■ヨーロッパの二重性
まず政治的・社会的な原因を考えてみましょう。アジアの四つの帝国は大きな世界政府がそれぞれブロックをなして、静的に存在していたという風に考えられる。
ところが、ヨーロッパはひとつではなかった。ヨーロッパは内部で激しい戦争を繰り返し、経済・軍事・外交の全てを賭けて覇権闘争がまずヨーロッパという所で行われ続け、その運動がそのまま東へ拡張された。中心に中国があり、周りの国が朝貢して平和と秩序が維持されているという古い東アジアの支配統治体制においては考えられない出来事が起こってきました。ヨーロッパでのヘゲモニー(主導権)を巡る争いと、他の地域への進出のための争いとが同時並行的に運動状態として現れ、それが18世紀の中頃以降さらに熾烈を極め、終わりなき戦いは地球の裏側にまできて、決定的果たし合いをしなければ決着がつかなくなるまでになった。19世紀になって帝国主義と名付けられる時代となり、今まで動かなかった最後の砦である中国を中心とする東アジアに争奪戦は忍び寄ったというのが、今まで私たちが見てきた歴史です。
1800年には地球の陸地の三五%を欧米列強が支配しており、1914年、第一次世界大戦が始まる頃にはその支配圏は八四%にまで拡大しました。日本の明治維新は一八○○年と一九一四年の第一次世界大戦とのちょうど中間にあたる時期に起きた出来事です。拡大するヨーロッパ勢力に対する風前の灯であった日本の運命が暗示されております。
戦うことにおいて激しいヨーロッパ人は、戦いを止めることにおいても徹底して冷静です。利益のためには自国の欲望を抑え、相手国と協定や条約を結ぶことも合理的で、パっと止めて裏側に回って手を結ぶ。そういうことにも徹底している。しかし、日本人にはこの二重性が見えない。実はこれが国際社会、国際化なのです。
ある時、欧米人は満州の国際化ということを言い出しました。「満州は日本政府だけが独占すべきものではなくて、各国の利益の共同管理下に置くべきだ」と。国際化というのはそういう意味なのです。では、日本の国際化というのはどういう意味ですか。日本人は無邪気にずっと「日本の国際化」と言い続けていますが、「どこかの国が占領してください」「どこかの国が共同管理してください」と言っているようなものです。間が抜けて話にならない。つまり国際化というのは、西洋が運動体として自分の王家の戦争のためにやっていたあの植民地獲得戦争が、もうヨーロッパの中で手一杯になってしまったから外へ持っていく。それが彼らの言う国際化、近代世界システムなのです。
投稿者: Nishio
ヨーロッパ人の世界進出(一)
昨年2月から毎月1回のペースで10回行われた『歴史教科書 10 の争点』という連続講座が間も無く本になる(徳間書店刊、定価未定)。
聖徳太子(高森明勅)、大仏建立(田中英道)、ヨーロッパの世界進出(西尾幹二)、江戸時代(芳賀徹)、明治維新(福地惇)、明治憲法(小山常実)、日露戦争(平間洋一)、二つの全体主義(遠藤浩一)、昭和の戦争(岡崎久彦)、占領下の日本(高橋史朗)が10の講座の内容で、人選とテーマ設定のコーディネーターは藤岡信勝氏であった。
私は昨年4月8日に文京区シビックホールで300人くらいの会衆の前で上記テーマについて話をさせてもらった。その内容が今度の本に収録される。
それに先立って、つくる会機関誌『史』(ふみ)の平成16年5月44号にこのときの講演の要約文がのせられた。要約文とはいえ、きちんと手をいれ、これはこれで独立した文章としてまとまっているように思うので、ここに再録する。
『国民の歴史』第15章の「西欧の野望・地球分割計画」が念頭にあるが、後半で同書にも、教科書にも書かれていない新しいテーマに触れた。ヨーロッパの世界進出がまだ終っていないのは政治的理由によるのではなく、後半で述べられたこの新しいテーマによる。
ヨーロッパ人の世界進出
ヨーロッパ近代の本質とガリレオ・デカルト的思考の恐怖
■西洋はなぜアジアを必要としたのか
十五世紀まで無力だったヨーロッパはなぜかくも急速にアジアへ進出することが可能だったのでしょうか。
ポルトガルはアフリカの南海岸を南下してアジアをめざし、スペインは大西洋を西へ西へと回って西インド諸島を発見、コロンブスがその代表としてアメリカ大陸発見ということになった。なぜポルトガルは南に行き、スペインが西へ行ったのか。
彼らはジパングやインドを求めてきたのですから、地中海を東へ渡って陸路を来るのが近道だと思うのですが、それができなかったのは、当時、地中海がイスラム勢力に完全に制圧されていて、通行不能だったためです。しかし、全ての教科書はヨーロッパの進出をヨーロッパ文明の世界への展開という見地で書いており、扶桑社版の『新しい歴史教科書』のみが、ヨーロッパはイスラム勢力を迂回し南と西へ進んだという事実をはっきり書いています。
