慰安婦問題――ポイントを間違えるな

 このところ橋下大阪市長と西村眞悟衆議院議員の従軍慰安婦問題をめぐるイレギュラー発言がマスメディアで取り上げられ、騒がれています。お二人の発言の仕方はまずいなと私も思いました。内容ではなく、仕方、ものの言い方、テーマの選び方における「戦略」のなさです。

 お二人はなぜアメリカ軍による日本人慰安婦の扱いを具体的に例をあげてきちんと取り上げないのでしょうか。誰でも「基地の女」ということばを知っているでしょう。全国いたる処、基地のあるところに日本女性がいました。朝鮮戦争のころ(1950~53年ごろ)はピークでした。殺人もよくありました。

 日本人は戦後、米兵にさんざんな目に遭ったのです。それでも世界の歴史の中では比較的ましな占領軍でした。それで日本人はずっと我慢して来たのですが、いまアメリカからありもしない日本軍による人身売買の人権侵害蛮行として道義的に批判される理由はまったくありません。

 橋下さんは沖縄の司令官に日本の風俗営業をもっと活用せよと言ったようですが、そんなことを言わないで、戦後の日本におけるアメリカ兵の蛮行のデータをきちんと調べて、あらためて批判するべきでした。また、慰安婦施設は世界中どこにもあった、などと漠然と言うのではなく、例えばシシリー島ではドイツ軍管理の慰安婦施設をアメリカ軍が働いている女性もろとも引き継いだ、という笑ってしまうような例――よく知られた話です――を取り上げて、大衆にもメディアにも文句の出てこないような話し方をすべきです。ワーワー大声でわめいている印象しか残らない彼の話し方は拙劣です。

 西村眞悟さんはなぜ韓国人売春婦の数が多いなどということを唐突に口走ったのでしょう。もしこれを言うなら事実例を挙げて、例えばごく最近も韓国で売春婦の大型デモがあり、白昼堂々と彼女らの権利が主張されている国であること、また米国務省の2011年6月11日付報告書で、韓国の売春婦は世界で一番多く、27万人、全人口の1.07%に及ぶというような驚くべきことを報道事例を掲げて、説明すべきだったでしょう。そうすれば女性議員の会が文句をつけたりできないのです。西村さんはなぜこんなにいつもスキがあるのでしょう。くりかえされる不用意なもの言いはそれ自体が問題です。きわどいことを発言するときには、それなりの準備と戦略が必要ではないですか。

 それから、申し上げたいのは今さら韓国を相手にこの件でものを言うな、ということです。またこのご両氏だけではなく、どなたでも弁解や言い訳に類することはもう一切口にして欲しくありません。言葉が通じない相手には――100年前からそうでしたが――何を言ってもダメなのです。

 いま外交的に面倒なのはむしろアメリカです。しかもアメリカ人は論理的に説明すれば分る人がまだいます。日本に慰安婦施設をつくらせたのはGHQです。アメリカが日本を非難する資格はありません。

 この件で世界に発信しているアメリカのサキ報道官(女性)に、国民みんなで抗議しましょう。彼女は「性を目的に人身売買された女性たちの身に起きたことを嘆かわしく、とてつもなく重大な人権侵害である」と日本を非難していますが、あなたはあなたの父や兄や祖父が日本で何をして来たのか、またアメリカ軍が何をしてきたのか知っているのですか、と訴えかけましょう。あんな風に日本人を見下すような物の言い方は許せません。国民みんなで声をあげましょう。そして韓国人は放って置きましょう。アメリカに抗議しましょう。反発するアメリカ人も出て来ますが、その通りだ、分った、というアメリカ人もいるはずです。これはそのようなレベルのテーマなのです。

(追記) 戦後の沖縄で米兵による狼藉がくりかえされ、今もなかなか止みません。アメリカ軍はアメリカの女を沖縄の基地に連れて来て、慰安所をつくり、日本人に迷惑をかけるべきではありません。旧日本軍がしたことはそのことでした。旧日本軍のほうがずっと正しいことをしていたのです。橋下さんは沖縄の司令官に日本の風俗嬢を使えというのではなく、アメリカから風俗嬢をつれて来いと言うべきなのです。日本政府もそう言うべきなのです。これは当り前なものの言い方で、たゞ内気になった日本人がこういう普通の言い方を忘れているだけです。アメリカにももっと胸を張って生きていきましょう。

「地表の三分の一を占めた覇権国英米への正当なる反逆」(GHQ焚書図書開封・第126回)

 韓国大統領が訪米し、生徒が先生に告げ口をするみたいにオバマ大統領に日本の悪口を言いました。「先生、あの子はむかし私を虐めたのに、もうあんなことは忘れたって言うんですよー。何とか叱って下さい。」

 そのむかし蒋介石夫人が米議会で反日演説をして拍手喝采され、政治局面が変わったことを思い出します。

 アメリカに睨まれると安倍さんの発言内容がトーンダウンするのが気がかりです。発言内容を単に縮小し無害化するのではなく、丁寧に意を尽くして、最初に言っていた概念をくわしく言い直した方がかえって誤解を妨げると思うのですが、安倍さんは言葉遣いが上手なのでやれると思うのですが、どうなのでしょうか。

