予定変更の報告と弁解

 結論から申し上げると、あと一週間ほどで刊行される『正論』4月号に、「ヨーロッパ流『正義の法』体制は神話だった」という私の新しい論文(14ページ、35枚)が掲載されます。「戦争史観の転換」と題した連載の13回目はまたまた休載となります。その代りこれは連載の「番外編」として扱われます。イスラム教とキリスト教の対立相剋を扱った論文なので時宜は適っていますが、連載の趣旨からははずれているからです。

 なぜこんなことになったのか。私に両論を書く体力と時間がなかったからです。講演を阿由葉秀峰さんに完璧に文字起こししてもらいました。それを手直ししてブログに載せ、一方連載はこれとは別に今月分を書く予定でした。ところが講演筆録は80枚分くらいになり、途中でこれをまとめるだけで十分に一か月かかると気がつきました。そう考えてウカウカしているうちに、連載の方の一回分を書くための準備も不十分だし、2月は〆切りが早いので、立往生しました。

 そこで編集長がブログの80枚を35枚に圧縮して、雑誌向きにまとめ直して、「番外編」として扱えるようなスタイルにすれば連載は休載しても許してやる、といわれたので、そのアイデアに乗っかることにしたのです。

 だいたい月に二篇を出すことは私にはもう無理と分りました。阿由葉さんに作成してもらった元原稿の約80枚の三分の二はもう使えません。終りの方の三分の一か四分の一かはまだ出せばリアリティがあります。どうしようか、迷っています。次の月の連載が迫ってきて、しかも今三冊の本の校正ゲラが襲いかかってきて、正直、何かをあらためて企て、実行する気力がありません。

 このブログにコメントして下さる方にお願いしたいのは、雑誌や本で刊行したものの感想を是非書いて下さい。さしあたり『正論』4月号が出たら、それを読んで、コメントしていただけたらとてもうれしいです。

 襲いかかってきているゲラ刷り三冊とは ①全集第11巻「自由の悲劇」 ②GHQ焚書図書第11巻「維新の源流としての水戸学」 ③新潮文庫「人生について」です。どれも3月20日ごろが〆切りです。

謹賀新年平成27年(2015年)元旦

 昨年は当ブログにおける私の文章の更新は少なく、このことに関する限り不本意でした。お詫び申し上げます。
 
 病気したわけでも海外旅行をしたわけでもなく、全集の刊行が難しい局面を迎え、編集校正に追われ、しかも昨年内刊行予定の第10巻が遅延して1月刊となる不始末でした。間もなく刊行されます。

 第10巻は『ヨーロッパとの対決』と題し、世界に中心軸は存在しないこと、西欧は閉鎖文明であること、西欧の地方性、周辺性、非普遍性を、ドイツやパリで言って歩いた記述を元に展開しています。

 たまたま『GHQ焚書図書開封』⑩は『地球侵略の主役イギリス』という題で年末に刊行されました。西欧の先端を走ったイギリスの閉ざされた闇を問いました。

 ただこの本はそれだけでなく、第1章「明治以来の欧米観を考え直す」に注目していたゞきたいのです。近年ウォラスティーンなどに依存し、再び西洋中心史観に溺れかかっている現代日本の歴史の学問、人文社会科学系の学問一般に疑問を突きつけています。

 もうひとつ『正論』連載の「戦争史観の転換」も第11回を迎え、スペインからイギリスに移動したヨーロッパのパワーが中世以来のカトリック政治体制の闇を背後に秘めてアジアに向かってくることを論じ始めています。

 以上三つの仕事がどれも手を抜けず、息もつけない有様で、昨年はあっという間に一年が過ぎました。三つの仕事が期せずしてバラバラでなく、一つの結論に向かって同一方向を目指していたことに自らやっと気がつき、計画外のことでしたので、吃驚しております。

 以上三つの歴史像が今私の中でひとつになって熱っぽく回転しています。今年もその駒を回しつづけることになるでしょう。

 皆さまのご健勝を祈ります。

(追記)『GHQ焚書図書開封』は①~⑤の徳間文庫化が始まりました。

GHQ焚書図書開封1: 米占領軍に消された戦前の日本 (徳間文庫カレッジ に 1-1) GHQ焚書図書開封1: 米占領軍に消された戦前の日本 (徳間文庫カレッジ に 1-1)
(2014/10/03)
西尾幹二

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GHQ焚書図書開封〈2〉バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画 (徳間文庫カレッジ) GHQ焚書図書開封〈2〉バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画 (徳間文庫カレッジ)
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西尾 幹二

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GHQ焚書図書開封〈3〉戦場の生死と「銃後」の心 (徳間文庫カレッジ) GHQ焚書図書開封〈3〉戦場の生死と「銃後」の心 (徳間文庫カレッジ)
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GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス
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西尾 幹二

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「正論」連載「戦争史観の転換」について

 「週刊新潮掲示板」(2014年6月26日号)に次のようなおねがいを掲げた。多分、返事を言ってこられる方はいないだろう。

 ここは小さな簡単な探しものは効果をあげるのだが、そういう材料は今なにもないのに、何か出さないかと言われて仕方なくこんな掲示を作った。勿論、ご返事の期待は非常に少ないが、諦めてはいない。

 私はいま月刊誌『正論』に『戦争史観の転換』と題した30回予定の大型企画を連載中で、日米戦争の背後に西欧五百年史、中世・近世の歴史の暗部とのつながりを発掘し、近現代史観の克服を試みている。ペリー来航以後に米国の侵略意志を見る百年史観は今までにも多い。だが(一)五百年史観は戦前に大川周明、仲小路彰の例があるが、戦後に有力な論考があったら教えてほしい。(二)江戸の朝鮮通信使は朱子学の優位で日本人に教える立場であったのに荻生徂徠の出現で日本の学問が動いて立場が逆転した。この転換に詳しい適確な本を教えて欲しい。

