日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(五)(前の月の生活に即した所感です)

9月15日(水)
 日本時間15日夜、小泉首相がサンパウロで泣いた。ブラジル移民の集いで日系移民の苦労を察してと称して男泣きしてみせた顔相がテレビの画像に何度も映った。私はなんとも説明のできない気味の悪さと嫌悪を感じた。

 老いた横田夫妻に涙がなく、何で「移民の苦労」というような抽象的なテーマで滂沱と涙が頬を伝わるのか。小泉再訪朝の直前、孫のへギョンちゃんの来日要請が伝えられた老夫妻は断腸の思いでこれを辞退し、金正日に会ったら「娘は1995年まであなたの一族の家庭教師であったはずだと問い正して欲しい」と官房長官を通じて切願した。首相は経済制裁はしない、と自分から言い出す前に、なぜこの一言がいえなかったのか。首相の心の中で重要な位置を占めていなかったからである。

『日本がアメリカから見捨てられる日』の第一章の題は「個人の運命にも国家にも無関心なあぶない宰相」である。「情感を持たない機械みたいな人間」ということばも用いている。週刊誌は冷酷非情な人格と書いた。それをきちんと片眼で見て、国民にそうでないと見せるために、サンパウロで泣いてみせたのである。

 一挙手一投足がことごとく自己演技である。真心がない。総裁選に出る以前に、彼が靖国を尊重し、特攻隊に関する歴史知識を深めていたという話は聞いたことがない。それでいて、特攻隊員を思って涙を浮かべたという話がどこかから伝わる。サンパウロで流したのと同じ涙なのだろう。それならなぜ再訪朝前に横田夫妻に会おうともしなかったのか。

 というよりも、再訪朝後の度重なる実務者協議で、くりかえされる北朝鮮の非礼な拒絶を前にこの期に及んでなお「粘り強い交渉を」となぜ苦悩のない、当り前なことばを首相は平然と言いつづけるのか。

 男は簡単に泣くものではない。まして泣き顔を他にさらすものではない。泣きたくても怺えて静かに笑っているのが男子たるものの心得である。親の葬儀でも男は泣かない。焼香客が全部帰って、夜ひとりで蒲団の中で初めて男は号泣するのである。

 どうしてあんなに易々と涙が出てくるのか。どこぞの俳優学校ででも学んだのか。安っぽい涙はまさに感情を持たない人間であることの証拠である。

 男は簡単に泣くものではない。まして泣き顔を他にさらすものではない。

お知らせ

私は今日、10月17日(日)(関西の読売テレビ)
西日本だけのテレビ、よみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会(調査結果記入欄あり)」に出ます。
 
テーマは「日本の自虐史観と反日」。
放送は17日(日)午後1時30分ー3時。
関西、中国、九州地方5局ネット。

《 10月17日放送分の出演者(予定) 》

◇司会  やしきたかじん、辛坊治郎
◇パネラー  三宅久之、金美齢、井沢元彦、荻原博子、宮崎哲弥、橋下徹、 桂ざこば、くまきりあさ美
ゲスト:西尾幹二

(1)自虐史観と反日教育
(2)どたんばの人々
(3)韓国の風俗嬢デモ

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(四)(前の月の生活に即した所感です)

9月13日(月)
 12:30入れ歯の調整に医歯大へ行く。新しい入れ歯は非常に具合がいい。口腔内に違和感がない。私は担当の水口俊介先生に「先生は名人ですねー」と賛辞を呈する。

 3:30から渋谷の「日本文化チャンネル桜」のスタジオに赴き、初めての出演をする。知っている人ばかりで集まっていて、私たちの仲間のテレビ局だということがよく分る。

拙著『
日本がアメリカから見捨てられる日』を司会の大高未貴さんが用意していて、私の出演中ずっとテーブルの上に立てて置いてくれた。こんな厚遇は他局では考えられない。

 私はテレビが嫌いで、最近はニュース以外はほとんど見ない。私の老化のせいではなく、番組内容の劣化のせいである。アメリカでは240ものチャンネルが選べると聞いた。私がかって杉並ケーブルテレビに加入していたときには60のチャンネルがあった。24時間天気予報だけを流しているチャンネルなどもあって、その限りでは便利だった。

 私はあらゆるテレビ受像機が100くらいのチャンネルを映し出す電波の自由化の到来を待っている。NHKと既成民放の電波独占が番組内容の劣化を招いている。郵政の民営化より電波の自由化のほうがずっと優先価値が高い。テレビと大新聞の情報の独占、画一化、愚かな自己規制、小さくても途方もなく重要な情報の選別能力の欠落、その結果としての番組内容の空虚化――こうしたことをいっぺんに解決するのが電波の自由化である。

 私はこの点では秩序派ではなく、情報の戦国時代を良しとする者である。「日本文化チャンネル桜」はぜひその尖兵になってもらいたい。何が電波の自由化を阻んでいるのか、原因を究明している論文をどなたか知っていたら、教えてほしい(感想板に書いてほしい)。

9月14日(火)
 12:00~14:00の時間帯に時事通信社の内外情勢調査会の講演で大宮市に行く。聴衆は企業の経営者が多いと聞いたので、あえて経済をテーマに選んだ。

 私は最近、14年前の日米構造協議における日本側の屈服を批判した私の観点は間違っていなかったと自信を深めるようになった。「日本経済は閉ざしている」という根拠なき強迫観念から解放されない限り、日本は立ち直らない。さすがに日本経済は遅れているとは今は誰もいわなくなったが、その代りに閉ざしていると口々に言い、遅れているというのと同じ思い込みに陥っている。

 果して閉ざしているだろうか。諸外国と比較してもそうは思えない。系列、談合、株の持ち合い、終身雇用、官僚主導、愛社精神などをことごとく「閉ざした」表徴として自己批判させられてきて、日本はアメリカ経済の前に膝を屈した。しかし、今にして分ったが、解雇したり不動産を売却したりして数字合わせをした日産よりも、日本型経営を守ったキャノンの方が、ずっと正しかったと思えてくる。

 日米構造協議から日本の没落が始まった。堺屋太一や、中谷巌や、竹中平蔵はやがて「日本をアメリカに売り渡した男たち」のドラマの主人公となるであろう。日本の資本主義は日本独自であってよい。アメリカが資本主義の正統で、日本が異端だなどというそんなバカな話はない。ファロアーズの『日本封じ込め』以来、ずっとなにかが狂っている。

 私は今日の講演で、90年代前半までの日本がいかに正当な自由競争社会であったかを例をあげて力説した。郵政民営化もアメリカの陰謀に相違ない。

 日米構造協議は海部内閣の時代だった。あのころまだ若かった小泉首相の頭の中に「日本は閉ざされている」という強迫観念が宿ったのであろう。中曽根首相の国鉄と電々の民営化が成功したかにみえたので、残るは郵政と思い込んだのに違いない。

