テレビ討論会「路の会」特集

 3月11日に日本文化チャンネル桜に「路の会」の6人のメンバーが参加して、「日本と中国―その過去・現在・未来」と題した討論を行った。私はテレビで「路の会」特集をやるから出ないかといわれて、2月28日の会合の席に諮って、出席可能なメンバーをきめた。

 黄文雄、北村良和、高山正之、杉原志啓、桶泉克夫、西村幸祐、石 平、西尾幹二、そして司会は水島総というメンバーである。このうち黄、北村、桶泉、石の四氏は中国論者であり、徹底的に中国を分析・解明・論究してきた人々である。しかも仲間うちで気心が知れていて、遠慮がない。だからじつに面白い討論になった。

 例えば、中国が経済的に破綻したならばかえって政権は国内を統治し易くなるといったのは、黄氏であり、これに真向から反対し、政権は国内を統治できなくなって、外に向かって攻撃的になりむしろ危険だと言ったのは石氏である。

 黄氏は今までの歴史からみて、全土に飢えと破滅が広がれば中国人は共食いし、穏和しく静かになって、外国からは扱い易くなる、と言った。しかしそれは昔の鎖国可能な時代の中国のことだろう。国が開かれ、海外に人が溢れ出し、ネットや携帯を知った今の中国人はそうは行くまい。国内の破局はいったん外に向かうと爆発となって危険だと石氏は言った。

 しかしここからがユニークな展開である。黄氏が共食いと言ったのは比喩的な意味ではなく、「食人」(人肉を食うこと)の意味である。氏はこのことを証すため中国語で著した『中国食人史』という自著を席上に持ってこられた。日本語の翻訳はまだないそうだ。

 石氏が外に向かう爆発といったのも比喩的な意味ではなく、日本に向かって憎悪の限りを叩きつけようと軍事的に襲いかかってくる、という意味である。標的は日本以外にない。日本だけが彼らの感情の始末をつける唯一の相手である。そのように教育されているし、他の可能性は考えられない、という恐ろしい話である。

 そのほかにも、数限りないほど耳をそば立たせるテーマが論じられた。「路の会」の会合で歯に衣を着せずいつもやり合っているメンバーの本音が語られている。ことに録画が始まってから30分ほど経って、第二段階になったあたりから、熱気を帯びてきたと記憶している。どこからだとは今はっきりは言えない。

お見逃しないようお勧めする。
時間帯は以下のとおり。

日本文化チャンネル桜(スカパー!216チャンネル・インターネット放送So-TV http://www.so-tv.jp/)

3月12日 19:30~20:30
3月13日 19:00~20:30

非公開:『諸君!』4月号論戦余波(一)

 昔は論壇時評というのが各新聞にあった。否、今もあるのかもしれないが誰も読まなくなった。昔も一般読者はあまり読まず、論壇時評を読むのはその月に論文を書いた執筆者とそれを担当した編集者だけだと言われたものだった。

 しかし今ではその人たちも読まなくなった。新聞ごとの政治偏向が著しく、信頼性を失っているからである。あるいは、毒にも薬にもならない中性的な論文ばかりが取り上げられる傾向が強く、論壇時評つまり評論の評判記は、すっかり影が薄くなった。

 オピニオンの多様性といえば聞こえがいいが、本当のことを発信しなくなった今の大手のマスコミ、新聞やテレビが大半の意味を失っていることにも比例している現象で、オピニオンが相互に噛み合わない情勢、人間同士の相互の深い無関心の現実を反映しているといえるだろう。

 その代わり評判記は匿名のインターネットに移ったようだ。実名を出しているものもある。訳のわからぬ見当外れの論もあるが、本当のこと、自分にとって大切なことを言おうとする真剣さは少くともある。『諸君!』4月号の秦郁彦氏との論争に関しては、私への批判も含め、賛否両論の渦をなしている。

 ネットサーフィンというのだそうだが、そのうちから拾ってみる。最初は私への批判の含みがある例だ。

 『諸君』の今月号「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」がすこぶるおもしろい。現代史家の秦郁彦氏と評論家の西尾幹二氏が田母神論文をめぐって丁々発止。久しぶりに、対談の面白さを堪能できる読み物だ。西尾氏は「自虐史観」派、秦氏は「日本軍部による侵略戦争」派で、考えは正反対といってもいいだろう。

 田母神論文は都合のいいところをつぎはぎしたものだとする秦氏に、そんなことはないと反論する西尾氏。読む限りは、秦氏に「西尾さん、自分の領分に帰りなさい」と諭される西尾氏に分が悪い。こうした考えに、『諸君』という雑誌で、面と向かって反論した秦氏の気迫を感じた。最後の二人の言葉に、この国の進む道に対する考え方の違いがよく出ている。

「秦 (中略)しかし、これからの日本は世界の覇権争いに首を突っ込むのではなく、石橋湛山流の小日本主義の道を行くという手もあると思いますけどね。博打は打たないで、大英帝国のように、能う限り衰亡を遅らせていくというのは立派な国家戦略だと思います。

西尾 私はちがうと思う。アメリカなき世界における国家間のサバイバルゲームは過酷なものになるでしょう。ナンバーワンを目指す確固たる意思を持たないかぎり、オンリーワンにもなれないんです。国家の生存すら維持できない。世界は覇権主義が角逐する修羅場です。その激しさに翻弄されず、日本が生き延びていくための第一歩が東京裁判史観や自虐国家観からの脱却であると私は信じます。」

 もちろん私は、秦氏に共感を覚える

元木昌彦のマスコミ業界回遊日誌3月3日(火)より一部引用)

 執筆者の元木昌彦氏は元『週刊現代』の編集長で、『現代』にもいた。もう定年退社している。年末に私は新宿のバーでお目にかかっている。

 偶然隣り合わせに坐り、知り合いの講談社の知友の噂ばなしなどをした。私が昨年『諸君!』12月号に書いた「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」を大変に面白いと言っていた。

 人間はみな心の中にどんな「鬼」を抱えて生きているのか分らない。老齢になるとことにそうである。また、若いときに一度刷り込まれた物の考え方は、どんなことがあっても消えることはないようである。

 次は匿名で、ブログの名は書道家の日々つれずれ

西尾幹二氏、秦郁彦氏の偽善「歴史家」の素性を看破する
雑誌「諸君」4月号に「田母神俊雄=真贋論争」を決着する / 秦 郁彦 西尾幹 」と言う特集があった。
このページはなんと4ページ分まで「諸君」4月号のHPに掲載されている。

