緊急告知

 本日(12月14日)、『保守の怒り』を、版元の草思社が書店から回収したという偽FAXが、新聞社と通信社の各社に送られたという情報が入りました。

 出版社に確認の問い合わせがあり、分りました。

 このような事実は全く存在せず、何者かによる悪質な妨害行動ですので、ここに事実を告知します。

西尾 幹二

GHQ焚書図書開封(3)の衝撃

ゲストエッセイ 
足立 誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 
元カナダ東京三菱銀行頭取/坦々塾会員


 ある国の記録を焚書・抹殺するということはその国、国民から歴史、identityを奪うことであり、その国の消滅をもたらす可能性を孕むものです。

 GHQは日本の歴史を焚書し消し去ると共に、検閲を通じて捏造した虚偽の歴史を日本人に刷り込む枠組み、システムを構築しました。

 本書、GHQ焚書図書開封第三巻は焚書された書籍に光を当て、そうした日本滅亡にまで及ぶ枠組み、システムを明らかにするものです。

 まず始めに、日本が戦った戦争の実態と日本軍兵士の実像を開封した兵士の手記から再現させています。
雨とぬかるみ、死んでいく軍馬、竹やぶと飛来する銃弾、クリークの水で炊いた臭気で食欲も出ない米飯。そうした情景は読者の脳裏にありありと浮かびます。
 
 その環境の中での兵士同士の人間味溢れるつながり、友情、部下への思いやり、戦友の死が語られます。そしてそんな苦楽をともにしてきた兄弟同様、或いは親子同然の戦友、部下の戦死の場面。言葉では言い尽くせぬ悲しみに思わず目頭が熱なることも一度や二度ではありませんでした。

 日本軍の兵士は戦後に描かれた悪逆非道な姿ではなく、極めて人情味に溢れそれでいて規律正しい戦士達であったことが分かります。

 何よりも印象に残ることは兵士達が日本という国家を信頼し何の疑念を持っていなかったことです。彼等は、正義の戦いに従軍しているという自覚、義務感が極めて旺盛であり、正義のためには命を捧げてもよいという気持であったのです。

 本書には息子の戦死に悲しみをこらえられない親についての記述も再現されています。その悲しみは現代に子供を失った親の悲しみに劣るものではないことが分かりますが、それでも国への信頼と戦争の正義を信じている気持ちは失われていません。
 
 つまり敗戦までの日本人は国を信じ、戦争を正義のためのものとして捕えていたことがわかります。
 
 戦後に書かれた戦争に係わる本では、国民はあの戦争を悪であると思い、国への信頼などなく、「心ならずも」召集されて行かされたのだとしているものばかりです。
 そして本書に再現された手記に比べるとリアリティーが決定的に欠けています。

 又初めて知る話でしたが、開戦に南米から日本へ向かっていた商船鳴門丸の舟客、船員が航海中に日米開戦を知り、ハワイ攻撃の成功を喜びながらハワイ沖を経由して奇跡的に無事日本へ帰国する話があります。そこにも当時の日本人の凛とした様子が描かれています。

 こうしてみると敗戦以前に記された書籍が描いている日本と日本人は戦後に描かれた日本と日本人とはまるで違うことが分かります。
中国側については更に大きなギャップがあります。
 
 本書で開封された焚書の一つに日本に留学していた中国人学生が祖国に帰り蒋介石軍に捕えられ軍隊に徴用された従軍と敗走の手記が取り上げられていますが、その記述は凄まじいものです。
 
 人攫い同然に一般市民を拉致して兵員にする。斥候に出た兵隊達は任務そっちのけで住民への略奪、強姦に従事していることが書かれています。日本軍からの射撃だけではなく、味方の督戦隊からの銃撃でばたばたと戦死者が出る。その死体の山の中に逃れて生き残る話など余りに酷いものばかりです。
 
 こうした話は戦後完全に抹殺され我々は全く知らないで捏造された記録のみにしか出会いませんでした。

 例えば日華事変開始当時同盟通信の上海市局長であり後に同社の専務まで勤めた松本重治は戦後「上海時代」(上、中、下三巻、中公新書)という回顧録を執筆しますが、以上とは正反対のことばかり記します。

 上海の自宅に兵隊が入り物が盗まれると、使用人の話として日本軍によるものと記したほか、総て日本が悪く中国が正しいという筆致です。
 
 婦女子を含む一般邦人二百数十人が虐殺された通州事件についても「悲劇の通州事件が起きた」とだけ書き、シナの保安隊が加害者だったことを隠蔽しています。

 尚彼は同盟通信の幹部としてGHQによる検閲に直接係わったはずですが、そうしたことについて一切口をつぐみ、日米学会の会長、国際文化会館の理事長などの要職を勤めたのです。所謂「昭和史家」の書いた昭和史はこうした松本重治の書いた類を資料としたものです。

