「英米は常に対立していた」(福井)
「英に変わってスペインにとどめを刺した」(西尾)福井 『天皇と原爆』でこう書かれています。「アメリカはイギリスから独立したのですから、『兄弟国家』ではあります。しかし独立戦争で激しく衝突しイギリスを痛めつけていましたので『敵対国家』でもあります。イギリスは大英帝国といわれたくらいですからその力は強大でした。そのイギリスを少しずつ押さえ込み、倒さない限り、アメリカは大をなす時代は来ません。二十世紀史の最も重要なモチーフだったと考えられます。ペリーの来航もイギリスとの競争を考えてのことだったと思います」(四二〜四三ページ)
要は、アメリカとイギリスは敵対していたということですね。日本では保守派の間でも、英米をセットで考えている人がいますが、実はそれは違う。英米は常に対立していたし、アメリカは最終的にイギリスを追い落とそうとしていた。それが分からなければ、第二次世界大戦における、ルーズベルトのチャーチルに対する異常に冷たい態度は理解できないわけですよね。ここは、重要な指摘じゃないかと思いました。
西尾 優しかったはずのアメリカの対日態度が一九〇七年ぐらいから突然、変わって、日本は説明のできないアメリカの変貌、未知の国の国家意志の壁にぶつかる。アメリカの政策がぐるぐる変わって理不尽になり、日本は戸惑ってその真意が分からなくなるという局面を迎えます。
これは何でしょう。一八九八年の米西戦争でアメリカはスペインを倒しました。何世紀にもわたったスペインとの対立にイギリスはとどめを刺す力がなくて、結局はアメリカがそれを成し遂げた。これが西太平洋からイギリスの艦隊が静かに撤退し始め、覇権がアメリカへ移動していく第一幕になった。そうして、太平洋がスペインの海からアメリカの海になることによって、日米の対立構造が産声を上げます。その後一九〇四~〇六年に日露戦争がある。そして一九〇七年に、日本に対するアメリカの態度が豹変する。この背景にイギリスとアメリカの力関係もあるのではないかと考えています。
「『正義が受けて立つ』スタイル貫く」(福井)
「なぜアメリカのやり方を見抜けなかったか」(西尾)福井 『天皇と原爆』四六ページには、こう書かれています。 「一八九八年二月、キューバのハバナ港に碇泊していたアメリカ戦艦メーン号が爆破され沈没し、二百六十人の乗組員が死亡しました。アメリカはキューバ内戦の鎮圧を口じつにスペインに宣戦布告しました。この沈没事件はアメリカの謀略によるものだという説が燻っています。(真珠湾攻撃もルーズベルトの謀略に乗せられた、という説がそれなりに有力になるのはアメリカ史にこういう背景があるからなんです)」 これについては、当時の標語が「リメンバー・ザ・メーン」だったわけですよね。しかし、今では内部爆発説がほぼ確定しています。つまり、メーン号の爆沈にスペインは関係なかったということです。
西尾 アメリカの自作自演ですか。
福井 アメリカが意図的に爆発させたのか、あるいは偶発的事故で爆発したのか確定されていないと思いますが、とにかく爆発は船の内側から起きていて、スペインが外側から爆発させたということはあり得ないと考えられています。 この「相手に先に手を出させる」というのは、リンカーンの北軍も同じことをしています。南軍が先に手を出さざるを得ないような状況に南部諸州を追い込んだ。アメリカは常に「やむをえず正義が受けて立つ」というスタイルを貫いてきたわけです。 第一次世界大戦でも、一九一五年にイギリス客船のルシタニア号がドイツの「Uボート」に撃沈され、アメリカ人を含め、女性と子供が多数死んだことがその後のアメリカ参戦のきっかけとなりました。実はルシタニア号は事前にイギリス海軍から武力抵抗を命じられており、しかも弾薬を積んでいましたから、撃沈は国際法上、必ずしも違法だったとはいえません。しかし、「敵はひどいやつだから、アメリカは受けて立つ」というプロパガンダを繰り広げた。アメリカは常にそのパターンで戦争を始めていて、日米開戦もその構図にあてはまっている。
西尾 アメリカ通であった山本五十六に、なぜそれが見抜けなかったのか。情けない話ですね。
福井 それと、英米不可分論というのが日本にもあったわけですが、じつは不可分ではなくて可分だったわけです。
西尾 そうです。少なくとも一九三八(昭和十三)年ぐらいまでは可分でしたね。
福井 イギリスやオランダが植民地としている南方の石油を求めるというだけであれば、アメリカを攻める必要はなかったわけですよね。
西尾 そうです。だから、私が研究している思想家の仲小路彰は、日本海軍の末次信正大将と、富岡定俊大佐らとタイアップして海軍をインド洋に動かし、中東で南下してくるドイツ軍と連携して、イギリスを倒して、そしてアメリカのソ連援助をそこで封鎖するという計画を考案していました。そうすれば、ドイツも助かるし、アメリカも日本と戦争をする根拠を失うと考えた。英米は別と見なしていたからです。日本の大本営も考えていた作戦で、作戦名もあった。ところが、突如として真珠湾攻撃を実施する計画になってしまった。このあたりの経緯が分かりませんが、山本五十六の勇み足ではないですか。
福井 アメリカの世論は、イギリスを支援することはよいけれども、参戦には反対するという声が圧倒的で、アメリカから日本に宣戦布告をすることは政治的にはおそらく不可能でした。それがなぜ、日本人には分からなかったのか。
西尾 ハル・ノートを通告されても、その内容をアメリカのマスコミに暴露させる手もあったとよく言われていますよね。
福井 のらりくらりとかわせばよかった。ハル・ノートで日本の撤退を求めた「中国」には満洲が含まれるのかどうか議論して時間稼ぎをするという手もあったはずです。それは日本人の性には合わないということでしょうか。
西尾 できなかったんでしょう。石油の残量を考えて、いま開戦しなければ勝ち目はないと焦ってもいましたね。いずれにせよ、真珠湾攻撃後にアメリカで言われた「リメンバー・パールハーバー」という言葉は、「リメンバー・ザ・メーン」という言葉が以前にあったから、容易に流布したということですね。
福井 そうだと思います。
『正論』12月号より つづく
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「『ワン・ワールド』の理想を信じ切る」(福井)
「きれいごとを言いながら遠隔操作」(西尾)西尾 この点は大きな考え方の分かれ目になるところでもありますね。いまのお話でも日本人、中国人、フィリピン人をなんら区別せず、虫けらのように考えていたということになりますからね。たしかに東海岸の帝国主義者たち…。
福井 アメリカ帝国主義者です。
西尾 彼らが歴代の大統領でもあり、アメリカの主流を成していて今のネオコンにもつながる人たちですけれども、彼らは、イギリスの植民地主義に対してネガティブだったのではないですか?
