ある哲学者の感想

 12月12日に『保守の怒り』をめぐって坦々塾で3時間もかけて討論した。みな異口同音に認めたのは平田文昭氏の、思いもかけない発想に満ち溢れた強靭な思索力と鋭い現実分析力だった。新しい思想家の誕生を見る思いがした。しかし討論会は「保守」概念をめぐってやゝ迷走し、肝心な論題になかなか踏みこめなかった。

 数日後に坦々塾の会員ではない人で、昔からの友人の山下善明さんから『保守の怒り』の読後感が届いた。山下さんは明星大学教授、哲学がご専攻である。ドイツの出版社から、ドイツ語で書かれた立派な哲学書を出されている方だ。

 以下に、いかにも哲学者らしい独特な解釈に基く読後感を紹介する。「保守」概念に一石も投じている。平田さんがどう思うかは聞いていないが、私はこの考え方に共感している。

西尾幹二先生へ

前略失礼します。
『保守の怒り』読了しました。

 私は先回の総選挙でも自民党に投票しました。ところが鳩山新首相によりますと、今度の選挙は「民主党の勝利ではなく国民の勝利である」のだそうです。自民党に投じた私は、非国民、反国民ということになります。そしてこの度御両名の「怒り」に触れました。正に踏んだり、蹴ったりです。

 農家の次男坊として田舎を離れてしまった私は、ずっと「農家の長男」に頼らんとして、自民党に投票して来ました。その一代目が岸~佐藤、二代目が三角大福中でした。竹下、小渕、森はまだしも二代目の名残りでした。そして三代目が安倍、福田、麻生でした。鍬も鋤も持ったこともないこの三人。(鈴木、小泉は漁師の息子ですが、小泉は博奕打ちに身を俏しました。海部、宮沢などは養子の一言でいいでしょう)

 平田氏も同じ考えのようです。氏は言う「自民党に言いたい。共産主義を退治したのは成長と分配に配慮した経済政策と智恵のある政治であって、つまり民に飯を食わせ、その家族に墓、正月とお彼岸を守ったからです。・・・勝利は堅実な政策と国民の常識と勤労によって勝ち取られたのです。」(P.270)

 「国民の常識と勤労」は敗れて、今や非国民、反国民となりました。「墓、正月とお彼岸を守る」ものとて無く、今やそれらは打ち捨てられました。守る「長男」はいなく、荒れるがままになりました。西尾氏は自分よりはるかにラディカールだと言うが、平田氏は決してラディカリストではない。そのradixを農にもつ氏が、どうして急進主義者でありえよう。平田氏が「もの言わぬ、しかし堅実な日本人生活者こそ、そしてそれこそが保守ですが、ぎりぎりのところで皇室を支えているのです。」(P.234)という時、堅実な日本人生活者と皇室を余りに短絡したか。いいえ。氏も言うが如く「この瑞穂の国を治める君主たるべきものであるという神勅によって皇室は存在している」(P.153)のですから、堅実な日本人生活者、「墓、正月とお彼岸」を守る農民民草は、まっすぐ天皇に絡がっているのです。

 「万世一系」とは、「国土」が万世一系ということです。天皇は「領土」の皇帝emperorではなく「国土」の天皇なのです。しかし「国民が勝利した」今、日本の国土は「日本国民だけのものではない」んだそうです。つまり、「国土」はなくなりました。皇室も民営化されると思います。「旧郵政省のある霞ヶ関の土地。あれは普通だったら絶対手に入らないですけど、民営化してしまえば手に入ります」(P.43 )、皇居のあるあの超一等地も。

 どうして、こうなったのか。

 平田氏は語る、「靖国史観では全戦没将兵は忠勇無双で陛下の万歳を唱えて死んでいった。そこに功績の優劣はない。従軍した戦争はすべて聖戦です。しかし参謀本部や外務省であれば、作戦の得失、用兵の成否、政略の巧拙など、冷酷な検証がなされてしかるべきでしょう。この両者は並存し得るし、しなければならない。左右ともこのことがわかっていない。」(P.241)

 この両者とは何か。それは「戦争」の「戦」と「争」の両者のことです。左は「争」だけ見て「戦」を見ない。右は「戦」だけ見て「争」を見ない。だから「左右ともこのことがわかっていない」。左はただの「争い」反対でしかないのに、平和主義の使徒だと思っている。争いを避けて「相手のいやがることをしない」小心卑劣な「親(シン)」が「和」だと思っている。「国土」の和人が再び倭人になってしまっていることにも気付かずに。

 右はどうなのか。確かに戦は平田氏の言う如く必ず聖戦です。しかしその戦いの美しさに、美談に見惚れてしまっている。左が平和主義の自分に自惚れているのよりは少しはましでしょうが。

 農民なら知っています、自然との「戦い」においてすら自然との「争い」を避けえないことを。平田氏が「保守の人は経済を語らず、語れず、政治の人は経済に疎く」と言うのなら、私は言いたい「保守の人は鍬も鎌も握らず握り得ず」と。

 『江戸のダイナミズム』への私批評(傍線)でも申しましたことを図にしますと。

  自然B(ジネン)「善悪の彼岸」(P.321)
線b________________________宿命「運命」(P.122)

       戦い
歴史・・・・・・・・・・・・・・善悪の渦流
       争い

線a_________________________
  自然A(シゼン)善悪の此岸

 左の人は、争いしか見えませんから、争いを避けて、自然Aに落ちます。そこは善悪の此岸として対立なきところですから、「善人」となれます。中曽根元首相は鳩山を評して「政治は形容詞ではなく動詞でやるもの」と言ったそうですが、「善人」鳩山は、政治家としてどころか、その人生そのものに動詞がありません。

