「アメリカ観の新しい展開」(十)

「言論統制が世界中で進んでいる」(西尾)
「言論統制は『共産主義だ』」(福井)

 西尾 いま、世界は非常に危ないところに来ていると思っています。アウシュビッツ、ナチスによるユダヤ人迫害の事実をいっさい批判してはいけないという法律を、ドイツがつくりましたね。
 
 福井 ヨーロッパのほとんどの国に、同様の法律があります。

 西尾 それが暗黙の内ではなくて、いわゆる法文化されるというのは、およそやっぱり精神の自由とは正反対のことだと思うんです。それはソフトファシズムではなくてファシズムそのものでしょう。そういう傾向が世界的にどんどん強まっているような気がして不気味でなりません。

 じつは、アメリカは二〇〇四年十月に、「全世界反ユダヤ主義監視法」をという法律を制定しています。世界中の反ユダヤ主義の動きを国務省が記録し、各国の行動に対して評価を下すという内容です。一般的に、反ユダヤ的とみなされる指針は、(一)政府・マスコミ・国際ビジネス社会や金融をユダヤ社会が支配しているという主張、(二)強力は反ユダヤ感情、(三)イスラエルの指導者に対する公然たる批判、(四)ユダヤの宗教をタルムード、カバラと結びつけて批判すること、(五)アメリカ政府並びにアメリカ社会が、ユダヤ=シオニストの影響下にあると批判すること、(六)ユダヤ=シオニスト社会がグローバリズム、または「ニュー・ワールド・オーダー」を推進していると言ったり批判したりする、(七)イエス・キリストがローマによって磔刑に処せられたのは、ユダヤ指導者のせいであると非難すること、(八)ユダヤ人のホロコースト犠牲者を六百万人よりも少ないと主張すること、(九)イスラエルが人種主義的国家であると主張すること、(十)シオニストの陰謀があるとの主張、(十一)ユダヤとその指導者たちが共産主義、ロシアボルシェビキ革命をつくり出したと主張する、(十二)ユダヤ人の名誉を毀損する主張、(十三)ユダヤ人にはパレスチナを占領する聖書に基づく権利はない、との主張、(十四)モサドが九・一一同時多発テロに関与したとする主張─などと言われています。
 
 いままで我々が議論してきたことも含まれますが、なるほどこれらの主張内容は単なる妄想的な陰謀論なのかもしれない。そこは分からない。しかし、このような法律の出現は、在米ユダヤ・ロビーの決定的な影響力を示しています。

 前回、アメリカの日系移民政策を批判した『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』(翻訳は草思社)という本が第二次大戦中にアメリカで出版されていたことを紹介しました。実はこの本は、ユダヤ系の出版社から出ているんです。ユダヤ人は日系人排斥や収容の動きをみて、自分たちの身の危険をも感じていた証拠ですね。当時は彼らは大変に不安だった。ところが、彼らはいまや監視法まで制定させる原動力になった。我々は長い過酷な歴史を歩んできたユダヤ人は同情に値すると考えていますが、弱者がいつの間にか強者になっていたのではないでしょうか。

 福井 ユダヤ人であるビル・クリストルというネオコンのオピニオン・リーダーが、共和党からイスラエルに対して批判的な有力者を追い出したという趣旨の発言をしています。ブッシュ・シニアや、彼の政権の国家安全保障担当大統領補佐官、国務長官だったブレント・スコウクロフト、ジェームズ・ベイカーたちです。

 西尾 共和党も二色あって、親イスラエル、反イスラエルがいるけれども、後者は反ユダヤなの?

 福井 反イスラエルというより、イスラエルに一方的に肩入れせず、アラブとも仲良くしたほうがよいと考えているだけです。
 
 西尾 国家の指導者として当然のバランス感覚でしょう。
 
 福井 反ユダヤ監視法に署名したブッシュ・ジュニアは、父親が追い落とされる過程を見ていた。だからイスラエル・ロビーを敵に回すと自分も追い落とされてしまうと考えていたのかもしれません。
 
 一方、オバマ大統領はイスラエル・ロビーとは一定の距離を置いています。だからオールド・ライトは今回の選挙で、親イスラエルのミット・ロムニーには批判的で、オバマ再選を歓迎しているのではないでしょうか。アメリカ保守は一枚岩、ひと塊ではないんですね。
 
 西尾 イラク戦争では五千人も戦死し負傷者が十倍いるという。イスラエルを守るための戦争にアメリカ人は確実に疲れ始めています。今度の大統領選挙の結果は、「神権国家」アメリカ像が大揺れに揺れている表れではないでしょうか。それでもアメリカの保守は根強く、何かというとすぐ、ひと塊になりつつあるから怖い。
 
 福井 ネオコンサバティブですね。それでも、ロン・ポールが予備選でかなり善戦したわけですから、共和党の現状に不満のある人も多いわけです。だから、われわれ日本の保守派がネオコンに肩入れしなければならない謂われはない。
 
 西尾 威勢のいいアメリカにくっついていたいだけでしょう。
 
 福井 今のアメリカの好戦的な政策を批判することイコール反米左翼、というわけではないんです。保守派としても批判できるわけです。
 
 西尾 言論を一元化してそれ以外のことを言ってはいけないというのは、民主主義国家・アメリカの建国の精神を裏切っていますよ。

 福井 それでもヨーロッパに比べると、まだ憲法上保障された権利として言論の自由は守られています。ドイツでは、ナチス戦犯を裁いたニュルンベルク裁判を批判したら刑務所行きを覚悟しなければなりません。フランスなども事情はそれほど変わりません。ドイツの移民増加を憂いて政策を批判し、二〇一〇年九月にドイツ連銀理事を事実上解任されたティロ・ザラツィンの問題でも、当初は検察が動いたんです。
 
