一方、文明がより進んでいたはずの国からやってきた北アメリカの移民たちは、インディアンたちを異質な存在として排除し、単純に除去しました。そのやり方がまた凄まじい。単に殺戮しただけではありません。彼らの生きる根拠だったバッファローをまず大殺戮することによって、インディアンたちを衰えさせた。もちろんスペインの移民も原住民を虐殺しましたが根絶やしが目的ではありません。

 この原住民への対応の違いはスペインとイギリスの文明の違いによるものではなく、大きくは原住民の数の違いによるものと思います。南アメリカでは移民よりも原住民の数が圧倒的に多かったために排除できず、混血が広がった。混血によって人種の違いを緩める政策をとらざるを得なかった。つまり、スペインとイギリスの南北アメリカでの振る舞いには、表面的な違いはあっても、膨張主義、占有欲、征服、そして抵抗する意志のある原住民は排除するという共通項があったということです。

 異なっていたのは、北アメリカの移民たちがインディアンを除去するに当たって、宗教的な屁理屈をひねり出していたことです。キリスト教の新約聖書の言葉を使いました。「マタイ伝」二十四章二十七節のイエスの予言です。「神はこの世の終わりにあたって、その福音を西に伝えようと思っておられた。福音はかつて東から昇り、これまでは光によって東方を照らしていたが、この世の後半期になれば西のほうに傾き、沈む前にはこの西方の部分を輝かしい光で照らしたまうのである」

 移民たちはこの福音を、広々とした西部はキリストが与えてくれた征服にふさわしい土地で、拡大することが許される新天地だという劇的な暗号として受け止めました。これが有名な「マニフェスト・ディスティニー」という信仰にもつながります。この言葉は、一八四五年にサリバンというニューヨークのジャーナリストが最初に唱えた特殊なイデオロギーで、メキシコから奪ったテキサス併合の正当化に用いられました。百年以内に二億五千万人もの人口に達する白人がアメリカ大陸を占領するのは明白な神の意思であり、自由な発展のために神が割り当てたもうたこの大陸に拡大していくのはわれわれの運命、「ディスティニー」だとサリバンは述べています。第七代大統領のジャクソンは白人のアメリカ大陸への西進を進歩と文明のマーチだと言いました。西部開拓のイデオロギーを表わすフロンティア精神とは、侵略の暗号である「マニフェスト・ディスティニー」を朗らかな言葉で言い換えたにすぎません。

 さらに、アメリカの西部開拓でわれわれが見落としてはいけないことがあります。映画「アパッチ砦」で有名なインディアンのアパッチ族との抗争で、アパッチ族を捕らえて軍隊の監視下に置いた留置場が一九一四年まで存続していたということです。私がアメリカの対日姿勢のクリティカル・ポイントだと言った一九〇七年よりも後です。カリフォルニアの排日運動も起きていて、米比戦争によるフィリピン征服もすでに終わっていました。米比戦争の過程では桂・タフト協定(一九〇五年、日本がアメリカのフィリピン統治を、アメリカが韓国における日本の指導的地位を相互承認)も結ばれ、太平洋をめぐる日米対立の構図が姿を見せ始めていました。アパッチ砦、つまり「マニフェスト・ディスティニー」に支えられた西部開拓と対日戦争は歴史として連続していたのです。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(二)

「お節介ではた迷惑なアメリカの使命感」(西尾)  

西尾 二〇〇一年の同時多発テロ後には、アメリカに住んでいる中東系の人たちの収容も検討されました。実現する可能性はほとんどなかったでしょうが、これは第二次大戦時の日本人収容と同じ発想であって、日本人収容への反省は何であったのかと疑わせる動きでした。

福井 あの中東系の人たちの収容計画は、このオールド・ライトの系譜を引くパレオコンサバティブの人たちが厳しく批判しました。「ネオコンサバティブは何も歴史から学んでいないのか」と。いまのご発言を聞き、オールド・ライトと先生の発想は非常に近いという気が改めてしますね。もう一つ、西尾先生は『天皇と原爆』で、アメリカを対日独戦へ駆り立てた「宗教的な動機」を強調されています。日本の保守派の間でも「何を言っているの」という反応もあったようですが、これも実はアメリカでは昔から言われていることです。

