皇室問題の論じ方(五)

 かつて私の母は香奠袋を買い貯めることを決してしなかった。御霊前と書かれたあの袋は誰かの訃報に接したそのつど買い求めていた。死者の出るのを待っているかのような振舞いは慎むべきだ、という戒律のようなものが母にはあった。

 今でもこの掟を守っている日本人は少くないだろう。私にも私の妻にもそのような心の動きがまだある。私たちはときとして便利に負けてこの定めを破ることがあると、「とうとう買い貯めてしまった」と悪いことをしたときのような会話をしてきたからである。

 今の若い人はどうだろう。文具店などであの袋が3-5枚ビニールに入れられて売られているのを見ると、複数買い置きすることに抵抗はなく、それが死者を待つ悪心だと言い継ぐ人もいなくなっているのではないだろうか。

 天皇の制度についても少し前までは不動のものという気風に揺らぎがなかった。遠藤浩一さんのブログを読んでいたら、氏の師匠筋にあたる、92歳になられた社会民主主義者の教授が「天皇制を抜きにした社会主義は考えられない」と仰言ったということばが記されていて、あゝ、一昔前まではたしかにそうだったと往時を思い出した。

 三島由紀夫が日本共産党は天皇制を伴った革命を目指していると言ったことがあり、これを警戒すべき最大級のことと書いていたのを思い出す。社会主義者も共産主義者も天皇の二文字には勝てないといわれたものだった。

 しかし今はどうだろう。天皇なんか要らないと平気で口にするのはホリエモンだけではない。ある年齢より下の層に、香奠袋の買い置きにためらう心が失われたのと似たような、たじろぎの無さ、無遠慮さ、ベールを剥がしてしまった素裸になった心の状態、が横行しているのではないだろうか。

 最近私の雑誌論文にときどき感想文を寄せて下さる方に40代の公務員Aさんがいる。彼は率直に書いてこられて、正直に世代を告白している。次のように書くことにためらいを持たない世代に属する。

 

 今回も、雑誌「正論」2月号に西尾先生が書かれた「皇室典範と財政」を拝読させて頂きました。30~50年後に天皇制が左右から攻撃され、真の危機が訪れるという視点は、他の論者にない大変説得力のある視点であり、かつ、これまで朝日新聞や中野での皇室典範改悪阻止国民決起集会などで西尾先生が繰り返し強調された点であり、かなり世間に浸透してきたと思います。

 他の論者が主張する「2000年続いた伝統を守る」という視点だけでは、「日本の伝統を守る」という点に価値を見い出さない人や、むしろ日本の古い体質を変えていくことに価値を見い出す人にとっては説得力を持ち得ません。

 私は、西尾先生が提示された視点に。更にもう1つ付け加えれば、更に説得力が増すのではないかと考えます。西尾先生が提示された視点は、天皇制が左右から攻撃され、やがて天皇制が廃止されるだろう、というところで止まっています。これでは、天皇制を存続させるべきと考える人々に訴えることは出来ますが、天皇制が廃止になっても、「ああ、天皇がいなくなったのか」という溜息だけで終わってしまう大部分の一般庶民には訴える力を持ち得ません。

 「正論」2月号のなかで、旧竹田宮直孫である竹田恒泰氏が、天皇制を、世界最古の木造建築である法隆寺に例えておられます(この例えは、とても良く理解できる例えだと思います)が、法隆寺を木造のまま保存しなければならない、コンクリートに変えてはならない、という主張は、法隆寺を保存しなければならないと考えている人々にしか説得力を持たないのと同様です。

 私は、天皇制が廃止になったその先に何がやって来るのか、を提示することが大切だと考えます。もし天皇廃止論者の思い通りに物事が進んだとすれば、天皇制が廃止になった後、共和制が導入されるかもしれないという点です。

 この文章はひきつづき、共和制の国というと恐らく日本で考えられるのは「朝鮮民主主義人民共和国」や「中華人民共和国」のような社会主義国家だろうと述べている。1960-70年代のような過激な破壊行動ではなく、ゆっくりと、しかし着実に一貫性をもって進めるやり方で、天皇の制度を壊したいと考えている人々が多数いて、それは日本を社会主義国にしたいという動機から出ていると論述しておられる。

 Aさんの質問に対し私はどう答えたものか悩むのである。「天皇制が廃止になったその先に何がやって来るのか」分らないというしか私にはまったく言いようがないからである。

 共和国というのは何も社会主義国とはかぎらない。王制を持つ国の方が少い。フランスも、ドイツも、アメリカも君主国ではない。天皇の制度が廃止された後の状態として人々が連想するのは必ずしも北朝鮮や中国ではなく、普通の近代先進諸国家群である。

 だから必ずしも特別のことではないと考えてよいのかもしれない。だからこそ、「大部分の一般庶民」は天皇の制度が廃止になっても「あゝ、日本から天皇がいなくなったのか」という溜息だけで終ってしまう、ということが平気で予想されているのである。多分これは真相を言い当てている。そして、とても厄介な、恐しい真相でもあるといえる。

 けれども他方、日本人は未知の領域に入るような不安も抱いている。皇室典範が政治的タームになって以来、新しい変化を感じとり、慎重に扱うべきだとする人々の声が小さな波から津波のようなざわめきになって国内に広く及んでいる。日本の国民にとっては天皇の存在はやはり格別のことなのである。

 平生は意識していない事柄が危機を迎えてあらためて意識される。伝統とか文化とかいうのはだいたいそういうものだろう。

皇室問題の論じ方(四)

 『正論』2月号(今店頭にあるもの)で私は再び皇室典範改正問題をとりあげた。朝日新聞に書いたものと同内容を3倍の字数に拡大し、少しゆったりと述べたのだが、今まで言わなかった次のような新しい観点をもとり入れた。

 天皇制度はなぜ必要なのか。正面からそう問われて、確信をもって答えるにはどうしたらよいか、私はずっとそのことを考えて、いまだに適切な答え方を見出せないでいるのである。

