皇室と国家の行方を心配する往復メール(二)

 私と鏑木さんとの交信の中に浜田実さん(元富士通社員)から鏑木さんへの
コメントが入りました。それと、前回の私のメールへの鏑木さんのご返答を掲示します。

   浜田さんから鏑木さんへ

鏑木さま

西尾ブログ 拝読。
鏑木さんの問題提起もなかなか面白い。これに対する西尾先生の反応をみると、先生はもう皇室問題は書かないとおっしゃりながら、やはり気になって仕方がない・・・という印象を受けました。
先生は、本当に心底、皇室の将来を気にしているのですよ。

今の皇室は天皇・皇后陛下にしても、東宮御夫妻にしても、何か皇族ファミリー・・・というイメージが強すぎて、昭和天皇・皇后にも似た何とも安定した高貴な重さが感じられない。
本当に平民宣言でもしそうな雰囲気です。

雅子様は、愛子様を毎日学習院へご一緒されているとか。そして授業も参観・・・愛子様が心配だからと・・・・??
そんなことをする皇族、王族がいままでいましたか?!

こうなると、一般国民との「壁」がない。その行動を見過ごす皇太子殿下もおかしい。何も云えない憐れさが伝わってくる。何かトゲがあってそれに触れることもできないのではないか?
その言動のはしばしに、シナの工作が侵入しているのではないかと思う。

小和田 恒が「レーニンの写真」を飾っていた!とんでもないこと。

小林よしのり は、まさにそういう工作めいた動きをこそ描くべきです。

女系・・云々は、小林氏の手に負える問題ではない。

何かおそろしい、日本が溶けてしまうような空おそろしさを感じます。
友人の典型的な保守人までもが、事の本質に気付かない、まるでそうさせるような特別のビルでも飲まされたかのような反応が気になります。

  鏑木さんから西尾へ 

 西尾幹二先生

ご返事ありがとうございました。

テーミスの記事を拝見しましたが、この前の私のメール内容と妙に符合して嬉しいやら恐いやら複雑な気分が致しました。やはり小和田亘氏は共産主義者ですね。今頃こんなこと言っているのは遅れているでしょうか。

お尋ねの旧皇族のスピーチですがその内容は、「朝鮮半島出身の旧日本軍軍人の遺骨が祐天寺に返されずに残っているが、日本はこれらを返さないで拉致された人を返せというから、北朝鮮も応じないのだ。こちらが誠意をもって対応しなければならない・・・」というようなものでした。

この旧皇族の方の経歴をネットで調べたら、「日韓、日朝、日中、中台間に横たわる心の傷跡を真摯に見つめ、日本国・天皇家の立場に立った、過去の因縁解消懺悔滅罪の基本理念のもと、未来に亘っての東洋平和、世界平和を提唱していくことを目的とし、関係修復及び戦没者遺骨霊魂帰還等の活動を現在も続けている。」とあります。

旧皇族の家柄に養子で入った方で皇族とは全く関係が無いようです。以前、週刊誌で詐欺疑惑の記事も載ったようで、今回私が皇室との関連で語ったことは誤りでありました。

しかし、現実に旧皇族を語り保守の集まりに現れ、以前の天皇陛下の御言葉を悪用した主張(「過去の因縁解消懺悔滅罪の基本理念」とは今上天皇の韓国への謝罪【平成10年10月8日〔金大中大統領、訪日〕 「わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみを与えた時代…深い悲しみ」】と符合します。)を口にしているわけで、工作の疑いが無いとは言えません。

若狭和朋さんの本の件ですが、私が読んだのは「日本人が知ってはならない歴史」(以下、本編)、「続・日本人が知ってはならない歴史」(以下、続編)、「日本人が知ってはならない歴史・戦後編」(以下、戦後編)の3冊です。

まずフランクフルト学派コミンテルンの定義ですが、

プロレタリアート独裁とか権力の暴力的奪取を標榜するのではなく、いわば本心は「隠し」て謀略により権力内部に入り、そして権力を握りその影響力により革命に至ろうとする思想集団(戦後編P118)

とあります。

戦後の天皇制度の存続について、CIA前身のアメリカ戦略情報局(OSS)には、このコミンテルンが多く送りこまれており、そこで決められた「日本計画」が戦後の日本を運命づけたとしています。マッカーサー(GHQ)はこのOSSの指揮下にあって日本占領政策の最高意思決定でなかったとのことです。

天皇制廃止の手順として、

例えば憲法改正の構想のうち天皇制度は残すということが決められた。直接の目標は、天皇をして軍部との対立に導き日本の敗北を早めるという戦略からである。続いて第二段階目には「象徴」としての天皇を「国民主権」の下位に置き「国民の総意」により退位させ、天皇制度を廃絶させるという「二段階革命」を成就させようと構想していた。(戦後編P57)

そしてこの第二段目は現在進行中であると考えられます。これは皇室典範改正の論議があった時、小泉首相が「皇室典範に関する有識者会議」を発足させ、そこが女系天皇の容認を答申し、今日の論争になっているわけですが、この時に天皇を「国民主権の下位に置く」ということがすんなり行われてしまいます。

日本国憲法上は何ら問題ないことですが、それまでは現実に「天皇を国民主権の下位に置く」という行動は躊躇われていたと思います。保守も何かおかしいと思いながらも男系女系の論戦にシフトしていったのではないでしょうか。

私は男系女系のどちらの主張もイデオロギー色が強くて、天皇制反対の共産主義イデオロギーと対立関係という図式で調和して、日本の文化・伝統としての自然な皇室のあり方を語る姿ではないような気がします。その意味合いで共産主義勢力に仕組まれた謀略的パラダイムでなないのかと思ってしまうのです。

そのほか私が若狭さんの本で印象的だった箇所は、

コミンテルンに謀略される日米について、

アメリカのインテリゼンスの狂いこそが、日米両国のみならず世界的な厄災を招いた当の原因なのだ。・・・・・

「赤色ロシア」とコミンテルンの脅威についての判断ミスは、アメリカ政権内部にもコミンテルンの進入を許し、日米衝突と中国の運命を大きくゆがめた。日本政権内部へのコミンテルンの進入は言うまでもない。(本編P47)

日露戦争後の日本の対処について

ハリマン提案という商談のかたちをしたアメリカの国家意思を、三国干渉の再来と理解できなかった日本の痴れが、やがてハル・ノートを招じ入れた。日本人は知の病みを過去形だけで語ってはならない。今日こそが、まさに問題だからである。(本編P212)

振り返れば、日露戦争は世界のユダヤ社会の日本応援で戦い得たのであり、講和仲介のセオドア・ルーズベルト大統領が当然にアメリカとユダヤ社会の利益に立脚していたことは言うまでもない。痴れた日本の文民は桂・ハリマン協定を破棄した。以後、アメリカにはオレンジ計画が発足し、日本は最後はナチスとの同盟に迷い込み今次大戦に至った。アメリカの国家理性のなかで日米の死闘への覚悟は深刻である。ブッシュ大統領がリガでヤルタに不正義を自己批判したのは、単なる思い付きでないことは当然である。(戦後編P145)

「人民」という言葉の説明において、

リンカーンは「・・・ガバーメントオブピープル」(人々を統治する)と言った後に、この統治は「~のための、~による・・・」と言っているのです。南北戦争の激戦地・ゲディスバーグでの演説ですが、アメリカ大統領リンカーンは南部の分離を容認しないと演説しているのです。「分離・独立などは容認しない」、つまりは「われわれはピープルを統治するが、この統治は、~のための、~による統治(ガバネメント)と説いているのであって、政府(政治)は人民の所有するものだ、などと演説しているのではありません。(続編P248)

東京裁判についての

「東京裁判」とはアイデンティティー・ウォーなのである。「東京裁判」は追撃戦なのだがその戦いの本質はアイデンティティー・ウォーである。単なる復讐(その影も濃いが)ではなく周到に準備された「日本人の正義」を消す戦いが「東京裁判」であった。

ルーズベルトもOSSも大敗北したのが今次の大戦であった。勝利者はスターリンであり毛沢東だ。ただ奇妙に日本へのアイデンティティー・ウォーにだけは勝利した。(戦後編P75)

以上の様な所です。

先程サピオ(5/12号)で日本史上最強の女傑第10位「美智子皇后」の西尾先生が書かれた選出文読みました。いつもながら明確な御指摘、納得がいきました。

同サピオの小林よしのり「ゴーマニズム宣言」は、盲目的な天皇崇拝が益々パラノイア的様相を呈してきました。現皇室の方々に対しては全く注意力が働いていません。長年ファンでしたが、カルト信者のような有様と化してしまうのでしょうか、残念です。

愛子様不登校問題では、東宮職の動きがおかしいと思います。雅子妃の反応を利用して、皇室をマイナスイメージのほうへ誘導しているような気がします。外務省出身の野村東宮大夫他は、小和田亘氏かその上部からの陰謀が行われているのではないでしょうか。

返信が遅くなり申し訳ありませんでした。

納得いく返答になったか心配ですが、お目通しください。

風邪もほぼ完治しました。

お気使いありがとうございました。

皇室と国家の行方を心配する往復メール(一)

 友人の鏑木徹さん(一級建築士事務所 空工房代表)から、メールをいただいた。皇室と国家の行方を心配した内容であった。私も応答した。多くのかたがたにご関心のあるテーマと思われたので、二往復分の内容を公開する。

鏑木さんから西尾へ

西尾先生
突然メールいたしますことお許しください。
坦々塾生の鏑木徹です。

秋篠宮殿下が「皇族は少ないほうがよい」と御発言されました。
昭和天皇が三笠宮様を疎んじておられたという話や、今上天皇も皇族にしては大胆な発言が多すぎる寛仁親王など三笠宮家の方々に不信感を持たれている結果が、秋篠宮殿下の御発言に繋がっているのではないかと考えます。

