入学試験問題と私(七)

 今までここに提示したのはすべて現代国語の入試問題であったが、以下は法学の試験問題である。

 平成15年のある日、独立行政法人大学入試センター理事長の丸山工作氏の名において次のような文面とプリントが届いた。

 謹啓、時下、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。さて、当センターでは、平成十五年八月三十一日に、平成十五年度法科大学院適性試験を実施いたしましたが、同封いたしました同試験の試験問題に、貴著『ヨーロッパの個人主義』の一部を著作権法第三十六条により使用させていただきました。ここに厚く御礼申し上げます。(中略)      

敬具

独立行政法人大学入試センター理事長

丸山工作

 いかにもものものしい言いようの挨拶文で、こんな例は他にないので、印象に残っている。

 丸山氏は世界的に名高い生物学者で、今は鬼籍に入られたが、私は一度だけお目にかかったことがある。私のドイツ文学の友人の兄上であったからである。勿論これは関係のない話題であるが。

 誰の目にもはっきり分る通り、この問題は採点がこのうえなくし易い。しかし受験者にとって解答は必ずしも簡単ではない。

 私自身はこういうパズルのような智恵比べの問題が若い頃から苦手だった。大抵考えすぎて迷った揚句、間違えるのである。

 私は自分の文章でもこれは正答がどれになるかよく分らない。テキストを持っているから問1の正答は④であるとお教えしておく。が、問2問3は今もってよく分らない。

独立行政法人大学入試センター
平成15年度

第4問 次の文章を読み、下の問い(1~3)に答えよ。なお、文章中の空欄 A~Cのうち2つには、ある文が入る。また、文章中に「前の章」とあるのは、この文章の前の章を指す。
 
 さまざまな国家が乱立抗争しながら、結局は1つの文化共同体といえるヨーロッパでは、当然、その国家内部に形成される「社会」も、また、国家同士がつくり出す「社会」も、この孤立した島国特有の論理とは別種のものとなるだろう。

 つまり、ここで、改めて問われなければならないのは、ヨーロッパ人の市民意識であり、それは近代国家の成立以前に、萌芽(ほうが)としては存在していたものであったに違いない。

 個人の行動様式がつねに「社会」という場に開かれているヨーロッパ人の生き方については、すでに前の章で詳説したが、都市の作り方ひとつ例を見るだけでもそれは明瞭(めいりょう)にわかるのである。

 堅牢(けんろう)な城壁に囲まれたヨーロッパの中世都市は、外部に対し固く自己を閉鎖しながら、内部には必ず市民の集う広場をもっている。主要な通りはみなそこに集まっている。そこにある公共生活のシンボルは、市役所と中央教会(ドーム)だが、これらはいずれも垣根をもうけていない。日本の都会には公共生活の中心になりそうな特別に際立った建物はなにもない。一般の民家がただ雑然と集まって町をつくり、しかもひとつひとつが垣根をもうけ、精巧な庭をもつ。だが、ヨーロッパの民家は、ことに旧市街では、家並みが整然と並んで、どれも塀で囲まれず、個人の庭より、公園や緑地帯を大事にする。

 さらに家の構造をみるがいい。家は幾家族も集まって住むアパート形式だから、階段も廊下も往来に等しいものといってよく、したがって、「家」はいつも「町」に開いている。家に塀をめぐらさないことが決定的な要素なのである。それでいて、家の内部は、ひとつひとつ閉鎖した「私室」を並べている。日本家屋にはほんとうの意味での「私室」というものがない。要言すれば、日本人の生活様式は、あくまで「家」単位で、外部の町の公共生活に対しては己れを閉ざしているが、家の中ではたがいに寄り合って暮らすという日本的家族の特性をそのままに物語っている。[ A ]

 ヨーロッパ人の市民意識がどのような性格のものであるかは明らかであろう。個人は家を超えて、いつでも町の公共生活に直結する用意がある。「広場」がその象徴である。だが、それよりもっと重要なことは、こうした共同体意識は町の外へと超えてはいかないことである。都市は堅牢な石造りの城壁で、まわりをかたく閉ざされ、外敵に対し、城門は厳しい監視の目を怠らない。[ B ]

 ここでは自由と秩序は一体のものである。

 市民が家族よりも、公共生活を重視するのは、城壁の外の異質物に対する警戒心と団結心から発していることは明かであろう。逆にいえば、外敵に対する用意から、市民のひとりびとりに対し、公共に生きることの要請がある。社会に対する責任と、自由の制限は、ヨーロッパ市民社会の2つの要件であり、それはまた、市民が個人の自由の無制限の拡大が何を意味するか、その恐ろしさを知っているという意味でもある。[ C ]

 ひとつの都市という「社会」の範囲が与えられることで、市民のひとりびとりが「個人」となるのである。

(西尾幹二の文章による)

問1 次の文a・bは、それぞれ文章中の空欄[ A ]~[ C ]のうち2つのいずれかに入る。この組合せとして最も適当なものを、下の①~⑥のうちから1つ選べ。
[ 12 ]〔2点〕
a つまり、市民の自由は制限の内部で最大に発揮されるものなのである。
b この我欲の相互調節が、個人の生き方にパターンのきまった「型」や「様式」をもたらすもととなる。

 ① a-A b-B  ② a-A   b-C ③ a-B  b-A
 ④  a-B b-C  ⑤ a-C  b-A ⑥ a-C b-B

問2 この文章に表題を付けるとして、最も適当なものを、次の①~⑤のうちから1つ選べ。
[ 13 ]〔1点〕
 ① ヨーロッパの中世都市
 ② 社会に開かれたヨーロッパの「家」
 ③ ヨーロッパと日本における「私室」
 ④ 日本における「家」と公共生活
 ⑤ ヨーロッパからみた日本の市民の自由

問3 この文章で述べられていることを、次の①~⑤のうちから1つ選べ。
[ 14 ]〔2点〕
 ① 日本の都会では、一般の民家が整然と並んでおり、公共生活の中心となる際立った建物は存在していない。
 ② ヨーロッパでは、異質物に対する警戒心と団結心から、市民は何よりも家族を重視するようになった。
 ③ ヨーロッパの旧市街では、家がアパート形式であることから、階段・廊下も「町」の一部を成しているといえる。
 ④ 日本においては、町の公共生活に個人が直接にかかわっており、そのことによって個人の自由が制約を受けている。
 ⑤ 日本では、「家」の中では家族は寄り添って暮らしており、「家」の代表者が外部の町の公共生活とかかわっている。

入学試験問題と私(六)

 次に掲げる評論文は昭和44年(1969年)12月号の言論誌『自由』にのった。『自由』は『諸君!』のまだない時代の唯一の保守系オピニオン誌で、福田恆存、林健太郎、竹山道雄、平林たい子、関嘉彦、武藤光朗の諸氏の同人的色彩の濃い評論雑誌だった。

 私の評論文の題名は「自由という悪魔」である。こういう題の論文が私の著述の中にあることを知る人がむしろ少いだろう。

 例の『悲劇人の姿勢』に収められている。

 じつは同論文の書かれた時期に注目していたゞきたい。

 前年の1968年に全共闘系学生によって東大安田講堂が占拠され、1969年1月には警察機動隊が封鎖解除に出動している。世の中は騒然としていた。

 1968年11月号の『自由』に三島由紀夫が「自由と権力の状況」を書いている。正確無比な文章である。この論文をも含め諸論を一冊にまとめた同氏の『文化防衛論』は1969年4月に出版され、同6月に『三島由紀夫VS東大全共闘』が発表されている。時代の雰囲気を思い出していたゞきたい。

 これだけ述べればここに掲示した問題文の「自由」の概念の歴史的背景は理解できるであろう。

 にも拘らず同問題は平成12年(2000年)、30年ほどの時間差を経て出題されている。そういうケースが他にも非常に多い。

 あの激しい時代に抗して展開された私の自由の概念は認識への冷たい複眼を求めていて、時代の情念、情緒、エモーションからいかに遠かったかをむしろ物語っている。

 きわどい思想の闘いの日の痕跡を、忘れずに30年後に入試問題に採用した日大の国語担当教官の記憶への意力にあらためて御礼申し上げたい。

日本大学 平成12年度
生物資源科学部

〔1〕 次の問題文を読み、後の問いに答えなさい[ 1 ]~[ 11 ]の解答は解答欄にマークしなさい。

 私にとっての自由は、私自身の生き方の(ア)程の中にしかない。

 私が自由であるためには、私は自由であろうとして生きるのではなく、私が生きることがそのまま自由であるように、そのように生きなくてはならaないという意味である。なくてはならない、という目的意識を表す言葉を用いただけで、すでに私は自由であろうとしているのである。A自由であろうとするとき、人は自由ではない。自由は条件でもなければ、目標でもない。自由は私たちひとりびとりの日々の歩き方の中にしかbないというのは、私達が二度と取り返すことの出来ない掛け替えのない一日、一日を生きているという、時間に関するある大切な、動かし得ない原理の上に立っているからである。

 十九世紀以来の自由主義思想はすべてこの点で躓(つまず)いた。いわゆる近代的自由主義者にとって、自由とは実現すべきものであり、生の目標であり、従って、自由は程度と分量の問題と化し、外から与えられる条件となり、計量可能の領域に収まった。

 しかし例えば、昨日自分はあることをし遂げたいと思ったが、邪魔が入って果たせなかった、誰しもこういうことではくよくよすることが無意味であることを知っている。しかし戦争がなければ、自分の青春はもっと美しかったろうに、というような思いからは人は容易に解放されることはないらしい。だが、いずれにしても、過去は不可逆なのである。何が美しいか、それは誰にもわからcないのだ。後悔などいくらしてみても、今の私達が一日、一日を掛け替えなく生きていく上になんの足しにもならない。そして、今の私達の社会には、自分のB今日の失敗を昨日の過誤で弁解する口実がなんと沢山(たくさん)あふれていることであろう。後悔や反省などいくらしてみても、今日を勇(イ)カンに生きる事の妨げにこそなれ、そこからは真の自由というものに通じる道は閉ざされているのではないか。

 「困難な務めを日々に果たすこと、他にはなんの啓示も要らぬ」は、ゲーテの静かな自信に満ちた言葉だが、こういう当たり前すぎる言葉を吐いて、そこに力強さがあるのは、それだけの実行力を備えていた人の言葉であるからだ。ゲーテは自由という概念を目の前に置いて、分量を測定したり、自由の仮想的を拵(こしら)えて、頭の中の影と戯れたりはしなかった。

