前橋講演における皇室問題への言及(三)

女性天皇について

 ところがここにきて面倒な問題が沸き起こっております。実は専門の法律学者が主に発言すべき問題かと思っておりますが、皇位継承を考えるための懇談会というのが開かれました。第一回の会議も行われたようでございますが、私の知るかぎりでは専門知識を持つ人は一人しか入っていないように思います。

 そして、「女性天皇を認めよう」という簡単な答えで決着をつけようという官僚サイドの意図が、あるいはまた小泉首相の意図が最初から見え見えであるという粗略な印象を抱いております。小泉さんは最初から思い込みの強い方で、北朝鮮との国交回復、郵政民営化、もう決めたらワンパターンのアイデアにこだわる人であります。しかもスタートを成すとき、起点を成す問題点にそれほど深い考察を加えておられるようにみえない。知識も持っておられない。 

 皇室の問題を素人ばかりの集団で、かのジェンダーフリーの専門家が一人入っているような懇談会で、官僚やその他の世界で功なり名遂げた方であるかもしれないけど、歴史のことはほとんど知らない方々を集めて押し切ってしまっていい問題だろうかと思います。時間も足りないのじゃないかと不安を抱いています。9月までに答えを出すなんていうのは拙速です。3回か4回の会議で答えを出して、それで来年法律を作って決めるなんというので果していいのだろうかと不安を抱かざるを得ません。

 その理由は、万世一系の天皇の系譜を維持するには男系でなくてはならないという原則です。それはみなさん、新聞で論じられていますからお耳にしていると思うわけですが、女性を天皇にするということと、女系、女性の系列を皇統にするということとは別のことです。

 過去にわが国には8人、10代の女帝がございました。古代史に6人、江戸時代に2人。その女帝の方々のお子様が帝位につく、すなわち皇統を継承した例は一つもないのです。夫君である天皇と死別したお后が、自分の子供、あるいは皇子が、あるいは甥が、大きくなって帝を継ぐまでの中継ぎ役として女性天皇があったというのが現実でございまして、女性天皇がヨーロッパの王室と比較してこうだとか、男女平等の時代になったからこうだとか、という風なことをいって、歴史の事実を覆していいのだろうかという疑問を強く抱かざるを得ません。

 その心配は強く国民の中の歴史を知る人、保守系の皇統を尊重する人々の中から今澎湃と沸き起こっております。私だけでなく多くの人がそういう声を上げておりまして、何とかして男系に戻さなくてはいけないのではないか、と。

 ご承知のように戦後GHQが11宮家を廃絶してしまいまして、以来、今の天皇家の直系だけが宮家に残っているということでございます。他の系列の宮家を復活して将来に備える必要はないのだろうかと、そう正論を唱える人は少なくないのでありますが、しかし私自身はすべては遅すぎるのではないかという不安も強く抱いているのでございます。

 と申しますのは、それでは女帝ではなぜいけないのか?女帝ではいいのですけども、女系ではなぜいけないのか?今まで女帝は先ほども言ったように何人もおられる訳ですけども、大体女帝でご結婚されている方はおられないのですよ。女帝はみな寡婦であるか、生涯独身であるかのいずれかでした。すでに夫が、まあ天武天皇と持統天皇の関係とかですねぇ、夫が亡くなられた後、継いだケースはもちろんあるのですけれど、それであってもあと独身で通されている。

 ですから、今もし愛子様が天皇を引き受けて、そして相手になる男性の人が何十年か後に選ばれたとしても、その方をお呼びする呼び名が日本の歴史の中にないのです。男性の、つまり女帝のお相手というのが今までないのですから、その方の呼称がないのです。そのことも我々が考えてみなくてはならない問題だろうと思います。

 つまり、すべての女帝は中継ぎ役であって、宮家から男性の、皇統の男系の方を内親王と結婚させて、そして次の天皇を生み出す。それまでの中継ぎとしての女性天皇、時間稼ぎの、それが江戸時代もそうでございます。

 あるいは、何世代か前の別系列の天皇の血筋を引き継がせる。江戸時代における最後のケースは光格天皇という天皇ですが、この天皇の系譜がまっすぐ今の昭和天皇まで続いているということになっております。

前橋講演における皇室問題への言及(二)

強い危機感を抱く

 「国家解体をどう阻止するか」といういくらかおどろおどろしいタイトルでありますが、解体しかかっているし、すでにしているのではないかと、むしろ強い危機感を抱いていますゆえに、こういうタイトルにしております。この間津波が南アジアを襲い、町に大きな水が流れ込む光景をテレビでみました。一番烈しい画像では建物そのものや車が何台も水に浮かんで押し流されていく姿が見えまして、これはすごいものだなと思いました。引いたあとのつめ跡、残骸・・・・・まあ私、今の日本を見ていて、水際で津波を待っている心境というのがいわば、私の心境なのです。そういう津波にいつ襲われてもおかしくない、そういう状態ですよ、と申し上げたい。それに対し何の備えもない。色々備えがあるように聞いておりますけれども、実際に手が打たれていないし、考えは語る人はいるけれども間に合わないように思う。

 今日は一見して相互につながりのないいろんな種類の問題についてお話したいと思っております。一つは皇室の問題、二番目は南の島々の防衛の問題、それから三番目は、といっても全部底流ではつながっているのですが、国の外でなく内側の問題。つまり教育や少子化、そしてジェンダーフリーの問題など、これら全部がひとつながりであると私には思えてなりません。すなわち、内側がグラグラと解体しているときには、外から敵が忍び寄ってきても気が付かない。

 あるいは現にもう何十年も前から外から侵害されていても打つ手を打ってない。ですからもう間に合わないところに来ているという、その目の前にいて、しかも手足を動かそうとすると、足元の国民の心が麻痺したようになっている。そして麻痺させるような解体運動が繰り広げられていて、手足を不自由にする勢力が大きな力を国内で発揮している。こういう現実を目撃し、観察してきたつもりでおりますので、皆様に少しくはっきり見えるようにお話ししてみたいという風に思っているのです。