 自分のことを「極右」とか「修正主義者」とかレッテル張りする中韓の議論に対してはきちんと反論した方がいいと思います。いま、この時点が時代の転換点です。大事な局面です。

 「侵略には学問的に二つの見方がある」などと抽象的に言うにとどまらずに、「日本は近代史70年(1868~1941)で侵略される側にあった。」とひとこと言うべきではないでしょうか。

 私の『GHQ焚書図書開封』126回「地表の三分の一を占めた覇権国家英米への正当なる反逆」(日本人が戦った白人の選民思想・後半)をぜひこの観点からご覧下さい。

もうひとこと申し上げる

 私より若い私の友人に青山学院大学教授の福井義高さんがいる。彼は会計学がご専門で歴史家ではないのだが、日本の歴史学者は歴史を知らないので、こういう人の発言が一番ありがたい。私と彼との『正論』誌上での対談は全体の三分の一だけすでにここに掲示されている。間もなく残りも提出する。

 日本の自虐的な歴史観、世界を鏡に自国の過去を「反省」ばかりしているわが国のほゞ全知性を蔽っている歴史観について、あるとき福井さんは「あれは皇国史観ですな」と仰言った。

 「皇国史観」の定義はここでは戦後悪口でいわれている言葉の用い方に合わせて自己満足史観のこと、自国が世界の中心で自国の善と美があまねく世界四方を照らし、世界史を動かして行くという普遍思想である。東南アジアの島々に神社を作ったなどもその現われである。神道にはそのような普遍性はない。ないところに強みもあると考えるべきである。

 戦後を支配した歴史思想、ことさらに自国の軍隊の欠点をあげつらい、罪と悪の日本史を仕立てて、日本はここで間違えた、あそこで判断を誤った、としきりに言い立て相手の軍隊の罪や悪をほとんど見ようとしない歴史観は、自己満足史観で、日本が正しい道を歩んでいたら戦争は起こらなかった、という前提に立っている。日本が道徳的に立派だったら、相手の軍隊も道徳的に立派に振舞い、戦争は避けられ、世界史の歩みは変えられた、という仮説の上でものを言っている。傲慢である。

 これこそまさに「皇国史観」の再来であろう。福井さんはそういう意味のアイロニーをこめて言ったのだと思う。けだし名言である。私より若い世代にこういうリアリストが出現したのが私にはうれしい。

 戦前も戦後も日本人の大半は世界の現実が見えない。最高学府の知性にも見えていない。戦争は相手があって初めて起こる、という子供にも分る常識から出発していない。反省と自己批判から出発している。しかもそれによって自己の誠実を証明し、自己の美化を企てている。救いがたい自閉的性格である。ここに普遍思想の生まれる土壌はない。

 戦前の「皇国史観」もまたマルクス主義が出現しなかったら生まれなかった反動的近代現象であって、日本文化の本来性に発していない。戦前も戦後も、日本知性の陥った過誤の性質は同質である。日本の知性のどうにも救いがたい欠陥である。

 最近、皇室問題がしきりに論じられるが、皇室が危機にあるからだと思う。私は日本文化の柱に皇室への崇敬があると信じているが、ここからだけでは普遍性は出てこない。「神仏信仰」という言葉があるように、日本人の信仰は「神」と「仏」の二重性によって支えられてきた。天皇もまた歴代仏教の信徒だった。地上の神と超越神との二重性である。後者は見えない遠い異国の唐天竺に浄土を求める心事にも発している。

 日本人が古代中国や近代西欧に理想のモデルを求めたのは、超越信仰の一種ではないだろうか。これがないと皇室も危うくなる信仰のパラドックスがあるのではないだろうか。アメリカは「見えない遠い異国の唐天竺」の代用になり得ないことが最近明らかになったわけだ。

 ならば何が「超越神」となるのであろうか。すぐには答の出てこない難問で、今の日本はその未解決の混迷の只中にある。皇室問題がしきりに取沙汰されるのもその不安の表現である。

ひとこと申し上げる

 私はいま雑誌『正論』で始めた長篇連載「戦争史観の転換」に一番大きな精力を注いでいる。全部で30回、約1000枚近い予定である。

 最近はこのブログ「日録」のコメント欄にも書きこんで下さる人が多くなってよろこんでいるが、どうか『正論』連載の内容などをも踏まえて書いていたゞけるとありがたい。連載は始まったばかりだが、どんどん新しいことを言っている。6月号は2回目である。

 アメリカ革命やフランス革命はある時期に世界史にたしかに新しい価値をもたらしたが、それは人類の普遍的価値ではない。二つの革命が時代とともに人類に災いをひき起こした面もある。

 今でもまだ戦勝国のアメリカが日本に民主主義や自由の理念をもたらしてくれたと思っている人がいるが、それは正しくない。ヨーロッパの古い文明はまだ有効性をもっているかもしれないが、われわれはそれを必ずしも模範として学べばよいという時代ではない。いわんやアメリカはもう日本のモデルではない。

