民主党政権・鳩山内閣への重大なる懸念

外国人参政権

  「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」
という “友愛精神”の耐え難い軽さ

 永住外国人の地方参政権について、鳩山由紀夫代表は「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」とまで発言し、意欲をみせている。民主党は結党時から基本政策に掲げ、これまでもたびたび法案を提出してきた。しかし、安易な参政権付与には危険がつきまとう。
             *

 永住外国人の地方参政権についてかつて小沢一郎氏は「たいした実害はないだろう」と甘い考えを示し、韓国大統領との会談の席で「参政権付与を行なうのが遅れているのは遺憾に思っている」とまで踏み込んだ発言をした。

 鳩山由紀夫氏は党代表になるや「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」と浮ついた発言をして、「じゃあ貴方に言うが、鳩山御殿は鳩山一族のものではない。東京都民に開放しなさい」と八方から噛みつかれたほど、“友愛”に浮かれたこの人は感傷的で、非常識である。

 参政権を認めれば、予想される事態は、韓国人や中国人が過疎地の自治体に計画的に集団移住するなり、住民登録を移すなりして、小さな市や町の議会を合法的に占領する可能性がある。すでに土地が韓国企業に買い占められている対馬や国境の島の沖縄・与那国島などは真っ先に狙われるだろう。侵略は国境の内側から合法的に始まるのである。「実害」がないどころではない。

 最近では中国人永住者は60~80万人に達するといわれ、在日韓国朝鮮人の数を上回った。オリンピックの聖火リレーのときあっという間に中国の赤い旗が長野を埋めつくし、中国人が狼藉を働いた恐怖を現場にいた人は今も口々に語っている。北京の指令ですべてがコントロールできる。大使館が旗や旅費を渡していたという。

 全体主義の国は私たちの常識の及ばない怖さがある。例えば都知事選挙のような場合でも、20万票とか30万票とかが北京やソウルの意志で動けば、キャスティングボートを握られる。今は地方参政権だけが問題となっているが、おそらくそこで留まる話ではない。

 昨年4月16日地方参政権を求める人々の緊急集会が、東京の憲政記念会館で行なわれた。民主党、公明党を中心に国会議員が21人参加した会だが、旧社会党出身の民主党議員赤松広隆氏が挨拶に立って「最終的には国政選挙参政権も求めますが、最初から多くを求めず、とりあえず地方参政権を勝ち取ろう」と呼び掛けていたそうだ。やはり最終の狙いは国政選挙である。中国人や韓国人の票で日本の政治を動かそうとする邪悪な意図が感じられる。

 移民問題でヨーロッパは比較的寛容といわれるが、しかし英仏独伊など主要西ヨーロッパ諸国で外国人に地方参政権を与えているのはEU加盟国の内部同士であって、外部からの移民にはいっさい与えていない。

 国政レベルの参政権付与はEU加盟国の内部同士でも行なっていない。アメリカやカナダやオーストラリアは代表的な移民国家だが、そこでさえも、地方・国政の両レベルで参政権付与はなされていない。ただ一つだけ不幸な例外の国はオランダである。

 オランダはEU域外の外国人への地方参政権付与からトラブルが始まって、やがて内乱に近い状態になった。外国人は都市部に集中してゲットーに居住し、別国家のような観を呈した。そこにオランダ人が足を踏み入れると敵意を示す。外国人はオランダの生活習慣や価値観を嫌い、祖国のやり方を守るだけでなく、オランダの文化や仕切りを自分たちの流儀に切り換え、変革しようとさえする。時刻の宗教や文化を絶対視し、若い狂信派を育てて、オランダの社会システムを破壊し、つくり変えようとする。

 オランダ政府はいろいろ手を打ったが、すべて手遅れである。外国人が一定数以上を超え、政治発言力を持ち始めると、取り返しがつかなくなる先例をオランダに学ぶべきである。

SAPIO 2009.8.5より

コラム「正論」(その二)

 5月13日に岡崎久彦氏が、14日に村田晃嗣氏が私に先立って北朝鮮関連を産経コラム「正論」欄で論じているのをあらためて読んだ。

 岡崎氏は日朝正常化を目標として掲げ、手段として一兆円の代償を提言して、次のように言っている。

 私の提案はこれ(一兆円)を日米同盟の共同財産とすることである。即(すなわ)ち、日米による北との正常化交渉を一体化して、核計画の全廃と拉致事件の完全解決を一歩も譲れない条件として、米国が日韓両国を代表して交渉を行うことである。

 韓国は米朝、日朝国交正常化の最大の利益関係者であり、また、日韓正常化の際の補償との均衡の問題にも関心があろうから、参加は当然である。

 それだけ明確かつ大義名分のある目標があるならば、その実現まで今回のミサイル実験を契機として、いかなる厳しい(経済)制裁であっても、これを実施し継続する正当な理由がある。

文:岡崎久彦

 あくまで外交交渉で解決を図るという考えである。日本の一兆円を米国に委ねて、「米国が日韓両国を代表して交渉を行う」のだそうである。そして、この方法には「明確かつ大義名分のある目標がある」ので、今後北へのいかなる厳しい経済制裁をしても正当な理由があるから非難されないですむというのである。

 北朝鮮は一兆円をもらったら「核計画の全廃と拉致事件の完全解決」を必ずやってくれると信じている。米国まかせで、一兆円を米国の手を経てあの国に奉納しましょうという話である。