 電々の民営化は時代の要請に合っていたし、国鉄の民営化もまあ仕方がなかった。しかし後者は巨額負債を棚上げして国民の負担として残した侭である。加えて廃線になった地方の山奥の人々を苦しめてもいる。100パーセントの成功とはとてもいえない。

 日本の国力は明治以来、「統合」と「公平」の観念に支えられ上昇した。教育と郵便と鉄道と保健衛生はその象徴である。義務教育の国庫負担削減という最近の政策は、貧乏県の教育を切り捨てるという結果をもたらす。小泉内閣は病院を株式会社にし、治療費を保険と自己負担に分ける自由選択制に切りかえようと画策している。保険の患者は粗末に扱われるようになり、日本の健康保険制度――世界一といってよい――は崩壊し、アメリカのような貧乏人早死制度になり果てるであろう。

 何でも自由競争にすればよいというものではない。郵政の民営化も大いなる疑問である。ストップ・ザ・カイカク!

(10/17削除修正)

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(三)

9月10日(金)
 午前11:00オーストラリア放送から頼まれたインタヴューを受ける。オーストラリア放送東京支局はNHKの建物の中にあるので、どうせ午後御茶の水の医科歯科大で歯の治療を受けるので、早めに出て自ら局に出向く。

 日本女性がインタヴュアーで、ほかにはオーストラリアの女性ひとりとカメラマンの三人が私を迎えた。テーマは外国人労働者問題。久し振りにこのテーマである。またまた世間の関心が高まっているようである。

 オーストラリアは白豪主義と言って、人種差別のはなはだしい国である。60年代にギリシア人とイタリア人の移民を迎え、そこまではよかったが、70年代にアジア系移民を大量に受け入れてトラブルが始まった。移民国家なのに移民反対政党も出現したはずである。

 私が何を心配して受け入れ慎重論者であるのかが知りたい、と、質問はしきりにそこに集中する。日本人が加害者になる可能性が一番恐ろしいと私は述べた。本来日本は階層が固定しない流動社会である。それなのに約8パーセント――ドイツ、フランス、なみに考えれば――の外国人定住化は1億2000万の日本人の内部に1000万人の外国人が定住化することを意味する。どこの国でも先進国の単純労働力受入れは8パーセント前後に近づく。しかも複数の民族の渡来で1000万人はカスト化する可能性が高い。例えば中国人が外国人の中の上位を占め、ベトナム人が下位を占めるなど。日本人は複雑にカスト化した民族間闘争に巻きこまれるだけでなく、彼らの総体とも対決しなければならなくなるので、日本人社会の内部は流動性を失い、受身のまま硬直化する危険がある。硬直化は社会の進歩を阻む。

 問われるままに、私が今まで
に論述してきた他のポイントを私は次々と語った。しかしインタヴュアーは何かを待ちつづける。テレビのことだから、実際の放送では、私の話の概要はアナウンサーが要約し、核心を衝く個所がきたところで約2分間私の顔を画面に出したいらしい。その核心が見つからなくて、あれこれ問いかけてくる。そしてさいごに「あァ、先生そこです。そこをもう一度語ってください。」

 「分りました。もう一度丁寧に言いましょう。」と私はあらためてテレビカメラに向って居ずまいを正して語った。

 「古代ローマ末期、ローマ人は奢侈に流れ、労働を嫌い、軍務を逃げ、つらい仕事は奴隷に任せ、外敵との戦いは傭兵に委ねて、その日その日をうかうか過し、やがて滅亡しました。日本人もつらい仕事を奴隷に任せればいいのですね。アメリカ軍を傭兵だと思っている日本人はとても多いのです。そのうちローマ人がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルに寝首をかゝれたように、日本はアメリカ軍に再占領される日を迎えるでしょう。異民族がどんどん入ってきます。日本列島がなくなることはありません。列島の住民、この地への移住者が絶えることがなくても、日本という国、日本人という民族は消えてなくなってしまうのです。」

 「ありがとうございました。先生、そこを放映させてもらいます。」

 なぜこんな話を急にしたかというと、数日前、ある会合で出席者の一人が大学生5人のいる場で尖閣諸島の話をしたら、彼らは全く尖閣の名を知らなかった。そこで詳しく説明したら、大学生の一人が「そんなの簡単じゃないか。日本がアメリカになっちゃえばいいんじゃないか。」他の大学生もそうだ、そうだと言ったとあきれた面持で語ったのを思い出したからだった。

 「日本がアメリカに再占領される」という私の先述のことばの意味も今の大学生には分らないだろう。再占領されれば気楽でいいや、というくらいにしか考えないのだろう。

 再占領されれば憲法が停止され、日本人は人権を無視され、婦女子が暴行されても日本に裁判権はなく、彼ら大学生はアメリカ軍の尖兵となって最も不利な戦地に追い立てられるかもしれないのである。そんなことを今の学生は考えてもいない。けれども人手不足を補うために外国人労働者をどんどん入れゝばいいと思っている今の企業人やエコノミストも、日本の現実について考えていることはこの学生たちと大差ないであろう。

9月11日(土)
 午後1:00~5:00「新しい歴史教科書をつくる会」の総会が虎ノ門パストラルで行われた。会員全体から5000万円の寄付をお願いするというのが総会のメインテーマだった。理事が率先して寄付に応じないで、会員にだけ新しい負担を求めても通る話ではないだろう、と私は秘かに思ったが、総会では黙っていた。

 ひきつづき5:30から、同じホテルで懇親会の今までの形を変えて、「前進の集い」という名で、東京都の新しい採択を記念して、各界の名士をあつめ、八木秀次会長の就任のおひろめを兼ね、どなたでも参加できるオープンな祝賀パーティーが開かれた。

 私は祝賀の会で何があったかをいちいち報告する煩に耐えない。政治家からの祝電ではやっぱり安倍晋三さんのものが一番長く心がこもっていたこと、皆さんのスピーチがとても上手で面白かったことなど、語ればきりがない。

 そこで私は、自分の印象に強く残ったスピーチをひとつだけ書いて記念にしようと考え、「二宮清純さんのこと」と題した一文を日録に掲げた。短いこの一文で「前進の集い」の全体の雰囲気を代表させたつもりだった。

 当日録に接続する「感想掲示板」に「前進の集い」に参加した人の報告文が皆無だったことが、私にはやゝ意外であり、また今非常に不満でもある。全体の報告は私ではなく、どなたかに代表して書いてもらいたい。

