私の新しいテレビ講演について

 シアターテレビジョン(スカパーのチャンネル262番)というのに5月から出演することになっている。

 どんなに大変な仕事かと思っていたら、同じ放送内容をくりかえし流すのがC.Sテレビの特性らしく、私の講演は各20分を5回(計100分)を一ヶ月くりかえし放送していたゞくことになるようである。

 「日本のダイナミズム」という総題の下に、5月のテーマは「現代を考える」ということで全5回、次の内訳である。

#1、 マルクス主義的歴史観の残骸
#2、 すり替わった善玉・悪玉説
#3、 半藤一利『昭和史』の単純構造
#4、 アメリカはなぜ日本と戦ったのか
#5、 日本は「侵略」していない

 放送時間帯は2種類あって、5月4日から毎日(月曜から金曜まで)午前6:30分より各20分間。4週同内容。

5月10日(日)16:00から100分間(全5回をいっぺんに)
同内容を16日(土)12:00から100分間
同内容を23日(土) 7:00から100分間
同内容を30日(土)18:00から100分間

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #1
西尾幹ニ/日本のダイナミズム #2
西尾幹ニ/日本のダイナミズム #3
西尾幹ニ/日本のダイナミズム #4
西尾幹ニ/日本のダイナミズム #5
西尾幹ニ/日本のダイナミズム #1~#5

【放送日 放送時刻】

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #1
放送日 放送時刻
05月04日 06:30 
05月11日 06:30 
05月18日 06:30 
05月25日 06:30 

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #2
放送日 放送時刻
05月05日 06:30 
05月12日 06:30 
05月19日 06:30 
05月26日 06:30 

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #3
放送日 放送時刻
05月06日 06:30 
05月13日 06:30 
05月20日 06:30 
05月27日 06:30 

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #4
放送日 放送時刻
05月07日 06:30 
05月14日 06:30 
05月21日 06:30 
05月28日 06:30 

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #5
放送日 放送時刻
05月08日 06:30 
05月15日 06:30 
05月22日 06:30 
05月29日 06:30 

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #1~#5
放送日 放送時刻
05月10日 16:00 
05月16日 12:00 
05月23日 07:00 
05月30日 18:00 

尚、テレビを見る方法は以下の通りです。

シアターテレビジョンご視聴方法のご案内

◎ 一番費用がかからず簡単でおすすめは、
  スカパー!のチューナーの
  レンタルサービスのご利用です。
   0120-816-550までどうぞ。
  標準画質(SD) 240円/月です。

  
なお以下はご参考まで
1 ハイビジョン(HD)は630円/月ですが、
  標準画質で十分です。
2 すでにスカパーにご加入の方はシアターテレビジョンご視聴方法のご案内

◎ 一番費用がかからず簡単でおすすめは
  チャンネル262・シアターテレビジョンを追加
  とおっしゃっていただければ手続き終了です。
3 アンテナの必要な方は、アンテナ代が
  別途5000円必要です。
  標準取り付け工事無料
4 スカパーにはじめてご加入の方は初回のみ
  加入料2940円かかります。

さらにご質問のある方はご遠慮なく
シアターテレビジョンまでお電話くださいませ。
03-3552-6665まで
(受付時間平日10時から18時)

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私の飢餓感

 私がブログの更新を怠っているのは、仕事に夢中になっていて時間がないためと思っていたゞきたい。四月は四つの雑誌に出稿し、新しいテレビの活動を始めた。

 久し振りに『正論』(6月号)に気合の入った論文を書いた。題して「日本の分水嶺 危機に立つ保守」(36枚)。日本は旧戦勝国のいわば再占領政策にはめ込まれている。窒息寸前の本当に危うい処にきている。

 私はこの論文で憲法改正のできない理由は、保守言論界が天皇と戦争の関係をきちんと問うことを逃げていることにあると書いた。九条改正後、宣戦布告をする責任主体は天皇以外の誰にあるというのであろう。ダメなのはリベラル左翼ではなく、問題を逃げる日本の保守である。

 『諸君!』(6月号)は最終号となる。7人の論客の大型討論に出席した。5時間の討論で、伝統、外交、政治、経済、歴史認識などを論じ合った。

 出席したのは田久保忠衛、櫻井よし子、松本健一、遠藤浩一、村田晃嗣、八木秀次、そして私、司会が語り手でもある宮崎哲也の各氏である。ゲラ刷りの修正整理が大仕事だったが、長大な討論をどうやって編集したのか、想像がつかない。

 各自でゲラに書き込みをするので話がつながらなくなってしまうのではないか、と心配している。本当はこういう長い討論は二度著者校をしないとうまく行かないと思うが、そういうこともなしで終った。何がどうなったのか、誌面をまだ見ていないので分らない。

 この大討論会でも私は上記の問題意識を問うているし、やはり日本の保守がダメなのだと言った。

 『WiLL』にもある事実の論証をメインの目的とする論文を書いたが、論証にまだ不十分な点があることが分って、ゲラの段階で今回の掲載を見合わせることにした。論証には外国への問い合わせなどを要するので、発表は2~3ヶ月先になるだろう。

 他には『撃論ムック』に先回の続篇を書いた。また今月のGHQ焚書図書の内容は「消された菊池寛の名著『大衆明治史』」である。

 人と討論したり、雑誌に書いたり、雑誌に書くために世界の情報を調べたりすることで物事を「考える」切っ掛けが増えるので、上記のような活動をいろいろ多様にすることは悪いことでは決してないが、私が今思い悩んでいるのは、こういう活動から一定の距離を持たないと本質的に「考える」ことは出来ないということである。

 今月は以上の通り、『正論』と『諸君!』の二冊に私の時局に対する明確な意見表明がなされているが、これから『諸君!』がなくなるし、雑誌言論界に少しづつ変化が生じるように思えるので、これを切っ掛けに私の生き方をも少し変えなくてはいけないと思っている。

 単行本で勝負するのがやはり筋だと思う。それも、評論集の類ではない。自分の主題をしっかり追った単一主題の本である。昨年私が出した5冊のうちで私自身がその意味で納得しているのは『三島由紀夫の死と私』である。

 単行本に打ち込むためには何ヶ月も、一年も、ときには二、三年くらいその主題への没頭が生活のすべてになるような生活をしなくてはならないのである。当然、雑誌その他からは離れることになる。

 昔は雑誌が連載をさせてくれた。だから両立した。『江戸のダイナミズム』は『諸君!』連載であった。今の余裕のない出版界ではその機会はほとんどない。私がいま企画しているのは世界の18世紀を考えるテーマである。大型企画である。今やらせてくれる処はない。

 毎月黙って30枚づつ書いて一年半書きつづければ500枚レベルの本は書ける。私の体力はまだ私にそれを許している。勉強するのは楽しい、という気力もまだある。『国民の歴史』と『江戸のダイナミズム』につづく第三作をどうやって実現するか。

 人間は易きにつくという性格がある。安易な方をつい選ぶ。雑誌に書いていると何となく集めて本ができる。今も新しい一冊の本の編集が進んでいる。時代への私の想いを表明した内容である。時代への私の危機の表明は――今月も先ほど冒頭で述べたように――本気であり、これからも消えることは恐らくないし、時局から目を離すことも恐らくないだろう。しかし私の心は満たされない。こんなことをやっていて、ただ時代に吠えただけで、そのまゝ死を迎えるのは耐えがたい。

 何か本当のことをまだ書き了えていないという飢餓感がつねに私の内部に宿っている。それは若い頃からずっとそうだった。心の中の叫びが表現を求めてもがいている。表現の対象がはっきり見えない。そのためつい世界の中の日本をめぐる諸問題が表現の対象になるのは安易であり、遺憾である。何か別の対象があるはずである。ずっとそう思ってきた。そして、そう思って書きつづけてきた。

 結局対象がうまく見つからないで終わるのかもしれない。私は自分がなぜたえず飢えを覚えて生きているのか、自分でもじつは分らないのである。

 話変わるが、5月から放映のはじまる新しいテレビの録画の仕事は二ヶ月分をすでに済ませている。そのことは次回に報告する。

坦々塾(第十三回)報告(三)

ゲストエッセイ 
足立誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 
元カナダ東京三菱銀行頭取/坦々塾会員

   西尾幹二先生

 前略、過日の勉強会でのご講義について以下申し上げます。
I
 3月14日のご講義は、時間軸の中で1907年前後、1942年前後を中心に、空間軸では中国を挟んだ日本とアメリカをご考察されたお話と承りました。

 1907年はアメリカでは大統領がセオドア・ルーズベルトからタフトに代わる頃です。タフトは日露戦争の最終段階である明治38年8月に陸軍長官として訪日し、朝鮮については日本が、フィリピンについてはアメリカが、フリーハンドを持つことを相互に認め合った桂・タフト協定を結んだその人です。ですから人的に見た変化は見出し難いのです。

 仰るとおりアメリカもそれまではヨーロッパと同様強国同士のgive and takeの外交であったと思われます。石井・ランシング協定がその最後の例でしょう。然しその後は確かにアメリカの対日政策は変化していることは事実であると思います。背景、原因については残念ながら私などには分かりません。考えたことがなかったからです。

 1941年8月の大西洋宣言で植民地の解放を鮮明にした点については以下のように考えます。

* 1 第一次大戦参戦に際してウイルソン大統領が唱えた民族自決の原則の理念化、理想化。
* 2 アメリカの大衆社会への変化がもたらした人々の意識の変化。
* 3 ルーズベルト政権内のコミンテルンエージェント、シンパの影響。
* 4 ヨーロッパ諸国に比べてアメリカは植民地喪失の打撃が少なかったこと。
* 5 日本がパリ講和会議で国際連盟規約に「人種平等」を盛る提案をしたことの影響。
の5点と考えます。

*1 ウイルソン大統領の掲げた参戦の大義名分である民族の自決は、オーストリア・ハンガリー、オスマン・トルコに従属する多数の民族の自主権、独立を回復させるということでしたが、それは理想化、理念化され、植民地支配を受ける人々にも適用されるべきであるという考えに結びつくものです。時を経るに従いそういう受け止め方が強くなりました。

*2 先生が以前記された通り、第一次大戦でアメリカの産業は大発展し、戦後の社会の質を大きく変えました。大衆社会の出現です。人々の生活の仕方、生きかた、考え方は大きく変わったのです。社会評論家であるフリードリヒ・アレンが1920代のアメリカ社会を描いた「オンリー・イエスタデー」によれば、女性がコルセットをしなくなり、母親が眉をひそめるような”フラッパー”な娘たちが現れ、従来の伝統や考え方は廃れていきます。ラジオが生活に浸透し、情報や理念の伝播がより大規模に急速におこなわれていきます。