もしこの考え通りに皇室が天皇直系のみとなったら、工作機関の皇室破壊・日本崩壊工作がやり易くなります。

いずれ天皇が平民宣言され、慈善団体のひとつとなられるのではないでしょうか。
ある会合で皇族系の慈善団体の方が、北朝鮮擁護のスピーチをされるのを聞いたことがあります。すっかり皇族系の能天気さが厭になりました。

すでに雅子妃による皇太子家工作はほぼ完成されつつあり、天皇皇后への工作も大分進んでいる様に見えます。

雅子妃の精神病は、西尾先生がおっしゃる通り仮病ではないでしょうか。
多分に小和田家を経由するコミンテルン等の工作ではないでしょうか。
今、大東亜戦争時のフランクフルト学派コミンテルンの工作を書いた若狭和朋さんの本を読んで衝撃を受けています。

雅子妃は病気を理由に皇太子を巧妙に籠絡し、愛子様を洗脳し、そして天皇皇后の孫可愛さの優しい心につけ込んでいる気がします。

たぶん、皇太子を身近には近づけないのでしょう。お労しい限りです。

愛子様不登校のモンスターペアレントのごとき雅子妃の行動は、皇室を貶める工作のひとつではないでしょうか。

国民の心を平民の情感レベルで皇室に近づけることで、結果、神々しい天皇(皇室)観がどんどん無くなっていきます。

そして国連施設などに出入することも、もし健常者であったならば大変な非難が起こり通うことは不可能になるでしょう。

日本崩壊を狙う勢力は天皇を落とすのが一番だと知り尽くしています。
昨今の男系女系の皇位継承問題も、何か仕掛けられているような気がしてきます。
それに乗って詰り合う、小林よしのり・桜チャンネル水島社長を見ていると、参院選を前にして保守陣営の分断を操作されているような気がしてなりません。

この前の西尾先生の講義で、これから先生の扱うテーマは国体及び政体の話になると推察しました。
そして天皇の御親政の再現に言及されるのではないかと思っております。

もはや日本は、政治家の精神が腐敗してしまい、政体・政治形態の変更に着手しなければ、閉塞状態から抜け出せないのではないかと思います。

今回の平沼新党も下手をしたら、自民党、民主党と同じ様な政党がもう一つ出来た、ということに成らないでしょうか。

以上、最近の思いを述べさせて貰いました。

私は今風邪を引きまして、苦しんでおります。
気候の変わり目で体調維持が難しい時期です。
先生は皆にとっても大事なお体ですので、体調に十分お気をつけ下さい。
失礼いたしました。

鏑木徹 拝

西尾から鏑木さんへ

鏑木徹様

 メールをありがとうございました。率直なお言葉で書かれてあり、あっあっと思いながら一息に読みました。衝撃的な内容でした。

 とりわけ「いずれ天皇が平民宣言され、慈善団体のひとつとなられるのではないでしょうか。」の一行に目が釘づけになりました。そこまでお考えになっているのですね。

 私などはまだ甘く、夢想的です。無理のないかたちでの旧宮家の復活や眞子様・佳子様とのこれも無理のないかたちでのご縁組が実現すればいいが、とまだ楽天的に考えています。しかし貴方がすでに仰せの通り、天皇家の側がそれをもう望んでいないのかもしれませんね。

 なにしろ情報不足なのです。秋篠宮家が学習院ではなくお茶の水附属の幼稚園を選ばれたのも、真意は分りません。東宮家の愛子内親王と共学になるのをお避けになった、というのが一番有力な理由かと思っていますが、それもわれわれ一般民衆の考えかもしれません。そうではなく、眞子様がICUに進学された例も含めて考えて、皇族の行かない一般の普通のコースを理想としていて、それが貴方の言ういわゆる「平民宣言」の準備なのかなと思うと空恐ろしいですね。ですが、単純に三年保育の幼稚園を求めたということにして余計なことは考えないでおきましょう。

 でも、皇室が旧皇族を避け「天皇直系」のみとなったら、貴方のいう通り先細りするだけであり、ますます工作機関の破壊工作はやり易くなるというのは本当のことですね。工作機関は今はコミンテルンではなく、中国系であったり、アメリカ系であったり、宗教系であったり、いろいろです。皇室の外務省支配を私は憂慮しています。それから何度も書いてきましたが、長期にわたる雅子妃のたった一人の担当医による情報独占は恐ろしいのです。

 それからまた、貴方のいう通り、いまその時期でもないのに、小林よしのりさんや水島総さんが男系女系の皇位継承問題を論争し合うのは妙ですよね。悠仁親王殿下がいらっしゃるので、いま急ぐ問題ではないと世間は考えているでしょう。秋篠宮家の眞子様佳子様にずっと皇族のまゝでいてほしいと私も思いますので、皇室典範改正はこの点早く手を打ってもらいたいのですが、このことと女系天皇是非論はまったく別の問題ですから、にわかに最近女系天皇を求める声が一部で高くなっているのはなぜか奇妙に思えてなりません。誰かがあせっているのでしょうか。

 ご文章で分らない個所があるので教えて下さい。皇族系の慈善団体の方による北朝鮮擁護のスピーチとは、誰がいつ何を語ったのですか。若狭和朋氏の本は、私はまだ十分に読みこんでいないのでちょっと分らなかったのです。どの本のどのページに何が書かれてあるのですか。少し引用して教えて下さい。それから、私の方からはTHEMIS 2月号の次の記事をご紹介しておきます。

 雅子妃が父の小和田恒氏を尊敬し、完全にその精神的影響下にあるという関係者の言葉を紹介したあとで、

 そんな状況におかれた皇太子ご夫妻と小和田家の内情に目をつけたのが、中国共産党を中心とする対日工作部隊である。前述したように中国政府は、「日中国交正常化40周年‘12年」に向けて皇太子ご夫妻の訪中を水面下で働きかけているのだ。

 亡くなった中川昭一氏が生前、こんなことをいっていた。

 「モスクワ時代、小和田家のアパートにはレーニンの写真が飾られていたという。中国政府がこの情報をどう使うか考えると怖い・・・」

 裏情報にも長けていた中川氏の予測が、杞憂に終わればいいのだが。

 寒かったり暑かったり気候不順の折、一日も早く風邪を治して下さい。
 お元気で。

                西尾幹二

SAPIO9/30号より

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以下はSAPIO9/30号からの抜粋です。

私の理想だった「深窓の令嬢」が目の前に現れた

東大の学生たちがみなボーッとしてしまった ミッチーブームとは?

「世紀の御成婚」から50年――民間出身の初の皇太子妃となった美智子妃への熱狂と現象は、いまも語り草となっている。そのミッチーブームを、同時代人はどう見ていたのか。舌鋒鋭い評論で知られる西尾幹二氏が、当時を語る。
              
 ※

 私が「正田美智子」という名前を知ったのは、実に半世紀ほど前、東京大学文学部独文科を卒業し、独文専攻の大学院修士1年に在籍していたころであった。

 昭和33年11月27日、皇太子明仁親王とのご婚約記者会見が行なわれた。以後、新聞はもちろんのこと、創刊ラッシュに沸いていた週刊誌や、グラフ誌、あるいはモノクロのテレビなどで、皇后陛下の「画像」が世に溢れかえることになる。

 それを見て、私は正直大変に驚いた。「本当にこんな人がいたんだ」と。

 それはまさに「深窓の令嬢」を絵に描いたようなお姿であった。ちなみに、私は昭和10年生まれで当時23歳。美智子妃は昭和9年、明仁親王は昭和8年のお生まれだから、まさに同世代の出来事であった。

 現代と違って男女の付き合いは簡単ではなかったし、文学青年というのは幻想肥大で、頭の中だけで「ノーブルな女性」に憧れる傾向がある。当時の東大でも多少は女子大との交流もあったものだが、出会った女性を仲間内で品定めをして騒ぐといった程度で、その意味では私もこの時代の平均的な若くて普通の男児であった。とはいえ、現実には、正真正銘の「深窓の令嬢」などなかなか存在せず、結婚相手として頭の中で想像するだけで、憧れは憧れに留まっていた。

 そんなとき、若かりし美智子妃を見たのである。私は東京出身であるが、まず聖心女子大学なるものが存在することを知らなかった。日本はまだ貧しく、戦後の混乱の只中にあり、食糧不足はつづいていた。何より、軽井沢の別荘や「テニス」など、自分の人生に関わることなどと想像したことすらなかった。

 この時代、大半の学生は貧しいのが当たり前であった。昼飯は生協で買ったコッペパンと牛乳があれば上等という「コッペパンの青春」なのだ。

 ゆえに皇太子殿下と美智子妃殿下のラブロマンスは、当時の若者たちにとって夢物語のようであり、美智子妃殿下が記者会見で語った「ご誠実でご立派な」という発言は流行語にもなった。

 この報道の後、私だけでなく、いつも一緒にいた生意気な文学青年たちも美智子妃のことを話題にしては、みながみな、ボーッとしていたことをよく覚えている。大学院には年上の同僚や結婚していた者もいたが、みな、同じような憧れの目で見ていた。

 私はといえば、美智子妃殿下とご結婚なされる明仁親王に「負けた」と思いつつ「皇室なら仕方ないな」と思ったものである。

 昭和33年末からご成婚のあった昭和34年は、60年安保を控え、左翼学生が幅を利かし、学内は殺伐とした空気に満ちていた。共産党は当時、「天皇制打倒」を謳っていたはずだが、考えてみれば、学内で「ご成婚」に反対する動きは不思議とまったくなかった。

