「移民」は救世主か問題児か 反対論(三)

「国内国家」の乱立で日本社会が変質

 日本は今度インドネシアとフィリピンからの受け入れを認めたが、他のアジア、中南米、アフリカの各国からの労働者受け入れの要請を拒めるのだろうか。日本政府は摩擦を好まないので、いったん入れた外国人にフランスのように露骨に不平等を強いる冷酷な対応をしないため、2005年のパリの暴動のような反乱は起きないかもしれない。だが、その代わり日本人社会が妥協し、無理をして彼らに特典を与え――在日朝鮮人に与えているように――自分の利益を奪われ、屈辱を強いられるまでに市民権を後退させないだろうか。

 日本のような民族国家が受ける最大の被害は、社会が移民の受け入れで変質することである。固定した階級のない、移動性の高い柔軟な社会体質が日本の特徴である。外国人の定住化で、下層カーストや「国内国家」型集団が生まれると日本人の側は受け身になり、防衛的になり、日本人社会が知らぬ間に階層化し、保守的に固定化し、自由な流動性を失いはしないだろうか。

 それに人口問題とも密接な関係がある。人口減少が進んでいる時期に外国人を入れると、不思議なことに減少を加速する力にこそなれ、増加させる力にはならない。近年フランスは思いきって気前のいい額の助成金で若干の出生率の上昇をみたが、助成金の恩恵を受けているのはもっぱら移民労働者の家庭で、純粋なフランス人の人口は増えていないとも聞く。

 日本が今度、看護師と介護士の「無制限」労働許可に窓を開いたことはいわば蟻の一穴で、ここから水が漏れ、やがて堤防が決壊し、移民の大群に日本が襲われる日の近いことを私は恐れる。政策当局者の考えは甘いし、無制限に移入枠を増大させるのは許せない。

 世界の状況がすでに明示しているように、外国人労働者問題と難民問題とは同じ次元のことなのである。難民というものはあらかじめ存在するのではなく、発生するのである。誘因の存在するところへ向かって人の波が動き出す。

 何といっても厄介なのは国境を越えてすでに八方へ溢れだしている中国人の問題である。加えて、イスラム教徒は世界の人口の五分の一、十億人といわれているが、半世紀以内に人類の二人に一人はイスラム教徒になるという予測もあり、中国人より恐れられている。

 この点に関連して、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、カナダなどで心配されているのは白人の人口減である。ことにアメリカでは黒人とヒスパニックと中東イスラム教徒に白人が呑みこまれる日の到来への恐怖は、黒人奴隷の歴史をもつ国だけあって、想像以上に強い。オバマ大統領候補の出現はすでに微妙な何かを物語っている。

 アメリカ人はかつて日系移民を憎んだ。しかし今日本から労働者は行かない。日本を民主化させることに成功したからだと自惚れのアメリカ人は信じている。中東を民主化させればイスラム教徒は北米大陸にやって来ない。日本の先例からそう思ってイラクを攻撃したのだという説もある。

 こういう世界情勢下でイスラム教徒のインドネシア人に「労働開国」する日本の行政府の鈍感さと政治的無知には開いた口が塞がらない。

おわり

『SAPIO』7月9日号より

「移民」は救世主か問題児か 反対論(二)

日本人の職、教育に波及する悪影響

 これまで世界各国の何処でも同じ軌跡を辿ったが、外国から先進国に労働に来た人々は、入国直後は「仕事にありつけさえすればありがたい」とへりくだっているが、少し長くいると必ず社会での上昇のチャンス、地位と生き甲斐を求め始める。人間だから当然である。

 日本に来れば日本人と恋愛もするし、結婚もする。個人の自由だからこれはやめろといえない。既婚者は必ず故国から家族を呼ぶ。これも人道上拒めない。家族が来れば住宅や教育や医療の負担が日本の自治体に襲いかかってくる。しかも言語の違う子弟の教育には特別に手がかかる。そこまで考えないで安易に受け入れに賛成した、と言っても後の祭りである。

 民族国家においては少数派の移民は必然的に被害者の位置に自らを置く。移民がどんなに優秀でも、エリートにはなれないからだ。インドネシアの看護師や介護士も将来そう簡単に病院のリーダー、施設の長にはなれないだろう。そのことはやがて彼らの不満と怒りを引き起こす。