 だいたい「感想掲示板」は「新しい歴史教科書をつくる会」の応援をも意図していたのではないだろうか。このところまるきりそうでないのが心外である。、若い八木新会長就任についてもほとんど関心が払われなかった。「西尾幹二感想掲示板」は最近少しおかしい。変質している。自分の狭い関心にだけかまけたテーマで書き込む人が多い。共通の感情を失っている。

 今度また「前進の集い」のような関心が共通する催しがあったら、参加者の誰かゞ私に代って会の客観的な報告をしてほしい。

 さて、「前進の集い」では最後のしめくくりの挨拶を私に託された。『史』(9月号)巻頭に書いた一文とほゞ同内容の話をして、祝賀ムードに少し水をさした。ここに同誌から全文を引用しておく。

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 愛媛につづいて東京の6年生一貫校でわれわれの教科書が採択されたことは嬉しいし、関係者に厚く御礼申し上げる。しかし3年前に養護学校の採択に実績を上げたこの二ヶ所以外に、新しい採択校が他の府県で名乗りをあげてくれないことにむしろ私は心を痛めている。公立の6年生一貫校は全校で毎年次々と新設されているはずである。

教科書の採択は教育委員の権限とされる。しかし実際は違う。現場の教師が選んで、順位をつけて上へあげる。上にはPTA代表や学識経験者などから成る選定委員会という、教育委員会とは別の組織が存在し、そこでまず決められる。教育委員はめくら判を押す役目にすぎない。選定委員会に教育委員が入っている場合もあるが、権限は比率に応じて下がる。選定委員は元校長など、教師の世界と直結していて、日教組に左右され易い。例外は若干あるが、全国的にまずこの形態である。

だから平成17年夏の期待される採択にも、私の見通しは暗い。教員支配のこのシステムを毀し、本当に教育委員が全権を掌握し、しかも教員上りを教育委員から排除する法律でもできない限り、日本の成熟した社会の常識が教育を動かすということは起こらない。教師の世界は一般社会より半世紀遅れている。

八木秀次新会長を中心とした新しい体制には本当にご苦労をお願いしなくてはならない。今度の採択で一定の成果を上げなかったら、ひとえに右の閉鎖的システムのせいで、新しい力をもってしても固定した旧習を毀せなかったことを意味する。そうなると、歴史や公民は検定をやめて自由出版にせよ、という声が一気に高まるだろう。責任の所在を不明にする教育委員会制度そのものの廃止が叫ばれるだろう。

この意味で八木氏の果す役割は運命的な位置を占めている。若い会長が新任されたのは会が未来を信じている証拠で、その生命力が必ずや壁を打ち破ってくれるであろう。

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 「前進の集い」のしめくゝりの挨拶ではほぼこれと同内容を話しことばにして、強弱をつけ、分り易く語ったが、最後にこうもつけ加えた。

 「『新しい歴史教科書をつくる会』の若返り会長人事を真似していただきたいところがある。自民党です。どうか自民党はわれわれのこの人事をぜひともモデルにして、思い切って若返っていたゞきたい。」と語って、万座を笑いにして終らせた。

9月12日(日)
 どういうわけだかこの日私は9時間寝てそれでなお眠り足らず、朝食を食べて寝て、昼に起きて少し食べてまた寝て、何と合計13時間も眠った。

 それで夜になるとまた眠れた。我が家の老犬のようである。こんなことがときにあるのである。あっていいのだろう。昨日の会は三次会までつき合ったが、酒で疲れたとは思えない。

 2冊の著作が同時進行している。根をつめている。やはりそれで疲れているのだろう。

 余りに眠りつづけると、このまゝ快く死に至るのかと思う。しかし深く眠ると、翌日は生命感が甦っているのを感じる。

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報  告

(1) 10月17日(日)(関西の読売テレビ)
西日本だけのテレビ、よみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」にでます。
 テーマは「日本の自虐史観と反日」。放送は17日(日)午後1時30分ー3時。
関西、中国、九州地方5局ネット。

(2) 10月23日(土)14:00~16:00
西尾幹二講演会「正しい現代史の見方」入場無料
帯広市幕別町緑館
主 催:隊友会道東連合会
連絡先:自衛隊帯広連絡部
飯島功昇氏
TEL 0155-23-2485

(3)Voice11月号(10月10日発売)

拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を採択した理由」があり、注目すべき内容です。

(4)11月20日に科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線竹橋から6分、北の丸公園内)で福田恆存没後十年記念として、「福田恆存の哲学」と題する講演を行います。他に山田太一氏も講師として出席なさいます。

福田恆存歿後十年記念―講演とシンポジアム―
日 時:平成16年11月20日 午後2時半開演(会場は30分前)
場 所:科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線 竹橋駅下車徒歩6分、北の 丸公園内)
特別公開:福田恆存 未発表講演テープ「近代人の資格」(昭和48年講演)
講 演:西尾幹二「福田恆存の哲学」
     山田太一「一読者として」
シンポジアム:西尾幹二、由紀草一、佐藤松男
参加費:二千円    
主 催:現代文化会議
(申し込み先 電話03-5261-2753〈午後5時~午後10時〉
メール bunkakaigi@u01.gate01.com〈氏名、住所、電話番号、年齢を明記のこと〉折り返し、受講証をお送りします。)

・・・***・・・***・・・***・・・

戦後日本において最も根源的に人閒の生き方、日本人の生き方を問ひ、「左翼にとつて論爭しても勝てない隋一の保守知識人」と称されてゐた福田恆存氏が亡くなられてから今年で十年になります。當會議では、この機會に改めて福田思想を檢證し、今日に継承するため、御命日である十一月二十日に「福田恆存歿後十年記念―講演とシンポジアム―」を開催することに致しました。多くの皆様方のご參加を願つてやみません。

・・・***・・・***・・・***・・・

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(二)

9月5日(日)
 午後2:00より故林健太郎先生のご霊前に参ずる。先生の訃報に接した日私は東京不在で、昨日電話をかけてご都合を伺い、今日ご焼香させていただいた。

 帰宅して心に思う所あり、一息で一文を認め、「林健太郎先生のご逝去」と題して「日録」に掲げた。
 
 以下は後日談だが、一月の訪問記と合わせて改筆し、『諸君!』に20枚程の林先生を偲ぶ文を書いてはと編集部に勧められ、私はその気になった。ご臨終の前後のデータに間違いがあってはいけないと思い、A4で2枚の「日録」のコピーを郵便で奥さまに送って訂正すべき個所を教えてほしいと書き添えておいた。奥さまから電話で思いがけないご返事があった。

 奥さまがご体験になったご臨終の前夜のあのシーンは、秘そかな思い出のまゝにしたいので『諸君!』に書かないでほしい、と。葬儀委員長の人選に私が「憤慨」したという一件も気になさっていたようなので、お立場上デリケートな一線に私が敢えて触れてしまったせいかもしれない。「『諸君!』の件はどうかわたしに預からせてください」と仰有った。私は諒承した。

