『Voice』4月号より

 『Voice』4月号の特集「日本の明日を壊す政治家たち」に「金融カオスへの無知無関心」という評論を発表しました。その冒頭部分を以下に掲げます。本題の始まる前段の部分です。

金融カオスへの無知無関心

 米中経済の荒波に日本は飲み込まれる!

 アメリカのサブプライムローン問題に端を発する金融不安が、急成長している中国経済にこれから先どういう作用を及ぼすのか、われわれは今息をこらして見守っている。アメリカに宿る金融資本は中国に移動し新しい繁栄の季節を迎えるのか、それとも中国から奪うものだけ奪って立ち去り、例えばインドやブラジルに居を移すのか、あるいはまた今度という今度に限ってアメリカの受けた打撃は致命的で、噂されるようにドルは基軸通貨の地位を失い、その結果中国経済も対米輸出不振から立ち行かなくなり、米中同時倒壊という新しい世紀の幕を切って落とすのか。否、そうはさせまいとする現状維持の力が強くはたらき、中東の石油輸出国、EU諸国、そして日本もドル防衛に協力し――現にそうしている――、当分の間、「米中経済同盟」はなんとか無事に守られていくのだろうか。

 いずれにせよ、十年以上の時間尺で起こるであろうドラマを想定して言っているのだが、その際われわれが心しておきたいのは、今世界で産業の力を持っているのは日本だけだという静かな確信を失ってはならないことである。見るところ日本には政治的な存在感がない。それが唯一の問題である。

 国際舞台で働く代表的日本人にだけ責任がある話ではない。一般の日本人の世界を眺める日常の眼に問題がある。一つはアメリカ、もう一つは中国という観点にとらわれて、そこで止まり、両方を同時に見ない。中国は怪しい国だということは十分に分っていてもそれ以上がなく、だからやっぱりアメリカと仲良くしよう、となるか、またアメリカは力尽きて終わりらしいからこれからは中国の言うことを聞くようにしよう、靖国に行くのは止めよう、となるか、どっちかなのだ。

 自分というものがない。今世界はものすごい勢いで動いているのに日本は何のコミットもできないでいる。ほとんど馬鹿にされている。そう見えるが、しかし国内に混乱はなく、安定している。有力国の中で日本がいちばん力がある証拠である。なぜそこから世界を見ないのか。第二次大戦の戦勝国の言うがままに振り回されることをもう止めよう。アメリカでなければ中国、中国でなければアメリカ、と一方に心が傾くのはイデオロギーにとらわれている証拠である。

 イデオロギーにとらわれるというのは、自分の好む一つの小さな現実を見て、他のすべての現実を見ることを忘れてしまうことを言う。一つの小さな現実で救われてしまうことを言う。反米も反中も、それで満足し安心したいための心の装置なのだ。

 これから日本人が自分を守り自分を主張するためには、ときに自分の気に入らない不快な現実をも認めること、複雑で厄介な選択肢を丁寧に選り分けてそのつど合理的に決断すること、ここを突破口に歩を進めていかない限りわが国に未来はないだろう。

追悼 萩野貞樹先生

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 萩野貞樹先生が亡くなりました。

 2月24日午前3時59分、逝去されました。享年68歳。近親者で葬儀をすませ、初七日が過ぎたので、奥様より西尾に電話で知らせがありました。

 西尾に会いたいと仰せだった由です。私も迂闊でしたが、なぜか恐くて電話ができないでいました。奥様は私に知らせようと思ったが、先生の痛みが年末から甚だしく、痛みと痛みの間の穏やかな時間帯に来てもらおうとタイミングを図っていたがうまくいかなかったとのことです。私も慙愧の念に耐えません。

 萩野先生は前立腺癌が骨に転移し、多発性骨転移といって、転移が骨全部に及び、一寸した圧力で骨折も起こり、骨折の痛みも加わって、一月末頃から想像を絶する苦痛の日々を過ごされた由です。病院中のあらゆる鎮痛剤を大量投与され、それでもやゝ穏やかになる程度だったそうです。

 萩野先生は11月の坦々塾のご講話が外部でなさった最後の仕事で、「いい思い出になった」と喜んでおられたそうです。2月23日5時少し前、「明日は坦々塾だね」との対話を奥様と話されていたとか、それからほどなく昏睡状態になられました。そして未明にご他界になりました。

 11月のご講話は楽しそうでした。ユーモアもあり、余裕も感じられました。それでも背をよじって後ろ向きで字を書くのが少し辛そうに見えました。後で聞けば、やはりあの姿勢は痛みを伴っていたのです。

 私は若いときからの知己ではありませんでしたが、先生は過去10年において最も信頼の出来る友人であり、歴史と言語について正論を語って聞かせて下さるありがたい仲間でした。

 この2、3年めざましいご活躍をなさいました。神話や日本語の問題(旧字・旧かな・敬語など)について、次々と出版を重ね、本格的な研究を開始され、実が結ばれつつありました。

 私は個人的には古典や言語論で分からない問題にぶつかると相談しました。心強い助っ人でした。僧契沖の短い一文の意味が分からなくてお教えいたゞいたのも昨年の今ごろです。

 皇室典範改悪反対に関しては、女系天皇反対でめざましいお働きでした。男系ならどんな人でもいいのだ、とやゝ過激な言をつい口から漏らしたのも、あの穏和な萩野先生でしたからほゝ笑ましくもありました。

 心の優しい、しかし頑固なところのある、礼儀正しい、寡黙で男らしい人でした。まだまだ仕事の出来るご年齢ですので残念でなりません。

 こう書いていて時間が少し経つにつれて、私はあゝもうあの人と昔のように言葉を交わせないのか、もう万葉集のことや字音仮名遣いのことなどを遠慮なく質問できないのか、と思うと、突然、言いようもない哀しみと切なさに襲われました。

 奥様はお電話口で最後に、もう会えないと思うと悲しいのですが、もうあの苦しみの極の痛ましい姿を見ないでいられるかと思うとホッとしてもいます、と仰っていました。このお言葉に萩野貞樹氏の最後の壮絶なる戦いの姿を瞼に浮かべずにはいられません。

 本当に今となっては何と申し上げてよいか分かりません。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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坦々塾報告(第八回)

 伊藤悠可
坦々塾会員 記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講

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 坦々塾(第八回)が二月二十四日に開かれました。この日は朝から春嵐が吹き荒れ、首都圏の多くの鉄道が運休するほどの強風で、会場にたどりつけない遠方の方々もおられました。二カ月に一度お目にかかる機会を失い、残念です。

 渡辺望さんが前回、坦々塾の由来を詳しく書いて下さいました。今回は、実質的にはことし最初の坦々塾のご報告を申し上げます。

 思いがけない季節風の到来で、この日の予定は変更を余儀なくされました。前半前段に予定していた西尾先生の「徂來の『論語』解釈は抜群」(第三回)はお休みし、約一時間半、サブプライム問題に端を発するアメリカの金融不安と中国、日本の運命について、同先生の講義をいただき自由討議を行いました。このテーマは、『Voice』四月号の[特集 日本の明日を壊す政治家たち]のなかで『金融カオスへの無知無関心』と題する論文で詳しく書かれ、まもなく本質的な課題を世に問われます。

 後半二時間は、宮脇淳子先生が「モンゴル帝国から満州帝国へ」という壮大なテーマで講義下さいました。宮脇先生は『最後の遊牧帝国――ジューンガル部の興亡』『モンゴルの歴史』『中央ユーラシアの世界』などを著された方で、従来の東洋史の枠組みを越えて中央ユーラシアの視点に立った遊牧民の歴史と、総合的な中国史研究で知られています。

