「GHQ焚書図書開封」は2011年末までに92回放送され、6巻の本にまとめられました。あらためてここで2008年の第一回から毎週一本ずつ放送をYou Tubeで流し、普及につとめたいと思います。多くの方々に見ていたゞければ幸いです。
「太平洋大海戦は当時としては無謀ではなかった」
視聴できない方へ
こちらをご覧ください。
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『週刊新潮』(2月23日号)に「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。
「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事
雅子妃が療養を始められてすでに8年が過ぎた。なぜ、このような事態が続いているのか。その謎を解く1つのカギは、父親の小和田恒氏(79)にあるという。評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。
雅子妃殿下のご父君、外交官小和田恒氏の七十九年の人生は、妃殿下の一連の不可解な行動がなかったら誰の関心をも呼ばず、無難に外交史の一隅に小さな名を留めるに過ぎなかったであろう。妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。
私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。
安全保障はアメリカに委ね自らは再武装せず経済福祉の追求に全力をあげるべしという「吉田ドクトリン」と、その基礎にある憲法第九条は、小和田氏にとっては時代が変わっても動かぬ永遠の真理、神聖な大原則であるかに見える。世界の新たな情勢下で、軍事力の分担すべき責任がふえている昨今、憲法を改正して再武装への道を開くべきだ、と主張する人がいるが、「この質問に対する答は『ノー』であるべきだ、と思う」とはっきり書いている(『参画から創造へ』第四章)。
小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディギャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。
平和条約第十一条は巣鴨に拘禁されている戦犯を赦免、減刑、仮出獄させる権限は講話が成立した以後、日本国にのみあることを明示している内容でしかない。英文では、その内容のjudgments(判決)を受諾する、と書かれていて、「裁判」を受諾するならtrialかproceedingsかが用いられる。国際法学者・佐藤和男氏は英語だけでなくフランス語、スペイン語の正文も参照して、日本は東京裁判そのものを十一条で「受諾」しているわけでは決してないこと、講話後もあくまでも東京裁判史観に縛られることを良しとする日本悪玉論が政府内にも残っていることに強い警告を発している(『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』、原書房)。
要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。
傲慢で権威主義者
1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。
すべての外務官僚がこういう人ばかりではない。現実を変えようと戦った人もいる。元駐米大使の村田良平氏は日本の自立自存を求めた理想主義者で、その回想録の中で、アメリカが日本の核武装を認めないなら、在日米軍基地を全廃するべしと言っている。
アメリカの核の傘が事実上消えてなくなっている極東の現実を直視している。徹底した現実家だけが徹底した理想家になれる。小和田氏のような現状維持派は現実も見えないし、どんな理想とも無縁である。彼は船橋洋一氏との対談で、日本という「国を越えた共同体意識」の必要などと言っているが、それは理想ではなく、ただの空想である。
理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。
自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。
運が悪いことに、皇室とは余りにもそれが合わない人格だ。なぜなら皇室は「無私」の象徴であるからだ。天皇皇后両陛下が現に国民の前でお示し下さっているたたずまいは、清潔、慎ましさ、控え目、ありのまま、飾りのなさ、正直、作為のなさ、無理をしないこと、利口ぶらないこと――等々の日本人が最も好む美徳の数々、あえて一語でいえば「清明心」ということであろう。1937年に出た『國體の本義』では「明き浄き直き心」ということばで表現された。
皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。
確信犯的無信心の徒
雅子妃は2003年9月以来、宮中祭祀にほとんど出席されていない。ご父君は娘に注意しないのだろうか、これが巷の声である。娘が皇室に入ったのは、ある意味で、「修道女」になるようなことである。覚悟していたはずだ。個人の問題ではなく国家の問題である。勤労奉仕団に一寸した挨拶もなさらない。スキーやスケートなどの遊びは決して休まず、その直前に必ず小さな公務をこなしてみせるので、パフォーマンスは見抜かれている。皇后になれば病気は治り、評価も変わる。今の失態を人はすぐ忘れると、ある人が書いていた。あるいはそうかもしれない。私もかつてそう言ったことがある。しかしそれは妃殿下にウラオモテがあり、畏れ多くも天皇のご崩御を待っているということであろう。天皇皇后に会いたくないとは、今までに前例のない皇太子妃であり、日本国民は代が替わってもこのことは決して忘れはしない。
皇太子殿下は温順で、幼少の頃からご両親にも周囲にも素直だったといわれる。私が恐れているのは皇室がなくなるのではないかという危機感である。小和田氏は代替わりした皇室に対し外戚として何をするか分からない。昔、天皇の顔を正面から見ると目が潰れると言っていた時代がある。今はそんなことを言う人はいないが、皇室に対する畏れと信心の基本はここにある。小和田氏にはどう見てもそういう信仰心はない。彼の師・横田喜三郎氏には皇室否定論の書『天皇制』(1949年)があるが、横田氏にせよ小和田氏にせよ、左翼がかった法律家は日本の神道の神々に対しては確信犯的な無信心の徒である。
日本の民のために無私の祈りを捧げる「祭祀王」としての天皇が、天皇たりうる所以である。祭祀を離れた天皇はもはや天皇ではない。一説では、皇太子ご夫妻が唱えていた新しい時代の「公務」――天皇陛下から何かと問われ答えなかった――は、国連に関係する仕事であるらしい。何か勘違いなさっている。私が恐れるのは雅子妃が皇太子殿下に天皇としてあるまじき考えを持たせ、行動するように誘いはしないかという点である。まさか皇室廃止宣言をするような露骨なことはできまいが、皇室から宗教的意味合いを排除してしまうような方向へ持っていくことは不可能ではない。「祭祀王」ではない天皇は、もう天皇ではなくただの「王」にすぎないが、権力のない今の天皇は王ですらなくなってしまうだろう。ただの日本国国連特別代表などということになれば、日本人の心の中からは消えてなくなる。
女性宮家の問題がここに深く関わっている。1月24日発信の竹田恒泰氏のツィッターに、旧皇族の一部の協議が23日に行われ、いざとなったら男系を守るために一族から皇族復帰者を用意する必要があると意見が一致した由である。重大ニュースである。
私は小泉内閣の皇室典範改正の有識者会議を憂慮して、2005年12月3日朝日新聞に次のように書いたが、これを今改めて提出して本編を閉じる。
「もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。
どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。
今から30~50年後にこうなったとき、『万世一系の天皇』を希求する声は今より一段と激しく高まり、保守伝統派の中から、旧宮家の末裔の一人を擁立して『男系の正統の天皇』を新たに別個打ちたてようという声が湧き起こってくるだろう。他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。
今の天皇家は左右から挟撃される。南北動乱ほどではないにせよ、歴史は必ず復讐するものだ。有識者会議に必要なのは政治歴史的想像力であり、この悪夢を防ぐ布石を打つ知恵だったはずだ」
『週刊朝日』(3月9日号)に皇太子殿下に関する次のような記事が出ている。
「閣僚や企業のトップが被災地について話すときに、たとえ夫妻で訪ねたのだとしても、会見で『妻が、妻が』と繰り返すだろうか。」
また「天皇陛下をお助けし、改めて更なる研鑽を積まなければならない」とのお覚悟のことばについて、「研鑽を積む」という言葉は50歳の誕生日から3年連続での登場で、宮内庁幹部が嘆いて、今上陛下が皇太子だったころのお言葉には「率直な思い」「印象に残る言葉」がたくさんあったのとひき比べているという。
陛下のご手術前に秋篠宮ご夫妻から関係者に病状について細かいお尋ねがあったのに、皇太子ご夫妻からはお問い合わせはなかった。1987年の昭和天皇のご手術に際し、皇太子だったいまの陛下は何かあれば代りをつとめなければならない責任感から行動されていたのに、「いまの皇太子さまには少し危機感が欠けているのではないでしょうか」と宮内庁関係者は首をひねっているという。