 中国に関連することではパール・バックの「大地」がベストセラーになり、麻雀が大流行します。こうしてアメリカの大衆には中国へのロマンが掻き立てられ、好意的な雰囲気が生まれたと考えられます。 こうしたことでその後、コミンテルンのエージェントであったエドガー・スノーの「中国の赤い星」やアグネス・スメドレーのプレゼンスも大きくなったと考えられます。

 こうした変化の下で、植民地保有は悪であるという考え方がアメリカ国民に浸透し、コンセンサスになっていったのではないでしょうか。

*3 ルーズベルト政権内にはコミンテルンのエージェントやシンパが影響力をもっていましたが、マルクス・レーニン主義者あるいはそのシンパは当然植民地解放へとすすめる工作を含むものでありました。

*4 アメリカの領土拡大に関しては、メキシコから奪ったテキサスからカリフォルニアにいたるまでの併合領土は、ハワイも含め直轄領としての併合であり、植民地として得たのはフィリピンだけです。ですから植民地を手放すことでの損失はヨーロッパ諸国に比べると相対的に打撃は少ないものといえたでしょう。

 時代の変化に伴い植民地の保有がアメリカの理念を損なうことになることがはっきりしてきたとき、アメリカはフィリッピンの独立を認めるわけです。アメリカ議会は戦争前にフィリピンが1946年に独立することを認める決定をしています。このことは日本との戦争の原因に係わるものではないかと思います。

*5 これは全くの私見ですが、最大の理由は第一次大戦後のパリ講和会議で国際連盟の設立に際して日本が連盟規約に「人種平等」を入れる提案を行ったことに端を発しているのではないかと考えます。アメリカの反対でこれは実現しませんでしたが、時日を経るに従いアメリカに深刻な問題をもたらすことになったのではないでしょうか。

 アメリカ独立宣言は、人は生まれながらにして神の前では平等であるとしています。これはアメリカの理念であり、アメリカ人の世界に於ける位置づけ、意味付けをなすもの、つまりidentityをなしているのです。日本の人種平等の提案は、アメリカの現実がこの理念に反しているという痛点に触れるものでした。

 この問題で日本に先行され、痛点を突かれるということはアメリカの理念を揺るがすものです。この理念を打ち砕かれればアメリカ人のidentityは揺らぎ、アメリカの団結力が崩壊する危険を孕んでいる。そこにアメリカは危険を感じた筈です。

 アメリカが自己の無謬性を確立するためには、日本に先行して植民地解放のイニシャティブを握らなければなりません。そのためにフィリピンの独立を約束し、1941年の大西洋宣言になったわけではないでしょうか。

 戦争後アメリカは組織的な検閲と焚書により日本を人権と民主主義とは無縁な国であるという虚構を日本人と世界の人々に刷り込みました。

 アメリカは自国が常に正しい、相手国が人権と民主主義に無縁な侵略国家であるとし、日本に鉄槌を加えアジアの平和を回復したという虚構を作り上げました。

 それの最大の目的は自国民を団結させる理念、identityのためであり、日本人から記憶や事実上抹殺することにあったのではないでしょうか。こう考えていくとアメリカの対日戦争の目的はベルサイユ会議で日本が提案した「人種平等」の事実を抹殺することにあったのかもしれません。

 そうだとすると大東亜戦争の発端は1919年であり、日本がどんなことをしてもアメリカの戦争への意図から逃れることは出来なかったのかもしれません。

II.「あの戦争」論者について。
 
 3月14日のお話の中で、シナの驚くべき実態についても触れられました。日本人もアメリカ人も中国の実態について余りに無知です。特に戦前の中国の地方についてはまるで知られていないのです。

 義務教育制度が整うのは日本に遅れること100年の1980年代で、90年に李鵬首相が70%強の児童が小学6年までいくようになったと実績を誇ったのですから。

 都市土地法の関係は今でも外国との関係同然です。大陸で選挙による政権は未だに存在したことがないのです。戦前は殆どの国民が文盲でしたし、形は兎も角内容は常に独裁国家なのです。

 所謂昭和史家が「あの戦争」の評価に当たり①対象期間を昭和3年から終戦までに限定しており、より長い歴史とのつながりを全くかえりみていないこと②戦争の原因を自らのみにもとめ敵国についての研究が皆無に近いことをお話しされました。その通りであると思います。

 更に言えば、先生のご研究による”焚書”がおこなわれたことが全く無視され、”焚書”された資料が全く研究されていないことです。つまり”昭和史家”達は”焚書”により掃き清められた後にわざと置いておかれた”資料”を”発掘”しては彼等の”昭和史”を構築したのです。

 正にアメリカの狙い通りになったわけです。

 1941年の大西洋宣言はその布石であったのであり、そうしたフレームワークを構築するきっかけとなったのはベルサイユ会議で日本が行なった「人種平等」提案であったと考えられるのではないでしょうか。以上独りよがりの意見ですが敢えて申し上げる次第です。早々

足立誠之拝

西尾幹二先生

 前略、一昨日お送り申し上げました掲題に係わる私見に以下追加申し上げます。

 アメリカの対日開戦の大きな原因の一つは第一次世界大戦とその後の講和会議、国際連盟樹立に係わる日本とアメリカの対立にあると考えます。
 
 第一次大戦のはじまりに際し、アメリカは中立の態度で臨みます。一方日本は開戦後暫くして対独宣戦を布告し、青島要塞を攻略しますが、それだけではなく、その後ドイツ領であったマリアナ、カロリン、マーシャルの各諸島を占領しました。そして戦後の講和会議ではこれらの島々を委任統治領にするわけです。これは アメリカにとり大きな脅威になった筈です。なぜならば米本土、ハワイと植民地であるフィリピンを結ぶ通商航海路に日本が楔を打ち込む形になったわけですから。

 アメリカが中立の立場を破棄し英仏側に立って参戦する1917年には、もう太平洋に於けるドイツの領土を得る機会は失われており、戦争の帰趨を決定する重要な役割を担いながら得られるものは殆どなくなっていました。
  
 こうした情況の中で国民を戦争に駆り立てるにはそれなりの理念、スローガンが必要であった筈です。
 
 ウイルソン大統領の唱えた民族自決はこうした理念、スローガンで、アメリカが道徳的に世界をリードする意味が包含されていた筈です。この道徳的な「世界のリーダー」たる自覚、自尊心は、日本が国際連盟規約に「人種平等」を提案したことで脅かされることになったと考えられます。

 日本はこの戦争で中国においてと西太平洋においてと両方で新たな権益をえていますが、ヨーロッパ戦線への派兵要請には応じませんでした。犠牲を払わなかったことになります。

 アメリカはヨーロッパ戦線に大軍を派遣し、犠牲を払いました。こうした情況下でアメリカが有色人種国日本に道徳的なリーダーシップを奪われることは耐え難いことであったと想像されます。
 
 アメリカはこのとき「人種平等」に反対したからです。
 
 このことはその後の世界に於けるアメリカの道徳的なリーダーとしての資格にとり致命的な打撃を与える恐れを孕むものであった筈です。

 やがて第二次大戦が終結し対日占領が始まるとアメリカは直ちに”検閲”と”焚書”の実行開始を手掛けました。”検閲”と”焚書”をあれほど極秘裏に組織的に行なうためには相当の計画性、準備が必要でしょう。
 
 ”検閲・”焚書”は連合国最高司令部(GHQ)の下で行われた形になっていますが、ポツダム宣言に違反するこうした行為がマッカーサーの発意で行われる性格のものではなく、ワシントンの指令により、ワシントンから派遣されたスタッフによって行われたことに間違いはないでしょう。ルーズベルトはアインシュタインの忠告に従い、ナチスに先行する原爆開発のためマンハッタン計画に着手します。

 ルーズベルトは対日戦争での軍事的勝利には自信を持っていたと考えられます。彼はただ単に日本に対して軍事的勝利にとどめることなく、更なる目標を定めていたのではないでしょうか。
 
 むしろ対日戦争の本当の目的は、軍事的な勝利の後に置かれていたのではないでしょうか。
 
 つまりあのベルサイユ会議で日本が「人種平等を提案した」その事実を歴史上から抹殺することです。そうでなければ、そのときに「人種平等に反対した」アメリカが世界の道徳の中心から滑り落ちる可能性を残すことになるからです。
 
 そしてそれは見事に実現しました。
 
 日本は戦後アメリカにより自由も民主主義も人権思想もあたえられたという神話が日本国民に刷り込まれ、世界中の人々にも刷り込まれ、今日に至っているのですから。
 
 昭和天皇のお言葉については今まで多くが記されていますが、殆どは第三者の記録であり、その本当の内容、陛下のお心を正確にお伝え申しあげたものは少ないと考えられます。然しはっきりしたご発言がのこされています。
 
 それは陛下が「不幸な戦争」の原因に触れられたときに、ベルサイユ会議の際に日本の「人種平等」提案が廃案されたことに言及されておられたことです。終戦のご決意を先帝陛下が下されたことで分かることは、先帝陛下が他のだれよりも卓越した洞察力をお持ちであり、俯瞰図を描いておられたことです。

 以上先帝陛下のおことばまで記すことはおそれおおいことですが、私には遠因は第一次世界大戦、ベルサイユ会議での「人種平等」問題であると思えるのです。
草々

足立誠之拝

坦々塾(第十三回)報告(二)

 3月14日の坦々塾のことはすでに一度報告がなされている。その後私のあの日の講演についていくつも感想が送られてきた。最初にご紹介するのは坦々塾の事務局長の大石朋子さんのコメントである。
 

先生のお話の中で、日本は戦争の目的は自存自衛であったがアメリカの目的は何だったか?
私はこの事については考えたことがありませんでした。

ヨーロッパと異なりアメリカは輸出国になって植民地を求める必要がなくなったので戦争を行う必要は無いということですよね?
ヨーロッパ諸国と違い戦争に慣れていなかったから、日本という国に対して恐怖だったという理由だけで戦争し、原爆を落としたのだとしたら、アメリカほど罪深い国を先進国として見習ってきた日本の教育は、つくる会の教科書により歴史を学び直す必要があるということを改めて感じました。

そして西尾先生のGHQ焚書図書開封を多くの人に読んでもらいたいと思いました。

日本はアメリカをヨーロッパの一国と勘違いしていた。
ヨーロッパには有る秩序が、アメリカには無いという事を理解できなかった。
そういう勘違いは私達の身近なところでもあることで、外交の難しさは当時のまま今に至っていると思えます。

私は先日の黄文雄先生の講座を受講したときの事を思い出し、逆にアメリカは日本と中国を同じアジアの国として一つに考えて本当の日本の姿を理解していなかった為、叩きのめすということに躊躇しなかったのだと思いました。
同じように日本がアメリカを理解していなかったのですから、お互いの理解不足から戦争が起きたと考えて良いのでしょうか?