 時代がどのように変わっても、自由という一概念にはなんの積極性もなく、自己を実現しようとする個人の意志的な努力のうちに自由は達成されるのではなく、僅(わず)かに予感されるのみである、というのは私には動かせない真実のように思えるのである。誰しも自由を求めて生きるのではなく、何事かをなし遂げようとして生き、[ X ]的に、ある自由感の裡(うち)に生きる、ということもあるかもしれなdない。人は自由を捕らえるのではなく、反対に自由に捕らえられるように、自由が意図せずして歩み寄ってくるように生きることが真の自由であろう。だが、そうして手にした自由でさえも、それが自由であると意識化されれば、たちどころに不自由に転ずることにしかならないようなものかもしれない。真の自由は客観的に認識できないし、主観的にも容易に自覚されることのないなにものかなのである。

 従って真の自由のもたらすかように大きな精神の緊張感には、誰でもが容易に耐えられるものではない。だから人々は自由を口にしてはいるが、本当の自由を求めているわけではけっしてなく、自由主義という名の小さな自由の枠の中へ、適度に不自由に制限づけられることを欲しているに過ぎない、とも言えよう。人は束縛を嫌って、自由を求めると言われるが、C自由であることもまた、一つの束縛なのである。

 自由があり余れば、人は不自由な観念に(ウ)レイ属したがるであろうし、自由の制限によって、安定と自己調和を得たいとむしろ願望するようになるだろう。文明が進展し、機械が余暇を生めば、なにものにも縛られeない自由の領域は[ Y ]的に増大する。つまり、それはなにもしないでいてよい自由ということだが、かかる消極的概念としての自由の領域は益々(ますます)ひろがり、それに比例して、積極概念としての自由の生き方は益々むずかしく、困難に見舞われるだろう。いや、現に私たちはそういう時代に入りつつあるのかもしれない。 (西尾幹二「自由という悪魔」)

問一    線(ア~ウ)にあてはまる漢字と同じ漢字を用いるものを次の語の片仮名部分から、それぞれ一つ選びなさい。
(ア)-[ 1 ] ① カ説  ② カ激 ③ 日カ ④ 歯カ
(イ)-[ 2 ] ① 鳥カン ② 基カン ③ 果カン ④ 壮カン
(ウ)-[ 3 ] ① 奴レイ ② 激レイ ③ レイ儀 ④ レイ句

問二 赤色(a ~ e)ないの中に文法上、他と異なるものが一つある。それを次の中から選びなさい。
[ 4 ] ① a ② b ③ c ④ d ⑤ e

問三 [  ](X・Y)に入る最も適切な語はどれか。次の中からそれぞれ一つずつ選びなさい。
X-[ 5 ]  ① 結果 ② 原理 ③ 絶対 ④ 意識 
Y-[ 6 ]  ① 感覚 ② 条件 ③ 相対 ⑤ 観念

問四 波線(緑色)の意味として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
[ 7 ] 
 ① 個別の知識が突然、まとめられて理解されること
 ② 人の祈りに応じて、神が姿を現して示すこと
 ③ 人知の及ばぬことを、神がさとし示すこと
 ④ 物事の本質や存在を、一瞬のうちに理解すること

問五   線Aの理由として、文脈上、最もふさわしいものを、次の中から一つ選びなさい。 
[ 8 ] 
 ① 自由であろうとすることは、既に目的意識にとらわれたものであるから。
 ② 人が既に自由の身であるならば、そもそも自由であろうと望むはずがないから。
 ③ 自由は人が意図するものではなく、向こうから歩み寄ってくるものであるから。
 ④ 自由は程度と分量の問題であり、外から与えられるべき条件と化したから。

問六   線Bからうかがえる作者の見解として、最も適切なものを次の中から一つ選びなさい。
[ 9 ] 
 ① 人々は、現在の失敗が過去の過ちに起因するとして、過去をふりかえるだけである。
 ② 人々は失敗の原因を過去の過ちで言い訳ばかりして、現在なすべきことを忘れている。
 ③ 人々は、現在の失敗の原因は過去の過ちにのみあるとして、言い逃れようとしている。
 ④ 人々は現在という時を後悔や反省のみで埋めつくし、無駄に費やしているに過ぎない。

問七   線Cの理由として最もふさわしいものを、次の中から一つ選びなさい。
[ 10 ] 
 ① 何もかも自分で決定しなければならないということが、そのまま制約と化すから。
 ② 自由も一つの観念である以上、その概念から一歩も踏み出すことはできないから。
 ③ 束縛があってこそ自由も存在するが、束縛がなくなれば自由という概念も消滅するから。
 ④ 消極概念としての自由は自覚できるが、積極概念としての自由は意識できないから。

問八 問題文の筆者の考えと合致するものを、次の中から選びなさい。
[ 11 ] 
 ① 自由とは実現すべきものであり、生の目標であり、従って、自由は程度と分量の問題と化し、外から与えられる条件となり、計量可能の領域に収まった。
 ② ゲーテは後悔や反省などいくらしてみても、真の自由に通じる道には至らないことを知っていたから、自由の仮想敵を拵えて、それと戯れたりはしなかった。
 ③ 真の自由をもたらす大きな精神の緊張感に耐えることは容易ではないので、あり余る自由の中では、人は適度に不自由な枠の中の安定と自己調和を願うようになろう。
 ④ 文明が進展し機械が余暇を生めば、何ものにも縛られない自由の領域はかなり拡大するだろうが、それは近代的自由主義者の目標としていた自由とは異なるものである。

管理人注:問題を都合上色分けしています。

入学試験問題と私(五)

 入学試験問題に自分の文章が使用され、プリントが送られてきても、私は目を通さずに片付けてしまうことが多い。たゞ捨てることはしない。

 四十年間文筆業をしつづけて来たので、採用例は決して多いほうではないと思うが、長期にわたれば相当の数になるはずである。しかし、袋に詰めてどこかに仕舞いこんで、昔のものはすぐには出てこない。

 今私が紹介しているのは最近数年の、たまたま部屋の片隅に積み上った紙の山の手前の方に偶然置いてあった一袋の中から拾った、面白そうな幾例かである。

 私の記憶では、入学試験問題になった私の本にはほかに『ニーチェとの対話』『日本の教育 ドイツの教育』『智恵の凋落』『自由の悲劇』などがあったように思うが、それらの本からの出題例は今手許で見つからない。

 そして、これも興味深いことなのだが、『異なる悲劇 日本とドイツ』(改版本『日本はナチスと同罪か』)、『歴史を裁く愚かさ』『国民の歴史』などからの現代国語への出題例は、私の記憶にないだけで例外はあるのかもしれないが、思い出せない。

 政治と戦争に関わるものが避けられるのは止むを得ないのだとしたら、1995年以後の私、ことに「つくる会」に関わり出してから以後の私は、もはや教育に役立つ文章家として扱われていないのかもしれない。

 その中で唯一の例外は『人生の価値について』(1996年)である。これは一篇の分量が一問題にふさわしいので、利用されそうだと本を出す前から予想していた。

 東京医科歯科大学の次の出題もこの本からである。

東京医科歯科大学 平成11年(1999年)
医学部・歯学部共通問題

 次の文章を読んで、後の設問に答えなさい。

 重症患者ばかりの入っている病棟に入院したことがある。

 不思議に思えたのは、明日にも死を迎えるかもしれない人々にも「社会生活」があることだった。検温、点滴、回診、検査、食事、自由時間と繰り返される毎日は、すべて他人との接触やかかわりで埋められている。病棟の中でさえ、他人から悪く思われまいとする思惑や、少しでも重んじられたいという見栄があり、そういうものがあるかぎり、人間は気を紛らわし、自分というものの本当の姿について考えないようにしていられるのである。だからパスカルは『パンセ』のなかで次のように言っている。

 「小さな事に対する人間の感じやすさと、大きな事に対する人間の無感覚さは、奇怪な傾倒のしるしである」

 死という大きな事に対しては無感覚で、その代わりに死ぬ何時間か前まで、隣人のなにげない片言や、友人の口もとに浮んだ薄笑いなどを気にして、死を考えないで済ませていられるというようなのが、人間存在の持つ喜劇性の現われだというほどの意味であろう。もっとも、生きるということはまさにこのような喜劇性を演じ続けることでもあるのだから、わが身に即せば、これまで笑ってしまうことは誰にも許されまい。私もまた毎日「小さな事に対する感じやすさ」を持つおかげで、明日わが身を襲うかもしれない運命の異変に「無感覚」でいられるのである。つまり困難で恐ろしい事は考えないで済ませることができるのだ。

 重症患者を多数抱える病棟の必ずしも惑乱していない様子。ときには屈託のない顔が戸口からのぞかれ、笑い声さえ聞える、静かで落着いた雰囲気。私はかつてそういう病室の空気を遠望して、異様な思いがしたものだった。患者たちはなぜ泣き喚かないのだろう。なぜ髪を掻き毟り、眼を血走らせて廊下を走ったりしないのだろう。そんな気力も消え果ててしまったのだろうか。そうかもしれない。しかし、そうばかりではなく、どんな状況にあっても、人は小さな関心事に心がとらえられることにおいて生き続けられる存在なのかもしれない。

 パスカルはこんなふうにも言っている。

 「人間というものは、どんなに悲しみで満ちていても、もし人が彼をなにか気を紛らすことへの引き込みに成功してくれさえすれば、そのあいだだけは幸福になれるものである」

(西尾幹二「人生の価値について」より)

 
 設問 人間の持つこうした性質に対して、あなたは病人と接する時どのような配慮をし、またどのような立場や態度をとるのがよいと思いますか。(六百字以内)。

 読者の皆さん、きわめて簡単な内容の設問だが、答えるのはじつにもって容易ではないとお考えになるであろう。

 この大学は競争熾烈な難関校である。

 採点官が何を基準に点数をつけているのか、設問が余りにも空漠として、方向不明なので、責任のない私の方がかえって恐ろしくなって、気を揉む始末である。

 ごらんの通りパスカルの引用で問題は終っているが、原文ではそれに次の文章がつづいている。著者に無断で削除され、出題されている。

 

 そういえば、あと生命は何日かと思われていた重い患者の病室から、巨人=阪神戦のナイターのテレビ放送音が聞えていたのを覚えている。

 人間が生きるとはなんという痛ましく、悲惨なものであろう。自分の力のとうてい及ばない事柄に対しては、人間は考えないで済ませてしまうという防衛本能を備えているのかもしれない。しかしまた、他方からみれば、人間はなんという強さを身につけている存在なのであろう。死の直前まで自分を維持し、惑乱しないでいられる心の構造はどういう仕組みになっているか分らないものの、それに対し私はやはり畏敬の念を覚えずにはいられない。

入学試験問題と私(四)

 「入学試験問題と私」(一)で取り上げた昨春の上智大の出題はやはり反響があり、ひきつづきコメント欄に小さな論争がくりひろげられているようだ。受験生にとって不当で、著作権者にとって無礼なあの問題は、加えて採点者にとっては採点上の困難をもたらしていよう。

