日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(一)

8月29日(日) 
 夜、評論家の小浜逸郎氏と洋泉社の小川哲生氏が来訪、いつもの吾作で盃をあげる。小浜氏とは肝胆相照らす仲だが、なかなかゆっくり会う機会がない。三人で温泉に行こうよという話もあったが、そう言っていては埒があかないので今日の会合となった。酒を飲みながら友と語り合うのが今の私は一番楽しい。政治の話も、哲学の話も出なかった。

8月30日(月) 
 かねて約束していた通り、参議院議員会館に山谷えり子氏を訪ね、ジェンダーフリーと性教育に対する氏の戦跡を語ってもらった。選挙前からの約束で、当選してくれて本当に良かった。4センチもの厚さの資料集を私のために秘書の方が精選して用意しておいてくれた。たくさんの驚くべき、信じられないエピソードを議員本人から聞く。その中のひとつ。五人の女子高校生が制服のままで産婦人科の待合室でケラケラと談笑していて、五人で一人の男と関係し、男が病気を持っていたらしいと分ったのでお揃いで検診に来た、と屈託もない。

 ピルは副作用があり、多用すれば生涯子供の産めない身体になる可能性があるのに、文部科学省編の性教育の教材に、コンドームよりピルは安全と勧め、ピルは月経の痛みを柔らげるためにも使えるからそう言って買えばよいといわんばかりの、薬局に行き易い配慮さえ示している。小学一年生が覚えるべきことばの中に、ペニス、ヴァギナがあることは周知の通りだが、これから大人になる六年生のための用語集の中に援助交際が入っている。「学校がまるでフリーセックスを勧めている形です。せめて学校の場だけでもこういう言葉は禁句にして、道徳教育の場にしなくてはいけない。事実そうすることでアメリカのある州では妊娠中絶数が急下降した実績があるのです。」

 約二時間にわたって山谷氏の熱弁はつづく。PHP研究所から私と八木秀次氏との対談集『新・国民の油断』を出すことになり、テーマはジェンダーフリー批判で、私は今その準備中なのである。計画は夏前にスタートし、私の許に30冊ほどの関連書と500ページを越える関係資料がまたたく間に集まった。すでに準備会合が二度開かれ、対談は9月中に実行される。

 山谷さんは白に黒を組み合わせたカットもしゃれた瀟洒な装いで、いつものように女性としてじつに魅力的である。性差は存在しないなどと言って、「男らしさ」「女らしさ」は社会や権力がつくった後天的なものだと唱えているジェンダーフリー派の女性学者に美人はいるのであろうか。恨みと復讐心からの無理仕立ての学説のように思える。

8月31日(火)
 日録が混乱していて、収拾がつかない。私だけが無権利状態に置かれている不当な感情をもつ。匿名者による罵倒の浴びせられっ放しで、私は防衛のしようがない。「ネットの憂鬱(二)」を書いて、日録に掲げる。

9月1日(水)
「緊急公告」(一)~(四)はプリントアウトして、B4のペーパー19枚になった。これで小泉再訪朝の「空白の十分間」の出所が日刊ゲンダイと分ったが、人に言われるまでもなく、出所の格の低さがたしかに残念である。しかしこの事実が分って、私よりも中西輝政氏の方が少し辛いのではないだろうか。私は氏にとっても、良かれと思ってやったのだが、申し訳ないことをしたのかもしれない。中西氏の言っていることがウソではなかった証拠を出したかった。それには成功したが、日刊ゲンダイひとつではたしかに物足りない。もうひとつ『週刊ポスト』(6月18日号)にも記事が発見されたけれども。

 このまゝ放って置くわけにもいかないので、ともあれ結果は出たのだから私は次の行動に移った。「緊急公告」(一)~(四)の19枚のプリントを12通作成し、ホッチキスで止めて、中西輝政氏、産経新聞社主要関係ポストの責任者四氏、人を介して連絡をとったうえで関東公安調査局第二部、それから私が信頼している衆議院の大物代議士五人にそれぞれ異なる手紙を添えて送った。

 9月末の段階で中西氏より返事も連絡もない。公安調査局からは電話があり、「しかと承った。調査は開始するが、結果は職責上西尾さんにはお伝えできない」との言。これは当然である。産経は紙面を見る限り、その後何の動きもない。大物政治家のひとりから葉書の来信があった。

 後から考えたことがひとつだけある。当っているかどうかは分らないが、東京の細田官房長官とピョンヤンの薮中アジア大洋州局長との間の電話のやりとり内容がかなり詳しかった。あれは、ひょっとするとアメリカの通信傍受の結果ではないか。アメリカがあの会談の可能な限りの盗み聴きをしていないと考える方がむしろ難しい。となると、中西さんの「外国人情報筋の言」はやはり事実ではないだろうか。(アメリカは世界中の重要な会談の情報蒐めに対し知力を尽くしているはずである。)

9月2日(木)
日本がアメリカから見捨てられる日』が出たばかりで、評判を気にしている段階だが、掲示板が混乱しているので、感想を期待できる状態ではない。評論集は正式の書評の対象にもあまりならない。雑誌に一生懸命書いた文を集めて文集を編みたいのが自然の欲求だが、そういう幸運に恵まれている評論家は今は数えるほどしかいない。私は幸運な方である。小説家の場合でも短編集が出版できない時代である。

日本がアメリカから見捨てられる日』の約半分のページには日録の文章が利用されている。日録の読者はお気づきと思うが、もう一冊出せるだけの分量のエッセーが日録の過去録には貯まっている。今回は時事的テーマに限定して、雑誌発表論文と組み合わせて、書き下ろし新稿も加え、一冊にした。

 当然のことだが、時事的でないテーマの過去録からもう一冊作ることが予定されていて、来年の春ごろまでには同じ徳間書店から出されるであろう。私の読者には出版ラッシュでご迷惑をおかけする。少量多品目生産の出版事情でこうなっているが、私はいっさい手抜きはしていない。