福井 ネガティブです。
西尾 アメリカは開国のときからイギリスに対抗心があり、しかしイギリスを模範にもしていて、イギリスつぶしの動機が常にありながら弱い小国の時代にはイギリスの尻尾を追って利益を得ていました。そして最後はイギリスを抱き込むように手を結びますよね。
福井 はい。ただし、あくまでも一時的方便としてです。世界は一つで、世界中にアメリカン・デモクラシーを普及しなければならない、植民地として支配されるような民族があってはいけないということが、彼らの理想なんです。
西尾 そうだ。アメリカが一貫して言う、いわゆる「きれいごと」ですね。一八九九年に国務長官のジョン・ヘイが出した中国に関する「門戸開放・機会均等・領土保全」の三原則、一九一八年にウィルソン大統領が出した十四カ条のヴェルサイユ条項、それから一九四一年のチャーチル=ルーズベルト洋上会談の大西洋憲章と、アメリカは三度にわたって植民地を否定する宣言を世界に出しましたが、これは「きれいごと」に過ぎず、実は秘かなイギリスつぶしの作戦だっただろうという気もしています。
福井 そうです。だからアメリカは基本的に勢力均衡を認めません。1940年の大統領選挙で共和党候補でありながら、現職のルーズベルトとほとんど同じ主張を繰り広げ、大戦中はその特使として活躍したウェンデル・ウィルキーの大ベストセラーの題名が『ワン・ワールド』。アメリカは植民地主義や帝国主義から解放された「ひとつの世界」を実現する使命を帯びているのです。
西尾 要するに、各国が同盟を結んでその相互の均衡で平和を保つという第一次世界大戦までのヨーロッパのやり方を否定して、国際連盟をつくるというのは、自分がその主人公になるという発想でしたからね。世界政府志向ですよね。
福井 そうです。「きれいごと」ではありますが、彼らはそれを信じ切っている。信じ切っているからこそ強いと思うんですね。単なる建前であれば、あれだけの力は出ないでしょう。
西尾 自分の善を信じ切っている。信仰だからです。それだからこそ困る、厄介なんだ。宗教的信条なんです。彼らが、その「きれいごと」を言い続けてこられたのは、まず資源が豊富であり、人口が過剰ではなく、むしろ移民を必要とする国であること。そして下層労働力を国内に抱えているので、過剰な領土の獲得意欲に駆り立てられることもない。だから中国に進出しようとしたときも、中国を割拠しかけていた各国の動きを、むしろ不便だと感じていて、手出しをしないでしばらく様子を見て、それから干渉して中国分割を止めさせようとした。そして、金融支配を通じ丸ごと中国を遠隔操作で支配しようとしたわけです。
その遠隔操作の手段の一つはドルです。他国に対するドルによる遠隔操作が可能になったのは、実際には第二次大戦後だと思いますが、早い時期にそういう志向性を示していた。ペリーの来航から十九世紀にかけての時代は、暴力的なことをアジア・アフリカ諸国でやっているイギリスの後ろにくっついて、自分は手を汚さず、しかし同じ条約をきっちりと結んで利益だけは得ていた。
開国期の日本では、それがオルコック(イギリスの駐日総領事・公使)とハリス(アメリカの駐日公使)の対立になって現れます。オルコックはイギリス流で日本に厳しいことをガンガン突きつけたのに対し、ハリスは優しくソフトな物言いで、しかもいかにも日本のためになるようなことばかりを言っていた。
『正論』12月号より つづく
「アメリカ観の新しい展開」(三)
人種問題は日米開戦の要因か
西尾 今年、『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』(草思社、原題は「人種偏見、日系アメリカ人、アメリカの人種的不寛容のシンボル」)という翻訳本が出されました。カレイ・マックウィリアムスというアメリカ人が、一九四四年に出版した本です。訳者は、最近、アメリカに関する大著を書き続けている渡辺惣樹さんです。
この本は、一九〇〇年にカリフォルニアと日本との間に戦争が始まり、それが拡大して国家間の戦争になった、人種偏見こそが日米開戦の根本的モチーフであるという主旨で書かれています。おもしろいのは、カリフォルニアにたくさん集まっていたアイルランド系の労働者、アイルランド系移民がイギリスを憎んでいたが故に、日英同盟は彼らには大きな衝撃となり、しかも日本がその同盟関係を利用して日露戦争に勝ったことから、抑えることのできない反日感情がわき起こったという分析の展開です。日英同盟とその後の歴史に対するこの感情は、私見ではオーストラリア人の反日感情の由来とそっくり同じですが、それがカリフォルニアにおける日系移民排斥の悲劇、さらには一九二四年の排日移民法につながったということを同書はつぶさに検証しています。
当時の日系移民排斥の動きは、一九一〇年代、二〇年代に南部諸州がこぞってカリフォルニアを応援し、司法までが彼らに味方をしたために激しくなった経緯が詳述されています。さらに訳者の渡辺氏は、「まえがき」でこう書いています。「排日移民法は日本が関東大震災(一九二三年九月一日)の惨禍に喘いでいる最中に成立している。それでも日本の政治家は、外交的妥協を通じて軍縮の道を選んだのである。しかし軍部はロンドン軍縮会議の妥協(大型巡洋艦対米比率六割二厘、当初要求七割)が許せなかった。統帥権干犯問題を持ち出して軍部が強硬な姿勢に変容していくのはこの頃である。
多くの史家が、この時代に日本が誤りを犯したと解釈する。あの暗い昭和の一時期を、あたかも日本という国が、その体内から発生した『遺伝性の癌』に冒された時代であるかのように分析する。統帥権干犯問題は大日本帝国憲法の欠陥に起因するとの分析は、筋のよい歴史解釈となる。しかし、マックウィリアムスが本書で描いている、カリフォルニア州における白人の反日本人の態度と、それに対する日本のリーダーや知識人、そして一般の人々の激しい反発のさまをバランスよく読み解いていけば、そうした史家が描き出す『悪性の癌』は本当に遺伝性だったのだろうかとの疑念が生じる。むしろ、白人種の激しい日本人差別という外部的刺激に起因した『ビールス性の癌』に冒されたのではないかと疑わせる」と。
つまり、日本では、戦争の原因を国内だけでほじくり返す論争が言論界に蔓延っているけれども、そんな話ではないのではないかという異議を提示しているわけです。カリフォルニアで生起した排日の動きは、日本人にとってはいかんともしがたい話で、しかもカリフォルニアは石油産出「国」で日本のエネルギー資源の生命線を握っていた。
渡辺氏は、さらにオックスフォード大学のヨルグ・フリードリッヒ博士の分析も紹介しています。日本が満洲事変を引き起こした究極の目標は、自給可能な経済ブロックを作り上げることにあったが、満洲を選んだのは失敗であった。なぜなら食糧や石炭、鉄鉱石などの資源は豊かだったが、石油はなかったからで、かえって当時の圧倒的な石油産出国であるアメリカへの依存度を高めてしまった。そして「日本の行動を容認するわけではないが」と但し書きをしながらも、「石油禁輸を受けた日本には、ボルネオやスマトラの石油を略取する方法しか残されていなかった」としています。
