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GHQ焚書図書開封―米占領軍に消された戦前の日本 (2008/06) 西尾 幹二 |
投稿者: toshiueh
お葬式と香典
お葬式に香典をつつむという習慣を守っているが、最近それを辞退されるケースや、葬式そのものをやらない場合もあって、小さくない戸惑いを覚えている。
この冬三人の知人が旅立った。
高校の同級生と同じ高校の恩師、そしてこの十年ほど信頼し合える仲となった私と似た仕事をしている学者の三人である。恩師は当然十数年歳上である。他の二人はほぼ私と同年齢といっていい。
私はいま72歳である。高校の同級生約50人のうち10人ほどが他界している。多い方だと思う。
20台で逝った三人は自殺だった。中年の死は圧倒的にガンが多かった。60歳台ではじつは一人しか亡くなっていない。ガンである。残っている同級生はみな矍鑠(かくしゃく)としている。なにか仕事をしている。よく酒も飲む。
と思っていると、今冬一人が逝った。70台半ばのある先輩が、「君、70を過ぎると同級生が次々と消えて行くよ」と数年前に言っていて、そんなものかと当時実感がなかったが、最初の例が出て、あゝやっぱりと思った。
私は自分が老人だという自覚がほとんどない。仕事の内容は変わらないし、食欲も酒量も落ちない。大学の勤務を離れてからの方が生活はずっと充実している。
ところが、昨年路上で二度ころんだ。何でもない路面の小さな凹凸に躓(つまづ)いた。二度とも若い女性が走り寄ってくれて嬉しかったが、やっぱり老人としか見られていないのだと思った。
手の平のすり傷を医者に診てもらい、路面が荒れていたからだと言ったら、医者は「いや、あなたの脚がちゃんと上っていなかったんです。自分では上げているつもりでしょうが」といわれた。
私が一番自分も歳をとったなァ、と思ったのは41歳になったときだった。もう若い方に属していないと認めるのはショックだった。しかしそれ以後は加齢については何も感じないできた。
70になっても感じなかった。が、周りが容赦しないのだ。新聞をみると同年齢の訃報がつづく。妻は私の亡き後の自分の暮し方を気にしている。
私の葬式についてどうしたらよいかと遠慮なく聞く。「慣習に従って世間並にやりなよ。お通夜はお酒とご馳走をたくさん出して賑やかにやって欲しい。お香典は正確にきちんと半返しにする。間違ってもどこぞへ寄附いたしましたとはやらないでくれ。寄附したいなら半返しをした残りを世間に黙って寄附すればよいのだ。香典のやり取りには鎮魂の意味があるんだよ。」などと勝手なご託を並べることもある。
高校の友人のお通夜とお葬式はいまの私の趣旨にほぼ添っていた。お浄めの席は賑やかで、遺骸のある隣りの部屋は臨時クラス会のような酒を酌み交わす談笑の場となった。
新聞記者だったその友人は、むかし酒席で、「西尾、お前言論雑誌でどんな派出なケンカをしてもいいが、負けるケンカだけはするなよ」などと肩を組みながら大きな声で耳許で叫んだのを私は思い出し、ふと涙ぐんだ。
談笑の中に追悼がある。威儀を正さなければ祈りがない、などということはない。威儀を正すとかえって気が散れて、余計なことを考えたりしてしまう。
高校の恩師の葬儀はキリスト教の教会で行われた。国語の先生だったが、黒板に英語やフランス語をどんどん書くユニークな先生だった。
私は試験の答案の余白に、出題の意図をウラ読みする批評を書いたり、先生の人生観を風刺する歌を書いたりすると、必ず面白い返事の文句を書き並べた答案が返されてきた。私は今でもそれを大切に保管している。
教え子に囲まれた先生の葬儀は荘厳で、立派な内容のある追悼の言葉で飾られていた。私は教会用のお香典袋を用意して持って行ったが、固辞され、受け取ってもらえなかった。そういう方針だというのである。他のすべての参会者が香典袋を押し返されていた。
私は自宅に帰ってからも落ち着かなかった。追いかけて花環でも贈ろうかと思ったが、迷っているうちに時間が過ぎた。
香典の金額は少額である。小さな寄進である。ただの形式である。しかしそれで気が鎮まるということはある。
自分が参加したという裏付けのようなものである。私は先生を思い出すたびに、まだ務めを果していないような居心地の悪さを引き摺っている。
私と似た仕事をしている学者の知友の場合には、葬式がなかった。遺族が身内だけで葬儀をすませ、初七日を過ぎてから訃報を伝えてきた。最近よくあるケースである。取り付く島がない。
友人知人にも鎮魂の機会を与えるために葬儀がある。香典だけ送る、という手もあるが、それは好ましくない。自宅にバラバラに出向いてお焼香をするというのも、遺族への遠慮がって限りがある。どうして普通の葬式をしてくれなかったのかと私は遺族に不満を持った。
私は一計を案じ、都内の某会場を借りて追悼記念会をやることにした。著作家の友のことだから、遺徳や業績を偲ぶ人は多い。
しかしこのとき、人が死んだらできるだけ他人と違うことはしない方がよいと私は思った。
死を迎えるのはどこまでも自分であるが、死ぬ前の自分と、死んだ後の自分は社会的な存在なのである。
『逓信協會雑誌』2008年5月号
『GHQ焚書図書開封』発刊と新事実発見(二)
この本は一冊で終わるのではありません。ひきつづき二冊目が準備されています。
第二冊目の目次は下記の通りです。
『GHQ焚書図書開封』第二巻
目次(予告)一、 従軍作家の見たフィリピン戦場最前線
二、 「バターン死の行進」直前の状況証言
三、 オランダのインドネシア侵略史①
四、 オランダのインドネシア侵略史②
