第 6 回 「西尾幹二全集刊行記念講演会」 報告

 

渡辺 望さんによる、第 6 回 「西尾幹二全集刊行記念講演会」の報告です。

 

7月15日(月)、市ヶ谷グランドヒルホテル三階の「瑠璃の間」にて、西尾先生の全集第七巻「ソビエト知識人との対話」刊行にあたっての記念講演会が開催されました。講演会題名は「スペイン、オランダ、イギリス、ロシアは地球をどのように寇掠したかーその概要と動機」でした。

 当日は暑い日には変わりませんでしたが、前日までの猛暑の連続に比べると若干ですが過ごしやすい気候の一日となりました。約一年前の七月の同じ市ヶ谷グランドヒルホテルでの全集記念講演会がたいへんな暑さで汗だくになったのをよくおぼえているせいもあって、自分としては涼しい日という印象がより感じられる日でした。

 講演会の主題名はそのようなものでしたが、先生の講演を始めから終わりまで聞いて、独りよがりかもしれませんが、私がもしこの講演に副題をつけるとしたら、「国家というフィクション」がよいのではないかと感じました。この「国家とフィクション」は、先生の今回の全集の中のソビエト滞在記の文章の題名と実は同一のものです。

 文明論を語るとき、語る人間を一番制約してしまうのは、何より時間的なスケールの狭さだということがいえます。戦後的視点からしか戦前の語れない文明論、20世紀的視点からしか19世紀以前を語れない文明論、そういった文明論の洪水に私たちはうんざりし、あるいは洗脳されてしまっている。しかし西尾先生は冒頭でまず、「たかが500年、というふうに考えてみたらどうでしょう」と私たちを文明論特有の時間的制約から解放して、先生自身が挑んでいる文明論の世界に誘いはじめてくださいました。

 「たかが500年」の以前の時代、実はイギリスという国はヨーロッパの中でも下位に属する弱小国に過ぎなかった、それどころか、国民国家イングランドという形さえ成立しているといえない状態だということを先生は指摘されました。英語文化圏の世界支配に慣れきっている私たち日本人からすれば全く信じがたいことですが、イギリス以外にも、オランダやスペインといった後に世界覇権の中心に躍り出る国々もまだとても強国などといえる段階ではなく、ヨーロッパ内部の力関係の中でうごめいている段階でした。そもそも、ヨーロッパ自体が後進的な地域でした。500年という時間で、世界の情勢は、何もかもが、あまりにも変わってしまった。ヨーロッパの中心はこの当時はイタリアでした。

 世界覇権に乗り出すという以前の問題として、ヨーロッパは全体として「中世」という巨大な暗黒を抱えていた、という指摘がそれに続きます。日本人にとって鎌倉や室町という中世時代は別に暗黒でも何でもありません。しかし、ヨーロッパにあった「中世の暗黒」ということこそ、この日の先生の講演会のテーマを読み解く最大のキーワードなのです。まずこの暗黒ということを実感しなければならないでしょう。

 「中世の暗黒」ということでたとえば私が思い浮かべるのは、グリム童話ですね。中世のヨーロッパ人の生活観に基づくグリム童話は、その原型の形で読むと、なんとも凄まじい話の連続です。「ねずの木の話」では、母親が腹違いの息子の首を切断、その死体をシチューにして父親に食べさせるなんていう話が出てくる。「赤頭巾ちゃん」でも原型の話だと、赤頭巾が狼に騙されておばあちゃんの「血と肉」を「ワインと干し肉」と騙されて食べるというお話になっている。こうしたグリム童話の猟奇的ホラーのおぞましさに何とか対抗できる唯一の日本の中世民話は「カチカチ山」の姥汁の話くらいのものでしょうか。

 中世ヨーロッパと中世日本では「悪」のレベルがそもそも全く違っている。お菓子の家でよく知られる「ヘンゼルとグレーテル」では、実母(のちにグリム兄弟は継母と書き改めた)が食い扶持減らしのために息子と娘を森に置き去りにしてくるという話ですが、中世日本には姥捨て山の話はありますが、少年少女を実母が森に置き去りにするなんていう話はない。あるいはどんなに「悪い親」でも、自分が食べていくために子供を置き去りにしていくような人間は中世日本にはいません。想像を絶するほどの飢餓、衝動的な猟奇犯罪に満ちたまさに暗黒の底、これがヨーロッパの中世というものです。そういうふうな捉え方で読むと、ヘンゼルたちのあの華やかなお菓子の家も、中世ヨーロッパ人の異様な妄想のあらわれのような気がしてきて、なんだか不気味に思えてきます。