 今回明らかにされた焚書の中で非常に多くのことを教えてくれた書籍が菊池寛の「明治大衆史」です。
 
 義和団の変に際しての欧米各国軍隊が凄まじい略奪暴行の限りを尽くしていたこと、我が軍の軍紀が極めて厳正であり模範的なものだったことが記されています。

 そもそも義和団事件は、清国が日清戦争に敗れたことから欧州各国が野盗の如く清国に対する領土の租借の競争に入ったことへの反発が原因であり、当時の弱肉強食の世界の凄まじさがわかります。

 菊池は、その前の日清戦争開始時点に日本を支持する国も好意を持つ国も一国もなかったが、その状態は日華事変の開始時点における我国を巡る列国の態度とおなじであったとのべています。

 つまり日英同盟の時期を除けば明治維新から第二次大戦まで日本はアジアの大半を植民地化した欧米と、国の体をなしていない中国に囲まれた孤独な存在であった訳です。

 そんな環境で我々の父祖は健気に独立自尊の精神で生き抜いてきたのです。本書第9章は焚書が如何にしておこなわれたかを侵略戦争という用語の開始時期などを切り口として溝口郁夫氏により鋭く分析されています。
 
 西郷隆盛から第二次大戦まで日本人は侵略と言う言葉を専ら欧米の行為としてのみとらえていたことが分かります。

 本書の圧巻は「あとがきにかえて」です。

  西尾先生はNHKが今年の夏に報道した秘話を以下のように採り上げておられます。 終戦の詔勅が放送されるその直前の午前に秋田県にある小都市が米空軍により空襲され小学生にまで犠牲者がでた。しかしNHKの報道はここで行われた米軍による戦争犯罪行為について追及することがなかったことは勿論、それに言及すらせず、「戦争は悲惨だ」という形で片付けた。
 
 戦争は国家間の軋轢から起こりお互いに敵同士となる。NHKを先頭に日本ではその軋轢がなにであったかそしてどう戦争に結びついたかについては触れることなくただ「戦争は悪い」ということに問題をすり替えて、更に「悪い戦争は日本によっておこされた。だから日本が悪い」という型に総てを集約してしまう。そこから導き出されるものは、日本の総て交戦国は何をしても免責されてしまうということです。
 
 アメリカは非戦闘員である日本の一般市民を原爆をふくむ空襲で殺傷するという明白な戦争犯罪を犯しながら、戦後今日に至るまで日本はそれを追求することなく、「戦争は悪い」「その戦争をおこした日本が悪かった」ということしか口にしなくなっている。

 広島の原爆記念碑には「もう過ちは二度とくりかえしません」と記されているが、これは「もう過ちは繰り返させません」とすべきものであると先生は述べられておられます 。
 
 更に先生は、こうしたことを放置すれば同じ状態が戦後100年後にまで続くと述べられ、こうしたことを放置するのは勇気が欠けるためであり、リベラルだけではなく所謂保守においても同じなのだと喝破されておられます。
 
 国が歴史を失うことはidentityを失うことであり、国そのものを消滅させることにつらなります。
 GHQにより行なわれた焚書を解明しないで放置することは正に国を消滅させることにつらなるのです。

 「GHQ焚書図書開封」は国民の総てにとり必読の書です。

          文責:足立 誠之

 足立さんのこのゲストエッセーに対し、次回ひとこと私からのエントリーを上げます。

シアターテレビ予定12月の放送予定

■放送:スカイパーフェクTV! 262ch 「シアター・テレビジョン」
■配信:シアター・テレビジョンHP http://www.theatertv.co.jp/movie/
※上記頁内にて動画配信中
シアター・テレビジョンホームページのトップページ右端にございます
番組検索で「西尾幹二」と検索すると、全番組が出てきます。
■お問合せ:シアター・テレビジョン03-3552-6665(平日10時~18時)
■チャンネルURL:http://www.theatertv.co.jp
■番組名:西尾幹二監修「日本のダイナミズム」(各20分番組)

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突
#16 神のもとにある国・アメリカ
#17 じつは日本も「神の国」
#18 政教分離の真相
#19 「国体」論の成立と展開
#20 世界史だった日本史

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り
#21 「日本国改正憲法」前文私案
#22 仏教と儒教にからめ取られる神道
#23 仏像となった天照大御神
#24 皇室への恐怖と原爆投下
#25 神聖化された「膨張するアメリカ」

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代
#26 和辻哲郎「アメリカの国民性」
#27 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
#28 後期水戸学の確立
#29 ペリー来航と正氣の歌
#30 歴史の運命を知れ

