日本人の「上下」について――(1)

伊藤悠可
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講

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 早く会社組織から離れてしまった私は、家計の財政逼迫に苦しんだことはあるものの、日常、上下と横につながる人間葛藤に骨身をけずるという経験はほとんどなくなった。それでも、かつての同僚や後輩に会ったりすると、何とはなしに組織で平和に過ごすことのむずかしさ、具体的に言えば上司と反りが合わないという典型的な苦労話の聞き役になる。

 「何、そんなに気にすることはない。いずれ人事異動もあるじゃないか。台風が過ぎるまで待っていたら」と言ってやっても有効な助言にはならない。ゲーテを持ち出して「人を見るな、事柄を見よ」という話をしても無駄である。こんな格言めいたフレーズも昔、自分が七転八倒していたときに駅のホームで呟いていたもので、現実には職場の葛藤から解放されるほどの霊験はなかった。

 どういう形にしろ、会社(組織)を勤め上げられるような人は、忍耐があって偉いという気持ちが自分にはある。単純に尊敬してしまう。だから、有効打を出してあげられないが、時々、易にも聞いたりして話につきあう。

 どれほど悪い上司といっても悉くがそうであることはない、とある時、私の職場の大先輩は言った。「人間としてあやまちはあっても、人間である限り温情をもってする忠言にはしたがうことが多いものである。上司を裁こうとする気持ちは、些事を大事として我意を通そうとするものだ」。

 「また上司の心は全的には把握できないものである」とも彼は言った。その意味で、君、君たらずとも、臣は臣たれ、という言葉が生きてくる。そんな話であった。先輩が言うほど大時代的な問題ではなく、われわれは自分にとって都合のいいものを抱き、愛し、歓迎する。それが自分の邪魔になるときは憎しみ、怒り、足ずりをする。「それだけのことです」と親切な助言に対して、何だか捨て鉢な返事をしたことを覚えている。

 だが、振り返ってみると、先輩の言うことは適っていると思う。助言の中でも、「上司の悪いのは下の者の悪が反映していることが極めて多いのだ」という言葉が妙にこころに響いてくる。

 下の者の悪が最初で、その悪感情が無限のコンプレックス(複合)を描いて、上司に伝わる。届いた悪感情は上司の煩悶を呼ぶが、大概の場合、上司は部下よりも大きな義務を持っている。愛情の行使で返しきることもあるが、上司は会社を守ろうという「公心」に立てばこそ号令もかけなければならない。

 そして、これも大概の場合、下の者は「自分は正しい」という観念にとりつかれているものだ。正しさに二つはない、自分が正しいなら相手の上司がまちがっているに決まっているから、上司が折れたとしたら、さらに自分が正しかった、と部下の溜飲は下ることだろう。

 会社に限らない、組織で悪人がある如く見えるのは、多くの場合に下の者が反逆心を有する反応として起こることが少なくない。伝統的な年功序列を少しずつ壊していった組織では、単純な話、上司がバカに見えて仕方がない、といった風潮が起きただろうと思う。稼げない人間、稼ぐ頭やテクニックのない人間は要らない。合理的大小を最高の価値としたならば、そうなる。

 合理的大小だけを重んずる場合、ことごとに上司が悪と映りやすい。その結果、悪ならぬ上司も悪と見えるか、もしくは悪となるのである。

 善しも悪しくも上司の命ずるところにしたがう。何の変哲もないことだが、これも歴史が培って来た内面の約束ごとである。これを打ち立てておくことである。上司といえども悪なる時はこれを退けることを可とする、と組織が宣言したなら組織は自壊作用を起こすだろう。

性善だとか性悪だとか、それも閑葛藤にすぎない。人間に、本来悪人はいないことは自明である。それにもかかわらず、どこにも悪人があるとしてかかる。そこから煉獄がはじまる。

つづく

北朝鮮核問題(六)

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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< 「悪魔のシナリオ」>
<「外交は動いていなかった」のか>

 10月21日付朝日新聞一面は”中国訪朝一定の成果”、”金総書記「再実はない」”の大中見出しが躍り、社説も、「外交が動き出した」と、手放しのはしゃぎ様であった。

 ところが、それを目にする前に、唐国務委員と会談後、ライス国務長官は「金総書記は二回目の核実験を否定しなかった」との唐氏の発言内容をTVで語った。

 冒頭見出しの中の記事も、唐国務委員はただ「幸いなことに、会談は無駄ではなかった」とだけ述べたものである。狐につままれた様な話だ。10月26日の朝日は「無駄ではなかった」を解説し、一応中国側の面子を保ったとし、中国側にも限界がある、と言い逃れしたが、そんな次元の話ではあるまい。

 見出しは誤報で済まされる。だが、済まされないものがある。社説の「外交が動き出した」である。これは外交が”動いていなかった”の言い換えとなろう。過去、日米を始めあらゆる関係国が、あまたの「対話」による外交努力を尽くしてきた。然し、あらゆる問題で北朝鮮は誠実な態度を示すことは一度たりともなかった。米朝合意に違反し核を製造していただけではない。昨年9月の6カ国合意も破った。拉致を始めとする非道、悪行、不正の限りを尽し、一切それを改めようとしなかった。最後に対話を踏みにじるミサイル実験、核実験を目の当たりにして、他に手段の無くなった国連安保理は、全会一致で経済制裁を決めたのである。その様な長い外交努力がまるで存在しなかったかのように「外交が動き出した」の社説見出しはないだろう。これは巧妙なレトリックによる事実歪曲であり欺瞞である。これを朝日は執拗に繰り返すのである。

 一方、10月27日のNHKではスイスが同国の銀行にある北朝鮮口座を凍結、対北朝鮮贅沢品の輸出を禁止する経済制裁の実施を報じた。これは、情勢が、既に平常状態ではないことを示している。繰り返すが、これも、拉致を含む、数々の非道、悪行、不正、ミサイル実験、核実験の結果であり、総ての責任は北朝鮮にある。それをあたかも、北朝鮮にも言い分、利があるかのような巧みな表現でカムフラージュする。「外交が動き出した」は決して見逃せない表現である。

 さて、韓国ノ・ムヒョン政権も問題である。既に03年7月のUSCC公聴会で証人の一人は、「韓国には、北朝鮮の核保有に好意的な見方がある。それは核を保有する統一朝鮮を展望したものである」との趣旨の発言を行っている。これが多分ノ・ムヒョン政権の本音であろう。

 今迄の余りに一方的な、譲歩の名にも値しない「北朝鮮何でもOK」の「太陽政策」の説明はそれ以外につけようがない。

 ミサイル実験で、日本の反応を「騒ぎ過ぎ」と揶揄した韓国も核実験で説明がつかなくなった。だが、金正日とノ・ムヒョン政権が何をするかは判らない。

 中国はどうか。中国は、元々、今までの同じ社会主義体制の北朝鮮が核なしならば、良いとの立場であり、北朝鮮に寛大であった。北朝鮮のミサイル輸出に、自国の鉄道、港湾、空港を自由に使わせていた。(以上04年6月第二回USCC議会宛報告書)自らも国営企業を通じ、大量破壊兵器・運搬手段をイランなど懸念国へ輸出してきた。だが、困るのは、中国国内に影響が及ぶことである。北朝鮮の核武装による発言力増大は好ましくない。核を持つ統一朝鮮は更に困る。米国の圧力が強まった上、北朝鮮情勢は見過ごせなくなってきた。然し、この問題に軽々に深入りし、自らの体制に影響が及ぶのも避けたい。選択肢の中で、どれを選ぶか、慎重に検討している段階であろう。

 10月22日、胡錦涛国家主席は引退した江沢民、李鵬、朱鎔基各氏をも招き、大規模な長征70周年記念大会を開催、党の団結を呼びかけた。上海グループの汚職がらみの政治闘争が云々される今、国内の問題より、国、党が現下の国際情勢、即ち朝鮮半島情勢に鑑み団結を呼びかけたものである。これは、89年の6月4日の天安門事件の前、5月20日に戒厳令施行し、更に軍、政府、党の団結措置を密に進めたことと類似する。大事の前には常に団結が強調される。中国は最悪の事態に備え準備しつつあるとみるべきであろう。北朝鮮の鉱産物資源などは既に中国の権益下にある。吉林省の朝鮮民族の親戚も北朝鮮には多い。介入の理由は用意されよう。朝鮮戦争で人民解放軍は”義勇軍”の名で参戦した。

 ロシアはどうか。ロシアと中国の関係は微妙である。ロシアは上海共同機構の構成員であり、中露合同軍事演習も実施しているが、中国の力が強くなることを望まない。嫌がらせもしているらしい。(06年8月USCC公聴会証言)東シベリア油田のパイプライン敷設の終着点をナホトカにするか、大慶にするか、日中を競わせているのもそれである。NPT崩壊に繋がる、北朝鮮の核保有は望まないし、核を持つ統一北朝鮮も好まないであろう。しかし、中国の朝鮮半島への影響力増大も望むわけは無い。対北朝鮮政策での米中の緊密化も望まない。ロシアはその面、ウジウジし続け、韓国に次ぐ包囲網の弱い輪であろう。

 米国の基本姿勢はどうか。現在の米国の最も重要な対北朝鮮カードは中国である。米朝枠組み合意の失敗で、米国は、北朝鮮との約束には何の意味もないことを思い知らされた。拉致、偽ドル、人権など、非道、悪行、不正に、相当緻密な検討の上に策が練られたのであろう。北朝鮮の最大の鍵を握るのは、食糧、エネルギーを供給している中国である。戦争なしに、北朝鮮問題を処理するには、中国を引き入れる以外に方法は無いという論理である。どうやらそれは成功し始める。06年に入ってからの中国の政策変更は、その背景があろう。

 それに、北朝鮮の核保有は現実に近づけば近付く程中国はそのマイナスを感じるようになる。就任したばかりの安倍首相の北京訪問は、米中に日本を加えた三国の北朝鮮政策推進の為であり、靖国論争は中国にとり今や好ましくない。

<考えられるシナリオ>
 
 ここで、既に核を持った、北朝鮮を巡る数ヶ月のシナリオを描いてみよう。

 北朝鮮が、経済制裁で、核を放棄するシナリオである。次の二つとなる。
(i) 金正日が、制裁解除を求め、核を放棄し、体制を維持を図る。
(ii) 制裁の結果、異変が起こり、金正日体制が変わる。・・>亡命などで金正日は去り、核開発も放棄される。

 北朝鮮が、核開発、核軍備に邁進、再実験も行う。二つの可能性が存在する。
(i) 国連の武力制裁決議などにより、国際社会が一致し力で北朝鮮の核廃棄を実現させる。・・・・>金正日政権は崩壊するであろう。
(ii) 北朝鮮が粘り勝ちし、核保有国となる。・・・・>いずれ日本を狙うノドン200発以上の総てに核が装填される「悪魔のシナリオ」である。

 今後この4つから最終の二つのシナリオに収斂するであろう。金正日が(i)で臨む可能性はゼロに近い。それは、権威を失墜させ、自らを破滅に追い込むからである。(ii)の可能性も今後数ヶ月間は少ないであろう。

 金正日は飽くまで、(ii)を指向するであろう。そのためには、ある程度の期間なら、(i)を戦い抜く覚悟もあるかもしれない。北朝鮮は”国連軍”と戦った経験もあるのであるのだから。

