ゲストエッセイ
坦々塾会員 鈴木敏明
月刊誌「WiLL」8月号の西尾幹二氏の論文、「平和主義でない『脱原発』」を読んだ。私は驚愕し、深い感銘を受けた。脱原発論の決定版と言っていい。なぜなら私は、保守の多くの方と同じように、積極的ではないにしろ心情的に原発推進論者だったと言っていい、しかし西尾氏のこの論文を読んで日本は脱原発に向かって歩みを始めなければないことを悟ったからです。西尾氏は、論文の出だしの二頁目にこう書いています。
「原発の存在が日本の軍事力の合理的強化を妨げ、国家の独立自存をむしろ阻害しているという、きわめて深刻なウラの事情を正確に見ていない」
保守の皆さん、この文章は非常な驚きですよ。皆さん、実感できますか。そして次の三頁から最後の十頁までその「きわめて深刻なウラの事情」を的確にわかりやすく説明しながら西尾氏の主張を加えています。簡単に要約すると日本は原発のために原料の天然ウランを輸入しなければなりません。主にカナダやオーストラリアから買っています。そのために日本は両国から天然ウランについて有形、無形の対日規制を受けているのだ。
それだけではありません。輸入した天然ウランは、そのまま燃料として使えないからアメリカやフランスへ運んで高い料金を払って濃縮してもらうのだが、その結果、米仏も濃縮提供国として対日規制権を持つことになるのだ。次に、その濃縮ウランを日本の原子炉で燃やして発電したのちに、使用済み核燃料をフランスと英国に持っていって再処理してもらうと、そこでできたプルトニウム燃料について、今度は英仏の対日規制が加わる。さらにやっかいなことは、最近の原子力協定では、米国で濃縮してもらった核燃料でなくても、例えばアフリカのニジェール産の天然ウランを日本の濃縮工場で濃縮した燃料でも、それを一度米国製の原子炉または米国の技術でできた原子炉で燃やすと、その途端に米国産の核燃料とみなされ、米国の規制権の対象となる仕組みになっているのだ。外務省初代の環境問題担当官で、現エネルギー戦略研究会会長の金子熊夫氏の「日本の核、アジアの核」(朝日新聞社)の中でこう書いていると西尾氏は指摘しています。
「要するに、日本の原子力開発は、過去40年間と同じく現在、将来とも、米、英、仏、加、豪の五カ国、わけても米、加、豪の三カ国は最終的な「生殺与奪」の権利をにぎられているのであり、これら諸国の核不拡散政策を無視して、自分勝手な振る舞いはできないような仕組みになっているのです」
奇しくも上記五カ国は、大東亜戦争の旧敵国です。過去のことはさっさと水に流すのが日本民族、それ以外の民族は、過去のことは忘れません、とくに戦争など絶対に忘れないし、徹底して正義面してきます。特にアメリカは日本の核兵器所持に神経質になっています。ひょっとして広島、長崎の仕返しをされるかもしれないとの思いがあるからです。日本政府が核兵器所持を決定したら、上記五カ国が、ウランは売らない、濃縮もしないと言い出したら、日本の産業は壊滅してしまいます。その結果として日本は核兵器所持をあきらめねばならなくなるのだ。好むと好まざるにかかわらず日本の原発所持が、日本の核兵器所持の足かせになっているとも言えるのです。日本は原料を輸入しているから高い値で買わされ、上記五カ国の原子力の外交政策に翻弄されてきた。旧敵国であることが目に見えない差別と警戒の対象国になっているのです。原料を輸入する弱みから開放されたいとの思いから日本独自で技術開発したのが福井県敦賀市の高速増殖炉“もんじゅ”です。“もんじゅ”がうまく成功すれば、使われた燃料は1.2倍になって返ってくることになっていた。そうなればもう原料の心配はいらない。ぐるぐる同じ燃料をリサイクルしていけばいい夢の機械であった。その“もんじゅ”が度重なる事故で前進も後退もできなくなっているのだ。一キロワットの電力も生産せずこれまですでに一兆円が注がれてきたのだ。私みたいに数字に弱く、庶民感覚だと一兆円の価値がわからないが一億円の一万倍というと凄い実感がでます。また今後五十年間にわたり年間五百億円の無駄な維持費がかかるというのだ。
原発一基一年間運転すると約30トンの使用済燃料が生じ、これをどこかで片付けなければなりません。そこで政府は青森県六ヶ所村に再処理工場が建設した。そこえ全国の原発から使用済燃料が運びこまれます。再処理が順調におこなわれるから問題がないのではないのです。再処理は再処理で深刻な問題があるのです。再処理すると毒性の高いプルトニウムが抽出されるのです。この恐いプルトニウムが日本ではたまりすぎて45トンを超えているのだ。8キロあれば原爆を一個作れるから約5千発程度の原爆材料が貯蔵されていることになる。国際社会から警戒の目でみられるし、特に先にあげた上記五カ国、中でもアメリカは、日本警戒のためでしょう。日本はプルトニウムを60トン以上持ってはならぬ主張しているのだ。日本はたまっていくプルトニウムをどう貯蔵していくつもりなのか。
原発を運転しているかぎりこのプルトニウムは溜まっていくのだ。しかも世界ではこのプルトニウムの溜まりを解決した国はどこもないのです。原発を廃止する国より新規に原発所有する国々や、現在所有している原発数を増やす国々の方が圧倒的に多いのです。世界中で容器にいれられた毒薬プルトニウムが埋められることになります。この容器の耐用年数が何十年だか何百年だか知りませんが、核戦争で地球が滅びるより原発の廃棄物で地球が滅びる可能性が高くなってきたような感じです。
その他にも日本の原発には、プルサーマル、MOX燃料など色々な深刻な問題をかかえています。西尾氏は、その問題の全部さらけだし説明をしています。私は、脱原発論者も原発推進論者もぜひこの西尾氏の論文を読んでもらいたい。なぜなら彼らのほとんどが、現在の原発が抱えているこのような問題を知って脱原発論者になったり原発推進論者になったりしているわけではないからです。脱原発か原発推進か、喧々囂々と語られています。だから私も自分のブログで意見を披露したかった。しかしできなかった。何故か。私は冒頭に触れましたように心情的に原発推進論者で原発産業の実情など何も知らないのです。なにも知らないで心情的な原発推進論者の主張を文章にしたら、低放射線量は、危険どころか健康にいいだとか、飛行機事故でこれまでにどれだけ沢山の人々が死んだかとか、安全をさらに強固にすれば問題ないとか、ただ情緒論にすがって書くことになってしまうからです。ところが日本の知識人と言われている人たちは、平然とこれをやります。だから日本の知識人はダメなのだ。今回の西尾氏の論文を読んでいただければわかりますが、情緒論など一切なし、現状の問題点を赤裸々に語り、自分の主張を展開していく、すべてが論理的です。それだけに積極的原発推進論者には反論が非常にむずかしい。そこで私が心配しているのは、この論文はあまり話題にならず、黙って見過ごされる可能性が高いことです。本来ならこの西尾論文について喧々囂々と語り合われるのが一番いいのですが、特に政界と原発業界はそっとしておきたいのだと思います。
最初に触れましたように私は西尾氏の論文を読んで、日本は脱原発に向かって歩み始めなければならないと悟ったと書きました。そこで私の提案を簡単に披露しましょう。まず原発の撤退作戦開始です。戦場でも撤退作戦が一番難しいと言われています。自軍の損害をできるだけ低く抑えて撤退しなければなりません。自軍の損害をできるだけ低くとは、日本国民の社会生活や経済生活への損害をできるだけ低くすることです。そのためには撤退作戦は急いではいけません。できるだけ時間をかけるのです。しばらくの間これまでどおり原発と共存することになるでしょう。しかし原発撤退の意思を忘れてはいけません。時間をかけて退却しながら援軍を待つのです。援軍とは日本国民の総力をあげて原発に代わる代替エネルギーの開発です。私は絶対にできると思っています。なぜなら実例があるからです。かって石油価格が暴騰し、日本経済は没落かと思われたとき、石油価格暴騰を引き金に日本は省エネ技術で世界を凌駕したではないですか。世界各地にある原発など無用の長物にしてしまおうではないですか。大変むずかしいでしょう。しかしほんの数十年前、パソコンが家庭に出現するなどと考えた人はいないのです。