坦々塾報告(第九回)(一)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳

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 坦々塾の勉強会も第9回を数え、間もなく発足してから2年を迎えます。不肖私は「日録」を愛読し、投稿していた関係でご案内を頂き、初回より参加して今日に至っております。この2年弱の期間は、アッという間に過ぎたには違いないのですが、坦々塾の勉強会に参加して開かれた視野の拡がりからは、もっとずっと長い時間の壁を通り抜けてきたような気が致します。
 
 今回の勉強会は、過去8回のどの会よりも熱気に満ちていたように感じられます。いや、どの会とて、熱気に欠けたことなどはないのですが、今回は特にそれが外に向かって放射していたように思われるのです。

 西尾先生のお仕事が、多かれ少なかれその時々の勉強会に影響するのは当然のことですが、このたびは雑誌『飢餓陣営』に発表された「三島由紀夫の死と私」、同じく『WILL』に連載された「皇太子殿下へのご忠言」、そして前々回の勉強会で講義頂いた萩野貞樹先生の急逝と、大きな衝撃が相次ぎました。それらについて、「日録」にも紹介され、コメントも掲載されたので、お読みになった方も多いと思います。

 さらに、3月10日、チベットにおける僧侶・市民のささやかなデモに対する中共政府の無慈悲で血腥い弾圧のニュースは全世界を駆け巡り、五輪聖火に対する抗議の嵐を巻き起こしました。

 我が国においても、善光寺が聖火の出発地点となることを辞退する一方で、長野市内には数千本の赤旗が林立するという、かつての都内におけるメーデーでさえ滅多に見られなかったような異様な光景が現出しました。

 そのような情勢下に、胡錦濤が国賓として来日したのですから、連日「フリーチベット」を叫ぶ抗議の集会・デモが繰り返されたのは当然のことでしょう。従来は、数百人程度の集会・デモならば黙殺したであろうマスメディアも、今回ばかりは、多少控えめではあっても報道せざるを得ない状況になっていました。

 第9回の勉強会は、そんな胡錦濤が離日する10日に予定され、
①、西尾先生の「徂徠の論語解釈は抜群」
②、37年の防衛省勤務を定年退職された坦々塾メンバー小川揚司さんの「吾が国の『防衛政策』変遷と根本的な問題点 ――防衛事務官37年間の勤務を通じて痛感したこと――」
③、田久保忠衛先生の「最近の国際情勢と日本」
というテーマが決められていました。どのテーマをとっても現今の情勢の直面する課題と切り結ぶものばかりで、いやが上にも10日の勉強会は待ち望まれるところでした。

 そこに、さらに決定的な一打がもたらされました。

 西尾先生の大学時代の同クラス以来のおつきあいで、坦々塾メンバーの粕谷哲夫さんが、初めての中国旅行から帰ってきて、その報告の文章が寄せられたので、先生の「徂徠」の持ち時間を粕谷さんの中国旅行の報告に回したい、というメールが配信されたのです。

 先ずは、先生の熱い言葉をお聞き下さい。
 

私は「これだ!」と叫びました。粕谷さんの文字に驚きがあり、感動があります。是非彼の生の声で生の話を聞きたいと思いました。

 宮崎(正弘)さん、桶泉(克夫)さんという二人の中国専門家、高山(正之)さんという人間通と一緒の旅で目にし耳にするものが新しく、心が震えています。

 プラトンが「驚き」(タウマゼイン)こそ知の始まりと言った、そのような新鮮な感覚の消えぬうちに、彼が専門家ではないからこそ、彼の見聞を語らせたいのです。

 願わくば、あと5日、余計なものを読んだり、見たりしないで欲しい。感じたまゝ考えたまゝ、見聞きしたまゝを語って欲しい。

 粕谷さんの「報告」というのは、

昨夜 無事 中国・湖南省の旅から帰国することが出来ました。
強行軍でいささか疲れました。
見ると聞くとは大違いというか、今まで想像だにしなかったことを いろいろ見聞したいへん有意義でした。

