張作霖爆殺事件対談(二)

爆破の瞬間写真をなぜ残した

西尾 爆発の瞬間を撮影した現場写真に話を戻しますが、不思議な写真です。爆殺が行われるのをあらかじめ知っていた何者かがスタンバイしていなければ撮れません。
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加藤 この写真は、爆発の前からその瞬間、以降の現場検証や張作霖の葬儀の様子までを撮影した六十一枚の組写真の一枚です。山形新聞資料室に残されていて、昭和六十年には地元テレビ放送局の特集番組で紹介されて日の目を見ました。河本グループの一員が所有していた写真を陸軍特務機関員が入手していたようです。

西尾 撮影者は河本グループの誰かである。しかし、この写真は、撮影者の事件への関与を示す証拠になります。河本グループは、苦力の死体を置いてとりあえずは国民党軍の犯行にみせかける偽装工作をして実行に及んでいますが、敢えて自分たちの関与が発覚する危険性を承知で撮影したのはなぜでしょうか。

加藤 敢えて自分たちの関与を示す証拠として残したかったのだと考えられます。

西尾 写真を撮ってまで自分たちの行動を後世に伝えようとした。実行犯グループは自分たちの行動を非常に誇りに思っていた。そうした心理が読み取れるわけですね。

加藤 河本のお孫さんの女性にも昨年会って話を聞きました。彼女は河本の妻や娘、つまり祖母や叔母から「陸軍の上層部も祖父(河本)自身も日本にとって張作霖が極めて不都合な存在だったと考えていたので、祖父がお国のために実行したのだ」と教えられたと語ってくれました。事件に対する河本の誇りは、家族にも受け継がれているように思えました。

西尾 読者の皆さんに注意を喚起したいのですが、河本自身は事件の約一カ月半前、満蒙問題解決のため「張作霖の一人や二人ぐらい、野タレ死しても差支えないじゃないか。今度という今度は是非やるよ。止めても、ドーシテモ、やってみる」という手紙を参謀本部の友人に送っています。手柄として誇示したいとすら思っていたのであって、本来なら隠すべきところを、隠すような犯罪では決してないと考えていたわけです。これが前提です。

加藤 軍中央の河本の同志たち、エリート幕僚集団の「二葉会」のメンバーも喝采を送っていました。河本は張作霖爆殺事件で予備役とされますが、その後は満鉄や中国の炭鉱会社の役員になったりします。彼を支援、支持する軍内部の声が後々まで続いたということです。

西尾 ほかにも、河本首謀説の「決め手」とされた証拠が幾つか現場に残されていますね。
 
加藤 河本たちは国民党軍の便衣兵の犯行にみせかける偽装工作として二人のアヘン中毒の苦力(クーリー)を殺害し、死体を現場に残しています。そのポケットには犯行声明文のようなものを入れましたが、いい加減で、中国人が書いたとはとても思えない。日本軍がやったとすぐにバレる代物でした。
 また発火装置の導電線を約一八〇メートル離れた日本の監視小屋にまで引き込み、そこで爆破スイッチを押したと言われていますが、事件後の現場からは導電線が半分ぐらい残されているのが発見されています。こうしたカモフラージュのずさんさは、普通では考えられません。河本や東宮はエリート軍人であって、らしからぬ偽装と言わざるを得ません。

西尾 つまり、偽装だとすぐにばれるような工作だった。

加藤 故意に関東軍の犯行だと示唆する証拠を残したんでしょうね。その証拠を拾ってきて、「河本が首謀したことに間違いない」と…。

西尾 言っているのが秦郁彦氏たち。

加藤 それは歴史とは言えません。

西尾 裏も読めていないし。時代の背景も人間の真実も分かっていないんですよ。

加藤 『マオ』がコミンテルン犯行説の根拠とした『GRU帝国』の関連の記述を紹介します。「GRU」はソ連軍参謀本部情報総局という巨大な諜報機関で、筆者はロシアの歴史家、プロホロフです。それによると、「張作霖は長年にわたって権力の座におり、満州日本、ソ連、孫文政府の利害対立をうまく利用していたが、彼自身は一九二六年から二七年のボロディン(中国で活動したコミンテルン工作員)の活動の結果に対しひどく不満を抱いていた。東支鉄道(中東鉄道)の通常の機能は、ソ連側で働く者と張作霖側との絶え間ない戦闘によって著しく脅かされていた。それゆえモスクワでは張作霖を処分すること、その際に日本軍に疑いが向けられるようにすることが決定された」。この最後の「日本軍に疑いが向けられるようにする」というモスクワの意向と、「ずさんな証拠残し」とが符合することを指摘しておきたいと思います。

イギリスにあった日本外務省の報告書

西尾 加藤さんは海外でも多くの史料を発見されました。例えば、イギリス公文書館で公開されていた史料です。その中に、事件直後の現場の見取り図(二四五頁の図1~2)があります。

(図をクリックすると拡大します)
Zhang Zuolin Assassination Incident sketch 1
図1

Zhang Zuolin Assassination Incident sketch 2
図2

加藤 日本語で書かれた見取り図で、奉天領事の内田が作成した報告書をイギリス諜報機関が入手したもではないかと思われます。しかし、「満州某重大事件」などと呼んで一般には内容が秘密にされた事件です。調査報告書の類は日本政府内でも限られた人員しか閲覧できなかったはず。そんな史料がなぜロンドンにあるのかと驚きました。イギリスが入手した経緯は当然ながら書かれていませんが、内田の結論である列車内部爆発説が斎藤参謀長所見と同様、まったく本国日本で取り上げられなかったことから、真相解明を後世に託すために、敢えてイギリス側に渡した可能性もあると思っています。

西尾 九十年後の今日、その内田の密かな願いが加藤さんの手で実現したのだとすれば、運命的な発見です。図2を見れば明らかですが、高架の満鉄線の欄干が破壊されて、下に垂れ下がっています。一方、図1では、地面に穴が空いたり線路が破壊されたりしたことを示す書き込みはありません。やはり河本たちの爆発は効果がなく、実際に彼を殺害に至らしめたのは、列車内の天井に仕掛けられた爆弾の爆発であったこと、それが極めて強力で車両だけでなく、上部の満鉄の橋梁まで吹っ飛ばしていたことがよく分かります。
 これだけすさまじい爆発の威力は、実は橋脚付近にも仕掛けられていた爆薬が、車両天井部の爆発によって誘爆したことで生じたという見方を加藤さんは『謎解き張作霖』で披露されています。

加藤 ええ。河本が第二の実行犯の存在に気付いていたかどうかにも関わる重要な問題です。

西尾 複雑な話なので、残念ですがその内容は本書『謎解き張作霖』に譲りましょう。イギリスでは、同国の諜報機関が作成した文書にも当たられたんですね。

加藤 イギリスは当時、陸軍情報部極東課(MI2c)と情報局秘密情報部(MI6)の二つの諜報機関が事件の真相を探っていました。
 このうちMI6諜報員だったヒル大佐という駐日大使館付武官のメモは、爆薬の設置場所について、爆薬は客車の上方にあったとしたうえで、①陸橋に詰め込まれていた②車両の天井に置かれていた|という二通りの可能性を検討しています。①なら陸橋上は日本兵が警戒していたので日本軍の関与を示す決定的証拠となるものの、「この見解はイギリス総領事に嘲笑された」として否定的です。これまでみてきたように、②の可能性が「十分ありえるのだ」としている点は重要なポイントです。
 また「張作霖の死に関するメモ」と題したイギリス外交部あての文書(一九二八年十二月十五日付)も、「爆弾は張作霖の車両の上部または中に仕掛けられていたという結論に至った」と書かれています。

西尾 これは大きな発見だったと思います。
 
加藤 張作霖事件に関する同国諜報機関の文書をめぐっては、興味深い論争があります。京都大学教授の中西輝政氏は、MI2cの文書(一九二八年十月十九日付)を引用する形で、MI2cは「(張作霖事件に)関東軍もかんだかもしれないが、ソ連(コミンテルンないしソ連軍諜報部)が主役だったという結論を出している」としています(『WiLL』二〇〇九年一月号)。
 これに対し、秦郁彦氏は「張作霖からハル・ノートまで」(『日本法学』第七十六巻)という論文で、当時のイギリス諜報機関の活動を紹介するイギリス人の著述に「一九二九年に入り東京の英大使館は(事件の主役がソ連だったという可能性とは)別の推定に達した。すなわち暗殺は関東軍の一部によって遂行されたということである」と書かれているとして中西氏の主張を否定しています。このイギリス人の著述は、駐日大使からチェンバレン外相にあてた一九二九年三月二十三日付文書などに基づいているとのことです。
 しかし先ほど紹介した、河本グループ以外の実行犯の存在を示唆するヒル大佐のメモも同じ一九二九年三月二十三日付で、チェンバレン外相に送られています。秦氏が引用したイギリス人の著述を見ておらず詳細は分かりませんが、同じ日付の新史料が今回発見されたことで、秦氏の論拠が中西説を覆したことには必ずしもならないように思われます。