『週刊朝日』は殿下が52歳であられることを今回は特に問題にしている。同年齢の活躍している社会人11人の名を挙げ、カッコ枠でかこって強調している。石田衣良、大村秀章、田中耕一、西村徳文(ロッテ監督)、原口一博、渡辺謙、川島隆太(脳科学者)等々である。相当に辛辣な、毒をふくんだ記事である。
少し前までは皇太子殿下に対してこれほどひどい批判は書かれていなかった。明らかに世間の目が雅子妃殿下から皇太子殿下に向きを変えつつあるようにみえる。
私が憂慮していた通りである。このまま行くとやがては今上陛下に鉾先が向けられるようになるだろう。その前に何とかしていたゞかなくてはならないのである。
幸い陛下のご手術は無事に修了した。皇太子殿下のお誕生日会見は年一回である。来年の会見においては殿下はこういうことを言われないで済むように脇を固めていたゞきたい。まだ時間は残されている。
週刊誌だからといってバカにしてはいけない。週刊誌と『THEMIS』以外には事実報道はなされていない。
『週刊朝日』はこうも書いている。皇室ジャーナリストの神田氏が曰く、皇太子の会見に「雅子妃をほめる内容が多いのは、雅子さまが今回の会見録を読むことを意識しているためでしょう。」
神田氏は妃殿下を「一生お守りする」といった殿下の責任感からだと書いているが、常識的にみれば、心理的なこわばりのせい、妻を恐れているためであろう。
私が最近『WiLL』(3月号)と『週刊新潮』(2月23日号)に皇室に関連する文章を出したので、皇太子殿下ご誕生日記者会見に関する私の意見を聞きたいとある人から問われた。そこで私の考えをついでに少しここに書いておきたい。
皇太子殿下は大変に損な役割を演じさせられているように思える。お気の毒である。と同時に、こんなことがつづくと国民の信頼が失われる一方だという心配をあらためて強く抱いた。
皇室評論家で文化学園大学客員教授の渡辺みどり氏の「東宮ご一家にはもどかしさを覚えるばかりだ」という次の発言をまず聞いておこう。
「いまの皇太子さまは、雅子さまの問題を抱えておられるとはいえ、あまりに“内向き”になられているように見受けられます。ご家庭のことばかりでなく、広く国民のためにご活動なさるよう、ご自覚をもってご公務にあたる姿勢が望まれます。現に大震災の時も、秋篠宮家に比べて東宮ご一家のご活動は少ないと感じました。昨年8月に雅子さまと愛子さまは、ご静養のため那須の御用邸に20日間もお籠もりになっていた。栃木まで行かれたのならば、例えば東北の避難所まで足を延ばし、被災地に千羽鶴をお供えになるといったこともできたのでは・・・・・。そう思うと、残念でなりません」(『週刊新潮』3月1日号)
しごく当然な感想である。
次に皇太子殿下の記者会見のお言葉を取り上げてみよう。雅子さまの最近のご様子は?という記者からの質問に対して――
「東日本大震災の被害に大変心を痛め、体調に波があるなかで、被災地の方々に心を寄せ、力を尽くしてきていると思います。また、愛子の学校での問題に関しては、母親としてできる限りの努力を払ってきた1年でもありました。とても大変だったと思いますが、本当に頑張ってよく愛子を支えたと思います」(『産経』2月23日)
殿下のいつもの通りのお言葉だが、官僚の文章を読み上げている大臣の答弁のように聞こえてしまわないだろうか。どちらに心を配られているかも、これでは丸見えである。殿下はなぜもっと正直に、率直に語れないのだろうか。
例えば、「じつは私も悩んでいるんです」とひとこと語って、じっと押し黙っていた、なんてシーンが会見中にあれば、国民はみんな胸が痛んで、たちまち殿下は人間的信頼をかち得ることができるだろうに、などと考える。しかしそれがどうしても難しいのだとすると、殿下がいつもウソをついているようにしか感じられなくなってくるのではないだろうか。
誕生日会見については、事前にこんなことがあったらしい。
「質問は5問。会見は約20分で、記者会の質問に対し、殿下はペーパーを見ながら、入念に選ばれたお言葉を読み上げられます。今回、事前に用意していた質問項目に、微に入り細に入り宮内庁側が注文を付けてきたのです」
毎年、一カ月前には幹事社が質問項目を提出しておくのが通例。それについては、総務課報道室と事前にやりとりをするという。
「今回は『ここを変えて欲しい』とか、“てにをは”に至るまで些事にこだわってきて、修正を要請されたのです。特に、もっとも国民が聞きたいであろう、ある質問について、報道室職員が『それはちょっと』と返してきた。もちろん職員が勝手に判断するわけはなく、殿下にご相談しているはずです」(東宮関係者)
それは、雅子さまの行動が“波紋”を呼んだという部分だった。
