H27年坦々塾新年会講義

ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった

(一)

 「イスラム国」を名乗るテロ集団による日本人の犠牲が出て、国の政治が停止してしまったかのような狼狽が見られました。

 アメリカ人やフランス人の殺害は対岸の火事でした。なぜ日本人が? という疑問と、やっぱり日本人も? というついに来たかの感情が相半ばしています。

 今のこの時代にこんな原始的な脅迫殺人が起こるとは考えられない、と大抵の人は心の奥に底冷えする恐怖を感じたでしょう。時代の潮流が急速に変わりつつあるのかもしれません。

 アメリカからは脅迫に屈するな、の声が日本政府に届いていました。アメリカ人ジャーナリストがオレンジ色の衣を着せられ脅迫されたときには、アメリカ国民は慌てず、いうなれば眉ひとつ動かさず、犠牲者を見殺しにしました。イギリスもそうでした。たしかにテロリストと取引きすると、事態はもっとひどくなります。福田赳夫元首相がダッカのハイジャック犯に金を払って妥協してから北朝鮮の拉致は激化しまた。それだけではありません。取引することはテロ集団を国家として認めることにもつながるのです。

 それでもなぜ日本人が? の疑問は消えないでしょう。日本人は宗教のいかんであまり興奮しない国民です。イスラム教とキリスト教の2000年の対立が背景にあり、パリの新聞社襲撃テロを含めて何となくわれわれには地球の遠い西方の宗教戦争であり、日本人には関係ないと思う気持ちがありました。せっかく親日的なイスラム教徒とは対立関係になりたくないという心理もありました。「イスラム国」のテロリストは他のイスラム教徒とは違うとよく言われます。この事件でイスラム教やイスラム教徒に偏見を持ってはいけないとも言われています。それはその通りです。けれどもキリスト教徒に問題はないのでしょうか。

 イスラム教とキリスト教の宗教戦争が根っこにあり、イギリス、フランスの20世紀初頭の中東政策への怨みが尾を引いているのは間違いないでしょう。中世までイスラム文明が西ヨーロッパ文明に立ち勝っていた上下関係が18~20世紀にひっくり返った歴史も、イスラム教徒の許し難い気持ちを助長させていることでしょう。

 4世紀のゲルマン民族大移動とローマ帝国の崩壊の後のユーラシア西方全体の歴史に、対立は深く関係しています。最初イスラム教徒が圧倒していました。キリスト教徒は11世紀より後に「十字軍」を遠征してまき返します。13世紀にヨーロッパにモンゴルが襲撃してきたときでも、キリスト教徒はモンゴルより憎んでいたのがイスラムでした。モンゴル軍と妥協してでもイスラムを撃ちました。イスラムの方が比較的寛容でした。地中海の東方の出口を抑えていたからで、レパントの海戦(1571年)でイスラムが敗れ、キリスト教徒はインド洋、太平洋を制圧し、形勢を逆転させました。その後はキリスト教文明優位のご承知の通りの歴史の展開です。

 イスラムは、かつては文明的に野蛮な西ローマ帝国やフランク王国を見下していました。それが今はすっかり逆になっていしまった。キリスト教国に押さえこまれてきた歴史の長さ、重さ、劣等感がついに過激なテロの引き金を引かせる心理の一部になっているのは紛れもない事実でしょう。ヨーロッパのイスラム系移民の2世、3世が「イスラム国」に参加している例が多いことからみても、やはり歴史の怨みと現代の閉塞感が重なった宗教戦争の色濃い出来事であるとはいえるでしょう。

 歴史的反省をしたがらないヨーロッパやアメリカなどのキリスト教国は、あえてこのことを見ないで、「テロは許せない」とか「たとえ宗教批判になっても言論の自由はある」といった一本調子の観念論で、やや硬直した言葉を乱発していますが、これもキリスト教国側が承知で宗教戦争を引き受けている証拠なのです。

