「正義」の嘘の発刊

「正義」の嘘 戦後日本の真実はなぜ歪められたか (産経セレクト) 「正義」の嘘 戦後日本の真実はなぜ歪められたか (産経セレクト)
(2015/03/18)
櫻井よしこ、花田紀凱 他

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◎目次

はじめに 何が戦後日本を一国平和主義に閉じ込めてきたか 櫻井よしこ
第1章 慰安婦問題だけではないメディアの病 櫻井よしこ×花田紀凱
第2章 イデオロギーのためには弱者を食い物にする 櫻井よしこ×花田紀凱
第3章 「けちな正義」の暴走 西尾幹二×花田紀凱
 

「朝日」は世界中の戦時売春を告発するがよい!/朝日の「ドイツを見習え、個人補償」論/ドイツが個人補償をする理由/そして「慰安婦問題」だけが残った/朝日の「けちな正義」/ドイツの凄まじい管理売春/「強制連行」したドイツ軍/戦争がある限りなくならない問題/相手の「罪悪」を思いださせる反論

第4章 世論はこうしてつくられる 潮匡人×花田紀凱
第5章 軍事はイメージとイデオロギーで語られる 古谷経衡×花田紀凱
第6章 勘違い「リベラル」と反日 門田隆将×櫻井よしこ
第7章 朝日新聞が歪めた事実と歴史 櫻井よしこ×西岡力×阿比留瑠比×花田紀凱
あとがき 花田紀凱

イスラム・中世・イギリス、全集第10巻

 2月1日に坦々塾の会合を久し振りにもった。参加者は51名だった。私が1時間40分の講演をして、あとは懇親会だった。講演の内容は阿由葉秀峰さんのご協力を得て、近く少し調節し、文字化してここに掲示する。

 冒頭にイスラムの非情殺人のテーマに触れた。昨日のことだから、当然である。イスラムと西欧との2000年前の歴史について、アンリ・ピレンヌを引用してお話した。イスラム教徒とキリスト教徒の積年の宗教対立に無関係だとはどうしても思えない。がんらい日本人には何の関係もない争いなのだ。基本のテーマに日本人は手を出さない方がよい。

 私はいま「正論」連載で、「ヨーロッパ中世」は暴力、信仰、科学がひとかたまりになった一大政治世界であるとの認識を披瀝している。今、私たちが国際的な「法」と見なしているものは、18-19世紀に中世の争いを克服したヨーロッパがやっと辿り着いた約束ごとでしかない。いつ壊れてもおかしくない。実際20世紀に秩序は大きく壊れた。そして今、地球上で起こっていることは「中世」の再来のような出来事である。

 私たちは文明というフィクションの中を生きているにすぎない。『GHQ焚書図書開封』⑩の副題「地球侵略の主役イギリス」は計らずも19世紀の秩序の創造者であったイギリスが最も過酷な秩序の破壊者であったことを証明した。

 私の全集の最新刊はこれとは必ずしも同じテーマではないが、「ヨーロッパとの対決」という題で、今述べたこととどこか関係はある。1980年代に私がドイツ、パリ、その他で行った具体的な対決の体験談を基礎にしている。最近私のものを読みだした新しい読者の方は、この一連の出来事を多分ご存知ないだろう。

 後日立ち入った議論をこの欄にも展開するつもりだが、今日はとりあえず目次を紹介する。

序に代えて 読書する怠け者
Ⅰ 世界の中心軸は存在しない
Ⅱ 西ドイツ八都市周遊講演(日本外務省主催)
Ⅲ パリ国際円卓会議(読売新聞社主催)
Ⅳ シュミット前西ドイツ首相批判
Ⅴ 異文化を体験するとは何か
Ⅵ ドイツを観察し、ドイツから観察される
Ⅶ 戦略的「鎖国」論
Ⅷ 講演 知恵の凋落
Ⅸ 文化とは何か
Ⅹ 日本を許せなくなり始めた米国の圧力
追補 入江隆則・西尾幹二対談――国際化とは西欧化ではない
後記

2015年の新年を迎えて(二)

 『GHQ焚書図書開封』の文庫版が徳間書店から出始めたことは既報の通りである。文庫版は差し当り5冊出る。第2巻から第5巻までの4冊の解説者は次の通りである。

文庫版『GHQ焚書図書開封』

第1巻 米占領軍に消された戦前の日本 解説者ナシ
第2巻 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画  宮崎正弘氏
第3巻 戦場の生死と「銃後」の心 加藤康男氏
第4巻 「国体」論と現代 伊藤悠可氏
第5巻 ハワイ、満州、支那の排日 高山正之氏

 第1巻だけ解説文がないのでなにか意図があるように見られるのは困る。ちょうどその頃超多忙で、版元に任せっきりだった。担当編集者も文庫本には解説がつくという慣行を忘れていた。あっという間に第1巻が出来てしまって、次に第2巻の話になって、しまったと気がついた。私の迂闊さでもある。本当に他意はない。

 第2巻以後の4氏はいい解説を書いてくださって感謝している。刊行されていない第5巻の高山氏の解説文だけはまだ私の手許には届いていないが、きっと才筆を揮って下さっているだろう。

 ところで出たばかりの『GHQ焚書図書開封 10――地球侵略の主役イギリス――』から、どこでもいいのであるが、一ヵ所引用してみたい。気楽にさらっと流している箇所だが、サワリの部分である。

GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス
(2014/12/16)
西尾 幹二

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 十五世紀末、インドは平和な土地でした。ところが、そこへ大きな船がやってきて、船員は水を求めて上陸し、いきなり鉄砲を放ったのです。ヴァスコ・ダ・ガマの軍艦でした。たくさんの現地人を殺しています。