いずれにしても、すでに戦争中の一九四四年にこういう研究をして著述した人がアメリカの中にいた、というのがおもしろいし、立派だと思います。それはアメリカの懐の広さだけれども、同時に非常に多様な人種がいる国だから、いろいろな考え方があるということですね。
福井 はい。ただ、当時のカリフォルニアでは現実に日系人がいて、現地の白人の労働者との対立は激しかったと思いますが、全般的には、日米戦争を主導した人たちは東部のインターナショナリストであって、「人種差別は良くない」と主張していた人たちなんですね。
西尾 ときのセオドア・ルーズベルト大統領はカリフォルニアの「バカ者」どもを抑えたがっていました。
福井 はい。当時、東部のエスタブリッシュメントの人たちは、じつはかなり反英でもありました。イギリス帝国主義の植民地支配は望ましくないと考えていた。人種的偏見が強いとは言えないと思います。
アメリカの移民政策は、一九二四年の移民法の改正、いわゆる排日移民法でほぼ骨格が固まりましたが。第一次世界大戦でイギリスに騙されたのだから、アメリカはアメリカだけでいこうという孤立主義の流れが強くあって、むしろ連邦政府、東部エスタブリッシュメントは移民法改正を抑えにかかったんですが、議会が法案を通してしまった。
ですから、むしろ移民法を通した人たちは、日本と戦争をしたいと思っていなかったのではないか。考えようによっては、日本人と中国人のような野蛮人同士で争っていようが、アメリカは関係ないという発想だってあり得るわけです。
実は米西戦争のときもまったく同じ議論があって、戦争の結果、アメリカはフィリピンを領有しますが、「そんなことをすれば非文明人を抱えることになるからフィリピンなど要らない」という意見も有力だったのです。ですから、私は人種的偏見と日米戦争は、それほど強い因果関係はないのではないかと考えています。
『正論』12月号より つづく
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「お節介ではた迷惑なアメリカの使命感」(西尾)
西尾 二〇〇一年の同時多発テロ後には、アメリカに住んでいる中東系の人たちの収容も検討されました。実現する可能性はほとんどなかったでしょうが、これは第二次大戦時の日本人収容と同じ発想であって、日本人収容への反省は何であったのかと疑わせる動きでした。
福井 あの中東系の人たちの収容計画は、このオールド・ライトの系譜を引くパレオコンサバティブの人たちが厳しく批判しました。「ネオコンサバティブは何も歴史から学んでいないのか」と。いまのご発言を聞き、オールド・ライトと先生の発想は非常に近いという気が改めてしますね。もう一つ、西尾先生は『天皇と原爆』で、アメリカを対日独戦へ駆り立てた「宗教的な動機」を強調されています。日本の保守派の間でも「何を言っているの」という反応もあったようですが、これも実はアメリカでは昔から言われていることです。
代表的な文献は、アーネスト・リー・トゥーヴェソンという宗教思想史家の『リディーマー・ネイション(Redeemer Nation、救済する国家)』です。アメリカの対外政策史は、「リデンプション・オブ・ザ・ワールド(redemption of the world)」、つまり世界を救済するというミッション、使命感に強く支えられてきた歴史であるということが書かれています。この本はシカゴ大学出版局から一九六八年に刊行され、八〇年に「ミッドウェー・リプリント」として再刊されています。古典という評価が定まったということでしょう。トゥーヴェソンは生涯独身で自宅もマイカーも持たない隠遁者のような人生を送る一方、学界で高く評価されていた碩学です。
西尾 詳しく説明していただけますか。
福井 アメリカで支配的な一部プロテスタントの神学は、カトリックなどと違って神の国と地上の国を区別しません。地上で「千年王国を実現する」という強い志向がある。そして、その使命を帯びているのがアメリカであり、アメリカの対外政策は強くその志向に支配されているという内容です。西尾先生が指摘された戦争に対する「宗教的な動機」は、アメリカの学界エスタブリッシュメントの間でも常識の範囲内の議論であるということです。
西尾 日本にとっては、そういうアメリカ人の使命感は、余計なお節介あるいは、はた迷惑だというのが私の感想です。
福井 『救済する国家』自体は学術書で、価値中立的なスタイルで書かれていますが、オールド・ライトは、そうした使命感は間違いだと強く主張しています。アメリカの保守というのは伝統的には反戦です。よその国のことは基本的にどうでもよい、というのが原則的な姿勢です。
西尾 アメリカとは、リンカーンの時代から、そうした使命感を持った国であったということですよね。
福井 その通りです。
『正論』12月号より つづく
「アメリカ観の新しい展開」(一)
いま『正論』で三回連載の対談でアメリカ観の新機軸をお目にかけている。対談の相手は青山学院大学教授の福井義高さんで、専門は会計学、畑違いと思うかもしれないが、彼の独自のアメリカ観に魅かれて、話し合おうということになり、この試みが始まった。迚も新鮮である。私は毎回刺激を受けているし、私も新しいことが話せるようになって楽しい。
今回は三回達成のうちの第一回、12月号をお目にかける。とにかく福井さんの知見は素晴らしい。いま私の周りには、私より若い、有力な研究者や論客が多方面から続々と集まって来ている。これはありがたいことである。対応に忙しくても老いてなお負けないつもりだし、私の関心はますます盛んである。
本から学ぶだけではなく、人から学ぶことも大切なのである。小さく縮こまってしまってはいけない。何にでも自分をオープンにして、激しく変化している世界の情報に身をさらさなければいけない。つねにそう思っている。
この対談は拙著『天皇と原爆』に対する福井さんの関心と論評が起点になっている。三ヶ月以上かかるが、とびとびに全対談をご紹介する。
アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか 上
「世界救済」国家論とオールド・ライトの思想
アメリカの戦意を知らなければ、あの戦争は 理解できない。
大東亜戦争研究の新たな地平
評論家●にしお・かんじ 西尾 幹二 青山学院大学教授●ふくい・よしたか 福井 義高「ルーズベルトの対日独戦決意は常識」(福井)