 左翼学生も同じ気持ちだったのだろうか。

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ブームの背景にあった美智子妃の「覚悟」

 ともあれ、婚約記者会見から以後、世に言う「ミッチー・ブーム」が巻き起こった。次々と創刊された週刊誌により、やれファッションがどうだ、どこで何をしたといった情報が巷間に氾濫し、一般家庭ではご成婚パレードを見たさにテレビが売れに売れ、200万台を突破した。そのご成婚のパレード当日、皇居から渋谷までの8.18kmの沿道に53万人が集ったというのだが、私はさすがに見に行っていない。

 こうした熱狂は、天皇と国民の距離が最も近かった良き時代だったことも要因の一つであろう。昭和天皇に気さくな「天チャン」という愛称が奉られ、みんながなれなれしく天皇について語り、批判も含めた皇室への言論は今よりはるかに自由で、のびのびしていた。そうした空気が一変するのはご成婚の2年後(昭和36年)に起こった「*風流夢譚」事件以後のことである。

 だが、あれほど国民が熱狂したのは、メディアのいうところの「昭和のシンデレラ」的な甘い夢物語とは違う。ブームの最中、皇后陛下の楚々とした態度のなかにお見せになられる、大変な緊張というか、「覚悟」のようなものを、どこかで国民が感じていたからであろう。

 ちょうど60年代は、「革命」が現実味を帯びていた時代だった。私のような保守学生は、左翼学生から「お前をいつか人民裁判で死刑にしてやるぞ」などといわれていたものだ。革命が起きれば皇室がどうなるかは天皇陛下も十分ご理解していたはずである。婚約前の昭和33年7月、イラク国王ファイサル二世が軍部のクーデターと民衆蜂起により暗殺されたその日、学友の橋本明氏に「きっと、これが僕の運命だね」とこぼされたという。陛下自身、革命が起こりうるかもしれない時代の空気を察していたであろうし、その皇室に嫁ぐことがどういう意味を持つか、この時代を生きてきた皇后陛下も十分にご承知なされていたと思う。

 もちろん、それも一端であったとして、それだけが皇后陛下の「ご覚悟」のすべてであったということはあるまい。

 もっと別な理由があった。それを私が理解する契機になったのが、ご母堂の冨美(のちに富美子に改名)夫人の記者会見であった。

正田家と皇后が理解していた「カミ」という概念

 ミッチー・ブームの最中、「深窓の令嬢」としての皇后陛下の優雅さに惹かれる一方で、冨美夫人の皇后陛下とはまた別な明治の貴婦人のごとく凛とした美しさに感嘆した記憶がある。

 それにもまして興味深かったのは、冨美夫人が記者会見で「娘には天皇は神であるとは教えてこなかった」といった趣旨の発言をされたことだ。

 当時の私は、それを言葉通りに受け取った。戦前の時代背景を考えれば、随分としっかりした考えを持った家族なのだな、という程度の認識である。

 しかし、その後、正田家は、この発言とは正反対の行動を取り続けることになる。ご夫君正田英三郎氏は日清製粉の社長であったが、ご成婚後、会社の代表を退かれ、極力、表舞台には出ないようにしてきた。皇室の外戚に当る会社で何かあれば迷惑がかかるというのが理由であったという。また、よほどのことがなければ皇后陛下の里帰りさえ許さず、常に遠くから見守るだけであった。英三郎氏が逝去した時、皇后陛下は将来天皇になられる方であるという理由で、わが子浩宮殿下の弔問をお避けになったのは語り草である。正田家は、娘を皇室に嫁がせた瞬間、一切の私的な交流を絶ってきたのである。

 ここにあるのは、平等であるとか人権であるとか民主主義であるといった近代の理念がまったく立ち入ることのできない「界域」としての「皇室」である。天皇家に嫁することは、同時に俗世間との境を超越することを意味していることを皇后陛下はご理解なされていた。

 巨樹にしめ縄を張って、それをカミとして祈るように、日本人は、自然の中に我々とつながる命をみて、そこにカミが宿るという宗教観念を持っている。天皇が「カミ」であるとは、そんな日本人の信仰世界、神道の祭祀役という意味においてのことであり、西洋的な絶対神とは明らかに違うご存在としてである。それゆえ天皇は、あらゆる「俗世間」から切り離される。その境を越えて「カミ」になる覚悟、いや、畏怖の念といっていいお気持ちを皇后陛下は持たれていた。それを肌で感じたからこそ私を含めて国民が、「ご成婚」に熱狂したのだと、今では思う次第なのである。

 私は、昭和50年ごろ、中軽井沢の駅のホームで、当時は皇太子であった天皇ご一家のお振舞いをそば近くで目撃する幸運に恵まれたことがあった。

 まだ新幹線ができる前で、同じ車輌に偶然、乗り合わせたのだ。天皇皇后両陛下に、秋篠宮殿下、紀宮内親王の4人が歩いておられた(皇太子殿下は留学中だったのであろう)。ちょうど、そのところに私たち家族も車輌を降りて、一緒に駅のホームを歩くことになったのだ。格別の警備も警護も見当たらず、一家は自由に一般市民と立ち交じっておられた。私は天皇陛下の斜め横2mの位置で後ろをついて行った。

 階段の下には、地元の女子高生が数名、居合わせて黄色い声をあげて固まって座っていると、陛下は彼女たちの前で、身を屈めて、一人一人に握手をなさった。少し後ろにいらっしゃった皇后陛下は、やはり少し腰を屈め、優しい、そして静かな笑顔を彼女たちに投げかけられていた。

 実に自然なお姿と仕草で、私はきっと天皇ご一家は日ごろ、国民とこんな風に接しておられるのだな、と想像することができたし、事実、今現在でも全国いたるところで似たような光景が繰り返されていることであろう。

 だからこそ私は、こう思うのだ。

 ここに至るまで、皇后陛下が、どれだけのご苦労を、強い意志で乗り越えられてきたのかということを。戦後間もないあの時代に、ごく普通の女性が、皇室に入り「カミ」となるのだ。並大抵のご苦労ではなかったことであろう。皇后陛下は、一生をかけてその答えを出そうと、すべてを捧げてこられてきたに違いない、と。

 若かりし頃に憧れた「深窓の令嬢」の面影ではなく、また、ご母堂の冨美夫人のような貴婦人のような美しさでもなく、そこに私が見たのは、国民の中心として平成という時代を天皇陛下と共に支え「国家の魂」となられたご存在だった。

 それを昔の人は「神」と呼んだのである。

*「中央公論」1960年12月号に掲載された作家・深沢七郎氏の小説「風流無譚」の中で、天皇ご一家が革命家らに襲われる描写が不敬であるとして右翼が抗議。61年2月には右翼団体に所属する少年が中央公論社社長宅に押しかけ、社長夫人が重傷を負い、家政婦が射殺された。

橋本明『平成皇室論』について

 今上陛下の学習院初等科からの同級生であった橋本明氏(元共同通信社総務)が『平成皇室論』という一書を最近出した。朝日新聞社からである。それについて私は一昨日(7月10日)、『週刊朝日』のインタビューを受けた。

 この本はすでに報道されている通り、皇太子ご夫妻の進退について相当に思い切った提言をしている。雅子さまの行状について、私的外出や公務の直前のキャンセルなどを系統立てて詳しく記録的に語り、今後皇后としての激務をこなせる可能性は少ないと見て、次の三つの選択肢を提言した。

 (一) 雅子さまは「別居」して治療に専念する。
 (二) 皇室典範を改正して「離婚」していたゞく。
 (三) 皇太子さまは自ら次期天皇になるのをやめて秋篠宮に座をゆずる「廃太子」の道を選ぶ。

 以上のような、三つの選択肢を考えるべき時が来ているという思い切って論理的に整理された内容の提言を行った。

 誰でもこのくらいのことはすでに考えているし、驚くほど新鮮な内容ではないが、たゞ公開の文書で妃殿下の行状を詳しく述べ立てた後でのこの三提案だから、事実上の「皇后失格宣言」といってもいい。

 インタビューなどのまとめに手を入れた1000字ほどの私のコメントは、次の『週刊朝日』に掲載される。著者の橋本さんも言っているが、この面倒なテーマの「けじめ」をつけられる実行者は天皇陛下のほかにはいない。陛下以外に問題を解決できる人はいない、と私も思う。

 それなら私にしても橋本さんにしてもなぜ書かずにいられないかというと、将来の皇室の変質が心配で、それに伴い日本の未来がさらに心配だからである。国民の一人として声を挙げずにいられないのは当然である。

 昨年の『WiLL』5月号の私の発言時に、公開の文章で問わずに直接殿下にお会いして口頭で奏上するのが正しく、私は「臣下の分」を弁えない不忠義者であると、ものものしく言い立てる保守派からの攻撃を受けたが、橋本明氏のような天皇陛下にいつでも会える側近でさえ、こうして本を書いて公開オピニオンに訴える形式をとっているのである。この点をよく見届けておいて欲しい。聞く処では橋本さんは陛下がカナダに旅立つ前に見本刷かなにかをいち早く陛下にお渡しになっているようである。

 雑誌や本で世論を喚起するのは現代の常道で、それ以外に肝心の方々のお耳には届かない。否、それをいくらやったとしてもお耳には届かないのかもしれない。橋本さんの今度の本は、私とは違って、間違いなく天皇陛下のお手には渡った。

 橋本さんも言っているが、適応異常とか鬱病とかはそんなに長くつづくものではない。私は雅子妃殿下はご病気かどうかは別として、皇室という環境そのものがいやで、伝統的行事とか日本古来の仕来たりとか和歌とか作法とか、そういう世界からできればなるだけ遠ざかっていたいという心理状態なのではないかと思う。美智子皇后への劣等感もそこには重なっているように思える。