 できるだけ客観的評価を下したいというのが公正を標榜する入学試験の目的のうちにある。そのために客観テストが普及し、○×式か番号記入式かが広く行われてきた。私の中学時代、高校時代はその方式のピークだった。

 あれから徐々に修正され、文章を書かせるべきだという思想が入試の世界に少しづつ広がった。たしか東大の入試で字数をきめて葉書の挨拶文を書かせる出題例があったが、あれが○×式を打ち破る走りだったと思う。

 噂では複数の採点官の点を平均して結果を決めたと聞いている。一点差で当落がきまる入試である。合否線上には同点者が並ぶ熾烈な戦いである。文章を書かせて、採点官の主観でどうにでも結果が左右される問題は採点する側にしても迚も恐いのである。

 一般によく工夫された出題は採点がし易い。ずぼらな出題をすると採点であと苦労する。私が教師生活中にずっと経験してきた不文律である。

 もともと人生に公平な客観的評価はあり得ない。評価に主観が入るのは人が生きていくうえでは避けられない。そう考えれば、文章を書かせる記述式にひそむ評価の不正確を恐れる必要はなにもないともいえよう。

 私はそう考えるし、そう考えていたい。しかし、勿論採点官ができるかぎり公正で、レベルが高いというのがすべての前提である。いい加減な人が採点するのだとしたら、単純な○×式・番号記入式のほうが安全にきまっている。

 次に掲げる大阪芸術大学の平成10年の試験は私の『人生の価値について』(平成8年新潮社刊)からの出題で、きわめて単純な記述式である。大変に採点に苦労するであろうと最初から予想されるような出題内容である。

大阪芸術大学(1998年度) 
放送学科 編入学試験問題
時間90分

次の文章を読んで、あなたが考えたことを600字以内に書きなさい。

 自由と平等は正反対の概念なのに、歴史のなかではつねに一緒に姿を現わすのはなぜだろう。

 一方の人間の自由は、他方の人間の不自由を意味する。したがってお互いに自由を主張し合っていれば、必ず優勝劣敗が生じる。誰でも勝つのはいいが、敗けるのは嫌だから、誰もが敗けないですむ和解協定を結んで、ほどほどのところで自分の自由に手を打ち、自由をなかばあきらめる。それが平等である。

 平等は自由に対するいわば歯止めの装置である。

 しかし、自由がどこまでも無制限に許容されて、平等による歯止めがまったくあり得ない世界が存在することを、ここで見ておかなくてはならない。作家、思想家、芸術家などの相互の関係がまさにそれである。彼らはみな自分が真物であって、相手は贋物であると、てんでんばらばらに自分の自我を主張し合い、独創と個性を競って止まるところを知らない。各自は自分の尺度で自分を評価する。全員がその前で沈黙する客観的で絶対的な評価基準はない。つまり「平等」という歯止めが存在しない。

 考えてもみていただきたい。作家、思想家、芸術家は自分の才能を存分に発揮するための自由はなにものにも制限されてはならないと信じているはずである。しかし自分の能力をさらに上回る他の相手が出て来て、他の相手も同じように独創と個性を主張してくるとき、敗けるのが不快だからといってこちらが平等を唱え、誰もが敗けないで済むための手打ち式、しばしの休戦協定を結べるだろうか。

 あるときロンドンの俳優労働組合が、売れない俳優にも売れると同じように平等の機会を与えよ、と要求したという記事を読んで、私は唖然(あぜん)としたことがある。イギリス社会の病患の深さを物語る。役者が売れる売れないは、才能と幸運のいかんによる。人気という儚(はかな)い虚栄も才能のうちである。彼らが平等や機会均等を言い出したら、舞台芸術はおしまいである。

 つまり、芸術とか思想の仕事に、自由はあっても平等はない。自我の果てしない、不安定な露所はあっても、それへの歯止めはない。仕事の成功は一瞬の、緊迫したきわどさのうちに決する。露出した無数の自我の相互にかもし出すカオスのなかで、最終的にけりをつけてくれる審判者のいない自由の無制限の恐怖と、仕事の成功とは、隣り合わせている。

西尾幹二著「人生の価値について」より 新潮社刊

 ここからどんな答案が書かれたのか、私には想像がつかない。ある意味でいい出題だともいえるし、受験生に衝撃を与える内容であったとも思う。

 けれども、「最終的にけりをつけてくれる」以下の最後の一行に同文の中心主題が集約されていることに受験生が気づいて、解答してくれたであろうか。またそのような採点基準で採点者が評点してくれたであろうか。

 私は文章を書かせる記述方式の入試も、よく考えてみると、なぜか空恐ろしいこと、罪深いことをしているような気がしてならない。

入学試験問題と私(三)

 私の最初のドイツ留学は1965年の7月から67年の9月、30歳になったばかりの2年間だった。ドイツの大学は休みが多い。私は閑さえあれば、ヨーロッパ全土を歩き回っていて、夜はオペラや演劇、昼は美術館を見て歩く旅行三昧の歳月で、ヨーロッパ体験が目的だと粋がっていた。

 以下の文は帰国してすぐに綴られた32歳の頃の体験記で、小林秀雄の影響下にあることを告白しているような文章だが、しかし若い頃外国に出なかった小林とは明らかに違うことも言っている。⑤の傍線部分の「この円周を打ち破る」経験ということばを今40年振りに読んで、私にだけ分る秘かな思いがあるのである。

 私は「円周」の内側にお行儀よくおさまっている学者、知識人、専門家、文壇人のたぐいの価値観に否定的で、一生その手のタイプを破壊しつづけて来たように思い出される。この問題文の中でも最後に、パルテノンに手放しで感激する美術評論家の感傷を「猥褻」だと言って罵倒している個所がある。

 入学試験の問題でよくこんな大胆な個所が選ばれたものだと感心する。しかも問7で「円周を打ち破る」意味を30字で書けと問うてさえいる。若い学生諸君に無理ではないのか。

 「円周を打ち破る」は私の人生そのものであった。近刊の『江戸のダイナミズム』でも、江戸文化という最も完成度の高い円周の中で「円周を打ち破り」そこを超え出たひとびとにもっぱら焦点を当てている。

 私の若い時代の文章が今頃になって、平成14年に出題された。私の人生を予言した一語を見落としていないのを知って感服もし、不安にもなり、こういう国語担当教官を擁した昭和女子大学とはげに不思議な大学であると思った。

昭和女子大学平成14年度
B日程試験(文学部・生活科学部)

(一)次の文章を読んで、あとの問に答えなさい。

 美術館という組織力は、「知識」を強いて、「感動」を奪うために存在するかのように、私には憂鬱だった。

 というのは、ここでは、「美」があたかも不動の、絶対の顔つきをしているからである。

 「美」もまた、人間の感受性という曖昧な武器に支えられて、辛うじて存在しつづけている不安定にして、流動的なものではないだろうか。恐ろしいような傑作が目白押しに並んで、たがいに効果が相殺されてしまうウフィチやプラドの内部をいくども行き来しているとき、私を襲ったのは、ただ、説明のしようもない孤独感だった。私が口もきけなくなるような「美」の放射能を浴びていたというのなら幸いである。そういう瞬間もあればこそ、美術館はくりかえし私にとって、旅の唯一の誘惑であった。

 が、美的感動とは、じつに気まぐれで、相対的なものである。永年あこがれていた作品の前に立ったとき、偶然、頭痛でも起こしていたらもうお仕舞いである。その反対に、同じ美術館を二度訪れる幸運にめぐまれ、一年位の間に感動の質がまったく変っていることに気づいて、私は自分の感受性の頼りなさをかみしめた。だが、「美術館」の方は前に見たときと少しも変っていない。おそらく十年後にふたたび訪れても同じことだろう。

 「保存」という近代的な意志にささえられて、「美」があたかも絶対的なものであるかのように、無数に蒐集され、陳列され、静止している美術館では、作品の美もまた後年の歴史が不断に[ A ]しているのだという事実を忘れさせやすい。一枚の絵はカンヴァスと絵具とから成り立つ物質でしかないのである。多くの日本人がこころみているヨーロッパ美術行脚も、イタリアから北上してフランドルへ行ったか、フランドルを見てからイタリアに南下したか、旅の行程に応じて幻影が織りなす感動の質も変ってこよう。だが、頼るべきものは、その感動の人間的あやふやさ以外にはないのであって、作品とは幻影であり、決して[ B ]ではないことを忘れてはなるまい。

 私がフィレンツェを再訪した五ヶ月前にアルノ河が氾濫し、街のいたるところにまだ土砂の山が残っていた。ミケランジェロのダヴィデで知られるアカデーミアの奥の一室の、トスカナ派の作品は全滅であった。ガラス戸越しに、私は無造作に積み上げられた整理中のカンヴァスの山を見た。それはまるで大学の文化祭やデモの後の、プラカードを積み上げた自治会室のような有様だった。復旧には十年かかるでしょう、と案内人が言った。私はしかし、なんの不条理も感じなかった。芸術はすべていつかは亡びるべき運命にあるのである。一時的にでもそのことを忘れさせる巨大な西洋の美術館や博物館の方が、美の確実性に関する錯覚の上に成り立っている一個の[ C ]のように私には思えたのであった。

 いったいヨーロッパ美術の「美」を知るなどということはどういうことなのだろうか?安易に語られ勝ちな西洋体験への反省を強いられるのも美術館のなかである。じっさいに数多くの実物に接したことが、西洋美術を知ったということになるのだろうか。あるいは逆に、一生を日本の外に出ないで、複製画ばかり眺めて暮らすことが、知らないということを意味するのだろうか。展覧会で見た一枚の本物のゴッホは、「『ゴッホの手紙』を書く動機となった私の持っている一枚の複製画の複製と見えた」という①小林秀雄氏の痛烈な逆説は、たとい一生に一度クレラミューラーを訪れる機会に恵まれたとしても、一生の大半を日本で暮らさなければならない日本人の、西洋文化への宿命的な決意を語ってやまないものがある。

 翻訳を通じてドストエフスキーを論じ、レコードを頼りにワーグナーに感動してきたわれわれの教養の在り方は、実際、良し悪しの問題ではないのである。それ以外に仕方がなかったのは事実だとしても、そう居直るのではなく、②代用品を食って酔うことが出来たという事実の一回性を軽んじてしまえば、本物に出会ったとき、感動の純粋さを期待することさえも出来ないだろう。

 私は数え切れぬほどの傑作の氾濫に数時間身をさらしたあとで、美術館を出るとき、いつも不図たまらない空しさを覚えるのが常だった。美術館の数をひとつずつ重ねてゆく度に、たしかに私の見方は変っていった。臆断は訂正された。思いがけない驚きにも出会った。好きであった作家が嫌いになり、今までよく知らなかった、未知の作家を発見したりした。

