春の近況報告

 4月29日、春の叙勲で瑞宝中綬章というのを頂きました。御祝辞、御激励に厚く御礼申し上げます。

 本年5月に予定されていることを以下に列記します。

 『人生について』と題した新潮文庫の5月新刊が出版されました。解説は伊藤悠可氏です。この本はすでに皆さまご存知の『人生の深淵について』の同一本です。「長寿について」という一文を新に書いて「あとがきに代えて」としました。

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 連載続行中の『正論』の6月号(5月1日発売)ではまたまた連載を休みました。代わりに「中国、この腐肉に群がるハイエナ」(30枚)を書きました。ハイエナは西欧諸国のことで、とりわけイギリスのことです。ロンドンのシティを論じました。

 5月4日(月)午後8:00~9:55(BSフジ生放送)の「プライムニュース」に出演します。テーマは「昭和を創った人たち――三島由紀夫」で、共演者は村松英子さんです。約2時間に及ぶ番組で、時間を気にせずかなり話せると思います。三島の自決と日本の核武装断念の関係について語ります。

 5月6日(水)の私の「GHQ焚書図書開封」(日本文化チャンネル桜)の時間帯に「GHQ日本人洗脳工作の原文発掘――関野通夫氏と語る(一)」を放送します。

日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 (自由社ブックレット) 日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 (自由社ブックレット)
(2015/03/11)
関野通夫

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(二)は5月20日です。話題をよんだ「自由社ブックレット」の関野著「日本人を狂わせた洗脳工作――いまなお続く占領軍の心理作戦」をめぐって行われた対談番組です。翌日にはYou Tube になります。

 5月後半に私の全集第11巻『自由の悲劇』(第12回配本)が刊行されます。共産主義の終焉、ソ連の消滅という1989-91の劇的事件にそのつど私が心震わせ、歴史と未来を論じた一巻です。今の情勢はすでに予言されています。

 加藤康男著『昭和天皇、七つの謎』の書評を産経新聞に出します。

 私の全集の新しい内容見本が作成されます。全集はいま半分を越え、残りの11冊をどう読んでいたゞくかの大切な岐路に立たされています。

三浦淳氏の書評

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 新潟大学教授三浦淳氏がご自身のブログで私の全集9巻『文学評論』について論評して下さった。三浦さんは秀れたドイツ文学者で翻訳家でもある。最近は『フルトヴェングラーとトーマス・マン――ナチズムと芸術家』(アルテスパブリッシング刊¥2500)を刊行された。

 氏は大変な読書家で『隗より始めよ・三浦淳のブログ』を開いてみて欲しい。書評と映画評のオンパレードである。私はその中からたびたび良書を選び出している。みなさんもこうしたエピキュリアン、本と映画と芸術に通じたエキスパートの文章から学ぶ処多いはずで、私も自らの不勉強を恥じ、これを見て新知識を補っている。このような博識の方に論評していただけたことはありがたい。

西尾幹二氏の全集が現在国書刊行会から刊行されている。

 氏は、現在でこそ保守系雑誌にたびたび登場し政治的な時事問題を扱う論客として、そして少し前には「新しい歴史教科書をつくる会」を主導し戦後長らくマルクス主義の呪縛に囚われてきた日本の歴史学界の実態を告発した人物として知られているが、もともとは東大の独文を出て、ニーチェに関する論文で日本独文学会の外郭団体が若手研究者の優れた仕事に与える賞を受賞し、その直後にドイツに留学するところからドイツ文学者としての経歴をスタートさせている。つまり、文学こそが氏の当初の仕事だったのである。

 本書は、その西尾氏の文学評論を集成した巻である。

 2段組800ページに及ぶ浩瀚な書物には、扱う対象ということで言えば実に多様な文章が収められている。

 全体は10部に分けられ、初期批評、日本文学管見、現代文明と文学、現代の小説、文学研究の自立は可能か、作家論、掌篇、1988年文壇主要作品論評、文芸時評、書評となっており、さらに追補として桶谷秀昭氏、および江藤淳氏との対談が収められている。

 分量も多ければ扱う対象もきわめて広い――日本文学だけでも『平家物語』から現代文学にまでおよぶ――本書の全容を紹介することは私の手に余る仕事である。したがって私の目についたいくつかの論考を紹介することで書評の体裁をかろうじて整えることをお赦しいただきたい。

 本書を読んで目につくのは、西尾氏が原理論への傾きを持っているということであろう。もとより時評の類であってもそこには書く人間の基本的なものの考え方が含まれており、時流に迎合もしくは反抗して書かれた文章であれ時代相というものではくくれない部分があること自体は当然なのであるが、氏の場合はどんな対象を扱っても、そこに強固なまでの原理論への志向が見られるのであって、氏の文章を読む楽しみとはそういう部分にあるのではないだろうか。

 例えば冒頭に収められている「批評の二重性」という、1972年の『新潮』に掲載された文章である。平明に書くのはよいことなのかという問題提起から始まり、それが平明に書くと嘘になる場合があるのではという問題提起に変形され、一例として、否定することと肯定することとは一つのことではないかという問いが投げかけられる。サミュエル・ベケットに魅かれながら、そこに引き込まれてしまったら自分自身がなくなるという危機感から来る抵抗も同時にあるとすると、魅力と抵抗を一つの文章で同時に表現するにはどうすればいいか、という問題だと氏は説明する。一人の作家の長所と弱点は別々にあるのではなく、一体なのであって、そこから氏は批評するべき対象への愛憎というものに論を進めている。

 文字どおり卑近な感想だが、愛憎というと私などはすぐ男女関係を思い浮かべてしまう。或る異性への愛憎は表裏一体であり、愛があれば必ず憎しみも抱くのが天上ならぬ地上の恋愛であり、愛の反対語は憎悪ではなく無関心であるという男女関係の原理は文芸批評にも通じるところがあるのだと改めて認識させられた。