 代表的な文献は、アーネスト・リー・トゥーヴェソンという宗教思想史家の『リディーマー・ネイション(Redeemer Nation、救済する国家)』です。アメリカの対外政策史は、「リデンプション・オブ・ザ・ワールド(redemption of the world)」、つまり世界を救済するというミッション、使命感に強く支えられてきた歴史であるということが書かれています。この本はシカゴ大学出版局から一九六八年に刊行され、八〇年に「ミッドウェー・リプリント」として再刊されています。古典という評価が定まったということでしょう。トゥーヴェソンは生涯独身で自宅もマイカーも持たない隠遁者のような人生を送る一方、学界で高く評価されていた碩学です。

西尾 詳しく説明していただけますか。

福井 アメリカで支配的な一部プロテスタントの神学は、カトリックなどと違って神の国と地上の国を区別しません。地上で「千年王国を実現する」という強い志向がある。そして、その使命を帯びているのがアメリカであり、アメリカの対外政策は強くその志向に支配されているという内容です。西尾先生が指摘された戦争に対する「宗教的な動機」は、アメリカの学界エスタブリッシュメントの間でも常識の範囲内の議論であるということです。

西尾 日本にとっては、そういうアメリカ人の使命感は、余計なお節介あるいは、はた迷惑だというのが私の感想です。  

福井 『救済する国家』自体は学術書で、価値中立的なスタイルで書かれていますが、オールド・ライトは、そうした使命感は間違いだと強く主張しています。アメリカの保守というのは伝統的には反戦です。よその国のことは基本的にどうでもよい、というのが原則的な姿勢です。  

西尾 アメリカとは、リンカーンの時代から、そうした使命感を持った国であったということですよね。  

福井 その通りです。

『正論』12月号より つづく

シアターテレビ再放送

 『天皇と原爆』の元になったシアターテレビの『日本のダイナミズム』が次の日程で再放送されることになりました。本には入りきらなかった内容もあり、本とは違った理解もなされるでしょう。動画は活字とはまた異なるインパクトを与えると思います。ご期待ください。

#1 マルクス主義的歴史観の残骸

放送日 放送時間
8月6日 25:05
8月12日 18:30

#2 すり替わった善玉・悪玉説
8月6日 25:25
8月12日 18:50

#3 半藤一利『昭和史』の単純構造
8月6日 25:45
8月12日 19:10

#4 アメリカはなぜ日本と戦ったのか
8月6日 26:05
8月12日 19:30

#5 日本は「侵略」していない
8月6日 26:25
8月12日 19:50

#6 いい子ぶりっ子のアメリカの謎
8月8日 25:05
8月12日 20:10

#7 ヨーロッパの打算的合理性、アメリカの怪物的非合理性
8月8日 25:25
8月12日 20:30

#8 中国はそもそも国家ではなかった
8月8日 25:45
8月12日 20:50

#9 日本を徒に不幸にした「中国の保護者」アメリカ
8月8日 26:05
8月12日 21:10

#10 ソ連と未来の夢を共にできると信じたルーズベルト政権
8月8日 26:25
8月12日 21:30

#11 アメリカの突然変異
8月10日 25:05
8月12日 21:50

#12 アメリカの「闇の宗教」
8月10日 25:25
8月12日 22:10

#13 西部開拓の正当化とソ連との共同謀議
8月10日 25:45
8月12日 22:30

#14 第一次大戦直後に第二次たいせんの裁きのレールは敷かれていた
8月10日 26:05
8月12日 22:50

#15 歴史の肯定
8月10日 26:25
8月12日 23:10

#16 神のもとにある国・アメリカ
8月13日 25:05
8月19日 18:30

#17 じつは日本も「神の国」
8月13日 25:25
8月19日 18:50

#18 二つの「神の国」の衝突
8月13日 25:45
8月19日 19:10

#19 「国体」論の成立と展開
8月13日 26:05
8月19日 19:30

#20 世界史だった日本史
8月13日 26:25
8月19日 19:50

#21 「日本国改正憲法」前文私案
8月15日 25:05
8月19日 20:10

#22 仏教と儒教にからめ取られる神道
8月15日 25:25
8月19日 20:30

#23 仏像となった天照大御神
8月15日 25:45
8月19日 20:50

#24 皇室のへの恐怖と原爆投下
8月15日 26:05
8月19日 21:10

#25 神聖化された「膨張するアメリカ」
8月15日 26:25
8月19日 21:30

#26 和辻哲郎「アメリカの国民性」
8月17日 25:05
8月19日 21:50

#27 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
8月17日 25:25
8月19日 22:10