 ほとんど毎日本づくりに精を出している歳月をいま丁度迎えている。多産の年齢である。今年3冊目は『日本人の証明』と予告していたが、版元(青春出版社)との相談の結果『日本人は何に躓いていたのか』に変更、確定した。これは評論集ではなく、書き下ろし稿である。入稿は終了し、間もなく初稿ゲラが出る。

 外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の七つの項目に分けて、日本の総合像を希望の相において捉え直した一書である。10月29日刊と正式決定した。

9月3日(金)
 わが家の犬を病院につれて行く。11歳の柴犬で、いとしい。たえず家の中の今どこにいるかを私は気にしている。5歳くらいの人間の子がいる感じである。言葉も通じる。もう老犬のはずだが、元気はいい。ちょっとした出来ものが生じたので診てもらったが、何でもない。

 午後インターネットの日録応援掲示板のあり方をめぐって、「年上の長谷川」さんから派遣された東京在住の「MOMO」さんと西荻窪の駅前の喫茶店で緊急会談をした。掲示板の管理をしばらく私が預かり、落着くまで私の監督で不要なものの削除を随時実行させてもらうことにして、収拾をはかることにした。

9月4日(土)
 『新・国民の油断』のために一日、ジェンダーフリーの関係本を読んだ。果てしない読書だ。性的変態者のうわごとのオンパレードである。

 藤岡信勝さんとの共著『国民の油断』は1996年10月刊で、丁度8年前になる。あのときのほうが批判意識をかり立てられた。敵の正体がはっきりしていた。今度はものの奥に隠れていて、敵はもっと悪質で、見えないだけに手敵い。

小泉首相批判について (三)

それでも世間では、小泉首相は今までの首相がともかく誰もやらなかったことを幾つかなしとげたと思っているいる人がいまだに案外多い。他に代れる人がいないのだからとにかく相対的にましなこの人を降ろす理由はない、と。

 それから、小泉首相を追いつめると民主党を利し、民主党と公明党が連立を組む最悪の政権を心ならずも作り出してしまう結果になると心配する向きもある。

 さらに、小泉政権の解消が北朝鮮との国交正常化を食い止める結果に必ずしもつながらないのではないかと問う人もいる。また日本が国交正常化をしてもしなくても、金正日政権の存続には直に関係がなく、中露韓の三国が金正日政権の維持にひきつづき貢献するだろうとの予測を述べる人もいる。

 また、小泉首相は北が拉致や核をめぐるピョンヤン宣言を忠実に実行しない限り、これ以上どんな援助もしないし、巨額の資金を北に渡すことはしないと再三言明しているので、さほど心配は要らないと安心している人も多い。それでいてピョンヤン宣言に拉致のことも書かれていなかったし、首相が会談で核査察を問い糾さなかったことも人々はとうに忘れている。

 つまり、意見の大勢は小泉首相に任していてもまだまだ安心で、かりに退任に追いこんだとしても、そのあとに不安のない、より良いシナリオが思い浮かばない、という点におゝよそ一致しているのではないか。

 これらの人々に私は次のように申し上げる。

 小泉首相はもともと人間的に無責任であぶない政治家だった。そしてその個人的な冒険を好む、お坊ちゃんの遊び人体質のあぶなさが、今米大統領選の近づく国際情勢下のここへきて一段ときわ立ってきているようなので、ここいらで手を引いてもいらいたいと希望しているのである。

 私はにわかにこう言い出したのではない。前から同じ観察をしてきている。『男子、一生の問題』を読んだ方は、その4章の「ノルウェー旅行で買った一枚の地図」のくだりを覚えておられるであろう。地図を買って自分の旅の中の位置がはっきり分った経験から、正しい言葉やぶれない言論が地図と同じようにいかに必要かと述べた箇所である。

 小泉首相の第一回訪朝(2002年9月17日)から半年以上経たあたりで以下の文章を私は書いている。

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小泉首相は拉致の二文字どころか、核問題や核査察について何一つ宣言文に言及せずして、言われるままに黙って調印してのこのこ帰ってきた。

 私は小泉訪朝の日に、この事実をすでにはっきり問題視している。未来が見えない人間は、動物のように一寸先をしか見ずに、本能だけで生きている。テレビのキャスターたちの間抜けづらが思い出される。言葉や思想がどうしても必要な所以(ゆえん)である。

平成15年(2003年)2月21日、全日空ホテルで国際日本フォーラムの緊急提言委員会が開かれ、イラクと北朝鮮をめぐるアメリカ支持のアピールを採択して、私も署名した。その席上、田久保忠衛氏が、「ピョンヤン宣言で小泉首相が核のことを取り上げずに、10月16日にアメリカからたしなめられるという一件があったが 、年が変わっていまごろになって日本が核を騒ぎ出しても、「だから前に言ったじゃないか」とブッシュに言われそうで、まことにバツが悪い」と発言し、同席者は皆そうだと思った。

言葉と思想を持つ人間は先をきちんと見ている。政治家にそれがない。ことに小泉首相にそれがない。彼が日本人をどこへ連れて行くのかわからないのでじつに不安である。

 私たちは霧の濃いノルウェーの山と湖のただ中をさまよっている感じがする。

 何とかして一枚の地図が欲しいものだ。真の言葉の果たすべき役割がこれである。しかしマスコミが広がって、情報が多く、贋物の言論がはびこり、われわれは蹌踉(そうろう)と砂漠の中を歩いているような不確実性にさらされている。(120-121ページ)

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 以上の通り、私は最初から小泉首相が日本をどこへつれていくのか、支持率が高く独裁的な人であるだけに不安でならなかった。2004年5月22日の再訪朝で金正日に個人的に脅迫された節があると睨んで、いよいよもうダメだ、日本は本当に危いと思い出した今までの経緯は私の複数の論説で分ったであろう。

