エピクテトス・皇室と信仰・権力への態度

――刊行のお知らせに寄せて――

docu0193.jpg(1) 新刊『人生の価値について』WAC新書版を出しました。
(ワック株式会社 ¥933)

 この本は1996年新潮社より出版された『人生の価値について』の改訂新版。

 新版まえがき「断念について」が追加され、川口マーン恵美さんの新しい解説「ドイツからの手紙」が巻末にのっている。

 「断念について」は奴隷であったローマの哲人エピクテトスの「放棄」への覚悟こそが「自由」である、という徹底した思索を扱っている。

 2月26日刊だが、すでに店頭に出ている。

(2) 3月1日発売の『諸君!』4月号の皇室問題特集に「『かのようにの哲学』の知恵」を寄稿した。

 皇室問題の本質は歴史にあらず信仰にあり、が原稿に私の付けた仮題であった。信仰であるから懐疑もあり得るし、ゆりもどしも起こり得る。波風も立つ。

 歴史家は天皇の観念は古代から同一であったと誤認している。カミの観念としての天皇像は歴史と共に動いている。神格をもたない西洋の王権とも中国の皇帝とも異質である。三者の比較が必要。私は江戸時代以後の神話と歴史の関係に注目した。王権の根拠を神話に求めているのは日本の天皇だけで、江戸時代に早くもその矛盾が露呈している。16世紀以前と以後とでは天皇観は同一ではないはずである。22枚と短い枚数なので十分には論じられなかったが・・・・・。

 田中卓、所功、高森明勅の古代日本史研究家が女系論に傾くのは歴史と信仰をとり違えているからである。歴史を信仰して、信仰は歴史とは別の心の働きだということに気がつかないからではないか。この話題のテーマにも私なりの分析を加えた。

(3) 3月8日発売の『SAPIO』の「著者と語る肖像」の1ページ・インタビューにて、拙著『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』について語った。

 1時間半も語って短い記事になるのは残念だが、この書名はいい題であるとSAPIOの編集者は言ってくれた。小泉批判本がたくさん出始めているので、これくらいはっきり言わなければダメとも。それでいて11月下旬に出ていた本なのに、SAPIOが取り上げてくれたのはこのように政権末期と分ってきてからなのだ。マスコミと権力の関係こそがこれからの厄介な問題となる。

 すでにポスト小泉を確定的に予想して、言論人が政権の「追っかけ役」をするのを思想と心得る見当外れがあちこちに始まっている。ポスト小泉内閣に注文をつけ、厳しい監視役であることを今から言明していくのが真の思想家の役割なのではあるまいか。

 言論人は政権の「ぶら下がり」でも「お守り役」でもない。保守にも革新にもみられる永遠に変わらぬ日本の知識人の「自我の弱さ」である。

近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(五)

 佐藤優氏は私の本に収録されている「ハイジャックされた漂流国家」を掲載当時の『正論』(2005.11)から引用しつつ、次のように自説を展開している。

 問題は小泉政権が新自由主義政策を軌道転換し「優しく」なる場合、もしくは来年(2006年)9月の自民党総裁任期終了後、小泉氏が党規約に従って総裁から退き、総理大臣の座から離れた後の与党が絶対過半数の議席を維持しながら国民に「優しく」なり、国民を束ねる新たな原理を見出そうとするときだ。この原理の内容如何によっては、日本にファシズムが到来する現実的危険が生じる。この点に関して、『世界』の読者は違和感をもたれるかもしれないが、小泉政権がファシズムに転化する危険性についての西尾幹二氏の指摘は傾聴に値する。少々長くなるが正確に引用しておく。

 〈(小泉総理は) 何をしでかすか分らない人である。国家観、歴史観がしっかりしていないから、この国は外交的に、政治的に、軍事的に、国際社会の荒波を右に左に揺れ動く頼りない漂流国家である性格を今以上に露骨に示すようになるだろう。しかも操舵席は暴走気味の人格にハイジャックされている。

 今までは政府内に右もいれば、左もいて、自由な発言や提案が飛び交い、首相の意志決定に一定の歯止めがかけられていた。しかしこれからはそうはいかない。首相の鶴の一声ですべてがきまる。党内に意見具申の勢力が結集すれば「親衛隊」に蹴散らされる。

 今までの自民党を知る人はこんなはずではなかったとホゾを噛むだろうが、もう後の祭りである。米中の谷間で国家意志をもたない独裁国家、場当たり的に神経反応するだけの強力に閉ざされた統制国家、つまりファシズム国家らしくない非軍事的ファシズム国家が波立つ洋上を漂流しつづけるだろう。

 世間はファシズムというとヒットラーやムッソリーニのことを思い出すがそうではない。それだけではない。伝統や歴史から切り離された抽象的理想、外国の理念、郷土を失った機械文明崇拝の未来主義、過度の能率主義と合理主義への信仰、それらを有機的に結びつけるのが伝統や歴史なのだがそこが抜けていて、頭の中の人工的理念をモザイク風に張り合わせたきらびやかで異様な観念が突如として権力の鎧をつけ始めるのである。それがファシズムである。ファシズムは土俗から切り離された超近代思想である。〉(西尾幹二「ハイジャックされた漂流国家・日本」『正論』2005年11月号)
 
 10月17日に小泉総理は靖国神社を参拝し、これに対して中国政府、韓国政府が激しく反発している。今後、マスメディアで現下日本のナショナリズム言説が、排外主義的傾向の言説を含め、結晶化する。その中で、近未来、国民を束ねる軸となる原理の萌芽が見られるかもしれない。今後、2、3ヶ月の総合誌、オピニオン誌に掲載される論文を精査した上で、連載最終回に再度ファシズムの誘惑についての情勢分析を行いたい。
 
 ファシズムの危険を阻止するためには、東西冷戦終結後、有効性を失っているにもかかわらず、なぜか日本の論壇では今もその残滓が強く残っている左翼、右翼という「バカの壁」を突破し、ファシズムという妖怪を解体、脱構築する必要がある。そのためには論壇人一人ひとりが少しだけリスクを冒して、「敵」陣営の有権者の言説でも評価できる内容はきちんと評価するという当たり前の対応をとることが重要だ。開かれた精神、私の理解では、新自由主義ではなく、他者危害排除の原則を唯一の例外として、個人の愚行を認めるという旧自由主義(オールドリベラリズム)的価値観の復活が重要だ。

