『真贋の洞察』について(二)

 真贋には焼き物や美術品の鑑定をめぐるいろいろなエピソードがあるし、ドイツ語で Kitsch という、風呂屋の富士山の看板絵のようなまがい物を総称する言葉もあって、概念的にいろいろ整理したいことが少なからずあった。
 
 Kitsch といえば、南ドイツのフュッセンという高い山の中腹に中世のお城、ノイシュバンシュタイン城があり、これはテレビ写りがいいのでいまではみな誰でも知っている。狂王ルートウィヒ二世がワーグナーのために建てた城だ。内壁や天井の絵画はみな楽劇の各場面を描いたものだが、これがみな「風呂屋の富士山」なのだ。

 森鴎外の留学時代に、中世の城を建てればどうしても Kitsch になる。

 南ドイツにはギリシャの神殿を模した大建造物がいくつもある。十九世紀のドイツ文化はギリシャ熱におおわれていた。ギムナジウムとよばれる中高等学校は、この呼び名からして、古代ギリシャを意識していた。そしてそのギムナジウムを真似したのが日本の旧制高等学校なのだ。ギリシャ文化のかわりに遠いヨーロッパの哲学、文学、史学に憧れた。

 古き良き時代である。しかしすべて Kitsch になることを免れない。ドイツの教養文化がギリシャのイミテーションであるなら、日本の近代の教養文化はヨーロッパのイミテーションであらざるをえない。

 教養の「真贋」について概念整理をしたかった。

 『真贋の洞察』という今度の新刊の「あとがき」でこの点に関する感慨を書いてみたいと思っていたが、急にその気がなくなり中止した。以下、「あとがき」に中止の理由も述べたので、全文をここに掲示させていただく。

 あとがき

 本書は、私の本の中で最も多方面なテーマを扱った一冊になりました。

 冒頭の一文で真贋とは何かについて語っていますが、真贋の概念はこれでは不十分なので、「あとがき」でもう少し詳しく説明しようかと考えていました。が、校正刷りを読んでいるうちにその気がなくなりました。

 真贋は概念ではないからです。この本の全体から、あるいはどの論文からといってもいいのですが、少なくとも「贋」を排そうとする私の声、私の気概だけは読者に伝わるでしょう。それで十分ではないか、説明は要らないと思ったのです。

 本書の文章はすべてなんらかの言論雑誌に掲載された論文です。言論界でいう「真」とは、つまり本当のことを言うということです。

 ときに勇気が必要であり、書き手だけでなく編集者にも勇気が求められることがあります。言論の自由が保障されたこの国でも、本当のことが語られているとは限りません。

 本当のことが語られないのは政治的干渉や抑圧があるからではないのです。大抵は書き手の心の問題です。

 私はむかし若い学者に、学会や主任教授の方に顔を向けて論文を書いてはダメですよ、読者の常識に向かって書きなさい、とよく言ったものです。言論人に対しても今、世論や編集長の方を向いて書いている評論がいかにダメか、を申し上げておきたいと思います。

 言論界にはここにだけ存在する特有の世論があります。評論家の職業病の温床です。

 書き手にとって何が最大の制約であるかといえば、それは自分の心です。

 私にしても「贋」を排そうとしているからといって、私が「真」を掴んでいるということにはなりません。真と贋、本物と贋物の基準は人によって異なるので、何が真贋であるかを決める基準の法廷がどこか人の世を超えたところにあればよいのですが、残念ながら、誰でも存在しない自分の神に向かってひたすら書くということのほかには術がないといえるでしょう。

 ただ一つだけありがたいのは、書かれた文章が本当のことを言っているかどうかは読み手にはピンとくるということです。

 それでも書き手にとって心しなければいけないのは、「真」はこうであったとは究極的には誰にも言えないということです。自分の心がそれで救われてしまう心地よいつくり話を書いてしまうきわどさと「真」がいつでも隣り合わせていることを、肝に銘じておかなくてはなりません。

 本書の各論文が本当のことを言っているか、それともつくり話を語っているかの判定の基準は、ひとえに読者という裁きの法廷に委ねられています。

 本書は後半で、私には例の少ない経済を取り扱っていることに一つの特徴があります。私は現実の心の層に触れてこない空想に流れるのをいつも恐れています。経済のテーマに何とかして正面から向かわないと、政治の現実もとらえられない時代に入っているのではないかとの考えからです。一つの新しい試みであり、挑戦です。