 少し問題が違うように見えて、実は通底しているものがあると感じさせるのが、作家論の中に入れられた「手塚富雄」である。手塚富雄は独文学者にして名訳者として名高いが、西尾氏の学生時代の師でもあった。しかしこの文章では客観性を保つためであろう、敢えて師を「手塚富雄氏」と呼んでいる。
 ここで展開されているのは翻訳論であり、西尾氏が(独文科の学生ではなく)一般市民相手にニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の学習会を開いたとき、邦訳を数種類用意したものの、結局は手塚富雄訳がその分かりやすさ故に残ったというのである。
 しかし分かりやすければいいという単純な結論を、むろん西尾氏は導き出してはいない。手塚富雄にしても、必要なときには漢語を用いている。分かりやすいことは翻訳の大前提ではあるが、文章の格調や、西洋哲学に必然的に伴う形而上学とのつながりなど、配慮すべき点は多い。いかに名訳者といえども、所詮は体系の異なる(そして背景にある文化も異なる)日本語にドイツ語を完璧に置き換えることはできない。西尾氏は手塚訳が過去の訳業に比していかに優れているかを正確に把握しながらも、同時にその(やむを得ない)限界に触れることも忘れない。
 これは、究極的に言えば、言葉というものに含まれた、場合によっては矛盾する諸要素を、いかにひとつの単語やひとつの文章で表現するかという問題であるが故に、前述の問題とつながっていると私には思われるのである。
 西尾氏自身も翻訳の仕事に手を染めている。私も、西尾氏の仕事で最初に接したのは氏の手になる翻訳で、中公の「世界の名著」に収録されているニーチェ『悲劇の誕生』であった。私が大学の学部学生だったのは1970年代前半だが、その頃に読んだのである。ただし学生の身分でカネがなかったので古本屋で購入した本であった。その月報では、西尾氏はドイツ留学中と紹介されている。氏がドイツに留学したのは60年代半ば過ぎだが、その結実として60年代末に『ヨーロッパ像の転換』が上梓される。しかし万事に奥手な私は、80年代初頭にようやく『ヨーロッパ像の転換』を読み、西尾氏の真価を知るに至ったのだった。

 話を元に戻そう。

原理論ということでいうと、その次に収められた「現代小説の問題(付・二葉亭四迷論)―― 大江健三郎と古井由吉」も面白い。1971年9月に『新潮』に発表された文章である。

 この文章に私が興味を持ったのは、発表年の1971年がちょうど私が大学に入学した年で、つまり若い時分の同時代文学を扱っているからでもある。大江健三郎は戦後長らく若手純文学の旗手的な存在で、私の高校生時代も同じ文学趣味の仲間には大江ファンが何人かいた。私自身はというと、大江の作品はいくつか読んだものの、どうも好きになれなかった。古井由吉が『杳子』で芥川賞を受賞したのがこの1971年で(大江の芥川賞受賞は1958年)、当時古井は大江の次の世代の純文学を担う存在になるのでは、と言われていた。だから大江と古井を対照的な志向性を持つ作家として捉える向きも多かったと記憶する。

 しかし西尾氏はここではそのような見方をとっていない。最近の小説は長くなっているがという石川達三の苦言に始まって、小説における描写の問題に話を進めている。言葉を主観の側に引きつけて修辞に過剰に頼り、事物から離れていく文学、そして言葉を事物に近づけようとして修辞を拒み微細な分析を続け、自我を解体してしまう文学の二つの方向性が当時の現代文学には目立つと述べ、前者に大江健三郎を、後者に古井由吉を代表させている。

 ただし、必ずしも両者を対蹠的な文学者として扱っているわけではない。氏が書いている詳しい分析はここでは省かざるを得ないが、過剰な修辞や詳細な描写が、読者にでは作家が期待したような効果をあげることができるかという、これまた原理論的な問題に触れて、大江と古井のいずれの作品もかつて小説が読者に期待したようないわば素朴な効果からは遠ざかっているのであり、そこに現代文学のかかえる大きな問題があるのでは、と述べている。そして後半、氏は二葉亭四迷の『浮雲』に言及する。その文体は、今からすれば過去の文語体の影響が濃厚に残存し、また文体のリズムには歌に通じる部分があって、『浮雲』は過去と現在の狭間にあったことによってその独特の魅力と存在感が生じたのではないか、と氏は指摘する。

 小説には、大江や古井の作品に限らず、作品の文章が読者に対して、作者が想定したような効果をあげ得るか、作者が思い描いていたイメージを喚起し得るのかという問題がつきまとう。西尾氏自身述べているように、読者が小説を読むとき、読者は自分の年齢や経験や環境に否応なく制約されながら読むしかないのであって、理想的な読者などというものは現実世界には存在しないのである。そうした制約を乗り越えようとすればするほど、逆に作品は作者の意図からはずれていくのかも知れない。まさにそれこそが、小説というジャンルにつきまとう原理的な矛盾なのである。氏の文章はそうした事情を鋭く捉えている。

 大江と古井という、当時よく読まれた作家を取り上げながら、情勢論ではなく原理論に行き着くところに、西尾氏の真骨頂があるのだと思う。

 そうした氏の姿勢は、作家論の中の「江藤淳 Ⅱ」にもはっきりと表れている。

 江藤淳の『一族再会』を論じながら、氏は次のような言葉を差し挟まずにはいられない。

 「著者〔江藤淳〕は近代日本人がどのような理想を描いて、またどのような目的意識を抱いて生きたかを探りたくて、この本を書いたのではない。理想や目的が何であったかは誰にも分らなかった。分らないけれども、日本人はともかく生きたし、今も生きつづけている。その事実にまず著者は強く博(う)たれ、そこを起点に本書を書いているのである。」

 「未来が分って生きる人間はいない。一寸先が闇だからこそ、人間は生きる勇気を得られるのである。著者はそのようにして歴史を描いている。結果が分ってしまった今日の時点から、過去を整理し、解釈する合理的手つきは著者には無縁だ。」

 こうした、いわばアフォリズム的な物言いは、江藤淳論に限らず、西尾氏の論考を或る程度読んだ人間なら必ず出会うものである。しかし、それを金太郎飴的なものと切り捨てるのは当を得ていない。氏はあくまで『一族再会』で江藤淳が過去に向ける眼差しを真摯に見つめているのであって、その結果として以上のような表現が否応なく出てこざるを得ないのである。まさに、自分の型に合わせて相手を切り取るのではなく、あくまで相手を尊重しつつ、しかし歴史への眼差しの根底において自己と共通の部分を見いだしたことの表現として、アフォリズム的な言い方が出てくるのだと考えるべきなのだ。

 なお、巻末に収められた江藤淳との対談も興味深い内容であることを付け加えておく。

 すでにかなり長くなってしまった。

 原理的な論考だけがこの巻に収められているわけではない。大学で同窓だった柏原兵三や、一度だけ会う機会のあった三島由紀夫の思い出を綴った文章は、西尾氏の目を通した人物素描を見るような趣きがあり、素朴な意味で面白い。