 こう見ていくと、日本人はどちらにも肩入れしたくない。公平な立場でありたいと願います。ところが、イギリス、アメリカ、フランスなどのキリスト教国側に乗せられ、キリスト教国でもないのに「テロは許せない」の西側同盟の一本調子のキャンペーンに参加している観があります。オバマ政権から脅迫に屈するな、の声が届けられ、テロリストと取引をしてはいけない、の教訓に縛られていたように見えます。それでいて、西側諸国と違って軍事力は行使できません。それならば何もしなければいいのです。日本は神道と仏教の国。宗教戦争には手を出さない、の原則を貫いた方がいいのではないでしょうか。「イスラム国」から被害を受けた地域の犠牲者に2億ドル(240億円)の救済金を出すと胸を張って宣言したような今回の日本外交のやり方は、関係者は気がついていないかもしれませんが、事実上の「宣戦布告」なのです。

 軍事力を行使しなくても戦争はできます。否、軍事力を行使する戦争をしたくないばかりに、それでいて戦争をしたふりをしないと西側に顔が立たないので、いつものように引きずられるようにカネを差し出す。平和貢献と称する度重なるこの欺瞞は今度の件でほんとうに最終的に壁にぶつかったと考えるべきでしょう。

 「イスラム国」のテロリストからは今回は脅迫されただけでなく、完全にからかわれたのです。2億ドルというぴったり同額のどうせ実現できないと分かっているほどの巨額の身代金を求められたではありませんか。しかも直後にカネはもう要らない、女性の死刑囚との交換をせよとあっという間に条件を替えられたではありませんか。相手が非道で異常なのは事実ですが、日本は愚弄されたのです。テロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥をさらしたのです。

 もちろんオバマ大統領はじめ西側諸国はそうは言わないでしょう。日本の積極姿勢を評価するでしょう。差し当たり他に日本に打つ手がなかった、という政府擁護論にも十分に理はあります。

 ですが、日本は「のらりくらり作戦」がどうしてもできない政治体制の国なのだ、とあらためて思いました。そして、いわゆる西側の「正論」に与する前に、ほんの少しでもイスラム教とキリスト教の2000年に及ぶ宗教戦争の歴史に思いが及んだだろうか、と政府当局者に聞いてみたいと思います。さらに、国際社会の「法」と呼ばれるものがいつ、どのようにして形成されたかを、これもヨーロッパの中世より以後の歴史の中で検証したことがあるのだろうか、と疑問とも思えるのです。

 日本人の安全はカネを差し出すのではなく、本当の意味での実力行使以外に手はなく、他の手段で自国民を守れないという瀬戸際についに来ていることをまざまざと感じさせる事件でした。

報告者:阿由葉秀峰
(つづく)

イスラム・中世・イギリス、全集第10巻

 2月1日に坦々塾の会合を久し振りにもった。参加者は51名だった。私が1時間40分の講演をして、あとは懇親会だった。講演の内容は阿由葉秀峰さんのご協力を得て、近く少し調節し、文字化してここに掲示する。

 冒頭にイスラムの非情殺人のテーマに触れた。昨日のことだから、当然である。イスラムと西欧との2000年前の歴史について、アンリ・ピレンヌを引用してお話した。イスラム教徒とキリスト教徒の積年の宗教対立に無関係だとはどうしても思えない。がんらい日本人には何の関係もない争いなのだ。基本のテーマに日本人は手を出さない方がよい。

 私はいま「正論」連載で、「ヨーロッパ中世」は暴力、信仰、科学がひとかたまりになった一大政治世界であるとの認識を披瀝している。今、私たちが国際的な「法」と見なしているものは、18-19世紀に中世の争いを克服したヨーロッパがやっと辿り着いた約束ごとでしかない。いつ壊れてもおかしくない。実際20世紀に秩序は大きく壊れた。そして今、地球上で起こっていることは「中世」の再来のような出来事である。

 私たちは文明というフィクションの中を生きているにすぎない。『GHQ焚書図書開封』⑩の副題「地球侵略の主役イギリス」は計らずも19世紀の秩序の創造者であったイギリスが最も過酷な秩序の破壊者であったことを証明した。

 私の全集の最新刊はこれとは必ずしも同じテーマではないが、「ヨーロッパとの対決」という題で、今述べたこととどこか関係はある。1980年代に私がドイツ、パリ、その他で行った具体的な対決の体験談を基礎にしている。最近私のものを読みだした新しい読者の方は、この一連の出来事を多分ご存知ないだろう。

