坦々塾新年会(平成23年)の報告

  

平成23年1月8日(土)に行われた、坦々塾新年会の報告です。

 文章:浅野正美

 今回の坦々塾は従来と趣を変えて西尾先生のご講演と新年会の宴というプログラムで開催された。会場も定例の会議室を使用せず、最初から懇親会場の部屋に集合し、ここで西尾先生の講義を聴くスタイルとなった。

 当日は過去最高となる51人の出席者が集まり、宴会場の一部屋では収まりきらない人数であったが、何とか全員で膝を寄せ合い、かつての寺子屋を髣髴とさせる雰囲気での勉強会となった。

 西尾先生の講演は、田母神元空幕長解任における先生の強い怒りが、ある私的な感情に基づくことから語られた。西尾先生と当時の麻生内閣総理大臣とは古くから面識があった。マスコミが政権交代必至と扇情的に報じる時の世相において、先生は必ず読まれる手はずを整えて、麻生氏に手紙を書き送った。そこには、保守政治家を自負する麻生氏が、保守としてとるべき行動と心構えが具体的につづられていたが、麻生氏はその忠告に耳を傾けることなく、何者かにおもねるような政治姿勢を取り続けた挙句に、田母神氏解任という暴挙に出た。

 我が国は、戦後の見地からのみ戦争を批判するという宿痾に蝕まれ、勝敗とは別に、開戦前に立ち返っての大東亜戦争における必然性と正当性を深く思索するという営為を放棄してしまった。その結果、反戦、平和、民主主義といったものが、進歩主義として認識せられ、侵略戦争を否定するアメリカこそが侵略者であったという自明のことが忘れられた。 

 敗戦時、我が国で0時(国家の非在)を体験したのは、満州など外地からの引揚者、復員兵、昭和天皇だけであり、国民は「リンゴの歌」と「青い山脈」の能天気なメロディーに慰められて、それ以降の教育とマスコミによるばかばかしさの再生産は、今もやむことがない。ドイツの敗北後の惨状はこの比ではない。

 真に必要なことは、0時の時代の正確な認識を取り戻すことである。

講演終了後、20名に西尾先生署名入りの御著書が当たる抽選会が行われ、当選者には一番から順番に希望の書籍が贈呈された。この日のために広島から駆け付けた日録管理人の長谷川さんが一番くじを引き当て、長谷川さんによる乾杯の発声で新年懇親会が始まった。

 この日塾生一同は、新年の祝賀にも勝る慶事に沸いた。それは、西尾先生の個人全集が国書刊行会から出版されることが発表されたことである。全22巻、箱入り、二段組、年間4冊の予定で、完結は5年先になるという。この発表によって会場は大きな拍手に包まれた。懇親会は、お正月の華やかさに加え、この吉事により一層の歓びが重なった。

文:浅野正美

消された秀吉の「意志」(二)

 日本人が過去に世界に向かって本格的に自分の「意志」を構成する試みを行っていても、後世の人間がそれを率直に認めることに気遅れがしてしまうのは、日本文化の本来的特性に関係があるのだろうか。

 日本人は言挙げしないとよくいわれる。自分から言葉でいちいち自分の立場を世界に向けて説明しない。分ってもらおうと敢えてしない。国内では日本人同士が交わるときには強い「意志」を示さない方がかえって相手の理解を得るのに良い場合さえある。

 たしかに唯我独尊や夜郎自大はみっともないが、しかしノーベル賞をもらうたびに日本人が大騒ぎするのはさらにみっともないのである。日本人は「縮み志向」だということを書いた韓国人学者がいた。繊細な細工ものをよくする指先の器用さが民族的な特徴だというのだ。しかし必ずしもそんなことは言えない。古代の出雲大社の巨大階段の例もあるし、戦艦大和の例もある。『新しい歴史教科書』がこの二例をグラビアに掲げたのは、日本人が自らを矮小化したがる自己卑下の偏見を正したい思いがあったからだろう。

 自尊を卑しむのは日本社会の美点かもしれない。しかしこれも度が過ぎると世界の中の自分の姿を正確に見ることにも差し障りが生じかねない。そして、そのような過度の自己矮小化はやはり第二次大戦の敗戦の後遺症の一つであり、教育の世界、ことに歴史学者に数多くの悪い先例があることはよく知られているが、最近も私は次のような例に出会った。それも秀吉の朝鮮出兵の論争点をめぐるもう一つのケースである。

 私が福地惇、福井雄三、柏原竜一の三氏と共に月刊誌『WiLL』でシリーズ「現代史を見直す」の討議を連載していることはご存知かと思うが、それも最新刊の2月号では第9回目を数え「北岡伸一『日中歴史共同研究』徹底批判2」と題して、安倍首相の肝入りで始められた企てに対する文字通りの「徹底批判」であった。

 対談内容は西安事件、盧溝橋事件、第二次上海事件、南京事件をめぐるテーマで、25ページ近くを「徹底批判」で埋め尽くしているから、秀吉が話題に入ってくる余地はないのだが、悪例のひとつとして私があえて取り上げた東大教授の歴史学者がいる。

 私たちは波多野澄雄、庄司潤一郎の両氏を最初疑問の俎上に載せていたが、私はそこにもう一例を挙げた。日本では信頼される保守系の研究者といわれている波多野、庄司両氏が中国人相手の討議の場に出ると、説を曲げ、中国側に都合のいいように口裏を合わせる例がいかに多いかに、私たちはそこに至るまでにさんざん言及し、論破していたが、その途中で私は次のように発言した。

西尾:さらに付け加えると、東大教授の村井章介さんが書かれた「第一部 東アジアの国際秩序とシステムの変容 第2章 15世紀から16世紀の東アジア国際秩序と日中関係」について、指摘しておきたいことがあります。私は村井さんのことは非常に評価していて、拙著『国民の歴史』(文春文庫)の中でも秀吉に関して引用させていただきました。

「16~17世紀のアジアを見た場合に、ヨーロッパが出会う相手となったことだけが、この次期のアジアが世界史的文脈のなかで担った役割ではない。むしろアジア自身のなかで、この時代には大きなうねりが、ヨーロッパを必ずしもふくまないかたちですでに生じていた。(中略)

 もうすこし具体的に言えば、最初にふれた日本史における統一権力の東條、中世から近世への移行という事態も、中国における明清交代という世界システムの激変と、共通の性格をもつものと考えるべきではないか。

 その本質をひとことでいえば、世界システムの辺境から軍事的な組織原理で貫かれた権力があらわれ、あらたな生産力を獲得し、やがては中華に挑戦して崩壊させてしまう、という事態である。(中略)

 豊臣秀吉はこの挑戦に失敗して自滅への道をあゆみ、秀吉を倒した江戸幕府は軌道修正に腐心することになるが、挑戦にあざやかに成功して中華を併呑(へいどん)したのか、女真族(じょしんぞく)の後金(こうきん)(のち清)であった。このようなアジアの巨大なうねりに重なるかたちで、ヨーロッパ勢力のアジア進出、地球規模の関連性の形成も生起した」(傍点引用者・村井章介『海から見た戦国日本』)

 ところが、この日中歴史共同研究の報告書では全く違うことを言っているんです。村井さんは〈豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争〉と書いている。

福地:完全な二枚舌ですね。

西尾:〈1595年に至って、小西行長と明側のエージェント沈惟敬との間で講和条約が合意された。その結果、秀吉を「日本国王」に封ずる冊封使が発遣され、96年に聚楽第で秀吉と対面した。通説では、秀吉はこの会見で自身が明皇帝の臣下とされたことを知り、激怒して第2次の戦争を始めた、とする。しかし、これは江戸時代になってから現われる解釈であり、同時代の史料には、秀吉の怒りの原因は、彼が望む朝鮮南半分の割譲が無視され、朝鮮からの完全撤退が和平の条件であることを知ったことにある、と記されている〉。