 本書は、そのように多様な楽しみに満ちあふれている。文学に興味のある方にはもとより、時事評論家や文明史家としての西尾ファンである方にも十分お薦めできる書物であろう。

中国の金融野心と参加国の策略

産經新聞4月16日「正論」欄より

 中国主導によるアジアインフラ投資銀行(AIIB)に、英国を先頭に仏独伊など西欧各国の参加意思が表明され、世界50カ国以上にその輪が広がったことが、わが国に少なからぬ衝撃を与えたように見える。中国による先進7カ国(G7)の分断は表向き功を奏し、米国の力の衰退と日本の自動的な「従米」が情けないと騒ぎ立てる向きもある。

≪≪≪ なぜ帝国主義台頭を許すのか ≫≫≫

 もとより中央アジアからヨーロッパへの鉄道を敷き、東南アジアからインド洋を経てアフリカ大陸に至る海上ルートを開く中国の壮大な「一帯一路」計画は夢をかき立てるが、しかしそれが中国共産党に今必要な政治的経済的戦略構想であり、中華冊封体制の金融版にほかならぬことは、だれの目にもすぐ分かるような話ではある。

 中国は鉄鋼、セメント、建材、石油製品などの生産過剰で、巷(ちまた)に失業者が溢(あふ)れ、国内だけでは経済はもう回らない。粗鋼1トンが卵一個の値段にしかならないという。

 外へ膨張する欲求は習近平国家主席の「中華民族の偉大なる復興」のスローガンにも合致し、ドル基軸通貨体制を揺さぶろうとする年来の野心に直結している。それはまた南シナ海、中東、中央アジアという軍事的要衝を押さえようとする露骨な拡張への動機をまる見えにしてもいる。

 それならなぜ、遅れてきたこのファシズム的帝国主義の台頭を世界は許し、手を貸すのだろうか。今まで論じられてきた論点に欠けている次の3点を指摘したい。

 計画の壮大さに目がくらみ、浮足立つ勢力に、実行可能なのかどうかを問うリアリズムが欠けている。中国の外貨準備高は2014年に4兆ドルに達しているが、以降急速に減少しているとみられている。中国の規律委員会が1兆ドルは腐敗幹部により海外に持ち出されているとしているが、3兆7800億ドルが消えているとする報道もある。

≪≪≪ 策略にたけた欧州の狙い ≫≫≫

 持ち出しただけではもちろんない。米国はカネのすべての移動を知っているだろう。日本の外貨準備高は中国の3分の1だが、カネを貸している側で対外純資産はプラスである。最近知られるところでは、中国政府は海外から猛烈に外貨を借りまくっている。どうやら底をつきかけているのである。

 AIIBは中国が他国のカネを当てにし、自国の欲望を満たそうとする謀略である。日米が参加すれば巨額を出す側になる。日本の場合、ばかばかしい程の額を供出する羽目になる可能性がある。安倍晋三政権が不参加を表明したのは理の当然である。

 第2に問われるべきは欧州諸国の参加の謎である。欧州はロシアには脅威を感じるが中国には感じない。強すぎるドルを抑制したいというのが欧州連合(EU)の一貫した政策だが、ユーロがドルへの対抗力にはなり得ないことが判明し、他の頼るべき術(すべ)もなく、人民元を利用しようとなったのだ。

 中国の力を味方につけて中露分断を図り、ロシアを少しでも抑制したいのが今の欧州の政治的欲求でもある。それは安倍政権がロシア接近を企て、それによって中国を牽制(けんせい)したいと考える政治的方向と相通じるであろう。欧州は経済的に日米から、政治的にロシアから圧力を受けていて、そこから絶えず自由になろうとしているのがすべての前提である。

≪≪≪ 日本の本当の隣国は米国だ ≫≫≫

 それなら英国が率先したのはなぜか。英国が外交と情報力以外にない弱い国になったからである。英米はつねに利害の一致する兄弟国ではなく、1939年まで日本人も「英米可分」と考えていた。

 第二次世界大戦もそれ以降も、英国は米国を利用してドイツとロシアを抑止する戦略国家だった。今また何か企(たくら)んでいる。中国はばか力があるように見えるが直接英国に危害を及ぼしそうにない。その中国を取り込み、操って政治的にロシアを牽制し、日本と米国の経済的パワーをそぐ。これは独仏も同じである。日本が大陸の大国と事を構えて手傷を負うのはむしろ望むところである。AIIBは仮にうまくいかなくても巨額は動く。欧州諸国の巧妙な策略である。

 第3に中国と韓国は果して日本の隣国か、という疑問を述べておく。地理的には隣国でも歴史はそうはいえない。隣国と上手に和解したドイツを引き合いに日本を非難する向きに言っておくが、ドイツが戦後一貫して気にかけ、頭が上がらなかった相手はフランスだった。それが「マルクの忍耐」を生んでEU成立にこぎ着けた。

 それなら同様に戦後一貫して日本が気兼ねし、頭が上がらなかったのはどの国だったろうか。

 中国・韓国ではない。アメリカである。ドイツにとってのフランスは日本にとっては戦勝国アメリカである。日本にとっての中国・韓国はドイツにとってはロシアとポーランドである。その位置づけが至当である。こう考えれば、日米の隣国関係は独仏関係以上に成功を収めているので、日本にとって隣国との和解問題はもはや存在しないといってよいのである。

「深層NEWS」出演のお知らせ

 4月8日(水)BS日テレ 午後10時~11時「深層NEWS」という番組に出演します。アジアインフラ投資銀行(AIIB)をめぐる世界情勢と日本の立ち位置について、私見を述べます。今回の日米協力は単純な「従米」ではないことについても語ります。同席出演者は小林よしのり氏です。

 この放送は同日CS日テレで午後24時から再放送されます。「日テレNEWS24」というのだそうです。つまり、1時間遅れでもう一度、CSで放送されるということです。

「正義」の嘘の発刊

「正義」の嘘 戦後日本の真実はなぜ歪められたか (産経セレクト) 「正義」の嘘 戦後日本の真実はなぜ歪められたか (産経セレクト)
(2015/03/18)
櫻井よしこ、花田紀凱 他

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◎目次

はじめに 何が戦後日本を一国平和主義に閉じ込めてきたか 櫻井よしこ
第1章 慰安婦問題だけではないメディアの病 櫻井よしこ×花田紀凱
第2章 イデオロギーのためには弱者を食い物にする 櫻井よしこ×花田紀凱
第3章 「けちな正義」の暴走 西尾幹二×花田紀凱
 

