中国の東シナ海進出は止まらない(二)

お 知 ら せ

*TLF7月講演会*

講 師 西尾幹二氏 (評論家)

テーマ “GHQ焚書図書”から読み解く〔大東亜戦争〕の実相

と き 平成18年7月15日(土)
     午後6:30~8:30(受付6時)

ところ 東京ウィメンズプラザ・視聴覚室(1F)
    東京都渋谷区神宮前5-53-67(地下有料駐車場有)

交 通 〔表参道〕B2口より渋谷方面に5分(国連大学)手前右折

参加費 男女共1500円・学生1000円(要学生証)
     当日会場までお越しの上、直接お申し込み下さい!

“非営利・非会員制”の知的空間

主 催 東京レディスフォーラム
  〒100-8691 東京中央郵便局私書箱351号
  ℡&FAX 03-5411-0335

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

___________________________________________

東シナ海の日中中間線を認めていない
______________________________________________

 西尾 平松先生は中国の国家戦略について、毛沢東が最初から、「核、海岸、宇宙」の三つをセットにしたアメリカとほぼ同じ大国戦略をプログラムとしていたとおっしゃっています。国家百年の大計をきちんと定め、それに従って何十年と動いてきた。それが少しずつ集積して、いま巨大なエネルギーとして浮かび上がってきている気がします。

 その一方で、地図を見ると中国大陸の東側には日本列島から沖縄、台湾があり、中国大陸の東を全面的に覆うかたちになっています。中国としては、日本が近代国家として早く目覚めたため、いつの間にか自分たちの海岸線の先を全部押さえられ、太平洋の出口をふさがれてしまったと感じているのではないでしょうか。

 これは、日本が知らないうちにアメリカにどんどん西へ進出されて、ハワイからサモア、グアム、フィリピンを押さえられ、包囲されたかたちになったのにも似ている。わが国が、それを突破しようとしてアメリカとぶつかった大東亜戦争の構図を当てはめると大変なことになる。中国が太平洋に出るには、台湾海峡を抜けるか、台湾とフィリピンのあいだにあるバシー海峡を抜けるかしかありません。台湾海峡を抜けたあとは、沖縄の宮古島周辺を通らなければならない。中国が太平洋に出ようとしたら、日本と衝突するのは必然というわけです。

 もっとも中国がそんなことを考え出すのは、長い歴史において、ごく最近の話です。彼らは基本的に、海の民ではありません。そう考えると海への野心は、それほど強烈なものではないのではないでしょうか。

平松 いえ、そんなことはありません。東南アジアを完全に影響下に入れるために南シナ海を押さえ、その後、陸地から進出しはじめています。いま中国は大陸の奥地から、ミャンマーやベトナム方向に盛んに進出しています。

 また台湾を支配下に入れたがるのも、そうすれば直接、太平洋に出られるからです。バシー海峡からマラッカ海峡に至る南シナ海には、日本のシーレーンが通っていますから、南シナ海を押さえられたら日本は中国の顔色を窺わないと船の航行がしにくくなる。

 現在、韓国が中国に一生懸命擦り寄っている理由も、そこにあります。中国はいま東シナ海を影響下に置こうとして日本と対立していますが、もし東シナ海が「中国の海」になれば、黄海は出入り口がなくなって、完全に中国の内海になり、米国の空母や原子力潜水艦が入れなくなる。朝鮮半島への影響力を決定的なものにできるのです。それを予感して韓国は親中戦略を採っていると考えられるのです。

 このような危険は状況になりつつあるのに、日本はまったく危機感を抱いていません。3月に行われた東シナ海のガス田をめぐる交渉にしても、中国が尖閣列島付近での共同開発を持ち出すことなど、考えてもいなかったようです。これは中国の戦略としては当然のことなのです。

 この会談で中国は、日韓共同石油開発が行われた海域にまで日中共同開発を主張しています。ここは80年代初めに日韓共同で石油の試掘を行った場所ですが、大して石油が出ず、放置されたままになっていた。そこをあらためて「開発しよう」といってくるのは、「そこは中国のものだ」と日本と韓国に認めさせたいからです。日本政府は春暁のガス田開発と尖閣列島の領有問題と日韓共同開発海域の問題をまったく別個に考えていますが、中国はそうでなく、「東シナ海の大陸棚とその海域は、全部自分たちのものだ」と考えている。

 中国はいろいろな問題を通して、東シナ海でのプレゼンスを高めることを意図しています。最近「春暁ガス田」に近い平湖油田の拡張工事で周辺の海域に対して、外国の船舶の航行を禁止する措置をとろうとしましたが、日中中間線の日本側海域にまでその禁止海域を拡大して設定していることがわかりました。中国は日中中間線を認めていないから、当然の措置と見ているわけです。このような問題が起こった場合、緊張が生まれるかもしれませんが、日本政府は断固たる態度で対応する必要があります。

