「日本外国特派員協会での意見陳述」の反響

 この問題は日本の国内では論争修了で、片がついているのに、世界にきちんと発信がなされていない。中韓には何を言ってもダメだが、アメリカやヨーロッパに日本の主張が届いていないのはひとえに外務省の責任である。官僚の卑屈と怠惰が政治の危機を招いている。

 われわれ言論人は無力であることを思い知らされてきた。日本人有志がアメリカの新聞に意見広告を出すような試みはなされてきたが、かえって無力感をきわだたせた。安倍首相もアメリカに威嚇されて腰がひけている。

 私のこの小さな発言が反撃の発火点になってほしい、という思いが私だけでなく、昨日からネット言論のあちこちに見出される。ブログ「株式日記と経済展望」の反響がその点で一番明確だったので転載させていたゞく。

 質疑応答を含めて私の発言の全文は『WiLL』6月号に出る予定である。

 慰安婦問題での私の論戦参加は1997年のことで、ザイドラーの本をとり上げて『諸君!』(同年1月号)に「慰安婦問題の国際的不公平――ドイツの傲岸、日本の脳天気」を書いた。単行本『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)に収めらている。

従軍慰安婦問題は、「株式日記」でも何度も書いてきましたが、日本政府は韓国や中国に反論する事よりも「謝罪と反省」を繰り返すことで問題をこじらせて来ました。80年代から90年代はネットも普及しておらず新聞テレビラジオなどでしか広報機関が無く、韓国や中国のプロパガンダに対する反論は一部の雑誌でしか対抗手段が無かった。

それらの保守系に雑誌の反論も、一般的には「右翼の戯言」や「歴史修正主義者」のレッテルを貼られて葬り去られて来た。政界でも歴史問題発言で何人もの大臣が「暴言を吐いた」と言う事で辞職に追い込まれた。最近では麻生内閣でさえ田母神航空幕僚長の歴史観の論文が問題にされて辞職させられた。自民党にはこのような歴史がある。

しかし2000年以降のネットの普及による一般市民による言論活動が盛んになるにつれて、中国や韓国から発せられる「プロパガンダの嘘」が次々と暴かれるようになり、左翼やリベラル勢力は言論活動で完敗している。今や国内の論争の主力戦線は親米派対保守派の論争であり、従軍慰安婦問題は国会などの予算委員会での議論でも決着は既に付いている。

しかしながら「河野談話」などの見直しにはアメリカ当局も神経を尖らせているようですが、2007年のアメリカ下院議会の対日批判決議は「河野談話」が一つの決め手になってしまった。第一次安倍総理も戦後レジームからの脱却はアメリカの不信感を買うことになり、従軍慰安婦問題でも「河野談話」の扱いにはっきりとした態度を示していない。

このように政治家が歴史問題で孤立してしまうのは、日本のマスコミや歴史学界からの援護射撃が無いからであり、ましてや英語などによる世界的な広報活動は外務省などもほとんどやってこなかった。最近における韓国の従軍慰安婦などのプロパガンダはアメリカ国内に広められており、西尾幹二氏が外人記者クラブで述べているように、「今年に入ってニューヨーク州議会上院、ニュージャージー州議会下院において同様の議決を行ったことは、許しがたい誹謗で、憂慮に耐えません。」と指摘している。

「株式日記」のアクセスログによれば、アメリカなどからのアクセスも数百件もあるので、英語通訳の説明もあるのでアメリカ地方議会関係者にもユーチューブの動画を紹介して欲しいと思います。「株式日記」も英語で発信出来ればいいのですが、最近ではフェイスブックやツイッターなどに紹介されて世界からコメントが寄せられるようになりました。一部の日記が英語に翻訳されて紹介されているのだろう。

西尾幹二氏の外人記者クラブでの論説は、従軍慰安婦問題がアメリカ地方議会に次々と対日批判決議が出されている事であり、日本国内での意見が一向にアメリカに届いていない事が日米関係をおかしくする原因になるのではないかと憂慮している。ニューヨークタイムズやロサンゼルスタイムズのようなリベラル新聞に抗議しても相手にはされませんが、ユーチューブで動画配信されたものを見てもらえれば、韓国の団体が言いふらしている「従軍慰安婦」が、いかにデタラメであるかが証明されるだろう。

外人記者クラブにおける欧米系記者たちの反応もおとなしいものであり、ニューヨークタイムズ紙のオオニシ記者はいたのだろうか? 特に興味があるのはナチスドイツ軍における「従軍慰安婦」問題であり、西欧には売春施設があったからドイツ軍はそれを利用したが、東欧諸国には売春施設が無く一般の女性を駆り集めて「従軍慰安婦」にした。しかしそれが問題にならなかったのももっと大きな犯罪行為が行なわれていたからだ。

軍隊における健康管理は重要な課題ですが、軍の兵士が性病にかかれば戦力の低下になる。第一次大戦ではドイツ軍の200万人の兵士が性病にかかり戦力の低下につながった。だから売春宿などで管理されたものとなり、性病検査で兵士への蔓延を防ぐ事は軍の重要課題であり、軍の駐屯地の傍には売春宿があるのが普通だった。

日本においても米軍兵士への慰安設備が整備されましたが、その慰安婦が20万人だった事は偶然なのだろうか? 米軍から区長などに慰安施設を要求されて慰安所が作られましたが、米軍兵士の性病の蔓延を防ぐにはこの方法しかないのだろう。西尾氏はこの例を挙げて日本軍の慰安婦問題が罰せられるのなら、米軍も同じように罰せられなければならないことを指摘している。

欧米人記者からの質問は、歯切れの悪いものとなり、西尾氏のように十分な論拠を持って反論すれば「いわゆる従軍慰安婦問題」は、日韓の外交問題になる事はなかったのでしょうが、「謝罪と賠償」利権を持つ一部の議員によって「河野談話」が発表されて、それが政府公認とされてしまった。韓国や中国では一度認めるとそれを根拠にさらに要求を吊り上げてくる。日本政府は政治決着のつもりで発表したのに、韓国政府は約束を守らず「河野談話」を根拠にアメリカ議会に働きかけている。

韓国人や中国人が約束を守る国民ならとっくに近代国家になっているはずですが、日常のビジネスでも韓国や中国では法律や契約や約束は守られない。北朝鮮問題でも援助と引き換えに核開発やミサイル開発を止めさせても北朝鮮は直ぐにそれを破って開発を続ける。韓国や中国の軍隊に規律も同じようなものであり、韓国軍はベトナムに参戦して、ベトナム人女性を暴行して数万人の私生児が生まれている。