「朝日」は世界中の戦時売春を告発するがよい!/朝日の「ドイツを見習え、個人補償」論/ドイツが個人補償をする理由/そして「慰安婦問題」だけが残った/朝日の「けちな正義」/ドイツの凄まじい管理売春/「強制連行」したドイツ軍/戦争がある限りなくならない問題/相手の「罪悪」を思いださせる反論

第4章 世論はこうしてつくられる 潮匡人×花田紀凱
第5章 軍事はイメージとイデオロギーで語られる 古谷経衡×花田紀凱
第6章 勘違い「リベラル」と反日 門田隆将×櫻井よしこ
第7章 朝日新聞が歪めた事実と歴史 櫻井よしこ×西岡力×阿比留瑠比×花田紀凱
あとがき 花田紀凱

講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(五)

            (五)

 それでは、なぜアメリカがヨーロッパに取って代ろうとする力になったか? 多様な考え方があって、今の私の連載ではそれを追究していて、全部終わってからでないと確たることは言えませんが、ひとつだけ今日お話しできるのは、古代から中世を経て、ひとつの考え方があるんですよ。「アメリカとヨーロッパ中世は似ている」ということなんです。中世の無秩序と暴力社会ということは、先ほどお話ししましたね。今のアメリカはやっとここまで来たのであって、やっとここまで両大陸は来たのであって、また無秩序に戻りつつあるけど・・・。アメリカは最初、とにかく南アメリカも北アメリカも中世的な無秩序状態、自然状態だった。

 アメリカというのは、予想外に「ヨーロッパの過去」に根を持っているんですよ。幾つか原因がありますが、一つは「宗教過剰」ということです。Theopolis 「神の国」をアメリカ人は信じています。アメリカ人の信じ方、これは凄いですよ。ピューリタニズムに覆われたアメリカは、とりわけ「朽ち衰えるヨーロッパと、新しい、未来の輝かしいアメリカ合衆国。」「腐敗のヨーロッパと、純潔のアメリカ。」これがアメリカが最初から意識した、それこそ、ワシントン、ジェファーソン、アダムスらが言っていることですが、アメリカはこれによってヨーロッパを超えようとしたわけです。しかしそれは、ヨーロッパに始まっているんですよ。先ほどから何度も言っているルターやカルヴァンに始まっているんです。つまりそのことは宗教改革に始まっているのであって、そしてローマ教王は「アンチクリスト」であるというふうなことで、世界を蘇らせたあのエネルギーというものがまた始まるのです。

 いまひとつ申し上げたのは「宗教過剰」ですが、もうひとつは、「帝国の思想」というのがヨーロッパにあり、それがアメリカにのり移った、ということです。ジァファーソンも「帝国」ということを言っていますが、そういうアメリカの要人が言っていたことよりもっと広く、ヨーロッパ中世のバック・ボーンを成す「神話」があるんですよ。私もまだ詳しくはなく勉強中なのですが、「四つの帝国」という「神話」があるんです。皆さん、この話知っていますか? 旧約聖書の「ダニエル書」に出てきて、それは「ヨハネ黙示録」に並んで過激な・・・、というよりピューリタニズムの柱を成した思想です。ヨーロッパの歴史の中で、4つの帝国が移動してゆくんです。ネブカドネツァルは聞いたことあるでしょう? ネブカドネツァルというのは、イスラエルを滅ぼしてバビロンへ連れて行った・・・、「バビロンの捕囚」を行った王様ですね。彼が不思議な夢を見て(それに悩まされ)、予言者ダニエルが(内容を言い当て)解釈した。

その思想・・・。

『 王様、あなたは一つの像をご覧になりました。それは巨大で、異常に輝き、あなたの前に立ち、見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿(もも)が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました。見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。これが王様の御覧になった夢です。さて、その解釈をいたしましょう。』

・・・ということで、ひとつひとつの帝国がそこに準えられていて、第一の帝国(純金の頭)がシリア、第二の帝国(銀の腕)がペルシャ、第三の帝国(青銅の腹と腿)がギリシャ、第四の帝国(鉄と陶土の足)がローマ、というふうに、帝国が移り変わった。その次に今度は時代が中世ヨーロッパになって、この「夢」は新たに解釈し直されて、四つの帝国は、第一に古代ローマ帝国、第ニにビザンツ、東ローマ帝国、第三にカール大帝のフランク帝国、カロリング王朝ですね。最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国です。これは何れも古代と中世のヨーロッパの帝国がこの夢であったと、帝国の移り変わりの思想です。この帝国の移り変わりは、優れてヨーロッパ中世的なヨーロッパが「自分たちを凄いぞ」、といって自讃するイデオロギーの中核にありました。

 この「帝国の移転」の思想は、ヨーロッパでは消えてゆきますが、ところがそれがアメリカへ移ったということなんです。第四から第五の帝国(自然に切り出された石がは像の全てを打ち砕き、山となって全土に広がった、五番目の帝国「永遠の国、神の国」)、「アメリカ」が出てきます。それがアメリカの神話的根拠。これを言いだしたのは、なんと哲学者バークリなんです。バークリを通じてこの思想がアメリカに伝わったのです。

 皆さんは、オサリヴァンの「マニュフェスト・ディステニー」のことは知ってますね。「明白なる運命」などと訳されます。19世紀にオサリヴァンという新聞記者が言った「マニュフェスト・ディステニー」というのは、西へ西へとアメリカは膨張し拡大して行き、それは神のお告げであり意思であり「神慮」であるということです。女神が空を飛んでいて、西へ向ってゆく、そしてインディアンなどを蹴散らしてゆく・・・、そういう絵もあります。その西へ行くエネルギーがカリフォルニアに到達しハワイに行き、やがて日米戦争を惹き起したというのが、全体として考えられる問題なんですが、このドラマ、「マニュフェスト・ディステニー」は最初に誰が言ったかというと、哲学者バークリだというのが驚くべき話であって、古田先生のこの本((二)の最後で紹介)は、バークリから始まっているんですよ。古田先生はドイツ哲学よりも、イギリス哲学のほうがより根源的だというお考えです。バークリという人は、実際に物が存在するということを、「実在は人間の視覚と感覚を通じて認識されるから存在するのであって、それ自体が存在するわけではない」ということを最初に言いだした人で、それに対してまた否定論がいろいろあって、カントに繋がってゆくわけですけれど・・・。