つづく
『正論』(2011年7月号)より

謹賀新年 平成26年2014年元旦 張作霖爆殺事件対談(一)

 昭和3年(1928年)の張作霖爆殺事件は加藤康男氏の研究によって、関東軍主犯説はくつがえされた。昭和6年(1931年)の柳条湖事件の日本軍犯行説も、まだ証拠十分ではないが、くつがえされる日はそう遠くないと信じている。

 張作霖爆殺事件の真相をめぐって、加藤康男氏と私とは『正論』(2011年7月号)で読者に分り易く解説するための対談をしたことがある。今日から何回かに分けて、同対談をここに掲示することにしたい。

 両事件の日本軍主犯説がくつがえると、戦後歴史学会が組み立てた昭和史の全体像が崩壊することになるであろう。

東京裁判史観を撃つ
張作霖爆殺の黒幕はコミンテルンだ

イギリス機密文書やコミンテルン工作員の自伝…。数々の新資料が物語る事件の黒幕。そして「父親殺し」の可能性。「日本単独犯」に異を唱えた田母神論文を一笑した歴史家たちを糾す!

編集者・近現代史研究家●かとう・やすお 加藤康男
(略歴)
 加藤康男氏
 昭和16(1941)年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。集英社に入社し、『週刊プレイボーイ』創刊から編集に携わる。集英社文庫編集長、文芸誌『すばる』編集長、恒文社専務取締役などを歴任。主に近現代史をテーマに執筆活動を行っている。『昭和の写真家』(晶文社)、『戦争写真家ロバート・キャパ』(ちくま新書)など写真評論の著作(筆名・加藤哲郎)がある。

評論家●にしお・かんじ 西尾幹二
(略歴)
 西尾幹二氏
 昭和10(1935)年、東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。第10回正論大賞受賞。著書に『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)、『国民の歴史』(扶桑社)、『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)、『GHQ焚書図書開封1~4』(徳間書店)など多数。近著に『西尾幹二のブログ論壇』(総和社)。

爆殺現場に残された河本首謀説の矛盾

 西尾 加藤さんが五月に出された『謎解き「張作霖爆殺事件」』(PHP新書、以下『謎解き張作霖』)は、昭和史をひっくり返すだけのインパクトをもった、極めて重要な本だと思います。
 事件は、東京裁判以降、河本大作大佐を首謀者とする関東軍関係者の犯行だと考えられてきました。ところが、戦後六十年の平成十七(二〇〇五)年に出版された『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(ユン・チアン、ジョン・ハリデイ著、講談社)で、「コミンテルン(第三インターナショナル・国際共産党=戦前の国際共産主義運動指導組織)/ソ連軍諜報機関」の犯行だったという説が提示され、注目を集めました。そして元空将の田母神俊雄氏が、空幕長を更迭される原因となった懸賞論文「日本は侵略国家であったのか」で、「最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている」と記したところ、現代史家の秦郁彦氏たちから罵倒・中傷としか言いようのない批判をされたという経緯があります。
『謎解き張作霖』は、一言でいえば、河本首謀説を明確に否定し、コミンテルン説を補強する内容です。河本首謀説以外はまったく受け入れようとしない秦氏たちに眼を開いてもらうために、また一般の昭和史論者に歴史とはどのように調べるべきなのか、そしてどのようにして新しく変わっていくものかということをも示す、一つの大きな転機となるご本だろうと思います。
「まえがき」で加藤さんは、事件の背景の外交や軍事などをできるだけ省き、爆殺事件そのもの、とりわけ現場に焦点を絞って実行犯を特定したいと書いておられます。河本首謀説の何に最初に疑問を持たれたのでしょうか。

 加藤 河本首謀説を簡単に説明すると、関東軍高級参謀だった河本大佐が関東軍の将校並びに工兵たちを使って一九二八(昭和三)年六月四日の払暁、奉天郊外の皇姑屯(こうことん)で、張作霖が乗った列車が通りかかったタイミングで仕掛けておいた爆薬を爆発させ、張を殺害したというものです。秦氏だけではなく、昭和史の売れ筋の著作を書いている作家の半藤一利氏やノンフィクション作家の保阪正康氏もそのように紹介しています。
 河本首謀説を否定する『マオ』のコミンテルン説を検証したいと思いましたが、モスクワでは、旧ソ連崩壊時に公開され始めた当時の秘密工作に関する史料がプーチン体制となってからはほとんど公開されず、新たなハードファクトが出てくるという状況にはありません。そこで、入手可能な史料を丹念に見直す作業から始めました。そして事件直後の現場写真と、事実関係を照らし合わせると、大きな矛盾があることに気付きました。河本たちが爆薬を仕掛けたと語っている場所で爆発が起きたとしても、写真に記録されているような現場の状況にはならない。どうしてもつじつまがあわないのです。

 西尾 確認です。『マオ』でコミンテルン説が注目されると、河本グループの役割が問われました。「まったく関与していない」「河本らがコミンテルンに完全に操られていたのではないか」と侃々諤々でした。加藤さんの検証では、河本が事件に関わり、配下の東宮鉄男(かねお)大尉たちを使って爆薬爆破を実行した事実は動かないわけですね。

 加藤 はい。河本自身の中国共産党に対する供述調書をはじめ、爆破にかかわったグループメンバーの証言などからも、その点は揺るがないと思います。
 
西尾 しかし、張作霖を実際に死に至らしめたのは、河本たちの仕掛けた爆発物ではないのではないかという疑問を、加藤さんはどの点で抱いたのですか。

 加藤 現場は、張作霖の列車が走っていた京奉線を、満鉄線の高架がクロスする形でまたいでいます。『謎解き張作霖』で検証しましたが、河本の部下が爆薬を仕掛けたのは、このクロスポイントから、列車の進行方向である東側に数メートルの地点だと考えられます。仕掛けられた爆薬は二〇〇~二五〇キロ、線路脇に積まれた土嚢に入れられていたという証言もあります。
 これだけの爆薬が爆発すれば、普通なら地面に大きな穴が空くはずですが、爆発の瞬間を撮影した二四一ページの写真をみると、まったく穴は空いていません。レールも無傷です。その他の現場写真をみてもそうです。列車も少なくとも一両は転覆しないとおかしいのに、それもない。車体は確かに側面が崩れていますが、爆発に伴う火災で崩れ落ちたものだと考えられます。

 西尾 そこで、車両の内部に爆発物が仕掛けられていて、これが張作霖を死に至らしめたのではないかという推論に加藤さんは導かれた。

 加藤 ええ。河本グループが実際に爆破したのは、恐らく数十キロ程度の少量の爆薬に過ぎず、列車と張作霖に致命傷を与えた第二の実行犯がいたということです。
 列車内に爆発物が仕掛けられていた可能性は、実は当時のさまざまな現場調査で指摘されていて、あろうことか関東軍の記録にまで書かれていました。当時、関東軍参謀長だった斎藤恒が、参謀本部に提出した『張作霖列車爆破事件に関する所見』という文書には、次のように書かれています。この中で出てくる「橋脚」とは、満鉄線の高架(鉄橋)の橋脚です。爆薬が仕掛けられた位置についてはいろいろな意見があると前置きしつつ、「破壊せし車輌及び鉄橋被害の痕跡に照らし橋脚上部附近か、又は列車自体に装置せられしものなること、略推測に難しとせず」としています。
 同じ事が、内田五郎という日本外務省の奉天領事が作成した調査報告書にも書かれています。内田は支那側との共同チームで調べた結果を、一九二八年六月二十一日付で爆薬の装置場所について概略次のようにまとめています。①爆薬は(高架)橋の上、橋の下、または地面に装置したものとは思われない②側面や橋上から投げつけたものでもない③張作霖が爆発時にいた展望車後方部か後続の食堂車前部付近の車内上部、または高架橋脚の鉄桁と石崖との間の隙間に装置したと認められる|。そのうえで、「電気仕掛にて爆発せしめたるもの」としています。

 西尾 河本首謀説を覆し、別の実行犯の存在を示す調査報告書が、関東軍から参謀本部に提出されていた。河本らが爆破を実行していたことは、事件からほどなくして日本政府内で知られ始めて陸軍は対応に困っていたと思いますが、犯人は別だというこの報告書を当局は喜ばなかったのでしょうか。