 秀吉の意思を、あっという間に矮小化してしまう。

 そして、〈すでにそれ以前から、秀吉の獲得目標は、明征服ふぉころか、朝鮮半島南半の確保という領土欲に矮小化されていた〉。

 当時の地球規模での行動と解釈せず、侵略戦争という書き方をしています。これも、それまでに村井さんが書いていることとは違います。波多野さんや庄司さんと同じようなものです。売国的行為と言わざると得ません。

福井:国際的な場に出て行くと、精神的に持ちこたえられないというのは日本人の国民性なのでしょうか。

柏原:これは間接的に聞いた話ですが、なにか問題になると代表の北岡さんが出て行かれて、調整してそれで強引に中国側と決めてしまったようですね。

西尾:つまり、波多野さんや庄司さんや村井さんの文章は、記名で書かれていますが、北岡さんが強引に進めてしまったということですか。

 たとえそうであったとしても、波多野さんや庄司さん、村井さんには同情する気にはなれません。仮にそうであるならば、自らの学者の良心に従い、席を蹴って辞退すれば良い話ではありませんか。やっていることは犯罪行為ですよ。

 村井章介氏は魅力的な研究書を書いてきた人で視野も広い学者のはずである。ちょうど今、吉川弘文館から他の二人の歴史学者と共編で、「日本の対外関係」(全7巻)のシリーズものを出している最中で、日本の歴史学会を代表している一人である。そういう人が、否、そういう人だからこそと言うべきかもしれぬが、この体たらくである。

 学識もあり、経験も積み、研究歴も長い学者が、惜しむらくは世界と張り合うときに自分を貫く「意志」を欠いている。秀吉の海外雄飛を論じる資格なんかないのである。秀吉は「意志」の人である。どういうわけか東大教授にこういう例が多い。

 日本の歴史を悪くしているのはこういう人である。日本の国益を損ねているのは政治家や外交官だけではない。この手の学者が輪をかけている。そしてそれが与える影響は裾野が広く、長期にわたり、見えない形で日本の知性一般を犯し、麻痺させている。

 保守系の雑誌である『SAPIO』の編集者までが秀吉の「大言壮語」と書き、私に改められても「気宇壮大」にとどまり、「断固たる意志」という文字が使えなかったのは、この手の曲学阿世の徒の小さな臆病と卑劣が巨悪となって国民に降りかかった結果の一つにほかなるまい。

(つづく)

消された秀吉の「意志」(一)

 謹賀新年 

 世界に渡り合う救国のネゴシエーター(交渉巧者)を日本の歴史の中から探し出し、三人挙げてほしい、というアンケートが年末にあった。『SAPIO』誌からの依頼である。私はあまり深く考えず、豊臣秀吉、小村寿太郎、岸信介の名を挙げた。簡単に理由を書けという欄があったので、豊臣秀吉は国内の英雄としてではなく、スペインの脅迫にたじろがず、東の涯から世界的覇者たらんとする声をあげ、その意志をスペイン国王フェリペ二世に伝えた人物として、日本史唯一のネゴシエーターの名に値するという理由づけを書き添えた。

 小村寿太郎は風説と異なり、例のハリマンの満鉄共同開発拒否を積極的に解釈したいと書き、岸信介は国内の反対を抑えて日米安保条約を改訂し、米軍による日本防衛の責務を条文に明記させたことを評価すると書いた。いづれも国外に向けた「意志」の表現者・伝達者としての評価に基く。

 まあ、あまり深く考えない人選で、アンケートに答えた後忘れていた。間もなく『SAPIO』編集部から私の挙げた三人が上位五人に選ばれているとの知らせがあり、少し驚いた。1位から10位までは次の通りである。1位 小村寿太郎、2位 黒田官兵衛、3位 豊臣秀吉、4位 鈴木貫太郎、5位 岸信介、6位 勝海舟、7位 大久保利通、8位 陸奥宗光、9位 川路聖謨、10位 徳川家康。そして3位に選ばれた豊臣秀吉について私に2ページの記事を書いて欲しいとの依頼があった。

 私は戦国武将としての国内における秀吉の活躍については、子供のころにさんざん読んだ覚えがあるが、今さら興味はなく、ヴァスコダ・ガマからマゼランに至る大航海時代に雄飛した世界制覇への「意志」の表明者の中に秀吉を入れていいという考えから、朝鮮出兵を解釈し直したいとつねづね思っていた。『国民の歴史』16節「秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか」に同趣旨のことをすでに書いている。『SAPIO』誌には要点を短くまとめることにした。関係文献を少し読み直し、今まで書かなかった新しい知見も若干加味した。いま販売中の『SAPIO』2011年12・22/1・6号に掲載されている。

 秀吉の攻略の目標が朝鮮を越えて大唐国(シナ)の明に据えられていたことはよく知られている。しかし関白秀次にあてた書状によると、彼の壮大な世界征服計画はそんなレベルにとどまっていなかった。

 北京に後陽成天皇を移す。秀吉自らは寧波に居を定め、家臣たちに天竺(インド)を自由に征服させる。この構想は中華帝国に日本が取って代わるのではなく、東アジア全域に一大帝国を築き上げようとするものである。秀吉は北京にいる天皇をも自らは越えて、皇帝の位置につき、地球の半分を総攬すべき統括者になろうとするこのうえもなく大きな企てであった。これはすなわち中華中心の華夷秩序をも弊覆のごとく捨て去ってしまう日本史上おそらく最初の、そして最後の未曾有の王権の主張者の出現であったと見ていい。

 これを誇大妄想として笑うのは簡単である。結果の失敗から計画の評価をきめれば、すべては余りに無惨であった。しかし彼は病死したのであって、敗北したのでは必ずしもない。秀吉はモンゴルのフビライ・ハーン、スペイン国王のフェリペ二世、清朝の祖・女真族のヌルハチと同じ意識で世界地図を眺めていた日本で唯一の、「近代」の入り口に立った世界史の創造者の一人であった、と私は考える。織田信長が生き延びていたら、やはり秀吉と同様の行動に出たであろう。

 勢威ある国々から自らの「意志」で地球規模の歴史を築こうとした人間群像が次々と立ち現われた時代の感情、歴史の奥底からのうねりのようなものに参加した日本人が存在した、そのことが大切な認識なのだ、と私は言いたかったまでである。『SAPIO』誌にそのように書いて、原稿をファクスで送った。

 ほどなくゲラ刷りが送られてきた。編集者がつけたタイトルは次のように記されていた。最後の四文字が私は不快だった。間違えているとさえ思った。私の文意が読めていない。

 豊臣秀吉―覇者スペイン国王をも畏れさせた「神の国」からの大言壮語、となっていた。

 論文のタイトルは書き手が空白のまま送り、編集者が付けるのがこの業界の慣習である。書き手が付けて送っても、取り替えられてしまうことがまゝある。

 私はゲラを送り返すときに「大言壮語」はネガティブなことばです、止めて下さい、と記した上で、四文字を消し、そこに「断固たる意志」と書いて置いた。雑誌が完成して、配送されたページをすぐ開いてみると「断固たる意志」も採用されず、そこに「気宇壮大」という新しい四文字がはめこまれていた。

 なるほど「気宇壮大」はネガティブな概念ではない。秀吉を貶めてはいない。しかし、必ずしもポジティブな言葉でもない。堂々として立派な良い性格を表す言葉と読めばポジティブにもなるが、読みようによってはネガティブにもなる。少くとも私が想定している秀吉の、日本人離れした「意志」を示す言葉としては必ずしも的確ではない。私はそう思ったが、もう雑誌は刷り上ってしまい後の祭りである。

 『SAPIO』は保守系の雑誌として知られ、従ってこの号にも、錚々たる保守論壇のメンバーが小村寿太郎以下10人のネゴシエーターを解明する論説を掲げている。雑誌そのものの歴史観は決して自虐的ではないし、反日的でもない。むしろ逆である。自虐的反日的な歴史イメージを否定する論文を並べている。

