教育文明論の感想(三)

ゲストエッセイ
武田修志 鳥取大学教授 ドイツ文学

 平成二十五年も余すところ数日となりました。
 お変りなくお元気で御活躍のことと拝察申し上げます。
 こちら鳥取は今日は朝から猛然たる雪降りで、瞬く間に四、五センチの積雪になっています。

『西尾幹二全集第八巻』を読了いたしましたので、ひとこと感想を申し述べます。

 この大冊は、先生ご自身が後記でお書きのように、一つの精神のドラマですね。一九八十年代の十年余りの月日を、日本の教育改革のために、情熱の限りを尽くして孤軍奮闘した精神人の記録です。この全集第八巻に収められた御論考はかつてほとんど拝読したことのあるものですが、今回全編をまとめて読み直し、当時の先生の気迫に圧倒されるような思いが致しました。

この長編物語の中で、今回一番心に刻まれた場面は、先生がその大部分をお書きになった「中間報告」の原稿を、文部官僚たちが膝詰めで先生に書き直しを迫ったあの場面です。先生ご本人のみならず、読者まで胸の痛みを感じるシーンです。審議会委員が削除をもとめているわけでもない文案に手を入れたり、削除したりする、これはまさに思想の検閲ですが、更に、深夜先生一人を、座長以下係官十名余りが取り囲んで、先生の文章の上に直接抹消の線を引いたコピーを渡して、一語一語、一文一文書き直しを迫るーいったいこれは何だと、今回改めて憤りが噴出してきましたが、ここで冷静に考えてみますと、この時こそが、先生が十年の間、情熱を傾けて戦われた「敵」との決戦の時であり、主戦場だったのだと思います。先生は屈辱によく耐えられて、先生にできる限りの勝利を勝ち取られたのです。もし先生があの場面で席を蹴って、退席してしまわれたら、先生ご自身がお書きのように、「中間報告そのものがさらに全面的に骨抜きに」なっていたことでしょうから。「中間報告」が文体をもった、肉声の聞こえる文書として公にされたというだけでも、当時あの冊子を読んだ人には、ある感銘を今に残して無意識のうちに影響を与えていることでしょう。

先生はこの孤軍奮闘のドラマの最後に、こう書いておられます、「私は『価値』を問題にしていたのだ。『価値転換』を問題にしていたのだ。ところが、諸氏はすでに存在する一定の価値の範囲における制度の修正、ないし手直しを考えていたにすぎない」と。これは、このドラマの締め括りの言葉として、誠に的確なものだと思います。全編を読んで、まさにこの通りだと思いました。

 文部省の有能な係官たちがどうして、審議委員が問題にしなかった先生の文案を、なんとしても改竄しなければならないと考えたのか。彼らの歴史理解、人間理解が、日教組風な歴史理解や人間理解に染まっていて、先生の理解に密かに違和を感じ、敵意を燃やしていたということもあるでしょうが、根本的には彼らは、個の価値を尊重し、創造性を最も大事にする先生のような生き方をこそ、否定したかったのではないでしょうか。それというのも、彼らは先生に対して、文案の語句を直すという形で迫ったきたわけですが、本当のところは、(彼らが意識していたか、していなかったかは分かりませんが)先生の文章の文体をこそ改変したかったのではないかと思います。文体というものは、筆者の人間そのもの、筆者の生き方そのものだからです。

思えば、先生とお付合い頂くようになりましたきっかけが、『日本の教育 ドイツの教育』を、この書が出版されましてからすぐに、読んだことでした。先生のお若い日の御論考「小林秀雄」を「新潮」紙上で拝読しましたのは、私が大学一年生か、二年生の時でしたが、『日本の教育 ドイツの教育』に出会ったときは、私もすでにドイツ語教師になっていて、三十代の初めでした。この新潮選書を読んで、ドイツ文学者にもこういう本の書ける人がいるのだと、強い憧れのような気持ちを抱いたことをよく覚えています。ドイツ文学者が扱うテーマとして非常に斬新であり、また文章が学者風の重たくおもしろみのないものではなく、はぎれよく、味わいがあるー「この人は自分の手本だな」と思ったものです。その後、ある医学部の二年生のクラスで(当時はまだ医学部の学生は第二外国語を八単位学んでいました)、先生のドイツでの御講演をテキストにしたものを取り上げ、一方、日本滞在の長いあるドイツ人の日本論をドイツ語で読み、これを先生のテキストと比較して、感想を書くよう課題を出し、私自身も多少長い感想を書きました。そして、学生と私の「レポート」を先生へお送りしましたら、先生にたいへん喜んでいただきました。その後先生からはたびたび御著書を送っていただくようになり、私は先生の熱心な読者になったのでした。今回も全集第八巻を通読しますと、例えば「教育はそれ自体を自己目的とする無償の情熱である」という意味の言葉が繰り返し述べられています。更に先生はまた、94ページでこうもおっしゃっています、「私が教育について真っ先に言いたいのは、教育家が学校教育についてつねに謙虚になり、限界を知って欲しいということである。教育はつまるところ自己教育である。学校はそのための手援けをする以上のことはなし得ないし、またすべきでもない。教育はなるほど知識や技術を超えた何かを伝えることに成功しなければ教育の名に値しないが、しかしまさにそれだからこそ、われわれが聖人君子でない以上、学校教育は知識や技術を教えることに厳しく自己限定すべきだと私は言いたいのである。」これらの言葉は、先生の教育についての基本理念と言っていいものだと思いますが、これはまた、こういうふうに先生から教えを受けて、、私が教師生活の中で、いつも忘れずに肝に銘じていた考えです。私は教師になって今年で三十九年になりますが、私の教師人生は、こういう先生のお考えをどういうふうに教室で具体化するか、そのことに終始したように、今、感じられます。教師としてのありよう、教育についての考え方等、先生の御著書をいつも参考にして考え、実戦してきたように思い、今回改めて先生への感謝を新たにしているところです。

 今回の全集第八巻が単に「教育論」と題されずに、「教育文明論」と銘打たれているところに、先生の思いがひとつ表れているかと思います。私の勝手な理解では、この書を単に一九八〇年代の教育改善のための具体的提案や議論の記録として受け取らずに、近代の新しい段階へ踏み出して行かねばならない我々日本人の生き方を問うた書と受け取ってほしいという意味ではないかと思います。この新しい近代では、重要な近代概念の二つである自由と平等がどのようにパラドキシカルに理解されることになるか、その理解を誤まれば、教育も社会もある袋小路へ迷い込んでしまうであろう、と。そういう意味で、この書における先生の御奮闘の姿は、少し距離を置いて見れば、(先生も自覚なさっているように)時代の先を一人行くドン・キホーテの姿と見えるかもしれません。そして、このドン・キホーテの理想は、三十年前には半ばしか理解されませんでしたが、おそらく次の世代において、日本の教育と日本人の生き方が問い直されるとき、よみがえってくるのではないでしょうか。それ故、今回、先生の教育論の全論考がこういう全集の一冊という形でまとめられたのは、のちのちのために非常によかったと思います。

 いつものようにまとまりのない感想になってしまいました。
 今日はこれにて失礼いたします。
 よいお正月をお迎えになってください。

平成二十五年十二月二十八日

教育文明論の感想(二)

ゲストエッセイ
岩淵 順 大学院生

拝啓

 西尾幹二著作集三部作の一冊目が刊行され、さっそく私も購入いたしました。現在修士論文の作成と平行しながら着々と読み進めていて、あと少しで読了するとこまで来ています。どの章もどの章もとても知的好奇心が刺激され、且つ色々と考えさせられることが多くあります。

 その感想もいずれまとめて御報告できると思いますが、まだしばらくはこれまで読んだ著作の感想の方を述べていこうかと思います。今回ご報告するのは、『日本の教育 ドイツの教育』を読んだ感想です。

 この本に関してはちょっとしたエピソードがあって、実は手に入れた場所が日本ではないのです。それはどこかというと、今年の春休みに海外旅行で行ったタイで購入したものです。タイ東北部のチェンマイという町で、たまたま見つけた日本食の食堂に行った時に、日本の古本を売っている本棚が何個か置いてあり、その中で見つけたのでした。

 どうやら、そこのタイ人の女性の旦那が日本人で、その人が日本で集めたものを置いていたらしいのですが、まさかこんなところで日本の書籍に、それも西尾先生の著書に出会えるとは思ってもいなかったので、非常に驚いた出来事でした。

 ちなみにそこにはなんと、あの小堀桂一郎先生の『東京裁判の呪ひ』と、あの伊藤隆先生の『昭和史をさぐる』までが置いてあって、これ幸いとばかりにその二冊も購入しました。

 こんな場所でこんな良い本が手に入るとは、随分と好い機会に恵まれたものだと上機嫌でホテルに帰ったことを覚えています。ちなみに、その日本人男性はかなりのインテリだろうと思われるでしょうが、実際はどうもタイ人女性の「ヒモ」をやっているように見受けられました(食堂の空いている椅子に座って終日テレビを見ているだけの生活をしていましたから)。

 というわけで、この本はそのタイ旅行中に読んだものなのですが、実は教育についての本というと、どうも真面目で堅苦しいイメージがあり、最初はそんなに面白いものではないだろうとあまり期待しないで読み始めました。

 ところが、実際に読んでみると、おもしろくないどころではなく、非常に興味深い内容でたちまち夢中になって読み耽ることになりました。

 ドイツの教育制度との比較によって、日本の教育制度の構造が浮き彫りにされ、どこに問題点があるのかということが、とても良く理解できる内容でした。

 教育の平等化をより徹底させようとすると、かえって学校間に差別が出て来てしまうという逆説は、非常に見事な洞察であったと思われます。

 学校のレベルを細かく意識するというのは、まさに私の経験にそのままあてはまることでした。私は進学競争の病理にどっぶりと漬かっていて、その中でさんざん苦しめられてきた類いの人間だったので、この西尾先生の分析にはいちいち思い当たる事ばかりでした。

 大学を受ける時に、少しでも偏差値の高い大学へ行く事に異様に執着し、本当に細かい数字で大学にランクを付けて、また、それを自分のアイデンティティにしようとして、大学の偏差値に対して、今から考えると滑稽なほどコンプレックスを感じていました。

 ついでに、私は会社勤めを一年半程した経験があったので、企業に関する分析に関しても、本質をよく突いていると感心していました。短い期間でしたが、私が実際に会社の中で体験したことを、西尾先生の推察は驚くくらい的確に捉えていたと思います。

 あまり物事の道理をはっきりとさせず、あいまいなままで上司の意向だけが通って行くというのは良くあった事ですし、仕事が出来る出来ないよりも、人当たりの善し悪しや、協調性等で評価される比重がかなり大きかった事を覚えています。(ちなみに私は、昼休みに他の同僚と一緒に昼ご飯を食べに行かないという理由で、協調性に欠けるという勤務評価をもらった事がありました)

 ある一定のレベルの大学を出たという事で、それが暗黙のステイタスのようなものになっているのを感じた事もあります。(役員との交流会の時に、役員の一人が「これからは、学歴も年齢も関係ない時代になりますよ」といっていたのですが、新入社員の学歴を見ると全員いわゆる「日東駒専」以上になっていて、其れ以下の大学出身者はおらず、さらには名簿の並びが年齢順(大学院の出身者がいた)の五十音順に並んでいました)

 この本ではすでに、日本の教育の最も核心となる問題点を明らかにしてしまったので、問題を解決する方法についても、議論の余地はないように思われます。

 無理に平等にしようとするから、返って差別が強調されることになるわけで、西尾先生が提案した、逆に少し差別を作った方が良いという論が、問題を解決する最良の方法だと思います。

 最初からある程度の差別があれば、案外と差別を意識しなくなるというのが人間の心理ではないでしょうか。ドイツの教育現場を見ると、差別があって当たり前という社会の方が、人間の心が安定している状態にあるというのがそのことを証明していると思います。

 競争が人間性を損なわせるとは限らないという意見も、私は高校の時の経験から納得できます。実は私は高校ではいわゆる劣等生だったのですが、そんな私に対して、学年で上位に入るような、いわゆるエリートといったタイプの人間の方が、成績の善し悪しに関わらず対等に接してくれたのです。

 まん中よりもちょっと上くらいの人間でも、同じような感じだったと思います。それに対して、ひどかったのはまん中よりも下の部類に入る人間、あるいはもう少しで劣等生になるかならないかといった人間です。