●各話一挙放送
#16~#20 一挙放送
#21~#25 一挙放送
#26~#30 一挙放送
【放送日 放送時刻】
● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/ #16神のもとにある国・アメリカ
放送日 放送時刻
12月07日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/  #17じつは日本も「神の国」
放送日 放送時刻
12月08日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/「二つの「神の国」の衝突/ #18政教分離の真相
放送日 放送時刻
12月09日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/ #19 「国体」論の成立と展開
放送日 放送時刻
12月10日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/ #20世界史だった日本史
放送日 放送時刻
12月11日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/#16~#20  一挙放送
放送日 放送時刻
12月13日 7:00 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#21 「日本国改正憲法」前文私案
放送日 放送時刻
12月14日 05:30 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#22仏教と儒教にからめ取られる神道
放送日 放送時刻
12月15日 05:30 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#23 仏像となった天照大御神
放送日 放送時刻
12月16日 05:30 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#24 皇室への恐怖と原爆投下
放送日 放送時刻
12月17日 05:30 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#25 神聖化された「膨張するアメリカ」  
放送日 放送時刻
12月18日 05:30 

● シリーズ: か弱き日本の神の怒り/#21~#25 一挙放送
放送日 放送時刻
12月20日 19:00

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#26 和辻哲郎「アメリカの国民性」
放送日 放送時刻
11月30日 05:30 
12月21日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#27 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
放送日 放送時刻
12月01日 05:30 
12月22日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#28 後期水戸学の確立
放送日 放送時刻
12月02日 05:30 
12月23日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#29 ペリー来航と正氣の歌
放送日 放送時刻
12月03日 05:30 
12月24日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#30 歴史の運命を知れ
放送日 放送時刻
12月04日 05:30 
12月25日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#26~#30 一挙放送
放送日 放送時刻
12月054日 05:20 
12月26日 11:15

                  

自分の殻をこわしたい

 すでにお気づきになった方もいるかもしれませんが、近頃の私の仕事の周辺に私より若い共同研究者、あるいは知的協力者の名前が何かと目立つようになってきています。わざと心掛けてそうなったのではなく偶然なのですが、協力して下さる友人たちに恵まれて私自身は有難いことだと思っています。

 『GHQ焚書図書開封 3』では北大工学部出身のエンジニアとして新日鉄で定年まで活動された溝口郁夫氏が、全十章のうち一章を分担して下さいました。氏が畑違いの現代史に関心をお寄せになったのは50歳台で南京戦参加の元軍人の話を郷里で聞いて、南京事件の虚報なることをとくと知って、秘かに心に思う所あってのことのようです。氏は焚書図書に関する独自の研究を進めておられます。拙著にご考察の一端を発表して下さいました。これを切っ掛けにご自身の研究を拡大、発展していただけたら大変うれしいです。

 満五十歳になった評論家の平田文昭氏は、間もなく刊行される私との対談本『保守の怒り――天皇、戦争、国家の行方』でその才能を全面開花させました。私はそう判断しています。氏もこれを汐どきにして大きく起ちあがってくださると思います。

 『WiLL』1月号で柏原竜一、福地淳、福井雄三の三氏と始めた「現代史を見直す研究会」は三回目を迎え、今回は話題の書、加藤陽子東大教授の『それでも日本人は「戦争」を選んだ』をとり上げました。われわれはこの思わせぶりな題名の本の無内容かつ有害である所以を語り尽くしました。今月号は前編で、次号にもつづきがあります。

 三人の中の福地、福井の両氏はすでに知られた方ですが、柏原竜一氏は最近『インテリジェンス入門』(PHP研究所)を出したばかりで、注目されている新人です。国際政治学の知見に秀でていて、今回も日清・日露をめぐる外交史上の知られざる豊富な知識をもって、加藤陽子女史の見識の低さをいかんなく暴露することに成功しています。

 なぜ最近にわかに私の仕事の周辺にこのように共同研究者が多くなったか、自然にそうなっただけなので私自身にもよく分らないのですが、近頃年齢のわりに仕事量が多く、しかもマンネリを恐れる私はつねに同じテーマを二度書かない原則を守ろうとしているうえに題材を広げる欲ばりのため、手が回らなくなってしまった、だから人の手を借りるほかなくなってしまったのかもしれません。そういう見易い理由も勿論ありますが、たゞそればかりではないような気もしているのです。

 私は自分が小さな殻にこもって固定するのがつねに恐いのです。私は自分で自分の殻を壊したいという衝動に突き動かされて生きてきたように自覚しています。自分を破壊することは自分の手では出来ません。他人の知見に自分をさらすことが必要です。私が共同研究者を求めるのは私の内的欲求に発していることなのです。

 勿論私とお付き合い下さる方の発展や成長も同時に心から期待しています。しかしそれだけではないのです。自分を教育しようとしない人は他人を教育することもできません。私は私を教育するために私より若い人の力で私を壊してもらいたいという欲求を強く持っているのです。既成の出来あがった有名人との共同作業を私が必ずしも望まない理由もそこにあります。

 『保守の怒り』という今度の新しい政治的な本の「あとがき」を私は次のようなまったく政治的でない言葉で書き始めていて、これが今述べたことに関係がありますので、冒頭の部分を引用してみます。