 日本の論壇の悪弊、左だ右だという固定観念の「バカの壁」の打破が必要だという考えはまったくその通りと思う。いうまでもなく保守言論界にも「バカの壁」は張りめぐらされている。オピニオン誌の編集者が固定観念に囚われている。

 国民を「束ねる」方向として今はすでに道徳的秩序主義が強まる方向にあると思う。「個人の愚行を認めるというオールドリベラリズム」というのはいい言葉で「党議拘束」で反対を封じるなどは最低である。ポスト小泉に誰がなっても小泉の強権的手法へのしばりが強くのこり、小泉以前に戻らないであろう。東京都庁にまでそういう空気が及んでいる。精神的統制が強化され、ご清潔主義が横行するのはウンザリする傾向なのだ。

 他方、竹中やホリエモンの「新自由主義」はファシズムとは逆方向で、国家が「負け組」に配慮のある新政策を示すときにかえって危くなるという佐藤氏の指摘は新鮮で、面白い。それこそポスト小泉に誰がなっても、人気取りは必ず「負け組に優しく」の方向に転じざるをえまい。

 ナチスもたしかにドイツ民族の平等と福祉には特別の意を用いたのだ。国民の関心を買うために、ポスト小泉内閣は弱者保護に乗り出すかもしれないが、しかし、財政が果してそれを可能にするだろうか。

 次に「排外主義的ナショナリズム」の強化ということがくりかえし指摘され、ファシズムの要因として強調されている。佐藤氏は「日朝関係について言えば平壌宣言(2002年9月17日)の廃棄という形で、国交正常化を断念するという形で現れよう。」という大胆な予測を書いている。

 これはあり得ることかもしれない。また、「関係悪化という観点では、潜在力をほとんど用いていない日米関係が今後悪化するかもしれない」と言っている。基地問題や財政問題で気になる諸点が現存しているのは事実である。

 しかし「排外的ナショナリズム」の語で指摘されている内容は日本の独立自存への意志と切り離せない。精神的な日本の自立は私の目指す方向でもあり、ファシズムといわれても困る。

 米中の谷間にある日本の外交は財政面でアメリカに好き勝手されない防御法を身につけ、軍事面でアメリカに依存せざるを得ない現実を知った上で自存の道をさぐり、基本において「親米」、しかし歴史研究においては自国の戦争の正しさを再認するためにも基本において「反米」にならざるを得ないであろう。

 中国・北朝鮮・韓国のうち韓国への外交は関心のレベルが下がり、中国に対する最大限の警戒の必要はさらに強まるであろう。以上の情勢から、佐藤氏の言う「排外的ナショナリズム」がすぐ結晶するとも思えない。

 たゞ市民生活における道徳的秩序主義や官僚統制の外から見えない強化、表向きの弱者への「優しさ」を装った首相を取り巻く一部の人間の独裁というソフトファシズムの進行には、佐藤氏の言う通り注意しなくてはならない。次の政権においてさらにそうである。小泉内閣はやがてくるものの露払いの役割を果しつつあることは十分に考えられ得る事柄なのである。

近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(四)

 自民党は2月9日に来夏の参院選の候補者選びにいち早く着手した、という報道がなされた(「朝日」10日付)。予定を前倒しにする手回しの早さである。「小泉首相や執行部が昨年の総選挙の再現を狙って候補者の公募や現職優先の見直しを進める考え」とみなされている。

 小泉政権は果たしてファシズムの先駆形態か、という議論はじつは私だけでなく、言論界の一部ではすでにいろいろな形でなされている。統制の強化が著しいことがその徴候とみられている。参院選のこのような早めのしばりも前例がない。

 小泉政権を評価する人の中には、旧田中派に代表される自民党内の古い体質の大掃除が果された、という実績をあげる人が多い。この件は私も前回の参院選の直後に「評価に値する」と書いた覚えがある。しかし、前回の郵政選挙(衆議院解散)は大掃除の程度をはるかに越えていた。

 古い体質の改革ではなく、日本人の道徳の根幹にある地域の義理人情や保守政党としてのアイデンティティの元となる民族主義的愛国感情までをも破壊してしまった。そして、それを能率本位の市場競争の理念、アメリカニズムに取って替えようとした。

 あの頃から政界ではなく日本の一般国民生活に、さまざまな道徳主義的ご清潔主義がはびこりだしていることにお気づきだろうか。東京都が旗を振り出した迷惑防止条例というのがある。ポルノなどの性の自由を抑える規制も知らぬうちに強化されている。

 検察が何となく力をもち出し、国民感情をうまく利用して、秩序と道徳の先導役を果たして一般の人の喝采を浴びているというのもどことなく気にかゝる所である。小泉政権の大掃除は旧田中派だけでなく、大切なものをも一緒に掃き出してしまっていないか。

 ファシズムというと軍事パレードと独裁者の怒号のような演説を思い出す人が多いが、そういうものばかりではない。チェコの元大統領ハベル氏が、「手袋をはめた全体主義」と言ったように、高級官僚がソファーに坐って、事務机の前で手袋をはめたまゝ行うソフトな全体主義があり得る。国家統制だけ強まり、その中味は北朝鮮のイデオロギーだったりするのが一番恐ろしいのだ。

 『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』で私が抱いた未来への不安は果してただの杞憂だろうか。小泉政権は過渡期の政権、次の新しい体制への橋渡し役にすぎないといわれてきた。小泉政権はファシズムの露払い、その先駆形態ではないかという疑問を私は本書で述べているが、知友の多くは私の本の題名に首を傾げ、「どうせ9月にやめてしまう人だから心配ない」とか、「小泉さんはいささかクレージーだが、ファシズムとは思えない」などと反応を示す人が少くなかった。

 しかしここへ来て急に私の本に注目する人が出て来たようだ。SAPIOからの同書をめぐる一ページインタビュー記事の依頼があり、マスコミの人がこの題名に怖がらないことを証明した。来週にも会うことになった。

