九段下会議の歩みと展望 (二)

お知らせ

つくる会のホームページでは、文部科学省の許可を受けて、教科書採択の透明化の一環として教科書の一部を公開しています。(約100ページ)

 なお、市販本については、現在扶桑社が諸手続きをしているところであり、時期については未定です。

《テレビ出演》 
TVタックル「靖国問題を徹底討論する」(仮題)
7月11日(月)21時~22時テレビ朝日

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 九段下会議の歩みと展望 (二)

 さて、これから九段下会議をどう進めるかという問題を討議するわけですけれども、ここにも皆様方の何人かの進め方に対するご提案をいただいておりますし、今日また新しい話がいろいろあると思うのですが、私は個人的な好みというか、感想を最初に申しておきます。

 私は、大体が理念として片付いた問題には興味を失っちゃうという少し困った人間で、教科書問題もジェンダーフリーの問題も心の中ではもう終っているな、なんて思っているんですよ。もちろん現実の解決はこれからです。もう心の中で終ったなんてことを言うと叱られるんです、実は。一生懸命やっている人には叱られるんですが、もう具体的な方策をどうするかだけの問題になってきて、あとは身体を使って、あるいは組織を作って運動を展開するということが残っていて、思想上のレールを引くというところまでは終ったわけです。少なくとも教科書問題はそうなっています。

 ジェンダーの問題も自民党が取り組んでくれ始めました。八木さんが自民党の方へ招かれて話したり、色々な形で動き出しているので、これももう、終ったと言ったら失礼かもしれませんが、私の気持の中ではいつまでもかかずりあっていてもしょうがないんじゃないかという気持があるということで、その専門、そちらの方に特化されている方々にはご無礼かもしれませんが、多少ともそういう気持があるというのは事実なんです。

 九段下会議の一年を振り返ってみたら、現実の大きな変化というのが起っていました。日本は米中の谷間にあるということの深刻さが、本当に数年前から比べると一段とリアリティを帯びてきたのではないかと思うのであります。

 中国が6000億ドルくらいの外貨準備を増やしていて、驚くべきことに、アメリカの会社を次々と買収すると。最近ではIBMのパソコン事業、これは最初アメリカは議会が拒否するような姿勢を見せたのですが、どうも買収されたらしい。それからユノカルという有名な石油会社の買収交渉に入って、これもブッシュ政権がなにも言わないですね。つまり、不気味な動きが急速に拡大しているように思えるのであります。

 加えて、軍事的にもですね、これは今日の宮崎正弘さんのレポートからですが、アメリカのワシントンタイムズが6月26日付けで、二年以内に中国が軍事力を駆使して台湾を制圧する軍拡能力を保有するだろうということを、ペンタゴンの筋が言っているという、つまりアメリカの予想をはるかに上回るスピードで、中国の軍拡力、軍事力の増強がすすんでいるということです。しかも中国の軍事筋は北京オリンピックへの悪影響をほとんど考慮していないとワシントンタイムズは伝えているそうであります。

 同時に6月29日付けの東方日報が中国が航空母艦の建造を開始したという情報を伝えております。中国という国が、さながら巨大な資本主義国家のような立場をとり始めていて、また現にそういう姿勢をとりつつあるわけでありますが、どうしてそんなことが可能なのかという謎がわれわれにあるわけであります。トータルとして最貧国中国という現実はあまり変わっていないはずなのですから。

 これに対し、今日の30日のニュースですが、韓国がおたおたし始めた。中国と日本に挟まれてですね、もう韓国が中国に対して優位に立つ分野というのがほとんどなくなってきたというのです。繊維産業などは完全にもうやられてしまっていて、韓国で販売されている衣類の、6~7割は中国産だそうです。半導体と自動車など幾つかの分野でしか韓国は中国に優位を保っていない。といってもその半導体だって、自動車だって、日本の力があって韓国は成り立っているわけですから、韓国はここに来て、日本の背中をみて一生懸命威張りまくっていたところが、中国いう巨大経済大国が出現したために、後進国へ転落する門口に来ているという自覚が韓国の中に急に芽生えてきているというニュースも入っています。

 これはまぁ、理由もなく自惚れるものは必ず罰せられるということで、少し肝に銘じたろという気も多少あるけれども、まあしかし、もともと韓国というのは、我々はそんなにこわくない。うるさいというか、面倒くさい連中だという感じはあり、とにかくなんかまあ嫉妬深い女に絡みつかれるような、そういう思いをいつもしておりましたけれど、中国はちょっと違うんですよね。我々のイメージも違うし、中国という大陸の持っているパワーというものが違うということ、それでそのパワーが今まで観念的に意識されていたのが、ここへ来て現実体として迫ってくるようになった。僕なんかもう中国はとおの昔から現実体として、うっとおしい巨大な圧力として意識しておりましたけれど、日本の国民も政界ものんきだから、「友好」なんていって、それほど考えないでいたわけです。

 ですからODAをずっとやり続けていたり、ごく最近になっても中国の言うとおりに、靖国の参拝を自粛すれば安保理常任理事国への承認を中国は許すのではないか、というような類の有り得ない、今では誰も信じることの出来ないような甘い考えをつい2、3週間前までテレビで語っている人が少なくありませんでした。