 天皇制度は絶対に必要であるという命題をあたかも自明のごとくに考える人にとっては、疑問そのものが成り立たないだろう。また必要ではないと頭からきめつけている人にとっても問いの起こる余地はない。しかし大半の日本人は、天皇制度はなぜ必要なのか、と問われて、何となく必要と思うものの、きちんと答えたことはない。大切なものだと思っているが、なぜ大切なのかと問われて、やはり答えることができない。

 かく言う私自身がそうである。歴史を学んで天皇制度の絶妙さ、古代から現代まで権威と権力を二分してきた中国とも西洋とも異なる王権の独自性の価値を知り、それが失われた後の歴史の死を恐れてはいる。けれども歴史の死の姿はどうしても想像の域を越えない。日本人は誰も天皇のいない歴史を経験していない。未経験に属することはすべてこうなるであろうという推測であって、確実な知識たり得ない。

 少くとも自由とか、平等とか、人権といった価値の尺度では測れないもの――それが天皇の制度である。国際化とかグロバリゼーションとか世界史的普遍性といった概念にどうしても一致しないもの――それが天皇の制度である。

 私は『正論』2月号に次のように書いている。

 

 天皇家のような神聖家族にあっては、婚姻で神聖でない血脈が入ることによる神聖性の稀薄化は神秘の消滅、権威の失墜、そして連続性の死を意味する。

 私は平等とか人権とかいった近代の理念のまったく立ち入ることのできない界域が社会の中に存在することの必要について今語っているのである。個人がどんなに努力しても及ばない世界が存在することの意味について今考えている。人間は決して自由ではない。歴史は個人の自由を超えている。天皇にも自由意志はない。それを無言で教えているのが近代史の届かない所にある王朝の歴史である。歴史の短い民族には欲してもこれが得られない。日本民族には稀有な天与の宝が授けられているといっていい。

 私たちの伝統は私たちが意識し得ないなにかである。天皇個人の努力や意図をもはるかに超えている。天皇は神ではない。神を祭る祭祀継承者であり、いわば神主の代表である。

 平等とか人権といった近代の理念の立ち入ることのできない界域が社会の中に存在する「必要」と私は書いた。個人がどんなに努力しても及ばない世界が存在することの「意味」とも記している。けれども自由とか平等とか人権とかいった近代西洋の概念に日本人は一方では身をさらして生きている。だからここで「必要」とか「意味」といったものの、本当は私にはこれが分らないのである。

 必要とか意味とか言っているのは、別のことばでいえば「信仰」ということだろうか。そう考えればよいのだろう。私はそういうつもりで「必要」とか「意味」ということばを用いていることに自ら気がついた。

 そうはいっても、本心をいうと、ここでいう「必要」や「意味」を確信をもって、緻密に分析的に語る自信がいまだに私にはない。「あなたは信仰を持っているか」と問われて、けれんみなく、堂々と自己の信仰を披瀝できる人は幸わせである。信仰は懐疑を伴って初めて誠実になる。懐疑を深めることで、信仰も深まる。

 そう考えれば、天皇の制度は日本人にとって道徳や歴史の起源であると明言するよりも前に、信仰の世界であるとためらいがちに言った方が正しいだろう。なぜ必要なのかと問われて答えられない。しかし必要なのである。なぜ大切なのかと問われるとやはり答えられない。しかし大切でないとは大概の日本人は思っていない。そう国民が無意識に考えているとしたら、これはなんといっても信仰の領域であろう。

 日本人には信仰心がないとその昔、西洋旅行をした知識人はよく口にした。教会の暗い座席で西洋人が祈祷している姿を垣間見て、信仰心の篤い西洋を羨み、現世的な日本人を蔑むように語る日本人が多かった。私はそのとき正月に神社の社殿に向う日本人に宗教心がないなどとどうして言えるだろう、と訝しんだ。

 皇室典範改定の議論が湧き起こって以来、人々の心に火が点いて、ゆっくり野火が燃え広がるように、ミニコミ紙やオピニオン誌から、テレビや新聞の討論を経て、国内を動かし、官邸を揺さぶる議論の大波がこの国を蔽い始めた。女性天皇と女系天皇は違うと、巷でひとびとは囁きだした。少しづつその規模は大きくなっている。

 昨日私の家に来た大工さんが「先生、女系と女性はどう違うのか教えて下さい」というので、私は大きな女系の略系図を図解して説明し、即座にわかってもらった。「なるほど、系図をつくると皇室はどんどん遠くへ行っちまう。とんでもねえや。」

 これはほかでもない、日本人の信仰の姿でなくて何であろう。天皇の問題はすぐれて日本人には宗教の問題なのである。中国も韓国もこれには干渉できない。靖国の問題に干渉しても、天皇の問題に外国人は手を触れることはできない。

 天皇の制度はなせ必要か、なぜ大切かに関して大抵の日本人はうまく答えられなくていいのである。信仰や宗教の問題に簡単に、割り切った答を出せないのが当り前であるのと同様であると考えていいだろう。

 
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 付記
 これ(Age of infomationのブログ)は日比谷の集会に参加した人の報告です。

  日比谷野外音楽堂での14日の催しにご参加くださり、寒い中で、雨にふられつつ写真までとってくださりありがとうございました。私は日録の「皇室問題の論じ方」(四)で述べたような、懐疑的な内容、天皇制度はなぜ必要で、なぜ大切なのか自分でもうまくいえないといった内容の話をしました。大工さんの例もだし、たぶんこれは信仰の問題なのだろう、ともいいました。もっとも地味な内容でした。おとりあげになっていた話題は私のではありません。 

 会場には1500人以上いました。デモが始まると街中からの途中参加者が増えました。約2000人が日比谷から銀座通りをデモ行進し、東京駅をこえて、私はズボンがひざから下すっかり濡れて、それでも最後までついていきました。5,6歳の幼い子もいました。皇室典範改悪ハンターイとシュプレヒコールにもずっと参加しました。デモは旗と傘と雨合羽の長蛇の列で、けっして小さなデモではありませんでした。空中写真があればいいな、とだれかいっていました。登壇者で最終地点までいったのは私だけだったらしく、マイクを持たされ挨拶しました。しかしすでに散会後で、半分の人は立ち去っていました。靴の中に水がはいっていました。
 