 そのあとポルトガル人が何をしたかというと、多くの船を並べて海上封鎖をしています。遠洋航海してインドの港へ帰ってくる船があると、襲撃する。それから大砲を撃って脅かし、出入りする船から税金を取る。陸地内部での侵略は過去いろいろありましたが、海を利用した征服は初めてのことでした。

 そこで、海上を船でつないで陸地を封じ込めたので「ポルトガルの鎖」あるいは「ポルトガルの『海の鎖』」といわれました。そういったやり方がそっくりそのままイギリス海軍に伝わっていきます。とにかく、「ポルトガルの鎖」をまねようということで、イギリスも出入りする船から税金を取るようになるのです。

 では、なぜインドの王さまたちはポルトガルに戦いを挑まなかったのか?それは謎です。

 インドは当時、ムガール帝国になる前でしたが、戦闘ということには無関心だったようです。西南アジア人、とりわけインド人のもっている性格なのでしょう。内陸の王権は海外の国々とは交易を盛んにしていて、それで満足で、交易さえ妨げられなければ他は何があってもいい、と考えていたようです。やすやすと海上での略奪行為を許してしまった原因です。

 もうひとつ、「ポルトガルの鎖」には大きな思想上の理由も考えられます。「海は自由である」という思想に初めてノーと言ったのです。陸ではお互いの約束事があるけれども、海は自由であった。海上自由の思想はその後も続きます。ポルトガルの「海の鎖」はそこにつけ込んだ悪業といっていいでしょう。それは間違いなく、イギリスの「海上帝国」の思想にもつながっていくのです。さらにいえば、アメリカの「制空権」の思想にもつながっていく。

 イギリスからアメリカに覇権が移ると、「海」の時代から「空」の時代に変わることは周知の通りです。アメリカはアッという間に空を制圧した「空の帝国」です。

 「ポルトガルの『海の鎖』の時代→イギリスの『海の帝国』→アメリカの『空の帝国』」という変遷を頭に入れておいてください。そして、いまは情報の時代です。ITを使った多民族支配の時代。恐るべき時代に入りました。

 話は飛びますが、グーグルが中国から撤退しましたね。これは中国の敗北だと思います。世界の流れといっしょにやっていかなかったらダメなんです。いっしょにやって、トップ・ランナーに躍り出なければ取り残されていくだけです。情報社会から自分を閉ざしてしまうことは行く末、中国がダメな国になる原因となるでしょう。それは目に見えています。

 余計な話になりましたが、「ポルトガル→イギリス→アメリカ」と進んでいる話は現代ともつながっているので注目してください。

2015年の新年を迎えて(一)

 やっと年末から正月にかけての雑用が終った。年賀状が約700枚。これの処理が毎年とてつもなく重い仕事である。これでも200枚ほど減らしたのだ。

 年賀状はもう止めようかと何度も思った。しかしながら小さな交信の言葉、短い文章が伝えてくるサインに、心を轟かせる。私は厭世家ではない。結局、人間好きなのだと思う。

 今年の私の年賀状は業者にたのんで次の文章を活版印刷させた。パソコンでは私の技術の拙さもあって、きれいに印刷できないからである。

賀正 私は今年八十歳を迎えます。最近は長寿の方が多いので、自分もその一人と呑気にしていますが、老衰で死ぬのは滅多にないこと、それは異常な例外で、自然は二、三百年にたった一人という割合でこの特典を与えている。自分が今達している年齢そのものが普通はあまりそこまで到達できない年齢だと考えるべきではないか、と言ったのはじつはモンテーニュなのです。そのとき彼は四十七歳で、三年後に死亡しています。十六世紀のヨーロッパの平均年齢は二十一歳でした。そして、彼は自分の知る限り、今も昔も人間の立派な行いは三十歳以前のものの方が多いような気がする、と付言しています。

平成二十七年 元旦 西尾幹二

 ご覧の通り、内容は厭世的である。自分で自分の晩年は蛇足だよと言っているようなものである。それなのに、私は夢中で生きている。人生を投げてはいない。体力は衰えつつあるが、気力は衰えていない。

 私はいったい何を信じて生きているのだろう。自分でも分らない。歩一歩、終末に向かっていることに紛れもないのであるが・・・・・。

 年末に刊行した『GHQ焚書図書開封 10』(地球侵略の主役イギリス)を自ら読み直してみて、意外に読み易い、説得的な文章になっていて、そう悪くないな、と思っている。

『中国人国家ニッポンの誕生』出版(二)

目 次

はじめに ……3

◆第一部 徹底討論(ト ークライブ)日本を「移民国家」にしていいのか

◎第一章 移民政策ここが大問題

 西尾幹二 日本人よ移民を徹底的に差別する覚悟はあるのか ……16
 関岡英之 技能実習生の約八割が中国人という実態 ……20
 河添恵子 世界に侵食する中国の「移民ビジネス」 ……23
 坂東忠信 「移民」以前に今ある中国人犯罪を直視せよ ……30
 三橋貴明 「人手不足」は経済成長の好機、中国人に頼ると安全保障の危機 ……34
 河合雅司 気づけば総人口の「三人に一人が中国人」 ……39

◎第二章 移民が絶対にいらないこれだけの理由

 移民問題の本質は「中国人問題」 ……46
 世界の国家中枢に中国人が並ぶ光影 ……51
 「投資移民」で富裕層も中国脱出 ……54
 表沙汰にならない来日(傍点フル)中国人の犯罪 ……56
 移民対策で天国と地獄のスウェーデンとデンマーク ……59
 人手不足が十分国内で解決できる理由 ……63
 特養の内部留保金二兆円を活用せよ ……67
 中共の反日教育をまともに受けた「ニューカマー」 ……70
 ニューチャイナタウンと「危険ドラッグ」 ……75
 「国防のための入国制限法」とは ……78
 じつは中国人も中国共産党の被害者 ……82