 中曽根さんまでが、首相の靖国参拝を諦めることは一つの立派な決断だ、というようなことを言ってですね、どうかしているんじゃないかと、私なんかは思いましたけれども。中曽根さんがあゝ言ったのも嫉妬かもしれませんね。小泉さんに8月15日に堂々と靖国に行かれると、自分の過去の自粛がミットモナイ失敗にみえてくる。そういうことかもしれません。

 けれども、ともかく中国の力というものに関しては、日本人は今までの観念がずっと続いていて、こっちが自分のカードを捨てて譲歩すれば、無限に向こうも了解するというような、日本的な発想できたら、ごく最近になっておっとどっこいそうではないということが、やっと分ったんじゃないでしょうか。これはいいことだと私は思っているんですね。

 つまり、靖国なんていうのは、向こうの中国にとっては手段なんです。これを使えば日本があたふたするから面白いからやっている。面白いからというよりそれを使えば政治的に効果があるから日本を制圧するためにやっているわけですから、従って、中国側が握っているカードとして有効だから使われているだけですよ。おどしに使われている方が悪い。ぐらぐらするのはすべて日本側の問題にすぎないわけです。

 ということは、日本をとにかく屈服させるということが、彼らの最大の目的であります。しかも領土の問題で、尖閣諸島を先に中国が攻撃するなんてことは、考えられていないでしょう。まず、台湾解放です。台湾を自分のものにしてしまえば、あのあたりの海域は殆ど全部中国のものになってしまう。宮古島以下、南西諸島は完全に中国の領土になってしまうでしょう。

 そんな明瞭な事態にわれわれはいま直面しているんだろうと思うんです。そこへもってきて、アメリカがどうもアジアでは戦争をしたくないと、非常に強い感情をもっているように思われてなりません。

 となれば日本は心細い。中国はそこを見越していて、いち早く機先を制し、日本の精神を打ちくだいてしまいたいと思っている。靖国をうるさく言ってくるのはそのためです。

九段下会議の歩みと展望(一)

お知らせ

つくる会のホームページでは、文部科学省の許可を受けて、教科書採択の透明化の一環として教科書の一部を公開しています。(約100ページ)

 なお、市販本については、現在扶桑社が諸手続きをしているところであり、時期については未定です。

《テレビ出演》 
TVタックル「靖国問題を徹底討論する」(仮題)
7月11日(月)21時~22時テレビ朝日

《講演》
 「これでよいのか!日本の姿勢」
7月9日(土)午後2時~4時30分
鎌倉市 鶴岡八幡宮境内 直会殿
(JR鎌倉駅下車 徒歩10分、Tel 0467-22-0315)
参加費:  ¥1000
主 催: 教育を考える湘南地区連合会・鎌倉市の学校教育を考える会
      教科書を良くする神奈川県民の会
代表連絡先: Tel 0467-43-2895(木上)

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 九段下会議の歩みと展望(一)

 九段下会議は『Voice』(平成16年3月号)に提言を掲げたのを機に、各界に幅広くよびかけ、協賛の原稿を募集して約50人のメンバーを選定して、民間審議会としてスタートさせていただいたのはご報告ずみである。

 当「日録」の書き込み者の中からも10人近くが参加しているが、ハンドルネームでそれがどなたであるかは明示していない。

 まず一年の歩みを以下に表示する。

平成15年5月29日 九段下会議「第一回会合」
(代表西尾幹二・中西輝政)
安倍晋三・中川昭一両議員出席
           以後、毎月1回のペースで研究会を開催

平成16年 3月 1日 提言「国家解体阻止宣言」を『Voice』3月号に発表
     
5月 1日 同「宣言」をパンフレットにして広く頒布活動開始
    
7月26日 第一回「オープンフォーラム」
             賛同者に呼びかけ約50名が結集。
             民間審議会を作り、外交防衛、ジェンダーフリーと少子化問題の
             二つの部会で研究を続けることえ決定。
             安倍晋三・衛藤晟一・山谷えり子、城内実議員が出席
     
       9月24日 第一回「外交防衛問題部会」
             講師・平松茂雄杏林大学教授・・・中国の海洋覇権戦略
     
       9月27日 第一回「ジェンダーと少子化問題部会」
             講師・野牧雅子公立中学教諭・・・「過激性教育」の実態

      10月27日 第二回「外交防衛問題部会」
             講師・亀井浩太郎元陸将補・・・「南西」脅威論について

      11月24日 第二回「ジェンダーと少子化問題部会」
             講師・米田建三前内閣府副大臣・・内閣府官僚との戦い

      12月14日 第三回「外交防衛問題部会」
             講師・山内敏秀前防衛大学校教授・・・中国潜水艦の脅威

平成17年1月25日 第三回「ジェンダーと少子化問題部会」
            講師・西尾幹二・八木秀次・・・『新・国民の油断』の内容

      2月25日  第四回「ジェンダーと少子化問題部会」
             講師・光原正元郵政官僚・・・国連とフェミニズム

      3月25日 第四回「外交防衛問題部会」
             講師・吉野準元警視総監・・・情報国家のすすめ
 
      4月25日 第五回「外交防衛問題部会」
             講師・太田文雄前防衛庁情報本部長・・・情報と国家戦略

      5月25日 第六回「外交防衛問題部会」
             講師・馬渕陸夫前キューバ大使・・・日本外交の緊急課題

       7月1日 二部会・合同会合

 ※「九段下会議」の活動の一環として国会議員との共同研究会「情報国家構想」
  研究会を6月15日に発足、内容は以下の通り。

 代表 西尾幹二・衛藤晟一(衆議院議員・厚生労働副大臣)
 座長 中西輝政

 第一回研究会  講師・中西輝政
 第二回研究会  講師・菅沼光弘(元公安調査庁第二部長)