 加藤 恐らく、表に出したくなかったので握り潰されたのだろうと思います。河本が爆破をやったことは間違いないわけですから、第三国による別の爆破があって、その謀略に関東軍が加担した、あるいは乗せられたことを認めることになります。陸軍の主権、さらには統帥権の問題にも発展しかねません。国家としては認められないわけです。

『正論』2011年7月号より

つづく

年末のお知らせ――講演の始末、その他

 12月8日の私の講演「大東亜戦争の文明論的意義を考える――父祖の視座から」について、ご所見をお寄せ下さる人が多数にのぼり深謝にたえません。その後あの講演を文字化し、プリントして、自ら再検証した処、話はあちこちに飛び、論旨に不明なところもあり、赤面の至りでした。聴き手の皆さまにご迷惑をお掛けしたと痛感しています。あんな不完全なスピーチからよく本意を汲み取ろうとして下さったと、申し訳なく思っております。

 そこでご報告します。あの講演は400字詰で120枚ありました。三分割し30枚論文を三篇作成し、『正論』2月号(12月25日発売)から「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因」(上)(中)(下)と題して掲載します。余計な処を削除し、新しい表現も加え、筋を明確に辿れるものに新装いたしますので、あらためて読んで下さい。

 加えて、日本文化チャンネル桜の私の「GHQ焚書図書開封」の時間帯に、同講演をやはり三回に分けて放映いたします。放映日は1月8日、22日、2月5日で、いずれも翌日にはYou Tubeにあがります。

 これらに伴い、私の『正論』連載「戦争史観の転換」と日本文化チャンネル桜の「GHQ焚書図書開封」通常番組は、その間休止させていただきます。いずれもしっかり連載の準備の勉強をしたいという思いからであり、急がず慌てず、前へ着実に進めるための一助になろうかと考えています。

 「GHQ焚書図書」⑧『日米百年戦争』はご好評をいただいていますが、今後の計画は、来年中に⑨『対日石油禁輸と経済封鎖の真相』、ならびに⑩『水戸学物語』です。

 『WiLL』1月号の六人座談会の「柳条湖事件の日本軍犯行説を疑う」後篇が当然2月号に期待されたはずですが、出ていません。私にもまだ不掲載の編集部からの理由説明は届いていません。残念ながら「遺憾」としか申し上げられないのが現段階です。

ご講演を拝聴して

感想文 坦々塾会員 阿由葉秀峰

最初から些細な私事で恐縮ですが、当日グランドヒル市ヶ谷に行く前に、開戦記念日ということもあり、靖国神社に参拝申し上げました。参道脇の賑やかな骨董市を横目に拝殿へと向かったのですが、若者の参拝者が多いことに驚きました。参拝の後に中門鳥居の前で、「GHQ焚書図書開封第8巻」と境内を一緒に写真に収めようとしている方を見て、あのひとも同じく講演会に行かれるのだろうか・・・、と思いつつ声はかけませんでした。

ご講演の導入として先生は、「歴史には過去に何かが仕掛けられている。」として、今日の日本は100年前とさほど変っていない、と仰いました。

欧米諸国は領土問題で好意を示す一方、政府が国内の右傾化を煽り、紛争を意図的に惹き起こす意図があるなどと疑っています。明らかに被害を被り続けているというのに、とんでもない無理解ぶりです。

中国の分からず屋ぶりと、利益を掠めつつ逃げ腰な欧米と、不利で孤独な日本、という関係は100年前の繰り返しです。

中国はここ5年ほどでアメリカまでも脅かすほどの猛烈な力を付けましたが、日本の力は不在のままです。韓国は日本から経済や技術の支援を散々受けておきながら、国民が衰頽しているのに日本を貶める外交に力を入れて、まさに中国が裏で操って朝鮮半島という刃物を日本列島の脇腹に突き付けているような状況です。

第一次世界大戦後のパリ講和会議で人種差別撤廃提案を強引に否決とした時のように、近い将来再び日本は正当なことを要求しても不合理な仕打ちを受けないとも限りません。当時日本は異民族ながら国際社会で尽力したけれど、欧米は「反共」ではなく「反日」を選んだのです。

ただし、当時の日本は孤独な立場であっても、毅然としていて、恐怖と不安に押しつぶされず果敢に困難に立向いました。

日本をさんざんに利用しておきながら、追い詰めて虐める。国際連盟からの脱退は、国際社会からの孤立ではなく、単なるアングロサクソンの利権のための同好会に見切りをつけた寧ろ毅然とした行為でした。

ところが今の日本人は終戦までの日本の孤独と悔しさを理解しません。歴史学会は言うに及ばず、保守系とされる知識人でさえも片目は日本、もう片目はGHQの視点です。日本の歴史を語るのにアメリカの視点、立場など交える必要などありません。

東京裁判で、日本がアメリカの多くの行為はハーグ陸戦条約違反であることを訴えたら、アメリカは17世紀オランダの法学者、フーゴー・グローティウスを引合いに出し、「人類」への非道に対して日本の戦争責任への裁き、という「自然法」的な概念を持ち出しました。そんなものが出鱈目である証拠に、アメリカで当時公然と行われていた白人が黒人に対しての苛烈なリンチ刑、今日であれば、チベットやウイグルなどへの中国の残虐行為など、国際的に裁かれるべき非道はいくらでもありますが、あれらはどうなのでしょうか。欧米が胡散臭い「人類」などと言い出す時は必ず利己心や、国益のため、と見てよいのでしょう。昔も今も変わらず利己心のためのレトリックには臆面もありません。

いっぽうの終戦までの日本ですが、130万部のベストセラー、軍神杉本五郎中佐の「大義」は、たいへんな共感を持たれて国民に読まれていたとことと思います。

義公水戸光圀からおよそ300年間にわたり国体思想の研究が行なわれ、民族滅亡の危機が身近に迫った「終戦間近」にこそ、それまでよりもより多くの国民の精神に「国体」「大義名分論」が沁みて、昇華していたのではないかと思います。

杉本中佐の「大義」は、後期水戸学に繋がっています。「大義名分」は日本発祥、後期水戸学の思想だからです。

水戸藩二代目藩主、光圀公に始まる水戸学は藩の四分の一もの予算を投じて17世紀後半、彰考館において「紀伝、志表、十志、五表、論賛」の編纂をはじめました。「大日本史」の完成は明治39年と、249年も費やしているのだから驚きです。

光圀公の没後、およそ80年もの空白の後、18世紀後半の古着屋の商人から生まれた早熟の天才、藤田幽谷の後期水戸学に到って、国風の思想「国体」として熟したようで、「大義名分」は幽谷18歳の著作「正名論」からの出自だそうです。先生は漢心の影響の強い初期水戸学で判断せず、後期水戸学にこそ目を向けるべきと説かれました。

先生は、神童で夭折のモーツァルトと幽谷は同時代と補足されましたが、GHQによる断絶が無ければ水戸学の研究は継続され、誰もが知る重要な日本の古典、クラシックに位置づけられていたのかも知れません。

さらに早熟の天才といえば、先生が「江戸のダイナミズム」で紹介された、18世紀前半に文献学的な考え方をヨーロッパとほぼ同時期寧ろ早くに展開した、大坂のやはり商人の生れで夭折の冨永仲基が思い出されます。

戦後、GHQの指示により学校の教科書も墨塗りされて、先生の「GHQ焚書図書開封」シリーズで紹介されているとおり、欧米の侵略や、国体にかかる内容の書籍など、およそ七千種もの書籍が焚書処分となり、「萬世一系の皇統を肇国にいただく国体の為に英霊たちが散華した真意」もすっかり理解できなくなってしまった。挙句には、彼らは軍の強要した国体思想に洗脳され徒死したと、貶し嘲弄される始末です。

私たちの父祖の戦時中の心意が理解できない、という今の日本はまったく酷いというほかありません。

思えば最初の共産主義国家、ソヴィエト連邦などは膨大な犠牲を払いつつ結局100年も持ちませんでした。残っているのは、迷惑で危険な全体主義国家だけです。

西尾先生は、平成に入ってからでしょうか、全体主義国家の非情、犯罪性をさかんに訴え続けられました。その糾弾が一体誰に向けていたのかといえば、もはや主人の居ないコミンテルンの亡霊に魂を踊らされている、多くの日本人及び全共闘世代に対してではなかったかと思います。