皇室問題について

 最初のテーマは、非常に難しいテーマだとあえて申し上げるつもりでございます。つまり皇室の問題です。わが国のこの10年から15年の間に、経済の方面でバブル崩壊、そしてまた道徳の破局、様々な頽廃の姿をみました。すべて昭和天皇亡きあとに起っていることですね。この国民が自分たちを歯がゆく思っているゆえんはどこにあるか分かりませんが、ソ連の消滅で冷戦に終止符が打たれたあのときは、アメリカから「第3次世界大戦の勝者は日本であった」という、忌々しげな声があがったのを覚えておられると思います。これはつい15年ぐらい前の話です。

 そのころは小中学生の数学と理科の国際学力はつねに日本が一位でした。治安もよかった。犯罪検挙率も高かった。中学生の校内暴力は既にありましたが、不登校とか引きこもりとか、援助交際などということは、そんな言葉もなかった。政治への不満は強かったけれども、「官僚が一流だからこの国は大丈夫だ」という声が世上を覆っておりまして、事実その通りであった。官僚は何よりも愛国心があった。

 対米自動車輸出の自主規制で指導力を発揮した通産省は、産学協力の見事な見本としてアメリカの嫉妬を招いたほどでした。これは遠い昔の話ではない。1989年、ベルリンの壁の崩壊から起った世界の激変、それが昭和天皇の崩御となった年と重なります。すべて悪いことは平成になってから起ったことなのです。だから私たちは確実でしっかりしていたつい先日までの日本をなぜ今取り戻すことができないのか。そのことについて考えざるを得ない訳です。昭和天皇が亡くなられたら、何かがありゃしないかという国民の不安はずっとございましたが、まさか、という思いが私はしています。

前橋講演における皇室問題への言及(一)

 2月10日に群馬県前橋市の正論懇話会で、「国家解体をどう阻止するか」といういささか仰々しいタイトルを振り翳した講演をした。

 皇位継承問題、南西諸島と台湾をめぐる中国との摩擦、男女共同参画や過激な性教育のことなど多方面にわたる話題だったが、天皇制度についての数少い私の発言が講演の冒頭でなされている。

 11日の産経新聞の講演要旨にこの冒頭の部分だけが取り上げられた。

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 日本解体に警鐘
 群馬「正論」懇話会 西尾幹二氏講演

  第6回群馬「正論」懇話会(会長・金子才十郎群馬県商工会議所連合会名誉会長)が10日、前橋市内のマーキュリーホテルで開かれ、評論家の西尾幹二氏が「国家解体をどう阻止するか」と題して講演した=写真。

  西尾氏は、国家解体につながる動きとして女性天皇論の台頭、防衛政策の無策、ジェンダーフリーの流行を指摘。「日本は解体してしまっているという危機感を抱いている。手を打たないと間に合わない」と訴えた。

  特に、「女性天皇」容認論について、「天皇は、万世一系で男系でなければならないとある。過去の女性天皇は中継ぎ役だった。歴史の事実を覆していいのか」と強調。「(女性天皇が誕生すれば)天皇制否定論者が、『万世一系ではない』と言い出すはず。30年後を憂慮する」と述べた。

 産経新聞2月11日付 2面

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 翌日、畏友小堀桂一郎君――私の大学時代の同級生であることは知る人は知っていよう――から、心強い応援だという葉書をもらった。

 私は小堀君ほど天皇とその制度について詳しい知識を持たない。普段法制的な面にはあまり関心もない。私がどう考えているかを多分彼はそのころ知らなかったし、自分と相容れないと思っていたかもしれない。

 前橋に行ったのは2月10日で、それから丁度一週間で『正論』4月号の拙論「中国領土問題と女帝論の見えざる敵」(短期集中連載第二回)を書いた。

 例のライブドアがニッポン放送株の買い占めを始め(2月8日)、マスコミが騒然となっていた頃である。

 『正論』4月号が出た3月初旬に小堀君から良く言って下さったという感謝と喜びのことばを綴った書簡をいただいた。彼が最近同誌5月号でこの問題をあらためて歴史を掘り下げて徹底して論じたことはご覧の通りである。私にその根気も知識もないが、私には私に特有の論法がある。今の日本人を説得するにはどうしたらよいか、という文章上の戦略がある。

 前記「中国領土問題と女帝論の見えざる敵」で皇位継承問題について言及したのはわずか20枚弱だが、「女帝でいいじゃないか」という小泉首相と同じような考えの人が日本国民の大半であることを私は知っている。

 保守層でもそうである。「路の会」でもそうだった。天照大神が女神なのだから女帝でいいのではという人さえいた。そういう人々を前提にして説くほかないというのがこのデリケートな問題のむつかしさだと思っている。

 だからこのテーマに関しては頭ごなしに、叱りつけるような調子で言っても説得力がないのである。未来への不安と予想を先取りするようにして、手遅れの意識を共有しながら語りかけるしかないのだ。

 私の言わんとする本意はどうか4月号の拙論を見ていただきたい。また説き方にすべて賭けた論述の仕方に目を向けてほしい。たゞ、丁度これを書く直前に、私は前橋で同じテーマについて簡略に語った。本当に簡略に、である。

 皇室問題についての私の発言は少い。たまたま乞われて講演録をまとめたので、この部分だけ掲示することとした。

番匠幸一郎氏を囲んで (六)

○○:さきほどの世論調査ですね。84%が自衛隊駐留賛成、残り16%が反対、16%というのは、どうなんでしょうね。それから、自衛隊はですね、人道復興支援という任務で行かれたんですけど、他の国の軍隊は一体どういう使命を持って・・・・やはり、人道復興支援というようなことをやっているんでしょうか。そうだとすると、イラクの復興に一番役に立つのは、日本で、その次はアメリカで、その次はイギリスでしたかね。

番匠:フランス、イギリスの順です。

○○:フランス、イギリスでしたか、イギリスは低いですね。イギリスが低いというのは、元々イラクとイギリスは密接な関係が昔からあったんですけれど、ちょっと意外な感じがします。あとは相当な部隊を送っているのが、ポーランドとか、ウクライナだとかですね、韓国も3000人送っていますが、そういう国に対する評価ってどうなんでしょう。その辺がよくわからないのですが・・・。

西尾:イギリスが低いのはわかるんじゃないですか。

○○:わかりますか?