 メンバーを「外交防衛問題部会」と「ジェンダーと少子化問題部会」との二つに分け、前者は日本政策研究センター主催のシンポジウムに、後者は『新・国民の油断』の出版にそれぞれ成果として結実し、各々が一つの結節点となった。

 次いで、九段下会議から独立した「情報国家構想研究会」が起ち上がり、現在17人の衆参両院の議員を入れた勉強会が開始された。ここには九段下会議のメンバーは一、二を除いて参加していない。

 7月1日に一年目を迎えた九段下会議で、今後どうするかを含めた相談会がもたれ、冒頭約30分、私が中国の新しい現実を踏まえたうえ、米中のはざまに立つ日本の問題点について、スピーチをした。以下にその内容を公表する。

 尚、会議の一年を振り返り、会場を提供し事務局を運営して下さった伊藤哲夫日本政策研究センター所長が事実上の会の中心であったことをお伝えし、御礼申し上げる。

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 丁度一年経つのでしょうか。われわれは、二つの部会に分けて、「防衛、外交」とそれから「ジェンダー、教育問題、少子化」、つまり外と内というふうに二つの部会に分けて会の運営を始めたのですが、現実にはくっきり分かれたわけではありません。また、テーマそれ自体も最初に二つずつ別個に上ってきたのではなくて、内的にからみ合って一体になっているものでした。便宜上、外交と内政とに分けてみただけです。

 われわれは現実に具体化した何かの結論を出したいと考え、ただ観念的に討議をしているだけではだめだという気持が非常にあった。そういう気持で始めた会議でした。

 第一歩として、成果が一つだけあがっているわけです。ここにおられる皆様に全員参加していただいたわけにはいかなかったのですが、たった今申し上げた通り、「情報国家構想研究会」というのを外部で立ち上げることに成功しました。これにはこちらにおいでの飯田耕作様の、御資金の援助がございまして、可能になりました。おかげさまで有難うございました。

 まだ始まったばかりで、まず最初は情報国家の実態、インテリジェンスの国際比較を研究にしている中西輝政さんの話をみんなが聞くということで、主として自民党の若手の、自発的でしかも主体性のある議員の皆さんにおでましいただいて、熱心で約10数名のメンバーが集って、その人たちに話しを聞いてもらうという、そして討議を深めていくということで、少しでも実行の世界に移していくということが目的でしたから、ここの会からはインテリジェンスのことを専門に勉強している柏原竜一さんが一人、参加されています。中西先生と私の両方の関係者でもあるので、そういうことでお願いしておりまして、他はご参加いただけないということで、申し訳ないんですけれども、会場も外部ですし、またご希望があれば別途考えます。別に閉ざしているわけでは全くないので、そのことは個別に考えていきたいと思います。

 ですが、観念論を展開するだけではなくて、さっき申し上げた通り、一歩でもとにかく何か現実化したいというのが我々の気持でした。まず第一部会の方面の、外交防衛の問題を展開していくうちに、どうしても情報国家、インテリジェンスの問題が重要だということに自然になってきまして、この会の中から、それなら、専門特化の勉強をすべきだということで、しかもそれを、我々だけが研究するのではだめで、志ある政治家を仲間にしていかなくてはいけない、ということから、そういう方向が一つだけでも実現したのだということを、ご了解いただきたいと思います。

最高裁口頭弁論 (四)

 アメリカは文明国だと果たしていえるのだろうか。しかし失われた本を回復せずに、60年も放置してきた責任は何といっても日本人自らにあるだろう。

 目録を見て、日本人の協力なしで出来る作業ではないと思った。ユダヤ人に対するナチスの犯行はユダヤ人の協力なしでは不可能だった。

 件の『没収指定図書総目録』の最初の「ア」のページから何冊か書名を書き出してみよう。

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(以下略)

 これらの書物が暗示する一つの大きな心の歴史、それがぽっくり抜けて、空洞となり、私たちは歴史の連続性を失った。

 ミラン・クンデラの言ったことば、―国民の記憶を失わせるのは簡単である、「その国民の図書、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい歴史を発明することだ。」をあらためてよく、憂悶の思いをこめて噛みしめておこう。

 話題を再び現代に戻すが、私たちの口頭弁論のあと、船橋市代理人が裁判長の質問に答えて、文書で提出した以上に新たに申し立てることは特にない、と述べた。裁判長横尾和子氏が「判決申し渡しは次回7月14日午前10時30分です」と宣言し、ただちに閉廷となった。

 法廷に私たちがいたのは全体で30分未満だった。

 外は小雨が降っていた。

最高裁口頭弁論 (三)

以下の3点において日録をリニューアルします。

(一)[ブログとしての日録本体]
1)西尾幹ニのコラム 
2)新人のコラム(不定期・週1回予定) 
3)海外メディア記事の紹介(不定期)
日本に関する海外メディアの記事をピックアップして日本語に翻訳して紹介

(二)[会員制サイト設置]

(三)[オピニオン掲示板について]
上記の変更により、オピニオン掲示板は日録のコンテンツから外れ一般リンクへの組み入れとなります。

*詳細はここを御覧ください。

 最高裁口頭弁論 (三)

