1月19日のお知らせ

 1月19日(土)NHK教育テレビ0時00分から(金)深夜にかけて、私が1983年4月に出演した『ETV特集、日本を作った日本人~新島襄・自由の構図~』が再放送されます。今年の大河ドラマで新島の妻の物語が放送されることにちなんで、昔のアーカイブから新島に関連する番組を再現するものと思われます。私は48歳でした。

 0:00時から三本流すので私の出演する番組は1:00頃の放送かもしれない、との報せがありました。私が新島襄に取り組んだことはうっすらと覚えていますが、何をどう取り組みどう語ったか、まったく覚えていません。

 あの頃私はNHKによく出ていました。「日本を考える」という正月討論番組にも何度か出ていて、若き日の麻生太郎財務大臣ともあの北岡伸一氏(『日中歴史共同研究』の主査の)ともその昔同席しました。

 それぞれの内容をある程度覚えているのですが、どういうわけか新島襄はまったく覚えていないのです。

 だから再放送は楽しみですが、少し恥しいような怖いような気もあります。とりあえずお知らせします。

 尚この1月19日は私の記念講演の日です。プログラムは次の通りです。

   

    西尾幹二全集刊行記念(第5回)講演会のご案内

 西尾幹二先生のご全集の第5回配本「第4巻 ニーチェ」 の刊行を記念して、下記の要領で
講演会が開催されますので、是非ご聴講下さいますようご案内申し上げます。
 
                        記
 
演 題: ニーチェの言葉「神は死せり」 -日本人としてどう考えるかー 

日 時: 平成25年1月19日(土) 開場:午後2時 開演:午後2時15分
                  (途中20分の休憩をはさみ、午後5時に終演の予定です。)

会 場: グランドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」 (交通のご案内 別添)

入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

懇親会: 講演終了後、西尾先生を囲んでの有志懇親会がございます。どなたでもご参加
     いただけます。 (事前予約は不要です。)

     午後5時~午後7時 同 「珊瑚の間」 会費 4,000円 

お問い合わせ 国書刊行会 (営業部)電話 03-5970-7421
FAX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp

『WiLL』現代史討論ついに本になる(一)

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 『WiLL』誌上で私が三人の現代史研究家、福地惇、福井雄三、柏原竜一の三氏とくりひろげた「昭和史」論者への批判的討議がまとめられ、本になりました。年末に刊行され、いまやっと店頭に出ました。『自ら歴史を貶める日本人』という題で、徳間書店刊、¥952です。

 「はじめに」と目次をご紹介します。文字通り「徹底批判」ですが、かたわら笑いあり冗談ありで、堂々と楽しみつつ論難しています。手に取ってご覧になって下さい。きっとこれは買わなきゃ損だと思う一冊です。しかも安い値段です。

 1月の私のGHQ焚書図書開封の時間を利用して、この本について私と福地惇氏のフリーなトークが2週にわたって行われます。これも1月中に放映され、You Tubeにも出す予定です。お楽しみ下さい。

はじめに

 どういうわけか「昭和史」というのがはやっています。半藤一利氏の同名ベストセラーを筆頭に、秦郁彦氏や保阪正康氏や北岡伸一氏らは早くからこの分野をプロパーな舞台に活躍していましたし、そこに加藤陽子氏が新たに加わって、それぞれの特色を出して、読書界の表面を賑やかにしています。

 私たち四人はかねてから彼らの仕事ぶりに何となく腑に落ちないものを感じていました。日本は外国と戦争したわけですから、外国の歴史を考えないで自国史を語れません。彼らは、戦争は相手があっての話なんだということが全然わかっていない。

 彼らの思考は日本史だけの狭い座標軸で、小さなコップの中で水が波騒ぐように旋回して空回りしているように見えます。

 スペインやポルトガルの地球規模の拡大はひとまず措くとしても、オランダ、フランス、イギリスの西力東漸(せいりょくとうぜん)、ロシアとイギリスによるユーラシアの南北分割の勢い、アメリカの太平洋への闇雲の伸長は、「昭和史」叙述のいわば前提条件です。歴史を見るのに空間的視野の広がりを持つ必要がある所以ですが、時間的視野の広がりを持つことも必要です。歴史を短く区切ることはできません。何年から何年までが暗黒時代だったと区切るとすれば、そこには政治的意図があります。昭和3(1928)年あたりから歴史が変わったように言うのは東京裁判の要請からくるもので、占領軍がかねて日本史にそれを求めてくるのは、16世紀からの西欧のアジア侵略を視野に入れさせないためであることをしっかり留意しておくべきです。

 私たちがこの本を通じて読者の皆様にぜひとも認識を改めてもらいたいと願っているのは近代日本の戦争の評価ということです。それは公認の歴史教科書に書かれていることとは逆であります。先の大戦争は日本が主導して起こした戦争ではなく、日本は無理やりと言ってもいいような状態で戦争に巻き込まれたことが現実の姿です。

 それから中国大陸のことを考えるなら、非常に早い時期から混乱の極みにあった地帯で、そこへ日本が入りこんでいったがゆえの混迷と政策のまずさは区別されねばなりません。内乱は中国史の常態であるのに、今取り上げたかたがたの「昭和史」は中国をまともな国家のように描いています。いくつもの政府があった大陸を、一つの主権国家のように扱っています。たしかにそのような乱れた中国を日本人がバカにしたのは事実ですけれども、だからといって「侵略」ということにはなりません。日本は中国を何とか普通の国にしようと努力して、扱いかねて、手こずって、火傷をしたのです。戦争をしたがってのは中国人のほうでした。とくに都市部の中国人がそうでした。

