村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第七回)

31)職業学校の制度もまた、民衆に近代的職業知識を普及することを目的に1920年頃成立した新時代への一種の改良政策であって、中世のギルドとは直接にはなんの関係もない。

32)「学歴財産」という考えはドイツの社会にはないし、社会がそういう奇妙な財産価値を認めていないのである。

33)高学教育が大衆化しているアメリカ社会と日本社会の流動性、均質性は「現代化」のしるし。(中略)それは進歩の証しというより、歴史の拘束力がヨーロッパより希薄であるからにすぎまい。

34)「学歴社会」……は、日本の社会の「封建的」性格の名残りにあるのではなく、むしろ逆に、封建制の遺産としての社会階層の一定の秩序がまだヨーロッパにはあるのに、日本では跡形もなく崩れ去ってしまったことの方に原因があろう。

35)かつての幼稚なヨーロッパ崇拝の頭がアメリカ崇拝の頭にすげかえられただけ(の日本:村山注)。

36)外国をもってしか自国を測れないのは近代日本人の歴史の宿命である。

出展:全集第一巻ヨーロッパ像の転換
31) P129下段より
32) P131下段より
33) P132下段P133上段より
34) P134上段より
35) P134上段より
36) P134下段より

村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第六回)

26)教養という名のアクセサリーを求めるに急な日本人とくらべ、無知無学に甘んじながらなお己れの職業に誇りを喪わないドイツの民衆の力強さ、素朴さ、着実さを私はむしろ讃嘆の眼をもって眺めたものだった。

27)一体、いかなる恐怖心が日本人を闇雲に学校教育へと駆り立てているのであろうか?(中略)競争意識に追いまくられて、自足する幸福を喪い、自己はただ他人との比較においてしか価値をもち得ず、その結果手に入れたものがいったい何のための知識か、何のための教養か、それがいつも問題なのである。

28)すべての人間が高等教育を受ける必要などもともとない筈である。人間にはもって生れた能力の差がある。資質の違いがある。社会にはそれぞれの役割が必要である。

29)日本は、平等意識だけが異常に病的に発達している。

30)エリートと大衆とを区別する複線型のヨーロッパの教育制度。

出展 全集第一巻ヨーロッパ像の転換
26) P125下段より
27) P125下段126上段より
28) P126上段より
29) P128下段より
30) P124下段より

日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

二週つづけてこの討論番組に出るのはテーマが緊急だからです。5月にはこのテーマのシンポジウムも計画しています。

番組名 :闘論!倒論!討論!2014

テーマ :亡国への道か?「移民大量受入」と日本(仮)

放送予定日 :平成26年4月12日(土曜日)20:00~23:00
         日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)
「Tou Tube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

パネリスト :50音順敬称略
  有本 香 (ジャーナリスト)
  小野寺まさる (北海道議会議員)
  河合雅司 (産経新聞論説委員)
  関岡英之 (ノンフィクション作家)
  西尾幹二(評論家)
  坂東忠信(元刑事・一般社団法人全国犯罪啓蒙推進機構理事)
  三橋貴明(経世論研究所所長・中小企業診断士)

司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第五回)

21)日本的な非論理性、けじめのなさ、情緒性。

22)日本近代が背負った「西洋化」(中略)いまだ存在しないものへの崇拝の感情に発しているから、あらゆる既存価値に敵意をいだき、生れぬ先の未成価値を先取りして考える。(中略)いっそうモダンであるべく過去を否定する空しい残り火を苛立たしげにかき立てていかなければならなくなるのである。

23)ヨーロッパ人は無知や無学を少しも怖れていないのではないか。

24)物を知らぬより知っている方が良いことかもしれない。しかし、知っているからといって、知識がそのまま生活の知恵になるわけでない。博識はときに人間を馬鹿にする。

25)余計な机上の学問より、職業に必要な技術を錬磨し、その道にかけての熟練者となることの方がよほど重要で、価値があるということをドイツの民衆のひとりびとりが知っているのではないか。