 以上推定すれば、経済制裁にも拘らず、北朝鮮は第二回核実験を強行する可能性が高い。そうなれば、国連は武力制裁の検討に入る。

 既述のように、北朝鮮の核武装化で最も危険な直接攻撃に晒されるのは日本である。日本が(i)に国連を動かすしか方法はないであろう。国内では、武力行使の是非議が沸騰しよう。「とにかく話し合い」にカムフラージュされた「絶対平和論」が生き延びるか、或は議論が長引けば、(ii)は実現に近付く。やがてノドン200発総てに核が搭載され、北朝鮮は何時でも日本を壊滅出来るようになる。拉致も総ての非道、悪行、不正も解決不能となる。そればかりか、核の恫喝に従う、日本からの援助で苦境を脱した北朝鮮は核武装に邁進しよう。

 朝日や、一部政治家は、もう(i)と(ii)の選択肢しか残されていない段階になっても、それを”おくび”にも出さず、ひたすら「話し合い」「武力行使反対」を唱えよう。それが、日本の「空気」になれば、国際社会の関与も終わる。日本以外、核ミサイルの直接脅威は僅少だからである。日米安保はどうなるか。それも不明である。条件が変わるからであり、爾後の日本が、米国にとり最早守るに値しない国かもしれないのである。「悪魔のシナリオ」はかくて完結する。

 国を滅ぼすものは、外敵よりも内にある。方法は、瞬時の原爆によらず、ジワジワと時間をかけて蝕む毒薬、病原菌のようなものによる。シナリオライターは日本にもいる。これからの数ヶ月は重要である。覆水は盆に返らない。

北朝鮮核問題(五)

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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< 米国と中国と北朝鮮の関係>

 「朝鮮戦争なかりせば、台湾解放は1950年に片付いていた」と言うのが多くの中国人の本音であろう。中国空軍のパイロットだったある人が冗談まじりに「台湾海峡の上を飛んでいると思っていたら、鴨緑江の上でした」と語ってくれたものである。日本の左翼は朝鮮戦争を米国の陰謀と唱えたが、中国で聞いた本音は、以上のようなもので、「金日成は迷惑なことをしてくれた」というものであった。然し、国境の向こうに同じ体制の国が存在することは、国の防衛上不可欠なのである。それが「中朝地の団結」である。

 中国はその後、改革開放政策もあり韓国と国交を結ぶ。一方、北朝鮮は、日本人を拉致し、ビルマでの韓国閣僚テロ、大韓航空機事件などテロを繰り返し、核開発に踏み切る。クリントン政権は米朝合意で核開発を放棄させたつもりであった。北朝鮮はそれに違反して今日に至っている。

 既に6ヶ国協議が始まった後の2004年6月の第二回議会宛報告書で、USCCは北朝鮮の核危機について、「経済など実質北朝鮮の生殺与奪を握っている中国に圧力をかけさせ、北朝鮮に核放棄をせしめる」ことを議会、政府に勧告した。

 問題はいかにして中国に北朝鮮への圧力をかけさせるかである。

 一方、日本では報道されていないが、NORINCO(北方工業総工司)など中国の国有企業はイランなど懸念国へ、大量破壊兵器及び運搬システム(WMD・DS)の輸出を行っており、ブッシュ政権は制裁を実施していた。だが、違反行為は一向に収まらない。そのため、同じ報告書で、USCCは制裁内容の強化を勧告した。

 この二つの勧告に沿う動きは、2005年に開始される。

 6月ブッシュ大統領はエクゼクテイブ・オーダー13382(Executive Order, 大統領執行命令13382)を施行する。これは、WMD・DSを輸出したものとそれを金融などで援助したものの在米資産を凍結する権限を財務長官に与えたものである。

 更に、9月、米国は愛国者法に基づき、マカオのバンコ・デルタ・アジアに、北朝鮮の不正取引にかかわる預金口座を凍結させた。北朝鮮はこれにより大打撃を蒙り、米国に直接対話を要求するが、上記勧告に沿い、米国は微動だにしていない。

 2006年になると、中国外交に変化が起き始める。

 先ず、5月国連安保理のスーダンに係わる決議に同意したのである。ちなみに、スーダンの中央政府はアラブ系が握るが、この政府軍とアラブ系民兵が南部のアフリカ系住民のジェノサイド(民族・人種浄化、殺戮)を繰り返し、犠牲者は50万人に及ぶと言われる。国連安保理はその阻止のために経済制裁の実施を行なおうとするが、スーダンの石油利権を押さえ、偽装した軍隊まで派遣しているとされる中国がスーダン政府を支援し、拒否権をちらつかせるため、解決は常に頓挫してきたのである。しかし、ようやく曙光が見え始めた。

 又、中国銀行は北朝鮮の不正取引にかかわる資金取引停止で米国に協力を約した。次いで7月の北朝鮮のミサイル実験に対する安保理非難決議に加わった。同じ月イランのウラン濃縮停止にかかわる安保理決議にも加わった。これは、北朝鮮、(特に)イランに対する従来の中国の方針を転換させるものとなる。

 そして今回の北朝鮮核実験に対する安保理制裁決議への参加である。

 中国の一連の動きには、米国の働きかけが。愈々効果を上げてきたのではないかと感じられる。
前記エクゼクテイブ・オーダー13382が発動され、中国国有企業、中国の銀行の在米資産が凍結されれば、中国経済は崩壊の危機に晒されるであろう。

 中国経済の実態は、元上海総領事(故)杉本信行氏著「大地の咆哮」(PHP研究所)に詳しい。一例を挙げれば、東京には20階以上の高層ビルが100棟立っているが、上海には実に4000棟もあるという。上海は揚子江の運んだ泥が堆積した土地であり高層ビルを建てるのには、地下に相当数の鉄パイプを打ち込まなければならないし、それでも不十分だそうである。ところがほとんどの高層ビルはそんなこともせずいきなり建てられている。中国のビルはエレベーターも少ない。いずれビルは傾き、殆んどのビルのエレベーターは動かなくなるであろう、と記されている。そうなると高層ビルは使えなくなり、融資した銀行は膨大な不良債権を抱えることになるというのである。これは同書の”ほんの一部”であり、しかも杉本氏の本が中国の問題点の総てを網羅しているわけではない。

 ただ、エリート外交官の書いた同書の持つ意味は重い。

 USCCの公聴会証言によれば、中国の健康保険制度、年金制度など社会のセーフティーネットは崩壊しつつあり、その結果、苦しむ人々を救うためにあちこちに、”草の根”NGOが誕生、活動しており、その団体数は今や30万から70万に及ぶと言われる。その多くは海外からの援助を受けているらしい。

 中国自体問題が山積しており、安定とは程遠い状態にある。

 日本では、政治家やメディアは靖国問題が中国問題であるかのように唱えるが、靖国問題は、これら中国の山積する深刻な問題から、日本人の関心を遮断するための方便の意味合いの方が強いことは明らかである。

 東ヨーロッパの共産主義体制の崩壊は、ハンガリーでの自由の拡大が端緒であった。それから、東ドイツ国民のハンガリー経由の大量脱出が始まった。そして、ベルリンの壁の崩壊、ドイツ統一、全東ヨーロッパの共産主義体制崩壊、ソ連崩壊につながったのである。

 今中国は、北朝鮮問題でジレンマに陥っている。

 本音は、何もなしにそっとしておいて欲しいであろう。然し米国の圧力、日本の要求で、北朝鮮問題の処理に向かわざるを得ない。

 これからは、全くの推定である。中国にとって、現状維持以外のベストシナリオは、(病気でも、何でも理由はよい)金正日を亡命などで政権からおろさせ、朝鮮半島非核化させ(註:本当は中国にとってどうでも良いのであるが)、そのかわり、北朝鮮を実質中国の保護国化することであろう。

 ちなみに前記2003年7月公聴会で証人の一人は、「いざとなれば中国解放軍は北朝鮮に進駐するであろう」と述べている。米国は、当然そういったいくつかのシュミレーションを描いている筈である。

 注目されるのは、7月のミサイル実験に対する安保理非難決議は、日本が主導しているように見えたが、今回の核実験への制裁については、完全に米国の主導で行われていることが明白なことである。それは米国が、何らかのシナリオにそってうごきはじめたのではないだろうか。

 あるいは、米中間で虚々実々の取引が続いているのかもしれない。

 中国にとり、なによりも、処理が波風立たずにスムースに行くことが肝要なのである。さもなければ、東ヨーロッパで起きたことが、アジアで再現しかねないからである。

 こうしてみれば、北朝鮮問題は中国問題でもあるのである。

 韓国外交通商相の国連事務総長選出なども、最近の韓国の”太陽政策の変更”その他で、米韓の間に何らかの了解があったことも想像される。

 これから数ヶ月、北朝鮮(むしろ金正日政権)にとっては正に存亡の秋である。中国も万一に備え、準備を整え、体制の引き締めを図るであろう。

 勿論日本にとって、これからの数ヶ月は、正に国家、民族の運命を決めるときとなる。

 銘記すべきは、日本を標的とする200発以上のノドンミサイル総てに核弾頭を装備することを絶対に阻止し、北朝鮮から核とミサイルを一掃させ、拉致された日本人全員を救出することである。機会はこれ一度しか残されていない。

北朝鮮核問題(四)

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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最初で最後の機会

 振り返れば、何と多くの貴重な時間、機会が失われてきたことだろうか。結局、その多くは、現実離れした座標軸に基づく甘い絵空事と、尤もらしい語り口で、迫り来る危機を覆い隠し、北朝鮮に時間稼ぎをさせただけであった。その結果、我々は今日の危機を背負い込むことになったのである。

 月刊誌「現代」の2000年2月号に掲載された、加藤紘一氏と田中秀征氏の対談の一部をご紹介しておきたい。

加藤:北朝鮮については拉致事件の解決が何としても必要です。しかし、事件解決が国交正常化の条件だとして会うことまで拒否していては、話は前に進まない。早期解決のためにも、まず交渉のテーブルに着くべきですね。「テポドン」が飛んできて日本中がパニックになったんですが、冷静に考えれば、核弾頭を積んでいるわけではないし、そもそも核兵器の開発などできているはずがない。

 他方、中国は「テポドン」の何十倍の射程距離を誇る大陸間弾道ミサイルを持ち、しかも高性能核弾頭まで開発している。それでも我々が平気でいられるのは、中国とコミュニケーションがあるからです。だからまず北朝鮮を早く国際常識の場に引っ張り出すことが重要だと思います。

田中:コソボの民族紛争は600年前の戦いに由来しているそうだけど、日本と朝鮮半島が同じ轍を踏んではいけない。後世のためにも、お互いに譲り合って関係を正常化すべきだと思う。野中さんが「最後の政党外交だ」と言っているのはその決意の表れだと思うし、是非とも実らせて欲しい。

加藤:あの超党派訪朝団は村山団長と野中さんの良好な関係があって、そこに野中さんの執念が加わって実現したんですね。(以下省略)

 同じ2000年、米国はどうであったか。
 
 同年10月、米国議会は、USCC(U.S.-China Economic &Security Review Commission,米―中国経済安全保障レビュー委員会)を設置した。クリントン政権下の米中蜜月時代、WTO加盟予定で、バラ色の中国ブーム到来の当時に、経済発展が伴う、中国の脅威の増大を予測し、議会は敢えてUSCCを発足させたのである。

 公表されたUSCCの議会宛報告書、公聴会議事録には、クリントン時代から中国の国有企業が、拡散防止協定に違反し、イランなど懸念国へ、大量破壊兵器及びその運搬手段(Weapons of Mass Destruction and Delivery Systems, 以下WMS・DSと略す)を輸出していた事実が記されている。

 2002年には、北朝鮮が、クリントン政権時代の米朝枠組み合意に違反し、核開発を進めていたことが判明した。次いで、北朝鮮は非拡散協定からも脱退したのである。

 これに伴い、米議会は北朝鮮問題をUSCCに委嘱する。

 2003年7月USCCは「中国企業のWMD・DS拡散行動と北朝鮮の核危機」に関する公聴会を開催、オルブライト前国務長官をはじめ多くの証人が出席した。この中に、注目すべき場面がある。