 そいつらは自分たちが感じている劣等感をごまかすために、露骨なまでにこっちを見下す言動を、ことあるごとに投げかけて来たものでした。おかげで一時は登校拒否のような状態にまで追い込まれたこともありました。

 しかし、最後は開き直って、「いくらこちらを馬鹿にしたところで、お前もたいして勉強できないということは変わらないだろう」と言ってやったら、さすがにこたえたらしく、その時は激昂していましたが、それ以後は何も言って来なくなりました。

 というように、競争社会においては、下になる人間の方が、自分のアイデンティティを保つために、(努力する代りに)さらに下の人間を叩くという構図になっていて、案外と上の方の人間の方がしっかりした人間だったりするものだと思います。

 ちなみに、私も中学校までは学年でも上位に入るような人間だったので、その時の経験からいって、決して勉強の出来ない人間を馬鹿にするような態度は取らなかったと断言できます。だいたい、自分が努力してより上を目指すということに夢中で、下の人間のことをそんなに意識する余裕が無かったと思います。

 以上のような事から、日本の教育の問題は平等化の行き過ぎであるという事は明らかであり、その解決の為には、多少の差別を容認するしかない、そのことをしっかりと認識する必要があると思われます。(落ちこぼれる人間の問題もありますが、私のようにどん底の状態に堪えて、そこから這い上がってきて、ちょっとやそっとじゃへこたれないという精神力を身につける場合だってあります。エリートの方がその点が弱かったりしますよね)

 ところで、これは余談になりますが、このさい思いきって書いてしまおうと思います。それは、大学のゼミでこの本を話題に出した時のエピソードです。

 私の指導教官なる人物に、西尾先生の書いた『日本の教育 ドイツの教育』という良い本を最近よんだという話をしたところ、私も昔読んだ事があるとの返事が返って来たので、ああ、読んだことあるのですかと問い返したところ、その次に予想もしなかった返事が返って来たのです。彼女がいった言葉はこうでした。
「あれって、ドイツはすばらしいと言っている本でしょ?」
一瞬面喰った私は、思わず「はあっ!?」と聞き返してしまいました。いったいどこからそんな意見が出て来るのか、あまりのことにあっけにとられてしまい、何と反論すればいいのか分らない状態でした。

 いや、だってですね、西尾先生の書いた著書からは、一番遠く離れていて、むしろそうではないということをライフワークにしてずっと主張してきたはずなのに、その著書を読んだ人間からまさかそんな言葉が出てくるなんてとても予測できません。

 私はべつに自分の指導教官を軽蔑して喜んだりするような行為をしたいとは思っておらず、むしろ尊敬できるのなら積極的に尊敬したいと思っている人間です。しかし、こんなことを言っているかぎりは、そうもいかないというのが実際のところです。

 いったいこの人は何を読んでいたのでしょうか。どこをどう読んだら、ドイツを賛美している本であるなどという感想が出てくるのですか。どこにもそんなことは書いてないじゃないですか。

私はこの『日本の教育 ドイツの教育』という本は、ドイツの教育制度と比較しながら、日本の教育制度の問題点を見事に描き出した名著である、と思っています。
 
 その本に対してこんな的外れの解釈しか出来ないということは、これはもう文章読解力に欠陥があると断定されても仕方がない事だと思われます。

 ちなみに、私はもともとこの人には不信感を少なからず持っていたのですが、この出来事によってそれは徹底的なものとなりました。この人の経歴は、東京大学の“教育学研究科”を出ていて、専門は“ドイツの家族社会学研究”ということになっているのです。不審に思いながらも、どこかちゃんとしたところもあるはずだと思っていたのですが、どうやら根本的にダメだったらしいということが証明される結果となりました。

 それにしても、西尾先生が述べられていたもので、本というものは、読者に読まれて初めて価値が出てくるものであるという考えがありましたが、この出来事はまさにその考えが正しいことを証明するエピソードだったと思われます。

 読解能力の無い人間が読んだ場合には、いくらすばらしい名著であっても何の役にも立たないということを、このエピソードは見事に物語っていると思われます。私自身も、まだ西尾先生の著書の価値をすべて自分のものにしているとは思っていないので、もっともっと有効活用できるようにして行きたいと思います。

(追記)
 ところで、江戸時代の教育についてこれを読むことによって、それまでに抱いていたものとはかなり違う印象を与えられました。

 江戸時代の武士の教育というと、『葉隠れ』に代表されるような、「武士道は死ぬことにあり」といった、観念論に終始しているようなイメージを持っていました。

 しかし、実際はもっと現実的で実践的な教育観を持っていたというのを読んで、とても意外であるという感想を持つと共に、このような事実があったとしないと、明治以後の急速な実用主義への傾倒を説明することは出来ないのではないかとも思いました。

 幕末について語る人間がよく使うフレーズに「夜明け前」というのがあり、日本人は明治維新によって、それまでは全く暗愚であったのがいきなり啓蒙されたような語られ方をしてきました。

 しかし、西洋の思想に触れたとたんにいきなり変わってしまうというのでは、あまりに日本人及び日本の文明を軽く見すぎているのではないでしょうか。自主性というものがまるでなく、まるっきり馬鹿扱いしていると憤りを感じます。

 これと関連した話で、坂本竜馬が勝海舟の弟子になる時のエピソードがありますが、あれもどうかと思います。けしからん奴だから斬ってやろうと思っていたのに、会ったとたんに感化されて思わず弟子入りしてしまったというものですが、これも随分と竜馬を馬鹿にした話だと思います。

 そんなにコロッと変わってしまうなんて、なんて主体性の無い人間だという印象を抱きますし、第一、それまで斬ろうと思っていた自分は一体なんだったのかと思ってしまいます。(おそらくこのエピソードは、後になって誰かが創作した俗説だと思われます。竜馬関連の話は十中八九がこの手のものではないかと睨んでいます。坂本竜馬という人物は持ち上げられ過ぎている気がします。本人も迷惑していることでしょう。)

 実際は勝海舟はかなりの人物らしいと、事前に竜馬は知っていた上で会いに行ったというのが実際のところらしく、それと同じように、江戸時代にも実用主義に通じるような思想がすでに用意されていたと考える方が自然であるかと思われます。

 常識的に考えれば、やはり歴史とは連続しているもので、何も無い所からいきなり新しい思想が生まれてくるということは、まずあり得ないことだと思います。

 とするならば、明治維新が起こる前に、すでに教育に関する徳の衣更えは完了していて、日本の近代的学校制度はその延長線上に成立したとする考えにも、私は無理することもなく納得することができます。そうでないと辻褄が合わないし、やはりこれは非常に鋭い考察だと思います。

 そのことに加えて、驚異的に教育が一般化した原因として、“村落的メンタリティ”に注目したことが非常に印象的であり、かつ説得力のある考察だったと思います。

 結論からいって、この考察は全く当を得た指摘だと思います。なぜならば、日本人のメンタリティというものは、底流では全然変わらないものだという確信があるからです。

 色々と外的な要因がいわれていますが、所詮は表面的なお題目にすぎず、実際に日本人が行動する時の動機は、だいたいが無意識の「日本的な感情」から派生しているものがほとんどであると見ていいかと思われます。

 現代に目を向けてみても、「自由」とか「平等」などの空疎なお題目をたいした主体性もなく唱えて喜んでいる人間にかぎって、自分というものが確立されず、結局は旧い因習にすがるしかなくなるというのが、大体お決まりのパターンであります(それだったら、最初から普通の生活を送っていた方が、ほっぽど個性的な生き方が出来たのではないかと思ってしまいます)。

 戦前を否定して「進歩主義」を唱えていた多くの日本人が、その裏でもっと旧式の“村落的メンタリティ”に嵌っていたとしても、別段あり得ない話ではありません。意識していないだけに、逆にその作用をもろに受けてしまうものと推察します。

 この“村落的メンタリティ”の作用は、日本社会の隅々に根付いていて、あちらこちらでそこから派生した現象が観察できるものと思われます。どこまでも日本人の行動に影響を与え続けていくのではないでしょうか。

                              敬具

『西尾幹二全集第8巻 教育文明論』の感想(一)

 西尾幹二全集の次の配本がそろそろではないか、どうなっているのかと知友から質問されだしている。たしかに昨年末までに出版されていなくてはならない約束であった。じりじり遅れている。

 第9巻『文学評論』は2月末頃の刊行となる。2ヶ月遅れた。作品の単なる集合ではなく、再編成、再生であるうえに、分量も多い。仕方がなかったのだが、こんなふうに遅れると、先が思いやられる。たゞ編集部は、一年4巻はスケジュール的にとうてい無理なのだとも言っている。私が並行して他の活動も捨てないからである。ご理解いたゞきたい。

 第8巻『教育文明論』について三人の方から感想文をいたゞいた。最初は山形県南陽市の公認会計士・高石宏典さんからで、以前より私の教育論にご関心が高かった方なので、感想文を寄せていたゞいた。

 大学院で勉強中の岩淵順さんは『日本の教育 ドイツの教育』についての独自の体験を、また鳥取大学教授の武田修士さんは全集が出るたびに全巻を読破し、感想を寄せて下さるので、今回も心のこもった一文をちょうだいした。

 以下に三人からのご批評文を順次掲示させていたゞく。

ゲストエッセイ
公認会計士 髙石宏典

 『教育文明論』は後記を含めると800頁余りに及ぶ大分量の巻であり内容的にも広がりが大きいが、私が西尾先生の教育を論じた諸著作の中で予てから最も共感し共鳴していたのは教育観に関する以下の言葉であった。

「何度も言うが、教育は自己教育であって、自分で自分を発見していく行為である。それは各人の自由な魂の内発性以外に何も期待しない立場であって、制度上の自由などとはまったく無関係である。私のこの立場はある意味では極端な理想論だともいえる。」(『全集』298頁、『日本の教育 智恵と矛盾』14頁)

 その共感と共鳴は今でも変わっていない。私が最初に教育は自己教育だと痛感させられたのは、昭和50年代前半の高校生時に遡る。県立高校入試の国数英3教科得点合計で9割前後は出来た私が、その4か月後に実施された高校最初の全国規模の3教科模擬試験では5割強しか得点出来ずに大きな衝撃を受けていた。その一方で、満点に近い点数を獲得した国立高校や私立高校の秀才たちもおり、明らかな学力差が私の気分をさらに暗く重くした。私の出身高校は当時、山形県内で二番手が定位置の進学校であったが、この程度の得点でも上位2割以内の校内順位だったのを覚えている。思えばまさにこの時から、私は否応なしに大学受験競争に巻き込まれ偏差値思考に毒され始めていくことになった。

 教師たちからはこの試験結果について何の説明もなく、私は必要以上に劣等感に悩まされた。未履修の内容が試験で問われていたのだから出来なくて当たり前だったのに、なぜ「気にしなくていい!」の一言があの時なかったのだろう。この厳しい結果と現実から、私は教科書を出来るだけ先へ先へと自分で予習することが肝心だと考え実践しその他にも試行錯誤を繰り返して自分なりに頑張ったが、どう勉強すれば受験に有効なのかその方法をつかみ切れないまま時間は過ぎ、入れる大学に入学して高校生活を終えた。

 「日本の学生は入りたい大学に入るのではなく、入れる大学に入るにすぎない。ごく一握りの大学生を除いて、他の大半の大学生は、厳密に考えると不本意入学者である。これほど不幸で不毛な教育をしている高等教育は世界に他に例がない。」(『全集』589~590頁、『教育と自由』162頁)

 西尾先生が仰るように、私も不本意入学者の1人で偏差値思考に囚われ屈託を抱えて生きていた。それでも、私が入学した昭和50年代後半の国立大学の場合、出席をとらない講義や課題レポート提出で単位が取得できる講義も多く、自由で伸びやかで豊満な時間が与えられたことは私にとって何より貴重だった。勉強は強制されるものではなく、個人個人が好き勝手にやればいいという高校とは好対照の雰囲気が私にはありがたかった。私はこれ幸いとばかり講義にはあまり出席せず、面白いと感じた経済学や会計学などの専門書を基本的には独習して知識を得、大学の試験等に対応した。講義に出なくても成績が悪かった訳ではなく、4年間ほぼ全額の授業料を免除された。西尾先生のご本と出合ったのも大学生の時で、このことは当時の大学の自由で長閑な雰囲気とあり余る時間があればこそだったようにも思う。