西尾 平松先生は、中国はすでに東シナ海の問題を「片づいた」と考えていると書いていますね。

平松 中国は南シナ海も東シナ海も、かなりの程度まで片づいたと思っています。だからこそ西太平洋にまで進んできているのです。

西尾 中国の潜水艦が西太平洋に出て海底調査を行なっています。日本領土である沖ノ鳥島付近のわが国の経済水域ばかりか、北部海域の「公海」にも入ってきている。

平松 たしかに領土から200海里が排他的経済水域ですから、沖ノ鳥島からそれ以上離れた北部海域は「公海」ですが、その「公海」の周りはすべて日本の経済水域になっているのです。

 中国だったらあそこは「自分たちの海」というでしょう。アメリカだって暗黙の了解として自らの海と認めさせるに違いない。その意味で日本は優等生すぎるのです。

西尾 おっしゃるとおりで沖ノ鳥島の北方は、日本が「ここはわれわれの海だ」と認めさせてしまえば、それで済む気もします。最近ようやく沖ノ鳥島の重要性に気づいて、日本も発電施設や灯台を置くなどといいだしました。

平松 そのようなことをドンドンやらないとダメなんです。これまで沖ノ鳥島に触れること自体、嫌がっていましたからね。

西尾 「中国を刺激するから」と。そんなバカなことをいっているから、いつの間にか中国にやられてしまう。

平松 中国が南シナ海に進出したとき、私が、日本の船舶が頻繁に航行する南シナ海のシーレーンを中国に押さえられる状況になることを危惧しても、「なんで、そんなことを心配するんですか」と防衛庁や自衛隊の人たちから笑われたのです。

西尾 先日たまたま防衛庁の人と会いました。私が「いざとなったら将官クラスの人は憲法違反をして、自分で腹を切る覚悟でいないと、この国は守れないですよ」というと、「私どもは決意しています」などと、口ではいっていましたけどね(笑)

つづく

中国の東シナ海進出は止まらない (一)

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

_________

中国が主張する領土
_________

西尾 平松先生は最近、『中国は日本を併合する』(講談社インターナショナル)というショッキングな題の本を出されました。それによると、中国は近代化に立ち遅れ、そのための失地を回復すると称して領土拡大を狙い、その範囲はわれわれが考える以上の広域に及んでいます。

 帝国主義列強から奪われたと称して、現在のカザフスタン、キルギス、タジキスタンの一部、パミール高原、ネパール、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジア、さらに台湾、沖縄、朝鮮半島、ロシアのハバロフスクから沿海州一帯、サハリンを、中国は自分たちの領土だと主張している。とくに日本にとって由々しいのは、現在の沖縄、琉球諸島を「日本によって占領された」と考えていることです。

 海についても黄海、東シナ海、南シナ海を「中国の海」ととらえ、すでに南シナ海はほぼ手中に収められている。領域についてのこの考え方は、中国政府が公文書で発表したものなのでしょうか。

平松 いえ、そうではありません。ここで示した範囲は、毛沢東が政権を取る前に「将来、自分が権力を握って国家をつくるとしたら、そのときの中国はどのようなものか」を考え、アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーに語ったり、論文に書いたりしたものです。中華人民共和国建国当時、中学生が使う教科書には、その地図を入れています。

 当時の毛沢東は、中国は1840年のアヘン戦争以後、帝国主義列強に領土が侵食されたという前提に立っていました。それを回復するという使命感に燃えていたのでしょう。これは毛沢東や共産党だけでなく、アヘン戦争以降の中国近代史に出てくるリーダーたちに共通して見られる意識でもあります。

 ただ、いきなり取り返すことはできませんから、まず自分たちの力を蓄え、それを背景に回復を図ることを考えた。それには「核兵器を保有しなければならない」と、ひたすら核兵器開発に力を入れたのです。この場合の核兵器とは、たんなる戦争の手段でなく政治の手段です。核兵器を保有すれば、アメリカやソ連などの大国に相手にしてもらえるというわけです。

 早くから核兵器保有の効果を見抜いていたという点で、少し褒めすぎかもしれませんが、私は毛沢東を非常に先見性のある政治指導者であり、戦略家だったと評価しています。この点については私が続いて出版した『中国、核ミサイルの標的』(角川書店)で詳しく書いています。

西尾 中国最古の詩集『詩経』に、「溥天の下、王土にあらざるは莫(な)し」と書かれた詩があります。大空の下、どこまで行っても王の土地である。自分はどんどん膨張していって、天下と一体になってしまうというようなイメージを語ったものです。広大なユーラシア大陸のなかで絶えず民族移動をしてきた中国人にとっては、先生もお書きになっていたとおりに、国境の観念はもともとないのかもしれません。

 日本人も別の意味であまり国境意識がありません。物事を明確に分けるのが苦手で、なんとなくぼかしてしまう。人と人の境も、人と自然の境も曖昧にさせてしまう。

 一方ヨーロッパ人は、中国人とも日本人とも異なり、国境をはっきりさせます。三者を並べたとき、まったく逆の理由になりますが、国境観念が稀薄である点で、日本人と中国人は似ている気もするのですが・・・・。

 そこで一つ質問します。以前ロシアに行ったとき、ロシア人も非常に広い場所に住んでいるので、中国人と似ているという話になりました。「あなたの生まれたところはどこですか」と聞くと、日本人の場合、まず海岸線が頭に浮かび、「そこから何キロ入ったところに自分の故郷がある」と考えますが、ロシア人はそうはならない。ドニエプル川やボルガ川などの流れを思い浮かべて、「二番目の蛇行の角を曲がったところに故郷がある」などと考えるそうです。そのあたり中国人は、どうだと思われますか。