 編集部にその侭伝えて、諦めてもらった。せっかく幾つかの先生の論考や資料を揃えてもらっていたし、私も先生の旧著を書棚から取り出して、心の用意をしていたので、少し残念だった。翌月の『正論』の読者の欄に、林先生を軽んじる文章がのっていたので、このまゝ先生に汚名を着せられて終るのはいやだとも思ったが、今さらどうにもならない。

 林先生の追悼文を言論誌に見ない。長生きするとこういうことになるのだろうか。葬儀委員長にあのような人物を据えた勢力の人々が、先生を本当に理解する追悼文を書くとも思えない。先生は立派な、マルクス主義の根本的誤謬を説いた言論人だった。小泉信三に匹敵する人だった。私でなくていいから、やはり『諸君!』か『正論』に追悼文があってしかるべきであろう。

 しかし、ふと思った。「林健太郎先生のご逝去」という私の一文はインターネットに公表ずみである。あとで自著に収録することに私はためらいをもたない。

 満面に笑いを浮かべて死期の到来に気づいたことを知らせた先生のあの従容たる挙措は、歴史に語り継がれてしかるべきだろうと思う。先生の最後のお姿は先生を敬愛した読者の財産でもある。

9月6日(月)
 今日は3:00から定期検診の病院に予約が入っているし、夜は6:00から「つくる会」理事会である。しかし、八木秀次氏との対談本『新・国民の油断』の第一回対談が9日であるのに、準備が進んでいない。病院も理事会も急遽キャンセルした。仕方がない。こういうことは往々にして起こる。

 ジェンダーフリー批判という今度の対談のテーマについて、八木さんは専門家はだしだから格別の準備も要らないらしい。しかし私には私に特有のアプローチの仕方があり、私でなければ語れない立論を打ち出していきたいが、同時に八木さんと話が噛み合わなくてはいけないから、共通の土俵も準備しておかなくてはならない。その後者の予備知識が私には不十分なのである。

 それで、今日はたくさんの本や文献資料を前に呆然としながら時間を過ごした。ご承知の通り、この世界をいろいろ読み調べることは、あまり楽しい体験ではない。

9月7日(火)
 私が最初から気にしていたのは、八木秀次さんや山谷えり子さんらが唱えている伝統的性道徳、健全な家庭の子育ての基準を今の社会に上から振り翳して、果してジェンダーフリー派の撒き散らしている「今の子供の性の現実」に太刀打ちできるのだろうかという疑問だった。

 彼らの早期性教育論は、今の子供たちを性感染症、強姦や売春や暴力団の介入、望まない妊娠からいかにして守るかという、それなりに筋の通った一貫した主張に裏づけられている。子供たちに性行為の過度の知識――過激に見える――を早くから与えるのは、彼らに性を勧めているのではなく、もうどうにも止まらない所まできた今の子の性生活を少しでも破壊から守るためだという現場教師の声に根拠を求めている。

 それに対し伝統派は、過激な性教育をするから子供の心に抑制がなくなり、安易に「性の自己決定権」などといって責任のとれない年齢の者を無理な行動に走らせてしまうのだと反論する。他方、早期性教育論者は、これとは逆のことを言う。性の正しい知識を早くから与えてやらないから、自分の身体をみすみす破壊に追いやってしまう、と。ニワトリが先かタマゴが先かという、議論の堂々めぐりで、どっちが正しいか、本当のところは私にも分らない。恐らくその両方に理があるのだろう。

 援助交際をする女の子たちはお金が目当てではなく、「半分以上の子供たちが最初に口にするのは『とても大事にされるから』という驚くべき理由でした」と語る水谷修氏(夜間高校教師)のレポート(『SEXUALITY』NO.13所収)には、私はかなり説得された。

 「中学生は妊娠しないと言われて、避妊をしない性交を本当に行っていた子どもたちもたくさんいます。」「女性の薬物中毒は助からないといわれています。・・・・・・薬物のためなら何でもやる。そこに売買春が入りこんできてしまうために、女性は生きていけてしまう。悲しい話ですがよくいわれます。」「我々が行うべき性教育とはどういうものかを考えた時、僕は、愛とは何かを教えることではないと思います。・・・・・・何回不特定多数と性交渉すると確実に性感染症になるか」というようなことを統計数値を見ながら研究し、教えていくことだという。

 水谷さんは12年間で4000人を数える子どもたちと直接的に交流をもった。この世界では1対3対3対3という有名な比率がある。関わる子どもの1割は自殺し、3割は刑務所か少年院の檻の中にいて、3割は先生のことばを信じて薬物なしの生活に努力し、残りの3割は行方不明になってしまうという。

 事実は恐らくこの通りだと思う。人間の弱さというものが問題の基本にあることは絶対に見落としてはならない。性教育を議論するうえでの重要な条件の一つである。けれども、子供たちの現実の一部がここまで弱さをさらけ出し、その現実に即した救いが求められているからといって、学校の公教育の場で、同じレベルの治療法的即効性教育をあらゆる子供に与えるべきだという話にはなるまい。

 八木秀次さんと対談するとき、ここいらが難しいなァ、どういう風に話をしようかと私は思案した。

 それにジェンダーフリー(性差は存在しない)の思想と性教育がどこでどう結びつくのかが分らない。こじつけがあるかもしれない。この方面の本を読んでいると、障害者、社会的弱者(先の薬物に溺れる子供なども含む)への差別の問題とジェンダーフリーが混同してもち出されてくる。どうもそこが奇妙である。

 障害者、社会的弱者の救済はなされねばならない。しかしジェンダーフリーの主張とこれとは本来別のはずである。両者ははっきり区別されねばならない。そこが混ぜこぜで提出されるのがおかしいと思った。なにか詐術がありそうだ。

9月9日(水)
 13:00~19:00 PHP研究所の一室で『新・国民の油断』の第一回の対談を実行した。

 第一回は現象面の情報をできるだけ数多く紹介するページに役立つ話題を主に展開した。二人が用意した材料は夥しい。大人の性玩具のような見るも恥かしい露骨な「物体」の数々。それから、ジェンダーフリー派による言葉狩り(スチュアデスは客室乗務員とする、の類)、TVコマーシャルへの映像干渉、自治体の指定する男女役割分担禁止という名の私生活への介入。私は「これはファシズムですよ」と思わず叫んだ。

 落合恵子(作家)さんというジェンダーフリー派のスターがいる。この人の講演筆録(『SEXUALITY』NO.13)を読んで、なかなか話がうまいなと思った。ホロリとさせる処がある。大抵の人はいかれてしまうだろう。私は八木さんとの対談の中でもこの話を一寸出した。