◆第二部 総力特集  世界も大失敗した移民幻想に惑わされるな

◎第三章 【経済】  世界の反移民とナショナリズムの潮流…三橋貴明
 移民政策でアメリカの政治家重鎮がまさかの落選 ……90
 移民先進国・シンガポールでも反移民感情 ……92
 まだ改善できる日本の「労働参加率」 ……94
 欧州議会選挙で“圧勝”した反EU政党 ……96
 移民に寛容なスウェーデンの惨状 ……99
 世界中でグローバリズムとナショナリズムが対立軸に ……101

◎第四章【中国問題】 隠蔽された中国人移民の急増と大量受け入れ計画…関岡英之
 外国人労働者受入れ論が急浮上 ……106
 必ず中国人問題になる ……109
 原発事故以降も定着化が進む在日中国人 ……112
 中国の情報戦は始まっている ……119
 自民党の大罪 ……121

◎第五章 【海外事例】中国系移民が世界中で引き起こしているトンデモ事態…河添恵子
 カナダが移民政策に急ブレーキ ……128
 富裕層の関心事は「五輪ではなく移民」 ……131
 「白豪主義」ではなく「黄豪主義」になる ……135
 住民登録簿の名字にミラノ市民がショック ……139
 日本が日本でなくなっていく ……143

◎第六章 【外国人犯罪】外国人「技能実習」制度で急増する中国人犯罪…坂東忠信
 国民不在の移民論議 ……148
 犯罪の減少ではなく検挙の困難化 ……149
 国ごとに違う外国人犯罪 ……151
 来日より在日の方が犯罪発生率の高い韓国 ……155
 すでに定着している実質移民制度 ……157
 「実習」制度は低賃金労働システム ……158
 将来に禍根を残す経営者視点のご都合奴隷制度 ……160

◎第七章 【人口政策】 移民「毎年二〇万人」受け入れ構想の怪しさ…河合雅司
 このままでは人口は激減するが……
 日本人がマイノリティーになると ……167
 大量移民が生み出す新たな社会的困難 ……170
 東京五輪決定でリベンジに出た黒幕・財務省 ……173
 後世の日本人に顔向けできるのか ……177

◎第八章 【総論】自民党「移民一〇〇〇万人」イデオロギー…西尾幹二
 国家権力が溶けた時代 ……182
 呆れた自民党幹部の移民構想 ……184
 本音は安い労働力 ……186
 人口減少で不安を煽る手口 ……190
 日本は対決型・欧米社会とは断じて違う ……193
 国家と国民を守るのが保守政党の本能 ……197
 保守の真髄を取り戻せ ……199
 移民問題関連著作 ……203
 執筆者一覧 ……204

『中国人国家ニッポンの誕生』出版(一)

中国人国家ニッポンの誕生~移民栄えて国滅ぶ~ 中国人国家ニッポンの誕生~移民栄えて国滅ぶ~
(2014/11/10)
西尾幹二責任編集

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正論移民問題シンポジウムが本になりました。

◆はじめに

 本書は平成二十六年七月六日、産経新聞社の月刊言論誌『正論』が主催したトークライブ「日本を移民国家にしていいのか」を基本に据え、それを発展的に拡大した書物である。トークライブは東京のホテルグランドヒル市ヶ谷で行われ、1000人になんなんとする驚異的な数の参会者が訪れ、大変な熱気であった。テーマに対する関心の高さは、だらだらと無原則に外国人が増えていく今の日本社会への不安と不満の表現でもあった、と考えている。

 私はトークライブに先立ち『正論』編集長の小島新一氏に相談して、同年三月二十四日に五氏に呼びかけ、急を告げる移民問題の現実に言論人として何らかの形で警告を発する必要があるのではないかと相談会を持ちかけ、その初会合をもって「移民問題連絡会」の結成を諮り、同意を得た。次いで四月十日に、文化ャンネル桜のテレビ討論番組で主として同じメンバーによる三時間自由討議を行い、問題意識の共有にかなり手応えを感じた。その間に私を除く五氏は本書所収の論文を『正論』五月号、六月号並びに八月号に発表した。七月六日のトークライブはこうした数々の準備行動を踏まえて開催されたものである。

 私を除く五氏は現代における移民問題、ことにその楽天的開放政策に強い懐疑を抱く代表的論客であり、エキスパートである。私が同テーマに近い外国人単純労働者導入への慎重論を熱心に論じ立てたのはおよそ四半世紀前(1988―92年頃)のことである。当時早くも同種の問題が生じていたが、当時と今とではデータも違うし、世界情勢も変わっている。それに反し五氏はそれぞれ分野を異にしているものの、私と違って、現下のこの日本と取り組んでいる。

 なかでも問題を最も総合的に捉え、現代日本の文化、政治、社会の深部を犯すこの問題の危険性について多角的考察を重ねて来たのは関岡英之氏である。

 河添恵子氏はヨーロッパ、アメリカ、カナダ等に夥しい群れをなしさながら蟻の大軍のように押し寄せ、蚕食する中国人移民の実体をそれぞれの現地で観察し、報告してこられた。ライブトークでも氏は欠かせない存在で、諸外国の具体的なエピソードにより中国人襲来後の日本の悲劇を予告している。