「問題視されたのは、『雅子さまの行動が、週刊誌で報じられ、波紋を呼んでいます』といった部分だったそうです。宮内庁は『波紋を呼んだ』という表現をやめてほしい、と突き返した。
記者会側は、ずばり愛子さまの校外学習に雅子さまが付き添われたことについて、殿下はどうお考えになっているか、殿下はなぜそれをお許しになったのかをお聞きしたかったのです」(皇室担当記者)(『週刊文春』3月1日号)
宮内庁と記者クラブの間でこんなやり取りがあったとは知らなかった。これでは皇太子の記者会見は作られたシナリオに従ったお芝居を見させられているようなものである。
今上陛下の記者会見にはこんなことはない。陛下はゆっくりご自分のお言葉で語る。自然で、慎ましやかで、ウラオモテなどまったくない。つねに平静で穏やかである。
皇太子殿下のお言葉が型通りで、いささかシラジラしい印象を与えるのは、殿下の置かれた立場、言葉を禁じられた立場がそうさせるのであろう。それは誰がそうさせるのかも天下周知である。
私はこういう不自然なお言葉が今後もくりかえし展開される将来の可能性に不安を覚える。殿下が「じつは私も悩んでいるんです」と正直に胸のうちを語る日が来ないと、国民の心はますます離れていく。それで、そのまま即位され、お言葉の不自然な従属性に国民が耐えられなくなり、皇室に背を向けるのを私は最も恐れている。
テレビは何でも映し出す。国民は黙ってすべてを見ているのである。
2月19日(日)に「脱原発杉並」という集会があり、青梅街道をデモ行進したようだ。私は集会にもデモにも参加できなかったが、次のようなメッセージを送った。集会の場で誰かが朗読して下さったようである。
原発事故以後に私が一番驚いたのは、責任のある官僚と学者、原子力安全委員とか原子力安全・保安員とかいう連中のあまりの人間としてのレベルの低さ、人格のお粗末さであった。原子力安全委員会の委員長の斑目という人は原子炉の設置に地域の人が反対したらカネを二倍払えばいい、それでも反対なら五倍払っていやだという人はいませんよ、と豪語していた。私はこれをYouTubeで見た。
ある東大教授(名前は忘れた)は事故の一年前に福島第一原発は今後二十年間はまだ使えると保証していた。そして事故の直後のテレビでメルトダウンはしていないと断言していた。その同一人物がまたまた今の新たな、再稼動検討の委員会に顔を出している。
すべてがいい加減で、馴れ合いで、一切責任をとらない。私は怒りを覚える。
いくらここで心を入れかえて再起するといっても、同じ連中が再稼動させるのである。人間は変わらない。「反省」などということはあり得ない。ゼロの地点に戻るべきである。
評論家西尾幹二
2月19日
宮崎正弘さんの書評
この馬鹿馬鹿しくて、だれた世の中に号砲一発、保守論壇も揺さぶる
西尾式爆発力をともなった問題提議、史観の再確立を呼びかける問題作♪
西尾幹二『天皇と原爆』(新潮社)
@@@@@@@@@@@@@@@いきなり近代史の総括的整理を西尾氏は次のように叙する。
西安事件から廬講橋事件、そして「スペインの内戦から第二次上海事変(1937年8月)まで歴史を動かしていたのはコミンテルンとユダヤ金融資本です。突如として英ソが手を結んだ欧州情勢はヒットラーの憎々しさだけでは説明できません。当時アメリカ大統領がコミンテルンの思想に犯されていたことは判明しましたが、英仏の政治中枢も同様であったかもしれません。スペインの赤化政府を応援し人民戦線に簡単に味方した欧米の知識人、アンドレ・マルロォやヘミングウェイ等の動きはやはり簡単には理解できない謎です。あの時代を神秘的に蔽ったコミンテルンの影響史と、それを裏から手を握った金融財閥の影を決定的要因と見ない歴史叙述は、やはり現実を反映しないフィクションにすぎない」
そうだ。スペイン内戦になぜマルロォは飛んでいって『希望』を書き、ヘミングウェイは『誰がために鐘は鳴る』を書いたのか、不思議でならなかった。名状しがたいムードに流されたか、あるいは日本でもマルクス主義が猛威を振るったように流行現象、知識人にもっとも伝染しやすい病気であったのか?
本書は日本の空疎な論壇やアホな「政治ごっこ」に明け暮れるぼんくら政治家、それを許容している大半の日本人にしかけられた凄まじい破壊力をもつ爆弾である。しかし多作で多彩なテーマを追う西尾さんが、またまた瞠目すべき題名の本書を書かれたわけだけれど、いったい何時、このような新作を構想され、準備し、執筆されているのかと訝しんだ。傍らで全集を出されている時期にもあたり、執筆の時間がよくおありになったなぁ、と。
本書の「あとがき」から先に読んで納得、これは二年がかりでテレビのシリーズで論じられた草稿に手を加え、TPPも話題の中にでてくるほどに時宜を得た政治的哲学的な装飾を施した新刊なのである。