株式日記と経済展望のTORAさんの意見

西尾さんとてもよかったです。外人記者はシーンとなっちったなーここまで説明しても日本悪玉論を信じてる外人さんは納得しないだ¬ろうけど、日本の意見・立場はある程度、理解されと思う。シナチョンの捏造宣伝戦に負けないためにも日本からの海外発信は¬今後も重要だ。国も動いて欲しいわ・・・

西尾氏のステートメントは、戦後史に残る歴史的陳述である。アメリカの欺瞞に満ちた態度を、戦後初めて、世界に、明晰に摘出¬した。欧米マスコミの反応が見ものである。恐らく、無視し、あるいは捏造キャンペーンを強化するであろう。¬後は、政府レベルで、命がけでこのステートメントを繰り返し発信¬する必要がある。

>貴方がたの父や兄が(日本で)何をしていたかを知り、恥を知れ¬¬!西尾先生よく言って下さいました。日本人は日本を取り戻すためにもう踏み出し始めた、ということを¬¬よくよく自覚して、このような発信をして下さる人々をしっかり¬と¬支えねばならない。声をあげて政府も動かして行かないとだめだ。何回も何回も意見を送ろう。

Dr Nisio is right.A comfort women is nothing more than a prostitute. The political propaganda of South Korea

三月の私の仕事

 『正論』で長篇連載を始めます。『WiLL』で巻頭論文を出します。

 『正論』は今年創刊40周年を迎えるそうで、その記念事業がいろいろ行われるようですが、そのひとつとして私の長篇も位置づけられています。長篇という以上相当長いことになりそうで、約束は一応2年半、30回となり、1回が約30枚ですから計900枚が予定されています。

 全集刊行と並行します。果してやれるのかどうか。どちらも終ったとき私が80歳を越えていることは間違いなく、天が私に二つの事業の完結の機会を与えてくれるでしょうか。天命を祈ります。

 この達成の第一回目は5月号で、「戦争史観の転換――日本はどのように『侵略』されたのか――」の「第1章 そも、アメリカとは何者か?」の①です。第1章は①~④が予定されています。

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 『WiLL』5月号の巻頭は山折哲雄氏の話題の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」(「新潮45」3月号)に対し、私の考え方をきちんと述べたものです。戦後民主主義を肯定評価する山折氏の「人間天皇宣言」に関する認識の間違い、皇室の危機の本来の理由を書かずに「退位」論のみを唐突に語るこの論文の不可解さを存分に批判したうえで、問題の本質を再論しました。題して「皇太子殿下の無垢なる魂を守れ」です。

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「アメリカ観の新しい展開」(六)

 「アメリカ型正義で歴史が非人間的に」(西尾)
「戦争ではなく『警察行動』」(福井)

福井  『天皇と原爆』五十三ページですが、「私は先にアメリカは膨張国家だと言いました。しかしその膨張の仕方はロシアともイギリスとも中国とも異なります。アメリカは先ほど言った通り本当は膨張する必要がないのに、建国の理念、宗教的に自らを『正義』の民とするイデオロギーのために膨張せざるを得なくなっているのではないかとの疑念に襲われることがあります。いちばん厄介な膨張国家です」と書かれています。これは、先ほど紹介したトゥーヴェソンの『救済する国家』の内容と一致しています。アメリカが世界を救済するという宗教的信条が、アメリカの対外政策の背景に一貫してあるということです。

西尾 正義を売りものにする。

福井 そうです。リンカーンは南北戦争時、そう考えていた。逆に、だからこそ残虐になれる。大変立派なことをしていると信じているので、手段を選ばない。

西尾 南北戦争のリンカーンの正義の理念が、その後の世界の戦争の形態を残酷にしました。第一次世界大戦が終わったときに、「戦争犯罪」「戦争責任」という概念が初めて出てきて、ドイツ皇帝だったヴィルヘルム二世の訴追が言われ、彼はオランダに亡命せざるを得なかった。

 それでもアメリカは、何百人ものドイツ人を戦争責任者として摘発して裁判をすると言い出した。イギリスもフランスも大喜びで同調しましたが、ドイツは拒否します。それでもしつこく米英仏が言うので疑似裁判をしたけれども、結局、ドイツは証拠なしということですべて拒否します。これは筋の通った態度でした。  当時のドイツは、戦争はお互いの正義のぶつかり合いで、力の勝った者が領土を取ったり、賠償金を取ったりすることで解決しているのであって、道義的な正義の観念を持ち出すのは間違いだと言って拒否しました。まことに立派だった。

 ところが、それが、その後も繰り返される。アメリカは第二次大戦に参戦する前の一九四一年八月には、早くもそういう計画を立てている。大西洋憲章です。今度の戦争では二度目の戦争犯罪国ドイツを徹底的に法の名の下に、普遍的な人類の名において裁くと約束する。それが終戦後のニュルンベルク裁判として実現するわけですが、日本は関係ないのに側杖を食って東京裁判をやられた。そして正義と悪の対立関係を持ち込まれて裁かれ、それが日本悪玉史観として今もなお日本を縛っている。敗北者を法の名の下に裁くという発想は、リンカーンから始まっているんですよ。リンカーンの時代には、敗軍の将、敗れた南軍の南部連合国大統領デーヴィスに足かせをつけて、残酷な見せしめまでした。

福井 戦争ではなくて、「警察行動」だったんですね。お巡りさんと犯罪者。  

西尾 その発想はどこから来たのか、ということです。

福井 「自分たちが正しい」という宗教的信念に基づいているということを、『救済する国家』は半世紀近くも前に言っているわけです。決して西尾先生の極論ではありません。

西尾 その「犯罪者」に対する処罰は、どんどん、残酷になっています。大統領デーヴィスが足かせをつけられ、ヒトラーに対しては、そこにいるのが分かっている壕を爆撃せずに自決するのを待った。まだそれは、相手を認めているということでしょう。

 ところが、イラク戦争では、隠れていたフセインを穴の中から引きずり出す模様をテレビで流し、罵声を浴びせながら絞首刑にした。それもテレビで公開された。相手のトップに対する処遇は、だんだん非人間的になってくるんです。カダフィ大佐にいたっては、見つかった現場で射殺された。少年が撃ったということになっているけれども、歴史がアメリカ型の正義の名の下で非常に非人間的になってきていると感じますね。