 右の人は折角の「戦い」も、争いなく、従って自然Aもなく宙に浮いています。西尾氏は「60年間論争疲れしているのですが、どうしても最後の一歩が踏み出せないのです」(P.118 )と言いますが、最後の一歩も何もない、そもそも踏み出す脚がないのです。自然A(シゼン)に立脚していないから、自然B(ジネン)に出る動力をもたないのです。勿論自然B(ジネン)は出るところではありません。

 親鸞の言葉で言えば、「善からんとも悪しからんとも思はぬ・・・・・形もましまさぬ故に自然(ジネン)と申し候ふ」でありますから、「ある」ともいえませんから、出るところではありません。しかしそこに出でんとする動力があってのみ、線a,即ち運命、宿命があります。「ゲーテが見た、神と自然が調和した秩序」(P.325)があります。「歴史はすべて肯定、善も悪も含めて肯定されるべきもの」と西尾氏が言う所以のものがあります。線aが見えない限り、「歴史の内側ばかりみて」(P.115)いることになります。思想が見えず、現実が見えず、「現実が見えないから現実と戦う(傍線)こともできない」(P.73)

                                 敬具 
山下善明

 なかなか難しい言葉遣いだが、「戦争」の「戦」と「争」の両者は並存し得るし、しなければならないのに、ばらばらに分離して、左の人も右の人もそれぞれ線aと線bの外に出してしまって宙に浮いている。日本人がこれを克服しまともになるには「農」に立脚した自然への回帰が必要だと仰有りたいのだろうか。少し単純化して分り易く私なりに読み直すとそういうことかと考えてみたが、山下さんは平田氏の思想に一つの哲学的な解釈の図解を示して下さったのである。

 もう一度読み直していただきたい。いろいろ含みのある、山下さん一流の、現代日本批評になっているように思える。

坦々塾(第十六回)報告

 12月12日に坦々塾が開かれ、最初に会員の柏原竜一さんの「日本のインテリジェンスの長所と弱点」と題する講演があった。以下に同会員の浅野正美さんによる要約文を掲げるが、その前にひとこと申し上げたい。

 浅野さんの聴き取り理解能力の高さに私は舌を巻いている。彼は録音機も用いず、メモはすると思うが、講演を耳で聴いてたちどころに理解し、記憶し、これだけの再現、復元を果たす能力は何処から来るのだろう、と私はかって私の講演のときにも感じた驚きを書き添えておきたい。私なんかは人の話を集中して聴く力がなく、注意力散漫でどうにもならないのが実態だから尚更感心するのである。 

第16回坦々塾

 12月12日(土)に第16回坦々塾が行われました。

 第一部は「インテリジェンスの長所と弱点」という演題で、柏原竜一さんにお話いただき、後半の第二部は西尾先生と平田文昭さんの対談集「保守の怒り」を読んでの討論会を会員全員で行いました。

 参加人数は46人です。

 今回は、第一部の報告文を浅野正美さんが書いてい下さいましたのでご紹介いたします。

       坦々塾事務局 大石 朋子

ゲストエッセイ 
浅野 正美 
坦々塾会員

16tantan11.jpg

  坦々塾勉強会報告

第一部

「インテリジェンスの長所と弱点」 

    発表者 坦々塾会員 柏原 竜一

 「世紀の大スパイ 陰謀好きな男たち 洋泉社刊」は、デザイン、装丁が良くできており大変気に入っている本である。

 出版にあたり、「明日への選択」に掲載した原稿に変更を加えた。コミンテルンに関する記述を、あっさりしたものから大幅に増強した。

 ゾルゲ、GRU、赤軍情報部、といった防諜機関が活躍した1920年~30年代ロシアでは赤軍情報部が大本にあった。トロツキーが作った赤軍の、革命前後における活動を描いた。

 当時ニューヨークに滞在していたトロツキーは、祖国への帰国をアメリカ側に知られ、一時身柄を拘束される。そのときウィルソンの腹心であるカーネル・ハウスは、イギリス情報部員ワイズマンの工作により、トロツキーをロシアに帰す。帰国したトロツキーは、ロシアで革命を起こす。

 トロツキーはなぜニューヨークにいたのか。彼は当地でユダヤ人社会のネットワークを利用して資金集めを行っていた。

 当時イギリスのファビアン協会は「共産主義こそ明日の世界」という認識を持ち、イギリス国民の間にも、トップから大衆にいたるまで、そういった考えがかなり広く浸透していた。イギリスにおいてGRU研究が少ないのは、当時のそうした状況が露呈することを避けるためではないかと思われる。

 東京でゾルゲが拘束されることになった原因の一つに、無線の傍受があげられる。おかしな無線通信をキャッチした日本側は、その無線を追いかけることでゾルゲの居場所を捉えることに成功した。オランダも同様の手口でナチスを摘発していたが、イギリスにはそういう体制がなかった。イギリスはドイツに内部侵食されており、ドイツにとって不都合な書類の改竄が行われていた。

 「インテリジェンス入門 PHP刊行」は、時間的な制約もあり、各章立てがうまく繋がっていない。また、結論があいまいで、最後の数ページで展開しただけという不満があったが、その後、Willに掲載された加藤洋子氏の論文を読んで、自著にはある日本人のかつての理想がなく、私の本が良い本だということを、改めて感じた。

 フランスは、ドイツ(プロイセン)がビスマルクの時代に、普仏、仏墺という二つの戦争を戦い敗れた。フランスはこの反省に立って、プロイセンに対抗するためのフランスインテリジェンスを創設、本格的なスパイ養成が始まる。