 われわれは英米とソ連が手を組むという理屈に合わぬ敵を相手にして戦ってしまったわけですが、ナチスドイツの台頭を阻もうとして二つの異質の勢力が手を結んだあの戦争は、キリスト教ヨーロッパ文明の内部の宗教的な動機を宿した「内戦」だったのではないでしょうか。日本は国家以前のような中国に介入するべきではなかったけれども、西洋の宗教戦争とも本来は無関係でした。

 しかしあの時代には孤立を守っていることなどできなかった。世界に背中を向けていれば、間違いなく日本民族とその列島は列強の餌食になったことでしょう。われわれの先人たちは必死に生きたのです。近代日本人はまさに大変な危機に遭遇させられて、防御対応に並々ならぬ努力を重ねたのでした。

 アメリカ占領軍(GHQ)史観、勝者の裁きの歴史観をわが国の近現代史に当て嵌めて全く恥じることを知らない当代の「昭和史」論者たちは、これら先人の歩みを裁くことに急で、その辛苦に涙することを知りません。私たち四人は彼らの歴史の書き方に疑問と懐疑をずっと抱いていました。平成20年ごろに「現代史研究会」を起ち上げて、言論誌『WiLL』で討議を重ね、平成20(2009)年9月号から平成23(2011)年12月号までに、つごう11回に及ぶ討議を公開して参りました。

 この期間、私たちを支え励ましてくださった『WiLL』の花田紀凱編集長とスタッフの皆様に厚くお礼申し上げます。

 以下ここにその全討議の内容をあらためてまとめて一括し、ご紹介する次第です。

平成24年12月3日

自ら歴史を貶める日本人観 ◎ 目次

第1章 捻じ曲げられた近現代史
第2章 日米戦争は宗教戦争だった
第3章 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は青少年有害図書
第4章 半藤一利『昭和史』は紙芝居だ
第5章 北岡伸一『日中歴史共同研究』は国辱ハレンチの報告書
第6章 日中歴史共同研究における中国人学者の嘘とデタラメ

平成25年 謹賀新年

日本が「孤独」に強くなる心得

 中国で暮らしている日本人は、昨年は不快なだけでなく不安な思いに襲われただろう。国内の日本人に動揺はなかったが、大陸全土を挙げてのあれほどの破壊行動を見せつけられては、鷹揚(おうよう)な国民もさすがに沈黙した。心の底に冷たい拒絶感情が宿った。

 第一次世界大戦のあと、1920年代にも、「日貨排斥(はいせき)」と当時は言った同じようなしつこい日本商品ボイコットがあった。中国人の日本への劣等感と抑鬱(よくうつ)感情と世界の中での自分の弱さをまったく見ようとしない独善性が原因だった。それに英米がけしかけた。キリスト教教会が反日暴動に手を貸す裏方の主役だった。1923年頃からそれがコミンテルンに取って代わり、一部において英米も排斥されるようになった。ロシア革命からわずか5-6年でコミンテルンの影響は野火のごとく燃え広がった。

 情勢は入り組んで複雑だったが、もしも英米がソ連と手を組まなかったならば、第二次世界大戦は起こらなかっただろう。そして英米ソの結合には中国の内戦が深く絡んでいる。

 私は昨年9月のあの滅茶苦茶な中国全土を蔽った暴動デモのシーンをテレビで見ながら、1920-30年代の世界動乱もまた、支那人の「日貨排斥」が始まりだったな、と考えていた。当時の支那は国家ではなかったが、今の中国もまだ国家ではない。図体だけがいかに大きくても、発達段階の遅れた、独裁と非文明の前近代集団である。

 いまわれわれの眼の前にあるのは、他国の力で経済的に有頂天になった中国の次第に近づく没落への秒読みと、黄昏(たそがれ)の帝国アメリカのどこまで踏ん張れるかの半ば逃げ腰のポーズと、そのどちらが長持ちするかの勝敗分け目のシーンに外ならない。もちろんわが国の運命を直撃するドラマである。

 それにつけても思うのは、中国の災いは日本にのみ「政治リスク」となって降りかかり、アメリカやヨーロッパ諸国は大陸で稼ぐだけ稼いで機を見てさっさと逃げ出せばよく、日本だけが耐え忍ばねばならない不運と悲劇であることは、第二次世界大戦前とまったく同じだということである。その点をわが国民はどの程度認識しているであろうか。

 私はテレビを見ながら、わが国民に心の中で訴えていた。わからず屋の中国人と半ば逃げ腰の欧米人を見て、皆さん、先の大戦がなぜ起こったか体験的によく分ったでしょう。現代を通じて過去の歴史が分ったでしょう、と。百年以上前から日本民族が東アジアでいかに誠実で孤独であったか、日本人の戦いが不利で切ない状況下でのいかに健気な苦闘であったかが、今度のこの尖閣をめぐる情勢を通じてしっかり心に思い描くことができたでしょう、と。

 アメリカは尖閣の防衛に安保条約第五条が適用されると言っていて、目下一応の抑止にはなっているが、武力行使には議会の承認が必要で、しかも尖閣の施政権はいま日本にあるが、主権がどの国になるかに関しアメリカの立場は中立であると言っている。尖閣の実行支配は日本がしているが、島の帰属について責任ある判断はしないという意味で、中国が侵略して実行支配を開始したら、アメリカはそのあと何もしないと言っているのと同じである。