#28 後期水戸学の確立
8月17日 25:45
8月19日 22:30

#29 ペリー来航と正氣の歌
8月17日 26:05
8月19日 22:50

#30 歴史の運命を知れ
8月17日 26:25
8月19日 23:10

謹賀新年(平成24年)

 喪中につき年末年始の挨拶を遠慮するという恒例の葉書の知らせは昨年末、数えてみたら62通あった。多いか少ないか分らない。毎年これくらい来ているとは思うが、毎年は数えていないので判断できない。たゞ今度気づいたのは長寿でお亡くなりになった方がきわめて多いことだった。90歳より以上の方が22人もいる。100歳以上で逝去された方が4人もおられた。私は自分がだんだん齢を重ねてきたので、死者の年齢も次第にあがって来たのだと思うが、たゞそれだけではない。一般に長生きが普通になったのである。

 天皇陛下がご高齢になられたとの声をテレビでしきりに耳にする昨今である。陛下は私とはわずか1.5歳くらいの年差であられる。私も「ご高齢」になったのだとテレビでいわれているようで奇妙な気がしてくる。

 陛下はまだまだご丈夫だと思う。被災地をご訪問になり、避難所の床にお膝をついて話をなさるシーンを何度も目にした。膝をついて坐れば、膝を起こして立たなければならない。立ったり坐ったりするのは容易ではない。陛下は鍛錬なさっている。私はそう直感した。私なんかより足腰はしっかりしておられ、きっとお強いのだ。まだまだ大丈夫である。

 私は昨年全集の刊行開始、相次ぐ雑誌論文、単行本三冊の出版で年齢にしてはやり過ぎである。私より高齢で多産な人もいるから、音を上げてはいけないが、10~11月ごろに少しばて気味だったことは間違いない。むかし手術を受けたところの古傷がいたんで、すわ再発かと恐れたが、要するに疲労とストレスが貯まった一時的な結果だった。仕事量を減らさなくてはいけない。

 昨年私はニーチェと原発と日米戦争に明け暮れたが、今年はどうなるだろう。今年は全集を4巻出し、次の年の4巻の準備をしなくてはならない。そして夏ごろスタート予定で『正論』に長編連載を開始する約束になっている。小さな論文とか新しい単行本の企画とかは慎まなくてはならない。それがいいことかどうかは分らないのだが・・・・・・。

 自分の肉体がだんだん衰徴していくのは避けがたいが、それにも拘わらず、行方も知れない日本の運命への不安がますます募るようで、私の心理的ストレスは高まりこそすれ鎮まることはないだろう。中国に対する軍事的警戒とアメリカに対する金融的警戒はどちらも同じくらい必要で、どちらか一方に傾くというわけにはいかない。前者を防ぐためにアメリカの力を借りれば、後者から身を守るすべが日本にはない。

 先の戦争が終ったころ、米国務長官アチソンがフィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島のラインをアメリカが責任をもつ防衛範囲であると明言し、それ以外の所は責任を持たないと言ったために、金日成が南朝鮮を安んじて侵攻した、という歴史がある。アメリカが最近海兵隊をオーストラリアに移動させたことをもって、アメリカの対中防衛網の強化だと歓迎する人が多く、そういう一面は私も否定しないが、しかし考えようによってはアチソン・ラインが南に下げられ、日本列島はラインの外に出されてしまった、という見方もないわけではないのである。

 大震災が起こったとき、アメリカ艦隊が大挙して救援に来た。例の「オトモダチ作戦」は善意と友情の行動という一面もあるが、日本列島がかっての「南ベトナム」「南鮮」のような保護対象としての主権喪失国家のひとつと見られた事実も間違いなくあるのである。少くとも今、日本列島はアメリカ合衆国の国境線になっている。かつての満洲北辺が大日本帝国の国境線であったのと同じような意味においてである。

 東シナ海、日本海近辺には石油・天然ガスが大量に眠っており、その総量はサウジアラビアを凌駕するという説がある。これは日本人にとって悪夢である。中国が狙うだけではない。アメリカも狙っているからだ。アメリカはこれを奪うために日中間の戦争が起こるように誘導するかもしれない。世界経済が完全に行き詰まった後、何が起こるか分らない。