 さて、その「正論」の連載だが、ようやく第二章「ヨーロッパ遡及500年史」の④が仕上り、7月1日号にのる。これで8回目である。前途多難である。

 第二章はスペイン中世のスコラ哲学とインディアスの関係が主たるテーマだった。次の第三章はまだ予定の段階だが、「近世ヨーロッパの新大陸幻想」と名づけるつもりだ。イギリス、フランス、オランダ等の17-18世紀が世界史を決めるのはアメリカ大陸への幻想からだった。第四章は「欧米の太平洋侵略と日本の江戸時代」、第五章は「『超ヨーロッパ』の旗を掲げたアメリカとロシア、そして日本の国体の自覚」・・・・・というような大よその方向を考えているだけで、その先はどうなるか分らない。各4節づつ全8章、全部で32回を計画している。

最近困っていること

 必要があって2010年から今日までの私の出版記録をまとめてみた。私がこのところ記録を失っていたので、長谷川さんに整理してもらったら次のようになった。「めちゃめちゃ忙しいはずですよネ」と書いてこられた。

2010年 6月  草思社 日本をここまで壊したのは誰か
2010年 7月 徳間書店 GHQ焚書図書開封4
2010年 11月 祥伝社新書 尖閣戦争 (青木共著)
2010年 12月 総和社 西尾幹二のブログ論壇
2011年 7月 徳間書店 GHQ焚書図書開封5
2011年 10月 国書刊行会 全集第五巻『光と断崖』
2011年 11月 徳間書店 GHQ焚書図書開封6
2011年 11月 文芸春秋 平和主義ではない脱原発
2012年 1月 新潮社 天皇と原爆
2012年 1月 国書刊行会 全集第一巻『ヨーロッパの個人主義』
2012年 4月 国書刊行会 全集第二巻『悲劇人の姿勢』
2012年 7月 国書刊行会 全集第三巻『懐疑の精神』
2012年 8月 徳間書店 GHQ焚書図書開封7
2012年 10月 国書刊行会 全集第四巻『ニーチェ』
2012年 12月 飛鳥新社 女系天皇問題と脱原発 (竹田共著)
2012年 12月 祥伝社新書 第二次尖閣戦争 (青木共著)
2012年 12月 徳間書店 自ら歴史を貶める日本人(四人の共著)
2013年 2月 国書刊行会 全集第六巻『ショーペンハウアーとドイツ思想』
2013年 4月 飛鳥新社 中国人に対する「労働鎖国」のすすめ
2013年 5月 国書刊行会 全集第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』
2013年 7月 ビジネス社 憂国のリアリズム
2013年 8月 徳間書店 GHQ焚書図書開封8
2013年 9月 国書刊行会 全集第八巻『教育文明論』
2013年 12月 ビジネス社 同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた
2014年 2月 国書刊行会 全集第九巻『文学評論』
2014年 3月 徳間書店 GHQ焚書図書開封9
2014年 6月 国書刊行会 全集第十四巻『人生論集』
2014年 8月 新潮社 天皇と原爆(文庫)
2014年 8月 徳間書店 GHQ焚書図書開封10 予定

 最後の一冊は「維新の源流としての水戸学」かまたは「イギリスの地球侵略」のいずれかとなる。

 こうやって一覧してみると、全集が始まってから以後、私はろくな仕事をしていない。全集の刊行に良質の部分のエネルギーをほゞ吸い取られている。新生面を開くような企てがなされていない。このほかに『正論』連載があるからもう仕方がないともいえるが、人生最後の局面に新味の出せないこんなことでは情けないと思う。

 全集はたしかに容易ではない。精力の6~7割はこれに注がれている。しかもここへ来て編集上の困難とぶつかって立ち往生している。1980年代から以後の自分については「年譜」を先に作らないと、前へ進めないことが判明した。

 「年譜」とは各年・各月の寄稿記録・活動記録のことである。大学教師時代の最後の8年間は大学紀要に詳細な報告がなされている。国立国会図書館に約800篇の拙文が貯蔵されていて、うち166篇がある方の協力を得てすでにプリントアウトされている。各単行本の巻末にある初出誌一覧表を参考にする必要もある。現代日本執筆者大事典というのもある。それも利用する。新聞寄稿文は切り抜きスクラップが存在する、等々、いろいろ手はあるが、簡単ではない。

 はじめ私は大学ノートに書きだしていくか、もしくはカードを作成しようかと思ったが、これは古い世代のくせで、今ならパソコンを用いるのが最善であろう。ところがこれが私はまた苦手で、難関である。

 どうしてよいか分らないで昨日今日、呆然として手を拱いている。

 今までは私の若い時代が対象だったので自分の過去の仕事はよく把握されていた。巻が進み、1980年代より以後、そうは行かなくなってきた。

 今まで「教育」とか「文学」とか「人生論」とか、ブロック化できるものはまとめ易いので10回配本まで何とか乗り越えてきたが、いよいよそうは行かなくなって、途方に暮れている。

 とにかく「年譜」を先に作ってそれからでないと作品の読みと選択を行えないのが本当に頭が痛くなるほど辛いのである。

平成26年坦々塾新年会

 2月も雑誌論文で苦労しました。

 『WiLL』4月号に、「アメリカの『慎重さ』を理解してあげよう」を書きました。ただし、これは副題にまわり、「『反米』を超えて」が本題になったようです。本題をつけたのは花田編集長です。