 以上のような私の経験に照らして日本の大学が「不幸で不毛な高等教育」だとは必ずしも思わないが、以下の先生の文章から分かるように欧米の大学教育の厳しさは日本のそれとは余りにも対照的で、殊に学問の発展という観点からすれば日本の大学教育は明らかに甘すぎもはや機能不全に陥っていると考えるべきなのかもしれない。

 「ドイツの大学には試験がない。講義は聴きっぱなしである。市民公開講座となんら変わるところがない。試験がないから、成績もない。成績がないから落第とか、及第ということもない。学年も、在学年限もないのだから、卒業ということもない。何年籍を置いて講義を聴いても、それだけでは何の資格も得られない。(中略)結局、なんらかの資格を取るには、学生は大学の定むるところを当てにはできず、ゼミナールでいい発表をして教授に認められて、上級ゼミナールにもぐりこみ、学位論文を受理してもらうか、さもなければ各種専門職の資格を保証する国家試験に合格するか、いずれかの道を歩む外はないだろう。」(『全集』149~150頁、『日本の教育 ドイツの教育』129頁)

 「アメリカの大学では、競争は入学時の一発勝負ではなく、入学後に始まる。進級の選別は厳しく、落第や退学は遠慮なくどしどし行われる。公立大学には格差があるので、成績いかんで上位の大学へ転出できるし、また成績が芳しくなければ下位の大学へ移動しなければならない。これは「転職」を恥とせず、そこに積極的な人生の意味を見出しているアメリカの企業社会人の生き方と、つながっている。」(『全集』250頁、『日本の教育 ドイツの教育』259頁)

 ドイツとアメリカの大学は何て平等で自由で公正なのだろうか。ドイツの大学は何て厳しいのだろう。ドイツの大学生はこうした孤独と自由に本当に耐えられるのだろうか。アメリカの大学は厳しくても何て親切なのだろうか。ドイツとアメリカの個人主義に立脚した大学のあり方やその後のこれら外国人の生き方は、大学が学歴ブランドで楽園に過ぎずその後は企業等の集団に帰属する日本人的な生き方と何と対照的だろうか。私はこんな風に率直に思わずにはいられない。楽園としての私の大学4年間はあっという間に過ぎたが、その後には、先生が『ヨーロッパ像の転換』で記された以下のような疑問が残っただけであった。

 「一体いかなる恐怖心が日本人を闇雲に学校教育へと駆り立てているのであろうか?たえ間ない欲求不満と競争意識に追いまくられて、自足する幸福を喪い、自己はただ他人との比較においてしか価値を持ち得ず、その結果手に入れたものがいったい何のための知識か、何のための教養か、それがいつも問題なのである。」(『ヨーロッパ像の転換』158頁)

 大学卒業後、私は紆余曲折を経て平成元年にようやく公認会計士第二次試験(現行の論文式試験)に合格し、監査法人に就職して社会人となった。会計士試験への対処法は高校や大学時代と変わらない我流であったが、勉強は他人から教わるものではないと固く信じていたのでその信条を貫いた。高校も大学も私にとっては詰まるところ通り過ぎた場所にすぎなかった。また、一般企業への就職を考えなかったのは、ここでこういう仕事をしたいという具体的なイメージが描けなかったからである。就職後、会計監査の実務経験を通して、職員間の相互牽制の下で仕事をするスタイルが自分にはストレスであることが分かり、法人内の薄暗い監査調書室で独り作業をすることが多くなった。それでも何ら咎められもせずに約8年も勤務出来たのは、創業者で公認会計士でもあった故塚田正紀先生の度量の大きさと鷹揚さに因るところが大きかった。仕事という実践教育を通して、私は自分が何者であるかを少しずつ発見し悟っていった。

 私には、半世紀余りを生きて来て、学校や社会との関わりの中でたとえ仮に深い挫折感を経験せずにもう少しうまく立ち回れていたとしても、結局は今のような自営業の立場で独り仕事をする道を選択していたに違いないという確信がある。今の仕事スタイルが私には最も自然な形である。サラリーマンとは異なり仕事上の集団や個人との関わり方はそれ程タイトではないが、それでも日本社会の中で私をして負の感情に陥らしむ二つのものがある。それは偏差値思考と人並意識である。ここで偏差値思考とは他者との比較において自分を相対的に位置づける受験競争によって植えつけられたあの固定観念であり、人並意識とは日本社会の至る所に蔓延している人は誰しもこうでなくてはならないというあの固定観念のことを意味している。私は、この二つの固定観念が日本人の無意識下に潜伏して、日本社会を息苦しくし卑小化し活力を失わせている大きな原因だと考えている。人は本来、自由感と運命感の交差するところにしか幸福感を感じられないそういう生き物ではないだろうか? 保身のみを考えてちまちま生きることは果たして本当に幸福感につながるのだろうか? 少なくとも私は、人それぞれにおいて二つの固定観念に囚われない自由感と運命感の共存する一筋の道がきっとあるはずだと信じている。

 最後に、『教育文明論』を拝読して今なお印象深いのは、西尾先生が第十四期中央教育審議会委員として文部官僚たちと孤軍奮闘された、ハラハラドキドキの臨場感あふれる答申草稿の変貌過程に関する記述であった。私はこの件を胸と胃を締めつけられる思いなしに読み進めることができなかった。自分の文章を相手の意向で勝手に修正されることは、私の経験上、神経を逆なでされるか腸をかき回されるような思い以外にはありえない。西尾先生の心身のご負担は如何ばかりであられたろうか。そして、この『教育と自由』終章の末節において先生が以下の心情を吐露された箇所を拝読した際に、私はニーチェの『ツァラツストラ』における木炭とダイヤモンドの噛み合わない以下の面白おかしい会話を連想していた。二つの引用文ともに価値と価値とが対立している。

 「最終答申が出るときになって、私の努力の大半が空しくなり、肝心な草稿はほとんど削り取られ、置き去りにされるような思いがしたとき、私は卒然と気がついた。私の考えていた教育改革と他の委員諸氏のそれとは何という隔たりがあったであろう。私は「価値」を問題にしていた。「価値転換」を問題にしていたのだ。ところが、諸氏はすでに存在する一定の価値の範囲における制度の修正、ないし手直しを考えていたにすぎない。」(『全集』686頁、『教育と自由』288頁)

 「「なぜそう硬いのか」―― あるときダイヤモンドに木炭がたずねた。「われわれは近親ではないか」―― なぜそんなに軟らかいのか。おお、わたしの兄弟たちよ。そうわたしは君たちにたずねる。君たちは――わたしの兄弟ではないか。なぜそんなに軟らかいのか、なぜそんなに回避的、譲歩的なのか。なぜ君たちの心にはそんなに多くの取消しと中止とがあるのか。なぜ君たちのまなざしには、そんなにわずかしか運命がないのか。もし君たちが運命であること、仮借なき者であることを欲しないならば、どうして君たちはわたしとともに――勝利を得ることができようか。そしてもし君たちの硬さが、光を放ち、分かち、切断することを欲しないならば、どうして君たちはいつの日かわたしとともに――創造することができようか。(中略)おお、わたしの兄弟たちよ。この新しい表をわたしは君たちの頭上にかかげる。「硬くなれ!」――」(ニーチェ『ツァラツストラ』「新旧の表」29 手塚富雄氏 訳)

 人は所詮、この木炭とダイヤモンドのように分かり合えないのかもしれないが、人が理想を持ちそれを信じて生きていくことは必ずしも無意味ではないのかもしれない。ニーチェのこの言葉はそのようにも読めるし、パイオニア精神を持つ人々の長く険しいそれぞれの道のりを暗示しているようにも思える。
                     (了)          

「アームストロング氏の教訓」

 赤塚氏は元福島県立高校の校長先生でした。教科担当は世界史。

ゲストエッセイ
 赤塚公生

 昨年の11月~12月にかけて、西尾先生のお話を直接伺う機会がありました。最初は、岡田英弘著作集の出版祝賀会、後の機会は12月8日の市ヶ谷での講演会でした。
 私は、公立高校で丁度10年間、「世界史」という教科を担当した経験があり、かねてから「西尾世界史像」に多大の関心を持っています。「国民の歴史」は、一万年の縄文文明から現代まで続く日本人の精神文化の連続性、とりわけ、「日本語」の起源と発展について深い探求と考察がなされた名著であろうと思われます。
 「江戸のダイナミズム」に至っては、西洋古典文献学との対比において、江戸の国学・儒学を解析し、併せて清朝考証学を比較参考にするという、(多分、世界で西尾幹二という思想家にしか書けない)離れ業が行われています。
「日本史」と「世界史」を統合した真の意味での「歴史」を考えていく上で、「西尾世界史像」と「西尾幹二が示す日本人の歴史認識」は大きなベースになるものであり、一つの「哲学」として生きてくるのではないでしょうか。

 ところで、暮れから正月の慌ただしさの中で、西尾先生の近刊「同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説くときがきた」を読み進んでいるうちに、「アメリカ人ならどう考えるのか」とふと気になり出しました。そのとき、昔読んだ一冊の本を思い出しました。マイケル・アームストロングの「日本人に感謝したい」という1981年6月に発行された書物です。
この表題は相当に皮肉なもので、趣旨を簡単に言えば「アメリカのプロパガンダと洗脳に唯々諾々と従って、アメリカの世界戦略に協力してくれるナイーブな日本人に感謝したい」というものです。しかし、同時に、著者は、日米関係の「現実」を美辞麗句ではなく直視すべきことを、相当親切に忠告しています。そして1980年代以降、アメリカは、必ず「経済戦争」を日本に仕掛けて来るだろうと予告しています。

アームストロング氏が1981年当時書いていたことの要点は、次のようなものです。これは或いは「アームストロング氏の教訓」と題しても良いかも知れません。

1 レーガン・中曽根「同盟」による「日本の防衛策」は、日本人の汗と金による、アメリカによるアメリカのための「アメリカ防衛策」である。しかし、日本人はそれを「日本の防衛策」と信じ込まされている。
2 アメリカにとって日本は、未だに「仮想敵国」であり、「日米安保は一面占領継続」を意味しているのだが、日本人はその現実をみようともしない。
3 「民主主義」「経済成長」「福祉社会」・・・。こういったものは本来「目標」ではなく「手段」に過ぎない。アメリカの洗脳で、日本人は、それが国家目標たるものと思い込んでいる。アメリカの「目くらまし」に過ぎないのだが、騙されていることに気がついていない。
4 「通産省と民間企業が一体化した日本」などという批判を真に受けている日本人は愚かである。アメリカは、政府と銀行と企業と国家情報機関、シンクタンクが一体化して戦略目標を決定していて、それを経済活動に移そうとしている。数千という軍事衛星もコンピュータ産業も全てそのために活用されている。
5 日本人は「アドバルーン」も「ブラフ」も区別がつかない。海外から批判されると日本のマスコミが「世界から孤立する」と大騒ぎして政府を責め、政府も立ち往生する。これは、外国から見ると楽しい見せ物である。外国政府がその意志を通そうとするなら、「ブラフ」を多用すればいい。「ニューヨークタイムズ」や「エコノミスト」の論説など巧みに米英の国益を底に秘めた、アドバルーンや雑多な思惑に満ちたものなのだが、日本の評者たちはそれを国際基準から見た公正な判断であると勘違いしている。
6 日本の「総合商社」は、アメリカから見れば、ものの数ではない。彼等がある程度利益を蓄積したところで、合法的に乗っ取るだけである。1980年代は、そういう時代になるだろう。既に、アメリカは着々と準備を進めている。

正直なところ、当時、読み進むうちに額から血が引き、冷たい汗が流れたことを覚えています。日本の「総合雑誌」や「論壇」で語られていることとあまりに異なる現実が、説得力を持って語られていたからです。
 しかも、氏の予言は正確に的中していました。レーガン政権と中国共産党は中曽根首相の「美辞麗句」と実際の「政治行動」の乖離、オポチュニストである本質を見逃さず、後の「プラザ合意」「日米経済構造協議」といった経済戦争と「靖国」に象徴される歴史問題での執拗な攻撃を開始しました。
アームストロング氏は、金融に明るく、「俳句」も作るという知日家であったようで、当時、4、5冊、本を出しています。いずれも若き日の宮崎正広さんが翻訳されていますから、宮崎さんはこの方について何か知っていらっしゃるかも知れません。いずれにせよ、30年前に日本人の読者の前から姿を消された方ですから、今、何かお話しを伺うことはできません。しかし、「アメリカの本音」を語っていただくにはうってつけの人物だったように思います。もし、この方が西尾先生の「この本」を読んだときに、どんな感想を語るのか、甚だ興味深く思います。