 とすると、皇太子ご夫妻が宮中の主になられた暁には、公務の質をがらと替えてしまう可能性がある。そして、あっという間に病気は治り、代りに国民と皇室の一体感も消えて、まるきり異なった宮中の姿が伝えられるようになるかもしれない。そういうような局面になることを私も橋本さんも恐れているのである。いちばん心配なのはこれである。「民を思う心」が皇室にあり、「明き浄き直き心」の模範の柱が皇室にあるとの信仰が国民にある。その二つの型の呼吸がピタと合っている。それが今はまだある。この両方相俟つ関係がはたして守られていくだろうか。われわれはそれを心配しているのである。

 昨年12月羽毛田宮内庁長官がいわば天皇の意を体して「皇室そのものが(雅子さまに)ストレスであり、やりがいのある公務が快復への鍵だとの論があるが」それに「両陛下は深く傷つかれた」とおっしゃった。これは天皇から皇太子ご夫妻へ向けて二人のあり方を真剣に考え直せよ、というメッセージであったと思う。

 今年2月の皇太子殿下誕生日記者会見で、殿下はいろいろなことをたくさんお話になったが、肝心のこの点についてだけ、記者団から問い質されていたのに、するりと抜けるようにいっさいお語りになっていない。一番のポイントである。難し過ぎて話せなかったのだと思う。勿論ご同情申し上げるが、しかし問題は皇室が妃のストレスになるというここにきわまっているのである。だから橋本さんの本の三選択肢のような具体的な提言が出てきた。いちだんと輪はせばまっている。

 もうこうなったらケジメをつけていたゞくのは天皇陛下御一人のほかにはない、という橋本さんの結論も納得がいく。従って、妃殿下のお振舞に関するわれわれの立言もすでに限界に達したというべきで、もう私は終りにしたい。

 ただこれとは別に橋本さんの『平成皇室論』は妙に政治的なスタンスが介在する。一口でいえば平和主義、平等主義。今上陛下が現行憲法の改正を望まないという趣旨のご発言を、ご即位においても、ご結婚50年の際の記者会見においても、折りにふれなさっていること、また、昔のような格差社会(身分社会)にもどすべきではないとのご意向があるというようなことを、橋本さんは強調している。

 私見ではもう日本が昔の型の身分社会に戻ることはないが、皇室と一般国民の間の垣根が低くなることは皇室の危機に直結するというにがい現実を、橋本さんは見ていない。また、戦争行為を封じた現行憲法が今まで見捨てられないできたのは、日米安保条約とワンセットになっていたからであって、これが今問われている。国内に50個所も米軍基地を許し、米国の意のまゝの戦争にのみ狩り出される可能性をこの侭つづけていてよいのかという疑問は日増しに高まっている。左右両サイドから安全保障への不安が高まっている。今上陛下の現行憲法擁護のご発言は、こう考えると、なかなかに政治的である。日本の左翼に政治利用される可能性がある。否、すでにされ始めている。

 雅子妃問題よりもこの方が深刻な問題であるので、また稿を改めて論じることにする。

謹賀新年 その二

 正月早々墓の話を掲げたのは死期を意識しているからではありません。まるきりそんなことはないのです。

 毎月一度必ず主治医に血液を採られています。そして前月の結果を知らされる。もう何年ほとんど「異常なし」です。中性脂肪もコレステロールも尿酸値も肝機能も腎機能もつねに正常の範囲内です。血糖値がやゝ境界領域にありますが、犬の散歩のおかげでこれも少しずつ改善されているようです。

 主治医はこう言います。「今は毎日のご生活が充実していることがなによりも大切です。医者はあなたの身体の逸脱を警戒し、注意を喚起するだけで、それ以上のことはできません。」

 私がそこで「大きな異常にはなにか予兆のようなものがあるのでしょうか」と問えば、「たいていドスンと来るのです。」と怖いことを言うのです。「加齢と遺伝は誰しも避けることができません。」

 私は昨年、当ブログの右側に並ぶ五冊の本を相次いで上梓し、働き過ぎでした。平成18年1月に「新しい歴史教科書をつくる会」の名誉会長を退任し、拘束から解放されたことが、著作家としてのここまでの単独行動を可能にしました。今しみじみと辞めて良かったと思っています。

 「ものを書く」という仕事は団体行動にはなじまないのです。あの立場は私から言論の自由を奪うことがたびたびありました。昨年の皇室問題に対する私の発言は、あの立場にいたら会の主張と誤解されてはいけない、という思惑から出来なかったでしょう。

 事実、皇室無謬派(皇室に対してはたゞ弥栄を祈っていればよいという無条件崇敬派)がいわゆる保守言論界の一方にいるらしく、「つくる会」の元理事で分派して去った人たちが威丈高に私を叱責し、声を荒げて意趣返しをしていたのは昨年のひとつの光景でした。ですから、昔の侭のあの会にかつての立場で私が今もいれば、私は自由ではなかったでしょう。

 私がいま手にした自由はことのほか貴重だと分りましたが、しかし自由はそれ自体ではなにほどの価値もありません。むしろ物事を危うくすることがあります。皇室という環境が皇太子妃殿下の病気の原因であるという認定、主として齋藤環氏等医師たちの認定ですが、これが天皇陛下の大御心を深く傷つけている、との昨年末の宮内庁長官の公式見解は、妃殿下にもっと自由を与えよ、というリベラル・サヨク派の思想の危うい破壊性をはっきりと印象づけました。

 これから天皇・皇后になろうとする若いお二人にもっと自由を認めたらいいというのは何を考えているのかと私は思いました。皇室という環境が妃殿下を病気にした、という医師たちの認定ほどに恐ろしい天皇制度否定論はないと思います。なぜなら皇室という環境が人権侵害をしていると言っているのと同じだからです。

 正月六日の産経コラム「正論」に加地伸行氏が次のように仰っていました。

 昨年、西尾幹二氏に始まり、現在の皇室について論争があった。その詳細は十分には心得ないが、西尾氏は私より一歳年長であり、〈勝ち抜く僕ら小国民〉の心情は同じであろう。皇室への敬意に基づく主張である。

 その批判者に二傾向、(1)皇室無謬(むびゅう)派(皇室は常に正しいとするいわゆるウヨク)、(2)皇室マイホーム派(いわゆるリベラルやサヨク)がある。

 私は皇室の無謬派こそ皇室を誤らせると思っている。

 その理由として氏は、『孝経』が歴代皇族の学問初めの教科書であるが、その中に、臣下の諫言(かんげん)を受け入れることを述べる「諫争章」がある。

皇室は無謬ではない。諫言を受容してこそ安泰である。そのことを幼少より学問の初めとして『孝経』によって学ばれたのである。諫言―皇室はそれを理解されよ。

一方、皇室のありかたをわれわれ庶民の生活と同じように考え、マイホーム風に論じる派がいる。

だいたいが、皇室の尊厳と比べるならば、ミーハー的に東大卒だのハーバード大卒だのと言ってもそれは吹けば飛ぶようなものである。まして外交などというのは、下々の者のする仕事である。

にもかかわらず、そのようなことを尊重するのが問題の解決になると主張するマイホーム人権派もまた皇室を誤らせる。

 仰る通りである。私も氏と同じような考え方である。そして、皇室は「無」の世界に生きる処に本来性があり、幼少からの教育によってそれを培い、マイホーム主義と絶縁するのである、と氏は述べた後、一文を次のように結んでいます。

陛下御不例が伝聞される今日、皇太子殿下の責任―〈無〉の世界の自覚が重要である。もしそれに耐えられないとすれば、残る道は潔い一つしかない。『考経』に曰く「天下に争臣(諫言者)七人有れば・・・・天下を失わず」と。

 「もしそれに耐えられないとすれば」以下は、随分きっぱりと暗示したものです。

 じつは何を暗示しているのかは分りません。すべての人は今ここで立ち停まっています。私もそうです。天皇陛下も恐らく同じでしょう。

 『諸君!』12月号で私は雑誌ジャーナリズムのあり方を問う評論を掲げました。言論界が各種の固定観念に囚われ、透視力や洞察力を失っている諸相を分析し、指摘したのですが、そこで最後に、私が皇室発言をしてからというもの皇室無謬派=無条件崇敬派と皇室マイホーム派=リベラル・サヨクの二方向に言論が割れていることを述べて、加地氏と同様に肝心の問題はそのどちらでもない、真中にあることを示しました。

 どちらか一方は固定観念、つまりイデオロギーであって、左右ともに人をそこで安心させ、思考を停止させ、現実的でなくなり、悩みもなくなるのです。人は現実に向き合うときだけ苦悩があります。

 年末の宮内庁長官発言は、陛下の苦悩がやはりこの真中にあることを示しております。

 年末に出た『週刊文春』の記事が気になっています。皇太子殿下がご幼少からすばらしく温良に、従順に、弟君のように腕白になることもなく、いつも模範生として、周囲の期待に沿うように良い子でありつづけたことが物語られています。そこに問題がある、という危惧の念をこめてです。「潔い」ご性格、果断さは恐らくそこからは出てこないでしょう。

 すべてこれから起こることは憂愁につつまれたままである可能性がきわめて大きいように思います。

『皇太子さまへのご忠言』のその後(四)

