拙著『男子、一生の問題』の中でインターネットへの感想文の書きこみのあり方、ハンドルネームの危うさについて私見を述べたくだりに、予想したとおり、何人かの注目が集まった。
その中で、評論家の遠藤浩一氏が私あてに下さった文章がとても大切なことを言っているので、まず最初にそれを紹介したい。
遠藤氏は高見の見物をしながらではなく、当日録の「応援掲示板」に自ら何度も書きこみをして下さった、その経験を基にして仰言っている。
このところ掲示板がしばらく荒れていた。口争いが昂じ、「もう俺は書かない」と怒って立ち去る人がいて、遠藤氏はその人に当てて、たしなめる一文も書いていた。(なお、遠藤氏は旧仮名の遣い手である。)
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ところで、御著にもある、インターネットの問題ですが、自己顕示欲をハンドルネームで隠蔽してゐるところに二重の自己欺瞞があるとのご指摘、全くその通りと思ひます。自己欺瞞に気付かないまま、「それがインターネットといふものさ」と囁き、コメントめいたものを垂れ流しても、結局さういふ言葉は他者を「突き刺す」ものにはならないでせう。匿名に対する甘えが、発する言葉の質を低下させてしまふのです。中には(特に「西尾応援板」への常連書き込み者には)、自分はハンドルネームにしつかり責任を持って、それなりの投稿をしてゐると自負してゐるでせう。しかし、小生の見るところ、やはり匿名の気易さが、実名では到底書けないやうな、あるいは対面しては到底言へないやうな物言ひを許してしまふという側面があるやうに思っはれます。インターネット掲示板においては、投稿の質を保つための管理――つまり活字媒体の編集者が行ふやうなチェックが事実上不可能だといふのがその最大の理由です(そこが、インターネットといふものの面白さなのですが・・・・)
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まず以上のように、チェックされない自由が書き手の心に甘えをもたらす一般論が述べられている。人間は弱い存在なのである。心すべき点である。そのうえで、オヤと思う大切な次のような問題点を指摘している。
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よく「掲示板が荒れる」といふ事態を目にします(西尾応援板」ではありません)。匿名掲示板荒らしが出没して汚い罵倒を繰り広げることを指すやうですが、かういつた、悪意が歴然とした闖入者の発言は無視し、削除すればいいので、実はたいした問題ではありません。問題は、ときどきおやと瞠目させるやうな発言をする人の書き込みが、次第に劣化していくことです。自分の独善や思ひ込みに気付かぬまま書き込みを続けるうちに、隘路に嵌り込み、身動きがとれなくなつてしまふ。仮に西尾先生や小生がハンドルネームを用ゐて書き込みをした場合も、同じ危険性がつきまとふでせう。つまり、板が荒れるといふより、善良な発言者のコメントが荒れてしまふというところに、インターネット言論の、一つの問題点があると、小生は観察いたしてをります(繰り返しますが、これがインターネットの麻薬的魅力の源泉でもあります)。
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ここで大切なのは、西尾や遠藤さん自身がハンドルネームを用いて書き込みをしても、つい自分に甘え、文章の劣化をひき起こすだろう、と見ている点である。自分の名を出さないで文章を公表することそれ自体がもつ弱点である。そしてそれがインターネットの長所でもあるというのだから始末に終えない。
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活字の世界で時折匿名記事に読むべきものがあるのは「編集者の目」という関門があるからです。匿名であらうがなからうが詰まらないもの、常軌を逸したものは撥ねられ、編集者の知的な眼鏡(怪しげな眼鏡をかけてゐる人も少なくありませんが)に適つたものだけが活字になるという関門があらばこそ、活字媒体の場合は匿名記事にも一定の存在理由を見ることが出来る。ところが、インターネット掲示板にはかふいふチェック機能は期待できないし、また、期待すべきではない。
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新聞の文章は大半が無署名である。雑誌にも匿名の記事は少なくない。しかし、たしかに遠藤さんの言う通り、編集者という第三者のチェック機能がつねに働いて、逸脱を防いでいる。
遠藤さんは最後に次のように言っている。
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結局、活字媒体の言論とインターネット言論とは、まつたく異質なものと割り切ることなのでせう。小生自身、資料検索等に関してインターネットをかなり活用してゐますが、掲示板といふものは、時折閲覧するものの、深入りしないやうにしてゐます。さういふ時間がないからです。時折、自身のホームページを設営しようかと考へないでもありませんが、やはり、管理に要する時間とエネルギーを確保することは到底不可能で、それゆゑ、あきらめてゐます。西尾先生は、献身的な管理人に支へられて、本当にお幸せです。
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というわけで、最後には私が「長谷川さん、どうも有難う」というべき場をも与えて下さった、かなり長いご文章であった。
このところの応援掲示板の混乱を、長谷川さんが見事に克服したいきさつを遠くから見ていて、対応の誠実さに気がついている人は他にもいる。私の昔の教え児の平井康弘さんは、私あての手紙に、「応援掲示板もたまに拝見しておりましたが、混迷をきわめていた様子がうかがえ、やはりハンドルネームによる自己不在のマイナス面が出たかと思いました。」と述べた後で、次のように言及している。
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面白いことですが、ハンドルネームにしていても、責任をもって臨んだ文章にはその気が文章から感じられます。面識はありませんが長谷川さんとおっしゃる方も、その並々ならぬ熱意、誠意、運営される姿勢が伝わり、感銘を受けている次第です。
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長谷川さんが褒められると私もうれしい。
遠くから見ていても、分るものには分るものである。
たヾ一つだけ私から掲示板への期待を述べると、掛け声みたいな短いことばの応酬ではなく、出来るだけ互いに長い文章によるオピニオンの交換であってほしいと思う。短文だとまた行き違いが生じて、再度感情的にならないとも限らない。不十分な言葉は誤解の因である。意を尽くして書くという習慣を確立してもらいたい。