ゲストエッセイ
田中卓郎氏は坦々塾の会員、哲学者。
自衛隊を国軍にしない限り日本の軍事力は機能しない、ということについて「軍令承行権」という概念の重要さを私に教えて下さった田中卓郎氏に、この概念の哲学的説明をお願いした。以下の通りである。
帝國海軍に於ける軍令承行權について
― 無制約的な國家主權の直截な發動としての軍事作戰遂行といふ觀點よりの考察 ―田中 卓郎
帝國海軍に於ける軍令承行權の問題と言へば、通常は歴史的事實の問題としての「一系問題」、即ち海軍が戰鬪を行ふ際の指揮權の繼承序列を定めた軍令承行令『軍令承行ニ關スル件』(内令廿二號、明治卅二年三月廿四日發令)「軍令ハ將校、官階ノ上下任官ノ先後ニ依リ順次之ヲ承行ス」の「將校」に、海軍兵學校出身の兵科將校の他に、海軍機關學校出身の機關科士官をも加へて兩者を區別せず、一括して(一系化して)兵科將校(「將校」と「士官」とは一般語法では同義であるが、海軍では區別があつた。その定義や變遷を詳しく辿るのは煩瑣な作業になる。大雜把に言へば、軍令承行權を有つ兵科將校のみが「將校」であり、その他の兵種は「將校相當官」としての「士官」であると理解すれば宜しいかと思ふ)と爲し、兩者が共に戰鬪の指揮權を有つやうに改め、海軍内に於ける兩者の深刻な對立をやつと終戰の前年の昭和十九年八月に解消した、といふ歴史的事實を意味するが、この論稿はかかる歴史的事實に關するde factoな歴史學的考察では全くない。本稿の目的は、軍政と區別される軍令(作戰、用兵に關する統帥權)を遂行することは、無制約的な始源的權能としての國家主權の現實に於ける最も直截な現れなのであり、これの繼承遂行序列たる軍令承行令が海軍に於ける最重要事項であり續けたといふことを、de factoの問題としてではなく、帝國海軍が近代主權國家の國軍である限りさうあらざるを得なかつたのである、といふde jureの問題として考察することである。この論理の必然が存在し續けてゐたことそのことを考察の對象とするのであつて、現實にこの「一系問題」が海軍に於いて如何に弊害を齎したかを歴史的事實として檢證することが本稿のテーマなのではない。
帝國海軍に於ける現實の「一系問題」とは、殆ど專ら兵科將校と機關科士官との權限爭ひであり、その原因は兵科將校が所屬戰鬪部隊に居る限り、機關科士官は如何に階級が上で更に實戰經驗等が豐かで軍人として如何に有能あつても、機關科士官である限りは部隊を指揮して戰鬪する權限たる軍令承行權が認められない、といふ軍令承行令の規定にあつた。この状態が實に昭和十九年八月の軍令承行令の改訂まで續いたである。これに對する機關科士官の怒りと不滿は尋常ではなく、その結果兩者の對立は海軍の戰力にも否定的な影響を及ぼしたといふことが「一系問題」の内實であり、當時の海軍將校、士官達の認識も、書き遺されたものの幾つかを讀む限り、殆どそのやうな程度に留つてゐたと思はれる。この問題が帝國海軍に於いて、この論稿で明らかにされるやうな意味に於いてどの程度認識されてゐたのかは、管見の限りでは判らず、從つてこれを探求することは大變意義深く魅力的な歴史學的テーマではあるが、それは本稿のテーマではない。
本稿のテーマは、地上の政治權力の最終根據である無制約的な國家主權の直截な現象形態である國軍(無制約的武力)がその本質を顯現するのは國家主權の行使たる戰爭であるが、かかる戰爭に於いて部隊を指揮する權限(軍令承行權)を如何なる身分の軍人が所持するのかといふことが、海軍の組織に於ける最重要事項の一つであり、これを承行する兵科將校が海軍最高のエリートであると位置附けられてゐたことが、近代主權國家の國軍の在り方として、現實にはその運用方法(規定)の重大な誤りゆゑに多大の弊害を齎し、殆ど弊害としてのみ認識されてゐたにも拘らず、原理的には正しいことであつたといふことを論證することである。