 『正論』4月号は3回の連載が終りました。「『天皇』と『人類』の対決―大東亜戦争の文明論的動因 後篇」です。やっと終りました。3回で100枚論文になりました。

 ところで、1月の坦々塾の新年会の報告分を渡辺望さんに書いてもらいました。以下の通りです。

渡辺 望

 1月25日午後4時より、坦々塾新年会が水道橋の居酒屋「日本海庄屋」でおこなわれました。新年会の進行は前半は西尾先生の新年に際してのお話、そして坦々塾新会員の紹介、そして後半は懇親会という順序でした。

 参加者は10名の新入会員の方を含め48名を数えました。新入会員のお名前を挙げさせていただきますと、赤塚公生さん、伊藤賢さん、片岡紫翠さん、竹内利行さん、田中卓郎さん、恒岡英治さん、松原康昭さん、村島明さん、藪下義文さん、渡辺有さんです。皆様、坦々塾の参加に至る経緯をお話くださいましたが、それぞれ多様な形での西尾先生・坦々塾へのアプローチを経ての参加でした。

 新年会の始まりに際して、西尾先生の本筋でのお話とは別に、2月9日に迫っている東京都知事選への先生の田母神俊雄候補への強い支持期待が表明されました。また西尾先生の著作『真贋の洞察』(文藝春秋社)が、会員の今後の思想考察の深化に役立つよう、会員に一冊ずつ無償で先生より提供されました。懇親会は三時間以上に及ぶ大議論の席となりました。 

 さて、当日の新年会報告を西尾先生のお話を中心に以下記したいと考えますが、当日の先生のお話の主要内容だった、アメリカ論を中核にした近年の日本を巡る国際関係論については、先生の近著の『憂国のリアリズム』『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説くときがきた』と内容が重なるように感じられます。そこで、両著作と先生のお話を行き来しながら、先生のアメリカ論をまとめることで、新年会報告の大枠にいたしたく思います。

 「反米」と「親米」、あるいは「親米保守」と「反米保守」という言葉が、西尾先生に限らず、最近の論壇人の論考に多く出てくるようになってきているように思います。それについて自分は色々な感想を持つのですが、これは今回の新年会ではなく、前回の年末の全集記念講演会でのことなのですが、先生が「自分は反米ではないんですよ」と言った途端、「意外だな・・・」というニュアンスのような苦笑の集まりの笑い声が聴衆の皆さんから起きたことを思い出します。

 ところがしばらくして先生が「自分は反米ではなく離米だ」といったときには、聴衆の感情的な反応は何もありませんでした。おやおや・・・と私は思いました。聴衆の皆さんは西尾先生の最近のアメリカ論の本当がわかっているのだろうか?と自分は感じました。「自分は反米でも嫌米でもなく離米」、この言葉は新年会の西尾先生のお話でも再び登場しました。それだけではない、私があげた先生の近著でもある言葉です。

 「反米論」というのはそもそも、たいへん雑多な立場を意味します。反米論と親米論、親米保守論と反米保守論という区分がとりあえず可能だとして、現在、最も先鋭に親米保守論の位置にいる(と思われる)論客の一人に田久保忠衛さんがいます。その田久保さんとやはり親米保守論に位置する古森義久さんとの『反米論を撃つ』という対談本があるのですが、この本を読むと、戦後日本の反米論の系譜がよく整理されていて面白い。両者の主張を一言で言えば、戦後日本の反米論の大半が、全くくだらないものだったということです。

 言うまでもなくまず左翼的な反米主義という「伝統的」な反米主義があります。この流れはかなり弱体化したとはいえ、依然として朝日新聞その他に相当数存続している。西尾先生も著書で言われていますが、1970年代くらいまでの日本の言論界はまったくの左翼主導、ソビエト、中国、北朝鮮礼賛で、それらの共産国家に対峙するアメリカを支持すること自体が「保守」である証しでした。福田恆存ですら「日本はアメリカの「妾」でなく「正妻」になれ」と言っていた時代です。この時期におおっぴらにアメリカ批判とナショナリズム的姿勢を一体させていたのは、三島由紀夫と、先生が著書で引かれているような赤尾敏の銀座辻説法くらいのものだったのではないでしょうか。

 「伝統的」な左翼的な反米主義は要するに、アメリカの軍事攻勢を受けている各地域でおこなわれている残酷な情景や管理統制をとりあげて、「反」を突きつける、というやり口なわけですが、当然なことに、アメリカの軍事攻勢の対象になっている勢力の残酷については無視を決め込む、という稚拙なものです。ベトナム戦争でアメリカに対峙する「正義」なる北ベトナム政権がベトナム人民におこなった大量虐殺をベトナム反戦運動が問題にすることは決してなかった。この反米左翼の思潮の相当部分が、(時折、親中国・親韓国化する)アメリカという虎の衣を借る狐になって親米左翼化し生き残ろうとしている由々しき現状も進行しています。

 しかし、以下は田久保さんの本に書かれていることではないのですが、こうした伝統的な反米左翼はもっと根本のところで大きな欺瞞をもっていると考えられます。それは戦後アメリカの軍事攻勢や政治攻勢をラディカルに否定するのなら、大東亜戦争の最終期において、日本は本土決戦を継続すべきではなかったか、という避けて通ることのできない問題を避けてしまっていることです。

 もし本土決戦を続ければ、日本国家は物理的には壊滅し、凄惨な殺戮の中、国土の少なくとも半分は東側陣営に組み込まれ、皇室の存続もあやうくなっていたでしょう。少なくとも今日のような日米安全保障体制はなかったに違いない。しかしそのことはまさに、「アメリカの傘下に入ることを拒否しつくした日本」「アメリカに徹底的に抗戦を続けて壊滅した日本」という、反米主義の実現の極地に至ることを意味したのではないか。日本の破滅と引き換えに、日本が「反米の聖地」になったかもしれないのです。しかし「甘え」に浸っている大半の反米左翼はこの苦しい問題を考えることをしない。