 フランスの弱みは、歴史的に政治がしっかりしていないことにある。第三共和制以降、首相が頻繁に交代し、議会も不安定であった。その弱点を陸軍が支えたが、情報が陸軍に集中することで、ねじが外れて(軍の暴走)しまう。政治がしっかりしていれば防げたことである。フランスの暗号解読技術には一日の長がある。また、世界で始めて郵便制度を発明したフランスは、郵便局に世論調査、政敵のチェックの機能も持たせた。19世紀後半には通信傍受が盛んになる。

 イギリスは、情報大国というイメージがあるが、それは日本人の思い込みであり、19世紀後半から第一次世界大戦までは大したことはなかった。戦時のインテリジェンス能力は、フランス>日本>イギリスという状況であった。ただし、イギリスは政治がしっかりしていた。植民地であるインドの反乱がないことが前提条件であったが、情報の使い方は上手だった。イギリスは植民地に対する求心力が優れており、情報をいかに賢明に使うかということに関して非常に長けていた。

 わが国は第一次世界大戦を陸運中心に戦い、日清、日露までは立派な情報収集体制があった。その日本のことも本には書きたかった。インテリジェンスの問題は国際比較でやらないと意味がないのである。フランス、イギリス、日本はそれぞれに、インテリジェンスに対する取り組みが違う。特にわが国の特徴として、国龍会、玄洋社といった民間団体が活躍した例は珍しく、同様の組織はイギリスにもあったが、その規模、質において他国をはるかに凌駕するものであり、誇るべき内容である。

 そこに見られるのは、高邁な理想、天下の義に突き動かされる志である。地位も名誉も求めず、海を越えて大陸浪人となり、本気で中国を良くしようと行動した。自分の理想を中国革命で達成しようとした。これが当時の右翼であった。

 良しと考えたことを発言し、行動することが必要である。日本のために行動することが必要である。

 加藤陽子、半藤一利に共通して見られることは、国内事情だけをミクロに観察し、こいつが悪い、あいつが悪いと犯人探しをしていることである。驚くべきことに、彼らは三国干渉の内容を知らない。思考がドイツ外交のたちのわるさにまで敷衍しない。ドイツの政治哲学はマキャベリズムである。日本の近代史を、外国の事情を無視して語るという愚を冒している。

 日英同盟の崩壊は、中国を巡る問題だけが原因ではなかった。中村屋のボーズはインドで総督暗殺未遂事件を起こした反政府活動家であった。こともあろうにそうした男を同盟国である日本人はかくまった。当然イギリスは何事だと考える。このときすでに日英の対決は始まっていたといえる。当時の日本人は植民地を持つ西洋か、アジアかと悩んだ末にアジア(ボーズ)を取った。歴史に向かうときには、こうした観点から見つめることが必要である。また、人種偏見に対する視点がない。ルーズベルトはロシア嫌い、新中国とフランクリンは日本が嫌いであった。さらに蒋介石はキリスト教原理主義者であった。

 こうしたキリスト教原理主義+人種偏見というものが、世界史の流れにあり、1920年~30年のアメリカのおかしな行動も、こうした背景によって公式の意見となったと考えると理解しやすい。

 テロ対策で遅れをとっているイギリスの専門誌に、「インテリジェンスとはグローバリズムの犠牲だ」という記事が載った。過去の大きなテロ事件は、アメリカ、イギリス、スペインで発生しているが、インテリジェンスが確立したフランスでは起きていない。個人管理の徹底さは、この国にプライバシーというものがないといっていいほどである。人は簡単に逮捕される。

 今後の方向性として、21世紀はどの分野を重視すべきか。

① 経済インテリジェンス

② IT、暗号

③ 対テロリズム

 これらの命題をわが国は具体的に、どのように取り組んでいったらよいであろうか。

 経済インテリジェンスにおける日本の在り方。今後わが国は人口が減少し、経済は停滞することが予想される。ただし潤沢な資金がある。

 過去、19世紀末から1930年にかけてのフランスは、次第に台頭するドイツという問題を抱えながら、露仏同盟を結んでロシアに投資をした。当時のフランスは投資大国であった。

 同じように日本も投資立国を目指してはどうか。投資情報を収集、分析することは政治力、外交力を必要とする。

 世界の重要課題である環境問題では、植生の減少が挙げられる。現在わが国は国内に市場はない。第三世界の開発は、乱伐を引き起こしている。そこで、わが国は植林を行い底から利益を得る。満州の歴史とは、インフラを整備し、近代化を進め、教育を普及した。

 同じことを他国に対してもやってよいのである。他人を豊かにして、自分も豊かになるのである。アングロサクソンの海賊的強奪とは手法を変えるのである。

 日本に必要なものは、帝国主義的経営ではなかろうか。

 海外旅行をすると気がつくように、国によって発展の度合いはまちまちである。マレーシアはイスラム文化の国ではあるが、高速道路をはじめとしたインフラは日本とそっくりである。香港の近代化、東京以上の発展は大陸からの膨大な投資によって成った。

 ジャパン・インデックスは、日本に近い国に順位を付けて、その順番に従って投資をすれば良い。日本的なものを世界に広めないと世界は真っ黒になる。今こそ世界を日本にするときである。

 今までの日本は、おとなしくアメリカについていった。わが国の犠牲の上にアメリカの繁栄があり、日本国民は損をする方向にしか動かない。また、それに対して「No」といえない。あえて暴論を言えば、民主党はもっとアメリカに抵抗して、普天間も、もっともめたらいい。民主党が二、三年引っ掻き回してわが国が国際的に孤立したら、そのときこそ日本人が一人で立ち上がるチャンスである。今までがアメリカに頼りすぎていた。そういう意味では、今はいい状況ではないか。逆説的ではあるが、民主党に期待したい。