 尚、各論文の初出誌は、各論文の末尾に記しました。各論文の内容に関しては、趣旨を変えない範囲で若干の補筆を施しているケースもあります。

 本書は企画の段階から、論文の蒐集(しゅうしゅう)を経て、調整と配列にいたるまで、作成に関するすべてを文藝春秋第二出版局の仙頭寿顕氏のご努力に負うています。謹んで御礼申し上げます。

平成20年初秋
                               西尾幹二

『真贋の洞察』について(一)

 当「日録」は今では私がオピニオンを述べる場ではなく、私とその周辺の情報を告知する場になっている。昔はオピニオンを述べていたのだが、それをすると活字メディアに注ぐ力が減殺されてしまう。それでいったん「日録」を中断したある時期を境にして、それ以後、今のこの方針に切り換えた。

 しかし勿論原則にこだわってはいない。折をみて、ゆとりのあるときにはオピニオンを展開するかもしれない。

 今回は新刊のご案内である。『真贋の洞察――保守・思想・情報・経済・政治――』、文藝春秋刊、366ページ、¥2000(税込)、10月7日発売。とりあえず目次をご紹介する。

20081004085303

第一章  保守の真贋について
 生き方としての保守
 安倍晋三は真正保守の政治家に非ず

第二章 思想の真贋について
 「偽君子」坂東真理子の「品格」を斬る
 「廃墟」の思想家・上野千鶴子
 「贋者」の行列
   ――竹内好、丸山真男、鶴見俊輔、大塚久雄、小熊英二――
 「素心」の思想家・福田恆存の哲学

第三章 情報の真贋について
 GHQによる「焚書」公立図書館による「焚書」
 朝日新聞の「社説21」が唱える空理空論を嗤う

第四章 経済の真贋について
 日米軍事同盟と米中経済同盟の衝突
  ――なすところなき小泉、安倍、福田――
 日米は中国に「アヘン戦争」を仕掛けている
  ――本来中国は「鎖国」文明である――
 金融カオスの起源
  ――ニクソンショックとベルリンの壁崩壊――

第五章 政治の真贋について
 日本は米中共同の敵になる
  ――「集団忘却」の日本人へ――
 金融は軍事以上の軍事なり
  ――米中は日本の「自由」を奪えるか――
 改めて直言する「労働鎖国のすすめ」

 あとがき

 どんな印象だろうか。

 本書には担当編集者の知恵で一つの新しい工夫が施された。各論文の冒頭にゴシック体で内容を簡潔にまとめた2、3行のリードの文を添えた。例えば、

第二章第一論文には

「偽君子」坂東真理子の「品格」を斬る

 表向きは温和な保守的常識人のように見えるが、よく読むと小さな狂気が宿り、やがて国民を廃墟に追い込む死の思想への偽善的挑発者の顔が見えてこよう

 第三章第二論文には

朝日新聞の「社説21」が唱える空理空論を嗤う

 日本はサンタクロースかナイチンゲールになって「ヘルプキー国家」として生きていけという朝日のありがたいご託宣、小学生の学級民主主義みたいな可愛らしい思想にしばし付き合ってあげていただきたい

お知らせ

 主催者佐藤松男さんからの依頼による、毎年恒例の下記の会の案内をお知らせします。

 「福田恆存を語る」講演會の御案内

日時:平成20年10月25日(土)午後2時開演(開場は30分前)
會場:新宿文化センター 小ホール
    (地下鉄丸ノ内線 新宿3丁目駅B3出口歩11分
講師:桶谷秀昭「福田恆存の相對と絶對」
    田久保忠衛「福田恆存の防衛論」
参加費:2500円(※電話またはメールで事前にお申し込み下さい)
    電話 03-5261-2753(午後7時~午後10時まで)
    E-mail bunkakaigi@u01.gate01.com
(氏名、住所、電話番號、年齢明記)

現代文化會議

私の視点から見た日本の論壇

 9月29日に財団法人日本国際フォーラムの国際政経懇話会(第207回)で、「私の視点から見た日本の論壇」と題した講演をいたしました。質疑をいれて正午より2時までで、いろいろな角度から議論を提起しました。

 以下は同フォーラムの事務局がまとめた要旨です。参考までに掲げておきます。

 果たして現在の日本に「論壇」があると言えるか。もはや論壇は滅んだと言えるのではないか。文壇はとっくに滅びたが、それと一体で丸山真男に代表される大学知識人の崩壊が、1960年代終わりから75年頃にかけて進んだ。