 落合さんは私生児であると告白する。つまり、お母さんが未婚の母である。本人もお母さんも悩んだ。社会との約束ごとに背いた女だとの自責で母は苦しんだ、と落合さんは言う。

 「(母は)私に対する後めたさと自分の親に『肩身の狭い思い』をさせてしまったという反省を張りつめた糸のように紡ぎながら生きてきたのだと思います。」やがて脅迫神経症になる。洗手恐怖症といって、指紋が消えてしまうほど一日中手を洗いつづける病気になったのだそうだ。

 落合さんは10代のころ、「お母さん、どうして私を生んだの」と聞いたことがある。そのとき「お母さんはあなたのことがとてもほしかった。」「あなたのお父さんに当たる人を大好きだった。だからあなたは『大好き』から生れたこどもなのよ。」「お母さんがこんなにあなたを待っている、だからだからあなたはこんなにも待たれ、期待されて生れてきた子どもなのよ。」

 10代の落合さんは母親のこの言葉に納得し、それが心の支えになって生きてきた。ここまでは私もよく分る。私は同情をもって読み進んだ。すると一転して、次のような議論が始まるのである。

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 子どもは当然、自らの出生について何の責任もありません。

 私たちを取り巻く社会において、自分自身であることをずっと求め続けることは時には大きなストレスになることかもしれません。しかし、やはり私たちは個であることから始まり、個であることを続けていかなければなりません。このことは、セクシュアリティを含めて、あらゆる人権について考える時の基本であると思います。

 私たちの社会の中には「普通」という感覚がとても色濃く残っています。そして私は「普通」という言葉をなかなか使えません。というのも「普通」の価値観が根強い社会は必ずワンセットで「普通じゃない」という価値観を作りだすからです。「みんなと同じ」という言葉もそうです。みんなと同じという価値観が色濃い社会においては、みんなと違うという状況にある多くの人々が、みんなと違うという理由で選別をされ、切り捨てられてしまいます。人権というものを考える時、ここにもまた私たちが問いかけなければいけない大きなテーマがあるのではないかと思っています。

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 落合さんは「個」という観念をいきなりここでもち出す。両親そろっている「普通」の家庭へのルサンチマンもにじませた論が展開される。けれども落合さん自身はここでいう意味の純粋な「個」なのだろうか。この「個」の概念は間違っていないか。

 落合さんはほかでもない、お母さんの子供である。お母さんの愛に支えられて生きた子供だ。けっして「個」ではない。

 もっと不幸な子供がいる。両親を知らない子供がいる。両親はいてもまったく愛されない子供もいる。落合さんのお母さんは彼女を強く愛した。彼女は恵まれている。その意味ではもっと不幸な子供たちに対して優越者である。落合さんはそのことに気がついていない。

 もっと不幸な子供たちからみれば彼女は「普通」の価値観の中に安住することが許されている側にいる。彼女は見方によれば特権者の側にいる。「普通」とか「普通でない」とかはすべて相対的概念だ。基準も機軸もない。

 彼女は決して「個」ではない。母の子である。母の愛の依存の中にいる。そして、なにかに依存し、包まれていなければ真の「個」は成立しない。そういう意味でなら彼女もまた「個」である。しかしそういう「個」、言葉の本当の意味における「個」は決して彼女のいうような意味での「解放」の概念ではない。

 私は対談で以上のような議論を時間不足で十分ではなかったが、とりあえず展開した。『新・国民の油断』が出版されるのは12月だが、考えの浅い、愚かなジェンダーフリー派をたゞ頭ごなしに非難し、弾劾する本にはしないつもりである。

 深く考える人に、敵の陥し穴がよく見えるような案内をしたいと考えている。

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   報  告

(1) Voice11月号(10月10日発売)

 拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

  尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を 採択した理由」があり、注目すべき内容です。

(2)

 11月20日(土)午後2:30~に科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線竹橋から6分、北の丸公園内)で福田恆存没後十年記念として、「福田恆存の哲学」と題する講演を行います。他に山田太一氏も講師として出席なさいます。
(入場料2000円、申し込み先・現代文化会議 電話03-5261-2753
メール bunkakaigi@u01.gate01.com )

 10~11月私は雑誌論文をやめてもっぱら福田先生の旧著を読み直すことになりそうです。

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(一)

8月29日(日) 
 夜、評論家の小浜逸郎氏と洋泉社の小川哲生氏が来訪、いつもの吾作で盃をあげる。小浜氏とは肝胆相照らす仲だが、なかなかゆっくり会う機会がない。三人で温泉に行こうよという話もあったが、そう言っていては埒があかないので今日の会合となった。酒を飲みながら友と語り合うのが今の私は一番楽しい。政治の話も、哲学の話も出なかった。

8月30日(月) 
 かねて約束していた通り、参議院議員会館に山谷えり子氏を訪ね、ジェンダーフリーと性教育に対する氏の戦跡を語ってもらった。選挙前からの約束で、当選してくれて本当に良かった。4センチもの厚さの資料集を私のために秘書の方が精選して用意しておいてくれた。たくさんの驚くべき、信じられないエピソードを議員本人から聞く。その中のひとつ。五人の女子高校生が制服のままで産婦人科の待合室でケラケラと談笑していて、五人で一人の男と関係し、男が病気を持っていたらしいと分ったのでお揃いで検診に来た、と屈託もない。

 ピルは副作用があり、多用すれば生涯子供の産めない身体になる可能性があるのに、文部科学省編の性教育の教材に、コンドームよりピルは安全と勧め、ピルは月経の痛みを柔らげるためにも使えるからそう言って買えばよいといわんばかりの、薬局に行き易い配慮さえ示している。小学一年生が覚えるべきことばの中に、ペニス、ヴァギナがあることは周知の通りだが、これから大人になる六年生のための用語集の中に援助交際が入っている。「学校がまるでフリーセックスを勧めている形です。せめて学校の場だけでもこういう言葉は禁句にして、道徳教育の場にしなくてはいけない。事実そうすることでアメリカのある州では妊娠中絶数が急下降した実績があるのです。」

 約二時間にわたって山谷氏の熱弁はつづく。PHP研究所から私と八木秀次氏との対談集『新・国民の油断』を出すことになり、テーマはジェンダーフリー批判で、私は今その準備中なのである。計画は夏前にスタートし、私の許に30冊ほどの関連書と500ページを越える関係資料がまたたく間に集まった。すでに準備会合が二度開かれ、対談は9月中に実行される。

 山谷さんは白に黒を組み合わせたカットもしゃれた瀟洒な装いで、いつものように女性としてじつに魅力的である。性差は存在しないなどと言って、「男らしさ」「女らしさ」は社会や権力がつくった後天的なものだと唱えているジェンダーフリー派の女性学者に美人はいるのであろうか。恨みと復讐心からの無理仕立ての学説のように思える。