 小泉首相の国際外交判断力は昔の金丸信と変わらない。彼が拉致の5人をとり戻したことは事実だが、あれは北に忠実な4人を選び、米兵がらみの1人を加えて、向こうから投げて寄越した北の謀略で、日本の世論がすぐ北へ戻りたがった彼ら5人を守ったのであり、首相の功績ではまったくない。世論が燃えなかったら小泉氏は5人をすぐ北へ戻したろう。小泉内閣になってから「誰もやらなかったことを幾つかなしとげた」事実はない。「改革」は掛け声だけで、なにもまだ成果がなく、タイム・イズ・オーバーである。

 先の参議院選挙の期間中、小泉総理は「構造改革の成果がようやく出て来た、景気が回復して来た」と改革の成果を盛んに強調していたが、内実は「構造改革な景気回復」であり、米国、中国への輸出の増加によるものと分析されている。

 私はしみじみ最近、貧富の格差がこの5、6年で広がったと感じている。規模の大きい資産家が出現し、次々と邸宅を建てている反面、リストラで子供を高校中退させるローン破産者も激増している。大企業、中堅、中小企業という企業間格差、また都市と地方の景気回復の格差が広がる一方である。

 小泉政権をこのまま続ければ、自民党は確実に次の選挙で民主党に政権を渡すことになる。リベラル左翼から旧社会党まで含む民主党の政権を私は望まない。また、小沢一郎氏の無責任な渡り鳥的行動をも支持しない。早く自民党内で首相交替の手を打ってもらいたい。 

小泉退陣で、安倍政権になお間があるなら麻生太郎氏も、平沼赳夫氏、高村正彦氏もまだいて、民主党政権なんかにはすぐにならない。小泉首相はアメリカの意向も国民の反対も無視して、北朝鮮に大金を支払うようなことはない、と思っている人が多いが、小泉氏に限っては分らない。にわかに何をするか分らない。

 金正日政権の存続はたしかに小泉政権の動向とは関係ない。たゞ日本の国内は国家観をもち世界がもっとよく分っている政治家を指導者に頂いておいた方が安全である。

 半島には近く激変があり得る。北朝鮮が一番恐れているのはアメリカではなく、中国とロシアかもしれない。中露に敵対して、一転してアメリカに依存し、アメリカ軍の駐留を求めるという思ってもみない展開をしないとも限らない。戦争なしで北朝鮮に突然星条旗が立つかもしれない。ジェンキンス氏はひょっとしたら金正日のブッシュ宛の密書を携えた使者かもしれない。彼はなぜあんなに簡単に日本行きを承諾したのか。

 しかしそれは金正日が民主主義というものの力を誤認した場合で、簡単に起るとも思えない。たゞし、中国とロシアに金正日は心を許していないはずで、追いつめられて何が起こるかまったく分らない。過日の中国からの金正日帰路に起こった駅爆破テロは、中国の仕業か、北の内部の反体制派の仕業か、それが分らないので、米情報部は必死に調査中だろう。いづれにせよ、米対中露をめぐる激しい水面下のつばぜり合いが起こっていると思う。

 いよいよ何か決定的なことが起こったとき、日本が尻軽になって北朝鮮とアメリカの両方に瞞され、利用されるということがあってはならない。また、核つきの統一朝鮮の成立を許してもならない。

 目まぐるしいこれらの動きに小泉氏はいずれにせよ耐えられる器ではない。

 なお、さいごに付言しておくが、いよいよ次は蓮池薫氏が口を開く番である。洗いざらい彼があの地で高い立場で経験し、知り得たいっさいを文章にし、本にし、公開すべきである。彼と地村氏にはそれをする義務がある。

(8月3日午後加筆修正)

小泉首相批判について (二)

小泉首相の靖国へのこだわりを私は必ずしも本心と思っていない。総裁選に際し橋本龍太郎氏が握っていた遺族会の票をいっきょに奪い取る彼らしい恫喝的パフォーマンスのやり方の一つだった。

 もし彼が国を思う心の篤い人で、それなりに歴史観もしっかりしているなら、15日参拝を13日に切りかえたあの姑息な手を弄した――それ自体は首相になったばかりの不安で迷いもあったかと同情できるが――その折に公開した文書の内容が村山謝罪談話そっくりであったことをどう理解したらよいのであろう。

 ブッシュ大統領を訪問中に、首相が日本はアメリカによって軍国主義から解放され、おかげさまで民主国家になったなどと小学生レベルの自国史理解、ありふれた東京裁判史観を平気で語ったのをどう理解したらよいだろう。

 この程度の歴史理解で、特攻隊にだけなぜか特殊な感情反応を示すというのはかえって頭脳の単純さ、知性の低さを物語る以外のなにものでもないのではないだろうか。小泉首相が特攻隊への感動を口にするのを聞くたびに最近私はむしろ鳥肌立つ思いがするのである。

 首相の靖国参拝をありがたいと思っている方に抵抗するようで悪いが、私は以上のように判断している。

 さらに、ジェンキンス氏の一件もついでに考えておこう。

 ジェンキンス氏は朝鮮戦争中の利敵行為、反米宣伝、国家反逆の罪を犯して、数知れぬ米国将兵を当時死地に追いやることに協力している。朝鮮戦争の苦しみを忘れていないアメリカ国民は今もなお多い。小泉首相がなぜ安請け合いしたのか私には分らない。

 もしアメリカとの間で司法取引があるとすれば、アメリカ政府がイラク派兵の日米関係を重視してのことである。したがってイラクで日本の自衛隊に死者が出る可能性への先手を打っての日本への貸しである。