 それを象徴するのが三島事件である。 「知識人の死」という中で、かつての言論雑誌は見る影もなくなっている。反中国、反朝日は勢いづいているが、勝利宣言をしてよいかと言えば、それは表向きであり、そうとも言えない。靄のようなものが覆い、毎回毎回同じことを言って徒手空拳の感がある。

 言論雑誌の全体を総覧した時に、三つの問題点が指摘できる。一つ目は、政治論と政局論を混同していることである。政局騒ぎが言論界の中心テーマになっているが、これは思想のなすべき仕事ではない。かつて石原慎太郎政権樹立や安倍晋三政権樹立を煽ることが言論雑誌のメインテーマとなり、彼らを登場させることが編集長の手腕として評価され、売り上げにつながるとされた。こうした状況を週刊誌が後追いし、状況を歪めている。

 二つ目は、日本の論壇は、経済を論じていないという点である。言論雑誌はドメスティックに閉じ篭もり、防衛、教育、社会保険庁、国内政治などばかりを論じているが、金融を論じていない。「金融は軍事以上に軍事である」とも言える。金融とはそれ自体がパワーであり、政治である。他方、主要な経済雑誌には、経済情報が豊富であるが、政治の視点が欠けている。経済指標ばかりを取り上げて論じても、それは数字遊びに終わってしまい、ナンセンスである。議論が政治だけ、経済だけになっており、両方を全体から見る必要がある。

 三つ目は、国際政治を別扱いにし、国内政治を国際政治の視点から論じていないことである。例えばロッキード事件は、国内問題として扱われたが、背景には米ソ対立が安定期に入ったことが関係している。また、いわゆる「55年体制」の崩壊も冷戦終結と関係している。国内で起こることは国際政治とリンクして考えるべきだ。

 それでは、なぜこのような論壇停滞の状態が続いているのかと言えば、それはイデオロギーにとらわれているからだ。イデオロギーに対置されるのがリアリティーであるが、リアリティーとは常に変化し、ぐらぐら動くものである。これに対して、固有の観念や先入観にとらわれたイデオロギーが言論界を跋扈している。

 非現実的な保守イデオロギーは戦後左翼の平和主義と変わらない。私の皇室問題に関する発言に対しても、典型的な対極の二つの反応があったが、いずれもイデオロギーにとらわれている。

 一つは、日本は自由であるべきだから、皇太子ご夫妻にもっと自由を与え、皇室改革するというイデオロギーであり、もう一方は、皇室にもの申すこと自体、不遜であるというイデオロギーである。イデオロギーとは常に厄介なものである。とかく人はイデオロギーにとらわれやすく、一つの固定観念で自分を救って、大きく変化する世界から目をそらそうとする。

 こうした状況に対して固定化を破り現実を露呈させるように発言していかなければならないというのが私の立場である。

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(九)

 上田三四二の『この世 この生』の文庫解説が終わった。日録の読者であまり読んでいてくださる方はいないのではないか、と思っていたが、そうでもないらしい。
  
  若い友人の渡辺望さんが私信で、上田文学に接したときのご自身の記憶をつないで、次のような感想の一文を寄せてこられた。まず上田さんの作品を知っている人が、昔の私の文学仲間以外の若い人の中にいたのがうれしかった。
  
  本人のご了解を得て、私信をそのまま掲示させてもらう。

guestbunner2.gif
渡辺 望 36歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 拝啓 西尾先生

 だいぶ涼しくなって参りましたが、お元気でしょうか。

 ここしばらく日録にてされている、先生が上田三四二さんについての過去に記された評論を中心とした文章の連載を更新の度に読んでおります。いろんな感想が湧いてきましたので、一筆執りました次第です。
 
 私は上田三四二さんについて、彼が一番高く評価されている短歌の人としての作品は残念ながらまったくといっていいほど知りません。また彼の思索の中心である、今回の連載で先生が触れられている宗教論についても、大学生の時代に、彼の吉田兼好論を斜め読みしたくらいです。