と書き出し、以下A4版2枚にびっしりと感嘆の言葉が記されています。(このコピーが当日の粕谷さんの話のレジュメ代わりになりましたので、以下この文書を『レジュメ』ということにします。)

 さて、10日当日は、その粕谷さんの話から始まります。50人分に近い机と椅子が教室風に整列された部屋に、皆さん心なしかいつもより緊張した面もちで着席し、粕谷さんの話に耳を傾けました。

 始まって間もなく、早くも田久保先生がお見えになり、最前列の西尾先生と並んで以後の話をともに聞かれることとなりました。

 今回の粕谷さんの旅行は、昨年から始められた一連の中国旅行企画の第2回目で、「中国歴史・愛国主義教育基地探訪」というテーマです。4月26日に東京を発ち、上海を経て武漢に入り、翌日以後、長沙から湖南省各地を回り、5月3日長沙に戻り広州に飛び、翌4日帰国という、1週間超の旅程です。
 
 スケジュールによると、毎日4~5カ所以上を汽車や車で周遊移動し、見学するという、可なりの強行軍であったことが分かります。

 世界数十カ国以上、何百回となく海外渡航をされた粕谷さんが、中国に限って初めてというのは不思議に思っていたのですが、冷戦時代の商社の仕事は、旧共産圏については「東西貿易」という特殊な機関を通じて全く別の担当者が当たっていので、中国に限らず旧共産圏には足を踏み入れる機会がなかったとのこと。――納得。

 粕谷さんが、西尾先生の希望通り5日の間、これというものを読んだり見たりせず、帰国直後の状態を保持してきた、その思いのままを、1時間にわたって語ってくれました。その迫力を、私の筆力ではとても充分に伝えることは出来ません。
 
 粕谷さんのレジュメの躍動した表現を紹介しながら、私の感想を述べることで替えさせて頂きたい。それによっていささか陳腐な表現に陥ることになるかも知れませんが、どうぞ、お許しの程を。

 レジュメの冒頭は次のとおりです。

広州の里子取引(人身売買市場)(宮崎さんも現場を見るのははじめてと)。
文化大革命の負の遺産を捨てきれない中共の悩み。
それにしても影の薄い胡錦濤。
蒋介石と国民党は中国共産党に都合よく利用されている。

 広州は旅程の最後。その高級ホテルのロビーで公然と里子取引=人身売買が行われているとのこと。引き取り手(里親)は、中国人のみならず、欧米人も含まれているらしい。必要とあれば近くの医師が健康診断?もしてくれるようになっているという。
 
 そればかりか、それ以前の移動中にも、人骨の陳列、人骨売買・死体の取引らしきものを目撃しているというのです。
 
 そのような驚くべき中国社会の現実を、粕谷さんは、中国社会の「下半身」と呼びます。勿論、下半身があるからには上半身もある。上下両方を見る必要がある、と粕谷さんは言います。
 
 上半身だけを見て「友好」を唱える有識者・マスコミ・政治家達は大甘だ、ということです。一般論として分かり切ったことであっても、現地を見て改めて実感した上では、言うことの迫力が違います。

 世界各地を広く見聞してきた粕谷さんは、中国の下半身についても相対化してみることが出来ます。
 
 例えば、中国のトイレは、汚いことは汚いが、インドネシヤはジャカルタの中心部においてさえ、高いところから海にウンコを落としているのとどっちが汚いのか、と言います。
 
 一方、インドの汚さも、衛生的な不潔の意味では中国と変わらないが、ただ、宗教的な穢れ(けがれ)を嫌うという規範があるが、中国の汚さは、衛生的に汚いことは勿論、宗教的・道徳的な規制を全く欠いた汚さだ、ということです。