  学生時代に絶対にデモに行かなかった私が、どいう風の吹き回しになっているのでしょう。
 
  残念ながら、この日の行事もデモも産経にさえ報道されませんでした。チャンネル桜は放映するでしょう。

皇室問題の論じ方(三)

 いうまでもないが、今の天皇家が30-50年後に左右両翼の政治勢力から挟み撃ちになるかもしれないという辛い、やる瀬ない「歴史の復讐」に言及したのは、恐らく私が初めてだろう。この小さな一文で人々の意識に問題の新しい相を映し出すことができたのであれば望外の幸せである。しかしそれには、小堀氏との対話や岩井氏の論述などに接して、私には私なりの思念の変転を潜り抜けていた背景がある。

 保守系の人は朝日をバカにするが、口惜しいけれど、効果は抜群なのである。次に例示するのは、国語学者の萩野貞樹氏である。萩野氏は私が参加していない反対集会(渡部昇一氏が主催した11月30日ニッショーホールの)で名論卓説を述べた方である。私はテレビで拝見したが、「血統」だけがすべてだ、「字が読めない人でも目が見えない人でもいい」と言って「あゝこれは言い過ぎかな」と口ごもった、面白い方である。

 天皇の歴史事情に詳しく、身分の低い地位に落とされていた十親等も離れていた人物が、歴史の闇から拾い出されて天皇に即位した例などをいくつも語った。「血統」以外に天皇になれる根拠はなく、有識者会議が幼い頃からの「帝王学」の必要を言うのは笑止千万である、教育などなくても「血統」さえ正しければそれで十分、明日からでも天皇になれる、などとかなり過激なことも仰言っていた方だ。14日の日比谷野外音楽堂の大集会にもスピーチされるお一人である。

 萩野さんは拙文を次のように評する。

 『朝日』の「私の視点」のご論考は、今度の問題の骨格を簡潔に、かつ完璧に剔抉したものですから、落ち着いて読むぐらゐの人なら皆我が党に附いたのではないかと思ひました。(例によって私の楽観論ですが)。
 ご文章は「例示」的な部分で多少「朝日」による削除部分があるやうに感じましたが骨組は完全に伝はつたと思ひます。なにしろ他の議論は(本日の「正論」を含めて)「だからどうなの?」と言ひたいものばかりで、あまり影響力はないでせう。来月14日には、予定ではまた私もひと言だけ言はせてもらへるやうですが、先日と同様「天皇の根拠は伝統だけなんだ」といふことを何とか訴へたいと思つてゐます。

 本日の「正論」とあるのは桜田淳氏のそれである。そしてじつは、これにつづけて萩野氏は誰もまだ考えていない次のような推量を述べられた。ウーンと私は唸った。

 ところで、今権力側がやたらに急ぐのは、「立太子礼」の所為ではないかと気づいて愕然としました。天皇崩御となれば数年のうちには立太子礼が執り行はれます。昭和天皇の場合は大正5年、元皇太子殿下のときは平成3年でした。たしかに彼らにしてみれば急ぐ理由があるのです。これは恐怖といふべきです。全く猶予ならず、全力を執注しなくてはなりません。先生には本当にお願ひです。いや、ひとりで皇室を背負つてゐるやうな言ひかたですが、実際そんな気分です。
どうもあれこれ申し上げて失礼しました。この度はありがたうございました。
                                       萩野貞樹

 このことはまだなんびとも論っていない。余り表立って口にできない事柄が前提とされているので、ことの葉にのぼるということもない。が、なるほど、たしかにその通りかもしれない。

 「立太子礼」はそんなに急ぐ必要があるのだろうか。先例においても3-5年の期間があると書かれているが、予め決定されていないと何かと不都合という理由があるのであろうか。

 現行の皇室典範でいけば立太子は秋篠宮である。それではいけないのだろうか。皇太子と年齢差が大きくないという問題はたしかにあるが、――

 女系天皇、長子優先の有識者会議の思想を推し進めてきたのは一説には必ずしも小泉首相ではなく宮内庁の官僚たちだという見方もある。「立太子礼」とこれはなにか関係があるのだろうか。

 私には分らない。知っている人は誰か教えてほしい。こういう秘儀めいた事情になると、私などでは考えの及びもつかない。

皇室問題の論じ方(二)

 私自身は一昨年まで皇位継承問題に関心もなく、小堀氏のように研究会を開いて予備勉強を重ねておくというような勤皇の士でもなかった。ただ継承問題が世に提起され、いろいろな人がこれを論じるにつれ、論じ方が次第に気になり出した。そこに例によって現代知識人の迂闊さが現れているからである。保守派には今言ったように保守派に特有の迂闊さがある。

 強大な敵が見えないこと、歴史の枝葉末節にこだわって歴史を大づかみにできないこと、それから皇室を今や畏れおおいとも思っていない一般国民の白けた空気を意識していない宙に浮いた語法や説明の仕方、伝統を大切とも思っていない大衆に伝統を声高に語る観念性、など目に余るものがある。よく勉強している人も「皇室学」をひけらかす閉鎖的独善性から免れていない。

 その中で例外的に立派だったのは朝日新聞編集委員の岩井克己氏である。ことに紀宮さまと黒田康樹氏とのご結婚を機に「黒田家」を一例に説明された『週刊朝日』(2005年11月11日号)の記事は説得力があった。ご婚礼より前に女系天皇を認める改正がなされたと彼は仮定して、民間人黒田氏が皇族になり、その子が皇位継承権をもち、やがて黒田家が天皇家の中心の座を占める可能性について語った。「黒田家」という具体名を出した遠慮のない説明の仕方に私はハッと気づくものがあった。

 畏れおおいと思っていては筆が進まない。このようなあからさまな書き方でなければダメだと私も考えた。しかしさしもの岩井氏も新聞に書くときにはここまで大胆ではない。なにしろ朝日の社説は女系容認である。岩井氏は新聞で社論に同調しない、レベルの高い解説を書いているが、やはりこれ以上無遠慮になれない縛りがあるらしい。