 フランスのアルジェリア人、ドイツのトルコ人はみなヨーロッパに自分の運を開く新天地を求めてやって来た。フランス人やドイツ人にすればこれは困る。運を開きたいならどうかアルジェリアやトルコでチャンスを作って欲しい。ヨーロッパの大国は自由と寛容を建前とするから初めは忍耐しているが、景気後退の時期にでもなると、たちまち摩擦が始まる。

 アメリカのような移民国家は事情が少し違う。フランスやドイツのような非移民国家、日本もその一つだが、そこでは多数派の国民が少数派の移民に対しまず最初は加害者となるが、次にそこから生じる葛藤で多数派もまた被害者になる。

 先進国側は労働者提供国に対し富を「与える」立場だと最初思っているが、前者が後者のパワーに依存し、自由を「奪われる」という事態に襲われたことにすぐ気がつくだろう。日本でもレストランなどのサービス産業でも皿洗いや台所仕事に外国人を使っていないところはないといわれるぐらいだが、仮に今入管が厳しい措置をとって彼らを全員強制退去させてしまったら、レストランなどたちまち困ってしまうだろう。

 ドイツではかつて、トルコ人に帰国されたら洗濯屋さんがなくなって立ち往生するからやっぱり彼らにいてもらわなければならない、という認識になったことがある。

 同じことが今後日本で正規導入するインドネシアやフィリピンの看護師や介護士の例でも起こるだろう。彼らの給与が悪くなく――17万円から20万円くらいだそうである――日本で失業者が巷にあふれ、「外国人よ帰れ」という怨嗟の声がわき上がるときがきたとしても、技術と経験をつんだ看護師や介護士は急にはつくれない。彼らに帰国されたら日本の病院や施設が成り立たなくなる。「ぜひ日本に居続けて欲しい」、そういう話になるに相違ない。日本人看護師や介護士の養成に手を抜いたつけが回るのである。

 いいかえれば外国人に日本側が自由を「奪われる」事態を迎えることとなる。何とも情けない話だが、必ずそういうことになる。

 しかも移民が一般化してくると、外国人がいないと工場が成り立たない、町が成り立たない、国家が成り立たないという、より広範囲な状況を引き起こすだろう。日本人失業者が増えてなおそうなる。フランスやドイツの例でいうと、大体人口の7~10%まで外国人単純労働者を吸収する収容力が先進国にはある。そのラインを越えると政治的に異質な事件が多発する。*2004年のオランダ、2005年のフランスはイスラム系住民と事実上の内乱に近い情勢となった。

 2005年の統計ではドイツ人口約8200万人のうち移民は670万人、フランスは人口約6200万人のうち約430万人、イギリスは約5880万人のうち約460万人。以上は概数だが、移民はイスラム系が多数を占め、宗教的民族的対立を高めている。

 キリスト教とイスラム教の積年の宿敵関係がヨーロッパの移民問題の底流あるのに対し、日本にはそれがない代わりに、韓国人、中国人がすでに大挙して移住してきて、新しい移民同士、日本国民とは関わりないところで人種間抗争を繰り広げる可能性はある。それが日本の小中学校に影響してくれば、教育の現場は今まで経験したことのない混乱に見舞われるだろう。

 パリにはイスラム系住民だけが住む特定街区がある。ヨーロッパの各大都市にもそれはある。自民党議連が移民1000万人を受け入れる提言案をまとめたが、仮に日本に移民が1000万人入ってきて、そのうちインドネシア人が100万人だとすると、彼らは在日韓国・朝鮮人の民団や総連よりも閉鎖的な「国内国家」をつくるだろう。パキスタン人もバングラデシュ人も、その他中東系諸国の人々も、不法労働者としてではなく正規移民として入ってくれば、それぞれ強力な「国内国家」に立て籠もるだろう。日本の警察権の手が入りにくい複数の民族集団が形成される。

*2004年オランダでイスラム教徒を批判した映画の監督がモロッコ系移民に殺害された事件をきっかけに、モロッコ移民が暴動を受けたりイスラム系施設が襲撃されるなどした。またフランスでは2005年、アフリカ系移民の青年2人が警察に追われ逃げ込んだ変電所で感電死し、アフリカ系移民が公共施設を襲ったり、車を炎上させるなどの暴動を起こした。

つづく

『SAPIO』7月9日号より

「移民」は救世主か問題児か 反対論(一)

(賛成論:大前研一 反対論:西尾幹二)

