日本が「孤独」に強くなる心得
中国で暮らしている日本人は、昨年は不快なだけでなく不安な思いに襲われただろう。国内の日本人に動揺はなかったが、大陸全土を挙げてのあれほどの破壊行動を見せつけられては、鷹揚(おうよう)な国民もさすがに沈黙した。心の底に冷たい拒絶感情が宿った。
第一次世界大戦のあと、1920年代にも、「日貨排斥(はいせき)」と当時は言った同じようなしつこい日本商品ボイコットがあった。中国人の日本への劣等感と抑鬱(よくうつ)感情と世界の中での自分の弱さをまったく見ようとしない独善性が原因だった。それに英米がけしかけた。キリスト教教会が反日暴動に手を貸す裏方の主役だった。1923年頃からそれがコミンテルンに取って代わり、一部において英米も排斥されるようになった。ロシア革命からわずか5-6年でコミンテルンの影響は野火のごとく燃え広がった。
情勢は入り組んで複雑だったが、もしも英米がソ連と手を組まなかったならば、第二次世界大戦は起こらなかっただろう。そして英米ソの結合には中国の内戦が深く絡んでいる。
私は昨年9月のあの滅茶苦茶な中国全土を蔽った暴動デモのシーンをテレビで見ながら、1920-30年代の世界動乱もまた、支那人の「日貨排斥」が始まりだったな、と考えていた。当時の支那は国家ではなかったが、今の中国もまだ国家ではない。図体だけがいかに大きくても、発達段階の遅れた、独裁と非文明の前近代集団である。
いまわれわれの眼の前にあるのは、他国の力で経済的に有頂天になった中国の次第に近づく没落への秒読みと、黄昏(たそがれ)の帝国アメリカのどこまで踏ん張れるかの半ば逃げ腰のポーズと、そのどちらが長持ちするかの勝敗分け目のシーンに外ならない。もちろんわが国の運命を直撃するドラマである。
それにつけても思うのは、中国の災いは日本にのみ「政治リスク」となって降りかかり、アメリカやヨーロッパ諸国は大陸で稼ぐだけ稼いで機を見てさっさと逃げ出せばよく、日本だけが耐え忍ばねばならない不運と悲劇であることは、第二次世界大戦前とまったく同じだということである。その点をわが国民はどの程度認識しているであろうか。
私はテレビを見ながら、わが国民に心の中で訴えていた。わからず屋の中国人と半ば逃げ腰の欧米人を見て、皆さん、先の大戦がなぜ起こったか体験的によく分ったでしょう。現代を通じて過去の歴史が分ったでしょう、と。百年以上前から日本民族が東アジアでいかに誠実で孤独であったか、日本人の戦いが不利で切ない状況下でのいかに健気な苦闘であったかが、今度のこの尖閣をめぐる情勢を通じてしっかり心に思い描くことができたでしょう、と。
アメリカは尖閣の防衛に安保条約第五条が適用されると言っていて、目下一応の抑止にはなっているが、武力行使には議会の承認が必要で、しかも尖閣の施政権はいま日本にあるが、主権がどの国になるかに関しアメリカの立場は中立であると言っている。尖閣の実行支配は日本がしているが、島の帰属について責任ある判断はしないという意味で、中国が侵略して実行支配を開始したら、アメリカはそのあと何もしないと言っているのと同じである。
しかも武力以外の中国の侵略、流民の大量放出であるとか、沖縄独立を煽動(せんどう)しての行政の間接支配等については、安保条約はまったく適用されない。島の防衛は日本人自らがこれに当るしかなく、いよいよとなったときアメリカは当てにならないことは明らかである。日本がアメリカから独立した軍事意志を確立することがまさに急務である所以だが、それには時間がもうそんなにはないのである。
欧米が国際法の取り決めなどを先に決めておいて、それが中国に有利、欧米に好都合で、日本に一方的に不利だった戦前のワシントン条約以来の流れがまだつづいていて、何となくそれが残っているのではないかとしきりに感じられることが最近はまま多い。
私がいつも不思議に思うのは、自由主義の国が共産主義独裁国家の人間に土地や株や債権を売ることを国内法で禁じていないことである。日本人が中国の土地を買って私有化できないのに、なぜ中国人が日本の不動産や水源地を自由に買うことが許されるのだろうか。中国の政府系ファンドがM&Aで日本の会社を買うことが許されるなら、その逆の自由があってしかるべきであろう。全体主義的共産主義国家の人民に、自由主義国家の国民と同等の権利を、自由主義の国家内部において与えることは矛盾であり、はっきり国内法で禁止すべきだと思う。
考えてみるとどうもこういう見境のなさを許しているのは、戦前も戦後もアメリカである。その方がそのときどきのアメリカに都合がいいからである。アメリカの意図的なルーズさが日本につねに固有の「政治的リスク」でありつづけた記憶がわれわれにはある。
一度も国政選挙をしたことのない国、三権分立を知らない国、法治国家とはいえない国、政党間対立を経験したことのない国、人民元がいかに強くても外国通貨と交換できない国、知的所有権などいくら言い聞かせても分らない国、WTOに入れてあげたけれども違反を繰り返す国、何かというと過激な表現で他国を脅迫し威嚇する国、精神的に閉鎖している国、要するに北朝鮮をただ図体大きく膨張させただけの国……。
このような国が国際非難を浴びずに平然と存立しているのはアメリカその他がまともな国家として扱い、尊重し、対話するからである。戦前にも同じようなことがあった。国際基準が混乱し傍迷惑(はためいわく)であることおびただしい。日本は長いものに巻かれろでじっと我慢するばかりである。しかも一番大きな被害を受けるのはつねに日本であってアメリカその他ではない。
ただこの不当と不運を強く訴えれば、アメリカ国内にはそれに耳を傾ける勢力が必ずいる。その政治勢力は日本の政財界、経済界、いわゆる親米保守派が気脈を通じているアメリカの主流派ではない。アメリカの主流派は昔も今も、日本を飼い馴らし、骨抜きにし、利用しようとしている勢力にすぎない。日本の親米保守派は日本国民の本当の利益を考えていない。
『鶯の声』1月号より