平松 よくわかりませんが、やはり海よりは長江や黄河などの川ではないでしょうか。あるいは湖とか。

西尾 最初に海を考える発想は、中国人にはないのですね。

平松 ありません。中国が海に出はじめるのは1970年代からで、国連の「海洋法条約会議」がきっかけです。1980年代になって本格的に活動するのですが、このとき海軍の指導者が述べた理由は「これから魚を食べよう」というものでした。中国人の食生活は豚肉と切り離せませんが、魚をもっと食べようというわけです。

西尾 それが現在の乱獲につながるのですね。

平松 長いあいだ世界の水揚げ高トップは日本でしたが、7、8年前から中国になっています。これは淡水魚を含めての数字ですが、まもなく海の魚だけでもトップになるでしょう。

 彼らは世界のあちこちに行って魚を捕っていますから、そのうち世界中の魚を食べ尽しかねません。中国では高速道路が整備されたため、かなり奥地まで魚が届くようになっています。10億の人間が魚を食べはじめると考えても、けっしてオーバーな話ではありません。

つづく

北朝鮮を利用せよ

 北朝鮮のミサイル発射は本当は大変に深刻な出来事なのだろうが、目の前に薄い膜がかかって、なぜか白昼夢を見ているような趣きがある。うまく言葉で言えないが、不安が習慣化している。

 1920年代に「日米もし戦はば」というような本が流行したことがあった。いつしか言葉は現実を引き寄せた。同じようにミサイルが七発も発射されても、われわれはまだ夢の中の出来事のように思えている。相手がまだ遊んでいるように見えている。だがこんなことを繰り返していると、きっといつしか現実になる。

 われわれは、もう言うべきことは言い尽くしたし、何を為すべきかもみんな分っているはずである。そして何ができ何ができないかも考え尽くしている。自衛隊は相手ミサイルの発射基地を叩くことが出来ない。こちらの対抗ミサイルは地対空はあっても、地対地が用意されていない。

 行って空爆して帰還する航空機はあっても、飛行距離が足りないといわれていた。途中で給油する必要があると聞いた。給油機の導入は平成18年だと3年前に聞いていて、ずいぶん先だと思っていたが、今その年になっている。あの件はどうなっているのだろう。いざとなったら韓国の米軍基地に緊急着陸して、爆撃して帰ってくればよいと言っていた元自衛官の話もあったが、あの件もどうなっているのだろう。

 私も他人(ひと)のことは言えない。追及する意識を手離しているうちに歳月のみ流れた。今はどうなっているのか、専門家の話も最近は詳しく聞いていない。

 しかし問題は、北朝鮮のミサイル基地に自ら軍事攻撃を加えるというような可能性がこの国でははなから考えられていないことなのだ。(注・9日麻生外相と額賀防衛庁長官がやっと敵基地攻撃の可能性を憲法のゆるす範囲で検討すべきだと重い口を開いた。)基本的にはアメリカだのみだが、ご覧の通りアメリカの対応も鈍い。日本が本気でないのだから、アメリカもほどほどに手を抜いているようにしか見えない。

 出てくる話といえば経済制裁と国連安保理への提訴である。国際社会の結束が大切だと政治家は口を揃えて言う。中国とロシアが不熱心であることに(それは当然である)息まく政治家もいる。韓国がスキを狙って泥棒猫のように動いている。

 勿論、経済制裁も国連安保理への提訴も大切だ。物事の順序としてそれはそれで仕方がない。だが、軍事力行使が構えとして最後にあって、いつでも発動できる用意ができていて、その上での経済制裁でなくては効果がないし、その上での国連安保理の利用でなければ国際的効力も期待できないだろう。

 ところがミサイル防衛のパトリオットの導入その他が取沙汰されるだけで相手基地を叩くという発想が全然ない。石破元防衛庁長官はいざとなれば攻撃は防衛の範囲に入り、憲法に違反しないと言っていた。給油機や韓国基地の話はそのとき盛んに出されていたのに、今はディフェンス網の話ばかりである。

 北朝鮮のミサイルの着弾地点は今後少しづつ日本列島に近づいてくるだろう。ロシア沿岸に落としたのはまずは日本のお手並拝見なのである。北朝鮮は勿論ロシア政府の了解を必ず取っている。背後に中国政府も控えていて、日本の出方をじっと見つめている。そう考えれば着弾地点の選択は絶妙である。これから少しづつ日本海を南へ下って、列島に近づけてくる。日本国内は初めて騒然となるだろう。

 そして何よりも、中国が日本国内の情勢分析に意を注ぐだろう。北朝鮮は中国の指令でぜんぶ動いているわけではあるまいが、いいときにいいことをやってくれた、と思っているに違いない。

 日本は政権の交替期である。予想通り安倍晋三氏が総理になられたら、氏にぜひおねがいしたい。長期政権をあえて望まず、この機に憲法九条二項の削除を断行してもらいたい。

 そうすれば地対地ミサイルを配備できるし、長距離戦略爆撃機を用意できる。すぐ使えというのではない。攻撃力を使える状態にしておかなければ、安倍氏が提案しるづけてきた経済制裁も安保理提訴も絵に描いた餅に終わるだろう。