つき指の読書日記 より
2008/09/13
本の忠言

 テレビ朝日の深夜番組「朝まで生テレビ」をビデオで録画し、朝、それを毎月、観ている。最新の8月は「激論!これからの“皇室”と日本」で、「皇太子さまが結婚されて15年、以来、皇位継承問題、雅子さまのご病状、ご公務についてなど、世間の関心も高くなっています」と番組の趣旨が、事前に同テレビ局のホームページで紹介されていた。パネリストの中心は西尾幹二で、猪瀬直樹、高橋紘、高森明勅、上杉隆、斎藤環、香山リカなどが討論に加わっていた。
 テーマの核心はオピニオン誌「月刊WiLL」(編集長 花田紀凱)に、当初書いた西尾幹二の論文、皇太子殿下、雅子妃殿下への御忠言というか、御批判、御苦言が、この手の硬い雑誌にしてはめずらしく大反響、一部、増刷することもあり、その後も三度、核心部分の詳説、氏への批判への一部反論を含め書き継がれていった。それが先月末、新刊として、まとめられて一冊の本になった。
 番組はこの本の論旨に対する各パネリストの見解、同調、反論、批判がいつものように熱気がみなぎってなされた。老いた西尾が淡々と持説を、論旨を絞りきって語っているのが印象深かった。
 保守の大家が皇室を憚りなく、渾身の論文でそうするのは、ことの大きさ、重要さが自ずと理解できるだろうし、同じ保守派からの反論の波及は当然、畏れ多いとの心情から数多く発表された。西尾は老い先短いし、自身の知性が衰えないうちに、しっかりした正論を強靱に貫こうとしたことは、容易に理解できる。だからこそ論壇で大反響を呼び起こし、そして読者の関心が驚くほど高まった。
 この本、西尾幹二『皇太子さまへの御忠言』(ワック)を、引き込まれるように一気の読み進んだ。天皇制度、皇室への危機感がわかりやすい例えを引き、読者から送られる数多いメール、手紙の傾向を押さえながら、保守が保守へと、いまの彼らの浅はかさを、重要な核心に的を合わせて強く迫っている。このままではいずれ天皇は日本から消えるとさえ、彼らの甘さを難じてやまない。左翼がそうするのではなく、無関心層の圧倒的多数がそうさせ、極力、目立たないようにしている左翼が結果的に、その悪意の目的をはたすことになると、それがわからないのかと弁を強める。テレビでの西尾は歴史教科書問題の時と比較して、老いが確実に進んでいる。余命を知るからこそ、先の『GHQ焚書図書開封』でも、孤独な一国だけの日本文明、日本の敗戦後の桎梏からいい加減に、目覚めて自立せよと、自身にむち打つように世に問いかけている。これも歴史に残る名著で、わかりやすいので一般にも強く、心から推薦できる。

③本の皇室 [ 読書 ]

皇太子さまへの御忠言

 先の「本の忠言」で西尾幹二『皇太子さまへの御忠言』を取り上げ、天皇と皇室がかかえる危うい状態を論じた。国民国家という西洋的概念では、取り扱うことのできない、日本の失われなかった伝統である。
 伝統と古く長い歴史を持たないアメリカの日本に対する隠れた嫉妬心が、敗戦後の占領政策で旧皇族、貴族制度を解体させ、狭い範囲に追いやられたことも、その起因として大きく存在する。
 山本夏彦もこれらの藩屏(はんぺい)を失うと、皇室の継続は難しくなると危惧する言をよく吐いていた。
 その日本の国の原型、司馬遼太郎は「国のかたち」といい、戦前は国体といったが、その伝統の重みを体で自然に理解し、受け入れる、そういう人たちもすでに鬼籍に入った時代になった。
 長い間、昭和天皇のおそばで侍従として勤めた、藤原家の分家、冷泉家傍流の公卿出身であった、最後は侍従長になった、入江相政(いりえすけまさ)『いくたびの春 宮廷五十年』(TBSブリタニカ 1981年刊・絶版)を読んだ。このひとをいまの若い人は思い出せないのではないか。昭和の戦前、戦中、戦後の
皇室を共に歩んだ、その時々を和歌を織り込みながら綴られた書である。天皇陛下の戦後の行幸、欧米訪問が白眉である。昭和天皇の人となり、その帝王としての日常の日々を淡々と語っていく。時の流れに阿(おもね)ない、自然な随筆である。こういう人材がいまは、特に皇太子殿下のまわりにはいない。外務官僚の出向者で偏っている。西洋の概念だけに毒され、いまの左翼的な国際主義を唱える連中である。そこに危殆の大きな原因があると、西尾幹二は鋭く分析していた。雅子妃殿下の医師(精神医)すら小和田家の意向で決められている。国家の前では、皇室には西欧流の人権も自由も個性もなく、あるのは公としての立場だけである。それにも論及していた。その論説を思いながら読了した。

つき指の読書日記より

非公開:『皇太子さまへのご忠言』のその後(三)

 「朝まで生テレビ」の感想をもうひとつご紹介する。

 私は年老いたと文中でしきりに言われているのは心外だったが、私のことを敬意をこめて書いて下さっていることには感謝する。

 私は73歳だが、言っておくが新制中学、新制高校の卒業生である。六三三四制の申し子である。中学二年から新仮名、当用漢字を教えられた。文中でしきりに「戦前型」といわれるのは妙で、新憲法を聖書のごとくあがめた大江健三郎と大学は同学年である。

 私は大江とは違う意味でだが、むしろ自分を「戦後型」だと考えている。社会科学的発想というものが身についている。階級意識がない。民主主義をとても大事に思っている。それは小泉純一郎の郵政選挙の暴圧に対する心底からの怒りに現われた。

 あのとき私は民主主義を守れ、と書いた。「戦前型」の人は、私は知っているが、こういう反応はしない。ともかく以下をお読みいたゞきたい。

夕暮れのフクロウより 
   「朝まで生テレビ」を見る

  金曜日の深夜に放送される「朝まで生テレビ」を本当に久しぶりに見る。

  もちろんこの番組に出演する西尾幹二氏をこの眼で見て、氏の意見に耳を傾けるためである。他のコメンテーターや評論家、大学教授らにはもともとまったく関心はなかった。西尾幹二氏のみがこの番組の私の視聴の目的だった。先般16日に亡くなられた自然農法家の福岡正信氏ほどではないにしても、すでに西尾幹二氏もかなり高齢になっておられる。西尾幹二氏の貴重な生の発言と姿を――たとえテレビを通してであれ――いつまでも見られるか、率直に言って、その機会もそれほど多くはないと思ったからである。

そして、この番組を見て感じた印象だけを記録しておきたいと思った。ただ、その印象の理由や根拠をここでは明らかに説明することはできない。

この番組のテーマである皇室にちなむ君主制の問題については、以前にも私なりに考察したことはあるが、その感想を一言でいえば、この番組の出席者の中で、君主制や天皇制の意義をもっとも深く正しく理解されているのはやはり西尾幹二氏だけだと思ったことである。精神科医もその他論者たちの出席者の中でも、思想家としての質、それは人間としての質でもあるが、ひとり西尾幹二氏だけが傑出していて、周囲の人たちは、とうてい西尾氏とは同列には置けないという印象をもった。

 この番組には、西尾幹二氏と同じ世代に属すると思われるような人たちも、すなわち、少年少女時代に太平洋戦争前の戦前の日本の一端を体験しておられると思われる小沢 遼子(評論家)氏や矢崎 泰久(ジャーナリスト)氏、そして、司会の田原 総一朗氏なども同席されていた。しかし、これらの人たちと西尾幹二氏が同世代、同時代の日本に生育した人たちには、とうてい私には思えなかったことである。

もし太平洋戦争を一つの区切りとして言うなら、明らかに西尾幹二氏は人間の資質としては戦前型に属し、そして、小沢 遼子氏や矢崎 泰久氏、田原 総一朗氏などは典型的ないわゆる戦後民主主義型である。まさに人間の資質として雲泥の差があるという印象である。それは、何事にも意義と限界があるとしても、私個人の民主主義に対する評価が、とくに戦後民主主義の帰結や教育に対する評価が極限にまで低いということなのかもしれない。

 三島由紀夫がかって批判した文化状況、『華美な風俗だけが跋扈している。情念は涸れ、強靭なリアリズムは地を払い、詩の深化は顧みられない。…我々の生きている時代がどういう時代であるかは、本来謎に満ちた透徹である筈にもかかわらず、謎のない透明さとでもいうべきもので透視されている。』という文化状況は現在も継続している。

そして戦後60余年を経過した現在、還暦としても、暦の上でも一巡して本卦還り(ほんけがえり)するほどの時間が経過している。だから、現代の日本のほとんどの世代の人々は戦争を知らない。当然に私も知らない。そして、現在の世代の多くの人々は、戦後民主主義の申し子、その典型であるような小沢 遼子氏や矢崎 泰久氏、田原 総一朗氏のような人たちを自分たちの父母として、あるいは祖父母として育てられてきたはずである。世代像としては極めて少数派であるように思われる西尾幹二氏のような戦前型タイプの日本人を、自分の両親として、祖父母として育てられた人は少ないにちがいない。

 そして、当然のこととして、子供たちは、自分たちの両親や祖父母の人間像、思想、価値観を自明のものとして、そのあわせ鏡のようにして生育する。だから、およそ人間はよほど我が両親や祖父母の人間像や価値観を徹底的に相対化し批判することなくしては、自分自身という人間を独立して相対化して見ることもできない。それゆえに、もし、そうした自覚症状のない戦後世代と日本社会が、戦前の明治大正のそれに復帰しようとすれば、そのためには絶望的なほどに時間と努力を要するだろう。現状と将来に悲観的になるとすればそのためである。

西尾幹二氏クラスの人間が戦後民主主義の日本にはあまりにも少なすぎるのである。あらゆる分野、領域における人材の枯渇、それが危機の根本にあるように思える。西尾幹二氏は絶望的なほど孤独な戦いを闘っておられるように見えた。

夕暮れのフクロウより

非公開:『皇太子さまへのご忠言』のその後(二)

 「カトリックせいかつ。」さんのご文章は感銘を受けた。とりわけ「マリア様なしの祈りの生活はカトリック信者には考えにくい。天皇が祈っているのに、自分は別とばかりに違う行動をする后がいたためしがあったろうか。」と述べ、日本の歴史にも例のないことを示しているくだりは説得力があった。

 しかしその後の東宮家では残念ながらなんら改める風もなく、この10月11日のご公務欠席についても週刊誌だねになっていた(『週刊文春』10月16日号)。

 関心を寄せてくださったネットの中の発言を巾広く拾遺するのが目的で今このページを展開しているので、格別支障のない限り何でもご紹介したい。たゞ前回にも述べたが、文中の思想表現や引用個所にひとつひとつ私がどう考えているかを意見表明するつもりはない。当然だが、そういう紹介欄である。

もじもじスケッチより

2008/09/01
朝まで生テレビ「皇室問題」感想

まずい、、テレビチャンネルの選択肢がドーンと増えたおかげで、夜はテレビに張り付きっぱなし。無料視聴期間が過ぎたらネットに復帰しまーす。((((ヘ(;・_・)ノ←待て!