 私は昔から知りたがり屋で、本からだけではなく、人との対話からの知識にも関心を抱くほうだが、近頃一段とその傾向は強くなった。私より若い三人の歴史学者と現代史を見直す研究を企画し、討議内容をある雑誌に載せていただくことになったのも最近だ。ほかにも似た計画をあれこれ考えている。

 価値観が私とはほぼ同心円で重なる人との対話は、思考の食い違いからくる負担を省いてくれるが、それだけでなく、思考の微妙な違いは当然あって、それが生産的に脳を刺激してくれる。遠い人よりも近い人との間に橋を架けるほうが困難だ、はある古人の言葉だが、遠い人よりも近い人との間に横たわる溝のほうが深く、大きく、嵐を孕んでいるからである。そして、それだけに価値観の近い人との対話は思いがけぬ結果をもたらし、発見も多い。右記の現代史を見直す会も価値観が互いに近い四人が討議し、互いの小さな相違点からかえって豊かな内容を得ることに成功している例であるが、平田文昭さんとの対話をまとめた本書は、さらに一段とこの趣旨で成果を挙げた一書になったといっていい。

 世の中には他人には危険だが、自分には危険でない言葉が溢れています。自分を危うくしないような批評は批評ではないという意味のことを小林秀雄が言っています。小林さんが自分を危うくするような批評を言いつづけた人かどうかは別問題ですが、ともあれこれは大切なことです。

 ものを書いて行く人間にとって一番の危険は思考のマンネリズムで、あゝまた同じことを言っているなと思われたらおしまいです。読者にはバカも多いので、気がつかないで同じ芝居をくりかえし見て飽きないという読者もいるにはいるのですが、書いている自分を恥しく感じなくなったらさらにも危ういのです。

 文章を書くということは一つの特権です。ましてやそれで金をもらえるということは恐ろしいことです。しかしそれが習慣になり、職業になると特権であることを忘れます。自分の前作の模倣をくりかえす「自分だまし」をどうやったら防止できるか、まともなもの書き手ならそれぞれ工夫をこらしているはずです。

 私が最近信頼できる友人との共同行動を試みているのも、さして自分では意図してそうなったわけでは必ずしもないのですが、今にして思えば「自分だまし」を避けようとする私なりの本能の働きの一つであるといえるように思います。

『保守の怒り』の目次

 『保守の怒り――天皇・戦争・国家の行方』(草思社)の目次を紹介します。

 慣例に従い「まえがき」は平田文昭氏が、「あとがき」は私が書いています。この本の成り立ちの由来と同書にこめた二人の思いが語られています。以下の目次をご覧ください。

保守の怒り 目次

第一章 保守の自滅

はじめに
自民党の自滅史と小沢一郎
中曽根内閣以来の保守の自己欺瞞が、保守の没落をもたらした
レーガン・サッチャーの保守革命、新自由主義とはなんだったのか
「よく教育された土人」
安倍晋三氏への期待で沈黙させられた保守
保守の卑屈
アメリカへの恐怖と文藝春秋文化人の役割
警戒すべきは米中旧味方同士の感情の回復
田母神事件とはなんだったのか
日本を抑え込む左右の壁
「戦後の戦争」とアメリカという異常国家

第二章 皇室の危機

誰も指摘しない陛下の重大な発言
天皇の「戦争責任」とは
異様に政治的な天皇発言の意味するもの
皇后陛下のご発言の衝撃
どのような憲法に改正されようとしているのだろうか
血と宗教
距離と時間に恵まれたがゆえの日本文化
アイデンティティーの起源は神武東征か縄文か
平成皇室とはなんなのか
皇室の危機再び
伝統より重いもの
最高の国家機密
カルト化した皇室礼賛派への疑問
平成流への危惧
「美智子様天皇制」崩壊の兆し

第三章 保守よ娑婆(しゃば)に出よ

靖國神社危うし
神道・神社・神道指令
恒例の8月15日の戦没者慰霊は靖國神社を危うくしないか
英霊に恥ずかしい靖國神社
戦争の時代が来る
保守はカルト汚染を克服できるか
神社本庁よ、カルトと同席するなかれ
住みにくくなる日本
奪われる国民の自由と独立と権利
誰も気づかない道州制の危険性
医療と水の危機
差別禁止法の恐怖
民主党の最もあぶない点
保守オヤジを叱る
あとがき

新刊『保守の怒り』のお知らせ

 今年最後の新刊が11月末に出ます。今度は共同著作です。新進気鋭の評論家平田文昭氏との対談本です。

 いま日本が落ちこんでいる精神状況を根底から問い直してみようという試みです。

nishiohirata5.jpg

 広告用に過日作成され、すでに一部が講演会などの会場で散布されたチラシを以下にご紹介します。

いま率直に語りつくす
戦後「保守」の自己欺瞞・時代への警鐘
祖国日本再建の指針
保守よ、日本よ、 正道にかえれ! よみがえれ!
『保守の怒り ―天皇・戦争・国家の行方―』
対談 西尾幹二 × 平田文昭
刊行 草思社 予価1800円 11月下旬発売予定