 そう言っているうちに私に朝日新聞(12月3日)に3枚と5行(1300字)でこの問題を論じるチャンスが与えられた。字数が余りに少ない。しかし何とかして岩井氏より一歩でも大胆に踏み出す効果的な文章を書けないものかと私は思案した。そうして書き直しを二度求められてやっと仕上がった文章は日録のここに収録されている。

 私は自分で言うのも妙だが、成功したと思っている。三人の異なるオピニオン、女系論者と天皇制廃止論者と私の三つの意見が並べて掲載された。次に幾つかの葉書きなどに書かれてきた知友の批評を紹介する。

 

土曜日の朝日の「女系天皇論」読ませていただきました。出色の出来です。
今、女性天皇論には、言うべきことを言わない雰囲気がありますので、先生の文章は朝日の読者には、目からウロコの思いがあると思います。広く読まれて反響が広がればと期待しています。

 これを書いているのはある革新系の出版社の編集者Oさんである。ひごろ天皇が大嫌いと言っている人で、酒を飲むと昭和天皇のことを「あいつのおかげで・・・・・」というような言い方を平然とする人だったが、気っぷのいい快男児なので、永年私とはウマが合う仲の良い友人である。「彼も年をとって少し変わったかなァ」と私はニヤニヤしながらこの文章を読んだ。

 次は私の大学時代の友人で、ある中央官庁の幹部となり、今はリタイヤしているF氏である。

 

貴兄の評論活動はできるだけフォローさせていただいておりますが、12・3・A紙の三者オピニオンにて、貴兄がパンチのきいたキーワードを提起されていたのは感銘いたしました。「○○家」や「△△家」でなく、天皇家を崇敬していくことが日本人の心情であります。この辺にも、戦後の日本の歴史教育が浅かったことを思い知らされます。ご健勝を祈ります。

 3枚と5行(1300字)にこめた私の文章上の戦略意図は奏功したのではないかと秘かに考えている。今年の年賀状にも、必ずしも保守的でない知友に類似の反応があった。

皇室問題の論じ方(一)

 今では数少ない皇室問題の専門家でもある小堀桂一郎氏――私にとっては旧クラスメイトなので「氏」ではなく「君」と呼び慣れているが――と昨年の春ごろに次のような対話を交したことがある。

 私が『正論』(4月号)に、皇室には強大な敵がいることをみな忘れている、とくに皇室に近い人に警戒心がない、最大の敵は共産党系の知識人であると述べ、奥平康弘氏を例に挙げたのを小堀氏は読んで、「仰る通り敵が見えないんだよ。今の保守派は甘いんだなァ。君を頼りにしているよ」と言った。丁度そのころ例の有識者会議に幾人かの外部の知識人が招かれて、意見を具申した。小堀氏は会議に招聘された幾人かの保守系の知識人を「今風の小ぶりの保守派」とそのとき不満を漏らしていた。

 たしかに意見具申者は八木秀次氏を除いて必ずしも明確な男系継承の主張者ではなかった。なにかバイアスがかかっていて中途半端な方針を語っている保守派知識人が選ばれていたが、今にして思うとこの人選も有識者会議の意図的戦術の一つだったのかもしれない。

 「強大な敵が見えないだけではなく」と私は言った。「穏健な保守派、ことに皇室崇敬の傾向の強い人は、畏れおおくて皇室のことはみだりに口にしてはいけないと思いこむ余り、主張が内向きになり、日本の広い国民大衆に訴える力がないのではないか。」

 「そうなんだよ。」と小堀氏は即座に応じた。「神社の連中はことにそうなんだ。余りに遠慮しているので彼らの言っていることは世間に通らない。遠慮するな、って僕はいつも言っている。畏れおおくなんて言っているうちに、敵にやられちまうよ」

 それから彼はこうも言った「歴史をちゃんと勉強していないから、いざというとき歴史の細部に目が行って、足を取られてしまう。」

 「いや、歴史は勉強しすぎるほどしているんだよ、彼らは。ただ、歴史を大づかみにする力が弱いのは別の理由だな。いざというときに大づかみにする常識が発動しないのは、勉強の不足ではなく、気力の不足、あるいはつい人間としてのひごろの弱さが露呈してしまうのだよ」と私は答えた。

お知らせ

日比谷野音へ集合!  皇室典範改悪阻止!!
  
平成18年1月14日 12時30分開場 
13時開演(14時30分終演予定) *入場無料
  デモ出発 14時30分

日比谷野音 国民総決起集会

すべての国民は「草莽崛起」して日比谷野音へ集ろう!
  
【場 所】:日比谷野外音楽堂(東京都千代田区日比谷公園1-3)

【登壇者】:井尻千男、伊藤哲夫、伊藤玲子、遠藤浩一、大高未貴、小田村四郎、加瀬英明、河内屋蒼湖堂、小堀桂一郎、田久保忠衛、中西輝政、名越二荒之助、西尾幹二、西村幸祐、萩野貞樹、平田文昭、宮崎正弘、三輪和雄、百地章、八木秀次、渡部昇一(50音順・敬称略)
その他多数の識者の先生方がご登壇予定

【主 催】:「皇室典範改悪阻止」草莽崛起の会

【共 催】:皇室典範の慎重審議を求める全国地方議員の会、神奈川草莽議員の会、日本政策研究センター、日本世論の会、建て直そう日本・女性塾、新日本協議会、英霊にこたえる会、(社)国民文化研究会、チャンネル桜草莽会、日本会議東京本部 他

【後 援】:皇室典範問題研究会、皇室典範を考える会

【報 道】:衛星報道スカパー!767ch「日本文化チャンネル桜」

【連絡先】:皇室典範の慎重審議を求める全国地方議員の会
      TEL&FAX03-3311-7810
E-mail matsuura◎joy.ocn.ne.jp(アットマークを変えています)

謹賀新年 

安倍晋三氏よ、いざとなったら職を賭して闘ってほしい(二)

