〈専門家への疑問符〉考(第四回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

 


目的本位主義がついてくる

 露伴を引き合いにして語りすぎたきらいがあるようだ。西尾先生が気づいている専門家観には、もう一つ現実的次元のものがあるのかもしれない。

 例えば「狭隘」ということも、専門家にありがちな性向から来るのではなく、学府で専門家として生きるためには狭く狙いを定めて断章取義をしなくてはやっていけない。専門家も職業人である、職業的(職場的)意識を捨てての研究は成り立たない。

 平たく言うと少しでも新しい境界を拓き、周辺的偏狭的であっても、それを差別化し提出できるテーマがあればそれをものにしておかなければ、学者として評価が得られないという現実はあるのだろう。学問の府でごはんを食べたことのない筆者にはわからないが、そういうことも想像する。

 それなら企業人と同じであるが、あらゆる学問領域の学風に流れる目的本位主義というものが専門家にもついてくる。一定の論証のために必要な資料を探し出して、分析し配列すれば論文になる、という考え方である。一定の論旨を通すには、また何らかの価値を見いだして学術的に役に立たせるには、材料を集めて按配するという作業が必要になる。

 けれど、専門家はいつでもそこに逃げ込むことが可能だ。本当に興味があるかどうかが前提としては問われない。つまり本当は興味がないから小器用に業績を積み重ねては、突っ込まれないために防御するという非知的行為のほうでエネルギーを消耗することはないのだろうか。

 学術的価値如何ということを言いつつ「成果」を気にしているが、自ら研究の「姿勢」を問わないでは、冒険も意欲も想像も人間としてついえてしまうのではないだろうか。論文になる、というだけなら、人間としてこしらえものに倦んでくるはずだ。

 ここで、一つ断っておかねばならない。
 私は専門家という存在について、極めて大雑把な感想を述べてきたに過ぎないが、異論もあるだろう。専門家は、もっと多方面の分野で多様なかたちで社会に役立っている、そして、彼らは様々な人々の欲求に応えるため新しい学問を確立している、専門家の捉えかたが古くて狭すぎる、と。

 大学に新設される学科も百花繚乱らしい。マンガ学、美容心理学、スポーツイベント学等々、私が今すぐ造語すればそれがクイズの正解になるような学問がいっぱいあると聞く。しかし、それは〈商売〉ではないか。

 佐藤優氏が危惧したほどに、ポストモダン以降の乱痴気騒ぎに似た退行現象を、私は正面から受け止める気がしない。また、受け止めてはならないと思っている。同世代から出た毒は真っ先に同世代が吸引する、と私は思っているが上記のキラキラした怪光は大正期にも出現したし、明治初期にも三十五、六年のときも出現したのではないだろうか。

 この小論の探究力の不足は認めるとしても、〈新造語学問〉の専門家は全く範疇ではない。

思想家だけが「死」と「過去」に寄与する
 
 西尾先生は『江戸のダイナミズム』のあとがきで書いている。帯にもなった次の文章だ。

 「地球上で『歴史意識』というものが誕生したのは地中海域とシナ大陸と日本列島のわずか三地点です。そこで花開いた『言語ルネッサンス』は文献学の名で総括できますが、それは単なる学問ではありません。認識の科学ではありません。古き神を尋ね、それをときには疑い、ときには言祝ぎ、そしてときにはこれの背後に回り、これを廃絶し、新しき神の誕生を求めもする情熱と決断のドラマでもありました」
 
 短い文章に非常に大胆なことが書かれている。この本で単なる学問ではない、認識の科学ではないところのものに踏み込んでみたのだ、と宣言している。「学問」といえば高尚であり「科学」と言えばすばらしい、と暗黙のうちに見ている人はまず頭を叩かれる。

 その方法として時間的、空間的に大きなコンパスを取り出して、思い切って世界に図面を引いてみた、と書かれてある。専門家はたくさんいるが、いっさいそういう仕事はしないし、気がついてもくれない。だから自分は自分なりにやってみる、というふうにも読める。
 
 西尾先生がふと漏らされたに疑問に触発されて、専門家とは如何なる存在か、専門家の仕事とは何なのか、そして専門家が陥っている狭隘なる世界、時折見かける錯誤した自負はどこから生じるのか、ということをここで考えてみた。時代相を冷静にみれば、誰もかれもがいっぱしの「専門家」にならんとして、息せき切って走っていると言えるのかもしれない。
 
 相対主義、機械主義、実証主義などの弊と共に、西部氏が指摘するような方向喪失と価値喪失にゆきついたアカデミズムの世界には、門外からはわからない「知」の荒廃が横たわっていることだろう。
 
 ただ、一つこういうことが言えるのではないか。専門家は益々こんごも「生」と「生活」に寄与するであろうが、「死」と「過去」には寄与しない。そもそも「死」と「過去」のための仕事があるとは夢にも考えたことがない。よって、専門家からは専門家の根本是正は行われないだろう、というのが私の結論である。

 「死」と「過去」に寄与するのは思想家の役割だからである。専門家は〈万古の疑義〉を持たない。

飴のように延びていく未来像

 ニーチェが『悲劇の誕生』を書いたとき、ヨーロッパに流布していたギリシア像は近代主義的合理性、明るい楽天性、人文主義的晴朗さ一辺倒であった、ということを『江戸のダイナミズム』から教わった。ギリシア悲劇の作品のどこにもニーチェが直観したようなディオニュソス神という暗い衝動の神格が影響したという証拠は見つからなかった。

 が、半世紀も経たないうちに、遺跡の発掘が進んで、文明の奥の暗い非合理な神霊的側面が次々と証明され、古典研究の上で大きな影響を今も与えている、とする最終章にある「悲劇の誕生の謎」の頁を覚えている方がおられるだろう。

 「大抵の文献学者は明るい理性を前提として古代を解釈」していたし、それが「客観的」だと信じ込んでいたが、文献や証拠すら無視したニーチェの主観がむしろ客観的で、現在も大きな意味を持ち続けている、と。

 勝手な読者の理解にすぎないが、私には当時の「大抵の文献学者」が現代日本の「大抵の専門家(知識人)」と二重映しになる。しかし、日本の知識層にあるのは明るい理性を前提とした「未来」である。経済危機や環境や少子化などに取り敢えず関与して悩ましい顔をしているが、本質は軽躁である。

 「日本に流布していた〈未来像〉は近代主義的合理性、明るい楽天性、人文主義的晴朗さ一辺倒であり、そのまま飴のように延びていく〈未来〉を解釈していた」と、遠い将来に誰かに書かれるのではないだろうか。

 「思想家とは、自分自身を含めてその時代に対する、また来たるべき時代のための〈裁断者〉たるとともに〈戦士〉としての任務を進んで引き受けたもの、否むしろ否応なくそれを受諾せしめられたもののことに他ならない」と小野浩元明治大学教授はニーチェに即して語ったことがある。 
 