 それなのに、それを担当する編集者の意識に、世界に向かって日本人が一歩もたじろがない政治意志を示したという事跡に対し、そう表明することになんとなく気遅れがあり、後ろめたさがあり、ある種の照れ臭さ、あるいは恥ずかしさがあるように見受けられる。

 フェリペ二世の「断固たる意志」を表現することにはまったくの躊躇はないのだが、しかし、秀吉となるとそう言ってはいけないとなぜか頭から思い込んでいる。私に指示されても、それに合わせられないでいる。

 日本人が朝鮮を越え、シナを越え、インドを越えてものを考え行動するなどということはあり得るはずがない、と考えているのだろう。秀吉はフェリペ二世に挑戦状を叩きつけた、と私が秀吉の文面を引用してさえいるのに、それがどうしても信じられない。言葉にするのは憚れることだ、あってはならないことだと思い込んでいる。

 これは一体何だろう。このためらいはどう考えたらよいのだろう。

(この項つづく)

チャンネル桜出演のお知らせ

番組名  :「闘論!倒論!討論!2010 日本よ、今...」
      大晦日スペシャル

テーマ  :「年末キャスター討論 平成22年の総括と日本の今後」

放送予定日:平成22年12月31日(金曜日)
       20:00~22:30
       日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
       インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)

パネリスト:(50音順敬称略)
      葛城奈海 (「防人の道 今日の自衛隊」キャスター)
      鈴木邦子 (「報道ワイドWeekend」キャスター)
      田母神俊雄(「田母神塾」塾長)
      富岡幸一郎(「桜プロジェクト」「報道ワイドWeekend」キャスター」)      
     西尾幹二 (電気通信大学名誉教授・評論家)
      西村幸祐 (「桜プロジェクト」「報道ワイドWeekend」キャスター)
      濱口和久 (「防人の道 今日の自衛隊」キャスター)
      松浦芳子 (「頑張れ!地方議員」司会)
      
          
司 会 :水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

『西尾幹二のブログ論壇』(四)

ゲストエッセイ 
公認会計士 髙石宏典

拝啓 西尾幹二 先生

 年の瀬もいよいよ押し迫ってまいりましたが、西尾先生におかれましては健やかにお過ごしのこととご拝察申し上げます。

 さて、新著『西尾幹二のブログ論壇』のご刊行おめでとうございます。総和社様より同書を発売日前の17日に頂戴いたしました。本当にありがとうございます。早速、私信を掲載していただいた箇所を探し、その後通読いたしました。一度は「日録」や月刊誌で目にしていた内容が多かった訳ですが、懐かしいというよりも新鮮な思いで読み進め、特に第二章と第五章については、先生の過去の著作の中に実質上同じような内容や本書を理解するためのヒントの存在を直感したり、昔むかしにNHKテレビでも同じように面白く刺激的だった西尾先生が出演された論争や先生の実存主義哲学者たちに関する論説があったことを思い出したりしながら、自分なりに少しだけ考えるところがありました。以下は、必ずしも新著それ自体についての感想ではなく、新著から連想した心に浮かんでは消えてゆくとりとめのないことに過ぎませんが、記させていただきたく存じます。

新著の第二章「歴史は変化し動く世界である」については、読了後少し時間が経ってから、論争相手の秦さんの立場が、『ニーチェとの対話』の「学問について」における「モンテーニュの中途半端な歴史家」や「悲劇の誕生をめぐるニーチェの敵対者としてのヴィラモーヴィッツ=メレンドルフ」に符合するように感じました。つまるところ、先生が同書で書いておられるように歴史事実とか歴史の客観性とか言ってみたところで、歴史認識の「哲学的前提の高さ」や「歴史家の人間としての大きさ」がなければ、基本的には読むに耐えうる歴史にはならないということですよね。

モンテーニュは『エセー(随想録)』(白水社版 関根秀雄訳)の中で、西尾先生が『ニーチェとの対話』193頁で引用された箇所の後を以下のように続けています。

「・・・従って歴史を自分の気まぐれに従わせる。まったく、ひとたび判断が或る一方に傾くと、人はどうしても叙述をその方へその方へと曲げずにはいられなくなるのである。彼らは知られるに値する事柄を選ぼうと企てる。そして、それよりももっと我々に教えるところが多いかもしれない或る言葉ある私的な行為などを、しばしばかくしてしまう。」(上掲書764頁)

以上のようなことは、私がふだん日記を書くときに無意識ながら良くやることのように思います。歴史と日記の基本原理を類似したものと考えることは、やはり単純に単細胞にすぎるでしょうか?

また、この第二章の論争で思い出すのは、20年余り前にNHKで放送された「NHKスペシャル 外国人労働者 激突討論・開国か鎖国か」(平成元年5月13日)です。この討論には西尾先生が出演されておられて、切実で刺激的な番組を手に汗を握りながら見たように記憶しています。結果的には、西尾先生の主張が説得力を持ち外国人単純労働者の受入れを制限するわが国の方針が決まって日本社会の平和と安定が保たれてきた訳ですが、この侃々諤々の討論は実に面白かったですね。NHKはどうしてこうしたスリリングな討論番組を制作し放送しなくなったのでしょうか?

 今年の夏の「日本のこれから ともに語ろう 日韓の未来」(8月14日放送)のような「東京裁判史観」を追認するだけの偏向した番組よりも、こころある視聴者のみなさんなら戦争観をめぐるこの「西尾・秦論争」のような討論番組を本当は期待しているのではないでしょうか? そして、上記の夏のNHK討論番組に西尾先生のような見解の異なる識者の方々が、結果として出演されていないのはいかがなものでしょうか? 西尾先生がチャンネル桜のYouTube配信動画「これからの日本」(8月18日配信)で、「(映画監督の)崔洋一が出て来るんだったら、どうして西尾幹二を出さないんだ!なぜ公平にやらないんだ!!」とお怒りになられたのは、至極もっともなことだと思います。 

上記の「激突討論」と同じ頃だったと思いますが、同じくNHK(NHK教育?)で西尾先生の「キルケゴールやハイデッガーの退屈に関する哲学的論説」が放送されたことがありました。全体の論旨はあまり覚えていないものの、「退屈を知らないほど活動的でお金も地位もあるが、他人を退屈させる人間」のことを具体例を挙げて論評されていたことだけは、まだ世に出ておらず何物でもなかった私には意外な視点だったので印象に残っています。このテレビ論説の実質的内容は、『人生の深淵について』の「退屈について」や『人生の価値について』の「人生の退屈そして不安(一)(二)」に収録されていると思われますが、人間や人生の本質に迫る名文で今でも時折読み返したくなる箇所です。

さて、第五章「『三島由紀夫の死と私』をめぐって私の35歳の体験と72歳のその総括」については、本書の「予約特典動画」の中で先生が「小林(秀雄)さんと斎藤忍随と三島(由紀夫)さんとエンペドクレスとニーチェとヘルダーリンと全部つながるんですよ。」、と話されたことがきわめて印象的です。そうであるなら、著名なニーチェの研究家で三島由紀夫と「思考パターンが似ている」(本書249頁)と言われていた西尾先生もこの輪の中に入ることになり、西尾先生の死生観が反映された上掲の著書を通して、凡人には不可解に思える三島由紀夫の最期の行動を理解することも可能なことなのかもしれません。例えば、『人生の価値について』の以下のような先生の文章から三島由紀夫の行動原理を類推することは、やはりピントがずれていると言うべきでしょうか?