 何年も前に逆戻りしたような話である。村田氏も外交交渉で問題を解決するのが「現実的外交」であると言っている点には同じ考え方である。

 26日付の私のコラム「正論」を次に掲げておく。

■【正論】評論家・西尾幹二 敵基地調査が必要ではないか

 《《《戦争と背中合わせの制裁》》》

 東京裁判でアメリカ人のウィリアム・ローガン弁護人は、日本に対する経済的圧力が先の戦争の原因で、戦争を引き起こしたのは日本ではなく連合国であるとの論証を行うに際し、パリ不戦条約の起案者の一人であるケロッグ米国務長官が経済制裁、経済封鎖を戦争行為として認識していた事実を紹介した。日米開戦をめぐる重要な論点の一つであるが、今日私は大戦を回顧したいのではない。

 経済制裁、経済封鎖が戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対してすでに「宣戦布告」をしているに等しいのではないか。北朝鮮がいきなりノドンを撃ち込んできても、かつての日本のように、自分たちは「自衛戦争」をしているのだと言い得る根拠をすでに与えてしまっているのではないか。

 勿論(もちろん)、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁は当然だ、という言い分がわが国にはある。しかし、経済制裁に手を出した以上、わが国は戦争行為に踏み切っているのであって、経済制裁は平和的手段だなどと言っても通らないのではないか。

 
《《《北の標的なのに他人事?》》》

 相手がノドンで報復してきても、何も文句を言えない立場ではないか。たしかに先に拉致をしたのが悪いに決まっている。が、悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国など他の国の人々がそう思うかどうか分からない。武器さえ使わなければ戦争行為ではない、ときめてかかっているのは、自分たちは戦争から遠い処にいるとつねひごろ安心している今の日本人の迂闊(うかつ)さ、ぼんやりのせいである。北朝鮮が猛々(たけだけ)しい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵(ののし)っているのをアメリカや他の国は笑ってすませられるが、日本はそうはいかないのではないだろうか。

 アメリカは日米両国のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。そう思わないのは日本だけである。この誤算がばかげた悲劇につながる可能性がある。「ばかげた」と言ったのは世界のどの国もが同情しない惨事だからである。核の再被爆国になっても、何で早く手を打たなかったのかと、他の国の人々は日本の怠惰を哀れむだけだからである。

 拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、と分かったとき、経済制裁から武力制裁に切り替えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り替えないで、経済制裁をただ漫然とつづけることは、途轍(とてつ)もなく危ういことなのである。

 『Voice』6月号で科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルでの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語っている。「独裁国家が強力な破壊力をもつ軍事技術を有した場合、それを使わなかった歴史的な事例を見つけることはできない」と。

 よく人は、北朝鮮の核開発は対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だと言うが、それはアメリカや他の国が言うならいいとしても、標的にされている国が他人事(ひとごと)のように呑気(のんき)に空とぼけていいのか。北の幹部の誤作動や気紛れやヒステリーで100万単位で核爆死するかもしれない日本人が、そういうことを言って本当の問題から逃げることは許されない。

 
《《《2回目の核実験を強行》》》

 最近は核に対しては核をと口走る人が多い。しかし日本の核武装は別問題で、北を相手に核で対抗を考える前にもっとなすべき緊急で、的を射た方法があるはずである。イスラエルがやってきたことである。前述の「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する」用意周到な方法への準備、その意志確立、軍事技術の再確認である。私が専門筋から知り得た限りでは、わが自衛隊には空対地ミサイルの用意はないが、戦闘爆撃機による敵基地攻撃能力は十分そなわっている。トマホークなどの艦対地ミサイルはアメリカから供給されれば、勿論使用可能だが、約半年の準備を要するのに対し、即戦力の戦闘爆撃機で十分に対応できるそうである。

 問題は、北朝鮮の基地情報、重要ポイントの位置、強度、埋蔵物件等の調査を要する点である。ここでアメリカの協力は不可欠だが、アメリカに任せるのではなく、敵基地調査は必要だと日本が言い出し、動き出すことが肝腎(かんじん)である。調査をやり出すだけで国内のマスコミが大さわぎするかもしれないばからしさを克服し、民族の生命を守る正念場に対面する時である。小型核のノドン搭載は時間の問題である。例のPAC3を100台配置しても間に合わない時が必ず来る。しかも案外、早く来る。25日には2回目の核実験が行われた。

 アメリカや他の国は日本の出方を見守っているのであって、日本の本気だけがアメリカや中国を動かし、外交を変える。六カ国協議は日本を守らない。何の覚悟もなく経済制裁をだらだらつづける危険はこのうえなく大きい。(にしお かんじ)

平成21年 (2009) 5月26日[火] 先勝

コラム「正論」(その一)

 足立誠之さんから以下のようなお励ましのおことばを頂戴しました。
感謝して掲示させていただきます。

西尾幹二先生

 前略、本日のコラム「正論」拝読いたしました。
 
 雑誌「正論」6月号で鋭くご指摘されたと同様、北朝鮮問題の本質を鋭くご指摘されたことで目を覚ます日本人もでてくると信じます。
 
 残念なことに、今日本が北朝鮮の核施設を破壊しなければ米国も中国もなにもしないで時を過ごし、核を搭載したノドンの前に日本が屈服するかたちに追い込まれるということを、政治家の誰一人口にしないのです。議員の一人としてそうした声を発するものがいなければ、アメリカも中国も北の核武装解除に動くはずはないのにです。こうしたことすら口にしない議員しかいないのは残念です。

 5月13日のコラム「正論」では岡崎久彦氏が、日朝国交正常化を日米共通の武器として対北交渉に当たれと論じました。その翌日名前は忘れましたがどこかの教授が、保守主義者に現実的になれと述べていました。これを読んで産経新聞はもう終わりだと思った次第です。
 
 特に岡崎氏にはあれほどアメリカに裏切られながら、日本の貴重な外交カードを裏切って間もないアメリカと日朝国交正常化を持ち出すという神経では、もう岡崎さんもおしまいだと思いました。