西尾:もともと不信感があって、ひどいことをされたっていう記憶。

○○:そういうことなんですかね。

西尾:でも、韓国なんか上位に出てこないのは不思議ですね。

番匠:まず、16%といいますか、賛成しないこれらの人たちは何かというと、問いかけの仕方もあるかもしれませんが、やはり彼らは決して満足はしないですね。話をしていても、今やってくれていることは有り難う。でも、まだやってほしい・・・と。そういうことがありますし、やはり我々の能力には限りがあるんですね。我々が行った時に、実は唖然としたことがありまして、日本政府が拠出を約束した10億ドルが全部サマワに来ていると思っている人たちがいるんです。あれ結構有名な話になりまして、10億ドルもサマワに入るぞ、そうすると、東京ができる―と。

(大笑い)

 ハイウェイや大きな工場ができて、トヨタが来るのかと。発電所が出来て(笑い)それで、自衛隊が先遣隊で来たんだろうと。いやぁこれは素晴らしい。サマワは儲けたと言うわけですよ。我々がミッションを戴いているのは、水作りですね、医療支援をして、ま、ささやかに道路や学校の補修をする。そこに大きなギャップがありまして、私たちがやったのは、部族のところをいろいろ廻って、貴方達は誤解している、我々はこういう能力なんだからということを言って、彼らの誤解に基づく高い期待をいかに適正値に戻すか、降ろしていくかということです。

 もちろん我々行った当初は人間も揃っておりませんし、装備も届かないので、十分な活動ができません。水の支援も、給水セットというのを合計7個持っていったんですが、は最初は三機から始めました。一日何十トンというオーダーで始めますので、なかなか量も、数も少ない。それをどうやったら早くあげていくかということ。こう下げて、こうあげてこの、バランスをどう取るかということに随分エネルギーを使った。そういう意味ではこの高い期待を持っている人たちから見れば、今の自衛隊がやってくれていることは、期待はずれだとか、なかなか思ったとおりいかないという声があるのは、まちがいないと思います。

○○:でも、早く帰れという、一部にある滞在延長に反対というのはどういう意味なんでしょうかね。

番匠:そこは、例えばサドル派なんかはみんな言っておりますけれども、やはり外国の軍隊、外国が来ているということに対する気持ちがあるのかもしれません。

西尾:でも16%は低いほうですよね。

番匠:8割ぐらい、あるいはそれ以上がということは、ほとんどの人たちが日本を歓迎してくれているということだろうと思います。それと、他の部隊は何をしているかということですが、我々が居るときには、38カ国、我々をいれて38カ国でした。今は若干の後退があって32.3だと思いまけれども、国によってそれぞれです。大きなところでは、もちろん一番大きいのはアメリカで、これは15万人入っています。それからイギリスが約1万、あとポーランドだとか、ポーランドも8000人、一万弱くらい、ウクライナ○○○、韓国がアルビルというところに3000人くらい入れています。これが大口で、日本も結構多いほうなんですね。もう600人というと、クェートの航空自衛隊の200人を加えると800人の規模ですから、結構イラク全体では、ベスト10に入っております。

 それぞれの国が、それぞれのやり方をしていまして、一番多いのは治安任務です。ただ我々のように人道復興支援だけというのもあります。たとえば、タイとかは医療支援をやっておりましたし、当初我々が行った頃には韓国っていうのは医療支援と施設支援というのをやっておりました。今はアルビルという北の方面で治安のほうも受け持っていると思いますが。必ずしも、みんながみんな治安任務をやっているわけではありません。それからもう一つは後方支援というのをやっております。多国籍部隊に対するですね、ウクライナとか、小さな国エストニアだったでしょうか、バルト三国の小さな国も来ているので、あれは何をしているかといいますと、米軍基地の中で、後方支援の仕事をしているところもあります。

西尾:けれど、韓国などが評価されないのはなぜですか?

番匠:あれはですね、あの世論調査自体が去年の秋から今年の正月にかけてやっておりまして、北の方のクルドの辺りまでちゃんと行っているかどうかですね。アルビンとかにということもあるでしょう。多分、あの調査はバグダットでやっているのだろうと思います。ですから、38カ国を全部皆さんが承知しているかどうかというと、そうでもないと思います。(あぁと納得の声)日本というのは非常に有名ですから、そういう数字が出ているのかもしれません。

西尾:いやな情報が入ってこないから、ますます期待されるという。

番匠:我々は飴だけで、鞭がありませんから。
(笑い)
 やはり、アメリカとかイギリスとかを見ていて、非常に気の毒だなという感じがしました。

西尾:そうですよねぇ

番匠:犯罪者に対しての対応ってのは、厳しいものがありますし、我々は今回人道復興支援という飴の役目ですので、あの数字を見て、手放しでよろこぶっていうわけには行かない。
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講演 「これでよいのか日本の弱腰外交
――正しい現代史の考え方――」

平成17年3月13日(日)
午後3時30分より90分

会 場:横浜市中区「関内ホール」
   JR関内駅北口下車 徒歩5分
     TEL 045(662)1221
参加費:¥1000
主 催 :教科書を良くする神奈川県民の会
連絡先:大西裕氏 TEL045(575)2603

新刊西尾幹二責任編集『新・地球日本史』1 
産経新聞社刊、発売扶桑社。
  ¥1800――2月28日店頭発売

 
新・地球日本史―明治中期から第二次大戦まで (1)

新刊 「人生の深淵について」
洋泉社刊 ¥1500
3月7日店頭販売
内容目次は次の通りです。

怒りについて
虚栄について
孤独について
退屈について
羞恥について
嘘について
死について
宿命について
教養について
苦悩について
権力欲について

著者覚書
解説 小浜逸郎 

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(七)

 戦争が終って、敗北を知った直後、呆然としている日本人は、謝るというようなことを考えた人はほとんどいません。まして、世界に対して罪を犯したなんて、冗談じゃない、そんなことを考えた人は一人もいません。厭戦感情はありましたよ。疲れた、もう厭だ、これ以上はたまらない、これは別ですよ。でも、正義とか道理とかは、わが方にあるということを疑うものはいなかった。