 西尾先生の講義は、私たちに新たな課題を投げかけられました。私たちが有している日常の糟粕的知識のかたまりをここで捨て去って、もう一度、世界を日本を凝視してみなさい、という意味での新しい課題です。むしろ態度と言って良いかもしれません。

 西尾先生が最近、「金融は軍事以上に軍事ですよ」と口にされているのを私たちは知っています。政治、外交、軍事、教育、その他先生の視野はどこにでも及びますが、先生は経済という漠然とした対象ではなく、いわゆる企業経済人が商売の範囲で語っている経済・市場各分野の部品的知識の集合ではなく、現代の金融というものを論じられました。私には「国家の生殺与奪を握る金融」という重大な意味で迫ってきました。

 米国に端を発した「サブプライムローン問題」があります。それが世界に金融不安の波紋を広げていることは、私のように新聞的常識しか持たない人間でも関心が及びます。けれど、こうした問題に深く潜んでいる真実の像をとらえようとはしません。サブプライム以降に生じているさまざまな世界の変化には、当世のエコノミストが相変わらずその場しのぎの安心・不安両面からの批評や観測をしています。日本は上から下まで無定見を自ら許して気にかけることはないように見えます。

 米国の危機は本当なのか、ドルの基軸通貨の地位は存続するのか転落するのか、〈デカップリング理論〉なるもので中国は安定を続けるのか、バブル崩壊は間近なのか、そもそも米国という国が仕掛け動かしているのか、それともいわゆる国際金融資本という存在が後ろから揺り動かしているのか……。これらについても単眼的な一つの常識的技術の按配でみることはできないし、予見もまたむずかしい。

 しかし、複雑でむずかしい現実に対して、私たちはどのような見方をしているのかというと、日頃私たちが批判しているテレビ画面のエコノミストたちの世界把握とさして違わない。

 私自身も、サププライム禍は欧州を襲ってひどいことになっているが、日本は偶然手を出していなかったから助かっているという記事を読んで、どこかで安堵していたり、また中国のような国の繁栄を決して歓迎しないが、中国経済が一瞬に崩壊すると、アメリカの足腰はもう立てないだろうから、日本はさらに困るというふうに連想ゲームのように心配してみたりしている自分に気がつきます。つまり、米国が駄目なら中国がある、中国が駄目なら米国があるという大変無責任で甘い観測をしていることになります。

 先生は、それがダメだと言います。どうして世界を現実を堂々と見つめないのかと言うのです。金融や経済に限りません、われわれは好きな一つの現実を取って、現実そのものを見ないという誤りをしている。それを指摘されました。

 先生は八十年代に立ち寄られた英国で、英国人が抱く勤労感や立身のすえの自己理想像から、この国の〈金融優位〉というべき生き方を看破する体験を話されました。産業革命の発祥地の人々が、実は非産業資本主義を骨の髄から嗜好し標榜していることを私は初めて知りました。驚きです。驚きと同時に、わかったつもりでいる常識的見地がどれほど当てにならないものかと考えさせられます。

 毒ギョーザ事件から私たちはスーパーでまじめに商品を選択します。けれど、その他のことはたいがい無防備無定見になりがちです。過去に遡って原因を疑ってみることもしません。不愉快な事を回避、忘れたいという傾向が働くのです。知的にも勇気のない態度だから、「日本はこんなふうにさせられてしまったのか」と地団駄踏んでいる。私も地団駄ばかりです。

 日本人は貿易立国だと胸を張っていましたが、今では所得収支が貿易収支を上回ってこの国はファンド化への道を皆で歩いています。これは言い換えると「ものづくり」は「ファッド」に勝てないということでしょうか。構造改革というのは先生によると、日本人の人体の強制的解剖にも似た暴虐な行為なのですが、なぜか詐術的手術で冒された患者のほうがアメリカに協力し、もっと真剣にやろうと掛け声をかけています。

 日本を内部から壊してこれまでと違う日本をつくろうと米国が動き出したのは八〇年代に遡る。抵抗するどころか率先してそれに協力し、その後、日本と日本人がどうなるのかについて一瞥もしなかった政治家がいたという地点から、すでに日本の自己喪失が始まっていたということに気づかされます。

 「金融は軍事以上に軍事」というからにはそこに国家が生きていけるかどうかという生殺の岐路がかかっているということです。世界がとっくに戦略兵器とみなしている。この金融と経済を論じなければいけないと先生は諭されます。私たちは習慣的に「それは経済の問題だから」と言いながらそれはその領域の問題として取り扱っています。以前にも先生は「経済を正面から論じられない知識人が多すぎる」と嘆かれたことがありました。

 一つの好きな現実を見て現実そのものを見ない態度。それでは戦えないということである。講義のなかで幾度か「われわれ自身の眼に問題がある」と先生が指摘されたことは極めて重要なこととしてわれわれ自身が受け止めなければなりません。

 金融は軍事、それは軍事以上の軍事。一度、身震いしてみることが大切な言葉であるとさえ思っています。

 帰って翌日、私はこんな昔の記事が自宅の書棚にあったのを思い出しました。昭和四十七年の文藝春秋十月号「中華民国断腸の記」で紹介されている蒋経国(当時、中華民国行政院院長)の発言です。

 「共産党はコトバをわれわれとまったく違った解釈で使います。わたしたちには戦争、平和、協力、対話、文化交流、相互訪問、親善、そういったコトバがいろいろありますが、かれらの解釈は、戦争は戦争である。平和も戦争である。対話も戦争である。友好訪問、これも戦争で親善もまたしかり、これを総称して、わたしたちは『統戦』と呼んでいます。目的は一つ。すべてはいろいろな策略、方式をもって自由国家に入り込み、浸透、転覆、社会体制をひっくりかえし、経済を攪乱し、最終的にその国を赤化するという唯一の目的からきているのです」

 この文中の「赤化」というところを今、「支配」「操縦」「隷属化」と変えてみれば、今でも全然、文章が色褪せているとは感じられません。「その国」というのを「日本」に置き換えて見ると、そのまま自然に当てはまってしまう。米国は、中共ではないが、ほとんどこの「コトバの解釈」は同じであろう。日本だけは「戦争」以外は全部「平和」もしくは「平和のため」と言ってきました。おそらく「金融も平和である」と考えてきたのです。

 

 後半は「モンゴル帝国から満州帝国へ」と題して宮脇淳子先生からお話をいただきました。

 壮大でスケールの大きい視野でモンゴル論を展開されました。「世界史はモンゴル帝国から始まった」という題名がそれを示唆していると思います。刺激的で新鮮で、場面転換の速いスペクタクルを見せられているようなお話でした。想像力を駆使しました。

 私自身、高校までの世界史の雑知識しかありません。今でも内陸の貧しく広い国、朝昇龍の国といった一般のイメージを脱しません。モンゴル帝国が東の中国世界と西の地中海世界を結ぶ「草原の道」を支配することによって、ユーラシア大陸を一つにした。そこまではわかりますが、歴史的にはモンゴル帝国を〈親〉とし、その〈子孫たち〉が中国やロシア、トルコなどであると説かれたので驚きました。先生が作成された継承図をつぶさに見て納得がいきます。