 先生の論文が世論を動かし、議会を動かし、政府を動かし、日本を動かすように我々も努力しなければならないと思います。
                                       足立誠之拝

 足立さん、ありがとうございました。
 本日のコラム「正論」の大意は10日ほど前にこの日録に書きました。丁寧に論を整えて先々週の終末に新聞社に渡しましたが、なかなかのせません。
 
 最初ゲラについていた見出しは「覚悟なき北制裁継続こそ危険」で、まあいいと思っていました。そして、昨日核実験の報道があったので、新聞社はやっとのせてくれました。

 ただし、見出しは承諾なしに変更されていました。
 
 新聞でご覧のとうり、「敵基地調査が必要ではないか」になっています。私の趣旨は、経済制裁はすでに日本の宣戦布告に等しく、明日ノドンを打ち込まれても不思議はない、日本人の大量核爆死を防ぐには敵基地破壊のほかに方法はなく、アメリカや国連に期待する時期はおわりつつあり、覚悟なき経済制裁はかえって危険である、したがって敵基地調査が必要であり、専門筋から知りえた限りでは、自衛隊の戦闘爆撃機で十分に対応できる、というものです。
 
 「専門筋」とは田母神さんのことです。
 
 足立さんがご推察のとうり、産経新聞は見出しの表現をわざとずらして、やっとのせてくれたのです。
 
 経済制裁は戦争行為という思想はパリ不戦条約の発案者からきています。私の論理を新聞で確認してください。
 

田母神航空幕僚長の論文事件を考える(四)

 11月28日深夜の朝まで生テレビで私は前回の皇室問題の場合よりも発言がしにくくときおり声を荒げていたのは見ている方も気がついていたと思う。皇室問題のときに私は孤立はしていたが終始静かな口調で、他を気にしないで語ることができたと思う。すべては司会の田原さんの対応の違いなのである。

 皇室問題のときに彼は私にたっぷり時間を与え、途中でさえぎることをしなかった。私が十分に語らないと成立しない番組だったからである。一昨夜は控え時間に「西尾さん、皇室問題のときは貴方の人気はすごかったですよ。」とニヤニヤ笑っていた。今夜はそうはさせないよ、という意味である。

 案の定、田母神問題では姜尚中氏たちにはゆっくり長時間喋らせた。私の発言はたえ間なくさえぎられた。保守側に勝たせたくないのが田原さんの動機にある。私の話がある流れに入るとさっとさえぎられる。何度もそういうことがあった。そうなると大きな声を出して追加発言しなくてはならなくなる。

 この番組に保守側の言論人が出たがらない理由はこの不公平のせいである。それでも昨夜録画を見直したが、私はきちんと説得的に話していると思った。今回、ディレクターの吉成英夫さんは終った直後、「西尾さん、メッセージは全部伝わりましたよ。地図を出したのもよかったですよ。」と言ってくれた。彼はどっちの味方なのかなァー。

 1989年に私がこの番組に最初に出たとき――1993年頃まで頻繁に出た――以来の知り合いである。本当にもう長い。私は病気になって90年代の半ばに出演をやめたのである。番組自体も今は衰退気味である。昔は5時間もやったのに今は3時間である。

 たしかに保守側には公平を欠く番組である。そんなに厭なら出演をやめれば良いのである。けれども、よく考えてほしい。私が出た最近のこの二つの番組のテーマを地上波テレビの何処がいったい論議として本気で取り扱ったであろうか。

 大マスコミは沈黙である。『WiLL』が発売される26日まで活字の世界でもきちんとした論調はひとつもない。(今回『WiLL』1月号では中西輝政氏の論文が非常に良かった。)余りにもマスコミは歪んでいる。自民党政府も政権政党の体をなしていない。

 であるから、私は私や私に近い人たちの主張を伝えるためにあえて不公平を承知でこれまでにも同番組に出ていたし、今回も出演したのである。

 例えば、1941年(昭16)年の開戦時点で、地表面積の27%をイギリスが、15%をソ連が、9%をフランスが、7%をアメリカが占め、この四国で58%にもなることを今の人は全く知らないのではないだろうか。テレビのフリップで地図を見せたのは視聴者の数が数百万単位だからやはり意味があったと思っている。

 『WiLL』1月号の中西輝政氏の次の言葉は私の意にぴったり適っている。強く共感する。

 日本人の「東京裁判史観」なるものは、何によって支えられているのか。その中心点は、国際的な観点から物事を見ようとしないという点である。つねに「日本が何をやったか」だけを問題にして「他国がどうだったか」をほとんど完全に無視して、戦後60年経っても本来的な歴史の議論に蓋をする。

 端的に言えば、歴史の個々の事実をどう見るかとは関係なく、日本の行った行為しか見ようとしないのが「東京裁判史観」の真髄で、いまだに日本の大半の歴史学者、インテリ、マスコミがそこに捕らわれ、一歩も抜け出せない。なぜ比較の中で日本の近代史を論じようとしないのか。

 さらに今日、「東京裁判史観」を支える中心的な論者の中には、自らを「昭和史家」と称する人が多い。彼らはつねに昭和史しか問題にしない。しかし昭和史を論じるなら、明治・大正を無視して正しい歴史観は得られない。ここに「昭和史」と「東京裁判史観」の本質的な親和性が生まれる背景があるのである。「昭和史」という言葉自体が、すでに国際的な視野がなく、「東京裁判史観」と不即不離に融合しており、何かを根底に共有している。

 その「昭和史」についての細部の叙述のせめて半分、いや四分の一でも当時の諸外国のあり方について論じるべきで、その上で戦争観、歴史観を論じるべきだろう。当然のことながら、戦争には相手がいるのだから。このことを戦後の日本人はすっかり忘れ、「歴史」を論じてきたのである。その最たるものが「昭和史」なるものだった。