しかし、彼らは主人を中国共産党や朝鮮半島2国に師匠替えして、ついには一時ではありましたが政権を担うまでになってしまった。

いったい主義や思想で、国家など創れるものなのでしょうか。共産主義思想など、歴史は浅いのですが、しかし麻薬のような力はあり熱狂し易いようで、一旦体内に摂り入れると、暫く後に拒絶反応を示し自らを滅ぼし始め、遂には崩壊します。

そんな亡国の思想を日本の財政、歴史及び教育界などなどの中枢が未だに後生大事にしています。

ご講演の冒頭に戻りますが、「歴史に仕掛けられたもの」というのは、じつは日本人の深層心理下に備っている「国体の本義」なのではないかと思いました。

だからこそ、ひとたび国難が襲えば、幕末期や終戦迄、戦後の経済復興も若しかしたらそうかもしれませんが、国民は烈しい変革に曝されても正気を失わず、欧米中心の秩序を変えてしまう程の劇的な行動がとれるのです。そしてその鍵はまさに水戸学、特に後期水戸学にあると思いました。

冒頭のお話で、天皇陛下、皇后陛下のお姿がどこか哀しくみえるとも仰いましたが、それは今の国民が大義を見失っているからなのかもしれません。

失ったものは取り戻さなければいけませんが、そのための苦難は長く続いています。感想文の最後として、単行本「教育と自由」を拝読したときから私の頭を離れない、全集第8巻からの箴言を引用させていただきます。

「真実の認識、絶望的なその困難に面と向かわないでいる限り、半歩の前進もじつは望めまい。壁の厚さを知る者だけが、たとえ小さな穴でもよい。実際に穴のあく鑿(のみ)の振るい方を心得ている。」582頁上段

水戸学も80年もの空白期間(終戦から今日より長い)があり、寧ろ藤田幽谷の後期から劇的に昇華したとのことで、12月8日のまさに開戦記念日の先生のご講演が終戦後の空白からの萌芽であったとも思います。

素晴らしいご講演を拝聴させて頂き、心より感謝申し上げます。

「戦後から戦前を見ている」という意味(講演会まとめ)

――大東亜戦争の文明論的意義から――

坦々塾会員 伊藤悠可

 三時間に及ぶ講演はまたたく間に過ぎました。傍観をゆるさない言葉の力は西尾幹二先生特有のものですが、この日は特に胸に響きました。自分自身の問題として考えなければならず、部外者面ができない話がいくつも含まれていたからです。

 展開は世界と日本、前後二つのフレームを用意され、第一次大戦後の遠い過去に罠を仕掛けた欧米と、民族の地熱によって近代的自我に目覚めた日本との文明的攻防の歴史をたどるというかたちを採られました。尖閣や慰安婦問題における不快と忍耐は、国際連盟成立時の英米の不可解な立ち回りからして、百年前と殆ど変わっていない事実を示されました。

 しかし、狡猾、悪事、詐術にさいなまれながら、それを撥ね除け孤独な戦いをしなければならなかった歴史の運命を知り、危急において民族使命を恢復させた跡をたどり、わが国がこれからも、どのような信仰を得てどのように真実を追求していくべきか、という点が重要であるとして講演は進められました。このことはとりもなおさず、現下の日本人に投げかけられた命題にほかなりません。

 人道や平和の守護者のような顔をして勝手な振る舞いをしてきたアメリカに、“人類の概念”を吹き込んだ「国際法」の誕生があること。翻って、わが国が孤塁を守るのではなく高い理想を掲げて世界を相手に戦えたのは、国体思想の礎をつくった水戸学が原動力であったこと。

これらを詳説されたことによって、改めて大東亜戦争に至るまでの彼我の足跡と交点がはっきり見えてきたのですが、ここでは私が急所と思われる一点に絞って考えを述べたいと思います。

 同講演を告知するリード文にも挿入しましたが、西尾先生がしばしば、洩らしておられた数多ある戦争論や昭和史に対する感想。それは「戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るということをしていない」というものです。これを聞いた人はたくさんいるはずです。けれど、私は正直何を言っておられるのか、長い間わからなかった。

 ――現代は戦争からとうに遠ざかった戦後である、その戦後を生きている人間があの戦争を論じる場合、当然戦後から戦前を見るということにならざるを得ない。戦前の人の目で戦前を見るというのは不可能である。一知半解で済ませるのは居心地が悪い。いったん棚に上げておこうとということで、そのまま卸せないできた。とにかくこんなに平易な言葉でこんなに不明になるとは解せない。

 こうして放っておいたのですが、講演の後段ではたと悟るところがありました。「戦後から戦前を見ていて、戦前から戦前を見ようとしない」ひとつの例として、長谷川三千子氏の『神やぶれたまはず』を挙げられました。この夏に上梓され保守層読者の間で話題になっている書です。

 タイトルは折口信夫が終戦直後に書いた詩「神 やぶれたまふ」に対するものであり、「昭和二十年八月十五日正午」という副題をみても、〈終戦〉を核にした論考であることは広告ですぐわかりました。購入し折口信夫、橋川文三、桶谷秀昭、太宰治と読み進めたところでした。私の知人の一人もまた賞賛していました。どこに感銘したのかと問うと、「終戦の日のあの瞬間、日本人が立ち返るべき特別の瞬間ということを教えてくれている」と言います。私より少し上の長谷川氏と同じ戦後生まれですが、終戦の日の追憶に深く共感したのでしょうか。

 例えば、終戦の詔勅を聴いてとどめた河上徹太郎氏の有名な一節があります。記憶している人もあるでしょう。「それは、八月十五日の御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬である。理屈をいひ出したのは十六日以降である」。これについて長谷川氏はこう書くのです。―――「あのシーンとした国民の心の一瞬」といふ河上徹太郎氏のこの言ひ方は、舌足らずのやうでゐて、その「言葉にならぬ」絶対的な瞬間の相貌をよくとらへてゐる。

 終戦の日のあの瞬間。全論考が玉音放送とその関連で書かれているわけではありませんが、〈特別の瞬間〉に対する静かな、そしてたしかな視線を注いだ、或いは注ぎ直して紡いだ長谷川氏の熱い思いであることはまちがいないでしょう。死を覚悟して散っていった人たちへの鎮魂の気持ちが込められていると言ってもよいものです。しかし、私は知人が共感したほどに感銘はしませんでした。立ち止まった保守知識人から出てくる〈情感の完成形〉を感じるのです。

 講師もまたこの書を認めません。これを是としない語調は強いものでした。先生の発言をやや詳しく文字で再現しておきます。

 「あの戦争でなぜ進んで死を選ぶことができたのだろう、などということを言いますが、私はおかしいと思っているんです。戦後の保守を含めて、どうして死を選べたのか、特攻隊はなぜ行けたのか、そういった興味ばかりです。戦争というのは生と死を越えていくのであって、また戦前まで日本人には大義の自覚があったのです。銃後の人にしてもそうです。なぜ死ねるのでしょうではなくて、なぜもっとよく戦えなかったのだろうと考えないのか」

 「長谷川氏は終戦の瞬間に思いを寄せるが、そんな無時間・超時間の抽象ではなく、また八月十五日に至るまでの戦争の歴史ではなく、われわれ民族の世界史における使命に起った日本人があったんです。死は生物として恐れますよ。だが、歴史を自分の運命だと知っていた日本人はさっさと越えていった。死ぬことが生きることだと知っていたんです。あの戦争は正しかったというのが最大の鎮魂になるのではありませんか」

 講師は、拝読してある種の疑問を抱かざるを得ないのです、といって上記の気持ちを語っていたのです。思うに、このとき、西尾幹二は文芸評論家でも思想家でも学者でもないのです。歴史の中の日本民族の一人として語っています。ということは、われわれもまたサラリーマンとして教師として元何々として聞いているわけではない。民族の一人です。

 したがって講師は長谷川美千子氏の作品を批判したのではなく、作品以前に著者が見ている眼の先を批判したのです。戦争ができるまでに近代国家をつくりあげた父祖の姿が全然見えていないと先生が指摘したのです。

 戦後から戦前を見る。それは恰も半分を見てあと半分は見ないということのようです。仕切りをつくって仕切りまでは見るが、そこから奥は見ないで引き返すということのようでもあります。いずれにせよ、私には、「一回終わった日本」と見ている人が片方にいて、もう一方に「戦いは一度も終わっていない」と見ている人がいるように映ります。そして戦前から戦前を見られるという人は、戦いはこれからだと考えているはずです。うまく表現することがむずかしいのですが……。