 さて、それに先立ち、昨年の暮のうちだが、『国家の罠』と『国家の自縛』の二冊で話題になった佐藤優氏が『世界』(2005.12)に私からの長い引用も含めて、小泉政権はファシズムか? をあらためて問う論考を掲げているが、さすがに見るべき人はちゃんと見ている。

 佐藤氏の短期連載の第6回しか私は読んでいないが、重要な判断が示されている。氏の考えを私なりに要約すると次のようになる。

 小泉政権がファシズムかという問いに対する佐藤氏の答えは「ノー」だが、しかしファシズムの前提条件は整いつつある。与党が議会で三分の二以上を占めているので憲法第58条の規定を援用すれば、与党が全議席を獲得することも理論的に可能である。

 しかも小泉首相への権力の集中も進んでいる。ファシズムの特徴は官僚支配の打破を唱えることによって、実際は官僚支配を強める結果をもたらす逆説にある。たゞし、支配力を強める官僚は総理に直接任命された新官僚である。例えば竹中平蔵のようなテクノクラートに代表される総理直属の官僚である。(過日も都内の一等地の公務員アパートの取りこわしを首相が命じたとの報があり、国民の人気を博しているが、このように外側から見える処で官僚打破を叫び、見えない処で官僚支配が強まる現象はファシズムの近さを暗示している。)

 そして既成の官僚が力を失い、新しい特定の官僚の元に外側からは見えにくい小政府が生まれる。しかし佐藤氏は、小泉政権にはファシズムに不可欠の要素、自国民に対する「優しさ」が欠けているという。ファシズムの語源となった「ファシオ」はイタリア語で「束ねる」という意味、国民を束ねる手段には二つあり、第一は排外的ナショナリズム、第二は社会的弱者、競争社会の「負け組」に対し国家が再配分を行う平等主義がそれである。

 ファシズムは「勝ち組」を国家の力によって抑えこむ傾向がある。竹中平蔵とホリエモンに代表される「新自由主義」はその意味でファシズムとは相容れないのだ、という注目すべき仮説を提起している。(そうなると今度のホリエモン逮捕はファシズムへの新しい段階ということになるのかもしれない。今回の皇室典範問題で小泉政権が露骨に示しつづけているのは君主制の廃止、共和制への指向である。これもファシズムに向かっていく薄気味の悪い徴候かもしれない。)

 天皇の制度は歴史概念で、ファシズムのような近代的概念とは一致せず、これをむしろ排除する役割を担ってきた。天皇の制度が廃止になったら、その次に異様な独裁体制が出現する可能性がなきにしも非ずと私は考えている。これは私の推理である。

 さて、佐藤氏によるとファシズム国家はその内側において国民の平等を担保するのが常であり、国民に対してのみ「優しい」のを戦略とする。この点において、「新自由主義」による競争肯定の小泉政権は「負け組」の面倒はみないのであるから、優しくなく、いまだファシズムとはいえないとの判定を下している。

 そして、私の論文からかなり長い部分の引用を含めて、思わぬ方向へ議論を次のように展開している。

藤岡信勝氏正論大賞受賞への私の祝辞

 2月15日赤坂プリンスホテル別館で行われた第21回正論大賞の贈呈式にひきつづく祝賀会で、指名されて私は祝意を述べた。そのときの内容を以下にできるだけ正確に思い出して再現しておく。

 

 藤岡さん、また奥様、本日はお目出とうございます。会場の皆さまは本日は多数ご来場ありがとうございます。

 私が藤岡さんについてつねづね感服していることをまず二点申し上げます。その一つはご文章の論理的明快さです。筋道がはっきりしていて、構造的で、枝葉を取り払った幹のような、ムダを省いたご文体で、私が推定いたしますに、欧文脈に翻訳された場合に原文とのズレが最も少い、日本では数少い文章書きのお一人であろうかと存じます。

 第二点は藤岡さんの比類ない行動力、迅速果敢さ、運動へのエネルギーです。今回も採択が終って直ちに大洗町に跳び、栃木市に走り、大分市に足を運ばれました。時間の許す限り、他の仕事を犠牲にしてでも行動する瞬発力には、私は見ていて凄いな、これは負けた、真似できないなと再三思いました。

 皆さん、私はつねづね思うのですが、人間にはどこか自分を捨てている処がなければ面白くない。人間として鑑賞に耐えないなと思うことがございます。今の日本の首相が見苦しいのは、いつも私心が先立つことが見え見えだからです。

 藤岡さんには自分を捨てている処がある。愚直なまでそういう処がある。それを言いたくてこういうことを言い出したのですが、自分を捨てるというのはどういうことかというと、誤解されるのを恐れないということです。誤解されるのを恐れる心がある、それはどういうことかというと、物書きの場合ならいつでも日の当る場所に出たいということです。

 若いときには誰でもこれがあって、藤岡さんも若いときはそうだったでしょう。私もそうだった。否、今だってそうかもしれない。それは人間誰にもあって責められませんが、年がら年じゅう誤解されまいと、そんなことばかり考えている人は見苦しく、結局自分を見失ってしまいます。

 藤岡さんはたった一つのある事柄に関してだけ徹底して自分を捨てている。教科書問題に関してです。そこは見事です。私心を去っている。そこいら辺に、多くの人の目が狂いなく見ていて、今回のご受賞になったのだと思います。おめでとうございます。

 最後に皆さん、本日はフジサンケイグループの首脳の方々がお集りで、この受賞を共にお祝い下さっていますが、今回の受賞はつくる会に対してフジサンケイグループが「藤岡の教科書で行け!」と指令を発して下さったのだと私は理解しております。

 また扶桑社の社長さんほか皆さん、本日お出でいたゞいているかどうか分りませんが、以上のような次第ですから、扶桑社の方々もこれによって勇気と刺戟を与えられたと思っています。どうか教科書を出しつづけることにたじろがないでいただきたい。そのようにお願いしておきます。

近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(三)

 このあいだ九段下会議で人民日報の原文のコピーを解説づきで読む機会があった。その中の社説の一つに小泉首相の靖国参拝は中国にとって「寒風」だという表現があった。

 何のかの言っても、参拝は中国に対する圧力になっている証拠といえるかもしれない。今までの首相にできないことを小泉氏はやってのけたではないか、という評価の声がこのときもあがった。保守派の中の根強い小泉評の一つである。