 しかも武力以外の中国の侵略、流民の大量放出であるとか、沖縄独立を煽動(せんどう)しての行政の間接支配等については、安保条約はまったく適用されない。島の防衛は日本人自らがこれに当るしかなく、いよいよとなったときアメリカは当てにならないことは明らかである。日本がアメリカから独立した軍事意志を確立することがまさに急務である所以だが、それには時間がもうそんなにはないのである。

 欧米が国際法の取り決めなどを先に決めておいて、それが中国に有利、欧米に好都合で、日本に一方的に不利だった戦前のワシントン条約以来の流れがまだつづいていて、何となくそれが残っているのではないかとしきりに感じられることが最近はまま多い。

 私がいつも不思議に思うのは、自由主義の国が共産主義独裁国家の人間に土地や株や債権を売ることを国内法で禁じていないことである。日本人が中国の土地を買って私有化できないのに、なぜ中国人が日本の不動産や水源地を自由に買うことが許されるのだろうか。中国の政府系ファンドがM&Aで日本の会社を買うことが許されるなら、その逆の自由があってしかるべきであろう。全体主義的共産主義国家の人民に、自由主義国家の国民と同等の権利を、自由主義の国家内部において与えることは矛盾であり、はっきり国内法で禁止すべきだと思う。

 考えてみるとどうもこういう見境のなさを許しているのは、戦前も戦後もアメリカである。その方がそのときどきのアメリカに都合がいいからである。アメリカの意図的なルーズさが日本につねに固有の「政治的リスク」でありつづけた記憶がわれわれにはある。

 一度も国政選挙をしたことのない国、三権分立を知らない国、法治国家とはいえない国、政党間対立を経験したことのない国、人民元がいかに強くても外国通貨と交換できない国、知的所有権などいくら言い聞かせても分らない国、WTOに入れてあげたけれども違反を繰り返す国、何かというと過激な表現で他国を脅迫し威嚇する国、精神的に閉鎖している国、要するに北朝鮮をただ図体大きく膨張させただけの国……。

 このような国が国際非難を浴びずに平然と存立しているのはアメリカその他がまともな国家として扱い、尊重し、対話するからである。戦前にも同じようなことがあった。国際基準が混乱し傍迷惑(はためいわく)であることおびただしい。日本は長いものに巻かれろでじっと我慢するばかりである。しかも一番大きな被害を受けるのはつねに日本であってアメリカその他ではない。

 ただこの不当と不運を強く訴えれば、アメリカ国内にはそれに耳を傾ける勢力が必ずいる。その政治勢力は日本の政財界、経済界、いわゆる親米保守派が気脈を通じているアメリカの主流派ではない。アメリカの主流派は昔も今も、日本を飼い馴らし、骨抜きにし、利用しようとしている勢力にすぎない。日本の親米保守派は日本国民の本当の利益を考えていない。

『鶯の声』1月号より

『女系天皇問題と脱原発』書評

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宮崎正弘の国際ニュース早読み(メルマガ)より

西尾幹二&竹田恒泰『女系天皇問題と脱原発』(飛鳥新社)
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 これは論壇への爆弾、コントロバーシャルな問題提議の書である。
 いきなり竹田氏がこう切り出した。
 「(女系天皇をすすめている左翼系や反体制文化人が多いが)もしかすると彼らは最終的に皇室の廃絶まで考えているのではないかと思うんです。と言いますのは、彼らの言う、いわゆる女系なる天皇が成立したら、それはもはや天皇ではないと言えるわけですから。女系天皇の誕生で、万世一系の皇統はこれで終焉を迎えたのであって、もはや国民と同じ血筋だ、という話になって、皇室をなくすための先鞭をつける」。 
 対して西尾さんは、『正論』や『WILL』での議論を踏まえて、
「天皇家に基本的人権を持ち込むのは、戦後民主主義的な一連の破壊主義の思想と切り離せないものがある」とずばり本質を抉る。
 ふたりの議論は白熱し、永田町と官界と皇室関係者のあいだで、如何なる「暗闘」があったかを紹介しているが、その凄まじき陰謀的な動きを知ると、ここまで日本の中枢が腐っているかが具体的に人名もでてくるので、手に取るようにわかり愕然となる。
 この二人は或る問題では論敵だったが、こと女系天皇と原発では奇妙に意見の一致を見る。
「不安と希望の間を行ったり来たりしながら深まる考察」と銘打たれた本書は、いずれにしても論壇に仕掛けられた紙の爆弾である。

平成24年坦々塾忘年会報告・お知らせ

中村敏幸さんの報告です。

 
 12月15日、午後6時より「ホテルグランドヒル市ヶ谷・真珠の間」に於いて、「坦々塾忘年会」が開催され、40名の会員の方が参加されました。

 会は、当日が衆院選投票日の前日ということもあり、西尾先生の「時局展望」に関する御講話から始まりました。

 その中で先生は、中国が福建省に大規模な空軍基地を建設して戦闘機と部隊を移動させたが、今後尖閣をにらんで広範囲な海域で攻撃訓練を展開し、或いは核兵器をちらつかせるかもしれない。そして、習近平がどのような人物かまだよく分かっていないが、胡錦濤ほど抑制が効かず、中国に通じている知人は「冒険主義」に出る可能性があると言っている。わが国は相変わらず核兵器の保持について一切語らないが、石原慎太郎氏は選挙戦で「核武装のせめてシミュレーションでもすぐに始めよう、実行は先の話でもいい」と主張したが、この問題は選挙戦の争点に全くならなかった。彼は国防意識は最も優れている。しかし、とてもその器ではない長男伸晃氏の自民党総裁就任を望む等私心は拭い去れない人物である。それに対し、安倍晋三氏は精神的に弱いところがあり、その点が心配でおるが、一番私心の無い人であると評され、橋下徹氏に対しても「柔軟で実行力に優れた人物である」と評されました。そして、いずれにせよ、この選挙を経て新しい政権による国家運営が始まると結ばれました。