 さきほど、ファシズムだとおっしゃいましたけれども、アラン・ド・ブノワというフランス「新右派」(Nouvelle Droite)の代表的イデオローグが、こんなことを言っています。「政治的システムとしては、ナチズムはファシズムとはまったく違う。同様に、社会主義もまた、共産主義とは違う」「ナチズムとファシズムを同じ概念にしてしまうのは、結局レオン・ブルム(フランス人民戦線内閣の首相)とスターリン、リオネル・ジョスパン(シラク政権で首相、元仏社会党第一書記)とポルポトを同じ壺の中に投げ込むことと同じだ」
 
 要は、安易に「ファシズム」という言葉を使うのは「スターリン語」(la langue de Staline)だということです。それは「ファシズム対反ファシズム」というスターリンが一九三〇年代に作り出した枠組みにとらわれた見方であって、イタリアとドイツの近さよりも、ナチスとソ連の近さのほうがはるかに密だということが、彼の主張です。
 
 西尾 ファシズムをわりにリベラルに考えているわけだ。スターリニズムが全体主義であるのに、それを例外的に認めているようなものの言いようは、結局ナチスとスターリニズムの近さというものをよく認識してない表れであるということですね。それはそうだ。スターリンとヒットラーは互いに相手を認め、影響し合っていたのですから。
 
 福井 だから、言論統制を「ファシズムだ」と批判するよりも、「それは共産主義だ」と言ったほうが本質を突いているということです。日本の人権侵害救済法案(人権擁護法)を考えれば、よくあてはまっています。この法律を推進しているのが、どういう勢力なのか。
 
 西尾 ヘルベルト・マルクーゼが出てきたので、ひとこと言わせてください。私は一九六五~六七年のドイツ留学から帰国した後に「後遺症」という論文を『批評』という雑誌に発表しました。マルクーゼ批判です。留学したときのドイツは学生運動の最中で、マルクーゼは西ドイツで体制批判をやっていて教祖的存在でした。帰国してみると、日本も同じことになっていた。そのマルクーゼは「左翼の独裁」ということをしきりに言っていたんですね。左翼の言うことは正義だから、これを政治体制化しようというわけです。その後の日本はずっとこの流れの中にある。
 
 その「左翼の独裁」という概念に反発して書いたのが「ヒットラー後遺症」ですが、私はこの論文を当時何冊も発刊した自分の単行本の評論集に入れなかったのです。忘れたのではありません。もう一本、「大江健三郎の幻想風な自我」という大江批判の論文も評論集に載せませんでした。いずれも私の全集(国書刊行会)第三巻には入れましたが、この二本の論文をなぜ当時の評論集に載せなかったのか、今となっては分からないんです。言論界では左翼が全盛の時代で、私が生きるために避けたのかもしれないし、出版社が嫌がったのかもしれない。
 
 人は、自分の心の主人公であるとは限りません。私は今まで自分の言論の自由というものにずっと飢餓感を持っていて、今でもそうです。当時のスクラップを見ると、私が出した三冊の評論集に、全部で三十一篇の書評が寄せられています。それだけ注目を浴びたら飢餓感などないだろうと思われるかもしれないけど、これは心理的に同時に起こる矛盾した現象で、私の心の中にはずっと飢餓感があった。それはひょっとすると、この大事な二本の論文を評論集に載せていないことと関係があるのかもしれない。私は言論界で生きるために載せることを避けたのかもしれない。偽の自分になって生きてきたのかもしれないのです。
 
 福井 同じようなことを、二十世紀アメリカを代表する社会学者ジェームズ・コールマンが死ぬ前に言っています。彼は黒人問題について、人種差別的に受け取られかねない研究を発表した。それでも、「自分は批判を恐れて十分に発言しなかったのではないか」という懺悔の言葉を遺しています。
 
 西尾 マルクーゼの「左翼の独裁」といった思想は、当時全共闘だった今の日本の法務官僚や政治家の頭の中に染み込んでいるのではないか。そのことの表れが、人権侵害救済法案や、日本の「戦争責任」を追究する恒久平和調査局の設置を盛り込んだ国立国会図書館改正法案でしょう。後者は、一定の戦争観以外は許さないという、とんでもない法律ですから。ナチスのホロコーストの歴史のない日本に、ドイツの「アウシュビッツは嘘」断罪法のまねをするようなばかばかしい過誤は絶対にあってはなりません。

『正論』25年1月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(九)

 西尾 日本にもドイツではなくてイギリスと手を結べという親英米派が多数いました。本当に微妙な運命の分かれ目でしたが、結局はアメリカの圧力で次第に追い込まれた日本が勢いのあったドイツ側に付いたと今では解釈されています。ただイギリスとアメリカは別だ、と永い間分けて考えられていました。

 福井 日独伊三国同盟は、アメリカの圧迫に対するディフェンシブな同盟だという見方もできます。ドイツも日本も地域の覇権国になりたかっただけなのに、アメリカがそれを認めなかった。そのために、ソ連と組むという試みも現実に進めていたわけですよね。

 西尾 松岡洋右が当初目指していた日独ソ伊の四か国同盟ですね。

 福井 日独ソが組むと、さすがのアメリカも攻められないだろう考えた。それは一つの考え方だったと思います。結局失敗しましたが。

 西尾 スターリンは日独と手を結ぶような玉じゃなかったでしょう。それは日本の計算違いでしたね。

 福井 いわゆるウィッシュフル・シンキング(希望的観測)だったのかもしれません。スターリンは一国社会主義者だと当時強く言われて、ただのロシアの帝国主義者であるという見解も有力でしたから。