 政治効果という点でこの事実は認められてよいのかもしれない。しかしどうしても私が素直に認められない気持にもなるのは、心の内実が透けて見えるからである。寒々とした首相の心の中が覗けるように思えるからである。

 靖国参拝には至誠、まごころがなによりも求められる。首相は昨夏発表した談話で「戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々」との表現を使った。自ら進んで戦場に赴いた将兵たちの心がまったく分っていない証拠を、期せずして漏らしてしまったのである。

 靖国参拝は拉致被害者を一部取り返した実績とも併せて、小泉純一郎という政治家が国民に最大の目くらましを食らわせている、戦術に長けた、微妙な言動の空間であると私は考えている。

 本書の61~62ページに私は次のように記している。

 「心ならずも命を落とされた多くの方々」という表現に、今夏、激越な調子で反駁し、自ら進んで国に殉じた往時の将兵の心のわからない首相への痛憤の念を靖国の演説で吐露した方がいる。小野田寛郎さんである。小野田さんは別の所で、政府主導の、戦没者慰霊の追悼・平和祈念のための記念碑を以て靖国の代替にすることがもし決まったら、英霊はこの国を「敵国」と見做すであろう、と断固たる発言をされている。

 ところが奇妙なことに、別にこれに答えてではないが、首相はつねづね代替施設が仮りにできても、靖国に代わるものではないと語り、保守サイドの人々を喜ばせるのである。それでいて、「心ならずも」を含む今夏の首相コメントは平成7年の村山首相の侵略戦争謝罪談話の域を越えていない。

 首相の言葉は靖国を大切に思う人たちにフッと近づき、そしてまたフッと離れる。行動も同様である。最初に8月15日に参拝して、毎年堂々と続けていれば中国は沈黙した。スキを見せるから政治的に利用価値があるとみられるのである。それなのにまた今回は、登壇せずに一歩尻ごみした祈祷態度に出たので、再び中国につけ入られるであろう。

 このように中途半端で、曖昧で、それでもほんの少しだけ国民に理解されやすい言葉を並べたり、行動したり、靖国関係者に「参拝して下さるだけで有難い」と言わせるかと思うと、小野田さんのような人を激怒させる。

 このフッと近づきフッと離れるやり方こそが、ほかでもない、「左翼」の常套手段なのである。形だけの参拝で、靖国を大切に思う人々に、まるで乞食にものを投げ与えるように恩着せがましい言動を重ねる首相に、私はいい加減にもうやめろと、言いたい。

 しかしここにこそ、この政治家の国民的人気を博している煽動家としての独特な心理誘導の極致がある。ナチス時代のドイツ国民は総統演説の熱っぽさに酔ったのではない。そのつどそのつどほんの少しだけ理にかなった言葉が並んでいることに引きずられていったのである。

 私あての私信で、この部分に共鳴して下さったのは国語学者の萩野貞樹氏であった。

 かういふ書物を読んで反撥できれば気楽でせうが共感せざるを得ず、その共感なるものは即ち現首相への苛立ちであるわけですから読者としては辛いところです。62頁「首相の言葉は靖国を大切に思う人たちにフッと近づき、そしてまたフッと離れる」のご指摘は実に印象的ですが、首相のこのとりとめなさに、われわれはきりきり舞ひさせられてゐるわけです。それなのに取り敢へずはこの人を兢々の思ひで見守るしかなく、思へばわれわれは不思議な地点に立たされたものです。

 たしかにそうなのだ。この厄介な首相に私たちはキリキリ舞いさせられてきたのである。なかでも最近の、皇室典範改定のテーマはその最たるものであった。秋篠宮妃のご懐妊のニュースで全国民がやっと愁眉を開いたなどというのはおよそあってはならないことなのである。

 それでもなお2月9日から10日にかけて私は首相の本意を測りかね、TVのニュースのたびに彼の言葉に注意を向けつづけた。そして、皇室典範改定の法案の国会上程を取り止めた、という首相じきじきの言葉が、ついに口から出ていない事実に、いまだに一抹の不安を抱いている始末なのである。

 タイミングよくご懐妊のニュースが飛び出たから良かったものの、そうでなかったら皇室に関わる国会内の衝突は不可避だっただろう。しかもあれも、なぜか宮内庁というお役所をとびこえて宮家からダイレクトに陛下への奏上がなされ、同時にニュース公開となった経緯に、政府に対する宮家の警戒心、あるいは不信があってのことと思わずにはおられない。ひょっとすると妨害をかいくぐってのスリリングな発表だったのではあるまいか。憶測かもしれぬが、悪しき政治家のために宮家に心を煩わしめて、お気の毒にと私は一瞬心をくもらせたのである。

 小泉とは何という人物であろう。許しがたい政治家ではないか。「至誠至純」が求められる靖国参拝にもなにか説明のできない不純で不誠意で場当たり的なモチーフを同様に私は感じつづけてきた。

 大学と政界を通じての友人の栗本慎一郎氏の「パンツをはいた小泉純一郎」に次の証言がある。

 

 靖国神社参拝問題で、小泉は中国、韓国の怒りを買っていますが、靖国神社に対して、彼は何も考えていないですよ。

 私はかつて国会議員として『靖国神社に参拝する会』に入っていた。そこで、小泉に『一緒に行こうぜ』と誘ったのですが、彼は来ない。もちろん、靖国参拝に反対というわけでもない。ではなぜ行かないのかといえば『面倒くさいから』だったのです。
 
 ところが、総理になったら突然参拝した。きっと誰かが、『靖国に行って、個人の資格で行ったと言い張ればウケるぞ』と吹き込んだのでしょう。で、ウケた。少なくとも彼はそう思った。
 
 それに対して、中国、韓国が激しく抗議するものだから、彼は単純に意地になった。批判されるとますます意地になる人がいますが、彼はまさにそのタイプです。

 だから、中国や韓国がこの問題を放っておけば、小泉も靖国参拝をやめますよ。もし私が中国、韓国の首脳なら、靖国のことなんか忘れたふりをして、「いい背広ですね」とか、関係ない話をする。そうしたら、次の年には行かなくなりますよ。小泉は、その程度の男なのです。こうして彼は自意識の劇場を演じているのです。