 この小野教授の定義を思い起こし、これに重なる存在が今なおあることに気がつく人たちは幸福と言わねばならない。

 勿論、ニーチェが生きた時代と同じく、ニーチェの脚元にまつわりついて血を吸う蛭の群れが今あることも変わらない事実である。〈引き受けたもの〉の宿命というべきだろうか。

 けれども、早合点、早とちりをしてはならないだろう。この〈裁断者〉たるとともに〈戦士〉という人は、イデオロギーの衝突の場で頑張っている活動家ではない。イデオロギーの信奉者は「自分自身を含めて」という辛い戦いはできない。

つづく

文・伊藤悠可

〈専門家への疑問符〉考(第三回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

 

自分以外の分野は無知でかまわない
 
 露伴を雑学家とした見方に山本健吉はこう反論している。

 「なるほどそれは今日の細かく分化した知識をそれぞれ分担している専門家たちの学問とは、いちじるしく違っている。それらの人たちから言えば、露伴の学問には雑学的ともいうべき特色があるのは事実である。雑学的というのは、端的にいえば学問としての體系・方法を缺いた、雑多な知識の集積ということだろう。だが、露伴に果たして、體系・方法が見られないと言えるかどうか」
 
 われわれが生きている技術文明の高度化、社会機構の複雑化の進行はめまいを覚えるほどである。社会は新たな課題に応じられる新たな専門家の登場を要請する。

 技術と知識の膨張速度は凄まじく、個人は細かく分断された部分知識を持つことはできるが、全体的な知能と職能を獲得することは不可能となった。分担と共有は宿命的な図式である。が、これを逆にしてみると、個人は自分以外の分野はまったく無知であってもかまわないということである。分担される知識と技術はますます細分化し、専門家はその領域内で深い知識を獲得しているかもしれないが、社会が所有する知識の総和から言えば、個々人の知識と技術は著しく狭い。

 「近代人は古代の素朴な農夫に較べてさえ、個人的な知識と技術との著しい相対的減少が見られる。言い換えれば愚昧になっているとさえ言えるのである」と、山本健吉は人生全体の知恵の喪失を指摘しているのだが、問題が深刻なのは、狭隘な知識の所有者である専門家自らが、必ずしもそうは思っていないことである。
 
 感受性のある日本人なら、一人ひとりが充足完成することのない時代に投げ込まれている現実に、多少は嘆声を漏らしいらだちを覚え寂寞を感じるものであろうし、完結した生涯を持ちえない生、断片的で過程的でしかない人間と化していくことによろこびを抱き、そうした社会に賛辞を与える気持ちは持ち合わせないはずだが、考えの機械的にして精緻なる人たちはそうではないようだ。

 まず、人生における全的人間としての知恵など時代遅れの古い人間の繰り言と蔑んでいるだろう。少なからず彼らは進歩主義者なのである。専門を担っているという自負以上に、誰もが持ちえない専門知識の保持者として社会に貢献しているという高ぶり、専門領域外への無関心、外部からのいかなる発言もゆるさない不寛容という合併症を患っているのではないか。

気にかかるゲーテの言葉

 露伴が雑学的な物知りに見えるのは、一面ではやむをえないと言えるのかもしれない。

 柳田国男は民俗学者として身を立てようとしたわけではないし、内藤湖南も泉下で「私は歴史家として生きた」とは思っていないだろう。南方熊楠となると何が専門なのかと言うことができない。「すぐれた菌糸学者」などと言おうものなら本人は大笑して「俺は革命家だ」というかも知れない。
 
 露伴はどうか。田邊元博士は今でも「博士」という二文字を付けなければ格好がつかないが、露伴は文学博士であるものの、幸田博士と呼ぶ人は皆無である。つまり、博士はよけいなのである。
 
 ちなみに、西尾先生は自分をライターと呼んでいる。物を著すときはただの評論家だ。実際は何も付いていない。西尾幹二は西尾幹二である。たくさん仕事をすると肩書が簡単になり取り払われるのは自然の理である。専門家は相変わらずの肩書主義なのである。

 露伴には雑学的というべき特色はあるが、今日の専門家がする学問に較べて、より全体人間的であり、人生万般的な知識の所有者であった。しかも、近代的細分化される以前の知識風土において、その時代が思索しておかねばならない対象をとらえ、直観力を持ち合わせ、物事の帰趨を決めつけずに限界をはみださない〈反措定〉という節持を自らに課していたといわれる。
 
 そうした節持を今日の専門家は理解しない。限界をはみださない姿勢は「自説に自信を持てないからだろう」くらいに思っている。そうではなく、露伴は問題の立て方が違うのである。学問的というべき答が出ないのは承知で広い立て方しかしていないのである。「完全さに達するのは、学ぶ者のなしうることではない」とゲーテは言葉を残しているが、これを晩年の負け惜しみととらえるほど私はひねくれていない。

徂徠が夢にも思わなかった学問の概念

 露伴が日本の古代中世ばかりか支那の文献、インドの仏典などを縦横無尽に織り込んで物語るとき、誰もがその博識に驚かされるのだが、薄められた知識をひけらかす趣味人の厭味といったものはない。物事の結末をあらかじめ見て取って筆で読者をねじふせるといった押しつけがましさはないように思える。

 卑近な人生の場面から形而上的な理念の探究――それはたとえば「運命」と呼ぶしかないようなものを含んで読者に迫る。露伴に體系や方法といったものがないのではなく、人が生きるための體系と方法が横たわっている、と山本健吉は抗議した。 
 
 「見聞広く、事実に行きわたり候を、学問と申事に候故、学問は歴史に窮まり候事に候」は荻生徂徠の有名な一節である。小林秀雄はこれを読んで次のように書いた。

 「徂徠の学問に、厳密な方法がなかったという事は、裏返して言えば、何の事はない、今日の学問より遙かに生活常識に即していたという事なのだ。(中略)今日の学問では、広大な人間的経験の領域を、合理的経験に絞るのを眼目としているから、学者は、必ずしも見聞を広める事を必要としない。いや、人情を解せず、人倫を弁えなくても、学問の正しい道は歩けるのである。徂徠等の夢にも思わなかった学問の概念である」

 徂徠の「学問は歴史に窮まり候事に候」という深淵な部分を今ここで扱うのは目的の外である。また、容易に手に負える課題でもなさそうである。小林がいう「必ずしも見聞を広める事を必要としない」今日の学者のほうに着眼点があるのは言うまでもない。見聞を広めようとすると雑学家の烙印を押されてしまう。西尾先生が以前の日録に「私は知りたがり屋なんです」と書いていたことを妙に思い出してしまう。
 