 今の日本は米中の代理戦争の舞台となっている。旧田中派から福田、加藤、山崎(拓)氏に至るまでの親中派を小泉首相が押さえることに成功しているのはアメリカの力を背に負うているからである。しかしその分だけアメリカに屈服し、利益を奉納している。郵政民営化はアメリカへの日本からの富の移転であり、皇室典範改定による天皇制度のなし崩し的否定は日本の歴史を骨抜きにする「日本のアメリカ編入」の第一歩である。代理戦争において一方を抑えることに成功すれば、他方への屈服と譲歩が強まるのは理の当然である。

 われわれの思想の立場は米中のいずれにも与しない日本の立場の堅持であり、主張である。石原氏であっても、安倍氏であっても、麻生氏であっても、そのことをやってくれるなら誰でもいい。逆にそのことをやってくれないなら、どの名前の政権も最初から評価しない。

 言論界における思想家は政局占いみたいなことをすべきではない。オピニオン誌(言論誌)がこれら政治家をスター扱いにし、巻頭に掲げたりするのはおかしい。思想にとって政治家は思想実現の手段にすぎない。政権の顔色をうかがうような思想家のあり方、次の政権は誰かを探り、そこからものを考えるような言論誌のあり方は間違っている。言論誌にあってはどこまでも言論が主であって、政治は従である。

 政治は現実に妥協するであろう。それは仕方ない。しかし思想に妥協はない。政治家に対しては要求あるのみである。目的とする思想のために地位を捨ててでも奮戦してもらいたいと考える。そう願うのはわれわれの立場である。

 「たなからぼた餅」を狙っているだけの安倍氏などは見たくはない。伝えられる通りに安倍氏が政権に至近距離にあるなら、この二案件で後へは一歩も引かない勇者であってほしい。それでこそ次の世代の政治家の資格が保証される。

 かりに首相になれなくても、勤皇の士、真の愛国の士の実を残せば、凡百の政治家から群を抜いてその名が政治史に刻まれるだろう。

 私はそういう政治家を氏に期待している。言論誌、オピニオン誌の思想家諸氏よ間違ってもこの点で志の低い「政局評論家」になってはいけない。年頭に際しこのことだけは切にお願いしておきたい。

謹賀新年 平成18年元旦

謹賀新年 平成18年元旦

安倍晋三氏よ、いざとなったら職を賭して闘ってほしい(一)

 国会が始まると皇室典範改定がまっ先の課題になるだろう。首相はいよいよになったら事の重大さに気がついてとり止めるのではないか、という説と、いや予定通りどんどん進めるだろう、という説と二つある。誰に聞いてもどちらか分らない。

 ある人によると、安倍官房長官は「長子優先」の条項を外させようという、首相に対する条件闘争を始めているらしいから、安倍氏も首相の肚は決まっているとすでに諦めているのではないか。そして結局は自分の力の及ぶ範囲ではなかったと首相の言うが侭になる積りではないか、そう考える人が多いようだ。しかしこのまま実行されると恐ろしいことが起こるかもしれない。

 皇室典範改定が万一回避されたとしても、それは首相が追悼施設の件を政局にらみで――福田・山崎・加藤その他の反小泉勢力の結集を牽制するために――さっと取り止めたのと同じ何かの目論見があってのことで、思想から出ているのではない。首相には政局操作の目的はあっても、思想はない。何か別の目的で皇室典範から手を引くことはあるかもしれない。例えばこれを引いて、代りに金正日体制との不完全な条件を認めたままの国交正常化をしゃにむにやってしまうということなどである。

 皇室典範改定の有識者会議に首相は自ら出席していた、という情報が年末に私の耳にも届いている。とすれば、あのロボット工学専門の座長の傲慢さは首相のお墨つきがあってのこととわかる。知識の少いままに思い込みが激しい小泉氏、他人の意見に耳をかさない彼のことだから、皇室典範も北朝鮮との妥協も思い切ってやってしまうのかもしれない。どちらもアメリカの意向に添っている。アメリカは前者で占領政策を完成できるし、後者でアジアにおける力の政策をとる余裕のない現状の容認にもなる。

 いうまでもなく、皇室典範改定は30-50年後の天皇制度の消滅を意味する。このことを私は最近の二著(「民族への責任」 「『狂気の首相』で日本は大丈夫か」)にも書いたし、朝日新聞12月3日付の記事にも書いたし、年末に出た『正論』2月号でも言及したのでここでは繰り返さない。

 核開発の可能性を残したままで、しかも拉致問題の部分解決のままで北朝鮮との国交回復にあいまいな妥協をすることは日本の利益にはまったくそぐわない。しかしアメリカの当座の利益に適う場合もある。アメリカが中国と駆け引きする中で日本の立場を考慮しないケースである。

 皇室問題と北朝鮮問題で思想家の立場ははっきりしている。アメリカの利益ではなく日本の利益を追求することである。政治家がそれにどの程度歩み寄り、どの程度実現してくれるかは個々の政治家の課題であって、思想家のなし得る仕事の範囲を越えている。思想家は正論を言いつづけるだけでよい。

 政局は明日どうなるか分らない。思想家は自己の信念をできるだけ現実に役立つように主張するだけで、政局に直かに影響を及ぼせるかどうかはその先の問題で、結果でしかない。

 思想家は政局に自分を合わせる必要はない。思想はどこまでも思想であって、政権の動きとは別である。

 ところが自分の好みの政治家、支持したい政治家に対し、思想家が政治的に振舞いすぎるということはないだろうか。ひところは石原慎太郎政権を作りたいという思惑から言論誌がかなり一方的な応援議論を展開していたし、最近では安倍晋三政権を作りたいばかりに、しかも長期政権にしたいために次の次で良いとか、小泉との攻めぎ合いで傷を負わせない方がよいとか、まるでわが子を見守るPTAのような感覚で政局を考えている人々がいる。

 私は次のように考える。皇室典範改定と核つき金正日体制との国交正常化を阻止するのがさしあたりの国益を守る最大の課題である。安倍晋三氏はそのために地位を投げ打つ覚悟でいてほしい。いざとなったら首相に弓をひく決意をしておくべきだ。それくらいのことを彼は考えていると私は信じている。