 さて、「12月26日安倍首相の靖国参拝」をめぐるマスコミの騒ぎは「アームストロング氏の教訓」の一つをまざまざと思い起こさせました。「日本人は、アドバルーンとブラフの区別もつかない」という教訓です。
中国や韓国が何を言ってきても、彼等は、「言ってなんぼ」の国益だけでくるのだから関係ありません。ロシア外務省がああ言ったこう言った。関係ありません。プーチンなど「安倍はやっぱりサムライだ」と内心評価しているだけでしょうし、アメリカ国務省が「失望した」と表明したと聞けば、イスラム世界は安倍首相をむしろ過大に評価することでしょう。こういった国際政治の現実をきちんと踏まえているのは当の安倍首相だけで、日本の一般の政治家やマスコミには決定的に欠けている視点です。

ところで「アームストロング氏の『書かなかった教訓』」が、一つあります。
 アームストロング氏は、「民主主義」とか「経済成長」とか「福祉社会」といったものは「手段」に過ぎず、国家目標たり得るものではない、と書いています。ですが、日本の国家目標が何かとは、当然ながら書いていません。
しかし、中韓の外交攻撃に晒され、「尖閣諸島」では中国との武力衝突も起こりえる今こそ、私たちは、真剣に、そもそも「日本の国家目標とは何か」という問題を考えるべきです。この自覚を明確にすることによって、戦う意志が生まれ、眼の前の事象に左右されない、しっかりとした生き方ができるからです。
 「大東亜戦争」以前は、この国家目標は議論の余地のないほど、はっきりしたものでした。「『国体の護持』と世界の一等国になること」「アジアに新秩序をもたらし、各民族の独立と覚醒を促し、その中で我が国が名誉ある地位を占めること」。こういった目標に疑いがないからこそ、日本という国家は一つにまとまっていました。
 現在であれば、例えば、次のように表現することも可能です。
「我が国固有の文化と伝統を守るとともに、自由と民主主義の価値観に立ち、世界の法秩序を守り、世界の政治経済的安定に貢献して、豊かで個人の意志が尊重される社会と国家を目指す」。面白くもおかしくもありませんが、こんなふうに言うことは可能です。現実の問題として、日本がアジアの民主主義国家であり経済大国として、日米同盟を基軸に据えた上で、中国と並存し、世界の自由と人権を擁護し、貢献する、といったことは、常識的なこととして理解されることでしょう。ただ、中・長期的な政治的課題というべきものが「国家目標」そのものなのか。強い疑問が残ります。

この疑問は、恐らく「日本人としての生き方」或いは「日本という国家の本来的な在り方」が文章に反映されていないためだろうと思います。
それでは、次のような文章は、いかがでしょうか。

 「日本人の魂の伝統的な性格とは崇敬である。われわれは祖先の霊を敬い、内外の和を尊び、誠を貫き、自然にひそむ人間より大きな目に見えぬ意志に謙虚たらんとする。そして、進取の気性、勇気、忍耐、礼節を重んじ、何より名誉と正義の感覚、ときによりて尚武の気風を尊重する。このような日本人としての生き方を基本に、我が国固有の文化と伝統、国民統合の象徴である「皇室」を敬い、自由と人権を尊重し、国際平和を希求することを国家の目標として掲げるものである」

一読してお気づきの方もいらっしゃると思いますが、これは平成14年に「中央公論」が企画した「日本国改正憲法前文」の西尾先生の「私案」の一部を借りて作成したものです。(この原文は「天皇と原爆」157p~に所収されています)

 三十年前に私は、アームストロング氏によって「おまえの考える日本という国家の目標は何なんだ?」という問いを突きつけられました。怠惰な私は、時折思い出すだけで答えを書き付けることはありませんでした。
今、それを私は、一言で「日本人らしい生き方ができる国家」と答えたいと思っています。実は、後期水戸学の「尊皇攘夷」も「国体の護持」も、その根底にある精神は「日本人らしい生き方をする」ということでしかない、と思えるのです。
「経済大国」「世界の安定のために利害を調整できる国家」「国民に自由で豊かな生活を保証する民主的な福祉国家」などというものは、全て、その結果に過ぎない。それ自体、二次的、三次的な目標でしかない、そんなふうに思えます。

 本文は、西尾先生の「同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説くときがきた」の感想を書くつもりで書き出したものでしたが、アメリカ人の考え方に思いをめぐらせるうちに、内容は「アーロストロング氏の教訓」になってしまいました。
 しかし、ここまでお読みいただいた方にはご理解いただけると思いますが、アームストロング氏が30年前に述べている見解と、西尾先生がかねてから展開されている戦後日本人の国際認識への批判は、立場が異なるだけできわめて近いものなのです。
 アメリカ人の中には、少数であってもフェアな精神が息づいている。それにきちんと向き合って、本質的な議論をすれば、立場は異なっても理解と敬愛の念は生まれる。このことは西尾先生が繰り返し述べられていることでもあります。
「日本の戦争の意義を『説くときがきた』」という表現は、まさしく現時点でふさわしいものと思われるのです。

「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因(前稿)」を読んで

ゲストエッセイ 
池田幸二 プログラマ兼中小企業診断士 40代

『正論』2月号感想

 西尾先生のご論稿の主題のひとつは、日本は過去に「歴史の罠」にはまったのである、その罠はみかけほど単純なものではない、わかりきった事だとたかをくくっていると再び足をすくわれるような巧妙な罠である、再び同じ罠にひっかかるな、日本は隙を与えるなということでした。特に日本に悪意を抱いた勢力に対して警戒を怠るなという意味もありますが、善意だろうが悪意だろうが非情な原理で人間を飲み込み翻弄するような歴史の狡知を警戒すべきという意味にも受け取れます。これは恐ろしい真実を突いています。

 内容を一部引用させていただきますと

「現に中国が、のさばってきたのはこのわずか5年ぐらいであって、よく考えると、最貧国が突然経済大国を僭称(せんしょう)するようになってきたのも、単なる力の表われであります。アメリカが対中外交で及び腰なのは、中国から金を借りているからであり、中国という国は国民に金を回さなくても、外交に金を使える国、めちゃくちゃな独裁国家です。アメリカがそれを許してきた。ある意味でそれを誘発してきた、アメリカの自業自得とも言える。自分の失敗のツケが回ってきているとも言える」

(引用者注:米国国債の保有額は中国が日本を追い越した。日本はまず売却しないと見られているが、中国の動きは不明で米国に無言の圧力をかけている)

「わからず屋の中国人や韓国人と、半ば逃げ腰の欧米人、稼ぐだけ稼いでさっさと立ち去る用意をしているアメリカ人やヨーロッパ人。そうして政治のリスクは、常にわが国にだけ及ぶ。百年以上前からそうだったんじゃないでしょうか」

(引用者注:中国は政治的不安定におちいるたびに日本への敵愾心を煽って人民の団結をはかってきた。たとえば1989年の天安門事件で世界の非難にさらされた後に江沢民などは徹底した反日政策、すなわちメディアや教育を塗り替え、反日ドラマ、反日モニュメントなど反日一色の政策を促進した。当時の日本は不運にも朝日新聞などの全盛時代であったため朝日等が中国共産党に加勢して中国の反日をさらに煽った。それら日本国内での反日勢力の言動は、中国の反日に一種の正当性を与えてしまい、世界では「中国が怒るのも無理はない」と考えるメディアも続出した。ちなみに江沢民などらは、今年スペイン裁判所により、中国でのチベット族虐殺に関与した容疑で逮捕状を出されている。日本の反日左翼は、現代中国の少数民族虐殺や国内の深刻な人権弾圧、それに数百個の核弾頭で他国を脅迫する大国覇権主義などを棚上げして、日本の歴史を中国や韓国と協同で攻撃してきたのです)

 これらの箇所では、歴史の罠がしのびつつある不気味さを感じました。中国での猛烈な反日暴動など、どこ吹く風であるかのように、欧米の新聞社は、日本を酒の肴にして日本のナショナリズムがどうのこうのと揶揄して、日本を見下すステレオタイプの説教をしながら高みの見物を決めこんでいます。この馬鹿げた風潮も戦前とおそらく同じなのでしょう。また北朝鮮や韓国が錯乱的外交と悪あがきを趣味とする場末の国家であることも当時と同じ状況かもしれません。

 国家間または民族間の歴史観の争いは、最高裁判決のない永久的裁判を闘っているようなもので、過去の歴史に現在の歴史が積み重なって、たえず見直しと変動が繰り返されていきます。中国や韓国のような先進国の仲間入りを狙って、G8サミット(主要国首脳会議)にアジアから唯一参加している日本を羨望し追い落としをはかってきた国が、たえず日本の歴史観を攻撃し、それを日本国内の反日左翼(戦後日本の経済的成功や政治的成功を常に恨み、非常識な日本非武装中立化を推進するなど、たえず日本がまともな国際的地位をしめないように邪魔をしてきた怨念グループ)が側面支援するという構造になっています。

 戦後日本人の歴史観に大きな影響を与えた左翼の歴史観は共産主義イデオロギーや東京裁判に沿ったものであったわけですが、それらの洗脳を受けなかった多くのすぐれた知性をもった日本人が様々な証言を残しています。戦争にいたるまでの複雑性については、たとえば当時を生きた竹山道雄によって、すでに昭和30年代(「新潮」S38.4)に悔恨をこめて下記のように整理されています。

(引用開始)

対米・対世界開戦も、すでに昭和16年秋となっては、だれがやってもああなるより外はなかった、と思われる。むしろ、それまでの10年間の乱脈と無能と近視と思い上がりのつみ重ね、それに不公正な世界分割とある程度まではやむをえぬ歴史の動き・・・が加わって、あの結果を生んだ。国内にはデスペレートな開戦気運がはげしく、国外ではアメリカが日本をこらしめようと決意して、最後になっての日本の譲歩をも相手にしなかった。東条首相は他の何人がやっても打開できなかった局面を負わされて、国民の怨を一身に受けて刑死した。

あの時期は世界中の危機で、後進の日本は痛い打撃をうけたが、それをのりきるべくただ過大な軍備をもっているだけで、ほかの体制はできていなかった。世界共産主義の脅威は大きかったが、まだその正体が国民にははっきり分からないままに広い大陸に防共駐兵をした。それが無責任な軍国主義とごっちゃまぜになっていたので、アメリカは小言をいったが、いまはそのアメリカが世界のいたるところに防共駐兵をしている。そして、また、植民地の独立は現代の大勢で、いまはそれがほぼ完了したが、あのころには植民地的権益をもっている国の中では中国がもっとも強かったから、その紛糾がここでもっともはやく始まったといえるのではないかと思う。フランスは富強でアルジェリアは弱かったから、植民地独立の一連の紛糾がここでいちばん遅くおこったのだろう。

内外のさまざまの難問題を背景にしながら、日本はそのむかしから自然の国民的結合の中心となっていた土俗的性格のミカドを、近代的君主にしよう、そして第一次欧州大戦前の自由主義的体制の国になろうとして努めていたのだったが、それもつかのまで、間に合わないうちに危機に呑み込まれてしまった。

(引用終了)

 この後、日本人はこのような枠組みにそって、天皇の統帥権とか、軍部の下克上とか、さんざんとこの辺の内部的な混乱要因を後知恵で掘り下げてきたわけです。けれども、この傾向が日本人の歴史分析をかなり内向きにしたと思います。竹山道雄がすぐれているのは上記のように、あの時期の様相と混乱のメカニズムを深く分析しながら、時代を俯瞰できるすぐれた俯瞰力をもっていたことです。その俯瞰力と日本人としての自覚により、それ以降の叙述が世界の悪意の罠に陥っていった日本の悲劇性をより洞察した表現に深化していったように思います。俯瞰力とは、縦の時間軸つまり長期の時代に沿って歴史を見る俯瞰力と、横の空間軸つまりアジア全体や世界など広域にわたって俯瞰する俯瞰力の二つがあると思います。多くの日本人が西尾先生など歴史的主体性をもった英知に啓発されてすぐれた俯瞰力を今後身に着けていけば、古い時代に培養されて現代日本人が空気のように吸っている洗脳史観を日本人が脱することができるのではないかと希望をもっております。