ここで、秦氏は田母神氏の論文の「ルーズベルト陰謀説」について一笑に付している。

それに対して、西尾氏は状況証拠を突きつけて行くのだが、秦氏は「開戦をあと1か月延期すれば、フリーハンドの日本はどんな選択もできたし、当分は日米不戦ですんだかもしれません。」という。
この歴史上のifに対して西尾氏は異議を唱えて、「最後にやらなくてもいい原爆投下まで敢行したことを思えば、アメリカの、破壊への衝動というのは猛烈、かつ比類のないものであることがわかります。」と反論する。
この点、秦氏と言うのは歴史から何も学ばないというか、国というものの普遍的な性格というものを何も学んでいないようだ。
なぜなら、その後の米国の政治としての戦争の歴史、そして今批判しているイラク戦争を見てみれば、秦氏のノーテンキさが良く分かると言うものである。
その無神経なノーテンキさが何に由来しているのかと言うことは、西尾氏の追求で次第に明らかになるが、単純に言えば「日本は攻撃的人種」、米国は「平和主義者の聖人」というもの。
正に、洗脳教育の賜が根幹をなしている。
だから、秦氏は「もし日本側、枢軸国が勝っていたら、東京裁判と似たような戦争裁判をやっていたでしょう。あるいは、日本人による恣意的な、人民裁判に近いような形になったかも知れない。」という。
続けて、「東京裁判の最中、これといった日本国民の反発は見られませんでした。」と言ってしまう。
西尾氏は、「日本人の方が不公正なことをすると決めつけるのはどうしてですか。」と反論するも反論記載はない。
秦氏と言うのは、歴史上の事実であっても自分の都合の悪いことは黙殺するという傾向があるようである。
なぜなら、東京裁判中の世論の反発がなかったというのは厳重な「言論統制」によるもので、特に東京裁判と憲法問題に関しては厳重に行われたことは教科書にも載っていたことである。
そして、それに反すれば学者と言えども更迭され、それが恐ろしくて憲法擁護の日本国憲法論や歴史学が構成され、戦後60年も経っても継承されてきたのは明らかだ。
そんなことを歴史家である秦氏が知らないはずはない。無視するのは都合が悪いからである。
同じように都合が悪いのは、日英同盟が結ばれた経緯だろう。
なぜなら、北京の55日で有名な義和団事件で各国軍隊、海兵隊が北京に進軍するが、進軍する時の略奪が酷い。
特に酷かったのがロシア軍で、軍隊が間に合わなかった。
その中で、略奪一つなく速やかに進軍して当然一番早く北京に到着したのが日本軍であった。その規律正しい日本軍の態度が日英同盟の基本にあった。

次に、西尾氏は、「ヴエノナ文書」による米国政府の内部に浸透した「コミンテルン」に言及するが、秦氏は「「ヴエノナ文書‥‥決定的な証拠は何もないのです。」と又言い切ってしまう。
そして、状況証拠を突きつけられると「歴史学の専門的見地からいえば‥‥‥ほとんど価値がない‥‥」と逃げる。
西尾氏は、「その歴史学的見地というものを私は信用していない」と反論する。
そして、「張作霖爆殺事件」について言及して関東軍特務機関河本大作大佐が真犯人だとはわかっていないという。
ところが、秦氏は「河本大作大佐が何者であるか、隅々までわかっていますよ。」と又断定する。
ここまで来ると、秦氏と言うのは歴史分析というものにダブルスタンダードを使っていることがわかる。
なぜなら、河本大作大佐が「張作霖爆殺事件」の犯人であるとは、本人が言っている訳でもなく、そうではないかという憶測だからだ。
この「張作霖爆殺事件」と言うものは、「満洲某重大事件」とか「張霖某事件」とか実際は呼ばれて、昭和40年代前半に何回もNHKで検証ドラマが行われた。
そして、初めはNHKでも張霖某重大事件の首謀者は不明とナレーションがあり、その後には関東軍特務機関の仕業と噂されているになり、最近では河本大作大佐の仕業と言い切っている。
簡単に言えば、東京オリンピック以降とはいえ「張作霖爆殺事件」当時の状況をよく知っている人達が生きているときは従来からの見解を踏襲しているのである。
又、「関東軍特務機関河本大作大佐真犯人説」は東京裁判から後の話である。そして、今現在に至っても真犯人は不明な事件であるはずだ。
それを「河本大作大佐が真犯人」と言い切ってしまうというのは、語るに落ちたとは秦氏のことだろうと言うことがわかる。
そして、この秦氏と言うのは、以下のようなきれい事を言って自己を正当化する偽善者であることが分かる。
「プロの歴史研究者は、史実として認定できないものは全て切り捨てて、取り得えず棚上げにしておきます。」
ここからは、西尾氏も腹を立てたようで‥‥
歴史に「善悪の判断」をしているとか、歴史の悪いところばかりを取り上げて、良い部分を無視するとか、‥‥ととどめを刺す。
後は、秦氏が全面逃げを打って、聞く耳持たずのいわゆる「戦後歴史観」の言いっぱなし。

結局、秦氏の馬脚が全部ばれてしまった顛末。
全くお粗末な秦氏でした。
書道家の日々つれずれ より)

 匿名なのでどういう方か分らないが、トータルとしての理解の仕方をありがたく思いつつ読んだ。ここはもう一寸強調して欲しいとか、別の面にも触れてほしいとか、いろいろあったが、それを言い出せばバチが当る。「鬼」の多い世界で「仏」に出会えてあらためて感謝申し上げる。

 ただ、秦郁彦さんのためにあえてひと言弁明してあげておきたい。彼は張作霖爆殺事件については緻密な研究論文を書いている。私は抜刷りを一冊もらった。彼らしいしつこい実証論文である。

 だが、その実証論文には外国の文献への言及がない。外国の研究を視野に入れていない。もうそれだけで「実証」にはならないのである。私はそういうことが言いたかったのである。

 なにしろ爆殺事件は外国で起こった出来事である。日本は外国と戦争したのである。外国が何をしていたかを考えないで日本の国内だけ詳しく掘り起こしても「実証」にはならない。

 日本の近代史について確定的なことはまだ何も言えず、国民的に納得のいく20世紀日本の全体像が生まれるのは50-100年かゝるだろう。

お知らせ

日本文化チャンネル桜出演(スカパー!216チャンネル・インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)

タイトル  :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
テーマ   :路の会スペシャル「日本と中国―その過去・現在・未来」
放送予定日 :前半 平成21年3月12日(木曜日)19:30~20:30
       後半 平成21年3月13日(金曜日)19:00~20:30
       