 こんな男がこの国の総理です。注意すべきではないでしょうか。」

 これを読むと私の口から何たることよと深い溜息が出て、ただ空しい思いに襲われるのみである。

近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(二)

 さて、拙著の題名の「狂気の首相」に括弧がついているのには意味がある。いわゆる「狂気の首相」とみなされている人、噂されている人という趣旨であって、私が「狂気」と断定しているのではない。先週もTVタックルで出演者のお一人が「小泉さんは頭がおかしい」という意味のことを言っていた。そういう声があちこちで聞える概念の総称を括弧づけで表現したまでである。

 それを証明する一例を少し長くなるが引用させていたゞく。

 栗本慎一郎『週刊現代』(2005.12.24)巻頭記事よりの引用で、Speak Easy社会というブログの「パンツをはいた純一郎」というタイトルの記事からとびとびに転送させてもらう。 栗本氏は人も知る首相のきわめて近い慶応大学在学中の同級生で、その関係は
 

 「小泉の同級生のなかで、大学出てから小泉と同じ職場で働いた人間なんて私以外にいません。追って詳しく説明しますが、私は代議士として自民党に入ってしまった期間があり、そのとき、同じ職場で働いていました。ですから、客観的に見て私には小泉に関するものすごい証言能力があるでしょう。

 栗本氏の証言は次のように展開される。
 

 彼は一対一では誰とも話ができない。『コミュニケーション不能症』です。人間と普通に話すことができないのです。彼が人と付き合うには、立場が必要なんです。言葉を知らないから、友人としての話というは成立しない。だから「立場」しかない。
 
 「オレが会長だ」「オレは何かを代表している」という立場なら演じることができる。ですから、彼は自分の性格上、権力は絶対に欲しい。権力欲がないようなことを言っていますが、それは大間違いです。

 「小泉は通常の意味で、とにかく頭が悪かった。本当は頭がいいんだけど、成績が悪いといったパターンがありますが、彼の場合、ただわかんないだけ。理解カゼロなんです。
 
 彼がいかに頭が悪いか。私が’95年に衆議院議員として自民党に入党したときに、一時期彼の『押し掛け家庭教師』をやったことがあります『金融市場をどうするのか』、『戦後の日本経済のなかで、現在はどういう位置にあるのか』、そういったことについて、すでに名の知れた若手リーダーなのにあまりにとんちんかんなので、教えてやろうということになったわけです。
 
 それで、最初は私がやったのですが、あまりにダメなので、懇意にしている別の有名教授に応援を頼んだ。先生と生徒があまり親しいとうまくいかないことがある。それを心配したのです。
 
 それで某教授を呼んで、
 『ひょっとしたら総理になるかもしれない男なのに、こんなんじゃ困るから』
と依頼したのです。

 某教授も小泉がそんなバカとは知らないので、日本のためにと、やってきた。でも、講義は、まったく前に進まない。しかたがないから、私が司会のように横についた。『これは○○のことを話しているんだよ』と、解説した。家庭教師に司会が必要だったわけです。

 ところが、それでも話が進まない。私がそばにいるせいで格好つけているのかと思って、行きたくもないトイレに立って席を外してみました。しかし、戻ってきても進んでいない。結局、3時間ほどやって諦めました。

 後で某教授に『どうですか』と聞いたら、『ダメだねえ』と言って困ってました。そして彼がこう断じたのです。

 『これがわからないとか、あれがわからないということじゃなくて、問題がわかっていない』
 小泉は採点のしようがないぐらいバカだというのが正しい評価です。前首相の森喜朗さんも頭が悪そうですが、彼は、自分がわかっていないことがわかるようだ。だから森のほうが少し上です。

 皇室のことも、歴史のことも、経済のことも、結局首相は何も分らないで政治をやっているということになるのだろうか。栗本氏のあけすけな証言を読むと私は思い当るものがある。そのまゝ私が一年半前に予言的に書いておいた「小泉純一郎“坊ちゃんの冷血”――ある臨床心理士との対話」(『VOICE』2004.8)、これは上掲書にも収録した論文であるが、ここですでに指摘した問題点と、栗本氏の証言内容とはほゞ一致していることが分るからである。私は首相の一連の政治行動から推量しただけだが、栗本氏は実体験でこれを裏づけている。
 

 なぜ郵政事業をこれほどまで犠牲を出しつつ民営化しなければならないか、何度小泉の演説を聴いても単純すぎてさっぱり理解できない。民間のできることは全部民間でと言うのなら、道路公団についてなぜあんなに適当にやるのかわからない。彼は郵政民営化について、中身はせいぜい5分しか話すことができないのです。何十年とそればっかり考えてきて、5分しか話せないんですよ。これは問題でしょう。
 
 ところが、テレビに出るときは5分で十分なんです。発言が放映される時間は、せいぜい5分ですから。しかし、議論はまったくできない。だから、突然の断行強行になってしまうのです。

 この内容は私が近刊の前掲書の「序」に書いたこと、衆議院解散の夜の首相のテレビ演説から私が直観的に感じ取ったこととぴったり同じである。栗本氏はさらに、
 

 私は、一、二度、彼と二人だけで新幹線に乗りました。東京から京都まで、あるいは大阪まで、隣に坐ったわけですが、あれほど退屈な時間はなかった。彼はとにかく普通の話ができない。議員同士の世間話をしても、前日の国会の話をしても10分で終わってしまう。だからしょうがない。二人とも寝るしかない。
 
 小泉の発言は明確だと言われますが、真相は長いことを喋れないから、話が短くて明確そうに聞こえるだけです。話がもたないから、すぐ結論を言ってしまうわけです。」

 栗本氏の指摘は証言力に富み、説得力がある。郵政から皇室まで、というより子供時代から今日まで小泉氏は何も変わっていないのである。当然だが、同一人格である。いわば裸の王様である。

 右往左往している国会がみっともない。危険にさらされている国民はたまらない。

注:なお近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(一)の文中の皇族の尊称については、曾孫からみた未来の物語なので誰にでもピンとくるように、あえてこのような書き方とした。