 わき道にそれますが、日本人が歴史の俯瞰力をもつべきであると痛感した例が、1990年代の従軍慰安婦騒動です。これは日本の反日左翼と海外の反日勢力の合作ですが、当時の日本の政治家が歴史の俯瞰力をもっていなかったために、これら反日勢力に喜劇的といえるほど翻弄された例です。慰安婦騒動は朝鮮人女性の人権を旧日本軍すなわち過去の日本が著しく蹂躙したという発想で糾弾され、現代の日本人が責任を負うべきものとして日本人のプライドは完膚なきほど国際社会で攻撃されました。

 けれども当時の政治家が歴史の俯瞰力をもって朝鮮半島歴史をさかのぼっていれば、日本こそが過去に朝鮮人女性の人権を向上させたのだということを反論できたはずです。(日韓併合は朝鮮人にとってはあまり思い出したくない過去かもしれませんんが、あそこまで一方的に日本を貶めようとする勢力がいたならば、日本の政治家はそこまで反論する勇気をもつべきだったのです)。また横の俯瞰力をもっていれば過去の世界戦場の慰安婦人権状況がどんなものだったかにも気づき、客観的研究者により調査や研究なりする必要性が思い浮かんだはずです。そうすれば、朝鮮戦争やその後については韓国大統領が慰安婦奴隷化の責任者であったことが判明したはずです。

 従軍慰安婦騒動というのは1991年ころに朝日新聞の捏造で勃発しましたが、驚くほど当時の日本の病理が集約されている現象です。「従軍慰安婦というイデオロギー」といってよいほどの現象でした。「従軍慰安婦というイデオロギー」というのは大袈裟ですが、分析すればするほどこの現象の驚くべき異常性と象徴性がわかります。まさに「イデオロギー」だったのです。まだまだこの異常性は十分に分析されつくしていないと考えます。吉田清治の捏造は有名ですが、この吉田清治のデタラメな捏造話がでたときに、左翼に占拠された歴史学界はだれもこれが捏造であることを指摘しなかったのです。ふだん史料批判や一次史料の重要性の説教をたれていた連中が誰も批判しなかったのです。一次史料とつきあわせれば簡単に捏造と発覚したのに、すぐに神話レベルまで昇格させてしまったのです。政治的意図があったからです。左翼知識人のトリックはまだまだいくらでもあります。日本が朝鮮女性の人権を向上させたと主張しても左翼学者は絶対に認めません。著しく人権蹂躙されていたのだといろいろ例をもちだすでしょう。これもトリックであり、人権基準の比較対象を現在においているからです。現在からみれば過去の人権考慮が不足しているのは当たり前です。人権状況を比較するならば、日本が朝鮮に関与する前と後を科学的、体系的に比較しなければなりません。このような左翼言論人のトリックは「徴用」という言葉を作為的に「強制連行」に置き換えて印象操作するなど数多くあります。左翼言論人が左翼マスコミと連携して徹底的に印象操作を繰り返してきました。

 またこの騒動では、いわゆる一見「保守」と見えるが、実際は保守でもなんでもないデタラメなエセ保守があぶりだされました。日韓関係や日米関係に波風を立てないように適当なところで日本の非を認めて蒸し返すなと彼らは主張したのです。過去をふりかえると、戦争の責任はすべてA級戦犯に負わせるということで日中合意をしたのだからA級戦犯をナチスと同等みたいなものにしておけと主張した連中と同類です。これら刹那的でデタラメな対応がますます反日勢力に便乗する機会を与えて、その後の日本を窮地におとしいれました。

 他にも、なぜこの時期に起こったか点に関して、つまりソ連の共産主義崩壊との因果関係なども分析されるべきです。海外に巣食う反日勢力と日本の反日左翼の反日共同体が完成しつつあったこと、国連をも動かす勢力であったことなども要注意です。

 もっとも震撼すべきことは、この騒動におけるジャーナリズムの位置づけです。日本ではよく日本社会は「空気」が支配するなどともっともらしく解説をする人間がいますが、その議論はまったく建設的ではありません。日本社会が非理性的であることを広めたいという無意識的な悪意があるのでしょう。たとえば米国でも、イラク戦争開始で米国社会のあの時点の空気が重大な作用を及ぼしたといえるように、空気はどこの国でも支配的ではありますが、もたらした結果がよければ、あれは合理的判断だったと振り返り、結果が悪ければ空気が支配したと後知恵でふりかえっているだけです。

 問題はその「空気」の質です。日本では過去長期に渡って、その空気をつくりだしてきたのはまぎれもなくジャーナリズムだったのです。あまりに低劣な品質のジャーナリズムが舌先三寸で時代の空気をつくりだしていました。空気はその時代のジャーナリズムがどちらにころぶかで決定づけられます。逆に「空気がジャーナリズムをつくったのだ」という反論もあるでしょうが、当時朝日新聞などメディアが広くいろいろな意見を求めて反論などを慎重に取り上げていれば、一方的な空気はつくられなかったはずです。空気がジャーナリズムをつくったのではなく、世論を支配できたジャーナリズムが反論を一方的に封じて当時の空気をつくったのです。

 記録が十分に残っている慰安婦騒動では、記事統計をとれば、まず慰安婦記事が朝日新聞で爆発的に広がってから、韓国や中国にその記事が広がり、欧米の記事にも広がっていったことが統計的にも突き止められると思います。これらをコンピューターなどで解析して裏付けていくべきです。日本人に限らず、韓国人や中国人、それに欧米人も空気に支配されないためには、直接的な真摯な議論を行い、それぞれが自国のジャーナリズムに躍らせられないことが重要であると確信しています。

 先日誰も予期しないタイミングで安倍首相が靖国参拝した後に、米国が非難声明を発表しました。上記の「米国が中国に取り込まれつつある」というご指摘の妥当性を暗示するものであり、少々震撼を覚えました。ふと思い出したのですが、近年しきりにメディアに登場するエズラ・ヴォーゲルという米国学者が日中、日韓の関係を改善するには首相が靖国参拝をしないことが大切だと幾度も釘をさしていました。日本の経済力脅威を話題にした「ジャパンアズナンバーワン」で米国ベストセラーになり、鄧小平以来の経済開放を分析するなど、現代の日本と中国に通じていると見られている著名学者であるので、米国指導者や高官は確実にこの言論人の主張を参考にするだろうと思われましたが、案の定、米国民主党や大使館関係などは影響を受けているのかもしれません。

 ちなみに今日のニュースも靖国問題をやっていたので、今回の安倍首相の靖国参拝をふりかえると西尾先生が7月の安倍首相の会見をご覧になって、靖国参拝をやるという総理の意志を感じたという分析は今から振り返ると正しかったですね。私は終戦記念日の中国抗議が総理の意志を決定的にしたと思います。総理が今年の終戦記念日に靖国参拝しなくても中国は終戦記念日むけの総理の談話などに中国への謝罪がなかったと抗議をしてきたのです。靖国参拝すれば猛抗議する、参拝しなければ談話が気に入らないと抗議する。このとき安倍首相は中国の意図を理解したに違いない。過去に靖国参拝しなかった首相に対して談話内容が気に入らないと中国が強い抗議をしてきたことがあったでしょうか。安倍首相を非難して日本での安倍氏の支持率を低下させ少しでも失脚を早めるための嫌がらせであったのです。また1回謝罪をしたら、それをもって2回目の謝罪を要求する、10回目の謝罪を要求するのは11回目の謝罪を保証するためです。1歩下がれば2歩も3歩も浸入してくる。少しでも抗議の機会や抗議のネタを拡大していくのが狙いです。この状態で中国の言いなりになるのは、よほど特殊な政治家であり、日本の指導者にはふさわしくありません。戦没者の慰霊に対して注文つけるのは内政干渉であるとはねのけるのが正常な態度です。しかし朝日新聞等の反日メディアのやらかしてきたことには慰安婦騒動にしろ、戦慄を感じるのみです。

 元来、靖国参拝非難など中国のカムフラージュであり、嵐のような現代の反日暴動も江沢民の時代の偏執的反日教育の成果が何十年も経って表われているに過ぎないのです、もし靖国参拝がなければ尖閣問題やら何かで同しレベルの反日暴動をやったに違いありません。戦後共産主義者を源流とする日本の反日左翼は驚異的なほど日本の教育やメディアを牛耳り、日本を苦しめて中国や韓国の反日を煽りました。従軍慰安婦捏造が朝日新聞のしわざであることなどネット人間なら誰でも知っているでしょうが、尖閣問題も1971年に中国がいきなり領土宣言をした翌年1972年にさっそく共産主義者で京都大学名誉教授でもある井上清がそれを応援する論文を発表する(これが当時の日本メディアを代表する学者でした)、そして中国共産党は目ざとくそれを見つけてさっそく利用する、詭弁をぬりかためる。江沢民時代の中国共産党の反日教育に多大な素材を与えたのも日本の反日左翼です。戦後日本は何度も何度もこういうことの繰り返しです。

 また日韓の竹島問題も、米国が日本を非武装にしたため発生したという認識が米国人にあるでしょうか。今後、竹島問題により、日韓は100年くらい互いにいがみあう関係におかれるかもしれませんが、これももとはといえば米国が強い復讐心のため日本を武装廃止させ丸裸にしたため起こったことではないでしょうか。米国はアジアに関する認識を間違えていました。「菊と刀」など空想的人間の文学作品を読んで日本を理解していたと思い込んでいたのでしょう。日本の自衛隊は李承晩が竹島を占領した翌年に編成されました。もし日本の軍隊が完全無力化されないで領土や領海を防衛していたなら、李承晩は竹島占領の野心を持たなかったと思われます。現在の韓国は、奇形的な歴史資料や強引な理屈でしか、竹島占拠の正当性を示せないのだから、それを補完するため、韓国はありとあらゆる機会やテーマをとらえて日本の落ち度や歴史認識を必死で突いてくるのが慣例になりました。米国の日本非武装化が現代の絶望的な日韓関係をもたらした大きな要因のひとつです。また日本の反日左翼の扇動も悪質で、いまだ靖国や慰安婦の問題が日韓関係の本質的障害だと見せかけようとする日本のメディアは正気の沙汰ではありません。当然韓国の指導者層の病的な反日趣味など知っていて、あのように装っているのだから、あきらかに確信犯です。

 その他ご論稿では、膨大な歴史的事実のなかで、現代日本人のあまり知らないような象徴的な歴史的事実(当時の国際連盟の実態や英国の戦略事情、当時の国際法の特殊性、中国の反日化の背景、毒ガス兵器の政治的側面など)を丹念に指摘して現代日本人の陳腐化した固定通念を打破しようとするものでした。

 個々の歴史的事実は、いつどこで誰が何をしたかという5W1Hで表されますが、その位置づけが、当然ながら重要です。たとえば、いきなりですが、戦前に中国大陸の通州で起こった通州事件というのがあります。これは当時の事件の内容が克明に記録されていますが、内容的には中国人部隊による日本人住民への凄惨な残虐行為です。これを日本人が持ち出すと、日本の左翼は必ずといっていいほど「あの中国人部隊は日本軍の飼い犬だったのだから、飼い犬に噛まれただけだ、自業自得だ」と批判してきます。けれども日本人が通州事件を持ち出すのは、当時の一部の中国人部隊の民度がどれほどのものであったかを象徴する事件だから出すのです。中国保安隊が日本軍の仲間であったかどうかなど、この際どうでもよいのです。200名以上の日本人女性(朝鮮人慰安婦もいたとのこと)が猟奇的な方法で大量に強姦され一気に殺害されたのだから、数名だけによる犯罪ではない、集団発作的に大勢でやってのけたことから、当時の中国大陸でうごめく暴徒の民度をはかることができる象徴的事件なのです。また当時の中国の民度に翻弄された日本人の悲劇を示す一例です。(もちろん、だからといって中国人全体または国民気質がこの事件に象徴されていると考えるのは明らかに行き過ぎた思考です)。

 重要な歴史的事実を知っていても、それを有効に位置づけなければ「宝」のもちぐされです。通州事件も、そのイメージは南京大虐殺の捏造イメージにそのまま受け継がれていることなどを日本人が見抜く必要あると思います。「南京大虐殺物語」に関しては、中国は外交カードとして、日本の左翼は反日カードして、強欲に「宝」として利用しつくし、日本人としての道徳的尊厳を地獄の底まで突き落とすプロパガンダとして徹底的に利用されてきました。日本を国際社会の舞台から突き落とすつもりだったのでしょう。それこそ年中行事のように悪用してきました。(日本列島を徹底洗脳して一色に染め上げたのは朝日新聞の狂信的な報道力です)