パネリスト:(50音順敬称略)
      北村良和(愛知教育大学名誉教授・中国哲学)
      黄文雄(作家・評論家)
      石 平(評論家)
      杉原志啓(音楽評論家・学習院女子大学講師)
西尾幹二(評論家)
      西村幸祐(ジャーナリスト)
      樋泉克夫(愛知県立大学教授)

司会:水島総(日本文化チャンネル桜 代表)

非公開:4月号の『WiLL』と『諸君!』(三)

 今日は個人的感情を隠していない「応援歌」のような二人の友人のメールをご紹介する。こういうのを頂くのも有難いし、うれしい。

 その前に冒頭に出てくる『諸君!』の廃刊については、ただただ驚いているだけだということをお伝えし、後で感想を述べる。最初のメールレターの主は元『逓信協会雑誌』編集長の池田俊二さん、私の『人生の深淵について』の生みの親であり、洋泉社親書の『自由と宿命・西尾幹二との対話』の相手をして下さった方だ。旧友の一人といっていい。

 『諸君!』(近く廢刊になるさうですね)での對論についての、尾方美明さんと足立誠之さんの感想、實にいい點を突いてゐますね。
秦といふ人については、尾方さんのおつしやる「愛情が決定的に不足」が全てでせう。何故さうなるのか、私からすれば、單なるバカだからとしか言ひやうがありません。

足立さんの「秦氏は木っ端微塵に碎けた」にも、完全に同感です。まともな眼で見れば、それ以外に評しやうがないでせう。しかし、本人も、多くのジャーナリズムも「碎けた」とは感じないのではないでせうか。そして、今後もイケシャーシャーと、「西尾さん、本來の持ち場にお歸りなさい」などと言ひ續けるのではないでせうか。

先生が「相手として戰はなければならない今の時代の典型的な『進歩的文化人』」5人の一人として、秦氏を擧げられる所以でもありませう。

「今の時代」にあつては、連中と「戰ふ」ことが、先生の責務とされるのでせう。それは否定出來ません。しかし、私としてはまことに悲しい。最高の知性が、あのやうなゴミを相手にせざるを得ないとは! ゴミは我々大衆が處分すべきです。そして、先生は『江戸のダイナミズム』のやうな、ゴミとはかかはらないお仕事に專念されることを願つてきましたが、大衆がかくも怠惰・魯鈍では、さうは問屋が卸しませんね。

「後世に遺る」といふことが、私の念頭にありますが、一方、少しでも時代の要請に應へる――時の風潮を匡す――ことも大切ですから。「朝まで生テレビ」にお出にならざるを得ないのと同じことですね。

まあ、この世も、人生も思ひどほりにはゆかないものですね。折角御健鬪を祈り上げるのみです。

 ありがたい「応援歌」でもあるが、大切なことを要請されてもいるのである。『ツァラトゥストラ』に「市場の蠅」という一節がある。

 市場においてだけ人は「賛成」とか「反対」とかの問いに襲われるのだ。市場と名声とを離れたところで、すべての偉大なものは生(お)い立つ。

 およそ深い泉の体験は、徐々に成熟する。何が己れの深い底に落ちてきたかがわかるまでには、深い泉は長い間待たねばならぬ。

 逃れよ、私の友よ、君の孤独の中へ。私は君が毒する蠅どもの群れに刺されているのを見る。逃れよ、強壮な風の吹くところへ。

 君は小っぽけな者たち、惨めな者たちの、余りに近くに生きていた。目に見えぬ彼らからの復讐から逃れよ。君に対して彼らは復讐心以外の何者でもないのだ。

 彼らに向かって、もはや腕をあげるな。彼らの数は限りがない。蠅たたきになることは君の運命ではない。

 池田さんは私に「蠅たたきになるな」と言って下さっているのである。肝に銘じたい。

 『諸君!』編集長の内田さんは私の『江戸のダイナミズム』を総力を挙げて編纂し、出版してくださった担当編集者である。二年前『諸君!』のチーフになったとき、私たちは私の仕事について相談し、私はなんらかの形での十八世紀論を連載することを彼に提案し、了承されていた。しかししばらくは現代との格闘をして欲しい、とも彼は言って、その間に準備を進めることになっていた。

 私の準備は遅れがちであるが、今でもこの計画を変えていない。『江戸のダイナミズム』は言語論、宗教論だったので、今度は十八世紀の中国と西欧に対する江戸の政治論、外交論を書きたいのである。私の「鎖国論」でもある。

 西欧にではなく中国に対する「鎖国」が問題の中心であったことを今までの人は見ていない。また、大東亜戦争につながるイギリス、フランス、オランダ、ロシアのアジア侵略は江戸時代に完了していた。江戸の研究家は江戸文化にばかり目が向いて、中国と西欧に対する当時の日本の静かな対応、拒絶と憧憬のもつ意味を見ない。

 私はデッサンだけしか書けないかもしれない。書きたいのは、十八世紀の西欧の成熟した文化は江戸の文化と呼応していて、日本人は中国文化とは江戸を通じてどんどん距離が出来ていたということなのだ。清朝時代の中国は秩序というものを知らない。

 それが明治以後に複雑に波動している。大東亜戦争の由来も、そしてその積極的意義も、ここから考えなければいけない。

 しかし、残念ながら『諸君!』の廃刊は私のこの仕事の連載を不可能にした。私にとっては打撃である。内田さんも恐らく残念に思っているだろう。三日前に私にかけてきた報告の電話の声は興奮していた。

 私の上記の企てを引き受けてくれる雑誌は当分の間見つかりそうもない。昔は文芸誌『新潮』が対応してくれたものである。今の文芸雑誌はさま変わりしている。

 大型の充実した連載が可能な雑誌は見当たらない。それが簡単に見つからない情勢だから、雑誌の廃刊が相次ぐのである。今の時代の文化が重い荷物を担うことができなくなったためである。左傾とか右傾とかいう話ではない。文化のパワーの衰弱の結果に外ならない。

 さて、もう一人の「応援歌」はパリのFさんが寄せてきた次のメールレターである。当「日録」がコメント欄を開いていた当時、たくさん書き込んで下さった方である。『諸君!』3月号論文に向けて書かれている。

西尾幹二先生

ご無沙汰いたしております。

お元気でいらっしゃいますか。

先生の日録は精力的で、毎日クリックする楽しみがあります。
お忙しい中、次から次書いておられる勢いに、なんかこう、若さを先生から感じます。諸君の3月号『米国覇権と「東京裁判史観」が崩れ去るとき』を拝読いたしました。