 
 その中国人の警察取り調べの現場の声を伝えてくれたのは元刑事の坂東忠信氏である。坂東氏は新宿歌舞伎町や北池袋などの中国人の実体を明かしてくれた。顔写真だけは本人で、名前や生年月日は他人のものという真正パスポート「なりすまし」犯人の手口など、驚くべき情報はわれわれの背筋を寒くさせる。

 三橋貴明氏は現代社会から広く迎えられている経済評論家の代表格の一人で、その彼が人手不足を理由に移民導入を企てる一部の経済界や政界の動向に、純粋に経済的合理性を根拠に反対している発言には強い説得力が感じられる。

 河合雅司氏はフリーな言論人の右の四氏とは異なり、産経新聞の論説委員である。私が移民問題連絡会の立ち上げを考えたのは、じつは人口問題の専門家である河合氏の新聞紙上の論説「毎年20万人の移民──やがて日本人が少数派に」(産経2014年三月十六日)を読んだときである。外国人の導入によって人口減少問題、少子化問題の解決を図ろうとする、いかにも俗耳に入り易い議論に、河合氏は統計表とグラフをもって疑問を表明している。私は説得され、心強く思った。人口問題もこのテーマには欠かせない観点の一つである。

 以上五氏がそれぞれジャンルを異にして日本の移民国家化に警鐘を鳴らしているので、幾つもの観点が重なって全体として本書の効果を上げていることがお分かりになるだろう。どの観点も重要であり、一回のトークライブではとうてい語り尽くせない論点が溢れだした。トークライブは最初とりあえず短縮して『正論』九月号に掲載された。本書第一部はこれを引き継いでいるが、雑誌はスペースの関係で会場のあの熱気までは伝えられていない。本書第一部がトークライブの全貌を示す正確な記録である。

 さらに本書の第二部をお読みいただければ、各氏の思いの熱さと課題把握の鋭さ、深さがお分りになると思う。第二部の各氏の論文はそれぞれ独立した論文で、第一部の討論の延長ではないこともお伝えしておく。内容的には勿論第一部とつながっているが、時間的には第一部よりも先に執筆されたものである。ことに私の一篇は2008年の作で、自民党が1000万人移民論を唱えたときに抗議した内容である。今でも自民党はこのレベルの甘い認識をつづけていると思う。本書に登場した六人の同テーマに関連する著作の一覧表も巻末に掲げておくので、さらに問題の追究を志す方はぜひとも各著作に当っていただきたい。

 トークライブは内容的にかいつまんで要約すると大略次のようになると関係者一同が確認しあったので、本文86ページでも出しておいた「まとめ」の文章を以下にも掲示しておく。ただ、これは読者の便宜のためであって、トークライブの主催者や新聞社の声明文でも宣言文でもないので、その点は誤解のないようにお願いしたい。
1  外国人受け入れ政策は、諸外国の事例を踏まえるべきである。国民的議論なく進めることは認められない。
2  外国人単純労働力の受け入れ拡大は、日本の移民国家化と同じである。国連においては一年間定住した外国人は移民として扱われる。
3  高度人材の受け入れこそ、その要件と審査の厳格化が必要である。
4  外国人労働力受け入れ拡大は、国内労働者の賃金を下げ格差社会を拡大するため、景気回復にはつながらない。
5  労働力不足は日本人だけで解決することができる。
6  日本在留者の犯罪検挙率、犯罪検挙数、犯罪検挙人口が国別で上位三カ国の出身者については、特に厳格なる受け入れ指針を設けるべきである。
7  移民政策は少子化対策、すなわち人口問題の解決にはならない。
8  移民問題は国防問題に他ならない。

 移民問題連絡会のメンバーは固定していない。さらに仲間を増やし、今後も広く国内に訴えていきたい。五氏、並びにご苦労をお掛けした『正論』編集長の小島新一氏には厚く御礼申し上げる。トークライブの会場整理のお手伝いをいただいた今回ご参加の『正論』関係のスタッフの方と坦々塾のメンバーの方々にも深謝申し上げたい。

平成二十六年十月               西尾幹二

◆リレー報告(西尾第一発言)

 日本人よ移民を徹底的に差別する覚悟はあるのか

 今からちょうど二十五年前になりますが、大量のベトナム人が中国人を粧(よそお)った偽装難民として日本に押し寄せてきたことがありました。あの当時、単純労働力としての外国人の導入問題も世の中を沸騰させていて、私は発言を始めました。今日私は司会なのですが、議論を始めるに当たり、まずは外国人労働者の受け入れや移民について当時の私が確認していたポイントを八点に絞って挙げてみたい。現在に通じるところが多々あると考えるからです。

 一番は、日本人は必ず加害者になるということです。外国人が入ってくれば被害者にもなるけれども、被害者以上に加害者になる。加害者になったとしても平然としている図太さがあればいいのですが、日本人はそうはいかずに、国際誤解を招くような事件が必ず起こる。うかつな日本人は国際的に誤解され、慰安婦問題と同じように大騒ぎされることになる。

 二番目は、労働者受け入れ国は送り出し国に依存するということです。ドイツは、トルコ人難民に巨額のお金を支払って母国に帰らせたけれども、同じ数の別のトルコ人が入ってきた。ドイツ人がやりたがらないクリーニングなどはトルコ人専属の仕事になっていって、彼らなしには成り立たなくなった。そうやってトルコのパワーに取り込まれてしまった。日本でも同じようなことが起るでしょう。大相撲をみれば分かります。

 三番目は、外国から入ってくるのは人間であって、牛馬ではないということです。当たり前のようですが、この認識は徹底しなくてはいけない。彼らに妻子を連れてくるなとは言えない。外国人も日本に来たら、日本での〝出世〟を望むでしょう。そして彼らも必ず老人になり、介護が必要になるのです。