 しかし彼の小説に関しては、大学生から大学院生にかけて幾つか読み通して幾つかの印象が残っています。当時、大学の一般教養課程での国文学の授業で、「私小説」がテーマだったのですが、教授が少し変わった作家の選択をする先生で、ふつう、「私小説」というと、志賀直哉や安岡章太郎を講義することがオーソドックスなのに、上林暁のような作家を題材につかうような先生でした。その先生がよく題材に使った作家の一人に上田三四二さんもいたのです。そのことで、上田さんの小説の幾つかを知ることになりました。だから上田さんは私にとって、読んだことのない作家というわけではないのです。

 日録での先生の上田三四二論を読んで、そののち、当時、私が読んだ上田さんの本を久々にひっぱりだして再読しました。そしてこれはたまたまなのですが、私は上田さんの本を再読したその日、モンテーニュの「エセー」がふと気になって、それを再読したのです。

本当に妙なことなのですが、再読する度に私の心を惹きつけてやまなかったモンテーニュの「エセー」の説く「死の哲学」についての数々の文章が、そのときだけかもしれないのですが、何も感じられませんでした。私にとって存在論的真実に迫ったモンテーニュの言葉のどれもが、まったく色褪せたものに感じられて、自分の感じ方の変わりように、首を傾げたくなりました。これは明らかに上田さんについてのいろいろを再読してそれに惹かれたことと連鎖反応しています。

 私が上田さんとモンテーニュを比べてみて感じたことを何とか整理してみると、次のようなことになると思います。
 
 「死」の先に何もない以上、死の瞬間まで死を想わないことが実はもっとも人間的な行為であるかもしれない、ということは西尾先生の死生観の基軸で、「自由と宿命」での池田俊二さんとの対談でもそのことをおっしゃられていますね。上田さんの文学や思想が西尾先生のその死生観の支柱の一つであるということ、しかもそれが無神論者のニヒリズムのようなものでない、独自の「優しさ」にみちた主張になっている作家として上田さんをとても高く評価されていることを、日録の先生の上田論、そしてその後の上田さんの本の再読したことによってよく理解できます。

 その上で、なのですが、「死を想え」というヨーロッパ哲学の巨大な前提と、「死を想わないことがもっとも人間らしい」かもしれないという上田さんの世界からよく導き出される思想の両極について、私達はどう考えればよいのでしょうか?

 「死に親しみ、馴れ、しばしば死を念頭に置こう。いつも死を想像し、しかもあらゆる様相において思い描こう」とモンテーニュは言います。しかし、モンテーニュの言葉を逆さまに読めば、「死」は親しみ、馴れ、想像し、思い描ける可能性をどこかにもってる、ということを言っているのだ、ともいえます。
 
 どうも、「死」はそこで「不可解」というあるいは「わからないもの」という名前の、一つの意味を与えられていて、何かの作為を許容してしまうことが有り得る、ということになっているのではないでしょうか。
 
 やはり「死の哲学」の強力な主張者であったハイデガーが、死の意味をナチスに預けて、その意味の操作に身を任せたことと、モンテーニュのこの言葉は無関係ではないようにも思います。あるいは日本でも盛んになってきているホスピスケア、「死の教育」というものがどこかでもってしまういかがわしさ、ですね。性教育のいかがわしさほどでないにしても、果たして「死」は教育に値するのかどうか、それこそが実体を虚構する作為ではないか、と私は思います。
 
 こうした「死の哲学」的思考は上田さんがとらない考えなのでしょう。人生の時間を線分的に切断するものにすぎない上田さんにとっての「死」は、「不可解」という意味さえももっていない存在です。ある意味でまったく単純に意味が定まっているもの、それがゆえに、死の意味の操作もありえないもの、それが死というものなのかもしれない、私は西尾先生の上田論から、そんなふうに思いました。
 
  こう考えれば、西尾先生が言われるように、上田さんが「死」論よりも時間論に執着しそれを語ろうとするのは、ほとんど必然的なことだったといえるのですね。

 上田さんにとって、時間の切断にすぎない「死」という単純明瞭なことより、切断されても流れ続ける「時間」の方が、遥かに巨大で、本当に考えられれるべき不可解さをもっていると感じられるからです。おそらく、ヨーロッパ哲学のような「死」から「時間」へ、ではなく、「時間」から「死」へ、問いが逆転している。死が無意味なものである以上、「死への認識」ではなく、「時間への認識」が、思索にとっての最大の課題にならざるをえないのです。
 