        文責:浅野 正美

16tantan2.jpg

お知らせ

 今夜放送される以下の番組で、始めの方に、小沢一郎の韓国の某大学における講演の中から、日本を貶める暴言の数々の録画が数分間放映されます。

番組名:「闘論!倒論!討論!2009 日本よ、今...」

テーマ:民主党政権と解体する日本

放送予定日:平成21年12月19日(土曜日)
       20:00~23:00
       日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)

パネリスト:(50音順敬称略)
      潮 匡人(評論家)
      石 平 (評論家)
      川口マーン惠美(作家)
      永山英樹(台湾研究フォーラム会長)
      西尾幹二(評論家)
      西村幸祐(評論家・ジャーナリスト)
      藤井厳喜(国際問題ジャーナリスト)
      山村明義(ジャーナリスト)

司 会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

マスコミ人「松本重治氏」の疑惑的な証言

ゲストエッセイ 
 溝口 郁夫
坦々塾会員


  南京大虐殺派の笠原氏は『南京大虐殺否定論13のウソ』(225頁)の中で、マスコミ人の松本重治氏を取り上げている。

 そこでは「南京にいた従軍記者の中に捕虜虐殺や強姦、暴行などを目撃見聞していた人がいたことが紹介されている」と記述するだけである。

 なぜか、「従軍記者」ではなく「同盟通信社上海支局長」であった松本氏のみを取り上げた理由が薄弱である。

 そこで、笠原氏が取り上げた松本氏の過去を調べてみよう。

 昭和五十年、松本氏は『上海時代』(上・中・下)を本多勝一著『中国の旅』発行の三年後に出している。山本七平氏や鈴木明氏から『中国の旅』の出鱈目さが指摘されていた頃である。

 本多氏支援なのか、発行のタイミングが良すぎる。

 南京には十二月十八日から十九日にかけ二日しか滞在したにすぎない松本氏は、回想録で次のように書いている。
(この二日間滞在も疑問であると推測しているが、ここでは不問)

 「・・・私は、本多氏、洞教授、鈴木氏のものを心苦しさを覚えつつも、通読したが、事件の正確な全貌は、なかなかつかめなかった。だからといって、私は反論しようとは思わない。
・・・(同盟通信社)同僚の新井正義、前田雄二、深沢幹蔵の三氏から、参考のため、直接話を聞いた。とくに深沢氏はずっと従軍日記をつけていたので、それも読ませてもらい、大いに参考になった。」(下巻251~252頁)。

 松本氏は大虐殺が進行している筈の二日間滞在したのであれば、自分でも詳しく当時の様子を書ける筈であるが、それを回避している。何故だろう。

 ここで笠原氏がとりあげなかった前田氏の回想を紹介する。

「また占領後、難民区内で大規模な略奪、暴行、放火があったという外電が流れた。(中略)私たちは顔を見合わせた。新井も堀川も中村農夫も、市内をマメにまわっている写真や映画の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。残敵掃討や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も十四日には終っていたのだ。もしこうした無法行為があったとすれば、ひとり同盟だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった」(『戦争の流れの中に-南京大虐殺はなかった』(昭和57年、125頁)。

 松本氏と前田氏のそれぞれの回想のどちらがマスコミ人としての姿勢であろうか。

 なお、松本氏は「ゾルゲ事件」で死刑となった尾崎秀實も関係した「昭和研究会」の世話人である後藤隆之助と上海で会っている(『昭和研究会』86頁)。松本氏も「昭和研究会」のメンバーであり尾崎氏とも上海で接触はあったであろう。

 松本氏が南京事件虐殺派に理解を示す萌芽は、戦前の松本氏の行動からも納得でき、笠原氏が松本氏を取り上げた背景もなんとなくうなずけるのである。   以上

       文責:溝口 郁夫  坦々塾ブログより

松本重治について

 

文末にチャンネル桜のお知らせがあります。

足立氏の前記の文中に、松本重治『上海時代』(上・中・下三巻、中公新書)のことが書かれている。仰る通り不可解かつ不審な知識人のひとりが松本重治だった。私はずっと怪しいと思いながら、正体不明な存在で、丁寧に読む気にはなれなかった。足立さんが書いている通り、彼は自らをアメリカ寄りとみせていた、「左翼に入らない左翼」だった。

 私たちの世代にとって中央公論社から出ていた「世界の名著」は、余り左に片寄らない知識人、岩波型共産主義者からは一定の距離を置いている大学知識人を責任編集者に据えている、中庸のとれたシリーズとみられていた。松本重治はその中で『フランクリン、ジェファソン、マディソン、トクヴィル』の一巻を担当していた。

 自分の身にひきつけた長い解説文がこのシリーズの特色であった。松本はその中で東京帝大法学部で米国講座の担当の高木八尺(やさか)教授の下で昭和3年から大学助手としてつとめてきたいきさつから説き起こしている。彼がジェファソンやリンカーンに関心を寄せたのはそのころで、翻訳も始めていた。

 その後、高木先生のご諒解を得て、私はジャーナリズムに身を投じ、上海(シャンハイ)に赴任した。在勤6年、日米関係の癌(がん)ともいうべき中国問題を現地で考える機会をもったが、従軍記者としての過労から病を得て帰朝。健康を回復すると、やがて同盟通信本社の編集の責任をとるようになった。その職場において日米相戦うことを回避しようと微力ながらつとめたが、大勢いかんともなしがたく、日本は太平洋戦争に突入、敗戦、占領、そして私は裁かれることなくパージとなった。