 後日立ち入った議論をこの欄にも展開するつもりだが、今日はとりあえず目次を紹介する。

序に代えて 読書する怠け者
Ⅰ 世界の中心軸は存在しない
Ⅱ 西ドイツ八都市周遊講演(日本外務省主催)
Ⅲ パリ国際円卓会議(読売新聞社主催)
Ⅳ シュミット前西ドイツ首相批判
Ⅴ 異文化を体験するとは何か
Ⅵ ドイツを観察し、ドイツから観察される
Ⅶ 戦略的「鎖国」論
Ⅷ 講演 知恵の凋落
Ⅸ 文化とは何か
Ⅹ 日本を許せなくなり始めた米国の圧力
追補 入江隆則・西尾幹二対談――国際化とは西欧化ではない
後記

「GHQ焚書図書開封 10」の感想

ゲストエッセイ
 河内隆彌:坦々塾会員、小石川高校時代の旧友 元銀行員
 『超大国の自殺』パトリックブキャナンの翻訳者
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 遅ればせながら、「GHQ焚書図書開封10-地球侵略の主役イギリス」拝読いたしました。毎度のことなのですが、今回は、自身でいささか生活に触れましたインドも大きく取りあげられ、大変興味深く読ませていただきました。

 イギリスの搾取と分割支配の爪痕は小生在勤中のカルカッタ(現コルコタ)の街なかのいたるところに刻み込まれていました。19世紀の中ごろまで、中国、インドのGDPが当時の欧米各国のそれを大幅に上回っていたことの知識はありましたが、たとえばインドの識字率がかつて60%だったことなどには目から鱗の落ちる思いでした。

 小生はいつぞや貴兄に、インドはイギリスによって外側から統一された、と申し上げました。しかし、それはインドがバラバラの国だった、という趣旨とは少々違います。かつて南アジア、印度亜大陸に一つまとまった、ムガール帝国ほか藩王国から成る小宇宙があったことには間違いありません。ただそれは「一つの(いまで言う国家の)主権」のもとにあったわけではなく、たとえばヨーロッパを一つの小宇宙として見たときと同じようなものと言うことができましょう。いずれにせよ、ほかの各国と同じように、インドを一つの国(a nation)として片づけてしまうとちょっと理解が行き届かなくなるのではないか、という気がするのです。インドは連邦制で、29州(一番新しい州はなんと昨年、州として独立したテラン・ガーナー州)と7直轄地域で構成されています。一番人口の多い州はウッタラ・プラデーシュ州で、1億9900万。1億以上の州には、ビハール、マハラシュトラ州があり、5000万以上の州も七つほどあります。言葉の面で見れば、連邦憲法上の公用語はヒンドゥー語、准公用語は英語ですが、各州が認める州公用語は22言語です。また紙幣(インド準備銀行発券)には単位ルピーを示す言葉が17言語で記されています(中国とは異なって、各言語は「字」も違います)。というと驚く人も多いのですが、インドの面積はEU圏の72%、人口はEU5億に対する12億、インドの大きな州はヨーロッパ各国、ドイツ82(単位百万、以下同じ)、フランス、イギリス62、イタリア60、スペイン46よりずっと大きい、また言葉にしてもヨーロッパには英語、仏語、独語、イタリア語、スペイン語などがあるので、インドの事情をこう説明すると納得していただけます。小生はやや言葉足らずで、インドは統一国家ではない、などと申し上げましたが、国際的に、連邦制国家インドはむろん統一主権を持ったひとつの国家です。

 英国は海からやってきて、この小宇宙を、ご著書が示される奸智と策謀を駆使して一つの植民地にまとめました。そして英国が去った後、インドはそのままの形(パキスタンとそこから独立したバングラデシュ、スリランカとなったセイロン、ネパールなどは分離したが・・)で独立国となりました。この広大な地域は、むしろ統一国家であることの方が不思議で、歴代政権の国家運営の努力は並大抵のものではないように思われます。印パ(ヒンズー教対イスラム教)紛争、バングラデシュ独立、スリランカにおけるシンハリ人、タミル人の確執などなど、深刻なトラブルがかつてあり、現在進行形のものがあるにせよ、インドが世界最大の民主主義国家としてまずまずの成長を続けている点は大いに評価されましょう。