先生はとても大事な難しい事柄を、主婦の私にも何とか理解できる文章で表現されることに、真贋の真を感じます。次を待ちたい気持ちになります。

市販本「新しい歴史教科書」が発売されてすぐに買ったつもりが、2001年6月10日の第1刷発行より10日遅い2刷発行でした。

6~7ページの『「歴史を学ぶとは」・・・・過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである。・・・歴史によって、それぞれ異なって当然かもしれない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないのかもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるだろう。だが、だからこそ歴史を学ぶのだともいえる。』を読み、歴史というものを年代暗記ではなく、物語として捉える楽しみがあるのだと。

私もこんな教科書で学びたかったと思いました。

昔この教科書に出会っていたならもっと歴史を勉強したかもしれないと、ないものねだりの自分がありました。

この「歴史を学ぶとは」が現行の教科書では、中学生に難しいということで削られたということですが、大人は子供を見くびっていますね。この言葉がこの教科書のダイヤモンドなのに・・・。 一番いいものを子供に触れさせない大人は、精神の怠け者です。

そしてふっと、山本夏彦氏の言葉も蘇ってきました。故人とも旧知の仲になれると読書の醍醐味を語っていました。小説の作家やその本の中に出てくる人々とも友に似たものになれると。

先生が論文で挙げておられる歴史家の先生方は、歴史の勉強は沢山したのでしょうが、その時代に生活していた人々を忘れた勉強の仕方だったのではないかしらと。

また、「人生の価値について」の中で、先生が大学生の時の教授のことを書いておられましたが、デパートのような内容の教授には人間的な魅力が感じられなかったということも、なぜか思い出しました。

先生が今なさっておられる「GHQ焚書図書開封」の仕事こそ、歴史家がよだれを出しそうな仕事だと思うのですが、果たして自称昭和史家の彼らはこの仕事に取り組んでいるのでしょうか?

昭和16年12月8日の開戦の報を聞いた、何人かの著名人の言葉を数年前に読んだのですが、先生が書いておられるように「・・・必ずしも不安や恐怖ではなくある説明のつかない安堵感であったといわれています」と同じような内容でした。いまになって、その本をきちんととって置けばよかったと悔やんでいます。

先月法事で日本へ帰国していた友人が、フランスに帰ってきて私への第一声は、「日本のテレビは朝から晩まで、社会面のニュースばかり、それも同じことを取り上げていて、どうして今問題になっているガザのニュースをしないのか?」でした。その頃のフランスの夜8時のテレビのトップニュースは、ガザでした。

また先日フランスで大規模のデモがあり、そのことについて、サルコジ大統領が各局のニュースキャスターや新聞記者の質問に答えるテレビ番組がありました。チャンネルを変えても変えても同じ画面。6チャンネルあるうちの3つのチャンネルが同じ放送をしていました。

フランス人は、大統領の所信演説などの放送はよく見ます。

他人のフィルターを通した解説より、自分の耳で聞きそして自分なりの判断をする。3つのチャンネルがサルコジ大統領の番組を放映したことについて、後日友人にフランス人は政治に関心があるね、日本では考えられないことだと言いますと、サルコジ大統領はテレビ局を手中に収めたから、これも注意していないとね、という鋭い答えが返ってきました。

今年の1月5日から(夜の8時~朝の6時まで)2チャンネルと3チャンネルから宣伝がなくなりました。

テレビの見方の日仏の違いを考えてしまいました。良くも悪くもフランス人にとっては、「レゾンデートル」が一番の関心事なのだろうが、私なりの結論です。

それだけに利己主義、国粋主義の多いこと、うんざりしてしまいますが、私は反面羨ましくも思います。まず自分が大事、自国が大事、フランスが一番、がフランス人の思考です。
これを堂々と言葉に出すフランス人。「レゾンデートル」を思う人間にとっては普通のことだと思うのですが、日本人の私はやはり羨ましい。

フランスの子供はませています。起こった事柄に現実的に判断をするということです。自分のことの責任は自分にあるということを小さい時から躾けられています。フランス人は自分の国は自分たちで護る。国連に自分の国を護ってもらおうとは考えません。ちょっと賢い高校生は、国連は自国の利益になるように使うものだということを大人を見て知っています。ここら辺が、フランスという国のすごいところです。
これも私はとても羨ましい。

つい先日、息子の友人のアメリカ人が遊びに来た時、我が家にある戦争映画(DVD)の話題になり、私は「これらは日本人を悪者に描いてあるから見たくない」というと、彼は解説の制作年、1943年、44年を指差し「よく見て制作年を、まだ終戦前だよ。政府がハリウッドに作らせたプロパガンダ映画なんだよ」と。

それにしても日本人は、沢山の映画をうっかり見てきたのだなぁ、とその時思い知らされました。

先生のお姿を、チャンネル桜の討論会やGHQ焚書図書開封で楽しみにして拝見しています。先生のお仕事で私達日本人に真贋を見分ける眼を与えてください。

どうぞお体大切になさってお元気で過ごしください。
取り留めなく書いてしまいました。お読みいただきありがとうございました。

 パリのご家庭の様子が目に浮かぶようである。帰国された折、東京で一度お目にかかっている。

 今の日本には激変が近づいている。政治の枠組みがガラッと一変するかもしれない。それを見ないようにしているのが新聞・テレビ・出版社の大手マスコミである。パリではそんなことはないと仰っているわけだが、そのことに日本で気がつき、言うべきことを言って警鐘を鳴らすのはだからとても大切な仕事である。けれどもその役を引き受けることは、端的に言って、「市場の蠅たたき」になることに外ならない。

 「彼らに向かって、もはや腕をあげるな。彼らの数は限りがない。蠅たたきになることは君の運命ではない。」という声も、地鳴りのように私の耳には響いているのである。

非公開:4月号の『WiLL』と『諸君!』(二)

 さっそく二人の友人からの反応があった。

 尾形美明さんは論争相手の考え方の抜き書きを作って並べて下さった。

「諸君!」誌上の秦郁彦氏との対談を拝読致しました。

 全面的に西尾先生のご主張に賛同致します。
秦氏には幾ら言ってもダメですね。日本国と日本民族に対する愛情が決定的に欠けています。

・「東京裁判はほどほどのものだった。戦時下の日本は裁判もしなかった」
・「東京裁判にはプラスの面もあった。その証拠に日本国民の反発は無かった」
・「コミンテルンの策謀は無かった」
・「ハリー・ホワイトがソ連の利益のために働いたというのは憶測に過ぎない」
・「ルーズベルトが日本を戦争に追い込んだ、と云うのはおかしい。アメリカにとって日本は片手間の相手だった。開戦を後1ヶ月延期すれば、日本はどんな選択もできた」
・「ルーズベルト政権の中国援助は、国際政治上の駆け引きに過ぎない」
・「世界には、第一次大戦の後に侵略はやめようという国際的合意が出来ていた」
・「日本はナチスと云う”悪魔の片割れ”だった」
・「アジア諸国の日本への感謝は”政治的な含み”に過ぎない」