混乱・荒廃・騒擾、そして戦争の時代が来ます
日本国と皇室は、昭和20年以来の、存亡の危機に立っています
その存続と再生は保守にかかっています
しかしその「保守」がいま自滅しようとしています

平成21年夏の衆議院議員選挙後に、「保守」にただようこの虚脱感
それは「保守」が空虚だったことの証明です
「保守」とは政治家ばかりではなく言論人・運動家も含みます
冷戦終了後のフィリピンのマルコス政権のように落ちぶれたのがいまの「保守」です

こうなったのは、朝日・NHK・日教組のせいでしょうか?
いいえ
「保守」は「反」のみが生甲斐だった昔の社会党のようになってはいませんか
「保守」の芯はいつしか溶けさり
思想も、時代への対応力も、実務能力も失い
「保守」はいつしか愛国ゴッコ利権となり
知も智も、信も誠も哀も愛も、断も勇も、すべてを亡くしていたから
虚名と虚勢と虚構と以外のすべてを無くしていたから
「保守」はここまで無力化し、いま崩落しつつあるのです

「ご皇室ありがたや念仏」を唱えていても問題は解決しません
「朝鮮台湾にはいいこともした史観」に酔っていても日本の明日は切り拓けません
「保守」が隠しても世間は知ります

左翼に道をつけてきたのは、自称保守なのです!
保守の覚醒と再生なくして、日本の生存と再生はありません
「保守」よ、娑婆に出よう! 現代の現実に生きよう!

衝撃の言葉、真実の言葉、魂の言葉に満ちた
衝撃の対談、この秋11月刊行です

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『「権力の不在」は国を滅ぼす』について

 『「権力の不在」は国を滅ぼす』(ワック刊)という題の本を出したのは、8月10日ごろでした。一、二を除いて書評は現われないし、本も売れたのかどうかよく分りません。私としては現実を正眼で見据えた書、のつもりですが、書名もよくなかったのかもしれません。

 「『権力の不在』っていったい何だろう?」と店頭で読者を考えこませてしまうような題はダメなんですよ、今は単純でストレートな題でないと読者は手を出さないんです、とある編集者の友人から言われました。事実、「権力の不在」は河合隼雄流の「中空構造」のことで、日本神話をめぐる文化論の本だと最初一瞬間違えたと告白した友人がいました。

 「・・・・・は国を滅ぼす」も陳腐でよくないのですね。このあいだは『学校の先生は国を滅ぼす』という本の広告をみました。いろんな人が使う常套句なんです。私はむかし『外国人労働者は国を滅ぼす』という本の題にせよ、と編集者にいわれて、最後まで抵抗して『労働鎖国のすすめ』という新語を発明して、これは成功しました。

 だから今度ももっと抵抗すればよかったのですが、他に思いついたのが『日本の分水嶺』で、イメージ曖昧なのでこれもよくなく、編集担当者にやむなく押し切られました。

 しかし本の反響を呼ばないのは題名のせいだというのは卑怯な逃げ口上です。内容や論旨が今の時代にフィットしなかったからだ、と考えるのが著述家の礼節でしょう。

 私の本はどこまでも少数派向きなのかもしれません。長谷川三千子さんがこの本の贈呈に対し丁寧な返書をくださり、第Ⅱ部第3章にぞっとするリアリティを感じた、とありました。本をお持ちの方は開いてみて下さい。

 第Ⅱ部第3章の末尾の部分を掲げてみます。長谷川さんがこの数行について言っていたのかどうかは分りませんが・・・・・。

 戦前のアメリカ、戦前のイギリス、戦前の諸外国と、戦前の日本は利害を争奪しあってぶつかっていました。今その時代が再び近づいています。

 外交と軍事はアメリカに預けっぱなしで、考えることを放棄するというのは、いわゆる戦後思想です。この戦後民主主義思想は、敗北的平和主義と言ってもよいでしょう。

 これは自分の国のことを考えない、という状態を指しますが、これからは戦前のあの感覚が蘇ってきます。そうしなければ生き残れないからです。

 日本が自立しなければならないという状況の中で、国民と天皇陛下の関係、国民と皇室の関係は、また新たな局面を迎えるでしょう。それがどういうものになるのかは分りません。

 日本の権力はアメリカにあった。しかし、アメリカが衰退して権力としての体をなさなくなったとします。その時、日本の皇室はどの権力がお守りすればよいのか。日本の中枢以外に権力がどこかへ移行するという最悪の状況が私は恐ろしくてなりません。

 たまたま公明党の赤松正雄議員のブログに思いもかけない拙著へのコメントがあったので紹介します.