編集部 大東亜戦争の評価をめぐって、戦後、左翼反日陣営と保守陣営の争いが続いてきました。そして90年代、いわゆる「従軍慰安婦」問題や「南京大虐殺」が中学校の教科書にも掲載されるに至って、西尾先生たちは教科書正常化運動に立ち上がり、「日本はアジアで残虐非道なことをしてきた」という左翼陣営の歴史観に基づく記述の訂正を求めてこられた。
世紀が変わり、西尾先生たちの主張はある程度浸透しましたが、他方で、新しい反日的、自虐的な歴史観が台頭してきました。「日本は残虐非道だった」とことさらに言うことはないけれども、開戦に至った経緯を検証する中で日本の誤りや責任や愚かさだけを追及している。代表的なのは半藤一利、保阪正康、秦郁彦、加藤陽子、北岡伸一の各氏らで、一見、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」とは異なり、客観的な史料に基づいた主張のように思えます。これに対しても、やはり保守派から、彼らも結局は勝者による敗者の裁きに左翼が悪乗りして言い続けている「東京裁判史観」、つまりは「日本悪玉史観」「日本侵略国家論」を、装いを新たに唱えているだけではないか、戦争には相手があるのにその相手の戦意を見ず、専ら日本国内の出来事や資料を取りあげているだけの「蛸壺史観」だ、という反論が出てきました。その流れの中で、西尾先生が今年、『天皇と原爆』(新潮社)を刊行された。この本はまさに、その相手国の事情を見ていこう、アメリカはなぜ日本と戦争をしたのかを考えていこうという試みを地でいく内容です。しかも、宗教戦争という新しい視点を取り入れて、幅広い論点が提示されている。今後の第二次世界大戦研究の一つの方向を提唱されたとも言えます。
福井先生は、アメリカのみならず世界各地の歴史研究の潮流を手広く調査されています。今日は、西尾先生の試みが、世界的な歴史研究の流れの中でどう位置付けられるのか話し合っていただきたいと思います。福井 『天皇と原爆』を拝読すると、自虐史観が蔓延したが故の日本の危機に対する西尾先生の焦燥感を強く感じる一方で、先生のお考えは、アメリカ「保守」の現在の主流であるネオコンサバティブではない従来の保守派、オールド・ライトといわれる人たちを含む、伝統的な孤立主義者あるいは非干渉主義者といわれる人たちの歴史観にかなり近いことが分かります。
実はアメリカでも、第二次大戦開戦当時のフランクリン・ルーズベルト大統領は、対日独戦争をやむなしと考えていた、あるいは積極的に両国とは戦争すべきだと考えていたということは、専門家の間では常識です。当時のアメリカ国内には、第一次大戦では英仏帝国主義者に騙されて多大な犠牲を払ったというコンセンサスがあり、非常に反戦意識、厭戦気分が強かった。にもかかわらずルーズベルトが国民を、いわばだますかたちで戦争に誘導していったということは、今ではほとんど誰も否定していないし、日本の卑怯な不意打ち攻撃にガツンと殴られてやむなく戦争をしたなどという話も、一般大衆向けの宣伝や子供向けの教科書はともかく、専門の研究者は誰も信じていません。
ただし、そのルーズベルトと日独戦に対する評価には二通りあります。通説、あるいは主流は、あれは「グッド・ウォー」、つまり「良き戦争」であったというものです。ルーズベルトがとった手法─国民には「戦争はしない」と約束しながら、経済封鎖などで日本を対米戦へと追い詰め、日米戦を口実にして欧州戦線にも参戦した─には、民主国家としては好ましくない手段ではあっても、邪悪な日独を叩きつぶすためにはやむを得なかった、むしろそれはリーダーとして当然であったという見方ですね。
もう一つの立場からの評価は、逆にルーズベルトに対して極めてネガティブです。先ほど触れたオールド・ライトたち、いまではネオコンサバティブに対してパレオコンサバティブと呼ばれていますが、彼らはアメリカという、汚辱にまみれたヨーロッパとは違う新世界で、「理想の国家をつくる」というのがワシントン以来の建国の理念だと考えていて、ルーズベルトの国内・対外政策は、その建国の理念への裏切りであると見なしています。
このオールド・ライトの立場、あるいは孤立主義は、第二次世界大戦が「良き戦争」だという見方が通説になってからは過去のものと位置づけられてきましたが、昨今のアメリカの中東政策の行き詰まりが誰の目にも明らかになるにつれて、復権しつつあります。
例えば今年の共和党大統領予備選挙で、堂々と孤立主義を主張したロン・ポール下院議員が、大手マスコミが基本的にまったく無視したにもかかわらず、大善戦しました。草の根保守の間では、孤立主義的なものの考え方が戻ってきているということを示しています。
彼らの反ルーズベルト史観からいえば、西尾先生と同様に、好戦的だったリンカーン(南北戦争)、セオドア・ルーズベルト(中南米への軍事介入常態化)、ウッドロウ・ウィルソン(第一次大戦)、フランクリン・ルーズベルト(第二次大戦)が、アメリカ大統領史上の「四大悪人」です(笑い)。彼らの考え方は、学界主流からは批判され、日本ではほとんど無視されてきましたが、何人かの著名な歴史研究者の中にいまでも受け継がれています。
『ナショナル・インタレスト』という有名なエスタブリッシュメントの雑誌があります。フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を発表した外交評論誌で、外交政策に関しては高く評価されています。この雑誌のロバート・メリー編集長が、今年の六月、ホームページに日米開戦の経緯を書いていて、そのなかで、一九四一年十一月二十六日に日系人のリストアップが極秘で始められたと記しています。
西尾 例の「ハル・ノート」、日本に最終的に対米開戦を決意させたあの文書を、アメリカが日本に突きつけた日だね。
福井 ええ。こういうことを権威ある雑誌の編集長が大胆に書いているわけです。全くその通りかどうかはともかく、そうした事実があったことは確かなようです。
西尾 あくまで計画だけれども、その後の日系人収容へとつながる対日戦の準備であったことは間違いない。
福井 メリー編集長は、その当時の情勢と現在のオバマ大統領の対イラン政策を対比して、非常に似ていると指摘しています。ルーズベルトが日本にやったのと同じように、オバマ大統領はイランに厳しい経済制裁を科し、さらに交渉を望む相手の意図を受け止めず、逆にはねつけるように行動している。
西尾 つぶしてかかる。
福井 ルーズベルトがイギリスの首相だったチャーチルに対日強硬策を迫られたのと同様、オバマはイスラエルのネタニヤフ首相から同じようなプレッシャーを受けているとも書いています。 さらに、メリー編集長は、ルーズベルトが日本との戦争を望んでいたことは歴史的に明らかであるのに対し、オバマがイランとの戦争を望んでいるのかどうか、今はまだ分からないという点を大きな違いとして挙げています。対イラン戦争を望んでいるなら今までのオバマの行動はメイク・センス(合理的)だけども、望んでいないのであれば無謀すぎると指摘しています。いずれにせよ、ルーズベルトが対日戦を望んでいたという内容の文章を、堂々とエスタブリッシュメントの雑誌の編集長が書いている。西尾先生の言われることは、過激でも異端でもないということです。