読み始めて評者(宮?)はなぜか脈絡なく歴史家ポール・ケネディの『大国の興亡』という仮説を類推し、ついでポールの息子と日本に滞在中になした会話を思い出した(息子は日本に一年ほど研修できていた)。
そのとき、評者は或るラジオ番組をもっていたので、かれに出演を促し、英国人としての意見を聞いたことがある。
ちょうどパパ・ブッシュの湾岸戦争が米国の大勝利に終わって、ブッシュ政権は「ニュー・ワールド・オーダー」(世界新秩序)なる新戦略を盛んに吹聴していた。後にもイラク戦争に大勝利したブッシュ・ジュニアのときにネオコンが「リバイアサンの復活」を獅子吼したような戦捷の雰囲気があった。
しかし中東と南アジアでの米軍の結末はどうだろう。米国の栄光はすぐにペシャンコになり、イラクはシーア派にもぎ取られる勢い、アフガニスタンは宿敵ビン・ラディンを殺害した途端に撤退を始める。連続する無惨なる敗北、あのベトナム戦争のときの精神的トラウマが米国の輿論を覆い尽くし、イランが核武装するのを拱手傍観、経済制裁でお茶を濁しつつ、ホンネではイスラエルの空爆奇襲を待望しながらも、表向きは「イスラエルの空襲には協力しない」などと綺麗事を言いつのる。
やけっぱちの米国は口舌の徒=オバマを選んだ。彼の外交は素人であり、敗北主義であり、猪突猛進の米国が内向期の循環をむかえたかのようだ。
そのことはともかくとして、湾岸戦争の勝利直後、ポール・ケネディの息子に「世界新秩序なんて聞いて、どう思うか?」と尋ねると、「いやな感じですね。なんだかヒトラーみたい(に米国は傲岸である)」。さて本書で西尾さんが力点をいれて論じるテーマのキー・ワードは「闇の宗教」(米国)と「神の国」(日本)である。
米国は「マニフェスト・ディスティニィ」などという呪術的な闇の信仰にとりつかれて奴隷解放の名の下の南北戦争以後、西へ西へとインディアンを撲滅しつつ西海岸から太平洋に進出し、その際に最大の障害だったスペインに戦争を仕掛けてプエルトリコを奪い、キューバにスペイン艦隊を追い込んで殲滅し、運河を建設するためにパナマを奪い、ハワイを巧妙に謀略で合併し、そしてサモアの半分を奪い、フィリピンを奪い、その果てしなき侵略性を剥き出しにしつつ日本との戦争を準備したのだ。
日米戦争は始めから終わりまで米国が仕掛け、日本にとってみれば理由の分からないまま、米国の横暴に挑戦した。やむにやまれぬ大和魂の発露でもあった。
米国は最終的にシナの権益を確保するために満州を奪おうとして、日露戦争では日本を便宜的に支援したものの、日本が満州を先取りするや、猛烈に日本に攻撃を仕掛け、つまり『太平洋戦争』なるものは、米国の謀略で日本を巻き込んだ結末にほかならない。
米国が「正義、フェア」などと表面的には綺麗事を並べるが、その基本にある潜在意識は闇の宗教、やってきたことは正反対、おぞましいばかりの殺戮と侵略と世界覇権だった。
この文脈から推論すれば次なるシナリオとは、米国に楯突く中国といずれ米国は対決せざる得なくなり、その準備のために在日米軍の効率的再編を行い、日中離間をはかっていることになる。
こうした歴史観からすれば、対米戦争は日本が悪かったとか、シナへは侵略戦争だったとか、正邪が逆転している、いまの日本を蔽う自虐史観がいかに視野狭窄で政治的謀略に基づく利敵行為であるかが理解できる。
本書で西尾さんは「懇切丁寧」ともいえるほど平明で、しかし執拗に半藤一利らに代表される左翼似非(えせ)史観を糾弾しつつづける。
評者にとっては半藤とか、丸山真男とかは「正真正銘のバカ」という一言で、詳しく論ずるのも馬鹿馬鹿しいと思っている。「正真正銘のバカ」というのは「たらちねの母」のように枕詞である。しかし西尾さんは、これらの似非歴史家への批判を通じて、わかりやすい、正しい歴史観を説明されるのである。加藤某女史への適切にして舌鋒鋭き批判の展開も、国学の復活と視座からパラレルに揶揄される。西尾さんはこうも言われる。
「まだ国家が生まれていない十三、四世紀のヨーロッパ世界において、教会が『神の国』であったのと似た意味で、この列島で意識されていた『神の国』とは、一貫して天皇だった」、日本では「儒仏神という三つの宗教があって織りなす糸のように混じり合い絡み合い、とりわけ神仏が二つに切り離せないほどに一体化してしまったところに儒教が出てきて、仏教に支配されていた神道を救い出すというドラマもおこ」った。これが「江戸末期の水戸学、『国体論』の出現でした」ともかく一神教の「神の国」である米国は、「日本にサタンを見て、この国の宗教をたたきつぶそうと意識していたんですよ。ためらわずに原爆まで落とすくらいに。こっちは『菊と刀』みたいなことは全然考えてなくて、(当時の日本の論客らの総括では)アメリカは統計と映画の国と書いてあるだけ」で、「そんなことで勝てっこない」