  たとえば、「花衣」という小説、これは一読すると主人公の中年男性が、今はこの世になき女性・牧子との情事を回想する小説ですが、これらのことを承知した上で今読み返してみて、「時間」の主題がおそろしく明瞭に溢れていて、先生の上田さんの良寛論への指摘と重ね合わせて考えて、まったく驚いてしまいます。昔読んだときは一つの私小説として思われ読んだ小説群が、西尾先生の日録の上田論を読んだ後ですと、「哲学小説」にさえ思えてきました。

 美しく描写される染井吉野の散り様や、二人の情事の場面の背後に、世界を危うくする時間がひしひしと迫ってくる。「今まで堪えていた時の流れが堰を切って」というくだりもあります。特に二人の情事の後、牧子のヘアピンを抜く音が執拗に語られることに私はあっと思いました。昔読んだときはさして気にならなかった箇所です。執拗な描写ののち、「・・・・・・一つの音はそのあとの静寂に、次の音を誘う期待をこめているかと思われた」とあります。

 「線分的時間」にしか私達の人生が過ぎないのだとしたら、来世を信じるという人間に負けないように救済されるにはどうすればよいのか。このことが上田さんの世界について考える一番の大きな意味でしょう。西尾先生が上田さんの時間論が宇宙論的視点にまで拡大されて語られている、といわれますが、つまり「瞬間」と「永遠」を等価におくことのできるような精神的な認識行為が必要になります。時間を超えて際限なく広がっていく「永遠」を何かに閉じ込めなければならない、のですね。

 「茜」という作品では「時間の凍結」という言葉がありますが、つまりそれは「永遠
」を「瞬間」に閉じ込めるような激しい行為の比喩に他ならない。そして凍結を終えた後、それをささやかに楽しむ「和らぎ」も可能になる。上田さんは吉田兼好の「つれづれ」とは、そのような「和らぎ」であった、といっています。

 「時間の凍結」と「和らぎ」の行き来こそが線分的時間にしか過ぎない人生の救済たりうる。線分的時間の「線分」が時間という「永遠の線」に飲み込まれないで、枯れた滝壺の比喩を私達が受け入れることができるかもしれないのです。「花衣」での「ヘアピンを抜く音」は時間の凍結に他ならず、「次の音を誘う期待」とは、その凍結が解けた「和らぎ」に他ならないのでしょう。これはおそらく、ヨーロッパ人の書けない小説なのではないでしょうか。

 先生は上田文学の「優しさ」を言われますが、それはこの「和らぎ」なのだ、と思います。その優しさが芯のとおったものなのは、「時間の凍結」という精神的行為の段階に上田さんが徹底しているからでもある、と思います。この両者があってこそ、「枯れた滝壺」の比喩は、ニヒリズムから救い出されます。ヨーロッパ哲学でニヒリズムを主張する「死の哲学」者は、ファシズムに傾斜したり狂人になったりする人間が少なくありません。「時間の凍結」しかないからです。しかし上田さんが取りあげる日本史上の来世否定論の人物の多くはそうした狂乱には至らない。そこにはこの「和らぎ」の有無がかかわっている、私はそう思います。

 私は正直言って、日録の先生の上田さんについての文章の連載に触れるまで、上田さんという作家は比較的地味な作家だと勝手に思い込んでいました。しかし、先生の読み解きのおかげで、大袈裟な言い方になってしまうかもしれませんが、ヨーロッパ哲学の根源へのアンチテーゼということまで考えうるものが彼の作品の世界にあるのだ、と知ることができました。

 私もまた、死後の世界の意識や実存をほとんど信じることのできない人間ですから、上田さんの精神的格闘は無縁ではありません。無縁でないどころか、自分に身近な思考として、学ばなければならない対象だったようです。たとえば自分がまず生きていないで「無」になってしまう22世紀の日本や子孫のために語り考えることはどうして可能なのだろうか、ということは、私にとっていつまでも大問題です。そんな自分の考えるべき方向についてまた一つ資するところを与えてくださった先生の日録の連載に感謝の言葉と感想を言いたくて、文章をしたためました。

 長い文章になってしまったことをお詫びいたします。

 季節の変わり目、お体の方、くれぐれもご自愛くださいませ。

                                           渡辺望 拝

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(八)