 しかしそれは、私にとって天恵であった。パージされたものにも、学問研究の自由が許されていたからである。われわれアメリカ研究者たちは、戦前、アメリカの事情につき、世論の啓発に努力が足りなかったことを痛感した。私は再び高木先生の膝下(しっか)に馳せ参じて、昭和22年(1974)秋、藤原守胤(ふじわらもりたね)氏、中屋健一氏、清水博氏その他と相はかって、先生を初代会長とするアメリカ学会を結成した。そして一方、アメリカについて、占領下の日本国民の啓蒙に資するために「アメリカ研究」という入門雑誌を発行するとともに、他方、『原典アメリカ史』の本格的な共同研究を分冊刊行する仕事をはじめた。

文:松本重治  アメリカ民主主義思想の原型より

 どうもこのあたりの研究に問題がある。日本の戦後を再検討するにはこの時代のアメリカ研究の甘さ、「左翼に入らない左翼」を吟味する必要があろう。松本の『上海時代』は、私は食わず嫌いでよく読まなかったが、キーポイントになるのかもしれない。

 近刊の『保守への怒り』の55-56ページで、私は本多勝一の裏返しのアメリカべったり派の名を列記した。宮沢元首相、都留重人、坂西志保、入江昭、鶴見和子・俊輔から竹中平蔵、中谷巌をへて寺島実郎にいたるアメリカ左翼の系譜、日本では親米派とみられるので左翼には入らないが、しかしじつは最も厄介な、戦后を歪めた正体不明者の系譜である。今にして思えば、松本重治はそのトップに位置する人であると思う。

 加えて、「世界の名著」の『ウェーバー』の巻の責任編集者は尾高邦雄である。尾高といえば私がGHQ焚書図書開封の最初の巻でGHQ協力者として名を挙げた二人のうちの一人である。戦後知識人の世界がどのようにして形成されたかは、このシリーズの責任編集者の名前をじっとみといるといろいろ分ってくる。

 彼らのほとんどすべては鬼籍に入ってもういない。まさか『ショーペンハウァー』の巻の責任編集者がまだ生き残っていて、GHQ協力者の系譜に厳しい猜疑のを向けつづけているというようなことが起こっているとは、冥府の彼らもよもや考えておるまい。

 「左翼に入らない左翼」の親米派の行動の謎はわが国の独立のために今必要である。なぜならルーズベルトと蒋介石が手を結んだあの悪夢の時代がまた東アジアを襲っているからである。

 さしあたり松本重治の『上海時代』を今の新しい実証の光に照らしてよみ直すのは新しい課題になるだろう。北京勤務時代をもつ足立誠之さんあたりにやっていたゞけたらありがたいと思った。

番組名:「闘論!倒論!討論!2009 日本よ、今...」

テーマ:民主党政権と解体する日本

放送予定日:平成21年12月19日(土曜日)
       20:00~23:00
       日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)

パネリスト:(50音順敬称略)
      潮 匡人(評論家)
      石 平 (評論家)
      川口マーン惠美(作家)
      永山英樹(台湾研究フォーラム会長)
      西尾幹二(評論家)
      西村幸祐(評論家・ジャーナリスト)
      藤井厳喜(国際問題ジャーナリスト)
      山村明義(ジャーナリスト)

司 会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

緊急告知

 本日(12月14日)、『保守の怒り』を、版元の草思社が書店から回収したという偽FAXが、新聞社と通信社の各社に送られたという情報が入りました。

 出版社に確認の問い合わせがあり、分りました。

 このような事実は全く存在せず、何者かによる悪質な妨害行動ですので、ここに事実を告知します。

西尾 幹二

GHQ焚書図書開封(3)の衝撃

ゲストエッセイ 
足立 誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 
元カナダ東京三菱銀行頭取/坦々塾会員


 ある国の記録を焚書・抹殺するということはその国、国民から歴史、identityを奪うことであり、その国の消滅をもたらす可能性を孕むものです。

 GHQは日本の歴史を焚書し消し去ると共に、検閲を通じて捏造した虚偽の歴史を日本人に刷り込む枠組み、システムを構築しました。

 本書、GHQ焚書図書開封第三巻は焚書された書籍に光を当て、そうした日本滅亡にまで及ぶ枠組み、システムを明らかにするものです。

 まず始めに、日本が戦った戦争の実態と日本軍兵士の実像を開封した兵士の手記から再現させています。
雨とぬかるみ、死んでいく軍馬、竹やぶと飛来する銃弾、クリークの水で炊いた臭気で食欲も出ない米飯。そうした情景は読者の脳裏にありありと浮かびます。
 
 その環境の中での兵士同士の人間味溢れるつながり、友情、部下への思いやり、戦友の死が語られます。そしてそんな苦楽をともにしてきた兄弟同様、或いは親子同然の戦友、部下の戦死の場面。言葉では言い尽くせぬ悲しみに思わず目頭が熱なることも一度や二度ではありませんでした。

 日本軍の兵士は戦後に描かれた悪逆非道な姿ではなく、極めて人情味に溢れそれでいて規律正しい戦士達であったことが分かります。

 何よりも印象に残ることは兵士達が日本という国家を信頼し何の疑念を持っていなかったことです。彼等は、正義の戦いに従軍しているという自覚、義務感が極めて旺盛であり、正義のためには命を捧げてもよいという気持であったのです。

 本書には息子の戦死に悲しみをこらえられない親についての記述も再現されています。その悲しみは現代に子供を失った親の悲しみに劣るものではないことが分かりますが、それでも国への信頼と戦争の正義を信じている気持ちは失われていません。
 