 西尾 
なるほど。

 福井 この日独と手を結ぶというのはソ連にとっても悪くない話でした。いわゆる対英「グレート・ゲーム」でイランとアフガニスタンも手に入る。しかし、スターリンの思惑はそんな小さなことではなくて、世界征服だった。

 西尾 アメリカと一緒だな。

 福井 ええ。前回紹介した『救済する国家(リーディマー・ネイション)』(アーネスト・リー・トゥーヴェソン)に従えばそうなります。復習すると、同書の概要は、アメリカの外交政策は、世界を救済するというミッション、使命感に支えられてきた歴史であり、アメリカで支配的な一部プロテスタントの神学の「千年王国を実現する」という強い志向に支配されているというものです。その手段として、アメリカン・デモクラシーの普及が言われているわけです。

 西尾 それが「ワン・ワールド」オーダーへとつながるわけですね。シングル・ネイション、ヴァラエティーに富む単一国家が組み合わさったシビリゼーションというものを信じている我々からすれば、非常にはた迷惑なんだ。我が国の国体にも合わないわけでね。

 福井 マルクス主義が、キリスト教の源流といえるユダヤ教の救済史観に強く影響された思想であることは常識です。アメリカの世界一国支配思想と共産主義は根が同じだともいえるわけですね。

 西尾 マルクス主義思想の根本に千年王国論があるのは間違いない。

 福井 太平洋問題調査会(IPR)という国際組織がありました。ゾルゲや尾崎秀実も関係していたソ連エージェントを含む共産主義者の巣窟でした。ビル・クリントンが最初(一九九二年)の民主党大統領候補受諾演説で自らに大きな影響を与えた人物として言及したことで話題となったキャロル・クィグリーという国際政治外交研究の泰斗がいます。彼は千頁を超える大著『悲劇と希望』で、IPRがウォール街と密接に関係していたことを詳述しています。ロックフェラーやモルガンが資金を出していた。IPRとロックフェラーを結ぶ中心人物だったのが投資銀行家ジェローム・グリーンで、日本生まれ、宣教師の息子です。
 そして、共産主義とウォール街をつなぐキーパーソンはトロツキーだという説さえあります。トロツキーは、じつはロシア革命の前にはアメリカにいました。ヨーロッパからアメリカに渡航する際には、一文無しに近かったはずなのに、家族で一等船室を利用し、上陸時には円換算で百万円程度の現金を所持していました。革命直前のロシア帰国も含めて、イギリス情報機関の暗躍があったのではないかとも言われています。これは極右の妄想ではなく、現代ロシア史研究者リチャード・スペンス教授(アイダホ大)が学術誌に発表した論文の内容です。

 西尾 マルクスの共産主義研究に資金援助したのはロスチャイルド家で、ドイツ出身のアメリカの哲学者で、フランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼの文化破壊的な研究に資金援助していたのがロックフェラー財団です。核兵器の一元的管理を考えたアインシュタインやバートランド・ラッセル、湯川秀樹ら科学者が作った「パグウォッシュ会議」も、それを実現するために世界統一政府を主張していましたが、そこでもユダヤ人のイートン財団が大きな役割を果たしていました。

 福井 日露戦争のときに日本の戦費調達にユダヤ人銀行家は協力的でした。当時はロシアが世界最大の反ユダヤ国家だったわけですから。

 西尾 反ユダヤだった帝政ロシアをユダヤ人は非常に憎んで、革命の推進派になったわけですよ。

 福井 ロシア革命は抑圧されていたユダヤ人が中心だったこともあり、アメリカは革命を転覆させる意図などなく、旧体制が残るほうが困るというぐらいに考えていた。だからロシア革命を本気で阻止しようとしていたのは、日本とフランスだけだったとも言われています。

 西尾 そのとおりだと思わせるのが、日本のシベリア出兵をめぐるアメリカの批判、あるいは嫌がらせです。その後の歴史も全部そうです。ヨーロッパはロシア革命に危機感を持っていました。アメリカにシベリア出兵を依頼した派遣団の団長はフランスの哲学者ベルグソンでした。だというのに、アメリカはルーズベルトまでずっと親ソ連だった。

 福井 先ほど、イギリスの対独協調派と反独派の話をしましたが、後者の伝統的ドイツ嫌いのチャーチルやその周囲には、彼らを支援するユダヤグループがいました。

 西尾 そうすると、チャーチルとユダヤ人、そしてコミンテルンがひとつにつながりますね。中国大陸では、西安事件(一九三六年、蒋介石を張学良が拉致した事件。これを機に第二次国共合作が行われ、国民党の掃討により壊滅寸前だった中国共産党は延命した)の前後にイギリスが介入してコミンテルンと手を握ろうとしていました。そこにユダヤ人が暗躍していました。そしてイギリス介入して、一挙に米英ソという連合国陣営が出来上がり、第二次世界大戦の構図が明確になった。

『正論』平成25年1月号より
(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)
「アメリカ観の新しい展開」(七)
「アメリカ観の新しい展開」(八)

「アメリカ観の新しい展開」(八)


「ロシア革命の評価なしに世界史は完成せず」(福井)
「英ソ接近もあった」(西尾)

 福井 『天皇と原爆』は基本的には東京裁判史観を見直すというスタイルですが、私はニュルンベルク史観も見直さないと、バランスのとれた世界史、歴史にはならないと考えています。ドイツ単独責任論は、いわば政治的な議論です。ドイツは世界征服を企んでいたのではなく、地域の覇権国になりたかっただけなのに、チャーチルが大英帝国を破滅させてまでヒトラーとの「決闘」に勝つため、ヨーロッパ戦線を拡大してしまった。ユダヤ人の単なる迫害ではなく組織的虐殺が始まるのは対英和平が絶望となって以降です。