 最近若い人がアメリカに留学しなくなった。日本人が内向きになったからだという人がいるが、私は日本社会がもはやアメリカを手本にしてわが身を正そうとしなくなったので、若い人がアメリカに行っても得をしないと思うようになったためだと考えている。アメリカが世界の普遍性の代表ではなくなったのである。

 5月1日付の「日録」のコメント欄のいくつかに私は異和感を覚えたので、ひとこと申し上げ、どうか是非『正論』の私のアメリカ論をよんで下さいと申し上げる。

 私はアメリカを否定する者ではない。もっと距離をもって捉えるべきだと言っている。アメリカは「世界政府」志向のグローバリズムの帝国で、それに対し日本はどこまでも単一民族文化国家であり、異なる独自の価値観に生きている。

 世界のあらゆる文明はそれぞれが独自であって、特定の文明が優位ということはあってはならない。

「戦中の日本人は戦後のアメリカの世界政策を知り尽くしていた」(GHQ焚書図書開封、第125回)

 4月13日の慰安婦問題への私の意見陳述に対し、今日までに多数のコメントを寄せて下さりありがとうございました。すべて丁寧に拝読し、学ぶ処多いことを発見しました。その中に英訳文がほしい、英訳があればアメリカで戦うのに役に立つ、というコメントがありましたので、ある方の協力を得て、急遽英文も提示することができました。

 あの戦争について戦後に書かれたすべての文章は、どんなに自国思いの文章、当時の日本を主張している文章でも、私の見るところ半分はアメリカの立場をとり入れて書かれています。日本は自分を閉ざしていて余りに愚かで、アメリカ文明の秀れた特徴が見えていなくて判断を間違えたのだ、と。

 そうではないのです。日本は戦後のアメリカの政策、NATOも日米安保の成立の可能性もある意味で見抜いていました。すべて運命を知っていて、それでも戦わざるを得なかったのです。それほどアメリカ(ルーズベルト)は理不尽で、道理を超えていました。日本人はこのことが今でもまだ分っていません。

 そのことをみなさんに知ってもらいたく、「GHQ焚書図書開封」第125回(4月24日放映)の「戦中の日本人は戦後のアメリカの世界政策を知り尽くしていた」(日本人が戦った白人の選民思想)をお届けします。1時間かかりますが、しっかり見て下さい。

『WiLL』6月号・チャンネル桜お知らせ

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 『WiLL』6月号には意見陳述と質疑応答とすべてが終わった後の私の若干の感想が報告されています。

お知らせ

『自ら歴史を貶める日本人』(徳間書店)に参加したグループ現代史研究会を中心に、次の討論が行われます。

番組名: 闘論!倒論!討論2013

テーマ: 現代史研究会スペシャル
     「反日の米中連携の実態と行方」

放送日: 平成25年4月27日(土曜日)20:00~23:00
     日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
     インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp)     「Youtube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

パネリスト:50音順敬称略
      柏原竜一(ジャーナリスト・情報史研究科)
      加藤康男(編集者・近現代史研究家)
      西尾幹二(評論家)
      福井雄三(東京国際大学教授)
      福井義高(青山学院大学教授)
      福地 惇(高知大学名誉教授)
      馬渕睦夫(元ウクライナ大使)

司 会: 水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

首相は何をこわがって靖国参拝をしないのか

 安倍首相は春の靖国参拝をやはり実行しなかった。外交問題になっているからだと弁明している。夏の参議院選挙の成功を狙っているからだともいわれる。だとしたら外交問題が原因ではなく、国内の人気下降を心配しての措置であろう。

 私が『WiLL』3月号巻頭に「安倍政権の世界史的使命」を書いたのは、高い水準の要望を掲げて、この線で政権運営をして欲しい、といわば釘を刺したつもりだった。

 その中で私は、尖閣に公務員を常駐させたり港を作ったりするのは今はしばらく見合わせた方がいいかもしれないが、竹島の式典、靖国参拝、河野談話見直し等をためらう理由はないだろうとも書いた。今止めて、いつ始めればいいのか。参議院選挙の後でも今でも外交問題になることに変わりはないだろう。

 安倍首相はまた再び第一次安倍内閣のときと同じ道を歩み始めているようにみえる。残念である。2007年4月27日に私がコラム「正論」に書いた拙文「慰安婦問題謝罪は安倍政権に致命傷」を今このタイミングに掲げ、反省を促したい。

 ブログTEL QUEL JAPONに出た安倍、ブッシュ両首脳の記者会見を併せ見ていただきたい。こんなことではTPPでも日本の立場を守れるのかどうか心配である。

慰安婦問題謝罪はやがて国難を招く

 私は冗談のつもりではなかった。けれども人は冗談と取った。話はこうである。

 月刊誌『WiLL』編集部の人に二ヶ月ほど前、私は加藤紘一氏か山崎拓氏か、せめて福田康夫氏かが内閣総理大臣だったらよかったのに、と言ったら「先生冗談でしょ」と相手にされなかった。今までの私の考え方からすればあり得ない話と思われたからだが、私は本気だった。