 戦前から戦前を見る。これはどうか。「戦前の人の目で戦前を見るというのは不可能である」と右往左往した自分ですが、不可能ではないようです。先生が紹介した杉本中佐は死ぬ寸前まで、四人の息子に遺書を綴っています。これが『大義』になりました。世界史において使命を帯びるという意識で、「実はたくさんの議論が戦前はなされていたんです」と講師は強調されましたが、戦前の人間の、戦いに対する高い意識はいくらでも確かめてみることができます。

 原随園は京都帝国大学の西洋史の先生ですが、昭和十九年に『戦力の根源』を発表しています。第一次欧州大戦の結末に冷静な研究を進め「ドイツの敗因は複雑なものがあるにしても、その有力な一つは戦力といふものを、単に武力に傾注して、他の国力を軽視してといふことにあった」と論断しているものです。「真の戦力とは単に武力ではなく、むしろ戦争に傾けられる国民の実力であり精神力でなければならない」。

 この人は、武力戦の終結を以て戦争終れり、とするのは危険だと説いています。「衰へ行く道義心を以てしては、たとへ武力戦に於いて一旦の勝利を得るといっても、それは民族の永遠の歴史の上からするならば、敗北の第一歩でなくて何であるか」と書きました。そして「この恐るべき道義の低下を防ぐ道は、唯一つ民族使命の自覚あるのみである。この意味に於いても、民族精神の昂揚こそ真の戦力といひうる唯一のものである」と言い切っております。

 真の戦力とは民族的自覚にほかならぬ。西尾先生が命題とされた冒頭の言葉と寸分変わりません。

 もう一例を取りあげます。同時期に広島文理大学で理論物理学を研究していた三村剛昴教授は、米国が物量という新兵器を唯一の武器として日本にのしかかって来ているのに対し「日本独得の兵器とは何かといふと飽くまで日本精神なのだ。日本精神こそ独特の兵器であり何れの国も真似出来ない偉大な兵器である。これは現在、特攻隊としてその形がはっきりと現れている。特攻隊精神は新兵器中の兵器である」と高らかに主張しています。

 この明朗さは、戦後から戦前を見てきた人にはわからないし、前者の議論にもこの後者の先生の主張にも、まったく戦後的なるものを見い出すことができません。生と死は問題外であったことは認めなければならないわけです。

 昭和十一年当時、沖縄の尋常小学校六年の女子生徒が書いた次の作文はどうでしょうか。

――日本の女子の覚悟
我々が毎日、安楽にくらす事の出来、学ぶ事の出来るのは何故でありませう。それは申すまでもなく大日本帝国民であるからです。一番大事な年は昭和十一年だといふことを校長先生や、集会ある毎の偉い人々から話を聞いています。何故非常時の一番大事な年かと申しますれば、それは今ロンドンにかいさい中に軍縮会議だそうです。我国は正義の元でいろいろの問題を提出しておりますが、連盟各国が此の問題をみとめてくれなかったら、時によっては戦争にならんとも限らないからであります。(略)世間には軍人だけが戦争をするものと考へる人もおるが、これは大ひにまちがったお話だと思ひます。(略)一朝ある時は男子に負をとらず、国防にあたらぬばならんと思ひます。(沖縄県八重山郡石垣尋常高等小学校 尋六 下地ヨシ=全国小学児童綴方集)

自らを保守だと言う人がこの講演会に来られ、「石油も何もないのになんであんな戦争をしたのか」と、戦後このかた幾百と聞いてきた戦前嘲笑をしていましたが、保守でも左でも中間でも何でもよいから、並ぶ店を間違えないでほしいと言いたい。「大ひにまちがったお話だと思ひます」。

私が雑誌の取材でお会いする、埼玉トヨペットの創業者で現会長の平沼康彦さん(九十三歳)は、特攻隊機を掩護する第二二四隊の戦闘機に乗り、四度不時着しながら生き残った奇跡の人です。「特攻隊が離陸した後を追ってわれわれも飛び立ち、その上空を編隊を組んで掩護して行く。もう大丈夫というところまでついて行って引き返してくる。無言の別れは何ともつらかった」と自著に書いています。八日市基地で玉音を聴いたのだが、ラジオの音が悪くて何もわからず、「ソ連が参戦したからお前たち頑張れって言っているんだろう」ぐらいにしか思わなかったと言います。

まもなく敗戦を知ったとき「勝ちはしないけど負けるのは早いよ」と思わず口に出していたそうです。「祖国のために死ぬのは当たり前と思っていたから、生も死も考えなかった」がそのまま本心です。掩護の途中、敵機と遇えば空中戦です。良く死ぬことが良く生きることであるということを体現してきた人で、こういう人はどこかケロッとしています。

私が戦前の目で戦前を見られているかどうかはわかりません。『大義の末』で杉本中佐を描いた城山三郎でさえも、戦前の目を遠くに置いて忘れ、戦後人の感覚だけになってしまったかと思われる時期があります。昭和五十年八月一日付の東京新聞(夕刊)に『真の勇者とは』と題するこんな随筆を書いています。

「『八紘一宇』とか『大東亜共栄圏建設』とか『鬼畜米英撃滅』とかの大合唱。それは非の打ちどころのない理想のように見えたが、実態はどうであったか。国をあげての大合唱のおそろしさ、愚かさ」。この平板な物の言い方はなんでしょう。

昭和十七年に書かれた田中晃(九州帝国大学助教授)の『生哲学』に、歴史の運命を受けとめ生きて死ぬこととは何かと、追求した部分があります。一節を引いてまとめにしたいと思います。

「日本民族の念願した永生は『七生報国』であって、個人としての永生ではなかった。そこに真の死を公の立場に於いてとらえた意義がある。公とは何であるか。それは個人を越ゆる物であるが、個人を断絶した普遍者ではない」

「いのちは生まれたものであるが故に、いのちの死もまた公なのであった。さすれば、いのちの生まれた源が国家であるとき、その国家に死することが真に公なのである。祖国の体験はそこにある。しかして祖国が、真に祖(おや)なる国としての原理的意義を有するのは、ただ日本に於いて云はれ得ることでなければならぬ」

 戦前の日本人に具わっていて戦後の日本人に欠いてしまったものは何か。この講演で西尾幹二先生が投げかけた問題は、日本人である限り自分は例外だといえないものを含んでいます。
(了)

『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来た』の刊行

同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた 同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた
(2013/12/10)
西尾幹二

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 今月10日にこの新しい本を刊行する。表題には迷ったが、初めてこんな長い題をつけた。短い簡潔な題はいくら工夫しても意に添わなかったからである。

 テレビや新聞を見ていると、しきりに安倍首相の右傾化をアメリカは憂慮している、河野談話の見直しなどを日本政府が言い出したらアメリカ各界から総スカンを食う、などという声が聞こえてくる。むしろそうなってもいいではないか、という決意も必要だが、中国との関係が微妙な今、おそらく政府はそういう断固たる決意は示せないのだろう。

 テレビや新聞の圧倒的空気は、日本の今後の針路を従来路線の親米平和主義のままにしておこう、それでいける、という考え方である。これは「何もしないことなかれ主義」で、アメリカが日本を裏切るかもしれない可能性についても警戒ひとつしていない。バイデン副大統領が来日しても、民間航空機の対中国対応の日本との相違について、アメリカはいまひとつ煮え切らない。

 一説には、ケネディ大使は慰安婦謝罪と韓国和解を一方的に安倍さんに強制するのではないか、ということも言われている。韓国の日本侮辱に対する日本人の感情がないがしろにされるならば、恐らく反米感情が高まるだろう。ケネディさんはいい人だが、そういう人情の機微が分っている人なのかどうか、われわれには分からない。

 であれば、私のこの本の題は時宜に適っているのではないかと言いたいのである。「同盟国アメリカに」と最初につけたのは、私がただの「反米」ではないことを示したかったからである。私は本の中でも言っているが、「離米愛国」派なのだ。

 むかし朝日新聞を筆頭に日本の左翼は、反米で平和主義だった。ここでいう平和主義とは「何もしない」主義のことだ。今彼らはこの怠惰な、無気力で現状維持の、明日を考えない無責任な“ぬるま湯”イデオロギーを守るために、むしろ「親米」の旗を振るのだ。自分たちのこのイデオロギーを守るために、アメリカからの「外圧」を利用しようとするのだ。そうすると、日本の保守は腰くだけになる。そのことにNO!を言うのが、私の本の表題である。

 中身は次に示す「目次」でご判断ください。

目 次

まえがきに代えて
総理、歴史家に任せるとは言わないでください! 3

第一章 歴史の自由
同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来ている 12
「西洋の内戦」の歴史に日本はもう左右されないと世界に言うべき時ではないか 43
誤解したがる世界の目を日本人は静かに拒否する勇気を持つべきだ 71