 証人の一人(外交官)が、「北朝鮮の核保有は、米国、韓国、中国国の直接的な脅威にはならない。直接脅威になるのは、北朝鮮のノドンミサイル100基(当時)の標的になっている日本である」と述べたのに対して、USCCのドレヤー委員が「この公聴会は日本のためにやっているのか」とたしなめ、議論を米国の国益に引き戻す一幕があった。ここに日米安保についての米国の受け止め方が窺えよう。

 従来の日本の安全保障論議は、「万一北朝鮮が日本を核攻撃すれば、米国の核による反撃で自国が徹底破壊されるから、北朝鮮は日本に核攻撃しない」という前提に基づいていた。しかし、北朝鮮が、日本が描くような シナリオ通りに動く国であるか。今は不明である。それに加えて、米国が、北朝鮮の対日核攻撃に直ちに核で反撃するかについても米国の国益が優先することを忘れてはなるまい。

 今回の北朝鮮核実験に対して、米国、中国、ロシアなどを含め安保理事国すべてが、ともかく日本の希望した対北朝鮮制裁実施で一致した。

 関係各国は自国の国益に沿って行動するものであり、各々の国の事情を考えれば、この問題で全会一致などということは、ほとんど奇跡に近いことであり、滅多にはおきないことを、噛み締める必要がある。

 繰り返すが、これは殆んど奇跡に近いのである。偶々各国の、国益がこの制裁決議で一致しただけであり、こんなことは二度とないであろう。

 米国や中国、ロシアそして韓国にとって、北朝鮮の核保有はそれほど脅威にはならないことは、既述の通りで、最も脅威を受けるのは日本なのである。

 前記公聴会で、証人の一人は、「米国への脅威は、北朝鮮の核保有自体よりも、北朝鮮がテロリストに核を売却することにあるから、北朝鮮から核を購入してやればよいのではないか」と発言している位であり、今の米国の態度が今後どう変るかは状況に依存する。

 中国やロシアは、これまで、北朝鮮の核保有阻止にそれほど熱心ではなかったし、今後態度がどう変わるかは神のみぞ知る類の話である。

 日本はこの機会を失えば、二度とチャンスはない。これを最後の機会と考え、北朝鮮の完全な核放棄と拉致されている日本人全員の解放という、最終目標を目指すことに徹する以外選択の余地はない。

 この過程では、北朝鮮からの核攻撃の恫喝もあろう。北朝鮮は既にミサイルの弾頭に装填可能な小型核を保有しているとも言われる。それが日本に向け発射される可能性も皆無とは言えない。

 北朝鮮の恫喝が強まれば、自称リベラリストの宥和論が蠢き始めるであろう。

 ”平和を愛する、純粋”な怪しげな平和運動家、団体も動き出すであろう。

 いずれも、目前の危機を先延ばしすればよいと言うものとなろう。

 だが、それこそ、北朝鮮に時間稼ぎさせ、やがては、日本に向けられているノドンミサイル200発以上総てに核が搭載されることになる。

 その時は、総てが終わるのである。国連安保理の一致も、制裁も”夢のまた夢”になっていることは間違いあるまい。安保理のまとまりも吹き飛んでいよう。北朝鮮はもう手の付けられない核保有国になっているのであるから。

 今回こそ、北朝鮮からの核の完全放棄、拉致された日本人全員の解放、の最初で最後のチャンスとなろう。宥和論は200発以上の核ミサイルが日本を狙う道を開くことを銘記すべきである。

 日本民族の興廃は、正にこの数ヶ月にかかっている。

つづく

北朝鮮核問題(一)

 「秋の嵐」という新しい連載を始めたばかりですが、時局が急を告げているので中断し、「北朝鮮核問題」(一)(二)を掲げます。(一)は足立誠之氏のゲストエッセイ(緊急投稿)です。

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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 秒読み迫る北朝鮮情勢

 北朝鮮の核実験と、今起きている事柄を並べてみたい。

 今年に入り、国連安保理で、5月のスーダン決議、北朝鮮のミサイル実験に係わる決議案、イランウラン濃縮に関する決議案に中国は賛成した。従来これらの問題で中国は常に、拒否権をちらつかせ、障害となってきた。

 中国銀行は北朝鮮不正取引に係わる資金移動阻止で米国に協力を約した。

 日本では、何故「アジア外交の再建」が執拗に叫ばれるのか。又、何故、昭和天皇のご発言に係わる、富田メモが絶妙のタイミングで公表されたのか。

 米国議会は何故、唐突に民主党議員が「日本の次期首相靖国訪問しない」旨の発言を要求し、従軍慰安婦非難決議を下院委員会が行った。それが、安倍首相の訪中訪韓が決定すると、下院は、従軍慰安婦非難決議を取り下げた。何故なのか。

 米国が、米国の意図に背く、「太陽政策」を採ってきた反米韓国の、外交通商相の国連事務総長就任を何故認めたのか。裏になにもなかったのか。

 安倍政権発足と、急遽の訪中訪韓の決定。何故、中国は態度を急変させ首脳会談を受け入れたのか。これらの事柄は命脈のない出来事ではない。

<中国・北朝鮮関係>

 1949年、中国人民解放軍は中国本土から国民政府軍を駆逐し、10月1日、中華人民共和国の成立が宣言された。さらに台湾解放を準備しつつあった。1950年6月、北朝鮮軍は38度線を突破南下、韓国のほぼ全土を掌握する。米軍を中心とする国連軍が反撃し、鴨緑江、中朝国境に迫った。中国は義勇軍を派遣し、戦争は一進一退し最終的に38度線付近が停戦ラインとなる。

 中国の介入の理由は、周辺への影響力の維持である。

 しかし、朝鮮戦争により、台湾解放は未だになっていない。中国の北朝鮮への恨みは強い。(中国外交部スタッフ複数から聴取。朝鮮戦争は北朝鮮が起こした不必要迷惑な戦争であったというのが彼等の認識である)両国が口にする「地の団結」など表向きのことで、本来存在しない。

 共産主義国家北朝鮮は国境を接する中国には必要であったが、金日成は迷惑な存在であった。金正日はそれに輪をかけた迷惑な存在であろう。中国の援助、忍耐に甘えながら、米国との二国間関係を模索し、中国の意向に沿わない勝手な行動をとる。

 日本の制裁で中国の負担は益々高まりつつある。中国の寛容にも限度がある。

<米中関係> 

 中国は大量破壊兵器・運搬手段を懸念国へ輸出、米国はそれに制裁を加えてきた。しかしその政策の効果が上がらない。05年6月ブッシュ大統領はExecutive Order 13382 を施行し、違反企業、それを金融などで支援した企業に対する在米資産凍結権限を財務長官に付与した。それまで中国は、中国領土内の空港、港湾、鉄道などの施設を自由に使わせており、北朝鮮から、ミサイルなどの輸出も放任されていた。それは不可能になった。

 中国企業の米国内での資本市場で、IPOなどでの資金調達がほとんどできなくなった。中国国内資本市場は殆ど機能していない。中国の金融機関の不良債権は、極めて危険な段階にある。

 中国の国内では、国有企業のリストラ、農村の崩壊で、健康保険、年金などのセーフティーネットが崩壊した。これをカバーする”草の根”NGOが中国全土で動き出し、その資金は海外(主に米国と思われる)から出ている。中国自体の存続すら危うい状態である。一方、中央の権力闘争も、上海市総書記の汚職がらみの解任などで、激しさを増している。胡錦濤政権は、危うい中で生き残りを図っている。ともあれ、米国の対中包囲網の威嚇は強まるであろう。

<米国の北朝鮮問題政策> 

 クリントン政権の”米朝枠組み合意”は失敗した。USCCは北朝鮮の核問題への対応政策を中国に行わせることとした。

 経済など北朝鮮の生殺与奪は中国が握っていることから、中国に圧力をかけて、問題を解決させることを基本政策として定めた。その圧力は如何にしてかけるのか、それが、鍵であろう。

 昨年9月の中国国籍Banco Central Asiaの北朝鮮資金凍結は、先ず、Banco Central Asiaの持つ米国内資産凍結から始まる。Banco Central Asiaは自ら保有する北朝鮮のマネーローンダリング口座を凍結しない限り、同銀行の在米思案が凍結されることになった。中国銀行が北朝鮮の不正取引に係わる資金取引阻止に協力しない限り、中国銀行の在米資産凍結の危険が常に存在することになる。中国銀行は、北朝鮮の不正資金の凍結協力せざるを得なくなった。協力しなければ、中国銀行の在米資産は凍結され、中国経済は万事休すとなる懸念すら孕む。

 米国の大義名分は北朝鮮の核武装、人権、日本人拉致と固まりつつある。

 米国のExecutive Order 13382 で、北朝鮮の中国経由のミサイル輸出は困難になり、愛国者法による北朝鮮の不正取引にかかわる金融制裁、日本の北朝鮮に対する経済制裁は、確実に北朝鮮を追い詰めつつある。

<秒読みに入る米国の対北朝鮮処理>

 北朝鮮の核実験は、米、中、韓いずれにとっても、金正日の追放の大義名分は整った。

 何よりもこれは、イラクで苦戦するブッシュ政権にとって起死回生となる。

 米国は、中国、日本、韓国を巻き込み、北朝鮮処理の最終段階に入りつつある。

 中国は、北朝鮮への自国の影響力が及ぶ、緩衝地帯が北朝鮮に存在すれば、金正日政権でなくともよい。満州吉林省には、朝鮮族自治区もある。傀儡政権も考えられる。韓国政権はレームダックとなった。日本に金正日政権の崩壊に反対する勢力は皆無である。米国が日本に靖国、従軍慰安婦の唐突な要求は、「急いで中韓とうまくやれ」のシグナルである。それがどうやら成功しつつある。

 米国が望むのは、最早6カ国会議の再開ではない。北朝鮮による、核実験の実施である。朝鮮半島問題、東アジア問題は大きく転換しつつある。

ゲーテの神に立ち返って――(2)

伊藤悠可
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講

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 小林秀雄の作品に美しく哀しい詩魂が宿った「モーツァルト」がある。冒頭にゲーテが魔神的なものの力に畏怖する描写が置かれている。私は大学時代に失恋し、このまま死んでしまうかもしれないと思っていたとき、「モーツァルト」に出会った。

 まるでフォークソングの『神田川』だと思われるかもしれないが、人間には絵に描いたようなことが起こるのだ。中野坂上の駅から西方に歩き、青梅街道の角を南に折れると狭い路地へと抜ける。下宿するアパートの手前に、のれんを降ろしかけた深夜の時刻でも「おばさん、ごめん!」と言えば入れてもらえる銭湯があった。私はその斜向かいのパン屋の赤電話で好きだった人の最後の声を聞いた。

 後方から湯を流す音や桶がぶつかる音が響いていた。ズボンのポケットには昼間用意した十円玉が沢山残っていた。二月の夜風が冷たかった。私は野良犬のようにその辺を歩き回って部屋に帰った。その夜から幾日、何をしていたのか覚えていないが、文庫本の「モーツァルト」を偶々、本屋で見つけて帰ってむさぼり読んだ。だから「モーツァルト」は私にとって傷心の本である。抱いて寝た本である。ゲーテは「恋愛」というものにはとくにダイモーンが襲うと書いている。もう襲われたくない。

 少し脱線した。ドイツ人は寝ても醒めてもゲーテ、ゲーテであるかのように錯覚する日本人が多いが、そうではないそうである。ドイツ人はゲーテをあまり読まないと聞いている。名前は誰でも知っているが、日本人が鴎(區へん)外や露伴をあまり読まないのと同じであろうか。