 だが、私はヨーロッパ美術の「美」に本当に感動したのだろうか。生まれ故郷オランダの外に一度も出たことのないレンブラントは、イタリアに学んだどの同時代人よりもイタリア・ルネサンスの本質を理解していたと言われる。ヨーロッパ各国の美術館を短時間に次から次へ矢継早に見て廻った③「教養人」にすぎない私は、経験の量がふえるにつれて、しだいに自分でも何をしているのか解らなくなってきた。私は「感動」という言葉に過剰に警戒している自分自身にいくたびも気がついた。

 しかし経験の量が豊富であることが理解を深めないなどと言っているのではない。森有正ではないが、「経験」ということばの意味が厄介なのもここにある。そもそも「自己」をもたないような人がいくら経験を積んでも、さもしい話題さがしの、薄っぺらな体験崇拝に終るだけであることは明瞭であるとしても、今度は逆に、「自己」などというものをおよそ容易に信じている人には、経験によってなにかが新しく開かれるということも起り得ない。

 私が帰国して間もなく、東京でレンブラント展が開かれた。たまに複製ではなく、本物のレンブラントの肖像画の幾枚かが日本人の目にもふれたわけだが、しかし、そういう企て自体が、いかにも私には④複製画的にみえたのである。むろん日本に渡ってきたのはオリジナルである。レンブラントを代表する最高傑作が来ていないというようなことが問題なのではない。ミロのヴィーナスという最高の作品が上野で展示されて、大群衆をよんだが、それはコピーが来ても同じことで、いや、そういう企てが、美術全集のページをくって美的感性にひたすら研ぎすませてきた日本人の「自己」というものにいかにも見合った程度に抽象的だということを言いたいのである。

 今では西洋の芸術に関し、われわれの中には西洋人以上に美食家である人が多い。閉じられた円周のなかで「自己」を信じることほど容易なことはない。ヨーロッパ美術行脚にもし意味があるなら、⑤この円周を打ち破る経験を意識的にくりかえすことにあろう。代用品ばかり食べてきた味覚は、本物に飢えているのでは必ずしもなく、むしろ空想上の本物に食傷して、空想と現実との区別が容易につかなくなってしまったのである。

 永年の念願がかなってギリシャ旅行をしたある美術評論家が、アクロポリスのパルテノンを最初に見たときの、浮き立つような感動を綴った美文調の文章を書いていたことがある。西洋芸術に関するこの種の感傷語は日本ではいたるところに溢れているが、私はこの文章をよんだとき、ある言いようもない猥褻感をおぼえた。どうしてそんなに容易に感動できるのか、私にはさっぱり解らない。アテネ空港からまっすぐアクロポリスにやってきて、いきなり見上げた丘の上のパルテノンがどんなに荘厳で美しくみえたとしても、写真や文献でつみ重ねてきた専門家としての知識、言いかえれば、空想が豊富であっただけに、純粋な感動はそれだけ得にくくなっていると考えるのが自然ではないか。だが、西洋の芸術に関する限り、不思議なことに、知識をもっている日本人ほど感動と感傷を混同する。この人はおそらくパルテノンをまだ見ぬうちに、飛行機で羽田を飛び立ったときに、⑥すでに「感動」していたに違いないのである。

(西尾幹二『ヨーロッパ像の転換』)

注 ウフィチ・・・・・・・・イタリア、フィレンツェのウフィチ美術館
   プラド・・・・・・・・・・スペイン、マドリッドのプラド美術館
   クレラミューラー・・オランダ、アムステルダムのクレラミューラー国立美術館>

問1   空欄[ A ][ B ]に入る語として、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。
 【1】 ア 証明  イ 創造  ウ 調整  エ 関与  オ 現象
 【2】 ア 現実  イ 具象  ウ 事物  エ 実体  オ 本質

問2   空欄[ C ]に入る漢字三字の語を本文中から選んで記しなさい。回答番号は【3】

問3   ①小林秀雄について、(a)どのような文学者だったのか、(b)小林作品はなにか、それぞれもっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は(a)【4】(b)【5】

 【4】  ア 人道主義の立場から、宗教的色彩の濃い評論を発表した
     イ 批評・評論のジャンルを確立し、古典の世界にも深く傾倒した
     ウ 新心理主義文学を紹介し、みずからも実験的な作品を発表した
     エ ドイツ文学の翻訳に力を注いだよか、歴史批評でも活躍した
     オ 西欧文学との比較を通して、私小説、風俗小説を批判した
 【5】  ア 純粋小説論  イ 歌よみに与ふる書 ウ 無常といふ事
      エ 堕落論  オ 古寺巡礼

問4   ②代用品を食って酔うことが出来たという事実の一回性を軽んじてしまえば、本物に出会ったとき、感動の純粋さを期待することさえも出来ないだろう とあるが、この理由としてもっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【6】
    
     ア 代用品に感動した時に与えられた印象の強さを記憶していなければ、本物と接した折に、純粋な感動かの判断もできなくなるから
     イ たとえ代用品とはいえ、一回でも感動してしまった事実を残念に思い、きびしい自省が加えられない限り、純粋な感動が得られるだけの能力すら持ち得ないから
     ウ 代用品への心酔から始まった体験を見くびるような軽率さからは、本物と直面したとしても、純粋な感動を受容できるような繊細な感性が生み出されないから
     エ 代用品に感動したことが確実に存在したと自覚されない限り、たとえ本物と出会ったとしても、純粋な感動を生み出そうとする姿勢も生まれないから
     オ たとえ代用品に感動したとしても、一回限りの貴重な原体験であり、本物からの純粋な感動も、その充実感を深めることでしか形成されないから

問5   ③「教養人」にすぎない私 とあるが、この表現にこめられた筆者の心情について、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【7】

   ア 作品への印象を変えていく自己の拠り所の無さへの反省
   イ 西洋美術の本質を一向に理解できない自己へのさげすみ
   ウ 経験ばかりを重ねるだけの自己への哀れみ 
   エ 知識だけが豊富になってしまった自己への皮肉
   オ 感動を覚えられない自己の鈍感さへの羞恥

問6   ④複製画的にみえた の比喩によって、筆者はどのようなことを指摘しようとしているのか、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【8】

    ア 著名な作品とはいえ、レンブラントの一部しか公開しないこの企画は、断片的な知識だけを提供する点で、複製画のありかたに似ているということ
    イ 日本人のレンブラント理解を打破するほどの衝撃力を持たず、表面的な理解しか与えない点で、複製画と同程度でしかないということ
    ウ 深い理解よりも、教養的な理解を求めようとする日本人の要求に応え、一通りの知識を与えようとした点で、複製画のようなものだということ
    エ 何枚かの本物を集めたこの企画は、レンブラント理解を固定化してしまい、複製画によって形成された、誤った理解を一層増幅させてしまうということ
    オ 日本人の美的感性のレベルに対応したこの企画からは、オリジナルの持つ神秘性を脱落させた、複製画のような浅さしか感じられないということ

問7   ⑤この円周を打ち破る とあるが、どのような意味なのか、三十字以内で説明しなさい。解答番号は【9】

問8   ⑥すでに「感動」していた とあるが、美術評論家のどのような状態が「感動」と表現されているのか、四十字以内で説明しなさい。解答番号は【10】

問9   本文の内容と一致するものには①を、一致しないものには②をマークしなさい。解答番号は【11】~【15】

 【11】 オリジナルか複製かどうかの区別は、鑑賞者の美術体験の質を確定させる決定的な要素ではない
 【12】 コピーを通してしか接触できなかった制約が、西洋美術への安直な体験を語らせる主因になっている
 【13】 作品の美が先験的に存在せず、見る者の感受性によるものである以上、美術体験の共有は不可能である
 【14】 美術館からその作品が本来成立した場に戻されない限り、作品の真の美を見極めることはできない
 【15】 鑑賞者が西洋美術への自己の姿勢を問い直すことに応じて、作品の姿も変貌していく

入学試験問題と私(二)

 上智大学の設問の立て方でおかしいと私が思ったのは、いうまでもなく問2の「反論をして下さい」である。寄せられたコメント欄の最初の四人の読者の反応も、この点がおかしいと皆が例外なく言っていて、取り違えはない。

 ある人は出題文の主張に対する解釈はいくつあっても成り立つが、はたして反論の形式でそれがたとえ一つでも成り立つものか、と疑問を呈している。反論に模範解答があり得るかとも言っている。

 ある人は大学側の「出題者の意図に反論して下さい」と解答欄に書くのが正答ではないかと茶々を入れ、また別の人は、自分が受験生なら出題文の内容は「全く正論、反論はない」と書いて上智大への入学を諦めるだろう、とまぜっ返している。

 大学の出題者は「確信犯的リベラル」で「質の悪い問題」だと、政治的肚を見抜いている人もいた。

 ということは国語の入試問題が思想調査に化けているという意味だろう。

 どういう思想調査をしているのか分らないが、上智大の受験生は昨春、同問題を前にして多分当惑しただろう。出題文に共鳴したか、少なくとも納得した受験生はなおのこと、何を書いてよいか分らなくなって呆然としたに違いない。

 私は不必要に受験生を迷わせる問題は良くないと考えている。能力や学力を知るうえでも役に立たない。

 次に掲げる日大の問題は平成10年度でやや古いが、私の旧著、第一エッセイ集『悲劇人の姿勢』(1971年新潮社刊)からの出題なので、『ヨーロッパの個人主義』と同じ私の若い時期の文章である。送られて来た問題用紙を見て少しうれしかった。あの本をまだ覚えている国語担当教官がいるのだと知って、それが意外でもあり、有難くもあったのである。

 取り上げられた短文「歌劇お蝶夫人」は筑摩書房の『ちくま』という広報誌(1969年12月号)に掲載された目立たぬ小文である。同文の前半の約半分の分量がこの入試問題に使用されている。このあと議論はまだまだつづくのである。

 出題内容も形式もきわめてオーソドックスで、奇をてらった処はない。正答を私は聞いていないが、私までが迷うような手のこんだ難問、不必要な落とし穴はつくられていないように思った。

 私は平明で、迷路のない出題内容が一番良いと考えている。しかしそれなら点差がつかないので、入試らしくないということになるのかもしれない。

 それにしても私自身がもう忘れてしまった30歳代の前半の自分の未熟な文章が入試に使われるのは何となく気羞しく、またそれでよいのだろうかとも考えることが多い。

日本大学平成10年

 《日本人の作品が外国の劇場で上演されることもときたまあると聞いていたが、私は二年間の滞独中に、そういう幸運に恵まれたことはなかった。ヨーロッパで日本および日本人を演じている舞台といえば、ポピュラーなのは、相も変わらず『お蝶夫人』なのである。