出展 全集第一巻ヨーロッパ像の転換
21) P118下段
22) P119上下段
23) P124上段
24) P124下段
25) P124下段
日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

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番組名 :闘論!倒論!討論!2014

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  有本 香 (ジャーナリスト)
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司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第四回) /お知らせ

15)日本女性の服装(ヨーロッパにいる:村山注)が一番見劣りする。

16)日本の各地方都市は、いずれも小型東京であることを競い合っている。恐るべき画一主義。

17)観光化とはやはり歴史の「意識化」の一形式である。

18)トリノを世界でもっとも美しい都市とよんだニーチェ。

19)亡びるものは亡びるにまかせる感覚のないヨーロッパ人のこの過去への異常な執着心は、ひょっとすると、「自然」の暴威の前に裸身をさらすことのできない彼らの弱さに起因するのではないだろうか?

20)すべては自然のままに流されていく日本人の情緒的な生き方が、場合によっては外来文明との闘争を避けて通る有利な条件をも育ててきたのではないか。

出展全集第一巻 ヨーロッパ像の転換
15) P61上段より
16) P61下段より
17) P68上段より
18) P77上段より
19) P91上段より
20) P118下段より

日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

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番組名 :闘論!倒論!討論!2014

テーマ :亡国への道か?「移民大量受入」と日本(仮)

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  関岡英之 (ノンフィクション作家)
  西尾幹二(評論家)
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司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第三回)

9)右の胸からどくどくと血が流れ出しているイエス、全身に斑点となって血が吹き出しているイエス、拷問、斬首の場面、ことに首斬り役人に打首された聖ヨハネの屍体の首から血が棒になって流れ出している構図などは、あまりに即物的で、ある意味では漫画的ともいえるので、私は見ていて馬鹿らしくなった。 
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P45上段より

10)日本人に苦手なのは、割り切り方である。相手の気持ちを忖度して、日本人の神経はこまかく働きすぎる。相手から信頼されているかどうかに鋭敏で、できるだけ相手を傷つけず、そのみかえりにできるだけ相手からも傷つけられず、暖かくつつまれていたいという孤立をおそれる心理が、日本人の対人関係にたえまなくつき纏っているように思える。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P48下段より

11)特殊性をまもることはしたがって、ここでは自己主張の形式であり、積極的な自己愛の方式ではなかったか。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P58上段より

12)ヨーロッパの「普遍精神」とは、ただ、「特殊」を通じてのみ獲得されうる。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P58下段より

13)特殊とは自己主張であり、自我拡張欲である。それがヨーロッパの流儀である。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P58下段より

14)京都はたしかに美しい。それは、フィレンツェよりもウィーンよりも美しい。が、その美は文化保存の意志であって、文化創造の意志ではない。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P60下段より

村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第二回)

4)われわれは追いつくことが出来るものはたいてい追いついてしまったし、なかには追い越してしまったものも数多くあることは確実だった。だが、追いつくことがもともと出来ないものは、はじめからわれわれの「西欧」のイメージのなかには含まれていなかったのかもしれない。 
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P16下段より

5)日本人は、異常なまでに外国のものに関心をいだき、そして絶えず敏感に反応する。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換P21上段より  

6)日本人には積極的な罪悪観がないから、人間同士の和をみだすことが消極的な罪悪となるのかもしれない。ということは、それほどにも日本人は和をたっとび、調和を愛し、人間相互の理解を素朴に信じたがるお人好しの国民だといいかえてもいいだろう。おそらくそれは、われわれが祖先から受け継いだ積極的な美徳のひとつなのであり、いまさら変えようもないわれわれの道徳観の根本をなしているといっていいかもしれない。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P35上段より

7)近代日本の浪漫主義は、束縛を破る行為のみを自由であるとし、束縛を超える自由についてはいささかも知らずに来たのだ。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P42下段より