 私がこれまで言いつづけてきたこともまさにこのことだった。日本の歴史学者、言論知識人の視野の狭さにはほとほと手を焼いてきたが、朝日新聞に田母神論文への反論を書いた秦郁彦、保坂正康、北岡伸一の諸氏などは中西論文で言われている当の人々であると思う。自民党政府もおかしいが、どちらかといえば保守系と称されてきたこれら言論人の狭い歴史の見方は国の方向を過らせるものである。

 朝まで生テレビで私の前に坐っていた人々はもうほとんど相手にしなくてもよい。『文藝春秋』や『中央公論』あたりに屯ろしている上記の歴史学者、言論知識人が今はむしろ問題とされるべきである。

 朝まで生テレビではさっき言ったようにいちいち反論する間合いもないし、姜尚中氏たちの話を私はていねいに聞いてもいない。広い視聴者に向けて私の考え方を少しでも伝えるのが出演の目的だった。

 これからの本当の戦いも姜氏や九条の会相手ではなく、保守といわれてきた人々の中の敗北主義者、現状維持派、歴史瑣末主義者、一口でいえば目の前の危機が見えない人々に向けられるべきである。

田母神航空幕僚長の論文事件を考える(三)

 28日から29日へかけての深夜、例の朝まで生テレビに出て、田母神さんの論文について議論しました。ご覧になった方はいかがでしたでしょうか。
 
 知友から各種のメールをいただきました。面白いので、A さんから D さんEさんまで匿名でご紹介します。(Eさんを追加しました)

 大体同じような感想や判断であったように思います。私が気がつかず、はっと驚いたご指摘も多々ありましたので、皆様にも参考になるのではないかと思いました。

A
朝まで生テレビお疲れ様でした。
最初から最後まで拝見しました。

最後の集計結果で、まともな人が多いとわかってとりあえずほっとしました。
田原・姜・田岡・小森三氏の悔しそうな様子に、溜飲が下がりました。

たいした意見ではないですが、感想をお伝えします。
1)先生、水島さん、潮さんのお話と花岡さんのお話については、安心して聞いていました

2)防衛省と警察に近い森本さんと平沢さんには(半分予想していましたが)がっかりしました。
というより、ああいう人たちの考えが今の政府や官僚の事なかれ主義の象徴なのでしょうか?
特に森本さんは、自分への責任が来るのを嫌がっているふうにも感じられ見苦しい気持ちがしました。
この人達のようなものと今後戦っていくことになるのかなぁとも思いました。

3)先生達のお向かいの人たちはいつもと同じでしたが、今まで大嫌いだった姜さんが少し哀れに思えました。
嫌いなのはそのまま、話しもつまらないすり替えや屁理屈ばかりで全く共感できないのですが、水島社長さんが拉致問題の話しをしたときにすごく哀れに見えたのです。
この人、自分の祖国の犯罪をやはり恥じているような気がしたんです。
本当は日本人になりたいのかなぁとか、勝手に考えてしまいました。

4)田原さんは西尾先生や潮さんが大事な話をするときに、大声で制止しますね。
でもだからこそ、どこが大事かわかります。
また、今回思いがけず笑ってしまったのは、田原さんが辻元さんに「時々献金してる」ってぽろっと言った部分です。辻元のシンパなんだと改めて思いました。

B
ところで昨夜、正確には今朝まで「朝まで生テレビ」・「激論・田母神論文」がありました。姜尚中、小森両東大教授、辻元清美、共産党の議員。対するは、西尾先生、水島氏、潮正人氏、花岡氏、それに森本敏氏らでした。

 最後に発表されたアンケートの結果が印象的でした。田母神論文を指示するが60%以上、反対は33%?でした。憲法に自衛隊を明示せよ、は80%でした。

 討論の中でもどかしく感じた点は以下の諸点です。

・辻元清美の「東南アジアで大東亜戦争を評価する国々とあるが、何処ですか?」という質問に

 花岡氏は答えませんでしたが、具体的に名前を挙げた方が説得力があった、と思います
 多くの事例を挙げることは簡単なはずです。

・欧米の侵略戦争は第一大戦までのことだ、と小森などが言っていましたが、

 そうではない。欧米諸国が植民地支配を目指して東南アジア諸国の民衆と戦ったのは第二次大戦後のことだ。と答えて欲しかった。インドネシアでは4年間に80万人を殺しています。

・「(田母神氏は)政府の方針に従わなかった」ことが問題だ、という言い方。

 これには、1952年の国会決議を忘れて未だにA級戦犯などと言い続けることこそ、最高機関の決議に対する違反ではないか。日教組の国旗・国歌に対する侮辱行為こそ問題視すべきだ。
 
・シナ事変については、「日本の侵略」と森本氏までが言っていましたが、

 東京裁判でも「日本の侵略」と出来なかった事実を指摘すべきでした。連合国は取り上げたが、米国駐在武官の電文などがあって、慌てて蓋をしたのです。

・防衛大学の講師に「作る会の幹部」が呼ばれていたのは問題、と辻元が指摘しましたが

 作る会の歴史教科書は、文部科学省の検定をパスしています。その教科書を作った「作る会」が問題だということは、文科省がおかしいというのか、と反論すべきでした。
 つまり、東京書籍など他の歴史教科書の執筆者はどうするのか?ということでもあります。

などなどですが、西尾、水島、潮諸氏の活躍が光りました。森本氏の歴史観には驚きました。
平沢勝栄議員は何のために出ていたのは理解不能でした。

C
朝生テレビを見ました。
左巻きの人たちはともかく、保守側と見られた人たち(森本、平沢氏)でも、「立場上あの発言はまずかった」というスタンス、さらに、敗戦以来、自分自身が大きな洗脳という雰囲気下で影響を受けているという自覚がまるでありませんでした。この二人は、秦郁彦氏と同根と思われますが、いかがでしょう。