 西尾 パトリック・J・ブキャナンが『チャーチル、ヒトラー、そして不必要だった戦争』で述べていることと同じですね。この訳書が河内隆禰氏の訳で二〇一三年一月、国書刊行会から発刊されます。

 福井
 ブキャナンも今年の共和党大統領予備選で善戦したロン・ポールと同じオールド・ライトですよ。

 西尾 孤立主義ですか。

 福井 ええ。ただ、経済政策においては、ブキャナンが保護主義であるのに対し、ロン・ポールは市場重視です。国内政策においても政府はできるだけ何もしないほうがよいという、リバタリアン的立場です。他国とは貿易はどんどんやればいいが、軍隊が行く必要はないという考え方です。

 西尾 それは日本も納得できる思想ですね。

 福井 二十世紀前半史はやはりロシア革命の評価を抜きにしては完成しないということも強調したいと思います。最近秘密文書の公開が進んで、ソ連の世界赤化戦略はかなり進行していたことが分かってきました。これまでは、世界革命論者のトロツキーに対してスターリンは一国社会主義者、ただのロシア帝国主義者だと考えられていましたが、実はスターリンも全世界赤化を虎視眈々と狙っていたんです。トロツキーと基本的には目標は同じだったんですよ。ただ、トロツキーと違ってプロの政治家、リアリストだっただけなのです。

 一九三〇年代後半すでに、ソ連の軍事力は日独を圧倒していて、防衛のための兵力というには不自然で、常識的に考えて、攻撃を準備していたとしか考えられません。

 一九三一年の満洲事変の二年前の二九年、満洲で中国とソ連の戦争がありました。中東路事件、奉ソ戦争とも呼ばれています。その直前、中国がハルビンのソ連領事館を捜索したところ、赤化工作や謀略を指示する機密文書が見つかり、ソ連と中国の関係が悪化し、ソ連利権だった東支鉄道の張学良による強引な回収を契機に武力衝突となった。日本も満洲の赤化工作については非常に憂慮していたはずです。ところが、こうした事実は大きくは扱われず、関東軍がただ侵略のために満洲事変を起こしたかのように言われる。

 奉ソ戦争ではソ連軍が越境して武力攻撃したにもかかわらず、満州事変における対日非難に比べて、アメリカの対応はかなり抑制されたものでした。そのアメリカのルーズベルト政権に、ソ連のスパイが大量に潜り込んでいたことが、一九九五年に公開された「ヴェノナ文書」(ソ連スパイとモスクワ本部がやりとりした暗号電報を米軍が解読した文書)で疑問の余地なく明らかになったことは、皆さんご承知の通りです。アメリカを対日戦争に向かわせるために、ソ連の意を受けたスパイたちが政権内でその影響力を行使したことも分かってきています。ただし、ルーズベルト自身、対日戦を望んでいました。いずれにせよ東京裁判史観を否定する事実です。

 西尾 先ほど、アメリカ人宣教師たちが主導したと紹介したシナ大陸における排日運動の担い手も、ロシアから入ってきた共産主義者たちに取って代わりました。一九一七年のロシア革命から間もない二二~二三年のことです。

 福井 ソ連の世界革命戦略は、さらにドイツ単独責任論も否定します。独ソ戦は、ドイツが一方的にソ連に攻め入ったと考えられてきましたが、実は「スターリンは対独攻撃を準備していたが、ヒトラーに先を越されてしまったのだ」と考える研究者が増えてきています。ドイツのバルバロッサ作戦は、一種の予防戦争だったという見方です。興味深いことに、ロシアでは反スターリンのリベラルな研究者がスターリン責任論の中心となっています。

 スターリンが世界共産化の一環として対独戦を準備していたことを一九八五年に公刊された『スターリンの戦争』で最初に本格的に論じたのは、オーストリアの著名な哲学者エルンスト・トーピッチュです。最近の文書公開で、彼の主張の妥当性はますます増しています。ちなみに彼は極右でもなんでもなく、カール・ポパーとも親しく、西尾先生に近い古典的自由主義者です。

 西尾 スターリンが先にドイツを叩くつもりでいた。

 福井 ドイツだけではありません。一九三七年、ソ連で『東方にて』という本が刊行されています。同じ年に改造社から『極東:日ソ未来戦記』と題して日本語訳も出ました。日本とソ連が戦争して、ソ連空軍が東京を空爆し、日本に革命が起こるという小説です。

 西尾 よく当時の日本でそんな本が出版できましたね。

 福井 さすがに和訳は検閲でかなりカットされています。作者はピョートル・パヴレンコ。『戦艦ポチョムキン』で有名なセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の作品に、『アレクサンドル・ネフスキー』という反独プロパガンダ映画がありますが、その脚本を書いた人物です。スターリンお気に入りの作家でした。つまり、スターリンは反日独プロパガンダ、戦意高揚を同時に行っていたわけです。

 西尾 日本はきっと警戒してこの本を翻訳したんだね。スターリンが世界制覇の意志を持っていて、虎視眈々とドイツと日本を攻める計画をしていた。それに対して先手を打ったのが日独防共協定だった。

 この日独防共協定に対してはイギリスが冷淡な対応をして、日本の外務省も非常に不満を持っていました。ちょうどそのころスペインに内戦があって、ドイツとイタリアがソ連と激しい対立関係に陥ります。そこで英ソが接近したのではないでしょうか。