 だから戦後の日本の時間はすべて「虚妄の時間」であるという後ろめたさが本来、反米主義には圧し掛からなければならないことになります。けれど「虚妄の時間」を拒否して、「本土決戦=日本の破滅」を受け入れれば、こうして語っている自分たちも消滅するのかもしれないのですから、それは簡単に拒否できるものではない。「虚妄」はさらに重くのしかかってくる。「反米」は決してやさしい思想ではないのですね。それどころか、戦後最大の難問なのかもしれない。少なくともその難問の重さを、「伝統的」な反米左翼は何ら認識していないといえます。

 田久保さん古森さんの本に戻りましょう。この本は後半に至り、「反米保守」の旗をかかげた西部邁さん小林よしのりさんへの激しい批判を展開します。これは小林さんたちが田久保さんたちを批判したことの再批判という面もあるようですが、つまり保守主義的立場からの「反米」が可能か、という問題になります。西部さんはかつては湾岸戦争でアメリカの軍事介入を前面支持したように、一面的な反米主義者ではなかったのですが、ここ10年間くらいに、猛烈な反米主義に転じました。その西部さんに私淑している小林さんがそれに追随して反米主義のアジテーションをあちらこちらでしているということは、案外よく知られていることです。

 西部さん小林さんの幾つかの反米主義の本(『反米の作法』など)田久保さん古森さんの批判本を読み比べる限り、両者の対立は田久保さん側の「完勝」です。田久保さん古森さんはこれでもかこれでもかと西部さん小林さんを言葉遣いの間違いのレベルからこきおろしているのですが、残酷なくらい全部あたっているんですね(笑)

 言葉遣いの面はともかくとして、全体的にみて、西部さん小林さんが掲げている「反米」は、反米の「反」だけしかわからないのは、私のようにアメリカ論の専門家でない人間にもよくわかります。批判対象のアメリカの実体がぜんぜん見えてこない。たとえば西部さんは「アメリカ=WASP」論を振りかざしますが、田久保さんが批判するように、アメリカの主導権を握っているのは相当がユダヤ人であるという常識的な視野がゼロ。またあるいは英米可分論と英米不可分論という、近代史で時期をわけて慎重に論じなければならない重要テーマについても西部さんはイギリスは伝統主義の国だといい、「アメリカはヨーロッパという故郷を喪失している」というふうに断じているだけで、アメリカ=反伝統、ヨーロ
ッパ=伝統主義というブツ切りにしているだけです。

 アメリカが嫌いで仕方ないのは個人的趣向としていいとして、西部さんたちにはアメリカという国への「驚き」がないのではないか、と私は思います。史上かつて存在したことのない国家であるアメリカという国への「驚き」がない。驚きがないから、アメリカを既存の歴史の概念の枠組みに強引に単純に当てはめる。西部さんはアメリカを「ソビエトと同列の左翼国家」なんていっているんですね。そんなふうにいうならフランス革命の思想を輸出してきた近代フランスだって立派な「左翼国家」ではないでしょうか(笑)

 この「アメリカ嫌い」にはリアルポリティックスへの考察もないですから、北朝鮮をどうするか、ベトナム戦争はどちらが正しかったのかどうかという言及もない。もしアメリカが不在だったら、北朝鮮に「戦後日本」が独力で対峙し、ベトナム戦争にだって「戦後日本」は介入しなくてはならなかったでしょう。イラクの問題と違い、これらは近隣の東アジアでの日本にかかわる出来事です。言及したっていいのですが、そこまでの想像力はなく、結局、西部さんがやっていることはイラク擁護みたいなことに陥り、これはベトナム戦争のべ平連の思想と何も変わらず、つまり伝統的な反米左翼と同じになっていく。
 
 言うまでもなく、西尾先生のアメリカ論は西部さんのような乱暴なアメリカ論とは無限の距離があります。新年会のお話で「日本はアメリカに依存して生きている。安全防衛だけでなく食料や水までも依存している。この依存しているという事実から離れられないことは認識しなければならない」と先生は言われました。このお話を私なりに解釈すると、日本がアメリカに依存してきたこと、そして戦後世界でアメリカがしてきたことは全部が全部、間違いだったということではない、それは厳然たる事実で見つめないと話が観念的になってしまうよ、ということになると思います。

 たとえばベトナム戦争でのアメリカの介入自体は間違いではなかった。北ベトナムに正義なんてなかったのです。もちろん、イラクにも北朝鮮にも正義はない。これは親米保守だろうが反米保守だろうが、「保守」の面から揺り動かすことのできない点であって、この点は田久保さんたち親米保守派と西尾先生は見解を一にされると思います。

 問題は、アメリカの「正義」が、短期間的な戦後のリアルポリティックスからみれば妥当なのだが、長期的に考察すればだんだんといかがわしい面が見えてきて、リアルポリティックスから本質論に向いて考えざるを得なくなるという点です。たとえば、なるほど、ベトナム戦争や朝鮮戦争はアメリカの正義であり、西側自由主義の聖戦だった。しかしそのことと、20世紀前のアラスカやハワイ、フィリッピンの侵略は軌を一にしないものなのかどうか。中国と組んで日本に包囲網をつくったアメリカと、冷戦終了後も世界に軍事基地を維持しているアメリカは、同一のものなのではないか。同じ根源から同じように起きていることが、時代によって正義に見え、時代によって侵略そのものに見えるとしたら、そ
の根源とは何なのか。

 親米保守論が依拠しているリアルポリティックスの「リアル」は、せいぜい1950年から1990年くらいまでの現実でありアメリカの歴史です。それを崩すような反米論がありうるとすれば当然、もっと長いスパンでのアメリカの歴史になるのですが、戦後の反米論は米西戦争や南北戦争を何も問題にしてきませんでした。西部・小林のコンビも然り。そうした長いスパンでの歴史論が田久保さんたち親米保守論の最大の弱味であるにもかかわらず、です。