 四番目は、在留期限を切っても、外国人労働者の半数は必ず定住化するということです。諸外国で、期限を切って帰れと言っても成功した例はない。安倍総理が期限を切ればいいと簡単に言っておられますが、甘い考え方で、期限を切っても相当数が、必ず定住化します。外国人単純労働力の導入は、即移民国家になるということです。

 五番目は、日本は緩やかな階級社会ではあるが、カーストのような永続的階級制度はないということです。今後も存在しないでしょう。ところが諸外国、たとえばパリでは、底辺に中近東、黒人、アルジェリア人、モロッコ人、チュニジア人、中間労働者にポルトガル人、スペイン人、イタリア人、その上部にフランス人がいる。そのことに彼らは何ら痛痒を感じておらず、冷然と人種的階級差別が成立している。アパートの管理人をするのは、イタリア人やスペイン人で、ゴミを拾うのはチュニジア人、モロッコ人だったりする。永い歴史でこうした構造が決められていて、誰も文句を言わない。日本はある種の凹み型社会です。攻撃型社会ではない。中国人がフィリピン人を支配するというような外国人同士の上下関係が、日本人のあずかり知らぬところで生まれるでしょう。すると日本人は受け身ですから、知らぬ間に日本の国民も階層化されて、悪い影響を受ける。この国が持っていた豊かな流動性や自由な創造性が失われてしまう。さらには、わが国は自ら発展のバネを捨ててしまうというようなことになりかねないのです。

 六番目は同じことになりますけれども、日本人は他の国々のように外国人に冷徹冷酷に対応できないということです。政府は現在、特区をつくって、メイドを外国から雇えるようにすると言っています。出稼ぎのフィリピン人メイドが多いシンガポールでは、半年ごとにメイドを検査して妊娠したら即帰国させます。シンガポールの雇い主の男性側に全面的責任があってもそうします。日本人にこんな冷酷なことができますか。日本人は「同じ人間なのだから」と、外国人メイドに「何々ちゃん、いっしょに御飯食べましょうよ」というような甘い対応をするでしょう。差別意識がシステム化している諸外国とは違うのです。冷酷な対応をできもしない国民が、外国からメイドを雇うようなことをしてはいけない。

 七番目は現在のことですが、世界は鎖国に向かっている。移民国アメリカ、カナダ、オーストラリアでも受け入れを拒否し始めている事実を指摘しておきます。

 最後に。石原慎太郎氏が『SAPIO』六月号で、「太古から世界の人材と文化を受け入れてきた日本の寛容を知れ」という文章を書かれました。これは2008年に自民党が一千万人移民受け入れを提唱したときのイデオロギーと同じで、日本人は宗教的な懐が深いから、外国人を十分に受け入れることができるという見解です。しかし、日本の二千年の歴史のなかで少しずつ技術者などが入ってきて帰化人になったことと、イスラム教徒と中国人の大量移動期の現代のケースとは意味が違う。宗教的に包容力のある日本文化も、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、韓国儒教などの原理主義は基本的に受け入れていない。型どおりに包み込むが、歴史の中に取り入れず、歴史の片隅に置き去りにしていくだけです。日本文化は選択しています。大量移民の原理主義の導入は、日本文化の包容力を壊す恐れがあります。石原氏に再考を求めたい。

『天皇と原爆』の文庫版の刊行

平成24年(2012年)1月に刊行された『天皇と原爆』が「新潮文庫」になりました。7月末に発売です。

天皇と原爆 (新潮文庫 に 29-1) 天皇と原爆 (新潮文庫 に 29-1)
(2014/07/28)
西尾 幹二

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解説 渡辺望

前著『アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか』について、アマゾンに出た書評のひとつを紹介したい。

炎暑の刺激的な読書体験 2014/7/28

By nora

年が行ってからはあまり刺激的な読書はしてこなかった。意識的に遠ざけていたわけではないが、いまさら刺激を受けてもしょうがないだろうという気分があった。それなのに、こんな刺激的なタイトルの本を読んでしまったのは、梅雨も明けないウチから続く今年の炎夏のせいだ。
暑い夏にあえてアッツイ鍋物を食べるという避暑対策があるが、刺激的読書をすれば暑さを忘れ、ゆるんだ頭も少しは活性化するかもしれない……というわけで、扇風機の回る部屋で寝転びながら読み始めた。
十分に刺激的な読書体験となった。
まえがきから『日本は「侵略した国」では、なく「侵略された国」である。「日本はアジアを開放した」と言っているが、アジアの中で外国軍に占領されているのは日本だけである』といった刺激に溢れたフレーズが続く。私にとって初見の「歴史」が次々と紹介、展開されていく。読み終える頃には、シャツは汗でびっしょりと濡れ、アタマも妙に動き出した。そのせいで、年甲斐もなく「歴史」とは何だろう、と考えることとなった。
web検索するうちに、「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である(イギリス歴史学者E.Hカー)」という言葉を見つけた。
カーは、『「歴史上の事実」とされるもの自体が、すでにそれを記録した人の心を通して表現された主観的なもので、「すでに主観的である」歴史上の事実と私たちが対話してゆく道は、自らの主観を相対化し問い直す存在として接しようとするところにこそ開ける』と言う。
これはけっこう大変な作業だが、せっかくこの本で、たくさんの「新しい歴史」を見つけたので、アタマがまたスローダウンしないうちに関連本を読んで見ようと思っている。