 一九四九年にゲーテ二百年祭が行われたが、ゲーテを封建的な観念論者としてこきおろす学者のほうが多かったという。大きな存在は必ず非難され、こきおろされる。ゲーテ自身、こうも言い残している。「私の仕事は理解されないがゆえに、ポピュラーにはならない」。

 古典などを紐解き、「伝統と文化」の大切さを宣揚する団体が日本には少なくない。そうした団体の一つ、国民文化研究会は学生時代に私がもっとも感化を受けたところであり、そこに長く深い友人ももっている。古典を読みながら、世間のあらゆる団体よりも、日本の神々について知ろうとし、語り合おうとする真摯な組織であるが、肝心の神々の話となると戸惑うことがあった。

 例えば、この会ではこういうふうに教えてきた。

 ―――日本人、とくに戦後日本人の誤謬は、神といえば西洋人のゴッドを思い浮かべ混同してしまうことです。ゴッドと日本の神々は違う。われわれの神は、遠い建国の事業を成し遂げてきた祖先であり英雄たちなのです。私たちが思慕すればそのまま辿ることのできる人間なのです。

 果たして、日本人にゴッドを感得するセンスがあるだろうか。多くの日本人が神という言葉を聞いて、西洋の唯一絶対神を思念するだろうか。そこが問題である。むしろ、国民文化研究会の先生方が時代の中で身につけた先生方自身の錯誤や悔悟がそう結論付けるのではないだろうか。これは私の想像だが、「日本には神はない、西洋に神はある」という空気を時代の中で一度吸ってきた人たちが、反省的に考えたのではないだろうか。

 先生方にはゴッドに対する感受性も、「われわれの神」に対するイメージも共に堅くて狭い。戦後、誤謬を引きずっているのはむしろ、こうした日本派の人たちのほうだという気がしてくるのである。

 私はそうした違和感がどうして生じるのだろうと、ずっと思ってきた。

 日本武尊の東西遠征について「一人二人の英雄によってできる業績ではないので、ながい間に累積された国民全体の歴史的努力の結果によって成就されたものとみるのが至当でせう。それを『古事記』のやうな叙事詩では、日本武尊と名づけられる一人の英雄の仕事としてまとめ上げて記述しているのです」(夜久正雄著『古事記のいのち』)と言う。

 学生時代におめにかかった著者・夜久先生の温かい師恩を忘れないが、違う。これでは日本武尊は銅像である。

 何人いるかわからない日本武尊、一応、日本武尊と呼ばれる英雄たちの象徴たりしものが、熱田の杜に鎮まっているわけではないと、神道家のような批判をしようとは思わない。が、私は、先生の文と想像力がいけないと思う。面白いものを、面白くないものにしてしまう平板がいけない。

 上記引用文では、「『古事記』のやうな叙事詩では」と緩衝材が入っているが、これでは日本武尊は時を隔てて存在した五百人くらいの豪族の象徴になってしまう。「古代人が信じたそのままを信じたい」と若者に説くのであれば、日本武尊は御一方、一柱でいい。風の音の遠い昔、すみのえの大神は漁夫と和歌を詠みかわしている。それはそうとしておくこと。それこそ「古代人が信じたそのままを信じる」という態度である。「何事のおはしますかは知らねども」と神にぬかづいた僧形の歌人の畏敬のほうが、ずっと日本人である。

 八百万の神とは人間のこと、とは宣長も篤胤も伴信友も大国隆正も言ったことはない。八百万の神々には人も属するが、地火風水の自然諸神も、穀物の諸神も、さらに宇宙諸神と呼ぶべき神もある。夜久先生は「伝説」以前の「神話」の神は思惟神だ、とサラリと言われながら、「冷静に分析して、古代人の心を知ろうと古事記を読んだのではない。むしろ古代人の心になろうとして読んだのだ」と書かれている。

 心になろうとすれば、心を知らなければなれない。昔から日本人は「象徴みたいもの」を尊んで神社に行ったのではないと私は思う。先生方の主張では「建国の脈拍と呼吸」というものが具備していて初めて敬神につながるということになるが、何とかたくなで不自由な教えだろう。私の知り合いに氏神様の境内で挨拶をよくかわす近所の老女がいる。仮にもし、「あなたの拝んでいる神様は思惟神ですよ」と言ったなら、彼女はきっと心を曇らせるであろう。先生が依拠するところは無神論でも有神論でも唯心論でもかまわない。ただ、市井の人々にいきなり大事なことを語るのはいけない、と自戒しながら帰幽された先生を思うのだ。

 再びゲーテに戻る。ゲーテがエーカーマンに哲学と宗教について語っているところがある。同時代の言語学者・哲学者であるシューバルトの仕事を通じて「学者の態度」というものを改めて糺してみせた部分で、示唆に富んでいると思われる。

 「シューバルトは勿論、すぐれているし、たいへん立派なことがたくさんある」と讃えながら、「彼には哲学以外に一つの立場があること、すなわち常識の立場があるということ、また芸術と科学は、哲学とは無関係に、自然な人間の力を自由に発揮することによって、いつでも見事に栄えてきた、ということに帰着する」(同訳)とゲーテは言い、「私自身もつねに哲学に縛られないでやってきた。常識の立場は私の立場でもあった」と心情を語っている。

 シューバルトの立派なところは、常識の立場を通してきた点にあるとしながらも、ゲーテは、「ただ一つ、どうしてもほめられない点は、彼がある種の事柄をよく知っているくせに言わないこと、つまり彼のやり方がかならずしも正直ではないことだ」と批判する。

 やや引用が長いが、多くの知識人が陥りがちな立場の遺失、境界の逸脱、材料の誤用の問題をもついていると思われるから書いておきたい。

 「シューバルト(同時代の言語学者・哲学者)はヘーゲルと同じように、彼もキリスト教を、それとはなんの関係もない哲学の中へひっぱりこんでいる。キリスト教はそれ自体で強力な存在だ。堕落し苦悩する人類が折にふれてこれにすがって、くりかえし立ち直ってきたのだ。キリスト教にそういう力があると認められている以上、キリスト教はいっさいの哲学の上にあるものであり、哲学から支えてもらう必要はない」

 唯物弁証法にかすめとられたヘーゲルの方法に本質的な瑕疵があり、ゲーテはそのことも含めて批判しているのだろうか。それはともかく、キリスト教から自分の哲学に有利な材料を持ってくること、その逆も戒めている。

 「人間は不滅の生命を信ずべきであり、そうする権利がある。それは人間の本性にかなっており、われわれ人間は宗教の約束することを信頼してよいのだ。ところが、哲学者ともあろうものが霊魂不滅の証明を宗教的伝説あたりから取ってこようとするなら、これは非常に薄弱で、あまり意味がない。私の場合、永生の信念は活動の概念から来ている。というのは、もし私が死に至るまで休みなく活動し、現在の生存形式が私の精神にとってもはや持ちこたえられなくなった時には、自然は私に別の生存形式を指示する義務があるからだ」

 大ゲーテの言葉を下町の井戸端で解釈するようなマネはいけないが、私は十五年前に亡くした従姉を思い出す。幼くして父を亡くし、市井の苦労を一身に引き受けたような人だが、苦労をして、むしろ高昇に至ったという人だった。よく働いて打ちのめされたが汚れなかった。清らかで明るく気品があった。そんな彼女は中高生の息子二人を残して四十八で逝った。通夜に白布をとって会ったとき、私はあらゆる意味でこんなに働いた人が「無」に帰するはずがない、という気持ちになり天井を見た。「無」になるならレジの精算が合わない、自然の壮大な無駄だと思ったのである。

 最後のゲーテの言葉は信仰とは関係のない宣言である。自然(神)は私に次(の活動の場、つまり生)を用意しておく義務がある、というのだ。これほど強い宣言はない。いま、デカダンの嵐のなかではゲーテの言葉も化石であろうか。

        (終)

ゲーテの神に立ち返って――(1)

伊藤悠可
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講

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 田中卓氏は皇位継承問題にからんで、神宮祭祀の一般に知られざる伝統を持ち出して、男系でなくてもよいと説いた。私はめまいがした。氏は伊勢神宮の斎宮制の研究のほか、建国史のほうでは〈二大巨頭〉と仰がれる泰斗だそうである。

 私もこの人の古代史に関する本を何冊か持っている。『諸君!』(3月号)の「女帝天皇で問題ありません」という文章は二度読んだ。「私は誰よりも皇室を尊敬している。しかし天皇陛下も偉いが伊勢の神様のほうがずっと偉いので、その専門では最高峰の私の言うことを聞け!」と行間にはそう書いてあった。

 ややこしい人だ。この人は神や神の事蹟を調べるのが職掌である。半世紀も学問をしておられてどうしてこの過誤なのか。氏は神様を引っ張りだして皇室をいじったのである。

 また最近、生長の家の運動家といわれる人たちの信仰と政治的活動とが話題になった。その人たちの精鋭は政権中枢に近づいていろいろな改革や再生をめざしていると聞く。それはそれでいいではないかとも思う。

 信仰を捨てて政治的運動に参画しているのか、信仰のままに世界を動かそうとしているか、そんなことはわからない。慧可は自分の腕を切り落として達磨に入門を乞うた。信仰とはそれほど真剣なものだ、とは私に言えない。ただ、信仰に人が必要なのだろうか、政治が必要なのだろうか、と単純に思うだけだ。

 人の職業や信仰をとやかく言うことはない。私にはゲーテの神に対する考え方、態度のほうが、前述の日本人より身の丈にあっていて、そこへ帰りたくなる。ドイツ語が読めない私には、一知半解の勉強だが、ゲーテの神観はおおむね次のようにとらえられるのではないか。  

 ゲーテはキリストを神のひとつの表現として見るにとどめている。そこから越えなかった。キリストが唯一、神のすべてを体現した存在という意味ではなく、神が表現するためにキリストを必要としたという見方になると思われる。したがって神は同時にイスラム教の神であることもみとめた。神はキリスト教専用の神ではない。「専用されるものは神ではない」という立場を貫いた。

 ゲーテはまた、「自然」をほとんど「神」と同義語のように用いている。「自然のうちに神を、神のうちに自然を見る」(『年代記』1811年の項)という言い方をした。「神」がそのまま「自然」であり、「存在」がそのまま「神」と見るところから、そこからもゲーテは汎神論者と呼ばれる。六、七歳の頃に「自然の偉大な神」を愛慕したあまり、自分なりに工夫して部屋に祭壇をこしらえ祈ったことも知られている。

 神性は自然の「根本現象」の中に啓示されている、とゲーテは言う。この世界で起きる多様な現象は一つの神性の本質であり、啓示や象徴にほかならないというのである。『ファウスト』の「神秘の合唱団」は「すべて過ぎゆくもの(すなわち現象一般)は神の似姿にほかならぬ」と歌っている。

 キリストより前に生きていた偉大な人々、ペルシャにもインドにも中国にもギリシャにも生まれた偉人は、旧約聖書の中の数人の猶太人と同じように神の力が働いていたと、見るのがゲーテであった。それが彼の「原宗教」というものに基づく神の見方であった。

 岡潔さんががよく使う「造化」というのも、ゲーテの神に通じるところがある。そう勝手な解釈をしているが、それほど間違っていないという気がする。「造化」は地上の至るところに、色とりどりの花を咲かせるようにして或る人たちを降ろした、という譬喩を岡さんはよく用いた。