などなどですが、殆んど信じられないような考えです。どうしたら、このような思考が可能なのでしょうか。共産主義者なら、”革命のため”ということでそれなりに理解できますが。
ご苦労様でした。

尾形拝

 以上を読むと、あらためて論争相手の論の立て方の安易さが分る。当事者である私は気がつかなかった。こう並べてもらって成程と合点のいくところがある。

 次いでお目を悪くしている足立誠之さんが以下のように直に反応して下さった。本当にありがたい。当方も鼓舞される。

西尾幹ニ先生

 本日弟にきてもらい二誌の内容を拝読いたしました。
 いつもながら、新たなお話に目から鱗が落ちる気持ちでおります。

 『WiLL』論文については、極東軍事裁判のそもそもの淵源が第一次世界大戦にまでさかのぼること。アメリカは既に第二次世界大戦に参戦する以前から勝利の暁には人類の名において戦争犯罪裁判の実施準備していたことなど、戦後に行なわれた施策が戦前と一つのセットになっていたことがよく理解されました。これは今日でもアメリカには残っている遣り方であり、今後もそうした流れはつづくのでしょう。こうした全体を理解しない外交や国際 政治、歴史解釈はあり得ない筈です。
 
 『諸君』の秦郁彦氏との対談では、秦氏のレベルの低さに驚きました。もう少しマシな人であると思っていましたが、レベルの低さ、それに嘘まで口にすることに嫌悪感を感じました。 旗色が悪くなると「歴史家である私に任せろ」と論争を回避する。思想も何も無く、 俯瞰図もない秦氏は歴史家ではありません。

 氏は「事実、事実」といいますが、それが事実であるのか否かの判断の基準は歴史の流れの中である視点、思想で検証、評価されるもので、そうした視点、思想を持たない人間は「事実」を「事実」として検証することは出来ないはずです。
 
 これは一般の犯罪裁判でも証拠を結びつけるには論理が必要なことと似ているのではないでしょうか。動機はどうなのか、心理状態はどうなのかなどはある基準があってできるものでしょう。秦氏が思想を否定するならば、歴史の作業など出来ないはずであり、私は秦氏は歴史家ではないと思います。
 
 日本が1941年12月1日に開戦をやめていたら国際政治でフリーハンドを握っていたであろうと言うのは驚くべき発言です。彼は大東亜戦争について何もわかっていないのです。
 
 日本軍が捕虜に対して法務官の判断を下して日本の軍法会議で決めていたら、あとで戦争犯罪で死刑になる日本の軍人はいなかったというのも嘘です。映画にもなりましたが、第13方面軍司令官岡田資中将はこうした軍法会議で米軍捕虜を無差別爆撃という戦争犯罪を犯したとして処刑しましたが、そのために米軍の報復裁判で絞首刑にされています。

 正直な感想ですが、秦氏は木っ端微塵に砕けました。
 
 歴史を「昭和史」とい時間内に限定することが、何を意味するのか、それをご指摘された先生のご慧眼に改めてご敬服もうしあげます。この「昭和史観」は司馬遼太郎氏を始め殆どの日本人が陥っていたアメリカの陥穽であり、渡部昇一氏ですらその影響をうけていたほどですから。
 
 ありがとうございました。
 足立誠之拝

 ここにも述べられている通り、論争相手はあの戦争のすさまじさ、というより戦争そのもののすさまじさを分っていない処がある。考え方が甘いのである。

 細かなことをたくさん知っている方だが、肝心なことが分っていない。学問的にみえるが、学問的ではないのである。実証的といっているが、じつは実証的ではないのである。

非公開:4月号の『WiLL』と『諸君!』(一)

 月が替わってまた4月号の月刊誌の出る時期が来た。以下の通り『WiLL』では評論、『諸君!』では対論を発表した。

 いまこそ「昭和史」と戦おう   『WiLL』

 「田母神俊雄・真贋問題」を決着する   秦郁彦VS西尾幹二『諸君!』

 どちらも歴史がテーマである。第二次大戦をめぐる評価の問題である。いつ果てるともない日本の言論界のいわば永遠のテーマといっていい。

 しかしここへきて、明らかに変化が生じてきた。今まで「保守的」と思われ比較的まとまっていた陣営が戦争観に関して二つに分れだした。すなわちあの戦争を強いられた戦争とみるか、国内の悪の発動とみるか。侵略された側とみるか、侵略した側とみるか。いかんともし難い運命との戦いとみるか、回避しようと思えば回避できた愚かな選択とみるか。戦前・戦中の生死観には特有の幸福の意識があったと考えるか、今も昔も人間の生死観には違いがないと考えるか、等々。・・・・・・

 以前からこの二つの考え方の対立はあったのだが、マルクス主義的左翼と対決している間の思想界はこの二つの価値の相違をあまりはっきりさせないできた。保守の名において大同団結していたからであrう。

 いまアメリカの覇権が終わるのではないかという時代認識――勿論明日どうこうではなく10-20年の時間はかゝるであろうが――少くとも覇権の意味が、その質が変わる潮目の時代に入ってきている。それははっきり言えるであろう。

 このことによって歴史の「枠組み」(パラダイム)も変わるのである。日本人は日清から四つの戦争を武士道の精神で戦ったのではなかっただろうか。英米の金融資本主義とも、ソ連のコミンテルンの教条主義的行動とも、ドイツやイタリアやフランスを襲ったファシズムとも、日本はそのどれとも関係がなく、「心理的」影響を受けはしたが、せいぜい時代のモードとして受け入れただけで、基本は国家の危難に対し武士道の精神をもって起ち上ったのではなかっただろうか。

 今そのことが多くの国民に少しづつ実感されてきて、言論界の歴史観も二つに分れてきたのである。そこへ田母神さんの事件が起こった。丁度いい切っ掛けだったのである。

 『諸君!』3月号の拙論「米国の覇権と東京裁判史観が崩れ去るとき」はこの時代の転換について論説した。『WiLL』4月号の「いまこそ『昭和史』と戦おう」と『諸君!』4月号の秦郁彦氏との対論はこれを承け、さらに思想的に発展させている。