「退屈とは「時間の空虚に対する恐怖」でもある。それは薄められた死の予感であり、日常生活のなかに茫洋と漂っている死の自覚の別名と言ってもよいようなものである。」
(『人生の価値について』241頁)

「人間は法の前では平等かもしれないが、ある人にとっては退屈であることが別の人にとっては退屈でないという、退屈を覚える事柄の相違、範囲の広さの相違、いいかえれば苦痛を耐え忍ばねばならぬ程度に関して、人間は決して平等ではない。」(上掲書242頁)

「人間はまったく絶望的な状況のなかでも――シベリアの監獄が絶望的でないはずがなかろう!――自己統一を壊さないで済むだけの生の自足感情を、物を作るというささやかな仕事の中に見出すことに成功するというこの事実は、人間というものの悲哀を感じさせるというより、むしろ、人間の強さ、生きんとする意志の強さを感じさせる。しかし、これは逆にいえば、人間は時間の完全な空虚――無意味な行為の単調な繰り返し――には耐えられないきわめて弱い存在だというふうにも見ることができるのである。」(上掲書250頁)

 以上、本当にとりとめのない雑文で失礼いたしました。失礼ついでと言っては変ですが、以下に少しだけ私事を記すことをお許しください。

今年はテレビがちょうど良く壊れてしまったのを契機に、NHKとの受信契約を解除しテレビを見るのをキッパリ止めました。どの局のテレビ番組も詰まらなくなったこと、番組を見ることによって気持ちが掻き乱され落ち着かなくなることが多くなったこと等のためです。受信料を支払ってテレビを見るのはお金と時間の無駄遣いだとようやく悟り決断しました。わが身を振り返れば、今さらながら20~30年もテレビ界に君臨している大して面白くもないお笑い芸人たち(タモリ、たけし、さんま、紳助、ダウンタウン等)のテレビ番組で貴重な時間を大分無駄にしてしまったなあ、という後悔があります。冷静に考えるなら、これらの人たちは放送業界にとっても視聴者にとっても、つまるところ当たり障りなく暇つぶしをしてくれる都合の良い人たち(=暇つぶし請負人)であるに過ぎないのではないでしょうか。

ともあれ、本当のことを放送しない書かないマスメディアの凋落は、もはや時間の問題です。退屈な時間を当たり障りのないテレビや新聞や雑誌で埋めることに退屈し始めている、私のような日本人が多くなっていることは確かです。中身の濃い本書は既存マスメディアに飽き飽きしている人々の心の隙間を必ずや埋めてくれるでしょう。本書が一人でも多くの方々に読まれることを切に念願して、結びといたします。西尾先生、どうか良い年の瀬をお迎え下さいますように。                   
 敬具
平成22年12月24日  髙石宏典

『西尾幹二のブログ論壇』(三)

ゲストエッセイ 
「秦郁彦vs西尾幹二論争」を決着するために

柏原竜一

 思い切って書評を、と思いましたが、結局秦批判になってしまいました。その点はご容赦ください。

 最近になって思い出したのは、数年前に、西尾先生と私と早稲田大学の学生諸君と勉強会を開いていたことです。西尾先生がインテリジェンスの世界を知りたいという好奇心から始められた勉強会でした。月に一度ほど集まって英文を読みつづけました。そこでわれわれが取り上げたのはリチャード・オルドリッチの『隠された手』という部厚い一冊でした。なぜこの本が取り上げられたかというと、冷戦初期の米英のインテリジェンスがどのようなものだったのかを検討するにあたって米英の大学院では標準的なテキストだったからでもありますが、なによりもまず、私がこの本に惚れ込んでいて、先生に推薦したからでもありました。オルドリッチは「序論 情報史家とその敵」の冒頭部分で次のように述べています。

 

現代の情報機関の物語が提示しているのは明白な警告である。政府は相当の秘密を隠すと同時に注意深く詰め込まれた過去を提示するのだ。第二次大戦後すぐに、情報機関に関するくどくどしい話が現れた。それらはしばしば英国の戦時破壊工作組織であった特殊作戦局(Special Operations Executives: SOE)に関するものだった。これは、もはや戦争が終わったのだから、秘密活動に関する物語も語ることができたということを暗示していた。SOEで働いた、もしくはアメリカの姉妹組織であった戦略事務局(Office of Strategic Services: OSS)で働いた多くの人物が落ち着いて手記を執筆したのである。これは誤解を招く可能性があった。なぜならドイツとの戦いの重要な局面の幾つかは隠されていたからである。終戦から30年が経た1970年代になって初めて、ウルトラとブレッチリー・パークの物語-ドイツのエニグマ暗号機を解読した努力-が世界を驚かせることとなったのだ。その後、第二次大戦の戦略史が大きく書き換えられた。その中でも最も重要だったのは、枢軸国の意図が丸見えだったということが30年もの間歴史文書から隠されていたということだったのである。

 SOEとかOSSは、一般には、いわゆる戦争映画の特殊部隊の活動のようなものとして考えていただいてまあ間違いはありません。こうしたどうでもいいような派手は話が第二次大戦の情報機関の物語として一般に流布するのです。それから何十年もたって「枢軸国の意図が丸見えだった」という事実が明らかになったのです。たとえ民主的な政府であっても、英国も米国も情報を長期間隠し続けるのです。

 ウィキリークスのようなことでもない限り、外交公電が人口に膾炙することはないのです。敢えて付け加えるならば、ここでエニグマの情報が開示されたのは、ケンブリッジ・ファイブ(キム・フィルビーなどのソビエトのエージェントが英国政府内に紛れ込んでいた事件)の暴露という当時の英国情報機関の失態による権威の失墜を埋め合わせるためのものでした。ですから、こうした失態がなければ、公開はもっと遅れていたことでしょう。「枢軸国の意図が丸見えだった」ということは、第二次大戦の戦略史は根底から見直さなければならなかったということです。
 
 これは、恐ろしいことではないでしょうか。昨日まで真実であると考えられていたことが、新たな資料公開によって解釈が根本的に変わってしまうのです。それまでの研究成果が、一瞬にして無になるということですから、まじめにこつこつと史料を集めて分析されて、一定の成果を上げた歴史家の方々にとって、これは致命的な痛手と感じられるのかもしれません。

 ですが、インテリジェンスという微妙な問題を扱うときには、常に見られる現象なのです。ですから、なおさらのこと、歴史を研究するという志を持つ限りは、このどんでん返しにつねに身構えていなければなりませんし、心の準備ができていなければならないのです。思考の柔軟性が必要なのです。また、歴史家は既存の史料の裏をかく必要も出てくるわけです。そのときに導きの糸となるのが、歴史的想像力なのです。ですから、その史料の背後に何があるのか、推理するという精神的な態度が歴史研究には常に要求されているのです。

 ここで、「西尾幹二のブログ論壇」に収められた「西尾VS秦」対談には、次のようにあります。

 こういうもの(田母神論文)は日米関係にも決してよい影響は与えません。一部の人々のあいだで、田母神氏が英雄扱いされているのは、論文自体ではなく、おそらく彼のお笑いタレント的な要素が受けたからでしょう。本人も「笑いをとる」のを心がけていると語っています。

西尾 日米関係に悪影響云々は政治家が言うべき言葉で、歴史家の言葉ではありません。田母神さんを侮辱するのはやめていただきたい。軍人には名誉が大事なのです。彼の論文には一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね。

 やはり、そうはいかんのですよ。田母神さんは私の著書からも引用しているが、趣旨を全く逆に取り違えている。一事が万事この調子です。西尾さんも著述家だから、誤引用される不愉快さはおわかりでしょう。プロのもの書きではないとはいえ、自衛隊空幕長は大きな社会的責任を負う立場です。なんでも言いたい放題というわけにはいかない。・・・

 「日米関係にも決してよい影響は与えません」というのは、もう語るに落ちた言葉だと思ったのは私だけでしょうか。現在の政治関係を、歴史に当てはめるから、日本の「昭和史」研究は、見るに堪えない惨状になっている、というのが一読者としての私の正直な感想です。歴史から何かを学ぼうとするのではなく、現在の日米関係がこれこれこうだから、この種の発言は控えましょう、というのであれば、それは単なる第二次大戦の戦勝国への太鼓持ちではないですか。中国への太鼓持ちが「日中共同歴史研究」の本質でした。日本の歴史研究は、太鼓持ちエセ学問でおわるのでしょうか。少なくとも秦氏の姿勢からは、政治で歴史を断罪することを了としているとしか思えないのです。
 
