宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(五)

● 中国は何を反日ですり替えようとしたのか?(1) 宮崎正弘

 さて中国は反日で何をすり替えようとしたか?

 申し上げて参りましたように、社会不安、農民暴動、ストライキ、炭坑暴動、失業対策の無策・・・・結局今民衆が一番敵視しているのは、中国共産党であって、亡命知識人達が指摘したように、一般の民衆にとって、日本なんかなんの関係もないということです。

 もう一つは、日本で伝わっておりませんけれど、今共産党員の大量脱党事件っていいますか、100万人くらい脱党したんです。ニューヨーク、ロサンゼルス、その他では、共産党批判の集会が開かれてデモが開かれている。

 非常に静かな、平和的な集会やデモであったりするもんですから、日本の新聞は殆ど書いておりません。共産党の党員の減少というものは、危機に直面しているという問題がございます。

 また農村対策の遅れ、貧困地域のそのままの遅れ、都市戸籍の問題その他あるんですが、特に農民は過去2、3年間所得が減っているんです。出稼ぎに行って、都会部で働くわけですが、戸籍の問題があって、月に例えば千円くれるという約束があって行っても、あんたは田舎の戸籍だから、賃金は半分だとか、スシ詰めの部屋に入れられて、場合によって頻繁に給与の不払い、それから現場監督が給料の持ち逃げをやるんですね。それで、我慢できなくなって暴動がおきる、というような問題があります。

 もう一つの深刻な問題は、開発に対する弊害。たとえば三峡ダムで立ち退いた農民が公式的には117万人と言われていますけれど、事実上は83万から85万立ち退いた。多くは職もなければ移転した先に家も建てられないという人がたくさんいる。

 そのうち20万人くらい流れこんだのが、重慶の中の万州区で、ここへ流れこんで、スラム化をしているのです。そして、昨年の10月18日に、この重慶で5万人の暴動が起きています。3人くらい死んでいるんです。これは三峡ダムの強制立ち退きに付随した問題です。

 昨年10月26日、四川省漢源県で、共産党始まって以来の15万人の暴動がございました。

 理由はあそこにダムを作っておりまして、ダムの立ち退きを要求されている農民が、おおよそ13万人、補償金が1平米あたり日本円で数十円。これは死ぬか生きるかの問題で、それで農民達が立ち上がって、地方幹部に抗議をしたところ、軍隊が導入されたのです。ワシントンポストだったと思いますが、6人から8人死んでいると報道されました。その後、この場所は戒厳令がひかれておりますので、その後様子は全くわかっていません。

 こういうことは、しょっちゅう起きている。外国には詳しく伝わっていないのですが、たまたまデモの参加者が、携帯電話なんか持っていると、他の地域に電話をするもんですから、それで情報が香港とか、他へ流れて出て、外国にある反共産主義的な自由派の新聞がそれを書く。ニューヨークタイムズにはその他の中国の人が知らせますので、英字新聞がほぼ同時に伝えていく、というような状況があります。

 環境問題でもデモが起きています。北京の反日デモのその日に折江省の東陽で、ここは4年前に、近郊に工業団地を開いた。化学工場、染物工場、製薬、化学肥料、農薬などの工場が廃液を全部垂れ流して操業しておりまして、たとえば、妊婦が奇形児を産むとか、原因不明の病気になるとか、癌の発生率が異常に高いとかいうような状況になっています。

 それで、近くの農民が自警団を組織して、原料を搬入するトラックをストップさせるというようなところから、騒ぎが発展しました。農民が封鎖線をはっているというので、警官隊が3千人導入されてやはり2、3人死んでいます。最後は5万人の暴動になって、戒厳令が引かれて、その後のことが今は分っていません。

 とにかくあっちこっちで、反日デモなんてああいうやさしい、石を投げるくらいじゃなくて、本当の農民一揆を越したような状況が進展しているのです。そういうところを共産党の指導者はみんな知っている。

 この矛盾をすり替えるのは、反日でやってきたわけですが、いよいよ「反日」でもすり替えが効かなくなってきた。

宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(四)

● 反日デモはいかに演出されたか(2)  宮崎正弘

 次に3月下旬に、共産党は各大学、職場にオルグを.派遣して、反日デモへの参加要請をしております。要するに当局が動員指示を出していたのです。

 たとえば上海の例ですが、集合場所は「人民英雄記念碑前」と「人民広場」に集合しなさい、集合時間午前8時その他、と書いてあるんですね。コースは南京路へ向い、人民広場で合流し、延安路から日本領事館へとなっています。

 延安路というのは、日本でいう昭和通りみたいに、クルマ専用道路なんですね、ほとんど人通りがない。

 周りにデパートも何にもない道です。本当は平行して走っている上海の銀座に匹敵する盛り場もある。そこには多国籍企業が山のようにあって、ここで暴動を起されると困る。その先には江沢民の豪邸がある。

 これを非常に巧妙に迂回させて、それで日本領事館に向っていくというコースの演出があるのです。

 それから、注意事項が書いてありまして、まず「飲料水など各自が用意すること、日本製品は携帯しないこと、貴重品も持参しないこと、排便をすませておくこと、そして、日本製のデジカメ、携帯、パソコン、ラジカセ、ウォークマンなどは誤解を与えてはいけないので携帯をするな、それから出席をとるので、筆記用具を持参しなさい。領事館前では投石はいけない、小泉のポスターや国旗を焼くために、ライターなどを持参しなさい。シュプレヒコールは「日本製品を買うな」「歴史教科書改竄抗議」「日本製品排斥、国産品愛用」「日本の国連常任理事国参加反対」「魚釣島を取戻そう」など決まっているんです。これ以上のことは言うなという意味です。

 さらに細心の注意事項が追加で添付されておりまして、先ず一番「日本の右翼を刺戟するような破壊活動を慎みなさい」「付近の日本商店やレストランに投石するな」三番目「国旗を焼くときは自分の衣服に燃え移らないように気をつけよう」「警備の警察の指示にしたがいなさい」「上海の国際都市のイメージを保持するため、リーダーの指示に従って整然とデモ行進をしなさい」「以上を踏まえて広く友人に参加を呼びかけてください」というような指示書が書いてある。

 これらを見てまいりますと、どうも直前の4月9日に起きた広東省深センで起きたデモは武装警官が、まさに便衣隊の伝統がありますように、かれらが市民に化けてデモをやっていた。

 すると、上海もどうも最初のデモを組織して、最初の行進あたりまでは、相当公安が市民に扮装して入っていて、途中から携帯電話で入ってきたので、ややこしいことになったんだろうと思うのです。携帯電話の呼びかけは「今日は、石を投げてもいいみたい」とか、そういうことで、集まっているんですね。

 4月10日、広州の領事館(花園ホテルのなかにある)や付近の日本料亭が襲撃を受けた。

 深センでは「ジャスコ」が投石被害が出ておりますけれど、ここで蘇州に広がっているんですね。

 蘇州は日本企業と台湾企業が集まっているところですが、しかも蘇州といえば、これは江蘇省ですから胡錦濤にとっても非常にまずいのですが、この辺から反日が本格的になってきた。