 同時に私たちがこれから相手として戦わなければならない今の時代の典型的な「進歩的文化人」は、半藤一利、保阪正康、北岡伸一、五百旗頭眞、秦郁彦の諸氏であることを、『WiLL』4月号で宣言しておいた。

 4月号のこの両誌の私の発言は、時代の転換に対する一つの里程標になるものと信じて疑わない。

立春以後(三)

 2月14日(土)に黄文雄氏の六時間講演(第二回)があった。テーマは日中戦争史観。――

 ブロックは三つに分れ、「歴史捏造」「日中戦争の背景と史観」「歴史貢献」の三つである。日本に流布している日中戦争史観の完全に正反対の歴史観が確立されている。

 午前10時から昼休みを挟んで午後5時まで講義があった。そのうち1時間は「南京学会東中野修道会長の最新研究講座」であった。臨時の飛び込み講座である。

 黄氏も、東中野氏も生涯を自分の歴史の検証に捧げて見事で、胸を打つ。同時代にこういう人が存在していたことを知るのはわれわれの希有にして貴重な体験である。われわれは見逃してはならないのだ。

 世の中にはもの凄い人間がいるということだ。われわれは歴史の逸話としてそういう人間についてたくさん読んできているが、いざ目の前にいる、同時代人となると、つい見逃してしまう。自分の生きている同じ町に、同じ空気を吸って、同じような物を食べている人間に、偉大な「例外者」がいるということを理解することはなかなか難しいことなのであろう。

 東中野氏は講演中にふと自分の生きているうちに曙光を見るとは思っていないと仰った。若い人の中に後継者がほしい。今日のお集りのようなお年寄りの皆さんではもうダメなのだ(と言って皆を笑わせた)。若い後継者に語り伝えていくための考え方の正確な筋道をいま準備している、と。

 国際法に違反するような南京虐殺はいっさいなかったことを証す昭和12年のあの日に、われわれが正確にもう一度もどること――それが「歴史」である。そのための考え方の筋道をきちんと用意しておきたい。若い人にそれを遺したい。東中野氏のそういうメッセージは痛いほどに私には分った。

 私はご講演の内容をいまかいつまんでここで述べることは控えたい。それは氏のご著書を読んで各自学習していたゞきたい。たゞこの日の氏のお話は諧謔を混じえて確信に満ち、聴講していた旧友のK君がむかし学生時代に聴いた人気教授の講義のようだった、と言った。そのことからも分るように、壇上一杯にチョークを振り翳して動き回る細身の東中野先生が今日はいかに説得的で、颯爽としていたかをお伝えするに留めよう。

 黄文雄氏が同じように「もの凄い人間」のお一人であることはこのブログの「大寒の日々(一)」でもつい先日お伝えしたので、くりかえすことはしない。

 黄氏は年に数冊の本を書きつづけてこられた。中国の古典から現代書まで読みこなしての日本への情報の大量伝達は、われわれの社会の中国研究家の誰ひとりなし得なかった偉業である。その影響は量り知れない。

 そんなにたくさんの本が出せるのは氏の本が売れるからである。そして氏は家が買えるくらいのお金を毎年台湾の独立運動のために献じているらしい。誰にでもできることではない。

 さらに独立運動のために世界中を飛び回っている。氏もまた自分を超えるものの存在を信じ、生涯を捧げている人である。

 来年からは自分のために生きることを少し考えているとふと洩らしていたが、氏も東中野氏と同じように年齢の限界を感じ始めているのであろう。

 この日5時間語ったご講義の内容は大変入り組んで、清朝中国史にも及び、とても簡単に要約することができない。私はノートを取り、録音もした。今日は録音を再聴している余裕がないので、私のノートの中から後先の順不同で、印象にのこった言葉のいくつかを書き記しておこう。(文章の選択は任意で、黄先生にはご迷惑であろう。文責は私にある。)

 

「日中戦争は中国の内戦に対する日本の人道的道義的介入であった。中国のブラックホールに日本は巻き込まれたのである。米英が逃げてしまった後に巻き込まれたのが実情である。」

「清朝の時代は中国史の黄金時代だったが、それでも内乱と疫病は止まなかった。ペストなど人類の疫病の発生源は中国である。」

「自然破壊が清王朝の崩壊の因である。森の消滅、巨大水害と干魃、いなごの害で数千万人単位の餓死者が出た。」

「戦争をしなくても匪賊(強盗団のこと)が跋扈する社会だった。戦争に敗けたら匪賊になり、勝ったら軍閥になる。それが中国である。」

「日本では8万の東軍と7万の西軍が対決した関ヶ原の戦いが史上最大の内戦であるが、人類史上最大の内乱を記録した太平天国の乱は、10-15年もつづき、清朝の当時の人口4億の約10-20%、5000万人-8000万人の死者を出した。そしてひきつづき回教徒を虐殺する乱が起こり、イスラム教徒約4000万人が殺戮された。」

「辛亥革命のあと中華民国になってから以後も内乱は止まず、国民党内部も激しく戦い合い、中国共産党もまた内部で殺し合いの嵐が吹き荒れた。文化大革命も中国史に特有の内乱のひとつにほかならない。日本はこうした内乱の歴史に『過去の一時期』(と日本政府はよく言うが)、たしかにほんの一時期巻き込まれたにすぎないのである。米英はその前にうまく逃げてしまったのだ。」

(この項つづく)

立春以後(二)

 2月12日午後2時少し前に私は旅行用キャリアーバッグ(手で曳いていく大型鞄)に本と書類をいっぱい詰めて、紀尾井町の文藝春秋に車で乗りつけた。

 出迎えてくれた『諸君!』内田編集長が「この後ご旅行の予定ですか。」「そうじゃあありません。今日の討論会用の材料ですよ。」「いやぁー、それはどうも」と、重いバッグを私の手から受け取って、運んでくれた。

 相手はまだ来ていなかった。私は広い卓上に本と書類を山と積み上げた。ほどなく相手は現われた。現代史家の秦郁彦氏である。「私は現代史に専門家が存在することを認めていません。」と『諸君!』3月号に私が書いた、あの専門家のお一人である。

 2時から討論を開始、終ったのは6時だった。私はとことん自前の論理で打ち負かすつもりだったが、相手もさるもの、一生かけてこつこつ「実証歴史学者」としてやって来た人だから、そうそう簡単には倒れない。

 私は本当は保阪正康、北岡伸一、半藤一利の諸氏のほうをはるかに疑問としている。秦さんは気持ちの通じる学者なのだ。以上四氏の中ではいちばん「善意の人」である。それもあって討論は穏やかに始まった。