 武漢の街が本当に汚いとも、嘆いています。

 再び、レジュメの一部を引用します。

人口の都市集中は 休耕田を増やしている、意外に多い休耕田。
車窓から見る武漢⇒長沙の田園風景は唐詩の情感を誘う。
毒餃子事件は中国製品輸出拡大阻止を企てる外国製造業者の妨害行為という庶民認識。
紅衛兵は毛沢東をどう見ていたか、四人組逮捕直後の紅衛兵たちの歓喜⇒市中の酒・爆竹はオール売り切れになった。
紅衛兵の熱狂狂乱とその後の冷却、そして4人組み逮捕時の興奮は、チベット/オリンピックの愛国熱狂も同じパターンならん。
紅衛兵の破壊活動はタリバンと酷似、紅衛兵は交通費タダ・食事宿泊タダ。

 中国の高速道路は立派なもの。その建設投資は海外の華僑富豪の手によっているが、決して愛国的意識で投資しているわけではない。手数料収入で30年回収ということになっているが、実際はもっと短期回収のカラクリがあるという。ちゃっかりカントリーリスクを計算しているわけです。日本人の投資とは全く違う。(台湾人の場合はどうなのだろうか。――筆者の疑問。)

 粕谷さんは、フライング・タイガーズに関する展示に特別に関心を寄せられたようです。
 
 フライング・タイガーズとは、蒋介石軍の一翼として、米国の退役軍人シェンノート将軍(支那名:陳納徳)のもと、米国製戦闘機カーチスP-40(この戦闘機の通称がフライング・タイガー)数百機で編成された空軍部隊(飛虎隊)。義勇軍ということになっているが、歩兵部隊ならいざ知らず、戦闘機百機単位の部隊が米政府の支持・承認なしに派遣できるわけがない。昭和16年4月(つまり日本の対米宣戦布告の半年前。)には、ルーズベルトが秘密裏に調印していたという。
 
 粕谷さんは、戦時中・少年の頃、P-40のことなどよく知っていた、と半ば懐かしそうに語っておられたが(緒戦の頃は、日本の零戦の方が強かったようだ。)、内心、沸々たる怒りをたぎらせていたに違いない。
 
 「真珠湾攻撃を不意打ちだのといって非難するが、これは国際法の中立義務に対する公然たる侵犯である。」
 
 米中の、このような卑劣さは一部で指摘されては来たのだが、それが「抗日戦争」の一環として堂々と展示されているとすれば、その厚顔さに呆れるよりは、日本人を舐めきっているそのことに、怒りを新たにしなければならない。

 さて、話は尽きませんが、レジュメのうち、2~3を引用してこの辺で筆者の報告を締めさせて頂きます。
 
 粕谷さんの、その人柄を通じて、このたびの体験が、きっと多くの日本人に影響を与え、拡げていくことを期待し、また確信しています。

チベットと新疆で中国政府はどうすればいいのか分からず困っている模様。
反日・抗日宣伝には 蒋介石・国民党を肯定することなくしてはありえない中国共産党の矛盾。
中国共産党員には簡単にはなれない⇒大紀元の党員脱党の過剰な報道はウソ・・・・・共産党員の特権をすてるはずがない。

 なお、このたびの旅行には、坦々塾メンバーの鵜野幸一郎さんも参加しており、その感想を述べています。その要点は、――
 ① 世界は悪意に満ちている。特に米中共同。(例:フライング・タイガーズ)
 ② 裏社会と表社会の連続体。net社会に対するウィルスばらまきの脅威。
 ③ 裕福な中国人が、自国を嫌って海外にますます出てゆこうとしている。

[追記]
 坦々塾の翌々日(一二日)、中国四川省でマグニチュード7.8大地震が発生。
 地図でみると、湖南省長沙と四川省成都とは直線距離で800キロはありますから、粕谷さんの行かれたところには被害は及んでいないでしょうが、被害の規模は見当がつきません。
 犠牲者にはご冥福を祈念し、被害者にはお見舞いを申し上げます。
 この大地震が、中国情勢をさらに複雑なものにすることは、疑いありません。

つづく

文:等々力孝一

天下大乱が近づいている(六)