 福井 英国支配層にはチャーチルのような伝統的な反独派だけでなく、エドワード八世(ウィンザー公)や第一次大戦時の首相ロイド・ジョージなど対独協調派も多く、勢力が均衡していました。最後はチャーチル側が勝ったわけですが、ウィンザー公の退位(一九三六年)もそれに関係しているのかもしれません。ウィンザー公はヒトラーファンで有名でしたから。ただイギリスは、安全保障上の理由などと称して、そのころの重要文書をほとんど公開していません。

『正論』1月号より

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)
「アメリカ観の新しい展開」(七)

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(七)

残暑お見舞い申し上げます。

 暑いですね。困っています。
 今年は体力にこたえています。

 ここ数回、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。あらためて全部拝読しています。何らかの応答をしようと思っているのですが、あっという間に月の中半の締切が来てしまいました。時間がないのでお許しください。これから掲げるものは、以前のものの続きとなります。興味ある話題だと思いますので、コメントを遠慮なしに書いてください。

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)

「アメリカの正義はガラリと変わる」(西尾)
「『ワン・ワールド』に地域覇権国は不要」(福井)

 西尾 まず、前回に続いてアメリカ型の正義について考えましょう。シナ大陸での戦前の排日・反日は、日本にとって最も痛手が大きい戦争原因の一つです。その排日・反日を主導したのは、実はアメリカ人の宣教師たちでした。彼らはだいたい反日スパイで、イギリス・アメリカの教会系の学校やキリスト教青年会が、排日運動を扇動する拠点でした。

 こうした施設がどれだけあったかというと、英米系の教会は、約五千八百。病院や薬局が五百七十。教会がつくった大学や専門学校が十八、中学校が三百五十、小学校が約六千、幼稚園が七百五十。こうして、全国にはられた排日の網の目で一斉に活動が始められて、シナ人をいじめているのは日本だというイメージが流布した。この流布のさせ方がすさまじく、かつ嫌らしい。いかにアメリカが素晴らしい国で日本がひどい国かということを映画にしてシナの田舎町まで持っていって上映する。そのお先棒を担いでいたのが、宣教師なんです。それがやがて日貨排斥へ発展していきます。

福井 対日戦争に非常に積極的だった『タイム』誌オーナーのヘンリー・ルースは、中国に派遣されていた宣教師の息子で、中国育ちです。それにしても宣教師たちはセンチメンタルなまでに中国が好きですね。西尾先生の『天皇と原爆』(新潮社)には、こうあります。
「私が最近しみじみ考えているのは、アメリカの抱いていた宗教的な期待のことなんです。アメリカは、中国大陸でキリスト教を布教する可能性が無限にあるように思っていました。日本ではなかなか、そうはいかなかったんですよ。日本は信仰という点では頑としてキリスト教を受け入れないところがありました。キリスト教の信徒は明治以来増えていますが、現段階でも百万を少し超えるくらいです。日本はキリスト教化されることのない国なんです」(七二~七三ページ)

 西尾 日本では布教しても効果がなかった。中国でも本当は効果がないのに、シナ人は信仰するような顔をするんです。

 福井 要は、お金が貰えるからですよね。
 
西尾 そう。シナ人は一時的に、キリスト教を信じているような顔をするんですよ。その後信仰は根付いていないでしょう。日本人は真面目で正直だから、嫌なものは受け付けない、信仰しませんときっぱりと拒否する。

 福井 日本人はしっかりしていて可愛げがないので気に食わないということでしょうか。

 西尾 原理主義は日本人の信仰には合わないんですよ。それにしても分からないことがあります。十九世紀末のカリフォルニアでは、排日の前にシナ人への嫌悪がありました。最終的にはそれが混合して、シナ人と日本人も区別がつかないので排日につながるわけだけれども、アメリカ人は最初は体質的にシナ人を軽蔑していたのに、日本人を敵視するあまり、その後大陸ではシナに入れあげて度外れたシナ擁護に変わる。このアメリカの姿勢の転換が理解できない。

 このように、アメリカ人はちょっとしたことでワッと、正義の方向が変わってしまうんです。それが怖い。いろいろな歴史的場面でそうなんです。ソ連が侵攻したアフガニスタンでイスラム原理主義のゲリラの多くをアメリカが育てたのに、その後は敵対した。イランもパーレビ国王時代には非常に親しく付き合っていたのに、イスラム革命後(一九七九年)は急に敵対的になり、イラン・イラク戦争(一九八〇年)ではイラクを応援し、と思ったらイラクともその後戦争をした。今まで親しくして、認め、応援し、経済援助も与えていた国が仇敵のごとくになるんです。中国に対してもそうです。蒋介石をあれほど応援していていたのに、第二次大戦後は手の平を返したように冷たくなった。
 
このアメリカの精神構造はどこか異常ではないですか。世界最大の軍事国家ですから、その影響は大きいんです。怖いんですよ。

 福井 世界最大の軍事国家で唯一のスーパー・パワーだからなんでもできるわけです。制約がない。

 西尾 そういう連中に、無節操で基準のない行動をされてはたまったものじゃないと思うんです。

 福井 西尾先生は前回、日米開戦の要因として人種差別を挙げられました。ただ、本当に差別しているのであれば、日本人や中国人を相手にしないはずですよね。劣等人種同士、戦争をしようが、お互い煮て食おうが焼いて食おうが関係ない。それなのに、中国に肩入れした。そうさせたのは、人種差別を超えた何かですよね。

 西尾 日本を叩くために日中を離間させるという政策だった、と思いますけれども。

 福井 前回、アメリカはイギリスを倒そうとしていたということを議論しましたが、私は、アメリカはドイツを叩きつぶすことも考え続けていたのだと思います。アメリカは、戦後のドイツ領土を縮小したうえで南北に分割し、重工業はすべて解体するなどという非常に過酷な占領計画、モーゲンソー・プランまで立てていました。原爆も本来はドイツに落とすはずでした。完成前にドイツが降伏したためにチャンスを失っただけで、人種的偏見から日本に落としたのではないと思います。