 その昔、これは長崎が舞台だというのに、背景画に富士山を描いたりして、ひどいちぐはぐがあったそうだが、私の見たハンブルクの舞台装飾はそれほどひどくはなかった。障子や畳のある座敷を舞台正面にしつらえ、窓から桜の花がみえ、(ア)丸木の橋、庭の稲荷など、たぶん版画や書物で得た知識から作られたのだろう。それなりに上手に、日本的情緒を出していた。尤(もっと)も、その「日本的」ということに過度にこだわり過ぎているように見えるのが、われわれの感覚にある程度は逆らうのだが、今はそこまでは問うまい。

 日本航空の外国支店の窓口によくある小型の石庭なども、大抵は日本人の工芸家の手になるのだろうが、それでも作られた日本以上のものとは言えないのである。それ以上のものをハンブルクのドイツ人舞台装置家に期待することは無理だろう、私はそう思った。しかし、幕が開いて、オペラが進行するにつれ、成程いままで気がつかなかったが、(1)「日本的」と呼ぶ以外にないようななにものかが矢張りたしかに実在するのだ、と納得した。というのは、装置も衣装もそんなに気にならないのに、いかんせん役者の動作だけはなんとしても気になって(イ)仕方がなかったからである。

 日本で人を呼ぶときよく手を叩くが、それはかなり間伸びした手の叩き方が普通であるのに、ところがお蝶夫人が女中のスズキを呼ぶとき、まるで拍手のようにパチパチと間断なく叩く。木魚を叩く場面もあるが、恰(あた)かもジャズドラムを打ち鳴らす具合に賑やかである。女性が立ったまま障子を閉める。子供が足を投げ出している。ピンカートンが障子にノックする。(これはまあ許されてよいかもしれない)しかし、三幕の最初のところで、お蝶夫人が座敷の真中に、立て肘(ひじ)で、腹を下にして、男がだらしないときによくするように横臥したりする。座敷に座ったり、立ったりする動作が不自然なのは仕方ないことかもしれない。日本の民衆を演じた合唱隊がどうかするとすぐ土下座をするのも、知らないための誇張かもしれない。

 しかし、一般に喜怒哀楽の表し方が狭い日本座敷という場にどうしてもそぐわない。これは芝居と違って、オペラであるから、ある程度大袈裟(おおげさ)な動作になるのも止むを得ないことなのではあるが、それにしても、あの時代の日本女性が畳の部屋を端から端へ猛然とつっ走ったり、憤りの余り女中のスズキを見るから乱暴に突き倒したりするだろうか?貞節を守って自刃する日本女性なら、その情熱は内に秘められた忍従への情熱なのであって、激情はわずかな動作から迸(ほとばし)るものでなければならないのであって……等々、私が勝手に考え出すこと自体が、すでに私が「日本的」というものを抽象化している証拠かもしれない。

 それにしても矢張りおかしい。なんとなき異和感はどうしても拭(ぬぐ)えない。日本人が演ずればいくらオペラでもこんな風にはなり得ないと思える部分は、舞台上の動作、振舞であって、装置や衣装に相当する部分ではないのである。これが [A] のオペラであることを十分に差し引いても、この舞台に欠けているものは、日本人ならうめることが可能なものばかりである。そしてその欠如に気がつくのも、やはり日本人だけであろう。装置や衣装という目に見える部分の「 [B] 」は、いくらでも輸入可能であり、訂正可能であるが、立居振舞までは、容易に再現できないものらしい。》

 尤も、オペラ歌手たちは日本人らしさを演じようなどという意図を初めからあまり持っていないに相違ない。オペラ歌手の所作などはもともと大雑把なものである。これを日本の新劇俳優が西洋人になり切ろうとしている(ウ)苦心と比較することはむろん出来ない。それにしても、西洋人が日本人を演じた舞台などは、ヨーロッパでは依然としてほかに容易に見られないから、これは私にはなかなか貴重な経験だったのである。

 ふだんドイツで、シラーやクライストの舞台を見ているときに、私は西洋人の演ずる西洋の舞台を見ているという事実をいつしか忘れてしまう。言葉の不便はいつまでもつき纏(まと)うが、そういうものだと諦らめる気持が出てくる頃には、芝居そのものの心が私を摑(つか)み、役者が何国人であるかなどは実際どうでもよくなってくる。尤も、ドイツ人の演ずるモリエールやクローデルなどは、ドイツ人の演ずるシラーやクライストの芝居以上にドイツ人臭さを感じさせるものである。これも私にはひとつの発見だった。おそらくフランス人が見れば、私以上にパリの舞台との相違をはっきりと感じとるだろう。だが、ドイツでは、フランス物をすでに(a)自家薬篭中のものにしているし、そのドイツ的上演はひとつの伝統にさえなっている。

 そして、そういう意味でなら、『お蝶夫人』のごとき娯楽オペラも各地ですでに何千回と上演され、私の見たあの舞台には、西洋の観客の趣味好尚に逆らうものはなにもないだろう。それだけに、(2)日本という写し紙にうつし出された西洋のこのグロテスクは、西洋人の行動のパターンがいかにわれわれの間尺に合わないものであるかを否応なく拡大して見せてくれた。そして日本人の行動様式や生活様式には、意外に独自なパターンが今なお確然と存在するのであって、われわれが悲観することはないほど生活の「型」というものはまだ生き残っているのかもしれないという思いに私を導いた。

 といっても、それは風俗や習慣のパターンであって、それだけではまだ文化と呼べるようなものではない。だがまた、風俗や習慣、すなわち立居振舞、動作、応待、交際、儀礼、そして他人の行動に対する心理反応に至るまである一定の様式が存在しないようなところに文化というものを想定することは出来ないだろう。そしてそういうわれわれの生の様式は、百年にわたる「西洋化」によって荒廃し切っていると考えられているが、ある種の無言の抵抗が(3)そこに働いていないとは言えないだろう。

(西尾幹二「歌劇お蝶夫人」)

問一 空欄 [A] ・ [B] に入れる言葉として文脈上最も適当なものを、次の1~4の中から一つずつ選び名さい。
【13】 [A] {1 当世風  2 玄人好み 3 大時代趣味 4 ハイカラ趣味
【14】 [B] {1 外国 2 仕草 3 粉飾 4 習熟

問二 波線(下線)部(ア)~(エ)の漢字のうち、読み方が〈湯桶読み)となっているのはどれか。次の1~4の中から一つ選びなさい。
【15】 1(ア)丸木  2(イ)仕方  3(ウ)苦心  4(エ)間尺

問三 二重傍線部(a)(青色)の意味として最も適当なものを、次の1~4の中から一つ選びなさい。
【16】 1 好意的に迎えられているもの。
    2 思うままに使いこなせるもの。
    3 すっかり馴染みになっているもの。
    4 効果が十分に浸透しているもの。

問四 傍線部(1)(赤色)を別の言葉に置き換えて説明するとどうなるか。文脈上最も適当なものを、次の1~4の中から選びなさい。
【17】 1 舞台装飾の工夫もあって異和感のない日本情緒がオペラの舞台に作られている。
    2 日本人にしか感受できない身体的振る舞いがオペラの舞台に欠けている。
    3 書物の知識を借りてでも日本の再現へのこだわりがオペラの舞台にはある。
    4 日本人が日本というものの核心と感じるようなものがオペラの舞台に現れている。

問五 傍線部(2)(赤色)はどういうことを言っているか。次の1~4の中から最も適当なものを一つ選びなさい。
【18】 1 西洋人が日本人を演ずる『お蝶夫人』の舞台に、日本人が強い異和感を感じること。
    2 ドイツの劇以上で上演中の『お蝶夫人』を見ると、日本人が西洋人を演ずるに通じる無骨さがあること。
    3 日本の伝統文化を鏡にしてオペラ『お蝶夫人』を見ると、西欧の粗放な感性が明らかになること。
    4 オペラ『お蝶夫人』を通して西欧人の異文化への関心の強さが、日本人には強く感得できること。

問六 傍線部(3)(赤色)の意味するものは何か。次の1~4の中から最も適当なものを一つ選びなさい。
【19】 1 私たちの生活文化に生じた大きな変化。
    2 私たちの精神的基層に残っている生活様式の発想と型。
    3 西洋文化を受容しつつ歩んで来た日本の近代。
    4 西洋化による不均衡の中で生じた私たちの生の病理。

問七 問題文の主旨に合致するものを、次の1~4の中から一つ選びなさい。
【20】 1 ヨーロッパの国同志での交流に異和感がないほどには、ヨーロッパの日本への理解が届いていない。
    2 過去百年にわたり西洋化した結果、模倣の域を脱したところまで日本の近代化が進んでいる。
    3 日本人の生活様式に根ざした振舞いや所作は、ヨーロッパ人には所詮(しょせん)演じきれないものである。
    4 西洋にとって日本がまだ遠い存在である分だけ、日本を演じたオペラは日本人である私には異様に映る。

注:段落は適宜変えています。
  また、試験問題の傍線部など色で変えました。

入学試験問題と私(一)

 入試シーズンが近づいている。私の文章もしばしば入試問題に使われる。これは名誉なことなのか、不名誉なことなのか分らない。オヤと不審に思う使われ方もあるからである。

 内容の一部に手を加えて使われても、入試問題に限っては、多分法律できまっているのだと思うが、何も文句が言えない。出題したことを私に伝えてくるケースもあれば、何も言ってこないこともある。何年かして入試問題収録集を出版する会社から知らされて、初めて出題されていたことを知る場合もある。

 入試に使用したことを感謝してお礼にお菓子を送ってきた大学もあったが、最近はそういう例も少くなった。農学部で製造したスパゲティソースの缶詰を謝礼だといってドンと大量に送ってきた大学もあって、そういうのは微笑ましい。

 私の本で出題例が一番多いのは『ヨーロッパの個人主義』からである。1969年刊の処女作で、何回使われたか調べることもできないほどに多く、ほとんどあらゆるページが利用されたのではないかと思うくらいである。

 二、三年前に国立法科大学院の第一回の試験問題に採用されてからは、各種の問題集やテキスト集への収録がまた数を増した。これは一般の出版物だから必ずそのつど2000円か3000円かの使用料が支払われる。

 しかし、愕然とした出題例もなかにはある。出題者の常識をちょっと疑わざるを得ないというのは平成16年度の上智大学のケースである。

 読者の皆さんはどう思うか、ここに問題をその侭ご紹介する。

上智大学(2006年度)
入試種別:海外就学経験者入学試験(1月実施分)
学部学科:総合人間科学部 心理学科

1.以下の文章を読んで、各問に答えなさい。

 数年前、私は近所の小学校の運動会を見物していて不思議に思ったことがある。

 「駆けっこ」の競争で一等賞になった子供に賞品が与えられない。子供はなにか紙切れのようなものをもらって、それでお仕舞いである。不思議に思って、そばに立っている先生のひとりにわけを尋ねたら、賞品を出すと生まれつき足の遅い子供にかわいそうだから、あとで生徒全員にノート2冊の参加賞を与えるのだというのである。私はおかしくて、傍に人がいなかったらたぶん涙が出るほど笑ったことだろう。