 「鴎外とか露伴といふ明治己来三代で嶄然と衆峰を抜いた大文士の作品を読んでごらん。日本だけの精神生活の高み深みがこの二人に極まってゐると思ふでせう。しかしこの外にも近代を象徴する詩文はいくらもある。おしくるめて、人めいめいその立場を妥協せずに、書いて、生きて、愛した人達のものが歴史に光って残るのです」
 日夏耿之介は露伴が逝った年(昭和二十二年)にこれを『風雪の中の對話』で書いている。

 簡潔な文章だが滲み入ってくるところがある。田邊博士の露伴評とは正反対である。オーソドックスなことをオーソドックスに表現するのはむずかしい。最後の文節は碑文のように美しいといったら嗜好に寄り過ぎるだろうか。

つづく

文・伊藤悠可

〈専門家への疑問符〉考(第二回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

  
露伴を雑学家と呼んだ田邊元博士

 西尾先生が「業績は尊重するが、理解できない」とした専門家への疑問符とは何かという問題である。

 専門家が専門家然として満足していられるふうに見えるが現実は不安と後退の道を歩いているではないか、研究成果を誇っているが実は自らの末技的仕事に眩惑されて嗜眠状態にあるのではないか、その耕地に留まっているが隣の山は関係がなく海も見る必要はないという視界の狭窄は気にならないのだろうか、と私なりに専門家に抱いている不服があるけれども、先生は何を衝いているのだろう。

 機械的に科学的な世界解釈で事足りているイデオローゲンというタイプが確かにある。ソフィスト風のにぎやかな専門家が蔓延していることもある。だが、直接彼らを今ここで意識しているわけではない、とすると先生が学者としての業績を一応認めながらも、なおその人たちに決定的に不足しているものを想像しなくてはならない。

 それは何であろうか。

 その昔、田邊元博士は弟子の前で幸田露伴を「結局は雑学さ」とけなしたそうである。そのことは山本健吉の露伴全集の解説などを読んで知ったのだが、つまらないことを言う先生だと思ったことがある。田邊博士の研究は何もわれわれのような書生風情を相手にしているわけではなく、世界の哲学者の目を覚まさせるために用意されたのかもしれないが、高尚な学問に比してこのセリフの落差はなんだというものだった。
 
 露伴を雑学者だというなら森鴎外も柳田國男も、それから南方熊楠も内藤湖南も皆雑学者ということになってしまう、と山本は書いた。

  哲学者は崇高な学問を相手にしていて人種が違う、知識の深さも違う、そこいらの文学者と一緒にしてくれるなと、田邊博士は言いたかったのだろうか。それも大いに考えられる、「文学的」という言葉は相手を否定するときの武器としてよく使われる。自然科学者、社会科学者がその急先鋒で、文学的ということは、すなわち「つくりもの」「想像したもの」「化粧・装飾したもの」で実証に耐えないと言いたい実証主義者が心から蔑んでいるものである。

実証というのは素朴すぎる考え

 ところが、これを昨今は歴史家と呼ばれる人間も武器にしだして、われわれは職人であって確かな実証できる事実だけを採用する、小説家や物語を書く人はおもしろおかしく事実を着飾り詩魂に花を咲かせたらいい、というような意味のことを口走っている。何をかいわんや、歴史は文学的というものでなければならず、元来、伝というものは支那でも日本でも、文学の一体であった。いわゆる客観的資料を、年次を追って配列する学問的発掘書なるものは、最近の時代の産物である。
 
 秦郁彦氏は七十年の蒙昧から抜け出し、甲羅を破り、自己過信症状から目覚めるチャンスを西尾先生にもらっていながら気がつかずに家に帰ったのである。対談をよく読めばわかることだが、西尾先生はふだんより抑制的に、ときに老婆心をもって応じている場面がたくさんある。これほど親切に西尾先生は説いているのに、秦氏は親切を迷惑に感じたという一幕であった。

 「具体的な歴史的実際に抽象的、社会学的範疇を適用したため、歴史的実際を殺してしまい、その中から心を引き抜いてしまい、歴史的宇宙をありのまま直観的に観照することを不可能にしてしまった」と言ったのはニコライ・ベルジャイエフである。秦氏は精緻な立証があると讃えられている歴史家らしいが、取り組む心がけというか、はじめの一歩がきっと間違っているのである。

 実証的とは素朴すぎる考えである。百の事実が消えて一の事実が残るということが歴史にはあるからだ。ただ、こんなことを何度言ってもこの人には分からないだろうという気がする。この人は自分が好きだけれども歴史が好きだという感じがしない。人間を軽蔑しながら歴史を扱っている。勝れた裁定者は客観的でなければならず、むしろ、歴史を好きになっては鋭い歴史眼が鈍るとでも思っていることだろう。

専門家の狭隘と倨傲

 横道にそれてしまったが、田邊博士もまた、文学や物語などを戯画のように見下し、哲学を深淵なるもの偉大なものと考え、一緒にされては困ったのであろう。
 
 多様態哲学『種の論理』をもって学界の注目を集め、西田幾太郎門下の高弟としてゆるぎない地位を築いたという自負や威権から、つい悪口を漏らしてしまったとするならそれはそれでよいし、大学者でも妬忌を行うということはままある。露伴の博識は驚嘆すべきものがあるし、その評判は博士の耳に届いていただろう。

 ただ、露伴を雑学家とした貶斥は失当だと思う。露伴をただの物知りとしてしまうところに、明治以来の学殖の偏向があらわれているようにも感じられる。つまらないエピソードにこだわるのは、専門家の狭隘と倨傲がこんなところにもベットリと付着しているのを見るからである。

 田中美智太郎風に言えば、専門家は国家社会から必要とされているが、教養は単なる必要以上のものなのである。われわれは教養のために自分の専門ではないことを素人として学ばなければいけないということになる。勿論、教養など死語である。そして何の役にも立たない。けれど役に立たないこと大事にしたいと考えるのが人間である。

 私には、露伴の例えば『努力論』一冊のほうが断然大事な本であり、全体人間的な興味から言って露伴はいてくれなければならない人だが、田邊博士は公立図書館の書庫にでも座っていてくれたらそれでよいと言いたくなる。それは私の恣意であるから別の考えもあろう。晩年に、博士は『懺悔道としての哲学』を著し日本の戦争責任を考えたらしいが、自らの学究人生に満足されたのだろうか。

つづく

文・伊藤悠可

〈専門家への疑問符〉考(第一回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

 

  「専門家という存在が理解できない」

 西尾幹二先生の読者は、先生が折節、専門家というものに対して疑問符をつけていることに気づいているだろう。最近では秦郁彦氏との対談(『諸君!』四月号)でも、少し前の『江戸のダイナミズム』の中でも、専門家の見識及び専門家という存在に対して疑問を呈しているところがある。
 