第二章「悪友」たちとは交遊を絶て
妄想と狂気をはらむ国・韓国 88
日本が「孤独」に強くなる心得 111
中国に対する悠然たる優位 116
防衛と侵略の概念 121
中国は戦勝国ではない 123
恥ずべき「日中歴史共同研究」 126
韓国も台湾も中国の持ち駒 128

第三章「反日」の不毛と自己防衛
「反日」は日本人の心の問題 136
「反日」で呼吸が合うアメリカと中国 147
悪夢のような中国からの大量流民 155
在日中国人と中国本土の国防動員法 162
沖縄県民は中国人になりたいのか 164
「核シェアリング」のすすめ 167

第四章 息切れするアメリカ文明と日本
不可解な国アメリカ 170
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ 172
新英語教育考 189
百年続いたアメリカ独自の世界システム支配の正体 199

あとがきに代えて
総理、迷わずに「憲法改正」に向かってください! 211
初出誌紙一覧 221

 話変わるが、12月8日の講演会をもって今回が7回目を数える私の全集刊行記念講演会はいったん中断する。全集は1月に第9巻『文学評論』を出したあと、次は4月に第14巻『人生論集』に飛ぶ。

 第10巻から第13巻は、思想的に私の人生の中期に入り、何が起こっていたかを知るためにテキストの総整理をしなくてはならない。国立国会図書館に現在約800篇の私の大小さまざまな論考が所蔵されている。その中に私の忘れている、まだ単行本に収録されていない未確認論文が約2割はある。それらを全部点検し、本格的「全集」の名に値するものに編成しなくてはならない。講演会は一年くらいはお休みにさせていたゞきたいと考えている。そういうわけだから12月8日にはぜひお出かけたまわりたい。

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
坦々塾事務局(中村) 携帯090-2568-3609
     E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
  

amazon書評より

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

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AX 03-5970-7427
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閑居人さんのアマゾン書評より

「『十七歳の狂気』韓国」西尾幹二。
韓国の新聞の主なものは、今、インターネットで日本語版が読める。だから、彼等の「夜郎自大」ぶりは、あまりに滑稽なものとして、「笑韓」と笑い飛ばすこともできる。しかし、北の核開発が進み、国内に従北勢力が蔓延し、全教祖による北を正統とする教育・教科書が学校教育で進み、昨年12月には、親北・従北派を代表する文在寅候補が当選寸前までいった。保守層、老年層の巻き返しで朴槿恵の逆転勝利にこぎつけたことは記憶に新しい。
その朴槿恵の「自滅外交」である。日韓防衛協力協定を締結一時間前にドタキャンした背景には中国の恫喝とともに朴の強い意向があったと言われる。日本の「集団防衛権」解釈変更を「右傾化」と呼んで騒ぎ立て、立ち寄る国の先々で「慰安婦問題」に火をつけてまわる姿は、北と中国の脅威に囲まれていながら味方にナイフを突きつける狂気の十七歳そのものである。
韓国人に良識がないわけではない。例えば、朴槿恵政権の立役者、知日派の趙甲斉はさすがに放っておけなくなって、「日本の集団的自衛権の解釈変更」が有事に際して、どれほど韓国の助けになるものか、8月以来諄々と諭している。ソウルに置かれた国連軍本部は、後方基地である東京横田、沖縄の支援を得ない限り十全に機能することはない。
大陸では中国・ロシアの圧迫を受け、海からは日米経済圏に取り込まれた韓国の地政学的位置付け。その人口・資源から中級国家としてしか生きようのない韓国の現実。中国と日本という二つの異なる文明圏の強い影響下に置かれた歴史。その真実の実態を韓国人自身が認識できるのは、いつの日になるのか。
怒りにあふれているように見える西尾の文章には、悲しみのかげりすらある。

秦郁彦「河野談話を突き崩した産経大スクープ」
十月十六日の産経新聞は、二十年にわたり政府が封印してきた韓国の元慰安婦十六人の聞き取り記録を掲載した。「河野談話」のいい加減さを決定づける証拠である。
1973年、千田夏光が「従軍慰安婦」という言葉を発明したとき、これに関心を抱いた人は少なかった。秦郁彦は雑誌社のもとめで千田と対談したが、そのとき秦は、「新たな視点からの戦史の掘り起こし」という観点から千田に好意的に接しているように見えた。
秦が、昭和史研究者として「慰安婦問題」で果たした最大の貢献は、1983年発行吉田清治「私の戦争犯罪」に描かれた済州島での「娘狩り」が、根も葉もない捏造であったことを実地調査で証明したことだろう。吉田清治の証言を頼りに展開された運動は、本来ならここで潰れるはずだった。しかし、中韓の策動とそれを支援する朝日新聞、研究者吉見義明、高木健一・戸塚悦朗弁護士たちの活動はどこまでも続いている。
秦は、「日本政府が一括して国際社会へ騙した責任(朝日、吉田、吉見、高木、そして河野談話を含む)を謝罪するのも一案かと思う」と述べる。しかし、これは、また、逆に利用されるだけだと思えるが、どうだろうか。

その秦郁彦の関係する「昭和史の謎」に焦点が当てられようとしている。
西尾幹二を主宰者とする「現代史研究会」による「柳条湖事件 日本軍犯行説を疑う」である。
1931年(昭和三年)9月18日、南満州鉄道の奉天(瀋陽)駅の北東7.5キロ地点にある柳条湖で中国軍による鉄道爆破事件が起きた。この事件から、「満洲事変」へと拡大するのであるが、後に、関東軍の自作自演とされた事件である。
新にこの研究会の一員となった加藤康男は「張作霖爆殺事件と同じく、柳条湖事件も関東軍の謀略によるものだとは思っていません。あとひとつハード・ファクツ(動かぬ証拠)さえ出れば、一挙にひっくりかえります。柳条湖事件がひっくりかえれば昭和史は全て書き直しです」と語る。
「東京裁判」は「関東軍の謀略」と断定したが、事件当時の関係者の直接的証言はなかった。戦後、昭和三十一年、河出書房「知性」12月号に、「花谷正論文」が掲載され「関東軍の謀略」がほぼ間違いない事実と考えられるに至った。花谷は、当時、関東軍参謀陸軍中佐として奉天に勤務していたから、信頼できる証言と思われたのである。
実は、このとき、花谷にインタビューして文章もまとめたのが当時23歳の秦郁彦である。つまり、「花谷論文」は相当程度、秦郁彦の手になるものなのである。秦は、東大に在学中からオーラル・ヒストリーに取り組んでいたが、これはその成果の一つだった。関東軍が満洲制圧計画を持っていたことは間違いないが、柳条湖事件そのものには謎も多いのである。詳しくは、本文を読んでいただくしかない。

「WILL」なのか「歴史通」なのかよく分からなくなってきてしまった。こういうときは、読者はひとまず「蒟蒻問答」でも読むに限る。

ZAITENより

 ZAITENという文字を見て何のことかお分かりだろうか。「財界展望」という雑誌の改称である。由緒のある、古い雑誌である。どうしてこんな改題がなされるのか分らないが、そのZAITENから拙著『憂国のリアリズム』についての次のようなインタビューを受けたので、ご報告する。

ZAITEN著者インタビュー

憂国のリアリズム 憂国のリアリズム
(2013/07/11)
西尾幹二

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――3年間続いた民主党政権を「全共闘内閣」とお書きになっています。

 仙石由人、枝野幸男、海江田万里ら民主党の各氏は、もともと全共闘の活動家でした。菅直人も鳩山由紀夫も似たようなものです。彼らは、国際政治という観点を無視して主観的な平和主義を唱える勢力といっていいでしょう。民主党政権が行ったことは、現実がまったく見えていないママゴト民主主義です。

――先の選挙で自民党が政権に返り咲き、安倍内閣が誕生しました。安倍政権の課題として、①中国共産党体制の打破、②憲法改正、③不可解なグローバリズムにどう立ち向かうか――の3つを挙げています。

 まず中国ですが、なぜアジアではベルリンの壁の崩壊が起きないのか。中国共産党の一党支配が強固だからではありません。共産党が一党支配を保ったまま同時に金融資本主義を身にまとい、異様な二重体制となり、アメリカがそれを許容しているからです。しかし、この状況がアジア版ベルリンの壁崩壊とも言える。ソ連が崩壊したように、中国も体制の転換をすべき時が来ています。