 比べて西尾先生の親米論への反駁が強力であるのは、歴史論で武装している幾重にも面があるからに他なりません。西部さん小林さんのアメリカへの悪罵を何十並べても、「南北戦争の北軍に20世紀のジェノサイドの起源があった」という西尾先生の反アメリカ論の重みに適うことは決してないでしょう。常に「歴史論からリアルポリティックス論へ」、この順序が反米論のあるべき方法論ではないかと思います。

 「アメリカは気まぐれである」というのも西尾先生がよく言われる歴史論です。これはアメリカが、世界中に果てしなくアメリカニズムを輸出する本能と、そうではなくて非介入の方に縮こまる本能の両極に揺れ動く不可思議な二面性をもっている国だ、ということです。この前者と後者の揺れ動きの気まぐれが、国際政治の現実にその都度、創造や破壊をもたらし続けてきている。西尾先生がよく引かれる例ですが、中国国民党と提携して日本を叩いたかと思えば、突然、中国国民党を見限って結果、中国大陸の共産化が生まれてしまった。二面性あるいは多面性がアメリカの本質で、一面的にしかアメリカを見ない西部さんたちの反米論はぜんぜん的外れだといえます。

 こんな「気まぐれな国」という性格もまた、世界史上、例がないのですが、その「気まぐれ」が新世紀に入ってきてだんだんひどくなってきて、米中提携論の強化に乗り出したり、日本の慰安婦問題に介入したりすることもしたりして、それはアメリカの国力の減退も大きくかかわってきている。西尾先生がお話の中で言われた「古臭い日本・ナチス同一論が再びアメリカの中にあらわれてきた」ということは、親米派のアメリカ像もまた古臭くなったということであって、こういう段階にさしかかったアメリカと離れる時期に来たと考えるのがまず妥当であろう。これが西尾先生の「離米論」であり、これはきわめて新しい「21世紀の反米保守論」なのです。

 このように親米論も古臭くなってきたのですが、同時に、従来の反米論の古臭さということもあるので、新しいアメリカ論は、今までの親米論・反米論の両方と対峙しなければならないでしょう。田久保さんが幾度も嘆くように、戦後日本にある反米論は保革問わず、西部さんのような「アメリカが嫌いだ」といいたいだけの乱暴な形の反米論、さらには伝統的な反米左翼論に先祖帰りしてしまう傾向がある。これは何度強調しても強調しすぎるということはない。日本が戦時下に受けた空襲その他のアメリカの戦争犯罪と、アメリカが世界各所でおこなってきた軍事的介入の現場での出来事を感情的に同一化してしまう。そこから先は思考停止しか待っていません。単純なる反米論の誘惑、といっていいのかもし
れません。

 西尾先生と福井義高さんの対談で「アメリカには別所毅彦のような直球で対決しては駄目で、関根潤三のような軟投でなければ駄目だ」という話が出たことが思い出されます。西部さん流の古い反米論は「直球」なのでしょう。だから親米保守派に簡単に打たれてしまう(笑)様々な顔=打法を持つアメリカだからこそ、西尾先生の著書には、「さようならアメリカ」という論題もあり、「不可解なアメリカ」もあり、「ありがとうアメリカ」もある。西尾先生のアメリカ論は「軟投」なのです。私はこの「軟投」の意味がよくわかるし、自分もこの「軟投」の立場に組したいと思います。

 一筋縄ではいかないアメリカは、たとえば文学にも現れるのであって、西部さんは小林さんとの対談(『反米の作法』)で、フォークナーとへミングウェイだけ出してアメリカ文学の浅さの個性(?)を語り尽くしている気になっているようですが、ラヴクラフトやエドガー・アラン・ポーのような作家についてはどうなのでしょうか。自分は高校生のときにはじめてポーの作品群を読んだとき、これはフランス象徴派の作家だとしばらく思い込んでしまった。ポーのあの重厚な恐怖の世界は、ヨーロッパとの伝統が切れているどころか、逆により徹底したヨーロッパが実現してしまっているわけで、アメリカ文学の世界はぜんぜん浅くありません。私はポーがアメリカの作家と知ったときの「驚き」は今でも忘れ
られない。以来、私がアメリカについて考えるときは「驚き」がどこかで伴うので、そういう点だけでも、「驚き」に乏しい西部さんたち反米論のアメリカ論に違和感を感じてしまいます(笑)

 西尾先生が「自分は反米ではない」といったときに皆さんに笑いが起きたのは、西尾先生のアメリカ論を、伝統的な反米論とどこかで同一視しているからなのではないか、と感じました。私たちの中には、旧来的な反米論が依然としてどこかにイメージされている。これは繰り返しになりますが、反米論とは、決してやさしい思想ではない。「アメリカ」はあまりにつかみどころのない存在なのです。だからこそ、従来の反米論の系譜とは完全に異質な21世紀の反米論、この西尾先生の試みを皆さんにも正しく理解していただきたいと新年会の西尾先生の話と皆様の反応から私は感じ、このテーマを今年の坦々塾の会で深めていければ幸いと思いました。

 懇親会の時間ののち、20名ほどの面々で二次会のカラオケを楽しむ時間となりました。いろいろな持ち歌の飛び交う場で、楽しい時間はまたたくまに過ぎていきました。

 西尾先生、ご苦労様でした。また幹事代表として最初から最後まで緻密に新年会を運営された小川揚司さん、たいへんお疲れさまでした。新入会員の方を含めた坦々塾の皆様、今年もよろしくお願いいたします。