 先生がなぜ、専門家に大きな信頼を置くことはしないと言ったり、また、専門家であることを自負している人の専門家的所見を容赦なく裁断したりするのか、私には大変、興味のある問題であった。

 その指摘は知識人の限界や不備に通じる予感がするし、専門家を任じている人間の無自覚を衝いて、長く置かれたある風潮に警鐘を鳴らしているようにもみえる先生の態度である。勿論、専門的研究、成果そのものについて全否定するという暴論的な鉈を先生がふるっているわけではない。「尊重はするけれども、しかし」と問いなおし、それでよいのかと迫っているものである。

 専門とは無関係な私が興味を持つのは西尾先生が抱いている〈不満足の在り処〉だけである。

 現代は専門家が活躍している時代、より活躍しなければならない時代だと思われている。知識と職能は分化され、特定の領域に専門的習熟者が常住するのがあたりまえという社会のようである。専門家がいなければ、およそ複雑な世の中で信頼するに足る正確な情報、有益な分析、高度な判断というものが一般の生活者には納得したかたちで届けられないと信じられている。
 

 一方で、専門家が信頼するに足りる存在かどうかというと、これほど心もとない時代もないといえる。信頼欠如は甚だしく不安視されている。専門家と称する人々が時勢に応じていろいろな発言をしているけれども大丈夫なのか、信じてよいのかという素朴な疑いが生じている。例えば、多く言葉を費やす必要はないであろうが、経済学者のこの難局における無力、視力の弱さはひどい。
 
 的に刺さった矢を見て、俺の予想は当たっていたというような話が多すぎる。繰り出される見識の混乱、政治的視野を持たない無定見な世界解読に対して、果たしてどれほど真摯な顔で受け取ってよいものか、疑わしい。

 それなら実態予測、実態報告をやめて純粋理論の故郷に帰ればよいのにという気がするが、経済界と疎遠な場所での仕事は閑職だと見られているのかもしれない。

 政局の起伏や選挙の読みだけで暮らしている政治学者を政治学の専門家と呼べるのかどうかわからない。こちらの世界も同じである。二大政党の実現をユートピアのように語る学者を深い眠りから起こしてやるのはむずかしい。否、彼らは眠っているのではなく遊んでいるのかもしれない。かくして、いびつな専門家事情は社会科学はじめ学問領域全般に行き亘っているのかなと想像してしまう。
 
 自然科学分野では発言の逸脱をして一向にその不自然を省みない物理学者がある。ノーベル賞を受賞するとどうして、唐突に憲法九条を死守する平和主義者になりさがるのか。「科学者は最悪の哲学を選択する」という言葉があるそうだが、皇室典範を強引に変改しようとしたロボット工学博士がいたことは記憶に新しい。ここまでくると専門家の壟断としかいいようがない。

 大衆人の代表としての専門家

 だが、いったん立ち止まって考えよう。果たしてこんないわゆる専門家に向けて西尾先生は批判の矢を放ったのだろうか。彼らは先生が疑問符をつけるに値しない。先生が「私は専門家の成果を尊重しますが、専門家という存在がどうしても理解できません」(『江戸のダイナミズム』あとがき)という言い方をするとき、別の人々を意識しているのは自明である。
 
 なら、私が挙げた電波や雑誌や新聞に低調な私見をちぎっては投げている専門家とはいったい何物なのか。やはり、いわゆる専門家としておくしかないのだろう。オルテガがいち早く警告した「大衆人の典型」としての〈いわゆる知識人〉についてここで始末を付けておかなければ、先生が首をかしげた意味が遠のいてしまう。

 専門家を知識人の代表として置き換えると、知識の保有量が少ない大衆人が一方にあり、これに対しては知識の保有量とその操作術に勝れた少数の知識人が指導を与えていかなければいけない、という了解の下地がある。西部邁氏によると、こうして知識人と大衆人とを対立的にとらえ、知識人が社会の指導者であるべきとする図式は二十紀前半に提出されたのだという。

 しかし、このような図式は根本的に誤っていると指摘したのがオルテガで、「彼は、今やほとんどの知識人が『いわゆる知識人』になり果ててしまったとみる。ここで『いわゆる知識人』というのは、自分の扱っている知識を疑ってみることをしない人間、自分のもっている知識に満悦している人間のことをさしている。

 その知識が狭隘な専門知であるのは当然のことである。なぜなら、包括的な哲学知を含むような知識はかならず自己懐疑の回路を有しているのであり、知識にたいする自己満悦に耽けることなど論外だからである」(西部邁著『新・学問論』)と説明されるように、今では、知識人が知的リーダーシップを振るい大衆人のために貢献しているという考えは、〈いわゆる知識人〉の側の一方的な思い上がりというべきなのかもしれない。

 「この世界が存立して以来、言葉が今日ほど大衆的に、愚かしく、軽薄に濫用されたことは決してない。賤しい民はつねに存在していたし、また存在せねばならぬでもあろう。けれども彼が今日ほど発言権を獲得したことは曾てなかった」とフリードリヒ・グンドルフがその師シュテファン・ゲオルゲの評伝の中で嘆いたのも前世紀初期のことだが、既に〈いわゆる知識人〉の病根が宿されていた。

 〈賤しい民〉とは当然、知識人を意識しているのである。彼らこそ大衆の中の大衆という風貌をしているのだが、これを追いかけるのが小論の目的ではないので、〈いわゆる専門家〉ではない専門家の話に戻る。

つづく

文・伊藤悠可

お知らせ

 何日も先に起こる複数のスケジュールを意識しながら、いくつもの異なるテーマについて準備をすすめ、しかも今日は今日の課題を果すという時間の綱渡りをつづけています。余り言いたくないのですが、「日録」の更新を怠っているのはこのようにいつも通りの状況だからです。

 6月から日本文化チャンネル桜の放送が正常に復しました。おめでとうございます。新開局皮切りのテレビ討論に誘われ、参加してきました。早速にも今夜放送ですので、お知らせします。

 

日本よ、今・・・闘論!倒論!討論!2009(142回目)
「これからの日本を考える」

● 平成21年6月5日(金)スカパー!219ch 20時~23時
         6月5日(金)インターネット放送「So‐TV」
● パネリスト:(敬称略・五十音順)

加瀬英明(かせ ひであき/外交評論家)
西尾幹二(にしお かんじ/評論家)
西田昌司(にしだ しょうじ/参議院議員)
西部 邁(にしべ すすむ/評論家)
西村眞悟(にしむら しんご/衆議院議員)
松原 仁(まつばら じん/衆議院議員)
宮崎正弘(みやざき まさひろ/作家・評論家)

● 司会:水島 総(みずしま さとる/日本文化チャンネル桜 代表)