 イギリスは植民地時代にも分割統治、宗教対立、民族対立を煽りましたが、去るにあたっても紛争のタネを蒔き続け、現在の印パ核兵器保持競争にもつながっています。日本人にとっての近現代史における句読点は、たぶん「明治維新」と「敗戦」だと思うのですが、インド人にとっては「the Mutiny(反乱)」と「the Partition(分離)」である、とインド人から聞いたことがあります。前者は1857年のいわゆる「セポイの反乱」であり、後者はイギリスの置き土産である、1947年の血を血で洗うような「インド・パキスタンの分離」でいずれの事件にも深くイギリスが絡んでいます。

 ご著書、日英同盟の項にある1915年、シンガポールにおけるインド兵の反乱を帝国海軍がイギリスの要請によって鎮圧した、という話、Colin Smith “Singapore Burning”の冒頭の章に結構詳しく載っているんです。インド兵の反乱を煽ったのは、シンガポールで捕虜となっていたドイツの軽巡洋艦エムデンの乗組員ほかドイツ人捕虜たちでした。駐屯していたイギリスの正規兵が欧州、中東戦線に出払ってしまったあと、イスラム教徒主体のインド兵に捕虜の監視をさせていたところ、インド兵がドイツの友邦トルコに好感を持っていることにドイツ人が気づき、君たちはトルコ人と戦うことになる(すなわちマホメットを敵にすることになる)と裏切りを使嗾したのが事の発端だったようです。

 このシリーズで戦前の立論に直接触れられることは本当に貴重です。ご著書「あとがき」にあるように、それらは「今かえって非常に鮮明に感じられ」ます。ソ連崩壊後、冷戦時代に見えなかったもの、本質的に隠されていたものが見えてきたせいでしょうか?こちらが馬齢を加えたため既視感が積み重なってきたせいでしょうか?「歴史」が「いま」と交錯する局面が本当に多くなった様に思われます。今後とも焚書図書のご紹介をよろしく。

 昨今の話題、映画「ザ・インタビュー」、仏週刊誌「シャルリー・エブド」などの下品なdefamationのプロパガンダを、「言論の自由、表現の自由」の名のもとに徹底して擁護する欧米の姿勢に改めて白人の傲慢さを垣間見ます。このところ欧米の首脳は、同性婚問題でソチ五輪をボイコットしたり、「私はシャルリー」とパリに相集ったり(オバマは行かなかったことで非難を浴びているようですが・・)何かつまらぬこと?に熱心で、どこかヘンですね。まがまがしさを感じています。以上ご著書拝読感想まで、乱文お赦しください。

2015年の新年を迎えて(四)

以下はこの動画に寄せられたコメントです。

-BERSERK HAWKWIND
2 週間前 (編集済み)

大変教養に富むお話、ありがとうございました。伺っていて整合性を考える必要性を感じた事を一点申し上げます。共産主義が創作された時点よりも以前では、国家対国家という構図からの考察でも全体を合理的に説明できると考えました。一方、その後では実際にはアメリカ自体も国際金融資本に支配されてしまった、という現状を考えると、実際にはやはりイギリスの”支配層”、いわゆる一部のユダヤ系と便乗集団が、アメリカを通じて制空権を抑える、更には”制宇宙空間権”を抑えることで世界のコントロールしようとしている、と考えるのがより全体を合理的に説明すると考えます。更にイギリス自体も中央銀行はアメリカと同じく彼らの手中ですから、国家間の対立構造が見えつつも、やはり特に共産主義発生後は彼らの意図の上で操作されてきた、と考えると、より辻褄が合うと考えます。

Kimiaki Ohyama
2 週間前

西尾先生の話、断然面白い。イギリの制海権、アメリカの制空権と金融支配の歴史。さて、今の日本政府は防衛上支邦を封じ込めるためどうする。支邦の東シナ海から太平洋への進出。将来、正面から東京を攻撃される可能性は十分ある。政治家も防衛上の見識を高め、大いに議論すべきである。又、実際に予算を付けて、支邦封じ込めのため、防衛設備を増強すべきである。

清水光裕
1 週間前

西部先生といい西尾先生いい今年の対談は良いですね。
私が20代~30代にかけて薫陶を受けた(勝手に思い込んでいる(笑))巨匠のお話。
お二人が日本を憂うる気持ち、日本人(瑞穂の国に住む人々)を誇りにし愛している事がうかがわれます。・・・(西部先生は照れ隠し皮肉屋さんの高杉晋作、西尾先生は心配性の吉田松陰ですかね、すみません。)
保守思想を突き詰めると三島文学などを読んだりして、行きつく先はニヒリズムの肉体言語に陥りがちですが、西部、西尾両氏の考えでどうにか踏みとどまれます(笑)。
言語の可能性という中に。
そして、日本も捨てたものじゃない、がんばらねば。・・・とね。