 われわれは演技上手の米国元脱走兵のために、イラクの日本人をその分だけ危険にさらしていることになる。演技上手と言ったのは、ジェンキンス氏が元俳優で、ピョンヤン空港で足取りも軽く階段を昇る姿をみせていたのに、ジャカルタから東京に向かうときには杖をつき、よろけるように歩いた急変ぶりが不可解なのに、その変化の説明がなされないのもおかしいと思ったからだ。

 小泉首相はジェンキンス問題をつかまされる前に、10人あるいはそれ以上の拉致被害者の安否問題に立ち向かうべきだったという当時の観測はやはり正しかった。安倍晋三氏は首相に向かって訪朝前に、ジェンキンス氏に会ってはいけない、会えば罠にはまる、と忠告したそうなのだ。

 小泉首相は慎重さもないし、判断力もない。家族会から「子供の使い」といわれたのは当然である。家族会は最近、民主党の岡田代表を頼りにし始めている。小泉氏の人間としての冷酷さに横田夫妻はもはや耐えられないらしい。

 曽我さんは首相の選挙向け宣伝に利用され大いに損をした。家族会全体が傷手を負った。拉致問題はまだ未解決だという認識が国民の間に定着していることだけが唯一の救いである。

 小泉首相は日朝国交正常化をわけもなく急いでいる。これを何としても阻止しなくてはならない。今の金正日体制と国交正常化をする理由も必要もなく、首相の個人的事情にすぎないであろう。 
(8月3日午後加筆修正)

小泉首相批判について (一)

今西宏さんという恐らく実名で名乗られた方が、私の小泉首相批判を心配して応援掲示板に二度書きこみをして下さった。「つくる会会員の不安」と題された二度目のご文章が文意もはっきりし、私と中西輝政氏の論文の波及効果を憂慮しているので、およそ政治というものを考える材料になるとも判断し、さしあたりこの文章の全文をご紹介する。

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1388 つくる会会員の不安 今西宏 2004/07/22 13:14
男性 自営業 63歳 A型 大阪府
 
私は、前稿(1340 小泉評は「否定」よりも「肯定的批判」で)を書く時点で、読み終わっていたのは「正論」8月号だけで、「Voice」8月号については、広告の見出しで先生の批判論文の存在を知っていただけでした。

 後ればせながら、昨日「Voice」8月号を購入し、西尾論文と中西輝政論文を読みました。読み終わって、これでつくる会は、このまま小泉政権が続けば、次の採択戦も茨の道にになるだろうと感じました。会の重鎮が二人、そろってここまで首相を否定するのは、現政権の協力は期待しないという意思表示と目されるからです。

 無頼教師さんは、
> どうも、勘違いなさっているようですが、「つくる会」の教科書を実際上葬ったのは小泉政権ですよ。もうお忘れですか?と書かれました。
 もちろん忘れてはいません。3年前の採択戦で、暗々裡に政府の意思が採択現場に伝えられ、扶桑社版教科書の不採択が慫慂されたという分析があったのを承知しています。それはおそらく事実でしょう。

 だから次回もまた小泉政権は邪魔をするだろうと読むのは、当然のようですが実は当然ではありません。前回には前回の事情があり、あの時点では、沸騰する歴史教科書問題を鎮めることが、政権の存続に必要と判断された可能性があるからです。
 どんな政権もその存続のためには「非情」も敢えてします。しかしその危険がなければ、政権本来の信条どおり動くはずです。

 小泉首相は、中国、韓国の執拗な反対にも屈せず、頑なに靖国参拝を続けています。知覧特攻平和会館では、展示の前で涙しました。扶桑社版教科書には特攻隊員の遺書が掲げられています。首相に、扶桑社版への理解がないとは思えません。
 「歴史教科書問題を考える超党派の会」の中川昭一氏、石破茂氏は、首相任命の現閣僚です。だから次回は、ひそかに政府の支持があるのではないかと、私は期待していました。

 しかし、両先生の論文は明瞭な「戦争宣言」です。小泉首相は、ひょっとしたら胸中持っていたかもしれない、つくる会への前回の「借り」を、もはや意識することないでしょう。
 制度上政府があからさまに協力や妨害をすることは不可能ですが、その意思が影響を及ぼすことは、常に念頭においておくべきです。

 つくる会にとって、小泉政権を敵に回すことが良策だったのか否か、私は会員として不安を感じます。
 それとも、現況は私などの想像もつかない、何らかの遠謀深慮の中にあるのでしょうか。

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 こまやかなご心配をおかけし申しわけない。こんな風にいつも「つくる会」の行方やわれわれの言動に注意を払って下さっている方がいるのは心強く、読んでいてありがたかった。最初にまず心から感謝申し上げる。

 以下私の考えを述べたい。

 今西宏さんの予想されている憂慮が的中する確率は必ずしもゼロとはいえない。相当ていどにあり得ることと考えている。けれども、「つくる会」のためにかりに私が自分の言論を犠牲にしても、そうすれば期待する通りに「つくる会」のためになるとも保証されない。それとこれとは別、と考えるべきである。

 私も中西氏も小泉首相の“正体見たり”という思いがしている。二人が打ち合わせしていたわけでもないのに、5月22日の再訪朝の日に、首相は金正日からなんらかの私的脅迫を受けていると予想している。わが国の首相が罠にはめられたのである。

 言論界でこのような予想に立って、理由なき日朝国交正常化の加速化に反対の声をあげられるような人材は今のところ私と中西氏くらいしかいない。

 政界でも心ある筋は、首相がすでに金正日の謀略にひっかかったと見ているようだ。誰とはいわない。想像なされるがよい。閣内にも必ずいる。日本の政治家はそんなに馬鹿ではない。ただし、誰もすぐには動き出せない。今は嵐の前の静けさである。