 まあ、西尾先生の「彼の論文には一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね」という発言も、聞く人が聞けば卒倒する内容なのでしょう。「細かいことはどうでもいいんでね」等といわれてしまうと、もうそれだけで、従来の歴史学の全面的な否定に見えてしまう人もいるようです。文学的な説得力というのがいやならば、文学的な想像力と言ってもよいのでしょうが、その想像力抜きでなにか歴史研究が可能なのでしょうか。
 
 想像されたものが、歴史ではないのは自明です。しかし、その想像力抜きに、歴史を研究することができるのでしょうか。というのも、想像力の有無は調査能力に直結しているからです。ここらへんのアーカイブにはこれこれの情報があるはず、とすると、あそこのアーカイブのこれと照合すれば、かくかくの結論が導けるかもしれない、と考えるのは、通常の歴史研究では当たり前のことです。あり得たかもしれない現実を、自分の頭の中で再構成し、現実の史料とつきあわせて、事実を探るというのが歴史学という学問の営為ではなかったでしょうか。
 
 ですから、秦氏が自分の学問を誇るのであれば、「やはり、そうはいかんのですよ。田母神さんは私の著書からも引用しているが、趣旨を全く逆に取り違えている。一事が万事この調子です」というのであれば、どの文のどこが誤りなのかを、具体的に明示するべきでしょう。出された主張に対して、ひたすらその主張の信頼性を否定するというのであれば、これはもはや学問とは言えないでしょう。史料に対しては史料で対抗しなければなりません。しかし、秦氏には徹頭徹尾そうした誠実な姿勢に欠けているのです。秦氏はひたすら逃げ回っているのです。日本の「昭和史」を研究されている皆様は、この秦氏の無様な逃げっぷりを哀れだとは思わないのでしょうか。「細かいことはどうでもいいんでね」といわれて、脊髄反射しているようでは、日本の「昭和史」研究の夜明けは遠いといわねばなりません。「細かいことはどうでもいいんでね」といっているのは、むしろ秦氏の方ではないのでしょうか。
 
 たとえば、次のようなやりとりを読むと、あきれるというのを通り越して、無気力になります。

西尾 ・・・ルーズベルト政権が、コミンテルンの謀略に影響されていたことは、日米戦争の発端における大きな不幸のひとつで、これを度外視してあの戦争の歴史は書けないと、私は考えますが、同じ前提に立つ田母神論文について、秦さんは、「“風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話」(『週刊新潮』2008年11月13日号)と一蹴しています。

 いまでもその考えは変わりません。工作員が、実際、どれだけ歴史の流れに影響を与えられるか、という問題もあります。

 これを読んでいて、つくづく思うのは、「じゃあ、秦さんは、ヴェノナについてどれほど知っているの?」という素朴な疑問です。秦さんの論文を読まれたことがある方ならご存じでしょうが、英米の文献はほとんど引用されていません。私も、秦さんの張作霖爆殺に関する論文を見せていただいたことがありますが、ほぼ日本の文献しか用いられていませんでした。これでは史料が日本側に偏りすぎており、信用できないのではと思ったほどです。近代の国際関係というのは、相手があってのことなのですから、相手国のアーカイブと比較検討して初めて、結論が出せるのです。

 「工作員が、実際、どれだけ歴史の流れに影響を与えられるか、という問題もあります」などと、牧歌的な発言を平気で宣う秦氏には、インテリジェンスは永遠に理解できないでしょう。相手国のアーカイブ(たとえば中国やロシアのアーカイブ)との比較対照という手続きを踏んで居られない秦氏が、なぜ、「“風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話」といったけなし文句を吐けるのでしょうか。これは昭和史研究家と称される方々につきものの、一種の腐臭です。秦氏はなぜ学問的な反論ができないのでしょうか。インテリジェンスにはまるで無知な人物の語る内容が、どうして碩学の判断として通用してしまうのでしょうか。
 
 秦氏の尻馬に乗って西尾先生を批判する人は、当時のインテリジェンスについて記された書物を2,3冊なりとも通読されたことがあるのでしょうか。戦間期において、日本と全く関わりのないところで、インテリジェンスがどれほどの規模で行われていたのか、それを知らずに「秦先生のおっしゃるとおりだわ」といったところで、それは知性の欠如、教条主義の虜以外の何ものでもありません。

 また、次のようなやりとりもあります。

西尾 ホワイトらに関して、ご覧のように大河のごとく文献が溢れているのに、今さら否定は出来ないでしょう。日本語が読めるとか読めないの話は関係ない。重要なのはハル・ノートの原案を巧妙に示し、ソ連側の意向を伝えていたことです。

 だが、ルーズベルト政権には日本勤務の経験もあり、日本語が読め、日本の各界に人脈を持つ国務省の外交官が何人もいる。バランタインもジョン・エマーソンもそうです。ホワイトという素人に対日問題を任せなければならぬ理由はないのです。・・・

 ほんとに脱力しますね。「ホワイトという素人に対日問題を任せなければならぬ理由」は、ちゃんとあるのです。それは当時の国務省が対独戦の準備に忙しかったため、財務省のモーゲンソーとホワイトにおはちが回ってきたということです。正直、これを読んだときは、秦氏は、当時のアメリカ政界の有様も知らずに議論していたのかと腰を抜かすほど驚きました。そのぐらい海外のことを知らない、そんな人が歴史を論じるのです。これはかなり恐ろしい話ではないですか。
 あとは、脱力シーンの連続です。

西尾 ホワイトの隠密行動は一貫してソ連の利益のためにあった。自身がどういう役割を果たしたかは謎ですけれども、これだけ書かれていますからね、何もなかったということはいえない。申し上げたいのは、無罪であったとは断定できないということですよ。

 いや、歴史学の専門家的見地からいえばですね、その程度の推測はほとんど価値がないんですよ。

 「ほとんど価値がない」という前に、秦氏は、おそらくは対談の時に目の前に置かれていた文献を読んでいなければならなかったのではないでしょうか。ジョン・アール・ヘインズとハーベイ・クレアの『ヴェノナ』についても、この著者らは当初はソビエトの情報活動には否定的だったのです。しかし、明らかな証拠が出てきたので、彼らは転向してこの本を書いたというのが本当のところです。秦氏とジョン・アール・ヘインズやハーベイ・クレアのどちらが歴史学者として誠実な姿勢なのでしょうか。「“風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話」といって、新たな見解をこき下ろす暇があれば、まず、それらの文献のどこが誤りなのか、はっきりと、海外も含む様々なアーカイブの様々な公文書から指摘するべきではないでしょうか。その手間を省いて、ひたすら下品な悪口を言い続けるというのは、その悪口がいずれ自分に返るということを、まるでご存じではないような雰囲気です。

 文献を批判するには、まずその文献を読まなければならない。そして、その上でその文献の持つ根拠の弱さを議論できるだけの実力がなければなりません。秦氏にそれだけの実力があるのですか。実際には、その実力がないのに、「“風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話」という表現に逃げ込んでいるだけではないのですか。
 
 まずきちんと入手できる限りのあらゆる史料を読み、そこから確実性の高い史実を構成する、そこから更に、他のアーカイブでもチェックし、史実を確定していく。そこには、政治的配慮は無縁でしょう。オルドリッチは先の章の終わりに、次のように述べています。

 