 良寛が「雪」ならば西行は「月と花」、そして明恵は「月」である。

 本書は哲学の本ではない。一面では歌論である。救済の理念はとどのつまり詩的表象の外にはない。古人の詩魂の外にはない。

 にも拘(かか)わらず、著者が哲学的宇宙論の論理構造に救いを求めるほかなかったもう一つの側面が、本書の重要な特徴でもある。

 さりとて、その宇宙論も、さいごには雪や月や花が出てくる上田三四二に特有の詩の世界であり、文学的世界像にほかならない。そして敢(あ)えていえば、文学的イメージの展開によってしか望むことも触れることもできない、証明不可能な宇宙論を扱おうとしていたのだともいえなくはない。

 およそここで扱われたたぐいの宇宙論は、哲学者も数理物理学者も最終局面では文学的イメージに終るほかないといわれるような、なんとも不分明な世界なのであって、従って本書の著者が数理論的な追究を十分に果し得なかったにしても、だからといって常識を逸脱した気紛れな方向を走ったわけではけっしてない。

 これは現代人にふさわしい方向を目ざした歌論であり、宇宙論でもあるといってよいのではないか。

 そして、このような一面では数理論的な「時間論」になぜ著者がにわかに激しくのめりこんだかがむしろ問題である。

 それは彼が、自らなにかを予知していたかのごとく、時間が限られていることの自覚、「心の混乱」に襲われ、何とかそれを克服しようとした、倒れそうになる自分との闘いの表現ではなかっただろうか。静寂のなかにある叙述の集中と熱気は、それを裏書きして余りあるように思える。

——————@——————@——————

 昭和59年は著者にとり多産な年だったと前に述べた。『この世 この生』は9月に上梓されている。しかし春頃から血尿が出て、悩んでおられたと聞く。夏に二度目の大患で癌研泌尿器科に入院した。入院直前までに本書の刊行準備を終えていた。本当はもう一篇、近江(おうみ)永源寺開祖の寂室元光(漢詩を残している)について書く予定であったそうだが、それは断念した。

 最初の大患から18年も経(た)っていた。再発であったのか、新しい部位での発病であったのかについては、私は知らない。

 亡くなられたのは昭和64(平成元)年、天皇崩御の翌日であった。

 『この世 この生』は昭和59年度の読売文学賞を受賞している。

おわり

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

9月末から10月初旬への私の仕事

 私は今『三島由紀夫の死と私』(PHP新書)の最後の章の執筆と全体の整理に追われていて、他に書くゆとりはあまりなく、『Voice』10月号の後の仕事でご報告できるものは次のものになります。

 「静かな死の情景」――『撃論ムック』(西村幸裕責任編集)連載中の「思想の誕生」第3回。この一冊は「猟奇的な韓国」という題のムック本で、拙文とは別に、評判になっています。

猟奇的な韓国 (OAK MOOK 241 撃論ムック) 猟奇的な韓国 (OAK MOOK 241 撃論ムック)
(2008/09/19)
西村幸祐

商品詳細を見る

 
 テレビ出演「GHQ焚書図書開封」第26回「戦場の生死と『銃後』の心」
    日本文化チャンネル桜9月27日(土)午後23:00-24:00
  (特別番組のため、放送が延期されました。今後の予定は未定です。)

 テレビ出演、花田紀凱ザ・インタビュー。皇室問題への発言以後の反響その他について語ります。
    BS11 10月5日(日)午前9:00-9:55
    再放送 10月18日(土)午後15:30-16:25
 (花田紀凱ザ・インタビューは今後、発信局がBS11に移り、全国放送になるそうです。その第一回です)

 『WiLL』11月号に『正論』編集長と松原正氏に対する、私と『WiLL』編集部の連名による謝罪要求の短い文章がのっています。

 評論集『真贋の洞察』(文藝春秋刊)は10月7日に店頭に出ます。目次とあとがきの一部紹介を、近づいたら告知いたします。

 この間に『日本の論点2009』(文藝春秋)に皇室問題について寄稿しました。

 9月29日に財団法人日本国際フォーラムの国際政治懇話会で、数ヶ月前から頼まれていたテーマ「私の視点から見た日本の論壇」というユニークな論題での話をいたします。外交官、経営者、学者知識人等の集りですが、こんなきわどい題材で私に一席語らせようというのですから、当の私が少し驚いています。活字になったらきっと驚天動地ですね。

 9月21日の姫路市における私の講演を聴衆の中でまとめて下さった方がおり、長谷川さんのブログ「セレブな奥様は今日もつらつら考える」に掲示されました。以下に転載させていたゞきます。