当時の世界の中心は東南アジアでした。スペインやポルトガルがこの地域一帯を支配していたなどという事実は全くありません。それもまた多く誤解されている点で、ヨーロッパの世界制覇ということは現実には行われていなかったのですが、彼らの観念、頭の中では世界征服の地図はでき上がっていました。それがトリデシリャス条約で、大西洋の真中に南北に線を引き、ポルトガルとスペインが地球を二つに分割する協定をローマ教皇庁が承認しています。
当時、ヨーロッパは本当に狭い地域におさえこまれていました。イベリア半島のイスラム勢力をやっとの思いで追い出した年が1492年、ちょうどコロンブスがアメリカ大陸を発見した年です。
ヨーロッパはたいへん遅れた地域でした。14、5世紀、生産性は低く、科学技術は遅れ、内乱と宗教的迷信に支配される、考えられないほど野蛮な地域でした。「ローマの平和」と言われた古代の時代が過去にありましたが、それが過ぎてから千年にわたるヨーロッパの歴史の中で十年以上平和だったことは一度もありません。なぜヨーロッパ人はかくも戦うことを好み、武器の開発に凌ぎを削り、順次東へ進出してきたかというと、故国にお金を送るため、ヨーロッパの中で果てしない戦争を繰り広げるための戦費が必要だったからです。そのために、アジアに進出してアジアの富を攻略することが急務だった。
当時、ヨーロッパの横にはロシアのロマノフ王朝、西アジアのオスマントルコ帝国、インドのムガール帝国、そして東アジアの清帝国という四つの大帝国があり、それぞれが大きな枠の中に安定して存在していて、一種の世界政府でした。このうちロマノフ王朝だけはヨーロッパ文明側にくっついていきますが、オスマントルコ、ムガール、清は16世紀から18世紀くらいの間に次々と西ヨーロッパの餌食となってしまうのです。アジアの大帝国は西洋よりも遙かに豊かで進んでいた国であり、近代を生み出したとされる三大発明、火薬、羅針盤、印刷術は中国を起源とします。中国科学の方がはるかにヨーロッパに優越していました。
つまり、西洋はアジアを必要としていたのに、アジアは西洋を必要としていなかった。物は豊富で政治は安定し、帝国の基盤は盤石で何一つ不足はないかに見えたその三つのアジアの大帝国。しかし、何故に遅れていた西ヨーロッパがアジアに勝る状況を生み出してしまったのか。
暑中見舞い
平井康弘
暑中お見舞い申し上げます
西尾先生には益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。8月1日はスイスの建国記念日で、バーゼルでも建国を祝うお祭りが行われました。なかでも前夜にはライン川で大きな打ち上げ花火やイベントがあり、ふだんの静かな市民生活とはうってかわり、大いに賑わっていました。バーゼル市の人口が20万人で、この花火などのイベントに10万人程度が動員されたことを考えると、街をあげての行事であったことがわかります。私も家族を連れてライン川に顔を出し、熱気に包まれた川の歩道を歩いてきました。この日はバーゼル以外にもスイスの各地で花火やパレードなどの似たような催しがあったようです。
日本でこのような建国記念を祝う行事をあまり経験してこなかった私にとっては少なからず驚きを与えました。その後、フランス人やオーストラリア人の同僚と話をして、建国に関してどのようなことをしているか聞いたところ、フランスでは7月14日の革命記念日に公式行事で国家創設を祝う式典が大きく行われ、国を挙げてこの日を祝っているという想像通りの答えが返ってきました。オーストラリアでは1月26日のオーストラリア入植を祝った建国記念日があるが、実際の建国記念としては1月1日の連邦政府誕生がオーストラリア市民にとっては建国記念のようなもので、その他にも州によってばらばらの記念日があると、これもまたオーストラリアらしい返答が返ってきました。アメリカでも7月4日の独立記念日がありますが、各国特徴はあるものの、共通して国家の起源というものを考えることが市民生活には根付いているようです。省みて、2月11日の日本の建国記念日にそのような契機を促すものがあったかと首をひねっていました。