 冒頭から高校生以前の知識で素朴な疑問を発したくなりました。それを次々と説明のなかで氷解させてくださったので大変面白い。遊牧各部族には系図がない。チンギス・ハーン一族だけが大事であって、それ以前はない(無視されている)ということになっている。十三世紀以前は、旧世界とされているそうです。確かにユーラシアの国々はチンギス・ハーン一家と呼ぼうと思えば呼べるわけです。先生が仰った「チンギス統原理」という一族の男系だけが皇帝になれるという掟が働いています。

 欧州の考え方は「世界は移転する」「興亡がある」というものだが、中国はよく言われるように「天命」が支配し、「皇帝は天命が決める」ものです。先生はこうも言われます。「マルクスは内在的要因から世界は変化を起こす」と言ったが、ユーラシアの視点では「外からの刺激によって世界は変化した」というべきだと。

 遊牧民に土地所有の観念がない。大草原があって常に移動する。坪当たりの地価など思いつくはずもありません。財産は家畜と人間。私は途中で、どのように戦争をしかけ征服し続けられたのか、というまた素朴な問いが起こりました。ふつう戦争で勝利しても次には統治という永続的課題に悩まされるからです。しかし、ここでもモンゴル帝国の大雑把に見えて、実に有効な決めごとがありました。君主は掠奪品(戦勝品)の公平な分配を実施すること、部族内の紛争処理能力を持っていることが求められる。

 ところで、彼らはなぜ強いのでしょうか。征服をしたその土地の部族を支配下に置く。彼らは次の戦争でその部族を率いて戦う。フビライが発令した日本征伐、蒙古襲来のいわゆる「元寇」のときも征東軍には満洲生まれの高麗人が多く含まれていたと『世界史のなかの満洲帝国』で説いておられます。私はもとへ戻って、なぜ戦争が上手なのかということに興味を持ちました。ヨーロッパまで押し込んで勝った「遊牧民の兵法」といった研究があるのでしょうか。個人的興味です。

 先生によると、彼らにとって戦争は「儲け仕事」であります。「勤務」として理解すると、彼らの強さも磨かれるだろうという想像が成り立ちます。また遊牧民は自然、天候を他の誰よりも掌握し、活用する知識や勘を持っていたのかもしれません。

 掠奪した品を山分けする。また戦後はきっちりと取り分の税金を徴収する。統治と交易面では、幹線道路の一定距離ごとに「駅站」を置き、ハーンの旅行為替(牌子)を持たせて「駅伝制」を敷いたというお話でした。また、征服しても宗教に対して優劣をつけず、平等に扱っていたということも、なるほどという気がする。集団への内政干渉から生まれる新しい葛藤を引き起こさないで済みますから。

 モンゴル帝国がユーラシア大陸を席巻し、陸上貿易の利権を独占してしまいましたが、その外側に取り残された日本人と西ヨーロッパ人だけが活路を求めて海上貿易に進出したとされます。スペイン、ポルトガル、イギリスなどが侵されなかった海洋帝国とみると、世界はモンゴル帝国を指し、そのほかに例外の国があっただけになります。日本は例外の国で、世界と関係がなかったというところに、当時の思いを馳せてしまいます。

 元朝の中国支配、北元と明朝について触れられ(講義時間の都合もあり)、最後に日本人とって密接な「満洲」についての基礎的講義がありました。満洲はもともと地名ではないということ(「洲」の字のサンズイに着目)、清の太祖に諡号を贈られたヌルハチが、女直を統一した際に「マンジュ・グルン」と名付け、彼の息子ホンタイジが女直(ジャシェン)とい種族名を禁止し「マンジュ」(満洲)と解明したのがはじまりだと教えてくださいました。

 満洲(マンジュ)は文殊菩薩の原語「マンジュシェリ」から来ているというのを聞いたことがありますがそれは誤りだそうです。歴史の上では、転訛というものとは関係なく、風聞が固まるという意味での発明もあるという一例かもしれません。

 満洲という地名は高橋景保がつくった地図(1809~1810)にはじめて登場し、これがヨーロッパに伝わり「マンチュリア」になったと言います。日清日露の背景を語られ、辛亥革命から清朝崩壊、ロシア革命と中国のナショナリズム誕生から満州事変、満洲国建国、そして満洲帝国の成立までを説かれましたが、「満洲」だけでも別に集中講義を所望したいほどのボリウムでした。私自身、歴史の基礎的な素地を欠く〈生徒〉であり、基礎勉強を怠ってお話を受けるのは申し訳ないことである、と率直に感じ入りました。

 宮脇淳子先生は著作『世界史のなかの満洲帝国』のはしがきでこう書いておられます。

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宮脇 淳子

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 「歴史学は、政治学や国際関係論とは違う。歴史は、個人や国家のある行動が、道徳的に正義だったか、それとも罪悪だったかを判断する場ではない。また、それがある目的にとって都合がよかったか、それとも都合が悪かったかを判断する場でもない」。眼睛に清涼を覚えさせられる言葉だと思います。

文:伊藤悠可

お知らせ

テレビ出演

 2月20日(水)夜8:00~9:30
 文化チャンネル桜 報道ワイド日本
 対談相手 水島 総(西尾のゲストコーナーは8:30ごろから)

テレビ出演

 3月1日(土)夜9:00~9:55
 東京MXテレビ(地上波デジタル9チャンネル)
 花田紀凱のザ・インタビュー

 再放送 3月27日(日)夜8:00~8:55
      (日時を訂正しました)

報告文

 「隠されていたGHQの野蛮な焚書」
 西村幸祐責任編集『撃論ムック』
 拉致と侵略の真実(オークラ出版)に所収。
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評論

 『Voice』4月号
 「特集 日本の明日を壊す政治家たち」のうち、拙論
 金融カオスへの無知無関心(30枚)

「日録」再開のお知らせ

 「西尾幹二のインターネット日録」は永い間休止宣言をしたまゝでしたが、すでに事実上、継続されています。ここではっきりこれからの掲示の原則を再確認し、再開を宣言したいと思います。

(一) 私が他で発表した文章を掲げて私の意見を表明することは行う積りですが、直接新しい意見をここで述べることは控える。

(二) コメント欄はさし当り停止する。

(三) ゲストエッセイの名で信頼する友人たちの文章を必要に応じ掲示する。

(四) 主に私の言論活動のプログラムを告示する。また、参加した各会合の内容報告も可能な限り行なう。

(五) 新しい試みとして、「単行本に未収録の私の仕事」と題して、評論・解説・書評・インタビュー・対談等の過去の作品を次々と掲示する。

 以上の通りに進めていきたいと思います。

文:西尾幹二

生存と繁栄への資本主義転換のロードマップ

足立誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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  ――MFICとサブプライム問題の教訓

<ある日本人が西半球で投じた一石>

 その青年は銀行から語学研修生としてラテンアメリカのある街に派遣されていた。
 街の物売りと親しくなりその家に招待されることになった。

 質素だが心のこもった夕食と楽しい会話のひとときが過ぎ、辞去する時間になった。その時、その家の小さな子供が青年に話しかけてきた。「お兄ちゃん今度はいつきてくれるの?」「お兄ちゃんが来てくれたので今晩お母さんが半年振りにお肉の料理を作ってくれました」と。肉料理らしいものが出てきた記憶はない。ふと思い出したのは、スープの中にそれらしい小さな破片が浮かんでいたことであった。このときのことは青年の心に刻まれ、その後も消えることはなかった。

 青年はその後、四半世紀の銀行員生活を国内勤務を挟みラテンアメリカ諸国、そして米国で過ごした。

 2003年、彼、栃迫篤昌氏はワシントン駐在員事務所長を最後にその銀行を辞した。同年、彼は米国で働くラテンアメリカからの移民のための金融機関、Micro Finance International Corporation (MFIC)を設立した。