 エッカーマンにゲーテはこう告白している。

 「宗教上の事柄でも、科学や政治のことでも、私がいつわらないで、感じたままを口にする勇気を持っていたということが、いつも私をやっかいな目にあわせた」

 「私は神や自然を信じ、高貴なものが悪いものに打ち勝つことを信じていた。ところが、善男善女には、それが不満で、彼らは私に三が一であり、一が三であるといったことを信じなければいけないというのだった。しかし、そんなことは私のこころの真理に対する感情に反していた。そのうえ私は、そんなことでいくらかでも助かるだろうなどとはどうしても思えなかった」(秋山英夫訳)

 三が一であり、一が三であるというのは、キリスト教のいわゆる三位一体説のことである。創造主としての父なる神と、キリストとして世にあらわれた子なる神と、信仰体験として聖霊なる神とが、一つであるという教えで、これは広く日本人も学校でならったことだが、所詮は勝手にあつらえた教えにすぎないと、ゲーテは与しなかった。

 キリストに対しても恭順畏敬をささげることができるし、同様の意味で太陽を拝むこともできる、とゲーテはどこかで言っている。これは驚くべきことだ。なぜ、ゲーテが日本に生まれなかったのか、と不思議に思うことがある。

 ゲーテはまた、寡黙がちではあったが「デモーニッシュなるもの」に言及し、その存在を信じていた。古代ギリシャ人が考えていた人間にひそむ神的存在「ダイモーン」。神のようであって神ではないものである。人間に似ているが人間的なものでもない。悪魔に似ているが悪魔的なものでもない。天使に似ているが天使的なものでもない。

 ゲーテは「自然のうちに、ただ矛盾の姿であらわれ、どんな概念でも包括できないようなあるもの」があると告白しているのだが、「ファウスト」におけるメフィストフェレスは別のものらしい。メフィストフェレスは「もっとネガティブな存在」だと言い、ダイモーンは「徹底的にポジティブな実行力のうちにあらわれる」として、ダイモーンとメフィストフェレスとを区別している。

 デモーニッシュな人々の代表は、絵画ではラファエロ、音楽ではモーツァルト、あのナポレオンも断然、デモーニッシュな典型とゲーテはいう。「私にはそういう資質はないが」とゲーテは否定しているが、ゲーテ自身がデモーニッシュな人でないわけがないと思う。

 私がとくに面白いと思うのは、ワイマル公国のカール・アウグストを評した部分だ。「無限の実行力にみち、安閑としていられない性分だったから、自分の国も小さすぎるくらいだった」。こういう人はホラッ、私たちの意外なほど近くにもいるのではありませんか。

つづく

「昭和の戦争」補論――歴史を知るとは

福地  惇(大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長)
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1 今やその讒謗に応答する

 西尾幹二氏の「インターネット日録コメント欄」に頻繁に寄稿するバガボンドなる者が、六月後半期にゲストエッセイ欄に10回連載された拙稿「昭和の戦争」に対して、その初回から強い疑義を唱えて讒謗してきた。「大東亜戦争肯定論」を思想とする副会長が「新しい歴史教科書をつくる会」にいるのは許せないと抗議してきた。その物言いの横柄さから、一瞬、いかなる思想・宗教の筋に繋がる高等審問官なのかと訝しんだのである。  

 それにしても、放浪者を自認する御仁が、国民子女に善い歴史教科書を提供しようとする「つくる会」の命運を案じているとは意外である。危険思想の副会長は退陣せよと言う心も、つくる会運動を支援すればこそなのであろう。ならば、つい先だってつくる会年次総会が開催された際に、福地罷免動議を出せばよかった。それが可決されれば、私は粛々と退陣したであろうに。

 ところで、バガボンドは拙稿の「はじめに」を読んだ途端にこう言った。「日本が中国に大軍を展開した目的は何か?福地さんという人はとんでもない『思想』の持ち主である。(中略)大切なことは日本が中国(支那大陸)で『何を』しようとしていたのか、ということである。日本は中国で(他の国々と同様)一定の『権益』を所有していたが、要は、その権益の『程度』である。今後の論述で、たぶん彼は、『日本は他の列強に比べ特別強大な権益を持っていた。それは蒋介石政府を無視することが出来るほどの権益・権限だった』ということが前提にするだろう」と。本論を読む以前に、私が述べることが分るというのだという。また、第1回を斜め読みしただけで、論旨を主観的に予断して「エッセイ」だとも讒謗した。主観的なつまりは「自分に都合よい得手勝手な判断」から、そして浅薄な歴史知識から、気侭な予断を述べて、私に喧嘩を売って来たのである。

 勿論、拙論を読んでくださった方々には、彼の予断が的外れだったことが判明している筈だ。彼の議論は、私が見落としている重大な歴史事実や思いも付かない斬新な解釈を提示しようとする真面目な批判とは初めから別物だったのである。

 匿名で敵を誹謗中傷する陰湿な行動はやめて、こいつは許せないと思うならば、堂々と名を名乗った上で実践行動するがよいと言いたい。そのような訳だから、最初のコメントを見て、相手にするに値しない奴輩だと思った。また、素っ頓狂な言い掛かりつける匿名者と議論するのは、私の好みに元来合わない。それで、私はこれまで彼の讒言や挑発を聞き流して来た。だが、バガボンドは、西尾ブログで真面目な議論者間の論争でも礼儀も節度もない不毛な議論を継続している。そこで、問題提起者として何等かの応答は責務だと思い直し、ここに無礼な讒言に対しする若干の所感を述べたいと思う。

2 「昭和の戦争」は国際政治に目配りした近代日本史概説である

 拙稿「昭和の戦争」は、ペダンチックな学術論文ではない。言うなれば、国際政治の中での近代日本史概説である。ここで論述意図と公表経緯を簡明に述べておこう。

 第一、現在日本国民の歴史常識では、大東亜戦争の正式呼称は憚られ太平洋戦争として定着し、この戦争は日本軍国主義の悪辣な大陸侵略戦争だったことになっている。だが、この常識は、歴史の事実に適合するであろうか。これが私の問題関心である。

 第二、「昭和の戦争」は、実に複雑な国際政治状況の中で、謀略的にして強力なある国家群によって誘導されたようにして生起したと理解できる。日本の「侵略戦争」とは、気安くは言えない複雑な性格を帯びた戦争である。常識を疑わねばならぬ。日本人の眼で近代国際政治の中での戦争を見ることが必要である。明治維新から大東亜戦争に至る間の国際政治の中での日本を通史的に検討した。菲才を顧みずに考察した結果、あの戦争は「侵略戦争」とは言えず、壮大な「国際謀略の渦に巻き込まれた戦争」、「国際的抑圧勢力への対抗戦争」、いわば「防衛戦争」であった、と観るのが正しいとの暫定的結論に達した。だが、その見方を妨げる障害物がある。それは、歴史の真実を善悪転倒する目的で創作されたのが「太平洋戦争史観」別名「東京裁判史観」なのである。

 第三、実は、「邪悪な侵略戦争」という観念は、戦後の国家体制を支えるイデオロギーである。我が国体(くにがら)を軽視・軽蔑する、軍事を排除する、外交を他国の信義に委ねる異型の国家体制、実は国家といえない国家体制を支える基底に「日本は戦争犯罪国家だ」とのイデオロギーがある。体制とイデオロギーは車の両輪である。私は、この状態を「敗戦国体制」と「敗戦国イデオロギー」と名付けている。日本侵略国家論、戦争犯罪国家論が国際世論となり、国民常識となっている。この現実が擬似国家日本を正常化しようとする時に、最大の障害物になっている。(「敗戦国体制」については、拙稿「敗戦国体制護持の迷夢」正論誌二〇〇四年三、四月号連載で論じたのでご参照願いたい)

 第四、要するに、この旧敵国連合によって巧みに仕組まれた冤罪を晴らす手段は、正しい歴史像を作り上げることによって虚偽の歴史像を断罪し排除することである。それ以外に有効な手立てはない、と愚考するのである。

 第五、この小文は、ある教育機関の講義案として纏めたものであるが、ここに縁が有って西尾幹二氏の日録のゲストエッセイ欄に掲載させて頂いたと言う訳である。

 さて、戦勝諸国、特に米国の日本占領統治の目的は、日本民族を自己喪失者に改造して、二度と再び米国に対する軍事的脅威になることを阻止する点にあった。日本人の勇気と自信を剥奪して自己喪失者へと誘導し、衰亡させることにあった。目的達成の手段は、大日本帝国を最大限に卑しめること、戦争犯罪国家の烙印を深々と押しつけること、であった。これが所謂「太平洋史観・東京裁判史観」というイデオロギーだ。その謀略と姦策の展開過程は単純ではなかったが、占領期間中に進駐軍権力に同調した左傾化した我が同朋が、社会主義革命や共産主義革命を夢見て、祖国の歴史を貶めて捩じ曲げる、利敵行為に勤しんで、大きな成果を挙げた。これこそが、自らの手で招き寄せた第二の敗戦である。征服者の米国は利敵行為者を実に有効に活用した。彼らの目的は、買弁的日本人の手によって見事に達成されたのである。

 私は日本民族の自力による自己挽回、つまり民族の歴史の正統への回帰、そして真の独立主権の回復を強く希求している。サンフランシスコ平和条約締結以後の戦後日本政治の大目的は、この問題でなくてはならなかっただろうと思っている。そして、我々日本人が占領政策によって自己喪失のカラクリの箍を嵌められた原点には、あの大戦争に対する捩じ曲げられた評価の問題が深く横たわっていと睨んでいる。この問題を解く鍵は、「昭和の戦争」の解釈=評価問題の内にあると睨んでいる。

 拙稿執筆の背後の動機は以上である。拙稿の本論そのものは、飽く迄も戦争の歴史を軸にした近代日本史考察であり、そこから得た一応の結論が「昭和の戦争」は侵略戦争に非ずなのである。そのことは、「はじめに」と最後の「現下の課題」に表明してある。バガボンドは、これに噛み付いてきた。要するに、彼は「敗戦国体制護持論者」のようだから、私の思想を危険で異質な者と嗅ぎ取ったのであろう。それはそれで正解であるが、大東亜戦争の歴史的意義をどう捉えるかの問題では、完全に論点が食い違っていて、議論にならないのである。

3「昭和の戦争」を考える視座が完全に食い違っている

 バガボンドが拙稿を「大東亜戦争肯定論」だと決め付けて批判するのは自由である。旧敵国側は、我が国が二度と再び彼らの軍事的脅威にならないようにとの高度の政治目的で「太平洋戦争史観・東京裁判史観」を日本人に刷り込む様々な策略を弄した。これを肯定するのも、確かに自由であるが、日本民族の尊厳と独立を回復する方法とは正反対のものであることを知れねばならない。

 問題に核心は、「昭和の戦争」の歴史の真実とその意義を自らの眼と頭でしかと見定めたいと思うか、その問題は既に結論が出ているのだから、今更再検証は不必要だと思うか、そこが「昭和に戦争」を考えるための最初の視座の相違なのである。
 
 私は歴史の事実を直視すれば「昭和の戦争」はこう理解できると言ったのである。だが、バガボンドは初めから聞く耳を持たずに、「太平洋戦争史観・東京裁判史観」は正しいし、それを守りたいと思っている。そうであるから拙稿に激しい怒りを覚えるのであろう。わが日本国民が正気に戻ることを恐れる支那・朝鮮や日本の左翼が、「つくる会」に異様な怒りを示す情念と相似形である。いまさら、「東京裁判史観」批判でもあるまいという雰囲気も見せているから、バガボンドは、親米実利主義者のようにも見受けられる。