 安倍晋三氏は村山談話、河野談話を踏襲し、東京裁判での祖父の戦争責任を謝り、自らの靖国参拝をはぐらかし、核と拉致で米国にはしごをはずされたのにブッシュ大統領に抗議の声ひとつ上げられず、皇室問題も忘れたみたいで、中国とは事前密約ができていたような見えすいた大芝居が打たれている。これが加藤、山崎、福田三氏の誰かがやったのであれば、日本国内の保守の声は一つにまとまり、非難の大合唱となったであろう。

 三氏のようなリベラル派が保守の感情を抑えにかかればかえって火がつく。国家主義者の仮面を被った人であったからこそ、ここ10年高まってきた日本のナショナリズムの感情を押し殺せた。安倍氏が総理の座についてからまぎれもなく歴史教科書(慰安婦・南京)、靖国、拉致の問題で集中した熱い感情は足踏みし、そらされている。安倍氏の登場が保守つぶしの巧妙な目くらましとなっているからである。

 米中握手の時代に入り、資本の論理が優先し、何者かが背後で日本の政治を操っているのではないか。

 首相になる前の靖国四月参拝も、なってからの河野談話の踏襲も、米中両国の顔色を見た計画的行動で、うかつでも失言でもない。しかるに保守言論界から明確な批判の声は上がらなかった。「保守の星」安倍氏であるがゆえに、期待が裏切られても「七月参院選が過ぎれば本格政権になる」「今は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)だ」といい、米議会でのホンダ議員による慰安婦謝罪決議案が出て、安倍氏が迷走し、取り返しのつかない失態を演じているのに「次の人がいない」「官邸のスタッフが無能なせいだ」とかわいい坊やを守るようにひたすら庇(かば)うのも、ブレーンと称する保守言論界が政権べったりで、言論人として精神が独立していないからである。

 考えてもみてほしい。首相の開口一番の河野談話踏襲は得意の計画発言だったが、国内はだませても、中国サイドはしっかり見えていて安倍くみしやすしと判断し、米議会利用のホンダ決議案へとつながった。安倍氏の誤算である。しかも米国マスコミに火がついての追撃は誤算を超えて、国難ですらある。

 最初に首相のなすべきは「日本軍が20万人の女性に性奴隷を強要した事実はない」と明確に、後からつけ入られる余地のない言葉で宣言し、河野衆議院議長更迭へ動きだすことであった。

 しかるに「狭義の強制と広義の強制の区別」というような、再び国内向けにしか通じない用語を用い、「米議会で決議がなされても謝罪しない」などと強がったかと思うと、翌日には「謝罪」の意を表明するなど、オドオド右顧左眄(うこさべん)する姿勢は国民としては見るに耐えられなかった。

 そしてついに訪米前の4月21日に米誌『ニューズウィーク』のインタビューに答えて、首相は河野談話よりむしろはっきり軍の関与を含め日本に強制した責任があった、と後戻りできない謝罪発言まで公言した。

 とりあえず頭を下げておけば何とかなるという日本的な事なかれ主義はもう国際社会で通らないことをこの「保守の星」が知らなかったというのだろうか。総理公認であるからには、今後、元慰安婦の賠償訴訟、過去のレイプ・センターの犯人訴追を求める狂気じみた国連のマクドゥーガル報告(1998年8月採択)に対しても反論できなくなっただけでなく、首相退陣後にもとてつもない災難がこの国に降りかかるであろう。

 米国は核と拉致で手のひらを返した。六カ国協議は北朝鮮の勝利である。米中もまんざらではない。彼らの次の狙いは日本の永久非核化である。米国への一層の隷属である。経済、司法、教育の米国化は着々と進み、小泉政権以来、加速されている。安倍内閣は皇室を危うくした小泉内閣の直系である。自民党は真の保守政党ではすでにない。私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない。不安だからである。保守の本当の声を結集できる胆力を持った首相の出現を待つ。
(2007、4月27日 コラム「正論」)

米議会・慰安婦問題決議への憂慮(英文)

A Speech of Dr. Kanji Nisho, professor emeritus of The University of Electro-Communications, at The Foreign Correspondents’ Club of Japan

He expressed his serious concern about a resolution passed in the US Congress on July 30, 2007 that condemned Japanese people who were suspected to have exploited the “comfort women” system of forced military prostitution by the Government of Japan, considered unprecedented in its cruelty and magnitude, including gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century (excerpt from the resolution). He also told the audience that this kind of resolution and the similar ones passed in the Senate of the City of New York and the Congress of the State of New Jersey are intolerable libels.

He talked about comfort women as follows; “There existed comfort women who had to unfortunately sell their sex due to poverty or other reasons. However, Japan as a state has never used its physical force to force a woman to sell the sex. Moreover, the story that almost 200 thousands of women were carried on trucks near to the battlefield is a preposterous one and no one could have found the evidence. If such incidents had happened in Korea, many rebellions should have happened. Eighty percent of policemen in Korea were Korean compatriots. The first false story has grown and built up combined with the misleading explanation made by the Japanese Government, and in the result this misunderstanding has caused wide repercussions. I would like ask the US Congress and Senate to reinvestigate closely this matter and to rescind the resolution.”