ここ何年かでアメリカが中国に近づき始めたことは、足立誠之さんに以前お話いただいたUSCCを考えると、両国が近づいたから親しくなったと考えるのは間違いであると思います。
日本は情報収集が容易な国であることは中国と比べようがありませんがUSCCの研究が物語っているようにアメリカが中国の情報を収集しようとしているエネルギーを知ると、真のパートナーと考えているとは思えませんが、アメリカと中国で建築基準法を国際基準にしようと日本の頭越しに約束しているところを知るとこれまた自国の利益に走るアメリカの真意が疑問です。

今日の西尾先生のお話でそんな事を考えました。

文章:大石朋子

 日本はなぜアメリカと戦争をしたのか、とばかりわれわれは問うて来て、アメリカはなぜ日本を相手に戦争をしたのかと日本人はこれまで問わないできた。

 アメリカの鈍感さと無作法ぶりは、金融危機以来ますます目立ってきた。1920-30年代のアメリカの無軌道ぶり、傍若無人が問題のすべてだった。歴史は新たに読み直される必要がある。日本人の負け犬根性を叩き直すためにも、歴史が鍵である。

 いま発売中の西村幸祐責任編集の『世界に愛された日本』(撃論ムック)の私の連載第7回「アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか、と問うべきだ」(一)に、坦々塾の私の講演の前半部分が掲載されている。

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 さて、坦々塾の会員の浅野正美さんが次の感想をくださった。立派なご文章である。私を過分に褒めて下さっている部分だけ削ってご紹介しようと思ったが、それも不自然になるので原文のまゝにする。私は少し羞しいし、知らぬ第三者の読者は鼻白むかもしれない。

 浅野さんは(株)フジヤカメラの営業部長さんで、49歳である。一度だけご一緒にお酒を飲んだことがある。そのとき彼が私を評して「西尾先生はご損な性格のかたですね。」と仰ったことばに私は少し傷ついた。

 私が何でも大胆に発言するのを損な役割だと評する人は世に多い。私は私なりに慎重な発言をしているつもりだが、他人から見るとそうではないらしい。

 たゞ私は損をしているとか得をしているとかいわれるのが好きではない。浅野さんにそう言われたとき少しムッとなった。私の文業が実績どおりに社会から評価されていないのを哀れと思って彼は「損をしている」と言ったらしいのだが、そう言われると私はますます不愉快になった。

 私には私の「神」がいるのだからご心配には及ばぬ、と言いたかったが、そのときは黙っていた。次に掲げる感想文を今度拝読して、私は浅野さんを誤解していることに気がついた。そしてホッと安堵した。有難いと思った。

 浅野さんは私が考えていたよりもずっと深い処で私を理解してくださっていると判ったからである。

 以下はそんないきさつがあってのご文章である。私のこのような心の内側の打ち明け話に浅野さんもきっと今びっくりされるているだろう。

毎回の西尾先生の講義を拝聴し、それぞれの講義のために費やされたであろう多大な事前準備と、思索の深さにいつも圧倒され、襟を正す思いがしています。先生のお話には独特のリズムとメロディーが感じられ、名曲を楽しむ心地に似た感興も味わっています。これは、活字にはない臨場感と一回性によるものだと思いますが、そうした場に居合わせる幸福は、私の生活にとって何よりも贅沢な時間となっています。

それぞれの講義と精力的なご執筆からは、いつも深い感銘と刺激を受けて参りました。無学な私が感想をなど大それたこと、もとよりお忙しい西尾先生の貴重なお時間をお煩わせすることは本意でないと考えておりましたが、勇気を持って書かせていただきました。

前回の坦々塾のことに限定せず、この一年余り、先生の謦咳に接する機会を得た中で受けた思いを述べさせていただきたいと思います。

この一年、先生からはたくさんの話題が講義や活字で語られてまいりました。金融危機に始まる世界経済の問題。雅子妃殿下をその本質とする皇室問題。三島由紀夫。田母神発言。焚書図書開封。そしてそれらすべてに通奏低音として流れている歴史認識問題。先生は常々、歴史とは現在の人間が過去を裁くためにあるのではないといいます。

また年代記の羅列や、事実とされていることだけを客観的に重視することにも異を唱えます。歴史とは、そのとき、その場に居合わせた人間の営みが産み出した悲喜劇であり、人間の存在とその思考結果、未来に対する期待を考慮しない歴史叙述は不毛であるとして、そういった歴史認識を徹底的に批判します。

歴史は未来からやって来る。

歴史に事実はない。事実に対する認識を認識することが歴史観である。

事実は動く。登山者の目に入る眺めが一歩ごとに変わるように。

相対性の中に絶対を求める。

上記の言葉は、講義の中で先生が語られた中から、特に印象に残ったものをノートから拾い出したものです。どの言葉にも、歴史の本質を捉えるにあたり、我々が肝に銘ずべき事柄が,短い表現で的確にいい表わされています。複雑極まりない人間の綾なす歴史を考える上で、大変示唆に富んだ表現となっています。愚鈍な私は、歴史とは通史のテキストを読めば学習できるものと考えておりましたが、そういった無機質な歴史理解こそ最大の誤りであったということを思い知らされました。

藤原定家は、古今集を編纂するにあたり、「文学は経国の大業にして不朽の盛事なり」といいました。定家は文学の意味を、物語、詩歌に限らず、言葉で書かれたあらゆる事象であると解釈し、物語を小説、歴史を大説と定義、物語も歴史も哲学も宗教も、およそ言葉で書き記されたものはすべて文学であると、そのように考えていたといいます。先生の歴史に対する真摯なお姿と、同胞に対する限りない慈しみや思いを伺いながら、先の定家の言葉をふと思い浮かべました。何かが共通するというのではないのかも知れませんが、先生の歴史観には文学者の視点があると感じておりますので、定家の言葉を連想したのかと考えています。

文学とは、何よりも人間の本質を追究することに主眼があるとすれば、人間が引き起こす歴史から学ぶということは、紛れもなく文学的な営為ではなかろうかと、そんなことをぼんやりと考えています。

かつて先生は、建前や偽善は、それをつねに言い続けることで、いつかそのことが習い性となってしまい、何ら本質に触れないきれい事だけの社会が醸成されてしまう、ということをお話しになったことがあります。人間が人間と関わり合って行くためには、そのような社交術は不可欠でありますが、個人も国家も利己的な存在であるという最低限の認識を持たないナイーブさは、とても危ういものに思えます。

話はそれますが、私の子供達が在籍した小中学校では、10年以上同じことを言い続けています。一つは「夢は必ずかなう」であり、もう一つは「地球温暖化防止」です。温暖化がブームになる前は「地球環境に優しく」でした。

授業でも、課題でも、また折々の行事の訓話においても、必ずこの言葉はセットで語られています。私も負けずに、我が子に向かって「夢は滅多にかなわない」「温暖化防止よりも大切なことがたくさんある」と言い続けなければなりませんでした。「夢は必ずかなう」などということが嘘であることぐらい、現場の教師はとっくに知っているにも関わらず、事なかれ主義と大勢順応で子供達に誤った考えを浸透させています。

普通の認識力があれば、ある程度の年齢を重ねることで、そういったことは幻想であることに気がつきますが、恐ろしいことに、多くの愚かな母親がその言葉を信じてしまうという現実が出来してしまいました。

偽善というものは、見かけは正しく、美しい言葉で飾られていますが、実体はただのきれいごとに過ぎません。そんな理想的な社会は決して実現しません。教育もマスコミも、自分のことは棚に上げて建前ばかりを喧伝して恥ることなく、社会にはそれを是とする嫌なムードが蔓延しています。営利を目的とする企業経営者の中にもそういうことを言う人が見受けられます。

多様性の中に絶対を求める。その多様性が、外の国からもたらされ、それを絶対として信じてきたのが戦後の日本人でした。自らの相対を、我が国の絶対にすり替えたのは、米国であり中国・韓国でした。さらには、相対そのものを捏造するというところにまで、事態は進んでしまいました。今や日本人が内部から外部の相対を絶対視するまでになってしまいました。自ら考えることを放棄した結果でしょうか。

人間は自ら考えることをしなければ、どんなに誤ったことでも信じてしまうほどに弱い存在であるということを、最低限このことを肝に銘じていきたいと思います。

先生の歴史観から受ける何よりの感動は、つねに人間を通して歴史を見るという姿勢にあります。人間の考えは実証できない、などという言葉の何と虚しいことかと思います。人は平気で嘘をつきます。

自らの利害のためであれば、他人をだますことも裏切ることもあります。その同じ人間が高い使命感や、理想のために、自己犠牲もいとわずに行動することもあります。一個の人間の中にすらこのような矛盾する要素が同居して、平気で折り合って生きています。先生は哲学や文学を通してつねにこの不可思議な人間の本質を追究してこられたからこそ、歴史の解釈に血が通っているのではないかと思います。

今でも印象的な場面があります。先生が小学生時代のこと。尊敬する人物として豊臣秀吉をあげたところ、教師から「秀吉は封建主義者だからだめだ」と言われます。それに対して小学生の先生は、こう反論します。封建時代に生きた人間が、封建主義者であるのは当たり前である。人は生まれた時代と、時代の価値観からは逃れられないのであり、その制約の中で精一杯生きていくしかないではないか。その論理でいけば、将来民主主義が否定されれば、あいつは民主主義者だったからだめだ、といって現代の人間を否定することになる。坦々塾に集うほどのメンバーであれば、民主主義の欠陥や欺瞞性は充分わかっていますから、この件では、場内拍手喝采となりました。

前回の坦々塾では、今もまだ厄介な隣人である米国について、何故米国は日本と戦ったのかという疑問が堤呈示されました。米国という国は、腑に落ちない行動ばかりする。いい加減で大袈裟、相手にすると途方に暮れ、世界が翻弄されてきた。知性は幼稚で幻想的である。

日本と欧州は、歴史的に封建時代を経験している。また、ルネッサンスや宗教改革といった文化体験も積んできた。そういった歴史の蓄積によって、双方の社会には文化的成熟が蓄積された。

文化の基底に理解し合える土壌があるが、米国と中国はそういった体験を経ていないため、無秩序である。この話を聞いて日頃疑問に感じていた両国の、大人になりきれていないような振る舞いに納得がいく思いがしました。