 いずれにせよ、形振り構わぬ実利主義的政治家や実業家が、金満国家さえ維持できれば、支那・朝鮮から軽蔑されようが、米国の属国に甘んじ続けることになろうが、金儲けさえできればよいとする。歴史の真実にお構いなしに「中国人民・韓国国民の痛みも考慮せよ」、「日中貿易の将来を考えろ」「日米同盟を強化しよう」として、首相靖国参拝問題や歴史教科書問題を政治取引の材料にして恥じない。この二つは、いずれも内政事項である。支那・韓国のこの問題に関する言い掛かりは、どんな屁理屈をコネとも歴然とした内政干渉である。

 自尊心を喪失させられ独立主権を制限されたままにノウノウと時を過ごし、徒に経済成長だけを達成した我が国に対して、支那・朝鮮が「太平洋戦争史観・東京裁判史観」をあたかも自分たちの権利・既得権益であるかのようにして活用し、我が国に揺すりタカリ攻勢を掛け続けるのも、その外交行為で自らの国益を高め、自尊心を高めることが出来ると学習したからに他ならない。我が国内に潜在的敵国である彼らに同調・宥和する勢力が存在するから、なおさら調子付くのである。 

 現時点においては、支那・朝鮮は、間違いなく我が日本の敵対勢力であるから軍事的脅威なのである。米国のCIAも竊に蠢動している雰囲気も徐々に高まっている。我が国は相変わらず大陸と太平洋の東西両方面から挟撃され続けているのだ。

 そんなことには無頓着な連中は、あるいは支那・朝鮮に同調し、あるいは米国の庇護に益々縋ることが我が国に国益保護の要諦だと信じているかのようである。愚かにも潜在的敵対者に徒に媚を売ることが、我が国益を守る所以だと錯覚している。このような政治姿勢を買弁的日和見主義者と言うのだ。お飯(マンマ)が鱈腹食えるならば、我が国を打ち滅ぼしたいと考えている敵対勢力の奴隷になっても、経済アニマルとして生存できれば本望だとする情けない精神の持ち主とでも言う可きか。だが、奴隷にされては、肝心の目的である経済アニマルとして生存し鱈腹お飯(マンマ)を食いたいという儚い願望も許し続けてもらえるのかどうか。その方面への配慮は、果たして如何なものだろうか、是非とも知りたい所である。

4 常識を疑うことから知的探求は始まる――歴史を知るとは

 バガボンドよ、君の言い掛かりは歴史論議ではなく、戦後の常識なり世論に忠実な立場からの単なる自己の狭い見解の独白に過ぎない。なぜならば、明治維新なり日露戦争なり日韓併合なりスターリンの対日戦略・東アジア戦略・世界戦略なり満洲事変なり幣原外交なり西安事件なり盧溝橋事件なり、その他諸々の叙述の論点に関して歴史の事実に基づく対抗解釈が全くないからである。政界筋の論議や朝日新聞的・NNK的なメディアの論調や共産支那政府・韓国政府の日本非難の議論を鸚鵡返しにするような全く独創性のない低い水準の発言である。ブログ愛好者のようだから、インターネットにおける上澄情報を聞き混ぜての浅薄な知識で、この世の中の森羅万象を理解したかのような気分に浸っているのではないか。  

 何故ならば、君は、6月15日の最初のコメントでこう反発を示した。「どんな屁理屈をつけようと、中国でその政府の許可なしに日本軍を好きなように展開した。いつの時代にもこんなことが正当化できるはずがない」と。これは如何にも幼稚で大人としては極めて異様な見解である。鈍すぎる歴史感覚と浅薄な歴史知識の持ち主であることの自白である。日露戦争後の大陸事情の変化に対応して日本軍は大陸の戦線に繰り出した。支那との抗争が遂には米英そしてソ連との戦争へと発展した。どうしてそうなってしまったのか、その事情を拙稿「昭和の戦争」は論述しているのだ。「中国でその政府の許可なしに日本軍を好きなように展開した」などと言う戯言が通用する平板で単純な政治・軍事状況では全くなかったと言うのに、何とも能天気な発言ではないか。

 20世紀に入って以降の我が日本周辺の事例だけでも、次のことが挙げられる。ロシア帝国の沿海州占領、満洲およびモンゴル侵略、英国の印度植民地化や支那大陸での諸利権獲得、ドイツ・フランスの植民地拡大と支那要所の租借権獲得、米国のハワイやフィリピン侵略、これら諸々の国家行為が何時どのようになされたか。その時、支那やフィリピンやベトナムやハワイの王様や政府はどう反応したのだ。日本が全く軍事行動に出なかったと仮定したとき、どのような東アジアの勢力地盤の変動が予想されるか。 

 また、現在只今でも、君の国際正義は国際政治の場で一般化しているのか。米国・イラク戦争において、アメリカはイラクのフセイン政権の「許可」を得てから軍事力を展開したのか。世界は広いので類似の事例を列挙すれば十数行を必要としよう。また、現在の時点で韓国の竹島占領、共産支那の尖閣列島地下資源発掘、ロシアの千島列島、樺太占領、みな日本政府に「許可」を得てからの行動か。君はどう考え、どう答えるのか。何時の時代にも普遍的に存在する国際政治の常識は、「弱肉強食」の論理なのである。

 それよりも何よりも、「昭和の戦争」の本質を尋ねる際には、それこそ気が遠くなるような膨大な史料の山がある。専門歴史研究者でない君でも、北京議定書なりポーツマス講和条約なり対華二十一カ条要求なりリットン調査団報告書なり塘湖停戦協定なりヤルタ協定なりポツダム宣言なり、「昭和の戦争」を少しでも考えたい者が是非目を通すべき最低限の基礎的史料を見なくてはならない。それらを真剣に熟読して、自分の頭で解釈し理解しなくてはならない。そんな営為に取り組んだことがあるのか。恐らくないであろう。歴史論争を挑むならば、歴史事実の取上げ方とその解釈の異同を以て厳しい批判や議論を構築されんことを望む。歴史を知るとは歴史の事実(史料批判が大事)を踏まえて自分の世界観・人間観を以て解釈を加えることである。

 なお、私の「昭和の戦争」概説には一箇所たりとも「大東亜戦争肯定論」の用語は出てこない。歴史の事実を精査すると、拙稿「昭和の戦争」のように叙述できると私は言ったまでである。思考の順序は、始めに肯定論ありきではない。私の拙い史的考察の結果は、かくの如くであり、それを第三者が「肯定論」だと評価するのは自由である。だが。君は、論述内容を理解しようともせずに、ただ独善的判断に問答無用とばかりに「大東亜戦争肯定論」は許せぬと叫喚する。それは批判ではなく、自己の見解が正しいと確信してそれを他人に無理矢理にでも押し付けたいとする妄言である。駄々っ子のような脆弱な精神から発せられた感情的で情緒的な言い掛かりではお話しにならない。歴史の事実に基づいた解釈問題を軽視するようでは、議論の余地は最初からありえないのである。

 要するに、私は我が国の歴史の尊厳と光輝ある国の在り方を復権したいと思っている。「敗戦国体制」と「敗戦国イデオロギー」を打破せずして、その目的を達成することは困難だと考えている。それに対してバガボンド、君は戦後の敗戦国体制と敗戦国イデオロギーを「保守」しようとしている。それでは日本民族の自立と尊厳の回復はありえないであろう。民族の異様な変質と衰亡を希求する「保守主義者」とは、語の矛盾であろう。亡国の思想を「保守本流」と自称する転倒した発想は、詭弁であり危険である。君に日本民族の将来を思う真心があるならば、以後倒錯した大言壮語は慎まれるよう切に希望する次第である。

 最後に、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセイの箴言を掲げよう。

 「現代の特徴は、凡俗な人間が自分が凡俗であるのを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとする所にある。………大衆はあらゆる非凡なもの、卓越したもの、個性的なもの、特別な才能をもったもの、選ばれたものを巻き込んでいる。すべての人間と同じでない者、すべての人と同じように考えない者は、締め出される危険に曝されているのだ。だが、この『すべての人』が『すべての人』でないのは、明らかだ」(オルテガ『大衆の反逆』白水社版58頁)
                (了)

管理人からのお知らせ

 現在日録コメント欄は、一部議論がかみ合わない状態が続いています。

 これは、おそらく論述すべき内容が、一部人格攻撃になっていることなどに起因しているように思われます。

 事実、解釈、意見の相違はどのように発表なさってもかまいませんが、その目的が人格攻撃になってしまっては、感情的な行き違いが起きるもとです。

 そこで、今後このような不毛な行き違いを避けるために、投稿をする時のルールを設定します。

 基本的ルール
 ◎コメント欄の投稿において、事実は事実としてお互いの認識の違いを議論することは良いが、そのことから派生しやすいお互いの人格への言及、評価、形容などは極力避けること。

 ◎このルールに反していることに気がついた時点で管理人は警告を発し、投稿者も注意しあうこと。

 ◎再三の警告に従わない時、最終的に管理人が判定し、適当な期間、投稿を自粛していただきます。

このような方針で今後管理していきますので、宜しくお願いいたします。

「あの戦争に何故負けたのか」(文春新書)から考える(二)

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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   占領時代の「閉ざされた言語空間」の中で交わされた、占領軍にだけ都合の良い限られた情報で充たされた戦争観は、占領期間、その後の自己検閲の長い期間を経てじっくりと刷り込まれたものであり、それは未だに残っている。そして今日でも容易には変えることが出来ない。それが総ての根源にあると考えます。

 幾つか具体例を拾って見ます。

<人種平等宣言>

 今日、人種平等は当たり前のことで、民主国家米国は南北戦争でこの問題を克服したというフィクションが存在しますが、ご存知の方も多いでしょうがそうではない。むしろこの点で日本が世界をリードしていたのです。それは占領時代に消し去られたことです。

 第一次世界大戦後のベルサイユ講和会議で戦後の平和体制構築を目的に国際連盟の設立が討議されました。その際、日本は連盟規約に「人種平等」を入れることを提案します。然しこれは”米国のウィルソン大統領”が主導した反対運動で否決されてしまいました。

 第二次大戦で連合国側は大西洋憲章などで、自由、人権、民主主義、平等などを盛んに宣伝しますが、人権も自由も民主主義も、平等も白人のみを念頭に置いていたことはこの国際連盟規約への日本が提案した人種平等への拒否された状態が続いていたことからも明らかでした。

 然し、米占領下でこの様なことを一切報道や教育の場で語らせなかった。今日日本人の大部分は、ベルサイユ会議でこの様な理不尽な仕打ちを米国や欧州各国が行ったことも知りません。ですから、戦争前の世界が今と同じ人種平等の理念があったという錯覚で戦争を想像してしまいます。

 現在のアジア、アフリカの大部分は欧米の植民地であり、その根幹には抜きがたい人種差別という彼等の信念がありました。東南アジアもそうでした。日本が戦争に際して、大東亜の植民地解放を唱えた根拠には、それに先立つ22年前の第一次大戦後のベルサイユ会議での国際連盟人種平等規約提案があったのです。我々が小学校の頃は、占領中でありましたが、先生方の中にはそれを踏まえ、「アジアの植民地解放」が戦争目的の一つであったことを認識し、我々に教えてくれた人も居たわけです。然し、言論界、教育界ではそれが封殺されていた。それが、その間、その後の国際連盟での日本の「人種平等規約提案」も「アジアの植民地解放による大東亜共栄圏」も厳しいタブーとなったのでした。

 占領軍に言わば阿る、「日本は領土的野心を持ってアジアに攻め入り多大の迷惑をかけた侵略戦争を実施した」「”大東亜共栄圏”はそれを糊塗するものである」との刷り込みが数十年間行われたわけです。日本が戦時中、独立を与えたビルマも、ベトナム、ラオス、カンボジアも、終戦の2日後に日本の現地軍の密かな援助で独立宣言したインドネシアも、その後、再び旧植民地宗主国が支配を再開しようとし、内戦などを経てようやく独立を達成するわけです。そこには未だ旧植民地宗主国の強い「人種差別感」が残存していたことは、こりもせず植民地支配を復活しようとしたことからも明らかです。