冷戦の終了以降、モスクワや北京で機密解除された歴史的宝物と、それらが冷戦に投げかけた新たな光に関して多くの話を耳にした。しかし最大の秘密は西側の公文書館の中に眠っている。そして冷戦初期の劇的な時代における米英の政策が実際どのようなものだったのかは、我々にはわからない。ここでまた膨大な量の公文書が我々を待ちかまえている。そして新たな発見は始まったばかりなのだ。この複雑なモザイクを完成させ、そして西側がいかにして冷戦を戦ったのかということを理解するにあたっての最良の希望は、攻撃的で探求心にあふれた歴史家なのであって、そうした歴史家は、本当の秘密などは存在せず、存在するのは怠惰な研究者だけだと信じているのだ。

 「冷戦初期の劇的な時代における米英の政策が実際どのようなものだったのかは、我々にはわからない」というオルドリッチの一言に、私は、冗談ではなく、胸を射貫かれてしまいました。秦氏の「いや、歴史学の専門家的見地からいえばですね、その程度の推測はほとんど価値がないんですよ」という発言と比較すれば、いうのもはばかられますが、オルドリッチが英国を代表する横綱級の情報史家といえるのに対し、秦氏は三下にもなれないありさまといえるでしょう。オルドリッチ氏は、知りすぎているからこそ、謙虚であり、秦氏は、知らなさすぎるからこそ、傲慢なのです。

 「この複雑なモザイクを完成させ、そして西側がいかにして冷戦を戦ったのかということを理解するにあたっての最良の希望は、攻撃的で探求心にあふれた歴史家なのであって、そうした歴史家は、本当の秘密などは存在せず、存在するのは怠惰な研究者だけだと信じているのだ。」と、ここまで言い切れるオルドリッチは凄いと思いませんか。これは、オルドリッチが自分に課している十字架です。これはそのまま、「この複雑なモザイクを完成させ、そして日本がいかにして第二次大戦を戦ったのかということを理解するにあたっての最良の希望は、攻撃的で探求心にあふれた歴史家なのであって、そうした歴史家は、本当の秘密などは存在せず、存在するのは怠惰な研究者だけだと信じているのだ。」とも言い換えられるでしょう。

 先の話に戻りますが、西尾先生は既に『隠された手』は、部分的にせよすでにご存じなのです。それが、実はこの対談にも淡いグラデーションのように反映しています。現在、WiLL誌上で西尾幹二先生、福地惇先生、それに福井雄三先生の末席に加えていたゞいて、一連の昭和史家の批判を行っている最中ですが、その昭和史批判に対して、いわゆる昭和史家の方々に反論してもらいたいと願うのですが、何も言ってきません。何も言えないのでしょうか。もし彼らが反論されるならば、せめてこのオルドリッチの『隠された手』(Richard J. Aldrich, The Hidden Hand Britain, America, and Cold War Secret Service, (NewYork: THE OVERLOOK PRESS, 2001))ぐらいは全部通読してからにして欲しいと、心から希望する次第です。そうすれば、現在の日本の「昭和史」の水準が、どれほど低いかがわかるでしょうから。

文 柏原竜一

『西尾幹二のブログ論壇』(二)

 近い人から感想が届いた。雑感というにふさわしいややとりとめない感想で、友人の私にはピンとくるが、良く分らない人もいるかもしれない。しかしともかくこの本の最初に送られてきた批評文だ。

 秦郁彦に小沢一郎を連想している発想の奇抜さが面白い。「違法性の不在」は合法であるという点が、二人に共通するという意味らしい。占領軍史観に合っていれば合法、そうでないものは全部違法とみなす秦氏の硬直した論法には、小沢一郎の強引さがたしかにある。

 この本を最初によむ人は、どういうわけか、第二章の秦郁彦批判に注目の眼を注いでいるようだ。もう一篇届いている批評もそれに類するので、次回にお知らせする。

ゲストエッセイ 

『ブログ論壇』雑感 粕谷哲夫

これは前回の 西尾日録を単行本にしたものより 大分 上出来です。渡辺 望さんの<コーヒー論壇>からの導入もよくできているのはもちろん、ダイアログをうまく入れて読者との<双方向性>という構成がたいへん新鮮です。編集デザインとしてもかなりの< 艶>を感じさせます。西尾幹二 批判も 適度にちりばめられ 討論の公平性がよく保たれており、好感持てます。

390ページの高品位の量感をソフトカバーで包むという 配合は 「ハレ」と「ケ」のバランスという点でも秀逸だと思います。

それで 質の高い 硬質の議論をうまく包んでいる感じで これは 西尾著作物の中で市場の受容度は かなり高いと判断します。後は宣伝ですね。マーケッティングからみてもそう思います。

秦郁彦にも(聞くべきものはいくつもありますが)、改めて読み直してみると全体では あたかも 小沢一郎を合法性ないしは違法性の不在ゆえに弁護する 小沢支持派 の 形式論理のような空虚さと同じものを感じさせずにはおきません。

秦郁彦は 法律でいえば 「訴訟法ないしは法手続き」「証拠主義」に関心がありすぎです。
それでは 歴史への想像力をむしばんでしまう。

(この点では保坂さんの方がいいです。彼は疑いは疑いとして結論を出さずに 疑問を読者に投げかけます)

ちなみに 「訴訟法ないしは法手続き」「証拠主義」で行くと、同時代に生きている 小沢一郎 という 男にたいする 判断も一筋縄ではいきません。

20%の人は小沢に肯定的です。しかし80%は小沢に否定的です。 いま生きている そこにナマの物証があるにもかかわらず 見解は分かれます。 決定的な定説などというものは ことほど左様に なかなかあり得ないものなのです。

山本五十六だって 激しい毀誉褒貶にさらされています。

秦郁彦は 歴史的 絶対証拠のない 日常的な考現学的な諸事象をどう判断するのでしょう?

我々は証拠によって生活しているわけではない。
観察や伝聞や風評を 総合して判断しているのです。
知力と感覚の総体で判断し生活しているのです。
そのトータルな集積が文化というものではないでしょうか?
イギリスはその流儀です。

もっとも学問であれば そんなアバウトなことでは すまないことは百も承知ですが、それを言うなら ヴェロナ文書の原点などに自らあたるべきです。彼にとっては <昭和史>はすでに一件落着で加えるべきものはなにもないと言わんばかりですね。

小生は 「自然法ないしはコトの是非そのもの」に傾斜するので 秦理論には相当の違和感があります。

経営学的に言えば 秦郁彦の考え方は<形式知>寄りで  西尾幹二的な考え方は<暗黙知>的です。

いまや 悪評高いマッカーシーの暴いた 共産主義の陰謀・謀略は徐々に マッカーシーは正しかったと 証明されつつあると聞いています。 秦郁彦も 否定や肯定をする前に 自分で徹底的に調べてみたらどうなんですかね。 その好奇心というか情熱がないこと自体 学者として問題だと思う。極度の知的怠慢ですよ。

もっとも徹底的に調べるには 英語とロシア語のスーパーな読解力が必要ですが・・・・。

宮脇女史など 調査の必要に応じて 外語を学習していったというようなことを言っていましたが、秦郁彦ぐらいならば 読解力のある専門家も同伴してアメリカやロシアに乗り込んでいろいろな 史料を 追求していく興味があってしかるべきです。

どうも歴史学者は 日本にある書物の範囲からテリトリーを広げることをしない。 

と同時に 仲小路のような 西欧列強による アジア侵略の入手可能な史料ですら踏み込もうともしない。・・・ ということは <GHQ 焚書> にたいする学者の良心を失っているということではないのか?

話は飛びますが ゾルゲ事件の 尾崎秀実を死刑にせずに 生かしておけばよかったと思います。彼らなら スターリニズムの<平和主義>の妄想がいかに誤りであったか 後刻気づいて 率直に認めたと思います。
彼を生かしておけば 後刻 釈放しても純粋な人なだけに自らに非を公式に認め、それが日本の左翼論理の蔓延を防ぐことに多少なりとも 貢献したのではないか?