せっかく朝生をリアルで見たのだから、感想を書いておかなくちゃ。

今回の討論会の見所は、田原氏が西尾氏にどの程度反論を許すかだった。最初から討論会は不公平に仕組まれていた。西尾氏vs.女系容認派多数(男系支持でも東宮ご夫妻には何も問題がないとする保守派)という構図であって、西尾氏は孤立無援の状態に置かれていることから、擁護派常連メンバーによる西尾氏への“冷笑”という形の“吊し上げ”になるだろうと思っていた。

まさにそのとおりの結果で、私は西尾氏がいつキレてしまうか、ハラハラしていた。途中で西尾氏は「皇太子は祭祀も熱心にやっている、雅子さんも外国に行けば治る、皆さんがそう言うなら何にも問題ない。こんな討論会は無意味だ」(意訳)とちょっとキレた時、そのまま帰っちゃうんじゃないかと心配した。田原氏が「まあまあ、やけっぱちにならないで・・」と治めたのでなんとか続いたけれど。

天皇の戦争責任といった話は出たのに世間をにぎわせた女系問題が一切出てこなかったのは、そこに触れると西尾氏以外ほとんどが「女系で何が悪いの?」の人達ばかり恣意的に集めたことがバレてしまい、男系維持で論争がいったん治まっているのにやぶ蛇になるからに違いないと思った。ホントに胡散臭い。

ブログ「ふぶきの部屋」で、発言を上手にまとめてくださっていたのでご紹介。
「朝まで生テレビ1」「朝まで生テレビ2」「朝まで生テレビ3」

ツッコミどころも感想もまったく同意。

もう一つの見所は、東宮の状況をまったく知らない、あるいは雑誌に“雅子さん擁護”を書き続けてカネをもらっている精神科医二人やら言論の自由を盾に不敬な発言を繰り返すジャーナリストなどが、どこで墓穴を掘るかを楽しみにしていた。

「雅子さまはキャリアウーマンで、真面目で御優秀でカンペキ主義者、皇室でさっそうと自己実現することを国民は期待している」と信じている香山リカが、憲法9条信者であるとわかったことが収穫かな。敵が攻めてきたら「殺すより殺されるほうがいい」と、左翼お得意の台詞を吐いた。この台詞は元は誰が言ったんだっけかなぁ。大橋巨泉が尊敬する左翼の大御所だったはず。あなたが殺されるのはご勝手に。侵略されて無抵抗で属国化されるとはどういうことか、まったく想像力が働かないのだね。生き残ったほうが悲惨なのだよ。こういう奴らは究極の自己中心だと思う。子々孫々、日本人として生きていけなくなるとはどんなに惨めなことか。9条信者は、チベットの民族浄化問題に何の感傷も起こらないのだろう。「殺されるほうがいい」人達なんだから。

西尾氏は「中国は(日本が丸腰になれば)明日にでも攻めてくる」「沖縄を狙っている」と反論したが、いかんせん何の危機感もない連中で、保守席に座っていても「神仏は信じない」とのたまうコメンテーターに囲まれて、西尾氏は皆に鼻で笑われていた。その様子をカメラがアップした時、西尾氏はうつむいて、小さな声で「あ・き・れ・た」と呟いたのを私は見逃さなかった。大事な皇室問題をこんなバカな連中と討論しなければならないのかと、西尾氏は情けなさを感じた瞬間だったろう。

東宮に起こっている問題を見ようとしない保守系の人はこんな反応。

クライン孝子の日記
■2008/08/30 (土) 朝生での皇室を貶める問題発言! 許すまじ!

(略)
早速、読者から怒りのメールが入ってまいりました。
一体テレビ朝日は
何の目的でこのようなテーマで、
日本の象徴である”皇室”を貶める番組を放映したのか!
私自身は、見ていないのでなんともいえないのですが、
もしこれが事実というのなら、「報道の自由」の範疇を越えており
日本国民の一人として見逃すわけにはいかず放置すべきでないと
思います。

とりわけ西尾幹二氏発言に問題ありとのことです。

氏は月刊”Will”でこのことについて連載し、
この出版社から実に不愉快なタイトルで一冊の本を
最近上梓されたばかりだそうです。

以下の事件はその連鎖反応ではないでしょうか。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime
/080830/crm0808301152004-n1.htm

クライン孝子さん、西尾論文も読まず、東宮の現状を調べもせずに「西尾発言に問題あり」とは、自ら情報分析もせずに政治的活動に携わっていることを暴露したようなものだ。少なくともここまで怒るからには、番組を通しで見てから物を書け。どこをどう貶めたのか、自ら検証するのが筋だろう。無責任なおばさんだ。
この人の主張は、私自身も小泉信者とからかわれていた頃から、こんなことも知らないのか、とゲンナリするところがあった。

しかも悪質なのは、西尾氏のように皇室を貶める論客がいるから「「2ちゃんねる」に皇太子さま殺害予告」という事件が起こると誘導しているところ。

ニュースのこの部分をちゃんと読んだのか。

山本容疑者は別の掲示板にも民間企業の爆破予告などを書き込んでおり、同署は悪質ないたずらとみて余罪を追及する。

クラインさん、ネットには今上陛下を狙うような書き込みもあるのだよ。あー腹が立つ。

クラインさんは桜チャンネルにも関わっているので言いたいのだが、西尾氏の言うように、皇室問題には不敬という心理が働いて、問題があっても見たくない、見ようとしない人が多すぎる。それが男女同権・人権派などリベラルな層につけ込まれることになっていることは火を見るより明らかである。「自由平等の社会に皇室はそぐわない」「合理化して旧弊な皇室を壊したい」あるいはもっと陰湿な反日勢力に愛子さまが担ぎ上げられる動きをもっとキャッチしてもらいたい。

韓国は愛子さま御誕生には祝辞を送ったのに、盧武鉉政権時、悠仁様御誕生にはなぜ祝辞を拒否したのか。保守が手を拱いているうちに皇室が異質なものに取って代わられてしまったら、保守派の怠慢であったと責められるだろう。国連大学を介して人権団体や政治的野心を持つ特定宗教が皇太子ご夫妻を箔付けに利用しようとしているのは、過日のブラジルご訪問で宗教団体の後継者と目される人物と同じ壇上に一列に並ばされたのを見てもわかる。その写真に利用価値があるのだ。

祭祀を拒否し、核家族主義を実践する合理的な雅子さんは、左翼にとって希望の星である。
彼らは「神代と人代の分断」を目論む。日本の神々は、代々穢れを祓い徳を積んできた血統を通じ、その子孫に祭司長の資格を与える。それが天皇家の祭り事なのである。罪汚れた不道徳な者を多く抱える家系には、神は働かない。神事を司ってきた天皇・皇族は、日本の穢れを集めて祓う力を持っている。これについては、多くの証言や逸話が残っているが、省略。

「皇室問題」を語る時、本当は神仏にかかわる信仰的な部分が本質なのだが、戦後は特に神秘的なものを忌避する傾向が強いので、天皇と八百万の神々を結びつけることに慎重になる保守もどきもいる。

雅子さんによって旧弊な皇室を変えてほしいと願う左翼とはどういうものか。

西尾氏「皇太子さまへの御忠言」より
フェミニスト活動家・上野千鶴子氏の論評(朝日新聞2005年8/17夕刊)

戸籍も住民票もなく、参政権もなく、そして人権さえ認められていない皇族のひとたちを、その拘束から解放してあげることだ。住まいと移動を制限され、言論の自由も職業選択の自由もなく、プライヴァシーをあれこれ詮索され、つねに監視下に置かれている。・・・失語症や適応障害になるのも無理はない。天皇制という制度を守ることで、日本国民は、皇族という人間を犠牲にしてきたのだ。

雅子さん問題について、左翼は必ず“人権”を持ち出す。天皇と皇族は、“私”の部分を犠牲にしてきたからこそ、公人として祭司長の務めを果たすことができる。そして「道徳の規範」として自らを律することは、イコール血統を守ることにつながるのである。血統がつながっていれば、ボンクラでもいいというわけにはいかない。なぜなら不見識な天皇を国民は尊敬できない。天皇の血統は国民が大事に思えばこそ保たれていくのである。武家が隆盛を誇っていた頃、朝廷が堕落していたら、とっくに滅ぼされていただろう。

皇族が人権やプライバシーを持ち出すようになったら、すでにそれは異質なものなのである。ましてや女系天皇容認なら、そこで神代は断絶する。

「プライバシー」という言葉を使ったのは皇太子だったが、“私”の領域を自分達のやりたいように広げていくなら、一般人と何も変わりない。皇太子の位から降りていただきたい。いまだに悠仁親王殿下を「愛子のいとこ」としか呼ばず、「愛子が将来どのような立場になるか」確定していないと言う皇太子は、位の貴さや天皇家の重みをわかっていない。犠牲が伴うからこそ貴いものであることを。