 人種差別に関連し、カリフォルニアから全米に広がった、排日法についてもそんなことがあったことはプレス・コードで報道は厳しく禁止されましたし、学校教育で教えられることもありませんでした。ですから、戦争後のアメリカ人の態度と同じ態度が戦前にも日本、日本人に向けられたと受け取ることが広く深く浸透していきました。戦前のアメリカが如何に日本、日本人に酷い厳しさ、人種差別感で対応していたかなど今日の日本人には想像出来ないでしょう。

 米国の人権、自由、民主主義、平等などの普遍性についての対応は戦後の表面上の日米関係だけから観察して言えるものであり、戦前、日露戦争後からの長い日米関係史の中では決して全然異なったのです。「排日法」(絶対的排日法なる言い方もある)の存在と広がり自体がその証拠です。

<戦時中の米国の対日行為>

 以下は本で知った話です。戦時中米国のグラフ雑誌の表紙に、少女が前線の兵士に手紙を書く場面が写されていますが、そこに前線の兵士から送られた、死んだ日本兵の”しゃれこうべ”が置かれていたのです。これは戦時中日本で報道され、”鬼畜米英”のフローガンの原点になったらしいが、こんなことの報道は勿論占領期間中は厳禁されています。ですから、今の日本人には戦時中の”鬼畜米英”のスローガンは、人道的な米軍の実態とはかけ離れた、日本の軍国主義の宣伝に国民が嫌々従ったものと理解されているのです。日本の民間人の集団自決が日本軍の命令によるものであるかのように伝えられ、自決せずとも”人道的な”米軍に助けられたと言う風に思われているようです。でもグラフ雑誌でアメリカ人の本性を知っていた戦時中の日本人は本当に”鬼畜米英”と思っていたはずです。

 戦争中には、聯合国による戦争犯罪行為もかなりあったことは、インバール作戦などの戦記にも負傷した日本軍将兵にガソリンをかけて焼き殺した光景が遠くから見えたとの記述に残されていたと記憶します。その最大の残虐行為は非戦闘員に対する原子爆弾による無差別殺傷です。

<原爆被害写真>

 検閲、言論統制が厳格に守られたのは広島・長崎の原子爆弾の被害写真でした。小学校時代5年生の時、サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年ですが、我々は初めて、アサヒグラフで原子爆弾の凄惨な写真に戦慄したのです。

 これは占領期間中は絶対に報道されませんでした。仮にポツダム宣言による報道、言論の自由が確保されていれば、戦後直ぐにこの写真は公表されていた筈です。その場合に果たして、聯合国が極東軍事裁判が「平和に対する罪」「人道に対する罪」で日本の指導者だけを裁くことが出来たでしょうか。原爆被害写真が公表されるのは「閉ざされた言語空間」の中で日本人が、占領軍が与える材料と統制、管理の結果、米国が望むような戦争観、米国観を日本人が抱くように出来上がってからのことなのです。つまり、原爆被害写真を見ても、日本人は、米国には無害化されていたのです。

<ハル・ノート>

 昭和16年10月18日、東条内閣が成立し、日本は甲案乙案を軸に米国との関係打開を図りました。それは前の近衛内閣時代に実施した南部仏印進駐からの撤兵を条件に、米国の資産凍結、石油禁輸措置などの解除を求めるものでした。

 そんな中11月26日米国国務長官コーデル・ハルは野村吉三郎大使に所謂「ハル・ノート」を手交します。その内容の主なものは、日、米、英、蘭、重慶政府、タイ、ソ連との不可侵条約締結、日独伊三国同盟否認、南京(汪兆銘)政府否認、仏印からの全面撤兵、中国全土からの全面撤兵、その他でした。
占領期間中、これについての言及は一切禁止されていました。(日本の当局は戦時中もこれを公表していないと記憶します)

 これが、占領の初期に公表されていたら、昭和20年12月から占領軍がNHKと新聞を通じて、発表を強制した「太平洋戦争史」がそのまま日本人に受け入れられ、今日第部分の日本人が抱く戦争に対する認識とは違ったものとなっていたでしょう。

< 翼賛選挙と、斉藤隆夫>

 斉藤隆夫代議士は戦前軍部を激しく糾弾、所謂粛軍演説で軍のみならず、衆議院除名されます。現在の人名辞典などの説明では、彼の戦前戦中の活動はそこで終わり、その後敗戦と共に政治家として復活し、国務大臣になるというふうになっています。ところが、そうではない。

 戦争開始約半年後の昭和17年4月、所謂、”翼賛選挙”が行われました。そこで、斉藤隆夫は無所属で立候補、見事に当選しているのです。ですから、彼の議会活動は戦時中の続いていたことになります。これは戦前、戦中の時代を完璧な暗黒時代と表現しますが、その見方にやや疑問を呈せざるをえないことになります。斉藤藤隆夫も、それを取り巻く時代も「閉ざされた言語空間」以降に固まった固定観念とは随分違っていたのではないでしょうか。

<戦後教育>

 戦後教育では、戦前の日本の教育が、軍国主義の温床であったということで、教育基本法が定められました。学校では、憲法の「戦争の否定、戦力の否定、自衛権の否定」と同じ考え方で、個人も「暴力に否定、話し合いのみでの解決」が謳われました。問題はその後「いじめ」となって顕在化します。日本では”話し合い”が絶対ですから、その結果、暴力を振るう者が、それをやめない限り、優位に立ち、問題は解決せず、うやむやになってしまいます。その結果、暴力、いじめ、不正義がはびこることになります。暴力や不正を力で抑えることを教育が放棄していますから、学校はこれを隠蔽し、「いじめ」不正はエスカレートし発展し今日全く解決不能になっているのです。

 そもそも、教育の場、学校で正義を教えず、追求せずして、社会に正義が生まれ行渡るのでしょうか。学校が正義を教えず放置することを生徒に刷り込めば社会は必ず悪くなります。学校の存在意義は失われたのです。この隠蔽体質は学校から社会全体に広がってきています。これでは幾ら警官の数を増やしても犯罪はなくならないでしょう。

 米国に勤務していた折、娘が小学校で先生(女の先生でした)から教えられたことは、「いじめにあったら、敢然と戦え」ということでした。

 正義を教えない学校に意味はないことを、日本以外では教えており、戦前の日本でも教えていたことと同じだったのです。

 娘の小学校生活で判ったことは、米国の学校で教えていること、行われている教育の殆どは日本の戦前の小学校で行われていた教育と同じだったことです。少し考えれば、当たり前でしょう、明治維新以降日本は欧米の教育制度を輸入改良してきたのですから、その基本にそんなに差があるはずはなかったのです。然し、「閉ざされた言語空間」で外国と完全に遮断された日本では、占領政策を受けて知識人たちが戦前の日本の教育を「軍国主義教育」と決めつけ、欧米の教育が戦前の日本の教育と正反対のものであり、「個性を伸ばし、自由放任」との先鋭的な教育を押し広げたのです。

 北米で日本を見ていると義務や権利について日本の誤解があります。2年程前六本木ヒルズのビルの回転ドアに挟まれて6歳の子供が死亡しました。日本では、ビルのオーナーと回転ドアメーカーが責任を追及され親に慰謝料が払われ解決したそうです。日本では北米でもそのような解決がなされると受け取っているでしょう。然し、回転ドアの多い北米でそんな事故は聞きません。12歳以下の子供がその様な事故にあえば親が責任を追及されるからです。親は必死になって子供の手を握り、走らせないようにするからです。若し子供が回転ドアに挟まれて死ねば親は警察に捕まり、裁判にかけられます。子供の命の変わりに補償金を貰うなど、正に正反対です。

 こういったことも「閉ざされた言語空間」故に日本だけで起きる現象でしょう。子供の人権とは親に守る責任が科せられるのです。

 国旗、国歌を教えることは米国の小学校では当たり前のことですし、カナダなどではそんなことに加え、暫く前には映画官でも上映前に全員起立国歌「オーカナダ」を歌ったそうです。

 要は、日本は戦前学校で欧米と同じことを教えていたのですが、米国占領軍により、先ず「閉ざされた言語空間」が構築され、欧米と全く違う教育空間、教育内容にされてしまったのです。

 何でそうしたか、それは、米国が日本を自分達と同じ様な国にしておくことを許さないと決意していたからです。何故そうか、それは次に述べることになりますが、米国は米国に対抗する強国を常に排除し自国の安全を図ることを国是としてきています。そのことを忘れてはなりません。

 正に小泉少尉が言ったように「アメリカはあらゆる悪辣な手段を使って日本を骨抜きにした」のです。
この米国の戦後の言論検閲統制は凄まじいものであり、仄聞する所では、戦後米占領軍は、「焚書」さえ実施したそうであり、実に7000余点の書籍が図書館、出版社から抹殺されたと言います。この分野の研究は今の日本が描いている、戦前の日本、戦後の日本の歴史を大きく改めるものとなるでしょう。その成果を待ちたいと思います。

「あの戦争に何故負けたのか」(文春新書)から考える(一)

お 知 ら せ

 私が8月15日千代田区立内幸町ホールで行なった約2時間の講演は、『正論』10月号(9月1日発売号)に掲載されます。

 題して――
  安倍氏よ、「小泉」にならないで欲しい
――これからの日米間の落し穴を直視できるか――

 全体の約三分の二が収録されました。〆切り日が近づいて、目次予定がほゞ定まっている時期に、40枚の分量をのせるスペースをあえて作った編集部の英断に感謝します。

 9月1日以後に、コメント欄はこの講演録を取り上げ、論じ合って下さることをお願いします。

西尾

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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 文春新書「あの戦争に何故負けたのか」はある意味で米国が待ち望んいた本かも知れません。

 独立戦争、南北戦争、メキシコからのテキサス独立と併合、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアまでの広い領土の併合、そしてハワイと和親条約締結を結び半世紀後に併合、米西戦争ではフィリピン併合。この一連の歴史には随分酷いことが行われていますが、米国はそれを削除し、自らの歴史を正義と栄光の、物語として描いています。
 
 ところが、「あの戦争に何故負けたか」は1941年12月8日から1945年8月15日までの日米戦争を、米国について殆んど、批判も言及することもなく終える本であり、そんな本が日本側から出版されたのですから、彼等にとっては願ってもないことだったでしょう。
 
 「あの戦争に何故負けたのか」は不思議な本です。それは、何故戦争が起きたのかについての分析らしいものが「三国同盟」を挙げる程度で全く抜け落ちているからです。第一、戦争というものが複数の国によって行われるものであり乍ら、日本以外の国、特に日本の主要敵国であったアメリカの政策、意図、行動についての分析言及が皆無に等しいのです。そして何よりも不思議なことは、それが、現在の「言語空間」(後述)の中でのみ議論されていることです。この本の中で個々の戦闘についての議論が精緻になればなる程、以上の奇妙な点、即ち重要な点の欠落が浮彫りにされるのです。尚この「言語空間」と言う言葉は後程説明しますが、「あの戦争」の評価にとって最重要な言葉になります。

1.小泉少尉の警告
 阿川弘之氏の代表作の一つ「春の城」(昭和28年発表)の中に、印象的な場面があります。それは戦争末期の漢口(中国)。アメリカの大学留学中に日米開戦となり、交換船で帰国、海軍入りしてきた小泉少尉が主人公の小畑中尉(阿川氏自身をモデルとしている)に語る、次の言葉です。