 西尾先生は中世ヨーロッパについて、平均寿命30歳程度、識字率も極度に低く、また都市というのは、「森」という海の中にぽつりぽつりと存在する島のようなもので、下手に森の世界にいけばまず帰ってくることはできない。フランス革命近くまでパリには狼の襲来があった、そうした事実をあげて、「中世の闇」について説明されました。

 こんな救いようのなヨーロッパ世界からすれば、まずこの中世の克服ということが目指されなければ、ただの野蛮な後進地域として終わってしまうことになる。思想哲学もそのことが志向されるようになります。先生は「中世の克服」を志向した代表としてホッブスをあげられます。

 自身が清教徒革命などの血なまぐさい中世を目の当たりにしていたホッブスは、万人の万人への暴力や強権を自然権として善悪以前に肯定しました。しかしこの自然権を単に野放しにすると、万人は死に至らざるを得なくなる矛盾ももってしまう。そこで人々は、この自然権を調停調和する存在として「国家」=コモンウェルスというものを社会契約的に必要とするようになる。このホッブスの国家論は、あらゆる非合理や悪が渦巻いていた中世ヨーロッパを実感していなければなかなか理解できないことです。まして、日本人のように、自然発生的国家観が根付いている国ではなおさらです。

 ホッブスのコモンウェルスの思想は「国家はフィクションである」ということに言い換えられるように思えます。民族や地域や共同体や個人の延長拡大に「国家」があるのではなく、それら国家以前のものの矛盾混乱を調停調和するものとして国家がフィクションされている。少なくとも、近代以降のヨーロッパにとって「国家」とはそういうものなのです。先生がいわれるように、バルセロナはスペインの一部でなくヨーロッパの一地方であり、ミュンヘンとベルリンの間には、私たち日本の東京と大阪のような共有感情はない。このことについて私が考える例はありふれたものかもしれませんが、よく知られた小説であるドーデの「最後の授業」の話です。あの小説の舞台となった地域はもともとはドイツ語の地域なのであって(主人公もドイツ語名のフランツ君ですね)あの小説のフランスナショナリズムへの感動は「国家というフィクション」の「ずれ」への勘違いからきているともいえます。

 ここからが先生の講演の最も重要部分になります。話が次第に現代に、そして日本に近づいてきます。以降の先生の話の展開の方向を二点に集約すると、以下のようになると思われます。

 たしかにヨーロッパはホッブス的な思考に従って、血みどろの政争、内乱、戦争を通じて、次第に各コモンウェルスをつくりあげ、「内なる中世」を何とか克服していったのだけれども、しかし「内なる中世」の野蛮さ・残酷さは、ヨーロッパ以外の世界の征服方法に姿を変えて向けられることになったということ、これがまず一つです。
 
 今一つは、先生が引用された20世紀のドイツ最大の法学者カール・シュミットが鋭く見抜いたように、ホッブスが克服しようとした中世ヨーロッパ的状況が今一つ、ヨーロッパ以外の地域に存在していたし存在している。それはアメリカ大陸だ、ということです。

たとえば、スペイン・ポルトガルのトルデシリャス条約による世界分割計画のような、地球全体に勝手に線引きするというやり方は、20世紀のウィルソンの14か条原則やチャーチル・ルーズベルトの大西洋憲章に継承されていきます。まったく身勝手な国際政治の手法に他なりませんが、「ヨーロッパ人(アメリカ人)はなぜこんな勝手な方法を採用するのか?」ということについての答えは、ヨーロッパ中世の恐ろしい非合理性に起源をもつのであって、ギリシャやローマの古代文明の合理性の世界にそれを見出すことは不可能だといえるでしょう。

 スペイン人の南北アメリカ人への残忍さは、それがライバル国であったオランダやイギリスの宣伝工作だったという誇張を差し引いたとしても、「これが果たして私たちと同じ人間のやり方なのか」と日本人なら驚いてしまうようなものです。侵略や虐殺を肯定するロジックも滅茶苦茶なものです。しかしこうしたことは、「内なる中世」というものが、ヨーロッパ以外の世界で再びよみがえったのだ、というふうにみることもできるのでしょう。

 今一つの先生の提示された、カール・シュミットの「アメリカ=ヨーロッパ中世」という捉え方ですが、ここで私がふと思いついたのは、西洋史学者の池上俊一氏が紹介する中世ヨーロッパでの「動物裁判」の話でした。中世ヨーロッパでは、人間の子供をひき殺した豚や、人間の寝床で痒みをもたらした南京虫を裁判にかけて処刑するというような馬鹿げた動物裁判が大真面目におこなわれていました。