 憲法改正に時間をかけている暇はない。九条二項の削除だけを大急ぎで国民投票にかけるべきである。

 こわいのは北朝鮮のミサイルではない。中国の核攻撃力である。核を振りかざした政治的影響力、日本への無理難題の押しつけである。

 それをはね返すには、安倍氏よ、北朝鮮のミサイルの脅威をぜひとも上手に利用してもらいたい。北朝鮮がいいことをいいときにやってくれたと日本人が後で思えるように巧妙に立回ってほしい。

 本当の脅威は中国である。

 次回から平松茂雄氏と私の対談「東シナ海進出は止まらない」を掲示するが、この意味で時宜に適っているといっていいだろう。北朝鮮の攻勢を切っ掛けに、背後に控えている中国を正眼を据えてしかと見つめたい。

お 知 ら せ

*TLF7月講演会*

講 師 西尾幹二氏 (評論家)

テーマ “GHQ焚書図書”から読み解く〔大東亜戦争〕の実相

と き 平成18年7月15日(土)
     午後6:30~8:30(受付6時)

ところ 東京ウィメンズプラザ・視聴覚室(1F)
    東京都渋谷区神宮前5-53-67(地下有料駐車場有)

交 通 〔表参道〕B2口より渋谷方面に5分(国連大学)手前右折

参加費 男女共1500円・学生1000円(要学生証)
     当日会場までお越しの上、直接お申し込み下さい!

“非営利・非会員制”の知的空間

主 催 東京レディスフォーラム
  〒100-8691 東京中央郵便局私書箱351号
  ℡&FAX 03-5411-0335

二つの講演会(二)

 レジュメの中の一、のみを前回示した。今回お示しする二、以下も聴衆に配った要旨である。これだけ見ても多分読者には何のことかよく分らないだろう。

 各個条に少しづつ説明を加えれば多少分り易くなるだろうが、そんなふうにして分り易くすることは本旨に反する。一番いいのは全文を掲げることだが、それができないので申し訳ないがレジュメだけを掲示する。「日録」は私の覚書きでもあり、メモでもあるからやむを得ない。

二、 宣長の「やまとだましひ」

 つひにゆく 道とはかねて 聞しかど きのふけふとは 思はざりしを

(『古今集』業平の朝臣)

三、 漢意(からごころ)と西洋崇拝

 もろこしのまなびする人、かの國になき事の、御國にあるをば、文盲(モンマウ)なる事と、おとしむるを、もろこしにもあることゝだにいへば、さてゆるすは、いかにぞや、もろこしには、すべて文盲なる事は、なき物とやこゝろえたるらむ、かの國の學びするともがらは、よろづにかしこげに、物いはいえども、かゝるおろかなる事も有けり

(『玉勝間』七の巻)

四、 古事記と不定の神

 いわゆる超越原理、なんらかの規範のある民族が多いが、日本人にはそれがない。

 ユダヤ人の律法、ギリシア人のロゴス、インド人の法(ダルマ)、中国人の礼(または道)

五、 自画像を描けない日本人

 日本人がこれから目指すべき歴史観は、日本から見た世界史でなければならない。シナから見た世界史であってもいけないし、西洋から見た世界史であってもいけない。日本から見た世界史の中に置かれた日本史――これでなければ今後はやっていけまい。

 日本人は一面では自分を主張しないで済む、何か鷹揚とした世界宇宙の中に生きているのではないか。

六、 宣長の覚悟

 道あるが故に道てふ言(こと)なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり

(『直毘霊』)

七、 江戸儒学(合理主義)のカミの扱い

 神代と人代との断絶の意識
 林羅山、鷲峰の『本朝通鑑』、水戸光圀の『大日本史』、新井白石の『古史通』にみる「神とはヒトなり」

八、 孔子以前の世界を見ていた徂徠はカミを志向する

 論語とは聖人の言にして門人の辞也。之を聖人の文と謂ふ者は惑(まどひ)なり

(『論語徴』題言)

 蓋し天なる者は得て測る可からざる者也

(『辮名』)

九、 儒学が日本人に与えた歴史意識、国家意識――徂徠から宣長へのドラマ

 
 時間の関係で松山では六、まで、拓大では全部のテーマに一応は触れることができた。

 例によってあちこち脱線して、三、では「もろこしにもあることゝだにいえば、さてゆるすは、いかにぞや」は、「欧米が評価することだといえばそうだそうだと承認する風潮ははたしていかがなものであろう」と翻訳することもできるだろう、と言った。漱石や鴎外の西欧体験、小林秀雄のゴッホやモーツァルトの話にもなった。

 仏教はインドの地で大乗や密教にいたるまで歴史的全展開を終えたのに文献のかけら、痕跡も残っていない。他方キリスト教はイスラエルではほとんど展開せず、ヨーロッパに渡ってから東ローマ帝国や西ローマ帝国でそれぞれ深化し発展した。まるきり関係が逆であるのは面白いという話にもなった。