近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐって(一)

 2月7日秋篠宮妃殿下の御懐妊の朗報があって、全国民は湧き立ち、皇室典範改定問題の国会上程はこれで沙汰止みになったのではないかというような希望的観測を誰しもが抱いている。

 同日声明文を出した団体の中で皇室典範を考える会の代表の渡部昇一氏は、「男子御誕生がありうるのに典範改正を強行するとすれば、それはもう狂気の沙汰と言うほかない」と声明文中において語っている。

 国会議員の中でも慎重派の声が一段と高まり、さしもの小泉首相も一歩退くであろうという観測が7日夜から強まっている。私が8日午前中の国会中継をテレビで見ていたら、首相は強気一点張りの言い方をたしかに少し改めていた。しかし、国会上程を当分見合わせるのかという野党の質問に対して、決してそうは答えなかった。「慎重に審議を進める」という言い方をくりかえすばかりで、法案の審議を打ち切るとは最後まで言わなかった。

 国民の中で最も思慮深くあるべき日本国の総理大臣、しかも国家の最高案件に関して最も保守的であることが当然視されている保守政党の党首が、御懐妊の報があって、いぜんとしてこういう姿勢、こういう配慮を欠いた対応を示していること自体がすでにして「狂気の沙汰と言うほかない」であろう。

 いったい首相は何を考えているのか。このところ日増しにひとびとの疑念は高まっていた。首相は記者団に1月27日「女系天皇を認めないという議論は、仮に愛子さまが天皇になられた時に、そのお子さんが男でも認めないということをわかっていて反対しているんですかね。」(朝日2月4日記録より)と語って、自ら「女系」と「女性」の決定的違いが良く分っていないことを暴露していた。愛子天皇のお子さまがたとえ男子でも「万世一系」にはならないから認められないのだ、ということはテレビの次元でも、最近は国民に分りかけているというのに、である。

 首相は口ぐせのように皇位継承が安定するようにするために「女系」も容認するのだと言い出しているが、話は逆である。「女系」できまって、もはや絶対に「男系」にもどれない、となった段階で取り返しがつかないと判明すれば、30-50年後の話だが、そのとき何が起こるか分らない。「歴史の復讐」と私が呼んだことが起こるだろう。皇位継承は安定するどころではない。「女系」の天皇家は崇敬の対象にならなくなる。権威も神秘性もなくなる。廃絶が必然的になる。

 少し考えてほしいのだが、愛子天皇の配偶者が民間人である場合、そのお子様にとって祖父は二人、祖母は二人いるとしても、父方の祖父母は未知の民間人である。母方の祖父が皇太子浩宮であり、祖母が雅子妃である。そこでさらに進めてお子様のお子様にとって、曽祖父母は八人いて、皇太子浩宮は母方の曽祖父にすぎない。

 一般の家庭を考えても分るが、母方の祖父母の氏姓は辛うじて知っていても、母方の祖母の実家の氏名は知らない人が大多数ではあるまいか。皇太子浩宮、平成天皇、昭和天皇、大正天皇とさかのぼる皇統の系図はかくしてはるか遠くへ消えてしまうのである。

 ここにくるまでに天皇の制度はついに消滅したことを国民は否応なく認識することになるだろう。小泉首相が慌てて、あわたゞしく手を着けようとしてきた改革はこのような国体の破壊にほかならないのだ。

 この他にも、永田町では天皇に対する首相の唖然とするような非礼な言動の数々が噂されてきた。『週刊文春』最新号(2006.2.16)は新聞にすでに報道されてきた「小泉首相不敬言行録」をまとめている。 その中の一例は、

 

皇室も改革だ! 
 有名な話が「電気をつけろ」事件である。毎年11月23日に行われる新嘗(にいなめ)祭でのことだ。神嘉殿で行うこの神事は、天皇陛下が新穀を皇祖はじめ神々に供えられるもので、数ある宮中祭祀の中で最も重要な儀式の1つである。
 神事はしんと静まりかえった真っ暗な中で行われるのだが、参列した小泉首相はこう言い放ったという。
 「暗いから見えないじゃないか。電気をつければいいじゃないか」

 2月7日の国会中継で秋篠宮妃ご懐妊のニュースを耳打ちされた直後もなお首相は慶賀のことばを述べる前に典範改正案の国会上程に変更のないことをあえて述べ、自己のプランへのこだわりを祝意に先行させた。むしろ慶賀のことばを先に述べたのは野党の質問者だった。

 自己へのこだわり、思い詰め、柔軟さの欠如、そして頑迷さを行動力と勘違いする自己錯覚は間違いなく生来のものである。近刊の拙著『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』ですでに私は心理分析を終えているので、驚かない。郵政民営化と衆議院解散劇で拍手を送り、皇室典範改定問題でにわかに困惑し、オロオロしている言論界の人士のほうがおかしいのだ。

皇室問題の論じ方(五)

 かつて私の母は香奠袋を買い貯めることを決してしなかった。御霊前と書かれたあの袋は誰かの訃報に接したそのつど買い求めていた。死者の出るのを待っているかのような振舞いは慎むべきだ、という戒律のようなものが母にはあった。

 今でもこの掟を守っている日本人は少くないだろう。私にも私の妻にもそのような心の動きがまだある。私たちはときとして便利に負けてこの定めを破ることがあると、「とうとう買い貯めてしまった」と悪いことをしたときのような会話をしてきたからである。

 今の若い人はどうだろう。文具店などであの袋が3-5枚ビニールに入れられて売られているのを見ると、複数買い置きすることに抵抗はなく、それが死者を待つ悪心だと言い継ぐ人もいなくなっているのではないだろうか。

 天皇の制度についても少し前までは不動のものという気風に揺らぎがなかった。遠藤浩一さんのブログを読んでいたら、氏の師匠筋にあたる、92歳になられた社会民主主義者の教授が「天皇制を抜きにした社会主義は考えられない」と仰言ったということばが記されていて、あゝ、一昔前まではたしかにそうだったと往時を思い出した。