 ジョゼフ・ナイの「対日超党派報告書」というのがある。ごらんいたゞきたい。

 http://www.asyura2.com/09/senkyo57/msg/559.html 

 わが日本列島はこの200年間、運命に対し受身であるほかなかった。日本の行動はすべて受身の状態を打開するためで、悲しい哉、自らの理念で地球全体を経営しようと企てたことはない。外からの挑戦につねに応答してきただけである。これからも恐らくその宿命を超えることはできないだろう。

 昨年末に次の本を校了とし、出版を待つばかりとなった。表紙もできあがったのでお目にかける。

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 前にご紹介した担当編集者の作成メッセージをもう一度お届けする。

天皇と原爆

強烈な選民思想で国を束ねる
「つくられた」国家と、
世界の諸文明伝播の終着点に
「生まれた」おおらかな清明心の国。

それはまったく異質な
二つの「神の国」の
激突だった――。

真珠湾での開戦から70年。

なぜ、あれほどアメリカは
日本を戦争へと
おびき出したかったのか?

あの日米戦争の淵源を
世界史の「宿命」の中に
長大なスケールでたどりきる、
精細かつ果敢な
複眼的歴史論考

WiLL論文について

ブログ歴史と日本人―明日へのとびら―(耕氏 筆)より

おかしな竹田恒泰氏の論文  

 竹田恒泰氏が『will7月号』で西尾幹二氏の論文を批判しているが、はっきりと言うならばおかしな批判ばかりだ。竹田氏は西尾氏を「保守派を装った反日派」扱いしているが、それはむしろ竹田氏のほうではないか。
 
 竹田氏は西尾氏の「この私も(中略)天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という片言節句を取り出して、それを抜き出した上で「天皇制度を「廃棄」するのは、およそ保守派の言論人から出る言葉ではあるまい」と言っている。ところがこれは竹田氏の詐術である。なぜなら西尾氏の原文は、「(それまで皇室が近代原理に犯されつつあることを批判した上で)皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という内容である。この文章自体「保守派」に危機感を促す修辞だと思うが、それでなくとも文章の本意を読み取らず、言葉の一部分を抜き出す竹田氏はどこかおかしいのではあるまいか。さらに竹田氏はこう言っている。「廃棄とは廃棄物を処理することを意味し、この言葉を天皇に使った人物は後にも先にも西尾氏だけであろう」。竹田氏は日本語にも難があるらしい。「廃棄」を説明するのに「廃棄物」を使ったら同語反復で説明になっていない。「廃棄」とは「不要のものを捨てること」であり、「廃棄物」という言葉を選んだのは西尾氏の主張を気色悪く見せようという手だろう。
 
 皇室が「不要」とは何事かと言い出されかねないが、この「廃棄」に賛成している部分は西尾氏が想定する最悪の状況になった場合、という話である。その文意を全部無視して「皇室の存在を良しとしない」などと決め付けられてはたまったものではない。
 
 西尾論文の主意は皇室に学歴主義、平等主義という近代原理が入り込み始めており、「人権」という最大の近代原理が入りこむのは時間の問題である。左派はすでにそのことを言い始めている。伝統を無視し、「人権」を尊重するようになってしまえばもはや日本社会は融解する。そのような皇室になってしまったら廃棄もやむを得ない(原文を読めばわかるが、「そうならないようにしよう」、という語感が言外に含まれている)。西尾氏は皇室とは日本人の「信仰」であると理解しており、したがって皇族は神としての存在を求められる。「人権」などという原理を認めればそうした日本人の原信仰は破壊しつくされてしまう、ということだ。竹田氏曰く「英国のゴシップ紙と何ら変わることはない」そうだが、これのどこが「英国のゴシップ紙」なのだろうか。
 
 西尾氏は皇室に近代原理が入り込んでいく過程を明らかに雅子妃に見ている。雅子妃には「キャリアウーマン」としての前歴などではなく、伝統的皇室として行動していただきたい旨を主張している。日本皇室の西洋王室化を懸念しているのであり、いっそ西洋王室のようになっていくか、それともそれが日本社会に深刻な悪影響を及ぼす前に「廃棄」してしまうか。この命題は保守派にとって突きつけられた課題のはずだ。仮に皇室が伝統的皇室を裏切ってもひたすら維持するのか、そうではないのか。尊皇家であればこそ考えなくてはならない課題である。ところが竹田氏にはそのあたりの視野は全くないようである。西尾氏ばかり擁護していると思われるのも何なので余談ながら触れるが、この命題にたいしては当の西尾氏すら揺らぎを見せているように思える。
 