だから言い訳がましくも強弁を張る米国の政治家とて、原爆投下は後ろめたいのであり、日本は米国に執拗にそのことを糾弾すべきであると西尾さんは言う。
しかも米国は日本に復讐されると恐れるがゆえに日本の核武装を防ぐために核拡散防止条約を押しつけ、NPT体制の構築でひとまず安心、しかしインド、パキスタンに続いて北朝鮮の核武装で「核の傘」が破れ傘になるや、日本が米国の核の傘は信用できないと言えば、おどろき慌てて「核の傘は保障する」とだけを言いにライス国務長官が日本へ飛んできたこともある。
西尾さんは本書の掉尾を藤田東湖の『正気の歌』を掲げて筆を擱いているが、本書を通読したあとだけに理由が深く頷ける。西尾さんは子供の頃、この正気の歌を暗誦していたというのも驚きだった。
○△ ○△ □○
番組名 :「闘論!倒論!討論!2012}
テーマ :「キャスター討論・漂流する戦後日本を撃つ!」
放送予定日:平成24年2月18日(土曜日)
20:00~23:00
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)
「Youtube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト
パネリスト:(50音順敬称略)
井尻千男 (桜プロジェクトコメンテーター)
小山和伸 (桜プロジェクト・報道ワイド日本Weekendキャスター)
鈴木邦子 (報道ワイド日本Weekend」キャスター
西尾幹二 (GHQ焚書図書開封)
西村幸祐 (報道ワイド日本Weekend・桜プロジェクトキャスター)
三橋貴明 (報道ワイド日本Weekend・桜プロジェクトキャスター)
三輪和雄 (桜プロジェクトキャスター)
司 会 :水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)
私の新刊『天皇と原爆』(新潮社¥1600)が2月初旬に刊行されました。目次を掲げます。
目 次
第一回 マルクス主義的歴史観の残骸
第二回 すり替わった善玉・悪玉説
第三回 半藤一利『昭和史』の単純構造
第四回 アメリカの敵はイギリスだった
第五回 アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか
第六回 日本は「侵略」国家ではない
第七回 アメリカの突然変異
第八回 アメリカの「闇の宗教」
第九回 西部開拓の正当化とソ連との未来の共有
第十回 第一次大戦直後に
第二次大戦の裁きのレールは敷かれていた
第十一回 歴史の肯定
第十二回 神のもとにある国・アメリカ
第十三回 じつは日本も「神の国」
第十四回 政教分離の真相
第十五回 世界史だった日本史
第十六回 「日本国憲法」前文私案
第十七回 仏教と儒教にからめ取られる神道
第十八回 仏像となった天照大神
第十九回 皇室への恐怖と原爆投下
第二十回 神聖化された「膨張するアメリカ」
第二十一回 和辻哲郎「アメリカの國民性」
第二十二回 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
第二十三回 後期水戸学の確立
第二十四回 ペリー来航と正気の歌
第二十五回 歴史の運命を知れあとがき
【付録】帝國政府聲明(昭和16年12月8日午後零時20分)
天皇と原爆 (2012/01/31) 西尾 幹二 |
今日は二つの書評をお送りします。
最初は都留文科大学教授・文芸評論家の新保祐司さんが新潮社の『波』(2012年・2月号)に書いて下さいました。もうひとつは私の高校時代の友人の、関東学院大学名誉教授・経済学者の星野彰男さんからの私信です。星野さんは私の竹馬の友で、アダム・スミスの専門研究家です。
このお二人の論評は対照的で、星野さんは批判的読み方をしています。これらの書評に触れてでもよく、拙著を読んだ方の評文をコメント欄に期待します。
歴史哲学者の衷心からの直言
――西尾幹二『天皇と原爆』 新保祐司
西尾幹二氏は、世間では保守派の論客ということになっているが、本書の中に天皇の戦争責任をめぐって「私は左翼の議論も、いわゆる保守の議論も、どちらも容認できない」と書かれている。この問題に限らず、氏は「いわゆる保守」の人ではないので、本書にあらわれている精神の相貌は、深い憂国の情をたたえた一人の歴史哲学者のものであるといっていいように思われる。
時事的な問題についての発言も氏は積極的に行っているが、それも単なる時事評論家の解説の類ではなく、「歴史の運命は、私たちのこの目の前で今も起こっているんだということを、片ときも忘れてはいけないのだ」との、自らに課している戒律に基づいているのである。