 三島由紀夫が日本共産党は天皇制を伴った革命を目指していると言ったことがあり、これを警戒すべき最大級のことと書いていたのを思い出す。社会主義者も共産主義者も天皇の二文字には勝てないといわれたものだった。

 しかし今はどうだろう。天皇なんか要らないと平気で口にするのはホリエモンだけではない。ある年齢より下の層に、香奠袋の買い置きにためらう心が失われたのと似たような、たじろぎの無さ、無遠慮さ、ベールを剥がしてしまった素裸になった心の状態、が横行しているのではないだろうか。

 最近私の雑誌論文にときどき感想文を寄せて下さる方に40代の公務員Aさんがいる。彼は率直に書いてこられて、正直に世代を告白している。次のように書くことにためらいを持たない世代に属する。

 

 今回も、雑誌「正論」2月号に西尾先生が書かれた「皇室典範と財政」を拝読させて頂きました。30~50年後に天皇制が左右から攻撃され、真の危機が訪れるという視点は、他の論者にない大変説得力のある視点であり、かつ、これまで朝日新聞や中野での皇室典範改悪阻止国民決起集会などで西尾先生が繰り返し強調された点であり、かなり世間に浸透してきたと思います。

 他の論者が主張する「2000年続いた伝統を守る」という視点だけでは、「日本の伝統を守る」という点に価値を見い出さない人や、むしろ日本の古い体質を変えていくことに価値を見い出す人にとっては説得力を持ち得ません。

 私は、西尾先生が提示された視点に。更にもう1つ付け加えれば、更に説得力が増すのではないかと考えます。西尾先生が提示された視点は、天皇制が左右から攻撃され、やがて天皇制が廃止されるだろう、というところで止まっています。これでは、天皇制を存続させるべきと考える人々に訴えることは出来ますが、天皇制が廃止になっても、「ああ、天皇がいなくなったのか」という溜息だけで終わってしまう大部分の一般庶民には訴える力を持ち得ません。

 「正論」2月号のなかで、旧竹田宮直孫である竹田恒泰氏が、天皇制を、世界最古の木造建築である法隆寺に例えておられます(この例えは、とても良く理解できる例えだと思います)が、法隆寺を木造のまま保存しなければならない、コンクリートに変えてはならない、という主張は、法隆寺を保存しなければならないと考えている人々にしか説得力を持たないのと同様です。

 私は、天皇制が廃止になったその先に何がやって来るのか、を提示することが大切だと考えます。もし天皇廃止論者の思い通りに物事が進んだとすれば、天皇制が廃止になった後、共和制が導入されるかもしれないという点です。

 この文章はひきつづき、共和制の国というと恐らく日本で考えられるのは「朝鮮民主主義人民共和国」や「中華人民共和国」のような社会主義国家だろうと述べている。1960-70年代のような過激な破壊行動ではなく、ゆっくりと、しかし着実に一貫性をもって進めるやり方で、天皇の制度を壊したいと考えている人々が多数いて、それは日本を社会主義国にしたいという動機から出ていると論述しておられる。

 Aさんの質問に対し私はどう答えたものか悩むのである。「天皇制が廃止になったその先に何がやって来るのか」分らないというしか私にはまったく言いようがないからである。

 共和国というのは何も社会主義国とはかぎらない。王制を持つ国の方が少い。フランスも、ドイツも、アメリカも君主国ではない。天皇の制度が廃止された後の状態として人々が連想するのは必ずしも北朝鮮や中国ではなく、普通の近代先進諸国家群である。

 だから必ずしも特別のことではないと考えてよいのかもしれない。だからこそ、「大部分の一般庶民」は天皇の制度が廃止になっても「あゝ、日本から天皇がいなくなったのか」という溜息だけで終ってしまう、ということが平気で予想されているのである。多分これは真相を言い当てている。そして、とても厄介な、恐しい真相でもあるといえる。

 けれども他方、日本人は未知の領域に入るような不安も抱いている。皇室典範が政治的タームになって以来、新しい変化を感じとり、慎重に扱うべきだとする人々の声が小さな波から津波のようなざわめきになって国内に広く及んでいる。日本の国民にとっては天皇の存在はやはり格別のことなのである。

 平生は意識していない事柄が危機を迎えてあらためて意識される。伝統とか文化とかいうのはだいたいそういうものだろう。

むかし書いた随筆(七)

***買いそびれた一枚***

 どうしてもこの一枚のレコードが欲しいという執着が、私には昔からない。だから、所蔵を密かに誇りにしている名盤も持っていない。若いとき、レコードを愛玩する審美的な熱狂家たちに取り囲まれていて、癇に障って、あれは孤独な病だ、などと嘯(うそぶ)いては、抵抗を試みていたスノビズムの結果かもしれない。

 昭和40年代の初め頃、松本道介君(現中央大学文学部長)がボーナスをはたいて、クナッパーツブッシュ指揮の『パルジファル』を買った。ワーグナーのレコードはまだ珍しく、フルトヴェングラーの『リング』も出ていなかった頃だ。当時松本君は、レコードを聴いていた、というよりレコードを生きていた、と言った方が良いかもしれない。感性的に鋭く、潔癖な彼は、同じ『パルジファル』全曲を二揃い買った、と私に告げた。一つは自分の常用であり、他の一つはレコード針による摩滅を恐れての自分のための永久保存用だ、というのである。私はこれを聞いて、負けた、と思った。孤独な熱狂も、ここまで来れば見事である。

 しかし、間もなくミュンヘンに留学した私は、実際に音楽を聴く、ことにオペラを聴くということが、レコードを頼りにすることとは格段に差違のあることを、あらためて知った。当時ミュンヘンのレパートリーは58あったが、私はそのうち52に接した。毎晩のように出掛けて行ったある冬の経験もあるのだが、毎晩の舞台がどれも満足を与えてくれたとは限らない。素人耳にも歌手の良し悪しは判定がつく。

 一作品に目星い役柄が四人いたとすると、四人揃って歌手が魅力的である、というケースは絶無に近かった。うまいなァ、と思わせる歌手は、通例は四人のうち一人くらいなのだ。そして聴き手はそれを知っていて、拍手の量で歌手を評価している。抜きん出た歌手がアリアを歌い出す寸前には、客席に期待の余りの緊張が走るのを、私は自分の身体で感じとっていた。