 本居宣長は日本語の固有の表記法が最初からあるかのように考えているらしいが、今の研究では古代の日本人は漢詩作成で初めて文字で詩を書くことを知ったと考えられている。日本の歌謡はずっと口誦で来て、文字表現への欲求は和歌の内部からは誕生しなかった。

 日本人の文字利用への切っ掛けは歌謡や祈りや呪術からではなく、通商、政治、外交からであった、という話もした。

 みんなそれぞれ脱線した自由な話題の一つである。文字と古代日本人のテーマは神秘的で、多分関係があると推理しているだけだがと断って、私が伊勢神宮で体験した、祝詞の文字を決して外に出さない不可思議に、一種の文化ショックを経験した、という話も語った。

 日本のカミはカミであって神ではなくましてやGODではないとも言った。「神話」は中国語にも日本古来の語にもなく、mythosの明治新造訳語であり、「新聞」や「電話」や「百貨店」と同じように逆に中国に伝えられたのだという面白い話も言い添えた。

 拓大では2時間30分も許されたので、脱線もたっぷり可能で、話していて楽しかった。終って井尻さんから、2時間半も立ちっぱなしで熱弁をふるわれお疲れでしょう、としきりにねぎらわれたが、疲れたという感じはまったくなかった。

 茗荷谷のお魚のおいしい店で井尻さんや拓大のスタッフの皆さんと楽しい時間をすごした。喋った後のビールの一口は何ともこたえられない。

 翌日同席していた宮崎正弘さんからメールが入っていた。「拓殖大学講義は大変有意義でした。江戸のダイナミズム、いよいよ刊行が楽しみです。」

 『江戸のダイナミズム』は少しづつ完成に近づいている。本文テキスト1100枚、注180枚の予定。

(了)

二つの講演会(一)

 松山はいつ来ても緑の山が町の真中にあって、路面電車がゆっくり走っていて、長閑でいい。銘酒梅錦がまたことのほかに私の好みに適っている。

 6月30日久光製薬のモーラステープ発売10周年記念講演会に招かれ、当地の外科のお医者さんを中心とした皆様に、全日空ホテルで講演をし、代表の愛媛大学の山本晴康教授(整形外科)ほか2名の方々と、夜は期待した通りホテル内の料亭で梅錦を愛飲させていたゞいた。

 お迎え下さった山本教授がまた竹を割ったようなご気性、明朗豁達を絵に描いたような御方で、私の本の久しい愛読者でもあられたので、話ははずんだ。酒もつい深酒となった次第だ。

 この講演会は大分前に企画されていた。テーマも乞われて三つほど先に私が提案してあって、山本教授が選んで下さっていた。私がいまどんなテーマで話をするのを好むか、少しここで紹介しておきたい。

 私は講演を依頼されると三つテーマをつねに提示している。(1)古き良き日本人の心(日本人の魂を考える)、(2)二つの前史――歴史は連続している、(3)皇位継承問題を考える。

 (1)は本居宣長のことばを中心に展開することにしている。(2)は、これだけでは少し分りにくいと思う。江戸時代は近代日本の母胎であり、戦争は戦後の繁栄の前提であるという「二つの前史」を具体的な数多くの事例で説明する。そして、明治維新と昭和20年は歴史の切れ目では決してないこと、歴史は連続していることを説いている。(3)は説明を要すまい。男系継承と万世一系の維持をOHPの系図説明で分り易く説明している。

 どういうわけか最近は(3)が減った。急にこのテーマは関心のピークを越したのかもしれない。山本教授は(1)を選んで下さっていた。これは私には具合が良かった。7月4日に拓殖大学日本文化研究所(所長井尻千男氏)の公開講座「新日本学」の最終の第十二講を担当することになっていて、ほゞ同内容を語る予定だったので、私としては3日置いての登壇で、やり易い。与えられた時間は松山では1時間、拓大では2時間である。当然話の密度が異なるけれども、方向は大略同じである。

 どんな話をしたか、これをいま書き誌すのは難しい。冒頭、日本人が歪みをもった茶器を好むのを永く不思議に思っていた呉善花さんが、ご両親を日本に招いて、信楽の茶碗にご飯を盛って出すと、「あんな犬の茶碗のようなみっともないものを捨てて」といわれるエピソードから、日本人の風雅として通例いわれている器の歪みを考えてみる。

 次いで、万葉学者中西進氏の、花は満開のときだけがいいのではない、月は満月だけがいいのではない、という徒然草の有名な一節をあげて、宴のあとなど、盛大に何かしたあとには哀感がただよう。ある俳人が「何もなき菊人形の出口かな」という句をつくった。菊人形という華麗なものがあって、それを見終って、出口にはなにもないその空虚を見たときに初めて何かを感じる。徒然草の一節はそういう意味だろう。

 「そこまで考えて、私はハッと気づいた。われわれの命は、生きていることだけを見ていては、命を見つめたといえないのではないか、ということだ。『生』がないもの、『死』というものを含めて見なければ、本当の命を見たとはいえない」(中西進 『日本人とは何か』)