2009年11月07日(土)
————————————-赤松正雄の読書録ブログ

「真正・保守」の原点と向きあって

  「この10年間というもの、公明党は改めて自民党から国益の大事さを学び、自民党は公明党から改めて民衆益の重要性を学んだと思う」―先の選挙期間中に様々な機会を通じて私は、国家を統治する観点と庶民目線からのいわゆるリベラルな政治姿勢との違いをあえて対比させ、わかりやすく述べ、自民、公明両党がお互いの足らざるを補い合う関係で、政権運営にあたってきたことを訴えた。相反する二つの側面から政権担当能力の大事さを述べたつもりである。

 西尾幹二『「権力の不在」は国を滅ぼす』は、この総選挙の真っ最中に出版された。極めつけの保守論客としてつとに有名な西尾幹二氏の本は、かねてあれこれ読んできたのだが、このところ一段と“憂国の士”の風を強めておられ、これもまた強烈に刺激的な内容であった。「この選挙は国家の核を守るのが存在理由である保守政党がその自覚を失ったがゆえに苦戦を強いられ、他方、勢いづく野党は国家意識を持っているのかどうかすら怪しい」―こう結論付けている。

 とくに前航空幕僚長の田母神俊雄氏の論文について「あまりに自明な歴史観といえるこの線に沿った政府見解を今まで出せなかった政府の怠慢こそが問題」だとし、いわゆる「村山談話」をこき下ろされているところなど、いささか過激すぎで、事実誤認だというのが私のスタンス。先の大戦をめぐっては、米英に対しては日本の「自衛」、中国などアジアには日本が「侵略」、そしてソ連には「侵略された」というべきだろう。ともあれ、「真正・保守」の原点ともいうべきものを改めて勉強するのにはいい教材になる。西尾幹二という人物を毛嫌いしないで、国家とは何かを考える向きには読まれることをおすすめしたい。

(ご本人からの要望により、全文掲載しました)

 次の書評は若い論客岩田温氏のものです。

  

西尾幹二著『「権力の不在」は国を滅ぼす-日本の分水嶺』

   イデオロギーに対する警告

 日本を代表する評論家西尾幹二の評論集。近年発表した雑誌論文を収録したものゆえに内容は多岐にわたるが、全編にわたって闘志漲る戦闘的な評論集である。

 著者が真に闘いを挑むのは旧態依然とした左翼だけではない。思考停止に陥った右翼だけでもない。そういった人々を当然含むが、著者が闘うのは現実をみつめようとしない人々、狭隘なイデオロギーを信仰する人々である。

 イデオロギーとは、マルクス主義の独占物ではなく、常に知識人に付きまとう危険な麻薬のようなものである。著者はイデオロギーに溺れる人々を「手っ取り早く安心を得たいがために、自分好みに固定された思考の枠組みのなかに、自ら進んで嵌り込む」人々だと評するが、実に的を射た指摘だと言ってよい。知識人が自らに対する懐疑を閑却し、自らの立場に安住することを望み始めたとき、知識人の体内にイデオロギーの毒が回り始めるのだ。

 イデオローグは闇雲に徒党を組み、「敵の敵は味方」、「数は力だ」とばかりの安直な政治主義に陥る。彼らにとって重要なのは勢力拡大のみであって、狭い領域での友敵関係、力関係が全てを決するのだ。やむにやまれぬ真理の追求や孤独な懐疑を政治を理解せぬ児戯と嘲笑い、時には「利敵行為」として指弾する。往々にして思想家を気取りながら思想を最も軽蔑するのがイデオローグの特徴である。

 また、かつてのマルクス主義者のように自覚的なイデオロギーの虜も存在するが、イデオロギーとは無縁のような顔をして、どっぷりと無自覚なイデオロギーに侵されている人々も存在する。

 無自覚なイデオローグの代表として著者が批判して止まないのが秦郁彦、保坂正康、半藤一利といった「昭和史」の専門家を自称する「実証主義者」に他ならない。

 当然の話だが、歴史において単純な実証主義は成立しない。いかに細かな実証を積み重ねて小さな部分を明らかにしようとも、単純な実証主義からは歴史の全体像が見えてこないからである。実証主義は究極的に突き詰めれば、自らの信ずるパラダイムを擁護する護符にしか過ぎない。実証はあくまで歴史の全体像を補強、確認するための手段にしか過ぎないのだ。従って、実証を盲信する人々は、無自覚のうちに、自らの安住するパラダイムを守るためのイデオローグとなりはてる。何故なら、彼らは自らのパラダイムそのものに対する懐疑の念をいささかなりとも有してはいないからである。著者はこうした無自覚のうちに半ば公式化されたパラダイム、イデオロギーと闘うことの必要性を説くのだ。

 思想家は読者に安直な解答を与えない。問いそのものを読者に突きつけ、悩ませ、より複雑な問いの展開へと導く。本書はまさしく思想家の書物である。

     文責:岩田 温 『撃論ムック』より

 赤松議員の反応は政治的ですが、岩田温氏は知識人、言論人の姿勢を主題として取り上げています。この本にはたしかに両面があります。

 本年3-4月の秦郁彦氏と私との歴史論争等は後者のテーマでした。岩田氏が私のモチーフを正確に捉えて下さったのを嬉しく思いました。

 田母神問題に触発された秦氏との論争は、歴史の本質をめぐる学問論の一環なのです。私が現代の日本の学問の概念に若いころから疑問を呈してきた、その流れの中にあります。岩田氏の指摘に感謝します。