 本を読んだ新鮮な「驚き」が素直に語られていて、著者としてはまことに嬉しかった。

 ぜひこの方に『天皇と原爆』のほうも読んでいただきたい。炎暑の中のもう一度の「刺激的な読書体験」になるのではないかと期待している。

 また、ここで述べられているE・H・カーの歴史とは過去との「対話」だ、という考え方は、私の『決定版 国民の歴史』(文春文庫)に新たに追加した序文「歴史とは何か」にも通じるので、目を向けていただければありがたい。

西尾幹二全集第14巻『人生論集』の刊行

 7月半ばに遅れていた私の全集第14巻『人生論集』がやっと出ました。第10回配本です。前回は第9巻『文学評論』でしたので、第10、11、12、13巻の四冊をスキップして、いきなり第14巻に飛びました。

 そのわけは、この第10、11、12、13巻は世界の状況が急変した共産主義の終焉を第11巻に予定していて、編集が大変に複雑で難しくなってくるので、内容のまとまっている第14巻『人生論集』を先に出したのでした。

 いち早く7月15日付である方から第14巻についていきなり次のコメントが届きました。

3.西尾幹二全集14巻が届きました。毎巻、書架の装飾がわりに並べておくだけで、中身は一度の読んだことがありません(ケースから出したこともない)が、今回は、一気に全部読みました。おかげで、このところ寝不足です。西尾さんの日常が軽妙なタッチで描かれていて、大変面白かった。

コメント by 藤原信悦 — 2014/7/15 火曜日 @ 12:05:03 |編集
(「正論」連載「戦争史観の転換」へのコメント)

 箱も開けていないなんてひどいなァ、と思いましたが、第14巻は読み出したら止まらなくて寝不足になった、というくだりは正直うれしい感想でした。具体的エピソード満載の一巻ですので、この一巻は読みやすく、面白いこと請け合います。

 まだ私の全集に近づいていない方はぜひこの巻を入り口に手を出して下さい。(株)国書刊行会の販売部長永島成郎氏(Tel 03-5970-7421)が買う巻の順序などについてはご相談にあずかります。以上はコマーシャルです。

 以下に第14巻の目次を示します。巻末の「随筆種(その一)」も目玉商品です。

オモテ帯
作家 川口マーン惠美
ドイツからの手紙

全編を通して共感を覚えるのは、西尾先生ご自身がご自分を上段に置くことなしに、すべてを正直に心に問い、疑い、弱い部分もさらけ出していらっしゃるところ。それは、とくにご闘病のシーンに顕著です。そして、死を恐れるご自分を見つめ、悩み、その挙句、あらゆる患者に癌を告知するべきだという理屈は「強者のモラルの極論ではないか」と憤る場面に、読む者は心を打たれます。つまり、先生ご自身も、紛れもなく、「本当の姿を見ることを本能的に拒否し」、「自分で自分を騙して生きて」いる人間、「完全な自由も、完全な孤独も」持たない人間の一人なのです。その謙虚さを感じるからこそ、ここに掲示される多くの疑問や考察は、読む者の心に素直に染み透っていきます。
(『人生の価値について』解説より)

目 次
Ⅰ 人生の深淵について

 怒りについて
 虚栄について
 孤独について
 退屈について
 羞恥について
 嘘について
 死について
 教養について
 苦悩について
 権力欲について

Ⅱ 人生の価値について
 断念について――新版まえがきに代えて

第一部
 無知の権利
 自分への幻想
 褒められること
 成功と失敗
 人生の評価
 真贋について
 虚飾について
 ふたたび 真贋について
 虚栄について
 自由と混沌
 独創性について
 芸術と個人
 自由と平等
 ふたたび 自由と平等
 自由と競争
 自由の隠し場所
 福音について
 理解について
 行為と言葉
 思想ということ
 書物の運命

第二部
 無私について
 現実について
 運命について
 賭けと現実
 現実は動く
 理想と現実
 政治と道徳
 統治について
 思想の背後
 知ってしまった悲劇
 孤独の怒り
 始皇帝の展覧会を見て
 出会いの神秘
 聖人と政治
 ふたたび 聖人と政治
 内政と外交
 言葉が届かない
 ある歴史物語(一)
 ある歴史物語(二)
 ある歴史物語(三)
 ある歴史物語(四)
 悲劇について(一)
 悲劇について(二)
 悲劇について(三)
 行為と無
 人生の主役

第三部
 落ちていく自分
 破滅について
 危機の時代
 狂気と正常
 疾走する孤独
 ニヒリズムについて
 遊戯と真剣
 不自由への欲求
 青年の変貌
 自閉衝動
 深まるニヒリズム
 自由の恐怖
 違反と禁止
 真理について
 宗教と歴史
 古代の獲得
 知行合一
 歴史の死
 行為と観照
 歴史と文学
 預言者の悲劇

第四部
 インドでの戦慄
 信じられないこと
 人権について
 浄、不浄の観念
 インドの上流家庭
 カースト制度の打倒
 菜食主義
 結婚の条件
 差別の解消
 不寛容な社会
 差別と区別
 個体という幻
 裁きについて
 自然の意志
 意志と煩悩
 忍苦の世界

第五部
 懺悔について
 後悔について
 取り戻せない過去
 希望について
 ある体験(一)
 ある体験(二)
 ある体験(三)
 ある体験(四)
 ある体験(五)
 自分の知らない自分
 死の統御について
 死の自覚について
 自覚の限界について
 病気の診断について
 羞恥について
 人生の長さについて
 人生の退屈そして不安(一)
 人生の退屈そして不安(二)