また先週、イギリスやオーストラリアの同僚と話をしていて、今回のイギリスでのテロの話をうけて、イギリスの特殊部隊SASがどのように動いているかという話になりましたが、その中で気がついたのは、彼らの議論の前提として世界情勢のなかで軍隊は自国を守るために必要最低限の機能であり、何よりそのことを意識すらせず、疑問をまったく覚えることがない様子に、日本との相違を思い知らされました。これが日本であれば、軍隊を持つと危険だとか、軍国主義になるといったステロタイプの議論になるのでしょうが、イギリスやオーストラリアなど殆んどの国々は軍があってあたり前の世界で、この世界観の違いはなんだろうかと思いました。彼らは戦争の前と後の歴史が連続しているから、軍が国家という体の組織の一部であることに違和感を覚えることなく、今なお、世界情勢を語ることができるのだろうかと肌身をもって感じた次第です。
日本も、これらの国々と同じようにどこにでもある普通の国であったのが、敗戦によって変わってしまい、背骨を折られ、汚名を着せられ、将来を語ることができなくなってしまいました。北朝鮮によって自国民をさらわれても強く出られない臆病。中国がアジアの盟主たらんと各方面で攻勢をしかけている現況。課題は見えているのに手の施しようがない。それを克服する鍵は、西尾先生がおっしゃる歴史を複眼で見ることであり、正しい歴史教育にあると信じます。
この夏の採択の成功を祈念申し上げます。
私もこちらで益々の努力を重ねて参る所存です。今後ともご指導の程、よろしくお願い申し上げます。
暑さ厳しき折り、お身体お大切になさってください。
不一
平井康弘拝
ポスト小泉
『文藝春秋』6月号でポスト小泉に誰がいいと思うか、理由を添えて400字以内で書け、というアンケートが来たので安倍晋三氏を挙げ、次のように答えた。安倍氏を推した解答者が一番多かったようだが、どういうわけか私の文章が誌面のトップに掲げられたので、次に再録する拙文をすでにお読みになった方も多いと思う。
安倍氏がまだ大臣経験者でないことや、派閥内の序列で若いことなどを理由に、首相の座は次の次だという人が少くないが、自民党が選挙で勝てる党首は誰かということに自ずとしぼられてくると思う。
今の状態の侭だと、自民党は総選挙で民主党に敗れる可能性が高い。若い議員たちを中心に危機感がある。その輪は選挙が近づくと広がってくる。イギリスのブレア首相の例もあるので、年齢は問題になるまい。
「ポスト小泉」大アンケート
各界著名人64人が推す 次の総理はこの人
=日本の「明日」を託すべき人物、その条件とは《本当の大国に》 西尾幹二(評論家)
安倍晋三
首相になった人の言葉の能力の低さは永いこと日本国民のストレスになっている。期待された小泉首相も「言語少量意味希薄」で失格。他方、大胆に明言する政治家は失言が多く、マスコミの餌食になっている。その点安倍さんは唯一、日本の国家意志を正面切って語り、思考がブレないだけでなく、NHK=朝日偏向報道の攻撃をも見事にかわし、かえって自己の立場を強固にしている。これからの日本は親米で米国に淫することなく、反中韓で大陸に足をすくわれることなく、この国を本当の大国に(ただの経済大国にではなく)蘇えらせる責務が政治家にはある。この役目を果せるリーダーは安倍さんを措いてない。あるときテレビで彼は「次の総理と目されていますね」と水を向けられたら「田中真紀子さんだってそういう風に言われていたじゃないですか」とさらりとスマートに身をかわした。この巧みさと明るさとジョークが国際外交の舞台に立ち現われる日の到来を待っている。
安倍氏には安定した長期政権になってもらいたい。それには「保守のまき返し」があって、公明党が政権から外れることと、民主党が分裂して、党内の保守派が自民党に入るなどの理想的な政界再編成の行われることが望ましい。
安倍氏が首相になって存分に腕をふるえる好条件が揃うのか揃わないのか、そこが今ひとつ私には読めない不安材料である。
罪深い大勲位
お知らせ
《来月の評論》特集 閉ざされた言語空間と「戦後神話」---60年目の再検証 「正論」9月号
___ 知られざるGHQの「焚書」指令と現代の「焚書」 30枚
特集執筆者 上記論文の私のほかに石井英夫、林道義、和田秀樹、西岡力、新田均
やっと書きあげました。写真もいれます。
マンガ嫌韓流 山野車輪 晋遊舎 ¥1000
5ページのコラム「外が見えない可哀そうな民族」を寄稿しました。
旧稿改作です。コラム執筆者は西村幸祐、大月隆寛、下條正男の各氏。
マンガ本体はよく描かれていて、私も知らぬこと多く、何箇所かで、
衝撃をうけました。
西 法太郎
<<自己紹介>>
西 法太郎と申します。
40台後半に差し掛かった会社員です。
世の動きに目を向けるようになったのはつい十年ほど前。
金美齢氏が深田祐介氏と対談した 『鍵は「台湾」にあり』を手にとってからです。
生まれてまもない弟が不治の病気に罹っても医学の道に志すことなく、
家に引き篭もった高校時代に全集全巻を読んだ三島由紀夫に憧れ同じ学部に入っても、
官僚・作家を志すことがなかった。