8)個人主義というも、自由主義というも、ヨーロッパ人の日々の生活が産み出してきた必要の結果であって、決して近代日本にみられるような未来に達成すべき生の目標ではないのではないか?
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P43上段より

村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第一回)

 村山秀太郎さんは昭和38(1963)年生。早大大学院修士、社会思想史専攻。大学受験「世界史」の予備校名物講師として知られる。

 16歳で単身ヨーロッパを回遊した。その後世界各国を100か国以上、紛争地帯を含めて踏破し、その知見に基くユニークな講義で名を高からしめた。

 著書は『わかりやすい世界史の授業』『よくわかる中東の世界史』『朗読少女とあらすじで読む世界史』(以上角川書店)、『世界史トータルナビ』(学研)

 シアターテレビジョンで開講中の「村山秀太郎の世界史超基礎講座」に過日、西尾が三回ゲスト出演をした。(まだ放送前)

 村山さんが昔から私の本の愛読者であることは知っていたが、現在私の全集の全巻読破中で、文章からアフォリズムを拾いたいと申し出られたので、そのヨーロッパ体験に共鳴し、お願いした。面白い結果が生まれることを期待している。次々とどんなアフォリズムが出てくるのか、私はまだどれも読んでいないのでまだ知らない。

1)私が使っている言葉や観念はどうなのか?私のものの考え方、生き方の形式はどうなのか?この異質とみえる世界(ヨーロッパ文明 村山注)と不可分に結びついていることはどうあっても疑えないことのように私には思えてくるのである。追いつくとか、追い越すとか、そういう意識からわれわれが完全に自由になり得ていないことが、すでにその証拠であるとさえ言えるかもしれない。  
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P13上段より

2)日曜には、ひとびとは着かざって、家族づれで散歩する。ヨーロッパ人はじつに散歩が好きなのである。このような狭い町で、散歩するといっても、毎日曜おなじところを歩くしかない。それでもひとびとはけっして飽きないのである。あたかもそこでは時間は停止しているように思えた。
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P15下段より

3)ヨーロッパ人は(中略)余計な知識をがつがつ身につけようという習慣がないのである。だからヨーロッパでは本もあまり売れない。時間があれば、日がな公園で日光浴をし、子供と遊んで暮すというようなのが西洋の小市民の生き方である。
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P16上段より

日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

日本よ、今…闘論!倒論!討論!2014(350回目)

アメリカはいったいどうなっているのか?

放送予定日時:4月5日(土)スカパー217ch 20時~23時およびインターネット放送「So‐TV」

パネリスト 
 片桐勇治 (政治アナリスト)
関岡英之 (ノンフィクション作家) 
 田村秀男 (産経新聞社特別記者・編集委員兼論説委員)
 西尾幹二 (評論家)
 馬淵睦夫 (元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 三橋貴明 (経世論研究所 所長・中小企業診断士)
 渡邊哲也 (経済評論家)
 
司 会 水島 総 (日本文化チャンネル桜 代表)

3月後半の「日録」

 3月中旬からの「日録」を綴ることにしたい。

 14日に高橋史朗氏の新著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』という長い題名の本の書評845字を書いた。産経新聞文化部に送った。

 この日安倍総理が河野談話の「見直し」はしないと明言した。日米韓の三国会談をひかえてのアメリカからの圧力があってのことに違いないが、やっぱりそうかとがっかりする。

 クリミア併合へ向けて急展開するウクライナ情勢を横目に見て、「正論」5月号の原稿を書く。20日の情勢まで入れて「ウクライナで躓いたオバマはアジアでも躓く」(30枚)を書き上げた。雑誌の要望で題を短くする必要があり、「無能なオバマは日中韓でもつまづく」に改めた。

 私の家は建てて早くも17年経ち、外壁と屋根を洗浄することになり、建設業者が出入りし始め、20日から3~4日忙殺される。こういうことが起こると落ち着かない。実際の工事は5月末に始まる。