 敗北を知ってホッとした感情があったのも事実ですよ。でも、これで助かったと思ってホッとしたんじゃなくて、余りにも苦しくて、疲れ切って、病人が早く死にたいと思ったりするような気持ちにも似て、ホッとしたんですよ。それをみんな誤解して、終ってホッとして生き生きと甦ったというような意味に解釈して、いつしか「解放感」と誤解するようになったんですね。

  「解放感」はむしろ開戦のときにあったんです。なぜ、武者小路実篤や太宰治のような作家までが、開戦の日にまるで甦ったように思ったのか。あるいは竹山道雄がこれでやっと決まったとホッとしたのか。明治以来の日本人の胸のうちに がしっーとかぶさってくるものがあったからでしょう。説明のできない圧力を受けてきたからでしょう。その圧力が中国戦線で晴らせるものじゃなかった。いつまでも中国に深入りしてたって、きりがない。本当の敵は何処にあるんだと、いう疑問は日本人を苦しめていました。後ろで援蒋ルートといって、盛んに蒋介石に物資を援助している政府がいるじゃないか。そのことを誰一人知らない者がいなかった。

 しかもいろんなことが戦後になって、最近になってわかってきていますよね。フライングタイガーという作戦ね、これひどいものですね。12月8日に、真珠湾攻撃で戦争が始まってたんじゃないんです。アメリカはそれより先に中国に空軍部隊を、つまり兵力を投入していたんです。ただし全部いったん退役にしまして、その上でアメリカの飛行機を投入してですね、いかにも義勇兵が勝手に参加しているかのごとき形式をとりまして、アメリカ自身が参戦していたんです。蒋介石軍が弱いんで、見てられなかったからでしょう。フライングタイガーという軍隊、事実上の軍隊ですが、しかもそれに正式にルーズベルト大統領が署名をして、退役にしたのは形式であって、やがて複役させということを約束している。そういう大統領の署名のある書類も発見されている。今となればですね。はるかにはるかに日本より早くですね、アメリカが「開戦」に踏み切っているんですよ。

 じつはそのとき、東京大空襲が計画されておりました。パールハーバーよりはるか数ヶ月前に東京は敵襲をいきなり受ける可能性が高かった。ところが、その時米軍がそろえていた飛行機がドイツ戦線に必要になったために、急遽東京空襲の計画は取りやめになったということですから、なんで日本が先に手を出したなんてことが簡単に言えますか?開戦の気分は双方同じだった。発火点に達していたが、切っ掛けだけがなかった。そういうことが大戦直前の状況だったんです。

 強い強い圧力、胸の中に鬱積してくるようにたまってくるものが日本人の中にあって、その原因となるものの正体が歴史の背後から少しづつ浮かび上ってきています。今だんだん証拠書類が公開されておりまして、第二次世界大戦に対するアメリカの公文書館の書類はいまやっと少しづつ出ているわけですね。それから、ソビエトの崩壊した1990年から何年間か、大体1998年ぐらいまでの間に、隠されていたソビエトの秘密文書がオープンになりまして、その多くは少しづつ翻訳されておりますけれど、歴史は塗りかわりつつあるわけです。

 プーチンになってからまた書類が出てこなくなりましたけれど、とにかくソ連(ロシア)もかなりひどいことをしていたことが全部わかってきつつあります。あの当時我々が知らなかった世界史の闇の部分が分るということになるわけです。虚々実々の現実がこれから明らかになるだろうと思います。日本が中国大陸に引きずりこまれたのはどこの国の意志であったのか。それは果して英米なのか。イギリスはソ連に警戒的でしたが、アメリカは慨してソ連に寛大で、政府の中枢にコミンテルンのスパイがいました。アメリカを介してソ連の巧みなコントロールがアジア情勢をどう動かしていたか。ま、私はまだぼつぼつ勉強している途中で、よくわかっていないところばかりで、これから大変なんですが、いずれにせよ、20世紀の歴史というものを我々はもう一度、よぉく振り返って、精査してみる必要があるのではないか、と思うわけであります。

 そうしたらば謝る気になんか、とてもなれないですよ。日本人が謝る必要なんか全くないということに、すぐ気が付くと思います。我々が悪をなして、アメリカが善をなしたとか、ソビエトが善をなしたとか中国が善良そのものだったとか、そんなこと考えられますか。自分が悪をなしたと思っているからおかしなことがおこるんです。そんな事は常識だって考えられないと思うんですね。今のアメリカやロシアや中国のやり方を見ていても、地球上で起っているどの出来事を見ていても、各国の強引さ、そして掛け引きのものすごさを思い浮かべてください。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(六)

★ 新刊、『日本人は何に躓いていたのか』10月29日刊青春出版社330ページ ¥1600


日本人は何に躓いていたのか―勝つ国家に変わる7つの提言

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帯裏:六カ国協議で、一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だということを日本人は自覚しているのでしょうか。これから日本をどう泳がせ、どう扱うかということが、今のアメリカ、中国、ロシアの最大の関心事であります。北朝鮮はこれらの国々にとってどうでもいいことなのです。いかにして日本を封じ込めるかということで、中国、ロシア、韓国の利益は一致しているし、いかにして自国の利益を守るかというのがアメリカの関心事であって、核ミサイルの長距離化と輸出さえ押さえ込めば、アメリカにとって北朝鮮などはどうでもいいのです。いうなれば、日本にとってだけ北朝鮮が最大の重大事であり、緊急の事態なのです。

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書評:「史」ブックエンド(11月号)より

外交・防衛・歴史・教育・社会・政治・経済の七つの分野にわたって、歪んだ日本の現状を立体的に解き明かしている。それはまるで推理小説の最終章のごとく痛快明朗だ。そこから導き出された提言は「日本人が忘れていた自信」を回復するための指針。こたつを囲んで優しく諄々と聞かされているようで、この日本の現状をどう捉えたらよいのかがだんだんクリアーになってくる。筆力ある著者ならではの説得力に富む快著。この祖国日本が二度と躓かないためにも、政治家や官僚に読んでもらいたいという著者の意向だが、国民必読の書である。