その幼稚さがディズニーランドや、大袈裟で騒がしいだけのハリウッド映画を産み出す原動力になっているのかも知れませんが、日本がそういった米国娯楽マーケットの有力な得意先になっているという情けない現実も一方にあります。

勉強会の終わった後、会場でとったノートをもう一度書き写すようにしています。その場では書けなかったことも、思い出せることは付け足すようにして、毎回復習をしています。そうそうたるメンバーの皆様を拝見すると、気後れすることばかりであります。不肖な教え子ではありますが、これからも祖国への強い思いを、先人が未来に向けた理想と期待を、歴史を通して現在を見るという姿勢を貫いて行こうと思っています。

坦々塾の塾生でいられる幸運をかみしめつつ。        文章:浅野正美

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福井雄三『板垣征四郎と石原莞爾』の序(二)

言葉の最も正当な意味における歴史の書 つづき

 本書は時間的にだけではなく、空間的にも、国内の政治家や軍人官僚にだけ目を向ける凡百の昭和史の狭さを排しています。独ソ戦の推移やイギリスの対米謀略やアメリカの参戦の動機不明など、軍事的外交的に世界全体をたえず見渡しながら日本のそのつどの行動を点検し、批評していくという視野の広がりを示しているのが、読む者に信頼と関心を惹き起します。

 そして、最も興味深いのは、日本が北進してソ連を正面の敵として戦えばアメリカは参戦の口実を失い、ドイツとの挟撃戦に成功して、これが第二次世界大戦に対する日本の唯一の勝機ではなかったかと問うている点です。

 勿論、歴史にイフ(もしも・・・・ならば)はありません。しかしこの仮説が歴史の反省に有効なのは、日本の陸軍は大陸で戦うように訓練され、太平洋の島々や密林の中で戦うように仕組まれていなかったこと、ノモンハンの戦いが必ずしも敗北ではなく、ソ連の伝えられる超近代兵器が張子の虎であったこと(それらは戦後も最近になって国民にやっと分かって、後の祭りですが)、なぜ当時正確な勝算の情報が中央に伝わらなかったのかの遺憾も含め、上海に軍を派遣するなど海軍の意向が強く働き、南進に政策が傾き、結果としてアメリカを正面の敵として迎えざるを得なくなったこと、等々が、筋道立って述べられている点です。

 著者は戦後の論調が海軍に好意的であることに対して批判的です。陸軍は大陸で戦えば、当時地上最強の軍であったと言います。へたな作戦で彼らを海中の犠牲とし、密林で餓死させた南進策を徹底的に批判しています。

 勿論、終わってしまった運命を責めるすべはありません。しかし、今にしてみれば明らかに失敗であった日本のアメリカとの戦争を、別様に歩めば避けることもできたのにといって、戦後しきりに歴史を否定し、断罪するのも、後知恵である点ではまったく同じであって、あまりにも安易に過去を現在から裁いている例が多いのではないでしょうか。

 次の一文は、著者がいかに過去を、その過去の時代に立ち還って見ているかの好例です、

 「ドイツとの枢軸関係が、結果的に日本をアメリカとの戦争に追い込み、日本を破滅させることになったとよく言われるが、これはあくまで後世の後知恵による判断である。日本がドイツに接近したのは、国際的孤立を解消するためとソ連の脅威に備えるためで、アメリカとの戦争など誰も予想していなかった。アメリカはこの当時伝統的な孤立政策の中で、国民は圧倒的に戦争反対であり、少なくとも板垣陸相のときに、ドイツに接近することが即アメリカとの戦争になる可能性などなかった。

 その後国際情勢は猫の目のように激変し『昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵』で、複雑怪奇をきわめた。このような状況の中で一寸先は闇であり、明日の状況などどうなるのか、誰も正確に読むことはできなかった。刻一刻と移り変わる国際政局を見すえながら、あたかも博打を打つように、その瞬間に感じて対応していたのである」

 そうなのです。あの時代を少し詳しく調べると、ここに書かれてある通りなのです。これが歴史を見る心、歴史を書く心なのです。

 ですから、日本はなぜ愚かにもアメリカと戦争する羽目に陥ってしまったのか、といって、自国の政治家の迷走をしきりに責める今までの考え方はもう止めて、逆に、アメリカはなぜ日本を敵に回して戦争する気になったのか、その見識のなさ、判断力のいい加減さ、右往左往ぶり(結果としてアメリカは大損しているのですから)をむしろ問うことが同じくらい必要だということに気がつくでしょう。

 三国同盟は、アメリカが対日戦争を実行するに至る明確な戦争目的などにはなりえません。日本よりも、アメリカのあのときの行動のほうがはるかに謎めいています。日本が仏印進駐をしたからといって、アメリカに何の脅威があったというのでしょう。最後に原爆まで落とすほどの戦争をする必要がアメリカのどこにあったのでしょう。

 戦後60余年封じられていたこの新しい設問を呼び覚ますことも本書は可能にしてくれます。本書は最も言葉の正当な意味における歴史の書だからです。

 1938年、五大臣の会議で日本は「ユダヤ人対策綱領」を定め、ユダヤ人を排斥しないことを政府の国策として正式に表明しました。この方針を提案し、その成立に最も熱心に尽くしたのが板垣征四郎でした。朝鮮軍司令官に赴任してからのある日、板垣は朝鮮のある知識人に、「朝鮮は近いうちに独立させなければならないね」とふと語り、相手を唖然とさせたともいいます。

 20世紀の「人種問題」において、日本はナチスドイツとは正反対の位置にいました。ひょっとすると黒人問題を抱えるアメリカとも正反対の位置にあったのかもしれません。日本は第一次大戦後のベルサイユ講和会議で「人種平等案」を提訴して、アメリカ代表に退けられ、否決されました。アメリカが日本を憎んで、わけのわからぬ不合理な行動をくりかえすようになった発端は、案外にここにあったのかもしれません。

福井雄三『板垣征四郎と石原莞爾』の序(一)

 昨年知り合った友人・福井雄三さんの新刊の本の草稿を読んでいる。『板垣征四郎と石原莞爾』という題で、4月下旬にPHPから刊行される。

 この本に序文を書いて欲しい、と著者ご本人と版元から頼まれ、序文を書くには丁寧に二度読むくらいの念の入れ方が必要なので、この二ヶ月他の事をしながらのかなり大変な仕事量だった。序文は13枚になり、3月29日に書き上げることができた。

 とてもいい本である。苦労し甲斐はあった。以下に二回に分けて序文を紹介する。

 著者の福井さんは大阪青山短期大学准教授、55歳。『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』『司馬遼太郎と東京裁判』の二冊の司馬批判の本はすでにかなり知られている。カール・カワカミ『シナ大陸の真相』の訳者でもある。

 言葉の最も正当な意味における歴史の書

 板垣征四郎と石原莞爾という共に満州国建国に関わった二人の軍人をその生い立ちから説き起こし、二人の出会いと、交差する活動歴を描いた本書は、一見個人的な友情物語のように思われるかもしれません。私も最初しばらくはそう思って読みつづけました。しかし間もなくそうではないことに気づきます。

 この本の主人公は歴史なのです。あの最も困難だったわが国の昭和前半の歴史が著者の関心の中心です。著者は激動の歴史を世の通説をはねのけるような新鮮な筆致で、ときにエピソードを混じえ、ときに大胆な新しい史観をもち出して語っています。

 著者には軍事史の知識があり、外交史の観点もあります。昭和史を狭い国内の政治史にしていません。政治家の過失と軍人官僚の愚かな判断ミスの歴史として描くにしては、あまりにも日本人の尚武の気質は美しく、挑戦した文明上の課題が大きかったことを、著者は知っているからです。

 そう思いつつ読み進めていくうちに、私はふと気がつきました。成程、この本の叙述の多くは国家の歴史に当てられ、個人史の記述は少ないと今申しました。しかしながら板垣征四郎と石原莞爾の生い立ちも活動歴も、相互の信頼や友情も、家族のエピソードも、満州国建国をめぐる日本の歴史と切っても切り離せない関係にあります。あの時代は個人を個人として語っても叙述になりません。日本人の歴史、とくに軍人の歴史は国家の歴史といわば一体でした。本書の題名に秘せられた著者の深謀遠慮はこの辺りにあるのだと思いました。

 本書の主人公は個人ではなく、右のような意味において歴史だとくりかえし言いますが、それなら著者の描き出した激動の昭和史はどういう内容のものでしょうか。どなたもお読みになればすぐ分かることについて、へたな解説は避けたいのですが、今までに例のない新しい日本史であることは明らかです。石原莞爾のことはこれまでも何度か論じられ、研究されてきましたが、板垣征四郎を正面きって尊敬と愛情をこめて肯定的に描くのですから新しくないはずはありません。

 処刑されたA級戦犯板垣は悠揚せまらぬ大人物として、偉大な実行家として、軍事思想のいわば天才であった石原を抱擁するように歴史に登場し、満州国建国の壮大なドラマを演出します。本書はそのいきさつを今の時代に得られる学問的知見を駆使して叙述するのですが、前にも述べた通り、二人は中心をなす点として扱われ、それを取り巻く歴史の全体像が面として展開されます。

 戦後出た日本史専門家によるほとんどすべての昭和史は、時間的にも、空間的にも、わが国のあの時代の歴史を小さく狭く区切って限定的に論述する例が大半だといってよいでしょう。時間的には昭和3(1928)年から昭和20(1945)年までと限定したがります。それは日本を占領した連合軍(GHQ)の都合によります。日本の軍事行動を1928年の不戦条約に違反した「侵略」であったとする、東京裁判の一方的で無理な規定を押しつけてくる政治的な動機があるからです。

 とかくの日本史叙述を思い出して下さい。張作霖爆殺事件(1928年)から日本史は迷走の時代に入った、とか、あるいは満州事変(1931年)から中国を侵略する15年戦争が始まり、日本は暗黒時代に突入した、などといった歴史家の紋切り型のもの言いは、恐らくどなたの記憶にもあるでしょう。今でも日本人の歴史学者がGHQの呪縛の下にある証拠です。

 また空間的にも、歴史学者はわが国のこの時代を狭く限定的に眺め、世界史の中に置いて描こうとしません。天皇と西園寺の言動、内閣が小刻みに替わる政治指導力のなさ、軍人の無分別と横暴ぶり、愚かな中国侵略の無方針な拡大、そしてついにアメリカの逆鱗に触れた揚句の大戦突入――日本の指導層の言動はことごとくウスラ馬鹿のトチ狂いと言わんばかりの描き方のなされる歴史叙述が受けていて、よく読まれています(例えば、半藤一利『昭和史』)。叙述の舞台を国内に狭く閉ざし、たとえ外国の動きを描くとしても、国内から見た外国の姿にとどまります。