コラム「正論」(その二)

 5月13日に岡崎久彦氏が、14日に村田晃嗣氏が私に先立って北朝鮮関連を産経コラム「正論」欄で論じているのをあらためて読んだ。

 岡崎氏は日朝正常化を目標として掲げ、手段として一兆円の代償を提言して、次のように言っている。

 私の提案はこれ(一兆円)を日米同盟の共同財産とすることである。即(すなわ)ち、日米による北との正常化交渉を一体化して、核計画の全廃と拉致事件の完全解決を一歩も譲れない条件として、米国が日韓両国を代表して交渉を行うことである。

 韓国は米朝、日朝国交正常化の最大の利益関係者であり、また、日韓正常化の際の補償との均衡の問題にも関心があろうから、参加は当然である。

 それだけ明確かつ大義名分のある目標があるならば、その実現まで今回のミサイル実験を契機として、いかなる厳しい(経済)制裁であっても、これを実施し継続する正当な理由がある。

文:岡崎久彦

 あくまで外交交渉で解決を図るという考えである。日本の一兆円を米国に委ねて、「米国が日韓両国を代表して交渉を行う」のだそうである。そして、この方法には「明確かつ大義名分のある目標がある」ので、今後北へのいかなる厳しい経済制裁をしても正当な理由があるから非難されないですむというのである。

 北朝鮮は一兆円をもらったら「核計画の全廃と拉致事件の完全解決」を必ずやってくれると信じている。米国まかせで、一兆円を米国の手を経てあの国に奉納しましょうという話である。

 何年も前に逆戻りしたような話である。村田氏も外交交渉で問題を解決するのが「現実的外交」であると言っている点には同じ考え方である。

 26日付の私のコラム「正論」を次に掲げておく。

■【正論】評論家・西尾幹二 敵基地調査が必要ではないか

 《《《戦争と背中合わせの制裁》》》

 東京裁判でアメリカ人のウィリアム・ローガン弁護人は、日本に対する経済的圧力が先の戦争の原因で、戦争を引き起こしたのは日本ではなく連合国であるとの論証を行うに際し、パリ不戦条約の起案者の一人であるケロッグ米国務長官が経済制裁、経済封鎖を戦争行為として認識していた事実を紹介した。日米開戦をめぐる重要な論点の一つであるが、今日私は大戦を回顧したいのではない。

 経済制裁、経済封鎖が戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対してすでに「宣戦布告」をしているに等しいのではないか。北朝鮮がいきなりノドンを撃ち込んできても、かつての日本のように、自分たちは「自衛戦争」をしているのだと言い得る根拠をすでに与えてしまっているのではないか。

 勿論(もちろん)、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁は当然だ、という言い分がわが国にはある。しかし、経済制裁に手を出した以上、わが国は戦争行為に踏み切っているのであって、経済制裁は平和的手段だなどと言っても通らないのではないか。

 
《《《北の標的なのに他人事?》》》

 相手がノドンで報復してきても、何も文句を言えない立場ではないか。たしかに先に拉致をしたのが悪いに決まっている。が、悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国など他の国の人々がそう思うかどうか分からない。武器さえ使わなければ戦争行為ではない、ときめてかかっているのは、自分たちは戦争から遠い処にいるとつねひごろ安心している今の日本人の迂闊(うかつ)さ、ぼんやりのせいである。北朝鮮が猛々(たけだけ)しい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵(ののし)っているのをアメリカや他の国は笑ってすませられるが、日本はそうはいかないのではないだろうか。

 アメリカは日米両国のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。そう思わないのは日本だけである。この誤算がばかげた悲劇につながる可能性がある。「ばかげた」と言ったのは世界のどの国もが同情しない惨事だからである。核の再被爆国になっても、何で早く手を打たなかったのかと、他の国の人々は日本の怠惰を哀れむだけだからである。

 拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、と分かったとき、経済制裁から武力制裁に切り替えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り替えないで、経済制裁をただ漫然とつづけることは、途轍(とてつ)もなく危ういことなのである。

 『Voice』6月号で科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルでの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語っている。「独裁国家が強力な破壊力をもつ軍事技術を有した場合、それを使わなかった歴史的な事例を見つけることはできない」と。

 よく人は、北朝鮮の核開発は対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だと言うが、それはアメリカや他の国が言うならいいとしても、標的にされている国が他人事(ひとごと)のように呑気(のんき)に空とぼけていいのか。北の幹部の誤作動や気紛れやヒステリーで100万単位で核爆死するかもしれない日本人が、そういうことを言って本当の問題から逃げることは許されない。

 
《《《2回目の核実験を強行》》》

 最近は核に対しては核をと口走る人が多い。しかし日本の核武装は別問題で、北を相手に核で対抗を考える前にもっとなすべき緊急で、的を射た方法があるはずである。イスラエルがやってきたことである。前述の「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する」用意周到な方法への準備、その意志確立、軍事技術の再確認である。私が専門筋から知り得た限りでは、わが自衛隊には空対地ミサイルの用意はないが、戦闘爆撃機による敵基地攻撃能力は十分そなわっている。トマホークなどの艦対地ミサイルはアメリカから供給されれば、勿論使用可能だが、約半年の準備を要するのに対し、即戦力の戦闘爆撃機で十分に対応できるそうである。

 問題は、北朝鮮の基地情報、重要ポイントの位置、強度、埋蔵物件等の調査を要する点である。ここでアメリカの協力は不可欠だが、アメリカに任せるのではなく、敵基地調査は必要だと日本が言い出し、動き出すことが肝腎(かんじん)である。調査をやり出すだけで国内のマスコミが大さわぎするかもしれないばからしさを克服し、民族の生命を守る正念場に対面する時である。小型核のノドン搭載は時間の問題である。例のPAC3を100台配置しても間に合わない時が必ず来る。しかも案外、早く来る。25日には2回目の核実験が行われた。

 アメリカや他の国は日本の出方を見守っているのであって、日本の本気だけがアメリカや中国を動かし、外交を変える。六カ国協議は日本を守らない。何の覚悟もなく経済制裁をだらだらつづける危険はこのうえなく大きい。(にしお かんじ)

平成21年 (2009) 5月26日[火] 先勝

6月のシアターテレビジョン

6月のシアターテレビジョンの各題目

 
     1、いい子ぶりっ子のアメリカの謎

     2、ヨーロッパの打算的合理性、アメリカの怪物的非合理性

     3、中国はそもそも国家ではなかった

     4、日本を徒に不幸にした「中国の保護者」アメリカ

     5、ソ連と未来の夢を共にできると信じたルーズベルト政権

【放送日 放送時刻】

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #6

放送日
放送時刻

06月01日
07:30  17:25  25:40 

06月08日
07:30  25:40 

06月15日
07:30  25:40 

06月16日
25:40 

06月19日
24:20 

06月22日
07:30  25:40 

06月29日
07:30  25:40 

シアターテレビ:スカイパーフェクテレビ262チャンネル

コラム「正論」(その一)