 私はこれが本物のオペラに接するということだと思った。凡百の歌手の中にあって初めて本物の歌手は生きてくる。あるいは、本物の歌手は凡百の、才能も乏しい層に支えられて初めて成り立っているのである。名歌手ばかりで配役を組んだ特殊な一枚のレコードは、「抽象的」でありすぎる。私はそんなことを、得々として松本君に書き送ったが、二年後に留学した同君が、やがてこの自明の事実を、何倍もの規模で体験したであろうことは、およそ想像に難くない。

 そんなわけで、音楽が時間の芸術である限り、音楽の保存はあり得ない、は原則的に今でも成り立つと信じているが、しかし、すでに消えてしまった美の記憶を甦らせる手段として、美を仮定的に保存しようとする願いが人間にあることもまた、紛れもない。ことに日本人は帰国してしまえば、本物のオペラを滅多に見られないのだ。

 私の場合、「ベルリン国立歌劇場(東ベルリン)」が1977年に来日したときの『ドン・ジョヴァンニ』がそんな体験である。スウィットナー指揮で、テオ・アーダムが主役だが、とりわけドン・オッターヴィオを唄ったペーター・シュライヤーの全身に沁み入るような明澄な声がいまだに記憶の底に残っている。

 同じ配役のレコードが出ているよ、と友人が教えてくれたのだが、つい買いそびれてしまったのも、愚かなことに例のスノビズムのせいかもしれない。

初出(原題「買い落とした一枚」)「文学界」1986年10月号

むかし書いた随筆(六)

 末尾が切れて不完全な掲示となりましたので、完成稿をもう一度掲示します。なお、デューラー四使徒の絵も不完全掲載であったことをお詫びします。

***夜の美術館散歩***

 ヨーロッパの美術館はしばしば夜も開かれている。昨秋、私は久し振りに三ヶ月ほどドイツに行った。夜になると大抵オペラや芝居を見にいったが、毎晩というわけにもいかず、行く処がなくて困る夜もあった。そういうときに美術館が開いているのはじつに有難い。

 例えば、ドイツ中世絵画で名高いミュンヘンのアルテ・ピナコテークは、火曜と木曜の二晩だけ、午後7時から9時まで開かれている。館内には昼間のように団体の観光客はない。森閑とした巨大画面の谷間に、訪れた靴音だけが冷え冷えと響いていた。

 14-18世紀の西欧絵画を主に蒐(あつ)めた、おそらく目下西ドイツ最大のこの美術館に、昔私は飽きるほど足を運んでいたので、デューラーが何処にあり、グリューネヴァルトが何枚くらいあるかまで覚えていた。今度も私は疲れていない元気のいいときには、これらドイツ中世絵画に面と向かった。疲れているときには、どういうわけか、今度は色も線もどぎついまでに勁(つよ)いドイツ的世界を避ける気持が動いた。クラーナハの妖しい美、バルドゥングの怪異さ、グリューネヴァルトの精神性――どれ一つをとっても見る者の心に過度の緊張を強いて来ないものはない。一日の仕事を終えた夜の散歩者の気分にはそぐわない。

 どうせ夜の二時間くらいではこの大きな美術館を回り切れるものではない。私はそう考え、夜入ったときにはあちこち移動せず、一、二の部屋にじっと腰を落ち着けているのがいいように思った。

 そこでドイツの絵を避けた日には、私は好んで17世紀オランダ絵画の、穏やかな室内のリアリズムの傑作が並んでいる側面の小部屋に足を向けた。労働する女性の全身に射す明るい光と影、四角い窓や戸に区切られた室内の落ち着いた空間構成、糸の織り目の一本も見逃さない衣裳の襞(ひだ)の細密描写――フェルメールやテルボルフの代表するあのオランダ市民の日常生活を描いた数々の傑作は、神話や聖書にばかり取材したドイツ中世の、イエス・キリストや受難者たちを残酷陰惨に描いたあのもう一方の暗い世界とは何というへだたりがあるだろう!

 私はグリューネヴァルト、バルドゥング、クラーナハ、アルトドルファーといったドイツ中世画家たちの作品に取り巻かれ、ベンチに座って、独りじっとしていることがあった。すると画家たちの宗教的幻想が、まるで異様な一大音響となって、私の身の周りに飛び交い、もつれ合い、降りかかってくるように思えた。それらの絵は神秘的で、超俗的で、物語性に富み、日常にはないものを現実化してみせる、中世絵画に特有のメルヒェンめいたファンタジーに満ちあふれていた。

 私はそういう画家の幻覚の数々――底知れぬ絵画的豊かさだと言ってもいいのかもしれないが――に当てられ、言いようもない不安を覚えることも少なくなかった。それは形のない玩具を与えられてどう扱ってよいか戸惑う子供の心理にも似ていた。

 そういうドイツ中世画家の中で、明確な形、均斉のとれた即物的描写という点で、私の心にただひとり例外をなす画家がいた。幻想ではなく、厳密に規定された調和と法則の美において秀で、しかも、宗教的情熱を決して表立てては主張しない男性的な禁欲の画家。いうまでもなく、デューラーがその人で、ミュンヘンのこの美術館にも、代表作「四使徒」がある。

 、聖書を手にした四使徒の立像、その忘れ難い眼光は、一度見た者の心を去らないだろう。しかしデューラーは決して分かり易い画家とは言えない。秀(すぐ)れた作品は肖像画に多く、地味で、文学性に乏しい。いま述べたドイツ画家の特有の、宗教的幻想を述べる率直さが彼にはない。『人体比例論』という書物を著した理論家が彼の中には住んでいる。

 初め私も彼にはなじめなかった。オランダの画家のあの家庭的な優しさも彼にはない。イタリアの画家のような絢爛(けんらん)たる色彩美も彼には乏しい。しかし私は今度の旅で、ドイツそのものに疲れたときに、この最もドイツ的な画家にかえって癒(いや)された。「ドイツ的」とは、ドイツ的情緒を否定し、これに打ち克とうとする精神の方向を指しているからであろう。

初出(原題「美術随想 ドイツの美術館」)「産経新聞」1981年9月4日夕刊