 続いて西尾先生と司会者から、今年文筆出版活動に於いて活躍された会員の紹介が行われました。紹介された方々は以下の通りです。

1.中村敏幸氏:アパグループの第五回「真の近現代史観」懸賞論文に於いて、応募
論文「日米百五十年戦争と我が国再生への道標」が「優秀賞」を受賞
2.渡辺 望氏:著作「国家論・石原慎太郎と江藤淳」を出版、総和社
3.河内隆彌氏:パトリック・ブキャナン著「超大国の自殺」の翻訳を出版、幻冬舎
4.馬渕睦夫氏:著作「感動的な日本の力」を出版、総和社
        著作「国難の正体」を12月末に出版予定、総和社
5,溝口郁夫氏:編著「南京『百人斬り競争』の虚構証明」を出版、朱鳥社
        編著「秘録・ビルマ独立と日本人参謀」を出版、国書刊行会
6.西尾幹二、福地惇、福井雄三、柏原竜一氏の対談「自ら日本を貶める日本人」
        12月中出版予定、徳間書店
7.松木國俊氏:著作「本当は『日韓併合』が韓国を救った」を昨年出版、ワック社
8.伊藤悠可氏:「正論8月号」に論文「田中先生、それを詭弁と言うのです」を投稿
        *女系天皇容認論者の首魁、皇学館大学元学長田中卓氏を論駁
9.佐藤春生氏:総和社の編集者として渡辺、馬渕両氏の著作の編集出版に携わる

 続いて新会員4名の方の紹介があり、また、会員のお一人である林千勝氏が、今回の衆院選に、日本維新の会の公認で千葉7区から立候補されたことも紹介されました。(結果は圧倒的な組織力を誇る自民党の斉藤健氏に当選を譲ることになりましたが、孤軍奮闘、民主、みんな、未来、共産、社民の各候補を押さえて第2位の29,665票を獲得されました)

 続いて島崎隆氏の乾杯の音頭で懇親会に移りましたが、会は大いに盛り上がって談論風発、お開きになった後も、西尾先生を中心に二次会、三次会へと続き、漸く11時過ぎに再度のお開きとなりました。

 西尾先生は、昨年10月から始まった「西尾幹二全集」も予定どおり第五回配本を終えられ、それに伴って合計4回の記念講演を催され、また、各種月刊誌への投稿と単行本の出版をされ会員一同驚嘆するばかりの御健筆を揮っておられますが、多くの会員の皆様も各分野で活躍され、今年は実り多い一年であったのではないでしょうか。

 今回の衆院選では「憲法改正」を選挙公約に掲げる政党が大きく躍進しましたが、これはかつては全く想像も出来なかったことであり、「憲法改正or自主憲法制定」も愈々現実味を帯びてまいりました。来年は、我々会員も更に気合を入れなおし、西尾先生を中心にして、我が国が一日も早く本来の姿を取り戻すべく眦を決して戦う年であると思います。(文責中村敏幸)
 

       西尾幹二全集刊行記念(第5回)講演会のご案内

 西尾幹二先生のご全集の第5回配本「第4巻 ニーチェ」 の刊行を記念して、下記の要領で
講演会が開催されますので、是非ご聴講下さいますようご案内申し上げます。
 
                        記
 
演 題: ニーチェの言葉「神は死せり」 -日本人としてどう考えるかー 

日 時: 平成25年1月19日(土) 開場:午後2時 開演:午後2時15分
            (途中20分の休憩をはさみ、午後5時に終演の予定です。)

会 場: グランドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」 (交通のご案内 別添)

入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

懇親会: 講演終了後、西尾先生を囲んでの有志懇親会がございます。どなたでもご参加
     いただけます。 (事前予約は不要です。)

     午後5時~午後7時 同 「珊瑚の間」 会費 4,000円 

お問い合わせ 国書刊行会 (営業部)電話 03-5970-7421
FAX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp

「アメリカ観の新しい展開」(六)

 「アメリカ型正義で歴史が非人間的に」(西尾)
「戦争ではなく『警察行動』」(福井)

福井  『天皇と原爆』五十三ページですが、「私は先にアメリカは膨張国家だと言いました。しかしその膨張の仕方はロシアともイギリスとも中国とも異なります。アメリカは先ほど言った通り本当は膨張する必要がないのに、建国の理念、宗教的に自らを『正義』の民とするイデオロギーのために膨張せざるを得なくなっているのではないかとの疑念に襲われることがあります。いちばん厄介な膨張国家です」と書かれています。これは、先ほど紹介したトゥーヴェソンの『救済する国家』の内容と一致しています。アメリカが世界を救済するという宗教的信条が、アメリカの対外政策の背景に一貫してあるということです。

西尾 正義を売りものにする。

福井 そうです。リンカーンは南北戦争時、そう考えていた。逆に、だからこそ残虐になれる。大変立派なことをしていると信じているので、手段を選ばない。

西尾 南北戦争のリンカーンの正義の理念が、その後の世界の戦争の形態を残酷にしました。第一次世界大戦が終わったときに、「戦争犯罪」「戦争責任」という概念が初めて出てきて、ドイツ皇帝だったヴィルヘルム二世の訴追が言われ、彼はオランダに亡命せざるを得なかった。