 足立誠之さんから以下のようなお励ましのおことばを頂戴しました。
感謝して掲示させていただきます。

西尾幹二先生

 前略、本日のコラム「正論」拝読いたしました。
 
 雑誌「正論」6月号で鋭くご指摘されたと同様、北朝鮮問題の本質を鋭くご指摘されたことで目を覚ます日本人もでてくると信じます。
 
 残念なことに、今日本が北朝鮮の核施設を破壊しなければ米国も中国もなにもしないで時を過ごし、核を搭載したノドンの前に日本が屈服するかたちに追い込まれるということを、政治家の誰一人口にしないのです。議員の一人としてそうした声を発するものがいなければ、アメリカも中国も北の核武装解除に動くはずはないのにです。こうしたことすら口にしない議員しかいないのは残念です。

 5月13日のコラム「正論」では岡崎久彦氏が、日朝国交正常化を日米共通の武器として対北交渉に当たれと論じました。その翌日名前は忘れましたがどこかの教授が、保守主義者に現実的になれと述べていました。これを読んで産経新聞はもう終わりだと思った次第です。
 
 特に岡崎氏にはあれほどアメリカに裏切られながら、日本の貴重な外交カードを裏切って間もないアメリカと日朝国交正常化を持ち出すという神経では、もう岡崎さんもおしまいだと思いました。

 先生の論文が世論を動かし、議会を動かし、政府を動かし、日本を動かすように我々も努力しなければならないと思います。
                                       足立誠之拝

 足立さん、ありがとうございました。
 本日のコラム「正論」の大意は10日ほど前にこの日録に書きました。丁寧に論を整えて先々週の終末に新聞社に渡しましたが、なかなかのせません。
 
 最初ゲラについていた見出しは「覚悟なき北制裁継続こそ危険」で、まあいいと思っていました。そして、昨日核実験の報道があったので、新聞社はやっとのせてくれました。

 ただし、見出しは承諾なしに変更されていました。
 
 新聞でご覧のとうり、「敵基地調査が必要ではないか」になっています。私の趣旨は、経済制裁はすでに日本の宣戦布告に等しく、明日ノドンを打ち込まれても不思議はない、日本人の大量核爆死を防ぐには敵基地破壊のほかに方法はなく、アメリカや国連に期待する時期はおわりつつあり、覚悟なき経済制裁はかえって危険である、したがって敵基地調査が必要であり、専門筋から知りえた限りでは、自衛隊の戦闘爆撃機で十分に対応できる、というものです。
 
 「専門筋」とは田母神さんのことです。
 
 足立さんがご推察のとうり、産経新聞は見出しの表現をわざとずらして、やっとのせてくれたのです。
 
 経済制裁は戦争行為という思想はパリ不戦条約の発案者からきています。私の論理を新聞で確認してください。
 

雑誌正論西尾論文「日本の分水嶺・危機に立つ保守」を読んで

ゲストエッセイ 
石原隆夫(いしはらたかお)
坦々塾会員

 

   西尾先生が「つくる会」を辞められて久しいが、当初は創業者としてその様な決断をされた事を私は訝しく又、不満に思ったものである。だが、辞められてからの西尾先生の多くのご論考を顧みれば、つくる会の箍を外れて自由奔放であり、それは左右を問わず日本人にとって眞に刺激的であり、似非保守の正体を白日の下に晒し、正に先生の面目躍如というべきであった。

 特に昨年の皇室問題に対する「直言」は、タブーであった分野に風穴を開けただけではなく、舟と乗客の喩えでご皇室と国民の関係を改めて問い直す重い問題提起であった事は、ご皇室に関心の深い層にはパニックを、比較的無関心な層にもそれ相応の関心を呼び起した事からも覗えるのである。

 西尾先生が懸念する左翼に取込まれたご皇室など考えたくもないのだが、一連の「直言」を読みながら感じた事は、保守の油断と御皇室への盲目的な信仰の陰で、日本の根本のところに仇なそうとする勢力が、密かに何事かを起しつつあるのではないかと言う事であり、そこから唐突に憲法第1条を想起したのである。

 言うまでもなく憲法第1条では、天皇の地位は国民の総意に基づくと書かれている。

 即ち、戦争や革命を起さなくとも国民の総意が変れば天皇の地位も危うくなると憲法は規定しているのだが、もしも天皇家に下世話な庶民と同様のトラブルが起るようなことになれば、国民のご皇室への特別な感情に変化が生じ、それに乗じた勢力が憲法第1条を悪用して國体を毀損しようとする可能性を否定できないのである。
 
 西尾先生の一連の「直言」は、その危険性を世に知らしめ、良からぬ勢力に警告を発し、國体の存続の為に天皇家のご覚悟をも促されたものと私は理解している。

 雑誌「正論」6月号の西尾先生の「日本の分水嶺/危機に立つ保守」は、昨今の日本を取巻く環境の激変とその原因について縷々述べられ、その鋭い論考は国家権力と天皇のあるべき姿に到達する。

 即ち、環境の激変は凋落する米国の中国への傾斜に原因があるが、日本の問題としては、1991年に冷戦が崩壊した時点で日米安保の必要条件が消え、日本は軍事的、政治的、外交的に自立する好機であったにも関わらず、実際には更なる対米従属の方向へ進んでしまった結果、自衛隊は米軍の機構に取込まれてしまい、権力の象徴たる軍事力を失った日本は世界の奇観だという。

 なけなしの軍事力である自衛隊が米軍の機構に組込まれても平気な日本は、軍事力の統率者が国家権力の掌握者であるという観点から見れば、力の源泉をアメリカに握られた日本には権力者がいないという逆説が成立つのだ。

 更に、ご皇室と権力との関係についても、歴史的に皇室を守ってきたのは常に権力であったが、いまやその権力がアメリカに握られているとすれば、ご皇室を守っているのはアメリカか?と、際どい日本の現実を曝け出してみせる。

 たしかに、外交も金融政策もアメリカの指示がなければ動けないばかりか、北朝鮮に国民を拉致され国家主権を侵されたというのに、「宣戦布告」して被害者を取戻し主権を回復する意志も力もないのだから、もはや国家とは言えない。

 そんな1億2千万の集団は危険な存在であり、世界秩序の観点からは、意志の明確な国家権力による統率は避けようがなく、戦後体制の復活で日本を永久に封じ込めたい米中の思惑が一致して日本の再占領となる、と西尾先生は予言する。