五、 日本軍仏印進駐の実際の情景
六、 日本軍仏印進駐下の狡猾情弱なフランス人
七、 人権国家フランスの無慈悲なる人権侵害
八、 アジア侵掠の一全体像①
九、 アジア侵掠の一全体像②
十、 『太平洋侵略史』という六冊本シリーズ
十一、 大川周明『米英東亞侵略史』を読む
十二、 『米本土空襲』という本
すぐにも刊行と思ったのですが、準備不十分で、予定の8月には間に合いそうもありません。恐らく10月になるでしょう。やはり最初の一冊が出ないと出版社のスタッフも弾みがつかないのです。
焚書図書は七千数百点あり、テーマも多岐にわたるので、紹介し始めたら際限がなく、これで終わるということはないのです。
三冊目も四冊目も予定されていますが、勿論私にその時間と体力が許されゝばの話であり、版元に継続する根気があればの話です。
いづれにしても私の身にできることは小さく限られています。ご紹介できるのはほんの氷山の一角です。
私の仕事はどこまでも消された本の世界の「開封」にとどまり、焚書の全貌を見渡すのは次の時代の人の課題となるでしょう。
『GHQ焚書図書開封』発刊と新事実発見(一)
ようやく『GHQ焚書図書開封』が徳間書店から刊行されます。店頭に出るのは6月17日です。以下に表紙と目次を掲げます。
2部構成になっています。第1部の調査と研究に時間を要し、刊行が予告より2ヶ月遅れました。戦後の政治文化史にとって衝撃となる事件を語っているはずです。
本日6月7日23:00より、この第1部の内容について、文化チャンネル桜で私が一時間かけて、何が「衝撃」であるかのあらましをお話しします。
実際に本が出たとき、店頭で手にとっていたゞければ分りますが、図表や証拠文書の8種の付録がついており、地図もふんだんに入っていて、読み易い展開です。
文章はテレビの復元ですから「です、ます調」で、視覚に訴える工夫もなされています。
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GHQ焚書図書開封―米占領軍に消された戦前の日本 (2008/06) 西尾 幹二 |
GHQ焚書図書開封・目次
[第1部]―――――――――――――――
第一章 「GHQ焚書図書」とは何か
「焚書」と「検閲」は別である
東京大学文学部の関与
秘密裏に行われていた陰険な「没収」
帝国図書館館長室と首相官邸での秘密会議
尾高邦雄、金子武蔵、牧野英一
占領軍没収リスト作成班によるふるい分け
文部次官通達による没収の全国展開
占領軍に失敗感があった
アメリカに移送された大量の文書の行方
東京裁判とつながる可能性
没収された本の若干例第二章 占領直後の日本人の平静さの底にあった不服従
言葉と謀略による「戦後の戦争」
私信を「検閲」した恐しいシステム
日本社会の不気味な沈黙
日本人が戦後たちまち従順になった諸理由
戦闘は終わったが戦争は続いていた
ABCD包囲陣に対する戦中の日本の静かな決意
当時の日本人の勁さは何だったのか[第2部]―――――――――――――――
第三章 一兵士の体験した南京陥落
歩兵上等兵「従軍記」の感銘
正確に自分を見つめる「目」
戦場の人間模様
ついに南京入城
南京から蕪湖へ
平和でのどかな南京の正月風景第四章 太平洋大海戦は当時としては無謀ではなかった
パラダイムが変わると歴史の見方は変わる
日米もし戦わば、を予想する本
日米大海戦は「日本有利」という事前観測
「限定戦争」と「全体戦争」
ハワイ占領とパナマ攻撃ははたして誇大妄想だったか
日本を侮れないぞと必死に瀬踏みしていたアメリカ
ソ連が見ていた極東情勢
太平洋の戦いの本質は「日英戦争」だった第五章 正面の敵はじつはイギリスだった
一九二〇年代、日米は「若き強国」にすぎなかった
日本が「敵」として意識していたのはイギリスだった
「平和もまた戦争同様、凶悪である」
宣伝戦の重要さを知って始めたのはイギリスだった
イギリスは文明の模範であり卑劣の代表でもあった
植民地インドにおけるイギリスの暴虐
日本にとってイギリスの脅威とは何であったか第六章 アジアの南半球に見る人種戦争の原型
イギリスが手を伸ばしたもう一つの新大陸
空白の大地はどのようにして発見されたか
アメリカ独立戦争のネガティヴな影響
新植民地に咲いた悪の花
いまもオーストラリアはなぜ元気がない国家なのか
国家の起源と独立戦争が歴史に対してもつ意味
日本を「第二のスペイン」にしてはならない第七章 オーストラリアのホロコースト
本国イギリスもたじろぐ植民地の白人純血主義
マオリ族を中心に――
タスマニア原住民の悲劇
アングロサクソンによる少数民族絶滅
歴史書の没収はホロコーストに通じる
日清戦争後のオーストラリアは日露戦争後のアメリカに瓜二つ
二十世紀の戦争の歴史を動かした人種問題第八章 南太平洋の陣取り合戦
イギリスとアメリカの接点
「南洋」情勢を概観する
植民地が抱く帝国主義的野心
オランダ、ドイツ、イギリスによる南太平洋の分捕り合戦
第一次世界大戦と日本海軍の役割
日本の「人種平等案」を潰したアメリカとオーストラリア
第一次大戦直後からABCD包囲陣の準備は始まっていた第九章 シンガポール陥落までの戦場風景
ワシントン会議によるハワイとシンガポールの軍事要塞化
シンガポール攻略とアジアの解放
壮絶! コタバル上陸作戦
日本軍を歓迎した現地の人々
シンガポール陥落と世界各国の反応第十章 アメリカ人が語った真珠湾空襲の朝
昭和十八年四月に日本語に翻訳された米人の空襲体験記
ホノルルの朝の情景
カネオエ飛行場の空爆
日本軍はけっして市街地攻撃はしなかった!