 しかしあの時代には中国大陸をめぐって、イギリス、ソ連、アメリカはもとよりドイツまでもが日本軍の動きに介入し、謀略の限りを尽くして中国人の抗日活動を煽り立てていました。また日露戦争以来、日本はイギリスの金融資本の支配の網につかまっています。コミンテルンの策謀が史上最も効果的に世界中の知識人の頭脳を蠱惑(こわく)していた時代でもあります。

 アメリカ人宣教師が中国各地でいかに狡猾な排日煽動を重ねていたか。第一次大戦に敗れたドイツが軍備温存のために革命後のソ連に接近して、さらに中国に軍事顧問団を派遣し、蒋介石軍を手とり足とりして指導したことがいかに日本を苦しめたか。日本はあの時期、世界中の災厄を一身に浴びる運の悪さでしたが、その原因の中心には「黄禍」があったと思います。
 
 本書ではこのテーマを扱っていませんが、人種問題は20世紀政治の根底にあり、アジアで一番早く台頭した日本が白人国家の最大のターゲットになった所以は、戦後アジア・アフリカ諸国が一斉に続々と独立を果した歴史の経過からも明らかです。日本がアジア解放の旗手だったと敢えて言わなくても、20世紀前半には、ナチスの反ユダヤ主義も含めて、人種をめぐる瘴気(しょうき)が地上に瀰漫していたことは紛れもない歴史事実です。

 本書は従来の歴史書と違って、時間的にも空間的にも、著者の視野が長く、広い範囲を見渡しつつ叙述されているのが特徴です。満州事変、そして満州の建国を、本書は大陸における戦乱の時代の始まりと捉えるのではなく、清朝末期から果てしなくつづいていた混乱の終止符と見ています。満州事変から始まる15年戦争などという歴史の見方はまったくの間違いであって、大陸のいかんともし難い閉塞状況と混迷に終止符を打ち、最終的安定をもたらすためにとられた政治的軍事的解決――それが満州建国であったという考え方です。「1931年に起きた満州事変と、1937年に起きたシナ事変は、まったく別個の事件であり何の関係もない」と著者は書いています。

 清朝末期から大陸は内乱と疫病、森の消滅と巨大水害、いなごの害などで数千万人単位の餓死者を出しつづけた不幸な国土でした。匪賊(ひぞく)すなわち強盗団が跋扈(ばっこ)する無法社会で、中華民国になってからも内乱はますますひどくなり、政府がいくつも出来て、外交交渉さえままなりません。中国はそもそも国家ではなかったのです。

 そこに満州という世界希有な国家、一つの「合衆国」をつくることで全面的解決を図ろうとした石原や板垣たちの理想は、なし遂げた達成のレベルを見ても決して嗤うべき夢想ではありませんでした。ただ大陸は近隣であったがゆえに日本独自の地政学的対応をする必要があったのにそれがうまく出来なかったうらみがあります。それはドイツの戦争に時期的に重なった不運と、江戸時代の海禁政策が長く、日本人が中国文明を観念的に考え過ぎて実際の中国人を知らなさすぎていたせいでしょう。

 盧溝橋の一発ですべての理想は空しくなりました。しかし本書が示している通り、満州という「五族協和」の理想は、あの時代の日本人が自国の国防だけを考えていたのではなく、大陸の混乱を救おうとした道義的介入の結果にほかなりません。

渡部昇一さんとの対談そのほか

 同じ月刊誌にいく月もつづけて出るということは例外的で、そうあることではない。5月号の『WiLL』では渡部昇一さんと対談をした。それがじつはなかなか面白く盛り上った。渡部さんは南京陥落のときの歌までうたって聞かせてくれた。

 渡部さんとの私の対談は何度もあるが、最後の雑誌対談は3、4年ほど前の『諸君!』における歴史教科諸問題だった。最初の対談は30年くらい前のNHK教育テレビでの、マンガ・ブームの是非をめぐるテーマだった。

 テレビでの対談はほかに何度もあるが、渡部さんは相手に話をさせるのがうまい。自分のほうから話題を押しつけてこない。『WiLL』5月号の今度の対話もそういうたぐいで、あっという間にどんどん話が弾んで、20ページに及ぶ大型対談になった。題して「緊急対談 『諸君!』休刊 敗北史観に陥った言論界」である。

 中華料理屋でやったのだが、渡部さんは話も終盤になるまでアルコールに手をつけようとしない。「酒を飲むと穏やかになり、平和的な人間になるから飲まない」と言って座にいるみんなを笑わせた。そこで私はビールから紹興酒へとどんどん手を出して、「私は酒を飲むと攻撃的になるから飲みますよ。」と応じてまた笑わせた。

 話の内容は1969年の『諸君!』創刊号の頃のさまざまな出来事、70年安保に向けて知識人の離合集散から保守系の集合へのいきさつ、朝日新聞VS文藝春秋の構図をつくった一時代の大元が『諸君!』にあったこと、『諸君!』が休刊になったのは敵を見失ったからだが、日本の自立をめざすという最終目標がまだあって、敵はいぜんとして存在すること、等々から始まり、私と渡部さんの5歳の差が戦争時代の歴史を見る姿勢に微妙な差になっているというテーマなどは大変面白い展開を示した。

 子供時代の二人の思い出はあるところで重なりあるところで食い違い、相違を示したが、ここは読者の思い出をも刺戟して、大方の興味を引く箇所ではないかと思われる。後半では日米問題から防衛問題にいたる現代におけるいろいろなテーマが語られた。アメリカの歴史には封建時代がないので騎士道がなく、それが人類を脅かす「裁きの思想」を生んでいるという点で二人の意見は一致した。

 アメリカや中国を目先の政治現象で捉えるのではなく、歴史を知ることで深所からとらえ直すということがこれからはますます必要だと思われる。面白かったのでまたときどき対談をやりましょう、ということばを交し合い別れた。

 この対談掲載の『WiLL』5月号は26日以後に店頭に出ている。

 26日には読売テレビの、高視聴率だそうだが東京では見ることのできない番組「たかじんのそこまで言って委員会」に出演するために大阪に出向く。テーマは 皇 位 継 承 。放送日は4月5日(日)午後1:30~15:00である。

 第31回GHQ焚書図書開封(日本文化チャンネル桜)は、「忘れられている日本軍内部の『人情』」という題で、3月28日インターネット放送SO-TV配信である。

坦々塾(第十三回)報告(一)

ゲストエッセイ 
長谷川 真美/坦々塾会員
   

 久し振りに、本当に久し振りに坦々塾に出席した。いつも東京にいる人たちはいいなぁと言っていたが、今でもそう思う。なにしろ新幹線に四時間も乗らなくてすむのだから。

 今回の坦々塾の話は西尾先生、元ウクライナ大使馬渕睦夫氏、国際ジャーナリスト山際澄夫氏の三先生で、それらの講義が終って、立食懇談会の会場で、西尾先生から今日の報告文を書いてくれないかと言われた。

 えぇ~っ・・・・と私。

 最初はメモをとりながら聞いていたが、だんだんと録らなくなっていたし、そういう気持ちで聞いていたわけじゃないので困った。「いや、貴女の言葉で、貴女の頭に残っている印象をあなた流に書いてくれればそれでいい」と言われたので、こうなったら自分のブログで書くような気軽さで書くしかないと思い、承知した。

 丁度出席していた別の方が上手にまとめてくださっているので、まずそれをご本人の承諾を得て転載する。

1.西尾先生のご講演は、日本、中国をめぐるテーマで、次のような内容だった。
 なぜアメリカは日本と戦争をしたのか? この理由いまだにわからない。
 イギリスやソ連のような、利害と支配の論理なら理解できても、アメリカは一貫性がないし、何をしでかすか読めない。
 植民地支配の放棄をいいだすようになった頃を境に理解不能になった。アメリカはいい子ちゃんに変身する。『大西洋憲章』みたいなきれいごとを言い出す。きれいごとを盾にして日本を占領した。イギリスは版図が広がりすぎて日本の助けが必要となり、日英同盟を結ぶ。GIVE&TAKEの関係が成立した。それなりにわかる。日本はアメリカがヨーロッパの亜流だと思っていたが、見誤った。
 現代の日米構造協議もそうだ。日本の消費者のためだなどときれいごとに騙され、日本の政治家も知識人も旗もちした。
 さて「昭和史」ブームだ。半藤、保坂、秦らは外の世界を見ていないし、歴史を短くしか見ていない。欧州には秩序があったが、支那、アメリカにはない。
 焚書のなかから日本に留学していた中国青年が昭和12年に帰国し、徴兵され、最前線に送られ、残虐な中国兵、逃亡ばかりを狙って、逃げると味方に撃たれるすさまじい中国軍隊の体験記を紹介する。
 『日中戦争』・・清朝以来支那は内乱続き、文化大革命然り。支那には近づかないほうが賢明だった。イギリスは止まったがアメリカは支那に関与してしまった。モンロー主義を捨て、門戸開放、領土保全、を主張した。だれも反対できないきれいごとだ。しかし支那が国家の体をなしていないことにアメリカ世論が気付かない。リットン調査団はヨーロッパだから事態を現実的にみられた。よくないのはアメリカのしかも宣教師だ。中国を助けるアメリカのイメージを振りまいた。NHKも『昭和史』も戦争は日本の主戦派が招いたというが、戦争は相手があってのもの。よく状況を調べよ。
 アメリカにとって支那は膨張するアメリカ資本主義のマーケットであった。ニューディールという社会主義的政策をとったアメリカだが、ソビエトに対する警戒心は欧州や日本とは違い、皆無だった。ルーズベルト政権は容易にソビエトと提携できた。ホワイトなどは、スパイという罪悪感もなく、共産主義とアメリカは手を組めると思いこんでいた。
 日本だって、あの林健太郎氏が、雑誌『諸君』のアンケートで、「日米開戦の知らせを聞いたときどう思ったか」と問われ、「日米という二つの帝国主義が大戦争を起こしてしめたとそのときは思ったものだ」と昔左翼の感想を正直に告白した。
 

2.馬渕睦夫さんの講演。
馬渕さんはわれわれの元々の仲間です。九段下会議からこの会に参加して下さった方には旧知の仲で、味わいのあるユニークなお話で知られる方です。あの直後ウクライナ大使になられて日本を離れました。  この度ご帰国になり、外務省を辞めて、現在防衛大学校教授をなさっています。坦々塾でのご講話は「ウクライナから見た世界」で、このたびのグルジア紛争やウクライナへのガス輸送妨害の事件などにも触れた、リアルな内容のお話をいただけました。