 戦前から戦後にかけてアメリカとイギリスがユーラシア大陸を包囲して支配するという世界戦略がつづいていた。しかしアメリカのイラク戦争の失敗と金融不安の醸成によって、一極集中の大陸包囲政策は次第に難しくなりつつある。ユーラシア大陸は大ざっぱにいって、EUとロシアと中国という地元の大国が中心になって安定維持や紛争解決を図るという、多極化された覇権体制に移っていくだろう。その結果、長い間大陸包囲網の東の要衝にあった日本もその役割を解かれるというきわめて厄介な事態になりつつあるのである。

 「カオスが近づいている」と私が言ったのはこの意味である。大統領選の結果にもよるが、アメリカの対外不干渉主義、いいかえれば寛容主義の方向が大きな流れであることは変わらないだろう。北朝鮮問題へのアメリカの無責任はこの最初の現われである。日米同盟は新たな危機に直面しているとみていい。

 分かり易くいえば、世界は第二次大戦前の情勢に戻りつつあるのである。戦後わが国がアメリカを頼りにして中国やロシアを仮想敵にしていた政策はとても安定していて、気が楽だった。しかしこれからは中国だけでなく、アメリカも油断がならないのである。私が言いたいのはそのことである。60年間忘れていた、すべての国がどこも平等に自分の対決相手、格闘相手だという認識の復活が今ほど求められているときはない。

(「修親」2008.5月号より)

おわり

天下大乱が近づいている(五)

 中国に反発するのはいい。しかしそれだけでは不十分である。中国がなぜここへきて図に乗っているかは経済上昇であり、経済上昇を可能にしたのはアメリカの製造業の没落であり、ベルリンの壁の崩壊以後の西側における手放しの自由経済の行き過ぎ、自己規律の喪失が引き起こしたドル札の濫発である。

 アメリカは外国から商品を輸入し、カネが不足したらまた札を増刷して輸入するというあまりにおいしすぎる基軸通貨国特権に甘えすぎでいた。ソ連の崩壊によって、マルクス主義国家の計画経済という好敵手を失ったがために自分一国の「自由」に溺れた結果だ(小泉政権の「改革」はそのまねである)。

 過剰発行されたドルは世界であふれかえり、中国やインドはそのカネで経済成長をとげたが、中国からアメリカへ輸出する企業の多くはアメリカの企業であって、国内製造業がもう成り立たないアメリカは三十分の一の労働コストで生産できる中国へ工場を移転して、自らはカネがカネを増殖する金融資本主義に走った。その揚句、サブプライムローン問題というアメリカ発の明らかな「金融詐欺」事件を引き起こし、ドルの基軸通貨体制さえ自ら危うくしているのが今の段階である。

 この儘いけば当然ながら中国の輸出産業も成り立たなくなるので上海株は暴落しているが、中国はアメリカから独立して経済上昇しつづける可能性が果たしてどこまであるのか、アメリカも中国の労働力への魅力を捨てきれる自信を有しているのか、2008年前半は両国が丁度その瀬戸際に立たされている局面にあるといっていい。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

天下大乱が近づいている(四)

 毒入り餃子事件で、責任は日本側にあるというようなあからさまに挑戦的な中国官憲のもの言いに対して、わが国政府は警察に任せて、自らはひと言の抵抗のことばも述べないでいる。中国からの輸入製品の同様な不始末に対し、アメリカはただちに輸入禁止措置をとった。中国はこれに応じ食品関連の高官を汚職を理由に処刑してみせるという恐るべきパフォーマンスを以ってした。

 日本政府は食品検査体制を強化するという、例によって自分の内側で問題を解決する措置しかとれない。中国は当然ながらいっさいを黙殺する。それどころか中国の食品を侮辱した罪で日本側に補償を求めるという度外れた再挑戦の言辞すらもてあそぶ始末である。