He also criticized US and others as follows; “First of all, the United States and any other countries are not entitled to disgrace Japanese people in relation to war and sex. Mr. Eiichi Isomura, who was ex-professor of The Tokyo Metropolitan University, also the president of Toyo University, and was the head of Shibuya Ward around the end of the World War II, got called by an officer of GHQ who ordered him to make up women for the soldiers of the occupation forces and finally he constructed a facility called recreation center. That time was such days when the people suffered from shortage of foods and a woman sold her body even for a sheet of chocolate.
When the “comfort women” got become an international topic, Mr. Isomura told with repentance that he had to confess his deep sense of shame in his deed to have driven women into a circumstance where they had to make sex with American soldiers. (The Sankei Sept. 17, 1994)”

He quoted a Mr. Miura’s story; “Mr. Syumon Miura, the president of The Japan Art Academy known as a moderate solid man, wrote “As far as a question about army and sex is concerned, I hope that newspapers write the fact that the American Army mobilized its military police and the Japanese policemen to close a certain part of a street and carried out medical checks for sexual disease of all the women in the street where other woman than a prostitute was involved. Rapes were also happened.”
Almost all such incidents were shrouded in darkness. (The Sankei Aug. 2, 1996)”

He also talked about himself; “A scene that a Japanese comfort woman called “panpan” or “only” in a showy dress and makeup walked under a GI’s arm was engraved in my mind’s eye in my boyhood as if it were yesterday. The number of such Japanese comfort women for American GIs reached about 200 thousand.”

He also quoted a story from a magazine; “In a vulgar magazine named Liberal posted a private paper telling a story of a young woman who had been taken to a special brothel. She was robbed of her virginity on the first day, and forced to sex with at least fifteen GIs a day who had just come back from the battlefront. She became unable to stand up and finally her facial appearance was changed and looked like another person.”

The following is a quote from the same magazine; “Yells, laughs and sobs of women were heard from every door. Some women got ill or became insane in a few months. Such scenes were the epitome of what had happened in Japan for several months. (Excerpt from the November 1954 edition)”

He would require the American society and the Christian communities who are accusing Japanese people to find what their fathers and brothers were doing in Japan. And he said “You should be ashamed”.

The following is his comment on the compensation; “The Japanese government should claim compensation to the US counterpart. Japan should not pay any compensation for the comfort women if the Japanese government has no intention to claim the same. Reciprocity, equality and fairness should be the basic rules in the international relationship.”

He talked about his suspect as follows; “The US wants to keep the image of Japan as a country of atrocious and inhumane people in order to justify its use of atomic bombs on Japan and of massed air raids against Tokyo and other cities.”

He also gave a comment about the recent incidents in the US; “Several resolutions that passed in the federal, states’, counties’ and cities’ congresses and/or senates are annoying and irritating the conservatives of Japan (I am one of them) who are used to be pro-American cooperating the US anti-communism policy after the World War II. There is a risk that Japanese people who are falsely charged, hurt, smoldering, the frustration being internally accumulated, will be finally pushed towards anti-America.”

He also talked about his observation as follows; “The worst thing is to exaggeratedly describe the “comfort women” issue in order to adjudicate Japan on the same basis as that for Germany that was governed by Nazi and committed the Holocaust.”

He brought and introduced to the audience copies of the front cover and the contents page of an important German document titled Prostitution, Homosexuality and self-destruction – Problems in German sanitary guideline, 1939-1945 Franz Seidler. He said that it scientifically reported the actual situations in Germany that carried out a complete state operated prostitution system, and abduction and detention of women.

He also explained; Racial matter was one of the difficult things to deal with in relation to prostitution under the Nazi governed Germany. He continued; “If a German officer or a cadreman of Nazi has sex with a Jewish woman, he will be executed. The west and the east European areas are different each other in every aspect. The state-regulated prostitution was used in Netherland and Norway, on the other hand there was no such system in the east European and the Russian area. So the German commanders at the front made up girls almost forcibly for prostitution.”

He continued his observation as follows; “Comfort women in German army have not come to an issue due to the fact that other crimes committed by them were so huge and vicious that they covered the comfort women issue. The tragedy of victims in the “army and prostitution”, the oldest profession across the world cannot be treated in parallel with the Nazi’s crimes in terms of cruelty of criminal tools used by Nazi such as killing factories, sterilization operations, euthanasia etc.”

He gave his final keen observation; “It is so silly, laughingly funny to make noise exaggeratedly over the “comfort women” issue of Japan in order to assume the war of Japan as same as that of Germany and to treat Japan that has never done the Holocaust as badly as Germany. Republic of Korea participated in the Vietnam War and left 7,000 to 20 thousands of fatherless children.”

The following is a tragic but lofty story, at least for Japanese people, he told; “There was an episode in the wartime that a Japanese army corps that had been driven into the front in Yunnan of China passed over the Korean comfort women to the American army corps telling the women to survive. On the other hand the Japanese comfort women chose death for honor with the soldiers. Japanese soldiers were fighting with the spirit of samurai (Bushidou).”