 以上、呉善花さんと中西進さんのお考えの二例はこれはこれでいいのだが、じつはここから私の講演は始まるのです、と私は言った。いま、申し上げた内容を本居宣長は全部ひっくり返している。そんなのは「つくり風流(みやび)」だと言っている。宣長は兼好法師が大嫌いなのです、仏教の影響を受けた風雅が大嫌いなのです、と。

 という風にして話を大逆転させ、本題にズカズカと入っていく。講演の全体を記すわけにはいかない。

 私の作成したレジュメをここに掲示する。ここから何とか想像していたゞきたい。

新日本学(拓殖大学)平18・7.4

 講義参考資料  

西尾幹二

一、 つくり風流(みやび)について

 みな花はさかりをのどかに見まほしく、月はくまなからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬを嘆きたるなれ、いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん

(『玉勝間』四の巻)
つづく

近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(七)

SAPIO続き

「手袋をはめた全体主義」とは

――では「ポスト小泉」はどうなりますか?

西尾 「ポスト小泉」は「小泉」です。小泉さんの政府内政府=“竹中(平蔵)政府”がやってきた市場原理主義は続くと思う。「規制緩和」とか、今までの弱者切り捨て政策。格差をよしとする成果主義のサラリーマン生活と、それが評価される社会。医療や農業、初等教育にも競争原理が入るでしょう。明治以来の日本は、「公正」「公平」が道徳だった。どんな貧しい家庭の子でも勉強して有利な学校教育を受けることが可能だった。そういうシステムがあった。ところが今は初等教育に地方と中央との落差ができてきている。医療もアメリカの保険会社に有利なようなシステムに切り替わってくる。日本の国民皆保険制度は公平という点で世界最良の部に属すると私は信じていますが、病院に競争原理を導入すれば、保険患者が粗末に扱われる「不公平」と「不公正」が始まり日本のモラルを破壊する。

――国民は、「次の首相は安倍晋三さん」というムードだが、それでも、何も変わらないということになる?

西尾 小泉さんが敷いた手法は残るでしょう。ポスト小泉は誰か分からないが、次の人は、外務省を叩くかもしれない。弱腰外交の外務省に国民の欲求不満がたまっているでしょ。叩いておいて、外務省のなかに自分のための“外務省”を作る。これが小泉型独裁の手法です。

 「手袋をはめた全体主義」という・・・・チェコ共和国のヴァーツラフ・ハヴェル大統領が言い出した言葉ですが・・・・・全体主義は必ずしもハードな軍国主義ではない。ソフトなファシズムがあり得る。高級官僚が事務机であれこれ計算しながらことを決め、国民もものが言えなくしてしまう。

 その傾向は、小泉さんのキャラクターが火をつけたのかもしれないけれど、小泉さんが辞めても、続きますよ。「抵抗勢力」が叩き潰されたときに私たちが戦後得てきた自由主義や民主主義も、一緒に叩き潰されちゃったんじゃないか。

 

.今までの自民党を知る人はこんなはずではなかったとホゾを噛むだろうが、もう後の祭りである。米中の谷間で国家意志をもたない独裁国家、場当たり的に神経反応するだけの強力に閉ざされた統制国家、つまりファシズム国家らしくない非軍事的ファシズム国家が波立つ洋上を漂流し続けるだろう

(了) 
     

近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(六)

 SAPIO3月22日号に出た記事(書闘倶楽部)P.42~43を掲載します。

 かくて小泉首相は去り、残るのは意志をもたずに漂流する非軍事的ファシズム国家だ

  総理就任時の支持率は戦後最高。昨年9月の自民党の歴史的大勝によって、選挙後、衆参両院ともが郵政民営化法案を可決。「自民党をぶっ壊す」「変人」「抵抗勢力」「人生いろいろ、会社もいろいろ」「小泉劇場」・・・・そのパフォーマンスの多くが流行語となった小泉政権は、今年9月、佐藤栄作内閣、吉田茂内閣に次ぎ戦後3番目の長期政権として任期を終える。実質的にその政治使命を終え、“花道”を去る姿勢に入ろうとするこの首相は何者だったのか?そして、その長き政権を支えてきたこの国の気風とは?『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』の著書、西尾幹二氏に、小泉純一郎その人を語ってもらった。(構成/春日和夫)

――「狂気の首相」とは刺激的な挑戦的なタイトルですが。

西尾 「狂気の首相」と世間で呼ばれている人、というのがカッコをつける意味で、私が「狂気の首相」と断言しているのではない。昨夏、衆議院解散時の小泉さんの発言は「官のものを民へ」の、いつもと同じことを繰り返し、中身はわずか5分間程度のものだった。「あの迫力に打たれた」という人もいるが、何十年も郵政民営化を考えてきて中身となると5分しか話せない、この小泉さんの詩人のような政治運営は果たしてどこまで正気なのか、狂気を装う「佯狂(ようきょう)」なのか・・・・・本当のところは見えないのです。

――その選挙の結果は、自民党の大勝でした。「私の内閣の方針に反対する勢力はすべて抵抗勢力だ」に続けて、「改革を止めるな」。白黒つけよ、と迫り、勝ってしまった。

西尾 この間までホリエモンに拍手していた人が、ホリエモンの逮捕で、同じ手で石を投げているわけだよね。片山さつきや猪口邦子に浮かれて深く考えないで投票をした同じ人たちが今度はホリエモンは悪者だと言い立てる。大衆社会の劣化ですよ。