 それでもアメリカは、何百人ものドイツ人を戦争責任者として摘発して裁判をすると言い出した。イギリスもフランスも大喜びで同調しましたが、ドイツは拒否します。それでもしつこく米英仏が言うので疑似裁判をしたけれども、結局、ドイツは証拠なしということですべて拒否します。これは筋の通った態度でした。  当時のドイツは、戦争はお互いの正義のぶつかり合いで、力の勝った者が領土を取ったり、賠償金を取ったりすることで解決しているのであって、道義的な正義の観念を持ち出すのは間違いだと言って拒否しました。まことに立派だった。

 ところが、それが、その後も繰り返される。アメリカは第二次大戦に参戦する前の一九四一年八月には、早くもそういう計画を立てている。大西洋憲章です。今度の戦争では二度目の戦争犯罪国ドイツを徹底的に法の名の下に、普遍的な人類の名において裁くと約束する。それが終戦後のニュルンベルク裁判として実現するわけですが、日本は関係ないのに側杖を食って東京裁判をやられた。そして正義と悪の対立関係を持ち込まれて裁かれ、それが日本悪玉史観として今もなお日本を縛っている。敗北者を法の名の下に裁くという発想は、リンカーンから始まっているんですよ。リンカーンの時代には、敗軍の将、敗れた南軍の南部連合国大統領デーヴィスに足かせをつけて、残酷な見せしめまでした。

福井 戦争ではなくて、「警察行動」だったんですね。お巡りさんと犯罪者。  

西尾 その発想はどこから来たのか、ということです。

福井 「自分たちが正しい」という宗教的信念に基づいているということを、『救済する国家』は半世紀近くも前に言っているわけです。決して西尾先生の極論ではありません。

西尾 その「犯罪者」に対する処罰は、どんどん、残酷になっています。大統領デーヴィスが足かせをつけられ、ヒトラーに対しては、そこにいるのが分かっている壕を爆撃せずに自決するのを待った。まだそれは、相手を認めているということでしょう。

 ところが、イラク戦争では、隠れていたフセインを穴の中から引きずり出す模様をテレビで流し、罵声を浴びせながら絞首刑にした。それもテレビで公開された。相手のトップに対する処遇は、だんだん非人間的になってくるんです。カダフィ大佐にいたっては、見つかった現場で射殺された。少年が撃ったということになっているけれども、歴史がアメリカ型の正義の名の下で非常に非人間的になってきていると感じますね。

『正論』12月号より 了

(プロフィール)  西尾幹二氏 昭和10(1935)年、東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。第10回正論大賞受賞。著書に『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)、『国民の歴史』(扶桑社)、『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)、『GHQ焚書図書開封1~7』(徳間書店)。『西尾幹二全集』を国書刊行会より刊行中(第5回「ニーチェ」まで配本)。11月初旬に『第二次尖閣戦争』(祥伝社、共著)を発売予定。

 福井義高氏 昭和37年(1962年)京都生まれ。東京大学法学部卒業。カーネギー・メロン大学Ph・D。日本国有鉄道、東日本旅客鉄道株式会社、東北大学大学院経済学研究科助教授を経て、平成20年より青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。専門は会計制度・情報の経済分析。著書に『鉄道は生き残れるか』『会計測定の再評価』(中央経済社)『中国がうまくいくはずがない30の理由』(徳間書店)、訳書にウィリアム・トリプレット著『悪の連結』(扶桑社)。

「アメリカ観の新しい展開」(五)

「英米は常に対立していた」(福井)
「英に変わってスペインにとどめを刺した」(西尾)

福井 『天皇と原爆』でこう書かれています。「アメリカはイギリスから独立したのですから、『兄弟国家』ではあります。しかし独立戦争で激しく衝突しイギリスを痛めつけていましたので『敵対国家』でもあります。イギリスは大英帝国といわれたくらいですからその力は強大でした。そのイギリスを少しずつ押さえ込み、倒さない限り、アメリカは大をなす時代は来ません。二十世紀史の最も重要なモチーフだったと考えられます。ペリーの来航もイギリスとの競争を考えてのことだったと思います」(四二〜四三ページ)

 要は、アメリカとイギリスは敵対していたということですね。日本では保守派の間でも、英米をセットで考えている人がいますが、実はそれは違う。英米は常に対立していたし、アメリカは最終的にイギリスを追い落とそうとしていた。それが分からなければ、第二次世界大戦における、ルーズベルトのチャーチルに対する異常に冷たい態度は理解できないわけですよね。ここは、重要な指摘じゃないかと思いました。

西尾 優しかったはずのアメリカの対日態度が一九〇七年ぐらいから突然、変わって、日本は説明のできないアメリカの変貌、未知の国の国家意志の壁にぶつかる。アメリカの政策がぐるぐる変わって理不尽になり、日本は戸惑ってその真意が分からなくなるという局面を迎えます。

 これは何でしょう。一八九八年の米西戦争でアメリカはスペインを倒しました。何世紀にもわたったスペインとの対立にイギリスはとどめを刺す力がなくて、結局はアメリカがそれを成し遂げた。これが西太平洋からイギリスの艦隊が静かに撤退し始め、覇権がアメリカへ移動していく第一幕になった。そうして、太平洋がスペインの海からアメリカの海になることによって、日米の対立構造が産声を上げます。その後一九〇四~〇六年に日露戦争がある。そして一九〇七年に、日本に対するアメリカの態度が豹変する。この背景にイギリスとアメリカの力関係もあるのではないかと考えています。