 「アメリカが妥協的な動きを示すなんて思ったら、とんでもない間違いだと思うんです」

 また、特攻隊の志願者の募集があったらどう対するかに小畑中尉が

 「私は開戦の時、この戦争になら命を投げ出せると思ったんだ、そして今でも勝つ為にーー勝てなくても出来るだけ日本に有利な道を拓く為に働きたいという気がするんだけど、募られて特攻隊の志願が出来るかと云うと、正直に云ってひどく迷うだろうな。何とか偽善的な理屈を並べて、遁れようとするかも知れない」と述べるのに対して、小泉少尉はこう答えます。

 「そうですか。私はいくなあ。行けますよ。アメリカは必ずあらゆる悪どい手段で徹底的にやってくると思うんだ。日本はアメリカに占領されたら完全に骨抜きにされますよ。それを守る為なら行けるじゃないですか」

 この文章は阿川氏の当時の気持ちと会話内容てあったと考えます。戦争後8年間の世の激変の中で阿川氏自身の考えは変ったのかも知れませんが、戦時中の氏自身の気持ちと、小泉少尉のモデルとなった戦友の言葉はそのまま再現していると信じられます。

 阿川弘之とはそういう作家です。阿川氏は志賀直哉最後の弟子として神の如く尊敬し傾倒し、志賀直哉の最期を見守った。阿川弘之はその伝記「志賀直哉」を執筆しています。そこでは、自身があれ程尊敬傾倒した志賀直哉を、ここまで書くのかと思う程、不都合な事もそのまま記しているのです。

 志賀直哉に対してまで「事実」については筆を緩めなかった阿川氏であることを考えれば、この「春の城」では、小説家志望の文学青年で戦争、陸軍を嫌悪していた小畑中尉(阿川氏自身)が「この戦争には自分の命を投げ出せると思った」と書き、憧れの米国留学中に帰国し海軍に入り、「アメリカはいいですよ」と時に語る小泉少尉が 「戦争に負けたらアメリカはあらゆる悪辣な手段で日本を必ず骨抜きにする。それをさせないために求められれば自分は特攻に参加する」と答えたと記しているのは大変重みのあることなのです。

 然し、今日、戦争前、戦時中の若者がそんな気持ちであったということは「春の城」以外では目に触れることは皆無に等しい。これは一体どうしたことなのでしょうか。

 戦争が終わって間もなく昭和23年に小学校に入学した私の記憶では、小学校時代の担任の先生は折に触れ、「今日、我々がこうして平和で暮らせるのも、アジアの国々が独立出来たのも、戦争で亡くなられた兵隊さん達のおかげだ。終戦のご決断を下された天皇陛下のおかげである」と話してくれた記憶があります。

 それが、長い時間を経ていつの間にか、あの戦争で亡くなった方々は「国のために命を捧げた、アジアの植民地独立の為に亡くなった」と語られることがなくなり、「”心ならずも”命を失った」と語られる様になってしまいました。そして、あの戦争は、避けることが(簡単に)出来たのに、愚かな指導者達がそれを怠り、無謀、無益に仕掛けてしまった戦争であった。国民誰もが心の中で反対だったのに、愚かな指導者が、嫌がる国民を引きずり込んだ戦争であり、アジアの国々(当時植民地で国ではなかった)を巻き込み迷惑をかけた戦争であった。と語られるようになり、指導者によっては、「アジアに対する侵略戦争であった」とまで唱えるよになっています。本当に今語られていることが事実だったのか。「春の城」で描かれた日本人は存在していなかったのか。それを解き明かすことこそ「あの戦争の原因」「あの戦争に何故負けたのか」を解く鍵になると考えます。

2.江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」
 昭和54年9月から昭和55年7月まで、文芸評論家の故江藤淳氏は米国ワシントン市にあるメリーランド大学付属図書館プランゲ文庫で、戦後占領時代、アメリカ占領軍が日本で実施した言論検閲と統制に関する資料の調査研究に当っていました。それは、米占領軍が日本で行った検閲書き込み入り、付箋つきの原稿や書信の類との出会いの日々であり、発行停止となった多くの原稿そのままを目の当たりに調査したものでした。

 この調査、研究の結果は氏の著作「落ち葉の掃き寄せ」「1946年憲法」「忘れたことと忘れさせられたこと」「閉ざされた言語空間」に収められてます。

 そこには、正に「春の城」で小泉少尉が「アメリカは凡ゆる手段を使って、必ず日本を完全に骨抜きにする」と警告したそのことが起きていたことが実証されたのであり、今更ながら「春の城」に驚嘆させざるをえないのです。

 それは江藤氏が調査、研究するまで戦後実に30年以上も日本人に知られることもなかったことにアメリカという国の恐ろしさを感じない訳にはいきません。

 ここで、戦争直後の出来事を吉川弘文館の年表などを参考に拾ってみます。

(昭和20年)
11月:サイクロトロンの破壊命令、航空に関する研究の禁止
12月:占領軍の命令により、新聞各紙「太平洋戦争史」の連載を開始
   :占領軍の命令によるNHK放送番組「真相はこうだ」の放送開始
   ::占領軍「大東亜戦争」の呼称を禁止
   ::占領軍覚書「国家神道に対する政府の後援、統制、普及の廃止
(昭和21年)
1月19日:連合軍最高司令官による特別宣言書に基づく裁判所条例に基づく極東国際軍事裁判の設置を定める(その根拠はポツダム宣言にあるとされた)
 2月:公職追放例
3月6日:幣原内閣、GHQの憲法草案を「日本政府独自」の憲法として公表
5月3日:極東軍事裁判開廷
11月:当用漢字1850字、新仮名遣い決定
12月:6334制教育体制発表
(昭和22年)
1月:皇室典範・皇室経済法
2月:教育基本法、学校教育法公布
4月:6334制実施

 以上の年表には、米国占領軍による言論検閲、統制についての記載は全く記載されていません。それは後述の米占領軍による言論検閲、統制で最も秘密とされた検閲、統制による禁止秘匿事項であったからでしょう。

 さて、ポツダム宣言は確かに厳しいものが含まれていました。然しどんな法理論解釈からも、それは、占領軍が以上実施した宗教、教育制度、国語政策にまで手を加える権限、などはどこにも含まれていません。まして、言論、出版に検閲統制を加え、日本と日本人を、江藤淳氏の言う「閉ざされた言語空間」に封殺する権限など与えられる筈もありませんし。そんな大それたことは日本人の想像外だったのです。

 ちなみに、以下にご説明しますが、米占領軍は、言論検閲、統制により日本と日本人を完全に孤立させ、世界との間の情報を遮断し、日本人自身の思考を閉じ込めた状態とし、米占領軍の言論検閲、統制の支配、管理下におきました。その状態を江藤淳氏は「閉ざされた言語空間」と呼称したわけです。

 この言論検閲、統制は巧妙を極めたものでした。その構想の大きさが、先ず「日本と日本人を外部世界の情報と完全に遮断する」という桁はずれの構想から始められたのです。例えば、日本のそれまでの教育は、「軍国主義的教育」或は「遅れた教育」とされましたが、米国や欧州の教育の実際の姿は日本人の間から完全に封鎖されていました。だから、日本人はそれを信じる外はなかった。特に当時は進歩的インテリは「アメリカでは」を口癖に占領政策を推進していましたから、だれもが「アメリカではそうだ。そうに違いない」と信じたわけです。後述しますがそれは殆んどが嘘といってよいものであり、その影響は今日でも尾を引いています。(因みに30年前のカナダの小学校では鞭を持って教壇に上がる先生もいたとのことです。)

 又、戦後既に米ソ対立、東西冷戦は次第に熾烈になっていましたが、それを論ずる報道は禁止されていました。

 昭和26年日本はサンフランシスコ講和会議で独立を認められ、翌年の昭和27年4月に発効しますが、当時の南原東大総長をはじめとする学者、言論界、左派社会党などは全面講和論を唱え、サンフランシスコ講和条約に反対しました。東西冷戦の真っ只中、全面講和など現実性皆無であった筈ですが、その様な反対論が一部とは言え支持されたのは、この様な「閉ざされた言語空間」が原因であったと思われます。

 もう少しその巧妙な言論検閲統制を見てみます。

 米占領軍は、言論検閲、統制を30ケ条のプレス・コードにより実施したと、江藤淳氏は著書「閉ざされた言語空間」で述べています。その根幹にあるものは、言論検閲、統制が実施されている事実の徹底的隠蔽でした。

 それに次いで、憲法の制定に占領軍が関与したことへの言及、極東軍事裁判批判、更に日本、枢軸国以外の総ての国に不利な言論、東西冷戦について論ずること、占領軍の日本人女性との交渉についての言及、闇市言及、それら総てが禁止され、最後には「解禁されていない情報の報道」が禁止され、つまり総べての言論が米占領軍により恣意的に統制される体制が出来ていたのです。

 再度申し上げますが、この様な言論検閲は勿論日本が受諾したポツダム宣言の如何なる条項にも一切含まれていません。そんなことが実施されているとは大部分の日本人は知らなかったし、今でも知らない人が圧倒多数だと思われます。。

 こうして、米国占領軍は日本及び日本人総てを丁度、蟻をガラス箱の中に閉じ込めて飼育、観察、管理するような環境を完成させたのです。これが「閉ざされた言語空間」であった訳です。

 こういう「言語空間」の影響は想像以上です。人はその認識の殆んど総てを、実地体験ではなく、他からの情報で入手します。それが占領軍に6年半恣意的に管理統制支配されていた、ガラス箱の蟻の状態であったわけです。

 人間の考え、記憶は意外に脆いものです。

 江藤氏は上記米国での調査中、保管されていた検閲された資料を調査していたのですが、その中に、占領時代に書かれた河盛好蔵氏のエッセイも含まれていました。それは、殆んど戦前戦中の軍国主義への反省で綴られたものですが、ほんの一寸(多分大恐慌以降のブロック経済で日本を排除したことを念頭に置いたのでしょう)米英が日本に経済的な点で配慮があったならとのほんの僅かな箇所が原因で発表が差し止められたらしいのです。江藤氏は早速河盛氏に照会しますが、河盛氏から「全く記憶にない」旨の返事であったとのことです。戦後の激変の中で、河盛氏の占領軍の検閲との戦いの記憶は全く失われていたわけですし、氏の思想にも変化が生じていたのかもしれません。

 人の記憶や、考え方はかくも移ろい易い脆いものらしい。

 吉田満氏の「戦艦大和の最期」の一番初めに書かれた文章は発行禁止になり、吉田満氏は何とか出版許可を得ようと求め、何度も書き直し、とうとう出版にこぎつけます。然し出版され現在も書店に並んでいる「戦艦大和の最期」は最初に書かれたものとは全く異なるものとなっていました。江藤淳氏は吉田氏自身の保持していた精神的なものもいつの間にか、失われたとしていますが、読み比べてみれば誰でもそれはが点が行きます。敢えて個人的な感想を述べれば、一番最初の「戦艦大和の最後」には「春の城」の香りが強く漂っていますが、許可を受けて世に出たものにはその香りは皆無となっています。

 米占領軍、米国が残したものは斯くも徹底した厳しいものでした。

 更に占領中期になると、占領軍は狡猾にも検閲方法を「事前検閲」から「事後検閲」に変えます。これで報道機関、出版社は自ら事前に自己検閲して、事後検閲で引っかかり、膨大な損失が出ないようにする。自己検閲の効果は、占領軍が行っていた事前検閲よりも厳しいものになりがちであったらしい。これは占領が終わった後も日本の言論出版界に定着存続していると江藤氏は述べています。

 先に述べましたが、占領期間中の小学校の担任の先生の戦死者への追悼と今日の首相の追悼の言葉は全く似て非なるものであり、それがむしろ占領が終わってからの長い時間に刷り込まれたことに注目せざるを得ません。

つづく