『正論』12月号より つづく
坦々塾会員の活躍(三)
アパグループ主催「第5回真の近現代史観」懸賞論文・優秀賞受賞論文
「日米百五十年戦争と我が国再生への道標」の御紹介(坦々塾会員・中村敏幸)
私は、ある民間会社で40年間一技術屋として勤務してまいりました元会社員ですが、益々国威が低落していく我が国の余りの惨状に、とてもこんなことをしては居られない、自分も日本再生のために何か寄与しなければとの思いにかられ、昨年の3月に自ら職を辞し、「坦々塾」にも入会させて頂き、「余命は日本再生のために微力を尽くす」と決意しました次第です。
そして、先ず第一に東京裁判史観とGHQによる日本弱体化工作を打破根絶し、その洗脳から脱却しない限り、我が民族が自信と誇りを取り戻し、我が国の真の再生を成し遂げることは出来ないのであり、その為に少しでも寄与出来ればとの思いから、日本を取り巻く近現代史を調べ直して纏めましたのが、今回受賞した論文であり、以下にその要旨を記します。
昭和史家の多くは先の大戦を満州事変を発端とする「十五年戦争」と捉え、日露戦争の勝利に慢心し、急激に愚かになった昭和の為政者や軍部が、世界の大勢を把握することなく突き進んだ無謀で邪悪な侵略戦争であったと唱えます。しかし、その様な近視眼的でパターン化された見方では「先の大戦の真相と世界史的意義」を明らかにすることは出来ないのであり、日米武力戦争は昭和20年8月15日に終結しましたが、これはボクシングに例えれば、前半戦に於いてワンダウンを受けたに過ぎず、日米戦争はペリー来航以来「日米百五十年戦争」として、今日でもなお、姿と形を変えて継続していることを訴えました。
アメリカは建国以来、清教徒的理想主義の仮面を被った覇権国家であり、アメリカによる世界一極支配を目指して膨張し続けてきた国ですが、その過程の太平洋に於ける覇権構築にとって最大の障害となったのが、彼等と異なる価値観と民族文化を有し、キリスト教化を受入れない独立主権国家日本でした。また、日本の台頭と日支の協調接近は欧米列強の東洋植民地支配を根底から脅かすものでした。
そのために、アメリカが長期戦略として英国、ソ連、支那とも巧妙な連携をとって対日包囲網を築き、日本に対する執拗な挑発を続けることによって起こした戦争が先の大戦であったのです。
所謂親米保守といわれる人達は「日米同盟さえ緊密であれば日本は安泰である」と主張しますが、果たしてそうでしょうか。アメリカは東京裁判史観とGHQによる日本弱体化工作によって日本の精神的基盤を破壊し、サンフランシスコ講和条約発効後も、我が国を自己決定権の持てないアメリカ覇権の手足となる従属国家に仕立てて来ました。更に、1960年代の「日米貿易摩擦」に始まり「プラザ合意」、「日米構造協議」、「日米経済包括協議」、「年次改革要望書」と手を変え品を変えながら、アメリカは日本の金融と経済のしくみや日本的経営の基盤を破壊し続け、日本から富を奪い続けたのであり、日米戦争は姿と形を変え今日も継続しており、連戦連敗の状態が続いているのです。
アメリカはペリー来航以来、日本に対して真に友好的であったことは一度もありません。そして、アメリカは我が国と周辺諸国との友好を望んでいないのです。領土問題についても、アメリカが真の友好国であるならば、「尖閣も竹島も、北方領土も日本固有の領土である」と主張すべきであり、そうすれば領土問題は一挙にケリがつくのです。しかし、アメリカは「特定の立場はとらない」と言っており、アングロサクソンのdivide and conquer(分割統治)戦略によって、日中、日韓、日露を領土問題で争わせているのです。
我々真の保守勢力にとって、「親米保守」との決別、更には対決は避けては通れないことであると思います。
以上のような認識の下に、最後に「日本再生への道標」と題して六つの提言を記しました。
1. 先の大戦で散華された英霊の慰霊と残された遺骨の収拾
2. 正しい歴史教科書の普及
3. 家族家庭の再生(少子化に対する根本対策)
4. グローバリズムとの対決
5. 自主憲法制定
6. 孤独を恐れず、我が国の正しさを正面に掲げて中韓との激論を戦わすグローバリズムの波が世界を席巻して居りますが、グローバリズムは「民族国家の個性」を喪失せしめ、世界をボーダレスで無性格な弱肉強食の草刈り場と化し、世界を一極支配しようとする勢力の戦略であり、我が国は押し寄せるグローバリズムの波をうまくかわし、破壊された我が国の精神的な基盤と、社会構造基盤の再生に努めなければなりません。
我が国は今日なお、GHQによる日本弱体化工作の毒が全身に回っており、全くの虚偽捏造であることが明らかになった「南京大虐殺」についても、それを記載しなければ教科書検定に合格しない自己検閲状態が続き、病膏肓に入っている感があります。
しかし、潮流は表層が東から西へ流れているようでも、下層では西から東へ流れていることがあるように、底流では我が国再生への流れが次第に勢いを増してきているように思われ、日本が日本を取り戻し、世界に向かって羽ばたくために、孤独を恐れず、宿命としての孤独に耐え、眦を決して戦う秋であると思っております。
以上が受賞論文の要旨ですが、インターネットで「アパグループ第五回『真の近現代史観』懸賞論文」を検索しますと全文が掲載されておりますので御案内を申し上げます。(文責・中村敏幸)
坦々塾会員の活躍(二)
河内さんは私の小石川高校時代の同級生で、精力的に翻訳業に取り組み始めました。同じ著者ブキャナンの二作目が来年上梓される運びとか聞いています。
パトリック・J・ブキャナン著 幻冬舎刊
「超大国の自殺―アメリカは、二〇二五年まで生き延びるか?」のご紹介 (訳 者 河内隆弥)著者は、アメリカの保守派重鎮。1938年ワシントンDC生まれ、ジョージタウン大学卒業、コロンビア大学大学院修了、政治評論家、作家、コラムニスト、TVコメンテーター。ニクソン、フォード、レーガン大統領それぞれのシニア・アドバイザーをつとめ、自らも共和党大統領候補として二度ほど予備選に、かつ2000年の大統領選では改革党候補として本選に出馬した政治家でもあります。著書多数ですが、邦訳に「病むアメリカ、滅びゆく西洋」(宮崎哲弥監訳、2002年成甲書房刊、原題「The Death of the West:How Dying Populations and Immigrant Invasions Imperil Our Coountry and Civilization」)があります。