Momo Fuji
2 週間前

明けましておめでとうございます。
西尾先生の大ファンです。GHQ焚書図書開封の本も、西尾先生ご自身の教養の深さも日本の宝物で、国を愛する日本人みんなが、この国の歴史や文化をよく知り、考え、共有していくことが、これからの日本に大事だと思います。これからも末永くお元気で決して無理はなさらずに、『日本の未来のために』よろしくお願いいたします。

2015年の新年を迎えて(三)

 正月十日に高校時代の級友早川義郎君から次の書簡が届いた。彼は元東京高裁判事、退官後は数多くの海外旅行を経験し、著書数冊を出した。著書は美術と地誌学的関心からなる本が主で、例えば韓国や日比谷公園に関するものなどが近著である。

 私の全集の最初の巻、すなわち第5巻『光と断崖―最晩年のニーチェ』のときに「月報」を書いてくれた人だ。全集月報の第一号だったので覚えている方もいようか。

拝啓
 正月早々執筆等に忙殺されていることでしょうね。小生風邪をひき、4日ほど寝込んでしまいました。治りかけてから早速貴兄のGHQ焚書図書開封10「地球侵略の主役イギリス」を拝読しましたが、大変面白く、なるほどなるほどと頷きながら、一気に読み終えました(ちゃんと読んだ証拠に206ページ4行目「礼状→令状」と348ページ2行目「野郎自大→夜郎自大」の2か所の誤値発見)。

 アムリトサル事件のことはあまりよく知りませんでしたが、まさに暴虐の一語に尽きます。アイルランドでも同じようなことをしていますから、ましてやインドではということになるのでしょうか。このほか知らなかったことも多く、啓蒙されること大でした。

 我々のイギリスに対する見方は、日露戦争の際日英同盟が日本の勝利に役立ったということで、多少点が甘くなっているのかもしれませんし、物心ついてから我々が知るイギリスというものが、2度の大戦を経て衰亡の道をたどる20世紀後半の姿であったということで、搾取と暴戻をきわめたイギリスの植民地支配を過去のものとして見逃しているところがあるようにも思われます。これなどまさに貴兄のいうわれわれの「内なる西洋」のなせる業かもしれません。

 アメリカとイギリスとの歴史的関係に関する貴兄の指摘にも教えられるものがありました。アングロ・サクソン同士の一枚岩の同盟関係といっても、それはごく最近のこと、アメリカの軍事的、経済的覇権が確立してからのことで、それまではしばしば対立と牽制の関係にあったことがよく分ります。第二次大戦以後の米ソの緊張関係や一昔前の英仏のヨーロッパでの覇権争いに目を奪われているせいかもしれません。

 それにしても、幕末・維新の元老たちはえらかったですね。佐幕も勤皇も英仏との深みにはまらず、絶えず日本の将来を考え、アヘン戦争を他山の石として対処していたあたりはさすがだと思いますが、武士の躾にはやはりそれだけのものがあったのでしょうか。開封11が楽しみです(今度は自費購入しますので、お気遣いなく)。

 甚だ粗雑な感想で申し訳ありませんが、一筆御礼まで。
                                     敬具
西尾幹二様                     早川義郎

 尚、同書は『正論』3月号で、竹内洋二氏が書評して下さることになっている。また、宮崎正弘氏が早くも年末に氏のメルマガに書いてくれている。併せて御礼申し上げる。

2015年の新年を迎えて(二)

 『GHQ焚書図書開封』の文庫版が徳間書店から出始めたことは既報の通りである。文庫版は差し当り5冊出る。第2巻から第5巻までの4冊の解説者は次の通りである。

文庫版『GHQ焚書図書開封』

第1巻 米占領軍に消された戦前の日本 解説者ナシ
第2巻 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画  宮崎正弘氏
第3巻 戦場の生死と「銃後」の心 加藤康男氏
第4巻 「国体」論と現代 伊藤悠可氏
第5巻 ハワイ、満州、支那の排日 高山正之氏