ニューヨークタイムズの偏見(四)

◎抗議文英語 (柏原竜一訳)
For Op-Ed

Protest against NYTimes’ article “Ugly Images of Asian Rivals Become Best Sellers in Japan (Nov, 19, 2005)”

Mr. Onishi’s article of November 19 on best seller comics in Japan merely repeats the Chinese and South Korean anti-Japanese claims. It lacks an American sense of justice, which should be most demanded for the neutral position that a majority of Americans seek to hold. His article definitely reads as if he desires the re-emergence of the pre-war American attitude—treating China with favor and Japan with neglect—an attitude that eventually ruined U.S.-Japanese relationships. The Japanese media doubt the credibility of Mr. Onishi’s recent articles on Japan and scrutinize them with grave concern. For example, despite his interview with me, his description on the Japanese Society for History Textbook Reform such as ‘the nationalist organization that has pushed to have references to the country’s wartime atrocities eliminated from junior high school text books’ only reflects his stereotyped prejudice and is contrary to the facts. Contrary to Mr. Onishi’s criticism, our textbook does not insist on the supremacy of Japanese culture, but the uniqueness of Japanese history. Moreover, it offers objective explanations regarding the fundamental differences between Japan and Germany in WWII, and the partial responsibility of the United States, United Kingdom, and especially pre-modern China who could not control herself sufficiently—for the Pacific War. Please see our website.

http://www.tsukurukai.com/05_rekisi_text/rekishi_English/English.pdf

By Kanji Nishio

Honorary chairman of the Japanese Society for History Textbook Reform

◎抗議文日本語

 11月19日付けの中韓批判の漫画、Best Sellers in Japan に関するONISHI記者の記事は、中韓の悪意にみちた反日の主張そのままで、中立の立場に立つべきアメリカ人の客観的公平さにかけ、戦前のアメリカの、中国への偏愛におぼれ、日本を不当に孤立させた外交の失敗をあたかも再度望むかのごとき危険性にみちている。最近の同記者の偏向報道は目に余るものがあると日本のメデイアでは疑問視し、憂慮されている。私は同記者とインタビューしたが、私の属するthe Japanese Society for History Textbook Reform を彼は the nationalist organization that has pushed to have references to the country’s wartime atrocities eliminated from junior high school textbooks.と説明したが、これはステロタイプの単純なレッテル張りで、事実に反し不当である。私たちの History Textbook はONISHI 氏が非難するように日本文化の優越性を語らず、日本の歴史の独自性を主張するのみである。日本は第二次世界大戦において、ドイツとはまったく異なった戦争をしたこと、太平洋の戦いには英米にも責任があり、自己管理のできなかった国家以前の中国にも一半の責任があたことを客観的実証的に描いている。 

ニューヨークタイムズの偏見(三)

◎大西記者の紹介

NORIMITSU ONISHI(ノリミツ・オオニシ=大西哲光)
ニューヨーク・タイムズ紙東京支局長
千葉県市川市で生まれ、4歳の時、家族でモントリオールに移住。国籍はカナダ。米プリンストン大学で学生新聞編集長を務めた。前任地は西アフリカ・コートジボワール。ナイジェリアの民政移管やシエラレオネの内戦を取材した。9・11後はアフガニスタンにも出張した。

ニューヨークタイムス東京支局 東京都中央区築地5丁目3-2
朝日新聞社            東京都中央区築地5丁目3-2

◎読者からのメール

西尾様

ご僭越だとは存じますが、メールさせていただきます。

19日のNYタイムズに西尾先生の発言が紹介されていますが、取材を受けての回答なのでしょうか?

http://www.nytimes.com/2005/11/19/international/asia/19comics.html?pagewanted=2

ご存知の通りNYタイムズはアメリカで大変影響力のある新聞です。また場所柄、マスコミ関係者が多く日本についてまともに知らない人間はここに書かれていることをそのまま信じ、それを自分達が報道する内容に反映させ世界中にまたそれが発信されます。

中国、北朝鮮、韓国をさらに追い詰めるには海外マスコミの協力が必要だと考えていますが、このような内容の記事が大手新聞で続ける限り、その道のりは長いと言わざるを得ません。

私のようなものが西尾先生にメールさせていただくのは大変失礼だとは思ったのですが、本日そのニュースを見つけ、だまって見過ごすことができませんでした。

末筆ながら、益々のご健康とご活躍をお祈り致します

p.s. 福沢諭吉の「脱亜論」もこのオオニシノリミツの手にかかると西洋にあこがれる傲慢な差別主義者に成り代わってしまいます・・。

◎朝日新聞の記事

  朝日に載った記事の画像

◎NYTのこの記事について話題にしているブログの紹介

 反日勢力を斬る:NYタイムズの嫌韓流批判

 反日勢力を斬る:NYタイムズの嫌韓流批判(2)

 反日勢力を斬る:NYTの中韓批判マンガを批判(3)

 反日勢力を斬る:NYTの中韓批判マンガの批判(4)

 ニューヨークタイムズ大西批判ブログ英語版

 ぼやきくっくり:産経がNYT批判

ニューヨークタイムズの偏見(二)

ニューヨークタイムズ画像が掲示されているところ

◎当該記事英文と日本語文(対訳)

 Kanji Nishio, a scholar of German literature, is honorary chairman of the Japanese Society for History Textbook Reform, the nationalist organization that has pushed to have references to the country’s wartime atrocities eliminated from junior high school textbooks.

Mr. Nishio is blunt about how Japan should deal with its neighbors, saying nothing has changed since 1885, when one of modern Japan’s most influential intellectuals, Yukichi Fukuzawa, said Japan should emulate the advanced nations of the West and leave Asia by dissociating itself from its backward neighbors, especially China and Korea.

“I wonder why they haven’t grown up at all,” Mr. Nishio said. “They don’t change. I wonder why China and Korea haven’t learned anything.”