 北京の場合はかなり、上海と比べるとかなり整然としていたんですね。勿論暴力行為はありましたけれど、大使館前にはレンガがいつの間にか積み上げられて、生卵がケースで用意されて、帰りのバスも用意されて、ただこれは相当の失業者が北京では加わっているというようなことが、大体確認されております。上海の場合は今申し上げたとおりで、同じ日に反日感情の薄いとされた広州、天津でもあったというところは気になるところです。

 4月17日には瀋陽、寧波、長沙、アモイ、と広がっていった。

 アモイでのデモを友人に確認したところ、やはり1万人くらいが参加して、自動車を二台燃やしたということです。

 東莞ですが、これは日本企業が二社、ストライキに遭遇しております。それから広州、珠海、南寧(江西省チワン自治区ですが)。どうして南寧にまで広がったのかわかりませんが、香港でも5千人のデモがあって、この時に町村外務大臣が北京にとんで、「日中外相会談」を開きました。

 その時、李肇星外務大臣が「日本側に責任がある。だから謝罪しない」ということを言明して、一方では町村外務大臣が謝罪をしたという一方的な報道を中国はしました。

 これは中国が勝ったイメージを捏造して、しかも当日愛国ネット指導者らは「ゴルフ・リゾートホテル」に招待されている。これは、まあ隔離をしたのだろうとは思われますけれども。

 翌日から今度は外国メディアの中国批判が激化します。

 そこで中国は柔軟路線に突如転換して、大使館修理の修理を申出たり、上海当局は賠償するなどと言ってみたり、今度は犯人逮捕に踏み切るんですね。上海では20数人から40人くらい逮捕したなんて、言っておりますけれど、逮捕の現場の写真が出ませんので、公で逮捕した、したと言っているだけの可能性もあります。

宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(三)

● 携帯電話は「プロメテゥス」になるのか  宮崎正弘

  携帯電話の脅威について、申し上げたいと思います。こんどよく言われましたのはインターネットが武器になったと。インターネットで動員されてですね、それであれだけ若者が集まったと言っておりますが、今のインターネットは完全に中国国家公安部中共版KGBの統制下にあります。毎日モニターしている人が大体3万6千人、24時間モニターしている。

  それから、インターネットカフェですけれど、これは営業許可を取らないと、営業できないのです。

  許可が取れないところは閉鎖されます。そこを国有企業といいますか、とにかく国のお墨付きを持った人たちがやっている。まだ特徴的なことは、インターネットカフェには防犯カメラが備えつけられておりまして、一日に二回、公安が検査に来る。経営者はいろいろな誓約書を出さなくてはならないし、もうひとつは外国にアクセスすると必ず罰則規定があるのです。ですからインターネット時代に、海外にアクセスが出来ないインターネットなんていうのは、これはLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)でありまして、インターネットとは言えない。

  アメリカの専門家は「中国のネット検閲というのは、今やおそらく世界一の技術であろう」とへんなお墨付きを与えている。

  これは勝手な書き込みは出来るし、秘密の内容の文章はさっと削る能力がある。たとえば反政府的な意見を書き込めば一秒か、二秒のうちに消されてしまうのです。そういう意味で世界最大の検閲をインターネットでやっているということがいえます。そうしますと、これは自発的な学生の意見とかいうのは、非常にクェスチョンマークです。

  やはり自分達の気に入った意見じゃなくて、もっと言えば、公安当局が書き込みをやっているんじゃないかというふうにも思われるんですね。

  携帯電話こそが中国共産党にとって脅威です。

  携帯はもちろん盗聴しておりますけれど、今盗聴が出来ない携帯があるんです。しかも普及が3億3千万台。いったい、どうやってモニターするかというと、アメリカのようにNSA(国家安全局)があって、キーワードを選んで、モニターする。

  中国にはそういう装備はございませんので、どうやら、携帯電話というのは、制御不能の状況になっている。

  4月10日、北京の反日デモの翌日ですが、北京で退役軍人のデモがあって、参加しているのは1000人と言われている。

  同じ日に、折江省で農民暴動が起きて、参加したのは5万人です。炭坑ストはしょっちゅうですが、ほかには麻薬ルートで犯罪者達が携帯電話を使っているのです。それから脱北支援組織も携帯電話を使っている。数年前、中南海で、突如2万人座り込みをしたのは「法輪功」でした。やはり携帯電話を使っていたらしい。こういう風に見てまいりますと、インターネットは制御できるけれども、携帯電話は次の段階では火之神「プロメテウス」になり得るのではないか。

● 反日デモはいかにして演出されたか(1)

  さて反日デモが如何に演出されたかという観点から、経過を振り返ってみたいと思います。

  昨年の「反日サッカー」以来、表面的には反日感情というのは沈静化していたんですが、完全に消えていたわけではありませんでした。

  3月21日に、アナン国連事務総長が日本の常任理事国入りを歓迎するという発言がありました。そして日本の教科書検定があり、扶桑社の教科書が合格するということがあり、そういうところから、書き込みが急増している。反対署名を呼びかけたところ、2200万人とか、3000万人とか集まってきたとか。書き込みの中には、日本にそんな資格はないとか、日本が常任理事国になれば、必ず第三次世界大戦が起るとか、こういう乱暴な意見が並んでいます。

  それで、いくつも愛国ネットはあるんですけれど、一番大きいのは「中国民間保釣連合会」、これは尖閣諸島に上陸した過激派です。もう一つの大手は「愛国者同盟網」で、これは去年、日本の新幹線導入反対で、相当騒ぎました。他にも「中国918愛国ネット」とかなんだかんだと、たくさんありますけれど、これを当局との阿吽の呼吸の下に対日批判をずっと広げてきたということが言えるのです。そして、3月24日になりますと、「国際先駆導報」という、これは共産党の機関紙ですね、内部情報ですけれど。これが誤報に基いてアサヒビール、三菱重工、いすゞ、味の素その他日本の企業を名指しで非難して、全部「つくる会」に資金援助しているというようなことから、アサヒビールに対する不買運動が起きた。起きたのですが、これは吉林省の長春だけで、他には広がらなかったんです。どうもあそこは、ライバルのビール会社がアサヒの排撃に使ったのではないか、というふうに思われる節があります。

  それは1972年にタイで、日貨排斥運動がありまして、バンコックの大丸デパートが爆破で脅かされたんですが、小さな爆弾が破裂しました。あの時、私もすぐにバンコクへ行ったことがあるのですが、当時はタイも言論の自由がないんですが、日貨排斥だけは許されたんですね。その翌年にタノム打倒の血の日曜日事件に至るのですが、どうもあの時のスポンサーは大丸を嫉んだ華僑が資金を出していたということが、後でわかったのです。そうなりますと、このアサヒビールもどうも、その辺がおかしいんですけれど、ただ今のところ、証拠を掴んでおりませんので、なんとも申し上げられません。

宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(二)

● 反日デモの背景(2)    宮崎正弘

  共産主義がなくなってから、中国共産党が今やっていることは、ナショナリズムという非常に危険なものを持ち出してきて、政権の維持をやっている。このためには、常に自分達が正しくて、日本が降参しなくてはいけないというイメージを情報操作で作っている。それは人民日報も中国青年報もあらゆるテレビもみんなそうですけれど、そうやって情報操作をやってきた以上、途中で今までの情報操作と矛盾するようなニュースの配信はできないというシステムになっております。

  文革世代は今回の反日デモを完全に冷笑しているんですね。また若い人が、何かの犠牲になるのではないかと、もう一回揺れ返しがあるのではないか、というような恐れを抱きながら、非常に距離を二歩も三歩もおいて見ていたというのが、特徴であったと思います。

  二番目の特徴ですが、権力抗争が中軸にあって、交替したとはいえ、江沢民の「上海閥」と胡錦濤のいわば「共産主義青年団閥」との確執がまだ完全に終わっていない。

  というよりも上海に関して言えば、胡錦濤に対する反発まだ非常に強く残っているというふうな印象がございます。

  地図を御覧頂きたいのですが、胡錦濤派が今抑えているのは、内モンゴル、江蘇省、遼寧、河北、山西、河南、福建、貴州、四川、青海、広東、チベット、ウイグル、まぁこの辺の省長もしくは書記をとっている。

  逆に胡が抑えていないのは、山東省や折江省など。

  最初にデモが起きたところから見てまいりますと、全部胡錦濤が抑えている地域で起きています。それが最後に上海にくるわけですが、上海は今までにより以上に過激なことをやっていたというのは、ここがどうも説明がつかないのです。

  江沢民派というのは、それまでにもどちらかというと、反日デモに冷笑的で、特に江沢民の右腕と呼ばれている曾慶紅は幹部会議の中で、反対をしたという話が伝わってきております。もうひとつは今商務大臣になりました、前の遼寧省長の薄キ来(薄一波の息子)も反日デモなんか、やるべきではないといってた。ということは共産党の中も一枚岩で反日デモをやったという形跡は今のところ、ないような気がします。

● 中国の新世代とバーチャルな反日

  それは後でもういっぺん、詳しくいきさつを見て参りたいと思いますが、その前にもう一つ、デモに参加した人達について分析をしたいと思います。非常に若い人たち、愛国教育を受けた人たち、ですから、過去13年間に受けたとなると、12歳で13年間ということで、25歳以下の人たちが、圧倒的に日本が悪いということで頭の中が染まっているんですが、しかし、全体がそうかというと、おそらく90パーセントの若い人たちはこういうことに興味がないという傾向もはっきりしているんですね。

  それは1979年に、中国が一人っ子政策を導入しました。ですから、今の年齢でいいますと、25歳以下、大学生以下は全員が「一人っ子」です。

  一人っ子はご承知のように、兄弟げんかを知りませんし、克己心がない、ずーっと生れた時からテレビづけ、ハリウッド映画のことは非常によく知っておりますね。それから、何かわけのわからないやかましい音楽についても、よく知っているし、日本のアニメもよく知っている。そして、ここ数年に入ってきたのがインターネットと携帯電話です。

  そうしますと、少なくとも都会にいる中国の若者は、非常に多様化した価値観を持っている。それから中華風の伝統というものに対して、距離感がある。どちらかというと、無国籍です。ここに、新しい種族がどんどん出てまいります。それはDINKS(ダブルインカム、ノーキッド)結婚はするけれども子供は作らないという夫婦が上海、北京その他の都会部には多い。この三年ほどで出てまいりましたのは、BOBO族といってブルジョアジーのBOとボヘミアンのBOを掛け合わせて、これ私がつけたんじゃありません。BOBO族といって、ちゃんと中国でそういう本も売っております。

国家とか、愛国とかそんなことはどうでもいい、自分が生きたいように生きればいいということを書いた小説『第三の路』も、大ベストセラーになっております。去年あたりから出てきたのは、これに加えて「傍老族」です。

  自分が老いて行くことを傍観できるといいますか、人生に対する積極性が何もないと、これはちょっと日本人と似ているんですけれど、こういう種族が出てきた。ついで日本なみの「ニート」ですね。

  今中国には3300の大学、正確に言いますと、1900の公立大学があります。それからプライベート及び、カレッジ、資格がもらえるカレッジを含めて3300の大学があります。

  今年の6月には340万人の新卒が出ます。自分が行きたい職業に就ける人は今50パーセントしかいません。40パーセントはアルバイトかフリーターでしのぐけれども、10パーセントは全く職がない。それは日本でいうところのニートですね。ただ、こういう人たちもいきなり失業者の群れに投じているのではなくて、朝からインターネットカフェに出入りしたり、ジャズ喫茶に出入りしたり、というぐらいの所得はある。ですから、すねかじりが成り立つような若者が、今の中国の都会に増えているのです。

  もうひとつは文学の頽廃現象です。

  日本文学はほぼ全部翻訳されて出ています。村上春樹、吉本ばなな、山田詠美、あらゆる文学が出ておりますが、日本文豪というコーナーで紹介されているのが渡辺淳一先生で、去年の6月、上海にサイン会に行ったんですね、渡辺さんが。そうすると、600人が列を作っていたんです。日本より人気があるようです。

  もう一つ、若者達の特質というのは、やはり自分の国を出たい。

  一番行きたいのはアメリカなんですけれど、アメリカに行くことができなければ、日本でもいい、とにかく国を出たいというのが、中国の青年達の合言葉です。

  そういう雰囲気の中で今の反日というのは何かなと考えますと、今の若い人たちは直接日本軍のことを知っているわけでもないし、いわば教科書という仮想空間の中で、知育されている通りのことを模範解答で、学校で書いているだけなんです。実態としての日本に対する憎しみというのは、殆ど無いと考えられると思います。

宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(一)

 4月26日の「路の会」では宮崎正弘氏を囲んで、中国情勢を話し合った。

 まず、氏が「中国反日暴動の裏側」と題して豊富な体験と情報に基くスピーチをして下さった。そのあと会員が活発に意見を交しあった。

 出席者は小田村四郎、石井公一郎、大島陽一、尾崎護、呉善花、三好範英、東中野修道、大塚海夫、山口洋一、片岡鉄也、木下博生、大澤正道、田中英道、萩野貞樹、真部栄一(扶桑社)、力石幸一(徳間)、西尾幹二。

 なお、宮崎と西尾以外の発言は声で識別できないのでABCで表す。また、聞き取れなかった言葉は○じるしで示す。

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 中国反日暴動の裏側    宮崎正弘

● 米国亡命知識人のコメント

  アメリカに亡命した中国の知識人がどう言っているかというところから入りたいと思います。「北京之春」を書いた胡平という日本以外では非常に有名な人です。彼が言いますには、「中国共産党は抗日戦争の主体でもなければ、8カ国連合軍の一員でもなかった」。はっきりと言っているんです。