 キッシンジャー元国務長官は一九九四年、「アメリカはドイツの覇権を防ぐために二回戦争をした」とドイツの新聞で語っています。一九九〇年に東西統一がなされ、当初の混乱も落ち着いて再び強国への道を歩み出したドイツに警告を発したわけです。

 西尾 アメリカは、ソ連が崩壊して役割を終えたはずのNATOを手放しませんでした。東ヨーロッパに民主主義と市場経済を根づかせるためにアメリカが役割を果たすと称し、英仏もこれを歓迎しました。しかし実は、英仏はドイツの力の増大を恐れていたためだと思います。またアメリカもドイツの核武装、そしてロシアへの急接近を阻止したいという思惑から、NATOを使ったんですね。

 話を第二次大戦前に戻せば、アメリカの敵は日英独だったということですね。ロシアはどうだろう。
 
福井 ロシアもそうでしょう。世界支配のため、まずイギリスと日本とドイツを蹴落とし、冷戦という最後の決戦でロシアにも勝利したわけですよね。

 前回紹介したように、日米開戦前年の一九四〇年の大統領選で共和党候補だったウェンデル・ウィルキーは、一九四三年に『ワン・ワールド』という本を出し、大ベストセラーになります。この時の共和党大統領候補の選出は非常に不可解で、前年まで民主党員でまったくのダークホースだったウィルキーが選ばれた。彼の主張はルーズベルトと大差なく、有力対立候補が出馬すれば再選(三選)は難しいといわれていたのに、国民は事実上選択肢を奪われたわけです。開戦後も彼はルーズベルトに協力して、世界中を回り、戦後に実現すべき「ワン・ワールド」を説き、イギリスの植民地主義を厳しく批判した。『ワン・ワールド』では、毎日欠かさず神に祈りかつ聖書を読む思慮深い人間として、蒋介石が絶賛されています。

 西尾 一九四三年十一月のテヘラン会議でのルーズベルト大統領も同じですね。米英ソに加えて、蒋介石の中国を加えた四カ国で世界の平和維持にあたるという「四人の警察官」構想を主張しました。チャーチルやスターリンは反対したのに、ルーズベルトが押し切って中国を入れた。

 福井 中国を入れることで、「我々には人種的偏見はない」と強調したかったのではないでしょうか。『ワン・ワールド』でも中国が戦後世界秩序に主体的に参加することの重要性が強調されています。

 西尾 つまり世界を分割統治する。もちろんアメリカが中心だけれども、英露中という代官を置く。その代官には日本もドイツも入ってない。産業的にみれば本来は日独ですよね。

 福井 「ワン・ワールド」を確立するうえで、アメリカと別の意思を持った地域覇権国は邪魔な存在であり、日独がそうならないようにした。今のEUの経済危機でも、英語圏メディアはドイツ批判ばかりしています。何も悪いことをしていないのに。

 西尾 今のEU問題はドイツいじめですよ。

『正論』1月号より

(つづく)

歴史認識と安倍総理

 3日午後記者クラブで行われた各党党首の記者会見をテレビで見た。質疑は多岐にわたったが、その中で歴史認識について安倍総理は質問に答え、今まで通り、歴史の内容について政治家が政治判断を下すのは間違いで、専門家に委ねるべきだと語ったが、私は聴いていて、その言葉の影に、いつもより強い信念のようなものを感じた。

 記者が専門家の仕事は歴史の細かいデータの検証に関わるのであって、日本が朝鮮を植民地にしたのか否か、中国を侵略したのか否かのような大局の認識は中曽根氏がそうであったように、政治家が断を下すべきものではないのかと問うたのに対し、安倍氏は中曽根氏もそういう決定の断を下したことはない、と述べた。そして植民地とか侵略とかの概念の重さに対し政治家はどこまでも「謙虚」であるべきであって、それを簡単に認めることはかりに今の情勢下では政治家にとってやり易く、気が楽だとしても、自分はそういう風に弱い逃げの態度であってはいけないと考えている、ときっぱりと仰有った。内外からの風圧に決して負けない、との気概を示されたように私は受けとめた。

 私はそこから8月15日か秋の例大祭かのいずれかで総理は靖国参拝をなさるのではないかという気がした。アーリントン墓地にアメリカ大統領は参拝する。南軍の将兵が祀られているからといって参拝は奴隷制度を認めるものではない、と総理が言ったのに対し、記者団の中から南北戦争は内戦であって意味が違うと反論の声があった。安部氏はこれに対し、アメリカの学者の議論をもち出ししきりに切り返していた。相当思いつめいろいろ考えを深めて来た様子がうかがえた。これら全部を聴いていて、靖国参拝をなさるつもりなのではないかとの予感をもった。

 私は7月発売の『正論』8月号に40枚の評論を書いて、歴史認識についての所見を述べた。題して、「日本民族の偉大なる復興――安倍総理よ、我が国の歴史の自由を語れ――」(上)である。この題がある人の専用の題をもじったアイロニーであることは気がつく人はすぐ気がつくだろう。分らない人は、論文の4ページ目に種明かししてあるので、そこを見てもらいたい。