「『正義が受けて立つ』スタイル貫く」(福井)
「なぜアメリカのやり方を見抜けなかったか」(西尾)
 

福井 『天皇と原爆』四六ページには、こう書かれています。 「一八九八年二月、キューバのハバナ港に碇泊していたアメリカ戦艦メーン号が爆破され沈没し、二百六十人の乗組員が死亡しました。アメリカはキューバ内戦の鎮圧を口じつにスペインに宣戦布告しました。この沈没事件はアメリカの謀略によるものだという説が燻っています。(真珠湾攻撃もルーズベルトの謀略に乗せられた、という説がそれなりに有力になるのはアメリカ史にこういう背景があるからなんです)」  これについては、当時の標語が「リメンバー・ザ・メーン」だったわけですよね。しかし、今では内部爆発説がほぼ確定しています。つまり、メーン号の爆沈にスペインは関係なかったということです。

西尾 アメリカの自作自演ですか。

福井 アメリカが意図的に爆発させたのか、あるいは偶発的事故で爆発したのか確定されていないと思いますが、とにかく爆発は船の内側から起きていて、スペインが外側から爆発させたということはあり得ないと考えられています。  この「相手に先に手を出させる」というのは、リンカーンの北軍も同じことをしています。南軍が先に手を出さざるを得ないような状況に南部諸州を追い込んだ。アメリカは常に「やむをえず正義が受けて立つ」というスタイルを貫いてきたわけです。  第一次世界大戦でも、一九一五年にイギリス客船のルシタニア号がドイツの「Uボート」に撃沈され、アメリカ人を含め、女性と子供が多数死んだことがその後のアメリカ参戦のきっかけとなりました。実はルシタニア号は事前にイギリス海軍から武力抵抗を命じられており、しかも弾薬を積んでいましたから、撃沈は国際法上、必ずしも違法だったとはいえません。しかし、「敵はひどいやつだから、アメリカは受けて立つ」というプロパガンダを繰り広げた。アメリカは常にそのパターンで戦争を始めていて、日米開戦もその構図にあてはまっている。

西尾 アメリカ通であった山本五十六に、なぜそれが見抜けなかったのか。情けない話ですね。

福井 それと、英米不可分論というのが日本にもあったわけですが、じつは不可分ではなくて可分だったわけです。

西尾 そうです。少なくとも一九三八(昭和十三)年ぐらいまでは可分でしたね。

福井 イギリスやオランダが植民地としている南方の石油を求めるというだけであれば、アメリカを攻める必要はなかったわけですよね。

西尾 そうです。だから、私が研究している思想家の仲小路彰は、日本海軍の末次信正大将と、富岡定俊大佐らとタイアップして海軍をインド洋に動かし、中東で南下してくるドイツ軍と連携して、イギリスを倒して、そしてアメリカのソ連援助をそこで封鎖するという計画を考案していました。そうすれば、ドイツも助かるし、アメリカも日本と戦争をする根拠を失うと考えた。英米は別と見なしていたからです。日本の大本営も考えていた作戦で、作戦名もあった。ところが、突如として真珠湾攻撃を実施する計画になってしまった。このあたりの経緯が分かりませんが、山本五十六の勇み足ではないですか。

福井 アメリカの世論は、イギリスを支援することはよいけれども、参戦には反対するという声が圧倒的で、アメリカから日本に宣戦布告をすることは政治的にはおそらく不可能でした。それがなぜ、日本人には分からなかったのか。

西尾 ハル・ノートを通告されても、その内容をアメリカのマスコミに暴露させる手もあったとよく言われていますよね。

福井 のらりくらりとかわせばよかった。ハル・ノートで日本の撤退を求めた「中国」には満洲が含まれるのかどうか議論して時間稼ぎをするという手もあったはずです。それは日本人の性には合わないということでしょうか。

西尾 できなかったんでしょう。石油の残量を考えて、いま開戦しなければ勝ち目はないと焦ってもいましたね。いずれにせよ、真珠湾攻撃後にアメリカで言われた「リメンバー・パールハーバー」という言葉は、「リメンバー・ザ・メーン」という言葉が以前にあったから、容易に流布したということですね。

福井 そうだと思います。

『正論』12月号より  つづく

「アメリカ観の新しい展開」(四)

「『ワン・ワールド』の理想を信じ切る」(福井)
「きれいごとを言いながら遠隔操作」(西尾)

西尾 この点は大きな考え方の分かれ目になるところでもありますね。いまのお話でも日本人、中国人、フィリピン人をなんら区別せず、虫けらのように考えていたということになりますからね。たしかに東海岸の帝国主義者たち…。

福井 アメリカ帝国主義者です。

西尾 彼らが歴代の大統領でもあり、アメリカの主流を成していて今のネオコンにもつながる人たちですけれども、彼らは、イギリスの植民地主義に対してネガティブだったのではないですか?