8月31日(火)
 日録が混乱していて、収拾がつかない。私だけが無権利状態に置かれている不当な感情をもつ。匿名者による罵倒の浴びせられっ放しで、私は防衛のしようがない。「ネットの憂鬱(二)」を書いて、日録に掲げる。

9月1日(水)
「緊急公告」(一)~(四)はプリントアウトして、B4のペーパー19枚になった。これで小泉再訪朝の「空白の十分間」の出所が日刊ゲンダイと分ったが、人に言われるまでもなく、出所の格の低さがたしかに残念である。しかしこの事実が分って、私よりも中西輝政氏の方が少し辛いのではないだろうか。私は氏にとっても、良かれと思ってやったのだが、申し訳ないことをしたのかもしれない。中西氏の言っていることがウソではなかった証拠を出したかった。それには成功したが、日刊ゲンダイひとつではたしかに物足りない。もうひとつ『週刊ポスト』(6月18日号)にも記事が発見されたけれども。

 このまゝ放って置くわけにもいかないので、ともあれ結果は出たのだから私は次の行動に移った。「緊急公告」(一)~(四)の19枚のプリントを12通作成し、ホッチキスで止めて、中西輝政氏、産経新聞社主要関係ポストの責任者四氏、人を介して連絡をとったうえで関東公安調査局第二部、それから私が信頼している衆議院の大物代議士五人にそれぞれ異なる手紙を添えて送った。

 9月末の段階で中西氏より返事も連絡もない。公安調査局からは電話があり、「しかと承った。調査は開始するが、結果は職責上西尾さんにはお伝えできない」との言。これは当然である。産経は紙面を見る限り、その後何の動きもない。大物政治家のひとりから葉書の来信があった。

 後から考えたことがひとつだけある。当っているかどうかは分らないが、東京の細田官房長官とピョンヤンの薮中アジア大洋州局長との間の電話のやりとり内容がかなり詳しかった。あれは、ひょっとするとアメリカの通信傍受の結果ではないか。アメリカがあの会談の可能な限りの盗み聴きをしていないと考える方がむしろ難しい。となると、中西さんの「外国人情報筋の言」はやはり事実ではないだろうか。(アメリカは世界中の重要な会談の情報蒐めに対し知力を尽くしているはずである。)

9月2日(木)
日本がアメリカから見捨てられる日』が出たばかりで、評判を気にしている段階だが、掲示板が混乱しているので、感想を期待できる状態ではない。評論集は正式の書評の対象にもあまりならない。雑誌に一生懸命書いた文を集めて文集を編みたいのが自然の欲求だが、そういう幸運に恵まれている評論家は今は数えるほどしかいない。私は幸運な方である。小説家の場合でも短編集が出版できない時代である。

日本がアメリカから見捨てられる日』の約半分のページには日録の文章が利用されている。日録の読者はお気づきと思うが、もう一冊出せるだけの分量のエッセーが日録の過去録には貯まっている。今回は時事的テーマに限定して、雑誌発表論文と組み合わせて、書き下ろし新稿も加え、一冊にした。

 当然のことだが、時事的でないテーマの過去録からもう一冊作ることが予定されていて、来年の春ごろまでには同じ徳間書店から出されるであろう。私の読者には出版ラッシュでご迷惑をおかけする。少量多品目生産の出版事情でこうなっているが、私はいっさい手抜きはしていない。

 ほとんど毎日本づくりに精を出している歳月をいま丁度迎えている。多産の年齢である。今年3冊目は『日本人の証明』と予告していたが、版元(青春出版社)との相談の結果『日本人は何に躓いていたのか』に変更、確定した。これは評論集ではなく、書き下ろし稿である。入稿は終了し、間もなく初稿ゲラが出る。

 外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の七つの項目に分けて、日本の総合像を希望の相において捉え直した一書である。10月29日刊と正式決定した。

9月3日(金)
 わが家の犬を病院につれて行く。11歳の柴犬で、いとしい。たえず家の中の今どこにいるかを私は気にしている。5歳くらいの人間の子がいる感じである。言葉も通じる。もう老犬のはずだが、元気はいい。ちょっとした出来ものが生じたので診てもらったが、何でもない。

 午後インターネットの日録応援掲示板のあり方をめぐって、「年上の長谷川」さんから派遣された東京在住の「MOMO」さんと西荻窪の駅前の喫茶店で緊急会談をした。掲示板の管理をしばらく私が預かり、落着くまで私の監督で不要なものの削除を随時実行させてもらうことにして、収拾をはかることにした。

9月4日(土)
 『新・国民の油断』のために一日、ジェンダーフリーの関係本を読んだ。果てしない読書だ。性的変態者のうわごとのオンパレードである。

 藤岡信勝さんとの共著『国民の油断』は1996年10月刊で、丁度8年前になる。あのときのほうが批判意識をかり立てられた。敵の正体がはっきりしていた。今度はものの奥に隠れていて、敵はもっと悪質で、見えないだけに手敵い。

二宮清純さんのこと

 スポーツジャーナリストとしてよく知られる二宮清純さんのスピーチを聴いた。話の内容もいいが、話し方も簡潔にして、清爽である。

 教科書の会の「前進の集い」と名づけられた記念パーティーの席で屋山太郎氏、櫻井よしこ氏につづいて登壇した。どなたも話がうまいが、二宮さんのうまさはすべてを具体的な場面に結びつけたエピソードの描写の的確さにある。主張だけが抽象的に流れない。

 オリンピックの水泳のシンクロナイズドで日本チームは銀メダルに終った。何度やってもロシアチームに敵わない。しかし、本当に敵わないのだろうか、と二宮さんは疑問に思う。阿波踊りを模した日本チームの水中の演技はとても良かったと自分は思う、美の採点はもともと難しいのだ、と熱い調子で仰る。

 しかし本当に言いたかったのはその先である。日本の審判は、ロシアチームに10点をつけた。普通ライヴァル国に10点はつけない。9.9でいい。オリンピックのほかの競技でもそうだが、ライヴァル国の審判というものは不公平を前提にしている。両方が不公平を犯す。それで公平になる。日本の審判は公正のつもりかもしれないが、バカみたいにみえた。日本チームのコーチの一人が背後から味方に弾丸を撃たれた思いだと言って怒っていた。unfairだからfairになるということが日本の審判団には判っていない。ロシアが日本に9.9をつけるなら、こちらはロシアに9.8でいいのだ、と言ったところで会場はどっと笑い声を上げた。