 私自身、「生まれつき足の遅い子供」であった。運動会が嫌いで、いつも劣等感に歯を食いしばっていた思い出がある。私が敗戦を迎えたのは小学校四年だが、したがってそれまでは、運動のへたな子供は良い兵隊になれない子供とされ、どれほど惨めな、つらい思いをさせられたかわからない。だが、人間とはそうやってだんだんに育っていくものなのではないか。私とは逆に、運動会は大好きだが、学芸会や展覧会のときには隅のほうで小さくなっていなければならない子供もいる。

 こういうさまざまな経験をつんで、子供はしだいに自分の適性を知り、自分の能力の限界を知り、現実に耐える訓練をつんでいくのである。

 たとえ「平和で民主的な社会の担い手」を作るというのがいまの教育の徳目であっても、子供は国家間の「平和」のために具体的に何をしたらよいのかわかるわけがないし、「民主的」とはせいぜいホーム・ルームの話し合いぐらいの意味にしか理解できない。つまり、それは「忠君愛国」という抽象的な終身の徳目とたいした変わりはないのである。子供の生活とかけはなれた、上から与えられた抽象的な徳目であるという点では同じことだからである。

 だが、じっさいの子供の世界は、現実世界の縮図である。スポーツやけんかの能力が子供の世界に序列をつけている掟である。これは今も昔も変わらない。大人の世界よりもっと原始的な弱肉強食の法則が支配している。こういう子供の世界に対して、生まれつきの頭脳の差、体力の差、才能の差をことごとく抹殺したきれいごとのことばを並べたところで何の意味があるだろう。賢い子供ならそういう大人の甘やかしに虚偽を感じるだろう。だが、それほど賢くない子供は、学校社会という温室がそのまま現実の社会だと思いこんで、いかなる保護の手も差しのべられない現実社会に出たとき、困難をひとりで切り抜けていく忍耐力をもうもってはいないのである。そういう教育は洋裁店をやめてくにへ帰ってしまうような子供をふやすだけである。

 運動会に賞品を出さないとか、優等制度をやめるとか、先生と生徒は人格的に対等であるから友達のように接するべきだとか、受験競争は子供の精神を歪める社会悪であるとか、こうした一連の戦後教育家の、子供に被害妄想を与えまいとまるではれ物にさわるような気の遣い方は、それ自体、教師の被害妄想のあらわれでしかない。その結果、先生は自信を失い、子供は気力を失う。なんの得るところもない。

 毎月三月になると「受験地獄」のことが飽きもせずにジャーナリズムの話題になるが、競争をまるで悪であるかのように書き立てていることは大きな間違いである。試験の内容や制度に問題はあるにしても、競争それ自体はけっして悪ではない。むしろ門閥や権閥が崩壊して、社会階層の平均化が進めば進むほど、「試験」への必要度はましてくるし、戦後の大学や高校への競争の激化が、民主主義観念の普及のせいであることは明瞭であろう。民主主義が進めば進むほど、競争は激化する。どんな世界にも指導する人間と指導される人間との区別が存在する。階級差がなくなり、人間が平均化すればするほど、エリート養成法としてもっとも安易で人工的な「試験」への要求度が高まるからである。一部の民主教育理論家がいうように、試験によって人間の能力を判定している価値観は、人格に格差をつけようとする思想の反映である、などという理屈はまるで民主主義の正体がわかっていない。民主主義というものは、どこかで、いつか、「完成」するものだという思いつめた信仰があるからである。愛の原理だから完成すると思っている。とんでもない思い違いである。

(西尾幹二「ヨーロッパの個人主義」講談社現代新書1969年より)

問1 この筆者が主張したいことを要約して下さい(300字以内)。
問2 この筆者の主張に反論して下さい(800字以内)。

ネットの憂鬱 (二)

この「日録」には「応援掲示板」というものが附属サイトのような形で併設されている。「日録」は管理人が交替して、それを前後に、前期と後期に分れている。前期にも読者からの受信を受けつける感想掲示板があった。
 
 後期の感想板は前期に比べて制約が少なく、自由度が増しているが、書きこまれる感想文のレベルが高くなったとはお世辞にもいえない。
 
 管理人は一生懸命、ルールを確立し、秩序をつくろうとしているが、間違いなくレベルダウンは起こっている。管理人の誠実な対応、一途な努力とはあくまで別である。

 短文の応酬が多く、以前にあったじっくり腰を据えた論考が少なくなっている。そこへノイズが入ってくる。

 「日録」はたしかに曲り角にきていると思われるので、今日はそのことを書いてみたい。昨日次のような文章が「応援掲示板」に出ていた。

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2270 掲示板について
天下の無法松 2004/08/30 22:29

掲示板に書き込みながら、このようなことを書くのは矛盾していると思われるでしょうが、真面目なサイトには掲示板は設置しない方がよいかと思います。なぜならば、掲示板は必ず荒らされるもので、そのことによってサイトの作成者の信用度を落とすからです。メールを受け付けるのは必要でしょうが、掲示板を荒らす人間はその自分の意見を陳述することによってそのサイトの信用度を落とすことが目的ですから、できましたら、掲示板は最初からしない方が良かったのではないかと思います。今のインターネット世界は性善説から性悪説に基づくものに変化してしまっているからです。現在のインターネット世界では冷静な意見の交流などいう悠長なことは絶対に期待できません。

===================
 
 ここで述べられていることが私には正論だと思われる。できれば今からでもこのようにしたい。「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」というのがあり、私は愛読しているが、宮崎氏は発信するだけで自由受信を受け付けない。たまに「読者の声」がのせられるが、届いたメイルの中から宮崎氏が選んで、気に入ったものだけ掲示し、一寸でも不愉快に思われるものはすべて廃棄して、載せないらしい。
 
 だから彼の「読者の声」には宮崎氏を見下すようなもの言いや、宮崎氏への反発から書いた文章や、無遠慮な礼を欠く文面はひとつもない。読者の文章も、誤記や間違いを彼が直してのせるらしい。編集権が自分にあるからである。

 多分これが理想的形態だろう。サイトの原作者の「安全保障」がまず何よりも大切だ、という考えがこの形態の基礎にある。

 今回の「空白の十分間」をめぐるノイズのことだけを言っているのではない。従来礼儀正しいもの言いをしてきた「日録」の常連さんが、突然私に向かって高飛車な口のきき方をし始め、戸惑うケースにもたびたび会う。匿名ないしハンドルネームだから起こる唐突な関係破壊である。

 そのたびに私は瞬間ギュッとし、ほんの数秒だが心が乱れる。過日のような表立ったデタラメな罵詈雑言よりも、信頼していた常連さんの変貌ぶりのほうが心に響く。そして、たびたび起こるとストレスになる。

 そんなわけで発信中心の宮崎式にしてしまいたいという思う気持ちは私には強い。
 
 しかし宮崎氏にそれが出来、私に出来ないのは、タイピングを自ら私がしていないこと、管理人に全権を委任していることにある。
 
 そして、今ひそかに恐れていたことが起こりつつある。管理人の長谷川さんと私との間で、インターネットに関する考え方の相違が次第にはっきりし始めていることである。長谷川さんは翔さんという人に応じて、同じ30日に次のように書いている。

=================

>翔さん
いらっしゃいませ。
そうですね、ネットからこの匿名性がなくなったら
ネットの意味がなくなると私も思います。

今まで世の中のうるさいもの、恐いものにおびえ
本音が口に出せなかった人々に、発言の場が与えられた。
だからこそ、マスコミを批判も出来るし、
情報が自由に飛び交うことが出来るようになりました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

===================
 
 上記の考えは長谷川さんがいつも仰言ってきたことで、私にも格別耳新しい言葉ではない。けれども今あえて私から言わせてもらうなら、私が「日録」をつづけ、自分の思想を発信しているのは、「本音が口に出せなかった人々に、発信の場を与え」、彼らが「マスコミを批判し」「情報が自由に飛び交うようにする」ためではない。そんなことは私には関係がない。そういうことは何処か別の場所でやってほしい。
 
 長谷川さんのこの考え方の中には、私の「安全保障」という見地が欠けている。最近明らかになったのは、「日録」の周辺の書き込みがやや2チャンネル化し始めていることである。ルール無き無法地帯に少し似てきている。
 
 長谷川さんはそこにもルールがあると思っている。そもそもインターネットにルールがあると信じている方である。そしてそのルールを私に守らせようとしているが、これは少し違うのではないか。悪貨が良貨を駆逐する混沌がほの見えている。管理人がいっさい削除しないでいると、弱腰につけ入れられ、振り回される恐れがある。異質なものは取捨選択して別の板に移動するだけでなく、頭からはねてしまう必要もときにあるのではないか。
 
 ただそのような管理方式のことは長谷川さんの常識にお任せしているのだから、私からとやかく言える義理ではない。やりいいようにやっていただくしかないのだが、私は匿名の無法者の、自分から先に予断で私を誹謗しておきながら、私の一般への呼びかけに予断があるといってバカ騒ぎするたぐいのしつこい論難は読みたくもないし、許容する気もない。
 
 私がかつてどんどん削除したらいいというと、長谷川さんは書き込みを削除することは「負ける」ことだと仰言った。ここにインターネットに対する思い入れの度合の違い、価値観の違いが現れている。いったい何に「負ける」というのであろう。

 最初に引用した「天下の無法松」さんの仰言った、掲示板を荒らす人間はその自分の意見を陳述することによってそのサイトの信用度を落とすことが目的」だという観察のほうがはるかに正しいのではないか。

 私は前から言っていることを繰返すが、匿名者の私への批判や批評はここではいっさい認めない。日本の社会や文明や私以外の者を批判するときはここでの匿名が許されてもいいと思う。

 けれどもここは「西尾幹二応援板」と銘うっている以上、私に対する匿名の暴論、非難、誹謗の類はあるべきではない。もしどうしても私を批判したい、批評したいという人の強い動機は認める。そういう場合には、覆面をぬいで、実名を出し、職業、地位、身分、勤務先等を公開して、そのうえで堂々と私を批判してほしい。勤務先が必要なのは虚偽報告を防ぐためである。その場合にはComments欄を使ってもいいし、応援掲示板に遠慮なく書いていただいてもいい。

 匿名で書く者の自由はあっていいが、制限される。外の社会を批判するのは自由だが、この板で匿名のままに私を傷つけようとする者は趣旨に反し、資格停止であり、私は許容しない。さもないと受信の掲示板を設けること自体が間違いということになろう。

 何度もいうが、匿名でないなら批判者は対等であり、自由である

ネットの憂鬱  (一)