要点は、 ウクライナは欧州最大の国家であること。 不安定な政治体制。しかし経済は比較的安定している。政治家はみな愛国心があり、タフにロシアと渡り合っている。きわめて親日的であり、日本文化を吸収し日本に学ぶ気持ちが強い。小学生で芭蕉を、高校生で川端康成を学習している。 日本外交再生のためには、「自由と繁栄の弧」構想をさらに進め、ロシアとタフにわたりあうことだ、これまでも日本の政治家は能天気で、旧社会党委員長など人間ドックのためにソ連にやってきたり、モスクワ五輪ボイコットの最中に友好訪問などしているようでは、なめられきっている。安倍内閣の時はウクライナ政策は良かったが頓挫してしまった。

3.産経新聞社出身のジャーナリストの山際澄夫さん。 「メディアはなぜ嘘をつくのか」が演題。マスメディアの内側に関するかなりきわどいお話もうかがえると聞いています。最近の山際さんがお書きになったものでは、宮崎アニメのイデオロギー批判や防衛省内局批判などの目立つ発言がじつに印象的です。(西尾先生の前宣伝口上から)

話があっち飛びしてつかみにくかったのが率直な印象。のっけからハイテンションだ。
政治家はいい加減だが、最も悪いのはマスメディアだ。 テレビコメンテーターは事前打ち合わせを済ませ、テレビに阿っている。 マスメディアは強きに阿り、弱きに居丈高になる。志が低い!! 小沢一郎政治資金規正法違反容疑でも、メディアはだめだ。じつは政治改革の旗手として、小選挙区制導入の小沢を持ち上げてきた。メディアの幹部連がこぞって選挙制度審議会メンバーになり、翼賛体制を作ってきたから、批判できないのだ。

長くなりましたので、この辺で擱きます。 空花 より

 今回、坦々塾にはテレビカメラが入った。二年後には、インターネットとテレビが相互乗り入れをする時代となり、大手のテレビ局が電波を独占している現在の状況が変わるのだそうだ。現在のアメリカのように、視聴者が多くのチャンネルの中から選べる時代になるのだという。お笑いとクイズ番組の日本の大衆迎合路線だけがテレビ、という時代ではなくなるのは大歓迎。スカパーのシアターテレビで、西尾先生には「日本のダイナミズム」というタイトルで時間が与えられるのだそうだ。試験的かどうかは分らないが、その番組の関係者が来て撮影していた。

 2時から6時40分まで二回の休憩を挟み、学生時代の授業のように三者三様の、内容の濃厚な勉強会だった。

※西尾先生のテーマは中国とアメリカについて。

 アメリカは1942年の大西洋憲章で「植民地主義の解放」を主張した。そういった道徳的なきれいごとを言うあの態度はいったいどこから来ているのだろうか、それならアメリカはどうして戦争をしたのだろうか、という西尾先生ご自身の疑問に、いろいろと推理をされる。どうにも中途半端なアメリカ。それに対して、ヨーロッパの基準は日本には理解できるものだったとおっしゃる。

 時間が押し迫り、最後の推論をお話になる時間が足りなくて、懇親会の席で、分りやすく結論の部分をお話くださった。

 それは、おそらく、ヨーロッパは奴隷的なピラミッドの最下層の部分を補充しようとして、外に植民地を求めたが、アメリカには既に国内に黒人がいて、外にそれを求めることをしないで済んだからではないかということだった。それが、植民地侵略において一人正義漢ぶれる所以であったのではないかと。聞いていた私も、周りの人たちも大きく頷いた。

 アメリカが黒人差別を形式的にでもなくしたのは、戦争が終って大分たってからだった。

 一方中国は?

 『日中戦争』(北村稔・林思雲)というの本を紹介されながら、戦争の起こった原因を日本にだけ求めることがまずおかしい。そして、中国というまとまった国、秩序だった国が本当にあったのか?日本は中国という国家と戦争をしたのか?むしろ、中国という地域の想像を絶する内乱に巻き込まれ、足抜けが出来ないうちに、ずるずると戦争になってしまったのではないか?と話された。

 日本は、中世という封建主義を経験していない、個人主義の中国やアメリカと、価値観・原理を異にしていた。そして現代でも、価値観の異なるこの二つの国を相手にしなくてはならない。

※次にウクライナの元大使、馬渕さんのお話。

 どっさりと資料を用意され、お話を聞き逃してもちゃんと後で補強できる状態だったのは、とても今、ありがたい。

 ウクライナという国について、日本人は余り関心を持っていないようだが、実はとても大きなポジションにある国なので、もっと関心を持ってほしいと言われた。ウクライナもその中に含まれる「自由と繁栄の孤」はロシアや中国に対する対抗戦略で、外務省が作成し、麻生氏が外務大臣であったときに発表された外交戦略である。普段余りよく言われていない外務省の仕事としてはとても素晴らしいものであると話された。その証拠に通常軽くあしらわれるロシアから、急に手厚い扱いを受けるようになったことがあったそうだ。

 ウクライナは大変な親日国家だそうだ。独立後の教育で、他国を勉強することが決められており、アジアでは日本について勉強することが指導要領で決まっているという。なんと小学五年生で松尾芭蕉、中学生で川端康成を学習している。日本の美しい伝統と文化を学ぶことが、自国の伝統文化の尊重に繋がるという視点なのだそうだ。馬渕大使は学校の参観にも行かれ、生徒が書いた大変感動的な作文を発表された。

マリーナさんの感想文
「私は『千羽鶴』に感激しました。真の日本の神秘的な姿、秘密でほぼ人跡未踏の部分が目の前に現われたのです。この授業で日本の美しさに触れ、私たちヨーロッパ人かが何を見習うべきかを理解できました。私は夢の国日本が、人間をもっと人間的にし、全世界を幸福と平和に導く階段、地と天をつなぐ階段を、遅くても一歩一歩上がる可能性を与えてくれる昔からの習慣と伝統を、依然として守っていると期待しています。」
   
 外務省はいろいろ言われているが、やはり外交はとても大切なことであるから、しっかりタフに頑張って欲しい。馬渕氏のように素晴らしい外務官僚がまだまだたくさんいるはずだ。ただ、冷戦が終わり、緊張が解け、昔ほど日米安保が磐石ではない現在、日本は毅然とした外交が出来にくくなっていると話されていた。

※最後に山際澄夫氏

 産経新聞の元記者で、現在は国際ジャーナリストとして活躍されている。新聞記者であった間、その会社を背負った肩書きが大変物を言っていたということに気が付かれたのだそうだ。つまり、どんな若い新聞記者でも、「○○新聞」です・・・と言えば、かなり大物の政治家でも取材に応じてくれるという。マスコミの力は大きい。マスコミが情報を歪曲したり、無視したり、煽ったりすることのウラをよく知っておられるから、強烈にマスコミ批判をしておられる。

 今回、田母神事件があった折に、「『歴史の解釈権を取り戻そう』ということでしょ、どうしてそういう人を護らないんだ・・・・」と大きな声で言われたのが印象的だった。なぜ産経新聞一社でも、全面的に護れなかったのかと思うと、悔しくて仕方ない・・・と話された。自衛隊とはかなり良好な関係を築いている産経新聞なのに残念だった。西尾先生が田母神応援のコラム「正論」を書こうと連絡したが、あの話は「打ち切り」ですと言われ、書かせてもらえなかったという話は後で西尾先生から紹介された。産経新聞、最近ちょっと変だが、やはりなくなっては困る新聞。

 産経新聞の社会的な大きな功績が三つある、と言われた。
一、「正論」路線を作り、保守派の論客にスペースを与えたこと
二、土光キャンペーンを張ったこと
三、教科書論争に参入したこと
だそうだ。

 それなのに最後までしっかり守ろうとしないのは残念だといわれた。社内ではつくる会内紛については沈黙だった。あれは社長マターだと言って、皆が口をつぐんでいた。一方的な情報が流布し、新聞社として問題を明らかにしようとしなかったのは残念だ、とも仰った。

 アメリカのマスコミ界は不偏不党ではなく、政治色を明確にしている。その点日本の新聞やテレビは中立を装っている。不偏不党のはずが、テレビは民主党を応援しているし、明らかに片寄っている。今の日本のマスコミは「強きを挫き、弱きを助ける」の反対「強いものに阿り、弱いものをいじめる」ようになっているので、その罪は深い・・・と言われていた。インターネットでマスコミとは違った切り口の情報が流れるようになった今、新聞、テレビが斜陽になっていくのは仕方がないことかもしれないと私も思う。

文:長谷川真美

非公開:『諸君!』4月号論戦余波(三)

 今日は対論をめぐる三つの観点をとりあげてみたい。私の所論への批判の最も典型的と思われるものが次に挙げる第一番目の例である。これはほんとうに典型的である。

筆不精者の雑彙

『諸君!』秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊夫=真贋論争』を決着する」より一部引用

 小生はこれらの切り口とは少し異なった点から、主として西尾氏の言論を批判してみたいと思います。といいますのも、小生のこの対談を一読した際の感想は、議論が全く噛み合ってない、ということでした。西尾氏が「これが正しいのだ!」と叫ぶのを、秦氏は「あー、うざいなあ」という感じでいなしている、そんな印象です。

曲がりなりにも日本近代史の勉強をしてきた身として、秦氏の発言は至極当たり前に感じられました。それに噛みついている西尾氏の言動は、歴史を論ずるということ自体を根本から分かっていない、と書くのが傲岸であるとするならば、歴史でない何かを論じようとしている、そのようにしか読み取れませんでした。であれば議論が噛み合わないのも当然です。雑誌の煽り文句で、広告にも掲載された秦氏の言葉が「西尾さん、自分の領分に帰りなさい」というのも、歴史でない話をしたいなら歴史でないところでやれ、という謂ということだろうと思います。

 しかし、ネットで見つけた上掲のいくつかのブログを読むと、歴史でないものを「真の」歴史と思い込んでいるブログが少なくないことに気がつきます。小生は、これこそがこの対談の最大の問題であろうと思います。つまり、歴史の「何を」論じているかではなくて、歴史を「いかに」論じているか、そちらが肝心なところだと。

文:bokukoui(筆不精者の雑彙)

 私に対して「歴史を論ずるということ自体を分っていない」といい、「歴史でないなにかを論じようとしている」という言い方からしてすでに秦氏流の歴史がすべてだと思い込んでいる人の典型的きめつけといえる。この人は彼の考える「歴史」というものを信仰している。