 前日までに編集長からこんなテーマで討議してくれ、と記した一覧表が届いていた。〔1〕田母神俊雄氏の問題の①論文そのものについて②騒動の性格について③社会的影響について。〔2〕「現代史の専門家は存在し得ない」「フィクションの方が立派な歴史になっている」という西尾の実証的学問への批判について。〔3〕17世紀以来の世界史の流れの中で捉えなければ大東亜戦争の本質は分らないという西尾の主張と「昭和史」の関連について。〔4〕東條英機らA級戦犯に罪を被せ国民がとかく被害者の立場で語る言説への違和感について。・・・・・

 このうち〔1〕の①で私が前回の3月号論文で取り上げていた問題の諸事例、ニコルソン・ベーカー、真珠湾陰謀説、張作霖爆殺へのソ連の関与、ハリー・デクスター・ホワイト=ソ連スパイ説の四つの具体的事例について、私のより詳しい説明と、それに基づく論争を行うことを提示されていた。私が大量の本を机上に積み上げざるを得なかったのはそのせいである。

 〔2〕と〔3〕についてはすでに私が3月号論文で詳細に論じている処でもあり、秦さんの反論がなによりも期待された。〔4〕が内田編集長から特別に持ち出されたところの、二人がまだ扱っていない新しいテーマだった。

 時間の大部分が〔1〕に費やされた。〔2〕と〔3〕については、秦さんが全く理解していないし、理解しようともしないので、水掛け論に終始した。〔4〕については若干の了解が成立した。予想した処でもある。〔2〕と〔3〕については、私は話しているのが嫌になってしまって、もう打ち切りたいと思ったくらいだった。

 それは〔1〕のニコルソン・ベーカーからハリー・デクスター・ホワイトに関して私が大量の知見を披露しても、ご自身勉強もしていないのに謙虚に聞く耳をお持ちでない相手とは、何時間かけても「対話」にならないという事情に由るものと思われる。私の説得の仕方もまずかったのかなと反省もしている。

 ここでは卓上に積み上げた本を以下に列記するにとどめる。

Nicholson Baker:Human Smoke
―The Beginnigs of the World War Ⅱ,The End of Civilization―(2008)

A.Weinstein and A.Vassililev:The Haunted Wood
―Soviet Espionage in America―The Stalin Era―(2000)

H.Romerstein and E.Breindel:The Venona Secrets
―Exposing Spviet Espionage and America’s Traitors―(2000)

Nigel West:Venona
―The Greatest Secret of Cold War―(1999)

J.and.L.Schecter:Sacred Secrets
―How Soviets Intelligence
Operations changed American History―(2002)

Thomas E.Mahl:Desperate Deception
―British covert Operations in the United States,1939-44―(1988)

須藤眞志『真珠湾〈奇襲〉論争』講談社メチェ

須藤眞志『ハル・ノートを書いた男』文春新書

柏原竜一『世紀の大スパイ、陰謀好きの男たち』洋泉社

中西輝政『国家情報論』第4回『諸君!』

杉原誠四郎「ルーズベルトの昭和天皇宛親電はどうなったか」『正論』2009,2月号

秦郁彦『現代史の争点』文春文庫

西尾幹二『GHQ焚書図書開封 Ⅱ』徳間書店

 論争がどんな風に展開し、私が異なる思考をもつ人の「壁」の前に立っていかに苦労したかは、『諸君!』4月号でご検討たまわりたい。私も十分に読みこんで勉強し尽くしている諸文献ではないので、論の展開も説得的ではなかったかもしれない。

 論争というものはもともと相手を説得するためにあるものではないのであろう。説得を諦めるためにあるものであろう。であれば、『諸君!』3月号の私の論文ですべて終っていて、それ以上のこと、二人で会って討論するのは所詮、虚しいあだしごとというようなことであったかもしれない。

 帰りの車の中で私は眼を瞑ってじっと動かなかった。それでも頭が冴えて眠れなかった。徒労感を感じたというのでもない。秘かに小さな満足があった。私はまだまだ体力があるな、ということに対して――。

 討論の席には仙頭『諸君!』前編集長が傍聴していられたので、家に帰ってから電話で感想を聴いたら、次のように語っておられた。

 「コップに水が半分入っているのを見て、もう半分しかないという男とまだ半分あるよ、という男の対話だったですね。」と評された。私がどっちかは読者には自ずと分るであろう。

 「日本はイギリスのように静かに小国になっていけばいいのです。」が会談中の秦さんの台詞の一つだった。私はそれを聞いて「人間でも国家でもナンバーワンになろうと努力する心がなかったら、オンリーワンにもなれないのですよ。」と答えたことをお伝えしておく。勿論スマップの歌のことにかこつけて言っているのである。

「座右の銘」に添えて

 私は「座右の銘」とおぼしきものを日ごろ意識していない。
 好きな言葉はあるが、たいてい長文である。                   

 昨年末『諸君!』2月号が「座右の銘」と、それに添える1200字のエッセーを求めてきたが、銘の制限字数が60字なのではたと困った。

 60字に収まる名文句を先に選んで、それに合わせてエッセーを書くほかはないが、そうそう思いつくものではない。私はニーチェ研究家ということになっているので、ここで好みの短章がないとはいえないので、ツアラトゥストラをぱらぱらめくった。

  「私は人に道を尋ねるのが、いつも気が進まない。--それは私の趣味に反する! むしろ私は道そのものに尋ねかけて、道そのものを試すのだ。」

 最初これにしたかったが、制限字数を越えている。しかしこれはほとんど私のモットーである。

 「見捨てられていることと、孤独とは別のことだ。」

 これも好きな言葉である。字数も少なくていい。しかし、エッセーをどう書いてよいか考えていると迷いだして、結局、以下のような次第になった。

 新年に雑誌の2月号が届いたら、77人もの人がこの企画に参加していた。まもなく文春新書になるのだそうである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

君が出会う最悪の敵は、
いつも君自身であるだろう。
洞穴においても、森においても、
君自身が君を待ち伏せしているのだ。

ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』

 人間はいつでも自分で自分に嘘をつこうと身構えている存在です。自己弁解や自己正当化からほんとうに免れている人はいません。重症患者ばかりの病棟に入院したことがありますが、巨人=阪神戦のテレビが病室から聞こえてきて、その部屋の患者は三日後に亡くなりました。半狂乱になりそうな人間がスポーツ実況を楽しめるのです。自分で自分に仕掛けるこの嘘は、切なくも悲しい生の慰めであり、息途絶える直前まで人間は自分を紛らわして生きられるという生の強さの秘密でもあります。しかし人間は基本において弱く、このような場面で自分に嘘をつく自分をまで「最悪の敵」とせよ、とニーチェが言っているのかどうかは、今は問わないでおきます。余りに大きな、深刻な課題へと広がっていくからです。