――憲法改正の真意は。

 憲法改正は歴史問題と第二次世界大戦の罪を一方的に押し付けられるのは終わりにすべきだということです。歴史と政治は別でなければならない。かつてアメリカとソ連は歴史的に対立してきましたが、今両国が政治や外交問題を議論する時、歴史を持ち出すことはしません。両国は大国だからです。憲法改正で重要なのは、日本を侵略国と断罪した戦勝国の歴史観からの脱却です。

――不可解なグローバリズムとは、どういうものでしょうか。

 ひと言で言いますと、FRB(米国の中央銀行に当たる連邦準備制度理事会)はアメリカの国営銀行ではありません。ただの民間銀行で、ユダヤ系です。それがアメリカの金融政策の策定を行っている。選挙で選ばれた人たちではない。“奥の院”がアメリカを動かしているわけで、アメリカ国民にとって、民主主義は本当に存在するのか、という問題です。

 中国も同じです。中国共産党の幹部たちは、中国国民とは関係ありません。もちろん、選挙で選ばれたわけでもありません。彼らは巨額を国外に持ち出す“犯罪者集団”です。このように、正体の見えない不可解なグローバリズムが世界中を覆っていて、どこかで一つに繫がっているのかもしれないのです。

――安倍政権では、集団的自衛権を認めようとする動きがあります。

 認めるのは良いのですが、集団的自衛権は双務的な相互条約です。集団的自衛権を認めるならば、同時に米軍基地の撤廃が主張されるべきです。本来なら、すぐに米軍基地撤廃は無理にしても、例えば「まずは横田基地から」といった議論が沸き起こるべきなのです。集団的自衛権を議論するなら、そこまでの覚悟が必要なのですが、肝心なことは誰ひとり話題にしません。

――本の中で、「東京裁判について議論する必要はない。戦争責任論もナンセンス」と主張されています。

 戦争責任という概念は、第二次世界大戦中はありませんでした。戦後になって突如出てきたものです。戦勝国が敗戦国の責任を追及することは、敗戦国を未来永劫にわたって封じ込める手段としての意味が強いのです。世界的にも戦争責任という概念は、アメリカの南北戦争、南軍の罪を問うたリンカーンが最初です。そして、ナチスを裁いたニュルンベルク裁判で「人道に対する罪」というものが打ち出されます。それ以前は、どんな戦争でも、国家のために戦った軍人が罪に問われることはなかったのです。

――先の大戦で日本は「人道に対する罪」は犯していないのでしょうか。

 もともと「人道の罪」などないのですが、戦勝国が言うところの「人道の罪」を日本は一切犯していません。ナチスには強制収容所やホロコーストがありましたが、日本にはそういった絶滅収容所はありません。そもそもアメリカが日本と戦争を行った目的が存在しないのです。ナチスに対する戦争目的はあったかもしれませんが、日本に対する万人に納得のいく戦争目的をアメリカはいまだに説明することができません。

――連合国にとっては、ファシズムに対する戦争だったというのが一般的ですが。

 とんでもない話です。ファシズムを日本に当てはめることはできません。「天皇制ファシズム」とは、戦後左翼が言い出したことで、天皇制とファシズムが一つになることはありえません。ファシズムとは、総統(独裁者)がいて、党が政府を支配し、強制収容所がある、この3つの条件が必要です。これを実現させた全体主義国家は、ヒトラー政権とスターリン政権だけです。当時、ファシズムに最も近かったのは、アジアでは蒋介石の国民党政府です。ヒトラーとスターリンに並行するのは蒋介石と毛沢東です。天皇を戴く日本では、総統は出ず、ファシズムは成り立ちません。

2013年10月号より

11月の私の仕事・お知らせ

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
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 『WiLL』1月号(11月26日発売)に私が関係する仕事がたまたま二本載る。私の単独の評論(1)は決していい題ではないが、花田さんに押し切られた。六人関与の現代史研究会の討論原稿(2)ははるかに重大な内容である。分量が多いせいもあって5ヶ月待たされてやっと掲載される運びになった。今月のは前半である。

(1) 「17歳の狂気」韓国
 バスジャック犯を念頭に置いている。東北アジアを銃砲火器をもつ暴力団に囲まれた一台のバスと見立てている。仲間と思っていたバスの乗客の一人がとつぜん理性を失った。そういう譬えで語られている。

(2) 柳条湖事件日本軍犯行説を疑う
 西尾幹二・加藤康男・福地淳・福井義高・柏原竜一・福井雄三

 この現代史研究会の討論はかっては四人であった。討論は『歴史を自ら貶める日本人』(徳間書店)という一冊の本にまとめて本年世に送り出した。今回から6人体制とする。

 今回の討論の主役は加藤康男氏である。氏は張作霖爆殺事件をひっくり返す画期的な本を出して山本七平賞奨励賞をもらっている。

 私は戦後の日本史学者のやったことは100パーセント疑わしいと思っているので、これに断固として挑戦している人が出てくるとともかく嬉しい。加藤さんを応援するし、ここで彼の仕事の口火を切ることができたことは光栄である。私はコーディネーター役に徹している。

 『正論』1月号(12月1日発売)には私の連載が掲載される。

(3) 戦争史観の転換 第6回「ヨーロッパ500年遡及史」②
 本日やっと校正ゲラを修正して戻した。毎月30枚である。30回連載される予定である。だから思い切って歴史展望の尺度を大きくしている。

 今回はポルトガルである。誰も考えたことがない、知られていない中世以来のポルトガル史にわが近現代史を解く鍵の一つがある。これを精密に追い、かつ面白い読み物として語っている。

 ヴァスコ・ダ・ガマがニュルンベルク裁判や東京裁判に深く関係しているなどと誰が考えたであろう、と今ひとりほくそ笑んでいる。スペインのインカ帝国、アステカ帝国破壊史はよく知られているが、ポルトガルのことは本当にあまり知られていない。

 今月はほかに全集第9巻「文学評論」の再校ゲラの戻しをした。大変な分量であった。

 12月10日ごろに思い切った長い表題の新刊の単行本も出すが、次回に詳しく報告する。

教育文明論 感想文・お知らせ

全集第8巻 感想文             浅野正美

全集8冊目の刊行となった本書には西尾先生が教育論について書かれた論文が一冊にまとめられている。既刊の全集中一番の大冊で、読了するのに毎日二時間を費やして三週間かかった。

冒頭から私事をお話する不躾をお許しいただきたいが、私は職業高校(商業科)を卒業してすぐに就職したため、大学というものがどういう社会なのかほとんど知らない。私が出た高校は学区内に八校ある公立高校の中で偏差値が下から二番目に位置していた。上位五校が普通科で、その下に工業科、商業科、農業科という序列になっていた。この固定化された階層は現在でもまったく変わらないのではないかと思う。

私が本書を読んで最初に驚いたのは、西尾先生が我が国の6・3・3・4の単線型教育システムの成果を大きく評価していることであった。門閥、貧富に関わりなく、能力と努力の結果によって平等に人間を選抜するこのシステムが、明治以降の国力増大に果たした役割を真正面から評価しているのである。これによって従来下層階級で教育の機会すら奪われてきた国民からも優秀な人間を発掘し、高度産業社会に貢献しうる人材に育て上げることができたということである。

私はかねがね三十数年の社会人生活を通して、教育というものがいかに不合理で不経済なものかということを痛感していたため、ドイツのような複線系の教育制度こそがその無駄から逃れる唯一の方法ではないかと考えていた。

私の勤務する小商店においても年々四大卒者の占める割合が増えてきたが、そのだれもが、本はいうに及ばず、新聞すら読んでおらず、まともな文章一つ書けない。経済学部を卒業しているにも関わらず為替や株式の値動きの理由を説明できず、仏文科を出ていながら、学生時代にバルサックもスタンダールも読んだことがなく、独文科を出ていながら、マンもゲーテも読んでいない人間ばかり見てきた。法政、中央、國學院といった一応は名の通った大学を卒業していながら、少なくとも私の勤務先に入って来る人間はみな例外なくこの程度なのである。大学とは一体何をしにいくところなのであろうか、この程度の人間に卒業証書を与えることが許される大学とは何のために存在しているのか、という問いが長い間私の中の大きな疑問であった。

大学教育にかかるコストが相当に家計を圧迫しているのにも関わらず、今や四大進学率は50%にまでなった。しかし、真に学問を修めるという目的を持った学生はその中のほんの一握りでしかなく、大半の大学生は社会に出るまでのモラトリアムとしての時間をただ無為に過ごしているように思われる。ある人は労働需給のアンバランスを解消する緩衝地帯として進学率向上を評価するが、それこそ本末転倒ではないかと思う。