『正論』12月号より 了

(プロフィール)  西尾幹二氏 昭和10(1935)年、東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。第10回正論大賞受賞。著書に『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)、『国民の歴史』(扶桑社)、『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)、『GHQ焚書図書開封1~7』(徳間書店)。『西尾幹二全集』を国書刊行会より刊行中(第5回「ニーチェ」まで配本)。11月初旬に『第二次尖閣戦争』(祥伝社、共著)を発売予定。

 福井義高氏 昭和37年(1962年)京都生まれ。東京大学法学部卒業。カーネギー・メロン大学Ph・D。日本国有鉄道、東日本旅客鉄道株式会社、東北大学大学院経済学研究科助教授を経て、平成20年より青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。専門は会計制度・情報の経済分析。著書に『鉄道は生き残れるか』『会計測定の再評価』(中央経済社)『中国がうまくいくはずがない30の理由』(徳間書店)、訳書にウィリアム・トリプレット著『悪の連結』(扶桑社)。

「アメリカ観の新しい展開」(五)

「英米は常に対立していた」(福井)
「英に変わってスペインにとどめを刺した」(西尾)

福井 『天皇と原爆』でこう書かれています。「アメリカはイギリスから独立したのですから、『兄弟国家』ではあります。しかし独立戦争で激しく衝突しイギリスを痛めつけていましたので『敵対国家』でもあります。イギリスは大英帝国といわれたくらいですからその力は強大でした。そのイギリスを少しずつ押さえ込み、倒さない限り、アメリカは大をなす時代は来ません。二十世紀史の最も重要なモチーフだったと考えられます。ペリーの来航もイギリスとの競争を考えてのことだったと思います」(四二〜四三ページ)

 要は、アメリカとイギリスは敵対していたということですね。日本では保守派の間でも、英米をセットで考えている人がいますが、実はそれは違う。英米は常に対立していたし、アメリカは最終的にイギリスを追い落とそうとしていた。それが分からなければ、第二次世界大戦における、ルーズベルトのチャーチルに対する異常に冷たい態度は理解できないわけですよね。ここは、重要な指摘じゃないかと思いました。

西尾 優しかったはずのアメリカの対日態度が一九〇七年ぐらいから突然、変わって、日本は説明のできないアメリカの変貌、未知の国の国家意志の壁にぶつかる。アメリカの政策がぐるぐる変わって理不尽になり、日本は戸惑ってその真意が分からなくなるという局面を迎えます。

 これは何でしょう。一八九八年の米西戦争でアメリカはスペインを倒しました。何世紀にもわたったスペインとの対立にイギリスはとどめを刺す力がなくて、結局はアメリカがそれを成し遂げた。これが西太平洋からイギリスの艦隊が静かに撤退し始め、覇権がアメリカへ移動していく第一幕になった。そうして、太平洋がスペインの海からアメリカの海になることによって、日米の対立構造が産声を上げます。その後一九〇四~〇六年に日露戦争がある。そして一九〇七年に、日本に対するアメリカの態度が豹変する。この背景にイギリスとアメリカの力関係もあるのではないかと考えています。

「『正義が受けて立つ』スタイル貫く」(福井)
「なぜアメリカのやり方を見抜けなかったか」(西尾)
 

福井 『天皇と原爆』四六ページには、こう書かれています。 「一八九八年二月、キューバのハバナ港に碇泊していたアメリカ戦艦メーン号が爆破され沈没し、二百六十人の乗組員が死亡しました。アメリカはキューバ内戦の鎮圧を口じつにスペインに宣戦布告しました。この沈没事件はアメリカの謀略によるものだという説が燻っています。(真珠湾攻撃もルーズベルトの謀略に乗せられた、という説がそれなりに有力になるのはアメリカ史にこういう背景があるからなんです)」  これについては、当時の標語が「リメンバー・ザ・メーン」だったわけですよね。しかし、今では内部爆発説がほぼ確定しています。つまり、メーン号の爆沈にスペインは関係なかったということです。

西尾 アメリカの自作自演ですか。

福井 アメリカが意図的に爆発させたのか、あるいは偶発的事故で爆発したのか確定されていないと思いますが、とにかく爆発は船の内側から起きていて、スペインが外側から爆発させたということはあり得ないと考えられています。  この「相手に先に手を出させる」というのは、リンカーンの北軍も同じことをしています。南軍が先に手を出さざるを得ないような状況に南部諸州を追い込んだ。アメリカは常に「やむをえず正義が受けて立つ」というスタイルを貫いてきたわけです。  第一次世界大戦でも、一九一五年にイギリス客船のルシタニア号がドイツの「Uボート」に撃沈され、アメリカ人を含め、女性と子供が多数死んだことがその後のアメリカ参戦のきっかけとなりました。実はルシタニア号は事前にイギリス海軍から武力抵抗を命じられており、しかも弾薬を積んでいましたから、撃沈は国際法上、必ずしも違法だったとはいえません。しかし、「敵はひどいやつだから、アメリカは受けて立つ」というプロパガンダを繰り広げた。アメリカは常にそのパターンで戦争を始めていて、日米開戦もその構図にあてはまっている。

西尾 アメリカ通であった山本五十六に、なぜそれが見抜けなかったのか。情けない話ですね。

福井 それと、英米不可分論というのが日本にもあったわけですが、じつは不可分ではなくて可分だったわけです。

西尾 そうです。少なくとも一九三八(昭和十三)年ぐらいまでは可分でしたね。

福井 イギリスやオランダが植民地としている南方の石油を求めるというだけであれば、アメリカを攻める必要はなかったわけですよね。

西尾 そうです。だから、私が研究している思想家の仲小路彰は、日本海軍の末次信正大将と、富岡定俊大佐らとタイアップして海軍をインド洋に動かし、中東で南下してくるドイツ軍と連携して、イギリスを倒して、そしてアメリカのソ連援助をそこで封鎖するという計画を考案していました。そうすれば、ドイツも助かるし、アメリカも日本と戦争をする根拠を失うと考えた。英米は別と見なしていたからです。日本の大本営も考えていた作戦で、作戦名もあった。ところが、突如として真珠湾攻撃を実施する計画になってしまった。このあたりの経緯が分かりませんが、山本五十六の勇み足ではないですか。