『西尾幹二のブログ論壇』(一)

『西尾幹二のブログ論壇』の表紙を紹介します。

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  目 次

はじめに 二十一世紀のコーヒーハウス(渡辺 望)

【第一章】 『皇太子さまへの御忠言』の反響
祈りについて
不合理ゆえに美しい歴史
「朝敵」と論難されて
「朝まで生テレビ」皇室問題に出演する
『保守の怒り』の求めるもの
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」

【第二章】 歴史は変化し動く世界である
「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」『諸君!』二〇〇九年三月号論文
「田母神俊雄=真贋論争」秦郁彦 VS西尾幹二『諸君!』二〇〇九年四月号論戦 
『諸君!』四月号論戦への反応
『諸君!』四月号論戦余波
『諸君!』四月号論戦余波(続)

【第三章】 『GHQ焚書図書開封』1・2・3・4…  暗い海への私の73歳の船出
『GHQ焚書図書開封』発刊と新事実発見(石川水穂、力石幸一、中静敬一郎)
『GHQ焚書図書開封2』をめぐって(宮崎正弘)
『GHQ焚書図書開封』3・4と私のライフワーク(新保祐司)

【第四章】 大江健三郎の欺瞞、私の29歳の評論「私の受けた戦後教育」と72歳のそのテレビ朗読
新制中学での私の体験
直輸入教育の犠牲者として
民主教育の矛盾と欠陥
続・民主教育の矛盾と欠陥
教育におけるペシミズム
観念教育のお化け 大江健三郎「戦後世代と憲法」
教師は生徒の模範たれ           

【第五章】 『三島由紀夫の死と私』をめぐって 私の35歳の体験と72歳のその総括
死を迎える前に私も全部を語っておく
二〇〇八年憂国忌記念講演「限界を超えた『芸術と実行』の分離の理念」
書評「三島由紀夫の死と私」(松本徹、坂本忠雄、細井秀雄)

【第六章】 ニーチェ・江戸・小林秀雄
『真贋の洞察』について(富岡幸一郎、竹内洋)
座右の銘に添えて  ニーチェ『ツァラトゥストラ』より
読書の有害について ニーチェ『この人を見よ』より 
『江戸のダイナミズム』感想 (武田修志) 
小林秀雄に腰掛けて物言う人々(伊藤悠可)
小林秀雄『本居宣長』のこと

【第七章】 大寒の日々に
佐藤優さんからのメッセージ
加地伸行氏の直言
大寒の日々に
黄文雄氏と東中野修道氏の人生に感動
渡部昇一さんとの対談そのほか

「西尾幹二のインターネット日録」の歴史(長谷川 真美)
インターネットの良いこといやなこと・・あえて八年前の文章を「あとがき」に代えて

執筆者プロフィール(編集者からのお知らせ)

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発売日11月20日~12月20日 11月20日より、アマゾンでご購入いただいたお客様へは、西尾幹二、宮崎正弘、渡辺望の三氏による『西尾幹二のブログ論壇』出版記念特別放談の限定映像を、もれなくプレゼントいたします!
 11月20日~12月20日のキャンペーン期間中にご購入いただいたお客様は、限定プレゼント『西尾幹二のブログ論壇』スペシャル放談映像(約90分)」がございます。

【プレゼント応募方法】
応募期間:11月21日(水)~12月20日(日)
1. Amazon.co.jpで『西尾幹二のブログ論壇』を予約/ 購入します。
2. 購入後、Amazon.co.jpから注文確認メールが届きます。17桁の「注文番号」をご確認ください(例 000-0000000-0000000)。
3. 下記の応募フォームに必要事項(お名前/ メールアドレス/アマゾン注文番号)を記入して送信します。
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管理人長谷川より、補記
 この『西尾幹二のブログ論壇』に登場する大勢の執筆者の方々には、それぞれ連絡を取り、掲載の許可を得ています。ただし、日録に掲載時に許可を頂いたのですが、その後連絡が取れない人が二三人おられます。今後本が正式に出版された後、自分のところに連絡がないと気付かれた場合、至急ご連絡をお願いします。

 この本には当日録に過去において掲載された文章が多く転用されています。そして、日録に掲載されていないものも多く掲載されています。私は今回、この本の原稿に目を通してみて、本を作るということは、料理と同じようなもので、同じ材料を使っていても、その調理方法、味付け、盛り付けなどで、全く違った料理となるのだと感じました。日録愛読者の皆さまにも、このたび日録の文章が装い新たに一冊の本となって皆様の手に届いた時、きっとその料理の出来映えに驚かれ、満足されることと思います。是非、楽しみにお待ちください。

苹@泥酔さんによる 読書前読書感想予想文?

目次を見て、思い出そうとすると記憶の不正確さに気付くのはいつものこった。あれか、これかと思い出したのが実は別の稿だったりする事も少なくない。それでもタイトル=ヒントから記憶を辿ろうとするのは必ずしも退屈ではないし、今も不図そう思った直後、そう云えば何年か前に西尾先生が退屈について述べていたな、あれが私には最も刺激的だったな、と振り返っては肝腎の内容を忘れている事に気付く。
 
 最初の日録本は売れ行き不調だったそうな。何年も経ってから読み返すと、その時の「内容が」ではなく「時間の流れが」違和感の一因になっていたりする。そりゃそうだ。読み返しているのは今の私で、過去の私じゃないんだもんね。だからかナ、これを「時間の自動編集機構」と呼びたくなるのは(ここで松岡正剛の云う「編集工学」を想起)。それを制御するのは書かれた中身の方だ。そのためか西尾先生は後々、時間に囚われない内容重視型の日録本を出す様になった。『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』然り、『国家と謝罪』然り。…するってぇと、今度の日録本は差し詰め四冊目か五冊目あたりになるのかいな?
 
 どうやら既刊と大きく異なるのは、他の方々の文章の占める割合が激増している点にあるらしい。そこに「ブログ論壇」への視点が垣間見える。執筆者であると同時に編集者でもある形態が、更に本職の編集者の手を経て送り出される。恰も編集行為の重層性が、書物とブログの狭間で(=狭間にあるという手続き記憶が、書物という長期記憶に向かいつつ)他者を呑み込むかの様な。今や西尾先生は或る意味、編集者になろうとしているのではないか。それもただの編集者ではなく、コーディネーターと云うよりはエヴァンゲリスト。マタイとバッハを兼ねたかの様な編集的叙述者。焚書本を次々と世に送り出す西尾幹二のごとくありながらも、焚書本と違って「中の人」は存命中。
 
 だから本は、生きている。そして時間も生きている。もしかしたらこの一冊には、暗に「生きる事で時間を乗り超える」ための思想が提示されてあるのかも知れない。

緊急出版『尖閣戦争』(その四)

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尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

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ゲストエッセイ 
坦々塾事務局長 大石 朋子

<『尖閣戦争』を読んで思ったこと>

     
 先月、イリハムさんの事務所でベトナム人のユンさんに『今日のミスチーフ、明日の尖閣』と書かれたメモを見せていただきました。

 私は、尖閣の文字を見てミスチーフについては、単に中国の占領ということしか知らなかったので、慌てて調べました。

 アキノ大統領時代「ヤンキー・ゴー・ホーム」といって米軍を1992年に撤退完了させ、その後中国が「領土法」を制定し、1995年フィリピンのミスチーフを中国が占領したという事実を知りました。ここに中国は軍事施設を建設したようです。

 西尾先生と青木さんの『尖閣戦争』を読んで、私なりに尖閣問題について考えたことを書かせていただきます。本の内容とは違うこともありますが、お許し下さい。

【友愛の海の意味?】

 中国が列島線全てを占領した場合、辺境思想の中国がそれで満足するとは思えず、領土(領海)拡大は今現在勢いのある中国がその勢いを止めることはない、と思います。

 シーレーンを喪失するということは、海上封鎖されるということで、石油はもちろん海上輸送に弊害がおこり物資の値上がりにも繋がると思います。
これが友愛の海だとは思えません。