大日本帝國憲法に於いて、國家主權の體現者たる天皇が國家主權の最終的支柱たる國軍を指揮する最高の權限である統帥權を有つと規定されたことは、國家主權の性格と國家元首としての天皇の地位とを考へ合せれば論理的に當然のことであり、このことに依り、國家主權の無制約的始源性は正しく國軍に於いて保持されてゐる。この天皇大權としての統帥權の獨立は、昭和期に入り、軍縮條約を繞つて軍部により惡用されて「統帥權干犯」問題を引き起した元兇と一般に解釋されて惡名高いものであるが、かかる歴史的事實を捨象して純粹に論理的に考へるならば、國家主權の直截な現象形態であり、且つその最終的な支柱でもある國軍は、國家にとつて、行政機關としての政府、立法機關としての議會、司法機關としての裁判所といふ三權分立機關よりも國家主權に近いといふ意味に於いてそれらに先立ち、それらより始源的で無制約的な、謂はゞ生の力であり、ゆゑにそれらとは區別され、それらから制約され得ない獨立してゐる組織であると位置附けられることは、論理的には正當なことであると言はなければならない。(本稿のテーマからは外れるので詳述は出來ないが、國軍のかかる特別な性格ゆゑに軍人は一般の司法權によつては裁かれ得ず、一般の裁判所とは區別される軍法會議が必要となる理由が理解されよう。戰場に於いて軍人が敵兵を殺傷しても殺人罪や傷害罪に問はれず、違法性が阻却される根據は、軍隊が一般の法律の根據たる國家主權の直截な現れであり、軍の行動そのものが即時的に法的な根據となるので、軍の行動を制約し、これを法的規制や處罰の對象とする根據が原理的に存在し得ないからである。正當防衞、緊急避難といふ一般刑法上の規定によつてしか自衞官の敵兵殺傷の違法性を阻却出來ない自衞隊は、かかる點からも國軍ではあり得ないことが明瞭に看取されよう。)
勿論、以上は現實を捨象した國家主權發現の純粹に論理的な經路に過ぎず、これをその儘國制と爲して國家を經營することが無理なのは當然である。天皇が現實に國軍を統帥すると云つても、天皇は高度な專門的軍事知識を有つ軍人ではあり得ないのは當然であるし、又軍隊を統帥すると云つても、戰爭を遂行する戰鬪部隊のみでは軍隊は成立し得ず、これを構成する兵員や豫算の確保等、戰鬪部隊以外の樣々な構成要件を滿たして初めて軍隊は構成維持されることも改めて指摘するまでもない自明なことである。かかる自明の理によつて統帥權は實際の戰鬪遂行の爲の戰略戰術の策定や作戰の立案とその指揮命令を擔當する軍令部門と人事や兵站、豫算等を擔當する軍政部門とに分岐するのは當然の趨勢であらう。 陸軍に於いては前者を參謀本部が、後者を陸軍省がそれぞれ擔當し、海軍に於いては前者を軍令部が、後者を海軍省がそれそれ擔當したのは周知の通りである。かかる概括的な統帥權の二分法に於いて、國家主權の始源的無制約性の發現たる戰爭を遂行する權限である統帥權は軍令部門に集約限定されたと考へてよいだらう。地上の權力の始源たる國家主權の無制約性は、かかる經路によつて正しく帝國陸海軍の統帥部、即ち陸軍參謀本部と海軍軍令部とにその儘の純粹な姿で發現するのである。この經路が帝國海軍に於いては軍令承行令といふ法令によつて明確に法制度化されてゐることが、帝國海軍が大日本帝國といふ國家主權を有つ近代法治國家の正規の國軍であることの原理的な、de jureな證明なのである。
既に申し述べた如く、この事は、軍令承行令の存在が現實には「一系問題」と化し、軍令承行權を獨占的に掌握する兵科將校が、これを有能な機關科士官が作戰を指揮命令することを妨げ、彼らを差別して權勢を揮ふ口實として用ゐ、兩者の深刻な對立抗爭を引き起した、といふ歴史的事實とは原理的に別の事である。國家主權の發現として國軍を指揮命令する權限の經路が軍の法令上明確に規定されて、軍の武力行使が國家主權の發現として嚴格に位置附けられなければ、その武力行使は適法ではなく、單なる暴力行爲となり、敵兵の殺傷は單なる刑法犯罪としての殺人に過ぎなくなり、それを爲す「軍」は正規の國軍ではあり得ず、單なる私兵集團と見做される他はない。國軍の武力行使が正當性を獲得する唯一の方途は、それが正しく國家主權の發現であるといふことが法制上明確に規定され、國家主權から國軍への始源的無制約性とそれに由來する權能の讓渡の經路が明確に示されることである。これを囘避する國軍建設の如何なる方途も原理的に存在し得ない。(因みに、支那では人民解放軍といふ軍隊は中華人民共和國の軍ではなく、支那共産黨に所屬する軍隊といふ位置附けになつてゐるさうである。その理由を私は知らないが、本稿の結論より考察するならば、この事實は、人民解放軍は正規の國軍ではなく、支那共産黨といふ軍閥の單なる私兵集團に過ぎず、かかる徒黨とその私兵集團によつて支配されてゐる中華人民共和國は近代的主權國家、法治國家ではないといふことの端的な證據となるであらう。)
平成廿六年 四月廿五日 金曜日
識