 三段論法的に言うならば納得せざるを得ない論理であるが、その冷徹な論理にはたじたじとするばかりである。ご皇室の守護者がアメリカだとの論理的帰結は日本人としては信じたくはないが、昭和20年の昭和天皇とマッカーサーの会見で、連合国の一部の反対を押切って最終的に安堵されたとも言える天皇家の存続を考えれば、あの時期、実質的にアメリカがご皇室の守護者であったと認めざるを得ない。
 
 その事がご皇室の記憶の中にその後もずっと残っているのかどうか、或はその関係がずっと続いているのかどうか、保守は今迄、誰も触れようとはしなかったが、西尾先生はその事の重大さを我々にこのご論考で提示しているのだ。

 悪辣なアメリカは日本統治のために守護者としてご皇室を利用し、一方では昭和憲法を日本に押しつけ、国民主権のもとで天皇の地位は国民の総意によるという象徴天皇制を時限爆弾のように仕掛け、いつでもご皇室を廃棄できるようにしたのである。

 西尾先生は昭和天皇について、<昭和天皇は占領時においてアメリカを受け入れるような姿勢をお示しになると同時に、うまく日本の伝統的な考え方を手放さずに、受容しかつ拒否する対応をなさいました。そのいい例はいわゆる「人間宣言」に際して、明治天皇の五個条のご誓文をも同時に提示して、明治からこのかたわが国には独自の民主主義があったことをアメリカ人にも日本人にも等しく暗示されました。>と、敗軍の将とは言え気概を示された事に言及している。

 上記のように気概を示された一方で、終戦前後に有った御退位の問題は複雑である。国内では終戦前の昭和二十年二月に、近衛公と高松宮が敗戦必至と見て天皇のご退位を密議し、木戸幸一内大臣が終戦前に将来退位問題が起るだろうと天皇に進言している。戦後では芦田均首相が退位論者であったようだ。

 一方国外では、御退位どころか終戦前からアメリカ始め連合国側は昭和天皇の訴追を規定の事実としていた。終戦2ヶ月前のアメリカ国民の世論調査では、天皇の戦争責任について「天皇処刑」33%、「裁判にかけろ」17%、終身刑11%という結果であり、天皇訴追は避けられない状況だった。

 ところが昭和20年9月の天皇マッカーサー会談の後、本国へのマッカーサーの進言により、連合国の天皇に対する処遇は、日本統治に欠くべからざる存在として徹底的に利用する方針に変ったのである。東京裁判が終った時、日本側の退位論に対し、マッカーサーが天皇に退位はなさらないでしょうねと聞いてきたが、天皇は側近を通じて退位しない旨マッカーサーに伝え、今、退位すると言っては信義に悖ることになる、と述懐されている。(昭和45年4月24日に稲田侍従長が承った要旨による)

 昭和天皇とマッカーサーとの間でどの様な話が交されたかは未だ不明だが、御退位がマッカーサーに対して信義に悖る行為であるという昭和天皇のご認識は、国際法無視の復讐劇だった出鱈目な東京裁判が終った時点でのマッカーサーに、日本統治の上でこの上ない自信をもたらしたことは疑いない事実だと思う。

 歴史にIFは禁物だが、連合国が当初の方針に従って昭和天皇を訴追し、仮にもA級戦犯として処罰したとすれば、マッカーサーの日本統治は失敗したに違いない。

 或は、東京裁判の後、昭和天皇が御退位されていれば、マッカーサーに対する国民の感情は敵対的になり、日本統治は成功しなかっただろう。そうであれば東京裁判史観が受入れられることもなく、アメリカに従属することもない代りに経済大国にもなれないが、自前の憲法を持った気迫に溢れた国家として国際社会でそれなりの地位を占めることが出来たのではないかと思うのだ。

 戦後の日本人には、アメリカの真意はどうあれ、天皇とご皇室を戦勝国の訴追願望から守ってくれたという錯覚があり、原爆や無差別空襲などのアメリカの残虐に目をつぶってきたのではないだろうか。しかし行き場のなくなった無念さの解消は結局、自傷行為にならざるを得ず、戦前の日本を痛めつける風潮が国民に広く支持されて、未だにその錯覚から醒めていないのが我国の悲劇なのだ。

 同様にその思いがご皇室にも有るとすれば、アメリカが憲法に仕込んだ時限爆弾の恐ろしさを関知することは困難であろう。現に今上陛下は、ご成婚50周年のご会見で、日本国憲法下の天皇のあり方が、天皇の長い歴史や伝統的な天皇のあり方に沿うものである、と述べられている。今上陛下のお言葉であるだけに、アメリカに押しつけられた問題の多い昭和憲法にお墨付を与えたことになり、政治向きの話題には今迄慎重であった筈の今上陛下のご発言だけに、その政治的な発言に驚きを禁じ得ない。

 保守陣営に程度の差はあっても、現行憲法の改正は悲願であり、安倍政権では国民投票法を成立させて憲法改正の下準備は整えたのだが、今上陛下の今回のご発言は保守にとっては大きな痛手である。天皇ご自身のお考えなのかどうかも気になるところである。

 西尾先生は上記の今上陛下のご発言に対し、天皇は権威であり象徴であって、権力を握ってきたのは武家であった、という「権権二分論」を念頭に置いてのお言葉ではないかと思われるが、「権力を握ってきた武家」が昭和二十年以来アメリカであり、しかも冷戦が終わった平成の御代にその「武家」が乱調ぎみになって、近頃では相当に利己的である、という情勢の急激な変化をどうお考え下さるのか、と問い、続いて、権力が消えてしまった情ない国に今なっていればこそ、今上陛下にこの国と国民を救ってもらいたいという思いは一方において切実です、と訴える。

 敗戦以来この方、昭和天皇から今上天皇の現在まで、日本の権力者はアメリカであり、従ってご皇室を守ってきたのはアメリカであったという目まいがするような西尾先生のご皇室に対する冷徹な論考であるが、一方では、困った時の神頼みならぬご皇室に期待し、この国と国民を救って欲しいと真情を吐露するのだ。

 この国と国民を国家破綻の縁から救い出すには、軍事力に裏打された国家権力を持たない政府にはなにも期待できないが、世界唯一の万世一系である天皇家の権威だけがそれを為すことが出来るのではないかと、西尾先生はご皇室にそのご決断を迫っていると私には思えるのである。

 ご決断とは守護者たるアメリカからのご皇室の自立である。その意思表示とは、アメリカの押しつけ憲法の破棄であり、改正憲法に於いては天皇の地位を元首とし、確固たる政治的責任を内外に明確に示し、国民に範を垂れる事である。謂わば、明治天皇と昭和天皇が述べられた「五箇条のご誓文」の精神を取戻すことではないのか。