台風一過

 今日も32度になり猛暑日がつづくとか、今夜も熱帯夜だとかいわれていたのはつい先日のことだった。あっという間に寒い季節に入り、不思議な気がしている。

 「戦争史観の転換」(正論連載)の5回目を書いた。第二章「ヨーロッパ500年遡及史」の①にあたる。この連載は学問ではない。歴史の叙述ではあるが、歴史学には関知しない。学問の手続きをいっさいとらない。好きなように自由に語りたい。

 このところ人の話をよく聴きに行く。10月19日、若い研究家柏原竜一さんがロシア革命の余波をドイツがどう受けとめたかをフランスの情報網がとらえた論究を語った。じつに詳細な学問的追究のレポートだった。10月23日、旧友の河内隆彌君がアメリカの拡張主義と孤立主義の二大潮流をその代表ともいえるルーズベルトとリンドバーグの活動のなかに追跡した研究発表をした。どちらも興味深い内容だった。どちらも良く勉強しているな、といたく感心した。

 私はいま岡田英弘著作集(全八巻)の第三巻の月報を書いている。当ブログのコメント欄のどなたかが岡田先生を故人のように扱っていたので吃驚した。岡田先生は健在である。11月4日(月)午後2時半から山の上ホテルで岡田英弘著作集発刊の記念シンポジウムが行われ、先生も出席される。

 私は聴衆のひとりとして、シンポジウム「岡田史学とは何か」の話を聴きに行こうと考えている。話をして下さる方々は木村汎、倉山満、杉山清彦、田中克彦、司会宮脇淳子の諸氏である。ご関心の向きは会場に出向かれたらよいかと思うので、ご案内申し上げる。主催藤原書店(Tel,5272-0301)。

 「内村剛介著作集」(全7巻・恵雅堂出版)がこのほど完結し、10月26日、高田馬場のロシア料理店でお祝いの会があり、招待された。顔見知りはいなかったが、短い挨拶をした。内村先生は1920年生れ、15歳上であり、88歳で亡くなられた。革命と反革命が身体の中で一体化しているような個性的な思想家だった。

 10月27日、持丸博(正しくは松浦博)さんの追悼偲ぶ会があり、彼が三島由紀夫邸に私を昭和43年秋に連れて行ってくれた思い出を綴った昔の拙文「一度だけの思い出」を挨拶代りに、私は朗読した。持丸さんは三島さんの片腕で、楯の会を支えた人物だ。その人生は三島さんの死で燃え尽きたかに見える。しかし4人のまぶしいくらい立派なお子さんたちを残された。奥様は杉並区議で文化チャンネル桜役員の松浦芳子さんである。ご冥福を祈る。
 
 韓国の問題に目下日本人は苦慮している。私はいま、「北朝鮮よりももっと平和を乱す国・韓国」と題して少しまとまった論文を書こうと着手している。韓国の度が過ぎた対日侮辱には怒りや軽蔑の言葉が投げつけられているが、われわれは米中の谷間で自国の安全保障を守る見地から考えなければならない。

 韓国の中枢の指導者はいくら日本を侮辱してもいざ救いが欲しくなり、困ったときには日本は必ず助けてくれるという根拠なき確信をもっているように思える。その責任の一半はもちろん日本にある。これが問題を考える起点、基本のポイントである。

 さて、私の全集は第9巻「文学評論」の初校が出て、三人の校正の方々が見てくださっている。刊行は少し遅れ気味で、一月にずれこむかもしれない。

 私は次の巻のテキストの蒐集、整理編成、校正、関連雑務、今の巻の後期の執筆と相次ぐ作業に追いまくられている。

 ゆっくり自由な読書ができない。仕事の作業のための読書に限定されてくる。次々と送られてくる新しい雑誌も、新刊本もなかなか読めない。それが辛い。

 新聞にもあまり目が向かない毎日である。が、日本シリーズは気になっている。マー君は往年の稻尾のような巨人いじめをするのだろうか。

夏から秋へ

 今日はいま具体的にどんな活動をしているか、また今後どんな予定を立てているかをお知らせしておきます。

 勤務はないけれど、毎月必ず規則的にめぐってくるのは「路の会」の主宰と「GHQ焚書図書開封」の録画です。三ヶ月に一巻の全集の刊行も規則的にめぐってきます。

 「路の会」のことはほとんど書いたことがありませんが、この数回の外部講師は中野剛志さん、藤井聡さん、河添恵子さん、竹田恒泰さん、そして今月は孫崎享さんです。

 「GHQ焚書図書開封」の録画は第113回を数えました。本になっているのは約三分の二です。いま戦時中に書かれた近現代史の通史のようなものといえる大東亜調査会叢書シリーズを追っていて、今月は第112回「満洲事変とは何か」、第113回「国際連盟とは何だったのか」を放映します。

 このところ『WiLL』は少しお休みしていますが、書きたい新情報がないのです。今月は『別冊正論』(18号)と『正論』11月号とに書いています。どちらも中国問題で、前者は中国人に対する労働鎖国のすすめがテーマであり、後者は尖閣暴動に対する私の最初の所見です。

 チャンネル桜が『言志』というメルマガを始めたので、お付き合いですでに1~3号に書きました。4号もたのまれているので書く予定です。第1号は「戦後から戦後を批判するレベルに止まるな」、第2号は「取り返しのつかない自民党の罪過」、第3号は長い題に取り替えられたので思い出せません。尖閣がテーマです。第4号はメディア論を書けと言われています。いずれも8枚~10枚の短文です。

 西尾幹二全集第四巻『ニーチェ』は間もなく刊行されます。夏からずっとこの校正に苦しんできました。「後記」は第三巻ほど長くありませんが、それでも往時の諸事実を正確に思い出し、記録するのは大変でした。二部作を一巻にしましたし、長い付録もついていますので772ページの大著になります。