西尾先生が「歴史を巨視的に観る」ことの必要性を訴えていたこと、そしてGHQ焚書図書を引用しながらの具体的な発言が目立ちました。
水島氏はいつものスタンス通りで正論を述べられていましたが、ときどきチャンネル桜に出演する?森本氏に呆れていたことでしょう。
森本氏の歴史観は政府お抱えの学者という印象で、つくる会の歴史観とはまったく矛盾するもので驚きました(ある程度は予想していましたが)。

潮氏も頑張っておられましたが、花岡氏の遠慮気味発言にはがっかりしました。
もっと、はっきりおかしいことを「否定」する言動をすべきでしょう。
花岡氏はまったくディベート向きではないことが分かりました。もっとGHQ焚書に目を通して自信をつけるべきです。

平沢勝栄議員は最初からまったく期待はしていませんでしたが、森本氏と同様、一見保守の立場で発言するだろうと思わせながら、期待に応えない。両氏ともどこか、秦、保坂氏らのスタンスに近いものがある。今後そのようにみるべきでしょう。
局側もそれをにらんでの登板要請ではないでしょうか。

田母神問題は、思想の(人物の)真贋を洞察する、いいリトマス試験紙であることを確認しましょう。

                                    匆々

D
朝生を久しぶりに、何年ぶりかで見ました。
辻元が少し丸くなった印象には笑えました。
平沢、森本は一体何を考えているのか。
あくまでも日本をアメリカの保護国としてしか見ていないのではないか。
それにしても、
西尾先生は大したものです。
まず、知識の量で他の出演者を圧倒しています。
そして、発言に一点の迷いがない。
最後に、会場やFAXで田母神さんへの支持が圧倒的であったことに
安堵の表情を浮かべていたことに、私も心安らかに眠りについた次第。

 次は高校時代の友人からです。

E
「朝まで生テレビ」拝見、ご苦労さまでした。
さぞお疲れでしょう。こちらは、DVDに収録して、昼間ゆっくり見た次第で申し訳ありません。
しかし西尾節の炸裂で、3時間は長く感じませんでした。大兄発言は時々田原氏にさえぎられていましたが、おおむね持論は展開されたのではないでしょうか。フリップ(という言い方でよい?)も要領よく、うまく出来ていましたね。最後のプロ田母神、61%という数字はサムシングですね?とくに、アンチのうちの39%?は「立場上問題」と言う反対なので、なかみを問うものではないとすると、大変な数字だと思います。大兄は「当然のこと」と昂然としておられましたが、田原氏なり、テレ朝なり、営業政策上?も方針を少しずつ転換した方が良いのでしょうか?
(まあ、皮肉ですけど。)右取りあえずの感想です。どうかごゆっくりお休みください。(というわけにも行かないのでしょうが・・・。)

 

田母神航空幕僚長の論文事件を考える(二)

tamogami1.jpg

朝まで生テレビ!

タイトル:~激論!田母神問題と自衛隊~
放送日時:11月28日(金)25:20~28:20
       (11月29日(土)午前 1:20~ 4:20)

 田母神俊雄航空幕僚長(当時)の論文が物議を醸しており、参議院では参考人招致が行われました。現役航空自衛隊の最高幹部が政府見解に反する論文を発表したことから、シビリアンコントロールの形骸化を指摘し、戦前回帰を危惧する声もあります。果たして田母神氏のこの確信犯的言動の原点はどこにあるのでしょうか。また海上自衛隊の暴行事件疑惑、守屋事務次官の収賄罪による実刑判決、など不祥事が相次いでいます。
 
 そこで今回の「朝まで生テレビ!」では、田母神論文の問題提起とその内容の問題点とは?今自衛隊はどうなっているのか?自衛隊に対する理解と信頼をどうすれば回復できるのかを議論したいと思います。

番組ホームページより

司会:田原総一朗
進行:長野智子・渡辺宜嗣(テレビ朝日アナウンサー)

パネリスト(案)決定
○ 平沢勝栄 (自民党・衆議院議員、元防衛長官政務官)
○ 浅尾慶一郎(民主党・参議院議員・党「次の内閣」防衛大臣)
○ 井上哲士 (日本共産党・参議院議員、参院外交防衛委員)
○ 辻元清美 (社民党・衆議院議員、党政審会長代理)

○ 潮 匡人 (元防衛庁広報、帝京大学短期大学准教授、元航空自衛官)
○ 姜 尚中 (東京大学大学院教授)
○ 小森陽一 (東京大学大学院教授、「9条の会」事務局長)
○ 田岡俊次 (軍事評論家)
西尾幹二 (文芸評論家)
○ 花岡信昭 (ジャーナリスト)
○ 森本 敏 (拓殖大学海外事情研究所所長)       
○水島 総  (日本文化チャンネル桜社長) 
      

田母神航空幕僚長の論文事件を考える

 アメリカ発の金融危機がどこまで深刻で、どのように今後の世界を変えていくかはまだ分らないが、アメリカの力が落ちて、政治的にもかなりの影響が出てくることは間違いないだろう。日本が自ら傷つかずにアメリカからどう距離をとっていくかが今後のわが国の最大の課題と思う。

 つまりわが国はこれから困難な状況を迎えるとともに、好機をも迎える。好機とはいうまでもなく、アメリカの事実上の「保護国」にある立場からの脱却、すなわち「独立」のチャンスの到来である。

 私は『WiLL』12月号「麻生太郎と小沢一郎『背後の空洞』」にそのような今の日本の置かれた位置について語った。また『諸君!』12月号に「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」でも、現実は動いていて、波立っていて、その波のひとつひとつを掴まえるには、今までの固定した思考の枠組み(イデオロギー)を取り払わねばならないと書いた。ご一読くださった方は分っておられると思う。