 米国にはラテンアメリカからの移民5千万人が働いており、彼等の母国の家族への送金額は年間合計で530億ドルに達している。ところがそこには多くの問題が内包されていた。その一つは、一般の金融機関が課している送金手数料が送金額に比して著しく高いものになっていることである。それは彼等移民の送金一件当たりの送金額の12~16%に及んでいた。

 それよりもっと深刻な問題があった。それは5千万人の移民のうち3千万人が銀行口座を持たない(持たせてもらえない)”unbanked”の人々であったことである。日本人にはピンとこないが、小切手社会、カード社会の北米で銀行口座を持たないことは致命的である。ホテルのチェックインもカードなしにはままならないのである。”unbanked”の移民は受けとった賃金の小切手を現金に換えるために手数料を取られてしまう。”unbanked”の移民が働いて得た賃金200ドルを故国の家族に送金するとなると、賃金小切手の現金化手数料に20ドル程度の送金手数料が差し引かれ、国で家族が送金を受け取る際にまた手数料が取られる。

 それやこれやで、当初の200ドルが家族の手に渡るときには130ドルになってしまう。実に70ドルが失われてしまうのである。

 MFICは、この移民にとってはとうてい納得できない情況を是正することをビジネスの中心に据えていた。そこには彼、栃迫氏の長年の経験から、真面目に働き、定期的にきちんと郷里送金する人々は信用出来るという理論をベースとしていたのである。彼等移民はMFICの顧客になることで、小切手現金化の必要もそれに伴う手数料支払いも不要になった。

 送金についても情報通信技術の進歩を活用したコスト削減により、1件当たりの手数料を一律9ドルとし、150ドル以下の送金については一律6ドルとした。こうしたことで移民の送金手数料負担の軽減を実現させた。MFICの移民顧客の多くは定期的にきちんと郷里送金する人々であり、それは貴重な情報として蓄積される。

 こうした情報をベースにMFICは、愈々こうした顧客に対するローン即ちマイクロファイナンスを開始した。

 従来彼等移民が借りることの出来る先は高利貸しくらいしかなく、その高金利は彼等の生活を圧迫し、貧困からの脱出の障害となっていたから、MFICによるマイクロファイナンスの実施は大きな恩典となった。真面目に働き、きちんと故国の家族に定期的に送金する。そしてきちんとマイクロファイナンスの利払いと返済を履行する。そうした一連のビヘイビアは,顧客である移民の経済的な向上のみならず社会的信用の向上につながる。こうしたことは、ラテンアメリカからの移民の個人のintegrity(誠実さ) 規範意識を育み、ラテンアメリカ移民の米国社会における社会的経済的な地位の向上につながることになろう。

 こうしたことを考えれば、MFICは貧困からの脱出の道を提供していることになるのではないだろうか。

 MFICは更にラテンアメリカの国々においても地元の金融機関とタイアップしてマイクロファイナンスを開始している。MFICの顧客となった移民達からは、「初めて人間らしい扱いをうけた」と言う声が上っているという。

 MFICの活動は注目され始めており、ビジネスウイークが採り上げた他、米政府機関OPICが4百万ドルのクレジットの提供を決め、オランダの政府開発機関FMOも総額4百万ドルの投融資を2007年12月に実施している。近代、現代の最大の問題の一つは貧困の解消であろう。革命は解消策の答えにはならなかった。先進国や国際機関からの援助も十分満足すべき成果は得られていない。

 そんな中MFICのうごきは瞠目すべきものがあろう。

 マズローの法則から考えると、MFICは単に最低限の生理的欲求を満たさせているだけではなく、より高次元の自己実現を満たすロードマップを提供している点が、目先の生理的欲求の解消に力を入れがちな援助とは異なるのではないか。そして、ラテンアメリカの移民のため「経世済民」に寄与する一方、市場メカニズムによる資源の最適分配機能を十分生かし、利益を確保し事業を存続発展させようとしているからではないだろうか。

 勿論この事業を推進している栃迫氏を、その仲間が自己実現の動機として燃えていることは言うまでもない。

<サブライム問題の本質>

 MFICが米国でラテンアメリカ移民のための事業を展開していた同じ時期、米金融界は、サブプライム・ローン債券を作り大量に販売していた。それはやがて米国と世界に災厄をもたらすことになる。

 サブプライム問題が内包するものは、以前に起きたエンロン、ワールドコム事件の持つものよりも遥かに深刻である。両事件は共に企業による虚偽の財務内容開示により投資家、市場に損害を与えた事件であるが、当局は直ちに規制強化を行い再発防止策をとっている。

 これに対してサブプライム問題での様相は全く異なる。

 サブプライム・ローンは、低所得者層向けの住宅ローンで、当初2年間だけ金利条件、返済条件を緩めたローンである。その条件緩和経過後の金利、返済条件は借入人の所得では賄えないのもである。ただ当該ローンの担保価値に余裕がある場合には「追い貸し」で表面的には利払い、返済が行なわれる形を取る。あくまで不動産価格が上昇することを前提にしているローンで不健全なローンである。即ち借入人の収入で利払い返済が成り立たないこの様なローンは、会計原則からも当局の銀行検査査定でも正常債権とは認められない性格の筈のものである。投資銀行(investment bank)や銀行など米金融機関はこのようなローンを証券化し大量に投資家に売りさばいていたのである。

 これは不動産価格上昇のストップによるデフォルトのリスクを常に内包するマルチ商品にも類似した点のある商品なのであり、「ババ抜き」ゲームの性格を有する。実際に破綻が起き、先物で大量に売り予約を結んでいたGoldmansachsは膨大な利益を受け、一方多くの投資家、金融機関(日本の金融機関も含まれる)は損失を蒙った。又この証券を組み込んだ金融商品など派生商品の規模は不明である。

 投資家、金融機関は大きな打撃をうけている。しかし最大の被害者は、このローンを借りた低所得者層ではなかったのか。

 一時的な豊かさを享受した後、債務不履行(デフォルト)により彼等の生活はローン借り入れ前よりも苦しい生活を余儀なくさせる。デフォルトは彼等の信用を失墜させ経済的にもならず、社会的な面でも打撃を与えよう。それは米国社会の基盤を弱体化させることにつながるだろう。

 このように、債権化の対象となるローン自体に不正常さを内包し、経世済民にも反する商品を米金融界が生み出し、大量販売し、米国のみならず世界の経済を揺るがしている。この様な商品が、会計制度、銀行監査制度、連邦準備制度理事会、連邦政府、議会で問題になることなく大量販売されてきたことは極めて深刻である。

 サブプライムローン債券を生みだした米金融界の発想はMFICの理念と対極にある。市場原理逸れに基づくボーダレス経済は米国においても無制限に許容されているわけではない。2005年中国石油会社CNOOCは米国の石油会社UNOCALの買収にのりだした。これに対して米議会は反対の決議を行い、買収は断念されたのである。外国企業の米国内投資、米企業買収に係わる審査委員会CFIUSについても米国の国益の観点から審査の厳格化へ向けての動きが強まっている。

 本来サブプライム・ローン債券は、経世済民、公序良俗の観点から規制されたとしてもおかしくなかったのである。

<生存と繁栄へのローフォマップ>

 サブプライム問題が衝撃を与えた理由の一つは、この様な性格の商品が金融界で考案され販売されたことにある。

 洋の東西を問わず、金融機関は融資の基本を、公共性、安全性、収益性に置いてきた。公序良俗は総てに優先するものであった。米金融界はその対極にまで来てしまっていたのである。