 「強烈な劣等意識が、過度の反日歴史改竄となっている。政治の暗黒、官僚の腐敗、困窮する農民、失業にあえぐ労働者、庶民は開発ブームにも乗れず、満足な家にも住めず、子供を学校にやることさえ出来ない。『反日』なんぞ、一体彼等となんの関係があるのか?」と。これ日本の新聞にはぜんぜん出てきません。

  次に呉国光、趙紫陽のブレインだった人です。やっぱりアメリカに亡命しました。

 「中国共産党が愛国を吹聴する資格などあろうか?マルクスは労働者に国境はない、と国際的共産主義を説いたように、共産党は外国製であり、しかも共産主義が中国においてすら破産した事実は明白である。これを庶民や青年の間に、特に強い民族的情緒や愛国主義なるものに訴えて誤魔化し、庶民を利用しようとしているが、合理的でもない。彼らは共産党利益のために、愛国とか民族の利益とかを利用できるものを手段化し、利用しているにすぎない。彼らの言う愛国は偽物である。選挙もなければ、表現の自由ももたない中国の民衆はいずれ、党の鼓吹する「愛国」にはなんらの価値がないことを知るべきである。」と、こういうことを言っているんです。

● 反日デモの背景(1)

  反日デモの背景を振り返ります。これは「大紀元」というメディアに依りますが、中国共産党が一番恐いのは、天安門事件、16年前の6月4日の再評価をされることだろうと。そのガス抜きの装置が常に必要なので、反日を今度仕掛けてみたというのが実態だろう。

  数年来、気功集団の法輪功は弾圧をされ続けておりまして、既に拷問で亡くなった方が1200人と言われています。それから、精神病院に入れられて、精神病院で死んだ人が400数十人、ということを言っております。この数字は信憑性があるかどうか分りませんが、アメリカの議会ではそういう表現が次々と出ておりますので、それに近いことではないかと思います。

  よく言われることですが、江沢民が愛国教育を仕掛けたと、93年から始まったということですが、江沢民の父は江世俊と言って、昔、江蘇省で日本の特務機関に協力をしていた。ですから、江沢民本人は上海交通大学出身と言っていますが、その直前は南京の中央大学で日本語を専攻していたのです。ですから抗日分子とされた伯父さんの江上青の養子になって、うまうまと出自を誤魔化しているところがある。江沢民は酔っ払うと「海ゆかば」も「炭坑節」も日本語でちゃんとやれるそうです(笑)。

  台湾の辜振甫さんが(今年の1月に亡くなりましたけれど)、APECでも何回か、江沢民に会って、日本の新聞ではギター弾いて、ロカビリーを江沢民が歌ったと、そういう話がありましたけれど、そのあと江沢民の方から寄ってきて、「いや、俺だって日本語できるよ」と、日本語で言ってきたと言っていました。

  江沢民がやった愛国教育ですが、先般の町村外務大臣の答弁によりますと、中国全土に203箇所、反日教育拠点を作った。そのうち、本当に反日に特科されているのは10ぐらいでありまして、あとは愛国教育基地です。御三家が北京、瀋陽、南京です。どういう展示をしているかというと、最初から「田中上奏文」で始まる。

  要するに最初から贋物なんです。展示してある写真は、先般、東中野先生がお作りになった本の贋物の写真ばかりが並んでいますから、それを教育しているということは、非常に恐ろしいんですけれど、大体誰も見に来ても、みんな強制動員ですからね。公務員です。警察、軍隊、みんな一日だけ、参観日を作って、それから高校生、小学生遠足で、来ています。

  連中の参観風景を見ておりますと、みんなぺちゃくちゃお喋りばかり。まじめに展示を見ている人は殆どいないです。「このつまらない見学が終わったら、今日どこへ行って遊ぼうか」という話をしておりますので、どの程度に効果があるのかと非常に疑問です。展示内容そのものは、シオンの議定書もどき謀略構造になっている。

東中野修道氏の偉業を讃える

 東中野氏は静かな寡黙な人だが、情熱を内に秘めた、心の勁(つよ)い方である。誹謗中傷や孤立無援に耐えて、困難な課題を黙ってやり遂げる人だと、非常に早い時期に私は直観していた。

 南京事件に取り組んだ当初、多分、こんな大きな暗い、長い、出口のない洞窟の中を歩きつづけることになろうとはご自身も思っていなかったろう。

 他のテーマに転じたいと何度も心は誘惑されたに違いない。

 けれどもテーマが氏を掴まえて離さなかった。というより、テーマが氏に襲来したのだ、そう言った方が正確な所だろう。

 「路の会」で最初にスピーカーをお願いしたとき、日本史の古い時代のお話をなさりたい様子があった。「勿論、それでもいいのですよ」と私は言った。氏はもともと東ドイツの研究家で、私は氏の『国家破産 東ドイツ社会主義の45年』展転社(1992年)を自分の仕事で参考にさせていただいたこともある。

 「あの本のつながりのお話でもよいのですが。」と申し上げると、暫く考えていて、「いや、やっぱり南京事件について話させていただきます。」ときっぱり仰言った。

  『新・地球日本史』(産経連載だった)にご執筆いたゞくときも、私が題は「南京虐殺は存在せず」でいきたいと考え、そう申し上げた処、少しも迷わずそれでいきますと仰有った。決めたタイトルを替えたいと言ってこられる人の多い中で、氏に迷いはなかったし、あり得るはずもなかった。

 今度、氏の念願の一つが実った。『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社¥1500)は、表紙帯に、「『証拠写真』143枚の初の総括的検証」とあり、その上に、「合成、演出、ひそかな転載、キャンプション改竄。証拠として通用する写真は一枚もなかった。」と書かれている。3年の歳月をかけ、当時の写真雑誌に出た写真3万5000枚以上を点検した結論である。

 この本の出版を引き受けて下さった草思社も偉いが、ソフトカバーにして値段を安くし、初版3万部でスタートした英断は効を奏し、現在8万部のベストセラーとなり、問題の普及に役立った。

 3月30日の「路の会」で、東中野修道氏は143枚の画像を投射して、会員に次々と説明してくださったが、ここでは著作権の関係があるので限られた枚数を氏に選んでもらって掲載することにした。

 選ばれたものは、私が誰にでも分り易く、面白い例をあげて下さいと頼んだ結果として選ばれた。

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 南京事件「中国側証拠写真」を検証する  東中野修道

●A 爆撃跡で泣き叫ぶ幼児?

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●B 遭難後の父子

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●C 運ばれる幼児

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この場面は色々な人がとりあげていますが、本書では次のように言っています。
 日本軍の爆撃を受けて破壊された上海南市の停車場で幼児がひとり取り残され泣き叫んでいる写真は、見る者の心を揺さぶらずにはおきません。ところが写真Cから、男性が幼児を抱えて線路に移動して撮影していたことがわかります。写真Aでは幼児だけが撮影されています。

●D 斬首後の首を提げた「兵士」?