 日本政府のとるべき唯一の方策は、輸入食品の品不足からくる混乱をあえて承知で、大幅な禁輸措置に踏み切ることだった。そのほうが外交的にも中国政府を安心させるという情勢判断がなぜできないのだろう。食品への農薬混入は中国社会では日常茶飯事で、根絶不可能なことは中国政府もよく知っている。昼のランチで腹痛を起こしては午後休職する労働者が少しも珍しくない社会だそうである。農業や殺虫剤の混入を科学的に分析して大騒ぎしてみせた日本側の対応は、日本の市民教育にはなったが、「敵」の正体を知らぬ行為と言うほかない。輸入禁止措置の即決だけがあの国に対する唯一の合理的で、無用な摩擦を引き起こさずに報復を封じる外交政策であった。

 餃子事件に対する日本政府の対応の手ぬるさと見当外れは、東シナ海の領土侵犯の日本側の敗北を不気味に予感させている。チベットの血の弾圧、台湾の国民党の勝利、北京オリンピック・ボイコット運動の予想される終熄(まだ分からないが)は、東アジアの中国の勢威拡大、日本押え込みの第二階程である。第一階程は首相の靖国参拝と歴史教科書の敗北にあった。だから日本の言論オピニオン誌がいっせいに反中国の論調を掲げ、中国の脅威に警鐘を鳴らしているのは当然と思うかもしれないが、私にいわせればこれが「敵」の正体の見えていない言論人の見識の無さである。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

天下大乱が近づいている(三)

 戦争中の日本軍人の高潔な人格を描いた映画『明日への遺言』(小泉尭史監督)がいま評判である。B級戦犯岡田資中将が法廷で部下の責任を全部ひとりで背負って決然と死刑台の露と消えた実話を基にしたあの映画は、たしかに感動的だったが、ようやく日本映画もここまで来たと喜んではいけない。ここでも「敵」は描かれていないのである。

 アメリカという理不尽な敵、許し難い敵の存在、そして日本の戦争の動機の善、あの時代の日本の「正義」などは、描かれていないのだ。描かれているのは部下の罪過を背負って死んだ一将軍の個人的に傑出した勇気と高貴さである。外国人にも通じるヒューマニティの高さである。自己犠牲の美しさという戦後社会にも開かれた一般道徳である。大東亜戦争の歴史の是非は問われていない。

 だからこの映画はつまらぬと言うのではなく、これはこれでいいのだが、「敵」を見ていない点に限界がある。

 これに対し同じ時期に完成した「南京の真実」第一部の『七人の死刑囚』(水島総監督)は、戦後社会とみじんも和解していない。旧敵国人の多くが拒否感情を抱くに相違ない描き方で、あの戦争の日本人の「正義」を正面から掲げている。あの時代の敵は今も「敵」なのである。そういうメッセージが伝わってくる。岡田中将のような分かり易い人間のドラマ的展開をあえて封印して、七人のA級戦犯の辞世の歌に忠実に、処刑の時間までを緻密に、リアルに描いた『七人の死刑囚』は、自己犠牲の美しさとか個人のヒューマニズムといった一般道徳の次元に逃げていない。法廷の場に日米和解の感情が流れるように描かれている『明日への遺言』と違って、和解などあり得なかったあの戦争の敵の実在、運命そのものを正面から見据えている。

 一般興行用にはどちらが向いているかは分からないが、今われわれに必要なのは歴史を甦らせるこの視点である。カオスが再び近づいている今のわれわれの時局において、60年間忘れられていた「敵」と直面し、これと闘い、解決する知性と意思と情熱のいま一度の復活が求められている。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

天下大乱が近づいている(二)

 自己反省が全てに先立って優先されるのである。日本人は自分の心の中だけを覗いて、そこで解決しようとする余り、外にある克服すべき本来の原因を見ようとしないのだ。講和条約が結ばれて旧敵国にもう請求ができないのなら、戦争被害の補償は他の何処にももう求められないと考えるべきである。自国政府が補償してくれるとしたら、それは例外中の例外の政治補償にすぎない。