当時の日本の新聞に見る「十二月八日」
壮烈! 真珠湾攻撃
著者のアメリカ人の語る日本軍の実力と襲撃の世界的意義
必ずしも奇襲とはいえないあとがき
文献一覧
付録1-8
(日本文化チャンネル桜出演)スカイパーフレクTV241Ch
出演:西尾幹二
6/7 (土) 本日 23:00~24:00
第23回:GHQ「焚書」図書開封の刊行と新事実の発見
お知らせ
本日6/6(金) Part2: 21:00-22:00
◆どうなる!?東アジア軍事情勢
パネリスト:
潮匡人(評論家)
太田述正(元防衛庁審議官)
川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
田代秀敏(大和総研主任研究員)
西尾幹二(評論家)
西部邁(評論家)
松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子
WiLL論文について
おかしな竹田恒泰氏の論文
竹田恒泰氏が『will7月号』で西尾幹二氏の論文を批判しているが、はっきりと言うならばおかしな批判ばかりだ。竹田氏は西尾氏を「保守派を装った反日派」扱いしているが、それはむしろ竹田氏のほうではないか。
竹田氏は西尾氏の「この私も(中略)天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という片言節句を取り出して、それを抜き出した上で「天皇制度を「廃棄」するのは、およそ保守派の言論人から出る言葉ではあるまい」と言っている。ところがこれは竹田氏の詐術である。なぜなら西尾氏の原文は、「(それまで皇室が近代原理に犯されつつあることを批判した上で)皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という内容である。この文章自体「保守派」に危機感を促す修辞だと思うが、それでなくとも文章の本意を読み取らず、言葉の一部分を抜き出す竹田氏はどこかおかしいのではあるまいか。さらに竹田氏はこう言っている。「廃棄とは廃棄物を処理することを意味し、この言葉を天皇に使った人物は後にも先にも西尾氏だけであろう」。竹田氏は日本語にも難があるらしい。「廃棄」を説明するのに「廃棄物」を使ったら同語反復で説明になっていない。「廃棄」とは「不要のものを捨てること」であり、「廃棄物」という言葉を選んだのは西尾氏の主張を気色悪く見せようという手だろう。
皇室が「不要」とは何事かと言い出されかねないが、この「廃棄」に賛成している部分は西尾氏が想定する最悪の状況になった場合、という話である。その文意を全部無視して「皇室の存在を良しとしない」などと決め付けられてはたまったものではない。
西尾論文の主意は皇室に学歴主義、平等主義という近代原理が入り込み始めており、「人権」という最大の近代原理が入りこむのは時間の問題である。左派はすでにそのことを言い始めている。伝統を無視し、「人権」を尊重するようになってしまえばもはや日本社会は融解する。そのような皇室になってしまったら廃棄もやむを得ない(原文を読めばわかるが、「そうならないようにしよう」、という語感が言外に含まれている)。西尾氏は皇室とは日本人の「信仰」であると理解しており、したがって皇族は神としての存在を求められる。「人権」などという原理を認めればそうした日本人の原信仰は破壊しつくされてしまう、ということだ。竹田氏曰く「英国のゴシップ紙と何ら変わることはない」そうだが、これのどこが「英国のゴシップ紙」なのだろうか。
西尾氏は皇室に近代原理が入り込んでいく過程を明らかに雅子妃に見ている。雅子妃には「キャリアウーマン」としての前歴などではなく、伝統的皇室として行動していただきたい旨を主張している。日本皇室の西洋王室化を懸念しているのであり、いっそ西洋王室のようになっていくか、それともそれが日本社会に深刻な悪影響を及ぼす前に「廃棄」してしまうか。この命題は保守派にとって突きつけられた課題のはずだ。仮に皇室が伝統的皇室を裏切ってもひたすら維持するのか、そうではないのか。尊皇家であればこそ考えなくてはならない課題である。ところが竹田氏にはそのあたりの視野は全くないようである。西尾氏ばかり擁護していると思われるのも何なので余談ながら触れるが、この命題にたいしては当の西尾氏すら揺らぎを見せているように思える。
竹田氏は皇室が批判されれば印象が悪くなると考えている節がある。だが事はそんなに単純ではない。まさに西尾氏が「内部から崩壊しようとしている」と述べているように、近代社会(国民)と伝統社会(皇室)が乖離し、齟齬をきたし始めているという深刻な問題がある。雅子妃の問題はその一つの表れに過ぎない。皇室の根本である祭祀に皇后が個人的理由から参加されない、ということになれば皇室が公的存在であることすら薄れかねない。
竹田氏はこうも言っている。「これまで皇室は幾度となく危機を乗り越えてきた。将来生じる危機も必ずや乗り越えていくことを私は信じている」と。竹田氏が信じたくらいで乗り越えられるのなら苦労はないと皮肉ってやりたいくらいだが、そうは思わないらしい。天皇が「神に接近し、皇祖神の神意に相通じれば、今上さまと同様、必ず立派な天皇におなりあそばす」であろうことは私も同意する。だが「神に接近する」こと自体を皇室自身が拒み始めていることに警鐘を鳴らしたのが西尾論文ではなかったか。雅子妃だけではなく高円宮承子さまの話など、皇室の西洋王室化乃至は大衆化が幾たびか報道されるようになった。「開かれた皇室」という妄想の元に皇室の世俗化、大衆化が進行しつつある。それは皇室が「祭り神」でもなく「国民の慈母」ですらなくただの名家の一つに下がってしまいかねないほどの危機が迫っているということだ。これは「世継ぎ問題」だけに修練されるものではなく、永い皇室の歴史の中でも未曾有の事態と言わなければならない。
竹田氏は最後にこんな言い方をしている。「私のような三十二歳の青二才が、人生の先輩にこのようなことを言うのは申し訳ないが、もし私のこの注告(ママ)を読んで少しでも思いを致すところがないとしたら、そろそろ世代交代の時期が迫っているのかもしれない」。これこそ「卑怯」で「品格に欠ける」態度と言わなければならない。最初の西尾発言の作為といい、言論人として、(「旧」がつくとは言え)皇族の一員として醜態をさらしているのは竹田氏のほうではないかと思うのだが、どうだろう。*なお一応読者の一人としてではあるが論文を評させていただいたので、この記事は西尾氏と竹田氏のブログにトラックバックさせていただくことにした。