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●E 海軍水兵の制服 

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 写真Eの海軍陸戦隊(水兵)の制服を見ていただきたい。写真Dは、襟の白線が広すぎます。日本の海軍陸戦隊の制服とは明らかに違うのです。

●F 「わが同胞を生き埋めにする」兵士?
(中国の歴史教科書に出ている写真です)

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 黒い部分(写真右上)と、その前の盛り土の手前の黒い部分を影だとすれば、その影を作った物体があるはずですが、それが存在しません。生き埋めにされようとしている5人と、穴の大きさが合わず、白いシャツで後ろ手に縛られている人の身体は、その後方で見物している兵士に比べて小さく、遠近感が合いません。複数の写真を一つにした「合成写真」のように考えられます。

●G 南京における公開処刑?

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●H 公開処刑の日照角度

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 見物人の服装が矛盾しています。彼らは夏に近い服装をしていますが、南京陥落は12月13日、冬でした。しかも陥落から2ヵ月もすると、南京は平穏な生活に戻っており、南京の欧米人の日記などにも公開処刑の記録はいっさい出てきません。写真Hの兵士の右足の踵に注目してください。靴の真下に影が生じています。角度Θは約78度でした。南京事件の冬の12月頃をみてみると、この角度Θが少なくとも45度以下でなければならないのです。

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 143枚を見終えて会員が懇談したが、黄文雄さんが、「中国人は古代の昔から贋物づくりの名手で、伝統でもあるので、これは普通のことです。私は若い頃から戦場をめぐる写真贋造の話は噂できいていて、実物を見たこともあり、今日見せていただいたのとよく似ていたので、あゝあの手の種類だなと思い出します。」と仰言ったのが私には印象的だった。

呉善花さんの災難

お知らせ

 ★出版 5月号の月刊誌の私の仕事は次の二作である。

(1) ライブドア問題で乱舞する無国籍者の群れ
  『正論』45枚 短期集中連載「歴史と民族への責任」第3回

(2) 日本を潰すつもりか――朝日、堀江騒動、竹島、人権擁護法――
  『諸君!』45枚

 ★集会 ■■■■■■ 人権擁護法案を考える緊急大会 ■■■■■■
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▼登壇者
《基調講演》長谷川三千子氏(埼玉大学教養学部教授)
西村幸祐氏(ジャーナリスト)
与野党の“闘う国会議員”多数
拉致問題関係者、法曹界ほか各界及び一般市民から登壇予定

平成17年4月4日(月)日比谷公会堂
18:30開会(18時開場、21時終了)入場無料

主催:人権擁護法案を考える市民の会
事務局:東京都目黒区中央町1-14-11-303
メッセージの宛先 

チャンネル桜キャスター三輪の「報道ワイド」(3/31、20:00~)
ラジオ日本「ミッキー安川のずばり勝負」(4/11、13:00~)で人権擁護法
案を取り上げ縦横に斬りまくります

 ★出演 4月8日(金)午後9時~10時 日本文化チャンネル桜 
 私が次のトーク番組に単独出演します。ミュージック・スペシャル(第一回)
  司会 烏丸せつ子(女優)、扇さや(ジャズ歌手)

 私の少年時代、喧嘩、初恋、好きな女優、好きな音楽、好きな映画、カラオケなどを語る。そして私も一曲歌います。
(チャンネル桜をごらんになりたい方は Tel 03-6419-3911へ)

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 呉善花さんを災難から守ろう

 3月29日の路の会では、東中野修道氏に新刊の快著『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社、¥1500)の写真を143枚、インターネット画像で一枚一枚大写しして、解説していただいた。

 同書は8万部も出てベストセラーになった。しかし新聞に書評ひとつ出ない。3年かけて3万5000枚の写真を点検した研究成果である。

 同書の中国版と英語版をどのようにして世に出すか、みんなで相談した。どうしたらよいか、まだ五里霧中なので、いい智恵があったら教えてほしい。

 同書の中の幾枚かの写真は当「日録」でも後日にとりあげてみたい。今日は路の会に出席した呉善花さんが、今の韓国に起こっている反日の理不尽な嵐にまきこまれている苦境を会員に訴えられたことについて、ご報告する。

 この間韓国に行ってきたばかりの呉さんは、帰国後、出たばかりのご著書の新刊を手にした。『「韓流ブーム」ではわからない「反日・親北」韓国の暴走』(小学館、¥1400)である。

 この本が切っ掛けになって、『韓国日報』がホームページに批判文を掲げた。呉さんを非難する書きこみが2日で70以上、そのあとも次々と続けられている。

 ソウルの甥ごさんが「叔母さん、たいへんだ!」と電話をかけてきたそうである。

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韓国日報の記事

在日女教授日帝美化波紋
拓殖大呉善花氏「朝鮮発展寄与」本を出版

 日本内のある大学に在職している韓国人女教授が、日帝の植民地統治が朝鮮の経済と教育発展に大きく寄与したというなど、植民地支配を美化した内容を含んだ単行本を発刊し、波紋が予想される。

 呉 善花(49)日本拓殖大学国際開発学部教授は、29日東京市内書店で販売されている「反日・親北韓国の暴走」という本で「(植民地時代の間)日本が朝鮮に資本と技術、人力などを導入したおかげで北韓に大規模工業地帯が作られたし、南韓では資本主義的商業が大きく発達し、米生産が飛躍的に増えた」といいながら、「日本は朝鮮植民地経営に大きな利益を得たことがないし、むしろ投資過剰による赤字経営に終った」と主張した。

 呉教授は「日本は朝鮮の文化を踏みにじっていなかった」といい、むしろ「ハングルと漢字教育を通して就学率と文字解読率を高めたし、伝統的なチェサと民間信仰を保存させながら古い身分制度と土地制度を改革して近代化を推進した」と明らかにした。

 呉教授ははじめにの言葉で「国内親日一派一掃と親北統一が韓国現政権の最大政治課題」といい「そのような方向で南北国家連合が成れば前例のない強固な反日民族主義国家が登場することは明らかであり、日本はもちろん東アジアの地図が一変する」と加えた。

 呉教授は1983年に日本に渡って留学した後、東京外国語大学で修士課程を終え「反日韓国には未来はない」「チマパラム」など韓国に批判的な本を出した。

連合 入力時間2005年3月29日18時19分

3月29日にこの記事に寄せられた「意見」の例(同記事の下に掲載されている)
 

この狂い女め。あの女を拉致してすさまじい拷問を与えるべきだ。3時間だけ寝かせ、また拷問を与え、彼女に入ってくるお金を私が取る。

3月30日にこの記事に寄せられた「意見」の例(同記事の下に掲載されている)
 

呉善花、この野郎をつかまえて市庁前広場で公開処刑しよう!!!