 ところが自国政府が補償してくれたとなると、戦争を引き起こした原因もいつの間にか自国政府にあると考えるようになって、敵国を忘れるというひっくり返った論理、原因と結果のとり違えが始まるに至る。

 自己反省の度が過ぎて、自分の内部に敵を見出そうとする余り、外部の敵を見失う。それがどうにもならない戦後日本人の業ともいうべき「病い」であることをあらためてはっきり見据えたい。東京大空襲や原爆の補償を講和締結の後にはもはやアメリカに望むことができないのだとしたら、よしんば今はできないとしても、百年後にそれに見合う報復をしようとなぜ日本人は考えないのか。

 日露戦争の敗北の屈辱を忘れないからロシア人は北方領土の占領をやめようとしない。イギリス人はロンドンに打ちこまれたドイツの初期弾道ミサイルV2号を今でも決して許していないそうだ。日本人が戦争が終わって三年も経たぬうちに旧敵国への敵意を失い、親米的になった姿を見て、イギリス人やロシア人はじつに不思議な現象だと首を傾げてきたと聞く。

 カオスがまた再び近づいているのに、カオスから国民を守る政治の機能が麻痺していると私が不安を抱くのは、日本人に特有のこの淡白さ、自我の弱さのゆえである。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

天下大乱が近づいている(一)

 身辺にさして格別のことも起こらない凡々たる生活をおくっているが、ときどき説明のできない不安が押し寄せてギクリとすることがある。敏感になっているのは私ひとりではないように思う。

 昨日偶然に会った友に私は言った。
 「カオスが近づいていますね」
 「そうですね。私もそうだと思います」と彼は応じた。詳しく語らないでも、こちらの言わんとする処を近い友人は分かっているのである。

 カオスとは混沌ということである。天下大乱、無秩序ということである。

 金融の不安、食材の不安、年金の不安、教育の不安、救急医療の不安、物価上昇の不安・・・・・・・そしてそれらいっさいを守ってくれるはずの政治の機能麻痺の不安がなかでも一番大きい。

 日本人は反省好きの国民といわれるが、たしかにそうで、反省ばかりして、自分の外にいる敵の正体を正確に見て、それと闘うことから問題を解決していくという具体的で、手堅い精神に乏しい。政治が頼りなく不安なのはどうやらそのせいである。

 昭和20年3月の東京大空襲を訴える訴訟団が結成されたと聞いて、日本人もようやくそこまで自覚を深めるようになったかと私は喜んだが、すぐ吃驚(びっくり)した。訴訟の相手は日本政府だというのだ。アメリカ政府を訴えるのではないのである。何という倒錯だろう。

 原爆症の補償も日本政府が支払っているようだが、よく考えればおかしな話である。講和条約が結ばれた後では旧敵国政府に戦災の補償を要求できないのは当然である。だから自国政府に求めざるを得ない、という話ではおそらくない。原爆を落としたのはたしかにアメリカだが、それを誘発したのは日本で、だから日本政府に責任があるという奇妙にして不可解な論理が罷り通っていることをわれわれは知っている。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

お知らせ

 昨9日の「路の会」5月例会のゲストはぺマ・ギャルポさんで、チベット情勢を詳しくうかがいました。チベットの歴史、清朝の侵略、英国の干渉、戦前における日本人の国家建設への協力など。ダライラマ法王の選出の仕組みには聞き耳を立てました。

 本10日は「坦々塾」で、メンバーの二人のお話のあと、私も少し話し、ゲストは田久保忠衛さん。国際情勢の激変する中での日本外交のお話をうかゞいます。これから会合へ向かいますので、時間がなく、ダライラマ法王のこともチベットのことも今詳しく書けません。

 今夜23時から、文化チャンネル桜で私の「GHQ『焚書』図書開封」の第22回「大川周明『米英東亜侵略史』を読む」があります。お知らせします。

 徳間書店からの出版予定『GHQ「焚書」図書開封』はかねて4月刊と予告していましたが、新事実の発見が相次ぎ、改筆加筆が大幅に生じ、作業が遅れていますが、6月前半刊行と決定しました。現在作業は96パーセント完了しています。近く発見の方向について、あらためて報告します。