〈パンは満ち足りているので、サーカスが見たい。できれば高いブランコから転落する失敗者を見たい。今度の選挙ほど成功者と失敗者の色分けがはっきりし、失敗者をめぐる面白い話題が提供された例は少ない〉

――「サーカスが見たい」というのは我々国民のことですね。そして本書はこうも書く。

〈日本人の心は変わったか、今度変えさせられた〉。〈負ける者はとことん負けるがいい。どんな策を弄しても強い者は結局は勝つのであり、彼らには何でも許されている。勝つ者はボロ勝ちするのが正しい。というのが日本国民の反応だった〉。

――「刺客」を送るという非人間的な党本部のやり方に反発する心は、選挙結果に反映しなかった。

西尾 小泉さんはこの間都内の一等地の公務員宿舎をけしからん、つぶすといって人気を博した。表に目立つ官僚を叩いて、他方竹中のような自分の身近な特定の官僚に権力を与えて自分の政府内政府を作る。「官僚は悪者だ」と言いながら、財務省は守っている。

――そして、叩かれたのが、郵政だった。

西尾 財政破綻にしか道が通じていない郵政民営化を、「すべての改革の本丸」だと小泉さんは言った。郵政と簡保に、国民から330兆円が預けられている一方、国債や、財務省への預託金、つまり国家への貸し付けが304兆円。うち100兆円は不良債権化して、ほぼ償還不能。貸し手である財務省理財局の責任も、借り手である特殊法人の責任も追及されず、郵政省ばかりが目の仇にされた。構造改革をやるなら、財務省や特別会計の特殊法人にメスを入れるべきなのに、それはやらない。郵政なんて、叩く理由は何もなかった。この官僚叩きが、政治の目を逸らして財務省という官僚を守ったわけです。

――そして「官」から「民」への郵政民営化はどうなる?

西尾 日本の「官」からアメリカの「民」へ資金が流動するだけです。郵政民営化で、郵便局は、窓口ネットワーク会社、郵便事業会社、郵便貯金会社、郵便保険会社の4つの会社に分けられ、さらに4つの会社を子会社とする持ち株会社と、国民から預けられた330兆円を保有する「公社継承法人」ができる。持ち株会社が、郵便貯金会社と郵便保険会社を07年から10年で売却し、民営化することになった。公社継承法人は金を外部委託で安全運用するというが、外部とは、政府の管理外の民間会社で、運用権を外国に売れる。

 アメリカも深刻な財政状況のなか、日本から何が吸い取れるかを必死に考えているわけです。財政の基盤である郵貯・簡保を取り毀して政府から切り離し、アメリカの市場開放要求にそのままさらしてしまう。「第二の占領政策」と言われた89年~90年の日米構造協議からつながる、アメリカの標的になった日本の姿です。

近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(一)()()()()はこちらです。

つづく

帰国してみると梅雨(六)

 次の写真は澤コレクションの所蔵現場である。
IMG_0476.JPG
IMG_0478.JPG
IMG_0479.JPG
IMG_0480.JPG

 約15000点に及ぶ一私人による蒐集と所蔵は、それ自体が偉大な仕事で、強い意志と情熱なくしては果し得ない業績である。

 蒐集には日夜古書店その他の渉猟、保存には夏に湿気を防ぎ、冬は乾燥を恐れ、言葉に尽くせぬご苦労らしい。

 今は全冊門外不出である。紙の摩滅と造本の解体が恐れられるからである。しかし永久保存と国民的利用という相容れない要請が迫ってもいる。

 澤コレクションは日本が日本人の心を取り戻し、真に甦るための量り知れないパワーを与えてくれる国民的財産である。

 PDFその他による科学的方法での永久保存と万人への開放とを同時に行うような政策が求められている。そのために必要なのは資金であり、かつ広範囲の各層の関心と声援である。

 これらの本の理解と評価によって、日本人は初めて8月15日の、占領軍によって押しつけられた裂け目を埋めることができ、歴史の連続性を回復することができるのである。

 焚書された7100冊はもとよりのこと、氏によってあらためて蒐められた周辺関連本の約10000冊がことのほかに重要である。たとえ国立国会図書館にそのうちの約7~8割が現存するとはいえ、われわれの日常の視界から消えてしまった本は存在しないに等しい。誰が図書館に通って古書の山を丹念に研究することができよう。

 インターネットで自由に検索し、解読し、あの時代の日本人の心を再体験する人が少しづつ増えてくることが何よりも必要である。

 澤氏はその切っ掛けを与えてくれた。日本人が日本人であるための魂の蘇生に戦後60年にして一番大きな仕事を果したのは澤氏であったということになるだろう。一層のご研鑽と蔵書の維持努力への尽きせぬご配慮を祈りたい。

(了) 
     

帰国してみると梅雨(五)

 鎌倉駅に向かう帰路、雨は上っていた。

 澤氏の『総目録GHQに没収された本』によると、GHQが初回に没収した10冊のうち9冊は毎日新聞社刊、1冊が朝日新聞社刊である。また出版社別で一番多いのが朝日新聞社刊140冊、次いで多いのが毎日新聞社刊81冊である。