イスラム教徒のインドネシア人を大量に受け入れる政府の政治的無知

評論家 西尾幹二

大量失業、国情不安定化を防ぐために「労働鎖国」を敷くべきである。

 たとえ限定的なかたちであっても、外国人労働者の受け入れは、やがて日本に悪影響をもたらす――。こう語るのは20年以上も前から移民容認に異を唱えてきた評論家の西尾幹二氏である。折しも日本は今年から海外からの看護師・介護士の受け入れをスタート。氏のいう「限定的な受け入れ」が始まっている。さらに与党からは「移民1000万人受け入れ案」が急加速している。はたして氏が警鐘をならす「悪影響」とは――。   文章:SAPIO編集部

 インドネシア人の看護師と介護士の日本への受け入れが、昨年の八月に決まっていたそうである。われわれは迂闊であった。

 安倍前首相とインドネシアのユドヨノ大統領との間の首脳会談で署名がなされていた。当初二年間で1000人を上限とする旨の約束であったようだ。というわけで、今月七月下旬に最大500人が早くも来日するといわれているのは、この協定に基づく話だということがわかる。

 報道によると、フィリピンとの間でもすでに一昨年に協定が結ばれていて、インドネシアと同様にやはり二年間で計1000人を受け入れる予定だそうだが、フィリピン側がまだ批准していないために、開始時期は未定のままになっているという。

 官僚がさっさと決めて、政治家がろくに考えもしないで簡単に署名する。その結果が日本に長期にわたって大きな災いをもたらすことに気づいてもいない。民族文化の一体性を損なう災いだけではない。経済的にも政治的にも日本は深い痛手を負うだろう。

 厚生労働省が示したインドネシアとの契約内容を読んでいて、私は唖然とした。彼らインドネシア人は資格取得後、日本国内の病院や介護施設で就労するのだが、「在留期間上限三年、更新回数制限なし」と書かれてあるのである。在留は事実上の無期限である。日本は帰化が容易な国だから、何年か滞在すればみな日本国籍が得られる。インドネシアはイスラム教国、フィリピンはカトリックの国で、日本とは異文化である。

 いわゆる期限付き就労許可ということでさえ、昔から厳格に維持できるかどうかは疑問視されてきた。期限をかぎってもたぶん守られない。いったん先進国に正規の許可を得て入国した外国人労働者は帰国しない。不法滞在者なら強制退去も不可能ではないかもしれない。不法滞在者だって簡単に帰国させることが難しいのはようやく日本でも分かってきているが、まだしも退去させることが可能なのは不法の場合である。

 しかし正規に法的に入国許可を一度でも与えた場合には、期限をかぎっても、先進国側が強い退去命令をだすことはできない。その国に寄与した労働者を、約束の期限が来たからといって、追い返すことは人権問題になる。

 ところが、インドネシアの今度の件は、事実上の「無期限」である。これには驚いた。厚生労働省に問い合わせたところ、最初二年で1000人だが、評判がよければ三年目以後には人数を増やしていくという。

 いったいいつ日本は「移民国家」になったのだろうか。ここで述べられているのは外国人労働者受け入れの話ではない。「移民国家日本の宣言」にほかならない

つづく

『SAPIO』7月9日号より

七月の仕事

 今月私は『WiLL』(9月号)に皇室問題(第4弾完結篇)、『正論』(9月号)にいわゆる「自民党案1000万人移民導入論」への批判を書いています。目下作業中です。前者は55枚、後者は30枚です。

 尚『GHQ焚書図書開封』は増刷ときまりました。第2刷は18日に店頭に出ます。

スカイパーフレクTV! 241Ch.日本文化チャンネル桜出演

タイトル  :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」

テーマ   :「どうする!どうなる!?1000万移民と日本」(仮題)
 「移民」は日本を救うのか?滅ぼすのか?その是非を、現在の在日外国人問題も含めて議論します。

放送予定日:前半 平成20年7月17日(木曜日)夜8時~9時半 
        後半 平成20年7月18日(金曜日)夜9時~10時

パネリスト :(敬称略50音順)
      浅川晃広(名古屋大学・大学院国際開発研究科・講師)
      出井康広(ジャーナリスト)      
      太田述正(元防衛庁審議官)
      桜井 誠(在日特権を許さない市民の会 代表)
      西尾幹二(評論家)
      平田文昭(アジア太平洋人権協議会 代表)
      村田春樹(外国人参政権に反対する会 事務局)
      