 日朝会談の「空白の十分間」について、最初に言い出した中西氏のテレビの日付がはっきりしなかったので、私が「緊急公告」という形で広く情報を募った。その結果、6月17日の日付のヒントを与えてくださった人がいて、われわれが「密談」のキーワードで引いて、時間帯を当て、3分20秒のテレビの録画が入手できた。そこから出所が日刊ゲンダイであると判明し、オリジナルの原文も手に入った。日刊ゲンダイの原文は「緊急公告」(四)に全文掲載されている。

 ひょっとするとこれ以外の活字もテレビ番組も他にあったのかもしれない。中西さんが見たのと同じものかどうかも分らない。東京と京都はそれなりの距離があるので、時機がこないと確認できない。

 私が実行するのはここまでで、この結果から新たに何かを引き出すのはマスコミと公安警察の仕事である、とも私は記した。本当に私は、事情が特に変わらない限り、ここで終るのである。

 つまり私は「空白の十分間」の実在についても、密談があった可能性についても、あり得ることと疑ってはいるが、必ずあったと断定はしていない。断定するにはまだ材料が少し不足である。得られた情報を私は尊重するが、過大評価はしていない。そういう書き方をしている。

 私は単に材料を提供したにすぎない。「吉之助」さんという方が応援掲示板次に次のように書いて下さったのが私の今の気持ちに近い。

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今回の「空白の10分間」問題に関して、西尾先生が如何わしい「日刊ゲンダイ」をソースに用いていることを心配されている方が少なからずいる。もちろん、ぼくはまったく心配していない。他にまともなソースがないのだから仕方がないと思うのである。後でもっと信頼できるソースが出てくるようなことがあれば、それをまた利用すればよいのである。「日刊ゲンダイ」を基にすることはマイナスのイメージを与えるだろうけれども、「空白の10分間」に対して国民の注意を喚起するためには止むを得ないのではないかと思う。

研究はなんでもガラクタのような素材から始まる。その中から本質を抉り出したり、それをスタートに波紋を広げていけばよいのである。

「サヨク」だとか「ウヨク」のレッテル貼りを恐れている人の気がしれない。レッテルを貼ることくらい、誰だって、機械にだって出来る。レッテル貼りしかできない人、世間の評判を気にしているような人は軽蔑しておけばよいのである。

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 まったく同感である。しかるに日刊ゲンダイを用いて、首相を批判するのは左翼と同じだとか、西尾が予断を持って猜疑するやり方はありもしない従軍慰安婦をプロパガンダした反日派の手法とそっくりだとか、妙なことを言い出す人がわっと出てきて、私は大変に当惑している。何を言われているのかさっぱり分らないのだ。これについては、同じく応援掲示板の2210番「もう一度こちらに再掲します」で「無頼教師」さんが懇切に、論理的に説諭しているので、そちらをお読みいただきたい。

 勿論、事柄の初めに小泉首相への疑惑がある。日朝再訪を境に朝鮮総聨に接近し、北朝鮮への土下座外交の度合いを高めた首相の態度急変への心配がある。この心配は多くの人が共有している。そこから「空白の十分間」への猜疑が生じたのであって、なにもないところに批判的感情が起こったのではない。これは全体状況からきていることで、やむを得ない。

 それでも私は「空白の十分間」の実在と密談の可能性を決して断定していない。私は慎重に扱った。しかるにネット上ではこの対応が分らない人がどっと出現した。まるで地下から急にわき上がったかのごとく、文章の体をなさないヒステリックな、人を小馬鹿にした高飛車なもの言いがあふれ、Comments欄の書きこみ欄を閉じてもなおTrack Backに書きこみはつづき、応援掲示板に氾濫し、この掲示板の正常な運営を不可能にし、管理人は急遽、論争用のトコトン板という新造の舞台を提供したほどである。

 私はそうまでして受信の努力をする必要はないのではないかと考えている。言論人のホームページはだいたい発信のみである。一方通行である。書きこみ者からの受信をここまで尊重する管理人は当「日録」以外には見出しがたいのではないかと思う。

 今後どうすべきかは管理人の裁量に委ねられているが、私は実名を隠蔽して無遠慮な言葉遣いが礼を欠いた書き込みを次々と乱発するひとびとに、現代のある病理を見る思いがして、これは一体何だろうかと訝しんでいた。ゲバ棒学生が覆面で街頭デモをした35年前の光景を思い浮かべた。すると面白いことに、次のような絶妙な分析をなさる人も現れた。

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2213 くだらない意見は無視しましょう abc 2004/08/29 00:14
男性 会社員 43歳 O型 広島県
 ソースロンダリングとか右とか左たかそんなに大事な事ですか?
本当に大事なのは「空白の10分間」の「事実性の検証」であり、それを前提とした小泉首相の「売国奴体質の検証」なのではないですか?
くだらない事に時間を費やすのは止めましょう。以下トラックバックよりコピペ

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2004-08-27
よくわかりました
私は小泉首相にも空白の十分間にも基本的に興味はありませんが、今回日録で一般に情報を募った経緯はよくわかりました。
一言でいうと、インターネットの良さと悪さが両方出た一件だと思います。

現在のインターネットは匿名かつ無料での利用が基本になっていて、こうなると、専門的知識のある方や地位のある方はなかなか積極的に参加するというわけにはいきません。名前があるというだけで
卑怯な不満分子たちから標的にされ、対価もえられないわけですから。
一方で、インターネットは専門的知識を必要としない、しかし見つけにくい情報を得るには非常に便利ですね。

たとえば、このような品物はどこで売っているかとか、こんなソフトフェアはないかといった程度の小耳情報、つまり金銭的には無価値だが、誰にきけばよいかわからないような情報は、テーマ別掲示板などで尋ねるとたちどころに分かります。

日録での「空白の十分間」についての協力要請も、最初は愚にもつかない書き込みばかりだったのでダメかと思いましたが、結局は2、3日中に番組名や元記事の簡単な内容までわかったわけですから、うまくいった方だと思います。しかし、同時に、ふだんはここには書き込まないようなネット空間の病人のような人たちをも引き付けてしまいました。

この人たちは、現在インターネットを一番利用していると同時に一番大きな問題ともなっている、ひきこもり系のネット中毒者たちです。
彼らの多くは、職場に適応できなかったり、学校を放棄してしまったり、あるいは精神的に病んでいるような社会的不適応者です。残念ながら、
現在のインターネット上の匿名掲示板はこの種のひきこもり系の人たちによって、その80%が書き込まれています。
彼らにとっては、ネットはボロボロになった自尊心をバーチャルに癒す空想界であると同時に、外の世界、現実世界とつながりを維持するための唯一のパイプでもありますから、そこへの傾倒の仕方は尋常ではありません。

日録にしろ、他のまじめ系サイトにしろ、大半の閲覧者は識者の見解をただ有難く傾聴しているだけで、なかなか書き込むところまではいかないものです。(私ももう1年以上日録を見ていますが、先日
書き込んだのが最初です)しかし、ひきこもり系利用者にとっては、もともと失うものがないですし、することもなく1日中どこか相手をしてくれるところを探して、書き続け、垂れ流し続けているわけですから、どうしても、掲示板の類いはこの種のチャット的、意味のない会話やつぶやきで占められることになってしまいます。

今回は、問題となる番組の情報が得られたまではよかったのですが、小泉首相に関するテレビ報道という誰でも書き込みやすい話題だったため、見識もなにもないネット中毒者たちの書き込みが普段にまして多かった。ここで、西尾先生が、このひきこもり系たちの病理的な異常さを政治的な意図をもった異常さと読みちがえてしまったのがまずかったですね。あるいは、そういう風にミスリードした「自称
ネットの事情通」の方にも問題があります。

上記の人たちは、現実界での復讐戦を誓っているわけですし、もともと人格的にも問題がありますから、一人でなりすまして何人分の記事を書くなど朝飯前です。掲示板でAの意見に、賛成者80反対者30と見えても、実際に書き込んでいる人の数は賛成2反対20だったりするのはごく普通のことです。このネットの弊害はどこでも問題となっていて、なんとかこれを除去する方法がないか思案されていますが、技術的な工夫を必要とするので、まだ手軽な妙案はないようです。

ひきこもり系のネットお宅たちにとっては、自分たちのクズ言説の山が、高名な知識人である西尾先生の反応、これは負であれ正であれ彼らにはいっしょです、を引き寄せたわけですから、狂喜乱舞の有り様です。
彼らは、実生活では誰にも相手にされず、生まれてこの方、えらい人とは1度も口を効いたことがないわけですから、この喜びようが尋常でないのはある程度理解できます。しばらくは彼らの興奮が、ここにも汚い罵倒となって表われるでしょうが、これも可哀想な人たちへのお年玉だったとして甘受するしかないでしょう。

以上、いわずもがなのことだったかもしれませんが、日録を閲覧している普通の利用者には、一般人でblogを作り、なんの内容もない日記を公開するという自己満足をやっている人が少ない、したがって通常の利用者によるトラックバックが付きにくい、たたただ中毒者の汚い煽りだけが貼付けられるというのは、わかってはいても先生も気持が悪いだろうと思い、書かせていただきました。応援掲示板のトラックバック版ということで。
この件はこのまま無視して、もう差し支えないでしょう。
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 フーム、そうか、成程と私はなんとなく得心がいった。圧倒する奇妙な小泉擁護の書き込みを、私がある人のヒントもあって、政治的マニピュレーションと思ったのが間違いだったのかもしれない。勿論、小泉サイドからの揺さぶりという疑念をまだ捨て切れてはいないが、この異様な雰囲気の全体は、上記の引用文の言う通り、政治的対象ではなく、病理的対象であると考える方がずっと分り易いのかもしれない。

 インターネットの裏の世界がどういうものかを考える切っ掛けにはなった。「日録」の管理人はこういう目に合ってもまだけなげに、彼らと対話が出来ると信じ、正常なルールを彼らに守らせることができると思い、むしろこの世界のルール――そんなものはないように見えるが――に自分を一生懸命合わせようと努力している。

 それがうまく行くのかどうかはしばらく様子を見守るしかない。

脱字修正(13:02)

緊急公告 (四)

 最初にご報告するのは荒間さんの一文である。荒間さんは私のこの「日録」の最初の総合管理人で、当サイトを熱心に、堅実に運営して下さった方である。

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題:空白の時間は確実に存在した   /氏名:荒間宗太郎 /日:2004/08/23(Mon)
18:33 No.1112