 これは言いにくい議論である。一歩間違えば鼻白む贔屓の引き倒しになるからである。が、二宮さんが語ると厭味がない。情熱がこもっているからである。世界に対面する日本人につきものの公正気取り、それが人間的弱さに由来することを的確に見抜いているからである。そして、そうした弱さへの怒りが偶発ではなく、蓄積されてきていることがはっきり分るからでもある。

 オリンピックで日本は金メダルを16個取ったが、野球、サッカー、バレーといった期待された団体では失敗し、組織の闘いに弱いことを示した。国家への思いが弱いから団体で勝てないのだ、とも氏は語った。しかしこの話よりも、もう何年も前、野茂選手と一緒にアメリカの球場を彼が回ったときの思い出が印象的だった。

 日本人が戦時中収容所に入れられた土地で、野茂は大リーガーをバッタバッタと三振に切って取った。老いた日系米人はその昔、球拾いをさせられるだけで、野球の仲間に入れてもらえなかった苦い思い出を語ったそうだ。彼らは日系ではあるが、米国人である。不当に収容所に入れられたのである。目の前で野茂の快投を目撃して、彼らは涙を流していたという。

 イチローや松井の活躍で大リーグはぐんと身近になったが、そういえばこの道のパイオニアは紛れもなく野茂選手だったと私もあらためて思い出していた。

 二宮さんの話には怒りがあり、愛があり、国への熱い思いがそれと重なっている。

 教科書の会は八木秀次さんという息子の世代の会長を得たおかげで、二宮さんのような、今まで出会えなかった新しいタイプの客人を迎えることが可能になった。わが家の食卓に若い客を迎えたときのような喜びがある。

 私は懇親パーティーになってから、ソフトボールとノルディックスキーで日本が勝ちすぎたために、日本に不利にルールを改正されたと聞くが、あの話は本当か、と二宮さんに直接尋ねた。彼は、ルール改正の討議の会議に日本のスポーツ連盟の誰も出席していなかったのですよ、と日本人の外の世界への対応のまずさ、人間的弱さに対するあの熱い怒りの表情を再びまたにじませて語った。

 しかし私はこうも思った。日本人の弱さに気づいて行動するこういう人がいることが日本人の強さなのだ、と。会場はこの日大変な賑わいで、明日を期待する明るい雰囲気に包まれていた。

誤解の解消

 8月17日~26日の「緊急公告」の際にある種のトラブルがComments欄とTrack Backと私の間で起こり、「日録」の表面に出ないところで論争があった。この件の誤解を解消するためにある親切な人の仲介を介して、双方のメッセージを相互交換し和解することにした。

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gori氏のメッセージ

 本エントリーは西尾氏の「空白の10分の扱い方」を問う事を目的としておりますが、その目的や議論には不要で根拠に乏しい感情的な文言が含まれております。それにより争点が有耶無耶になり双方にとって無益な混乱を続ける事態を避けるため、その点に付き西尾氏が気分を害されたならお詫びし該当箇所に訂正線を施します。

○「従軍慰安婦問題」とか
○いやー、サヨクっぽいね。やってる事が木村愛二と全く同じ。
○まぁ西尾氏自身、木村愛二のデタラメ裁判(しかも裁判所からはっきり否定されたこと)をblogでさも信憑性があるかの如く取り上げてまで小泉批判を展開した人だから、きっと根っこは同じなんだろうけどさ。
○おいおい、西尾くんよ、アンタが
○この妄想電波野郎め!
○さすが保守論壇のウチゲバに勝ち抜いて重鎮の座を得ただけのことはあって、西尾幹二くんの策謀は手が込んでて素晴らしいね。

 なお、西尾氏の「空白の10分の扱い方」については一連のエントリーで提示した此方の検証を覆すような反論を西尾氏から戴いておりませんので、Irregular Expressionとしての主張に変わりはございません。
 色々ご意見のある読者の方も多いと思いますが、このような騒動に付込んで保守同士の分断工作を狙う腐れサヨク連中が湧き出て跋扈しております。これは当事者含め多くの方が望むところではありませんので事態の早急な解決を図ることにしました。ご了承の上、今後は是々非々で意見の相違は建設的に議論して戴ければと思います。

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西尾のメッセージ
 gori氏の新しい書き込みを見た。この問題に冷静に対処しようという気持ちが読み取れる。私も間違った情報を元に、gori氏とIrregular Expressionについて誤った情報を流してしまった事をお詫びして、以下の内容を削除する。

○小泉純一郎擁護サイトとして知られる
○官僚以外の知り得ない情報がときどき入っているので官邸筋の関与があると推定されているサイトである
○イラクの日本人人質事件で「ヤラセ」だとの噂をいち早く流したのも、また首相再訪朝後の救う会決起大会で救う会は首相に感謝せず文句ばかり言うのは礼を欠く、といった非難の風聞を流す火元になったのも、このサイトなのだそうだ。
○人間は自分のやったこと、又はやりがちなことで人を非難するものである。私をデマの張本人として非難する上記引用文中のもの言いは、いつも自分がやっていること、意図していること、好んで企てることを他人にも当てはめて見ているいい例である。

 このたびの出来事で私もネット上の情報の取り扱いの難しさと煩わしさを改めて知った。この件で少なくない読者の気をもませたことは遺憾である。

日本人の自尊心の試練の物語 (六)

 ――戦後世代が陥った「第2の敗戦」――

 戦争が終わって不思議なことが起こった。各地で相当数の日本人が自決したが、内乱はなかったし、大量の集団自決も起こらなかった。米軍進駐が始まっても国民生活は平静で、波乱がない。

 「愛国心」の象徴だった国民服が姿を消す。「夷狄(いてき)」の言葉であった英語が氾濫(はんらん)する。「国体」と相いれないはずのデモクラシーが一世を風靡(ふうび)する。あっという間だった。北海道から鹿児島までの主要都市には民間人殺戮(さつりく)を目的とした執拗(しつよう)な絨毯(じゅうたん)爆撃があったし、二個の原爆投下がありながら、アメリカへの復〈心は燃え上がらなかった。

 これを奇蹟(きせき)としたのは英米など連合軍の側であった。血で血を洗う国内の殺戮混乱なくして日本の降伏は治められまいと、恐怖と緊張をもって上陸した占領軍は、あっ気にとられた。天皇の詔勅の一声で、たちまち林のごとく静かに、湖のごとく冷たく、定められた運命に黙然と服する日本国民の姿を見た。

 占領軍はこの静かなる沈黙にむしろ日本人の内心の不服従を予感した。敗戦の現実に対する日本人の認識の甘さが原因だと読んだ。戦争の動機に対する自己反省の不足が、内的平静さの理由だとも考えた。日本人は白旗を掲げたが、敗北したと思っていないようだ。日本人に「罪の意識」を植えつけなくてはならぬ。現に『タイムズ』はそう論じた。南京とフィリピンにおける日本軍の蛮行という占領政策プロパガンダが、新聞やラジオを使って一斉に始まるのは、終戦から三カ月程経ってからであった。