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書評:アマゾンレビューより

西尾ワールドの全貌, 2004/11/07
レビュアー: recluse (プロフィールを見る)   千葉県 Japan
西尾氏の作品は20年以上にわたって読み続けて着ましたが、今回の作品では、彼は自分の思想の全体像を簡潔な形で、整理することを目的としています。外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の順で議論を展開することにより、徐々に現象面から、より深く日本の抱える問題の根本に接近しようとしています。この手法により、彼の考えの基層に接近することが可能となるよう、構成されています。すべての論点で、彼は明確に一貫して変わることのない自分の人間観と歴史観を呈示しています。簡単なことですけど、これは稀有なことです。いったい何人の日本人が、自分が20年前に書いたことを一点の恥じらいもなく振り返り再提示できるでしょうか。また、本質を捉えたアフォリズムと西尾節も満載です。特に熟読すべきなのは、第三章の歴史の部分です。続きを読む

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講演「正しい現代史の見方」 (六)

 ま、その話をしだすときりがないから、よけておきますが、とにかく国民はそこで、A級戦犯もB級戦犯もない、戦犯は勝手に勝者が作った裁きなんだから、それにとらわれる必要はないんだと認定した。それには、理由がありましてね、わが国の戦争というのは、今私は天皇陛下との運命共同体と申しましたが、一握りの指導者が、民衆をたぶらかして戦争に走らせたと言う話ではないんですよ。共産党はそんなことを言いますが、共産党とその影響下にある人だけですよ、そんなことを言うのは。戦争に突入していった日本人は戦争の行く末がどうなるか誰にもわからなかった。やったことがまちがっていたか、正しかったか、悲しかったか、愚かだったか、賢かったか、それも誰にもわからなかった。

 ここに私はそのことを証明する二人の作家のことばを皆さんの前で読み上げてみたいと思います。

 この二人の作家は、戦時高揚を発奮する方々では全くありません。昭和16年12月8日、あの開戦の日ですね。もちろん戦意高揚を詠った詩人もおりました。高村光太郎、それにまた佐藤春夫、あの有名な詩人が国民を鼓舞する高潮した詩を新聞に掲げましたが、これからのべる二人の作家は、どう見てもそういうタイプではない。皆さんも知っている一人は武者小路実篤さん。

「十二月八日はたいした日だつた。僕の家は郊外にあつたので十一時ごろまで何にも知らなかつた。東京からお客がみえて初めて知つた。『たうたうやつたのか。』僕は思はずさう言つた。それからラジオを聞くことにした。すると、あの宣戰の大詔がラジオを通して聞かへてきた。僕は決心がきまつた。内から力が滿ち溢れてきた。『今なら喜んで死ねる』とふと思つた。それほど僕の内に意力が強く生まれたのだ。」

 もうひとりは、昭和16年12月8日の開戦のラジオの報道を聞いた太宰治です。太宰治がどんな作家か。最後に女と情死したあの作家ですよ。

 「しめきつた雨戸のすきまから眞つ暗な私の部屋に光がさし込むやうに、強くあざやかに聞こえた。二度朗々と繰り返した。それをぢつと聞いてゐるうちに、私の人間ははつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じがした。あるひは精靈の息吹を受けて、冷たい花瓣はなびらをゐちまひ胸の中に宿したやうな氣持ちだ。日本も今朝から違ふ日本になつたのだ。」

 この二人の戦争協力などとはおよそ縁のない作家の言葉は、国民の普通の受けとめ方であったということです。国民は英米との大戦を容易ならざることと受けとめたことは事実ですけれども、これをマイナスの記号で判断した人は誰一人もいなかったんですよ。そういいだす人が出てくるのは、戦後になってからです。当時一高教授であった竹山道雄氏は

 「われわれが最も激しい不安を感じたのは戦争前でした。戦争になって、これで決まったと、ほっとした気持ちになった。そういう人も少なくありませんでした。」

 これも今の二人の作家にどこか繋がってくる言葉だと思います。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(五)

 さて、それではナチスドイツと日本ということですが、ドイツは謝ったんでしょうか?日本人はやっぱり謝るべきだってこのお手紙の中でもそう言っているわけですよね。謝る必要はないと私が言ったことはいかんとお叱りになり、「次世代の若者が何が起ったか、事実を知らなかったでは情けない、日本は悪くない、謝る必要はないとおっしゃいますが、それを言っちゃあおしまいよ、と私は言いたいんです」と、こう私に向かって書いてきている。こういう考え方を持っている人が、ごまんといて、朝から晩までマスコミがこういう調子でことばを流してきましたし、いまだにそうです。新聞だけでなくNHKあたりまでが戦後ズーッと朝から晩までこういう調子で物を言っていましたから。これは決して、日本にひどいことをしようと意図しているわけではない。こういうことを言っていると無難だという考えなんですよ。

 自分が悪いと言っていれば気が楽なんです。ホッとしていられるんです。抵抗して自分は正しかったと言ってスックと起ち上がるのには努力が要ります。意力が必要です。ところがですね、はっきり申しますが、ドイツは全く謝っておりません。侵略戦争を謝っていません。ユダヤ人虐殺だけ謝ったんですよ。この事実も知らないんだから、日本人は困ったもんです。ドイツが謝ったのだから、日本は謝り方が足りないと言って十年くらい前に戦後謝罪問題というのが起りました。

 ドイツは個人補償として沢山のお金を、日本の何倍と言うお金を犠牲者に払っているじゃないかと、細川内閣の少し前、たしか宮沢内閣のころですね、宮沢さんって人はすぐそれに同調しましたから。個人補償ということばがパッと広がりました。どういうわけだか「従軍慰安婦問題」がそのとき一緒に出てきました。誰かが裏で糸をひいていたんでしょうね。この二つはセットで新聞紙面におどりでました。そして細川内閣にかわっても、同じことで、細川さんもすぐあわてて、侵略者戦争謝罪発言というのをやりました。そしてその時彼はドイツが個人補償に7兆円だしているんなら、日本も1兆円くらい出すべきだなんてどんぶり勘定言って、根拠はどこですかと言われて笑われたんですが、真面目にそう言った人ですよね。これまた無知の然らしめるところは恐ろしいということなんですが、ドイツは戦争犯罪に対してビタ一文も払っていないんですよ。謝罪もしていません。それどころかドイツは平和条約をさえ結んでいないんです、まだ。ヨーロッパは何百年にわたり互いに侵略戦争をしていた処ですから、互いに非難なんかできません。