こうしたどうしようもない大卒者ばかり見てきた私は、必然的に大学入学者の大胆な削減こそが問題解決に繋がるのではないかと考えてきた。大学教育に投資されている莫大な金銭は、直接の授業料だけでも年間数千億円にもなろうが、そのほとんどは何ら効果を生まない捨て金となっているという現実がある。もちろん授業料として支出された現金も国内で循環することによってGDPを増大させる効果はあるが、もっと直接的に消費財に回した方が国家経済への貢献も大きいのではないかと思う。私の考えでは、大学教育を受けるに値する人間は、今の大学生の中では十人に一人もいないと思う。真に高等教育を受けるに値しないような若者が大挙大学に押し寄せるという現状は何か不気味ですらある。

西尾先生も本書で再三指摘されているように、企業は採用する学生に大学で何を学んできたか、だれに教えを受けてきたかということを、少なくとも文系学生に対してはまったく問わない。法律を学ぼうが、経済や文学を学ぼうが、企業に入れば例えば営業マンとして働かされる。企業が見ているのは大学名だけだ。そうした新卒者は、企業内で無垢の状態から教育され、企業それぞれの社風に染められていく。私でも何かがおかしいと思う。

教育には無知が持つ闇から人間を解放するという崇高な使命もあったと思う。迷信や差別、迫害、詐術、風水、占い、新興宗教といったものは、人間の精神が抱く不安や恐怖といった心の闇につけ込んだ愚劣で非合理的な存在である。それだからこそ、人間は学問の習得を通して真理に近付き、こうした非合理的な思考を克服していかれると信じてきたのではないだろうか。しかし、世間を見渡して見れば、未だに多くの人間がこうした前近代的ともいえる闇から抜け出せずにいる。教育を受けることによってのみ得られると信じられた論理的に考え、合理的に判断するという行動規範が社会にしっかり根付いているかといえば、はなはだ心細い限りだ。さすがに錬金術や魔女狩りといった中世暗黒時代からは脱却できたものの、ここにも今日の教育の持つ限界を見て絶望的な気分になるのである。

西尾先生が6・3・3・4制を高く評価していることは先にも述べたが、その必然的な弊害についても率直に語られ、それに対する具体的な改善策も提示されている。弊害とは、東大を頂点とするピラミッド型のヒエラルヒーであり、戦後ますます強固になったこうした大学のランキングの固定化である。それはもはやテコでも動かない頑丈な構築物のように崩れないどころか、ますます強くなっている。人生における競争を受験一つに集約することの弊害。大学入学に向けた熾烈な競争を強いられている高校生の過重な負担。十八歳で輪切りにされてそれ以降交わることが極めて少なくなる実質的な身分制度。大学や企業における無競争のしわ寄せが高校生に無用の負担を強いている、等々。

西尾先生は本書に収録されている『「中曽根・教育改革」への提言』の中でこうした問題の本質的な原因を掘り下げているので以下に引用してみたい。

入学時点での大学名が個人の属性として一生ついてまわる日本人の「学校歴」意識・・・

日本の「学校歴」意識は、国民の広い範囲を巻き込んでいて、大学の受験生に限らないところに、問題があるのである。
一般社会において、どこの大学を出たから有利であるとか、評価できるかということは、現代では次第に意味を失いかけていると言われるし、また現実にそうであろうが、社会の現実と真理の現実との間には開きがあるのが常である。

アメリカでもヨーロッパでも、「学校歴」意識は存在するが、人間を評価する尺度が多元的で、複数化している欧米のような文明圏では、個人のこうした一属性がライフサイクルに作用を及ぼすかのごとき幻想によって個人が不安を覚えるということは少ない。

大学生以上の大人の社会全体が赤裸々な個人競争を避けるために、人生の競争の儀式を、十八歳と十五歳の子ども立ち押しつけている。しかも最近では十二歳へとだんだん年齢的に下の層へ押しつける圧力を強めていることが憂慮すべき問題なのである。
言い換えれば、大人の競争を避ける分だけ、子どもの世界が競争を肩代わりして、それが今日の日本の教育の病理のもう一つの様相を示している。

他人と違う存在であろうとする競争は共存共栄を可能にするが、他人と同じ存在であろうとする競争は、序列化した同一路線上での優勝劣敗の可能性しか残さない。
他人と同じ存在であろうとする日本人の競争心理(ないしは競争回避心理)は、平等が進めば進むほど、横に広がって価値の多様化をもたらすのではなく、同一路線にタテに並んで競い合う結果、「格差」をますます大きくするという特徴を持つ。戦後において高等学校や大学の数が増えれば増えるほど、学校間の「格差」が広がり競争が激化するという、経済の需要供給の関係では説明のつかない事態を招いたのも、この特殊な日本的競争の力学が作用している結果である。(以上698頁~699頁)

ここに引用した中でもとりわけ「経済の需要供給の関係では説明のつかない事態を招いた」という個所に私は強い感銘を受けた。こういう鋭い比喩を読むと私の心はなぜか浮き浮きとしてしまう。経済学の初歩にして大原則である需要と供給の法則は、中学生でも知っている。買い手が増えれば物の値段は上がり、商品が過剰になれば物の値段は下がるという法則である。無原則に志願者を入学させることで経営を成り立たせている二・三流の私立大学は、これからも続くであろう少子化という試練の時代を向かえて、ますますその傾向を強くするであろう。現実に現在でも、名前を書いて簡単な面接試験と称するセレモニーさえ通過すれば、その内容がどうであれ入学できる大学は無数にあると言われている。大学生の裾野が広がるということは、その平均的な知性レベルは必然的に低下するだろう。大学の経営を維持するためだけに入学する(させられる)無意味な大学が日本全国あちこちに存在する姿は異様ですらある。

私は今でも、高校を卒業して大学に進学する価値のある人間は全体の10%もいないと思っている。しかもそうした優秀な学問的素養を持った人物でも、大学で学んだことが社会で生かされるという幸運に恵まれる人は極めて稀だと思う。私の考え方は、ヨーロッパにおける学問は学問として独立したものであるという思想に近いのかも知れない。

実は私は、我が国の東大を頂点とする固定化された大学の序列というものは世界の標準的な形だと思っていたので、本書を読んで初めてその誤解を解くことができた。我が国の大学の在り方こそが特殊であると言うことを知ったのは新鮮な驚きであった。序列の固定化は大学の画一化を招き、大学間の競争と個性を消滅させたという。学問に目的はなく、教えを乞いたい教授の元に参集する学生は見られず、魅力的な研究に取り組みたいということが大学選びの動機になることもない。その結果、自分が取れるであろうテストの点数で入れる範囲において、一番レベルの高い大学に入るということだけが、大学選択の唯一の基準になってしまった。

これを書いてきてふと原点に立ち返るような疑問がわいてきた。そもそも大学の存在理由とは何であろうか、ということだ。そこで学ぶということがそれ以降の人生において何らかの意味を持つのだろうかという疑問である。例えば字が読めなかったり、簡単な四則計算もできなかったりすれば、現代社会で生活していく上では非常な困難が付きまとう。職場で上司や取引先のいっていることを正しく理解する読解力や、国語、算数以外の最低限の歴史、科学、英語の知識、マナーといったことは、ほぼ中学卒業(遅くとも高校卒業)の段階で習得できるであろう。冒頭にも書いたように、私は大学生活というものを経験していないため、ここで問うていることは単なる愚問かも知れない。大学の機能の一つに研究がある。これは主として教授の専権事項だろうが、理系、文系を問わず、このような最先端のあるいは地味な学問に対して、最高度の頭脳が鎬を削ることは極めて重要なことだと思う。こうした研究を経済的に支えるためには国家の助成金だけでは成り立たないから、一定の数の学生から授業料という形でお金を徴収してそれに充てるということも理解できるのだが、すべての大学がそういう役割をきちんと果たしているとはとても思えない。

話しがあらぬ方向に脱線してしまった。西尾先生は大学多様化の一試案として東大合格上位校の合格者数に制限を加えるという大胆な提言をされている。そうして日本全国に東大と同じレベルの大学が複数存在することが健全な学問的競争を促し、現在のゆがんだ東大信仰をなくすことに繋がると訴える。先生はこうもいう。「東大を実際の実力以上に押し上げてきた力・・・」それは日本人のあの無反省な「相互同一化感情(コンフォーミティー)」の強さに外ならないと。
競争がないところに向上も発展もないことは、企業の競争を見れば一目瞭然である。

            西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」 (交通のご案内 別 添)

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

        17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

お問い合わせ  国書刊行会(営 業部)電話 03-5970-7421
FAX 03-5970-7427
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                 E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp