天下大乱が近づいている(二)

 自己反省が全てに先立って優先されるのである。日本人は自分の心の中だけを覗いて、そこで解決しようとする余り、外にある克服すべき本来の原因を見ようとしないのだ。講和条約が結ばれて旧敵国にもう請求ができないのなら、戦争被害の補償は他の何処にももう求められないと考えるべきである。自国政府が補償してくれるとしたら、それは例外中の例外の政治補償にすぎない。

 ところが自国政府が補償してくれたとなると、戦争を引き起こした原因もいつの間にか自国政府にあると考えるようになって、敵国を忘れるというひっくり返った論理、原因と結果のとり違えが始まるに至る。

 自己反省の度が過ぎて、自分の内部に敵を見出そうとする余り、外部の敵を見失う。それがどうにもならない戦後日本人の業ともいうべき「病い」であることをあらためてはっきり見据えたい。東京大空襲や原爆の補償を講和締結の後にはもはやアメリカに望むことができないのだとしたら、よしんば今はできないとしても、百年後にそれに見合う報復をしようとなぜ日本人は考えないのか。

 日露戦争の敗北の屈辱を忘れないからロシア人は北方領土の占領をやめようとしない。イギリス人はロンドンに打ちこまれたドイツの初期弾道ミサイルV2号を今でも決して許していないそうだ。日本人が戦争が終わって三年も経たぬうちに旧敵国への敵意を失い、親米的になった姿を見て、イギリス人やロシア人はじつに不思議な現象だと首を傾げてきたと聞く。

 カオスがまた再び近づいているのに、カオスから国民を守る政治の機能が麻痺していると私が不安を抱くのは、日本人に特有のこの淡白さ、自我の弱さのゆえである。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

天下大乱が近づいている(一)

 身辺にさして格別のことも起こらない凡々たる生活をおくっているが、ときどき説明のできない不安が押し寄せてギクリとすることがある。敏感になっているのは私ひとりではないように思う。

 昨日偶然に会った友に私は言った。
 「カオスが近づいていますね」
 「そうですね。私もそうだと思います」と彼は応じた。詳しく語らないでも、こちらの言わんとする処を近い友人は分かっているのである。

 カオスとは混沌ということである。天下大乱、無秩序ということである。

 金融の不安、食材の不安、年金の不安、教育の不安、救急医療の不安、物価上昇の不安・・・・・・・そしてそれらいっさいを守ってくれるはずの政治の機能麻痺の不安がなかでも一番大きい。

 日本人は反省好きの国民といわれるが、たしかにそうで、反省ばかりして、自分の外にいる敵の正体を正確に見て、それと闘うことから問題を解決していくという具体的で、手堅い精神に乏しい。政治が頼りなく不安なのはどうやらそのせいである。

 昭和20年3月の東京大空襲を訴える訴訟団が結成されたと聞いて、日本人もようやくそこまで自覚を深めるようになったかと私は喜んだが、すぐ吃驚(びっくり)した。訴訟の相手は日本政府だというのだ。アメリカ政府を訴えるのではないのである。何という倒錯だろう。

 原爆症の補償も日本政府が支払っているようだが、よく考えればおかしな話である。講和条約が結ばれた後では旧敵国政府に戦災の補償を要求できないのは当然である。だから自国政府に求めざるを得ない、という話ではおそらくない。原爆を落としたのはたしかにアメリカだが、それを誘発したのは日本で、だから日本政府に責任があるという奇妙にして不可解な論理が罷り通っていることをわれわれは知っている。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

お知らせ

 昨9日の「路の会」5月例会のゲストはぺマ・ギャルポさんで、チベット情勢を詳しくうかがいました。チベットの歴史、清朝の侵略、英国の干渉、戦前における日本人の国家建設への協力など。ダライラマ法王の選出の仕組みには聞き耳を立てました。

 本10日は「坦々塾」で、メンバーの二人のお話のあと、私も少し話し、ゲストは田久保忠衛さん。国際情勢の激変する中での日本外交のお話をうかゞいます。これから会合へ向かいますので、時間がなく、ダライラマ法王のこともチベットのことも今詳しく書けません。

 今夜23時から、文化チャンネル桜で私の「GHQ『焚書』図書開封」の第22回「大川周明『米英東亜侵略史』を読む」があります。お知らせします。

 徳間書店からの出版予定『GHQ「焚書」図書開封』はかねて4月刊と予告していましたが、新事実の発見が相次ぎ、改筆加筆が大幅に生じ、作業が遅れていますが、6月前半刊行と決定しました。現在作業は96パーセント完了しています。近く発見の方向について、あらためて報告します。

管理人注:このエントリーは私の手違いにより、一日遅くアップされました。そのため、内容に日にちの誤差があり、チャンネル桜のお知らせが間に合いませんでした。申し訳ありませんでした。

非公開:「皇太子へのご忠言」続篇(一)

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西尾幹二先生

「WiLL」の第二弾は、第一弾にも増した感銘を覚えながら拝読しました。
前号では衝撃が読者の心を捉えたと思いますが、今号は国難に瀕する「覚悟」が読者をゆるがせたに違いありません。
皇室が信仰に根ざす故に、不合理であるという根本を鋭く指摘されており、小生がかねてより考えていた皇室感とも全く一致します。それが、いつもながら先生の論旨の明確さに支えられて展開するので、痛快ですらあります。
不合理だからこそ美しい歴史として国民の尊崇の対象となるのです。

しかしながら、いかに先生の本稿が素晴らしくても、肝心の皇太子夫妻の耳に声が届くのかどうか、それが問題なのです。
皇太子本人が決定すべき事項が余りにも多く、それをペンディング、若しくは放棄しているのですから残念ながら解決の糸口は絶望的だともいえます。誰も皇太子夫妻に直接諫言できる側近がいないまま時間が過ぎ、天皇・皇后は無念を抱いたまま加齢されてゆきます。

西尾先生の二回にわたる論文を皇太子夫妻が心を開いて読んでくれることを祈るばかりです。
とにもかくにも小生は、先生の本稿がこれまでの凡百の皇室特集を粉砕して余りある内容だと思いました。
皇室問題には一歩距離をおかれてきた西尾先生が、ここへきて直言を書かれたことの意義は大きく、一人でも多くの読者に読んで欲しいと念願してやみません。

取り急ぎ愚考まで。

加藤康男

拝復

 肝腎なことが起こると貴方が必ずお手紙をくださるのがありがたく、いつも貴方がどう考えてくれるのかなと思いながら書くことも多いのです。雑誌はまたバカ売れしたようで、二度増刷したそうです。増刷分だけで5万部だと昨日会社の人が自慢していましたが、妻子を殺された人の手記も大きかったのでしょう。花田さんは根っからの編集者魂の人なのですね。

 雑誌はそんなにたくさんの人に読まれても、私に感想を書いて下さったのは貴方おひとりでした。友人たちはいつも誰も何も言わないのです。それだけに貴方のメールを嬉しく存じました。

 仰せの通り、現実はそんなに大きく動きません。当事者が読んで心を入れ換えるなんてあり得ませんから、結びの一文に書いたように、もうすべてが遅すぎるのかもしれません。

 ただせめて一つでも変わることがあるとすれば、例えば『文藝春秋』が座談会でお茶をにごし問題を先送りするような、姑息な編集方針を改めるようになることです。

 言論で何を訴えても変化は小さいものです。ものを書くということは非能率で、空虚な作業だと思うことは常々ですが、せめてものを書く人間だけでも「責任」ということをもっと考えてくれればと思います。編集者が官僚化してはおしまいです。

 それから、よほど過激な左の人でない限り、いまはみな天皇制度の擁護の立場に立った上であれこれ言って、現状を守ろうとしますね。今後私に反論の文を寄せる人が出てきたら必ずそういう書き方になります。

 最初のページに私が「天皇制度を擁護している知識人の論文の中にこそ、本当に信じていない人間に特有の利口な無関心が顔を覗かせている」と書いておきましたが、大部分こういう人ばかりです。

 そして大切なのは、私も「利口な無関心」に半身を入れているのですよ、と私が言っていることであって、この点に気がついてもらわないと本当のことは分らないのです。

 皇室問題は信仰だということ、信仰だから半分は信じられないのだということ、そして神話への信仰が基本だということ、神話はつくり話だと思っていますかいませんか、と皆さんに問い質したのがあの論文です。

 加藤さん、貴方はちゃんと見抜いて下さいましたね。不合理ゆえに美しい、という貴方の言葉に置き換えてこのことを述べて下さいましたが、このことが分る人は少いのです。

 大概の人は自分の観念に安住するからです。皇室問題に関する私の定まった観念はありません。私は自分が信じられるのか信じられないのか、そのことを自分の心に問い掛けているだけです。

 そして、それは皇室問題だけでなく、すべてのものを書く行為の基本ではないでしょうか。

 自分が簡単に信じられることは書いても仕方がないのです。先々どうなるか分らないこと、よく見えない未来を見えるようにすること、つまりそのつど賭けること――それは信じられるか信じられないか分らないことに挑戦するということと同じ態度です。

 誰しもが分っていること、みんなが信じている「観念」に乗ってものを言うのはもっとも価値のない行動です。

 ですから、私は福田内閣批判をしきりに書く人の気持が分りません。国民の100人のうち99人は福田はダメだと分っています。言論人はこんな安易なテーマを捨てるべきです。

 言論人は群衆の一人になってはいけないのです。

 私は安倍晋三氏が保守言論界の宿望を担って登場し、首相にならんとしたときに、この人はダメだと書きました。政治が分っていない人、性根の据わっていない人と見抜いたからです。

 しかしあんな形で内閣をほうり出すということまでは予想がついていたわけではありません。たゞ私は自分が信じられない、と書いただけで、固定したどんな「観念」も私は持っていません。信じられないのを自分の心に問うただけです。

 福田康夫氏は最初から言論人の誰にとってもダメな人とお見通しでした。であれば、今さら彼について論を張るどんな意味があるのでしょう。

 皇室問題も基本は同じだと思います。私は信じ、そして信じていないのです。だからこそ強く信じることができるのです。不合理だから美しいという貴方のことばを大切にしたいと思います。

 近くまた一杯やりましょうね。鰹のうまい季節がきました。あれの旬のときは酒もうまいのです。

                              西尾幹二

非公開:『三島由紀夫の死と私』をめぐって(五)

謹啓 

 『飢餓陣営』の論文拝読しました。日録に感想を寄せた方々と同じ思いです。先生の『ヨーロッパ像の転換』の本の帯に三島氏の言葉があったと記憶します。「これは日本人による『ペルシャ人の手紙』である。……我々は一人の思想家を見出した。」という内容だったと思います。それで三島氏は早くから先生に対して相当の評価をなさっているのだと思っていました。

 あの事件の翌日、三島氏の本を買うために店頭に多くの人が並ぶニュースを見ました。当時先生が書かれた論文を読んでも十代の私には理解不能だったはずなので、今回の連載は大変有難い気持ちです。難しいので何度も読みました。

 三島氏の二元論、政治と行動などの問題についてこれ程精密な文章を私は初めて読みました。読んだ後は切ない気持ちになりました。まるで何度も聴きたくなる交響曲のようでした。近頃思うのですが、自分たちの靖国神社のことを外人に教えてもらう必要は全くないし、映画『明日への遺言』も上司の鏡だという似たような感想ばかり目につくので、かえって観る気が失せてしまいました。

 本当のことや肝腎なことは何も語られない社会。我々は、他人の服を着ている様な居心地の悪さを感じつつ、そこに安住することなく、両眼をカッと見開いて、絶えず過去を振り返りながら真の自己に突き当たる瞬間を求めて、未来に向かって走り続けなければならないのでしょうか。背筋の伸びる論文でありました。小さくかつ乱筆お許し下さい。
                                敬具
平成20年4月12日

 私信でしたが、私にはありがたく、しかもいい内容のご文章でしたので、取り上げさせてもらいました。女性の方からです。講演会でお目にかゝったことがあり、お名前は存じていますが、住所が書かれてありません。掲載は困るという場合には、その旨至急ご一報ください。消去します。

萩野貞樹さん追悼記念会の開催

 4月22日九段会館で萩野さんの追悼記念会が開かれました。参会者は102人でした。

 「厳粛でそして盛会でしたね」とか、「遺徳を偲ぶ会らしい雰囲気でしたね」とか告げる人が多く、終りの時間が来ても人々がなかなか立ち去らない、余韻を残した会でした。

 先に「追悼 萩野貞樹先生」(3月3日)で、私はご病気と死に至る説明は述べました。当日奥様からあらためて報告がなされ、われわれは最後の末期ガンの苦痛に胸塞がれる思いで聞き入りました。

 でも、弱音や泣きごとをいっさい口にしなかったそうです。彼はストイックな人でした。ガンは外からヴィールスに冒されるような他の病気と違って、自分と病気は一体なのだと言っていた由、覚悟のほどが察せられます。

萩野貞樹さん追悼記念会 平成20年4月22日
     
     式 次 第
開場
榊奉献
開会の辞 司会 西尾幹二氏(評論家)
黙祷
病状説明 故萩野氏令夫人
スピーチ
   中村 彰彦氏 (作家)
   桶谷 秀昭氏 (文芸評論家)
   吉田 敦彦氏 (神話学者)
   熊谷 光太郎氏(県立秋田高校級友)

献杯
   石井 公一郎氏(元・ブリジストン(株)専務)
榊奉献(開会前にお済みでない方々)
スピーチ
  安本 美典氏 (日本古代史学者)
  塩原 経央氏 (産経新聞論説委員兼特別記者)
  谷田貝 常夫氏(国語問題協議会事務局長)

閉会の辞 宮崎 正弘氏 (評論家)

 みなさんのお話もとても印象的でした。詳しく書けるとよいのですが、書きだすときりがなくなりそうなのでそれもできません。

 中村彰彦さんは大野晋氏の日本語のタミール語起源説を論駁した萩野さんの二十数年前の論文に出会ったときの感激を語っていました。桶谷秀昭さんは含羞ということを言っていました。吉田敦彦さんはギリシア神話の理解の深さについて語り、同席したお嬢さんのお一人が自分の教え児にもなるいきさつを説明していました。

 萩野さんには三人のお嬢さんがいて、会にもご出席でしたが、三女の方が東大大学院の博士課程で国文学を専攻しているそうです。自分の蔵書は娘に全部譲れると言っていたのを思い出しました。

 私が編集した『新 地球日本史』(扶桑社)第1巻に、萩野さんは見事な津田左右吉批判を寄稿して下さいました。『歪められた日本神話』(PHP新書)と重なる内容です。

 神話を神話として読むことを唱える萩野さんは、だからといって神秘主義めかしたことを言っていたのではありません。実証主義とか歴史批判とか言っていた津田の論述の仕方が実証にも批判にもなっていないことを緻密に、論理的に証明したのです。

 穏和しい方なのに論述の仕方は激しく、そして雄渾でした。ご参会の他の方もみなそう言っていました。

 私が萩野さんに惹かれたのは津田左右吉批判が10年ほど前の『正論』にのっていたのを読んだのが切掛けでした。徹底した津田批判の大きな本を一冊書いてよね、と言っていたのに、残念でなりません。

 私は会の終りごろに、萩野さんは若い才能ではなく、熟成した才能、人文学者らしく年を重ねて円熟していたので、あと10年生きつづけて下されば、目をみはるお仕事をなさったに違いなく、口惜しくて仕方がないと話しました。

 「国語問題協議会」や「文語の苑」の関係者の方が多く来ていて、理論的指導者を失ってとても打撃だと言っていたのが印象的でした。

 あらためてご冥福をお祈りいたします。

非公開:私のうけた戦後教育(六)

観念教育のお化け

 私はここに一つの実例を提供しよう。

 「ぼくが谷間の村の新制中学に、最初の一年生として入学した年の五月、新しい憲法が施行された。新制中学には、修身の時間がなかった。そして、ぼくらの中学生の実感としては、そのかわりに、新しい憲法の時間があったのだった。

 ぼくは上下二段の『民主主義』というタイトルの教科書が、ぼくの頭にうえつけた、熱い感情を思い出す。(中略)『民主主義』を教科書に使う新しい憲法の時間は、ぼくらに、なにか特別のものだった。そしてまた、終身の時間のかわりの、新しい憲法の時間、という実感のとおりに、戦争からかえってきたばかりの若い教師たちは、いわば敬虔にそれを教え、ぼくら生徒は緊張してそれを学んだ。ぼくはいま、《主権在民》という思想や、《戦争放棄》という約束が、自分の日常生活のもっとも基本的なモラルであることを感じるが、そのそもそもの端緒は新制中学の新しい憲法の時間にあったのだ。

 このように憲法と、都市から山村にいる日本のさまざまな地方の子供たちとのあいだの、一種ハネ・ムーンの時期はきわめて短かったのかもしれない。ぼくは自分より数年だけ若い人たちに、たびたび『民主主義』という教科書のことをたずねてみたが、おおむね、かれらの記憶に、それが重要な書物としてのこっているということはなかった。しかし、ぼくより一歳だけ年下の、友人の編集者は、かれの最初の息子に、憲介という名前をつけた。それは、かれにとってもまた、少年期の教室で憲法がどのようなものであったか、そしてそれがどのように、彼の青春のモラルの核心として残りつづけてきたかをあきらかにしている。かれにとっても僕の場合と同様、《主権在民》や《戦争放棄》は、ひとりの戦後の人間としての自分の肉体や精神とおなじく、根本的なモラルの感覚をかたちづくるものなのだ」(大江健三郎『戦後世代と憲法』)

 符牒や暗号を一度頭に叩きこまれたら、もう二度と疑うことのできない人間改造の見本のようなものである。これはまた子供はどのようにでも教育できるし、大衆の意識はどのようにでも改造できるという、現代のデマゴーグを勇気づける実例である。興味ぶかいことは、大江氏が別のエッセーで、「天皇は、小学生のぼくらにもおそれ多い、圧倒的な存在だったのだ」と戦時中の自分の姿勢を書いていることである。

 昨日まで戦争をしていた若い先生に、修身の代りに平和憲法を教えられたということを後年まず矛盾と考えるのが正常な感覚だと私は思うが、三十才になるいまに至るまで「日常生活のもっとも基本的なモラル」としてこれを信奉しているという大江健三郎氏には、《主権在民》や《戦争放棄》はモラルではなく鰯の頭、疑ってはならない護符、呪文、要するに天皇と同じように「おそれ多い圧倒的な存在」であったということでしかあるまい。

 大江さん、嘘を書くことだけはおよしなさい。私は貴方とまったく同世代だからよく分るのだが、貴方はこんなことを本気で信じていたわけではあるまい。ただそう書いておく方が都合がよいと大人になってからずるい手を覚えただけだろう。「戦後青年の旗手」とかいう世間の通年に乗せられて、新世代風の発言をしていれば、新生活、新解釈が得られるような気がしているだけである。

 大江さん、子供の時のことを素直な気持ちで思い起こして欲しい。子供の生活は観念とは関係ない。あるいは大人になって行く過程で、幼稚な観念はぬぎ棄てて行くものだ。貴方の評判のエッセー集『厳粛な綱渡り』の中から一例――「終戦直後の子供たちにとって《戦争放棄》という言葉がどのように輝かしい光をそなえた憲法の言葉だったか」。こんなことをこんな風に感じた子供があの時いたとは思えないし、今も決していないだろう。

教師は生徒の規範たれ

 民主主義は政治上の、相対的な理想であって、決して教育理念にすべきではない。私の言いたいことはそのことに尽きる。目的意識のあまりに明確な教育理念は、結果として頭のかたい、原則を立ててしか物を考えない青年たちを急造するだけである。事実そういう弊害は今日歴然と現われている。民主主義の名において民主主義のために戦いたがる青年たちが、民主主義を事実上許さない政治体制につねに従順であるのは、戦後日本の七不思議の一つである。民主主義がふたたび抑圧されはしないかとたえず警戒し、いきまいている青年たちは、間接に自分たちの自分というものが抑圧されやすいことを告白しているようなものである。そういう自主性のない青年たちを生み出して来たのは、自主性を意識的に育てようとしてきた戦後の温室教育であった。

 いま教育者にとって必要なこと、あるいは明日からでもなし得ることが一つあるように思う。教師と生徒との人格的対等といった偽善を排し、生徒と共に考えるのではなくあくまで師表となって教えるのだという自信を回復することだろう。教師は未完成な生徒にとって一つの規範であるべきだし、「権威」ですらなければならないと私は思う。規範のない所には模倣もない。規範や権威があるからこそ、ときにそれに納得し得ない自分というものに気づき、眼ざめる生徒の自主性というものであり、それがまた本当の民主主義を成り立たせる土台となるべきものだろう。

おわり

1965 年(昭和40年)『自由』7月号

非公開:私のうけた戦後教育(五)

教育におけるペシミズム

 教育が問題になるということは、あるいは教育の危機が論ぜられるということは、すでに教育が自分一人の力では手に負えない現実に直面している証拠であろう。教育がさほど問題にならない時代には、教育者はいかにして子供に知識や技術を能率的に伝授するかという方法に腐心していさえすればよかった。

 あとのことは社会が引き受けてくれる。そういう時代には教育上の特定の理想などはなくてもよい。信仰が生きている時代とは、進行を意識化、計量化する必要のない時代なのである。

 教育の問題を真剣に考える人は、かならずあるペシミズムに突き当たるはずである。「教育」とはけっして「学校教育」のことではない。学校教育は教育のごく一部分、しかもさほど本質的でない小部分を代表しているにすぎず、早い話が学校がどのように立派に完備したところでどうにもならない現実があり、教育学者、教育理論家の全部とはいわない、その大多数がこの事実に気がついていない。いや、気がついてもできるだけ影響を小さく見ようとする。さもないと学としての教育学の存在理由――理想としての教育の自律性という観念が破壊されるからだろう。

 戦前戦後をつうじ日本の教育が政治に従属し自律性を失ってきたのは、逆説的に聞こえるかもしれないが、教育がこの自律性という観念を過信してきたためである。教育の危機は日本の文化の危機である。あるいは近代文明そのものの危機にかかわりがある。教育だけで解決できる問題はなにひとつないし、教育だけが自己の能力を過大視してはならないはずだ。にもかかわらず日本の教育学者、教育理論家は、戦前だけではない。戦後の「民主教育」においても、《教育を通じて》人間を改変し、現実を動かし、危機を克服しようとする理想にのみ自己の存在理由を賭けてきた。

 彼らの言う教育の自律性とは、要するに教育万能論でしかない。そこには一片のペシミズムもなく、教育とは救済手段の別名にほかならない。しかし、現実を早急に救い、困難をたちどころに解決するような力は教育にはないし、そんな使命もない。目的実現に急な日本の教育が、現実の困難に向い合うことを避けた必然の帰結として、教育の外からの安易な理想、出来合いの政治理念を借りてきて己れの楯としたことは、蓋し当然の結果と言うべきだろう。

 「忠君愛国」の政治教育から解放された戦後の教育は、あの時期に、一切の政治原理、原則からの独立を覚悟するべきではなかったろうか。目標がなければない方がよい、それ位の意志力が必要ではなかったろうか。「主権在民」や「戦争放棄」があの時いかに切実なものであったとしても、それはあくまでも政治上の要請であって、教育上のモラルや理想になすべき性格のものではない。にもかかわらず私が受けてきた戦後の教育では、とくに昭和23~6年頃の少年期に、こうした政治用語が道徳上の価値観念として「上から」与えられてきたのであった。

 子供は国際平和に寄与するような役割を演ずることができない。従って毎日の生活に生かすにはあまりに無形で、とらえどころのない「平和」というようなモラルは、子供の感覚や思惟に一種の麻酔作用を及ぼすことになる。子供は平和と戦争との複雑な関係に思い及ぶ前に、平和を絶対善、戦争を絶対悪と単純に割り切る思惟様式に次第に馴れて行くのである。尤も子供のうちはまだいい。子供は観念に動かされない。「平和を愛する民主的な人間」は、ただただ有難い本の中の言葉、符牒か暗号のように受取る以外に手がなく、実際には運動や喧嘩の能力が切実なものとして子供の現実を支配している。

 問題なのは、他愛のない政治用語を教育上のモラルとして繰返し耳に吹込まれているうちに、成人に達するころ人間が馬鹿になってしまうことである。私はそういう人達を沢山見てきた。頭が観念的になる年頃、慣れ親しんだ政治用語がいつしか固定観念と化し、たった一つの言葉を中心に形作られるもやもやした感情を思想のように錯覚して、知能のお化けが生まれるのである。今日そういうおめでたい人はじつに多い。

1965 年(昭和40年)『自由』7月号

つづく

非公開:『皇太子さまに敢えてご忠言申し上げます』をめぐって(二)

 いただいたコメントの中でもう一つだけ面白いご文章があったのでご紹介する。苹さんは書道家で、「日録」がコメント欄を開いていた当時ユニークなご文章、国語と言語文化に敏感なご文章をたくさん寄せて下さり、私は大いに啓発されたものだった。今度も読んで面白く、ハラハラさせられる内容である。

題:見てるかな
  苹

(余談)
 「書」とは何か、と問われたら困るが、「書」の本質は何か、と問われるならどうにかなる。全体を丸ごと描き出す必要はなく、本質だけ~すなわち「書く事だ」と答えるだけでよいからだ。

  ~なぜ書くのか。「読む」または「読まれる」ために書く。つまり「書く」には「読む」が内在する。ところが一方では「読む」を度外視した書き方も成り立つ。しかしそれとて結局は「書く」本人独自の読み方で書いただけの事に過ぎず、雑駁には或る意味「他人に読めないだけ」のエニグマ(謎)とも云える。…借問しよう。作曲家が意図した通りに、我々はエルガーのエニグマ変奏曲を聴けるのかね。にもかかわらず我々は我々の仕方で曲に近付こうとする。聴き手が書き手に近付こうとする様に「スコアを読み」「演奏を聴く」。それと似通った読み方が存在する。
 
 「書く様に読む」行為と「読む様に書く」行為との循環と接近、そしてそれらの限界が「書」の本質に相当する。「書く側と読む側の一致」を仮構しても実際そうならないがゆえに、本質それ自体が両者の相反する仮構性を牽引するからだ。言い換えるなら、本質は両者にとって「中心」であらねばならない。その渦に巻き込まれた両者~「書き手」や「読み手」はどちらも本質を牽引しているのではなく、本質に牽引されている(或いは「牽引」の箇所に「所有」とか「獲得」の語を用いた場合のニュアンスを交えてもよい)。
 
 しかしこれを“「書」とは何か”の側から見れば、多分「本質らしからぬ答え」と映るだろう。そこには「手段としての巧拙」や「副産物としての滋味・風流」を「目的であるかの様に」転倒させた見方が絡む。目的と本質を取り違えるからそうなる。目的を適宜(都合や流行に応じて?)設定すれば、それに見合った優劣評価がごく当たり前の様に可能となるだろう。差詰め「ウマイ字を書いた本人が自分の字を読めない」ケースなんか、本質そっちのけで好成績という目的に満足するのではないか。
 
 そう云や教員時代の同僚に、本質を教える事にあからさまな拒否反応を示した商業科教員が居たっけ。(この件については支援板で詳しく考察する予定。)

(本題)
 今日、『WiLL』五月号を買ってきた。目当ては「日録」で知った西尾先生の「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」稿。…ウマイ事を書いている。「能力主義の行き着く果ては不毛なんです。だけどついに能力主義は皇室にまで入ってしまったんですよ、こんど」(P.32)と書いたのが十五年前。それを今回、またまた時間をかけて煮詰めている訳だ。

 先生は「雅子妃仮病説」について、「インターネットを見ているとうねりをなすような国民の裏声がそれだということを、知らない人のために申し添えておきたい」と書いている(P.37)。ここも見てるかな~(わくわく)。所謂「皇室外交」云々の話題では、「もしそれを外交官のご父君が予め教えていないのだとしたら、小和田氏の罪である」との記述も四年前に出してあったそうな(P.36)。どちらの旧稿も教育問題と密接に絡む。それを書道に見立てれば上記の通り。

 書かれたものは破棄されても、書く行為の方は「書」の本質をめぐる諸々の手段に則って書き継がれてきた。…皇室の方はどうだろうか。西尾先生は「滅びるものはどんなに守ろうとしても滅びる。滅びないものは滅びに任せても蘇生する」(P.36)と再録するが、今の時点で読むと表現の大胆さに驚かされるばかり(それだけ事態は深刻って事か)。

非公開:『皇太子さまに敢えてご忠言申し上げます』をめぐって(一)

 お知らせ

日本文化チャンネル桜
タイトル:「闘論」「倒論」「討論!2008 日本よ、今…」
テーマ :「胡錦嶹訪日と今後の日中問題」(仮題)
放送予定日:前半 4月10日(木曜日)夜8時~9時30分
        後半 4月11日(金曜日)夜8時~9時30分
パネリスト:(敬称略50音順)
     青木直人 (ジャーナリスト)
     加瀬英明 (外交評論家)
     上島嘉郎 (月刊「正論」編集長)
     西尾幹二 (評論家)
     藤井厳喜 (拓殖大学客員教授)
     宮脇淳子 (モンゴル史学者)

司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)
    鈴木邦子

4月12日(土)夜11時~12時
   GHQ「焚書」図書開封 第21回
「バターン死の行進」の直前の状況証言

 拙論『皇太子さまに敢えてご忠言申し上げます』(WiLL5月号)が3月26日に店頭に出てから、反響の大きいのに驚いている。

 手紙やメイルがたくさん届いた。私宛だけでなく、『WiLL』編集部にも手紙やメイルがいろいろ来ているらしい。「よく書いてくれた」というのが圧倒的であるのはある意味で当然である。そう思わない人はわざわざ手紙やメイルを書き送ってこないからだ。

 元民社党委員長の塚本三郎さんがいつも送って下さるプリントした世相診断のご文章の空白に、「WiLL5月号、御論お見事でした」とわざわざ一言添書きしてあったのは嬉しかった。

 私はこれからは一個人の治療の話は止めて、国家の問題にしぼって議論を深めて欲しいと提言したのがあの文章である。

 加えて二つの具体的な提言、妃殿下の主治医を複数にすべきであること、外務官僚が東宮に勤務するのは諸般の事情から慎むべきであることも述べた。

 提言はすべからく具体的であるべきものである。しかしこの程度でさえ実現されるかどうかは覚束ない。たゞこれから雑誌の扱いが座談会でお茶を濁すような逃げ腰でなくなることが起こればよいがと思っている。せめてそれくらいの変化は起こってほしい。

 そう思っていたら、昨日出た『週刊現代』(4月19日号)がずらずら15人もの書き手を並べて、「あなたの共感雅子さまか、美智子さまか」の切り口で「緊急提言ワイド」とかいう大型の特集を組んでいるのを見つけた。

 「美智子さまか、雅子さまか」の長幼の序を守らない題名に工夫ありと見たが、案の定、日本国家の問題だと書いている方は一人もおられなかった。

 私がざっと読んで納得したのは高橋紘、岩瀬達哉、八幡和郎、勝谷誠彦の4氏のご文章だった。4氏はいずれも現実を見ていて、しかも皇室の明日に危機感を抱いている。他の11氏の文章を読んでいると、成程もう天皇制度はすでにして今なくなっているのではないかと思うばかりである。

 戦争に敗れてアメリカ軍に占領された帰結が今はっきりと姿を現わしたのだと思う。60年かけて「第二の敗戦」は確実となった。

 私が見たブログの中で一番心に残った次の文章をご承諾を得たのでここに掲示する。心を打つご文章である。敗戦を免れている例文の一つである。

2008-03-27 祈りについて。

昨日は久々に雑誌『WiLL』を買った。西尾幹二氏の皇太子殿下に向けた論文が面白かったからである。ここ数年続いている東宮夫妻の問題に真正面から切り込んだよく練られた文章だった。とくにヨーロッパの各王室を日本の天皇家に対するものと考えず、日本の歴史で言うところの大名家になぞらえたのはとてもわかりやすいたとえだった。

世の中は感情に流れやすいから、今上陛下がお孫様にたまにしか会えないのはおかわいそうだとか、雅子妃をお守りしようとする皇太子殿下がけなげだとか、そういうメンタル面での意見はネットでもよく見かけられる。が、ことの本質はそんなことではなく、世界最古の王家である天皇という祭司の伝統が、平成の御世で途切れようとしているといういってみれば無形文化遺産損壊の危機なのである。つまりは現皇太子夫妻が御世を担うにはあまりにもふさわしくなという点で。

私はカトリック信者だから神道のことは詳しくないけれど(カトリックのことすら詳しくないけれど・・・)、共通するのはお清めという習慣である。カトリックでもミサの始めに、ミサを与るにふさわしくあるために、心の究明というものを行い、神様やマリア様、諸聖人や天使たちに、自分の心の罪を告白し、みずからの穢れを落とすということをする。神道でも同じである。なにせ精進潔斎がいちばんの特徴と思われるこの信仰では、神様の前にけがらわしい人間はいちゃいけないのである。だから冬の未明でも祭司たる天皇陛下は潔斎なさって、日本中の魔や悪を集め、これを封じ込める儀式みたいなのをなさるそうで、これがどんなに大変なことかは想像もつかない。近代国家の象徴という面と、大祭司の役割を両方担わなくてはならない明治以降の天皇という地位の重さを、現皇太子夫妻が認識しておられないことが大きく問題とされている。

カトリックでは、ミサの1時間前には飲食をしないことになっている。ご聖体をいただくのに、食べ物が胃に残っていてはならないからだ。これも清めの一種だと思う。それから、金曜日は小斎といって肉類を食べないことなんかも神道の菜食と似ている。日本という国は古来瑞穂の国と呼ばれ、水と空気に恵まれた土地だから、日本の神様は農耕と深く結びついている。天皇陛下は農業の守護神でもあるといえそうだ。