管理人注:このエントリーは私の手違いにより、一日遅くアップされました。そのため、内容に日にちの誤差があり、チャンネル桜のお知らせが間に合いませんでした。申し訳ありませんでした。

非公開:「皇太子へのご忠言」続篇(一)

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西尾幹二先生

「WiLL」の第二弾は、第一弾にも増した感銘を覚えながら拝読しました。
前号では衝撃が読者の心を捉えたと思いますが、今号は国難に瀕する「覚悟」が読者をゆるがせたに違いありません。
皇室が信仰に根ざす故に、不合理であるという根本を鋭く指摘されており、小生がかねてより考えていた皇室感とも全く一致します。それが、いつもながら先生の論旨の明確さに支えられて展開するので、痛快ですらあります。
不合理だからこそ美しい歴史として国民の尊崇の対象となるのです。

しかしながら、いかに先生の本稿が素晴らしくても、肝心の皇太子夫妻の耳に声が届くのかどうか、それが問題なのです。
皇太子本人が決定すべき事項が余りにも多く、それをペンディング、若しくは放棄しているのですから残念ながら解決の糸口は絶望的だともいえます。誰も皇太子夫妻に直接諫言できる側近がいないまま時間が過ぎ、天皇・皇后は無念を抱いたまま加齢されてゆきます。

西尾先生の二回にわたる論文を皇太子夫妻が心を開いて読んでくれることを祈るばかりです。
とにもかくにも小生は、先生の本稿がこれまでの凡百の皇室特集を粉砕して余りある内容だと思いました。
皇室問題には一歩距離をおかれてきた西尾先生が、ここへきて直言を書かれたことの意義は大きく、一人でも多くの読者に読んで欲しいと念願してやみません。

取り急ぎ愚考まで。

加藤康男

拝復

 肝腎なことが起こると貴方が必ずお手紙をくださるのがありがたく、いつも貴方がどう考えてくれるのかなと思いながら書くことも多いのです。雑誌はまたバカ売れしたようで、二度増刷したそうです。増刷分だけで5万部だと昨日会社の人が自慢していましたが、妻子を殺された人の手記も大きかったのでしょう。花田さんは根っからの編集者魂の人なのですね。

 雑誌はそんなにたくさんの人に読まれても、私に感想を書いて下さったのは貴方おひとりでした。友人たちはいつも誰も何も言わないのです。それだけに貴方のメールを嬉しく存じました。

 仰せの通り、現実はそんなに大きく動きません。当事者が読んで心を入れ換えるなんてあり得ませんから、結びの一文に書いたように、もうすべてが遅すぎるのかもしれません。

 ただせめて一つでも変わることがあるとすれば、例えば『文藝春秋』が座談会でお茶をにごし問題を先送りするような、姑息な編集方針を改めるようになることです。

 言論で何を訴えても変化は小さいものです。ものを書くということは非能率で、空虚な作業だと思うことは常々ですが、せめてものを書く人間だけでも「責任」ということをもっと考えてくれればと思います。編集者が官僚化してはおしまいです。

 それから、よほど過激な左の人でない限り、いまはみな天皇制度の擁護の立場に立った上であれこれ言って、現状を守ろうとしますね。今後私に反論の文を寄せる人が出てきたら必ずそういう書き方になります。

 最初のページに私が「天皇制度を擁護している知識人の論文の中にこそ、本当に信じていない人間に特有の利口な無関心が顔を覗かせている」と書いておきましたが、大部分こういう人ばかりです。

 そして大切なのは、私も「利口な無関心」に半身を入れているのですよ、と私が言っていることであって、この点に気がついてもらわないと本当のことは分らないのです。

 皇室問題は信仰だということ、信仰だから半分は信じられないのだということ、そして神話への信仰が基本だということ、神話はつくり話だと思っていますかいませんか、と皆さんに問い質したのがあの論文です。