福井 アメリカの世論は、イギリスを支援することはよいけれども、参戦には反対するという声が圧倒的で、アメリカから日本に宣戦布告をすることは政治的にはおそらく不可能でした。それがなぜ、日本人には分からなかったのか。

西尾 ハル・ノートを通告されても、その内容をアメリカのマスコミに暴露させる手もあったとよく言われていますよね。

福井 のらりくらりとかわせばよかった。ハル・ノートで日本の撤退を求めた「中国」には満洲が含まれるのかどうか議論して時間稼ぎをするという手もあったはずです。それは日本人の性には合わないということでしょうか。

西尾 できなかったんでしょう。石油の残量を考えて、いま開戦しなければ勝ち目はないと焦ってもいましたね。いずれにせよ、真珠湾攻撃後にアメリカで言われた「リメンバー・パールハーバー」という言葉は、「リメンバー・ザ・メーン」という言葉が以前にあったから、容易に流布したということですね。

福井 そうだと思います。

『正論』12月号より  つづく

「アメリカ観の新しい展開」(四)

「『ワン・ワールド』の理想を信じ切る」(福井)
「きれいごとを言いながら遠隔操作」(西尾)

西尾 この点は大きな考え方の分かれ目になるところでもありますね。いまのお話でも日本人、中国人、フィリピン人をなんら区別せず、虫けらのように考えていたということになりますからね。たしかに東海岸の帝国主義者たち…。

福井 アメリカ帝国主義者です。

西尾 彼らが歴代の大統領でもあり、アメリカの主流を成していて今のネオコンにもつながる人たちですけれども、彼らは、イギリスの植民地主義に対してネガティブだったのではないですか?

福井 ネガティブです。

西尾 アメリカは開国のときからイギリスに対抗心があり、しかしイギリスを模範にもしていて、イギリスつぶしの動機が常にありながら弱い小国の時代にはイギリスの尻尾を追って利益を得ていました。そして最後はイギリスを抱き込むように手を結びますよね。

福井 はい。ただし、あくまでも一時的方便としてです。世界は一つで、世界中にアメリカン・デモクラシーを普及しなければならない、植民地として支配されるような民族があってはいけないということが、彼らの理想なんです。

西尾 そうだ。アメリカが一貫して言う、いわゆる「きれいごと」ですね。一八九九年に国務長官のジョン・ヘイが出した中国に関する「門戸開放・機会均等・領土保全」の三原則、一九一八年にウィルソン大統領が出した十四カ条のヴェルサイユ条項、それから一九四一年のチャーチル=ルーズベルト洋上会談の大西洋憲章と、アメリカは三度にわたって植民地を否定する宣言を世界に出しましたが、これは「きれいごと」に過ぎず、実は秘かなイギリスつぶしの作戦だっただろうという気もしています。

福井 そうです。だからアメリカは基本的に勢力均衡を認めません。1940年の大統領選挙で共和党候補でありながら、現職のルーズベルトとほとんど同じ主張を繰り広げ、大戦中はその特使として活躍したウェンデル・ウィルキーの大ベストセラーの題名が『ワン・ワールド』。アメリカは植民地主義や帝国主義から解放された「ひとつの世界」を実現する使命を帯びているのです。

西尾 要するに、各国が同盟を結んでその相互の均衡で平和を保つという第一次世界大戦までのヨーロッパのやり方を否定して、国際連盟をつくるというのは、自分がその主人公になるという発想でしたからね。世界政府志向ですよね。

福井 そうです。「きれいごと」ではありますが、彼らはそれを信じ切っている。信じ切っているからこそ強いと思うんですね。単なる建前であれば、あれだけの力は出ないでしょう。

西尾 自分の善を信じ切っている。信仰だからです。それだからこそ困る、厄介なんだ。宗教的信条なんです。彼らが、その「きれいごと」を言い続けてこられたのは、まず資源が豊富であり、人口が過剰ではなく、むしろ移民を必要とする国であること。そして下層労働力を国内に抱えているので、過剰な領土の獲得意欲に駆り立てられることもない。だから中国に進出しようとしたときも、中国を割拠しかけていた各国の動きを、むしろ不便だと感じていて、手出しをしないでしばらく様子を見て、それから干渉して中国分割を止めさせようとした。そして、金融支配を通じ丸ごと中国を遠隔操作で支配しようとしたわけです。

 その遠隔操作の手段の一つはドルです。他国に対するドルによる遠隔操作が可能になったのは、実際には第二次大戦後だと思いますが、早い時期にそういう志向性を示していた。ペリーの来航から十九世紀にかけての時代は、暴力的なことをアジア・アフリカ諸国でやっているイギリスの後ろにくっついて、自分は手を汚さず、しかし同じ条約をきっちりと結んで利益だけは得ていた。

 開国期の日本では、それがオルコック(イギリスの駐日総領事・公使)とハリス(アメリカの駐日公使)の対立になって現れます。オルコックはイギリス流で日本に厳しいことをガンガン突きつけたのに対し、ハリスは優しくソフトな物言いで、しかもいかにも日本のためになるようなことばかりを言っていた。

『正論』12月号より  つづく

「アメリカ観の新しい展開」(三)

人種問題は日米開戦の要因か

西尾 今年、『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』(草思社、原題は「人種偏見、日系アメリカ人、アメリカの人種的不寛容のシンボル」)という翻訳本が出されました。カレイ・マックウィリアムスというアメリカ人が、一九四四年に出版した本です。訳者は、最近、アメリカに関する大著を書き続けている渡辺惣樹さんです。

 この本は、一九〇〇年にカリフォルニアと日本との間に戦争が始まり、それが拡大して国家間の戦争になった、人種偏見こそが日米開戦の根本的モチーフであるという主旨で書かれています。おもしろいのは、カリフォルニアにたくさん集まっていたアイルランド系の労働者、アイルランド系移民がイギリスを憎んでいたが故に、日英同盟は彼らには大きな衝撃となり、しかも日本がその同盟関係を利用して日露戦争に勝ったことから、抑えることのできない反日感情がわき起こったという分析の展開です。日英同盟とその後の歴史に対するこの感情は、私見ではオーストラリア人の反日感情の由来とそっくり同じですが、それがカリフォルニアにおける日系移民排斥の悲劇、さらには一九二四年の排日移民法につながったということを同書はつぶさに検証しています。