 私にひきつづいて井沢元彦氏が意見陳述を行った。私はすぐ隣の席で聞いていたが、氏の意見を記憶だけでうまく表現する自信がない。幸い裁判所に提出されていた氏のメモのコピーが私にも渡されていたので、これを掲げさせていただく。

勿論、氏が口頭で展開された陳述内容はこのメモの何倍にも及ぶのであるが、私がへたに要約するよりは、たとえ量が少なくても、ご本人の要旨メモのほうが正確であろうと思われるので、以下に示す。

意見陳述上の趣旨について
                        原告本人 井沢元彦

○ 被告の行為は、民主主義社会への挑戦であり、文明への冒涜である「焚書」に値する行為であり、厳しく責任を問われるべきである。

○ にもかわらず、原判決は被告の「非行」に触れながら、この問題に対する認識が余りにも低いと言わざるを得ない。

○ 著作者にとって、作品は「子供」のようなものであり、それを恣意的に廃棄された苦痛は大きい。

○ このような行為に何のペナルティも課さなければ(単なる内部処罰でなく)今後も、こうした行為がくり返される恐れがある。これは、すべて著作権を持つ人に、あるいは著書を持つ人にとって、重大事であり 、もっといえば裁判官も「判例の著作者」という意味で、決して他人事ではなく、かつ、この事態を放置することは国民の「知る権利」への重大な侵害に発展する可能性もある。

                                  以上

 ひきつづいて内田弁護士より意見陳述がなされたが、一つの事実指摘が私の印象に残った。

 内田氏は言った。「船橋市は、本件事件の発覚が、一図書館利用者からの『最近、蔵書がなくなっていないか』という疑問から端を発していることを、故意に無視しているのではないか。」(氏の提出文より)

 あゝそうだったのか、と私は合点がいった。読者は敏感である。書物は世に出された瞬間に、著者の手を離れ、読者のものになっているとはよくいわれる。著者にとっては自分のものであって、自分のものではない。そのことをわれわれはとかく忘れがちである。

 関心をもつ著者の本がごっそりなくなっていることに読者の誰かが気がついたのだ。船橋市民の中にそう気がついて、不思議に思う人がいた。そのような素朴な知覚から端を発して事件へと発展したということには、ある深い意味がある。
 
 事件を起こした土橋司書のある「意図」が敏感な読者のアンテナにひっかかったのである。

 としたら、アメリカ占領軍の数千冊に及ぶ「焚書」が日本国民のデリケートな読者としてのアンテナにひっかからなかったはずはない。気がついても、読者の中の誰も何も言わなかったし、言えなかった。あるいは言えないものと思いこんで沈黙した、そういう長い、暗い歴史があるのである。

 私たちはすべての本を再発掘して、もう一度自分の歴史をとり戻すことはできるのだろうか。

最高裁口頭弁論 (二)

 チェコ出身の作家ミラン・クンデラは次のように語っています。

 「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化をつくらせて新しい歴史を発明することだ。そうすれば間もなく、その国民は、国の現状についてもその過去についても忘れ始めることになるだろう」

 とても示唆に富むことばですが、逆に一冊の本に書かれた内容がある民族に致命的であって、それへの反証、反論の本が書かれなかったために、その民族が悲運に泣くという逆の例から、歴史の記録がいかに大切か、歴史を消すことがいかに恐ろしいかをお示ししてみたいと思います。

 近代ヨーロッパの最初の覇権国スペインはなぜ進歩から取り残されたか。16-17世紀に歴史の舞台から退いた後、なぜ近代国家として二度と立ち上がることができなかったのでしょうか。

 それもたった一冊の薄っぺらい本から起こりました。一修道士バルトロメ・デ・ラス・カサスが1542年に現地報告として国王に差し出した「インディアスの破壊についての簡潔な報告」がそれです。からし粒ほどの小著ですのに、大方の国語に訳され、
世界中に広がり、深々と根を下ろし、枝を張りました。日本でも岩波文庫から出て、よく読まれてきました。書かれてある内容が凄まじい。キリスト教徒はインディオから女や子供まで奪って虐待し、食料を強奪しただけではありません。島々の王たちを火あぶり刑にし、その后に暴行を加えた、等々です。

 それ以後スペインとなると「黒の伝説」がつきまといます。中南米のインディオを大量虐殺し黄金を奪ったスペイン、狂信のスペイン、異端尋問のスペイン、文化国家の仲間入りができないスペイン、凶暴きわまりない闇の歴史を持つスペイン――そういうイメージにつきまとわれ、スペイン人自らが自分の歴史に自信を持つことができなくなりました。

 最近わが国でも歴史認識に関する「自虐」心理が話題になっていますが、自分で自分を否定し、自己嫌悪に陥り、進歩を信じる力を失った最大級の自虐国家はスペインです。

 それもたった一冊の薄っぺらな本に歴史的反証がなされなかったからです。あまつさえオランダとイギリスが銅板画をつけ、これを世界中にばらまきました。しかし近年の研究で、あの本に書かれた内容には誇張があり、疑問があるということが次第に言われるようになってきました。とはいっても、なにしろ16世紀です。ときすでに遅しです。