 第1巻だけ解説文がないのでなにか意図があるように見られるのは困る。ちょうどその頃超多忙で、版元に任せっきりだった。担当編集者も文庫本には解説がつくという慣行を忘れていた。あっという間に第1巻が出来てしまって、次に第2巻の話になって、しまったと気がついた。私の迂闊さでもある。本当に他意はない。

 第2巻以後の4氏はいい解説を書いてくださって感謝している。刊行されていない第5巻の高山氏の解説文だけはまだ私の手許には届いていないが、きっと才筆を揮って下さっているだろう。

 ところで出たばかりの『GHQ焚書図書開封 10――地球侵略の主役イギリス――』から、どこでもいいのであるが、一ヵ所引用してみたい。気楽にさらっと流している箇所だが、サワリの部分である。

GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス
(2014/12/16)
西尾 幹二

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 十五世紀末、インドは平和な土地でした。ところが、そこへ大きな船がやってきて、船員は水を求めて上陸し、いきなり鉄砲を放ったのです。ヴァスコ・ダ・ガマの軍艦でした。たくさんの現地人を殺しています。

 そのあとポルトガル人が何をしたかというと、多くの船を並べて海上封鎖をしています。遠洋航海してインドの港へ帰ってくる船があると、襲撃する。それから大砲を撃って脅かし、出入りする船から税金を取る。陸地内部での侵略は過去いろいろありましたが、海を利用した征服は初めてのことでした。

 そこで、海上を船でつないで陸地を封じ込めたので「ポルトガルの鎖」あるいは「ポルトガルの『海の鎖』」といわれました。そういったやり方がそっくりそのままイギリス海軍に伝わっていきます。とにかく、「ポルトガルの鎖」をまねようということで、イギリスも出入りする船から税金を取るようになるのです。

 では、なぜインドの王さまたちはポルトガルに戦いを挑まなかったのか?それは謎です。

 インドは当時、ムガール帝国になる前でしたが、戦闘ということには無関心だったようです。西南アジア人、とりわけインド人のもっている性格なのでしょう。内陸の王権は海外の国々とは交易を盛んにしていて、それで満足で、交易さえ妨げられなければ他は何があってもいい、と考えていたようです。やすやすと海上での略奪行為を許してしまった原因です。

 もうひとつ、「ポルトガルの鎖」には大きな思想上の理由も考えられます。「海は自由である」という思想に初めてノーと言ったのです。陸ではお互いの約束事があるけれども、海は自由であった。海上自由の思想はその後も続きます。ポルトガルの「海の鎖」はそこにつけ込んだ悪業といっていいでしょう。それは間違いなく、イギリスの「海上帝国」の思想にもつながっていくのです。さらにいえば、アメリカの「制空権」の思想にもつながっていく。

 イギリスからアメリカに覇権が移ると、「海」の時代から「空」の時代に変わることは周知の通りです。アメリカはアッという間に空を制圧した「空の帝国」です。

 「ポルトガルの『海の鎖』の時代→イギリスの『海の帝国』→アメリカの『空の帝国』」という変遷を頭に入れておいてください。そして、いまは情報の時代です。ITを使った多民族支配の時代。恐るべき時代に入りました。

 話は飛びますが、グーグルが中国から撤退しましたね。これは中国の敗北だと思います。世界の流れといっしょにやっていかなかったらダメなんです。いっしょにやって、トップ・ランナーに躍り出なければ取り残されていくだけです。情報社会から自分を閉ざしてしまうことは行く末、中国がダメな国になる原因となるでしょう。それは目に見えています。

 余計な話になりましたが、「ポルトガル→イギリス→アメリカ」と進んでいる話は現代ともつながっているので注目してください。

2015年の新年を迎えて(一)

 やっと年末から正月にかけての雑用が終った。年賀状が約700枚。これの処理が毎年とてつもなく重い仕事である。これでも200枚ほど減らしたのだ。

 年賀状はもう止めようかと何度も思った。しかしながら小さな交信の言葉、短い文章が伝えてくるサインに、心を轟かせる。私は厭世家ではない。結局、人間好きなのだと思う。

 今年の私の年賀状は業者にたのんで次の文章を活版印刷させた。パソコンでは私の技術の拙さもあって、きれいに印刷できないからである。

賀正 私は今年八十歳を迎えます。最近は長寿の方が多いので、自分もその一人と呑気にしていますが、老衰で死ぬのは滅多にないこと、それは異常な例外で、自然は二、三百年にたった一人という割合でこの特典を与えている。自分が今達している年齢そのものが普通はあまりそこまで到達できない年齢だと考えるべきではないか、と言ったのはじつはモンテーニュなのです。そのとき彼は四十七歳で、三年後に死亡しています。十六世紀のヨーロッパの平均年齢は二十一歳でした。そして、彼は自分の知る限り、今も昔も人間の立派な行いは三十歳以前のものの方が多いような気がする、と付言しています。