 日本はサンフランシスコ平和条約を結んで賠償を支払うべきところには支払い、在外地における財産は全部没収されて、しかもA級戦犯のみならず、BC級戦犯3000人の命が処刑の対象になり、これも不当ですからね、こんなことする根拠はないんですから、BC級戦犯と称して、いい加減な裁判で沢山の日本の人たちが処刑されて、そして昭和28年サンフランシスコ平和条約が結ばれると同時に日本の国内で戦争は終ったということになり、解決しました。しかしドイツはこの平和条約を結んでいません。近隣諸国と今でも法的には交戦状態にあるのです。しかし、それではやっていけないので、戦争の謝罪はしないが、ホロコーストにだけは補償しようという対応をしたのでした。

 他方、日本では平和条約を結んだそのとき、いいですかそのときに、なんと、まだ依然として巣鴨に拘留されていたA級戦犯の人たちの釈放運動がはじまりました。その釈放運動で旗を振ったのは社会党議員です。一社会党女性議員が旗を振って署名運動を展開して、皆さんのご年齢の方の中できっと忘れていないかたもおられると思いますが、4000万人もの署名が集まって、そうしていわゆる東京裁判の巣鴨拘置所に拘留されていたまだ処刑されていない人々が釈放されて、ならびに皆さんも知っている、軍人恩給というものにも平等に浴するするという立場を得られるのであります。戦争は終ったんですよ、そこでケリをつけたんです、国民の心の中で。社会党議員がですよ、すべてを許さなければならないと言ったのです。つまり誰か個人が他国を害したのではない、A級戦犯もB級戦犯もくそもない、みんな国民は天皇陛下と一緒に運命共同体の一員として戦ったんだから、誰かに罪があるという話ではない、と。

 死んでいるものに鞭は打たないとそういうことだったわけですね。それがですね、何が故に中国が今ごろになってA級戦犯を別に祀れとか言い出すのか。A級戦犯、A級戦犯というけれど、皆さん立派な人がいっぱいいるんですよ。あの中には、東郷外務大臣もそうだったし、戦後大蔵大臣をやった賀屋興宣さんもいたし、みなさん戦後復活して政治家として活躍された方々少なくない。何がA級戦犯ですか。あれは勝手に東京裁判で勝者がレッテルを貼っただけの話であります。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(四)

 戦争に負けるということはもう海外の権益を奪われ、資産を押さえ込まれ、賠償を取られ、領土を失い、それから不愉快きわまるいろいろなことが相次いで起こるわけですから。国家の発言力は低下するし、国益は守りにくくなる。そうやって苦しんだ揚句、やっとのことで平和条約が結ばれ、そこですべてをいったん水に流してもらって、これ以上の釈明や言い争いはもうやりませんというのが、平和条約ですから。そこで、もうこれ以上二度と謝るということはないということを前提として考えておかなくてはならないわけです。

 が、どういうわけか、日本ではおかしなことがずっと戦後行われてきたのです。平和条約のあとでは、敗者は謝ってはいけないのに、謝るべきはむしろ勝者であるのに、謝罪が後あとまで尾を曳く。こんなバカなことはないのです。敗者と勝者の関係に世界史の中で異変が起こっている現れではないでしょうか。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間では勝者の態度に異変がみられるのではないでしょうか。

 ヨーロッパの市民文明というのは、二十世紀の初頭まで上昇に上昇を重ねてきました。輝かしい一番美しいヨーロッパ文化の花開いた時代、永井荷風がパリにあそんだあの美しいヨーロッパの姿。第一次大戦でそのヨーロッパが焦土と化し、四年にわたって悲惨な戦争を行って、とうとう最後には毒ガスまで出てきた。まぁ、みなさん知っています通り、ヨーロッパ文化が一番激しく自責の念にかられたのは、第一次世界大戦の後でした。

 インドの詩人タゴールが直後のヨーロッパを訪れて、物質文明そのものの持つ自己破壊、文明がもたらす非文明、野蛮、をそこに見て、インド人の目でヨーロッパの自我拡張意識の間違いを厳しく批判しました。ヨーロッパの中からも強い反省の気持ちがわき起こり、これが言うまでもなく1928年の不戦条約になるわけですし、さらにはヨーロッパの内部で、第一次世界大戦の惨劇に、時を同じくして『西欧の没落』という本が書かれます。シュペングラーと言う人のね。もうヨーロッパ文明の末路運命がここへきてニヒリズムの極限に立って、没落していくよということで、ヨーロッパが本当にすっかりがらがらと変るのは第二次大戦ではなくて、第一次大戦であると普通の文化史にも書かれているくらいです。つまり本当につらかったのですね。ヨーロッパ人はあの時ね。今までの美しかったヨーロッパを本当に自分の手で壊してしまった。そして、それが愚かだったという反省があった。

 しかし、第二次大戦のあとで、ヨーロッパの中から反省の声が出てきたでしょうか。まったく出てこなかったんですよ。ナチスの悪口ばっかりで、ついでに日本まで巻き添えにして、敗戦国の悪口を言い続けて、大量破壊史を展開した西洋人は、自己断罪を回避しました。悲劇において勝者と敗者の区別はありません、イギリスはドレスデン爆撃で1945年2月に3万人を殺戮し、アメリカはその1ヵ月後に東京空襲で10万人の一般市民を殺害しました。その勝者が文明の破壊の一翼を大きく担ったことの反省がなくて、どこかに悪者探しをしてけりをつけた。それがナチスのドイツと、軍国主義日本ということになった。まったく天から話がちがうんですが、そういうことになった。ドイツと日本を裁いた後で、戦勝国もまた深く反省し、自己を裁くべきだったのに、裁かなかったことは後々まで祟り、歴史を歪め、今日まで文明をねじ曲げてきております。