 間違えていけないのは、朝鮮半島は「植民地支配」ではなく「併合」である。アメリカのハワイ併合のごときものである。支那事変は「侵略」ではなく仕掛けられた挑発を受けて立った「事変」であって、従って宣戦布告はない。盧溝橋も第二次上海事件も、蒋介石がコミンテルンに踊らされた謀略攻撃に対するわが国の自衛的対応にほかならない。日本政府に対応のまずさ、深追いし過ぎた処理の仕方の混乱はあったが、全土を制圧する征服戦争の意図はなかった。日本は和平を言いつづけていたのだ。拒んだのは支那サイドだった。

 安倍総理はこうした論点に細かく深入りすることは恐らくできないだろうし、すべきでもない。せいぜい言えるとしたら、19世紀から1941年まで日本は侵略される側にいて、侵略されずに残った最後の砦であったこと、それが今から見て明らかな地球全体の動きだった、という大局観を叙べることだろう。そして詳しいことは学者の論争に委ねたい、と。(歴史家と言ってほしくない。日本の歴史家は歴史を語る資格がないのだから。)

 いくらこう言っても中国や韓国が理解を示すとは思えない。しかし世界は広い。他のアジア諸国に共鳴の手を挙げる人は必ずいるだろう。欧米にもいるだろう。

 70年近く経ってもそういう声を世界中に向けて上げて、論争の渦をまき起こす時期だろう。それができれば安倍氏は世界的スケールの政治家になれる。

 私は上記論文にこういうテーマについて書いている。『正論』8、9月号に(上)(下)として二回つづけて掲載される。始めたばかりの大型連載(「戦争史観の転換」)のほうは申し訳ないが休載させていたゞく。

慰安婦問題――ポイントを間違えるな

 このところ橋下大阪市長と西村眞悟衆議院議員の従軍慰安婦問題をめぐるイレギュラー発言がマスメディアで取り上げられ、騒がれています。お二人の発言の仕方はまずいなと私も思いました。内容ではなく、仕方、ものの言い方、テーマの選び方における「戦略」のなさです。

 お二人はなぜアメリカ軍による日本人慰安婦の扱いを具体的に例をあげてきちんと取り上げないのでしょうか。誰でも「基地の女」ということばを知っているでしょう。全国いたる処、基地のあるところに日本女性がいました。朝鮮戦争のころ(1950~53年ごろ)はピークでした。殺人もよくありました。

 日本人は戦後、米兵にさんざんな目に遭ったのです。それでも世界の歴史の中では比較的ましな占領軍でした。それで日本人はずっと我慢して来たのですが、いまアメリカからありもしない日本軍による人身売買の人権侵害蛮行として道義的に批判される理由はまったくありません。

 橋下さんは沖縄の司令官に日本の風俗営業をもっと活用せよと言ったようですが、そんなことを言わないで、戦後の日本におけるアメリカ兵の蛮行のデータをきちんと調べて、あらためて批判するべきでした。また、慰安婦施設は世界中どこにもあった、などと漠然と言うのではなく、例えばシシリー島ではドイツ軍管理の慰安婦施設をアメリカ軍が働いている女性もろとも引き継いだ、という笑ってしまうような例――よく知られた話です――を取り上げて、大衆にもメディアにも文句の出てこないような話し方をすべきです。ワーワー大声でわめいている印象しか残らない彼の話し方は拙劣です。

 西村眞悟さんはなぜ韓国人売春婦の数が多いなどということを唐突に口走ったのでしょう。もしこれを言うなら事実例を挙げて、例えばごく最近も韓国で売春婦の大型デモがあり、白昼堂々と彼女らの権利が主張されている国であること、また米国務省の2011年6月11日付報告書で、韓国の売春婦は世界で一番多く、27万人、全人口の1.07%に及ぶというような驚くべきことを報道事例を掲げて、説明すべきだったでしょう。そうすれば女性議員の会が文句をつけたりできないのです。西村さんはなぜこんなにいつもスキがあるのでしょう。くりかえされる不用意なもの言いはそれ自体が問題です。きわどいことを発言するときには、それなりの準備と戦略が必要ではないですか。

 それから、申し上げたいのは今さら韓国を相手にこの件でものを言うな、ということです。またこのご両氏だけではなく、どなたでも弁解や言い訳に類することはもう一切口にして欲しくありません。言葉が通じない相手には――100年前からそうでしたが――何を言ってもダメなのです。

 いま外交的に面倒なのはむしろアメリカです。しかもアメリカ人は論理的に説明すれば分る人がまだいます。日本に慰安婦施設をつくらせたのはGHQです。アメリカが日本を非難する資格はありません。

 この件で世界に発信しているアメリカのサキ報道官(女性)に、国民みんなで抗議しましょう。彼女は「性を目的に人身売買された女性たちの身に起きたことを嘆かわしく、とてつもなく重大な人権侵害である」と日本を非難していますが、あなたはあなたの父や兄や祖父が日本で何をして来たのか、またアメリカ軍が何をしてきたのか知っているのですか、と訴えかけましょう。あんな風に日本人を見下すような物の言い方は許せません。国民みんなで声をあげましょう。そして韓国人は放って置きましょう。アメリカに抗議しましょう。反発するアメリカ人も出て来ますが、その通りだ、分った、というアメリカ人もいるはずです。これはそのようなレベルのテーマなのです。

(追記) 戦後の沖縄で米兵による狼藉がくりかえされ、今もなかなか止みません。アメリカ軍はアメリカの女を沖縄の基地に連れて来て、慰安所をつくり、日本人に迷惑をかけるべきではありません。旧日本軍がしたことはそのことでした。旧日本軍のほうがずっと正しいことをしていたのです。橋下さんは沖縄の司令官に日本の風俗嬢を使えというのではなく、アメリカから風俗嬢をつれて来いと言うべきなのです。日本政府もそう言うべきなのです。これは当り前なものの言い方で、たゞ内気になった日本人がこういう普通の言い方を忘れているだけです。アメリカにももっと胸を張って生きていきましょう。