平成二十七年 元旦 西尾幹二

 ご覧の通り、内容は厭世的である。自分で自分の晩年は蛇足だよと言っているようなものである。それなのに、私は夢中で生きている。人生を投げてはいない。体力は衰えつつあるが、気力は衰えていない。

 私はいったい何を信じて生きているのだろう。自分でも分らない。歩一歩、終末に向かっていることに紛れもないのであるが・・・・・。

 年末に刊行した『GHQ焚書図書開封 10』(地球侵略の主役イギリス)を自ら読み直してみて、意外に読み易い、説得的な文章になっていて、そう悪くないな、と思っている。

謹賀新年平成27年(2015年)元旦

 昨年は当ブログにおける私の文章の更新は少なく、このことに関する限り不本意でした。お詫び申し上げます。
 
 病気したわけでも海外旅行をしたわけでもなく、全集の刊行が難しい局面を迎え、編集校正に追われ、しかも昨年内刊行予定の第10巻が遅延して1月刊となる不始末でした。間もなく刊行されます。

 第10巻は『ヨーロッパとの対決』と題し、世界に中心軸は存在しないこと、西欧は閉鎖文明であること、西欧の地方性、周辺性、非普遍性を、ドイツやパリで言って歩いた記述を元に展開しています。

 たまたま『GHQ焚書図書開封』⑩は『地球侵略の主役イギリス』という題で年末に刊行されました。西欧の先端を走ったイギリスの閉ざされた闇を問いました。

 ただこの本はそれだけでなく、第1章「明治以来の欧米観を考え直す」に注目していたゞきたいのです。近年ウォラスティーンなどに依存し、再び西洋中心史観に溺れかかっている現代日本の歴史の学問、人文社会科学系の学問一般に疑問を突きつけています。

 もうひとつ『正論』連載の「戦争史観の転換」も第11回を迎え、スペインからイギリスに移動したヨーロッパのパワーが中世以来のカトリック政治体制の闇を背後に秘めてアジアに向かってくることを論じ始めています。

 以上三つの仕事がどれも手を抜けず、息もつけない有様で、昨年はあっという間に一年が過ぎました。三つの仕事が期せずしてバラバラでなく、一つの結論に向かって同一方向を目指していたことに自らやっと気がつき、計画外のことでしたので、吃驚しております。

 以上三つの歴史像が今私の中でひとつになって熱っぽく回転しています。今年もその駒を回しつづけることになるでしょう。

 皆さまのご健勝を祈ります。

(追記)『GHQ焚書図書開封』は①~⑤の徳間文庫化が始まりました。

GHQ焚書図書開封1: 米占領軍に消された戦前の日本 (徳間文庫カレッジ に 1-1) GHQ焚書図書開封1: 米占領軍に消された戦前の日本 (徳間文庫カレッジ に 1-1)
(2014/10/03)
西尾幹二

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GHQ焚書図書開封〈2〉バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画 (徳間文庫カレッジ) GHQ焚書図書開封〈2〉バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画 (徳間文庫カレッジ)
(2014/11/07)
西尾 幹二

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GHQ焚書図書開封〈3〉戦場の生死と「銃後」の心 (徳間文庫カレッジ) GHQ焚書図書開封〈3〉戦場の生死と「銃後」の心 (徳間文庫カレッジ)
(2014/12/05)
西尾 幹二

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GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス
(2014/12/16)
西尾 幹二

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阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十四回」

(8-66)文部省は、もともと通俗道徳にきわめて弱い官庁で、いい子ぶり、何もかも善と美で語るという性格がある。人間の心の暗部を見ようとしない。おそらくそのせいであろうが、自由だ平等だと言われると、その瞬間に思考力が停止し、自由や平等は放任しておくと不自由になり、不平等をもたらすという人間社会の逆説を先取りして予防的な政策を立案するということがまったくできない官庁である。