文:耕
WiLL5月号の末尾のしめくゝりの文章を参考までに掲示します。尚「第一の提案」は主治医の複数化の要請です。
しかし先の医師によると、殿下がそういうお言葉をお漏らしになるとそれが報道されて、妃殿下の病気が重くなる、だから何も言えない、そういう網にからめとられたような状況だ、というのだが、果たして本当だろうか。それほどの事態であるのなら、このまま時間が推移していくのはさらに恐ろしいことで、やがて日本の皇室がものの言えない沈黙の網にからめとられていくのをわれわれ国民は黙って看過してよいのか、という別の問題が発生する。
じつは私などが一番心配しているのはこのことで、妃殿下のご病状が不透明なままに第126代の天皇陛下が誕生し、皇后陛下のご病気の名において皇室は何をしてもいいし何をしなくてもいい、という身勝手な、薄明に閉ざされた異様な事態が現出することを私はひたすら恐怖している。
そしてそこに、外務省を中心とした反日の政治勢力がうろうろとうごめく。中国の陰謀も介在してくるかもしれない。天皇家は好ましからざる反伝統主義者に乗っ取られるのである。そして、皇族に人権を与えよ、という朝日とNHKの声は高まり、騒然とする。国民はどうなっているのか読めないし、どうしてよいのかも分らない。ただ呆然と見ているだけである。
皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない。
そうならないためのさし当たりの私の第二の提案は、宮内庁と東宮につとめる外務官僚の辞任を実施することである。外務省も今のうちなら、ない腹をさぐられるよりその方がよいときっと思うだろう。
文:西尾幹二
WiLL-2008年5月号
お知らせ(日本文化チャンネル桜出演)スカイパーフレクTV241Ch
6/7 (土)23:00~24:00
第23回:GHQ「焚書」図書開封の刊行と新事実の発見============================
日本よ、今…「闘論!倒論!討論!2008」
放送時間
パート1 木 20:00-21:30
パート2 金 21:00-22:00今後の放送予定
6/5
(木) ◆どうなる!?東アジア軍事情勢パネリスト:
潮匡人(評論家)
太田述正(元防衛庁審議官)
川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
田代秀敏(大和総研主任研究員)
西尾幹二(評論家)
西部邁(評論家)
松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子6/6
(金) ◆どうなる!?東アジア軍事情勢パネリスト:
潮匡人(評論家)
太田述正(元防衛庁審議官)
川村純彦(川村研究所代表・岡崎研究所副理事長・元海将補)
田代秀敏(大和総研主任研究員)
西尾幹二(評論家)
西部邁(評論家)
松村劭(軍事学研究家・元陸将補)
司会:水島総・鈴木邦子
GHQ焚書と皇室
足立誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取
西尾幹ニ先生
拝啓、過日坦々塾では超ご多忙の中,目の不自由な私のためあたたかいお心配りを賜り有難く厚く御礼申し上げます。
今回の坦々塾での先生のお話は日本の将来を左右するものと考え以下拙論を申し上げます。
10日のお話は短い時間でしたが、100年の歴史で最重要なものだと感じました。
個人的な考えですが、大東亜戦争は、開戦以前、昭和16年12月8日から昭和20年20年8月15日まで、終戦以降今日にいたるまで、と三段階に分かれると考えます。大東亜戦争、日米戦争はこの第二段階であり日本は敗れますが、第三段階でも米国は兵器を変えた戦争を継続し、それは続いている。日本は戦争に敗れて更に徹底的に洗脳され日本人のidentityは破壊されつつあり日本は崩壊しつつあります。こうして第三次日米戦争は最終段階を迎えつつあります。GHQの検閲の実態を研究し「閉ざされた言語空間」で明らかにしました。第三次日米戦争の反撃のチャンスでしたが、十分な反撃の成果までにはいたらなかった。
先生の「GHQ焚書」は第三次日米戦争に日本が勝利し、日本の歴史と国の形を維持することに成功する、それは第一次から第三次日米戦争を通じての勝利につながると考えます。
ローマは二回のポエニ戦争に勝利したあとカルタゴを非軍事の国としましたが、それでも安心できずに第三次ポエニ戦争で徹底的に殲滅し僅かに残るカルタゴの土地には塩をまき不毛の土地にし、カルタゴは完全に抹殺されました。「GHQ焚書」は第三次日米戦争勝利の最後の武器となるものです。
之に敗れれば日本人の精神は塩をまかれて不毛になったカルタゴの土地と同様になります。日本人を「ガラス箱の中の蟻」の状態にし続けたものは米国だけではないでしょう。中曽根康弘始め多くの自民党政治家までが第三次日米戦争では敵に回った。独ソ戦でソ連の最大の脅威はドイツ軍に加わったソ連軍捕虜だったそうです。政府、官僚機構を含めていたるところで「米国への投降兵」「シナへの投降兵」があらゆる汚い手を使い反撃してくるでしょう。[GHQ焚書]が世に知れ渡れば彼等の過去は否定されるからです。彼等に最も好ましいことは「GHQ焚書」が世の中から無視され、一部保守層に留まることです。それを排除していくことで国民に「GHQ焚書」を常識として浸透させることが第三次日米戦争での勝利、第一次から第三次までの日米戦争勝利に連なります。
阿川弘之氏は「春の城」で日米戦争の開戦に「この戦争ならば体を捧げてよい」と思ったということを主人公(阿川氏自身)の言葉として記していますが、この第三次日米戦争に私も同じ気持ちです。「GHQ焚書」で負ければ本当に後はないでしょう。
皇室問題、皇太子妃問題については弟にWiLLの5月6月号のお説と読者の感想を読んでもらいました。
多くの国民は週刊誌などから伝えられる断片的な情報に何が本当の問題かは判らずに、ただ「何かおかしい」と感じていただけのことだったでしょう。