私たちの国は今、再び国体論をきちんと考え直さなければ切り抜けられそうにない時代にさしかかっている」という危機感から、本書の歴史哲学は生まれているが、その眼目は、日本とアメリカが戦った大東亜戦争とは、宗教対宗教の戦争であったとするところにある。
これは、世界や人間を考えるときに、宗教という視点をほとんど考慮しない今日の日本人の盲点を鋭くついた議論である。「これまで日米戦争をめぐっては、政治的、外交的、経済的にはたくさんの説明がなされてきましたけれども、宗教との戦いが大きく背後にあったことは、あまり論じられておりません」と氏が指摘される通りであり、本書の歴史哲学の画期的な意義はそこにあるであろう。今日必要なのは、実証的な事実の検証を誇る歴史学ではなく、日本人に日本人であることの意義と誇りを回復させる歴史哲学であり、それは歴史の宿命を明らかにするのである。「外務省の文書館にそんな記録があるのか。ありませんよ。証拠はなくったって、まさにそれが歴史なんです。歴史とは、細かな実証的事実にとらわれてどうだこうだの閑話ではまったくないのだということを、よく理解していただきたいと思います」と語るのは、まさに信念に溢れた歴史哲学者に他ならない。
「神のもとにある国・アメリカ」の章で詳しく論じられているように、アメリカとは「神の国」なのである。「進化論を信じられない人が極めて多く、現在でも神を信じる人が92パーセントにのぼるアメリカ」とあるように、アメリカは極めて宗教的な国といっていい。
そして、次の章は「じつは日本も『神の国』」と題されている。日本思想史、あるいは日本宗教史に関する該博な知識と深い考察により展開されている日本の精神的本質についての議論は、今日の日本の危機的状況を鑑みるとき、極めて重要なものであり、日本の歴史と文化について考えるに際しての豊富なヒントを与えてくれるであろう。
昭和の戦争を満州事変あたりから昭和20年の敗戦に至る期間に限定して論ずる今日の一般読書界に広く読まれている著者たちの言説に対する厳しい批判は、この昭和の戦争をもっと尺度の長い世界史の視野から見ることが必要だからである。期間をその15年ほどに区切れば、日本は「侵略」国家にされてしまうのである。17、18世紀から始まる西洋のアジア侵略がまず先にあったことを頭に入れようとしない。
「日米戦争は、アメリカの強い宗教的動機と日本の天皇信仰とがぶつかり合った戦いにほかなりません」と結論づけられていて、「向こうは日本にサタンを見て、この国の宗教を叩きつぶそうと意識していたんですよ。ためらわずに原爆まで落とすくらいに」と、日本への原爆投下という最も恐るべき行為も宗教的動機があったからこそ可能だったとしている。この見解をはじめ、本書には苛烈な発言が多い。しかし、「我々は何かに大きくすり替えられて暮らしている。頭の中に新しい観念をすり込まれて、そこから立ち上がることができなくなっている。その現実を、しかと見ていただきたいと思います」とは、そういう発言をせざるを得ない著者の衷心からの直言であろう。
関東学院大学名誉教授(経済学)星野彰男
このたびは、ご新著『天皇と原爆』をご恵贈下さり、まことにありがとうございます。表題からは、こういう内容であるとは想像できませんでした。日米間の宗教比較論や水戸学などこれまでに無い新しい見解が満を持したように披瀝され、大いに学ばせていただきました。これほど徹底した議論はこれまで触れてこなかったので、これをどう受け止めたらよいのか、正直のところ大変戸惑っています。
M.ウェーバーの宗教社会学に近い面もありますが、内容的には正反対のようです。彼は、宗教改革→合理化精神→資本主義精神→「精神なき専門人」というテーマで、ヒンズー教、儒教、道教等と比較分析しましたが、基本は「合理化」論ですから、丸山真男や大塚久雄のような見方になりましょう。その点、本書はむしろ非合理的な情念、伝統、共同性、ナショナリズム、国家、祭事等を内容とした日本宗教論ですから、ウェーバーでは捉えきれない面を捉えています。その点は『江戸のダイナミズム』と同様です。むしろ、ウェーバーが批判したドイツ歴史学派の見方に重なると言えるかもしれません。
ただしその分、アメリカの建国経過の否定的面が強調されました。そういう議論はわれわれの分野でも時々提起されますが、「今さらそれを言っても」という雰囲気です。土地所有観念の無い狩猟族に労働所有観念を所有する文明人(ホッブズでなくロック)が鉢合わせすれば、仮に日本人が殖民しても同じ結果になるはずです。したがって、われわれはこれを暗黙裡に「歴史の宿命」として黙認してきたようです。
それと土地所有観念を有する国に殖民して現地人と争いになることは、かなり次元の違う問題でしょう。それらを混同したところに日本の殖民の無理筋がありましょう。日本、ドイツ、ロシア等にとって、もはや狩猟族の大地が残されていなかったことも、「歴史の宿命」ではないでしょうか?