 西尾先生は最後にこう述べる。
<しかし「象徴」が古代以来の日本の歴史によりふさわしいのであれば、アメリカに権力を奪われている国家の現状が日増しに不安定を増す恐れもあるので、皇室の安泰のためには、江戸時代のように京都にお住居をお移し下さり、より一段と非政治的存在に変わっていく方針をおとり下さり、改正憲法もそのような方向で考えていくべきではないでしょうか。いずれにせよ、わが国の体制、権力機構がこの儘でいくはずはないのです。動乱から皇室をどう守るかも、いち早く考えておくべき時代になってきたように思えてなりません。>と。

 憲法に於いて天皇の規定が「象徴」か「元首」かどちらが日本とご皇室の為になるのか、厳しい洞察を伴った問い掛けである。

 元首でない象徴天皇であっても、日本に於いては依然として天皇のお言葉は重い。

 だからこそ左翼は「天皇制」を批判し、「女系天皇」に賛成して天皇制の自然消滅を謀り、「開かれた皇室」と称して下世話なトラブルで失望を誘い、「昭和憲法死守」に賛成して国民総意の下にご皇室の法律的消滅を謀るのである。
だからこの度の今上陛下による昭和憲法第1条擁護のお言葉は、アメリカや左翼からは大歓迎に違いない。もしもこのお言葉で日本が憲法改正が出来ないならば、日本の運命は最早極まったと言っても過言ではないだろう。

 天皇とご皇室に、日本の危機は同時にご皇室の危機であるとのお覚悟がなければ、西尾先生のご提案のように,政治的環境の東京から文化伝統の京都へご遷座なさるのが日本の為なのかも知れない。しかし幕末から昭和20年迄の約90年に亘ってご皇室が政治の中心に御座した時代は、天皇と国民が一体になって日本に栄光を齎した時代でもある。時代錯誤と言う批判はあるかもしれないが、自立した日本を再生するには、天皇主権は無理としても、明治憲法を基にした改正憲法の下で天皇に主権の行使を幅広く委譲し、君臣一体の國体を再構築することではないかと愚考するものである。

あとがき
 雑誌「正論」6月号の西尾先生の「日本の分水嶺/危機に立つ保守」を読んで触発され、先生のご論考を下敷にして思うところを書いてみた。

 実はNHKのJAPANデビュー第2回「天皇と憲法」についての私の感想文をお読み戴いた先生からのメールで、正論のご論考についてどう思うかとのご質問があった。この拙文はご質問へのお答でもあるが、先生の怖ろしいほどの洞察力に狼狽えながら書いたものであり、ご皇室への思いが千々に乱れ途中で何度も止めようと思いながら書いたものである。従って文章としては纏りもなくまことに読みづらいものになってしまった。素人には荷が重すぎる宿題だった。

 この度のご論考は、皇室への直言に続く西尾先生のご皇室と日本に対する深い洞察と危機感に溢れた真の愛国の書である。保守はこの先生の問いかけに答える義務があるのではないか。

文:石原隆夫

経済制裁はすでに戦争行為

 パリ不戦条約(1928年)の提案者の一人であるケロッグ国務長官が「経済封鎖は戦争行為である」と証言していることを前提に、先の大戦では大々的に対日経済封鎖を行ってきたアメリカのほうが日本より先に攻撃をし掛けてきた侵略者であった、という考え方が成り立つという一文を最近読んだ。日米開戦をめぐる数多くの議論の一つである。

 話題は変わるが、私はこれを読んでふと不安になった。経済封鎖が戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対して、すでに「宣戦布告」をしているに等しいのではないか。北朝鮮がいきなりノドンを撃ち込んで来ても、かつての日本のように、自分たちは「自衛戦争」をしているのだと言い得る十分の根拠をすでに与えてしまっているのではないか。

 勿論、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁を加えたのは当然だ、という言い分が日本にはある。しかし、経済制裁を加えた以上、日本は戦争行為に踏み切っているのであって、経済制裁は平和的手段だなどと言っても通らないのではないか。

 相手がノドンで報復してきても、何も文句を言えない立場ではないか。たしかに先に拉致をしたのが悪いに決まっている。が、悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国などの他の国の人々がそう思うかどうかは分らない。

 武器さえ使わなければ戦争行為ではない、ときめてかかっているのは、自分たちは戦争から遠い処にいるとつねひごろ安心している、今の日本人の迂闊さのせいである。北朝鮮がたけだけしい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵っているのをアメリカは笑ってすませられるが、日本はそうはいかないのではないだろうか。

 アメリカは日米のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。そう思わないのは日本だけである。この誤算がばかげた悲劇につながる可能性がある。

 「ばかげた」と言ったのは、世界のどの国もが同情しない惨事だからである。核の再被爆国になっても、何で早く手を打たなかったのかと、他の国の人々は日本の怠慢を哀れむだけだからである。

 拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、そう判ったとき、経済制裁から武力制裁に切り換えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り換えないで、経済制裁をたゞ漫然とつづけることは危ういことなのである。なぜそれが分らないのか。

 『Voice』6月号で科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語っている。「『科学技術の歴史』という視点から見ても、独裁国家は強力な破壊力をもつ軍事技術を有した場合、それを使わなかった歴史的な事例を見つけることはできない。」と。

 北朝鮮の核開発は対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だと人はよく言うが、この通説は、真実から目を逸らす逃げの口実であるから、もうわれわれはいっさい口にすまい。たとえそういう一面があるにしても、アメリカがそう考えるのは許されるが、北の幹部の誤作動や気紛れやヒステリーで100万単位の可能性で核爆死する日本人がそういうことを言って問題から逃げることは許されない。

 あえて9条の改正をしないでも防衛のための先制攻撃は合憲の範囲である。パック3を100台配置しても間に合わない時が必ず来る。しかも案外、早く来る。イスラエルのような自己防衛の知恵と意志の結集が求められている。

 自己防衛力は民族の生命力の表現である。イスラエルにあって、日本民族にないはずはないだろう。

 4月1日の『中国新聞』に広島市立大広島平和研究所の浅井基文所長が「米国の脅威にさらされ続けた北朝鮮が、最後のよりどころとして核兵器を持っていることを理解すべきだ。」と北朝鮮に味方するもの言いをしているのを読んで、日本人は誰も何でこんなひっくり返ったバカな発言をする人間が同じ民族の中にいるのかと訝み、怪しんだ。しかしよく考えると北の言い分を代弁している浅井の言葉には、核の脅威の裏づけがあり、日本の経済制裁には何の軍事的裏づけもない。

 浅井の言葉を怪しみ、憐れみ、かつ笑うことができるのは、明日にも北の核基地を先制攻撃で破壊することに賛成している人だけである。経済制裁は平和的だからこの程度でさし当りまぁいいや、と中途半端に考えている人には浅井を笑うことは決してできないはずである。