司  会  :水島総(日本文化チャンネル桜 代表)
       鈴木邦子(桜プロジェクト キャスター) 

自衛隊音楽祭への提言

 11月に日本武道館で毎年行われる「自衛隊音楽まつり」に平成18年と19年の二度にわたって招待され、参加させてもらった。よく訓練された所作と音の一致、整然たる行進、朗々たる独唱、鳴り渡る管楽器の合奏――勿論どれも大変良かった。ことに演目の中心に位置する太鼓の大合同演奏はすごい。主催者はこれを恐らく目玉とみているであろう。あの広い会場に全国各地の駐屯地から集まった数百個の大太鼓、小太鼓、陣太鼓のくりひろげる総合ページェントは、まさに壮観の名に値する内容である。これが見たくて来る人が多いだろう。

 私も十分に満喫したので、ご招待ありがとうございました、ということばで尽きて、それ以上のことばは本当は何もないのだが、平成18年にもオヤと思い、平成19年にはさらにオヤ、オヤと思ってちょっぴり淋しかったことがあるので、一言申し上げてみたい。

 自衛隊音楽まつりに私などが一番期待するのは勇壮なマーチであり、次いで大東亜戦争の当時はやった軍歌のメロディである。

 平成19年の催しでマーチは軍艦マーチが短く挿入されただけで、フィナーレに「威風堂々」がやはり短く入ったが、私の聞き間違えでなければ、自衛隊の演奏の中にはマーチは他になく、平成18年の場合には、「星条旗よ永遠なれ」「分列行進曲」があったが、概して少なかった。期待していた旧軍歌は二年にわたってまったく演奏されなかった。何かに遠慮しているのだろうか。

 曲目の選定に当たる人にぜひ考えてもらいたいのだが、平成19年の場合のように、冒頭のオープニングの女性の朗誦が外国の曲というのはいかがなものか。

 途中「ラ・メール」「サンタ・ルチア」「カチューシャ」など、名曲とはいえ、旅行会社の宣伝のようなありふれた画像とともに聞かされたのは興ざめだった。ベートーヴェン「交響曲第七番」「悲愴」の二曲が流れたが、自衛隊音楽まつりでどうしてベートーヴェンを聴かなければならないのだろう。日本の歌というとどうして民謡ばかりになるのか。なぜ「ラプソディ・イン・ブルー」や「ファンシードリル」なのか。「我は海の子」でやっと拍手がわき起こったのを覚えていよう。みんな自分の知っている一昔前の日本の歌を聴きたいのである。

 カラオケでは「空の神兵」「加藤隼戦闘隊」「月月火水木金金」「愛国の花」「ラバウル小唄」「あ~紅の血は燃ゆる」「勝利の日まで」「父よあなたは強かった」等々が今でも毎夜、熱唱されている。若い世代に歌い継がれているのが新しい特徴である。

 どうか自衛隊音楽まつりらしく、旧軍の歴史を踏まえた選曲をぜひおねがいしたい。

陸上自衛隊幹部親睦誌『修親』平成20年(2008年)4月号より

お知らせ(再掲)

日本保守主義研究会講演会

 GHQが6年8ヶ月の占領期間に行った重大な犯罪行為とも言うべきことは、日本国内における苛烈な焚書であった。占領期間中、GHQは長年の間積み重ねてきた日本の知的財産や歴史を断絶すべく、一方的に世に出回る書籍を回収、次々に世の中から葬っていった。60年の時を経て、その実態が少しずつ明らかになってきている。

 今こそ隠されてきたGHQの焚書に目を向けねばならない。

●日本保守主義研究会講演会

「GHQの思想的犯罪」 

 講師:西尾幹二先生(評論家)
 日程:7月13日(日曜日)
 時間:14時開会(13時半開場)
 場所:杉並区産業商工会館(杉並区阿佐ヶ谷南3-2-19)
 交通アクセス:
 ※JR中央線阿佐ヶ谷駅南口より徒歩6分
  地下鉄丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅より徒歩5分

会場分担金:2000円(学生無料)
 
参加申し込み、お問い合わせは事務局まで。当日直接お越しいただいてもかまいません。

TEL&FAX: 03(3204)2535
         090(4740)7489(担当:山田)
メール:  info@wadachi.jp

お知らせ

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日本文化チャンネル桜出演
スカイパーフレクTV!241Ch.日本文化チャンネル桜 