 呉善花売国奴野郎。父母、子ども、呉善花三代を滅しなければならない。学者?無知な者、きちがい、父母にも責任がありますよ。連座しなければならない、ペッ!

 あんな犬のような奴をぶっ殺す方法はないのか??

 あのサンヨン(下卑た女)の父母はいったい誰なのか??

 親日派先祖の下で見て学んだものがそれだけなんだから、そういう論理が出てくるしかない。

 お前たちはチンチンの味をわかっていてけなしているのか?ウエノム(倭奴)のチンチンの味を一度見て言え。チンチンの味もまともにわからないで、何をわかっているつもりでけなしているのか、本当に息苦しい。チンチンの味はなんといってもウエノムの味が最高よ。

 きちがい女ではないのか。そんなにチョッパリが好ければ国籍を変えろ。もしかしたら、チョッパリと結婚したのか疑わしい。それでなければ、先祖がチョッパリに忠誠をした売国奴なのかも、独立運動をした人々は全部悪者で、チョッパリに国を渡したイワンヨンなど売国奴は本当に国のための人だったと言うのか?

 呉善花!むしろ自決しなさい。お前のような人間がこの世に存在することが間違っているようだ。

 呉善花、お前は生きている価値がないのだ。

 サンヨン、死ね、日本で。

 危険性警告。韓国民であれば我らが見る観点から客観的に記述することが必要だ。我は被害者であって、日本国は加害者であり、その悲惨さは数百万の男女老小が味わった家庭ごともっている悲劇的な歴史として自明に証明されている。代表的な工場数十ヶ所・鉄道・港湾設備がこの悲劇を隠してなぐさめになったんだろうか?それすら朝鮮戦争のときに全部破壊されて、教育は我が式書堂中心ではなく技術はつまらない技術として伝わっていないし、ついには戦時動員と強制徴用として罪のない我が百姓(民衆)だけ数百万が、目もまともにつぶれないで死んで傷つけたのに呉教授はこれらすべての記述を省略して、日帝残酷史の結果をむしろ美化し賛美するからどうやら我が百姓の記述だと表することができるのか!呉教授はすでに我が土地で骨を受けた娘ではなく、日産エンジンを身につけた日本産なのだ。したがって、我が土地を踏む考えは再びしてはならない!危険だろう!!

12時現在でメール74件あり。     (以上 呉善花訳)

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 『韓国日報』といえばちゃんとした由緒ある新聞のはずである。メールによる書き込みには新聞社としての管理責任がある。

 韓国社会の民度の低さを哀れむばかりだが、これをこの侭放っておいてよいのだろうか。新聞のこの無節操な放言の垂れ流しに、日本の外交当局はなんの手も打たなくてよいのだろうか。彼女の身に危険が及ぶのを恐れる。

 いい智恵があったら教えてほしい。

 暴動になりかけている韓国の反日騒ぎに、日本社会がほとんど取り合わないで涼しい顔をして聞き流している――それがまた彼らの苛立ちと怒りと反発をかき立てている原因なのです、と彼女は分析していた。

番匠幸一郎氏を囲んで (十一)

西尾:それはまだ・・・・、東中野先生、どうぞ。

東中野:余計なことを言ってすみません。現実の諸問題は現役の自衛官の方が考えていらっしゃると番匠大佐のことをうかがっているものですから、・・・・・・・・・質問させていただきたいのですが、愚問だということはわかっているのですが、最初に私が思いましたのは、大変失礼なことを申しますけれども、准将クラスの方を送るべきだったんじゃないかと思います。日本からですね、階級社会ですから。

西尾:准将って、昔の?

東中野:少将クラス、できれば中将ぐらいの方をドンと日本が送り込んで、本腰を入れてやるんだと、郡長という、600人のトップに中将というのはちょっとおかしいというのは、分っているわけですけど、そしてまた番匠さまが、大変な功績を残していらっしゃった方というのは分った上で申し上げているのですが、ですから愚問なんですけど、軍隊というのは、階級社会ですから、日本から第一陣として、それくらいの意気込みで陸幕は取り組むべきだったんじゃないかというふうに思ったんですが、その点はいかがでしょうか。

西尾:答えにくい質問じゃない?

(笑い)

番匠:できるだけ、高い階級の者がいれば、それだけ影響力というか力がありますけれど、同時に高い階級の者というか、高位の者というかは、それだけ役割とか責任を多く負うことになるわけですね。今バグダットには中将が二人おりますけれども、他はおりません。それから、南東部地域のイギリスというか、イギリスを中心とした多国籍団の師団長は少将なんですね。

東中野:1万人のイギリス軍が少将なんですか、あぁ。

西尾:そうか、そんなんじゃだめですよね。

番匠:そうです、少将です。そうしますと、自衛隊が600人で少将だと、イギリスと同じ役割を果たすということの、意志表示になります。

西尾:あぁ、考えているわけですね。

番匠:逆にですね、それは将軍を出すということは、たかが数百人でいいのかと。何千人の長でなければいけないのではないかと。そうすると、何の為に来ているのかということになるんです。

東中野:やはり600人で群長だから、どうしても大佐だと。

番匠:大佐か、中佐でいいわけですね。部隊のスケールで言えば。オランダは1000人で中佐を連れて来ていました。

東中野:1000人で中佐ですか。

番匠:我々はちょっとインフレ気味だったんです。

(大笑い)

西尾:話が逆だったですね。

番匠:アメリカは15万人で中将ですね。中将二人おりますけれど。

○○:私が聞いた範囲では、日本もね、本来だったら中佐クラスのつもりだったらしいんですけれども、この任務が非常に大変な任務だということで、番匠一佐を直々に出したという話を聞きましたけれどね。

吉野:よろしいですか?

西尾:どうぞどうぞ、吉野さん、元警視総監の方です。

吉野:質問ではなくて、感想だけちょっと。今日私も国民の一人として自衛隊のイラク派兵に大変強い関心持っておりました。まぁなんと言っても、今までは報道だけでして、今日は生のお話が大変参考になりましたし、また感銘を受けました。大変ご苦労さまでございました。国民の一人として感謝申し上げます。私も警察におりましたので、やや似たような組織でありますので、大変参考になりましたが、お話を伺っていて、よき警官と、よき装備と、よき訓練ですね、徹底して射撃の訓練をやられたという話はこれは、あまり報道なんかに出ないのですが、大事だとおもうのですよ。それから、たとえ話でライオンとロバとの話をされましたが、あれは非常に大きな示唆だと思うんですよ。思い返せば、一昔前に、機関銃を持っていっていいか銃をいくら持っていくかと、子供じみた議論がありまして、あの頃から比べれば隔世の感がありまして、西尾先生の日本の未来へのいろいろなご心配もあるでしょうが、私はこの国はこの国で、一歩ずつ、遅いけれども少しずつ前へ進んでいるんじゃないかと、いい方向へ進んでいるんじゃないかと・・・・

西尾:いやぁ、僕は絶望しているんですよ。

(大笑い)

吉野:そんなことはないです。いろいろ不満がおありじゃないかとお話もありまして、質問もありまして、私は本音で与えられた範囲内できちっとやっておられて、特に不満もない。そのまま受け止めたいと思います。仮に不満がありましても、軍人さんに言わせることじゃないと思うんですよ。

西尾:それはそうですよ。

吉野:我々、或いは世論、これがね、代わって言っていくべきで・・・

西尾:そうです、その通りです。

吉野:ということではないかと、生意気ですが思うのです。そういう感じがいたします。どうもありがとうございました。

西尾:おっしゃるとおりですねぇ。

○○:先ほど西尾さんがおっしゃった、自衛権の中で認めるかどうかですが、私は自衛権というものを認めればですね、当然・・・・

西尾:警護活動?