 Max Weberは近代資本主義の担い手である経営者の精神を神への信仰、奉仕に求めた。日本の近代化の担い手であった企業家達にも同様なものが窺えた。企業家だけではなく、一般庶民の大層も、職業、生業を金だけではなく、「世のため人のため、国家・社会のため」であるとの思いがあった筈である。
 
 この企業の社会的責任、使命感という点が失われつつあるのは日本も同様である。企業の不祥事が社員の内部告発で明らかにされる。従業員が企業、経営者を告発することには公序良俗の観念が従業員に保たれ経営からは失われていることを示している。そこには次の様な背景があろう。

 資本と経営の分離、資本の経営に対する優越が大きく進んだ今日、企業と経営者の評価は収益のみで計られる。株主は絶対であるのであるから。かつての日本企業は、株式持合い、銀行による株式保有による安定株主にすることで株主の関与を排除してきた。それが、グローバルスタンダーンダードの掛け声で持ち合いや銀行の株式保有が解消され、資本の絶対優位が確立し、企業、経営の評価は収益だけが基準となった。その面でもグローバル化したのである。

 後述の通り日本では個人が株式投資を敬遠することもあり、株式投資の6割以上が外国人になることになる。このことを含め、資本市場の高度化で、機関投資家、各種ファンド、投資顧問業などの当事者は益々増加し、資本市場、経済の共通言語は企業の収益のみになり、企業経営から国益、公共性、公序良俗は失われる危険が高まったことは否めまい。

 更にここへ来て重要な問題が生じつつある。

 市場原理は資源の最適配分には最も有効な機能を有する。だが、それは前に述べた通り「一定条件の下で」と言う前提があり、市場原理以上に重視されなければならない要素つまり問題があることが明らかになりつつある。

 それはCO2問題に代表される地球環境問題である。

 米議会の諮問機関USCC(米、中国経済安全保障レビュー委員会)の2006年2月開催公聴会で中国のエネルギー効率は米国の1/3、日本の1/10であると証言されている。日本や米国が市場原理に則り、自国製品の購入を中国製品にシフトしてきたことは、CO2、環境の面で地球環境をそれ以前に比べ格段に悪化させていることにもなる。輸送に要するエネルギーを加えると逸れは更に悪化していることになる。市場原理のみに任せておくことはもうできなくなりつつあり、卑近な例では近郊で栽培される野菜と海外で大量生産される野菜は価格だけが決め手とはならないのである。

 自動車の排気ガス規制が各国で導入されているが、地球的規模で産業に於けるCO2の排出規制は喫緊の課題である。

 ヨーロッパでは、商品の表示に価格以外に店頭にもたらされるまでの消費されたCO2消費量を表示するようになってきているとのことである。市場メカニズムに総てを委ねる経済では人類は滅亡しかねない。この様な時代、現代としてこの環境問題をどう克服していけるか、ごく限られた身近なテーマからアプローチしてみたい。
 
 日本人は預貯金志向が強くリスクへの大きい株式投資は好まないとされるが、本当にそれだけなのだろうか。

 前述の栃迫氏がMFICの設立に当たり最大の難関となったものは、金融機関設立の要件を満足させるだけの資本金を集めることであったことは間違いなかろう。栃迫氏はこの事業が収益だけではなく、ラテンアメリカの移民のための、「世のため」の事業であることを説明し、且つ収益計画を持ってプロスぺクタスとし、各方面に説明したのである。かくして多くの日本人は出資によりこの事業に参加する意思を示し、資本金は予定通り集まったのである。

 これは、彼等が金だけではなく「世のため」になると言う明確な事業を支援することで、自己実現を図れるからであろう。栃迫氏は、その後も株主に対して、事業の展開と収益状況、将来の展望・計画を定期的に報告し説明し、コミュニケーションの徹底を期している。

 株式投資や金融資産での運用は「儲け」だけを目的とする意味しか持たない今日、仕事を金だけではない「世のため」であるべきという気持ちを抱く一般の日本人がこれらを敬遠してもおかしくはないであろう。

 上述のごとくCO2問題に集約される、環境・エネルギー問題は、人類存亡に係わる問題である。そのためには資源分配を市場メカニズムのみに頼ることは出来なくなった。またそれと同様に、環境・エネルギー問題のために産業、インフラ、生活様式などあらゆるところで抜本的な転換が求められるようになった。要する資金も膨大なものとなり、株式などエクィティー(自己資本)ファイナンスによるものが求められるとともに市場原理だけに依存していては上手くいかない状況になった。これからは人々が儲けだけではなく、「世のため人のため」「地球のため、後世のため」に出資することで事業に参加し、自己実現を図る事のできるロードマップを提供されなければなるまい。

 今日日本を覆う「閉塞感」は、利益だけで自己実現の場が失われていることに起因するのである。

 産業界、金融・証券界、そして政府の向かうべき方向は明らかであろう。そこに日本再生の鍵が存在している。

文:足立誠之

坦々塾・新年の会

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渡辺 望 35歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

  この日録でも幾度か紹介されていますが、西尾先生を囲む坦々塾という研究会が年に4回のペースで営まれています。

 西尾先生が参加されていた「九段下会議」が解散した後、最後まで会議に残ったメンバーの中で、西尾先生の周囲で志を同じくする13人の有志が、これからも先生を囲み勉強研究を続けたいと希望しこの坦々塾は結成されました。その後、西尾先生とその有志の努力によって会は大きく拡大し、私のような者も、その末端に加えていただくことができました。現在、メンバーは50人を数えるに至っています。

 休日の午後の早い時間に集まり、まず西尾先生の講義、そしてその後、外部から講師の先生をお呼びして講義していただき、それをもとにして討議を重ね、いったん散会したのち懇親会に移行して夜遅くまで談論風発する。これが、坦々塾の会の毎回の基本的なスケージュールです。
 
 1月12日の坦々塾の会は、当初、新年会のみをおこなう予定でした。しかし新年会のみをおこなうというのはいかがなものか、新年会の前に勉強・討論の時間を入れようということになりました。西尾先生以外の講師を坦々塾の中から選んで、諸氏が取り組んでいる問題について報告・そしてその報告に基づいて坦々塾の皆さんで討議するということになりました。

 当初は40人以上の参加が見込まれていましたが、予定変更などで残念ながら参加できない方もあり、参加者は35名ということになりました。  

 一言で言うと坦々塾は「混成部隊」と言っていいように私は思います。19世紀のイギリスの思想家J・S・ミルを評して「・・・J・S・ミルという人は何々学者と呼ぶのが困難な人であった・・・」という加藤尚武の言葉があり、私は加藤のこの言葉がとても好きなのですが、坦々塾という「混成部隊」 について考えるとき、いつも加藤のミル評を私は思い起こします。

 加藤の言わんとするところは、各分野に旺盛な関心をもちそれらを凌駕していたミルにとって、「専門」というものはついになかった、自分の好奇心と世界とのかかわりだけがあり、ミルはそのかかわりを一般化する能力に生涯長けていた、ということなのでしょう。坦々塾には、原子力問題の最先端の専門家がいらっしゃるかと思うと、金融問題の専門家も多数いる、あるいは、政治党派集会について緻密に調査していらっしゃる行動家、私のように西尾先生の哲学書や文芸評論を敬愛していることがきっかけで参加させていただいている人間もいます。