 以下に述べられた以外のことも私はたくさん語っています。2時間ありましたから、当然です。以下はあくまで一つの要約です。しかし、概略こういう内容でした。むつかしい「まとめ」をして下さった聴衆の中のお一人(新聞「アイデンティティ」の葛目浩一さん)に御礼申し上げます。

昨日、姫路で行われた西尾幹二先生の講演を聞きに参りました。自民党総裁選を翌日に控え、生々しい話をされました。

民主党に政権を渡せば国が亡びるこれだけの理由 

西尾幹二氏特別講演 要旨
『国家中枢の埋没』 
-東アジア危機・国家観のない小沢一郎・外国人参政権と移民問題
 平成20年9月21日
 イーグレ姫路3階あいめっせホール
 主催 自民党兵庫県第11選挙区支部(支部長衆議院議員 戸井田とおる)

 (アメリカ帝国の崩壊) 
 今、100年に一回の大ドラマが展開されている。サブプライム問題に関連してリーマン・ブラザースの破綻など、今、アメリカ帝国は音を立てて崩壊している。数年後は米ドルは紙切れになる。では、中国はというと、バブル経済の破綻、経済格差による民衆の暴動でこの国の崩壊も近い。
 
 日本は、強力なリーダーのもとで国民が自信を持って立ち向かえば、今、世界で一番底力のある国は日本だから、世界を救う国となる。
 
 (麻生首相は政権を投げ出すな) 
 この非常時に、麻生氏は、来年9月の任期満了まで、石にかじり付いても解散してはならない。もし、次選挙で民主党が政権をとれば、日本破滅となる。
 
 民主党小沢一郎代表の国家観、国家主権意識、領土観がない。国連至上信仰は必ず国を亡ぼす。
 
 (国家滅亡への道、民主党の危ない政策)
 ①過度な国連信仰
  テロ特措法に反対だが、国連軍なら戦闘地域に自衛隊員を派遣すると言っている。武器使用基準で縛られている隊員をアフガンなど危険な戦闘地域に派遣できるのか。
 小沢氏は、国の安全を国連に委ねると言っている。わが国の南方諸島を中国から侵攻された際、わが国が安保理に訴えても、安保理の一員の中国が拒否権を発動するのは明らかだ。
 
 ②地方議会への外国人参政権付与
 小沢氏が熱心な地方議会に対する外国人参政権付与問題は自民党内の安倍、麻生氏ら保守系議員の反対で国会上程を阻止してきたが、民主党が政権を握れば民主党が国会に上程、公明党と自民党一部の賛同で一挙に成立する。その後に起こることは、対馬への韓国人、沖縄の離島への中国人の住民票移動によって、わが国の地方自治体の一部が敵性外国人によって実質的に支配されることになる。
 
 ③外国人移民一千万人計画
 自民党元幹事長中川秀直氏らの主張する移民一千万人計画は元々は民主党松本剛明氏らの一千万人移民構想が下敷としたものだ。
 少子化による国力の衰退、労働力不足を外国人労働者によって充足しようとするもので、財界一部の支持もある。民主党が政権を取れば、外国人参政権付与問題同様、一挙に可決される危険性が高い。
 そうなると、すでに、池袋で進んでいる中国人街計画が日本中に広がり、日本の底辺で行われている、フイリッピン人、ヴェトナム人との抗争が激化し、その牙が日本人に向けられる可能性が高い。
 日本は大和の国だから、外国人も文化も容易に同化できるというデマに騙されてはいけない。人口の1割近くも外国人を入れたらどうなるか。
 移民問題で内乱頻発のオランダの過ちを繰り返してはならない。
 
 ④沖縄を中国に売り渡す民主党沖縄ビジョン
 日本からの自立独立、香港のような「一国二制度」、中国語を始めとする外国語教育、地域通貨の発行、本土との時差、東アジアのエネルギーセンター構想など正気とは思えない沖縄を中国に切り渡す民主党の文字通り売国ビジョン。
 

 以上、どうしても自民党に勝って貰わなければならない。今、勝てないならぎりぎり任期一杯政権を保持し、その間得点を挙げて国民の支持を得るべきだと語っています。

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(七)

 もしも現世を超えた彼岸にいかなる超越原理も存在しないとしたら、静止した永遠もまた存在しない。時間は円環をなし、万物は永劫に回帰する。インドにも古代ギリシアにもあった時間観念、ショーペンハウアーやニーチェにもひきつがれた想念が、著者によって、良寛や道元のことばの中に探索され、確認される。