 加藤さん、貴方はちゃんと見抜いて下さいましたね。不合理ゆえに美しい、という貴方の言葉に置き換えてこのことを述べて下さいましたが、このことが分る人は少いのです。

 大概の人は自分の観念に安住するからです。皇室問題に関する私の定まった観念はありません。私は自分が信じられるのか信じられないのか、そのことを自分の心に問い掛けているだけです。

 そして、それは皇室問題だけでなく、すべてのものを書く行為の基本ではないでしょうか。

 自分が簡単に信じられることは書いても仕方がないのです。先々どうなるか分らないこと、よく見えない未来を見えるようにすること、つまりそのつど賭けること――それは信じられるか信じられないか分らないことに挑戦するということと同じ態度です。

 誰しもが分っていること、みんなが信じている「観念」に乗ってものを言うのはもっとも価値のない行動です。

 ですから、私は福田内閣批判をしきりに書く人の気持が分りません。国民の100人のうち99人は福田はダメだと分っています。言論人はこんな安易なテーマを捨てるべきです。

 言論人は群衆の一人になってはいけないのです。

 私は安倍晋三氏が保守言論界の宿望を担って登場し、首相にならんとしたときに、この人はダメだと書きました。政治が分っていない人、性根の据わっていない人と見抜いたからです。

 しかしあんな形で内閣をほうり出すということまでは予想がついていたわけではありません。たゞ私は自分が信じられない、と書いただけで、固定したどんな「観念」も私は持っていません。信じられないのを自分の心に問うただけです。

 福田康夫氏は最初から言論人の誰にとってもダメな人とお見通しでした。であれば、今さら彼について論を張るどんな意味があるのでしょう。

 皇室問題も基本は同じだと思います。私は信じ、そして信じていないのです。だからこそ強く信じることができるのです。不合理だから美しいという貴方のことばを大切にしたいと思います。

 近くまた一杯やりましょうね。鰹のうまい季節がきました。あれの旬のときは酒もうまいのです。

                              西尾幹二

非公開:『三島由紀夫の死と私』をめぐって(五)

謹啓 

 『飢餓陣営』の論文拝読しました。日録に感想を寄せた方々と同じ思いです。先生の『ヨーロッパ像の転換』の本の帯に三島氏の言葉があったと記憶します。「これは日本人による『ペルシャ人の手紙』である。……我々は一人の思想家を見出した。」という内容だったと思います。それで三島氏は早くから先生に対して相当の評価をなさっているのだと思っていました。

 あの事件の翌日、三島氏の本を買うために店頭に多くの人が並ぶニュースを見ました。当時先生が書かれた論文を読んでも十代の私には理解不能だったはずなので、今回の連載は大変有難い気持ちです。難しいので何度も読みました。

 三島氏の二元論、政治と行動などの問題についてこれ程精密な文章を私は初めて読みました。読んだ後は切ない気持ちになりました。まるで何度も聴きたくなる交響曲のようでした。近頃思うのですが、自分たちの靖国神社のことを外人に教えてもらう必要は全くないし、映画『明日への遺言』も上司の鏡だという似たような感想ばかり目につくので、かえって観る気が失せてしまいました。

 本当のことや肝腎なことは何も語られない社会。我々は、他人の服を着ている様な居心地の悪さを感じつつ、そこに安住することなく、両眼をカッと見開いて、絶えず過去を振り返りながら真の自己に突き当たる瞬間を求めて、未来に向かって走り続けなければならないのでしょうか。背筋の伸びる論文でありました。小さくかつ乱筆お許し下さい。
                                敬具
平成20年4月12日

 私信でしたが、私にはありがたく、しかもいい内容のご文章でしたので、取り上げさせてもらいました。女性の方からです。講演会でお目にかゝったことがあり、お名前は存じていますが、住所が書かれてありません。掲載は困るという場合には、その旨至急ご一報ください。消去します。