 当時の日系移民排斥の動きは、一九一〇年代、二〇年代に南部諸州がこぞってカリフォルニアを応援し、司法までが彼らに味方をしたために激しくなった経緯が詳述されています。さらに訳者の渡辺氏は、「まえがき」でこう書いています。「排日移民法は日本が関東大震災(一九二三年九月一日)の惨禍に喘いでいる最中に成立している。それでも日本の政治家は、外交的妥協を通じて軍縮の道を選んだのである。しかし軍部はロンドン軍縮会議の妥協(大型巡洋艦対米比率六割二厘、当初要求七割)が許せなかった。統帥権干犯問題を持ち出して軍部が強硬な姿勢に変容していくのはこの頃である。

 多くの史家が、この時代に日本が誤りを犯したと解釈する。あの暗い昭和の一時期を、あたかも日本という国が、その体内から発生した『遺伝性の癌』に冒された時代であるかのように分析する。統帥権干犯問題は大日本帝国憲法の欠陥に起因するとの分析は、筋のよい歴史解釈となる。しかし、マックウィリアムスが本書で描いている、カリフォルニア州における白人の反日本人の態度と、それに対する日本のリーダーや知識人、そして一般の人々の激しい反発のさまをバランスよく読み解いていけば、そうした史家が描き出す『悪性の癌』は本当に遺伝性だったのだろうかとの疑念が生じる。むしろ、白人種の激しい日本人差別という外部的刺激に起因した『ビールス性の癌』に冒されたのではないかと疑わせる」と。

 つまり、日本では、戦争の原因を国内だけでほじくり返す論争が言論界に蔓延っているけれども、そんな話ではないのではないかという異議を提示しているわけです。カリフォルニアで生起した排日の動きは、日本人にとってはいかんともしがたい話で、しかもカリフォルニアは石油産出「国」で日本のエネルギー資源の生命線を握っていた。

 渡辺氏は、さらにオックスフォード大学のヨルグ・フリードリッヒ博士の分析も紹介しています。日本が満洲事変を引き起こした究極の目標は、自給可能な経済ブロックを作り上げることにあったが、満洲を選んだのは失敗であった。なぜなら食糧や石炭、鉄鉱石などの資源は豊かだったが、石油はなかったからで、かえって当時の圧倒的な石油産出国であるアメリカへの依存度を高めてしまった。そして「日本の行動を容認するわけではないが」と但し書きをしながらも、「石油禁輸を受けた日本には、ボルネオやスマトラの石油を略取する方法しか残されていなかった」としています。

 いずれにしても、すでに戦争中の一九四四年にこういう研究をして著述した人がアメリカの中にいた、というのがおもしろいし、立派だと思います。それはアメリカの懐の広さだけれども、同時に非常に多様な人種がいる国だから、いろいろな考え方があるということですね。

福井 はい。ただ、当時のカリフォルニアでは現実に日系人がいて、現地の白人の労働者との対立は激しかったと思いますが、全般的には、日米戦争を主導した人たちは東部のインターナショナリストであって、「人種差別は良くない」と主張していた人たちなんですね。

西尾 ときのセオドア・ルーズベルト大統領はカリフォルニアの「バカ者」どもを抑えたがっていました。

福井 はい。当時、東部のエスタブリッシュメントの人たちは、じつはかなり反英でもありました。イギリス帝国主義の植民地支配は望ましくないと考えていた。人種的偏見が強いとは言えないと思います。

 アメリカの移民政策は、一九二四年の移民法の改正、いわゆる排日移民法でほぼ骨格が固まりましたが。第一次世界大戦でイギリスに騙されたのだから、アメリカはアメリカだけでいこうという孤立主義の流れが強くあって、むしろ連邦政府、東部エスタブリッシュメントは移民法改正を抑えにかかったんですが、議会が法案を通してしまった。

 ですから、むしろ移民法を通した人たちは、日本と戦争をしたいと思っていなかったのではないか。考えようによっては、日本人と中国人のような野蛮人同士で争っていようが、アメリカは関係ないという発想だってあり得るわけです。

 実は米西戦争のときもまったく同じ議論があって、戦争の結果、アメリカはフィリピンを領有しますが、「そんなことをすれば非文明人を抱えることになるからフィリピンなど要らない」という意見も有力だったのです。ですから、私は人種的偏見と日米戦争は、それほど強い因果関係はないのではないかと考えています。

『正論』12月号より  つづく

「アメリカ観の新しい展開」(二)

「お節介ではた迷惑なアメリカの使命感」(西尾)  

西尾 二〇〇一年の同時多発テロ後には、アメリカに住んでいる中東系の人たちの収容も検討されました。実現する可能性はほとんどなかったでしょうが、これは第二次大戦時の日本人収容と同じ発想であって、日本人収容への反省は何であったのかと疑わせる動きでした。

福井 あの中東系の人たちの収容計画は、このオールド・ライトの系譜を引くパレオコンサバティブの人たちが厳しく批判しました。「ネオコンサバティブは何も歴史から学んでいないのか」と。いまのご発言を聞き、オールド・ライトと先生の発想は非常に近いという気が改めてしますね。もう一つ、西尾先生は『天皇と原爆』で、アメリカを対日独戦へ駆り立てた「宗教的な動機」を強調されています。日本の保守派の間でも「何を言っているの」という反応もあったようですが、これも実はアメリカでは昔から言われていることです。

 代表的な文献は、アーネスト・リー・トゥーヴェソンという宗教思想史家の『リディーマー・ネイション(Redeemer Nation、救済する国家)』です。アメリカの対外政策史は、「リデンプション・オブ・ザ・ワールド(redemption of the world)」、つまり世界を救済するというミッション、使命感に強く支えられてきた歴史であるということが書かれています。この本はシカゴ大学出版局から一九六八年に刊行され、八〇年に「ミッドウェー・リプリント」として再刊されています。古典という評価が定まったということでしょう。トゥーヴェソンは生涯独身で自宅もマイカーも持たない隠遁者のような人生を送る一方、学界で高く評価されていた碩学です。