 日本文化チャンネル桜が『言志』というネット雑誌を作っていたが、今度紙の雑誌としても出版することにしたそうで、その第一号のために「日本はアメリカからとうに見捨てられている」を書く。わずか8枚だが、一日かかった。

 3月24日夜、私の呼びかけで、関岡英之、河添恵子、坂東忠信、河合雅司(産經編集委員)に産經新聞社に集まってもらって、「日本を移民国家にしていいのか」を世間に訴える移民問題連絡会をつくった。

 5月に『正論』編集部主催のシンポジウムを開き、それを皮切りに「年20万人移民導入」という自民党案に待ったをかける。

 26日午后3時から福井義高氏と対談。私の『正論』2、3、4月号の「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因」は私としては最近では最も充実した一作のつもりである。福井氏にコメントを付けてもらった。書きっぱなし、出しっぱなしではなく、一論文に、直接コメントで感想や異論を付けてもらうのはありがたい。編集長が同席し、面白いのでこれも雑誌に出した方がいいと仰有ったが、どうなることか。

 福井義高氏は欧米の現在のジャーナリズムや学会における第二次世界大戦観について幅広い知識に通じている。西尾の考え方はその中に位置づけてみると異端どころかむしろ正統派に属するのだ、といつも言っている。この点を検証してもらうのがポイントだ。

 27日前橋市に赴き、群馬正論懇話会の講演会で「歴史の自由を取り戻せ」と題して1時間30分語った。翌日新聞に出た内容案内を記しておく。

 西尾氏は、第二次世界大戦を戦った日本を「欧米列強の侵略を免れた唯一の国」とし、「欧米は侵略に『NO』を突きつけた日本を『悪』と決めつけた」と主張。「今もその流れは続いている」と自身の歴史認識を示した。

 安倍晋三首相は平成5年の「河野談話」の見直しを否定したことについて「アメリカの影響があった」とし、「アメリカは中国と韓国を利用して、自らが築き上げた戦後秩序を何としても守ろうとしている」と主張。「米政府は首相の靖国神社参拝に『失望』を表明したが、日本政府も中国の民主化に熱心でない米政府に失望したというべきだ」と訴えた。

 28日新潮社編集部と会談した。私の単行本『天皇と原爆』が8月に文庫化される件について話し合い、巻末解説に渡辺望氏をお願いするかねての提案が確認された。

 28日日本文化チャンネル桜でも移民反対キャンペーンを展開したいとの私の提案について、全面的に了解される。水島氏側でも同様の計画をもっていたらしく、4月以後のスケジュール調整をした。

 お花見のお誘いを各方面からいただいているが、参加できない事情は以上のような過密スケジュールのゆえであり、了承されたい。3月31日付で「GHQ焚書図書開封 ⑨」の『アメリカからの宣戦布告』が出版された。

遺された一枚の葉書

遠藤浩一氏追悼文

 私は1月3日に遠藤浩一さんから葉書をいただいた。5日に知人から「未確認情報ですが、遠藤さんが亡くなったらしいんです」と電話が入った。一体何を言っているのかと訝しみ、福田逸さんに問い合わせた。福田さんも聞いておらず思い切って奥さまに電話を入れて事実を確認し、私にも知らせてきた。奥さまは取り乱しておられる由、私は面識もないので遠慮して電話は控えた。葬儀は執り行われないというのでどうしてよいか判らない。いただいた葉書の日付をみると12月31日に書かれていて、1月1日に投函されている。内容は贈呈した私の新刊本へのお礼である。年賀状の端に書けば済むし、他の人はそうしているのに、十行にわたって本の中味に及んでしっかりした文字で書かれている。年内に間に合わせようと急いで書いて急いで出したものらしい。礼儀正しい人なのである。ひょっとすると絶筆かもしれない。この一枚の葉書をどう扱ってよいか後で考えたい。