女系天皇問題は、まだ終わっていないのである。

西尾氏に賛同する私もまた「被害妄想」「君側の奸」と笑われてもかまわない。
これが杞憂ではないと思うのは、今後さらに秋篠宮ご一家への中傷が増えてくるだろうということ。秋篠宮ご夫妻への事実に基づかない悪口は都市伝説化されてきた。嘘も百万遍・・・である。一方の皇太子ご夫妻はありとあらゆる賛美が繰り返されてきた。私もまた東宮ご夫妻の素晴らしさを信じて疑わなかった一人である。批判が出るようになったのは、ほんのここ数年のことである。

これは日本人の“長男贔屓”では片付けられない問題をはらんでいる。幼少の頃から秋篠宮殿下を見守るように取材してきた江森氏は、一般に流布されているやんちゃな礼宮のイメージとは逆の思慮深さを浮き上がらせている。(参照「秋篠宮さま」)

お遊び好きの“やんちゃ”は、実は浩宮殿下のほうだった(笑)。 やんちゃが悪いと言っているのではない。若い頃に羽目を外して遊んだことのない人のほうが、あとで反動が来そうでこわい。ここで言いたいのは、世間には逆のイメージが植え付けられていたということである。

そのお二人が伴侶を得た時、公務に自由な遊び時間を求め、予定変更して周囲に迷惑をかける東宮ご夫妻となり、分刻みのスケジュールを守り、国民との触れあいを重視される秋篠宮ご夫妻となった。公務中の警護担当者に帰り際会釈して労をねぎらわれる秋篠宮ご夫妻、振り返ることもなく去っていかれる東宮ご夫妻、どちらのほうに公務の依頼が増え、あるいは減るだろうか。

8/31には孝昭天皇式年祭が執り行われた。
皇太子は静養先から戻り、御拝礼されたが、雅子妃殿下と愛子さまは那須御用邸から戻らなかった。病気で義務を果たせないのなら、せめて皇太子と一緒に御所に戻り、その時間、真摯に祈られたらどうか。

朝まで生テレビでは、最後に西尾氏はこうまとめた。

「あと一年くらいの間に、雅子妃はけろっと病気が治られるんじゃないかと思っています。
なぜならもう既に治ってらっしゃるからです。病気じゃないからです」
「私は自分の文章が、皇太子の救いになっていることを知っています。なぜなら小和田家に圧迫され、小和田家と雅子妃にコントロールされている皇太子に後押しとなるからです。私はその事実を皇太子にきわめて近い立場から聞いております。君側の奸ではありません」

「(雅子さんの治療ということで)外国に長く5年も6年も行けば、あるいはその間治るかもしれないということだったら、これはご離婚か皇位の移譲以外ない。つまり皇位の移譲というのは、皇太子殿下が自ら進んで秋篠宮に皇位を移譲して、そして離れて、そして外国に行くと」

それには皇室典範改正が必要になってくるという流れになり、ようやく番組終わりになって本題に入ったような、イライラが募る討論会だった。

香山と斉藤の精神科医は、雅子さんを「ディスチミア親和性ウツ」という新型鬱(仕事はできないが遊ぶ時は元気になる)と考えているようだが、ディスチミアということは、人格障害と認めたようなものだ。「すでに治っている」とする西尾氏のほうがやさしいじゃないの(笑)。

擁護派は、雅子さんは治りにくい精神疾患ということにしておかないと、ただのワガママ女だということになるのでまずいのだろう。ストレスによる適応障害だとすると、こんなに長引くのは説明がつかない。そこで新型ウツが妥協線になる。しかし、新型ウツだったら、何年外国に行っても治らないよ。人格を矯正するところから始めなければならないのだから、「人格否定された」と周囲に被害妄想を抱いているような人は、自分の人格に問題があるとは決して認めることができない。斉藤氏はなんとか雅子さんをヨーロッパに行かせてあげたいようだが、矛盾だらけで全然擁護になっていない。

本物のキャリアウーマンが皇室に嫁いで適応障害になるとは限らない。3~6才までアメリカにいた紀子様も帰国子女だし、英語はお得意。大学院まで行かれたので雅子さんより学歴が上。紀子さまに職歴はないが、雅子さんも父親の庇護の元、外務省職員として重要な仕事は任されないまま2年間務めただけ。つまり学歴だとかキャリアウーマンとかはまったく関係ないわけで、精神疾患にかかったのは、雅子さんのパーソナリティの問題に他ならない。by西尾氏

比べてみれば、紀子様のほうがよほど優秀だということがわかる。そもそも比べる必要もないのに、香山リカなどはいたずらに「紀子さまは母として確立。雅子さまは優秀だから仕事で自己実現」と紀子様を優秀でないように言外に含む言い方をする。香山リカの紀子様を小馬鹿にしたような雅子さん擁護には、心底怒りを覚える。

雅子さんに男の子が授からなかったといって、どこの誰が責めたのか。雅子さんがプレッシャーを感じたというなら、妊娠していることを知りながらなぜスペインに行き、車に揺られてレストランに行き、ワインをたくさん召し上がったのか。この方は、自分の欲望に忠実なだけではないか。皇太子に嫁ぐとは、お世継ぎの期待があることは当然であるにもかかわらず、「雅子さんはプレッシャーに潰された」というのが本当ならば、アホとしか言い様がない。擁護する人達は、雅子さんを悲劇のヒロインに仕立て上げながら「雅子さんはそんなことも知らないオバカさんでした」と言っているに等しい。上げているんだか、下げているんだか…。

朝生討論の結論としては、雅子さんは新型ウツだから治療には相当な年月が必要。だからといって5年も10年も外国で療養するのは許されないこと。「全力で守る」と言った皇太子は、自ら退位して雅子さんを守れ。政治家は皇室典範改正について臆病になるな。

擁護派も雅子さんのご病気は回復が難しいと見解が一致したようで、なんとなく皇太子妃殿下から皇太子夫人に降りたほうがいいんじゃない?という流れの中で、強く拒否感を示す人がいなかった。

西尾氏が1年以内に「けろっと治る」と言い切ったのは、平成21年の天皇陛下即位20年が皇太子と雅子さんにとって節目になるということではないかと思った。公務の代行問題も含め、今上陛下自ら来年になったら考えるとおっしゃっている。即位礼正殿の儀にどのように臨まれるのか、雅子さんは病気を盾に今まで同様に無視するのだろうか。その前に今上陛下は何らかのお答えを出されるような気がしている。

悠仁様に一刻も早く帝王教育にふさわしい環境を整えてください。愛子様は内親王としての躾や教育もお受けになっていないように見受けられます。一般のマイホームパパ・ママならそれでいいのですが、愛子様は国民にとって大事なお姫様なので、周囲がもっと気を配ってほしいのです。子離れできない雅子さんが立ちふさがるでしょうが、子供に愛されたいと思うパパ・ママは、子供のわがままを放置しがちです。子供の将来を思えば、子供が周囲の人から愛されるために厳しく教育することが必要ではないでしょうか。今のままでは情緒不安定になるか、無感動、無表情になってしまうと心配です。こういうふうに書くと愛子さまバッシングなどと言われますが、「何も問題ない」と言い切る人ほど愛子様のことを大事に思っていないのでは?と悲しくなります。愛子様から遠ざけられている今上皇后陛下は、どれほど心配されておられるか…。このままでよいとは決して思いません

もじもじスケッチより

非公開: 『皇太子さまへの御忠言』のその後 (一)

  『皇太子さまへの御忠言』が刊行された直後、それはまだ『WiLL』10月号に私の「連載で言い残したこと」が載っている最中であったが、テレビ朝日の夜中の番組「朝まで生テレビ」(8月29日ー30日)に出演した。雑誌連載に対しても、本に対しても、テレビ出演に対しても、各方面から、ご批判やらご感想やらを多数いただいた。

 活字になったものについては、必要な対応は活字の世界ではたしたし、またこれからも、時に応じて雑誌論文のなかで言及するかもしれない。ただ、もう当分のあいだこの分野で新しい働きかけや大きな思想展開をするつもりはない。悠仁親王殿下の帝王教育の方針や内容について発言せよ、ということを言うかたもおられたが、それは私の任ではない。

 これからはわが国のアメリカの呪縛からの解放が少しずつすすむだろう。大東亜戦争の位置ずけはいまも変わりつつあるが、もっと大幅に変化するであろう。いままでのように、戦後史の見直しといっても、戦後の立場から戦後を見直すといったレベル――例えば『文芸春秋』10月号の座談会「新・東京裁判批判」など――は、早晩、否定され、乗り越えられていくであろう。

 戦後の皇室はアメリカに庇護された平和体制といわば一体となってきた。日本列島におけるアメリカのプレゼンスが小さくなるにつれ、支配構造も変わるし、国民の政治意識も変わると思う。どんな風に変わるかは勿論わからない。

 ただ国民の皇室への期待や希望もそれに応じて今とは変わり、皇室自身も過去の歴史においてそうであったように、柔軟に対応の姿勢を変えてくるであろう。

 何年か先か、何十年か先か、それはわからない。私の投じた一石はかならずやそのとき回顧され、あれが曲がり角であったと思い出されるに相違ない。それが幸福への回路か、不幸への坂道かはもとより予想のつく話ではない。だから当分、私のほうから新しい大きな手を打つつもりはないのである。ただ小さな感想はいくらも思い浮かぶし、寄せられた面白い言葉やふと眼にして、ご紹介したいと思う記事にはこれからも多分出会うであろう。