西尾 詳しく説明していただけますか。

福井 アメリカで支配的な一部プロテスタントの神学は、カトリックなどと違って神の国と地上の国を区別しません。地上で「千年王国を実現する」という強い志向がある。そして、その使命を帯びているのがアメリカであり、アメリカの対外政策は強くその志向に支配されているという内容です。西尾先生が指摘された戦争に対する「宗教的な動機」は、アメリカの学界エスタブリッシュメントの間でも常識の範囲内の議論であるということです。

西尾 日本にとっては、そういうアメリカ人の使命感は、余計なお節介あるいは、はた迷惑だというのが私の感想です。  

福井 『救済する国家』自体は学術書で、価値中立的なスタイルで書かれていますが、オールド・ライトは、そうした使命感は間違いだと強く主張しています。アメリカの保守というのは伝統的には反戦です。よその国のことは基本的にどうでもよい、というのが原則的な姿勢です。  

西尾 アメリカとは、リンカーンの時代から、そうした使命感を持った国であったということですよね。  

福井 その通りです。

『正論』12月号より つづく

「アメリカ観の新しい展開」(一)

 いま『正論』で三回連載の対談でアメリカ観の新機軸をお目にかけている。対談の相手は青山学院大学教授の福井義高さんで、専門は会計学、畑違いと思うかもしれないが、彼の独自のアメリカ観に魅かれて、話し合おうということになり、この試みが始まった。迚も新鮮である。私は毎回刺激を受けているし、私も新しいことが話せるようになって楽しい。

 今回は三回達成のうちの第一回、12月号をお目にかける。とにかく福井さんの知見は素晴らしい。いま私の周りには、私より若い、有力な研究者や論客が多方面から続々と集まって来ている。これはありがたいことである。対応に忙しくても老いてなお負けないつもりだし、私の関心はますます盛んである。

 本から学ぶだけではなく、人から学ぶことも大切なのである。小さく縮こまってしまってはいけない。何にでも自分をオープンにして、激しく変化している世界の情報に身をさらさなければいけない。つねにそう思っている。

 この対談は拙著『天皇と原爆』に対する福井さんの関心と論評が起点になっている。三ヶ月以上かかるが、とびとびに全対談をご紹介する。

アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか 上
「世界救済」国家論とオールド・ライトの思想
アメリカの戦意を知らなければ、あの戦争は 理解できない。
大東亜戦争研究の新たな地平
評論家●にしお・かんじ 西尾 幹二 青山学院大学教授●ふくい・よしたか 福井 義高

「ルーズベルトの対日独戦決意は常識」(福井)

編集部 大東亜戦争の評価をめぐって、戦後、左翼反日陣営と保守陣営の争いが続いてきました。そして90年代、いわゆる「従軍慰安婦」問題や「南京大虐殺」が中学校の教科書にも掲載されるに至って、西尾先生たちは教科書正常化運動に立ち上がり、「日本はアジアで残虐非道なことをしてきた」という左翼陣営の歴史観に基づく記述の訂正を求めてこられた。

 世紀が変わり、西尾先生たちの主張はある程度浸透しましたが、他方で、新しい反日的、自虐的な歴史観が台頭してきました。「日本は残虐非道だった」とことさらに言うことはないけれども、開戦に至った経緯を検証する中で日本の誤りや責任や愚かさだけを追及している。代表的なのは半藤一利、保阪正康、秦郁彦、加藤陽子、北岡伸一の各氏らで、一見、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」とは異なり、客観的な史料に基づいた主張のように思えます。これに対しても、やはり保守派から、彼らも結局は勝者による敗者の裁きに左翼が悪乗りして言い続けている「東京裁判史観」、つまりは「日本悪玉史観」「日本侵略国家論」を、装いを新たに唱えているだけではないか、戦争には相手があるのにその相手の戦意を見ず、専ら日本国内の出来事や資料を取りあげているだけの「蛸壺史観」だ、という反論が出てきました。その流れの中で、西尾先生が今年、『天皇と原爆』(新潮社)を刊行された。この本はまさに、その相手国の事情を見ていこう、アメリカはなぜ日本と戦争をしたのかを考えていこうという試みを地でいく内容です。しかも、宗教戦争という新しい視点を取り入れて、幅広い論点が提示されている。今後の第二次世界大戦研究の一つの方向を提唱されたとも言えます。  
福井先生は、アメリカのみならず世界各地の歴史研究の潮流を手広く調査されています。今日は、西尾先生の試みが、世界的な歴史研究の流れの中でどう位置付けられるのか話し合っていただきたいと思います。

福井 『天皇と原爆』を拝読すると、自虐史観が蔓延したが故の日本の危機に対する西尾先生の焦燥感を強く感じる一方で、先生のお考えは、アメリカ「保守」の現在の主流であるネオコンサバティブではない従来の保守派、オールド・ライトといわれる人たちを含む、伝統的な孤立主義者あるいは非干渉主義者といわれる人たちの歴史観にかなり近いことが分かります。

 実はアメリカでも、第二次大戦開戦当時のフランクリン・ルーズベルト大統領は、対日独戦争をやむなしと考えていた、あるいは積極的に両国とは戦争すべきだと考えていたということは、専門家の間では常識です。当時のアメリカ国内には、第一次大戦では英仏帝国主義者に騙されて多大な犠牲を払ったというコンセンサスがあり、非常に反戦意識、厭戦気分が強かった。にもかかわらずルーズベルトが国民を、いわばだますかたちで戦争に誘導していったということは、今ではほとんど誰も否定していないし、日本の卑怯な不意打ち攻撃にガツンと殴られてやむなく戦争をしたなどという話も、一般大衆向けの宣伝や子供向けの教科書はともかく、専門の研究者は誰も信じていません。

 ただし、そのルーズベルトと日独戦に対する評価には二通りあります。通説、あるいは主流は、あれは「グッド・ウォー」、つまり「良き戦争」であったというものです。ルーズベルトがとった手法─国民には「戦争はしない」と約束しながら、経済封鎖などで日本を対米戦へと追い詰め、日米戦を口実にして欧州戦線にも参戦した─には、民主国家としては好ましくない手段ではあっても、邪悪な日独を叩きつぶすためにはやむを得なかった、むしろそれはリーダーとして当然であったという見方ですね。

 もう一つの立場からの評価は、逆にルーズベルトに対して極めてネガティブです。先ほど触れたオールド・ライトたち、いまではネオコンサバティブに対してパレオコンサバティブと呼ばれていますが、彼らはアメリカという、汚辱にまみれたヨーロッパとは違う新世界で、「理想の国家をつくる」というのがワシントン以来の建国の理念だと考えていて、ルーズベルトの国内・対外政策は、その建国の理念への裏切りであると見なしています。