【最低でも県外の意味】

 海兵隊を県外に出し、本土と沖縄の分断を図り琉球として独立させ、その後中国に編入する。

 現に「琉球復国運動基本綱領」には、琉球は日本の植民地であると理解することが出来るような文章があります。そこには、琉球臨時憲法、もちろん現段階では「案」であろうと思われますが、確かに規定されています。
ああ、このやり方は、嘗てのメキシコにやったアメリカのやり方だな。と、ふと思いました。

 尖閣五島のうち、四島は日本人の所有地で、年間2,450万円で賃貸契約を結んでいるということで、殿岡昭郎氏はK氏(日本人埼玉県在住)は国を売るような事をする人ではないと仰いますが、万が一ということを考えると、不安になります。
何故なら、今まで何人の日本人が中国の罠に掛かってきたことかと思うのです。

【下地島の事】

 下地島の空港は民間の離着陸の訓練場として使用されていて、2005年3月下地島伊良部町の町議会で「下地島空港への自衛隊誘致」の請願が賛成多数で可決されたが、一週間と少しで白紙撤回された。

 下地島に自衛隊を置けば、那覇、尖閣、与那国がカバー出来るだけでなく、インフラを新たに設けることも無いという好条件なのに、何故と思います。

 この問題は、民主党だけでなく、自民党政権からのことであるので、政権を交代する場合、何処に一票を入れれば良いのか迷います。

【中国がミスチーフを占拠したときのやり方】

 「海上避難施設が必要」と主張して上陸して実効支配に持っていく。
これが、尖閣にも行われないと、誰が言えるだろうかと思います。

 嘗て「流木にしがみついて流民として中国人が上陸してくる」という話を聞いたことがあるが、こうなると可能性はかなり高いと思います。

【国防動員法】

 これには習近平が大きな役割を果たしていると聞いています。
18歳から60歳までの中国国民は、国防のため総動員を発令できるというものだが、先の聖火リレーの時は未だ制定されていなかったのに、あれだけの数の中国人が集まったのです。
しかも、日本の警察は日本人を守ってくれませんでした。

 国防動員法が制定されたということは、私たちは便衣兵に常に囲まれて生活しているということです。何と恐ろしいことか。
その人たちに生活保護費を与え、さらに選挙権を与えるなど、とんでもないことだと思います。

 在日中国人の増加は、便衣兵の増加とイコールであると心するべきであると思います。

【ODAの迂回】

 アジア開発銀行のことですが、私たちの多額の税金がこのように使われていたことを国民は知りません。
こうして、日本のお金で中国は力をつけて日本に襲い掛かってくることに対し、私たちは指をくわえて見ているだけしか出来ないのでしょうか?

 テレビでも新聞でもスポンサーが強い力を持っているのですね。
日本のマスコミが日本の為の報道をしないことは悲しいことです。

 今回、尖閣問題が表に出て国民の意識が変わってきたことは良いことだと思います。

 国境防衛の領域警備法についてですが、海上保安庁の仕事ではなく、海上自衛隊にシフトするべきだと思います。
国を守る自衛なのですから、自衛隊の本来の仕事だと思います。

 これで、自衛隊は軍隊だからと反対する人は「奴隷の平和」に甘んずることを良しとする人でしょうが、私は戦うことを望みます。

『西尾幹二のブログ論壇』予約

12月18日発売予定の次の本をご紹介します。総和社という出版社からで、編集担当の佐藤春生さんが書いてくださった内容案内は次のとうりです。
 
 予約すると「おまけ」がつくことになっているそうですので、注意して読んでください。今の時代にふさわしい新しい出版の形式です。その形式に適った革新的で、チャレンジングな内容の本のつもりです。

 一口でいえば、今お読みくださっている「西尾幹二のインターネット日録」が本になったのです。当ブログの管理人長谷川真美さんの永年のご努力に感謝し、彼女とともに喜びたいと思います。

 テーマに応じて再構成し、新しい表現や未発表の論文を多数入れていますので、必ずしもブログと同じ内容ではありません。2008年の憂国忌における私の二時間半に及んだ講演の全部が収録されていますし、出版記念会パンフにおける小林秀雄をめぐる小さな論争もブログにのっていないものです。

 2009年『諸君!』4月号の、話題になった私と秦郁彦氏との論戦を、秦氏のお許しを得て全文掲載できましたことは幸運でもあり、またこの本の記録性に厚みをもたらしました。

 とまれ編集者の紹介文をおよみたまわりたく存じます。

 

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12月18日『西尾幹二のブログ論壇』発売!

11月20日より予約受付開始!!
著●西尾幹二
版型●四六判・並製
定価●1600円(税込)
頁数●400頁予定
発売日●12月18日

『西尾幹二のブログ論壇』内容紹介

■西尾幹二の本を初めて読む方へ

『西尾幹二のブログ論壇』を読むと・「ブログ論壇」の可能性が分かります
・「雑誌ジャーナリズム」の衰退の理由が分かります。
・「皇室」のことがよく分かります
・「昭和史」の偏向ぶりが解ります
・「三島由紀夫」と「江藤淳」の対立軸が理解できます
・「小林秀雄」と「西尾幹二」の違いが分かります
・「GHQ焚書」の実態が分かります
・「保守」の弱点が判ります
・「ニーチェ」の魅力が分かります
・そして「西尾幹二」の魅力が分かります!

 最新の“論争”をすべて収録!

「学界」「論壇」にとらわれず、「右」「左」というイデオロギーに左右されない、“素心の人”西尾幹二はこれまで幾度となく論争となる問題を抽出してきた。西尾幹二の問題提起に対し、『文藝春秋』や『正論』でさえ真っ向から取り組めなかった議題も、一方ネットでは賛否両論盛んに議論され、あたかも「ブログ論壇」の様相を呈している。

 単行本未収録の論文「読書の有害について ニーチェ『この人を見よ』の言葉より」「私の受けた戦後教育」「限界を超えた『芸術と実行』の分離の理念(2008年度三島由紀夫憂国忌記念講演)」を加え「皇室」「昭和史」「GHQ焚書」「保守」についてなど、最新の論争の記録をすべて収録!

 ■目次より

「朝まで生テレビ」皇室問題に出演する/「朝敵」と論難されて/『保守の怒り』の求めるもの
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」/観念教育のお化け 大江健三郎「戦後世代と憲法」
「田母神俊雄=真贋論争」秦郁彦VS『諸君!』二〇〇九年四月号論戦/『諸君!』四月号論戦余波
死を迎える前に私も全部を語っておく/小林秀雄に腰掛けて物言う人々
佐藤優さんからのメッセージ/加地伸行氏の直言/渡部昇一さんとの対談そのほか

  編集者から一言

 秦郁彦、保坂正康、半藤一利などいわゆる「昭和史家」への批判論文から始まった第二章「歴史は変化し動く世界である」の大論争が『ブログ論壇』のメインとなります。本書は有名無名を問わず、西尾先生以外の方の文章も収録しておりますが、すべて先生が選ばれた文章で、名文も多いです。渡辺望さんが書いてくれた序文は本書の解説にあたる文章ですが、それに留まらず、西部邁氏へ根本的な批判などもあって、独立した論文として読み応えがあります。
これまでの西尾先生の作品とはちょっと違うものが出来上がりましたので、ご期待下さい。

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< 著者について
西尾幹二(にしお・かんじ)
評論家
昭和10年東京生まれ。東京大学文学部独文科卒業、同大学大学院文学修士、文学博士。電気通信大学名誉教授。著書に『ヨーロッパの個人主義』『ニーチェ』『ニーチェとの対話』『江戸のダイナミズム』『決定版 国民の歴史』『GHQ焚書図書開封』1~4、他多数。訳書にニーチェ『悲劇の誕生』『この人を見よ』、ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』など。
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