タイトル  :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
テーマ   :「北朝鮮・テロ支援国家解除と拉致問題」(仮題)
テロ支援国家解除後の北朝鮮をはじめとした各国の動きと拉致問題の行方について議論します。

放送予定日:前半 平成20年7月10日(木曜日)夜8時~9時半 
       後半 平成20年7月11日(金曜日)夜9時~10時

パネリスト :(敬称略50音順)
      青木直人(ジャーナリスト)
      荒木和博(「特定失踪者問題調査会」代表)
      西岡力 (「救う会」常任副会長)
      西尾幹二(評論家)
      増元照明(「家族会」事務局長)
      松原仁  (衆議院議員)

司  会  :水島総(日本文化チャンネル桜 代表)
       鈴木邦子(桜プロジェクト キャスター) 

読書の有害について(三)

 しかし今ニーチェを離れて考えて、われわれが数少ない、自分で筆を執る創造の瞬間を思い浮かべてみると、誰にしても経験があると思うが、たしかに他人の思想や言葉はまったく役に立たない。研究論文を書く場合でさえ、自分の内心のざわめきに形を与えようとする衝動がわれわれに筆を執らせるのである。

 内発の声がすべてである。他人の思想や言葉は、そういうとき、たとえ大詩人のそれであろうと、邪魔であり、よそよそしい代物だ。ニーチェはそのような創造行為の不安定を突きつめた形で実行したまでである。

 午前中に執筆するある日本の作家は、早朝決して新聞を読まないと書いていた。動き出す前の自分の思想が新聞の汚れた文章で濁ることを怖れるからである。

 また、作品を書き出す前に、少なくとも数日は他人の小説は読まない、と言っていた作家もいる。否、作家でなくても、その程度のことは、物を書く人間は誰でも自分の生活の智恵として実践している。

 早朝に本を読むのは「悪徳」だというニーチェの戦術の言葉は、だから格別珍しい体験から出ているようには思えない。

 ただ彼のように「読むこと」は精神の怠惰だという意識の緊張感の持続を生涯一貫して維持しつづけることが、誰にも容易に出来ないだけの相違である。そして、この相違は小さいように見え、現実には大変大きい。

 従って、そのような彼を日本の外国文学流に翻訳する私の今の行為が、最初からいかに矛盾した破綻を孕んでいるかという本稿の問題の核心は、読者にはもうすでに十分にお分りであると思う。

 なぜなら「翻訳」はわれわれにとって「読むこと」の最も現想的な形態であり、われわれはそれを疑わずに、翻訳を最重要の仕事と看做すことにもっぱら安住してきているからである。

おわり

『べりひて』昭和61年(1986年)5月10日(社団法人)日本ゲーテ協会より

読書の有害について(二)

 ニーチェはもともと「読書」をすら軽蔑している人だ。

 「私は読書する怠け者を憎む」と『ツァラトゥストラ』の中で書いている。彼にとって他人の思想はすべて自分の思想を誘発するための切っ掛けでしかない。自分の内心のざわめきに耳を傾けること以外に本質的に関心のない彼には、他人の思想に身をさらす「読書」は自分の思想の展開にとっての邪魔であり、自分の思想を持たない「怠け者」のやる行為にすぎないのである。

 そういう彼が、他人の思想のテキストの精読に生命を賭けた文献学という学問と最初に出会ったのは大変な矛盾であり、皮肉であるが、しかし彼は元来が眼も悪く、予備知識もあまり準備しないで、他人の思想の中心部を鷲摑みにするタイプだった。

 こういう彼にとっては、たしかに他人の思考や知識は自分の思索の妨害物であり、せいぜい自分の思索を休止しているときの暇つぶしか慰み程度のものでしかなかったという事情はよく分る。『この人を見よ』の一節に次のようにある。

 「読書」とは私を、私一流の本気から休養させてくれるものである。仕事に熱心に没頭している時間に、私は手許に本を置かない。つまり私は自分の傍で誰かに喋ったり考えたりさせないように、気を付けている。……第一級の本能的怜悧さの中には、一種の自己籠城ということが含まれている。私は自分に無縁な何かの思想がこっそり城壁を乗り越えて入ってくることを、黙って許せるだろうか。そして、ほかでもない、読書とはこれを許すことではないのか。」