 びっくりするのは、これだけ違う各分野の人物が、討論会や懇親会で全く違和感なく話しあうことができて、充足感と次回への会の期待感をもって、いつも必ずその日を終えることができる。皆さんが自分の専門について、一般化して語る言葉の術をもたれていること、そして相手の専門に対して好奇心と敬意を絶やさないこと、それを失わないことによって、坦々塾という「混成部隊」は、不思議なまとまりをもって、国内でも稀にみるマルチな「総合部隊」になっていく実力を醸成しつつあるように思えます。

 もちろん、坦々塾がカバーする知識のこうした幅の広さは、西尾先生の知性の幅の広さに基づいてデザインされているものだ、といえるでしょう。西尾先生とミルをだぶらせるのは西尾先生にとって不本意かもしれませんが、実質が似ているという意味ではなく、「何々学者」という言葉でおさまりきらないような、いろんな分野をすばやくしっかりと渡り歩いているという加藤のミルへの形容は、西尾先生の思想のスタイルへの形容として相応しく、また坦々塾全体のこれからの可能性を形容するにも相応しい形容でもあると私は思うのです。

 さて、1月12日の坦々塾の新年の勉強会は西尾先生の、「徂徠の『論語』解釈は抜群」という坦々塾の会で毎回連続している講義から始まりました。その後、坦々塾 のメンバーの方々の「反日左翼勢力の動向」「ディーリングルームの世界」「エネルギー危機と日本の原発」の各テーマについて発表討論がおこなわれました。

 西尾先生の徂徠の解釈論は、坦々塾の会で毎回内容的に連続しているもので、また言うまでもなく「江戸のダイナミズム」の最重要のテーマの一つでもあります。儒学の文献を解釈することは中国の社会構造を理解することと、あまりにも密接不可分であって、従来の日本の大半の儒学の文献学者はこのことを見落としており、そしてそのことが、日本の中国へのあらゆる誤解を誘引していったということを西尾先生は徂徠以外の学者と徂徠のさまざまな対比の中で指摘されます。

 毒にも薬にもならないような儒学解釈を展開してきた数々の解釈者と、本物の解釈、すなわち中国社会の想像もつかないような構造を見極めた徂 徠の解釈を比較される西尾先生のお話は毎回ユーモアにも富んでいて、伝統的解釈と徂徠の斬新な解釈の比較に、講義の最中、和やかな笑いの雰囲気が絶えません。徂徠の「論語」解釈は本当に,私達の意表をつきながら,いつのまにか中国社会の真実に私達を連れていってくれる、刺激の連続なのです。坦々塾の皆さん は先生の講義を楽しまれながら、現実の中国の表層を批判することはもちろん大切だけれども、その表層の下の深淵を見据えること、現実への「批判」を確かな 「全体的批評」としていってほしい、という先生のメッセージをしっかりと感じられているように思われます。

 講義の本旨からはややずれてしまうことかもしれませんが、徂徠を語る上でよく叩き台にされる伊藤仁斎について語りながら、西尾先生が仁斎と山本七平をなぞらえて、両者がビジネス文明に追随した形でしか孔子の文献を解釈していない、存在論が欠如している、つまり浅い、ときっぱりとおっしゃるあたり、たいへん面白いと私は思いました。司馬遼太郎や山崎正和に対しても西尾先生は批判的ですが、要するに、ビジネス文明に受けがよい形で、儒学に対してにせよ歴史に対してにせよ、薄められたことしか語らない思想家を先生は概して非常に嫌われているのだなあ、と妙に納得する思いを感じました。

 「反日左翼勢力の動向」についての報告討論に参加しながら私は「左翼とは何であるか?」ということについて改めて思いを張り巡らさざるをえませんでした。 たとえばかつて江藤淳は「ユダの季節」という論文で、「左翼とは何であるか?」という問いについて、「徒党」と「私語」という言葉を使い、人格論から「左翼とは何であるか?」を説明しましたが、私はその「ユダの季節」の「左翼」の基準をその日の報告討議を通じて改めて考えました。

 何でもかんでもかまわないので、日本という国を否定するテーマを選び「徒党」を組む。そして「徒党」の中でもちあげあい、かつ相互検閲して、彼らの中だけしか通用しない「私語」を語り合う。やがてその「徒党」と「私語」を国民的に拡大しようとする陰謀ならぬ陽謀をたくらむ。江藤はキリストを裏切ったユダがこの「徒党」と「私語」のロジックによる人格論としての「左翼」だったといいます。江藤の論旨に疑問もないわけではありませんが、「左翼」は実は「人格」の問題である、という指摘は現在の日本の現状からすればかなりの正当性をもっているのではないでしょうか。

 この国には、江藤が「ユダ」と喩えた左翼は依然驚くほどの数、形を変えて延命しているようです。なぜ延命できるのかといえば、結びつくはずのないテーマを「私語」でお互いを結んで、「徒党」を組むがゆえに、なのです。たとえば、本当は矛盾した論理関係にあるはずの「護憲」と「反皇室」の主張に、同じ人物が多数集うというような醜悪な現象が続いています。

 次は「ディーリングルームの世界」と題された金融についての抽象性と流動性に富んだ金融の世界というものについて、一般には理解しにくいことを、なるべくわかりやすく噛み砕いて説明してくださる報告でした。私のような金融の素人にも理解しやすいものであったのはありがたい説明でした。

 「資本主義」というものを、金融という面から考える思考法に私達はなかなか慣れていません。歴史なり時間なり国家なり、いわば「安定した」概念を使い考えがちです。
  しかしたとえば、「何でもお見通しの相場のプロ」というものは古今東西絶対に一人もいない、そういう人間がいるという思考法自体を、相場の世界を知らない証拠だ、という報告説明は、私のような金融の素人の頭脳にビシリと矢を射込むものでした。金融相場の事情を左右する諸要素はあまりにも多岐に渡り、しかもその影響がどう動くかは経験則からも不明としかいいようがない。歴史や政治を語るようには金融を語れない根本がここらあたりにある、といえましょう。そういう「何でもお見通しのプロ」がいるとすれば、戦争や天災その他、人間社会に起こりうるあらゆるリスクまで見通す神のような人間がいる、と想定しなければならないのでしょう。政治の天才がいるようには金融の天才はいないのに、私達はつい金融の世界に独自の論理があることに気づかないでいろいろな失敗をしてしまいます。

 金融面からみた資本主義というものはそういうものでありつつ、しかし、アメリカのヒビだらけのドル体制がアメリカの軍事力によってかろうじて担保されているにすぎない、それは明日にでも急激な崩壊を来たすものなのかもしれない、というような生々しい政治的現実にも関係している、ということが この日の報告と討議で実によく認識されました。

 ・・・この新年会から数日後、アメリカの株値崩壊が起きましたが、報告討議を思い出して、不思議なほどにあわてる気持ちなく、事態を冷静に考えることができらのも、この日の報告討議に拠るものが大きかったといえるでしょう。  

 「エネルギー危機と日本の原発」での日本のエネルギー問題の報告は、悲観面と楽観面の双方からの緻密に指摘に始まり、日本のこれからにおける原子力エネルギー供給増大の不可避を熱心に説かれました。私に関して言えば、今まで意外に曖昧であった原発問題への姿勢が、この日の報告討論で、完全に肯定派に定まるほどの説得力を、この報告から感じるほどでした。