 じつは日本にも似た出来事があるのです。この赤い一冊の大きな本をみて下さい(私は裁判官の方に本をかゝげた)。アメリカ占領軍による『没収指定図書総目録』です。

 マッカーサー司令部は昭和21年3月に一通の覚え書きを出して、戦時中の日本の特定の書物を図書館から除籍し、廃棄することを日本政府に指示しました。書物没収のためのこの措置は時間とともに次第に大かがりとなります。昭和23年に文部省の所管に移って、各部道府県に担当者が置かれ、大規模に、しかし秘密裏に行われました。没収対象の図書は数千冊に及びます。そのとき処理し易いように作成されたチェックリストがここにあるこの分厚い一冊の本なのです。

 勿論、占領軍はこの事実上の「焚書」をさながら外から見えないように、注意深く隠すように努力し、また日本政府にも隠蔽を指示していましたので、リストもただちに回収されていたのですが、昭和57年に「文部省社会教育局 編」として復刻され、こうして今私たちの目の前にあるわけです。

 戦後のWar Guilt Information Program の一環であった、私信にまで及ぶ「検閲」の実態はかなり知られていますが、数千冊の書物の公立図書館からの「焚書」の事実はほとんどまったく知られておりません。

 今となっては失われた書物の回復は容易ではないでしょう。しかし私は書名目録をみておりますと、この本がもどらない限り、日本がなぜ戦争にいたったかの究極の真実を突きとめることはできないのではないかと思いました。

 「焚書」とは歴史の抹殺です。日本人の一時代の心の現実がご覧のように消されるか、歪められるかしてしまったのです。とても悲しいことです。船橋西図書館のやったことは原理的にこれと同じような行為につながります。決して誇張して申し上げているのではありません。

 裁判所におかれましては、どうか問題の本質をご洞察下さり、これからの日本の図書館業務に再び起りかねない事柄の禍根をあらかじめ断っていただくべく、厳正にご判断、ご処置下さいますよう切に希望する次第です。

最高裁口頭弁論 (一)

 最高裁判所の建物内には初めて入った。外観は高速道路からいつも見ていた、コンクリートを打ちつけた侭の、材質を剥き出しに、飾りを省いた現代建築である。近寄ると砂岩をかためたような、ざらざらした粗い目の石材で、予想していたようなコンクリートの地肌のまゝではなかった。

 なにかに似ているなと思った。裏口から入った。雨が降っていて、吹きっさらしの幅広い戸外の石段を昇っていて、あゝそうだ、ヨーロッパの古城だと気がついた。内部に入って、広間を見て、カルカッソンヌの中世末の城を思い出した。積木を組み合わせたような石組みといい、内部の天井の高い大広間のたたずまいといい、ヨーロッパの古城の模倣であることは疑いをいれないように思えた。

 迎賓館はベルサイユ宮殿のイミテーションだし、東京都庁舎のモデルは、ノートルダム寺院だと私は秘かに信じている。現代建築家といえども、西洋の古い建造物に原像を求めているのがおかしいようでもあり、悲しいようでもあった。

 弁護士さんが主任の内田智氏のほかに、五人集っていた。みなさんいずれもみな理念のための戦いに参じた、無私の法律家のかたがたである。口頭弁論に各5分の時間を与えられているのは、私のほかに作家の井沢元彦氏、そして主任弁護士の内田氏である。

 最初上告人の控室に案内された。第一審では原告、被告の名で呼ばれる区別が、第二審では公訴人、被公訴人、最高裁では上告人、被上告人と名づけられ方が変わっていることを、このとき初めて弁護士さんの一人から教えられた。私は本当に何も知らないのだな、と思った。

 平成17年6月2日午後1時、最高裁第一小法廷は開廷された。裁判官は五人、中央の裁判長席にいる方は女性である。訴えている上告人は9人の焚書された本の執筆者と、「新しい歴史教科書をつくる会」である。訴えられている被上告人は船橋市である。傍聴席の約半分が埋まっていた。知っている人の顔もあった。

 裁判長が案件の名をあげ、上告人代表の内田弁護士が手短に応答した。そしてすぐに最初が私の口頭弁論の番である。

 数日前に原稿用紙二枚の予定の発言内容の提出が求められていたので、三点に分けて箇条書きしておいた。しかし喋ったのはその約5倍はある。文章にはしておかなかったので、メモを見ながら早口で話した。録音は許されていないので、以下、記憶とメモに基いて書く。

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上告人の西尾幹二です。三点に分けて考える処を申し述べさせていただきます。

 日本国民の一人として、日本国の公立の図書館から、理由説明もなく一括して廃棄された本のうちに、自著が含まれたことに、私は屈辱と怒りを覚えました。私の過去の全著作活動が公的機関から、理由もなく「差別」されたという感覚、私の人権が一方的に侵されたという強い認識をもったことをまず第一に告知しておかなくてはなりません。

 第二点以下は私個人の感情ではなく、そこから離れた公的問題に絞ってお話ししたいと思います。

 廃棄の対象となった私の本の9冊のうち7冊は、歴史にも政治にもほとんど関係がありません。私が「新しい歴史教科書をつくる会」に関わるより前の文芸書や人生論のたぐいで、私が会の代表であったというそれだけの理由によって、昔の本に遡って無差別な廃棄の対象となったのであります。

 これはある集団に属していればそれだけで罪になる、という断罪の仕方であって、ユダヤ人であれば罪になるというナチスの論理、地主や資本家であれば罪になるという共産主義の理論を思わせるものがあります。「つくる会」に属していれば、それだけで、属するより前の書物までも罪になる、というこんな全体主義的な発想が許されてよいのでしょうか。