 このオールド・ライトの立場、あるいは孤立主義は、第二次世界大戦が「良き戦争」だという見方が通説になってからは過去のものと位置づけられてきましたが、昨今のアメリカの中東政策の行き詰まりが誰の目にも明らかになるにつれて、復権しつつあります。

 例えば今年の共和党大統領予備選挙で、堂々と孤立主義を主張したロン・ポール下院議員が、大手マスコミが基本的にまったく無視したにもかかわらず、大善戦しました。草の根保守の間では、孤立主義的なものの考え方が戻ってきているということを示しています。

 彼らの反ルーズベルト史観からいえば、西尾先生と同様に、好戦的だったリンカーン(南北戦争)、セオドア・ルーズベルト(中南米への軍事介入常態化)、ウッドロウ・ウィルソン(第一次大戦)、フランクリン・ルーズベルト(第二次大戦)が、アメリカ大統領史上の「四大悪人」です(笑い)。彼らの考え方は、学界主流からは批判され、日本ではほとんど無視されてきましたが、何人かの著名な歴史研究者の中にいまでも受け継がれています。

『ナショナル・インタレスト』という有名なエスタブリッシュメントの雑誌があります。フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を発表した外交評論誌で、外交政策に関しては高く評価されています。この雑誌のロバート・メリー編集長が、今年の六月、ホームページに日米開戦の経緯を書いていて、そのなかで、一九四一年十一月二十六日に日系人のリストアップが極秘で始められたと記しています。

西尾  例の「ハル・ノート」、日本に最終的に対米開戦を決意させたあの文書を、アメリカが日本に突きつけた日だね。

福井 ええ。こういうことを権威ある雑誌の編集長が大胆に書いているわけです。全くその通りかどうかはともかく、そうした事実があったことは確かなようです。

西尾 あくまで計画だけれども、その後の日系人収容へとつながる対日戦の準備であったことは間違いない。

福井 メリー編集長は、その当時の情勢と現在のオバマ大統領の対イラン政策を対比して、非常に似ていると指摘しています。ルーズベルトが日本にやったのと同じように、オバマ大統領はイランに厳しい経済制裁を科し、さらに交渉を望む相手の意図を受け止めず、逆にはねつけるように行動している。

西尾 つぶしてかかる。

福井 ルーズベルトがイギリスの首相だったチャーチルに対日強硬策を迫られたのと同様、オバマはイスラエルのネタニヤフ首相から同じようなプレッシャーを受けているとも書いています。 さらに、メリー編集長は、ルーズベルトが日本との戦争を望んでいたことは歴史的に明らかであるのに対し、オバマがイランとの戦争を望んでいるのかどうか、今はまだ分からないという点を大きな違いとして挙げています。対イラン戦争を望んでいるなら今までのオバマの行動はメイク・センス(合理的)だけども、望んでいないのであれば無謀すぎると指摘しています。いずれにせよ、ルーズベルトが対日戦を望んでいたという内容の文章を、堂々とエスタブリッシュメントの雑誌の編集長が書いている。西尾先生の言われることは、過激でも異端でもないということです。

『正論』12月号より つづく

新論文と新刊本のお知らせ

 間もなく12月の声を聞きますが、12月に入ると私の次の仕事が公開されます。

 『正論』新年号に、「救国政権の条件と保守の宿命」(35枚)と、前回につづく青山学院大学の福井義高さんとの対談「アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか」(第二回)が出ます。前者は石原、安倍、橋下の三勢力への応援歌ですが、三氏にはそれぞれ注文もつけました。後者は重要な新鮮情報が満載です。

 次に新刊書は竹田恒泰氏との対談本『女系天皇問題と脱原発』です。内容は以下の通りです。

目次
はじめに                                

PART Ⅰ
天皇後継をめぐる政治的策謀

基準は歴史である

女系容認は雑系につながる/皇室改革という名の謀略/彬子女王の明確な発言/旧皇族末裔たちの覚悟/六〇〇年離れても血は強めてる/薄れてきた藩屏を担う意識/皇太子妃だった美智子様へのいじめ/皇太子殿下の「守る」という言葉の意味/鳥肌が立つような迫真の祈り/「祭り」をどうやって引き継ぐか

PART Ⅱ
女系天皇容認論の黒幕

天皇の原理とは何か?

文献史学の誤ちと皇室信仰/三輪山信仰が明かす「男系継承」/「万葉一統」という言葉遊びの結論/古代史は考古学とは違う!/「天皇制」という言葉の策謀/尊皇思想を浮上させた光格天皇/いまだ続く占領軍史観/神話は史実を反映しているか?/皇室を言祝ぎながら貶めるレトリック/真に皇室を守護するのは誰か?

PART Ⅱ
雅子妃問題の核心

雅子妃をめぐる諸情勢

「火葬」と「埋葬」の簡素化問題/昭和神官の創建を!/身の毛もよだつ皇太子殿下の”祈り“/皇族における自由と不自由/宮内庁はきちんとした病気の説明を/「開かれた皇室」の犠牲者か/皇太子殿下に求められる責務/天皇になって初めて見える景色/いまの宮内庁は「宮外庁」/それでも殿下は苦しい中で耐えている/天皇信仰の最大の敵は“世間の無関心”/公民教科書は「天皇について」たった三行/天皇を「自分流平和主義」に利用する人

PART Ⅳ
皇室を戴く国の「原発問題」

現実に学ぶということ

路上生活者に教えられた原発の矛盾/新規建設には三〇年かかる/被曝がノルマとされる作業員/判定が難しい放射線被害/テロの危険をなぜ放置しておくのか?/IAEAとNTPは日本、ドイツ封じ込め政策/GTCCで全原発をカバーできる/安全神話と平和主義の陥穽/親子三代で責任のとれないものに手をつけてはいけない/科学技術の“ありがたさ”の限界/TPPは“手負い獅子”アメリカの策謀/フードマイレージという新しい発想/親日国を足蹴にし、反日国家に頭を下げてきた日本

おわりに

中国に対する悠然たる優位

 中国で起こった反日暴動デモについて、私が書いた最初の感想が次の文章です。『正論』11月号(10月1日発売)にのったわずか6枚の短文です。時間的にみて、暴動デモのテレビ映像がまだ生々しく瞼に残っているそんな時期に書かれました。題して「中国に対する悠然たる優位」です。