福井 ネガティブです。

西尾 アメリカは開国のときからイギリスに対抗心があり、しかしイギリスを模範にもしていて、イギリスつぶしの動機が常にありながら弱い小国の時代にはイギリスの尻尾を追って利益を得ていました。そして最後はイギリスを抱き込むように手を結びますよね。

福井 はい。ただし、あくまでも一時的方便としてです。世界は一つで、世界中にアメリカン・デモクラシーを普及しなければならない、植民地として支配されるような民族があってはいけないということが、彼らの理想なんです。

西尾 そうだ。アメリカが一貫して言う、いわゆる「きれいごと」ですね。一八九九年に国務長官のジョン・ヘイが出した中国に関する「門戸開放・機会均等・領土保全」の三原則、一九一八年にウィルソン大統領が出した十四カ条のヴェルサイユ条項、それから一九四一年のチャーチル=ルーズベルト洋上会談の大西洋憲章と、アメリカは三度にわたって植民地を否定する宣言を世界に出しましたが、これは「きれいごと」に過ぎず、実は秘かなイギリスつぶしの作戦だっただろうという気もしています。

福井 そうです。だからアメリカは基本的に勢力均衡を認めません。1940年の大統領選挙で共和党候補でありながら、現職のルーズベルトとほとんど同じ主張を繰り広げ、大戦中はその特使として活躍したウェンデル・ウィルキーの大ベストセラーの題名が『ワン・ワールド』。アメリカは植民地主義や帝国主義から解放された「ひとつの世界」を実現する使命を帯びているのです。

西尾 要するに、各国が同盟を結んでその相互の均衡で平和を保つという第一次世界大戦までのヨーロッパのやり方を否定して、国際連盟をつくるというのは、自分がその主人公になるという発想でしたからね。世界政府志向ですよね。

福井 そうです。「きれいごと」ではありますが、彼らはそれを信じ切っている。信じ切っているからこそ強いと思うんですね。単なる建前であれば、あれだけの力は出ないでしょう。

西尾 自分の善を信じ切っている。信仰だからです。それだからこそ困る、厄介なんだ。宗教的信条なんです。彼らが、その「きれいごと」を言い続けてこられたのは、まず資源が豊富であり、人口が過剰ではなく、むしろ移民を必要とする国であること。そして下層労働力を国内に抱えているので、過剰な領土の獲得意欲に駆り立てられることもない。だから中国に進出しようとしたときも、中国を割拠しかけていた各国の動きを、むしろ不便だと感じていて、手出しをしないでしばらく様子を見て、それから干渉して中国分割を止めさせようとした。そして、金融支配を通じ丸ごと中国を遠隔操作で支配しようとしたわけです。

 その遠隔操作の手段の一つはドルです。他国に対するドルによる遠隔操作が可能になったのは、実際には第二次大戦後だと思いますが、早い時期にそういう志向性を示していた。ペリーの来航から十九世紀にかけての時代は、暴力的なことをアジア・アフリカ諸国でやっているイギリスの後ろにくっついて、自分は手を汚さず、しかし同じ条約をきっちりと結んで利益だけは得ていた。

 開国期の日本では、それがオルコック(イギリスの駐日総領事・公使)とハリス(アメリカの駐日公使)の対立になって現れます。オルコックはイギリス流で日本に厳しいことをガンガン突きつけたのに対し、ハリスは優しくソフトな物言いで、しかもいかにも日本のためになるようなことばかりを言っていた。

『正論』12月号より  つづく

「アメリカ観の新しい展開」(三)

人種問題は日米開戦の要因か

西尾 今年、『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』(草思社、原題は「人種偏見、日系アメリカ人、アメリカの人種的不寛容のシンボル」)という翻訳本が出されました。カレイ・マックウィリアムスというアメリカ人が、一九四四年に出版した本です。訳者は、最近、アメリカに関する大著を書き続けている渡辺惣樹さんです。

 この本は、一九〇〇年にカリフォルニアと日本との間に戦争が始まり、それが拡大して国家間の戦争になった、人種偏見こそが日米開戦の根本的モチーフであるという主旨で書かれています。おもしろいのは、カリフォルニアにたくさん集まっていたアイルランド系の労働者、アイルランド系移民がイギリスを憎んでいたが故に、日英同盟は彼らには大きな衝撃となり、しかも日本がその同盟関係を利用して日露戦争に勝ったことから、抑えることのできない反日感情がわき起こったという分析の展開です。日英同盟とその後の歴史に対するこの感情は、私見ではオーストラリア人の反日感情の由来とそっくり同じですが、それがカリフォルニアにおける日系移民排斥の悲劇、さらには一九二四年の排日移民法につながったということを同書はつぶさに検証しています。

 当時の日系移民排斥の動きは、一九一〇年代、二〇年代に南部諸州がこぞってカリフォルニアを応援し、司法までが彼らに味方をしたために激しくなった経緯が詳述されています。さらに訳者の渡辺氏は、「まえがき」でこう書いています。「排日移民法は日本が関東大震災(一九二三年九月一日)の惨禍に喘いでいる最中に成立している。それでも日本の政治家は、外交的妥協を通じて軍縮の道を選んだのである。しかし軍部はロンドン軍縮会議の妥協(大型巡洋艦対米比率六割二厘、当初要求七割)が許せなかった。統帥権干犯問題を持ち出して軍部が強硬な姿勢に変容していくのはこの頃である。

 多くの史家が、この時代に日本が誤りを犯したと解釈する。あの暗い昭和の一時期を、あたかも日本という国が、その体内から発生した『遺伝性の癌』に冒された時代であるかのように分析する。統帥権干犯問題は大日本帝国憲法の欠陥に起因するとの分析は、筋のよい歴史解釈となる。しかし、マックウィリアムスが本書で描いている、カリフォルニア州における白人の反日本人の態度と、それに対する日本のリーダーや知識人、そして一般の人々の激しい反発のさまをバランスよく読み解いていけば、そうした史家が描き出す『悪性の癌』は本当に遺伝性だったのだろうかとの疑念が生じる。むしろ、白人種の激しい日本人差別という外部的刺激に起因した『ビールス性の癌』に冒されたのではないかと疑わせる」と。