 バークリは大知識人であり、西洋史の一角を築いた人ですが、実は五番目、「第五の王国」としてアメリカを措定し、「新しいイスラエルを建国して世界の終末までこの世を支配するであろう(アメリカは・・・)」そういう詩を書いていて、それが1752年に公表されまして、その10年ほどの間に10回以上も印刷され多くの人々の間で回覧されます。それに対する研究もあります。

 皆さんはカリフォルニア州立大学バークレー(バークリ)校をご存知でしょう。あれはまさにそうなのです。第二代学長(カリフォルニア州立大学バークレー校の) D.C.ギルマンが1872年、つまりバークリより120年くらいあとの学長就任演説で、

『 大学の場所がバークリ、学者で神学者の名を冠しているのは宗教と学問の双方にとって善の兆しである。彼つまりバミューダ諸島にカレッジを創ろうとしたイギリスの聖職者をロードアイランドのニューポートへと運んだロマンチックな航海から、まだ一世紀半もたっていない。……彼の名声は、……大陸を横断した。そして、いま、地球のまさにこの果てで、ゴールデンゲート海峡の近くで、バークリの名はよく知られた言葉となるに違いない。彼の例をみならおう。……彼のよく知られたヴィジョンが真実になるように働き、かつ祈ろう。
 「帝国の進路は西にあり
最後の四幕は すでに閉じ (四幕というのは、古代と中世の四つの帝国です。)
その日とともに ドラマが終わるは 第五幕
もっとも高貴なる時代 そは 最後の第五幕」 』

 こういうバークリの言葉があり、そして「明白なる運命」というのは、単に終末論、終末論ではなくて、アメリカ的楽天主義、進歩の理念に結びつく。そしてそれが、教育と科学技術の展開になってゆく・・・。これがどんなに根強いものであるか、ということにわれわれは深く思いを致さなければならないんですね。

 古代ローマ帝国、東ローマ帝国、フランク王国(カロリング朝ですね)、神聖ローマ帝国、古代近世、中世にかけての帝国。これは最初、古代地中海世界に生まれた帝国が中世ヨーロッパで開花し近代アメリカに移転した・・・。アメリカ合衆国は近代のトップランナーであると同時に旧約的な帝国思想の継承者であり代弁者である。すくなくともその思想は、地下水脈として延々と19世紀と20世紀のアメリカ合衆国に流れつづけたということです。

 19世紀と20世紀の世界を支配したのは、近代国家システムだと信じられています。これは国家だけが暴力を支配することを許し、暴力の発動は警察か軍隊か、つまり国家は内側には警察、外側には軍隊、こういう主権国家の特権として、それを基にして今の世界は成り立ってはいるわけですけど、それが本当に守られているでしょうか? それが今、おおいに疑問として突き付けられていることなのですね。21世紀の世界では、主権国家よりも宗教や民族や何か別のものが結合体として動いているケースが強い。略奪や私的な虐殺などが横行する・・・。中世と同じような現象が顕れ始めているわけですね。

 加えてその帝国、アメリカは、例えばアメリカと中国の今の関係はというと? 私にはアメリカは中国に阿片戦争を仕掛けていると思っております。またまたやってるな・・・と。「阿片」というのは、中国人に阿片の代りに「甘美なる近代生活」を味あわせたわけです。便利で豊かなモダンな生活を中国人の一部の人にでも与えたわけですね。これは麻薬のごとく中国人を虜にし、そしてそれによって踊らされて、あっという間に中国はそういう製品に溢れた国になっていったわけです。でも買いきれなくなって、今度はいよいよドルを放出せざるを得なくなってくる。いまはもう行き詰まりにきています。これはさながら嘗て、お茶を売って銀がどんどん流入していたイギリスと支那の関係で、どんどんどんどん流入した銀がある段階から流出に転じて・・・、それで支那はご承知の通り滅茶苦茶になってしまうわけですね。いまそういう境目に来ているんじゃないですか? 支那大陸は・・・。

 つまり歴史というのは案外同じことが繰り返されるわけですが、これはアメリカが仕掛けているんですよ。これが「アメリカ帝国」なんですよ。やっぱり帝国の思想なんですよ。そして日本にはひたすら従順であることを要求しているわけです。しかし、ついこの間まで円高で日本を苦しめていたのは同じアメリカですからね。

 一方ヨーロッパはどうかというと、ルールを守ろうとして、「ヨーロッパの中だけは、うまくやろうじゃないか」と。そういう理念は啓蒙主義の時代に生まれているわけですから、それは分かるわけですね。それがEUというものを創ったわけですが、でもEUというのは積極概念ではなくて、あるものに対する恐れから始まったのであって、それはアメリカと日本に対する当時の恐れだったわけです。アメリカはご承知の通り1971年にドルの垂れ流しのような、金兌換性を否定するニクソン・ショックというドラマがありましたね。ドルは垂れ流しになるわけでしょう。つまり、ドルはいくらでも刷って良いというこの恐るべきシステムにヨーロッパは吃驚するわけです。約束が違うのだから・・・。そして地球の40%まで、日米経済同盟で支配されてしまう。あれがヨーロッパを狂ったようにさせたEUのスタートなんですよ。EUは恐怖から始まっているんですね。そしてそれが湾岸戦争で、ドルの支配とユーロと争ったけど、結果としてアメリカはヨーロッパを許さなかった。そして結果として、アメリカはEUには軍事力を認めなかった。NATOがあくまで頑張れよと。

 EUに独自の政治国家は許さないということですから、結局EUは何のために創ったのか分からないということになってしまいます。もともと昔争っていた国々が、なんとか「合理的」に和解していこうとしていたところですから、内部の対立が激しくなれば、直ぐに箍(タガ)がガタガタと狂うのは当たり前で、このままいけば、10年もたないうちにマルクやフランが独立することになるのではないでしょうか? もちろんギリシャが脱落するだけではなく、マルクもフランもリラも・・・。全部そろそろ別々にやろうという話になるんじゃないか、と私は何となく思っていますが、まぁ、どっちに行くかわかりかせんが・・・。輝かしいEUの未来というのは考えられないと私は最初から思っておりました。また怪しくなっているから・・・。まぁ、それで歴史は同じことを繰返しているんですよね。