 日本国民の内心の「不服従」はある程度当たっているかもしれない。大抵の日本人はアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ソ連という主たる交戦相手国に「罪の意識」を抱かなかったし今も抱いていない。日本の戦争が一つには自存自衛、二つにはアジア解放であったことを戦後のマスコミの表にこそ出ないが、あの時代を生きた日本人の大半はよほどのバカでない限り知っていた。

 たとえ歴史の教科書に、平和の使徒アメリカが侵略国家の日本を懲らしめるために起ち上がったのがあの戦争だという「伝説」が語られていても、米ソ冷戦下で、アメリカの庇護に頼っている日本人は、まあ仕方がない、好きなように暫(しばら)く言わせておけよ、という二重意識で生きていて、本気にはしていなかった。

 戦後の経済復興をなし遂げたモーレツ社員、産業戦士はみなその意気込みだった。まさか自分の子供の世代が、日教組の影響もあって、この大切な二重意識を失ってしまうとは思わなかった。子供たちが教科書にある通りに歴史を信じ、日本を犯罪国家扱いする旧戦勝国の戦略的な“罠(わな)”にまんまと嵌(はま)って、抜け出られなくなるなどということはゆめにも考えていなかった。

 1985年頃から日本の社会には右に見た新しい世代が呪縛(じゅばく)された「第二の敗戦」というべき現象が発生し、今日に至っている。

 けれども、問題は戦争が終わってすぐの日本人の「林のごとく静かな」あの無言の不服従の不明瞭な態度にこそ「第二の敗戦」の主原因があるのではないかと、私は最近、やはり「第一の敗戦」の敗北の受けとめ方への日本人の言語の不在をあらためて問題にしなくてはならぬと考えている。

 なぜ日本人は戦後もなお自己の戦争の正しさを主張しつづけなかったのか。不服従は沈黙によってではなく、言語によって明瞭化されるべきではなかったのか。アメリカへの異議申し立ては、60年安保のような暴徒の騒乱によってではなく、日露戦争以後のアメリカの対アジア政策の間違い、たとえ軍事的に敗北しても日本が道義的に勝利していた首尾一貫性の主張によって理論的になされねばならなかった。民主主義はアメリカが日本に与えたアメリカの独占概念ではなく、古代日本に流れる「和」の理念の中により優位の概念が存在することの主張を伴って教導されなくてはならなかった。

 これこそが今後わが民族が蘇生するか否かの試金石である。

日本人の自尊心の試練の物語 (五)

 日本人の自尊心の試練の物語(新・地球日本史より)の続きを掲載します。
(一)~(四)まではすでに掲載しています。それらをお読みになっていない方はこちらを先にお読みになり続きをご覧ください。

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 ――一度指した駒は元に戻らない――
 
 昭和16年12月8日、あの開戦の日、高村光太郎や佐藤春夫の国民を鼓舞する高調した詩が新聞を飾ったことはよく知られているが、そういう感情とは何の関係もないように生きていた二人の作家の、次のことばを、われわれはどう考えたらよいだろう。

 「12月8日はたいした日だつた。僕の家は郊外にあつたので十一時ごろまで何も知らなかつた。東京から客がみえて初めて知つた。『たうたうやつたのか。』僕は思はずさう云つた。それからラジオを聞くことにした。すると、あの宣戦の大詔がラジオを通して聞こへてきた。僕は決心がきまつた。内から力が満ちあふれて来た。『いまなら喜んで死ねる』と、ふと思つた。それ程僕の内に意力が強く生まれて来た」(武者小路実篤)。

 もうひとり、開戦のラジオ報道を耳にして、「しめきつた雨戸のすきまからまつくらな私の部屋に光のさし込むやうに、強くあざやかに聞こへた。二度朗々と繰り返した。それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変はつてしまつた。強い光線を受けて、体が透明になるやうな感じ。あるひは、聖霊の息吹を受けて、冷たい花びらをいちまい、胸の中に宿したやうな気持ち。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ」(太宰治)。

 二人とも戦争協力などとは何の関係もない、きわめて非政治的な文学者である。二人の反応は国民の普通の受け止め方であったと考えてよい。国民は開戦を容易ならざることと感じたが、これをマイナスの記号で受け止めた者はほとんどいなかった。そう言い出す人が出てくるのは戦後になってからである。

 当時一高教授であった竹山道雄が、「われわれがもっともはげしい不安を感じたのは戦争前でした。戦争になって、これできまった、とほっとした気持ちになった人もすくなくありませんでした」と書いているのは、武者小路、太宰のことばに照応する。

 開戦の日、私は満6歳5カ月。あの日のことは記憶にはあるが、考えて何かを判断する年齢ではまだない。ならば8、9歳まで私は日本と世界の関係についてまったく何も考えないでいたのかといえばそうではない。昭和十九年十月以来、神風特別攻撃隊の出撃が報じられだした。三年生の二学期が始まって間もなくである。私は将来特攻隊に志願するつもりだと親にも、先生にも伝えた。それは当時の子供の多くが口にした当然のことばだった。

 今の知性は、戦時体制が幼い子供たちまでをも欺き、犠牲にしようとしたとわけ知りに言いたがるだろう。純情無垢(むく)な心ほど色を染めるのが簡単だ、と。けれども幼い無垢な心といえども、道理に合わない事柄をそうやすやすとは受けつけないものなのだ。子供でも理性を納得させない事柄には進んで参加しようとはすまい。幼い心は幼いなりに、自分と国家、国家と世界の関係について、漫然と何が正義であり、何が不正であるかを、教えられてきた事柄の中から選び、掴(つか)み出して、案外正確に黙って判定の根拠にしているのである。

 間違えないでいただきたい。棋士が将棋を指すときに「待った」は許されない。一度指した駒は元に戻らない。つまり行為の選択は、そのつどの決断である。そして決断は不可逆である。日本はその通過点をすでに通り越している。そのことは九歳の理性にも判然としている。いったん開戦した戦時下の日本には戦う以外のいかなる選択の道もなかった。その必然の中にしか自由はなかった。

 昭和19年には6月にB29による本土空襲が始まった。7月に東条内閣が総辞職した。南の島々の日本守備隊が相次いで玉砕した。間もなく一億玉砕、本土決戦が口の端にのぼるようになった。特攻隊員は「お先に行きます」の気持ちだった。無差別の行動ではない。イラクの自爆テロとはわけが違う。元に戻らない時計の針を自分の意志で少しだけ前へ進める。それは自由への跳躍だった。

 子供心にもそのことは分かっていた。