 西尾先生は、ニーチェ流と言ってよいのか、孤独なガンマンのようにご自分の言説をつくっては叩き壊す、矛盾をあまり恐れないということを繰り返してされてきたと私は思われるので、現在のお考えは変動されているかもしれませんが、以前からの西洋中心史観から距離を置くという基本的認識が、現在の「米国中心史観」から距離を置くという考え方につながっているように感じます。西尾先生の根幹には日本人としての自己主張というのがあると思っています。それが非常にわかりやすくまとめられた記述を、10年以上前にされた文部省のヒアリングでの先生ご発言から抜粋します。

(引用開始)

いまの日本人がいちばん誤解している史観というのはヨーロッパ中心史観というものであり、ヨーロッパ文明がギリシャ・ローマ文明の子孫だというふうにみんななんとなく思っておりますけれども、直系の子孫なんかではございません。途中で民族大移動があるし、イスラムの制圧もありまして、中世の暗闘を通じて、その後、ギリシャ・ローマの復活のルネッサンスはありますけれども、あれもアラビア語を媒介としながら、勉強して得たもので、要するにヨーロッパは長いあいだ野蛮な状態で、世界史に登場してこなかった。
つまりギリシャ・ローマの直系だというのは、西洋中心史観のたんなるイデオロギーにすぎません。彼らの自己主張にすぎません。日本は自分が古いシナ文明と古い西欧文明の谷間で、圧迫されてきた中途半端な国だ、みたいに思っているかもしれませんけれども、じつはまったくそうではなく、そういうふうにとらわれるのは意味がないということをここで我々は正しく認識する必要があるのではないかと思うのであります。

 すなわち、ドイツ、フランス、イギリスもそういう観点からすれば全然独自ではありません。他から学んだり、借りたりしながら、やがて独自の文明を築いたのです。日本もその点では同様です。日本は古代のシナ文明に学んだんですが、政治的な独立心は聖徳太子のころからあり、文化的には独自の日本文化とシナ文化からの影響との二重構造をなして、それは長いあいだ続きましたが、しかしながら経済的にはかなり早い時期に、江戸より前の、つまりコロンブスの時代、15-16世紀にシナ文明から独立しているのであります。
こういうふうに考えないと、明治からのわずかな期間での日本の発展の説明はできません。古代ギリシャ文明がどんなに立派でも、いまのギリシャが駄目なように、古代シナがどんなに立派でも、いまの中国は自慢できる状態にはありません。日本は古代シナから学んだのであって、いまの中国人の文化から学んだのではないのであります。そこを誤解してはいけない。他方、ヨーロッパ人は16世紀に二つの大きな先進文明、つまり、シナ文明を追い越し、イスラムの圧力から離脱し、「地理上の発見」に向かっていくわけですが、それと同じ時期に、つまりそれは日本でいえば徳川時代ですけれども、日本も自己確立を果たしているということです。

 鎖国は積極的な概念であって、消極的な概念ではないという理論は、いま近世史研究家のなかから、学界の中心的主流として滔々(とうとう)と流れ出している。だから家光が鎖国令を出したなんていうのは完全な間違いでありまして、あれは寛永16年まで蛮族打ち払いの令を出したにすぎないのであります。日本はポルトガルと断交したにすぎない。
 そういうふうに考えますと、江戸時代の歴史を暗黒に塗り上げてしまったいままでの歴史観を見直そうではないかということになる。ヨーロッパと同じ時期に、地球の東と西は暗闇が続いていた中世から脱して、ともに16世紀から18世紀にかけて、同時勃興をする時期があったんだというふうに考えなくてはならない。・・

(引用終了)

 ちなみに、この西洋中心史観というものも、将来は、イスラム圏の自己主張やアジア諸国の問題提起により世界的に衰退していく時期がくるのではないかという気配は感じています。わき道にそれますが、イスラム諸国に属する学者の主張を読むと、日本人のイスラムに対する歴史観(政治史や経済史、宗教史、科学史など)は、欧米学者のイスラム歴史への偏った先入観をそのまま日本人は受け継いでいると主張しています。日本人は主体的に自画像を描きつつ、それを世界史のなかで客観的に位置づけるために、欧米以外の歴史観や史料をも積極的に取り入れて欧米中心史観を相対化していくべき必要があると思われます。また幻想かもしれませんが、ガラパゴスであるかのように宗教と社会制度が一致した特殊な異空間と日本人が見ているであろうイスラムでもイスラム金融などは世界の金融を劇的に変える潜在力があるかもしれないと私などは空想することがあります。戦前に存在した世界的思考をもった有能な日本人のイスラムへの洞察は現代から見ても瞠目すべきものがあるというので、これらなども発掘され再評価されるべきではないかと考えます。西尾先生の「GHQ焚書図書開封」はいずれその方面へ意識覚醒につながる潜在性があるというのは大袈裟でしょうか。

 先生が上記の通り、西洋中心史観から離脱を表明されたあとに取り組まれた対象が江戸時代でした。分量が大量だったので私はつまみ食い的読み方しかできませんでしたが、江戸のダイナズムは現代に生きる人間が固定観念を排して全知と想像力を傾けて歴史を振り返って自画像を描くという見事なお手本と思いました。あくまで自画像を描くというスタンスです。私の気のせいかもしれませんが、近代史に関する著作とくらべて、より快活でのびやかな筆致と感じましたが、現代政治の呪縛からのがれていること、豊富な文学的史料が中核となるためでしょうか。ともかくこの著作はいずれじっくり読み直したい本のひとつです。自画像とはこのように描く模範であると思います。

 近代から大東亜戦争に至った日本をどう俯瞰するかに関して、基本的に西尾先生は、西洋への挑戦に対する日本の反撃ととらえられているように思います。これに啓発されて、私も新鮮な思いで歴史を振り返ってみましたが、近代における西洋の世界への拡張というのは次の5つの側面があると思われます。
1)近代文明(人権など近代法に基づく考え方)の威光
2)経済圏の拡張(産業革命による経済近代化と世界進出)
3)「2)」の強大な力、特に軍事力をもとに白人支配(有色人種の奴隷化)
4)キリスト教の拡張(西洋人から見ると「異教徒」の駆逐)
5)西洋の鬼子思想としての共産主義浸透

 日本は上記の課題に対して、どのように対応したかというと、「1)」および「2)」については、その普遍性を率直に認めて、日本なりに移植しようとして苦心惨憺、表面上は成功しました。そして、それらの成功をもって「3)」の白人支配脅威に反撃しました。日本は、台湾や朝鮮、満州に対して「1)」および「2)」を移植しました。現代から見れば不十分や矛盾もあるでしょうが、教育への情熱など、有色人種への過酷な白人支配に一石を投じる成果でした。ただし朝鮮民族などにとっては民族自決を損なうものでした。「4)」については特に敵対することはしませんでした。宗教戦争は日本の国民性にそぐわないものであり、廃仏毀釈など起こりましたが、神道と仏教を平和共存させて、国の安寧を祈る天皇を中心とした調和的な信仰をもっていた日本人はキリスト教も平和的に取り入れて土着化させました。西洋のキリスト教をモデルにしたと思われる国家神道は人工的なものであったと現時点では思っています。(そのため無理やり輸出しようとしたり国内で反発が起きた)。ただし、日本人は敵と思ってなくとも、西洋キリスト教は(勿論すべてではなく、その一部ですが)日本人の信仰を敵視して、攻撃の機会を狙っていました。自国の黒人が奴隷化されていることは棚にあげて、日本人が中国人を奴隷化しようとしていると日本を敵視した二重人格的な正義をもつ米国のキリスト教徒たちなどです。最後の「5)」の共産主義は世界を混乱におとしていれました。日本は長年翻弄され、的確に対処できませんでした。共産主義こそ有色人種の奴隷化と白人支配を終わらせるものだと狂喜した世界の知識人は、その後その恐るべき本性を知らさせることになりました。共産主義思想は社会科学の形をとっており、自然科学が権威をもつのに乗じて人々を幻惑した社会科学はあまりにデタラメ(厳格な実験を省いた自然科学みたいなものであり、独善的な理論ばかり横行)インテリの思考を混乱させました。

 もはや「3)」が表面的には無くなったことには日本人の貢献も大きいと考えます。それ以外の課題は現代も続いています。誰も正確に把握できないであろうグローバリズムは、上記が複雑に混在しています。キリスト教とイスラム教の対立や勢力争いは、今後千年は続くのではないでしょうか。

 また東アジアで共通の歴史観をもつことは難しいでしょう。中国や韓国は日本人の悪行だけ協調して功績は認めないでしょう。日本の歴史思想は相変わらず左翼の勢力が強いと思いますが、田母神氏の論文をめぐる西尾先生と秦郁彦氏の対立(というか論争)は色々と考えさせられました。秦郁彦氏はおそらく日本人の白人支配終焉などへの功績を全面否定されているわけではないですが、日本の過去の指導層(政治家および軍人の一部)に対しては、あくまで結果責任を問い、外国の悪意のせいでは済ませられないという姿勢のようです。その基底には、ドイツのナチスと日本の指導者はまったく違いますが、日本人を指導層と一般国民に分けて前者の非を問うという意味で、ドイツ人が一般国民を免責するのと同じような発想をされているのではないかと感じました。

小暮満寿雄Art Galleryより

2013年8月16日の小暮満寿雄さんのブログより、許可を得て転載します。

「天皇と原爆」~日本人は宗教に頑固?

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西尾幹二氏の「天皇と原爆」読了しました。

あ@花さんのススメで読んでみましたが、これは大変な名著ですね。
近頃になく感銘を受けました。

西尾幹二氏はニーチェ研究でも知られるドイツ文学者ですが、文字通り知の巨人であり、本書ではその碩学を遺憾無く発揮してるばかりか、ひじょうに読みやすく書かれているます。

「海賊とよばれた男」にもあるように、先の大東亜戦争が石油による戦争だっというのは周知の事実ですが、西尾氏は、欧米の植民地時代まで時間軸を伸ばし、かの戦争はアメリカと日本の宗教戦争だったという見方をしています。

それは天皇を中心にしたわが国の多神教と、キリスト教一神教の戦争という意味であります。もちろん、それが戦争の物理的原因というのではなく、戦争の根底にあったメンタルなものという意味であります。

ここで肝要なのは、わが国の方では、かの大東亜戦争戦争が宗教戦争のつもりはさらさらないということです。
ところが米国側の方は唯一神を頑として受け入れない日本人に対して、苛立ちと憎しみを感じていたというのです。

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さて、以下は本の内容とは少々ズレるところはありますが、よろしければお付き合いのほど。

私たちは日本人というものが、宗教に無関心、無宗教だということを変に信じています。しかし口では「無宗教」と言いながら、正月には初詣に行くし、お社やお寺の前ではキチンと手を合わせる。
挙げ句の果ては結婚式を教会で行い、平気で祝福をするという、一神教の人たちから見ると悪魔の所行に等しい理解に苦しむ行動をします。

これは西洋人の視点から言えば、明らかに無宗教ではなく「多神教」であります。

あちらの無宗教はatheism、無神論であり、「神はいない」とハッキリ否定します。ドストエフスキーの小説にも出てくるような、激しい無神論者は私たちが「無宗教」というのは明らかに違います。

「天皇と原爆」の中には、ある人が米国で宗教について尋ねられたくだりがあります。「何の宗教を持ってるのかね」と聞かれ、「ありません」と答えたら悪魔でも見るような顔をされたというのです。それで、「本当に何も宗教を信じてないのかね?」と聞かれ、仕方なく「仏教です」と答えたら、相手は安心してニコニコしたというのですね。

無神論者は悪魔視されるということですが、これは日本ではありえないことで、ある意味一神教の裏返しとも言えましょう。

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フランシスコ・ザビエルが日本に布教へやってきて、およそ470年になりますが、日本におけるキリスト教徒の数は一向に増えません。

明治時代、人口の1%だったクリスチャンは今でも横ばいと言いますが、それはひとえに日本人の一神教ぎらい、原理主義ぎらいによるものであります。

インドではカーストの苦しみから逃れるために、クリスチャンに改宗した人は多いですが、フィリピンや韓国などは、そういう理由以外で比較的容易にキリスト教化が進みました。
ところがわが国ではキリスト教徒の人口は一向に増えない。

ひとえにこれは一神教に対する拒否反応に加え、日本には古来より天皇という神の存在があったからだというのですね(ただ、天皇の存在に関しては長くなるので、今回は割愛)。