 福田康夫氏につづいて安倍晋三氏も小泉首相に既に見切りをつけたと私はみている。

 私と中西氏は言論界の立場から、はっきりと「倒閣運動」に動きだしたのだと理解していただきたい。そう言った方がきっと分かり易いだろう。

 小泉内閣は年内もちこたえるかどうか分からない。教科書の採択のときまで恐らくもつまい。かりにもつとしても、もし彼が金正日政権と国交正常化をしようとするなら、猛反対しなければならない。教科書の採択なんかどうでもよい。それよりもはるかに重大な国難である。

 東北アジアでアメリカの反対を押し切って北に大金を支払うようなことが起ったら――小泉氏がもし個人的脅迫を受けていたとしたらあり得ないことではない――日米関係は破局に陥る。

 最近アメリカは北朝鮮の人権問題を強行解決するための新しい法案を通した。日本の首相が北の人権抑圧と断固戦おうとしなければ、日米は危い。そして、そうなれば直前に首相は詰め腹を切らされる。日本のいつものやり方である。

 首相の個人的脅迫のネタも明るみに出るだろう。『週刊文春』7月29日号の32ページに、わが国の首相の人品がいかにレベル以下であるかを示す事例が数多く並べられている。(アメリカ在住の方は少し事情を知らないようだが、NHKや朝日・毎日・日経・共同配信地方紙より『週刊文春』『週刊新潮』の方が題材によってははるかに信憑性が高いのである。田中真紀子、山崎拓、鈴木宗男を追撃し、追い落としたのは上記の二誌である。だから週刊誌の口を封じようとする言論封鎖の法案さえ出されかかった。)

 もっと大きな事件が暴露されるXデーは近いかもしれない。インターネットで流されている若い頃の複数の婦女暴行事件は親告罪なので立証されないでいるが(7月15日に証拠不十分の東京地裁判決があった)。この件は不明としても、過去に女性がらみのきわどい噂は絶えない。勿論、恋愛は自由だが、相手がもし北朝鮮系の女性だったらどういうことになるか。首相はなぜにわかに朝鮮総連と通じるようになったのか。以上は勿論推論である。しかし何かとんでもないバカバカしいことで、日本の国家が危殆に瀕しかけているという悪夢が私にはある。今のところ証拠はなにも出ていない。単に悪夢であり、幻である。外国のマスコミが突然騒ぎ出すかもしれない。

 郵政の民営化も秋には壁にぶつかるだろう。「改革」と叫んでなんの成果もない。中味がないのだから、成果が出るわけがない。それで、改革をいうからには憲法のはずだと外野からしきりに言われて、最近にわかに憲法改正のことを言い出した。

 しかし国家哲学をきちんと持たない人間が憲法改正をするのはかえって危い。憲法9条2項の削除だけしてさっと退陣するくらいの潔さがあるなら、それは拍手されてよい。

 あまりいろいろなことを彼には期待しない方がよい。個人の運命にも国家にも無関心なあぶない宰相なのである。

 私も中西輝政氏も田久保忠衛氏も八木秀次氏も遠藤浩一氏も、「つくる会」メンバーは大半小泉首相の大衆だまし見掛けだおし政権維持パフォーマンスに反対している。曽我さんとジェンキンス氏をさんざんショーとして利用したのは、首相の外務省への指示があってのことにきまっている。選挙前の見せ物づくりのやり方はもう許せないという国民感情が高まっている。

 こういう首相に断固反対するのは「つくる会」の昔からの精神である。この精神を貫くことが採択を有利にする。今の小泉首相に尻尾を振っても採択の結果なんかになにひとつ有利に働かない。

 今西宏さんの心配して下さる気持ちは分らないではないが、「つくる会」はどこまでも正道を貫き通し、戦いつづけるのが筋である。それ以外に脱路はない。

 小泉政権が長つづきして、それが裏目に出たらそのときである。

(8月3日午後加筆修正)

拉致問題の新しい見方 (五)

 
 一昨年の10月15日の帰国に際し、5人の記者会見があり、現地で一番地位の高いといわれる蓮池薫さんの目が異様に光っていて、無気味だったことを覚えている人は少なくないだろう。
 
 私は当時次のように書いた。
 
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 帰国直後、記者会見に出るのを最初いやがった1人の帰国者の発言は、私に奇妙なものを感じさせた。8人の日本人が亡くなられているので、「私のようなものが皆さんの前に出るのは忍びない。表に出るような身分ではない」(『読売』10月16日)という発言は不可解な印象を与えた。有名な元北朝鮮工作員から、この日本人は高い地位の工作員であったという証言も得られた。
 
 私は17日付の私の「インターネット日録」に「ここから先は憶測である。歴史から一つのことがいえる。ナチスのユダヤ人迫害には、ユダヤ人による組織的協力があった。全体主義の恐怖社会で生き残りに成功した者は、過去にそれなりのことはあった」と書き添えた。
 
 インターネットの書きこみに、私のこの言い方は余りに無情だ、容赦がなさすぎる、という批判が乱れとんだ。また私を擁護する反論もあった。(『正論』平成14年12月号)
 
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 ある自民党の有力な政治家が、「蓮池さんは犯行の当事者なのだから・・・・」という言い方をテレビで敢えて言った。私の直観はそう間違ってはいなかったのだと今は信じている。
 
 けれども過去に何があったにせよ、彼が悲劇の犠牲者であることに変りはない。表面的な善悪で問うべき事柄ではまったくない。けれども、お子さんがたも無事手もとに取り戻したのだから、ここで洗いざらい全部体験を語って、安否未確認者や特定失踪者の情報を待ちわびる人々の期待に応えるべきだと誰しもが思うのだが、私は必ずしもそうならないのではないかと、一抹の不安を抱くのである。
 
 強靭な意志力、したたかな心理眼、物怖じしない演技力、信じさせておいてさっと翻すあの裏切りへの胆力、知力、行動力――そういうものの一切を有していたからこそ両家は帰国できたのである。(曽我さんの場合には米兵がらみに北の目算があったためで、別ケースと思う。)
 