シアターテレビの11月後半の放送予定

 今日シアターテレビから私の放送内容のDVDを送ってきたので11月放送分を自分でもあらためて見た。自分で言うのも妙だが、ご覧いたゞいて恥しくない内容のものなのでお奨めする。

 この番組は当日録から直接クリックして見ることができるのに、友人の中でまだ「スカパーのアンテナを買っていないから見られない」などと言う人がいて驚いた。

 もし分らなかったら日録の9月28日の「シアターテレビジョンの歴史講座」をもう一度開いてほしい。WEB会員登録(無料)をする若干のお手数さえしていたゞければ、あとはサイドバーから自由にみられるはずである。

 11月後半の題目は「日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代」である。

 尚12月以後には放送の予定はない。

日本のダイナミズム 放送日のお知らせ

■放送:スカイパーフェクTV! 262ch 「シアター・テレビジョン」

■配信:シアター・テレビジョンHP http://www.theatertv.co.jp/movie/

※上記頁内にて動画配信中

シアター・テレビジョンホームページのトップページ右端にございます

番組検索で「西尾幹二」と検索すると、全番組が出てきます。
■お問合せ:シアター・テレビジョン03-3552-6665(平日10時~18時)

■チャンネルURL:http://www.theatertv.co.jp
■番組名:西尾幹二監修「日本のダイナミズム」(各20分番組)

●シリーズ:か弱き日本の神の怒り

#21 「日本国改正憲法」前文私案
#22 仏教と儒教にからめ取られる神道
#23 仏像となった天照大御神
#24 皇室への恐怖と原爆投下

#25 神聖化された「膨張するアメリカ」
●シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代

#26 和辻哲郎「アメリカの国民性」
#27 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
#28 後期水戸学の確立
#29 ペリー来航と正氣の歌
#30 歴史の運命を知れ

●各話一挙放送

#21~#25 一挙放送

#26~#30 一挙放送

【放送日 放送時刻】

●シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#21 「日本国改正憲法」全文私案

放送日
放送時刻

11月02日
07:30  25:40 

11月04日
25:00 

●シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#22仏教と儒教にからめ取られる神道

放送日
放送時刻

11月03日
07:30  25:40 

11月04日
25:20 

●シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#23 仏像となった天照大御神

放送日
放送時刻

11月04日
07:30  25:40 

11月05日
25:20 

●シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#24 皇室への恐怖と原爆投下

放送日
放送時刻

11月04日
27:30 

11月05日
07:30  25:40 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#25 神聖化された「膨張するアメリカ」  

放送日
放送時刻

10月30日
07:30  25:40 

11月04日
27:50 

11月06日
07:30  25:40 

●シリーズ: か弱き日本の神の怒り/#21~#25 一挙放送

放送日
放送時刻

11月01日
17:00 

11月07日
10:20 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/

#26 和辻哲郎「アメリカの国民性」

放送日
放送時刻

11月09日
05:30 

11月16日
05:30 

11月23日
05:30 

11月30日
05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/

#27 儒学から水戸光圀『大日本史』へ

放送日
放送時刻

11月10日
05:30 

11月24日
05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/

#28 後期水戸学の確立

放送日
放送時刻

11月11日
05:30 

11月18日
05:30 

11月25日
05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/

#29 ペリー来航と正氣の歌

放送日
放送時刻

11月12日
05:30 

11月19日
05:30 

11月26日
05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/

#30 歴史の運命を知れ

放送日
放送時刻

11月13日
05:30 

11月20日
05:30 

11月27日
05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代

/#26~#31 一挙放送

放送日
放送時刻

11月14日
05:20 

11月21日
05:20 

11月28日
05:20                       

GHQ焚書図書開封感想文

ゲストエッセイ 
大月 清司  
坦々塾会員

反滑稽読書・孤峰の熱き論説より

GHQ焚書図書開封(3)

GHQ焚書図書開封(2)

GHQ焚書図書開封
 
 ひとり西尾幹二だけが、思弁の丈を孤峰になっても、知性の壁を打ち破り論説を、老骨をやすらぐことなく、熱く、勁(つよ)く語りつづける。
 
 だから、冷徹な分析、論旨だけでは、ベースにそれをおいていても、いまの曖昧模糊とした、しかも美名に飾られた情緒に流される世情の中では、大きな響きを谺(こだま)のように伝えることはできないことを知り尽くしている。