先生の論文は国民に衝撃を与えました。この問題の本質が国のあり方に係わる深刻な問題であることを示され国民は粛然とした気持ちにおそわれたのではないでしょうか。敢えて発表された勇気に多くの人が感銘を受けたのだと思います。女帝・女系問題の際には多くの議論がありましたが、今回は右翼、左翼を含めてセキとして声なしの状態がそれを物語っています。
この世の森羅万象は合理を越えたものでそれを狭い合理や言葉の中に封じることはできません。
たとえとして適当かどうかはともかく音楽は最初に曲が生まれる。楽譜はそれを何とか記号で記録するものです。皇室の存在は文字や合理で説明でくるものではないのでありそこに価値があるのではないでしょうか。
東アジアで日本だけが西欧に匹敵する文明を誇るにいたったのはここにあります。これも例として適切かどうか分かりませんが、日本は「人事を尽くして天命を待つ」という国体であったのではないでしょうか。その祈りを司ってこられたのが歴代天皇であると考えます。
繰り返しますが、先生の論文の前に世の中は「シーン」となりました。日本が再生した場合、この論文はその魁となったものとして残ると存じます。退変乱暴な議論で恐縮ですが、引き続きご指導賜りたくお願い申し上げます。
敬具 足立誠之拝
期せずして私の原点回帰
――焚書・皇室・三島由紀夫――
いく冊もの新刊が重なるようにして次々と出ることになった。運が悪いのである。早く出るべきものがぐんと遅れ、そうこうするうちに次の出版予定が近づいてしまった。
四つの出版社から立てつづけに五冊出るので、各社の担当者で話し合ってもらった。6月から毎月一冊づつ出るように手順を改めてもらった。それでも混みすぎる。私の愛読者の方ですらウンザリするであろう。
『GHQ「焚書」図書開封』(徳間書店)が二ヶ月おくれてようやく6月中ごろまでには出る。今週校了である。おくれたのは新事実発見があったという積極的理由からであるから、お許しいたゞきたい。
ナチスのユダヤ人迫害にユダヤ人の協力があったことは世界に衝撃を与えた。米軍の占領政策に被占領国側の人間の協力は必ずあった。GHQによる「焚書」に日本の知識人、学者、言論人の協力があったに違いない、と私は推論していたが、容易に証明できなかった。
今度の私の本の冒頭の章で、一定の諸事実を明らかにした。東京大学文学部の関与が判明した。二人の助教授(当時)の名前も明らかになった。そのうちの一人は昭和33年当時文学部長になり、私の卒業証書の発行人でもあった。
6月7日夜日本文化チャンネル桜の私の持時間帯で、〈『GHQ「焚書」図書開封』の発刊と新事実発見〉と題して、深刻な内容の全貌をざっと紹介をする。
この本は二巻つづけて出るはずである。8月15日までに第二巻を出す予定である。第三巻は大略一年くらい先になるだろう。
『WiLL』7月号に「親米、親中の時代は終った」という、15ページの評論をのせている。大型の評論である。この論文の前半は5月号に予定されていた。ところが皇室問題を書いて欲しい、という例の依頼があって、その気になって書くことになり、急遽差し換えた。皇室問題のほうは期せずしてご承知のように5,6月の二号連作となったので、「親米、親中の時代は終った」は後回しになって、やっと7月号に、後半分を書き加えて皆様の目に触れることになった。
今の私が時代に向かって訴えたいのは、チベット問題でも米中がつながっていますよ、というこの論文のテーマである。皇太子論では必ずしもない。
「皇太子殿下にあえてご忠言申し上げる」はWiLL 8月号に第三弾を出す約束になっている。私がいかに忙しいかがお分かりだろう。その前にもう一作、『新潮45』に秘密兵器をかかえている。これは出てからのお楽しみにしておいて欲しい。
書物を五冊出すと言っていた順序は編集担当のみなさんで相談して次のように散らしてもらうことになった。
6月 GHQ「焚書」図書開封 第一巻 徳間書店
7月 皇太子殿下へのご忠言 ワック出版
8月 GHQ「焚書」図書開封 第二巻 徳間書店
9月 真贋の洞察 文藝春秋
10月 三島由紀夫の死と私 PHP新書
各冊の内容紹介は追ってそのつど少しづつ申し上げる。が、焚書、皇室、三島由紀夫は別に意図したわけでもないのに、期せずして一つの共通のテーマに向かって収斂しているようにさえみえる。
全冊のテーマが偶然、一つの原点に向かって集中するかたちになった。本当に不思議である。自分で意図したわけではないのである。私も著述人生の終期を迎えているということなのだろうか。
――WiLL 7月号のこと――
WiLL 7月号、つまり私の「親米、親中の時代は終った」の掲載されている号に、WiLL 5、6月号の「皇太子殿下にあえてご忠言申し上げる」への反論がのせられている。竹田恒泰という人である。私は今まで読んだことがない若い著者である。
WiLL編集部が私への反論をのせたのは、またそこで盛り上げて読者の気を引こうという、花田紀凱編集長の商策であろう。それは一目で誰が見てもそうと分るやり方である。
私は昨日雑誌を受け取って、今日竹田氏の所論を拝読した。旧皇族の方だそうだが、であればなおのことこんな政治的発言をするとなにか欲があるように思われて損ではないだろうか。戦後の熊沢天皇の例もあるのである。
私が学歴主義という言葉を用いて言おうとした明治以来の文明史的な文脈を竹田氏はよく分っていないらしく、「東大卒のどこがいけないのか」というようなシンプルな捉え方しかしていないし、それに妃殿下問題は病気治療の問題ではなくすでに「国家の問題」と私が言ったことについても、また皇室が国民に今与えている不安や違和感についても、何もお感じになっていない呑気さ、あるいは鈍さである。
ま、それはともかくいいとして、「日録」の読者ならすぐピンと分ることを以下にお伝えしておこう。
今夜、WiLL 7月号を発売一日前に入手できる位置にいた友人から電話が入り、こう言っていた。
「花田さんははめられたんだよ。僕は竹田恒泰という名を見てピンと来たよ。八木秀次がこの人に急接近してか、あるいは取りこんでか、とにかく6月の日本教育再生機構のシンポジウムにこの人が出ることはご存知ですか」
「いや、知らない」と私。
「つまり、花田さんはまるきり気がつかないで、WiLLは〈つくる会〉内紛に巻き込まれたんだな。」