 エネルギー価格の変動が私達の生活全般にかかわっていること、食料自給率も実のところはエネルギー自給率から大きく影響を受けざるをえないことは、最近の原油価格の変化が思いもかけない食料品の価格に影響を与えていることからしてあまりにも明白というべきです。食料自給率に関しての観念的・農本主義的な議論でなく、エネルギー自給率に関しての実質的な議論をこれからの日本人は厳しくしていかなけばならないのでしょう。

 報告では、原油の残存埋蔵量や産出量のデータにさまざまな誤謬やカラクリがあること、そしてそれに代替する原子力エネルギーというものがどういうものであって、また原子力の安全性を「安全」の意味をわかりやすく説明することによって論証されていました。

 論証の中で、日本のエネルギー問題への意識は呆れるほど低い、しかし日本の原子力エネルギーの技術は突出するほど優秀である、という奇妙な二面性への苛立ちが幾度もあらわれ、私は実にしっかりと共有できたように思えます。そしてこの奇妙な二面性は何処となく日本人らしいという匂いも私はふと感 じました。現状への認識対応の全国民的鈍感さと、その現状にありながら世界的に突出した技術力をもてあましているという二面性は、日本が幾度も直面してきたことであるのでしょう。あるいは「もてあまさせられている」のかもしれませんが。

 苛立ちが共有できたのは、切迫している現実(原油価格)とあまりにも近接している問題であったせいもあるでしょう。ただ、多くの貴重な資料を丁寧に説明されたせいもあり、時間が不足してしまい、幾つかの説明を省かざるをえませんでした。報告検討はこれからも続きます。 

 儒学思想の受容の在り方、左翼政治集会の現状、金融市場の問題、そしてエネルギー自給率の問題と、新年早々、いかにも「混成部隊」の坦々塾ら しい幅の広い、しかし日本という国のこれからを模索する上で、どこかでしっかりとつながっている幾つかのテーマが語られて、少なくとも私には、たいへん刺激的な時間でした。

 報告者の講演を終えた後、会は懇親会に移行しました。先輩諸氏は酒杯を傾けながら、新年会の勉強の成果、今年のこれからの日本の展望、各々の抱負などを遅い時間まで楽しく過ごされていました。懇親会の時間もあわせて、私にとって新年早々、忘れられない一日となりました。

文:渡辺 望

ご案内

「真実を見つめる都民の会」では、「偽装大国日本」と銘打った「パネル展」」を開催します。
期間は1月31日から2月2日までの3日間です。
場所は地下鉄後楽園駅前、文京シビックセンター一階、展示室2・アートサロンです。

「つくる会東京支部」ホームページに案内チラシが掲示されています。

さらに2月2日(土曜)にビデオや映画を観ながら歴史問題の争点を研究します。 

ご関心のある方はぜひご参加ください。参加費無料です。
会場は、文京シビックセンター地下1階 学習室です。

プログラム① 東京裁判に関するビデオを題材とします。 
前編(いわゆる「A級戦犯」の尋問調書から)  10:00-11:15
後編(パール判事の問いかけたもの)      11:15-12:10

プログラム② いわゆるB級戦犯・岡田資中将の法戦(題材:新作映画『明日への遺言』)                   12:15-14:05

なお同じ会場で15:00から、西尾幹二先生による「特別講演」が開かれます。
講演 『「GHQ焚書図書の開封」刊行をめぐって』
~日本人はなぜこんな大事な文献を放棄してきたのだろう~

こちらは入場整理券を発行しますので、お早めにお申し出ください。
整理券発行場所は、1月31日から開催される「パネル展」会場の受付です。

連絡先 090-2410-2431(小野)

文:真実を見つめる都民の会

月刊誌『自由』2月号

jiyuhyousi.jpg 月刊誌『自由』2月号(1月8日発売)に、石原萠記、加瀬英明、藤岡信勝、西尾幹二の「新春座談『自由』50年の歩み――安保闘争から歴史教科書問題まで――」が掲載されました。

 その後半で「新しい歴史教科書をつくる会」の現下の問題点が整理され、明解に語られています。最重要の指摘は、安倍前首相が介入して3億円がフジテレビから一種の「だまし」で八木一派の手に渡ったいきさつを屋山太郎氏が証言している、との藤岡氏の告知です。座談会の最大のポイントです。以下は藤岡氏のその部分の発言内容です。

 フジテレビが三億円出すに至ったのは、屋山氏によれば、次のような経過だそうです。

 年が明けてからだと思うのですけれど、屋山氏が安倍総理に電話して、「扶桑社が教科書をやめるということになった。これは大変困る。何とかしてくれないか」と頼んだ。安倍総理から、「誰に言えばいいのか、誰がポイントなのか」と聞かれたので、「それはフジサンケイグループ会長の日枝さんだ」と答えた。それで、安倍総理が、日枝さんに働きかけた。

 屋山氏が安倍総理に電話して一夜明けた翌日には返事が来て、日枝さんが三億円出すことになった。扶桑社の子会社として育鵬社というのをつくって、すぐに社名が決まったかどうかは分かりませんが、それで出すという話が決まった。そういうことを私は屋山さんから直接聞きました。

 安倍さんは、「つくる会」の教科書を念頭において、扶桑社がもう採算が合わないからという口実で出さないというふうに理解していたはずです。安倍さんは自民党若手の教科書議連の中心メンバーでしたし、安倍内閣時代に「つくる会」の教科書がなくなるという事態を危惧して動かれたのだと思います。

 しかし、八木・屋山グループは、安倍首相の善意を利用して、『新しい歴史教科書』はそもそも「つくる会」の教科書ではなく、扶桑社の教科書だということにして、そもそも「つくる会」を弾き出して、八木さんたちのグループに教科書をやらせるというふうに話をすり替えたのです。安倍さんの意向はそうではなくて、「つくる会」の教科書を出し続けるために影響力を行使したと思います。そのことは安倍さんに近い政治家の方からも確かめている。ところが扶桑社は教科書の書名を変える、執筆者も替えると言う。代表執筆者の私はクビです。編集方針を変える。支援組織をつくる。「つくる会」は解散して、個々のメンバーは仲間に入れてやる。こんなことを「つくる会」がのめるはずがありません。

 次に以下の二つの引用で、つくる会問題の本質の指摘とそれに対する西尾のスタンスが余すところなく語られていると信じます。

 この問題の最大の被害者は、私ではなく、藤岡さんなんですよ。藤岡さんの人格を侮辱するビラがまかれたわけですから。いや、侮辱するレベルではなく、藤岡さんの社会的立場をなくそうとしたのですから。公安調査庁情報というものを遣って、他人の存在を脅かすことは犯罪ではないのですか。証拠は八木さん自身が言論雑誌に書き残しているんです。警察だの公安だのの名を用いて、他人を蹴落とすことが許されるのなら、われわれ小市民は穏やかに生活することが出来なくなります。そしてつくる会が、要するに乗っ取りの対象になった。しばらく私は見ていて、横で見ていただけですけれど、これはおかしいと。絶対におかしいと気が付いた。藤岡さんとつくる会を守らなければいけないと。

 最大の被害者は藤岡さんとつくる会で、私は見ていられなかった。つまりあまりにも明白な不正が行われた。正義に反すること、素朴な意味での正義に反することが行われているということを私は友人たちにも申し上げています。それで再生機構に名前を貸すのをやめた人が何人もいます。正義の問題だ、単純な正義の問題だと何人もの人が気付きました。