 さて、皆さん、戦勝国はどこも、第二次世界大戦においては、謝罪はしなかった。このことは異常なことだということを、あらためて考えるべきなんですよ。戦争は終ったんですから。異常なことだということ、それがわからない人が日本にもたくさんいて、さっき例をあげた大江健三郎さんなどがその代表ですけれどもね。つまり、逆のことを言っているんだからね。敗者だけが謝るべきで、敗者が勝者の犯した罪まで全部背負わなければならないという議論じゃないですか。原爆を落とされた側が人類の罪におののいて、そして、それ以降は日本人は文学はもう書けない境地になったなんて自分を辱め、転倒したこと言ってんだから、それじゃ勝利者の罪まで全部背負って生きていかなければならないのか。あの人のノーベル文学賞の受賞演説がそういう内容なんですよ。輝かしきヨーロッパ文明に対して、暗黒の日本という話なんだから。で、悪いことをして申し訳ありません、と。アジアを犯し、搾取したのはイギリス、フランス、オランダ、そしてアメリカではなかったのですか。大江さんはまったくわれわれとは異質な歴史認識を持っておられるようでした。

 そういうことを平気で言うのは日本の恥ですね、あの人は。ノーベル賞というものがくだらないものだと言うことを日本中に知らしめた功績者だと、私はかねてそう思っていますけれど。ノーベル賞ってのはおかしくなりましたね。佐藤栄作さんが貰って「え?」とびっくりして、なんで?って思って、それで大江健三郎が貰って、抱腹絶倒、ということになったのでありまして。そのあと金大中とかアラファトとか、となってますますいけません。文学賞と平和賞はやめるべきですね。無理がどうしてもあるんです。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(三)

★ 新刊、『日本人は何に躓いていたのか』10月29日刊青春出版社330ページ ¥1600


日本人は何に躓いていたのか―勝つ国家に変わる7つの提言

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帯裏:六カ国協議で、一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だということを日本人は自覚しているのでしょうか。これから日本をどう泳がせ、どう扱うかということが、今のアメリカ、中国、ロシアの最大の関心事であります。北朝鮮はこれらの国々にとってどうでもいいことなのです。いかにして日本を封じ込めるかということで、中国、ロシア、韓国の利益は一致しているし、いかにして自国の利益を守るかというのがアメリカの関心事であって、核ミサイルの長距離化と輸出さえ押さえ込めば、アメリカにとって北朝鮮などはどうでもいいのです。いうなれば、日本にとってだけ北朝鮮が最大の重大事であり、緊急の事態なのです。

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書評:「史」ブックエンド(11月号)より

外交・防衛・歴史・教育・社会・政治・経済の七つの分野にわたって、歪んだ日本の現状を立体的に解き明かしている。それはまるで推理小説の最終章のごとく痛快明朗だ。そこから導き出された提言は「日本人が忘れていた自信」を回復するための指針。こたつを囲んで優しく諄々と聞かされているようで、この日本の現状をどう捉えたらよいのかがだんだんクリアーになってくる。筆力ある著者ならではの説得力に富む快著。この祖国日本が二度と躓かないためにも、政治家や官僚に読んでもらいたいという著者の意向だが、国民必読の書である。

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書評:アマゾンレビューより

西尾ワールドの全貌, 2004/11/07
レビュアー: recluse (プロフィールを見る)   千葉県 Japan
西尾氏の作品は20年以上にわたって読み続けて着ましたが、今回の作品では、彼は自分の思想の全体像を簡潔な形で、整理することを目的としています。外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の順で議論を展開することにより、徐々に現象面から、より深く日本の抱える問題の根本に接近しようとしています。この手法により、彼の考えの基層に接近することが可能となるよう、構成されています。すべての論点で、彼は明確に一貫して変わることのない自分の人間観と歴史観を呈示しています。簡単なことですけど、これは稀有なことです。いったい何人の日本人が、自分が20年前に書いたことを一点の恥じらいもなく振り返り再提示できるでしょうか。また、本質を捉えたアフォリズムと西尾節も満載です。特に熟読すべきなのは、第三章の歴史の部分です。続きを読む

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講演「正しい現代史の見方」 (三)

 最初からいきなり戦争なんてことはないわけで、だから私はよく言うんです。日本人の今の平和主義の考え方は、これはいつか遠い将来戦争を醸成しているようなものだと思います。平和以外には何でもありが許される平和主義は、必ず最後には戦争になる。平和以外はなにも望まない、どんな侮辱を受けても、じっと忍耐しなさいという種類の平和主義は、必ず最後に戦争になる。戦争にならないためには、適宜な発散が必要なんですよね。それがある意味の知恵なので、今南西諸島で起こっている中国のやり方を見て、このまま日本が引き下がっていったら、いずれ遠い将来に必ず戦争になりますよ。これはもう沖縄を取ろうとしているわけですから。黙って沖縄を取られることを許せますか?日本は。

 中国は沖縄をそっくり取ろうとしているなんて信じられないと思うかもしれませんが、中国の立場に立つと近代的開国が遅れて、気がついてみると北京から上海までの大陸の東側の海上は全部日本に抑えられている。中国は核、宇宙、海という三つの開発プロジェクトをかかえたアメリカ型の国家になろうとしていますから、海では何がいったい邪魔か。沖縄を全部自由にしたいと思うのは、ある意味で力の赴く必然ですからね。そりゃかならず戦争になります、そうなれば。だからアメリカの石油会社は逃げて行っちゃったんです、危ないから。こんな海域で商売は出来ないと。トラブルは必ず拡大すると見たんですね。日本人の側に覚悟はありますか?向うは核武装国家ですよ。愈々いよいよ正念場が来たんですよ、日本にはね。