この「超大国の自殺」は、「病むアメリカ」の系譜を承け継ぐもので、1960年代以降のアメリカの公民権運動の展開、アファーマティブ・アクション(人種差別撤廃運動)及びポリティカル・コレクトネス(政治的公平)の推進、妊娠中絶、同性愛の許容、キリスト教道徳の衰退等々、いわゆるリベラルの主張の高まりによって、いかにアメリカ、そして世界の文明社会が危機に陥っているか、について引き続き警鐘を鳴らす趣旨の著作です。「病むアメリカ」出版以降十年を経て、アメリカはアフリカ系大統領を選び、二つの戦争を深化させ、住宅バブル崩壊、リーマンショックの大金融危機を迎え、いままた「財政の崖」の帰趨に世界の耳目が集まっています。ここ十年、まさに「病むアメリカ」に示された懸念が数倍の規模で展開されているようです。
ブキャナンは、「超大国の自殺」を、旧ソ連の反体制派、アンドレイ・アマルリクの1970年のエッセイのタイトル、「ソビエトは1984年まで生き延びるだろうか?」を引用した「まえがき」から書きおこしました。アメリカは、あたかもソ連が消滅したごとく自殺の道を歩んでいる、という本書の主張、そして章立てタイトルのそれぞれ、とくに「白い(ホワイト)アメリカの終焉」などの表現は、アメリカのリベラル陣営を刺戟し、ブキャナンは長年つとめていたMSNBCコメンテーターのポストをおろされた、とつたえられています。リベラルが何を言おうと、ブキャナンの人口動態等の分析は、精密な資料、投票行動、世論調査等に裏付けられており、極めて冷徹、客観的なものであり、古今東西にわたる該博な知識に基づくブキャナンのそれらに対する解釈が説得力を高めています。
21世紀なかばにおける人口の多い国十ヶ国を上から予測すると、インド、中国、合衆国、インドネシア、パキスタン、ナイジェリア、ブラジル、バングラデシュ、コンゴ共和国、エチオピアで、五つがアジア、三つがサブサハラのアフリカ、一つがラ米です。現在の先進国では唯一アメリカがベストテン入りをしていますが、そのアメリカも、白人出生率の低下、これに対する有色人種とくにヒスパニックの高出生率と移民の増加で、2050年までには白人人口が46.3%へと、半分を切るものと見られます。それはすでにアメリカが第三世界に属することを意味し、すなわち、そのときの人口大国十ヶ国はすべて第三世界が占めることとなります。アメリカ建国のモットーである、e pluribus unum(多数でできた一つ)は合衆国の多様性を前提とするものでしたが、あくまでも国家としては一つのものを謳っていました。しかしいつの間にか「多様性こそアメリカの力」という言い方が主流となり、そのこと自体が政治、宗教、道徳、文化に関する価値感の分裂を促進しました。平等思想は「機会の平等」ではなく、「結果の平等」に置き換えられました。一方、正規、不正規の移民が途絶えることもありません。有色人種の伸張と価値感の分裂、そして金融資本主義ないし市場原理主義に基づくグローバリゼーションがもたらす経済格差がこの上もなく複雑に絡み合い、現代アメリカを特有のダイナミズムで動かしています。
「国家とは何ぞや?」国家とは共通の祖先、文化、言語をいただき、同じ神をうやまい、同じヒーローをあがめ、同じ歴史を大事にし、同じ祝日を祝い、同じ音楽、詩、美術、文学、そしてリンカーンのいう情愛の絆を共有するものではなかったか?それが国家というものならば、われわれはアメリカが依然として国家である、と本当に言えるのだろうか?とブキャナンは問いかけます。
2012年11月、大統領選挙でオバマ大統領が再選されました。投票直前まで、民主党オバマ、共和党ロムニー両候補は大接戦が予想されていました。ふたを開けてみれば、2008年、オバマ対マケインの、選挙人獲得数365対173、獲得州28+DC対22、得票率52.9%対45.7%にくらべて、2012年オバマ対ロムニーは同じ順番で332対206、26+DC対22、50.5%対47.9%と、ロムニ―は善戦したものの結局敗北を喫しました。ブッシュ二世がホワイトハウスを民主党に明け渡してから失業率は高止まりしており、この高失業率での現職の再選はフランクリン・ルーズベルト以来と言われています。今回、有権者構成比72%の白人は、その59%がロムニーに投票しましたが、0.72×0.59=0.42となって共和党が勝つことは出来ません。
(前回は0.74×0.55=0.40)共和党はもともと白人の党とよばれていますが
ニクソンとレーガンが勝っていた、宗教意識の高い保守的国民、中産階級、ブルーカラーの牙城であるペンシルベニア、ミシガン、オハイオ、イリノイの諸州がブルーステート(民主党勝利の州)に入ってしまっています。このことには共和党自身にも責任があります。共和党政権の時代、その新自由主義的経済運営によって生産現場は大幅に国外移転され、またNAFTA、GATT、WTOを通じる輸入品門戸開放政策とあいまって、国内の大量の雇用が喪失された結果、共和党は頼みの白人中堅層にも見離されることとなりました。選挙結果はそのことの証明にほかならず、加えて、白人層の相対的かつ絶対的減少は今後共和党に致命的な打撃を与えることでしょう。ブキャナンは本書でそのあたりを克明に分析しています。グローバリゼーションの進展で、国民の貧富の格差は拡大しつつあり、この辺はウォールストリート占拠運動の報道などで見るとおりですが、その救済のための「大きな政府」の路線でアメリカはいまや勤労税額控除、フードスタンプ(食糧費援助)、医療保険、住宅補助、無料教育などの受給資格社会となっており、社会主義国アメリカの顔も見せています。連邦政府は3ドルの収入に対し5ドルの支出を行うありさまとなりました。この財政状況のなかでのアメリカは、何が与えられるか、よりも何が削られるかをめぐって国内の亀裂が深まるだろう、とブキャナンは予測しています。(このあたり、本訳書の出版元、幻冬舎は本訳書の「帯」に、やや過激な表現を記していますが・・。)
ブキャナンはソ連を消滅させたものは、民族(エスノ)ナショナリズムないし部族主義(トライバリズム)と見ています。この力が共産党一党支配の警察国家を解体させたと。
ナショナリズム(国家主義)というものより、はるかに泥臭いトライバリズムという、国民国家を超えた概念が、21世紀の多民族国家の成否を占うものとして本書ではとらえられています。アメリカの亀裂の一つの側面である人種問題は、アメリカをどういう方向に持ってゆこうとしているのでしょうか?もう一つ、そのような財政状況のもとで、アメリカはいまだ経済、軍事超大国ではあるものの、すでに対外政策では事実上緩慢な後退局面に入っており、NATO、日米、日韓同盟などの軍事コミットメントの同時履行をせまられるとすれば、それは不可能である、とブキャナンは断言しています。そのようなアメリカと同盟関係にある日本はそのことをどのように考えればよいのでしょうか?