「言っておくけど、あれは〈内紛〉じゃないよ。〈つくる会〉側からみて正義の戦い、公判で黒白つける客観的な正義を問う戦いなんだよ。」
「いやあーご免、それはともかく、いずれにしても竹田という男は八木に利用されたんだよ。」
「八木さんは6月6日の地裁の公判に、裁判長からの召喚命令を受けていると聞いているよ。」
「だからみんな息を詰めて見守っている。いよいよ彼も正念場だ。竹田という人がこんなことを書いて、後で大損しなければいいが。」
「それは分らないが、この人の文章を読んで、私は何年か前に夜中に八木一派から送られた〈怪メール〉と同じような奇妙な印象、なぜ?という根本の動機の分らない異様なものの印象をもったことは確かなのだ。」
「そうだ。そうだろう。そのことを言いたかったんだ。フーム、成程ねぇー」
「それに八木さんの側はどうやら歴史教科書の方も出せないことになったらしく、相当に追いこまれているんじゃないのかな。私は教科書検定の詳しい事情は知らないんだが、拳を振り上げた扶桑社もフジテレビもどうするつもりなんだろうねぇ。」
「とすれば必死で、手当り次第、利用できるものは何でも使おうというわけだね。謀略好きの人だからね。竹田さんも可哀そうだなァ。」
と友はしばらく感懐ありげな趣きで、二、三言葉を継いでいたが、やがて別の話題に転じて、しばらく談笑し、電話を切った。いつもの対話の調子である。「日録」の読者には関心があると思うので、ご紹介しておく。
坦々塾報告(第九回)(三)
等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳
最後に、田久保忠衛先生のお話となりました。
田久保先生と言えば、小川揚司さんの言うとおり、外交・安全保障問題の権威として、常に大所高所に立って、バランスのとれた正論を、堂々と展開していらっしゃる。まさに、時宜に適したお話が期待できます。
実は、田久保先生は、5月13日付『産経新聞』のコラム「正論」の「『胡訪日』以後」というシリーズの第一弾として、「日米同盟と中国の微妙な関係」と題する一文を寄せておられます。
先生の演題は「最近の国際情勢と日本」ということですが、そこで語られた情勢分析の部分は、『産経新聞』のコラムと重なる部分がありますので、そこには収まらない、先生の思いや、私どもにアピールされたことを中心にまとめてみたいと思います。
冒頭、先生は、自分は米国に対する批判は人一倍強いのだ、とおっしゃいました。
西尾さんの対米批判を読んだりすると、すぐにでもアメリカ大使館に抗議に行きたくなる。そこを抑えて冷静になって、「外交上アメリカと対立してはならない。」と自分に言い聞かせる。外交とは、”How to survive.” だからだ、というのです
ややもすると、(保守派の)反米主義者は、紳士的で論理的整合性のある先生の論調を誤解し、親米一辺倒・対米追随であるかのように批判します。それに対して先生は、逐一丁寧に反論なさるのですが、その反論がまた紳士的かつ論理性を重んじているために、批判者に痛痒を感じさせないということがある。
そんなとき、悔しい思いを禁じ得ないのですが、先生の上記のお話を伺い、胸のつかえが取れた思いがします。
先生は26年間時事通信社に勤務され、退職後、ほぼ同期間の研究生活・評論活動を続けてこられたそうです。
時事通信社では、本土復帰前の沖縄那覇、東京、ワシントンの各支局に勤務されました。その経験を通じて得られた教訓は、アメリカの外交は全世界を通じて展開しており、アメリカを理解するためには世界中を見ている必要がある。反対に、世界を理解するためには、ワシントンに観測の軸足を置かなければならない、ということです。
那覇勤務の頃、佐藤政権は沖縄の本土復帰を、ニクソン=キッシンジャー外交は中国との関係改善を(中ソ対立の中で、敵の敵は味方の論理で)、それぞれ模索していました。
アメリカは、中国に関係改善を望むシグナルを、様々なルートを通じて北京に送っていましたが、最後の決め手は、沖縄基地からの核撤去だと考えていました。
アメリカは、シグナルの一つとして、台湾周辺の第七艦隊のパトロールを3分の1に減らすことを声明しました。
また、中国渡航者の現地でのドル使用の金額制限の撤廃を声明しました。その記者会見に田久保先生は出ていたのですが、隣にいた筑紫哲也氏が、「ニクソンは旅行会社から賄賂を受け取っているのだ。」といったというのです。何とも頓珍漢で独りよがりの内向き議論か、という笑い話。
一方、佐藤政権は、核抜き本土並み返還が目標。しかし沖縄を含む日本の安全保障のためには、沖縄に核がある方が有利。その核撤去を最も喜ぶのは北京に違いない。しかし、アメリカは、中国との取引の切り札として、沖縄の核を撤去しようとしている。
佐藤首相は、ワシントンを訪問して、沖縄の核撤去をニクソン大統領にお願いした。ニクソンはその本心はおくびにも出さず、それを拒否した。
田久保先生曰く、ニクソンはキッシンジャーと二人で大笑いをしたことだろう。
もし、佐藤さんが、沖縄の核は撤去しないでくれ、といったら、ニクソンは窮したに違いない。キッシンジャーに、日本が沖縄の核撤去を承知するよう説得させただろう。
そうすれば、日本は核撤去の代償に、どれだけのものを得られたことか。
この話は、日本の保守政権が、まだまだしっかりしていた時期におけることだけに、考え込まずにいられません。
ブレジンスキーは、日本を「被保護国」といったことについて、日本を侮辱しているとして非難される。確かに、日本をモナコやアンゴラ並み扱っているわけだから無理もないが、しかしよく考えてみると、彼は如何に日本の現状を正確に捉えていることか。(ブレジンスキー侮るべからず。)
モンデール大使が、尖閣列島がもし攻められたとき、アメリカは日米安保を適用しない、といった廉で非難する向きがあるが、それも、モンデール氏の言うことが当然ではないか。何となれば、尖閣列島は日本の領土、それは日本人が守るべきものであって、そのためにアメリカが血を流す筋はない。
上記2点は、先生の何とも痛烈な逆説、しかもハッとさせられる指摘です。
台湾問題。
馬英九は、天安門事件を非難している。(チベット問題で北京を非難したことは周知の通り。)
宮崎正弘さんが、馬英九はアメリカの意向に忠実に沿っている政治家であり、北京に靡くことはない、と補足。