 ところが、今の日本は相変わらずまったくそうなってはいない。アメリカからの「解放」が目前に来ているというのに、新しい現実の動きがまったく分っていない。

 田母神航空幕僚長の論文は普通に立派なことを語っていて何も問題はない。しかるに日本政府はなにかに怯えて、彼の地位を外し、彼は解任はされなかったが、定年退職の形式でやめさせられた。政府としては苦肉の策だろうが、なぜそんなにビクビクするのか。アメリカから一歩ずつでも「独立」した方向へ進もうとする今の日本人の精神的情勢がまったく分っていないのである。

 政府のほうが時代遅れである。沖縄の集団自決事件の裁判第二審の判決例を見ても、今の日本の司法はとち狂っているとしか思えない。行政も司法もなにかを恐れている。

 占領軍の命令に怯えた60年前のマインドコントロールがずっとまだつづいていることは間違いないが、昭和60年前後に一度悪化し、それから教科書・拉致などあって少し好転したが、ここへきて近年またまた一段と悪化しているように思えてならない。

 これは「解放」が近づいている証拠でもある。どうしてよいかわからずノイローゼにかかっている現われである。日本の対米依存心理はそれほど根が深く、病理現象を呈している兆しでもある。(このことは前記『WiLL』『諸君!』の12月号二論文でも分析しておいた。)

 私はいま『GHQ焚書図書』第二巻の原稿整理のまっ唯中にあるが、第8章の冒頭に次のように書いている。

 戦後日本人が忘れさせられた「侵略」の真実

 まず、注目していただきたいのは『亜細亜侵略史』『印度侵略史』『米英東亜侵略史』『英国の南阿侵略』『アジア侵略秘史』といったタイトルです。この五冊はたまたま焚書の並ぶ棚から拾い出してきたもので、この手の本は非常にたくさん出版されていました。『大英帝國侵略史』とか『太平洋侵略史全集』というのもあります。多くの本に「侵略」という言葉がかぶせられています。当時の日本人は欧米諸国を「侵略国家」として認識し、指弾していたのです。日本は侵略されなかったアジアの最後の砦であった――そういう捉え方が当時は当たり前でした。

 ところが、いまの新聞、雑誌、テレビ、あるいは教科書を見てください。日本がアジア各国を侵略したという話しにガラリとすり替わっています。そんな馬鹿な話はありません。アジアの国々を侵略したのは欧米諸国であって、けっして日本ではありません。日本は侵略された側の最後の砦だったのです。それなのにいつの間にか日本は侵略した側に回されてしまった。というより欧米は無罪で、日本だけが侵略国にされてしまった。そんなとんでもないことが起こっているのは敗戦国の現実で、現代の敗戦国は領土だけでなく歴史も奪われる端的な証拠です。そしてその手段の一つが焚書でした。

 もしも「欧米諸国=侵略国」という常識を記した本がGHQによって焚書にされずに、日本人の常識からすっかり消されてしまわなかったら、記憶の一部は必ず強く甦り、常識の復権に役立ったでしょう。ところが、現実には、教科書によって、あるいは新聞やテレビによって、米軍の指示に従った歴史観が国民の頭に刷り込まれて来ました。そのため、私たちの国が侵略したのだと思い込むようになってしまったのです。

 ご覧の通り「焚書」が決定的にマインドコントロールの役割を果したのだった。現在の日本政府も、裁判所も、脳髄の中枢をやられているのである。

 私は根本から日本人の意識を変えていかなければダメだと思っている。無力とはいえ、私の言論も少しは役立つでしょう。しかし、それよりもアメリカが財政破綻の結果、日本列島の防衛を事実上もう不可能とみて、日本から誰の目にもはっきり分るほどに離れていく局面が生じることが、日本人の自立の切っ掛けになるのではないだろうか。

イージス艦事故

 2月29日の産経「正論」欄の拙文を掲げます。ニュースとして遅くなりましたが、問題は今も変わっていません。

自衛隊の威信は置き去りに

国防軽視のマスコミに大きな責任

《《《軍艦の航行の自由は》》》

 海上自衛隊のイージス艦が衝突して漁船を大破沈没せしめた海難事故は、被害者がいまだに行方不明で、二度とあってはならない不幸な事件である。しかし事柄の不幸の深刻さと、それに対するマスコミの取り扱いがはたして妥当か否かはまた別の問題である。

 イージス艦は国防に欠かせない軍艦であり、一旦緩急があるとき国土の防衛に敢然と出動してもらわなければ困る船だ。機密保持のままの出動もあるだろう。民間の船が多数海上にあるとき、軍艦の航行の自由をどう守るかの観点がマスコミの論調に皆無である。

 航行の自由を得るための努力への義務は軍民双方にある。大きな軍艦が小さな漁船を壊した人命事故はたしかに遺憾だが、多数走り回る小さな漁船や商船の群れから大きな軍艦をどう守るかという観点もマスコミの論議の中になければ、公正を欠くことにならないか。

 今回の事故は目下海上保安庁にいっさい捜査が委ねられていて、28日段階では、防衛省側にも捜査の情報は伝えられていないと聞く。イージス艦は港内にあって缶詰めのままである。捜査が終了するのに2、3カ月を要し、それまでは艦側にミスがあったのか、ひょっとして漁船側に責任があったのか、厳密には分らない。捜査の結果いかんで関係者は検察に送検され、刑事責任が問われる。その段階で海上保安庁が事故内容の状況説明を公開するはずだ。しかもその後、海難審判が1、2年はつづいて、事故原因究明がおこなわれるのを常とする。