 竹田氏は皇室が批判されれば印象が悪くなると考えている節がある。だが事はそんなに単純ではない。まさに西尾氏が「内部から崩壊しようとしている」と述べているように、近代社会(国民)と伝統社会(皇室)が乖離し、齟齬をきたし始めているという深刻な問題がある。雅子妃の問題はその一つの表れに過ぎない。皇室の根本である祭祀に皇后が個人的理由から参加されない、ということになれば皇室が公的存在であることすら薄れかねない。
 
 竹田氏はこうも言っている。「これまで皇室は幾度となく危機を乗り越えてきた。将来生じる危機も必ずや乗り越えていくことを私は信じている」と。竹田氏が信じたくらいで乗り越えられるのなら苦労はないと皮肉ってやりたいくらいだが、そうは思わないらしい。天皇が「神に接近し、皇祖神の神意に相通じれば、今上さまと同様、必ず立派な天皇におなりあそばす」であろうことは私も同意する。だが「神に接近する」こと自体を皇室自身が拒み始めていることに警鐘を鳴らしたのが西尾論文ではなかったか。雅子妃だけではなく高円宮承子さまの話など、皇室の西洋王室化乃至は大衆化が幾たびか報道されるようになった。「開かれた皇室」という妄想の元に皇室の世俗化、大衆化が進行しつつある。それは皇室が「祭り神」でもなく「国民の慈母」ですらなくただの名家の一つに下がってしまいかねないほどの危機が迫っているということだ。これは「世継ぎ問題」だけに修練されるものではなく、永い皇室の歴史の中でも未曾有の事態と言わなければならない。
 
 竹田氏は最後にこんな言い方をしている。「私のような三十二歳の青二才が、人生の先輩にこのようなことを言うのは申し訳ないが、もし私のこの注告(ママ)を読んで少しでも思いを致すところがないとしたら、そろそろ世代交代の時期が迫っているのかもしれない」。これこそ「卑怯」で「品格に欠ける」態度と言わなければならない。最初の西尾発言の作為といい、言論人として、(「旧」がつくとは言え)皇族の一員として醜態をさらしているのは竹田氏のほうではないかと思うのだが、どうだろう。

*なお一応読者の一人としてではあるが論文を評させていただいたので、この記事は西尾氏と竹田氏のブログにトラックバックさせていただくことにした。

文:耕

 WiLL5月号の末尾のしめくゝりの文章を参考までに掲示します。尚「第一の提案」は主治医の複数化の要請です。

 しかし先の医師によると、殿下がそういうお言葉をお漏らしになるとそれが報道されて、妃殿下の病気が重くなる、だから何も言えない、そういう網にからめとられたような状況だ、というのだが、果たして本当だろうか。それほどの事態であるのなら、このまま時間が推移していくのはさらに恐ろしいことで、やがて日本の皇室がものの言えない沈黙の網にからめとられていくのをわれわれ国民は黙って看過してよいのか、という別の問題が発生する。

 じつは私などが一番心配しているのはこのことで、妃殿下のご病状が不透明なままに第126代の天皇陛下が誕生し、皇后陛下のご病気の名において皇室は何をしてもいいし何をしなくてもいい、という身勝手な、薄明に閉ざされた異様な事態が現出することを私はひたすら恐怖している。

 そしてそこに、外務省を中心とした反日の政治勢力がうろうろとうごめく。中国の陰謀も介在してくるかもしれない。天皇家は好ましからざる反伝統主義者に乗っ取られるのである。そして、皇族に人権を与えよ、という朝日とNHKの声は高まり、騒然とする。国民はどうなっているのか読めないし、どうしてよいのかも分らない。ただ呆然と見ているだけである。

 皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない。

 そうならないためのさし当たりの私の第二の提案は、宮内庁と東宮につとめる外務官僚の辞任を実施することである。外務省も今のうちなら、ない腹をさぐられるよりその方がよいときっと思うだろう。