西尾先生から、馬英九は大丈夫、と聞いて安心した、というコメントがありました。
馬英九に対して北京は表だった批判はしにくい関係にあるわけですから、日本としては、有力政治家・政府関係者が非公式に接触する機会を多くもち(しかも正式就任以前には出来るだけ大っぴらに接触し)、日台関係強化の既成事実を積み上げるチャンスとすべきではないだろうか。
アメリカ大統領選挙について。
民主党候補はオバマにほぼ決定。
レーガン的=ブッシュ的な、善悪判断(モラル)に立つ保守派で、ストロング・ジャパン派の共和党マケイン有利、という先生の「希望的観測」は、みんなを喜ばせ力づけてくれましたが、アメリカの選挙結果の如何を問わず、ストロング・ジャパンへの歩みを強めなければならないことは、言うまでもありません。
最後に、日米同盟といえども、それは「政略結婚」。同盟関係に「恋愛結婚」はありえない、という指摘。
その上に立って、先生が日頃強調されている、「民主主義、人権、法の支配」という「日米共通の価値観」という考え方に、私は全面的な支持を送りたいと思います。
日本人が命をかけるべきものは、日本の歴史と伝統、日本文明の中にあるのであって、日米共通の価値観とは、その一部・その表層に過ぎないことは当然です。しかし、表層的とはいえ、価値観における共通性の意味は重要である。
アメリカにしても、その共通価値観にそれほど忠実であるとは限らない。その場合、日本として、逆にアメリカにその共通価値観の遵守を迫ることが重要である。(特に、アメリカの対中・対北朝鮮宥和が前面に出たり、台湾の自立を抑制しているような今日において。そうしてこそ、初めて対等な同盟になりうる。)
その「共通価値観」の延長上にあると思われる、麻生さんの提起した「自由と繁栄の弧」といったスローガンは、その内容実体は兎も角、中華帝国正面に対峙する我が国の戦略的立場を支えるものとして、過小評価してはならないと考えます。
順序は前後しましたが、西尾先生のお仕事について。
「GHQによる『焚書』図書」の出版については、日録でも報じられていますので省略します。6月には出版されるそうなので、待ちたいと思います。
それに関連して、田久保先生が、先のお話の中で江藤淳氏に触れています。
アメリカで『閉ざされた言語空間』の執筆準備期間中のこと。GHQの憲法案起草の中心人物・ケーディスに面と向かって、言論統制について非難の言葉を浴びせた時、その場に立ち会ったのだそうです。そのときの江藤さんは本当に偉かった、尊敬している、とおっしゃいました。
西尾先生のお仕事は、常に政治と関わりを持ってきました。これからもそうでありましょう。
高校時代にも、哲学・文学を目指しながらも、「講和条約の欺瞞性」といったレポートを書いて、「一般社会」(社会科の一科目。)の先生にほめられた、というエピソードを、ご自分から紹介されました。
思想と政治、その関係、西尾先生にとっても坦々塾にとっても、それは今後とも、引き続き重要問題でありましょう。
懇親会は、初めて立食パーティ形式。アッという間の充実した2時間でした。
ただ、私としたことが、このようなレポートを準備する立場にありながら、田久保先生にご挨拶もお話もせずにすませてしまった失礼が、心残りでありました。
次回は8月、再会を楽しみにしております。
おわり
坦々塾報告(第九回)(二)
等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳
次に、小川揚司さんのお話です。
小川さんは、冒頭、正面の田久保先生に、外交・安全保障問題の権威であられる田久保先生の前で、このようなお話が出来ることの光栄を述べ、田久保先生はそれに応えて頷いておられました。
小川さんの話のレジュメは、
1.防衛庁・自衛隊での勤務の経歴
2.防衛省・自衛隊が抱える根本的な問題点
3.防衛政策(防衛構想)の根本的な問題点
と、大項目が並んでいますが、時間の関係で、第1項・第2項は省略し、第3項の話をするとのこと。(おやおや、本当は、第1項からの、生の話を聞きたかったのですが。――これは陰の声。またの機会もありましょう。)
因みに、小川さんの入庁は、三島事件の翌年。「事件」に感じて教師になる道を捨て、入庁された由、憂国忌に参加したときにチラッと聞いた覚えがあります。防衛庁の反応の冷淡さ、自衛隊は一体どうなっているんだ。小川さんの苛立ちやフラストレーションが、レジュメの簡単な文面からも伺い知ることができます。
小川さんは、防衛政策・防衛構想の根本的問題点に入る前に、自衛隊の根本問題として、普通の主権国家の軍隊において当然とされている、法的に「これをしてはいけない、あれをしてはいけない」という禁止項目(ネガティブ・リスト)を列挙して、それ以外は何をしても良い(「原則自由」)という方式(「ネガ・リスト方式」)を採用せず、「これはしても良い、あれはしても良い」という、行うべき項目(ポジティブ・リスト)を列挙し、「それ以外のことはしてはいけない」とする方式(「ポジ・リスト方式」)を採っていることを指摘しました。
これは、去る4月28日、九段会館で行われた「主権回復の日を祝う会」(井尻千男・入江隆則・小堀桂一郎の三先生の呼びかけで、毎年この日に開催している。)で、田久保先生が、この場で防衛問題について、ただ一点だけ述べたいとして発言なさったことであり、小川さんはそれを引用される形で、問題点を指摘しました。
つまり、自衛隊は、この点において「軍隊」ではなく、「警察」同然の縛りを受けている、というわけです。
小川さんは、入庁10年目(昭和55年4月)にして、内局防衛局の計画官付計画係長に就いた時、警察予備隊から自衛隊誕生に至るまでの内部資料の原本を整理する機会に恵まれ、それが問題意識をもつ契機になった、ということです。
その小川さんが語るには:――
戦後、GHQの占領政策が転換、日本の再軍備が認められ、その建軍の基礎を何処に求めるか、となったとき、旧軍の幹部達はほとんど公職追放になっており、その上徹底的に旧軍を嫌っていた吉田茂の下、GHQの意向にも沿いながら、旧内務(警察)官僚を起用して警察予備隊を建設した、
というのです。