 つまり敗戦までの日本人は国を信じ、戦争を正義のためのものとして捕えていたことがわかります。
 
 戦後に書かれた戦争に係わる本では、国民はあの戦争を悪であると思い、国への信頼などなく、「心ならずも」召集されて行かされたのだとしているものばかりです。
 そして本書に再現された手記に比べるとリアリティーが決定的に欠けています。

 又初めて知る話でしたが、開戦に南米から日本へ向かっていた商船鳴門丸の舟客、船員が航海中に日米開戦を知り、ハワイ攻撃の成功を喜びながらハワイ沖を経由して奇跡的に無事日本へ帰国する話があります。そこにも当時の日本人の凛とした様子が描かれています。

 こうしてみると敗戦以前に記された書籍が描いている日本と日本人は戦後に描かれた日本と日本人とはまるで違うことが分かります。
中国側については更に大きなギャップがあります。
 
 本書で開封された焚書の一つに日本に留学していた中国人学生が祖国に帰り蒋介石軍に捕えられ軍隊に徴用された従軍と敗走の手記が取り上げられていますが、その記述は凄まじいものです。
 
 人攫い同然に一般市民を拉致して兵員にする。斥候に出た兵隊達は任務そっちのけで住民への略奪、強姦に従事していることが書かれています。日本軍からの射撃だけではなく、味方の督戦隊からの銃撃でばたばたと戦死者が出る。その死体の山の中に逃れて生き残る話など余りに酷いものばかりです。
 
 こうした話は戦後完全に抹殺され我々は全く知らないで捏造された記録のみにしか出会いませんでした。

 例えば日華事変開始当時同盟通信の上海市局長であり後に同社の専務まで勤めた松本重治は戦後「上海時代」(上、中、下三巻、中公新書)という回顧録を執筆しますが、以上とは正反対のことばかり記します。

 上海の自宅に兵隊が入り物が盗まれると、使用人の話として日本軍によるものと記したほか、総て日本が悪く中国が正しいという筆致です。
 
 婦女子を含む一般邦人二百数十人が虐殺された通州事件についても「悲劇の通州事件が起きた」とだけ書き、シナの保安隊が加害者だったことを隠蔽しています。

 尚彼は同盟通信の幹部としてGHQによる検閲に直接係わったはずですが、そうしたことについて一切口をつぐみ、日米学会の会長、国際文化会館の理事長などの要職を勤めたのです。所謂「昭和史家」の書いた昭和史はこうした松本重治の書いた類を資料としたものです。

 今回明らかにされた焚書の中で非常に多くのことを教えてくれた書籍が菊池寛の「明治大衆史」です。
 
 義和団の変に際しての欧米各国軍隊が凄まじい略奪暴行の限りを尽くしていたこと、我が軍の軍紀が極めて厳正であり模範的なものだったことが記されています。

 そもそも義和団事件は、清国が日清戦争に敗れたことから欧州各国が野盗の如く清国に対する領土の租借の競争に入ったことへの反発が原因であり、当時の弱肉強食の世界の凄まじさがわかります。

 菊池は、その前の日清戦争開始時点に日本を支持する国も好意を持つ国も一国もなかったが、その状態は日華事変の開始時点における我国を巡る列国の態度とおなじであったとのべています。

 つまり日英同盟の時期を除けば明治維新から第二次大戦まで日本はアジアの大半を植民地化した欧米と、国の体をなしていない中国に囲まれた孤独な存在であった訳です。

 そんな環境で我々の父祖は健気に独立自尊の精神で生き抜いてきたのです。本書第9章は焚書が如何にしておこなわれたかを侵略戦争という用語の開始時期などを切り口として溝口郁夫氏により鋭く分析されています。
 
 西郷隆盛から第二次大戦まで日本人は侵略と言う言葉を専ら欧米の行為としてのみとらえていたことが分かります。

 本書の圧巻は「あとがきにかえて」です。

  西尾先生はNHKが今年の夏に報道した秘話を以下のように採り上げておられます。 終戦の詔勅が放送されるその直前の午前に秋田県にある小都市が米空軍により空襲され小学生にまで犠牲者がでた。しかしNHKの報道はここで行われた米軍による戦争犯罪行為について追及することがなかったことは勿論、それに言及すらせず、「戦争は悲惨だ」という形で片付けた。
 
 戦争は国家間の軋轢から起こりお互いに敵同士となる。NHKを先頭に日本ではその軋轢がなにであったかそしてどう戦争に結びついたかについては触れることなくただ「戦争は悪い」ということに問題をすり替えて、更に「悪い戦争は日本によっておこされた。だから日本が悪い」という型に総てを集約してしまう。そこから導き出されるものは、日本の総て交戦国は何をしても免責されてしまうということです。
 
 アメリカは非戦闘員である日本の一般市民を原爆をふくむ空襲で殺傷するという明白な戦争犯罪を犯しながら、戦後今日に至るまで日本はそれを追求することなく、「戦争は悪い」「その戦争をおこした日本が悪かった」ということしか口にしなくなっている。

 広島の原爆記念碑には「もう過ちは二度とくりかえしません」と記されているが、これは「もう過ちは繰り返させません」とすべきものであると先生は述べられておられます 。
 
 更に先生は、こうしたことを放置すれば同じ状態が戦後100年後にまで続くと述べられ、こうしたことを放置するのは勇気が欠けるためであり、リベラルだけではなく所謂保守においても同じなのだと喝破されておられます。
 
 国が歴史を失うことはidentityを失うことであり、国そのものを消滅させることにつらなります。
 GHQにより行なわれた焚書を解明しないで放置することは正に国を消滅させることにつらなるのです。