あとがき

Ⅲ 人生の自由と宿命について   西尾幹二と池田俊二

 第一章 青春の原体験
 第二章 ベルリンの壁崩壊がもたらしたもの
 第三章 人生の確かさとは何か
 第四章 近代日本の宿命について
 第五章 しっていてつく嘘 知らないで言う嘘
 第六章 アフォリズムは人間理解が際立つ形式である
 第七章 ニーチェのはにかみとやさしさと果てしなさ

Ⅳ 男子、一生の問題
 はじめに 日本人が、考えなければならない「問題」がある
 第一章 「男子の仕事」で一番大事となるものは何か
 第二章 時間に追われず、時間を追いかけて生きよ
 第三章 この国の問題――羞恥心の消滅
 第四章 「地図のない時代」にいかに地図を見つけるか
 第五章 男同士の闘争ということ
 第六章 軽蔑すべき人間、尊敬すべき人間
 第七章 「自分がいないような読書」はするな
 第八章 仕事を離れた自由な時間に

Ⅴ 随筆集(その一)
 女の夢、男の夢
 蛙の面に水
 村崎さんの偏差値日記
 私は巨人ファン
 大学のことばと会社のことば
 買いそびれた一枚
 ミュンヘンのホテルにて
 西洋名画三題噺――ルソー、クレー、フェルメール
 子犬の軌跡
 音楽後進国の悲哀
 親の愛、これに勝る教師はなし
 恩師小池辰雄先生
 愛犬の死

追補一 「思想」の大きさについて 小浜逸郎
追補二 ドイツからの手紙 川口マーン惠美
後記

ウラ帯
「真に高貴な人間は怨みとか焦りとか妬みとかを知らない。ただ怒りだけを知っている。勿論それで身を滅ぼすこともある。神のみが為し得る正義の怒りを、人間が常に過たずに為し得るとは限らないからである」(怒りについて)

「生産的な不安を欠くことが、私に言わせれば、無教養ということに外ならない。それに対し絶えず自分に疑問を抱き、稔りある問いを発しつづけることが真の教養ということである」(教養について)

「他人を出し抜いて得をしようというのも虚栄なら、わざと損をして自分を綺麗に見せようとするのも虚栄である」(虚栄について)

「われわれは一般に真実を語ろうとする動機そのものの嘘に警戒をする必要がある」(嘘について)

「孤独感は自分に近い存在と自分との関わりにおいて初めて生ずるものではないだろうか。近い人間に遠さを感じたときに、初めて人は孤独を知る。孤独と人生の淋しさ一般とは違うのである」(孤独について)

(『人生の深淵について』より)
以上

「アメリカと中国はどう日本を『侵略』するのか(二)

アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか
(2014/07/16)
西尾 幹二

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宮崎正弘氏による書評

いずれアメリカは日本を捨てる日が来るかも知れない
  日本は本物の危機がすぐそこにある現実に目覚めなければいけない


西尾幹二『アメリカと中国はどう日本を侵略するのか』(KKベストセラーズ)
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 副題は「第二次大戦前夜にだんだん似てきている、いま」である。
 日本は従来型の危機ではなく、新型の危機に直面している。
 国家安全保障の見地から言えば、戦後長きにわたり「日米安保条約」という片務条約によって日本はアメリカに庇護されてきたため、自立自尊、自主防衛という発想がながらく消え失せていた。付随して日本では歴史認識が歪曲されたまま放置された。左翼の跋扈を許した。
米国が「世界の警察官」の地位からずるずると後退したが、その一方で、中国の軍事的脅威がますます増大しているのに、まだ日米安保条約があるから安心とばかりに「集団的自衛権」などと国際的に非常識の議論を国会で日夜行っている。
まだまだ日本は「平和ぼけ」のままである。
 実際に「核の傘」はボロ傘に化け、精鋭海兵隊は沖縄から暫時撤退しグアム以東へと去る。一部は中国のミサイルの届かない豪州ダーウィンへと去った。オバマ大統領は訪日のおり、「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲」と言ったが、「断固護る」とは言わなかった。
 それなのに吾が自衛隊は米軍の下請けシステムにビルトインされており、日本の核武装は米国が反対している。
 これはアメリカにとって庇護下から日本はぬけでるな、という意味でもある。欧州との間に交わして「核シェアリング」も日本にだけは絶対に認めない。
 「日本はまず日本人で守ろう、日本は良い国なのです」と言った航空幕僚長は馘首された。
 従来型の軍事力比較ばかりか、近年は中国ハッカー部隊の暗躍があり、日本の通信はすべて盗聴・傍受、モニターされているが、対策するにも術がなく、ようやく機密特別保護法ができたほどで、スパイ防止法はなく、機密は次々と諸外国に漏洩し、なおかつハッカー対策に決定的な遅れを取っている。
 通信が寸断され、情報が操作されるとなると敵は戦わずして勝つことになる。

 経済方面に視点を移すと、日本は戦後の「ブレトンウッズ体制」で決められてIMF・世銀、すなわちドル基軸体制にすっかりと安住し、あれほど為替で痛い目に遭わされても、次のドル危機に構えることもなく(金備蓄の貧弱なこと!)、また米国の言うなりにTPPに参加する。
 TPPは中国を排除した知的財産権擁護が主眼とはいえ、これが安全保障に繋がるという議論はいただけず、また目先の利益優先思想は、長期的な日本の伝統回復、歴史認識の蘇生という精神の問題をなおざりにして、より深い危機に陥る危険性がある。誰も、TPPでそのことを議論しない。
 アメリカは戦後、製造業から離れ宇宙航空産業とコンピュータソフトに代表される知的財産権に執着し、金融のノウハウで世界経済をリードした。日本は、基幹をアメリカに奪われ、いはばアメリカの手足となって重化学機械、自動車を含む運搬建設機材、ロボット、精密機械製造装置で格段の産業的?家をあげたが、産業の米といわれるIC、集積回路、小型ICの生産などは中国に工場を移した。
 つまり貿易立国、ものつくり国家といわれても、為替操作による円高で、日本企業は海外に工場を建てざるを得なくなり、国内は空洞化した。若者に就職先が激減し、地方都市はシャッター通り、農村からは見る影もなく『人が消えた』。
 深刻な経済構造の危機である。グローバリズムとはアメリカニズムである。
 こうした対応は日本の国益を踏みにじることなのに、自民党も霞ヶ関も危機意識が薄く、またマスコミは左巻きの時代遅れ組が依然として主流を形成している。
 これらを総括するだけでもいかに日本は駄目な国家になっているかが分かる。