○○:警備、警護。

西尾:そこまで伸びていいと?

○○:伸びていいと。当然ですよ、自衛権としては。

西尾:それを、うずうずして、はっきり認めないで、また現地へ出て行くという。

○○:任務遂行のための武力行使を認めないというのが間違っている。

西尾:憲法違反じゃないんですよ。別に。

○○:ええ、そうですよ。それからちょっと質問ですが、自衛隊のですね、訳語が外国に対して、JSDFなんですか?それともジャパニーズ・アーミーですか。どっちを使っておられるんですか?

番匠:今回オフィシャルには、やはりJSDFですね。ただ、しゃべるときにはもう、ジャパンアーミーになりますね、はい。文書としては、アーミーということは我々は使いません。

○○:口頭ではアーミーをどんどん使うんですか?

番匠:ええ、アーミーじゃないと通じないもんですから。

○○:そうでしょうね。

番匠幸一郎氏を囲んで (十)

○○:確かにね、それはまさに、軍人らしいといえば、軍人らしいんですがね、だけど軍人らしいものの背後の、つまり政治的な判断とか、歴史的な判断とかいうものはやはり、政治家が本来なら考えなけりゃならないんでしょうけどね。しかし、一佐ということは、昔は大佐のクラスですね。大佐ぐらいのレベルの方が、そういう政治的な課題に発言権なり、実際に一番希少な体験をして来た人間なんだから、どういうふうにこの経験をね、これからの自衛隊に反映させるかというようなことは、多分お考えだろうとは思いますが。

西尾:多分、こういうご質問でしょう。少し私の付言が誇張になるかもしれませんが、政治に対する不満、政治体制の自衛隊の努力に対してこのままでいいのかと、次の課題として、自分達の経験を生かして、政治にかくあってほしいというようなことかと思います。そう理解しましたけど。

○○:そう、そのとおりです。

西尾:質問が面倒だったら、お答えになる必要はありません。お立場上ね。

○○:よろしいでしょうか?

西尾:今のことですか?ちょっと待ってください。今のこと、お答えになれないなら、しなくてもいいですから。

番匠:あのぉ、現場で武器使用の基準が不十分だから困ったんじゃないかとか、集団的自衛権の問題、或いは海外における、武力の行使というものが禁じられているが故に、現地における任務が非常に困ったんじゃないかとか言われましたけれど、実は本当に正直に申し上げて、現地ではそんなことを考えている暇もありませんでした。ないものをねだってもしょうがない。むしろ我々がいただいている武器使用基準の中で、それをどう100%ものにするのかと、100%理解をして最大に発揮するためにどうしたらいいかと。そのための訓練とか、或いは勉強といいますか、そういうやることが山ほどありまして、且つ、皆さんが思っておられるよりは実は結構柔軟性があるというか、幅は広いと私は解釈してます。ですから、そういう意味ではなんというか、ちょっとたてまえ的かもしれませんけれども、政治がやれと言われたことを、我々は淡々とやるという・・・・

西尾:実はですね、政治はですね、現状の法整備で、現状の自衛隊の体勢のままに支援行動から、さらに一歩進んで警備行動をせよというふうに進みかねない。アメリカからそう言われたからやらざるを得ないから、もっと危ない所へ行ってやれということを、これもまた自衛のうちなんて拡大解釈で、言わないとも限らないわけですよ。僕はそれをずーっととても危惧している。アメリカが更なる協力を求めてくると、そうした時に、現行体制のままで、今の自衛隊の状態のままで、もう一歩進んだことをやれという理不尽な要求を政治がしてくるという、まぁ、これは仮定の話ですけれど、いかがです。ないと思いますか?

○○:それはあるとおもうんです。ただ、今のイラク支援法の武器使用基準で例えば今までオランダがやっていたような、警備行動ですね、治安任務。

西尾:そう、やらざるを得ない。

○○:これを遂行できますか?

番匠:できません。

○○:どこが出来ないんですか?

番匠:警護任務がないんです。

○○:警護任務をつければ、今のままでもできるんですか?

番匠:つけていただければ、オランダの代わりということは出来ると思います。ただ、その警護任務というのが実は非常にむずかしくて、今憲法上の疑義があるということで、なかなかそれは、要するに任務遂行のための武器使用といわれているものですね。

西尾:警護任務というのは、町の警護もするわけですね。

番匠:町の警護というのは、自衛権ですから、これは問題ないと思います。

西尾:町ですよ、シティですよ。

番匠:あ、シティですね、

西尾:それをオランダがシティの警護してやっているわけですよね。それを今自衛隊がやらないといけない、それをやれと今の政治が好き勝手な拡大解釈で言ってくるんじゃないかと、それをうかがっています。

番匠:スーダンPKOのニュースがこの前出ておりましたけれども、あそこで同じような疑問を私たちは持っているのです。PKOがスーダンに限らず、PKO法というのは、平成3年に出来て、2001年に法改正されておりますけれど、本隊任務というのが、今まで凍結されていたんですね、法律が出来てから。2001年に本隊任務の凍結が解除されたんですけれど、その本隊の任務をよくみると、ある停戦監視地域の侵入の防止だとか、或いは鹵獲、あるいは遺棄された武器の監視、兵力の引き離しの為の監視とか、そういうことが書いてあるわけです。

西尾:ほぉ~そりゃぁもぉ

番匠:そうすると、かなりそのパトロールというか、その任務に近いわけです。ところがPKO法に書いてある武器使用基準という24条に書いてあるのは、いわゆる自然権的権利に基ずく、自己防護の為だけの武器使用というもので、非常にパッシブなもの。正当防衛、緊急避難の延長線上の武器使用権限であります。今までずっと言われてきたのは、凍結解除された任務と、それから武器使用権限というものが、マッチしてないんじゃないかという議論がこれは自民党の先生方からも出ているんですね。今回スーダンなりどこかのPKOで、この任務を、本隊任務をやるといったときに、それにふさわしい武器使用権限があるかというと、そこはなかなか難しい部分があります。

西尾:今申し上げたのはそのことです。

番匠:ですから、そこは、こちらのところをふさわしい武器使用権限というものにしていただくという手続きが、あればそこはやると。

参考:ヤフーニュース「他国軍隊になぜ警護頼る」サマワ自衛隊に豪記者質問

番匠幸一郎氏を囲んで (九)