これは本に書かれてないことですが、特定な宗教を信じてない人の中には、新興宗教などに勧誘されると「宗教だ」と引いてしまうのも、そんな一神教に対する拒否感かもしれません。そんな「宗教」に引いてしまう人も、墓参りには行くし、初詣には行くのですから。

ザビエルもアメリカも頑としてキリスト教一神教に染まらない日本人に、苛立ちを感じ不気味さを感じた。それが米国側の憎しみとなって、日本とアメリカが戦争するように方向づけたとありますが、なるほど腑に落ちる話であります。

なわけでこちらは、以前ボツになった仏教本の企画書に使ったマンガです。
いずれ復活させてみせますが、仏教オンリーとはいかんだろうなあ。

今回は本の一部しかご紹介できませんでしたが、「天皇と原爆」は日本人なら一読の価値があります。ぜひお読みくださいませ。

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福井雄三さんの私信「ラスコールニコフとデミアン」

 友人の福井雄三さん(東京国際大学教授)が次のような読後感想の手紙を送って下さった。ちょっとユニークな観点なのでご紹介する。

西尾幹二先生

 西尾幹二全集第七巻『ソ連知識人との対話』読了いたしました。先生が昭和55年7月に中央公論に寄稿された「ソルジェニーツィンへの手紙」を読んだとき、私の心の中で思わずうなり声が生じました。私も彼の作品は『ガン病棟』から『収容所群島』にいたるまで、あらかた読破しております。うまく表現できないけれどこれまで彼に対して抱いていたもやもやした違和感の正体が、先生の文章を読んでいて一刀両断されたのです。

 「近代社会のいわゆる西側の自由主義体制の自由とは、それを決めてくれるものが各個人の心の外にはどこにもないということに他なりません。そういう覚悟が自由ということの内容を決定するのです。人間には善をなす自由のみならず、悪をなす自由もあるからです。それを外から抑制するいかなる手段も存在しません。あなたにはここのところがどうもおわかりにならないようですが、悪をなすもなさないも、決定権は個人の責任に委ねられているのです。それが自由ということです。その結果、社会が自由の行き過ぎで破滅するような事態がかりに起こったとしたら、それはそれで仕方がない、と申す他ないでしょう。無責任のようですが、自由は原理的にはそこから考えていかなくてはならない。もともと危険を宿した概念なのです。いいかえれば、自由は常に試されているといえるでしょう」

 ソルジェニーツィンがソ連から追放亡命後、西側諸国では彼をあたかも殉教者のごとくに持ち上げ、共産主義イデオロギーに戦いを挑む、自由の闘士であるかのごとくに賛美する風潮が一般的でした。日本の多くの文化人たちも例外ではありませんでした。だがしかしハーバード大学での講演に象徴されるような彼の叫びは(それが彼の偽らざる心底からの純粋な本音だったとしても)微妙なズレがあるのです。それに気づいた人は西側にもほとんどいませんでした。西側の多くの人士が彼のその叫びに同調し、拍手喝采したくらいなのですから。彼は自由の意味をとり違えているのです。
 
 これを見ると、やはりソルジェニーツィンは、ロシア革命後のソ連共産主義イデオロギーの中で精神形成がなされてきたのだ、と思わずにはいられません。帝政ロシア自体ツァーリの圧政のもとに呻吟していたのが、革命で共産主義の恐怖政治にとって代わったのは、ただ単に極端から極端へ移行しただけのことです。西ヨーロッパとはおよそ質を異にする精神風土が、革命後も変わることなく、数百年にわたってスラブ民族を呪縛してきた、ということなのでしょうね。その意味では先生の指摘されるごとく、ロシア人の文化的深層心理は、革命の前も後も途切れずに連続しているのでしょう。ソルジェニーツィンのアメリカ亡命後のあのような言動は、彼の背後に横たわる数百年のスラブの歴史がなさしめているのです。
 
 私の母が以前「西尾先生の著書を読んでいると、数学の難問が解けたときのような爽快感がある」と申しておりました。このたびの先生の文章を読んでいて、先生がここまで真贋を剔抉されたのは、まさに神技のレベルに近いものがあります。
 
 私はいまこの手紙を書きながら、ヘッセの『デミアン』の一場面を思い浮かべずにはいられません。主人公の「ぼく」が、ゴルゴタのイエス受難についてデミアンと語っていたとき、彼はそれまで想像すらできなかったことをデミアンから指摘され、気が動顛してしまいます。それは勧善懲悪といった単純なものではなく、なにかもっと得体の知れぬ不気味な、異教的なものでした。それまで主人公の「ぼく」が、当然のこととして受け入れていた価値観を根底から揺さぶり、市民社会の道徳に懐疑を投げかけ、偶像を破壊し、新たな世界へ、すなわちアプラクサスの彼方へと駆り立てるものでした。

 「ゴルゴタの丘の上に三本の十字架が立っているのは壮大な眺めさ。ところがあの馬鹿正直な盗っ人についてのセンチメンタルな宗教訓話はどうだい。はじめ
その男は悪漢でどんなに悪事を重ねたかわからないくらいなのに、こんどはすっかり弱気になって、改心と懺悔のあわれっぽい祭典をあげるんだからね。こんな
懺悔が墓場の一歩手前でなんの意味があるんだろう。これだってまた涙っぽい味とこの上なくありがたい背景を持った、めそめそした嘘っぱちの本格的な坊主の
話というほかはないよ。もし君がこの二人の盗っ人のうちの一人を友達に選ばなければならないとしたら、または二人のうちのどちらが信頼できるかを考えなければならないとしたら、それはもちろんあのあわれっぽい転向者ではない。もう一人のほうだ。そいつは頼もしい男だし気骨がある。転向なんぞてんで問題にしない。そいつから見れば転向なんてたわごとに決まってるんだからね。そいつはわが道を最後まで歩いていく。そしてそいつに加勢していた悪魔と最後まで縁を切らないんだ。そいつはしっかり者さ。そしてしっかりした連中は、聖書の物語の中じゃ、とかく貧乏くじを引くのさ」

 ヘッセはニーチェの一世代下で、青年期に彼の死に遭遇しています。彼自身が「内面の嵐」と呼んだ多感な青春期、彼はニーチェに狂熱的に傾倒し、彼の精神
はニーチェ一色に染まった時期がありました。ヘッセの描いたデミアン像は、ニーチェの化身といってもよいでしょう。『デミアン』は西ヨーロッパのこのような精神史の伝統から生まれた作品だと思います。
 
 これがソルジェニーツィンとニーチェの、つまりラスコーリニコフとデミアンの決定的な違いなのでしょう。この相違はソルジェニーツィンには理解できないと思われます。
 
 暑い日が続きますが、この夏は軽井沢にお出かけですか。近々またお会いしたいです。お元気で。

                                  平成25年8月9日 福井雄三 

 ここにご母堂のことが書かれてあるが、福井さんは鳥取の由緒ある旧家の出で、学識のある立派な高齢のご母堂が単身家を守っておられる。先年私は山陰を旅してご母堂にお目にかかったことがある。それでここに話題をされたのである。

「戦争史観の転換」への読者の声

普段あまり見ないのだが、『正論』5月号連載第1回へのアマゾンの論評二篇がかなり的確な内容だったのに気がついたので、転載させていたゞく。まあ、大体こういう方向であるが、読者からの期待の声としてありがたく拝読した。二篇の内容指摘は重なっているが、よく読むと少し違うところが面白い。

 今連載の第二回目を書いているが、ずっと先までの見通しは立っていない。「衛星から見ているような鳥瞰的視点」と一定の短い時間内を詳しく描く虫めがねの視点とをとり混ぜて行きたいと考えている。

 By閑居人

「正論」40周年記念連載として、西尾幹二氏の「戦争史観の転換ーー日本はどのように『侵略』されたのか」が、これから30回、2年半かけて長期連載されることになった。その第一回にあたる今回は「第一章 そも、アメリカとは何者か?」である。
恐らく、今回の文章は、全体の「プロローグ」に当たる部分だろう。西尾氏は三つの命題を予め提示する。
第一命題 「アメリカにとって国際社会は存在しない。ワンワールドである。」
第二命題 「『救済』という使命を持つ国家アメリカは、ヨーロッパなどの『旧世界』を退廃ととらえ、アメリカが作る『新世界』が 純潔であるという信念を持つ」
第三命題 「基本的に植民地を持たない。金融・投資(ドル)と制空権(軍事力)という脱領土的世界支配という方式で支配する」 
多分、この三つの命題は、主題や対象を変えながらも、繰り返し現れて主旋律を奏でることになるだろう。

世界史上、「世界的覇権国家」となり得た国家は「モンゴル帝国」と「アメリカ」しか存在しない。「モンゴル帝国」は、ユーラシア大陸の大半を占領し、東アジアに「元・清」、東ヨーロッパ草原に「キエフ公国・ロシア」、中近東に「オスマントルコ帝国」、インドに「ムガール(モンゴル)帝国」をつくった。地政学で言うハートランドからの進出に対して沿岸に追い詰められた辺境諸国は、海に活路を見いだした。大航海時代である。ポルトガル、スペイン、オランダそしてイギリスが海上覇権を握った。
20世紀、アメリカは二つの大戦を経て、「腐敗したイギリスに代わって」、七つの海を支配する海洋国家として世界に君臨した。1991年の「ソビエト崩壊」後は、唯一の世界覇権国家として生存していくことを国防会議で決定した。(この経緯は国際政治学者伊藤貫氏の著作に詳しい。アメリカは一国覇権主義をとり続け、ロシア、中国、日本、ドイツを「地域覇権国家を目指す潜在的敵性国家」として見なし、注意深く力を削ぐことにした。)

また、今回、西尾氏は、これから語ろうとすることの本質の幾つかを提示している。一つは、「歴史を変化の相の下に見る」ことである。アメリカが当初から現在のような世界観で統一されていたわけではない。当初は、おずおずと、迷いながら、国際社会に踏み出し、戦争をするたびに大きく変質していった。第二次大戦でも、「戦争の初期と終わりごろとでは、アメリカの戦争の仕方、内容、規模ががらっと変わっていた」戦争の始まりは、第一次大戦の戦争文化だったが、「1943年以降、アメリカの戦争はがらりとその様相を変えた。酷薄で無慈悲になった」(58~59ページ)
次には、「権力」パワーの問題がある。戦勝国の「権力」をつくるものは「剥き出しの暴力」である。しかし、国際政治の大枠が決定されると、次には「権力の正当化」とそれに対する「対抗的パワー」との間で次の局面に向かおうとする情報戦、宣伝戦が始まる。
多分、アメリカについてまとまったことを語ることは、西尾氏にとって今回が最後になるだろう。西尾氏が切り開こうとする知的世界に、一読者として期待するばかりである。

By 海 (宗像)

西尾幹二の連載が始まった。
第一章 そも、アメリカとは何者か?である。
10頁であるが鳥瞰的というより衛星から見ているような視点でありイデオロギーから超越した爽やかさを感じる。

日本の歴史は2000年、この列島に住み始めてからはもっと遙かに1万5000年。そして、アメリカ先住民とは多分、同根である。その地に僅か350年程前異変が起こった。
把握し難い系列の人種の出現、自然信仰でない別系統の一神教徒集団の出現である。厄介な異質集団が押し寄せて来た。

アメリカとは。
第一に、 アメリカにとっては国際社会は存在しない。アメリカという一つの世界がある。
第二に、 旧世界(ヨーロッパ)の頽廃に対して新世界(アメリカ)の純潔という自己認識。
第三に、 基本的に植民地を持たないことを国是としていた。そのため、脱領土的な世界支配つまり、制空権や金融による他者の遠隔コントロール方式である。

アメリカは、戦争する度に姿を変える国である。
戦前の日本人は、アメリカが好きだった。アメリカびいきであった。
そして、第二次世界大戦の始めと終わりではアメリカの姿勢、立つ位置もすっかり変わって別のアメリカになっていた。
だから、「何故、負けると分かっていた戦争をしたのか」というのは、意味をなさない。
1943年以降は、集中砲火、絨毯爆撃等酷薄で無慈悲になった。現代の無人攻撃機の先駆をなすB29による戦争の機械化を始めた。アメリカは、次々と変化する。そして、今ではアメリカ本土からのボタン化、ゲーム化、遊戯化が起きている。
350年前に出てきた集団がなんでそこまでするのよ、という事である。
私たちは、空間拡大や移動を求めない、余分な狩りをしない民族であったが、彼らは追いつめ息の根を止める。
アメリカは、繰り返し戦争をし、戦争の度に大きくなり国家体質を変えた。それも戦争の真っただ中で。これにはヨーロッパも追いついてはいけない。
「戦前のどこが悪かったか、間違っていたか」という人がいるがそれは、虚しい。
それ以前から、歴史の進行はほぼ、決まっていたのだ。