文:西尾幹二
WiLL-2008年5月号

お知らせ(日本文化チャンネル桜出演)スカイパーフレクTV241Ch

6/7 (土)23:00~24:00
第23回:GHQ「焚書」図書開封の刊行と新事実の発見

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日本よ、今…「闘論!倒論!討論!2008」

  放送時間
パート1 木 20:00-21:30
パート2 金 21:00-22:00

今後の放送予定

6/5
(木) ◆どうなる!?東アジア軍事情勢

パネリスト:
 潮匡人(評論家)
 太田述正(元防衛庁審議官)
 川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
 田代秀敏(大和総研主任研究員)
 西尾幹二(評論家) 
 西部邁(評論家)
 松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子

6/6
(金) ◆どうなる!?東アジア軍事情勢

パネリスト:
 潮匡人(評論家)
 太田述正(元防衛庁審議官)
 川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
 田代秀敏(大和総研主任研究員)
 西尾幹二(評論家)
 西部邁(評論家)
 松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子

「いじめ」考

 

 現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、許可を得て、管理人が西尾先生関連のエントリーを挙げています。
 
 今回は、警察の雑記「BAN」(2007年9月号)に載った、西尾先生の文章です

 子供の「いじめ」が深刻視されています。政府の教育再生会議でも取り上げられ、新聞が会議のうろたえぶり、いじめた子の「登校停止」を提案したり、またすぐに八方おもんばかってその提案を引っ込めたりする右往左往ぶりを伝えていました。いかにも政府の審議会らしい腰の座らなさです。

 「登校停止」で解決できるケースなんて、むしろ少数でしょう。いじめる者といじめられる者との差があまりはっきりしない事例が多く、いじめられる者が、明日にはいじめる側に回るなどの可能性の微妙さがやっかいなのです。

 ある学校で、校長先生が教室に来て、いじめ問題を生徒に真剣に語りかけている最中にいじめが起こっていた事例があります。後で全員に文章を書かせて分かったのでした。だから大変な話なのです。

 現代で最悪のケースは、いじめが密室化し、被害者が自殺する場合です。いじめは私の子供時代からありましたが、いじめで自殺する子供はいませんでした。昔の子供は心が強かったからでしょうか。そうではなく、社会の基本には暴力があり、暴力を抑えるには暴力しかなく、暴力を道徳で抑えることは不可能だ、という当たり前の常識が普及していたからです。

 子供の群れる学校は野生の猿の世界です。私は農村も都会も知っていますが、私の子供時代、クラスのボス猿は大抵、親か兄かが非合法社会とつながっていました。ところがそのことが、彼の暴力を抑止したのです。彼は刃物を懐に入れていましたが、人を傷つけることはないし、人を殴っても手心を加えていました。今の時代のすぐキレる、優等生顔をしたヒステリー少年よりもずっと大人でした。なぜなら、非合法社会にいる親や兄が、自分の子供の暴力を許さなかったからです。

 昔は野生の暴力が、社会の中に実在していた有効性を考えておきたいのです。それは非合法勢力のことだけを言っているのではありません。村には必ず青年団があって、子供の暴力を力で牽制(けんせい)していましたし、上級生は生意気な下級生を袋叩きにしました。学校の先生の体罰も有効に働きました。街角でいじめを見て、普通の市民が介入し、叱りつけました。それがいつの頃からか「刺されるからやめておこう」に変った。

 今の世はおしなべて無責任な平和主義で、他人に干渉しません。その結果、いじめは学校の中で密室化し、陰惨になり、外から見えにくくなりました。いじめられる子供はいたぶられ、小づかれても、助けてくれる有効な上位の暴力がなく、行き場を失って絶望し、自殺に追い込まれるのだと思います。社会の中の野生の暴力が消えてしまったことに、自殺多発の最大の原因があるのだと言ってほぼ間違いないでしょう。

 政府の審議会は、暴力を抑えるのは暴力だというところまで本気で問い詰めているでしょうか。教育委員会や校長会は、きれいごとを言って逃げていないでしょうか。間違っているのは平和主義なのです。そこで、私はいじめられている子に「死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね」と学校の先生が日頃、子供たちにあえて教えておくことがぜひとも必要だと申し上げたい。無抵抗主義を教えるのは、弱い子供に対しては自殺への誘いです。正当防衛としての闘争心を教えること、先生が日々これを噛(か)んで含めるようにして言い聞かせておき、少しでも闘争心が芽生えたら、その子はもう決して自殺しません。

 防衛の心はそもそも生命力の表れなのです。

文・西尾幹二