 それは各国みな基本にあるのはエゴイズムなので、ちゃんとそれを見ていれば、そういうことはよく分かるのです。ヨーロッパがなんとか創った形の秩序、法秩序、国際秩序、国際法 International Law というものがその基本に有るわけですが、日本はそれを一所懸命守って「文明国」になって、それでもなお且つそれで、イギリスの裏切りとアメリカの無法で、痛い目にあわされて。そしていまだにイギリスとアメリカが大きな顔をして地球を「理念的」に支配している構造が続いているために、日本は仕方なくて頭を下げて我慢して生きているという・・・。こういう状態が続いていると私は理解しております。

 ですから、今度の「イスラム国」は、それに我慢できなかった人たちが居るわけで、これは恨み辛みがたくさんあって・・・。そのようになったと思えるのは、おもに「イスラム国」に参加している人々が移民の2世、3世ですよね。フランス、ドイツ辺りにいる移民の子供達ですね。だからそれは如何に閉塞感があって・・・。つまり、ここで「日本は移民をやってはいけない」んだよ、と・・・。移民をやると碌なことが起こらない。これは絶対やらない・・・。ということでいかなければいけないのに安倍総理は、移民問題だけはだらしないところがあるので非常に心配です。これは断固、皆で反対しなければいけないテーマですが・・・。しかし私も言うのに疲れてしまって、皆さんの力もお借りしなければいけないと思っておりますが・・・。もう、目の前でこれだけのドラマを見ていながら、まだ「移民だ」などと言っているのだから・・・。それにテレビがいちばんいけないのは、「移民は危ない」と以前よりは言うようになったけれど、それが「イスラム教徒」というんですよ。日本の移民で怖いのは「イスラム教徒」ではないですよ。「中国人」に決まっているではありませんか? ところがテレビは、「中国人が怖い」とは言わないんですよ。言ったら首が飛ぶのかな? よく判らないけど・・・。私は「中国人に対する「労働鎖国」のすすめ」という本も書いているんですよ。そんなこと、遠慮していてどうするのでしょうか? まぁ、そういうところでしょうか。では、このへんで終わりにしましょう。

記録:阿由葉 秀峰

講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(四)

         (四)

 いま現に展開している中東の情勢と、世界史を震撼させている新しい現象。突如として起こった奇怪な事態の数々・・・。しかしこの根は全部「歴史」にあるんです。大概の事は「歴史」にあるんですよね。

 それに対してわれわれが「許せない!」と言ったり、「無法だ!」と言ったり、安倍さんが「国際法というものがある!」ということを言ったりする。それをわれわれが常識として考えているのは、主権国家というものがしっかりと各国の体制を守り、警察と軍事力によって、内側には警察、外側には軍事力で、この単体としての国家体制というものを自存し、独立させているのが自明だと何となく思っているからなんです。そしてヨーロッパがの先鞭をつけて、そうした歴史の流れを作ったのが事実であって、日本はその必要があまり無かった国だった。そういう不思議な、幸運なポジションにあった国であった。そのように解り易く考えることが出来ると思います。

 ヨーロッパにおいては、激しい内部の争いが宗教戦争を招いてイスラム教徒とヨーロッパの関係だけではなく、十字軍も挙げられましょう。 

 じつはイスラム教徒は寛大だった・・・。異教徒に対して寛大だったんですよ。イスラムの地域において、信仰の自由を許していたし、異教徒がそこで生活することも許していたし、キリスト教も布教が許可されていたんです。ところが怒涛のごとくキリスト教の側が襲いかかった、というのが実態で、そのことについて今日はテーマとしませんが、これは信じられないドラマなのです。

 そしてヨーロッパにモンゴルが襲来した時、もちろんモンゴルにも苦しめられますが、実はモンゴルと和解してでもイスラムを討ったのですよ。モンゴルとは話合いをしてでもイスラム教徒のほうが憎かった。それはヨーロッパに延々と続いているドラマなんです。

 イスラムは地中海のアジアへの入り口を抑えていましたから、ヨーロッパ人はアジアの方へ出るのに東に進むことが出来ずに、ご承知のようにコロンブスは大西洋を西に、ヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ大陸を南下するという海路をとらざるをえなかったのは、何れもイスラム教徒に妨害されていたからで、そしてそれを打ち破ったのが、1571年、スペインのフィリップ二世のレパント沖海戦でした。イスラム教徒をとにかく抑え込むということで、ヨーロッパが東への出口を徐々に見出すようになるわけです。

 それでも、オスマン帝国は怯むことは無かったので、オスマン帝国が存在する間はイスラム教徒は文明的にも優位でした。先ほど言ったフェニキア文明やローマ文明をがっちりと受けとめていたのはイスラムであって、アリストテレスやその他の哲学も素文源も含めて、イスラム教徒がアラビア半島経由によって西ヨーロッパが初めて知るようになりました。これは有名な話なので、ここでお話してもしょうがありませんが、じつはキリスト教中世を通じてプラトンだけは受け継がれていました。プラトニズムというものは、キリスト教の中核に繋がったからなのだと思います。ただしアリストテレスは「自然学」でしたから、始めは知らなかったのですね。

 それで、今度はプロテスタントとカトリックの争いが始まります。ヨーロッパ人も、相互の争いがあまりにも激しく、これでは堪らないということで、中世におけるそういったものの崩壊に伴って各国の個別性や領域支配を前提とした体制を考えなければやっていけない、ということになります。ローマ教王や神聖ローマ帝国皇帝ではなくて、各国の君主ないし共和国の「主権」というものを最高の存在として定めます。そして諸国家間の相互システムを築いて、出来るだけ無駄な争いはしないようにしようと。その間ものすごい時間がかかっているわけです。いわゆる英仏戦争。それからドイツを舞台に繰り広げられた三十年戦役・・・。こういう戦争ばかりしていた地域ですから、徐々に武器の発達というものも伴って、さらに悲劇、惨劇が拡がって・・・。ヨーロッパ中世は13世紀まではいいのですが、14、5世紀というのは、疫病と戦禍と農業生産性の低さからくる餓えによって、地球上で最も悲惨な地域になります。それがなぜ15世紀から16世紀になって、にわかに立ち上がるのか? 言うまでもなくこれは世界史の最大の謎のひとつであります。

 つまり、われわれはヨーロッパが創った主権国家体制という国家が登場した16世紀、始めて「国家」が登場して、神の世界から「約束ごと」としての人の世界というものが成立する。新しい秩序が生まれてからこの方、それを「文明」と見做して、その文明を明治日本は受容れたのであって、そういう世界の姿しか日本は知らないのですよね。だから日本はそれを一所懸命モデル、手本にしたのです。