西尾:はい。どうぞ、山口さん。

山口:イラクの対日観は、日露戦争で勝って、基本的に結構なものなんですが、さはさりながら、対米追随じゃないかと思われていないか。私はアジアや中近東のトルコにいたんですけれども、日露戦争の経験から日本に対する尊敬の念はあるんだけれども、しかし今日の日本というのは、アメリカの尻尾にくっついているという状態にあるから、向こうもあからさまには言わないんだけれども、向こうの大臣なんかに会うとですね、そういうニュアンスが出てくる。東南アジア国であるし、トルコも若干そういうところはあるんですが、先ほど世論調査で、我々に反対の16%の中には、アメリカの影響力の中で、日本がアメリカの尻馬に乗っているんじゃないかと、そういうような人もいるかなぁという感じがちょっとするんですが。実際に県知事さんなんかとお話になってですね、ほんとに諸手を挙げて、日露戦争に勝った立派な国だと思っているだけなのか、それともやはり、第二次大戦後の日本というのは、アメリカべったりになっているというようなニュアンスが言葉の端々に出てくるように感じられたかどうなのか、そこらへんをお願いします。

番匠:我々の居りましたサマーワにはアメリカのフットプリントは非常に小さいんですね。先ほどから、申し上げておりますように、イギリスを中心とした多国籍部隊なもんですから、物理的にアメリカの兵隊さんはほとんどいないんです。いるのはオランダが一番多い。それから自衛隊が多くて、イギリス辺りはしょっちゅう通る地域ですから。アメリカはコンボイで前を通過したりということはありますけど、そこで長期間宿営地を置いて勤務しているということがないもんですから、ことサマーワ、ムサンナ県辺りに関して言えば、自衛隊とアメリカ軍の関係が極めて緊密で対米追従だということを、皮膚感覚であまり感じておられなかったのかなと思います。

○○:小泉総理の対米協力でというようなのは、ニュースとしては・・・・

番匠:ま、多分全く意識していないとか、知らないわけではないかもしれませんが、実際に見ていて、我々とアメリカがそんなに近くて、アメリカのために我々がやっているとかそんなことを感じるということは、そんなに無かったんじゃないかなというふうには思います。ただ、まあ、ほんとに我々を諸手を挙げて、歓迎してくれているという部分と、正直申し上げれば、彼らもしたたかな、アラブの人たちですので、自衛隊をしっかり繋ぎとめて、日本をしっかり繋ぎとめて、自分達の地域の発展とか、自分達の利益のために、という気持ちは両方にあるんだろうなという感じがしましたですね。

○○:約一年弱かな、大過なく、大きな事故も無く、大変ご苦労されただろうということにまず感謝申し上げます。ひとつ国民の中にですね、あのサマーワで、何かのドラマが起こらないと、それが迫撃砲なのか、ロケット砲なのか何なのかわかりませんが、自衛隊法や、集団的自衛権その他の問題をクリアーしないと、やっぱりどうしようもないんだと、そういう事態が起こることを、言いにくいが、どっかで待っているという気持ちがまったくないわけではないんですね。

西尾:左翼が?

○○:いやいや、保守派の人間も。

西尾:いやぁ、そこまではないんではないですか。

○○:いや、つまりそういう、今の法体系や対処の仕方では十分な危機管理が不可能なレベルというのがあるはずだと、それは多分ありますよね。抽象論としては。だから、無事に終ったことは大変素晴らしいんだが、だからそれなら今の自衛隊法並びにその他の法整備をとりあえず、先延ばしにしてよろしいのか。例えば戦死者が出た場合に保障をどうするかというふうな問題がね、出てきますよね。公務員プラスどのくらいのアルファがつくのか、或いは昔の軍人恩給的なものをどう復活させるとか、しないのかとか、いろいろの課題が結局無事なるが故に露出しなかったのかなと、そういう感じを抱くところがちょっと複雑なんですよね。つまり複雑というと、自衛隊を少なくとも、常識的な国軍にしようと、そういう国作りをしなくてはいけないだろうと思っている人間から見ますとね、無事だからよかったが、このまま何もしないでよいのかなという感じもないわけではない。

西尾:国軍の一歩手前までは行ったんだけどね。

○○:そういう、例えば、番匠さんはどういう風に、受け止められますか?ここにいるのはみんな自衛隊というものをサポートしている保守派の人間だということを前提にして。

番匠:鶏が先か卵が先かというような感じが私はしておりまして、じゃぁ我々にとって、グローバルスタンダードにピシッと整備されて、法的な環境がきちっと整えられて、隊員の処遇もきちんとできた上で、それからでないと、やはり行ってはいけないのかというと、そういうことは未来永劫あり得ないのではないかと思うんですね。

○○:そうそう、なるほどね。

番匠:正直申し上げれば、今回我々が与えていただいた法律、特措法の中に書かれてある武器使用基準というものにふさわしい任務しか、我々は戴いていないわけです。先ほど申し上げた治安任務ということはないわけです。だから、治安任務ということになると、やはりもう一つ上がってきますね。だから人道復興支援、後方支援といった任務にあう、ぎりぎりのミッションであり、ぎりぎりの武器使用基準であり、ぎりぎりの解釈というものを我々は受けて現地に行っているということです。そういう意味では常に、あるべき論よりちょっと先のところを行きながらということは、感じておりました。

 じゃあ隊員たちはどうかというと、先ほどの戦死者ということですけれど、基本的に隊員たちは全員覚悟していたと思います。私も日本を出るときにですね、お別れをして行ったつもりでおります。幸い、全隊員が今まで無事に一人も怪我もすることなく帰ってきていますけど、それはたまたま運がよかっただけなのかもしれません。迫撃砲というのは、何回も落ちましたけれども、これはわざとはずしているというふうに私は思っていません。そんなに器用なことができるわけがない。ですから、一歩違えば、それはなんらかの損害があったのかもしれませんけれども、でも、現場の隊員たちはですね、それは当たり前だと思っていました。最初から。

 迫撃砲を撃たれたときの訓練をしてきましたし、そういうもんだと思っています。迫撃砲の訓練をやっている時に、迫撃砲が落ちた弾痕に入れと言っていました。迫撃砲が落ちてきた弾痕の中に突っ込めと、そうすると、二度とそこに落ちて来ないから、というぐらいのことをやりながら、やっておりました。あと、確率論ですが、相当確立は低いんです。命中する。そんなことを考えながらやっておりましたので、あまり最悪の事態が起こったときにどうだということは、あれなんですけれど、ただ、そうですね、答えにはなっていないかもしれませんけれども、隊員たちはお金のことがどうかとか、処遇のことがどうかとか、そういうことよりも、やはりこういう仕事を与えてもらったことの意義というか、やりがいというか、そういうことの為にベストを尽くしているような気がしますですね。