Mr. Nishio, who wrote a chapter in the comic book about South Korea, said Japan should try to cut itself off from China and South Korea, as Fukuzawa advocated. “Currently we cannot ignore South Korea and China,” Mr. Nishio said. “Economically, it’s difficult. But in our hearts, psychologically, we should remain composed and keep that attitude.”

ドイツ文学者西尾幹二は新しい日本の教科書を作る会の名誉会長であり、 その国粋主義団体は中学校教科書から戦時下の残虐行為の引用を削除するように圧力をかけている。

西尾氏は日本が隣人に行ったことに鈍感で、 「近代日本で最も影響力のあった知識人福沢諭吉が、日本は西洋の先進国を真似るべきで、アジアの遅れた隣人特に中国と朝鮮からは分かれろと言った1885年から何も変わっていない」と言う。

「何故彼らは成長しないのか?」西尾氏は言う。「彼らは全く変わっていない。中国と朝鮮は何故何も学ぼうとしないのか?」

西尾氏は南朝鮮について漫画の中で一章を書いているが、福沢が提唱したように、中国と南朝鮮から離れるべきだと主唱する。「現在われわれは南朝鮮と中国を無視できない。」西尾氏は言う。 「経済的に難しい。しかし、われわれの心の中に、心理的に常にこの態度を持ち続けなくてはならない。」

The reality that South Korea had emerged as a rival hit many Japanese with full force in 2002, when the countries were co-hosts of soccer’s World Cup and South Korea advanced further than Japan. At the same time, the so-called Korean Wave – television dramas, movies and music from South Korea – swept Japan and the rest of Asia, often displacing Japanese pop cultural exports.

The wave, though popular among Japanese women, gave rise to a countermovement, especially on the Internet. Sharin Yamano, the young cartoonist behind “Hating the Korean Wave,” began his strip on his own Web site then.

“The ‘Hate Korea’ feelings have spread explosively since the World Cup,” said Akihide Tange, an editor at Shinyusha, the publisher of the comic book. Still, the number of sales, 360,000 so far, surprised the book’s editors, suggesting that the Hate Korea movement was far larger than they had believed.

“We weren’t expecting there’d be so many,” said Susumu Yamanaka, another editor at Shinyusha. “But when the lid was actually taken off, we found a tremendous number of people feeling this way.”

So far the two books, each running about 300 pages and costing around $10, have drawn little criticism from public officials, intellectuals or the mainstream news media. For example, Japan’s most conservative national daily, Sankei Shimbun, said the Korea book described issues between the countries “extremely rationally, without losing its balance.”

As nationalists and revisionists have come to dominate the public debate in Japan, figures advocating an honest view of history are being silenced, said Yutaka Yoshida, a historian at Hitotsubashi University here. Mr. Yoshida said the growing movement to deny history, like the Rape of Nanjing, was a sort of “religion” for an increasingly insecure nation.

“Lacking confidence, they need a story of healing,” Mr. Yoshida said. “Even if we say that story is different from facts, it doesn’t mean anything to them.”

The Korea book’s cartoonist, who is working on a sequel, has turned down interview requests. The book centers on a Japanese teenager, Kaname, who attains a “correct” understanding of Korea. It begins with a chapter on how South Korea’s soccer team supposedly cheated to advance in the 2002 Word Cup; later chapters show how Kaname realizes that South Korea owes its current success to Japanese colonialism.

“It is Japan who made it possible for Koreans to join the ranks of major nations, not themselves,” Mr. Nishio said of colonial Korea.

現実には、南朝鮮は2002年共催したサッカーのワールドカップで日本よりはるかに進み、多くの日本人に、南朝鮮がライバルとして台頭したことを印象づけた。同時に、南朝鮮のテレビドラマ・映画・音楽、いわゆる韓流は日本と他のアジアをかけめぐり、日本のポップカルチャーの輸出をしばしば取って代わっている。

日本の女性の間では人気があるが、その波は反動を特にインターネットで起きている。嫌韓流を書いた若い漫画家山野車輪はウエブサイトで次のように漫画を書き出している。

「嫌韓感情はワールドカップ以降爆発的に広がった。」晋遊舎の編集者AKIHIDE TANGEは語る。 36万冊を超える売り上げは編集者を驚かし、嫌韓流の動きは思っていた以上に大きかったことを意味する。

「こんなに売れるとは思っていなかった。」晋遊舎の別の編集者Susumu Yamanakaは言う。「しかし蓋を開けてみると、多くの人が同じ感情を持っていることが分かった。」

今のところ、このおよそ300ページで10ドルの2冊は、公的機関や知識人や主要メディアからほとんど批判を受けていない。例えば、日本の最も保守的な新聞紙産経新聞はその韓国の本は極めて理性的に、バランスを欠くことなく国の間の問題を描いていると言う。

国粋主義者と修正主義者が日本の論壇で大勢を占めるに従い、歴史を正直に見ることを唱える人達が黙らせられるようになってきている。一橋大学Yoshida Yutakaは言う。南京のレイプのような歴史を否定する動きは増大する不安な国にたいするある種の宗教である。

「自信が無いから心を癒すストーリーが必要になる」吉田氏は言う。 「例え歴史が事実と違っていたとしても、それは彼らには何も意味しない。」 韓国の本の漫画家は現在続編を書いており、インタビューの要求を拒否した。

その本は韓国の「正しい」理解をしている日本の10台Kanameを主人公にしている。2002年のワールドカップでいかに韓国チームが不正を働いたかで始まり、後の章では、Kanameは南朝鮮を日本の植民地の現在の後継者と認識している。

「韓国人が主要国の地位につけたのは日本のおかげであり、彼らの力ではない」と西尾氏は植民地朝鮮を言う。

But the comic book, perhaps inadvertently, also betrays Japan’s conflicted identity, its longstanding feelings of superiority toward Asia and of inferiority toward the West. The Japanese characters in the book are drawn with big eyes, blond hair and Caucasian features; the Koreans are drawn with black hair, narrow eyes and very Asian features.

That peculiar aesthetic, so entrenched in pop culture that most Japanese are unaware of it, has its roots in the Meiji Restoration of the late 19th century, when Japanese leaders decided that the best way to stop Western imperialists from reaching here was to emulate them.