 回帰する時間の構造は、極大、極小ともにかぎりのない空間の構造にも照応する。時間も空間も無限であるなら、いっさいの尺度はどこまでいっても相対的でしかない。

 自分は限りない微粒子から成り立っている以上、微粒子の一つ一つを宇宙とするさらに限りなく小さい自分が存在しないという保証はない。

 また自分をも微粒子とする宇宙が自分を包んでいる以上、その宇宙を微粒子とするさらに大きな宇宙が存在しないという保証もない。しかも極大へ向けても極小に向けても、いっさいが無限である。

 著者はこういう想念に驚きを覚えるとともに、ある慰さめを得ている。救いを見ている。それが大事である。

 しかも、著者は哲学者でも、数学者でも、物理学者でもない。ロジックは不徹底であるほかない。そこがまた魅力である。肝心要(かなめ)なところにくると、歌人としての詩的イメージが決め手になる。

 良寛の手毬遊びが紡(つむ)ぎ出す時空の深奥は「三千大千世界(みちあふち)」の名でよばれる。しかしそれは「雪」が降りつもる越後(えちご)の五合庵(ごごうあん)と切りはなして考えることはできない。

 「良寛の雪は、この円環をなして回帰する時間の隙間(すきま)隙間に降っている。時の沈黙を満して降っている。」

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

西尾幹二講演会のお知らせ

場所と時間:
平成20年9月21日(日)16時~18時
姫路市・イーグレひめじ3階あいめっせホール
(姫路市本町68-290 ℡ 089-289-3443)

演題: 国家中枢の陥没

崩壊するアメリカ、行き詰る中国に対し、日本は起ち上がるときなのに、いったい何をしているのだろう。

問い合わせ先: 衆議院議員
戸井田とおる事務所 ℡ 079-281-7700

入場料: ¥2000

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(六)

 私は右の時評で、死病に襲われた近い仲間たちの懊悩(おうのう)の深さ、あわてぶり、命を惜しむ病人の執着の強さに、作者は自然なやさしさで対応していると述べたが、彼は病人たちの心の混乱にいつも自分の心の混乱を重ね合わせて見ていたに相違ない。

 彼自身が命を惜しみ、あわてていたのだと思う。

 彼は医師としての優越者の余裕で病人にやさしくしていたのではない。自分の心の混乱が他人の苦悩の姿に写し出されるのを見ていた。隅々(すみずみ)までそのことに気がついていた。それゆえの秘(ひそ)かにして切実な心の闘い、倒れそうになる自分の弱さとの闘いが、内的に結晶し、あの独特な、すべてを包みこむような柔和でやさしい文体を生み出したのであろう。読者の心を静寂にする文体の効果は、ひとえに死を恐れる自分への正直さ、素直さと、それを乗り越えようとする精神的闘いから生じている。

 『この世 この生』で死をそれ自体として直視した四人の宗教的人格を読み解こうとした著者の傾倒ぶりもまた、このような自分の心の危機の克服のためであったように思える。

 文中に「良寛に惹(ひ)かれて十五年、すなわち再発をおそれて過ごしたそれだけの期間」というような文言がふと吐息のように洩(も)れ出ているためばかりではない。冒頭部分に「死の際(きわ)まで死を思わないで生きることは人間の生き方のもっとも健全なものにちがいない。」とある一行に、私はかえって著者の死の自覚の深さをみる。

 そして、この評論の中心主題が「時間」であることに、あるいは彼岸の救済を排した上での時間と永遠の問題であることに、端的に、著者の主要動機がよみとれるように思える。

 叙述の流れがあるモチーフにさしかかると転調し、にわかに急迫する例は、評論では珍しくないが、本書にもそのような屈折点がある。それは「時間」である。

 「道元は時間を憎んでいるかに見える。」と書かれた「透脱道元」の中の一行からあと、著者は急速に一つの関心に向かって自己集中し、われを忘れる勢いである。

 そこまでの叙述は道元の単なる解読である。ていねいな解説といってもいい。ところが屈折点からあと、著者の「自分」が出てくる。はっきり表に出てくる。

 「遊戯良寛」でも同じようなことがいえる。手毬(てまり)をついて「一二三四五六七(ひふみよいむな)」と歌う「良寛のそれは文字ではない。時間である。」のあたりからあと、評論の主題は歌論から宇宙論へ転じていく。

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月