 以下は藤岡さんご自身が自分の口からは言いにくいことでしょうから、私が代弁します。藤岡さんは八木秀次氏を名誉棄損で民事提訴しているだけでなく、11月初旬に「偽計による業務妨害罪」で、八木秀次、宮崎正治(元つくる会事務局長)、渡辺浩(産経新聞記者)、「ミッドナイト・蘭」こと中村世志也の四名を東京地方検察庁に刑事告訴しました。東京地検は正式受理した模様です。「藤岡信勝先生の名誉を守る会」も既につくられ、つくる会は理事会だけでなく、約5000人の会員がこの裁判の行方を見守っています。

 私の手許に有志が集まって作成したと聞く東京地検への「嘆願書」が送られて来ています。これは私が関与した文章ではありませんが、よく書けているので、その要点を紹介することで、「問題の核心」をお話ししたいと思います。

 藤岡氏が平成13年まで共産党員であったという公安調査庁情報と称するものを、八木氏は『諸君!』や『SAPIO』で「公安調査庁の知人に確認した」と記述しています。東京地検はその「知人」なる人物の実在の有無を明らかにする義務があると思います。「嘆願書」はまずそのように訴えています。

 次に、その「知人」なる人物の氏名、所属部署、身分を明らかにすべきです。また八木氏の言うように公安調査庁に「知人」がいれば、他人の情報を得ることは可能なのか。普通には可能ではないはずです。ならば、それを可能にした八木氏の特権、氏の同庁との関係は何なのかを説明して欲しいと述べています。

 以上が事実であった場合、現時点では氏名不詳の「知人」には、当然ながら刑事責任が発生するのではないか。何故なら、公安内部の「知人」が公安という国家機密機関の情報、しかも非公開の個人情報を、八木氏という特定の人物に公刊雑誌に複数流布させることを可能にしたからであります。

 以上にあげた諸点は「知人」の実在を前提とします。もし「知人」が実在の人物ではなく、八木氏による創作・ニセ情報であった場合には、八木氏の刑事責任が発生するのは如何せん防止しがたいのではないか、と問うております。

 関係者によると、この「嘆願書」は既に約100人の署名がなされ、東京地検に送られているそうです。署名は今後増えるでしょう。

 よく考えて欲しいのですが、平成13年、すなわち最初の教科書採択の年まで、藤岡氏は保守派の隠れ蓑をまとった「隠れ共産党員」であったと、公安の権威を使って言い立て、藤岡氏をつくる会から失脚させようとしたのですから、卑劣この上もない行為です。八木氏が藤岡氏のいる理事会などで「平成13年まであなたは共産党員ではなかったか」と堂々と声を上げ、公開討論をするのなら、それは少しも卑しいことではありません。

 私が残念なのは、今の世の中が、公安利用などということに敏感でなくなり、仲間を公安に売ることが不正の極みだということさえ分らない人々が、保守言論界の名だたる名士たちの中に少なくないほどに、世の中の道徳観が麻痺していることです。

 私が憤りを覚えているのはひたすらその一点です。それがこの問題に対する私のスタンスの最大の部分です。

 以上のほかに、つくる会のテーマに限っても14ページにわたってさまざまな観点が詳しく討議されていますし、『世界』と対決した『自由』の1960年代以来の長い歴史も追跡されています。まさに戦後史の欠かせないドラマです。

 『自由』は簡単に入手できない地域もあるかもしれません。

 『自由』誌本号の入手及びご購読のお申し込みは、お近くの書店または、自由社(電話:03-5976-6201/FAX:03-5976-6202)までお申し込み下さいますようお願いいたします。

文・西尾幹二

平成20年 謹賀新年

謹 賀 新 年

水のかき消える滝

 七十歳を過ぎると、さすがもう時間は刻々と迫っているのだと、厭でも考えざるを得ない。しかし、日頃なにかと考え思い付くことは、仕事の上の新しい計画なのである。

 昨年と同じように今年に期待している、私という人間の鈍感さである。なにも悟っていない愚かさでもある。

 いつ急変が身を襲うかもしれないことに薄々気がついているのに、気がつかない振りをしている自分にたのもしささえ感じている。

 死の淵に臨む大病を二度しているので、あのときの感覚は分っているつもりだが、忘れるのも早いし、日々思い出すこともない。本当は分っていないのであろう。

 上田三四二という歌人がいた。何度もガンに襲われて逝った。私は彼の書いた私小説が好きで、好意的に論評し、文通もあり、死後彼の文庫本の解説も書いた。

 上田の小説は病院とそれをとり巻く環境、たえず自分の死を見つめる心の弱さや自分への激励を書いていた。やさしい心の人で、文章も柔かく、しみじみとした味わいがあった。

 彼の書いた比喩で、死は滝壷の手前でフッと水が消えてしまう滝を橋の上から見下ろしているようなものだ、という言い方があった。

 記憶で書いているので正確ではないかもしれないが、人間が生きているということは水量が多い川の流れである。それが滝になってどっと落ちる。落ちた水は滝壷に激流となってぶつかり、飛沫をあげるのが普通だが、この場合には落ちる途中でいっさいの水がいっぺんに消えてしまう場面を想定している。

 大量の奔流が落下の途中でフッとかき消え、その先はもう何もない。上田さんは、来世とか霊魂の不滅とかを信じることができないと言っていた。大抵の日本人はそうである。

 宗教の教えは来世を期待することと同じではない。むしろ期待しない心を鍛えることにある。

 彼は小説の中でつねに自分の死のテーマにこだわっていた。こだわり過ぎているとさえ思うことが多かった。あるとき、死を平生考えない人間がむしろ正常なのだ、という彼の感想があった。それはかえって彼における死の意識の深さを感じさせた。

 私は上田さん宛の手紙で、病いの中にあるときの私はあなたの作品に共感し、分ったようなつもりになっているが、本当は何も分っていないのかもしれない。私はあなたが知っての通りどちらかといえば「社会的自我」で生きているタイプの人間で、かりに不治の病に仆れても、結局は今までの自分を変えることはできず、あなたから見て軽薄な、表面的な「社会的自我」で活動する人間であることを死ぬまで守りつづけ、追いつづけるほかない人間であろう、という意味のことを、いくらか自嘲気味に書いた覚えがある。

 苦悩する聖者を前にした浅間しい凡夫のような立場に立って、私は彼の作品を読み、論評し、かつ私的にも交流した。

 私は本当には死の自覚を持っていない人間に違いない。

 一度だけこんなことがあった。

 都心から深夜高速に乗ってタクシーで一路自宅へ急いでいたときだった。点滅する前方の光の乱射がどういう心理作用を及ぼしたのか分らない。私は自分の意識が突然消えてなくなるということがどういうことか分らないのに、それが一瞬分るような、なにかがくんと身体が揺さぶられるような、眩暈のような感覚にとらわれた。私はしばらく息を呑む思いがした。

 自分の意識が消えてなくなる?これはどういうことだ?

 自分がなにか違う次元の相へスリップインしたような、ついぞ体験をしたことのない異様な恐怖が私を襲った。

 うまく言葉でいえないが、それはたしかに恐ろしかった。私は目をつぶってやり過した。

 上田さんの、滝壷の手前でフッとかき消えてしまう不思議な滝の光景がしきりに思い合わされた。

 タクシーは間もなく高井戸から環状八号線に入り、いつも見ている馴染みの商店街を目にするにつれ、私は自分を取り戻した。私は携帯を取り出して、もうすぐ帰るよ、と自宅へ電話した。

 あっという間の出来事だった。

(『礎』第2号からの転載)

文・西尾幹二