 つまり、日本では、戦争の原因を国内だけでほじくり返す論争が言論界に蔓延っているけれども、そんな話ではないのではないかという異議を提示しているわけです。カリフォルニアで生起した排日の動きは、日本人にとってはいかんともしがたい話で、しかもカリフォルニアは石油産出「国」で日本のエネルギー資源の生命線を握っていた。

 渡辺氏は、さらにオックスフォード大学のヨルグ・フリードリッヒ博士の分析も紹介しています。日本が満洲事変を引き起こした究極の目標は、自給可能な経済ブロックを作り上げることにあったが、満洲を選んだのは失敗であった。なぜなら食糧や石炭、鉄鉱石などの資源は豊かだったが、石油はなかったからで、かえって当時の圧倒的な石油産出国であるアメリカへの依存度を高めてしまった。そして「日本の行動を容認するわけではないが」と但し書きをしながらも、「石油禁輸を受けた日本には、ボルネオやスマトラの石油を略取する方法しか残されていなかった」としています。

 いずれにしても、すでに戦争中の一九四四年にこういう研究をして著述した人がアメリカの中にいた、というのがおもしろいし、立派だと思います。それはアメリカの懐の広さだけれども、同時に非常に多様な人種がいる国だから、いろいろな考え方があるということですね。

福井 はい。ただ、当時のカリフォルニアでは現実に日系人がいて、現地の白人の労働者との対立は激しかったと思いますが、全般的には、日米戦争を主導した人たちは東部のインターナショナリストであって、「人種差別は良くない」と主張していた人たちなんですね。

西尾 ときのセオドア・ルーズベルト大統領はカリフォルニアの「バカ者」どもを抑えたがっていました。

福井 はい。当時、東部のエスタブリッシュメントの人たちは、じつはかなり反英でもありました。イギリス帝国主義の植民地支配は望ましくないと考えていた。人種的偏見が強いとは言えないと思います。

 アメリカの移民政策は、一九二四年の移民法の改正、いわゆる排日移民法でほぼ骨格が固まりましたが。第一次世界大戦でイギリスに騙されたのだから、アメリカはアメリカだけでいこうという孤立主義の流れが強くあって、むしろ連邦政府、東部エスタブリッシュメントは移民法改正を抑えにかかったんですが、議会が法案を通してしまった。

 ですから、むしろ移民法を通した人たちは、日本と戦争をしたいと思っていなかったのではないか。考えようによっては、日本人と中国人のような野蛮人同士で争っていようが、アメリカは関係ないという発想だってあり得るわけです。

 実は米西戦争のときもまったく同じ議論があって、戦争の結果、アメリカはフィリピンを領有しますが、「そんなことをすれば非文明人を抱えることになるからフィリピンなど要らない」という意見も有力だったのです。ですから、私は人種的偏見と日米戦争は、それほど強い因果関係はないのではないかと考えています。

『正論』12月号より  つづく

「アメリカ観の新しい展開」(二)

「お節介ではた迷惑なアメリカの使命感」(西尾)  

西尾 二〇〇一年の同時多発テロ後には、アメリカに住んでいる中東系の人たちの収容も検討されました。実現する可能性はほとんどなかったでしょうが、これは第二次大戦時の日本人収容と同じ発想であって、日本人収容への反省は何であったのかと疑わせる動きでした。

福井 あの中東系の人たちの収容計画は、このオールド・ライトの系譜を引くパレオコンサバティブの人たちが厳しく批判しました。「ネオコンサバティブは何も歴史から学んでいないのか」と。いまのご発言を聞き、オールド・ライトと先生の発想は非常に近いという気が改めてしますね。もう一つ、西尾先生は『天皇と原爆』で、アメリカを対日独戦へ駆り立てた「宗教的な動機」を強調されています。日本の保守派の間でも「何を言っているの」という反応もあったようですが、これも実はアメリカでは昔から言われていることです。

 代表的な文献は、アーネスト・リー・トゥーヴェソンという宗教思想史家の『リディーマー・ネイション(Redeemer Nation、救済する国家)』です。アメリカの対外政策史は、「リデンプション・オブ・ザ・ワールド(redemption of the world)」、つまり世界を救済するというミッション、使命感に強く支えられてきた歴史であるということが書かれています。この本はシカゴ大学出版局から一九六八年に刊行され、八〇年に「ミッドウェー・リプリント」として再刊されています。古典という評価が定まったということでしょう。トゥーヴェソンは生涯独身で自宅もマイカーも持たない隠遁者のような人生を送る一方、学界で高く評価されていた碩学です。

西尾 詳しく説明していただけますか。

福井 アメリカで支配的な一部プロテスタントの神学は、カトリックなどと違って神の国と地上の国を区別しません。地上で「千年王国を実現する」という強い志向がある。そして、その使命を帯びているのがアメリカであり、アメリカの対外政策は強くその志向に支配されているという内容です。西尾先生が指摘された戦争に対する「宗教的な動機」は、アメリカの学界エスタブリッシュメントの間でも常識の範囲内の議論であるということです。

西尾 日本にとっては、そういうアメリカ人の使命感は、余計なお節介あるいは、はた迷惑だというのが私の感想です。  

福井 『救済する国家』自体は学術書で、価値中立的なスタイルで書かれていますが、オールド・ライトは、そうした使命感は間違いだと強く主張しています。アメリカの保守というのは伝統的には反戦です。よその国のことは基本的にどうでもよい、というのが原則的な姿勢です。  

西尾 アメリカとは、リンカーンの時代から、そうした使命感を持った国であったということですよね。  

福井 その通りです。

『正論』12月号より つづく