 なにかに属している者はそれだけで罪になる、という「集団の罪」Kollektivschuldの概念に立脚して、1930年代に二つのの全体主義、ナチズムとスターリニズムは無実の人々を処刑しました。尤も、この「集団の罪」の概念は被害者である場合と加害者である場合とでは意味が逆になり、必ずしも一筋縄ではいきません。ドイツ人は戦後、悪いのはヒットラー「個人」であり、ドイツ民族という「集団」には罪はない、という詭弁を弄しつづけてきたのは周知の通りです。

 ですが、本件のような被害者の立場からいえば、「集団の罪」を被せられるのは恐ろしいことで、私の本は私がなにかに属しているかいないかで判断されるべきではありません。

 当件にナチスまで持ち出しては大袈裟に思われるかもしれませんが、決してそうではありません。体制の犯罪、自由の扼殺(やくさつ)は小さな芽から始まるのです。

 図書館員の特定の思想をもったグループが団結して、しめし合わせて、歴史を消し去るということもあながちあり得ないことではないと思わせたのが本件であります。

 さて、そこで焚書とは何か、歴史の抹殺とは何か、という三点目のテーマに移ります。

船橋西図書館・焚書事件 最高裁で逆転勝訴の可能性が見えてきた(二)

 この事件については、私が『正論』平成16年新年号に、「船橋西図書館焚書事件一審判決と『はぐらかし』の病理」を書いている。同論文は昨年出版した拙著
日本がアメリカから見捨てられる日(徳間書店)に「あなたは公立図書館の焚書事件を知っていますか」と改題して、全文を掲載している。

 事件の説明はもとより、第一審の判決文からのかなりの量の引用と分析、裁判所へ提出した私の意見書の全文がこの論文に収録されている。

 私の判決文批判は痛烈である。例えば、「被告船橋市の法的責任が生じないことも前述のとおりである」という判決文に即応して、私は「あっ、いけない。いけない。とんでもない詭弁である。こういうことを言い立てるものを『法匪(ほうひ)』という。法律を操る盗賊のことである。」

 同論文をのせた『正論』新年号は証拠として提出されている。弁護士によると、最高裁の裁判長は必ず読んでいるそうである。

 これは楽しみである。口頭弁論の日が待遠しい。

 ところで当「日録」はこの案件を重視し、平成15年9月18日から全判決文と関連資料(事後報告)を掲示してきた。そしていま過去録の中にこれを収めている。

 詳細はここを見て欲しいが、あらためて簡単に経過をもう一度説明しておきたい。
 
 当件は、千葉県船橋市立西図書館の女性司書が廃棄基準を無視して著書など107冊を処分したため、精神的苦痛を受けたなどして、「新しい歴史教科書をつくる会」と、作家の井沢元彦さんら8人が司書と船橋市に計2700万円の損害賠償を求めた事件である。

 第一審の判決が平成15年9月9日、東京地裁であった。須藤典明裁判長は「蔵書の取り扱いは市の自由裁量。廃棄基準に該当しない書籍を処分しても、著者は法的責任を追及できない」と、請求を棄却した。

 廃棄された書籍は以下の通り。               
     
     氏 名     蔵書数  除籍数
     西部 邁     45   44
     渡部昇一    79   37
     西尾幹二    24   12
     福田和也    38   13
     高橋史朗     3    1
     福田恆存    24    1
     小室直樹    26   11
     長谷川慶太郎 56   14
     岡崎久彦    19    5
     坂本多加雄    8    2
     日下公人   34   11
     谷沢永一  102   17
     つくる会    3    1
     藤岡信勝    4    3
     井沢元彦   54    4   
       
合計蔵書519冊、除籍数176冊
 
 ただし、西部邁氏、渡部昇一氏、福田和也氏は訴訟に参加せず、谷沢永一氏は第一審まで参加し、そのあと降りた。各人の不参加の理由は分らない。船橋市在住者でもある井沢元彦氏が原告団の代表となって訴訟がなされ、今日に至る。

 東京高裁での第一審判決に対する各紙の見出しは以下の通りであった。

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 9月 9日 共同  「つくる会」が全面敗訴市民図書館の著書廃棄訴訟
 9月 9日 時事  「つくる会」の請求棄却=船橋市立図書館の蔵書
            廃棄訴訟―東京地裁
 9月10日 千葉日報 つくる会、全面敗訴、船橋市立図書館の廃棄訴訟
 9月10日 東京   船橋の市立図書館107冊廃棄、賠償請求認めず
           「つくる会」が敗訴
 9月10日 読売   図書館の蔵書廃棄「市の自由裁量」東京地裁判決
 9月10日 日刊スポ「新しい歴史教科書をつくる会」らが敗訴
 9月10日 毎日   蔵書廃棄、市の裁量権内 東京地裁
           「つくる会」側の請求棄却
 9月10日 朝日   藤岡氏らの請求棄却
 9月10日 産経千葉 船橋図書館の大量廃棄訴訟「実質的に勝訴」
 

つくる会千葉田久保支部長 一定の評価示す
「むなしい判決だが、実質的に勝訴だ」
「ここまで踏み込んだ内容ながら、作家らに対する権利侵害がないという理由で棄却される のはむなしい」
「公務員としての不適格を指摘された人物が子供たちに語りなどをしている。処分は形式だけだと言わざるをえない。」

 
9月10日 産経全国 「公務員精神が欠如」船橋西図書館の“焚書”
 