 私は蓮池・地村ご夫妻とそのお子さんがたを、あの社会の本質を知っている生き証人と考える。発言に注目したい。文章を詳しく書いてもらいたい。ことにお子さんの出版を期待する。私が心配するのは、彼らが北に残留する犠牲者に対し加害者の位置にあるかもしれないので、発言に自己防衛のかすみがかかり、これ以上の事態の解明にかえって蓋をしてしまう可能性が小さくないと考えられることである。

拉致問題の新しい見方 (四)

 蓮池さんと地村さんの親子がお互いに体制の相違について率直に話せない複雑な心理背景は、以上からだいたい推理できると思う。ただ、私は帰国した5人の子女をテレビで見ていて、ひょっとすると北朝鮮もまた子供の心を利用しようと年来計画を立てていたのではないかと、私の意識をフト横切るものがあった。
 
 いったいなぜ日本人を拉致する必要があったのか、という最初からの謎に、いまだ誰も分り易い答を出してくれていない。住民票を奪って日本人になりすました偽造旅券の一件があった。あの件の理由はよく分ったが、北朝鮮人スパイの教育係に、拉致した日本人が必要だという今までの説明はどうしても腑に落ちない。
 
 25年前の北朝鮮はまだ国力があった。拉致した日本人の二代目をつくらせ、1.2キロ四方の囲いの中で特殊な生活をさせ、親子の関係を利用して、洗脳された若い日本人スパイ(北朝鮮国籍の)を大量に、組織的に日本に送りこむ壮大な長期計画を展開しようとしていたのではないのか。だとすると、5人どころではない。拉致日本人の二世の子供たちがいま他にも多数育てられているのではないだろうか。
 
 信ずべき情報筋から聞いた話だが、蓮池・地村両氏は二年前の10月15日に、北朝鮮当局から子供たちを連れて帰ってもよいと言われたそうである。両氏はすぐに断って、夫婦だけの「訪日」を希望したそうだ。かりに喜々として当局の提案を受け入れたら、忠誠心を疑われ、彼らの「訪日」は取り消され、そして別の二組が代わりに選ばれただろう、と。
 
 恐しい話である。しかしあの体制の真実をえぐっている。両氏は信じるもの乏しき荒涼たる心の戦場をくぐり抜けて今日ここに立ち戻った人々である。大変なことである。待っていた親の愛があり、故郷の土を踏んだ日の暖い歓迎があり、全国民の支援がウソでないことが歳月と共に分って、ようやくマインドコントロールは融けた。彼らの子供は若い柔かい心を持つだけに融けるのが早いともいえるし、親と違って、故郷に帰ったわけではないからマインドコントロールは容易に融けないともいえる。どちらかは分らない。

拉致問題の新しい見方 (三)

  
 弱点を握られた特権階級が、一番従順なスパイになり易いという。体制への反抗心を強く抱いていればいるほど扱い易い。親か子のどちらか一方の身柄を押さえてさえおけば、思想的に西側自由社会の色に染まっていてくれたほうが、西側に浸透し易く、東側にはかえって便利で、ありがたい。顔色ひとつ変えずに西側の人間になり澄まし、東側の体制の悪口を言い、裏切り者の顔をして、いよいよ最後のところで逆転してもう一度裏切ればいい。
 
 自由社会に浸透したこの種の二重仮面の人間は南北朝鮮の間にも数えきれぬほど存在するだろう。日本の政治家や言論人にも必ずいるにきまっている。そういう人間を育てるのが謀略国家の目的の一つであったからだ。
 
 東ドイツの場合に、東ドイツ社会に反抗的な一家の子供は、家庭で話すことと学校で話すこととをたえず厳密に区別しなくてはならなかった。西側自由主義社会がいかに物資が豊かで、情報が自由であるかを、親子はよく知っている。子供はそれをその侭学校で喋るわけにはいかない。彼らは言えと学校で自分を使いわける演技を幼い頃からつづけている。これは一流のスパイを育てる技術を幼児期から毎日磨いているようなものである。事実、東ドイツの超一流の名を轟かせたスパイは、国際的学者や演奏家など、東西を行き来する特権をもつ者の家庭の子供から育てられた場合が多い、と関係書にしばしば書かれている。
 
 東ドイツには西のテレビや書物が入って、今の北朝鮮の息づまるような閉ざされた密封社会とは少し情勢が違うかもしれない。しかし、共産主義的全体主義社会の基本性格には変りはないと思う。
 

拉致問題の新しい見方 (二)

2004年06月18日拉致問題の新しい見方 (二)
 
 東ドイツの例でいうと、独裁者がいちばん恐れているものが三つあった。教会の牧師、文学者、そして子供の心。この三つは独裁者の手の届かない、どう動くか予測のつかない恐しいものだった。体制に裂け目が生じるとすればここからだと思われていた。
 
 そこで教会の牧師の組織では、枢要のポストに秘密警察の非公式協力者が配置された。もちろん聖職者がそれになりすましていたのであって、密告のシステムが張りめぐらされていたということである。一方作家や詩人や文芸評論家にはそういうやり方をしなかった。相互監視の方法もとらない。出版物への検閲は勿論あるが、それもさほどうるさくない。文学者には自己検閲をやらせた。当局は「もうこれで十分だとご自分でお考えになったところで提出してください。」と言った。文学者たちにはこれはかえって不気味であった。どこまでが制限枠かが分からないからだ。すると人間は自分で夢中になって自分を縛る方向へ走る。体制に忠順な「いい子ちゃん」であることを一生懸命に自己証明しなくてはならない。全体主義の国ではこのやり方が文学者を体制順応型に縛り、文学を国家の奴隷に文学者を仕立てていく最も有効なやり方であったと聞く。
 