続篇に期待したい。

ある友からの手紙

 西尾幹二先生

 先日、西尾幹二全集第三回配本の『悲劇人の姿勢』ちょうど読み終えた、まさにそのときに、第四回の『懐疑の精神』が配本されてきました。冒頭25~36頁の「私の受けた戦後教育」、身につまされる思いで読みふけりました。

 「要するに新教育の理念の名においていろいろ奇怪なことが行われていたのである。先生は教えるのではなく生徒とともに考えるのである。先生はつねに生徒と友達のように話し合おうとする。どうもそういうことだったらしい。終始先生は私たちの考え方に耳を傾けようとする姿勢を示して、アンケートのようなものをさかんに行ったが、子供に確固とした考えがあるわけでなく、私たちは教師の
暗示につられて、結局は教師のしゃべっている「思想」を反復しただけではなかったろうか。私たちは決して一人前の人格として扱われていたのではない。子供を一人前の人格として扱うべきだという民主教育の実験材料にされていただけなのである。
 
 子供はそんなに単純ではない。ある意味では子供ほど敏感なものはない。大人の意図をことごとく見破ることはたしかに子供には不可能かもしれない。しかし大人が大人らしくなく振る舞えば、それが何を意味するかはわからないでも、なにかが意図されているということだけは子供は誰よりも早く敏感に感じとるものである。そこには不自然さがある。というより嘘がある。先生が先生らしくなく
振る舞えば、子供はそこに作為しか感じない。先生と生徒の間には、厳とした立場の相違、役割の相違がある。そういう暗黙の約束があるのを誰よりもよく知っているのは子供である」

 私がこの一文になぜそれほどの衝撃を受けたかというと、実は私自身の受けた教育と大きな関係があるのです。私は昭和41年4月~44年3月、私の故郷鳥取県の某中学校で学びました。この中学校は自主学習という世にも珍しい教育法で全国にその名を知られた有名校であり、日本全国津々浦々から教育関係者がひきもきらず参観に訪れていました。自主学習というのは生徒の主体性を最大限に
尊重し、授業は原則として生徒の自主運営に任せる、というやり方です。生徒たちが自分で主体的に学習カリキュラムを作成し、それに従ってグループごとに黒板に板書し、発表する。生徒たちで選んだ司会や委員の主導の下にクラス全員による質疑応答が行われ、討論し合う。教師はそれを傍観しながらときたま口をはさみ適切なアドバイスを行う。教師のアドバイスは必要最小限に限られ、極力口
をはさまないのが望ましいとされる。
 
 これは戦後しばらくたった昭和三十年代初頭、地元のある校長が発案し、有志の教師たちを巻きこみ、PTAを説得して、半ばゴリ押し的に強行し実現してしまったものなのです。このような現実を無視した、常軌を逸した教育が(志を同じくする者が集まって結成した私塾や新興宗教教団ならいざ知らず)義務教育の公立中学校で成り立つはずがないのです。その不自然さは誰が見ても一目瞭然で
す。これを発案した校長はおそらく、自分の名を後世に残したいという功名心に駆られていたのでしょう。
 
 私は中学に入ったとき、この教育方法に対して子供心におどろおどろした違和感を感じ、この違和感は薄らぐどころか強まる一方で、中学三年間は苦痛以外の何ものでもありませんでした。主体性どころか、これほど生徒の個性を無視したやり方はなく、これは教育に名を借りた精神の暴力、一種の拷問だったと言ってもよい。かつて文化大革命で十代の少年紅衛兵たちが、自己批判せよと迫りなが
ら、大衆団交という名の人民裁判で被告をつるしあげる、あの方式を彷彿とさせるものがあります。私はふてくされ、反抗的になり、浮き上がってしまいました。不良で成績の悪い落ちこぼれの生徒ならいざ知らず、私のようないわゆる勉強のよくできた生徒からそのような反抗的な態度をとられると、教師の立場はなく、教師から見れば私は扱いにくい、憎たらしい生徒だったことでしょうね。

 先生の指摘されるごとく、子供ほど敏感なものはないのです。小学校に入ったばかりの六歳の児童ですら、教壇に立つ教師の人間性を本能的に直感で見抜いています。私は中学校には不快な思い出しかないが、小学校時代は無性に懐かしい。なぜならそこには秩序と権威があったからです。威厳と慈愛に満ちた教師の指導のもとで、思考力と感性の基礎がしっかりと育まれました。
 
 35頁の、大江健三郎に対する先生の批判は胸のすく思いでした。

 「大江さん、嘘を書くことだけはおよしなさい。私は貴方とまったく同世代だからよくわかるのだが、貴方はこんなことを本気で信じていたわけではあるまい。ただそう書いておくほうが都合がよいと大人になってからずるい手を覚えただけだろう。「戦後青年の旗手」とかいう世間の通念に乗せられて、新世代風の発言をしていれば、新思想、新解釈が得られるような気がしているだけである。大江さん、子供の時のことを素直な気持ちで思い起こしてほしい。子供の生活は観念とは関係ない。あるいは大人になっていく過程で、幼稚な観念は脱ぎ捨てていくものだ。貴方の評判のエッセイ集『厳粛な綱渡り』の中から一例。「終戦直後の子供たちにとって戦争放棄という言葉がどのように輝かしい光を備えた憲法の言葉だったか」。こんなことをこんな風に感じた子供があのときいたとは思えないし、いまも決していないだろう」

 大江のあののっぺりとした顔が、これを読んで目をぱちくりしている光景を想像すると、溜飲が下がります。
 
 先生がこれを書かれたのは昭和40年7月、30歳のときだったのですね。私が小学六年で、中学に入る前年の年です。私がもしも当時この論文を読んでいれば、精神的に救われていたかもしれません。それにしても先生の文体というか論理展開のスタイルは、30歳のときと現在と寸分変わっていませんね。50年近く前に書かれた先生の文章が、現在読み返しても新鮮さをまったく失っていない
ばかりか、ますます説得力を増しているのはどういうわけなのでしょうか。 

                                    
   平成24年8月3日
                                    
 東京国際大学教授  福井雄三
 

『天皇と原爆』の刊行(十一)

 春先きに鳥取大学教授(ドイツ文学)の武田修志さんから次の書簡をいたゞいていた。掲載のご許可を得たので、全文をお伝えします。

わが町は空に道あり鳥帰る(修志)

 先日白鳥がわが家の上をシベリアへ帰っていく姿が見られました。
 鳥帰る春の初めとなりましたが、西尾先生におかれましては、その後いかがお過ごしでしょうか。

 御著書『天皇と原爆』を御送付いただきましてから、すでに二ヶ月が過ぎてしまいました。この間、いつもカバンの中に入れて持ち歩き、二度拝読いたしました。たいへん遅くなりましたが、私の感想を述べさせていただきます。

 この本の中でわたしが最も共感しましたのは、111ページ~112ページの次の言葉です

 (日本人は)「戦争を含む過去の歴史をトータルとして・・・肯定すべきである・・・・」「つまり、悪だからと否定し、陸軍をスケープゴートに仕立てて責任を追及するような、そういう女々しい精神ではなく、たとえ悪であろうとなかろうと、過去から逃れるすべはないのであり、過去をことごとく肯定する強靭な精神を持つことが、今の日本人に求められている最大の心の試練だと申しあげざるを得ないんです。

 なぜかというと、天皇は、あの時代において全的存在であって、天皇の戦争責任を否定することは国民が自分を否定すること、自分の歴史を否定することと同じになってしまうからです。(・・・)私に言わせれば、天皇は平和主義者だと言って、それを通じて戦後の自分たちも平和主義者だと言いたくて、悪かったのは過去の軍人だ、軍部だ、そんな言い逃れで過去の一時代から目を逸らすのは、言ってみればアリバイづくりをしているようなものです。(・・・)」

 目の覚めるような真実の言葉です。久しぶりにこういう心に響く言説に出会って、背筋がしゃんとしてくるのを感じます。かつては小林秀雄や田中美知太郎を読むと、こういう言葉に出会うことができたように思いますが、今や、こういうことが言える言論人は先生一人になってしまわれたようです。

 しかし、小林秀雄からも田中美知太郎からも聞けなかった言葉が、右の引用文にはあるように思います。「天皇は、あの時代において全的存在であって、天皇の戦争責任を否定することは国民が自分を否定すること、自分の歴史を否定することと同じになってしまう」この言葉に、私は今回特に感銘を受けました。「天皇は」、あの当時、我々日本人にとって「全的存在」であった――この理解はたいへんに独創的です。日本人にとっての天皇を「全的存在」という一語でとらえた歴史家がいままでにいるのでしょうか。――その存在を否定すると我々全部を否定してしまうことになる存在、全的存在・・・「全的存在」という言葉は、これから天皇を論ずるときのキーワードになるかもしれません。

 御著書『天皇と原爆』は、拝読して、全編教えられることばかりでしたが、今回、右に書いたこととは別に、もう一つ目の覚めるような、何とも嬉しい知識を一つ得ることができました。それは「わが國家は生まれた國であって作られた國では無いといふこと」です。先生の言葉で言い直せば「自然発生国家」だということです。なるほど!とこの指摘には感激しました。これは、日本という國の根本的性格を一言で言い表しているように思います。そして、そもそも日本人のだれもが、そんなふうに何となく感じているのではないでしょうか。『ヨーロッパの個人主義』の中の叙述も、33歳の先生が、直感的に「日本は自然発生国家だ」とご存じであったところから生まれた文章ではないでしょうか。

 今回、先生が大東亜戦争の原因を糾明するために、「なぜアメリカは日本と戦争したのか」と、アメリカ側の立場を問題にする視点を持ち出されたのが、すでに全く独創的ですが、この観点から見ていくとき、おのずからのように、アメリカという国の「宗教国家としての側面」がさまざまに検討されることになったのは、私にとってたいへん印象的でした。宗教国家としてのアメリカ?これは、非常に多くの日本の知識人の盲点ではなかったかと思います。私も全くこれまでこのような関心の持ち方をしたことがなく、先生の博覧強記に教えられることばかりでした。

 この点に関する先生の論述を辿っていて、私は強く、アメリカ人の無意識の深さということを感じました。アメリカの歴史をたどれば、そこにどれだけの「悪」があるか、これを振り返る力をこの国の人々は非常に微弱にしか持ち合わせていない、そしてそのことと、彼らが宗教を頼りにする心性は深く結びついている――そんなことを感じました。これは、別の言い方をすれば、アメリカという国を相手にするには、アメリカの表向きの主張のみならず、いつも、その無意識の部分まで洞察しないと、うまく交際できない相手であるということです。御著書を拝読していますと、こういう点について、日本人はあまりに無自覚だったのではないかと反省させられます。

 こういうことも考えました。先生がこの本でやろうとなされていることは、ある意味でアメリカ人の無意識部分の剔抉であり、意識化と言ってよいでしょう。それで、この本を英語へ翻訳して、アメリカの知識人に読ませたら、「いや、本当はここに書かれている通りだ」と、この著書を肯定する人がどのくらいいるであろうか・・・と。誰か翻訳してくれないでしょうか。

 先生の憲法「前文」は中央公論に発表されたときに一度拝読しています。先生の文章の歯切れの良さと柔らかさがよく出ています。私は近頃しばしば音読しますが、この文章も音読してみました。音読に耐える文体であり、内容です。これを教科書に載せて、日本の小学生、中学生がときどき音読したら、それだけで彼らの人柄が随分よくなるだろうと思います。今のところ、教科書は無理でしょうから、先生も、小学生・中学生へ向けた一書をお書きになって、そこにこの「前文」を載せられたら、どうでしょうか。大人に読ませているだけではもったいないと思います。

 今回も誠に拙い感想になってしまいました。ご容赦ください。

 『西尾幹二全集 第5巻』は読了しましたが、読了したらちょうどそのとき、父が亡くなりましたので、感想を書く機会を逸してしまいました。またいつかもう一度読み返したら、感想を書かせていただきます。

 今日はこれにて失礼いたします。
 お元気でご活躍くださいませ。

平成24年3月17日         武田修志
西尾幹二先生