 「GHQ焚書図書開封」は国民の総てにとり必読の書です。

          文責:足立 誠之

 足立さんのこのゲストエッセーに対し、次回ひとこと私からのエントリーを上げます。

シアターテレビ予定12月の放送予定

■放送:スカイパーフェクTV! 262ch 「シアター・テレビジョン」
■配信:シアター・テレビジョンHP http://www.theatertv.co.jp/movie/
※上記頁内にて動画配信中
シアター・テレビジョンホームページのトップページ右端にございます
番組検索で「西尾幹二」と検索すると、全番組が出てきます。
■お問合せ:シアター・テレビジョン03-3552-6665(平日10時~18時)
■チャンネルURL:http://www.theatertv.co.jp
■番組名:西尾幹二監修「日本のダイナミズム」(各20分番組)

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突
#16 神のもとにある国・アメリカ
#17 じつは日本も「神の国」
#18 政教分離の真相
#19 「国体」論の成立と展開
#20 世界史だった日本史

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り
#21 「日本国改正憲法」前文私案
#22 仏教と儒教にからめ取られる神道
#23 仏像となった天照大御神
#24 皇室への恐怖と原爆投下
#25 神聖化された「膨張するアメリカ」

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代
#26 和辻哲郎「アメリカの国民性」
#27 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
#28 後期水戸学の確立
#29 ペリー来航と正氣の歌
#30 歴史の運命を知れ

●各話一挙放送
#16~#20 一挙放送
#21~#25 一挙放送
#26~#30 一挙放送
【放送日 放送時刻】
● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/ #16神のもとにある国・アメリカ
放送日 放送時刻
12月07日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/  #17じつは日本も「神の国」
放送日 放送時刻
12月08日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/「二つの「神の国」の衝突/ #18政教分離の真相
放送日 放送時刻
12月09日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/ #19 「国体」論の成立と展開
放送日 放送時刻
12月10日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/ #20世界史だった日本史
放送日 放送時刻
12月11日 05:30 

● シリーズ:現代史を考える/二つの「神の国」の衝突/#16~#20  一挙放送
放送日 放送時刻
12月13日 7:00 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#21 「日本国改正憲法」前文私案
放送日 放送時刻
12月14日 05:30 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#22仏教と儒教にからめ取られる神道
放送日 放送時刻
12月15日 05:30 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#23 仏像となった天照大御神
放送日 放送時刻
12月16日 05:30 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#24 皇室への恐怖と原爆投下
放送日 放送時刻
12月17日 05:30 

● シリーズ:か弱き日本の神の怒り/#25 神聖化された「膨張するアメリカ」  
放送日 放送時刻
12月18日 05:30 

● シリーズ: か弱き日本の神の怒り/#21~#25 一挙放送
放送日 放送時刻
12月20日 19:00

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#26 和辻哲郎「アメリカの国民性」
放送日 放送時刻
11月30日 05:30 
12月21日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#27 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
放送日 放送時刻
12月01日 05:30 
12月22日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#28 後期水戸学の確立
放送日 放送時刻
12月02日 05:30 
12月23日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#29 ペリー来航と正氣の歌
放送日 放送時刻
12月03日 05:30 
12月24日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#30 歴史の運命を知れ
放送日 放送時刻
12月04日 05:30 
12月25日 05:30 

● シリーズ:日本の国体論はアメリカ独立宣言と同時代/
#26~#30 一挙放送
放送日 放送時刻
12月054日 05:20 
12月26日 11:15

                  

自分の殻をこわしたい

 すでにお気づきになった方もいるかもしれませんが、近頃の私の仕事の周辺に私より若い共同研究者、あるいは知的協力者の名前が何かと目立つようになってきています。わざと心掛けてそうなったのではなく偶然なのですが、協力して下さる友人たちに恵まれて私自身は有難いことだと思っています。

 『GHQ焚書図書開封 3』では北大工学部出身のエンジニアとして新日鉄で定年まで活動された溝口郁夫氏が、全十章のうち一章を分担して下さいました。氏が畑違いの現代史に関心をお寄せになったのは50歳台で南京戦参加の元軍人の話を郷里で聞いて、南京事件の虚報なることをとくと知って、秘かに心に思う所あってのことのようです。氏は焚書図書に関する独自の研究を進めておられます。拙著にご考察の一端を発表して下さいました。これを切っ掛けにご自身の研究を拡大、発展していただけたら大変うれしいです。

 満五十歳になった評論家の平田文昭氏は、間もなく刊行される私との対談本『保守の怒り――天皇、戦争、国家の行方』でその才能を全面開花させました。私はそう判断しています。氏もこれを汐どきにして大きく起ちあがってくださると思います。

 『WiLL』1月号で柏原竜一、福地淳、福井雄三の三氏と始めた「現代史を見直す研究会」は三回目を迎え、今回は話題の書、加藤陽子東大教授の『それでも日本人は「戦争」を選んだ』をとり上げました。われわれはこの思わせぶりな題名の本の無内容かつ有害である所以を語り尽くしました。今月号は前編で、次号にもつづきがあります。

 三人の中の福地、福井の両氏はすでに知られた方ですが、柏原竜一氏は最近『インテリジェンス入門』(PHP研究所)を出したばかりで、注目されている新人です。国際政治学の知見に秀でていて、今回も日清・日露をめぐる外交史上の知られざる豊富な知識をもって、加藤陽子女史の見識の低さをいかんなく暴露することに成功しています。