 人間の心の弱さにつけ込んだ卑劣なやり方である。独裁者にとって一番こわいものの三つ目、すなわち子供の心は、牧師や文学者に対するやり方のいずれでもうまく行かない。子供はどう出るか分からないからだ。親の安否を抑えれば有効だが、子供というのはそれでも分からない。
 
 東ドイツ秘密警察のミールケ長官は14歳以下の小学校のクラスの中からスパイの適格者を選び、特訓する方針を打ち出した。15・6歳になったらもう遅い、と彼は言う。独裁者とその輩下たちが年端もゆかぬ子供を最も恐れていたのだから、面白い。
 
 選んだ子供にクラスの他の子供たちや教師をスパイさせるのである。子供たちを通じてその親たちの動静をさぐらせるのが目的である。外国にしばしば出て行く職業がある。外交官、国際的学者、音楽家、スポーツ選手、船舶や航空機の関係者、彼らは共産主義的全体主義の国ではいわば特権階級であった。ひごろの言動で体制に最も忠誠な安全人間でなければ選ばれない。それでもたびたび外国へ行き、自由社会に触れているうちに変心する人が出てくる。親の行動を子供に密告させる絶好のチャンス、そういう手続きがいよいよ必要になる場合といってもいい。しかしそれよりも、西側を知った人間は親子ともども体制への反抗心を募らせるという方向へ傾く人々がはるかに多かったという。
 
 東ドイツの秘密警察当局はこういう親子を見つけるとゆっくり動き出す。逮捕するためではない。彼らを威嚇して手なづけるためである。
 

九段下会議の考え方 (十一)

*****日本の背筋を正すのは*****

伊藤: では、そういう日本をもう一度取り戻すためにはどうしたらよろしいでしょうか。

八木: 西尾先生からもお話がありましたが、やはり「保守」というものを内実をはっきりさせることです。例えば、対外認識でのリアリティを取り戻すことが先決ではないかと思います。元産経新聞の高山正之さんの明言で「世界はみんな腹黒い」という(笑)のがありますが・・・・・。

伊藤: 相林さんという中国の民主化運動をやっている日本の代表がいるんですが、その人にインタビューしたときに、世界は狼ばっかりだと、狼だらけだと。世界は羊ばかりだと考えているのは日本人だけだと、こう言われた。非常に印象深かったことがあります。

八木: そういう甘い対外認識を変えるとともに、人間は性善なるものだという人間観についても見直す必要があります。みんな平等でなくてはいけないんだという考えは間違っているということを基本にした具体的な政策を提言することだと思います。

 また結論をいえば、やはり保守の理念を正確に理解している指導者の輩出、そしてそれを支える国民運動の必要性ということに尽きると思います。

伊藤: 西尾先生はこれに何か付け足されることがありますか。

西尾: 自虐などという言葉を誰が考えついたのかしらないけれど、自分が悪いことをしたらそれをひたすら言って歩いて、世界の人に頭を下げて歩き、謝れば許されると思っている。それだけではなくて、謝れば謝るほど、自分が美しく見える、自分が道徳的に見えるという錯覚を僕は一番問題にしたいと思うのです。

 あるドイツの歴史の先生がベルリンでドイツの戦争について講義された。その時、日本人が立ち上がって、日本も韓国人や中国人に酷いことをしたんですと言ったのです。すると、そこにいたユダヤ人が、「今、日本人からそういう意見があったけれども、一つの民族を組織的に集めて、組織的に大量に虐殺した国は史上ドイツ以外にはない。日本はその中に入らない」と言ったのです。その日本の知識人はしゅんとしてしまい、言い返す言葉もなかったという話をその場にいた人から聞いたことがあります。実に愚かな話です。

伊藤: 本当の悪というものを見ていないが故に、本当の善というものも見えなくなっているということですね。

八木: 善もそうですが、本当に美しいものに対する認識もなくなっています。

 今、韓国のテレビドラマ「冬のソナタ」が日本で大ブームになっていますが、その主演俳優が日本に来たら、30代から60代までの女性たちが大騒ぎした。ドラマは初恋の淡い思いがテーマですが、なぜ日本のその年代の人たちがそれだけ熱中するかといえば、日本にはそういうものが無いからなのです。

伊藤: 純愛ものがないと。

八木: 日本の多くの若者は体の関係から入っていくし、学校ではいきなり肉体的な性教育から始まっていて、感情や精神の教育はない。文学作品を読んで恋に憧れるということもない。しかし、悔しいことながら韓国にはそういうものがあるということなのです。日本ではむしろ、そうした美しい感情が教育によって潰されていると思うのです。本来、秩序あるものは美しいものだし、上品・下品という言葉があるように価値の上下があること自体は美しいことです。それが今の日本では不平等だという言い方で、つまりは甘い言葉で次々と潰されている。しかし、「冬のソナタ」の大ブームを見ると、多くの人たちは実はそういう美しいものを求めているのではないか、と思うのです。

伊藤: そういう意味でも、九段下会議では今の日本の状況を深く掘り下げていただき、警鐘を乱打しているわけですね。

西尾: 今、北朝鮮を巡る6カ国協議で問われているのは、実は北朝鮮ではなくて日本であると思います。各国が日本の行く末、とりわけ日本の軍事力をどうしてやろうかというふうに見据えていると思うのです。

 この点をマニフェストはこう述べています。

 《日本をとり巻く四囲の国際環境はがらりと変った。もし判断を間違え、改革の方向を取り違えるなら、「第二の敗戦」だけでは済まない。米中露の谷間の無力な非核平和国家であることに自己満足しているうちに、知らぬ間に友好の名における北京政府の巧妙な内政干渉が、日本の政治権力を骨抜きにし、あっという間に事態は悪化し、気がついたときにはもう遅い。警察権力の内部にまで中国が入りこむ。かくて「第二の占領」を完成し、日本はアメリカに愛想をつかされ、見捨てられるという事態も起こらぬではない。》