 本を読むことで何か仕事をしたような幻想に陥り勝ちなわれわれ書斎型の人間に対する痛烈な批判の一語になっているともいえるだろう。

 他人の言葉や思想を手掛りにしてしか物を考えられない(従って物を書けない)われわれ末流の時代の知識人は、研究とか、学問とか、評論とか称して、何か創造的に物を考えた積もりになっているが、果たしてそうか。簡単にそう言ってよいのか。ニーチェはわれわれにそういう鋭い原理的な問いをつきつけているように思える。

 「学者は要するに本をただ〈あちこちひっくり返して調べる〉だけで、しまいには、自ら考えるという能力をすっかりなくしてしまう存在である。…本をひくり返していないときに、彼は何も考えていない。学者の場合は考えるといっても、なにかの刺激(――本で読んだ思想)に答えているだけである。結局、何かにただ反応しているだけである。学者はすでに誰かが考えたことに対し Ja だと言ったりNein だと言ったりするだけで、批評することに力の全てを使い果たし、――自分ではもはや何も考えていない。」

 耳の痛い言葉である。

 さらにもう一つ、学者とは「火花――つまり<思想>を発するためには誰かにこすってもらわなければならない単なる燐寸(マッチ)である」とまでニーチェは言っている。彼一流の奇抜な言い方である。

つづく

『べりひて』昭和61年(1986年)5月10日(社団法人)日本ゲーテ協会より

読書の有害について(一)

 「早朝、一日がしらじらと明け染める頃、あたり一面がすがすがしく、自分の力も曙光と共に輝きを加えているとき、を読むこと――これを私は悪徳と呼ぶ!――――」と、ニーチェは『この人を見よ』の中で言っている。だが私のように最近、時間があれば早朝であろうと真夜中であろうと、急がされて翻訳という読書に追い立てられている昨今では、彼のこの高度に自分の意識のみを透明に集中化して行く瞬間の存在が、ただもう羨ましい。

 白水社版のニーチェ全集(全24巻)の中で、『偶像の黄昏』『この人を見よ』『アンティクリスト』の三作を担当した私の一巻の出版だけが、まったく私の個人的事情から遅延し、版元と他の翻訳参加者に大変にご迷惑をお掛けしたため、今、あらゆることを犠牲にして、ひたすらこの課題に打ち込んでいる。そのため、他の案件に頭が回らないので、訳し了ったばかりの『この人を見よ』の中から、二、三の短い言句を引例して、この稿の責めを果たしたいと思う。

 が、それにしても、われわれ日本の外国文学者ほどに翻訳という手仕事に多大の時間と労苦を捧げる者は他におるまい、と最近つくづく考えさせられるので、その点について先に一言しておきたい。

 日本でも哲学者や社会科学者はそれほどでもない。何といっても外国文学者が翻訳の仕事を最も尊重する。それにはそれ相応の理由があると思う。われわれの仕事の起点はテキストの精読だからである。加えて、主として外国産の他人の思想や作物を手掛かりにしてしか物を考えない、というのがわれわれのほぼパターン化した思考の習性となっているから、ますますその前提は疑われない。

 また、外国文学者でなくても、一般にわれわれ書斎の人間は、本を読んでいると何となく時間を充実させたような錯覚に陥り勝ちな存在である。読書がそのまま仕事だと本気で信じている人さえ少なくないほどだ。

 読書は他人の思考に自分をさらし、そこで得た体験で自分を豊かにすることだといえば聞こえはいいが、実際には、他人の思考に自分を侵害され、食い荒らされて、自分を失ってしまう例も稀ではない。

 真摯な読書家にかえって多い事例である。そして、われわれ外国文学者にとっての「翻訳」とは、緻密に、正確にテキストを読む努力の実践課題でもあるのだから、他人の思考に自分をさらすこの「読書」の延長線上にある活動、あるいはその誠実な理想形態ともいえるだろう。

 そう思えばこそ私もまた、振返ってみると、案外にエネルギーの多くを翻訳に注いできた。私の達成した訳業は量的にも質的にも乏しく、この道の諸先輩の多くの偉業を前にすると翻訳がどうのこうのと言えた義理ではないのだが、ただ、翻訳の相手が今日話題にしているニーチェのような場合であると、私は大変に奇妙な感慨、自分のやっていることがどだい極端に矛盾した行為なのではないかという思いにすら襲われるのである。今日はそのことを少し考えてみようと思う。

つづく

『べりひて』昭和61年(1986年)5月10日(社団法人)日本ゲーテ協会より