In 1885, Fukuzawa – who is revered to this day as the intellectual father of modern Japan and adorns the 10,000 yen bill (the rough equivalent of a $100 bill) – wrote “Leaving Asia,” the essay that many scholars believe provided the intellectual underpinning of Japan’s subsequent invasion and colonization of Asian nations.

Fukuzawa bemoaned the fact that Japan’s neighbors were hopelessly backward.

Writing that “those with bad companions cannot avoid bad reputations,” Fukuzawa said Japan should depart from Asia and “cast our lot with the civilized countries of the West.” He wrote of Japan’s Asian neighbors, “We should deal with them exactly as the Westerners do.”

As those sentiments took root, the Japanese began acquiring Caucasian features in popular drawing. The biggest change occurred during the Russo-Japanese War of 1904 to 1905, when drawings of the war showed Japanese standing taller than Russians, with straight noses and other features that made them look more European than their European enemies.

“The Japanese had to look more handsome than the enemy,” said Mr. Nagayama.

『マンガ嫌韓流』は、おそらくは意図せぬまま、日本の自己規定に関する葛藤や、アジアへの優越感と欧米への劣等感という過去から続く感情を、露呈している。この本では、日本人の登場人物は大きな目と金髪といった白人の風貌で描かれている一方、韓国人の登場人物は黒い髪と細い目という典型的アジア人の風貌で描かれているのだ。

このような特異な美意識は、ほとんどの日本人が意識しないまでに大衆文化に深く根をおろしているが、そのルーツは19世紀後半の明治維新にある。当時の日本の指導者らは、欧米列強の侵略を防ぐ最良の策は彼らの真似をすることだという結論に至った。

今日なお近代日本の知の父祖として尊敬され1万円札にも描かれている福沢諭吉が、1885 年に書いた『脱亜論』は、アジア諸国に対する日本の侵略と植民地化の理論的裏づけを提供した書物だと、多くの学者から見られている。

福沢は、日本の近隣諸国が絶望的なまでに遅 れていることを嘆き、「悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず」と書いて、日本はアジア を脱して「西洋の文明国と進退を共に」すべしと説いた。福沢は近隣アジア諸国について、こう 書いている:「まさに西洋人がこれに接するの風に従いて処分すべきのみ。」

こうした感情が定着するにつれ、大衆文化の中で描かれる日本人の風貌は欧米人風になり始めた。最大の変化が訪れたのは、1904-05年の日露戦争中である。戦争絵画の中で日本人はロシア人より背が高く描かれ、通った鼻筋やその他の顔立ちは、日本兵を敵のロシア人以上に欧米的な風貌に見せていたのだった。

「日本人は敵よりハンサムに見えなければなりませんでした」と永山氏が言いました。

Many of the same influences are at work in the other new comic book, “An Introduction to China,” which depicts the Chinese as obsessed with cannibalism and prostitution, and has sold 180,000 copies.

The book describes China as the “world’s prostitution superpower” and says, without offering evidence, that prostitution accounts for 10 percent of the country’s gross domestic product. It describes China as a source of disease and depicts Prime Minister Junichiro Koizumi saying, “I hear that most of the epidemics that broke out in Japan on a large scale are from China.”

The book waves away Japan’s worst wartime atrocities in China. It dismisses the Rape of Nanjing, in which historians say 100,000 to 300,000 Chinese were killed by Japanese soldiers in 1937-38, as a fabrication of the Chinese government devised to spread anti-Japanese sentiment.

The book also says the Japanese Imperial Army’s Unit 731 – which researched biological warfare and conducted vivisections, amputations and other experiments on thousands of Chinese and other prisoners – was actually formed to defend Japanese soldiers against the Chinese.

“The only attractive thing that China has to offer is Chinese food,” said Ko Bunyu, a Taiwan-born writer who provided the script for the comic book. Mr. Ko, 66, has written more than 50 books on China, some on cannibalism and others arguing that Japanese were the real victims of their wartime atrocities in China. The book’s main author and cartoonist, a Japanese named George Akiyama, declined to be interviewed.

Like many in Taiwan who are virulently anti-China, Mr. Ko is fiercely pro-Japanese and has lived here for four decades. A longtime favorite of the Japanese right, Mr. Ko said anti-Japan demonstrations in China early this year had earned him a wider audience. Sales of his books surged this year, to one million.

“I have to thank China, really,” Mr. Ko said. “But I’m disappointed that the sales of my books could have been more than one or two million if they had continued the demonstrations.”

同じような影響が別の新しい漫画「中国入門」に表れており、 中国人を人肉食文化と売春の強迫観念で描き、18万冊を売り上げた。

その本は中国を「世界の売春大国」として描き、証拠も無しにGDPの10%が売春であるとしている。中国を病原とし、小泉首相は「日本で起こっている大部分の病気は中国から来たと聞いている」と言っているのを描いた。

その本は中国での日本の最悪の残虐行為を否定する。南京のレイプは歴史学者が1937年から1938年の間に日本兵により10万人から30万人の中国人が殺されたとしているが、反日感情を広めるための中国政府の作り話として否定する。

日本帝国陸軍731部隊は生物兵器の研究を行い、数千人の中国人と牢人を生体解剖や切断などの実験に使ったが、日本兵を中国人から守るために創設されたとその本は書いている。

「唯一中国人が示せる魅力あるものは中国料理である。」漫画の原作者の台湾生まれの作家黄文雄は言う。66歳の黄氏は中国についての本を50冊以上書き、食肉文化についてや、日本人が中国における本当の犠牲者としている。ジョージ秋山を名乗る日本人はこの本の主な漫画家であるがインタビューを断っている。

悪意のある反中国の台湾の人達と同様に、黄氏は盲目的に親日であり、40年間日本で生きてきた。日本右翼に好まれ、今年初めの中国での黄氏曰く反日デモは幅広い読者を集めた。本の売り上げは今年だけで100万冊である。

「私は本当は中国に感謝しなければならない。」黄氏は語る。 「しかし、私はもしデモが続いていたら100万冊200万冊以上の売り上げがあったんだが。」