 しかし『諸君!』3月号拙論のほうで私が「パラダイム」の変換ということを言ったのを覚えておられる人もいよう。歴史は動く、とも言ったし、歴史は時間とともに違ってみえる光景だとも私は言った。秦氏自身がこのことをまったく理解していなかった。

 二番目にあげる例文が一番目の人の迷妄を完膚なきまでに料理している。一番目の人の「歴史」はたくさんの歴史の中の一つの歴史にすぎない。パラダイムが安定している枠内ではじめて可能になる歴史である。

セレブな奥様は今日もつらつら考えるのコメント欄より

遅ればせながら、数日前にようやく「諸君!」の西尾・秦論争を読んでみました。お二人はすごく対立しているように読めるし、実際、そうなんですが、しかし両者とも対話に必要な相互承認というものがあって、とても有益な批判の応酬になっているんですね。西尾先生はインターネット日録で秦さんのことを、保阪正康さんや半藤一利さんたちよりずっと認めている、といわれていましたが、本当にそうだと感じました。

 ただ、そういうことを中立的に私が言っているだけでは、読者としてやはり欺瞞的なことで、はっきりいいますと、私はやはり秦さんの立場は採用できないですね。

 お二人が一番鮮明にその対立点を明確にしているのは、西尾先生が、「史実を確認することはまだ歴史じゃない」「厳密には史実の認定なんてできない」といい、歴史の本質というものは物語であり神話である、と言われたことに対して、秦さんが猛然と反撃して、「私達専門家の領域を侵犯しないでください」というところ、やはりここになったなあ、と思いました。

  「認識される対象の意味が固定的でない」こと、つまり事実というものの意味が絶えず変化する、ということは、(とりわけ近代以降の)哲学理論や社会思想史ではある意味普遍的な前提で、ニーチェはもちろんのこと、メルロ・ポンティのような社会的には左翼的立場を採用した哲学者も繰り返しいっているし、読み手と文字の間の間に絶えず「意味のズレ」が生じていくことが「意味」である、といってポストモダニズム思潮の旗手だったデリダも、こういう思考を前提としています。こうした事実認識は歴史的問題にもまったく同じだ、というのが西尾先生の立場だと思われます。

 たとえば、コロンブスの北米大陸到着も、ジンギスカンの大陸制覇も、当時そのものの状況に近づけば近づくほど、個人や民族のエゴイズムに無限に近づいていきます。コロンブスなんてただの山師だったと思います。しかし今では、両者の行為は東西文明の出会いという「別な意味」を与えられている。こういうふうに「史実は絶えず変化する」のです。同じことは日本と中国やアメリカの戦争についてもあてはまるはずなのです。しかし秦さんはそれをまったく認めようとしない。秦さんは徹底徹尾、「事実」の意味を単一なものの方向性へと固定し、その「事実」そのもの集積の先に見出せる大きなものがある、というある意味で非常に古典的な(といっても「近代古典的」な)観方に固定するという職業意識から故意に離れないんですね。

 だから、西尾先生のいろんな「事実の読みかえ」の可能性の指摘、つまりコロンブスやジンギスカンの例のようなことの指摘が、「正しい意味」をもっていると信じている秦さんからすると全部、陰謀史観にみえてしまうのです。そして、暗に、西尾先生に対して、「それはヨーロッパ哲学の専門家の西尾先生の意見でしょう」といいたげです。昭和史の歴史的事実の解釈については、お二人の応酬にあるように、それぞれいろんな捉え方ができるでしょうし、秦さんの事実認定のすべてがおかしいわけではないし、西尾先生の事実認定に対しても反論の余地がありうると思います。しかし、そんなことは本当はどうでもいいのではないでしょうか。もっとも大切なことは「歴史に対しての態度」ということで、その根源に触れあったとき、秦さんは「専門家」という「籠城戦」に後退し、西尾先生の攻勢の継続で対談は終わっている、といえます。

  しかし、この「歴史に対しての態度」という根源の触れあいに至っただけでも、他の悪口の言い合いだけの凡庸な対談とまったく違う、強い有意義があったと考えるべきでしょう。それは西尾先生と秦さんが、お互いに和して同ぜずの相互承認で認めあっているからこそ可能だったもの、と思います。

 西尾先生も言われていますけど、こういう秦さんのスタイルだからこそ可能だった秦さんの業績や存在感というものもあるということは公平にみなければならないと思います。最近も秦さんの旧制高校についての著作を読みましたが、秦さんらしく、本当によく調べて書かれた貴重な研究書でした。しかしそういう秦さんらしさが発揮されるのは、この旧制高校の書にあるように、資料と著者の関係が「安定」している場合に限られれるわけですね。

文:N.W(うさねこ)

 二番目の方は渡辺望さんといい、私の若い知友の一人である。知友だからといって格別に私に贔屓して言っているのではない。私と秦さんの両方を公平に見ている。

 渡辺さんはよく勉強し、しかも洞察力のある人である。私が先に言った「歴史は光景だ」は実際メルロ・ポンティから採っていたのである。

 秦さんと彼に基く一番目の人の歴史は19世紀型の歴史である。外枠(パラダイム)が安定していた時代の歴史主義の歴史で、実証らしいことができるのはそういうときの歴史に限られる。

 しかも秦さんの歴史意識は日本の軍部は悪者だとつねに決め付けている敗戦国文化に色どられている。だから実証的にしているつもりでも、実証にならない。立場の違う人には逆の意味に読まれてしまうからである。

 この点で次にとり上げる三番目の人は、歴史と政治の関係をしっかり踏まえて、秦さんの実証が成り立ったケースと成り立たないケースとの両方があることを見て、これを区別して論じている。以下を読めば、歴史と政治の関係をみないならば、彼のことばでいえば木を見るだけで森を見ないならば、どんなに緻密な実証も見当外れに終ることがはっきり分るであろう。

えんだんじの歴史街道ろ時事海外評論より

西尾幹二氏 対 秦郁彦氏

雑誌「諸君」4月号で両氏が田母神論文で激突対談を行っています。私はこの両者の対談を興味深く読ませていただきました。西尾幹二氏と私の大東亜戦争史観はほとんど同じです。ところ秦氏の戦争史観が、私にはいま一つわからないとことがありました。特に秦氏が田母神論文批判の先鋒になったからです。

秦氏は、いまはやりの歴史捏造、歪曲の朝日新聞や左翼知識人とは異なり、現在の日本国家に貢献する非常に良い仕事もしておられます。秦氏最大の貢献は、「従軍慰安婦」事件の調査です。「従軍慰安婦」事件の始まりは、元山口県労務報国会下関支部動因部長を自称する吉田清治が、1982年に「私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行」という本を出版した時からです。

吉田は何回も韓国へ行き、謝罪したり、土下座したり、慰安婦の碑をたてたりしています。テレビにも日韓両国で出演、朝日新聞は吉田を英雄のように扱い、何度も新聞紙上に大きくとりあげて報道しました。この本の翻訳文が日本人弁護士によって国連人権委員会に証拠として提出されました。また教科書裁判で名を馳せた故家永三郎などが、自分の著作にこの本を参考文献として利用しています。

この本の内容に疑問をもった秦氏は、1992年済州島にわたり裏付け調査をし、吉田の本の内容がでたらめであることがわかりそれを公表しました。吉田はそれを認める発言をしたため、あれほど新聞紙上に何回も登場させていた朝日新聞は、それ以来ぴたりと吉田を登場させず、吉田を語らなくなりました。吉田は、メディアにも登場しなくなりました。秦氏は日本国家の名誉を救ったのです。

秦氏は、沖縄の集団自決問題でも、集団自決の原典ともいうべき沖縄タイムス社の「鉄の暴風」を批判、その「鉄の暴風」を基に書かれた大江健三郎の「沖縄ノート」を批判、秦氏自身も集団自決を否定しています。

その他、秦氏は教科書裁判で名前をうった故家永三郎がまだ生存中現役で活躍していたころの家永を批判していますし、また朝日新聞を反日新聞と批判しています。その秦氏が田母神論文を一刀両断のもとに斬り捨てているのです。だからこそ私は、秦氏が西尾氏にどのような主張をするのか非常に興味があった。

雑誌「諸君」に語られている秦氏の主張をいくつか挙げてみます。
1.東京裁判は、マイナスの面があったが、プラスの面もあった。比較的寛大であった。
その証拠に日本国民の反発がなかった。
2.コミンテルンの陰謀はなかった。
3.ルーズベルトが日本を戦争に追い込んだという陰謀説は成り立たない。
4.ルーズベルト政権の中国援助は、国際政治の駆け引きにすぎない。
5.日本はナチスという「悪魔」の片割れだった。

こういう彼の主張を読んでいると、私はただ驚くばかりです。なぜなら秦氏は、昭和の歴史を細部までよく知っているからです。彼の著書に菊池寛賞を受賞した「昭和史の謎を追う」上下巻(文芸春秋社)があります。上下巻とはいえ、一頁を上段下段に分け細かい字でびっしり書かれています。実質的には一巻から四巻に匹敵する大作です。なにを書いているかと言えば、昭和で話題になった37件の事件を詳細に調べあげて書いています。秦氏の作品は、綿密に調べあげて書くので定評があります。

要するに私が主張したいのは、秦氏のように歴史の細部を知っているからといって、必ずしも歴史観が正しいとは言えないということです。俗にいわれる「木を見て森を見ず」なのです。なぜこういう現象が起きるのかその理由を西尾氏の意見と重複するところもありますが三つあげます。

1.大東亜戦争を昭和史の中で理解しようするからです。そのため自ずと日本国内の動きだけを追いかけ日本批判に陥ってしまうのです。大東亜戦争は幕末の時代から追っていかないと本質をつかめません。

2.私は、60年以上前に起きた大東亜戦争を現在の価値観で裁くなといつも主張しています。西尾幹二氏も本誌で「現在の目で過去を見る専門家の視野では、正しい歴史は見えない」、また「歴史とは過去の事実を知ることではなく、過去の事実について過去の人がどう考えていたかを知るのが歴史だ」とも書いています。全く同感です。

皆さんは特攻隊員の遺書を読んだことがあるでしょう。彼らの遺書を読むと、特攻隊員に共通の認識が理解できます。彼らの共通の認識とは何か。それは大東亜戦争を自衛の戦争と考えていたことです。だからこそ特攻隊に志願したりするのです。自分の死に大義名分があるのです。彼らは、自分の家族や恋人に遺書をのこしましたが、自分の死に対する不満やぐちを書いていたものがありましたか。