 そこで、9月に私のテレビ出演や書物に対して語られたネットの中の言葉を、ご承諾をいただいて、順次掲示してみたいと思う。まず最初は「カトリックせいかつ。」さんのブログからである。このかたのご文章は、以前当ブログで、感銘をうけてご紹介したことがある。そして、『WiLL』6月号にも転載された。

 今度のご文章もバランスがよく、私を意識しないで勝手に、自由に書かれているところがありがたい。内容はこのかたの思想であって、私がひとつひとつについて、賛成だとも反対だとも言っているわけでないことは当然ながらご了解いただきたい。

 2008-09-01 朝まで生テレビ
生まれて初めて『朝まで生テレビ』という討論番組を見た。といっても起きて見ていることができないので、録画して土曜の朝に見た。

ついにテレビで皇室問題を取り上げるというので、西尾幹二先生ファンのねらーの皆さんからも期待と不安をもって見守られていたが、全体の構成として、私は(初めて見たせいかもしれないが)それほど悪くはなかったんじゃないかなという気がした。東宮問題でよく取り上げられていること、たとえば雅子妃が病気療養中となっている最中、高級外食に頻繁に出回っていることや、皇太子の次期天皇としての自覚の薄さや資質の問題などが、ちゃんと放送されたことの意義は大きいと思う。でも、雅子妃の実家の小和田家のことまでもっと言及してほしいという物足りなさは残った。

田原総一朗というジャーナリストが左巻きの人で、しかもものすごく旧態依然とした皇室観の持ち主だということは最初の10分ですぐ知れた。と同時に憲法9条に固執する人たちのアタマの堅さにも恐れ入った。天皇を厚く敬うことがすなわち軍国主義への特急列車だという発想から未だに一歩も出られないというのがすごい。ただ、左巻きの人たちと思しき中にも両陛下へ対する敬意がいくらかでも見られたのは嬉しかった。また、田原司会者が特殊な思想の持ち主でありながらも、議論の中心役となって、誰からの意見もまんべんなく拾える技量はさすがだと思った。私はこういう番組ってもっと、オレがオレがの人たちでまとまらなくなり、声の大きいほうが勝つみたいな顛末になるのかと思っていたのだ。国会の議場で起こる見苦しい野次や乱闘騒ぎとは雲泥の差で、紳士的な大人の議論場だという感じがよかった。

さて、西尾先生はその中でも主役である。『WiLL』に掲げられた「皇太子さまへ敢えてご忠言申し上げます」の寄稿が今回の番組のきっかけなのだから当然だ。だが発言回数はそんなに多くはなかった。平田氏(アジア太平洋人権協議会代表)や、高森氏(日本文化総合研究所代表)といった人々のほうが、むしろ積極的に問題点をついていた。静岡福祉大の高橋先生は、昨今の東宮記事でコメントを出す方として有名。この方は女帝推進(容認?)派だそうだが、現在の東宮家には批判的というスタンスが面白い。

雑誌で有名なコメンテーターとしては、精神科医の斉藤&香山両氏がいるが、この人たちは雅子妃の病気とその治療についてしぶしぶながら(?)説明させられていた。斉藤氏の、「外国へ10年でも療養に行けば・・・」という説には仰天だったけれど、そしてそれを西尾先生も「あまりに同情的すぎる」とお怒りだったけれど、仕方ないんじゃないだろうか。この二人はどこまでも、医者としての意見しか言えないし、それを超えたら越権になる。少なくとも雑誌やテレビの場でこの人たちが呼ばれるときは精神科医としてであるから。日本の皇太子妃や皇后が、あるいは皇太子もしくは天皇になった際の夫君をまじえて、外国でしか治り得ない治療にあたるということは、ありえないし許されないものだ。だけれど、この医師たちが呼ばれて話をする以上、精神科的見地からしか意見を述べるわけにはいかないのだ。つまり呼んだってしょうがないってことなんだけれども。だって雅子妃が病気かどうかなんて誰も知らないんだから。

上杉氏というジャーナリストが、誰も皇室の実態を知らずにいる中で議論をするのはナンセンスである、という発言を後半にしていた。しかしそれは、あの場でも反論されていたように、皇族の行動や肉声の発言から拾える情報で、十分ではないかもしれないがある程度察せられることを元にしていると思う。ジャーナリストらしく、事実をきちんと書き起こしたものが必要だというなら、「新ドス子の事件簿」というホームページをご紹介したい。雅子妃の動静が、宮内庁発表のものから一般人の目撃証言にいたるまで網羅され、毎月の出入りの様子が一覧表になっている。東宮家が問題だといっている多くの人たちは、憶測や好き嫌いでものを言っているのではない。むしろ、雅子妃に同情的な人たちこそ、よくよく現状を知ってから意見して欲しいと思うのだ。雅子妃が外務省の将来有望なキャリア女性だったなどという幻想が前提ではないか。そこらへんも西尾先生が地雷発言されて、パネラーの全員が「あ~あ、それ言っちゃった」という顔をしたときがいちばん面白かったけれども。

いまどき不敬なんていう言葉は死語だ、などと発言した人がいた。週刊金曜日に関与した矢崎氏というジャーナリストだったと思うが、死語だろうか? そういう人に限って、イマドキの若者は礼儀知らずだとかいうんだろうと思う。皇室に名誉毀損で訴える権利があるかどうかという議論より前に、生まれたばかりの赤子をサルにたとえるような、皇后という地位は別にしても、年配女性のファッションを茶化すような下品きわまるパフォーマンスを言論の自由などと言ってほしくない。法的権利以前の、人間としての節度、常識の問題である。また、これもやはり同じ矢崎氏が、日本には言論の自由がないと発言していた。その根拠に、この番組に出るのに、怖い人たちに脅されるからとかなんとか言っていたが、あまりに認識が(私と)違いすぎてびっくりした。本当に言論の自由のない国というのは、戦時下の日本のような状態を言う。右翼に脅迫されることと、官憲が家まで現れてしょっぴかれるのとは大違いである。右翼が脅しに来れば、それが事実なら警察はちゃんと守ってくれるではないか。雑誌に検閲がかかって発刊を止められるということもほとんどない。皇室を平気で貶めるような下劣な演劇集団に関与している人間が、同じ口で言論の自由がないなどといえる立場かと腹立たしかった。きっとこの人たちは田原氏も含めてものすごく地頭がいいだろうし、知識も豊富だと思うのに、こんな簡単なこともわからないのかと不思議にすら思える。

皇室の祈りについても言及されており、祭祀を拒否する雅子妃のことも問題視されていた。祭祀を公務だと勘違いしているパネラーには驚いた。宮中祭祀は天皇家の私的行為として位置づけられていることは常識の範囲内だ。一般学生の回答ならいざしらず、そんなことも知らない人間はこの議論に招かれる資格はない。確かに、祭祀は天皇の行うものだし、そこへ連なる皇族はただの陪席ともいえるが、深夜や早朝、潔斎して祈られる陛下の傍らで、心を合わせて祈る皇后陛下がいてこそ、日本の安寧は守られていると信じている多くの日本人がいることは事実だ。カトリックで言えば、マリア様の役割をされているのが皇后陛下なのだと思う。カトリック信者はマリア様の祈りに強められ、励ましをもらいながら信仰に努める。マリア信心は正確に言えば教義ではないし、ミサの中で聖母マリアという言葉が出てくるのは1、2度程度で、公的な意味合いは非常に薄い。にも関わらずマリア様なしの祈りの生活というのは、信者にとってもはや考えられない。天皇が祈っているというのに、自分は別とばかりに違う行動をする后がいたためしがあったろうか。日本史上もっとも奔放な中宮だった待賢門院璋子でさえ、禁中の行事には従った。雅子妃がそんな有様だとすると、現代人だからでは済まされない皇室の伝統の破壊である。

思えば・・・雅子さまという方がこの15年間に、日本人や日本の国のために、何かなさったことがあったろうか。カトリックに傾倒しているんじゃないかと疑われたこともある美智子皇后さまは、和歌をよくし、古事記や日本書紀を深く読まれ、何より日本人のすべてに心を寄せられていることがわかる。子ども時代の紀宮さまを連れて、母と娘の小旅行をされたときも、毎回必ず、日本の歴史と伝統に深くかかわりのある場所を選ばれていた。その上ほとんどの回で神社へお詣でになっていて、それも庶民の我々がお賽銭を投げて柏手を打つような簡単なものではなく、ちゃんとローブモンタントを召された姿で、オーソドックスにお参りされる姿をきちんと娘の眼に焼き付けておいでだったのである。

然るに、雅子さまの口から出るのはいつでも必ず外国、外国。古事記と日本書紀の違いも、いつ書かれてどういう特徴があるのかすらもあの方は知らないような気がする。和歌もダメ、邦楽や日本画にも関心薄く、食べ物の好みがオール洋食という雅子妃である。日本に心を寄せるどころか、自分を苦しめ、傷つけたという恨みすら持っているふしもある。娘の言葉の練習をABCから始めようとしたというまでの徹底した外国礼賛だ。お宅の娘さんの父親は日本人じゃないんですかと聞きたい。娘時代、父親が外務官僚で外国へ行くことが当たり前の生活だったと記者会見でも述べていたが、その意味するところは、「外国に行ける生活すなわちお金持ち、ハイクラス」という俗な認識で成り立っていることが明らかである。華美な生活を誇示することで自分をよく見せようという発想ほど、逆に貧しく見えるものはない。皇室の価値観とは真逆の思想である。

いまも那須で引き続きご静養中のご静養を続けておられる妃殿下、宵っぱりで徹夜にも強いそうですので、『朝まで生テレビ』をご覧になることもお出来になれそうですね。どうかこういう世論を知って、身を正すか、あるいは皇室ときっぱり縁を切って下さい。適応障害になりそうなのは、あなたのような方を皇后として見なければならない日本国民のほうです。

「カトリックせいかつ。」より