日本語文はこちら

坦々塾 「第一回・語る会」報告

中村敏幸氏による坦々塾「第一回・語る会」の記録です。

 坦々塾会員による「第一回・語る会」が、4月6日(土)午後2時から高田の馬場の戸塚地域センター会議室に於いて開催されました。当日はあいにく爆弾低気圧の接近により、夕刻から東京地方も暴風雨になることが予想されましたが、新潟、群馬、山梨等の遠隔地からの参加者も含め西尾先生以下30名の会員の方々が参集されました。

 西尾先生の中国、北朝鮮情勢にふれられた御挨拶の後、下記4名の方が演台に立たれましたので、その概要を御報告致します。

Ⅰ.一番手は、鵜野幸一郎さんの「社会的事象としての本人認証」です 

 鵜野さんは、長らくIT関係の仕事に携わってこられましたが、我々の日常生活に於いてもサイバー空間が急速に進んでいる状況下に於いて、現在使用されている「本人認証」の方式は極めて脆弱であり、安全、安心に使いこなせる「電子的本人認証基盤の確立」が極めて重要であることを語られました。

(1)「本人認証」とは、「自分がその本人であると主張する人物が本当にその人物であるかを確認すること」であるが、本人認証にはリアル空間(署名・捺印等)とサイバー空間(パスワード等)がある。
(2)「自分が自分であることを証明するのにさほど困難は伴わない」、と考えてきたのが日本人一般であるが、我々が住んでいる現代社会は既にそんな悠長な世界ではなくなっている。
(3)サイバー空間が加速的に拡大するにつれ、不利益を受けずにサイバー空間の圏外で暮らす選択が困難となりつつあることに気付かなくてはならない。
(4)ある技術の普及から対抗技術が生れ、却って社会の不安を誘うことがある。例えば、指紋はガラスに残された残留指紋から作られた複製指で市販の指紋認定装置を通過出来ることが実証された。また、DNAも毛髪からの複製が可能であり、文字パスワードは脆弱である。
(5)本人認証はあらゆるセキュリティ要素技術を考慮する前に既に存在していなければならない基礎的な与件であり、これからは本人の記憶、思い出等を画像で照合(パス画像)する個人認証技術が重要になってくると思われる。
(6)買い物や銀行決済というレベルの話ではなく、電子行政サービスの導入が真剣に構想されている今日、最も重要な課題はサイバー社会において国民一人一人が安全・安心に使いこなせる「電子的本人認証の基盤確立」が喫緊の課題であり、これは国家の安全保障にとっての基礎的与件でもある。

Ⅱ.二番手は、小池広行さんの「死の淵を見た男たち」です。

 小池さんは福島第一原発事故に於いて当時所長として陣頭指揮を執られた吉田昌郎氏と東電入社同期とのことで、震災発生1カ月半後の4月末に現場に赴き、つぶさに実態を確認されました。全電源喪失、注水不能、放射線量増加、そして水素爆発と絶望的な事態の推移の中で、文字通り死を覚悟して奮闘された吉田所長以下の所員と協力会社、自衛隊員等の初動対応と、それとは対照的に現場の足を引っ張り続けた、時の総理管直人等の愚行、そして、政府、国会、民間、東電の各事故調の報告は無味乾燥であり、この壮絶な闘いを誰かが纏めてくれないかという思いにかられた中、昨年、門田隆将氏の「死の淵を見た男」が刊行されたことを時折声を詰まらせながら語られました。

(1)先ず、津波来襲直後に現場はパニック状態に陥ったが、吉田所長は即座に「チェルノブイリ級の事故」になることを想定し、電気がない、冷却水がない状態では海水を入れるしかないと判断した。そして、発電所に3台あった消防車のうちの2台が津波で破損したことを知ると、即座に消防車の手配を本店に要請した。
 この要請はすぐさま郡山の陸自第6師団に届き、翌12日午前7時には福島、郡山の駐屯地から12名の隊員を乗せた2台の消防車が到着し、隊長から「何でもやらせてもらいます。指示を出してください」との決意表明があった。
(2)11日23時、所長による「入域禁止」の指令が出る一方、緊急対策室からベントのための手順作成とメンバーの選定指示が出された。現場の責任者は若い人には行かせられないとの方針を打ち出したにも拘らず、若い人達が次々と手を挙げた。そうして、若手は最終的にメンバーから外されたが、3組のベント突入隊が結成され、諸準備を整えて「ゴーサイン」を待った。
(3)しかし、その時に管総理を載せたヘリが到着し、緊急対策室は一時間半ほどその対応に追われ、すべての指示かストップし、自衛隊員も所員も待機状態に陥ってしまった。
(4)ヘリが着陸した時、管総理の現地視察の様子を撮影するため、「まず、総理だけが降りますから、他の人は誰も降りないで下さい」との指示が発せられ、これには同行の斑目氏もむっとした。
(5)管氏は、疲れ果てた現場の作業員をねぎらうこともなく、「なんで俺がここに来ていると思っているんだ」と始終怒鳴りまくっていたが、吉田所長の「決死隊を編成して対応する」との話に納得して帰った。
(6)一方では、原発事故の際に現場にいることを義務付けられている保安検査官は、12日午前5時頃に線量が上がってきたために、原発から5km離れたオフサイトセンターに逃げてしまったのである。
(7)3月12日15時36分、1号機爆発 ⇒官邸~本店~現場間の海水注入とその停止をめぐるやりとり⇒3月14日11時1分、3号機爆発と事態は悪化の一方であったが、3号機の爆発の影響で2号機のベント弁が閉となり、原子炉圧力がどんどん上昇して2号機が最大の危機を迎えた状況下で、15日朝5時半頃、管総理が東電に乗り込んだ。
(8)その頃、吉田所長は自分と一緒に死んでくれる人の顔を思いうかべていた。
(9)15日の朝、吉田所長による管理職を残しての「退避命令」が出されたが、死を覚悟して残った69人はまるで死に装束をまとっているようであった。
(10)その後、茨城県小美玉市百里航空自衛隊基地から駆けつけた消防隊等による、地上からの決死の放水活動により状況は改善の方向に向かった。
(11)今回の事故に対する、東電と政府による危機対応の惨状は「失われた時代」の日本の危機そのものを反映しており、結局は精神の自立を欠いた「いびつな日本の安全保障意識」がもたらしたものではないだろうか。