 ま、それは別といたしまして、この要するに平和以外には何でもありが許される平和というのは、今の日本みたいな考え方ですが、これはかならず戦争につながるわけですから、例えば尖閣列島に中国人が7人上陸したら、ちゃんと裁判にかけて、処罰するべきことはしておくべきなんですよね。しかも内一人はご承知のように、執行猶予中の身であったということですから、もちろん収監するのが法治国家として当然のことであります。そういうことをしていけば、相手が日本の出方を知り、日本が迂闊に手出しできない国だということが分かり、簡単に手を出せないということになるわけです。平和を愛するなら早めに断固たる手を打っておかなければいけない。

 私は南西諸島の周りに軍事境界線を引いて、そして余りに過度の侵犯が起ったら中国の艦船の一隻や二隻撃沈したらいいと、思っています。そこまでやれば戦争にはなりません。将来。そこをやらないでいたらいつか戦争になると思います。とんでもないことになるかもしれないんですよね。

 ですから、先ほどの話に戻れば、国際間の紛争で謝罪して当然のものもあれば、どうしても謝罪してはいけないもの、言い分を出し尽くした結果、双方の言い分が一致せず、双方が相手を不当と信じて突入するのが戦争ですから、そうした場合にその行為についての事後の謝罪はあり得ないと。だって謝罪する余地がないから、戦争になったわけじゃないですか。そうして、その挙句のはてに、勝者と敗者が生れたときには、敗者は腹の中に多くの不満と正当性の感情を残して苦悩に耐えたわけであり、つまり負けたものには負けたものの理があって、納得していないわけですね。不服従の感情を持っているわけですね。敗北に対して。しかし、それは力で抑えこまれるわけですから、じっと忍の一字です。

 ま、こういうことでありますから、これ以上の謝罪はもう必要ないんです。もし謝罪をしたなら、それは二重謝罪になっちゃうわけじゃないですか。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(二)

 あの、東京オリンピックの時に、ラストランナー、聖火に火をともした青年のことを思い出して下さい。普通の場合ですと、第一級のスポーツマンで前オリンピックの金メダルの走者などが聖火台に駆け上がるのが普通ですけれども、東京オリンピックの時は何があったかご記憶がおありでしょう。広島の原爆の日に被爆した少年、19歳の少年が、もちろんスポーツマンなんでしょうけれども、日本を代表するランナーでも何でもない少年が出て走った。被爆の少年がここまで健康に大きくなりました、というのを世界に知らせるといって聖火台に上がった。とにかくそういうことを日本はやったんですよ。

 日本は悪意でやったんでも、なんでもない。日本は平和を愛してきた、戦後平和主義であった、そのことを世界に知らしめたい、そういう善意のつもりなんでしょうけれど、アメリカが愉快なはずはないですよ。アメリカは何にも言いませんけど、つまりこれは報復主義と思われてもしょうがないんですよ。忘れてはないよ日本人は原爆を、と。世界に告知した報復主義と思われても文句が言えないような所業を、平和主義という名においてやるこの日本人の間の抜けた無自覚ぶり。日本人は薄らバカじゃないかと僕はその時思いましたよ。勿論、アメリカに対する報復心理は心中深く私の内心にも宿っていますが、それを吐き出す場所が違いますよ。オリンピックでそんな本心をさらけ出すバカはいないでしょう。

 日本人はすべて無自覚なんです。アメリカという特定の国が原爆を落としたのではなく、天災かなにかのように考えている。国際社会、世界で起こっていることが何にもわかっていない。自分が悪いといえ、世界にとおると思っているのもそれと同じです。被爆した少年がもうこんなに元気に成人したっていえば、世界のどの国もが喜んでくれる。アメリカも喜んでくれる、無邪気にそう考えるんでしょうね。日本は悪い戦争を自分が始めた、そして今は善良平和な国民になった、世界中の人見てください、そういう気持ちだったんでしょうねぇ。

 戦争という悪いことをした、日本人が。そうですか?悪いことをしたのは、アメリカでありロシアであり、イギリスであり、フランスでありオランダであり、そして中国も含めて、毛沢東は何をしましたか。日本は加害者じゃありません。全然。この歴史、19世紀から20世紀にかけて。もし加害者というなら、加害の面もあったでしょう。しかしそれは、お互い様です。お互いさまだから平和条約を結んで、そこで、ご破算で願いまして水に流すのです。後くされなしに。それが平和条約というものではありませんか。

 謝るべきことあるいは、謝っていいことがあります。国際社会も人間の社会と同じですから、謝るべきこともあるでしょう。たとえば、我々が、隣の家に車をぶつけてしまって、隣の塀を破損してしまったと。謝らなかったらこれは人間じゃありませんね。まず謝る。そして本当に誠意をしめす。そうしたところから近隣の関係が保たれてまいります。国家の間でも同様に、菓子折りを下げて謝りに行くのと似たようなことがございます。

 例えば、迂闊にも領空を侵犯してしまったような時。悪意も何もなく、それすぐ直後に謝罪するのが当然です。あるいはまた、ある物産、ある生産品を年間これだけ買うと約束したのに、その製品が暴落したために、買うことが出来なくなった。買う意味がなくなった。他の国から買った方がはるかに有利だというために、売主を代えてしまったと。これは信義に反する契約違反です。こういうことが行われた場合には、これも謝罪の対象にもちろんなるでしょう。

 クリントン大統領は沖縄で起こった少女暴行事件で、直ちに謝罪をしました。これもあって当然のことです。こういうことがあれば、国家といえども謝罪しなくちゃいけないのです。そのやり方を間違えると韓国の少女ひき逃げ事件のような大きな騒ぎになって、それが引き金で盧武鉉大統領が成立してしまうというような、予想外の、取り返しのつかないことが起きるわけですから、謝罪ということが国際社会にも重要なことは言うまでもないのであります。

 しかし、この世の中で、断じて謝罪していけないことがあるんです。それは戦争に対してなんです。軍人のみなさんを前にして、かようなことを言うのは釈迦に説法おこがましい次第ですけれども、戦争というのは、言葉の尽き果てたさいごに、謝罪したりためらったり、それまで繰返して謝罪したり、耐えたり、それから言葉でもって、言うべきことを言い尽くしたりまたいろいろな屈辱的なことをも重ねたりして、どうしようもなくなってとうとう挙句の果てに、戦火の火蓋が切られると、こういうことですね。そうじゃありませんか。