 あの時代に戦争の旗を振っていたのはどの勢力であったかがよく分る話である。けれどもGHQに真先に、最も敵視されていたのは名誉なことでもある。当時の日本の国家意思を代表した言論機関だった証拠でもある。

 日本は明治の開国以来、近代国家として国際社会を独立独行して歩んだことは間違いない。日英同盟はあったが、英国に外交主権を委ねていたわけではない。たとえ敗戦の憂き目を見たとしても、敗戦の決断もまた自己判断であった。

 しかし8月15日を境いにパラダイムは一変した。日本は目を覚ましたのではなく、目を鎖したのである。自分で判断し、行動することを止めた。主権を外国に委ねてしまったからである。

 8月15日より以前の日本人の心の現実を見直す時代が今来ているのである。遅きに失する嫌いさえある。

 日本人の歴史はいまだ書かれていない。歴史は過去の事実がどうであったかを今の地点から確かめる作業ではなく、過去の人間がどう考え、どう感じていたかを再体験する作業である――少くともそこから始まる。

 私がGHQ焚書本に注目しこれを知りたいと思ったのは、「現代史」を書きたいと秘かに念じたからである。冷戦崩壊後ソ連から一時かなりの資料が解禁され、アメリカの公文書館からも少しづつ(対ドイツ戦に比べれば遅れているが)、戦時資料が公開され、われわれも次第に複眼を得るようになった。

 ここで昭和初年から20年までの日本人の世界認識、日本人の戦争への覚悟がどう表現されたかを知り、三番目に今までの戦後の日本人の思想をこれらに加え、三本柱で歴史は書き直さるべきだと思っている。

 一番目については、2年くらい前から若い友人柏原竜一氏にインテリジェンスの世界を中心に、アングロサクソンの考え方をめぐって、書籍の紹介や知見のご披露をもって私の蒙を拓いてもらっている。私がなかなか呑みこみが悪く、彼を苛立たせているのが現実だが、これは見通しが立っている。

 しかしどうしても接近がむづかしいのが2番目の文献である。GHQ焚書図書がそれである。自分に残された人生の時間と生命力とをも考慮して、どのように解明に当るべきかを思案中である。

 私は歴史家ではない。大きな規模の叙事詩を書きたい。正確をめぐる諸論争にまきこまれたくない。人間として生きた日本人の心の歴史を書きたい。

 例えば焚書図書の中で私が拾い出し、これは本物だと思って今熱心に読んでいるのは谷口勝歩兵上等兵『征野千里――一兵士の手記――』(昭13)という、完全に忘れられた一冊である。私の目指している方向をお察しいただけたら有難い。

つづく

帰国してみると梅雨(四)

 私の見た範囲でさえ焚書図書の多くが幕末に日米戦争の起点を見ている話をしたら、澤さんは面白がった。林房雄の百年戦争史観は私より歳上の世代には、戦前・戦中から説かれたむしろありふれた、きわめて一般的な視点であったわけだが、その割に当時の言論人が私たちの世代にこの点を教えてくれなかったのが今思うと不思議でならない。

 私の記憶では、小林秀雄も河上徹太郎もたしか「林君は作家として誠実に振舞ったことを疑わない」というくらいの友情応援の言葉であったように思い出される。福田恆存も何も語らなかった。

 「そうなんです。そこが問題なんですよ。」と澤さんは言った。彼は昭和15年生れで、戦後の記憶は確かである。

 焚書図書の蒐集をしていて、数多くの著者の叙述に触れて、彼が感心した一点は次のようなことだったという。

 「歴史には焚書坑儒の例は数多くありますよね。書いた文章や書籍がいつの日か廃棄され、著者の名が辱しめられるかもしれない。そういうことを予感して、いざというときの難を避けるための口実、弁明できる一言をどこかに挟んでおく――そういうことを誰ひとりやっていないんですよねぇー。」

 「成程、きっとそうですね。敗北を前提にして書いている人は一人もいなかったんでしょうね。そうだと思います。『米英挑戰の眞相』(大東亞戰爭調査會編)という本に、対日包囲陣の規模と内容が詳しく、合理的に書かれてあるのを今度読んだんですが、叙述に恐怖がみじんもないんですよ。」

 「個人としても、国家としても、恐怖やたじろぎがないんでしょう。立派ですよねぇ。今から考えると不思議でもありますが。」

 「私は戦後にむしろこんな経験があるんです。」と私は60年安保より数年前のことを思い出して言った。「私が大学に入学したのは昭和29年ですが、当時は共産主義革命が明日にも起こるかっていう時代で、私は大学のクラスメイトに<人民裁判でお前を死刑にしてやる>と言われたのを覚えています。そういう時代だったんですが、保守系の文学者や思想家の発言のところどころに、いざというときの難を避けるための口実、革命派に媚を売る一言、あとで弁明できるような文言をこそっと入れている例をよく見掛けました。私は、何だ、こいつ卑怯だな、と思ったものです。有名な人にそういう例が多かった。竹山道雄と福田恆存には絶対にこれがなかったんです。」

つづく