 それからこの後お伝えするのが夏から秋へかけずっと取り組んでいた新しい課題で、主要な部分は夏の前半にまとめ、この9、10月に整理した3冊の新刊です。

1.青木直人氏との対談本『第二次尖閣戦争』祥伝社新書(11月2日発売、7日には店頭)
   2010年に『尖閣戦争』として出したものの続編です。これは版を重ねました。

2.竹田恒泰氏との対談本『皇室問題と脱原発』飛鳥新社(12月2日刊)
   皇室問題では女系天皇説の黒幕田中卓元皇學館大學学長を二人で彼の学問の危うさを突いて、根底的に批判しています。

3.『中国人に対する「労働鎖国のすすめ」』飛鳥新社(1月15日刊)
   1989年刊「労働鎖国のすすめ」の復刻が後半。前半は中国人定住者増加の現実とその政治的危険を戦前の中国ウォッチャー長野朗の洞察を取り入れて、私が書き下ろしたものです。

 以上三冊はほゞ作業の大変を終わっています。1.はあと2日で、2.はあと10日で校了となります。3.は整理に少しかかります。

 来月号になりましたら青山学院大の福井義高さんと行った日米戦争をめぐる対談を『正論』で二回掲載します。私の『天皇と原爆』(新潮社)を福井さんに論評してもらいつつ、彼のユニークなアメリカ観に耳を傾けます。

 そして恐らく3月号から私の長編連載『戦争史観の転換』が『正論』でスタートします。

 尚、11月11日に「小林秀雄と福田恆存の『自己』の扱いについて」と題した講演を行います。現代文化会議主催で、会場はホテルグランドヒル市ヶ谷。午後1時30分~5時、お申し込み予約は電話で03-5261-2753でお願いします。入場料¥2000です。

夏の終りに

 私はこの夏、三つの仕事に従事してきた。(一)原発事故への言論活動、(二)自己の個人全集の編集、(三)日米戦争の由来を再考する複数の著作活動の準備、である。

 9月26日に発売される『WiLL』11月号に、原発事故をめぐる今までの総集編とでもいうべき、少しばかり仕掛けの大きい論考を発表する。題名は「現代リスク文明論」(仮題)である。原稿用紙で50枚で、あの雑誌が載せてくれるぎりぎり一杯の長さだと思う。

 50枚の論文はむかしの言論誌では当り前だった。今は何でも簡便安直が好まれるので、20枚を越える文章は月刊誌では滅多にみかけなくなった。私はいつも心外な思いを抱いている。

 次いで10月1日に発売される『正論』11月号に、「ニーチェ研究と私――ニヒリズム論議を超えて――」(35枚)を書いた。これも夏の終りの仕事であった。いうまでもなく個人著作全集の最初の巻が『光と断崖――最晩年のニーチェ』であるので、これを機会に私のニーチェ研究の重点がどこにあったのかを回顧的に語ったものである。

 なお全集の編集は順調に推移し、10月12日に第一回配本が刊行される。これに関連して次のような公開講演会が企画されているので、ご報告する。

西尾幹二全集刊行記念講演

「ニーチェと学問」

講演者: 西尾幹二
入 場: 無料(整理券も発行しませんので、当日ご来場ください。どなたでも入場できます。)
日 時: 11月19日(土)18時開場 18時30分開演
場 所: 豊島公会堂(電話 3984-7601)
     池袋東口下車 徒歩5分
主 催:(株)国書刊行会
     問い合せ先 電話:03-5970-7421
           FAX:03-5970-7427

 (三)日米戦争の由来を再考する複数の著作活動、については、周知のとおり、『GHQ焚書図書開封 6 ――日米開戦前夜』(徳間書店)の準備をいま鋭意進めている。このほかにもうひとつ、今年さいごの重要な著作を12月8日までに出版する手筈である。これについては、今まで報告しなかったが、『天皇と原爆』という題で、新潮社から出される。作業は順調に捗っている。

 息の抜けない忙しい夏だったが、9月10日~12日に上高地、飛騨高山、白川郷を旅してきた。

暑中お見舞い申し上げます(一)平成23年

 6月末から真夏が始まり、このまま9月末まで猛暑がつづくのかもしれません。私は夏男で、どんなに暑くてもこたえません。血圧の高めの人間はたいていそうで、冬の寒さの方が嫌いです。

 私の書斎は太陽の光の入る地下室で(妙だと思うでしょう)、室温自体は低く、クーラーも扇風機もあまり使いません。しかし冬は地下暖を入れて、それでも腰から下が冷えて困ります。最近は椅子に坐って腰から下を包む電気炬燵を用いています。

 『WiLL』に書いていた震災の感想(5月号)と脱原発論(7月号)が人の目に留まり、KKベストセラーズが数人の論者をあつめて出す単行本に収録することを申し出て来たので、合意しました。刊行は8月で、数人の論者とはだれか、近づいたら詳しい内容を公表します。

 別の出版社から「保守主義者のための脱原発論」を一冊にまとめて欲しいと頼まれ、半ばその気になりながら、決心がつきかねています。

 資料はどんどん貯っています。ジュンク堂に行って20冊くらい原発関連の本を買って来ました。雑誌や新聞やブログに書いたものはそのままでは一冊の本にはなりません。時代が動き、情報もどんどん変わるからです。もう一度一から考えを整理し情報を再構成してみなくては、一冊の本は書けません。私はいわゆる専門家ではないので、一文学者として、一思想家として、一人の人間として、思索の書を書くのでなくてはなりません。まとめるのには相当に時間がかゝりそうな気がしています。