本書出版にあたり著者にお願いした「日本語版への序文」には、この本のテーマは、そのまま日本のテーマであることが簡潔に述べられています。昭和64年(1989年)1月、昭和天皇が崩御され、平成の世となりました。同じ年11月、ベルリンの壁が壊され、ソ連崩壊(1991年12月)につながり、冷戦が終わりました。日本では、旧大蔵省の総量規制(1990年3月)をきっかけにバブル経済が弾け、「失われた20年」が始まりました。冷戦後、人々の期待していた「平和の配当」は与えられるどころか、あたかもパンドラの函が開けられたごとく地域紛争、宗教戦争が始まり、加えて世界の金融秩序、諸国の財政制度は金融資本主義の蔓延によって破壊されつつあります。日本人もたとえようもない閉塞感のもと、民主党政権を選んでしまいましたが、いま無残な失敗に終わろうとしています。
2011年の東日本大震災、それに続く原発事故、「3.11」は戦後初めてといってよいショックを日本人に与えましたが、日本人は依然戦後レジームを引きずったまま、これといった危機を認識しないまま今日にいたっているように見受けられました。しかしここへきて、尖閣諸島、竹島、北方領土問題が大方の目を醒ましつつあります。日米安全保障条約(日米同盟)の効力にもいま論議が高まっています。この点前述のとおり、自国の財政状況からもブキャナンは、対外コミットメントからアメリカは手を引くべきである、といういわば「孤立主義」の立場を主張しています。逆にブキャナンは、安保条約における片務的なアメリカの日本防衛義務について疑問を投げかけ、日本の自立を促し、日本の核兵器保有の許容すら暗示しています。孤立主義の主張は、アメリカにおいてつねに一定の支持を得ています。日本はブキャナンのような考え方もアメリカにあることを充分認識し、その国論が変化する可能性について対応策を準備しておかなければなりません。
「ラストチャンス」の章でしめくくられていますが、本書は現下の諸問題すべてを解決するものではありません。描かれる未来は決して明るいものではないとしてもまず認識することが重要です。現在のアメリカで、世界で何が起こっているか、本書は恰好のガイドです。そして待ち構える未来が想像もつかないものとなるかもしれない、という予感が与えられますが、多様な対応を考えておくことも悪いことではないでしょう。
文章 河内隆弥 (了)
坦々塾会員の活躍(一)
坦々塾の会員の活躍をご報告します。
まず最初に、林千勝さんが日本維新の会・千葉七区より立候補しました。ぜひ応援してあげて下さい。
今年会員の中から二人の著作が世に問われました。渡辺望さんの『国家論』(総和社)です。「石原慎太郎と江藤淳。『敗戦』がもたらしたもの」という長い副題がついています。もう一冊は河内隆彌さんの翻訳書、パトリック・ブキャナン『超大国の自殺――アメリカは2025年までに生き延びるか――』(幻冬舎)です。
渡辺さんは評論世界へのデビュー作で、来年以後次々と本を出して活躍されることを祈っています。河内さんは私の小石川高校時代の同級生で、精力的に翻訳業に取り組み始めました。同じ著者ブキャナンの二作目が来年上梓される運びとか聞いています。
ご両名の今後の飛躍を祈りたいと思います。以下にそれぞれの自己解説の文を掲示します。
国家論 (2012/09/08) 渡辺 望 |
今回、刊行の運びになった『「国家論」石原慎太郎と江藤淳。敗戦がもたらしたものー』(総和社)は、私のはじめての本格的単著です。「あとがき」にも書きましたように、この本は、西尾幹二先生のお力添えと、総和社の佐藤春生さんのご尽力によって世に出ることになりましたものです。
本の副題にありますように、この本を書く動機は、石原慎太郎と江藤淳という、自分にとって幼少の時から非常に大きな存在であった二人の表現者の存在感を、二人あわせて比較分析してみたいという気持ちでした。それはずっと以前から、漠然とですが、ひたすら感じてきたものです。この二人の大きな存在感は、本物だろうか。本物だとしたら、どんな本物なのだろうか、というふうにです。
よく知られているように、この二人は高校の同窓以来の莫逆の友であり、文壇や論壇でも常に共闘した間柄でした。お互いを論じている文章もかなりあります。しかし二人の共通点、あるいは共有される思想的土俵というものはほとんどないようにも見える。実際ないと思いこんでいたので、私にとってこの二人の存在は、比較分析したいというひたすらの気持ちにもかかわらず、「親友だった有名な二人」という形で併記されるものにすぎないままでした。
しかし自分が或る程度の年齢になって、今一度、二人の著作、しかもあまり注目されていないような著作の幾つかを読み見直してみると、ある思想的土俵が二人の間に共有されていることに気づきました。たとえば、石原の場合、通俗的なものとしてあまり批評家からは相手にされなかった弟・裕次郎に関してのルポルタージュめいた本、江藤の場合は死の直前に書かれあまりに生々しい精神の記録が(ゆえにやはり批評家があまり取り上げない)妻への死に物狂いの看病記『妻と私』、こうしたあまり目立たない身辺の記録に、最も強烈に彼らの思想的本質があらわれている。再読して私はそう直観しました。
その直観に従い、さらに今度は二人の著作全体を再読を拡大してみると、両者には、「国家と性」という風変わりな思想的主題がはっきりと共有されている、という確信にいたったのです。
石原は国家というものを男性的・父権的に把握し、その上で国家的なるものに「青年」を見出す思想家です。石原自身は一見、非常に明快で曇りのない人物に見えるかもしれないけれども、弟・裕次郎との関係をはじめ、石原家の展開は実に入り組んでおり、その中で、石原本人は実に複雑な「父」として存在を余儀なくされる。その過程が彼の国家観をも形成した。これに対し江藤淳は全く正反対に、女性的・母権的に国家観を把握することにこだわったことが石原との比較探求でわかってくる。幼少時に死別した母や、江藤に男性的なるものを仕込んだ祖母への異様なほどの思い入れは、石原の「父」が異端であるのと同様、きわめて特異な「母性」へのこだわりです。
やがて現実の石原についてはこんなふうにとらえるようになりました。たとえば石原は三島由紀夫との座談会で皇室について否定的発言をして三島を落胆させたのは有名です。最近では北京オリンピックで中国の青年たちの規律正しい歓迎ぶりに感動して保守派陣営を当惑させ、さらにはナショナリズム的には幾重にも疑問符がつく橋下徹と公然と連携したりする。こうした石原の「危うさ」はつまるところ、石原の国家観が、「父権」とそこから導き出される「青年」に根源をもっており、それを感じたときに、石原は共感と同化をするという特異な国家主義者であるということを意味している。
江藤の本質については、こう考えるようになりました。たとえば江藤淳の文芸評論を少しでもよく読んだ人ならば、江藤が「母の胎内」とか「国家の父性・母性」という用語をほとんど悪文になるほどに多用することをご存知でしょう。江藤が思想家として最も力を注いだのは自分の血筋へのこだわりであり、そこに交錯する父性と母性の問題だったことが、彼の『一族再会』という代表作を読むと非常に明瞭です。江藤は母性への回帰へ軍配をあげる。この『一族再会』は終わりに「第一部・完」と書かれていますが、第二部はかかれませんでした。しかし実は江藤の最終作であった『妻と私』ということが、第二部であったのであり、江藤は母性なる日本への回帰ということを、自らの自殺によって完結したの