《《《非難の矛先は組織に》》》

 気が遠くなるような綿密な手続きである。だからマスコミは大騒ぎせず、冷静に見守るべきだ。軍艦側の横暴だときめつけ、非難のことばを浴びせかけるのは、悪いのは何ごともすべて軍だという戦後マスコミの体質がまたまた露呈しただけのことで、沖縄集団自決問題とそっくり同じパターンである。

 単なる海上の交通事故をマスコミはねじ曲げて自衛隊の隠蔽(いんぺい)体質だと言い立て、矛先を組織論にしきりに向けて、それを野党政治家が政争の具にしているが、情けないレベルである。今のところ自衛隊の側の黒白もはっきりしていないのである。防衛省側はまだ最終判断材料を与えられていない。組織の隠蔽かどうかも分らないのだ。

 ということは、この問題にも憲法9条の壁があることを示している。自衛隊には「軍法」がなく、「軍事裁判所」もない。だから軍艦が一般の船舶と同じに扱われている。単なる交通事故扱いで、軍らしい扱いを受けていないのに責任だけ軍並みだというのはどこか異様である。

 日本以外の世界各国において、民間の船舶は軍艦に対し、外国の軍艦に対しても、進路を譲るなど表敬の態度を示す。日本だけは民間の船が平生さして気を使わない。誇らしい自国の軍隊ではなくどうせガードマンだという自衛隊軽視の戦後特有の感情が今も災いしているからである。防衛大臣と海上幕僚長が謝罪に訪れた際、漁業組合長がとった高飛車な態度に、ひごろ日本国民がいかに自衛隊に敬意を払っていないかが表れていた。それは国防軽視のマスコミの体質の反映でもある。

《《《安保の本質論抜け落ち》》》

 そうなるには理由もある。自衛隊が日本人の愛国心の中核になり得ず、米軍の一翼を担う補完部隊にすぎないことを国民は見抜き、根本的な不安を抱いているからである。イージス艦といえばつい先日、弾道ミサイルを空中で迎撃破壊する実験をいった。飛来するミサイルに水も漏らさぬ防衛網を敷くにはほど遠く、単なる気休めで、核防衛にはわが国の核武装のほか有効な手のないことはつとに知られている。

 米軍需産業に奉仕するだけの受け身のミサイル防衛でいいのかなど、マスコミは日本の安全保障をめぐる本質論を展開してほしい。当然専守防衛からの転換が必要だ。それを逃げて、今のように軍を乱暴な悪者と見る情緒的反応に終始するのは余りに「鎖国」的である。

 沖縄で過日14歳の少女が夜、米兵の誘いに乗って家まで連れていかれた、という事件があった。これにもマスコミは情緒的な反応をした。沖縄県知事は怒りの声明を繰り返した。再発防止のために米軍に隊員教育の格別の施策を求めるのは当然である。ただ県知事は他にもやるべきことがあった。女子中学生が夜、未知の男の誘いに乗らないように沖縄の教育界と父母会に忠告し、指導すべきであった。

 衝突事故も少女連れ去りも、再発防止への努力は軍民双方に平等に義務がある。

『Voice』4月号より

 『Voice』4月号の特集「日本の明日を壊す政治家たち」に「金融カオスへの無知無関心」という評論を発表しました。その冒頭部分を以下に掲げます。本題の始まる前段の部分です。

金融カオスへの無知無関心

 米中経済の荒波に日本は飲み込まれる!

 アメリカのサブプライムローン問題に端を発する金融不安が、急成長している中国経済にこれから先どういう作用を及ぼすのか、われわれは今息をこらして見守っている。アメリカに宿る金融資本は中国に移動し新しい繁栄の季節を迎えるのか、それとも中国から奪うものだけ奪って立ち去り、例えばインドやブラジルに居を移すのか、あるいはまた今度という今度に限ってアメリカの受けた打撃は致命的で、噂されるようにドルは基軸通貨の地位を失い、その結果中国経済も対米輸出不振から立ち行かなくなり、米中同時倒壊という新しい世紀の幕を切って落とすのか。否、そうはさせまいとする現状維持の力が強くはたらき、中東の石油輸出国、EU諸国、そして日本もドル防衛に協力し――現にそうしている――、当分の間、「米中経済同盟」はなんとか無事に守られていくのだろうか。

 いずれにせよ、十年以上の時間尺で起こるであろうドラマを想定して言っているのだが、その際われわれが心しておきたいのは、今世界で産業の力を持っているのは日本だけだという静かな確信を失ってはならないことである。見るところ日本には政治的な存在感がない。それが唯一の問題である。

 国際舞台で働く代表的日本人にだけ責任がある話ではない。一般の日本人の世界を眺める日常の眼に問題がある。一つはアメリカ、もう一つは中国という観点にとらわれて、そこで止まり、両方を同時に見ない。中国は怪しい国だということは十分に分っていてもそれ以上がなく、だからやっぱりアメリカと仲良くしよう、となるか、またアメリカは力尽きて終わりらしいからこれからは中国の言うことを聞くようにしよう、靖国に行くのは止めよう、となるか、どっちかなのだ。

 自分というものがない。今世界はものすごい勢いで動いているのに日本は何のコミットもできないでいる。ほとんど馬鹿にされている。そう見えるが、しかし国内に混乱はなく、安定している。有力国の中で日本がいちばん力がある証拠である。なぜそこから世界を見ないのか。第二次大戦の戦勝国の言うがままに振り回されることをもう止めよう。アメリカでなければ中国、中国でなければアメリカ、と一方に心が傾くのはイデオロギーにとらわれている証拠である。

 イデオロギーにとらわれるというのは、自分の好む一つの小さな現実を見て、他のすべての現実を見ることを忘れてしまうことを言う。一つの小さな現実で救われてしまうことを言う。反米も反中も、それで満足し安心したいための心の装置なのだ。

 これから日本人が自分を守り自分を主張するためには、ときに自分の気に入らない不快な現実をも認めること、複雑で厄介な選択肢を丁寧に選り分けてそのつど合理的に決断すること、ここを突破口に歩を進めていかない限りわが国に未来はないだろう。

9月の仕事

 現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、許可を得て、管理人(長谷川)が西尾先生関連のエントリーを挙げています。
 
 今回は、9月の仕事の紹介です。

 

 9月の政変を西尾先生は「『日米軍事同盟』と『米中経済同盟』の矛盾と衝突」という観点で、ただの政局論ではない大きなテーマとしてとらえている。

 詳しくは『諸君!』11月号の西尾論文を見てほしい、とのこと。論文のタイトルはつごうでやや政局論ふうに変更されている。

 ほかに、コラム「正論」(『産経新聞』10月2日付)とチャンネル桜(10月16日放送)でも同趣旨を論じている。

 以下にコラム「正論」を掲示する。

米国の仕組む米中経済同盟
(シリーズ・新内閣へ)

両大国の露骨な利己主義に日本は・・・・

《《《王手をかけられかねぬ危機》》》

 今回の政変を私は「日米軍事同盟」と「米中経済同盟」の矛盾と衝突の図とみている。安倍前首相は憲法改正を掲げたが、9条見直しがなぜ国民の生死の問題にかかわるかをテレビの前などで切々と訴えたことがあっただろうか。米国の核の傘はすでにして今はもうないに等しいのだ、と果たして言ったか。日本海に中国の軍港ができたらどうするつもりか、諸君、考えたことはないのか、と声をあげたか。この2つの危機はすでに今の現実である。

 テロ支援国家との2国間協議は絶対にしないと言っていたブッシュ米政権が、北朝鮮と話し合いを開始した。そして国連の制裁決議をさえも無視した。これが同盟国日本に対する裏切りであることは間違いない。中国の北朝鮮制裁も口だけで、金正日に金を払って鉱山開発権を手に入れ、ロジン、ソンボンという日本海の出口の港湾改修工事を中国の手でやり始めた。ここに中国の軍港ができて、核ミサイルを積んだ潜水艦が出入りするようになったら、わが国は王手がかかってしまったも同然である。

 日本海が米中対決の場になることを避けるためにも、米国は北朝鮮を取り込む必要がある。ブッシュ氏に安倍氏はシドニーの日米会談でずばりそう言われたかもしれない。「お前のやっている対北制裁一本槍(やり)では中国にしてやられるぞ」と。無論私の単なる推測である。ただそういう風にでも考えないと、米国の政策転換はあまりに理性を欠いた、利己主義でありすぎる。

《《《南北会談は中国の差し金》》》

 北朝鮮のほうが米国にすり寄りたい現実もある。北が一番嫌いで恐れているのは中国である。「韓国以上に親密な米国のパートナーになる」とブッシュ氏に伝えた金正日の謀略めいた(しかし半ばは本心の)メッセージがある(『産経新聞』8月10日付)。とはいえ中国も米国がイラクで泥沼にはまっている間に着々と台湾にも、朝鮮半島にも手を打っている。半島の南北首脳会談の開催はどうみても、中国の差し金である。

 韓国大統領選は現時点では民主主義の側に立つ野党ハンナラ党の候補が優位にある。それをくつがえすための南北会談である。盧武鉉韓国大統領は北朝鮮に全面譲歩し、南が北にのみこまれる統一を目指している。それでもハンナラ党の優位が崩れないなら、同党候補が北の手で暗殺される可能性があるという。韓国の法律では投票日の15日前を過ぎて候補者が死亡した場合には、新しい候補者は立てられないことになっているそうである。

 すさまじく激烈な半島情勢である。日米にとっても、中国にとっても、半島を相手側に渡せない瀬戸際である。ひょっとしたら日本は米国の本格的な援(たす)けなしで、独力でこの瀬戸際を乗り越えなければならないのかもしれない。

 安倍前首相がまるでヒステリーの子供が「もういや」と手荷物を投げ出すように政権をほうり出したのは、自分ではもうここを乗り越えることはできないという意思表示だったのかもしれない。

《《《徹底的な中国庇護策》》》

 他方、経済問題における米国の日本と中国に対する対応の仕方は、歴史を振り返ると、正反対といえるほどに異なっている。戦後日本が外貨を稼ぐ国になると、米国は一貫して円高政策を推進して、わが国輸出産業を潰(つぶ)しにかかった。1985年のプラザ合意は露骨なまでの日本叩(たた)きだったが、日本の企業が負けなかったのはなお記憶に新しい。

 ところが米国は中国に対しては完全に逆の対応をしている。1994年から2006年までの12年もの長期にわたり元は1ドル約8元という元安のまま変動させない。2001年から中国の外貨準備高は上昇し始め、昨年日本を追い越した。徹底的な中国庇護政策である。

 それもそのはずである。中国で工場生産して外国に輸出している企業は中国の企業ではなく、米国の企業だからである。米国への輸出企業のトップ10社のうち7社は米国の企業である。

 経済は国境を越えグローバルになったという浮いた話ではなく、完璧(かんぺき)な米国のナショナルエゴイズムである。このことは他方、米国の30分の1で生産できる中国の労働力に米国経済が構造的に支配され、自由を失っていることを意味する。

 軍事的超大国の米国はそれでも中国が怖くはないが、以上の米中の関係は日本にとっては危険で、恐ろしい。福田政権が国益を見失い、軍事的にも経済的にも米中の利己主義に翻弄(ほんろう)されつづける可能性を暗示している。

(にしお かんじ)2007.10.2