和辻哲郎にそういう客観的な見方があったでしょうか?あの状況下では無理でしょう。満洲殖民にそういう無理があったとすれば、そこにアメリカの投資を認めていれば、それで済んだかもしれません。その上で、欧米列強の植民地の門戸開放を主張すれば、アメリカもこれを認めたかもしれません。それがアダム・スミス路線で、矢内原忠雄はそれに近かったようです。しかしすべてが「宿命」であれば、言っても無駄なことで、敗戦も東京裁判もそうでしょう。だとすれば、ご説のようにこれからどうするかだけが問題となるでしょう。
ご指摘のホッブズから、ロック(ルソー)→ヒューム→スミスに至り、宗教や政治を含む歴史を動かす動因は経済力にあることが解明されてきました。ウェーバーはその逆作用をも捕らえましたが、いずれにしても経済がポイントです。今はそれが金融過剰化によって危機的状況を迎えていますが、それは明らかにスミス路線から余りにも逸脱した結果です。したがって、そこにいかに戻すかに成否がかかっています。それを充分勘案した上での宗教や国のあり方が問われるのではないでしょうか?それらの極端な原理主義は経済にとっての妨げになり、自滅します。なお、これに関わる「書評」を発表しましたので、同封します。上記と多少か関わりのある議論があります。 不一
「GHQ焚書図書開封」は2011年末までに92回放送され、6巻の本にまとめられました。あらためてここで2008年の第一回から毎週一本ずつ放送をYou Tubeで流し、普及につとめたいと思います。多くの方々に見ていたゞければ幸いです。
遠藤 「悲劇人の姿勢」は、三島由紀夫さんが自決した直後に発刊されました。
西尾 そのため、あの本は三島論集だと誤解されたんですよ。
遠藤 三島さんとお会いしたのは?
西尾 わずか一度だけです。ある方に案内され、ご自宅に伺い、感激の対面をしました。本当に気持ちのいい、呵々大笑する方で、人の悪口もカラッと言う(笑)。 晩餐に招待され、六本木にゴーゴーを踊りに行こうと誘われ、夫人を伴い、車で案内してくれました。途中である店の前を指し、「数日前、あの男が立っているのが遠くから見えてね。その辺の空気がいっぺんに汚れ、曇ったように思えて、僕はそこから一目散に逃げ出したのだ。百メートルくらい走ったのだ」と身振りで走る真似をなさいました。あの男とは小田実さんです。
遠藤 その三島さんから、西尾先生は「新らしい日本人の代表」と評されたわけですが。
西尾 『ヨーロッパ像の転換』の裏表紙の推薦のことばです。でも、あれはどう見ても褒め過ぎです。三島さんに関連する私の文章、データは全集の第二巻『悲劇人の姿勢』にまとめました。
遠藤 三島さんに関してはその他にも、「憂国忌 没後三十年」と「没後四十年」などが収められています。それにしても、全集の目次を見ると、これまで述べてきたもの以外にも、第六巻「ショーペンハウアーの思想と人間像」や、第八巻「日本の教育 ドイツの教育」、第十二巻「日本の孤独」、第二十一巻「危機に立つ保守」など、実に幅広い分野を扱われていますね。
世界史のなかの日米戦争
西尾 とにかく、私は知性の狭さが嫌いでした。専門に閉じ込められる知性などおかしいと、若い頃から思っていました。ところが、常に広い知性を必要とすべきだと思っている一方で、「広すぎる知性のウソ」にも気がついていました。 たとえば、歴史を研究する際には、遠い過去に思いをはせるわけですが、そのようなときに大空から、すなわち俯瞰史観で物事を見る──それは過去を考えるためには、一方では非常に大事なことなのですが──上から広く見るウソがある。人間は神の位置には立てない。単に俯瞰してもダメです。遠い過去の時代の人たちがどのように未来を信じていたか、言いかえれば、どのように閉ざされて生きていたかを見ずに、ただ自由で開かれた現在の認識で遠い過去を俯瞰して見下ろしたところで、それは歴史でも何でもありません。
遠藤 現在の尺度から過去を見て評価を下す知識人や歴史学者が多い。そのことを『GHQ焚書図書開封』(徳間書店)などでも一貫して指摘されています。
西尾 先の大戦について、なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか、とばかり日本人は問いつづけてきて、なぜアメリカは日本と戦争をしたのか、とは問わないできた。これはおかしい。私は、十七世紀くらいからの世界史のなかの日米戦争を考え直す構想をいだいています。さもないと、このままいくと、「戦後百年」を迎えて、この国はまだ占領期ということになりますよ。
了
『WiLL』2011年12月号より