 『WiLL』8月等にはなにも書かないことになります。『正論』の臨時増刊号に相次いで二論文を書いたのはご存知でしょうか。別冊正論15・「中国共産党」特集に「仲小路彰がみたスペイン内戦から支那事変への潮流」、正論8月号臨時増刊号「『脱原発』で大丈夫?」に「さらば原発――原子力の平和利用の誤り」を出しています。

 『GHQ焚書図書開封』5と6とが相次いで刊行されることになります。5の題は「ハワイ、満州、支那の排日」、6の題は「日米開戦前夜」です。5はこの7月中に店頭に出ます。6は12月8日のパールハーバー攻撃70周年記念日までには刊行します。

 このところあれやこれや多種の原稿の整理で追いまくられました。というのは、全集の第5巻の校了後、第1巻の再校ゲラ、第2巻の初校ゲラが相次いで出て、やいのやいのと言われているからです。第3巻の目次内容がまだきまらないのでそれも編集部から早くせよと要求されています。

 各巻に私以外に4人の校正者がいて、厳密な作業をしてもらっていますが、私が再校を読んで「後記」を書き、三校を私を含め4人が読み直してそれぞれの巻を終わらせます。各巻600ページですから容易ではありません。

 全集の内容見本は出来ましたが、各巻の収録文の内容はまだ厳密にはきまっていないのです。昔の本を読み直すすべての作業はこれからです。

 全集の内容見本(カタログ)は国書刊行会03-5970-7421に電話すれば送ってくれます。よろしくおねがいします。

 今日『GHQ焚書図書開封 5』の「あとがき」を書き上げましたので、どんな内容か次にお知らせします。

 尚、16日午後8時から一時間放映された水島総氏との討論がYouTubeにありました。

東北沖地震(二)

 十四日(日)も終日テレビを見ていました。仕事に手が着かず、落ち着かない一日でした。

 私は判断を間違えていました。犠牲者は予想外に少いように見えると書いたのは、押し寄せてくる水の前を走り逃げまどう人々の姿が初日のテレビの画面にほとんど映らなかったからです。避難はかなり成功したのかと思っていました。

 南三陸町というところの人口は1万7千人で、うち1万人が行方不明だと聞いてびっくりしました。宮城県警が宮城の犠牲者数は1万人を越えるとの予想を立てていると公表しましたので、逃げられずに家ごと水に流された人の数がおびただしく、あの粉々にされた木材の破片の山は犠牲者の隠された悲劇の証拠で、想像を絶する恐怖のドラマが展開されたことが分りました。

 公表される100人単位の犠牲者数は誤解を生みます。被害の総体はまだまったく掴めていないのだと思います。

 地震学者が1200年前の平安時代に東北でほゞ同規模の地震があったことが学会の総意で推定されていたという話は印象的でした。携帯電話が不通になったのは驚きでした。クライストチャーチから富山県に携帯が通じていたのに、今回は不通で、被害地は情報遮断を強いられました。超近代社会の無力は、原発事故でたちまち国内の電力不足が現実のものとなった点にも現われています。電話が通じないというようなことは戦争中にもなかったことで、情報化社会の盲点です。電力不足で電車が間引きされる今朝からの事態も、戦後の65年間ずっとなかったことでした。

 どういうわけか戦時中をしきりに思い出したのは、決して私だけではないでしょう。テレビは全局同じになり、BSも同じで、コマーシャルが消されて、どこのチャンネルも地震情報で画一化され、世界からその他の新ニュースを知りたいと思ってもそれはなく、ムード的に「挙国一致」があっという間に出現しました。「国難」という言葉が、普段はそんなことを言いそうもない菅総理と女性某大臣の口から出ました。

 「未曾有の大地震」と「壊滅的被害」はテレビキャスターや報道記者の常套句となりました。やむを得ぬ交代制の「計画停電」が告知され、途方もない不便が予想されますが、誰ひとり異を唱える者はなく、国民はこぞって粛々と「運命」を引き受ける様子です。急にガラっと空気が変わりました。あるキャスターは国民は今こそ落ち着いて我慢して行こうと訴え、ほとんど私はむかしの「欲シガリマセン勝カツマデハ」を思い出しました。

 管理された「停電」は私に戦時中の「ローソク送電」を連想させました。暗い夜に「懐中電灯」を用意せよ、のテレビの指示ににもなぜか私には昔の暗い夜への懐かしさを抱かせました。そういえば陸前高田という町の、壊滅した広々とひろがる大地に駅舎がポツンと残る光景は、あの懐かしい空襲後の焼跡にそっくりです。一晩中燃えつづけた気仙沼市の夜景は夜間空襲の惨劇を思い出させました。

 このような国民的記憶を喚起する事件はたしかに65年の戦後社会にはこれまでになく、阪神大震災のときとはだいぶ異なります。日本人が「国難」を本気で意識し、「復興」を叫ぶことばがメールやネットで飛び交っているのは悪いことではなく、原子力発電の重要性(なかったら大変なことになる)が広く分るのも無意味ではありません。

 自然災害の忍耐強い国民性はもともとのもので、そこに今度のような危機感、この国のもろさ、弱さ、頼りなさへの不安、いったい明日どうなるのだろうかという急激な変化に対する心もとなさが加わって、国民的緊張感が高まることは、それ自体久し振りの感覚で、国家としての「めざめ」に多少とも役立つことになるのかもしれません。

 けれども、さて、どうでしょう?いつまでつづくのでしょうか。少くともテレビの世界は遠からず元へ戻り、地震関連のニュースは激減し、本当はもっと解明されるべき悲劇のトータルな総体を地道に追及するパワーは、お笑いタレントなどのあのバカバカしい映像に席を譲ることに再び立ち戻ってしまうのではないでしょうか。

 コマーシャルを消した「挙国一致」の危機意識が地震以外の他のあらゆる方面においても一般的になって欲しいと思います。