 1月10日に彼もメンバーである「路の会」という勉強会の新年の集いがあった。急逝で気を鎮められない人が多く、21人も集まった。しかし急死するようなご病気があったとは誰も聞いていなかった。死の前後の情報も伝わってこない。なぜ逝ったの?と繰り返し呟くのみである。十日経ってこれを書いているが、私はまだ彼の死を受け入れる気持ちになっていない。現代では55歳は夭折である。12年前に坂本多加雄さんの死に私は同じこの夭折という言葉を用いたことを思い出した。

 私が遠藤浩一さんに出会ったのは39年前の1976年、彼が高校三年のときであった。私の側に初対面の認識はない。彼がそう言うのである。彼の母校県立金沢桜丘高校の創立記念祭で私が講演したのは覚えている。彼は会場で聴いていた一人である。数年前に電話でそう言い、何を話したかすっかり忘れていた私に「ちょっと待って下さい」と言ってどこからか講演録をさっと持ってこられた。「どこに置いてあったの?」とその早さにびっくりしていると、いつも書棚の一角に置いてあるんですと言われてさらにびっくりし、ひたすら感激し、申し訳なくさえ思った。

 「個人・学校・社会――ヨーロッパと日本の比較について」と題した私の話を収めた校友会誌のコピーを後日送ってくれた。モントリオールオリンピックの年で、韓国の選手たちは金メダルを獲ると高い報奨金をもらえるのに日本の選手にはそれがない、という不平不満が一種の社会問題になっていた。私は保証のない自由、それが本当の自由ではないか。自由とは自己決定であり、つねに安全とは限らないのではないか。悪を犯す自由も、怠惰である自由も、真の自由のうちには含まれているのではないか、というようなことを高校生を前に必死に説いていた。遠藤少年の琴線に触れたことは間違いない。私と彼とは23歳も違うが、師弟関係ではない。あれからずっと「真の友情」が続いた。民社党の月刊誌『革新』の編集者になってからたびたび私は訪問を受け、今度調べると八回のインタビューが全部彼の手で論文として纏められていた。彼の理解は早く正確だった。

 2002年に「路の会」のメンバー20人で合同討議本『日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったのか』を出した。遠藤さんは自分は戦争直後を知らない世代だがと断った上で、永井荷風の『断腸亭日乗』の昭和20年9月16日の記述を読み上げた。荷風が「国民の豹変して敵国に阿諛(あゆ)を呈する状況」を見て、戦時中「義士に非ざるも……、眉を顰め」ずにはいられない、と述べている箇所にとくに注目している。荷風は戦時中、日本軍部に秘かに冷や水を浴びせていたことはよく知られ、戦後しばしば賞賛されたが、遠藤さんはそういう個所ではなく、戦後たちまち所を替えて米占領軍に「阿諛(おべっか)」を呈するわが国民に冷や水を浴びせている荷風の姿勢に目を向けている。そして8月15日より以降、荷風が「しばらくの間、休戦」といい、「敗戦」とも「終戦」とも言っていないこと、戦意の継続意志の表明があることに着目し、「義士」にあらざる荷風が解放感で大喜びしたりせず、アメリカは依然として「敵」であり続けたことを重視している。こういう個所を読み落とさず、しかと目を据えている点に遠藤さんの本領があった。

 私に最後にくれた例の葉書でも「安倍総理の靖国参拝に、中韓のみならず、米国をはじめとする世界中の国が騒いでみせていますが、これも日本の国家意志の表明が国際政治を左右しはじめていることの証だと思はれます」と書いていた。右は首相の靖国神社参拝の五日後、彼の死の四日前の認定である。

 遠藤さんは若い頃芝居を書いていて、文学の徒である。アマチュアの役者でもあり、声は張りがあり、朗々としていた。政治論より文学の話題を交わすのが楽しかった。福田逸さんを交えて三人で間を置いて飲み会をやっていた。日本橋に炭火を囲む面白い店を見つけたので年が明けたら集まろうよ、とつい先日言ったばかりなので、私はまだ今日の事態を理解することが出来ずにいる。

『正論』2014年3月号より