 この中世ヨーロッパの「動物裁判」と、シーシェパードの反捕鯨テロリズムに代表される、アメリカでの過激な動物愛護主義は、共通の精神的土壌をもっているようにおもいます。中世ヨーロッパでは、人間というものは動物と区別がつかない衝動的で得たいの知れない存在であったのでしょう。実は今のアメリカもそうなのです。人間は動物のようなものであり、動物は人間のようなものである。こうして、「動物に人権を認める」というロジックの錯乱が、現在アメリカでは中世ヨーロッパのように起きてしまっているということができるでしょう。

 「アメリカ=中世ヨーロッパ」であるという文化現象は、アメリカ国内でこれ以外にもたくさんみられます。銃規制の不徹底の現実はホッブス的状況の最たるものでしょうし、妊娠中絶をする病院がキリスト教原理主義者に国内で頻繁に爆破されるということは、宗教と社会倫理の峻別という近代社会のミニマムの条件がクリアされていないことを意味しています。「中世」と「コモンウェルス」の間を行ったり来たりしているこのアメリカという国の海外政策は、20世紀以降になっても、中世的な野蛮をたっぷりもっていて、それが日本に向けられているということ、講演全体におけるこの核心部分へと話が進みます。

 ここでもう一人、重要な哲学者ジョン・ロックが先生の話に補助線として登場します。いうまでもなくロックは近代哲学と近代法思想の確立に大きな貢献をなしましたが、文明論も多数記した人物であり、ここでは文明論者ロックについての話になります。先生によれば、アメリカの外交政策のしたたかさは、ロックの思想を巧みに利用していることによって成り立っているのだという。これはどういうことなのでしょうか。

 まずロックによると、当時、スペイン・ポルトガル等が一方的におこなっていた被植民地地域の人々の権利無視行為は間違いだ、といいます。一見すると自然権者ロックがその人権思想を文明論に敷衍しているかのように思えますが、実は正反対なので、ロックは続けて「アメリカ大陸は例外で、アメリカ大陸は世界全部の所有物である」というのです。なぜか。ロックによれば、「アメリカには無限の土地があってまだ未開拓である。これを開墾し広げていくという行為は平和経済的なことなので、軍事侵略的ではないからである」という。

 私はロックがこういうことを言っていることを先生の紹介まで知りませんでしたが、いかにもヨーロッパ人らしいしたたかな論法に唖然とする思いがしました。ロックの論法は、中世ヨーロッパを克服するための啓蒙主義を装いつつ、ヨーロッパ外への中世的に野蛮な世界戦略を肯定する、という二面的な顔をもっているようです。被植民地への暴力を無制限に肯定したカトリック教会の思想に比ると、ロックの哲学のやり口は一層手が込んでいます。

 これを踏まえた上でアメリカは日本の中国進出を非難するためにロックの哲学を利用したという先生の指摘の流れは見事なものと感じられました。アメリカは、自分たちの国がそれによってつくられたロックの哲学をそのまま中国大陸にあてはめて「満州・中国は世界全体の共有物である」、つまりその世界共有を侵犯している日本は悪者だといったわけです。

 もちろん、アメリカの論理は根本的あるいは現実的にはまったく破綻しています。しかし、アメリカ人が覇権戦争を仕掛けるときに、このロックの哲学を利用することがあり得るということそのものが重要です。それは「切り取りの侵略哲学」とでもいうべきでしょうか。いずれにしても、アメリカの覇権の根底には、中世ヨーロッパ→フィクションとしての国家・コモンウェルス→ロックの哲学、そういったものがあるという先生の指摘の流れは、いつものことながら、目から鱗が落ちる思いでした。

 私たちの現実として認識しなくてはいけないことは、中世ヨーロッパは再び世界によみがえりつつあるのではないか、ということです。近代が終焉に向かいつつある、ということはよくいわれることです。では近代の後に来るものは何なのか。国内的にはグリム童話の世界を彷彿させるような衝動的で無目的な犯罪の多発、国際的には中世ヨーロッパの気配をどこか濃厚に漂わせるアメリカの覇権とその影響などです。ニヒリズムの実質とは中世の闇の復活なのかどうか、これは私たちのこれからの生き方にかかわってくる問題だと思います。

 最後に、先生の講演全体から受けて考えはじめたことの一つなのですが、ロックの哲学とほとんど同じことをしようとしたのは日本の満州国の理念だ、と先生が言われていましたが、もちろん日本人に満州国をアメリカ大陸にしていくようなしたたかさはできませんでしたが、しかし石原はいったいどこでロック的な考え方の手口を学んだのでしょうか。石原が考えた「五族協和」思想というのは確かにロックの「アメリカ大陸は世界全体のものだ」という思想とほとんど同一のものですが、それを生み出す思想的土壌がどう考えても日本の伝統哲学にはないように思えます。石原は基本的には反米主義者です。ここに解明探求すべき一つの歴史の謎があるようにも思えました。