 でも、米ソ対立も終わり、今の「イスラム国」というドラマは、ひょっとすると、そういうことも全て虚しくなっているということかも知れないのですよ。日本が明治以来受け継いできたヨーロッパが考えた秩序、国家間の秩序・・・。それも虚しくなっているのかもしれません。

 そこですこし翻って、どういう形で国家というものが登場したのか考えてみる必要があるのです。16世紀ですね・・・。今も言われている「法」というのは何なのか? 戦争は相変わらず続くわけです。しかし戦争の仕方が滅茶苦茶ではなくなってくるのです。戦争は「決闘」に似てくるのです。互いに平等で、互いに正しいことをお互いに認める。だから「正しい戦争」という、どこか一方が「正しい戦争」ということは言わないようにしよう・・・。その意味から初めて第三国の「中立」という概念も初めて生まれてくる。「認め合う約束事」があって初めて「中立」が出来るのです。

 と同時にわれわれが歴史で習うのは、国家というものがなんとなく人格を持った、例えばイギリスはこう言っている、とか。フランス政府はこう言っている、何か国家の意思みたいな、人格、主体が言っているみたいにわれわれはニュースを聴いたりする。習近平が言っていることは中国の・・・? 全然そうではないはずなのに、中国の意思みたいにわれわれは扱っている。そのようにして、国家は擬人化される。あるいは主権的な人格を持っているかの如くにわれわれはそれを理解する。これは全てヨーロッパの、この「歴史」を潜りぬけたことが世界に拡がっているからなのです。

 どういうことかというと、「国際法」の進歩ということですね。戦争はするけれども、戦争を人道化する、歯止めが利く戦争をする、戦争の遣り方をルール化する、戦争の制限、限定が行われる。殲滅戦争はしない。もう相手を徹底的に滅ぼすようなことはしない。これはヨーロッパキリスト教文明圏の名においてしない。あまりにも酷い戦争を潜り抜けた結果としてですよ。それは、英仏戦争も三十年戦争も酷かったから、もう疲れたわけです。疲れてしまったその結果、政治と宗教を分けるという観念、政教分離が生まれるのもそれなのです。あまりに酷かったから、もう疲れたわけです。「正しい戦争」ということは言わない。大人になろうと・・・。以上はヨーロッパの話ですよ。アメリカの話ではありませんよ。アメリカは全部これが逆になるのですけれど・・・。

 「正しい戦争」ということは言わない。「正しい戦争」というと、相手は「不正」となるわけですから・・・。これは戦争の姿を恐ろしいものにしてゆくわけですね。私も「国民の歴史」にそのことを書いたではないですか? 『人類の名において戦争を裁くと、次の戦争はもっと恐ろしいものになる』と。徐々に々、世界は再びそのもっと恐ろしい戦争に近付いているのかも知れないのですよ。まぁ、まだまだ100年くらい変らないのかもしれないけれど。分かりませんね、これだけは・・・。

 16世紀から18世紀にかけて、戦争の形式化、ルール化が行われるようになります。「戦争をやったとしても、どこまでもヨーロッパの土地の秩序とそのバランスの体系内に留まるものとする」という暗黙の了解が各国間に生まれます。つまり利己的な権力欲拡大の、無規則な無秩序、カオスにはしない、という約束で。ここに出てきたのはカントの「永久平和論」です。つまり啓蒙主義の成立ということです。ご承知のように、この延長線上にハーグ陸戦法規やジュネーヴ条約とかが出来て、戦争のルールをひきます。

 明治日本はその当時、「文明国」になろうとしたからそれを懸命に学んだわけです。日本が世界史の仲間入りをしたのは、このヨーロッパの主権国家体制が19世紀の末ごろに完成しますから、それを「文明」と見て、福沢諭吉も内村鑑三も、世界の歴史はこのまま進歩発展すると信じました。日本はそれを目指せ。日本が文明国になれば、もし他の国が非文明国になったときに日本はヨーロッパに学んだ文明国の名において、一等国として他の国を見下せる立場になれる。一等国になろう・・・。だから日清戦争のとき、日本は「文明国」であり、支那、朝鮮は別だと・・・。

 そうなるとですね、今の中国あるいは韓国をみて日本人は密かに軽蔑感と優越感を抱いておりますけれども、これはヨーロッパが創った文明の基準に合わせて日本は一等国で、彼等はまだまだ駄目なんだという認識が日本人の中にあるからで、その基準が根底から狂ったら、全然ナンセンスな話になるのです。亡くなった坂本多加雄さんが、「きっと福沢諭吉が日清戦争のときのように、文明の名において日本があらためて大陸の諸国を見下すときが来て、そのとき云々・・・」ということを書いてましたけど、実際その通りで、今日本はそういう心理に入っています。われわれは、文明国であると・・・。ノーベル賞も獲っているではないか、その他国際条約に従順ではないか・・・。

 でも、第一次世界大戦前だってそういうことがあって、第二次世界大戦前だって日本は国際法をよく守り従順で、それでも駄目だったんですよ。だから、なにが起こるか分からないんですよ。日本は国際法に対して本当に立派な遵法国家だったのですから。だから南京大虐殺なんて無かったというのは・・・、ハーグ陸戦法規に違反することはやっていないからですよね。1,000人ぐらいの便衣兵、スパイは射殺しているでしょう。これは、国際法に則っていたのです。でも、それを「虐殺」というわけです。今の彼等の歴史観でいけばそうなるわけです。なんでも自分たちに都合のいい歴史ですから。どこかに絶対正しい国際法が有るわけではないのですから、この問題は難しいのです。唯われわれは、あくまで西洋が作ったハーグ陸戦法規を盾にして主張してゆけばいいんです。いいんですけど、「そんなものは駄目だ!」と中国は言っている訳だから、中国はすでに西洋先進国が作ったルールを否定すると言っているのです。尖閣を攻めてきたのも其れですから・・・。そしてアメリカが危ういことに、其れに対してグラグラしているということです。

 話を元に戻しまして、あくまで16世紀から18世紀にかけて行われたヨーロッパ啓蒙主義ですが、海洋、海は、ところがその取決めの外にあったのです。いま、ヨーロッパが狭い中で取決めて、お互いに戦争しないようにしようと言ったのは、あくまで彼等の領土の内部、陸の話に過ぎない。海洋は別だったのですよ。これが大きな問題になるのですね。