 なぜ最近にわかに私の仕事の周辺にこのように共同研究者が多くなったか、自然にそうなっただけなので私自身にもよく分らないのですが、近頃年齢のわりに仕事量が多く、しかもマンネリを恐れる私はつねに同じテーマを二度書かない原則を守ろうとしているうえに題材を広げる欲ばりのため、手が回らなくなってしまった、だから人の手を借りるほかなくなってしまったのかもしれません。そういう見易い理由も勿論ありますが、たゞそればかりではないような気もしているのです。

 私は自分が小さな殻にこもって固定するのがつねに恐いのです。私は自分で自分の殻を壊したいという衝動に突き動かされて生きてきたように自覚しています。自分を破壊することは自分の手では出来ません。他人の知見に自分をさらすことが必要です。私が共同研究者を求めるのは私の内的欲求に発していることなのです。

 勿論私とお付き合い下さる方の発展や成長も同時に心から期待しています。しかしそれだけではないのです。自分を教育しようとしない人は他人を教育することもできません。私は私を教育するために私より若い人の力で私を壊してもらいたいという欲求を強く持っているのです。既成の出来あがった有名人との共同作業を私が必ずしも望まない理由もそこにあります。

 『保守の怒り』という今度の新しい政治的な本の「あとがき」を私は次のようなまったく政治的でない言葉で書き始めていて、これが今述べたことに関係がありますので、冒頭の部分を引用してみます。

 私は昔から知りたがり屋で、本からだけではなく、人との対話からの知識にも関心を抱くほうだが、近頃一段とその傾向は強くなった。私より若い三人の歴史学者と現代史を見直す研究を企画し、討議内容をある雑誌に載せていただくことになったのも最近だ。ほかにも似た計画をあれこれ考えている。

 価値観が私とはほぼ同心円で重なる人との対話は、思考の食い違いからくる負担を省いてくれるが、それだけでなく、思考の微妙な違いは当然あって、それが生産的に脳を刺激してくれる。遠い人よりも近い人との間に橋を架けるほうが困難だ、はある古人の言葉だが、遠い人よりも近い人との間に横たわる溝のほうが深く、大きく、嵐を孕んでいるからである。そして、それだけに価値観の近い人との対話は思いがけぬ結果をもたらし、発見も多い。右記の現代史を見直す会も価値観が互いに近い四人が討議し、互いの小さな相違点からかえって豊かな内容を得ることに成功している例であるが、平田文昭さんとの対話をまとめた本書は、さらに一段とこの趣旨で成果を挙げた一書になったといっていい。

 世の中には他人には危険だが、自分には危険でない言葉が溢れています。自分を危うくしないような批評は批評ではないという意味のことを小林秀雄が言っています。小林さんが自分を危うくするような批評を言いつづけた人かどうかは別問題ですが、ともあれこれは大切なことです。

 ものを書いて行く人間にとって一番の危険は思考のマンネリズムで、あゝまた同じことを言っているなと思われたらおしまいです。読者にはバカも多いので、気がつかないで同じ芝居をくりかえし見て飽きないという読者もいるにはいるのですが、書いている自分を恥しく感じなくなったらさらにも危ういのです。

 文章を書くということは一つの特権です。ましてやそれで金をもらえるということは恐ろしいことです。しかしそれが習慣になり、職業になると特権であることを忘れます。自分の前作の模倣をくりかえす「自分だまし」をどうやったら防止できるか、まともなもの書き手ならそれぞれ工夫をこらしているはずです。

 私が最近信頼できる友人との共同行動を試みているのも、さして自分では意図してそうなったわけでは必ずしもないのですが、今にして思えば「自分だまし」を避けようとする私なりの本能の働きの一つであるといえるように思います。

『保守の怒り』の目次

 『保守の怒り――天皇・戦争・国家の行方』(草思社)の目次を紹介します。

 慣例に従い「まえがき」は平田文昭氏が、「あとがき」は私が書いています。この本の成り立ちの由来と同書にこめた二人の思いが語られています。以下の目次をご覧ください。

保守の怒り 目次

第一章 保守の自滅

はじめに
自民党の自滅史と小沢一郎
中曽根内閣以来の保守の自己欺瞞が、保守の没落をもたらした
レーガン・サッチャーの保守革命、新自由主義とはなんだったのか
「よく教育された土人」
安倍晋三氏への期待で沈黙させられた保守
保守の卑屈
アメリカへの恐怖と文藝春秋文化人の役割
警戒すべきは米中旧味方同士の感情の回復
田母神事件とはなんだったのか
日本を抑え込む左右の壁
「戦後の戦争」とアメリカという異常国家

第二章 皇室の危機

誰も指摘しない陛下の重大な発言
天皇の「戦争責任」とは
異様に政治的な天皇発言の意味するもの
皇后陛下のご発言の衝撃
どのような憲法に改正されようとしているのだろうか
血と宗教
距離と時間に恵まれたがゆえの日本文化
アイデンティティーの起源は神武東征か縄文か
平成皇室とはなんなのか
皇室の危機再び
伝統より重いもの
最高の国家機密
カルト化した皇室礼賛派への疑問
平成流への危惧
「美智子様天皇制」崩壊の兆し

第三章 保守よ娑婆(しゃば)に出よ

靖國神社危うし
神道・神社・神道指令
恒例の8月15日の戦没者慰霊は靖國神社を危うくしないか
英霊に恥ずかしい靖國神社
戦争の時代が来る
保守はカルト汚染を克服できるか
神社本庁よ、カルトと同席するなかれ
住みにくくなる日本
奪われる国民の自由と独立と権利
誰も気づかない道州制の危険性
医療と水の危機
差別禁止法の恐怖
民主党の最もあぶない点
保守オヤジを叱る
あとがき