ではないでしょうか。悲劇的自殺による国家観の完成ということは、実は三島由紀夫との比較が可能な事象なのではないか。以上の視点から、石原と江藤の国家論の比較を次第に掘り起こしていくことを目指したのが本著執筆の第一歩なのですが、これは「書く」ということに常に付随することなのでしょうけれど、「主題の自己増殖」という事態に私は書き始めてからただちに直面してしまいました。
「父性」「男権」あるいは「母性」「女権」の比較ということだけではどうも現在の日本に有効な批評になりえない気がしてきたのです。たとえば目の前の民主党政権は、父性的でもないし母性的でもないではないか?論壇や文壇は、父性的な方へ向かっているのか、母性的な方へ向かっているのか?戦後の日本特に私が育ってきた1970年代以降の日本は、実は父性的でもないし母性的でもない。男性的でもないし女性的でもない何かに戦後日本は進んでしまっている。そこでさらに、「中性」というテーマを石原と江藤の間に挟んで論じなければならない。そう私は考えました。
日本という国家を「中性化」しようとする営為をおこなった表現者として、山本七平や司馬遼太郎、丸谷才一らをあげることができます。左翼でも保守でもない、しかし左翼といえば左翼のときもあり、保守といえば保守らしきときもある、という彼らの今の日本での読まれた方、好かれた方というのは、石原・江藤より遥かに多数派的といえます。彼らは「ただ存在してゐるだけの国家」(丸谷才一)を目指そうとした。それはなぜなのでしょうか。私はその謎を、彼らが共通して経験した(させられた)、軍隊内での陰惨な私的制裁にあると推論しました。私は本書の中でこれら国家の「中性」化に勤しむ知識人のことを「中間派知識人」と命名しています。
そしてこの軍隊内の私的制裁の問題こそが、戦後日本の知性の主流を次第に捻じ曲げてしまった原点ではないかと私は本書で断じています。「軍隊で殴られた知識人」=「中間派知識人」の復讐劇としての知的策謀なのです。そして「私的制裁」自体にも、意外に根深い普遍的問題が潜んでいるようです。この私的制裁の問題も、私なりに詳細に論じてみたつもりです。
このことから、本書は、「石原慎太郎論(父性・男権的)→中間派知識人論(中性的)→
江藤淳論(母性・母権的)」の順序の構成をとりました。本書の刊行以後、何人かの識者の方に本の感想を送っていただきました。その中の一つ、文藝春秋の内田博人さんのお手紙を本人のご許可を得て引用掲載させていただきます。周知のように、内田さんは雑誌「諸君!」の編集長を長く勤められました編集者です。
「
過日はご新著「国家論をお送りいただき、誠に有難うございました。ご研鑽がみごとに結実し、たいへん読みごたえのある一冊になっていると感じました。文章は読みやすく、国家というとらえどころのない存在の核心に、真っ向から迫ろうとする渡辺さんの気概を強く感じます。とりわけ「中間派知識人」というカテゴリーに新鮮な印象を受けました。左右対立という従来のカテゴリーでは見逃されがちな、昭和後半の知的世界のある一面を鋭く衝いて、西尾先生の言う「戦後思想に毒されていない」精神が躍如している部分と思いました。
「南洲残影」から「妻と私」をへて自裁へといたる江藤氏の晩年には、死の予感が通奏低音のように響いていて、痛ましさを感じずにはいられません。「一族再会」を中心に据えた渡辺さんの論述によって、悲劇の思想的な意味あいが初めて見えてみたように、感じております。
渡辺さんの評論活動のまさに出発点になる一冊かと存じます。ますますのご健筆をお祈り申し上げております。
何卒ご自愛ください。略儀ながら書中にて御礼まで。
文藝春秋 内田博人」
さすがは経験豊富な編集者だけあって、内田さんは、私が「中間派知識人」の問題に精力を割いたのをよく見抜いていらっしゃいます。現在の日本の知的状況というのは、左翼が台頭しているのではない、かといって保守主義的主題を現実化しようとする意欲もない、そのどちらも敵視し消し去るような、「いつまでもだらだらできる日本」が現実化しつつある、ということにあります。
まさに丸谷才一のいう「ただ存在してゐるだけの国家」の建国がほとんど完全な形で実現してしまっているといえましょう。石原・江藤の比較論というこの本の両輪の副産物ではありますが、しかし現実的問題としては実は本書のテーマの中で一番真摯に考えるべきかと思われるこの「中間派知識人」の問題も、本書を読まれる方に深く考えていただければ幸いと思います。
新論文と新刊本のお知らせ
間もなく12月の声を聞きますが、12月に入ると私の次の仕事が公開されます。
『正論』新年号に、「救国政権の条件と保守の宿命」(35枚)と、前回につづく青山学院大学の福井義高さんとの対談「アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか」(第二回)が出ます。前者は石原、安倍、橋下の三勢力への応援歌ですが、三氏にはそれぞれ注文もつけました。後者は重要な新鮮情報が満載です。
次に新刊書は竹田恒泰氏との対談本『女系天皇問題と脱原発』です。内容は以下の通りです。
目次
はじめにPART Ⅰ
天皇後継をめぐる政治的策謀基準は歴史である
女系容認は雑系につながる/皇室改革という名の謀略/彬子女王の明確な発言/旧皇族末裔たちの覚悟/六〇〇年離れても血は強めてる/薄れてきた藩屏を担う意識/皇太子妃だった美智子様へのいじめ/皇太子殿下の「守る」という言葉の意味/鳥肌が立つような迫真の祈り/「祭り」をどうやって引き継ぐか
PART Ⅱ
女系天皇容認論の黒幕天皇の原理とは何か?
文献史学の誤ちと皇室信仰/三輪山信仰が明かす「男系継承」/「万葉一統」という言葉遊びの結論/古代史は考古学とは違う!/「天皇制」という言葉の策謀/尊皇思想を浮上させた光格天皇/いまだ続く占領軍史観/神話は史実を反映しているか?/皇室を言祝ぎながら貶めるレトリック/真に皇室を守護するのは誰か?
PART Ⅱ
雅子妃問題の核心雅子妃をめぐる諸情勢
「火葬」と「埋葬」の簡素化問題/昭和神官の創建を!/身の毛もよだつ皇太子殿下の”祈り“/皇族における自由と不自由/宮内庁はきちんとした病気の説明を/「開かれた皇室」の犠牲者か/皇太子殿下に求められる責務/天皇になって初めて見える景色/いまの宮内庁は「宮外庁」/それでも殿下は苦しい中で耐えている/天皇信仰の最大の敵は“世間の無関心”/公民教科書は「天皇について」たった三行/天皇を「自分流平和主義」に利用する人
PART Ⅳ
皇室を戴く国の「原発問題」現実に学ぶということ
路上生活者に教えられた原発の矛盾/新規建設には三〇年かかる/被曝がノルマとされる作業員/判定が難しい放射線被害/テロの危険をなぜ放置しておくのか?/IAEAとNTPは日本、ドイツ封じ込め政策/GTCCで全原発をカバーできる/安全神話と平和主義の陥穽/親子三代で責任のとれないものに手をつけてはいけない/科学技術の“ありがたさ”の限界/TPPは“手負い獅子”アメリカの策謀/フードマイレージという新しい発想/親日国を足蹴にし、反日国家に頭を下げてきた日本
おわりに