            東京地裁 請求は棄却
 須藤裁判長は、井沢さんらの著書を廃棄した司書の行為について「『つくる会』らを嫌悪し、単独で周到な準備をして計画的に行った。公務員として当然の中立公正や不偏不党の精神が欠如していた」と批判した。
 また、廃棄処分発覚後の一連の船橋市の対応を「廃棄の経緯を明らかにせず、責任の所在があいまいなままで幕を引こうとした」と指摘した。
 船橋市教委・石井英一生涯学習部長の話「正式な判決文を見ていませんが、市側の主張が認められた判決だと思う」
「司書の行為 文化的犯罪」原告側
 原告側弁護団は9日、つくる会などに否定的な女性司書の独断廃棄や、船橋市の対応のまずさを認定した判決に、一定の評価を与えた。
 しかし、船橋市民の井沢さんは「司書の行為は職権乱用で文化的犯罪。このようなことが行われて野放しになるのはおかしい。民主主義のルールをふみにじったまま、押し切られたのは残念」と語った。弁護団長の内田智弁護士は「社会的・文化的な問題を矮小化し、十分な審理を行わなかった裁判所の態度は批判を免れず、表現の自由に対する消極的態度は許されない」と指摘した。

 
9月11日 東京  図書館の本廃棄賠償請求認めず「つくる会」が敗訴

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 その後東京高裁は東京地裁の第一審を支持し、本件を棄却したので、最高裁に上告されていた。この度、上告の一部が受理され、今まで歴史上提訴されたことのない新しい権利侵害に道が開かれようとしている。すなわち公立図書館の政治的意図をもつ本の廃棄処分が著作者の人権を侵害し、憲法違反になるという認定がなされるか否かという問題に外ならない。

船橋西図書館・焚書事件 最高裁で逆転勝訴の可能性が見えてきた(一)

緊急朗報

 4月19日付「日本経済新聞」朝刊は次のように伝えた。

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図書館蔵書廃棄最高裁が弁論へ
「つくる会」の訴訟で

 千葉県船橋市の市立図書館に蔵書を廃棄され表現の自由などの権利を侵害されたとして、「新しい歴史教科書をつくる会」と作家ら7人が同市に計2400万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は18日、双方の主張を聞く弁論を6月2日に開くことを決め、関係者に通知した。

 弁論を開くことから「図書館がどのように蔵書を閲覧させるかについて、著作者は請求できない」などとして、同会などの請求を退けた一、二審判決が何らかの形で見直される公算が大きい。

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 同日「産経新聞」も類似の記事を掲げたが、異なるのは次の点である。

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 弁論が開かれることから、つくる会側の請求を全面的に退けた一、二審判決が何らかの形で見直される公算が大きい。廃棄を行った司書にも連帯しての支払いを求めていたが、第一小法廷は上告を受理せず、この点についてはつくる会側の敗訴が事実上確定した。

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 つまり、被告は船橋市と図書館土橋司書の両者であったが、最高裁は船橋市に関わる上告受理を決定し、土橋氏に関する上告を棄却して、前者に関する口頭弁論を6月2日に開くという呼び出し状を弁護士に送ってきたわけだ。

 分り易くいえば焚書事件を起こした司書個人はすでに減俸6ヶ月の罰を受けているのでこれ以上追及しない。しかし、船橋市の責任に関しては、審議を見直す必要があるので原告側の意見陳述を許すゆえ、6月2日に出頭せよ、という指示である。

 口頭弁論が開かれたからといって、ただちに勝訴になるとは限らない。けれども原審が覆る可能性は小さくはない。

 最高裁に上告されるほとんどの事件は門前払いである。ないしは審理の結果、原審維持の通達があるのみである。口頭弁論を開いて再審するというのは、よほどのことで、最高裁が憲法違反を訴えた本件の重要性を考慮したからであって、原審が破棄される可能性もきわめて大きい。

 私は弁護士からそういう期待を聞いた。6月2日の口頭弁論には私と作家井沢元彦氏が出頭する予定である。

5月号月刊誌の私のライブドア論

5月号の月刊誌の私の仕事は次の二作である。

(1) ライブドア問題で乱舞する無国籍者の群れ
  『正論』45枚 短期集中連載「歴史と民族への責任」第3回

(2) 日本を潰すつもりか――朝日、堀江騒動、竹島、人権擁護法――
  『諸君!』45枚

 3月16日に書き始めて24日の夜中(25日の早朝)に最後の校正ゲラをもどした。脱稿は24日夕方である。9日間で90枚は私にしても珍しい集中度である。

 ライブドア問題は日替りでニュースが動くので、早めに書き出すことができなかった。ようやく書き出すと、また動く。

 (1)では新株予約権発行差し止めの判決の地裁までで時間切れだった。(2)は高裁判決を主に対象にしている。(1)を書き終えてから(2)を書いた。

 ライブドア問題については「日録」にはいっさい私見を述べなかった。述べている時間的余裕がなかった。私の分析と考察はこの二作にすべて投入されている。

 (1)で「無国籍者」と呼んだのは堀江貴文氏と村上世彰氏と鹿子木康裁判官である。判決文に対しては丁寧な心理分析をほどこした。

 みんな同じ穴の狢である。高裁の鬼頭判事も例外ではない。アメリカの法律で日本を裁いている不可解さ。

 校正ゲラを手直ししている日にソフトバンクの登場のニュースを知って大急ぎで加筆した。フジサンケイグループにとって前門の虎、後門の狼だと思った。誰かが「フジはチンピラが恐くてヤクザに救いを求めた」と言っていたが、そういうことかと思う。