もし大東亜戦争が、侵略戦争であるというのが彼らの共通の認識でしたら、特攻隊に志願するでしょうか、家族や恋人への遺書には、自分の死に対する不満や愚痴だらけになっていたのではないでしょうか。

3.大東亜戦争は、日本史上国内で戦われた合戦とは大違いです。異民族、すなわち白人との戦いです。その白人は、コロンブスがアメリカ大陸発見以来500年間、すなわち20世紀まで有色人種の国家を侵略し続け植民地にしてきた。そのため大東亜戦勃発時、有色人種の国で独立を保っていたのは、日本以外の独立国はタイやエチオピアなどほんのわずかです。従って大東亜戦争は、世界史というわくの中で理解しなければなりません。また敵国民族は白人ですから、白人の文化とか白人の精神構造とかいわゆる白人の民族性まで考慮して大東亜戦争というものを捉えていかないと大東亜戦争を理解できないのです。

秦氏の歴史観の欠陥は、大東亜戦争を世界史の中で全く捉えようとしないことです。だから戦争前からアメリカが日本にいだいていた悪意を全く理解できないのだ。また秦氏は、精神的にナイーブな面もあるのでしょう。裁判所は悪人を裁く所という解釈だけしか理解できないのではないか。勝利国が自己を正当化するために裁判を利用するなどという考えは、秦氏には想像できないのではないか。

秦氏は、西尾氏の面前で田母神氏についてこう語っています。「一部の人々のあいだで、田母神氏が英雄扱いされているのは、論文自体ではなく、恐らく彼のお笑いタレント的な要素が受けたからでしょう。本人も『笑いをとる』の心がけている」と語っています。すかさず西尾氏から「田母神さんを侮辱するのはやめていただきたい」と注意されています。

秦氏は、なぜ田母神氏が多くの人に熱狂的に支持されているかその背景がまったく理解できていません。田母神氏を侮辱することは、彼を支持する私たちを侮辱するのと同じです。私は怒りを感じます。「秦さん、あなたは私の著書、『大東亜戦争は、アメリカが悪い』を読んで勉強しなおしてください。

本誌でも西尾氏が指摘していますが、中西輝政氏が三冊の名著をあげています。その一冊にJ・トーランド「真珠湾攻撃」があります。この翻訳本(文芸春秋社)の246頁にマーシャル参謀総長は、「アメリカ軍人は、日米開戦前、すでにフライング・タイガース社の社員に偽装して中国に行き、戦闘行動に従軍していた」と公言しています。ところが秦氏は、本誌で「この時期フライング・タイガースはまだビルマで訓練していて、真珠湾攻撃の二週間後に日本空軍と初めて空戦したんです」と語っています。

マーシャル参謀総長の発言、「戦闘行動に従軍していた」という意味は、なにも秦氏が主張する日米空軍機どうしの実際の空中戦にかぎらず、シナ事変中米軍機が輸送活動に従事していたら日米開戦前に米軍は参戦していたことになりませんか。

最後に西尾氏と秦氏の人物像をとりあげてみます。1960年代、日米安保騒動華やかなりし頃、日本の多くの知識人は、ほとんど我も我もと言った感じで、反米親ソ派と自虐史観派になりました。そのころでさえ西尾氏(20代)の歴史観は、現在となにも変わっておりません。皆さんは知識人の定義とはなにかと問われれば、なんと答えますか。私の答えは、知識人とは時勢、時流、権威、権力に媚びないことです。日本には時勢、時流、権威、権力に媚びる人知識人が多すぎます。従って日本には真の知識人と呼ばれる知識人が非常に少ない。西尾幹二氏は、その少ない真の知識人の一人です。

秦郁彦氏が、日米安保騒動時代どういう態度をとったのか私は知りません。彼の経歴を見ると、国際認識というか国際感覚というものに鈍感どころか鋭敏であってもおかしくありません。それにしても大東亜戦争を世界史の中で捉えるということが全然理解できていません。全くの自虐史観です。しかし彼は歴史の細部、「従軍慰安婦」事件や沖縄の集団自決などでは反マスコミです。ここでもし秦氏が、自虐史観を改めたら、マスコミに相手にされなくなってしまいます。

マスコミは、自分たちの日頃の歴史捏造や歪曲に批判する秦氏が自虐史観を主張するので余計彼を利用する価値があるのではないでしょうか。従って歴史観に関することには、積極的に秦氏を利用しているように見受けします。秦氏は、ひょっとしてマスコミ受けをねらった器用な生き方をしているのではないでしょうか。

文:えんだんじの歴史街道と時事海外評論より

 この文章を書いた人は鈴木敏明さんといい、幾冊も著作のある私の知友である。知友だから私を応援している、という文章ではない。人間はそんな風には決して生きていないのである。ご自身の価値観に関わる問題だから一生懸命書くのである。

 とくにインターネットに書く場合には、頼まれて書くのではないのだから、無私である。私もこれを書いたのは誰かはじめのうちは分らなかった。

 一番目の人が私に対し「歴史を論ずるということ自体を根本から分っていない」とか「歴史でないなにかを論じようとしている」と決めつけていたときの「歴史」が非常に狭い、固定した一つの小さなドグマ、特定の観念にすぎないことがお分りいただけたであろう。

非公開:『諸君!』4月号論戦余波(二)

 もうネットサーフィンはしないと書いたが、『諸君!』4月号論争についてこういう掲示があったと教えてくれる人がいたので、ご紹介する。

 最初の松永太郎氏は、私がもち出した英文の本などに詳しい方のようで、いまさらもう何年もたつ古い本を持ち出すとは何ごとだ、「情けなくなる」と私は叱られたが、まあそう言われても仕方がない。ただ詳しい方面の関係者には余りに自明なこれらの本さえ秦さんはひとつも目を通していなかった。そして、そんな文献は全部無価値で、歴史家にとっては検討に値しない本だと乱暴なものの言い方をしたのである。松永さんはこのことも分ってくれたようでありがたい。

西尾vs 秦 論争 呆れた「諸君」4月号、秦郁彦氏の発言  by 松永太郎  @甦れ美しい日本  
2009年3月6日 NO.277号

月刊誌「諸君」4月号に「 田母神俊雄=真贋論争」を決着する、捨て身の問題提起か、ただの目立ちたがりか、などと題して、歴史家の秦郁彦氏と西尾幹二氏の対談が掲載されている。

ちなみに、この対談で、西尾幹二氏が紹介されている、ニコルソン・ベイカーの「ヒューマン・スモーク」、ジェラルド・シェクターの「聖なる秘密」や「ヴェノナ」関係の本は、すべて、筆者が、すでにこのメールマガジンで、ご紹介ずみの本ばかりである。

 ヴェノナ文書といわれるものが、公開され、それを基にした歴史書が何冊も英米で発表されるようになって、もう何年もたつ。それなのに、今さらのように、それをもとにして「論争」が行われ、「陰謀論だ」「いや、そうでない」などという話が言論誌で展開されるのを見ると、今の日本の現状を鏡に映しているような気がして、興味深い、と同時に情けなくなる。

 それにしても、この「諸君」の対談のタイトルは、節度がない。この対談でも、次のような問答がある。

 秦 こういうものは日米関係にもけっしてよい影響は与えません。一部の人々の間で、田母神氏が英雄扱いされているのは、おそらく彼のお笑いタレント的要素が受けたからでしょう。本人も「笑いを取る」のを心がけていると語っています。

 これに対して、西尾氏は、

  日米関係に悪影響云々は政治家が言うべき言葉で歴史家の言葉ではありません。田母神さんを侮辱するのは、やめていただきたい。軍人には名誉が大事なのです。

 と答えているのは、当然のことながら、さすがである。軍人を侮蔑したり、軽蔑したりする「インテリ」の悪い癖は、そろそろやめたほうがよい。

それにしても、秦氏が「日米関係に悪影響云々」を言うのは、本音が表れた、というべきであろう。もって東京裁判史観を叩き込んだ占領軍の洗脳工作の怖さが伺える。アメリカの歴史家の間では、ほとんど常識と化している「ルーズヴェルトは日本を戦争に追い込んだ」という説を言うことさえ、日本の現代史家は、恐ろしくて、いえないのである(「日米関係に悪影響があるから」)。

 それにしても、この対談における秦氏の無知にはあきれかえる。彼は、最初にあげたような本はぜんぜん読んでいない(自分で言っている)。いないまま、ホワイトがソヴィエトの工作員であった(コードネームさえ付いている)、という事実を、平清盛がペルシア人だったという説と同じような荒唐無稽な説としているのである。これでは話にならない。これらの本は、すでに少なくともアメリカでは歴史家の評価も確立しているのである。それともまだ翻訳されていないし、誰も読んでいないから、何を言っても大丈夫だと思っているのだろうか。

 権威主義的な学者や評論家は、都合が悪くなると、相手を陰謀論と決め付ける。しかしルーズヴェルト政権が、日本を締め上げて戦争に追い込んだ、というのは、陰謀論ではない。では、ルーズヴェルト政権は日本との平和を望み、最後まで、和平交渉に全力であたっていたのであろうか。そんなことはないことは、「ハル・ノート」を見れば、すぐにわかる。そして、その原案を書いたのはハリー・デクスター・ホワイトであり、彼は、ソ連の工作員だったのである。

 まだ言いたいことはたくさんあるが、とりあえずの感想を書いておきたい。
  文:松永太郎

次は佐藤守氏のブログである。佐藤さんには『諸君!』3月号の拙論もあったことをお知らせしておきたい。

西尾vs 秦 論争 似非保守派学者に「諸君」は食いつぶされた  「子供達を戦場に連れて行く?」   @軍事評論家=佐藤守のブログ日記  から
2009-03-04 

同時に言論界にも面白い現象がおきている。

 保守派総合雑誌の「諸君」が休刊になったのである。文芸春秋社の目玉の一つで、「紳士淑女」欄は私の愛読していたもので残念だが、昨年末、それも田母神“事件”以降、「諸君」に登場する「保守派物書き」が、田母神氏を批判する度に「一般書店での売れ残り」が目立っていたから、私はこのことを感じていた。

 つまり、「諸君」が重用していた保守派物書きや歴史学者などの「正体」がばれ、読者が何と無く「胡散臭いもの」を感じたからであろう。同誌の「休刊」は残念だったから、昨日一冊購入したが、これには「西尾幹二氏と秦郁彦氏」の撃論が出ていて、二人を良く知る私としては興味津々である。

 明らかに西尾氏の“勝ち”だが、こんな似非保守派学者に「諸君」は食いつぶされたのだと感じる。勿論、それを見抜けなかった編集者の目も問題だが。

文:佐藤守