一般にあまり報道されないが、天皇家の祭祀というのはものすごくしょっちゅうあるようで、重い軽いの違いはあるにせよ、365日日本国民のことをお祈りくださっているということで間違いない。ここに、戦時中よく使われた「陛下の赤子」という言葉が生まれたのだろうと思う。天皇陛下が日本国民のことを全力で祈ってくださるがゆえに、国民は親を敬うように敬愛するという図式だ。そのお心の発露が、災害があったとき被災地へ駆けつけ、被災者を直接励まされるという行動へつながっていく。日本人は両陛下や皇族方の、優雅で慈悲深い笑顔に接するだけで幸福な気持ちになる。芸能人と違うところは、それが人気稼業だというためではなく、国民のことを本当に心配なさり、身を尽くしておられるというところだ。それには日常の祈りというものがなくては務まらない。

私はあまりまじめに祈らないダメクリだけれども、日常お祈りをしている方、たとえば神父様やシスターの強さというものは、本当に常人には適わないものがある。私の教会では聴罪一筋何十年というおじいちゃんの神父様がおられるが、人間そう長いこと他人の罪の告白なんて聞けたものではない。それを80過ぎの高齢で続けられるのは、完全にみずからを神の道具とみなし、信じている神のお導きのままに一人一人を拾い続けられるためだ。その神父様の不思議な雰囲気は、告解で必ず私を泣かせる。赦しというものがこれほど心に救いをもたらすのかと。その超常パワーの源は祈りである。これに尽きる。

カトリックで司祭が結婚できないのは、家庭を持つとどうしてもそちらが気がかりになり、神様へのおつとめに集中できなくなるためで、そういう意味でも天皇陛下というのは大変だなあと思う。跡継ぎを残すという仕事もその祭祀職のひとつであるからだ。家庭を作って誰に後ろ指さされることもないほど立派に営み、政治的は完全に身を退きつつ、それでいながら変な勢力に利用されないだけの知恵と機を見極める判断力を求められる。その上で祭祀長だ。どうあっても普通の育ちをしていては担える職務ではない。

ところが今の皇太子家では、この「普通」さをもっとも欲しているようで、何かというと「普通の子供と同じ体験を」とおっしゃっては電車体験、レジャー体験を繰り返しながら子育てされているらしい。皇太子殿下のアイデンティティがかなり壊れていらっしゃるのはもう誰の目から見ても明らかだ。最近の雑誌でも、テニスの試合に出られたあと皇太子さまは昼間なのにお酒を飲み始め、侍従が何度諫めてもお聞き入れにならなかったという。もう本当にこのお方じゃだめだという気持ちになってきた。だって、ミサを挙げる司祭が酒びたりだなんて聞いたことがないし、アルコールで鈍った頭では心からの祈りを捧げることなどできない。見えない穢れまでを水で清める神道にあって、お酒の抜けない体など不浄以外の何ものでもないではないか。いくらジョギングやスキーで体を鍛えたって、常人以上のお酒飲みでは本末転倒である。この殿下をお育てするため、どれほど多くの人が心を砕いたか考えられないようではだめである。心は雅子妃と娘の内親王に侵され続け、体はアルコールに蝕まれている。私も仕事を続けてきて一時期アルコールへ逃避していたい心理状態になったから、こういう飲み方をされている殿下は正常な状態とは言えないと思っている。殿下は登山していてもウイスキーを持参されると聞いたが、激しく体を動かした後にアルコールというのは、誰が聞いたってよくないに決まっている。

秋篠宮殿下の喫煙については、紀子さまが監督されているらしいけれど、殿下がテニスアフターのアルコールを昼間からやっておられる最中、雅子妃は学校の同窓会だったとか。記者会見で雅子妃を一貫して庇う方向で話される殿下は、実際夫婦間に溝はないのだろうか。小和田家に骨抜きにされていると言われているが、ご自身が皇太子であるという他に何もない男性だとするならば、妙な平等観や現代感覚を吹き込まれ、それに染まるのは簡単だ。貴族や公家という藩屏を持たず、絶対的不可侵の存在でい続けなければならない現代の皇族のもろさがここに現れているような気がする。

まあ大変なお仕事ではあるけれど、要は何が大事かということを知っていればいいんじゃないかという反面もある。妃殿下も同じように身をわきまえ、ひたすら身を尽くされること。天皇という地位は個人のものでなく、次代にひきつぐべき宝であること。国民と天皇は密接につながったファミリーであること。そういう基本が、やれ外交だの時代に即した新しい公務だのといった考えの下に忘れられている。

小さい頃私は、ミッションスクール育ちだった祖母の影響で、寝る前にお祈りする習慣があった。世界中に、餓えや病気、戦争や火事などで苦しむ人がなくなりますように、みんなが暖かい寝床でいい夢が見られますように、と単純に祈っていた。天皇陛下も、毎日、国民が幸せでいられますように、心を病んだ人や体のきかない人、貧困などで苦しんだりしませんように、と祈っておられるはずである。それを非合理だという感性の持ち主には、とても皇室はつとまらない。せいぜい個人主義能力主義の世界で勝ち抜いていってくださいと思うだけである。そんな人のことをも、天皇陛下はやはり、祈ってくださっているのだけれど。

ブログカトリックせいかつより