 支那人は自分の喋っていることでだんだん昂奮し、自己催眠に羅る民族で、口角泡を飛ばしという形容があるがじつにその通りで、口の角から唾を飛ばし、足を踏み鳴らし、手を振り、上海では興奮の余りついに黄浦江に飛びこんで死んだのがいたそうだ。演説の値段は普通50銭で、巧いのは1円、女学生は別格でみんな1円、天津で女学生の演説を聞いてみると、森永のミルクキャラメルには毒が入っているから買うなと言っている。丁度その頃支那側で森永に似せた菓子を造りだしていた時で、菓子屋が女学生にお金をやって自社製品の宣伝をさせていたのである。新聞も随分デタラメで、例えば昨夜日本人が果物屋の店先にある西瓜に毒を注射して歩いたというようなことがでかでかと書いてある。長野朗『支那三十年』(1942年刊、GHQ焚書図書)の一節からである。

 戦前の「排日運動」が一挙に火を噴いたのは1919年(大正8年)だった。支那の学校の教科書が余りにひどいのは当時日本でも問題になった。「地理」の教科書が最初に狙われた。日本に「あそこも取られた。ここも取られた」と書けば小中学生でも「なんて日本は悪い国なんだ」と思うようになる。しかも根拠のない嘘ばかりである。日本は「我が琉球を縣とし、臺灣(たいわん)を割(さ)き」などと書いている。

 英米人の煽動も実に目に余るものがあった。ひそかに学生たちに運動費を出す。英語新聞が排日運動の音頭取りをやる。学生運動の拠点はすべて英米人の経営の学校だった。宣教師たちが排日運動には決定的役割を果たした。ことに基督教青年会の活動が目立った。第一次世界大戦中に拡大した日本の支那貿易をつぶすのに、日支離間を策したのである。

 「日貨排斥」(日本商品のボイコット)が排日の第二段階だった。1923年頃から、排日の主役はコミンテルン主導の中国共産党にバトンタッチされた。この第三段階で排日は「抗日」へと転じた。もしそのとき日本の資本と英米の資本が手を結ぶことができたなら、一致団結してコミンテルンの動きを封じ、毛沢東の出現を阻むこともできたわけだが、英米人は愚かにも反共より反日を必要と考え、歴史の進歩に逆行した。二十世紀の歴史の暗黒化はここに始まる。第二次世界大戦における謎、英米のソ連抱き込み、日本の孤立、独伊への接近という流れは、英米が選択した進路だった。すべては支那大陸における「排日」から始まったのだ。支那人の対日劣等感、嫉妬心、自己の立ち遅れを正視しない唯我独尊、いつまでも自己を世界の中心と思い込む愚昧な独善性、煽動されるとどこまでも突っ走る付和雷同性、愛国心のかけらもないくせに群がるアリの集団ような盲目的集合性、人格の不在、宗教性の欠如――支那人、漢民族のこれらの未発達のいっさいのバカバカしさを利用したのが当時の英米キリスト教文化人であり、次いでロシア革命成功直後のコミンテルンの組織運動家たちだった。

 昨年は、辛亥革命(1911年)から丁度百年経った。昨日今日の尖閣をめぐる大陸の騒乱を見るにつけ、中華民国治下の内乱時代の支那人の行動の仕方、生き方、考え方等々となにも変わっていないこと、その余りの進歩のないことにあらためて驚く。

 なるほどわが国もまた同じ時代に英米文化、西洋文化の洗礼を受け、マルクス主義的共産主義の深甚な影響をもろに受けた歴史を持つ。愚かなイミテーション文化や観念的空想的理想主義を追い回した過去の幾多の錯誤は忘れるべきではあるまい。けれども、支那人たちの狂躁ぶり、無反省な惑乱ぶりを目撃するたびに、大抵の日本人は今や冷静に、軽蔑とある種の憐れみの念すら抱くであろう。

 日本は成熟した国家である。いったいあれは何事かという以上の感想を持てない。支那人は森永キャラメルに毒が入っていたと女学生が嘘の演説をした時代と何も変わっていない。日本人は必ずしも意思的努力をして自己を確立しているわけではない。ただ、何となく自然に、日本国民は英米キリスト教文化もマルクス主義的共産体制も自分とは別の世界、他者であり、遠い世界であるとして客観視することができている。同時に、古代支那文化は尊重すべきだが、現代中国から学ぶものは何もないとはっきり認識できている。つまり、そう肩ひじ張らずに、自己を確立しているのである。そのことに自信を持ったほうがいい。

 中国サイドからのあるレポートに、日本に対する経済制裁をせよ――とあったのを見て、私は笑った。日本は1996年以来、累計830億ドルの対中投資をしているのに対し、中国の対日投資はほとんどないに等しい。中国は日本からの投資だけでなく、技術に依存してやっと生産を支えている。重機やハイテク機器だけでなく、各生産物の部品や素材を日本からの輸入に負うている。今や日本は少しでもそれらを売りたいという根性をここで抑えて、中国の経済に痛打を与える経済制裁を実行すべきである。

 はっきり言っておくが、中国に対し譲歩する姿勢で領土問題の落とし処を探り合うようなやり方をすれば、必ず相手は嵩にかかって威嚇してくる。力で押しまくってくる相手には力で押し返すしかない。日本の力は今のところは軍事力ではない。投資や技術の力である。これを政治のカードにする以外に日本に勝ち目はない。言い換えれば、経済が牙を持つことである。

 日本の経済人がこのことを分かっていない耄碌(もうろく)ぶりは真に深刻な憂慮の種子である。経済人に言っておくが、尖閣を失えば、世界の中で日本はいっぺんに軽視され、国債は暴落し、株は投げ売りされ、国家の格が地に落ちた影響はたちどころに他の地域との輸出入にも響いてくるだろう。

 戦後の日本は経済力が国家の格を支えてきたが、逆にいえば、国家の格が経済力を支えてきたともいえるのである。尖閣はだからこそ、経済のためにも死に物ぐるいで守らなければならないのだ。

 「許容性資産指数」という国連の評価基準を用いると、中国のGDPはいまだ日本に及ばず世界第三位だそうである。中国の「環球時報」(電子版、2012年6月30日付)がそれを自ら認めている。