 最後に登場した北尾という人を見ていると、「株屋」という顔をしている。そういえばホリエモンも村上ファンドも昔流にいえば「株屋」である。

 日本人にはお金が貯っても株を買う習慣はあまりない。普通の人は郵便局や銀行に貯金してきた。銀行が代表して株を買った。証券会社は個人投資家を育ててこなかった。

 最近しきりに会社とは何かが問われる。会社は経営者のものでも、従業員のものでもなく、株主のものだと盛んにいわれるが、そういわれてピンとくる日本人は少ない。

 日本の株主は経営に関心を持たなかったからだ。株の上り下りにだけ関心をもった。経営者はたしかにいわれる通り株主への利益配当に熱意がなかった。

 日本の経営者は自社の製品の市場に占めるシェアーに異常な関心を示す。テレビの経営者なら視聴率にのみ関心を示す。株主への利益還元は二の次だった。

 だから日本の企業は生産性は高く収益は上げているのに、時価総額が低い。アメリカとは逆である。敵対的買収者に狙われ易い構造である。これからはたしかに日本の経営者には辛い時代がくる。

 フジテレビが1000円の配当金を5000円にして、自社の株をつり上げ、防衛策とした。他のテレビ会社は渋い顔をしているに違いない。相次いで同じことをしないと自社の株主たちの不満を買うことになるからだ。

 フジテレビの事件は毎日関心をもって国中から見つめられ、他業種の経営者にもとてもいい教育効果があったはずである。系列内の株式の持ち合いに守られていた時代の安定度がきっと懐かしいだろう。日本の資本主義の良さはもっと顧みられてよいのではないか。竹中平蔵氏に丸投げしている内閣は困ったものである。

 昨日、フジテレビが優良企業50社に自社の株を買って保有してくれと頼んだのは「株の持ち合い」策の復活である。安定経営が大切なのはどの社も同じである。

 拙論二篇は以上述べたこととはまた別の、もっと重要な、数多くの論点――文明論を背景にした私なりの会社論――を書きこんでいる。いずれも月の初頭に店頭にでる。

2月末~3月初の私の仕事

 11月に出版した『日本人は何に躓いていたのか』(青春出版社)は初版1万2000部でスタートして、2月に入って3000部増刷した。遅すぎたともいえるが、今の時代には結構なことなのだそうである。増刷部数も悪くないとの由。この後が期待できる動きだそうである。そうかなァ。

 正月明けの1月13日頃に店頭に出た共著『新・国民の油断』(PHP研究所)は初版1万部で、2月にならぬうちに増刷がきまったが、わずか1500部。もっと勢い良く伸びるだろうと私も八木さんも期待していたのに、まだ出たばかりもあって今のところ動きが分らない。よく動いているようだが、今後を注意深く見守る必要がある。

 上記の2冊について批評や反響が寄せられているので、後日私の感想をまじえて報告する。

 2月末~3月初の私の仕事で注目していただきたいのは次の二つである。

(1)「中国領土問題と女帝問題の見えざる敵」42枚
  『正論』4月号、短期集中連載「歴史と民族への責任」第二回

 論文の後半で私は初めて皇位継承問題について踏みこんだ発言をした。今まで誰も予想しなかった「敵」の所在を指摘し、首相諮問機関有識者会議の迂闊さと呑気さと無自覚ぶりを指弾した。『文藝春秋』3月号の皇室問題特集を読んでも、「敵」が何であるかを誰も見ようとしないし、見えていない。国民が皇室を守ろうとする意思を示し、今しっかり用意する機会をもたなければ、20-30年後に天皇制度はなし崩しになくなるだろう。私はそう書いた。大切な論文なので注意していただきたい。

(2)西尾幹二責任編集『新・地球日本史』1
 ――明治中期から第二次世界大戦まで――産経新聞社刊、発売扶桑社。
  ¥1800――2月28日店頭発売

 以下に目次を掲げておく

 第一巻「明治中期から第二次世界大戦まで」


まえがき 西尾幹二
① 日本人の自尊心の試練の物語       西尾幹二
② 明治憲法とグリム童話            八木秀次
③ 「教育勅語」とは何か             加地伸行
④ フェノロサと岡倉天心             田中英道
⑤ 西洋人の見た文明開化の日本       鳥海 靖
⑥ 大津事件―政治からの司法の独立    高池勝彦
⑦ 日本の大陸政策は正攻法だった      福地 惇
⑧ 日露戦争―西洋中心史観への挑戦    平間洋一
⑨ 明治大帝の世界史的位置          三浦朱門
⑩ 日清日露の戦後に日本が直面したもの  入江隆則
⑪ ボーア戦争と日英同盟            田久保忠衛
⑫ 韓国併合                    勝岡寛次
⑬ 韓国人の反日民族史観のウソ       呉 善花
⑭ 昭和天皇の近代的帝王学          所 功
⑮ 中華秩序と破壊とその帰結         北村 稔
⑯ 米国に始まる戦争観の変質         大澤正道
⑰ 大正外交の萎縮と迷走            中西輝政
⑱ 歴史破壊者の走り―津田左右吉      萩野貞樹
⑲ 日本に共産主義はどう忍び込んだか    藤岡信勝
⑳ 徳富蘇峰の英米路線への愛憎       杉原志啓

第二巻は6月刊の予定である。