 夕方五時頃に終えた講演会ののち、50名ほどの参加による有志懇親会がひらかれました。東中野修道氏(亜細亜大学大学院教授)、石原隆夫氏(「新しい歴史教科書をつくる会」理事)、二瓶文隆氏(「新しい歴史教科書をつくる会会員、「日本維新の会」参議院議員選挙立候補者)によるスピーチ、そして岡野俊昭氏(「新しい歴史教科書をつくる会」副会長)による乾杯の音頭、最後は松木國俊氏(韓国問題研究家、つくる会三多摩支部副支部長)による締めの音頭の流れで、楽しい歓談のひとときとなりました。

 西尾先生、本当にご苦労さまでした。先生の講演会を取り仕切ってくださいました小川揚司さまはじめ坦々塾事務局の皆様にも感謝の言葉を記したいと思います。

                                            渡辺望

「地表の三分の一を占めた覇権国英米への正当なる反逆」(GHQ焚書図書開封・第126回)

 韓国大統領が訪米し、生徒が先生に告げ口をするみたいにオバマ大統領に日本の悪口を言いました。「先生、あの子はむかし私を虐めたのに、もうあんなことは忘れたって言うんですよー。何とか叱って下さい。」

 そのむかし蒋介石夫人が米議会で反日演説をして拍手喝采され、政治局面が変わったことを思い出します。

 アメリカに睨まれると安倍さんの発言内容がトーンダウンするのが気がかりです。発言内容を単に縮小し無害化するのではなく、丁寧に意を尽くして、最初に言っていた概念をくわしく言い直した方がかえって誤解を妨げると思うのですが、安倍さんは言葉遣いが上手なのでやれると思うのですが、どうなのでしょうか。

 自分のことを「極右」とか「修正主義者」とかレッテル張りする中韓の議論に対してはきちんと反論した方がいいと思います。いま、この時点が時代の転換点です。大事な局面です。

 「侵略には学問的に二つの見方がある」などと抽象的に言うにとどまらずに、「日本は近代史70年(1868~1941)で侵略される側にあった。」とひとこと言うべきではないでしょうか。

 私の『GHQ焚書図書開封』126回「地表の三分の一を占めた覇権国家英米への正当なる反逆」(日本人が戦った白人の選民思想・後半)をぜひこの観点からご覧下さい。

「戦中の日本人は戦後のアメリカの世界政策を知り尽くしていた」(GHQ焚書図書開封、第125回)

 4月13日の慰安婦問題への私の意見陳述に対し、今日までに多数のコメントを寄せて下さりありがとうございました。すべて丁寧に拝読し、学ぶ処多いことを発見しました。その中に英訳文がほしい、英訳があればアメリカで戦うのに役に立つ、というコメントがありましたので、ある方の協力を得て、急遽英文も提示することができました。

 あの戦争について戦後に書かれたすべての文章は、どんなに自国思いの文章、当時の日本を主張している文章でも、私の見るところ半分はアメリカの立場をとり入れて書かれています。日本は自分を閉ざしていて余りに愚かで、アメリカ文明の秀れた特徴が見えていなくて判断を間違えたのだ、と。

 そうではないのです。日本は戦後のアメリカの政策、NATOも日米安保の成立の可能性もある意味で見抜いていました。すべて運命を知っていて、それでも戦わざるを得なかったのです。それほどアメリカ(ルーズベルト)は理不尽で、道理を超えていました。日本人はこのことが今でもまだ分っていません。

 そのことをみなさんに知ってもらいたく、「GHQ焚書図書開封」第125回(4月24日放映)の「戦中の日本人は戦後のアメリカの世界政策を知り尽くしていた」(日本人が戦った白人の選民思想)をお届けします。1時間かかりますが、しっかり見て下さい。

『WiLL』現代史討論ついに本になる(三)

 26日発売の『WiLL』3月号巻頭に、私の「安倍政権の世界史的使命」という論文が発表されますので、ご報告しておきます。

 『自ら歴史を貶める日本人』(徳間書店)をめぐって、討論者のおひとりの福地惇さんとテレビ討論を交しました。これは私のGHQ焚書図書開封の時間帯を利用して、チャンネル桜より1月16日と30日に放映されます。第一回目はすでにYou Tube にもなっています。本日はまず1月16日分のテレビ放映像をご紹介いたします。