 海賊国家イギリスの出現です。イギリスが如何に徹底した海賊であったかということは、私の連載の3回位前に書いていますね。酷い海賊だった。非国家的な自由な枠を作ってしまった。「海洋は全く自由だ。」と主張したわけです。そして、じつは1815年から1914年まで。1815年というのはウィーン会議です。もう少し前のトラファルガーの海戦からといってもいいのですが、そこから第一次世界大戦まで、Pax Britannica(パクス・ブリタニカ)イギリスの平和だったのです。イギリス帝国が治めた平和が19世紀ヨーロッパから戦乱を免れたわけです。フランス革命の後ですね。なぜパクス・ブリタニカが成功したかというと、イギリスは海を抑えたからです。じつはフランスは悔しいけれど駄目だった。オランダは、とっくの昔にイギリスに封じ込められてしまった。フランスも一所懸命にやるけれども抑え込まれて、イギリスに遅れをとります。

 イギリスの遣り方がが、どんなに凄いかも私はどこかに書いていますし、今度出ました本にもその話を書いています。「GHQ焚書図書開封第10巻 地球侵略の主役イギリス」、なかなか面白い話がとくに後ろの方に書いてあります。マダガスカルという島があって、植民地戦争で永い間イギリスとフランスが争っていましたが、あっさりとイギリスはマダガスカルをフランスに譲ってしまいます・・・。でも、それは驚くべきことでも何でもない事と日本の地政学者、京都大学の先生が分析して書いていて、それを紹介していますが。じつはイギリスはマダガスカルの周りの島々を全部抑えているのです。対岸のケニアもイギリス領になっていますね。そうすると、「フランスに任せておけばいいじゃないか。ちっとも何ともないよ。」マダガスカルのひとつぐらいは、という・・・。イギリスはそれをいたる所でやったのです。

 例えばハワイがアメリカに抑えられる前、カナダとオーストラリアがイギリスのものになります。イギリスは、オーストラリアとカナダの間に海底ケーブルを引こうとするのです。そのために太平洋の小さな島々、名もなき島々までも、ずうっと抑えています。すごいですね、その頃は明治日本ですよ。

 ところが、アメリカが言うことを聞かないでハワイを先に取ってしまいました。そして、その計画は実現できませんでした。ハワイを略取されることについて、日本政府は大隈重信以下、激しく抵抗したこの話を私は何度も本に書いています。だけど当時の外務大臣 大隈重信ら、あの時代の日本の政治家は、よもやハワイを無視してイギリスが勝手に長距離の地下ケーブルを引こうと思ていたことまでは知らなかったと思いますよ。つまり地球支配というのは、そういうことを着々とやっていた、ということですね。

 さて、パクス・ブリタニカというのは相手の廃止でも戦争の廃止でもなく、戦争の限定、法に満たされている状態をつくること、そして強大国の指導性を維持すること、これは大人の考え方で、占領というものは、征服ではない、負けた者の私有権も既得権も認める、例えば王様の廃位はあるけど、その人格を侵すことはしない、また、その側近を処罰することはあるかもしれないけれど、主権の変動は起こさない。軍事的占領は必ずしも敗戦国の政府の変動をひき起こさない、もちろん憲法の改変も・・・、そういう暗黙の取り決めでヨーロッパで成立したものです。1870年から80年代というのは、ヨーロッパは最大のオプティミズムの時代で、ヨーロッパの領土の権利を相互に認め合って、1885年ベルリン会議が行われます。これはビスマルクの力ですが、もうこれ以上領土の奪い合いをしないというヨーロッパの暗黙の約束が出来上がって、文明と進歩と自由貿易への希望に満ちた時代だといわれていたわけであります。イギリスが世界中を勝手に抑えることは我慢して認める。その代わりヨーロッパの中は平和で行く・・・。

 ところが間もなくしてそれが難しくなる事態が起こります。一つは、アメリカの介入が始まる。2つ目は、アフリカの土地を巡る争いが始まる。3番目は、ドイツがイギリスを許さない、と言い出すようになる。これが19世紀の終わり頃から起こるドラマですね。

 1890年から1914年のあいだ、ヨーロッパの国家内の相互の合理的約束、利害調整の秩序というものが出来上がって、それを「国際法」というわけですが、そしてそれを第一次世界大戦が始まる頃に、その国際法をヨーロッパの外の世界に適用しようと・・・。これが、我が国にだんだん禍をもたらすわけです。それはしかしヨーロッパ側からすると、自分たちの考え方が世界に拡大するわけで(日本もそれに同調するわけですわけですが・・・)それをヨーロッパの勝利、文明の勝利というふうに言っていたわけですね。

 ところが今言ったように、かならずしもそうはならなかった。文明の支配は不可能になってまいります。アメリカがそれを邪魔し始める。ドイツが台頭して言うことを聞かなくなる。パクス・ブリタニカは壊れるわけです。1919年のパリの講和会議はヨーロッパの国際法の会議ではなくて、世界の秩序はヨーロッパによって取り決められるのではなくて、ヨーロッパの秩序が世界によって取り決められる、という逆の事態が発生してしまいます。つまりアメリカの発言権の増大と西欧の没落、というこが起こってしまうわけであります。この事態を見て、いわゆる「国際法」というのは雲散霧消してしまうわけです。力を失うわけです。

 それでは何がそこで登場するかということを今日の話で少し解って頂こうと思うのですが、「中世」の次は「近世」或いは「近代」。その次には「現代」というふうに、何となくわれわれは考えておりますが、果たしてそんなことが正しいのでしょうか? 私は自分で今、歴史を書いていて古代や中世を絶えず行き来します。「近世」という概念は別としても、「中世」と「近代」の間には、深い溝があると皆考えています。そうでしょう? 皆さん。「中世」と「近代」との間には深い溝があると考えます。それはある程度あるんですよ。でも本当でしょうか? 「ポストモダン」というのは、「モダン」の概念を強く意識するから「ポストモダン」という概念です。だから「ポストモダン」というのは、「モダン」の側に入っているわけですが・・・。

 一方「中世」と「近代」との間の断絶というのは決定的ではないというのが、「イスラム国」が挑戦していることなんですよ。この大混乱はそこに起因しているんですね。そしてヨーロッパが決めたあの戦争のルールは、第一次大戦の前に虚しくなって、アメリカはそれをぶっ壊しますけれど・・・、またまた虚しくなっているわけですね。

つづく