Ⅲ.三番手は、松木國俊さんの「従軍慰安婦問題、韓国、米国の恐るべき謀略」です。
 
 

 松木さんは、商社マンとして長い間「日韓貿易」に携わる傍ら、日本の朝鮮統治と戦後の反日の真相を精緻に調査され、その成果を一昨年、「ほんとうは『日韓併合』が韓国を救った」という著作にまとめられました。この本は3万部以上売れたそうです。

(1) 先ず、「従軍慰安婦問題」に対する米国の理不尽な圧力は、日本を「野蛮な侵略国」に貶め、米国が行った無差別大空襲や原爆投下という「人道に対する罪」を糊塗するためである。
(2) そして、安倍首相はこの問題を「政治・外交問題化させない」との立場をとるが、この問題は既に政治・外交問題化しており、米国の圧力に屈した安倍首相は厳しく批判されるべきである。この問題は、今が正念場であって、「政治・外交問題化」している次のような具体例がある。
   ・韓国外交通商部は「慰安婦問題は1965年の日韓基本条約の対象外である」と主張(2010/3)
   ・韓国憲法裁判所は「慰安婦への賠償を日本政府に請求しないのは韓国政府の不作為であり、憲法に違反する}との判決を出す。(2011/8)
   ・李明博大統領は昨年、「慰安婦問題解決につき日本が誠意を示さないために竹島に上陸した」と主張。
   ・以上のように「慰安婦問題」は韓国では対日外交問題の最重要課題となっている。
   ・更に、欧米諸国の議会で、「慰安婦問題」にかかわる「日本非難決議」が続々と採択されている。
   ・また、米国では「慰安婦の碑」が建設され、日本国の尊厳が傷つき、日本人子弟に対し「野蛮人の子供だ」という虐めが始まっている。
(3) また、「政治・外交問題化」している何よりの証拠は、海外在住の韓国人による反日活動を韓国政府が支援していることであり、次のような具体例がある。
   ・海外における反日活動の司令塔であるVoluntary Agency Network of Korea(VANK)に韓国政府が莫大な公的資金援助をしているが、この組織の活動目標は「世界における日本の地位低下」である。
   ・政府と直結した組織「東北アジア歴史財団」が創設され、活動目標の第一に「日本軍慰安婦の問題と国際問題化」が明記されており、年間20億円近い予算を得て反日活動の司令塔になっている。
   ・「韓国挺身隊問題対策協議会」という組織があり、ここにも韓国政府は資金援助を行っている。
(4) では、何故これほどまでに第三国で反日活動を展開するのか。それは韓国人の習性であり、周りを巻き込んで戦うのが韓国流のケンカの仕方だからである。それ故、韓国は「慰安婦問題」を捏造して世界に発信するのであり、米国に於いてはそれが原爆投下に対する免罪符になっており、このままでは嘘の歴史が世界中に定着してしまい、日本にとって一国の猶予も許されない「政治・外交問題」である。
(5) それにしても韓国は何故これほどまでに執拗に「慰安婦問題」を持ち出してくるのか。実は日本統治時代には今のような反日感情はなく、これは戦後になってからである。李氏朝鮮は正式な国際条約によって日本に併合されたのであり、日本から独立するのであれば、李氏朝鮮の復活でなければならず、李承晩による大韓民国の成立に正統性はなく、李王朝に対するクーデーターだったのである。そのため、李垠殿下という正当な皇太子が存在したにもかかわらず、李王朝は日本によって跡形もなく滅ぼされてしまったとの嘘を捏造して大韓民国を正当化したのである。
朝鮮は、日本統治時代の方が一等国民として生活も豊かであったが、そんなことを国民に言わせては大韓民国の基盤が揺らぐために、猛烈な反日教育を始め国民の記憶を塗り替え、それによる反日感情によって彼等は自家中毒を起こしている。
(6) そして、今や反日感情は、日本に対し仕返しをするべきであり、報いを受けさせなければならないという域にまで達しており、「慰安婦問題」こそ日本に対して復讐をする絶好の材料になっているのである。我々はそれを直視しなければならない。
(7) 韓国には「過去のことを水に流す」という文化はなく、朴槿恵大統領の「加害者と被害者の関係は千年たっても変わらない」との発言はここからきている。よって、「慰安婦問題」は謝罪すればするほど悪化するのであり、何としても彼等を正面から論破しなければならない。
(8)「女子挺身隊」と「慰安婦」を同一視するのが韓国の公式見解であるが、「挺身隊として引っ張られて慰安婦にされた」との証言は一つもなく、これは歴史の歪曲である。また、「慰安婦狩り」は吉田清二による歴史の捏造である。20万人の女性が強制連行されたのなら、朝鮮全土に暴動が起
こるはずであるが、そんな記録は1件もない。しかも、当時の朝鮮の警察官の80%は朝鮮人であった。それでもあったと言う者がいれば、あなた方の父祖は自分たちの娘や恋人が強制連行されていくのを指をくわえて見ていたことになり、それ程ふがいない男達だったのかと言ってやれば良いのである。
(9)では、これ程虚偽捏造であることがはっきりしているにもかかわらず、韓国は何を根拠に「強制連行」があったと言っているかというと、それは「河野談話」であり、「河野談話」が韓国に復讐の口実を与えてしまったのである。
(10)最後に、一国を亡ぼすのに武器は不要であり、歴史と民族の誇りを奪われた国は滅亡する。「慰安婦問題」は日本民族の生き残りをかけた「外交戦争」であると述べて締めくくられた。