夢空廊漫遊

2004年08月21日

トップ怪談
日朝トップ怪談に関して、今回は例外が多いと思う。
一つは国交のない首脳同士の会談が一方の国を舞台に、つまり我が国の首相が二度も訪問すること自体が例外的なこと。
さらに、二度目の今回は二人っきりの会談が設けられていたらしいという漏れ情報が伝わってきたこと。中曽根首相の時代にロンヤス会談としてつとに有名な「二人っきりの会談」は誇らしげにキチンと公表されていたし、それ以外の首相の時も同様だっ
た。もちろん会談の中身自体は公表されない場合が多いが、会談自体がなかったかのごときに隠蔽されることはなかった。
今回だけは何もなかったかのごときにされている、そこがおかしなところだ。当時現場で取材しているはずのどのメディアも何もなかったかのごときに扱っている。それにしては当時の会談終了の際の混乱はなんだったのだろう。メディアにより会談の終
了時間の確認がそれぞれ異なっていて、だいぶ経ってから「公式発表」により会談終了が決定された。そして会談は一時間ちょいと言うことになっている。テーブルを挟んでの日本側と相手側との会談に時間記録さえしていなかったのか?
最後に二人の首脳同士の会談があり、それの終了時間が確認され得なかったからの混乱だとフツーは推測するんだがなぁ。なぜなら、その場面でなら時間記録をする者が同席していないのだから会談時間を計れないから。通常の会談では会談内容を記録す
る者以外に時間計測をする者も同席する(兼ねている場合も多い)というのが定石だろう、その程度の事は誰にでも判るはずなんだがなあ。
何年何月何日何時に始まり何時に終わったという記録のない会談記録では意味を成さないのは外務省以外の省庁では常識です。

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 これは思いがけない視点であった。全体をじっと冷静に見ている人だから、何かがあると直観したのであろう。新聞に書いてあることだけにしか目がいかないのが常なのに、書かれていないことに目が行く――これは秀でた歴史家が資料を調べるときにいつも意識している態度である。凡庸な歴史家は文献にとらわれ、文字面にこだわる。文字に書かれていない外を見ようとしない。荒間さんは複眼で見ている。

 会談終結時間の記録がないのはあの日の慌てぶりを示している。そして「空白の十分間」の実在を暗示している。

 次に日刊ゲンダイの実物が手に入った。大隈誠治という政治ジャーナリストの署名記事であった。(上)(下)に分かれている。「中西輝政非公認ファンサイト」から転載する。

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北朝鮮亡国土下座外交の真相 上 発覚!!小泉金正日 10分間の怪しい密談

 小泉首相の訪朝から1ヶ月弱-。案の定、曽我ひとみさん問題は進展ゼロだ。
 金正日の忍び笑いが聞こえてきそうだが、そんななか、小泉-金正日の、”怪しい密約説”がささやかれている。たった1時間半で終わった首脳会談に、”10分間ものサシの密談”があったというのだ。

 官邸事情通が言う。
 「首脳会談が終わった直後、外務省の藪中局長から官邸の細田官房長官に報告の電話がかかってきた。藪中局長が首脳会談があっさり打ち切られたことを告げると、細田は顔色を変えて『何だって!君たちは一体何をやっていたんだ』と激高した。これに対し、藪中局長は『最後は私たちも外された。総理と総書記の密談になってしまったんです。』と言い訳していました。」

 新聞は全く報じていないが、首脳会談の金正日総書記と小泉総理は通訳だけを介して向き合っていたのである。一体、何が話し合われたのか。

 「小泉首相は首脳会談の冒頭で、食糧、医薬品支援を約束し、経済制裁を発動しないことも表明した。最初にカードを切ってしまったものだから、あとは終始金正日ペースでした。安否不明の10人の拉致被害者についても『解決済み』という金正日総書記に対して、小泉総理が必死に食い下がり、再調査の口約束を引き出したのが精いっぱい。さっさと席を立とうとする金正日を押しとどめて、密談になったのです。そんなムードだから、密談の中味は想像に難くない。小泉は外務省高官に聞かれたくない譲歩や支援のカードを切ったんでしょう」(外務省事情通)

 金正日が欲していた経済援助は1500億円規模だったとされる。金正日は政府間交渉の段階から援助の無心を繰り返していた。食糧支援は当初15万トンの予定だったが、小泉の指示で急きょ、10万トン上積みされた。しかし、それでも1500億円には程遠い。その穴埋めの話だったのか。

 北朝鮮の経済支援のために在日商工人による経済ミッション派遣構想もささやかれている。

 亡国の土下座外交だったことが次第に明らかになりつつある。

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 細田氏と薮中氏との対話のような内容は、つくり話では書けない。会談が終って金正日を送りだした小泉首相の放心したような顔が思い出される。よほどの無理難題を吹きかけられた直後だったのだと思う。無理難題を日本が解決しない限り、10人の安否情報は出てこないだろう。「解決スミ」と相手は言っているのだから。

 人をさらっておいて、情報を小出しに出して、そのつど援助を求め、援助額を次第に釣り上げていく。謀略家には方法論があるのに、最初から交渉をしないで、交渉のカードを捨ててしまったわが首相には、なんの方策もない。頭を垂れて、どだい無理な要求を黙って聞くしかなかったのだろう。あるいはそれ以上の、なにかほかのわが国に致命的な密約もあったかもしれない。

 次はつづきの(下)をお読みいただきたい。

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北朝鮮亡国土下座外交の真相 下曽我さん一家仰天再会シナリオ

 曽我ひとみさんと家族の面会場所はスッタモンダの末、インドネシアのバリ島で落ち着きそうだ。政府は二女の誕生日である7月23日までの会談実現を目指し、その後一家は長期滞在し、事態の打開策を探ることになる。

 しかし、小泉首相が再訪朝を焦らなければ、「曽我問題」はとっくに解決していたかもしれない。自民党関係者がこんな内幕を暴露する。

 「外務官僚の一部はカンカンでしょうね。というのも、当初、小泉再訪朝は6月中旬の予定で、曽我さん問題でもウルトラCの解決策を練っていたのです。まず、外務省が米側と交渉、ジェンキンス問題での裏決着を取り付ける。その上で、曽我さん一家をスイスで会わせ、その後、ジェンキンス氏をドイツに移送。同国内の米軍基地には軍判事が常駐しており、そこで軍事法廷にかけ、病気を理由に即釈放させるというシナリオです。米側がこれを了承したかどうかは今となっては分からないが、このプランを詰め切れないうちに、自身の年金問題に焦った首相が再訪朝前倒しをしてしまった。それで予定は狂ってしまったんです。」

 再訪朝前倒しが動き出したのは5月14日だ。夜もまだ明けぬ午前3時過ぎに北朝鮮から「訪朝受け入れ」の連絡が入った。喜び勇んだ飯島勲秘書官は、細田官房長官に電話で政府専用機の用意を迫る。「いきなり無理だ」と渋る細田に飯島が「訪朝の前倒し」を告げると「そんなことは聞いてないぞ」と仰天したという。

 飯島がかくも訪朝を急いだのは、翌週の週刊誌に小泉の年金未納問題が報じられることが分かっていたからだ。つまり、再訪朝は疑惑隠しだった。別の政界関係者は述懐する。
 「官邸が気にしていたのは総理の国民年金未納問題だけではない。実は勤務実態のない企業に厚生年金を肩代わりさせていた問題の方がはるかに深刻だった。似たような議員が党内には大勢いるからね。これは形を変えた献金だ。うっかりミスでは済まない。幽霊社員の問題に火がつけば、内閣が持たないと官邸は再訪朝を焦ったんだ」

 再訪朝の結果を見たある外務官僚は「外交ルートを無視したんだ。あとは小泉と飯島が勝手にやればいい」と吐き捨てた。外交を疑惑隠しに利用し、悪びれもしない亡国首相は断罪されてしかるべきだ。

(政治ジャーナリスト・大隈誠治)日刊ゲンダイ6月18日・19日の記事より

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 日刊ゲンダイはもともと左のジャーナリズムである。最初にここに漏れたのが、情報が拡大しなかった原因かもしれない。保守系のマスコミは日刊ゲンダイをひごろ信用せず、採用したがらないからだ。他方、左翼系のマスコミは、朝鮮総連に不利になるこのネタは広げたくない。小泉首相の総連への梃入れを守っていきたいのが、テレビ朝日を含む左の論調であった。田原聡一郎氏が小泉首相の北との交渉を賞賛し、弁解にこれつとめたのは記憶に新しい。

 産経新聞が出所は日刊ゲンダイだからといってバカにせずに、いち早く真面目に追及していたら、事態は多分変わっていただろう。

 情報は日刊ゲンダイ以外にあったのかもしれない。

 私と「中西輝政非公認ファンサイト」のこの協同の追及劇は、すでに明らかにしてきた通り、次のような手順を踏んだ。

1)中西氏がテレビ朝日24日、25日、26日のいずれかのテレビ朝日昼のニュース番組と教えてくれたので、この3日間の約4時間30分を、テレビ局から独立した録画保存会社から買い取った。代価は5万8590円であった。保存は約3ヶ月だそうで、5月末はぎりぎりだった。テレビ会社は、一般視聴者には原則として自局の過去録を提供しない。

2)4時間30分に当該内容は存在しなかった。中西氏の日付の記憶違いであったとわかった。人間にはよく起こる間違いである。

3)そこで、調査する日付を一日さかのぼって23日からとし、NHKと在京主要民放の報道番組を全てピックアップして、見出し調査を依頼した。しかし中西さんの記憶にあう内容は見いだされなかった。

4)日付の範囲を試みにさらに広げて、23日から29日までとし、同様にNHKと在京主要民放の報道番組の内容・見出しの検索を依頼した。キーワードは、小泉と拉致であった。しかし、これをしても当該内容は見つらなかった。3)4)の調査は合わせて2万1千円を要した。

5)そこで当「日録」の「緊急公告」(一)で広い範囲に呼びかけて、何か覚えている人がいないかを尋ねることにした。その結果、6月17日という日付とワイドスクランブルという番組名が明確になった。

6)再び録画保存会社に問い合わせ、6月17日のワイドスクランブルに検索対象を特定し、「密談」をキーワードに検索を依頼したところ、11時25分から13時05分の中の3分20秒「日朝首脳会談 10分間の怪しい密談が発覚!?」がついに発見された。早速3分20秒のビデオを取り寄せた。これは調査料とビデオ代金で合わせて1万2705円を要した。

7)ビデオが夕刊の内容紹介であることも分かり、日刊ゲンダイが出所であると判明した。かくて日刊ゲンダイ社におもむき、6月18日付、19日付(発売は17・18日)の新聞のオリジナルを購入した。

 以上の通り、大変に時間と人手と経費のかかる作業であった。関係各位の努力に感謝する。

 私の「応援掲示板」を見ると、この手続きにまだ疑問を持ってごたごた言っている人がいるので、以上順序を追ってできるだけ詳しく明らかにした。個人が近い過去のテレビの記録を手に入れようとしても、闇夜に落とした貨幣を拾うごとく容易ならざる作業であることも人はわからないのであろうか。素人がやればこれが精一杯である。我々はここまで明らかにしたので、ここから先はマスコミと公安警察の仕事である。

 近く出る『正論』10月号の拙文もご一読たまわりたい。 

誤字修正(10/23)