 さらに、米中対決が深刻化し、そのなかで日本が中国寄りのまま、優柔不断をくりかえすなら、アメリカとしてはこの土地を放棄しないと決めた以上、「再占領」以外の手はないことになるであろう、とも書きました。むろん、いずれも極端なケースであり、明日起こるというわけではないのですが、最悪のシナリオを心の隅に思い描いて、それへの用意を片ときも忘れずに政策を組み立てるのが政治というものです。

 話を6カ国協議に戻しますと、テーマは朝鮮半島の非核化であり、日本が求めていることでもあるわけです。しかし、それは同時に日本列島を含む太平洋の真ん中を非核化して、米中露三国の核大国が取り巻くという構造を恒久化することも意味している。つまり、北朝鮮の核問題の解決は農法によっては日本の非核化の恒久化にもつながっているのです。

 しかし、それは中国、ロシア、アメリカが核を持たないのであればいいけれども、そうでない以上、日本が永久に各国に翻弄されることになりかねず、はなはだ危険です。

 核に限らず、軍事力というのは、何も明日戦争を起こすためにあるのではないのであって、軍事が政治に跳ね返ってくるということが大事なのですね。現に、今度イラクに派兵しただけで、かなりの政治効果が期待されているのです。これは北朝鮮に対する無言の圧力になったし、中国に対しても同様です。その意味で、見せるべきときには見せなければならないのです。

 つまり、軍事力というのは、ある意味では日本人の心の支えなのです。実際に打って出るとか、戦うとかいう話ではなくて、いつでも大丈夫だよという支えです。それがないから、びくびくして北朝鮮に対する経済制裁一つできない。どんなことがあったって大丈夫だよという備えがあって、初めて経済制裁をして相手を倒してでも拉致の被害者を連れ戻すという決意を示すことが出来るのです。これが国家というものではないでしょうか。

 拉致問題について日本が身動きできないのは、日本が戦争ができない体制になってしまっているからです。ここのところを何としても変えなければ、この国は背筋を正すことができないと思います。

 国が近隣の不正を自らの力で罰したり、あるいは遠いところで起こっている紛争に出て行って調停をしたりすることをしなければ、子供たちが学校の中で、いじめっ子が横暴なことをしても黙ってしまうのは仕方がないという思想や精神態度を育成していきます。

 先ほどの「冬のソナタ」という韓国の映画を私も見ましたが、学校の先生の生徒に対する態度など、イメージとしては30年前の日本を見たような感じがしました。そういう面だけをとれば韓国はまだ健全です。

 逆に日本はネジを元に戻さなければダメです。これ以上崩れたらもうおしまいです。そのためにも、日本政策研究センターに多いに頑張っていただいて、指導的役割を果たしていただきたいと願っています。

九段下会議の考え方 (十)

*****国際社会の現実を認識せよ*****

伊藤: 結局、こうした動きに対する反撃の根本は、やはり保守思想とは何ぞやというところまでいくのだと思いますが、その保守思想の一つの重要な要素として、この社会に完全平等なんてない、社会というものは本質的に不平等なものであるといった常識を取り戻すことが大切ですね。

西尾: 国際社会に完全な正義なんてない。

伊藤: 人々は自由でもないし、そしてみんなが善意なんてこともありえない。とりわけ国際社会は悪意に満ち満ちている。それにどう対抗して、したたかに、譲れないものを守っていくかということを考えるのが保守の原点だと思うのですが。

西尾: 例えば、多くの日本人はイラク問題を巡ってドイツとフランスがアメリカの行動に反対したことをさながら平和主義の錦の御旗のように思っているかも知れないけれども、それは日本の知識人とテレビが言っているだけです。ドイツもフランスも、取り巻いている国際環境が最早防衛問題から解放されてしまって、何も恐怖がないために、少なくともアメリカに拘束されるのはいやだ、イラクの利権はヨーロッパにもあるのだ、ということを言いたいために反対したのです。平和主義の仮面の下にはしたたかな駆け引きがあるわけです。

 どんな場合でも全くそうです。フランスなどはかつてイラクに原子炉を売っていた。この原子炉は完成する前にイスラエルが爆撃しましたが、つまりはイラクの大量破壊兵器につながるようなことをフランスは裏でやっていたのです。
 
 フランスと言えば、東アジアに対する対応はものすごく悪質です。今は中国にすりよっていますが、台湾にラファイエット号という軍艦を売ったことがありました。このときは大変な汚職が起こって何人も自殺するような大事件になった。フランスという国は、他国に武器弾薬を売るのが唯一の経済力を維持する方策であり、どこに武器を売る場合にも、莫大な汚職を犯すので有名です。しかも、ラファイエット号の場合は、中国が猛烈に反発したら、今度は中国を黙らせるために江沢民に金を渡し、そのリベートまで取っていたというのだから驚きます。
 
 しかし、これが世界の現実の姿なんです。そうした凄い現実の上で世界が動いているということを知らないから、さっき言ったように、日本人は誰かがかわいそうだと思ったり、国際社会の中で日本が悪いことをしたということを認めることが道徳であるかのように誤解しているのです。
 
 
伊藤: やはり無葛藤社会の中から道徳なんて生まれないわけであって、むしろ性悪説的な社会というものをよりリアルに認識すればこそ、そこからの脱出を求めて道徳の必要性というものに気がつくのではないでしょうか。

 ところが、戦後はまさに皆が善い人だという無葛藤社会の幻想からスタートして道徳を考えようとしたが故に、全く変なことになっているということではないでしょうか。
 
 
西尾: 戦前も大衆は無葛藤社会の中に生きていたのではないかと思いますが、指導者は意外と葛藤社会を見ていたと思いますね。ところが、今の日本はリーダー、知識人も含めて政官財のリーダーがみんなダメになっている。少し前までは、大蔵省でも日銀でも経済官僚は愛国心や国益の観念がもっとあったような気がしますが・・・・・。