 そして、文学のもつリアリティを知るゆえに、それが軍人の美談でも、些細(ささい)なことの積み重ね、基盤にひととしての血と涙が流れているもの、いまにつづく日本人の人情、情感を手繰り寄せる。高所から見下げるのを嫌い、低い視点から焚書された書籍と向き合っていく。
 それは、歴史家の語る知性、繰り返される愚かしさを、菊池寛が著した当時を生きてきた文学性によって、その歴史のツボを心得てものとして、その本と向き合っていくことにつながっていく。

 更に、敗戦後の米国流の時流に迎合し、ただ安易に流されるままに、世渡りのすべとして、学識、評論、知性、学問までもが、なすすべもなく迎合していくさまを一刀のもとに斬る。いまなお深く根づき、無意識のままに刷り込まれていることへ、容赦のない批判の切っ先を向ける。

 いまも昭和初期と同じ情況にあり、アメリカと北京政府の挟み撃ちに合いながらも、日本の内部からすすんで同調、協力していく、そういう論調に黙してはいられない。

 日本は昭和史のためにあるのでもなければ、その前史もあり、いまにつづき、更に未来へと、島国としての温かみのある人びとの連続性を維持しながら生きつづけている。

 現在の出版界も、実は「焚書の世界」に、すっぽりと飲みこまれている。あたりさわりのない、時の勢いをただただ追い求め、読者にいっとき、迎合、提供することばかりにうつつをぬかしてはいまいか。二一世紀へと残すにたり得る書籍があるだろうか。

 本書で第三弾になる、西尾幹二『GHQ焚書図書開封3』(徳間書店・新刊)は、それに反して、きわめて例外的で、重厚なシリーズの一冊である。この出版社の損得抜きの勇気ある英断と、氏の渾身の著書、健筆に心から感謝したい。それを待ちこがれている、わたしは次なる名著を愉しみに、活字人間たる幸福をひたすら感じている。

反滑稽読書・孤峰の熱き論説 つき指の読書日記 by 大月清司 より

『GHQ焚書図書開封 3』の刊行

GHQ焚書図書開封3 GHQ焚書図書開封3
(2009/10/31)
西尾幹二

商品詳細を見る

 少し刊行がおくれた。すでに「4」が半分ほど出来あがっているのである。どんどん後を追いかけて進行している。

 「3」はとても詠み易い内容になった。そのわけは冒頭の「はじめに」に次のように書かれていることから察していただきたい。

はじめに

 『GHQ焚書図書開封 3』は今までとがらっと様相を変えて、歴史の記録ではなく、昭和の戦争時代における日本人の心を直(じか)に扱うことにしました。心を直に扱うなんてできない話で、ここで言う意味は要するに、あの時代にどんな気持ちで人が生きていたかが伝わる体験記や物語を取り揃えてみたということです。具体的で読みやすく、分かりやすい文章が並ぶ結果になりました。私自身が思わず涙ぐんでしまった母と子のシーンもあるし、敵の城砦を落としてよくやった、と私までが万歳を叫んでしまったシーンもあります。戦後まったく知らされなかった新事実、奇談、珍談の類いもあります。これらは戦後になって回想された反省の文章ではありません。あの時代の人間があの時代のことを語った率直な生活感覚、というより生死へのきわどい思いが綴られた文章で、今読んでも切実さは、哀感を伴って伝わってきます。

 どうかどんな理屈も予備知識もなしで、以下の文章に、黙って素直に入って行っていただきたい。自分があの時代の人間になり切った経験をきっと手にすることができるでしょう。それが言葉の正確な意味で歴史を経験するということになるのだと思います。

 目次は次のようになっている。

 目次

章  戦場が日常であったあの時代

章  戦場の生死と「銃後」の心

章  空の少年兵と母

章  開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船

章  中国兵が語った「日中戦争」最前線

章   匪賊になって生き延びた中国逃亡兵

章  忘れられている日本軍部隊内の「人情」

章  菊池寛の消された名著『大衆明治史』(一)

章  菊池寛の消された名著『大衆明治史』(二)

章  「侵略」や「侵略戦争」の語はいつ誰によって使われだしたのか 
     溝口郁夫

あとがきに代えて――平成二十一年夏のテレビに見る「戦争」の扱い

 ご覧の通り第十章を溝口郁夫氏に分担していたゞいた。氏は焚書7000冊余の全データをパソコンにとりこみ、数多くの有益な発見を示唆してくれたが、それだけでなく、章題に示したような歴史的解明をも試み成功している。

 溝口氏は昭和20年生れ、北海道大学工学部出身のエンジニアで、新日鉄を定年までお勤めになった、いわば戦後日本の繁栄を支えたお一人である。氏がなぜ現代史に関心をもつようになったかのわけも本書あとがきに記されている。篤実な人生を歩んだ方の晩年における愛国の思い、日本の歴史を歪める者への秘かな憤りには胸をうたれるものがある。

 本書は日経、読売、産経にそれぞれ広告が出た直後なので、いま丁度書店の店頭でお手に入れやすいはずである。以上ご案内する。