彼らは優秀な内務官僚ではあったが、やがて旧軍幹部の追放も解除され、警察予備隊・保安隊に配属されるようになったとき、前者は内局の背広組、後者が制服組(幕僚監部・部隊など)になるという構図が形成された。そこから、我が国のシビリアン・コントロールが「文官統制」の意味に矮小化され、偏向されていく。
なるほど、自衛隊を巡る宿痾は、建軍当時に遡る・極めて根の深い問題だと分かります。
やがて、我が国の防衛構想・防衛計画の具体化が図られ、自衛隊の規模や装備の充実が求められます。
しかし、憲法の制約があり、その制約を当然のこととして受け入れているマスコミ世論や野党から、再軍備反対や非武装中立が大声で叫ばれ、また経済的にもまだ充分な力を持っておらず、財政規模も小さかった当時において、充分満足のいく防衛計画が策定できなかったとしても、それはやむを得ないことでしょう。
けれども、小川さんの話を聞いているうち、エッと耳を疑うような言葉が聞こえてきました。
我が国の「本当の脅威」に対処できる「所用防衛力」なんて、予算上不可能ですよ。だから、「そんな脅威」は無いことにしましょう。
予算上実現可能な防衛力で「対応出来る脅威」のことを「実際の脅威」といいましょうよ。
まあ、言葉は正確ではありませんが(実際にはもっと多くの専門用語で説明されていたので)、私が率直に理解した限り、ざっとこんな理屈です。昭和50~55年頃のことのようです。
「平時」にはそれで何事もない。「本当の脅威」が問題になるなんて滅多に起こらないことだ。(それは「政治的リスク」だ。)
防衛庁と大蔵省(いずれも当時)の間で、ざっと、こんなふうに了解したというのです。
いくら何でもこれはひどいんじゃありませんか。
私たちは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」なんていう脳天気な憲法をもっているから、防衛計画もなかなか進まないものと思ってきた。しかし、防衛の実際の掌に当たる、その中枢の人たちがこんな考えだったら、どうにもならない。
多くの国民が、「平和憲法」のお陰で平和が保たれた、と誤解し、周囲の国際情勢に眼をふさいでいるというのも、所詮、防衛所轄当事者の意向(希望?)に沿った結果ではないのか、といいたくなります
「軍事的合理性」を犠牲にした「政治的妥当性」との整合を図った苦肉の策。
一般に、こんなふうに表現されているようですが、確かにそれは言い得て妙かも知れませんが、小川さんの尊敬する元統幕議長・来栖弘臣氏の喝破しているところを、正面に据えるべきでしょう。すなわち:――
世界にも歴史的にも通用しない空論。
謂わば「日米安保」を魔法の杖と考えて、吾が方の足りないところは呪文を唱えれば幾らでもアメリカが援助してくれるという大前提での立論。
基盤的防衛力でカバーしていないところは政治的リスクであるといって逃げる無責任な議論。
これらの話を聞いて、日本は「被保護国」だ(この言葉は、後ほど田久保先生のお話の中にも登場します。)と、よくいわれるが、初めてその本当の意味が分かったような気がします。
小川さんには、退職されて「野に放たれた」のですから、そんな無責任防衛論に縛られることなく、歯に衣着せぬ「防衛の語り部」になって頂きたい。
「政治的配慮」やマスコミに通用するような、オブラートに包んだ物言いではなく、リアルに率直に、防衛問題を生の言葉で語って頂きたい。
それも一人ではなく、志を同じくする防衛問題の専門家を巻き込み、連れだって。
数年前、民主党の前原誠二氏が中国の軍事的脅威について触れたとき、集中砲火を浴びたことがありますが、今日では、幸いにも(!?)その脅威はより明らかになっています。反対勢力も依然として強力だとしても、多くの国民の理解を得やすい状況が拡大しています。
国防の精神を、倦まず弛まず、強力に説き続ける集団が無くては、国家主権の回復・再興などあり得ません。
集団的自衛権の行使、
武器使用基準の国際標準採用、
主権的判断による自衛隊の国際協力に対する一般法の制定、
非核三原則・武器輸出三原則(注)・専守防衛論等の見直し乃至は廃止等々、
(注)「武器輸出三原則」:本来は、「共産圏諸国・国連決議により武器等の輸出が禁止されている国・国際紛争の当事国又はそのおそれのある国」に対する武器輸出を認めないという原則。
三木内閣の時代に、上記地域以外の国に対しても、武器輸出を原則的に行わないよう拡張解釈されるようになった。
中曽根内閣の時代に、同盟国アメリカへの武器技術供与を例外として認めることとし、現在に至る。
これらを全て進捗させるには、専門家の技術的対応だけでは全く不足で、国民的防衛意識の昂揚が不可欠です。まして憲法改正についてはなおさらです。
まあ、釈迦に説法みたいで恐縮ですが、これも小川さんのお話に触発された結果としてご了承下さい。
必要防衛力整備を、予算不足を理由に怠ったり、削除したり、ましてや財政再建の犠牲にするなどとは、もってのほかです。防衛費をGDPの1%程度に抑制するなどという規制を見直し、諸外国並みの2~3%に増額することについても、決してタブー視すべきではありません。
予算なんて、政府がお札を刷ればよいのです。いや、これは政府の貨幣発行大権(セイニアリッジ)といって、長年黙殺され、封印されてきたもので、こういう安直な言い方は絶対すまいと思ってきたことなのですが、そして、それを主張しているマクロ経済学者の方々が、気安くそのような言い方をすることが、却ってそれが黙殺され封印される原因の一つになってきたと考えるのですが、簡単に分かりやすくするために、敢えて安直な言い方をしました。
本気で国家主権を再興しようとするならば、お金なんか後からついてくるのです。(かつて春日一幸さんが「理屈は後から列車に乗ってやってくる」とか言ったのを思い出しました。)
いずれ別の機会に論ずべきことでありますが、今日すでに、経済・財政、保険・医療、公共事業や農林漁業、税制や地方自治、その他さまざまな国家の根本を解決するには、セイニアリッジの発動しかないところに来ていると考えますので、敢えて踏み込みました。
さらにもう一つ、かつて西尾先生が雑誌の座談でリニアモーターカーの建設に言及したのを把らえて、財政危機を無視した経済知らず、と知ったふうな非難をする無礼かつ軽薄な輩が日録に舞い込んできたことがありましたが、そのような「反論」にあらかじめ釘を刺しておく、という意味も込めてあります。