(8-67)真の意味での才能や個性が開花するためには、子ども時代の独創的な生活が大事であり、少年時代に自由な個性ある生活を経験した者、基礎経験を積んだ者だけが、やがて国際競争に耐えうるような学問能力にだんだんと転化できるのだと思うのです。

(8-68)いわゆる一流大学の学生は自分で勉強し研究課題を見つけ立派に育っていくので、日本の社会だけを見ている限り、欠損には誰も気がつきません。しかし四年間で日本の大学生は確実に国際競争力を失っているのです。一流の学者がきちんと厳しく育てるということをしないでいれば、その学生は四年間でアメリカやドイツやフランスの学生に比べてたいへんな損をしていると言えるのです。優秀な学生を優秀な教授スタッフが真剣に教育しないことの国家的損失もまた小さくありません。

(8-69)世間は盲目的に「格差是正」を正義の御旗のように言うが、じつを言うと「格差」が国民の黙約となっているからこそ、約二百万人もの人間が同時に同資格の「大学生」であることが可能になっているのである。

(8-70)外国にモデルがあれば安心してそれに従うというのが、日本の官僚の習性

(8-71)教育制度は善かれ悪しかれ、その国民の持っている賢さと愚かさのすべてを反映した国民性の縮図である。繰り返すようだが、外国にあるモデルは、いかに理想的にみえてもそのまま自国に接木は出来ない。日本の教育の困難は日本の現実の内側から改善されなければならないのである。

(8-72)私は初等中等教育においては能力についてすべてを余りはっきりさせないのがいいという考えに立っている。一線を引かないのがいいと言っているのだ。教育における「自由」とは何か。現実において自由でなくても可能性において自由であると子供に思わせるのはただの夢想への誘いでも、思いやりでもない。成長期の教育においてはこの両者の厳密な区別はなし難いからだ。可能性において自由であればそれが明白にも現実における自由につながらないとはいえない所に、若い心を教育する不思議があるのである。

出展 全集第八巻
「Ⅵ 大学改革への悲願」
(8-66) P738 上段「大学を活性化する「教育独禁法」」より
(8-67) P746 下段「大学の病理」より
(8-68) P760 下段から761上段「大学の病理」より

「Ⅶ 文部省の愚挙「放送大学」
(8-69) P780 上段「文部省の愚挙「放送大学」」より
(8-70) P782 下段「文部省の愚挙「放送大学」」より
(8-71) P763 下段「文部省の愚挙「放送大学」」より
(8-72) P800 「後記」より

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十三回」

(8-61)教育の中に分からないもの、及ばないものが入ってきてはいけないという考えが、教育を狭めてしまうことになる。

(8-62)文化の最奥、生動する未知の世界、未解決・困難な部分に、できるだけ多くの人が開かれていること、誰でもがそれに近づく可能性において自由であること―それが私の考える〝教育と自由〟のテーマにおける「自由」の真の意味だということである。

(8-63)日本の大学制度はドイツやアメリカのそれを模範として創られたはずだ。ところが建物や組織形態は真似たが、その運営の仕方は少しも学んでいない。

(8-64)日本人だから日本人的に生きて構わないし、またそれ以外には誰だって生きようがない。ただ、自分が学んでいる西洋の学問と自分の日々の生き方との間に生ずる微妙なズレだけは、終始意識していなくてはならないであろう。

(8-65)いま日本が最も必要としているのは、世界をリードする思想の力、知的先駆性、情報の発信力、科学技術でいえば基礎開発力である。日本はこれまでその部分を欧米の知性に頼ってきた。自分で世界像を組み立てる努力を必要としなかった。しかし今われわれは自分のパースペクティヴで世界像を描き出す能力を国内からだけでなく、国外からも求められている。

出展 全集第八巻
「Ⅴ 教育と自由―中教審報告から大学改革へ」
(8-61) P667 上段「終章 競争はすでに最初に終了している」より
(8-62) P667 下段「終章 競争はすでに最初に終了している」より
(8-63) P684 上段「終章 競争はすでに最初に終了している」より
(8-64) P684 下段「終章 競争はすでに最初に終了している」より
(8-65) P685 下段「終章 競争はすでに最初に終了している」より