『WiLL』現代史討論ついに本になる(一)

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 『WiLL』誌上で私が三人の現代史研究家、福地惇、福井雄三、柏原竜一の三氏とくりひろげた「昭和史」論者への批判的討議がまとめられ、本になりました。年末に刊行され、いまやっと店頭に出ました。『自ら歴史を貶める日本人』という題で、徳間書店刊、¥952です。

 「はじめに」と目次をご紹介します。文字通り「徹底批判」ですが、かたわら笑いあり冗談ありで、堂々と楽しみつつ論難しています。手に取ってご覧になって下さい。きっとこれは買わなきゃ損だと思う一冊です。しかも安い値段です。

 1月の私のGHQ焚書図書開封の時間を利用して、この本について私と福地惇氏のフリーなトークが2週にわたって行われます。これも1月中に放映され、You Tubeにも出す予定です。お楽しみ下さい。

はじめに

 どういうわけか「昭和史」というのがはやっています。半藤一利氏の同名ベストセラーを筆頭に、秦郁彦氏や保阪正康氏や北岡伸一氏らは早くからこの分野をプロパーな舞台に活躍していましたし、そこに加藤陽子氏が新たに加わって、それぞれの特色を出して、読書界の表面を賑やかにしています。

 私たち四人はかねてから彼らの仕事ぶりに何となく腑に落ちないものを感じていました。日本は外国と戦争したわけですから、外国の歴史を考えないで自国史を語れません。彼らは、戦争は相手があっての話なんだということが全然わかっていない。

 彼らの思考は日本史だけの狭い座標軸で、小さなコップの中で水が波騒ぐように旋回して空回りしているように見えます。

 スペインやポルトガルの地球規模の拡大はひとまず措くとしても、オランダ、フランス、イギリスの西力東漸(せいりょくとうぜん)、ロシアとイギリスによるユーラシアの南北分割の勢い、アメリカの太平洋への闇雲の伸長は、「昭和史」叙述のいわば前提条件です。歴史を見るのに空間的視野の広がりを持つ必要がある所以ですが、時間的視野の広がりを持つことも必要です。歴史を短く区切ることはできません。何年から何年までが暗黒時代だったと区切るとすれば、そこには政治的意図があります。昭和3(1928)年あたりから歴史が変わったように言うのは東京裁判の要請からくるもので、占領軍がかねて日本史にそれを求めてくるのは、16世紀からの西欧のアジア侵略を視野に入れさせないためであることをしっかり留意しておくべきです。

 私たちがこの本を通じて読者の皆様にぜひとも認識を改めてもらいたいと願っているのは近代日本の戦争の評価ということです。それは公認の歴史教科書に書かれていることとは逆であります。先の大戦争は日本が主導して起こした戦争ではなく、日本は無理やりと言ってもいいような状態で戦争に巻き込まれたことが現実の姿です。

 それから中国大陸のことを考えるなら、非常に早い時期から混乱の極みにあった地帯で、そこへ日本が入りこんでいったがゆえの混迷と政策のまずさは区別されねばなりません。内乱は中国史の常態であるのに、今取り上げたかたがたの「昭和史」は中国をまともな国家のように描いています。いくつもの政府があった大陸を、一つの主権国家のように扱っています。たしかにそのような乱れた中国を日本人がバカにしたのは事実ですけれども、だからといって「侵略」ということにはなりません。日本は中国を何とか普通の国にしようと努力して、扱いかねて、手こずって、火傷をしたのです。戦争をしたがってのは中国人のほうでした。とくに都市部の中国人がそうでした。

 われわれは英米とソ連が手を組むという理屈に合わぬ敵を相手にして戦ってしまったわけですが、ナチスドイツの台頭を阻もうとして二つの異質の勢力が手を結んだあの戦争は、キリスト教ヨーロッパ文明の内部の宗教的な動機を宿した「内戦」だったのではないでしょうか。日本は国家以前のような中国に介入するべきではなかったけれども、西洋の宗教戦争とも本来は無関係でした。

 しかしあの時代には孤立を守っていることなどできなかった。世界に背中を向けていれば、間違いなく日本民族とその列島は列強の餌食になったことでしょう。われわれの先人たちは必死に生きたのです。近代日本人はまさに大変な危機に遭遇させられて、防御対応に並々ならぬ努力を重ねたのでした。

 アメリカ占領軍(GHQ)史観、勝者の裁きの歴史観をわが国の近現代史に当て嵌めて全く恥じることを知らない当代の「昭和史」論者たちは、これら先人の歩みを裁くことに急で、その辛苦に涙することを知りません。私たち四人は彼らの歴史の書き方に疑問と懐疑をずっと抱いていました。平成20年ごろに「現代史研究会」を起ち上げて、言論誌『WiLL』で討議を重ね、平成20(2009)年9月号から平成23(2011)年12月号までに、つごう11回に及ぶ討議を公開して参りました。

 この期間、私たちを支え励ましてくださった『WiLL』の花田紀凱編集長とスタッフの皆様に厚くお礼申し上げます。

 以下ここにその全討議の内容をあらためてまとめて一括し、ご紹介する次第です。

平成24年12月3日

自ら歴史を貶める日本人観 ◎ 目次

第1章 捻じ曲げられた近現代史
第2章 日米戦争は宗教戦争だった
第3章 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は青少年有害図書
第4章 半藤一利『昭和史』は紙芝居だ
第5章 北岡伸一『日中歴史共同研究』は国辱ハレンチの報告書
第6章 日中歴史共同研究における中国人学者の嘘とデタラメ