 人間は誰でも真実を求めて生きていますし、真実を前提にして物事を判断しているものと信じられています。他方、嘘が公然の秘密になっている社会的場面をも了解しています。例えば政治家の選挙公約は嘘が当り前だと皆思っています。しかし百パーセントの嘘を演技して大衆を瞞せるとは思えません。政治家も自分の嘘を嘘とは思わず、ほどほどに真実と思って政治に携わっているはずです。同じように言葉の仕事をする思想家や言論人も百パーセントの真実を語れるものではありません。世には書けることと書けないことがあります。制約は社会生活の条件です。公論に携わる思想家や言論人も私的な心の暗部を抱えていて、それを全部ぶちまけてしまえば狂人と見なされるでしょう。それなら語られない暗部は真実の世界で、公的に語られた部分は嘘の世界なのでしょうか。そんなことはとても言えません。

 嘘の領分と真実の領分とは決して対立関係にはないのです。関係は微妙で、本音と建前の対立がよく取り上げられますが、意識的に操れるそんな見え透いた対立でもありません。

 思想家や言論人が出会う「最悪の敵」は、自分で気づかぬうちに自分に仕掛けてしまう自己弁解や自己正当化です。それが嘘となるのです。人間は弱い存在です。公論と称せられるもののいかに多くが自己欺瞞に満ちていることでしょう。

 近刊の拙著、『真贋の洞察』の「あとがき」の片言を、関連があるのであえてここに再録させて下さい。

 「言論の自由が保障されたこの国でも、本当のことが語られているとは限りません。

 本当のことが語られないのは政治的干渉や抑圧があるからではないのです。大抵は書き手の心の問題です。

 私はむかし若い学者に、学会や主任教授の方に顔を向けて論文を書いてはダメですよ、読者の常識に向かって書きなさい、とよく言ったものです。言論人に対しても今、世論や編集長の方を向いて書いている評論がいかにダメか、を申し上げておきたいと思います。

 言論家にはここにだけ存在する特有の世論があります。評論家の職業病の温床です。

 書き手にとって何が最大の制約であるかといえば、それは自分の心です。」

 ニーチェは、敵は自分であり、自分自身が自分を待ち伏せしているのだ、と言っているのではないですか。

『諸君!』2月号より

立春以後(一)

 当「日録」を文字どおり日々の記録めいた形式で綴ろうとすると、たしかに毎日のように何かがあり、とかく日常の表面を追いかけていくだけになるが、それなりに書くことはある。

 2月5日(木)には「一木会」に顔を出した。この会についてはまだここで報告したことはない。

 日下公人さんをチーフにした勉強会で、浜田麻記子、堤堯、久保紘之、宮脇淳子、大塚隆一(日本ラッド社長)、鈴木隆一(ワック社長)のほか数氏がいつも集まる常連で、毎回講師を呼んで私のひごろ聞けないようなお話を伺う。

 針灸をめぐる東西比較文明論、宇宙の話、リチウム電池と未来の自動車といった、自然科学や技術系のテーマがわりに多い。私には勉強になる。

 今回は座長の日下さんご自身のお話であった。「核武装への手順」というテーマである。1、国内の地馴らし、2、対国外行動の二つに分けて、さらに項目を立ててお話になった。内容は多分どこかの雑誌に出ると思うので、控えておこう。

 日下さんは現代の大久保彦左衛門である。飄々(ひょうひょう)とした語り口で、難しい問題を、人の意表を突くことば遣いでもって平明に切り崩すように話すのを得意としている。これは万人の認める処だろう。私はまったく真似ができない。

 今回は志方俊之さんも座に加わっていたので、軍事問題は賑やかな展開となった。ソマリア沖への海上自衛隊派遣の不備について、志方さんから批判があった。眼の前で外国船が海賊から襲撃されているのを黙って座視するしかない日本の軍艦は、そういう場面が生じたら、国際非難を免れないだろう、と仰った。まったくその通りであると思った。麻生さんはなぜ力強く動き出そうとしないのだろう。

 勉強会が終って、いつもの通り、近所の寿司屋の二階で酒を飲みながらの懇親会が開かれた。私の『諸君!』3月号論文について、堤堯さんと宮脇淳子さんのお二人が早速に読んで下さっていて、「大変良かった」とお褒めのことばがあった。けれども田母神論文の世間の扱い方については評価が割れ、久保紘之さんと大塚隆一さんから言論界が軍人の言説に振り回されるのはみっともない、との手厳しい批判のことばが出され、酒席の論争になった。久保、大塚両氏は私の『諸君!』論文はまだお読みではなく、それへの直接の論難ではない。

 2月7日(土)東商ホールで『WiLL』編集部主催の講演に出向いた。1時30分に編集部の松本道明さんが拙宅まで迎えに来て下さった。会場に着くと田母神さんの講演がほゞ終りかけていて、間もなく控え室で再会した。相変わらず毎日のように講演のプログラムに追われておられるようで、大変な人気である。

 そのあと坂本未明さんと田母神さんとのトークショーがあって、ひきつづき私の講演「歴史を見る尺度」の時間になった。この講演会は昨年末の会場に入り切れなくて、いったんお断りした入場希望者にのみ門戸が開かれたのだそうで、新しい客寄せはしていない。それでも500人以上の入場者だった。みんな田母神さんの人気のせいである。私は刺身のつまである。

 司会の花田紀凱さんが私の講演の前に、聴衆に向かって例の『諸君!』3月号論文が良かったとまたまたお褒めのことばを口にし、よその競争誌の掲載論文をもち上げてくれた。今回はどういうわけか褒められっぱなしであるが、敵陣営ではそれだけ強い抵抗感と警戒心を呼び起こしていることだろう。

 講演が終って、ワックの編集と営業の総スタッフを合わせて十数人と一緒に、夕食会を楽しんだ。お酒の席は人数が多い方が賑やかでよい。

 私の講演「歴史を見る尺度」は『WiLL』4月号にのる予定だそうである。表題は替えられている可能性がある。

 尚『諸君!』4月号で秦郁彦氏との対談が予定されている。12日に行われる。

 こうして毎日起こったことを綴ると、それなりの分量になるのである。しかしこういうことをダラダラ書いても仕方がない。ひとつの例として今回は書いてみたが、ひとがすぐ飽きるだろう。

 時間はどんどん経っていく。何が起こってももう動じない年齢である。しかし時間の速さだけは恐ろしい。