Ⅳ.四番手は石部勝彦さんの「歴史学界への挑戦」です 

 石部さんは長い間、高校で世界史の教鞭をとられましたが、御自身が所属する「歴史学会」が未だに左翼イデオロギー一色であり、同学会が開催したシンポジウム『戦後歴史学とわれわれ』に出席した際に抱いた、三つの問題点を、堂々と同学会に提起され、挑戦を挑まれたことを語られました。

(1) 第一の問題点は、『戦後歴史学』が、ごく少数の専門の歴史学者だけの狭い世界のものになっていて、国民全体のレベルに於ける歴史への興味や関心から遊離したものなっていることである。
 塩野七海氏や渡部昇一氏、あるいは黄文雄氏の歴史書はよく読まれていると思うし、西尾幹二氏の「国民の歴史」もベストセラーになったが、これらの方々は専門の歴史学者ではない。
 一方、『戦後歴史学』の世界に所属する専門の歴史学者のもので、これらに匹敵するようなものはない。
(2) 第二の問題点は、『戦後歴史学』が国民に対してその責任を果たしていないことである。日本の学生が海外留学先で、世界各地の若者と交流する場合、自己紹介に際してどこの国の若者も自国の歴史を誇らしげに語るが、日本の若者にはそれが出来ないと言われている。 
 その直接の責任は日本の歴史教育にあるが、本当の責任はそれを配下に置く『戦後歴史学』にあるのではないか。
(3) 第三の問題点は『戦後歴史学』が、学問にとって最も大切である「学問の自由」を蔑ろにしていることである。昭和57年、宮沢官房長官によって「近隣諸国条項」が出されたが、これは日本の教科書には近隣諸国の意に反することを書いてはならないというものであり、「学問の自由」に対する冒涜であった。しかし、これに対して異議を唱えた歴史学者はいなかった。
 平成15年、一橋大学名誉教授で、歴史学研究会委員長、日本学術会議会員等を歴任した永原慶二氏による「20世紀日本の歴史学」という本が出版された。その「まえがき」に於いて氏は、平成13年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足したが、「つくる会」による教科書の記述は史実を歪曲する非学問的行為であり、日本の歴史学は「東京裁判」によって正しい歴史の見方を教えられたのである。「つくる会」のような動きに対しては、歴史学の研究者としては、一歩もゆずることが出来ないと主張しているが、これは「学問の自由」を否定するものである。
 しかし、この永原氏の見解に対して異議を申し立てた学者は皆無である。
  *石部さんの「歴史学会」に対するこの挑戦状に対し、同学会も無視することが出来ず、「検討する」との回答が寄せられており、石部さんの戦いは今後も続くとのことでした。

  以上が四人の方々の発表の概要ですが、演題も多岐にわたり、講演後の質疑応答も持ち時間を余すことなく活発に行われ、第一回目としては大成功であったと思います。
 今回は、暴風雨の到来により「懇親会」は中止となりましたが、雨脚が激しさを増す中、感興さめやらぬ十数名の方々が、西尾先生を囲んで近くの居酒屋で1時間余りの歓談を行いお開きとなりました。
 
 尚、次回、第2回の「語る会」は9月1日を予定して居ります。

                       記録係 中村敏幸 記