 だから西尾幹二氏は立ち上げるのだ。声を大にして自立自存の日本の再建を訴えるのである。第一にアメリカに対する認識を変える必要がある。
 西尾氏はこう言われる。
 「アメリカの最大の失敗は『中国という共産党国家を作り出したこと』と『日本と戦争をしたこと』に尽きる。(アメリカの)浅薄な指導者たちのおかげでやらなくてもいいことをやってしまった。その後も失敗を繰り返し、今回もまた同時多発テロ後、中国に肩入れをしていつの間にか中国経済を強大化させてしまった」(95p)
 「オバマ政権は世界の情報把握も不十分で、ウクライナでしくじったのも、イラクであわてているのも、ロシアやイスラム過激派の現実をまるきり見ていないし、サウジアラビアのような積年の同盟国を敵に回して」しまった(105p)。
 秀吉をみよ。情報をきちんと把握し、キリスト教の野望をしって鎖国へと道筋を付け、当時の世界帝国スペインと対等に渡り合ったではないか。
 しかし戦後の歴史認識は狂った。
 「あの戦争で日本は立派に戦い、大切なものを守り通した。それを戦後の自虐史観が台無しにした。先の大戦を『日本の犯罪だ』とう者はさすがに少なくなった。ただ、半藤一利、保坂正康、秦郁彦、北岡伸一、五百旗頭真、加藤陽子など」がいる(182p)。
 日本は確かにいま米国に守護されてはいるが「アメリカはあっという間に突き放すかも知れない。中国の理不尽な要求に、耐えられない妥協をするようアメリカが強いて来るかも知れない。『平和のためだから我慢してくれ』と日本の精神を平気で傷つける要求を中国だけではなく、アメリカも一緒になって無理強いするかもしれない」(242p)。
 ことほど左様に「アメリカは、軽薄な『革命国家』」なのである。(251p)
 憂国の熱情からほとばしる警告には真摯に耳を傾けざるを得ないだろう。
 結論に西尾氏はこう言う。
「外交は親米、精神は離米」。たしかにその通りである。

「アメリカと中国はどう日本を『侵略』するのか」の刊行

アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか
(2014/07/16)
西尾 幹二

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【新刊のお知らせ】

『 アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか 
-「第二次大戦」前夜にだんだん似ている、今 』
西尾幹二(KKベストセラーズ) 本体価格:1,000円+税
2014年7月15日配本開始!(全国書店、インターネット等で発売)

第1章 米中に告ぐ!あなた方が「侵略者」ではないか
第2章 中国人の「性質」は戦前とちっとも変わっていない
第3章 「失態」を繰り返すアメリカに、大いに物申すとき
第4章 16世紀から日本は狙われていた!
第5章 「日米戦争」はなぜ起こったか?
第6章 敢えて言おう、日本はあの戦争で「目的」を果たした!
第7章 アメリカの可笑しさ、
    自らの「ナショナリズム」を「グローバリズム」と称する

<あとがきより>
 アメリカ革命やフランス革命は、ある時期確かに新しい価値をもたらしたが、それは人類の普遍的価値ではない。ふたつの革命が時代とともに人類に禍を引き起こした面もある。

 戦勝国アメリカが「敗戦国日本に民主主義や自由主義の理念をもたらしてくれた」と思っている人が未だにいるが、それは正しくない。
ヨーロッパの古い文明は、まだ有効性を持っているかもしれないが、われわれはそれを必ずしも模範として学べばよいという時代ではない。いわんや、アメリカ文化はもう日本のモデルではない。

 「最近若い人がアメリカに留学しなくなった。日本人が内向きになったからだ」と、言う人がいる。しかしそれは、日本社会がもはやアメリカを手本にしてわが身を正そうとしなったからではないか。だから日本の若者が、アメリカに行っても得をしないと思うようになった。アメリカが世界の普遍性の代表ではなくなったのである。

 私はアメリカを否定する者ではない。決して、いわゆる「反米」ではない。外交的にも軍事的にもアメリカからすぐ離れることはできない。ただ、もっと距離をもって捉えるべきだと言っている。精神的に離れるべきだと言っている。

 第二次大戦後に毛沢東に肩入れして、今の中国をつくってしまったのはアメリカである。アメリカ人は革命好きなのである。それでいて、あっという間に毛沢東軍と朝鮮で泥沼の戦争をしたのもアメリカである。アメリカ人には幼い面がある。このことの歴史的深刻さを、よく認識しておかなければならない。

 アメリカは「世界政府」志向の帝国で、自国の「ナショナリズム」を「グローバリズム」の名で呼ぶという、笑ってしまうような平然たる傲慢さがある。
それに対し、日本はどこまでも単一民族文化国家であり、異なる独自の価値観に生きている。世界のあらゆる文明はそれぞれが独自であって、特定の文明が優位ということはあってはならない。

 平成二六年六月                         西尾幹二