しかしこの方が、たいへん苛烈な人生を辿っていることに接し、大いに揺り動かされました。
台湾のことを知りたいと云う思いに突き動かされ、これが「日本」とその将来について考える
私のよすがとなり、その道程の起点となりました。
2001年12月に初めて台湾に渡り、時恰も行なわれていた立法委員(日本の国会議員)選挙を体験し、現地の空気に触れて、台湾に明るい未来が招来しなければ、日本にも明日はないだろうと観じました。
台湾に押し寄せる暗雲を、他国のことと等閑視していると、
それは日本をも襲う黒雲となると観じました。
西尾先生との出会いは、本年1月6日付け「西尾幹二のインターネット日録」にある通りです。
宮崎正弘氏の「国際ニュース・早耳」に掲載された拙論を西尾先生が目に留められ、
転載頂く栄に浴しました。
このような誉れを受けて、豚も木に登らんとばかりに動き回っています(笑)。
以上
罪深い大勲位
大勲位 中曽根康弘閣下殿
拝啓
三伏のみぎり、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。早速ながら、閣下殿が首相在職のさなか、昭和61年8月15日付けで胡耀邦中国共産党総書記(当時)に宛てた、靖国神社公式参拝の取り止めに関する書面を引用致します。覚えておられれば幸いです。
————————————————————
内閣総理大臣 中曽根康弘戦後40年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは、避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました。
————————————————————閣下殿は、胡耀邦氏を助けるために靖国参拝を取り止めたそうですが、それにあたり、腹心の野田毅氏を密使として胡氏に送り、靖国参拝の伺いをたてたそうですね。
国内問題について、外国要人の了解を得ようとした、閣下殿のトンチンカンなさもしい行為は、日本国民として呆れ果てるとともに、そんな指導者を戴いた者どもとして寂寥の感に包まれました。
閣下殿が公式参拝するまで、どの外国も文句は云ってきませんでしたのに、中国が唐突につけ始めました。時は小平政権の末期。 中国国内の権力闘争の渦中でした。日本寄りの胡耀邦追い落としに利用しようと、軍国主義の旗印として「靖国」を論い、参拝叩きが行なわれたのです。「靖国」は日本の内政問題で、公式参拝が違憲であるかないかは他国の干渉を受けるようなマターでなく、諸国に配慮すべき問題でもないのです。でありながら、執拗に中国がこれを言うのは、最初に閣下殿がコケたからです。
この時のことを後日閣下殿は雑誌『正論』に「胡耀邦を守らなければいけないと思ってやめた」と書いておられますが、譲った結果はどうでしたか?
閣下殿のこの不作為の罪は20年後の今日に至るまで日本国の国益を無尽蔵に損なっていませんか?
更に今後何年、何十年と国益を毀損し続けると懸念・憂慮されませんか?小泉首相の靖国神社参拝について、「(今のままなら)国益に反することになる。A級戦犯の分祀ができないなら休んだ方がいい」と先月閣下殿は述べておられます。閣下殿は首相在任時、「分祀」という“毒創的”な観念をあみ出し、板垣正氏に命じて、いわゆる「A級戦犯」の遺族の方々から、「分祀」への同意を取り付けようと画策し奏功せずに終わりました。東条家だけが同意しなかったからです。
それ以降中国・韓国は閣下殿の尻馬に乗って、「分祀」、「分祀」、「分祀」と「分祀」念仏教に走り日本国民はたいへんな迷惑を蒙ってしまいました。
今年小泉首相が靖国参拝をしたら、閣下殿の政治活動の一大汚点になるとの“賢明”なるご認識から、これを懸命に阻止されようとしているお姿は醜いの一語に尽きます。酷寒に包まれた赤城山からの颪の凄まじさです。
閣下殿は「私は『終身比例1位』」と地位に恋々とされる方でもありました。これを絶った小泉首相には、大いに意趣がおありでしょうが、大勲位らしくないお振る舞いと申し上げます。
閣下殿は、さかんにマスコミから「風見鶏」のニックネームを冠され揶揄された時代がありました。閣下殿はお考え、ご方針が結構ブレる方だからです。今盛んに改憲論を唱えておられますが、肝心要の総理在位の4年7ヶ月の間、改憲の「カ」の字も口から発せず、支持者の多くから、失望を買い、批判を浴びま
した。一議員にあらせられたときに、2000人の若者を伊勢に集め、「自分が印綬を受けたら真っ先に、憲法の改正をやってやる」と獅子吼したことを、最早お忘れで、記憶の片隅にもないのでしょうか?閣下殿の内閣で藤尾正行文部大臣が、文芸春秋で「(日韓併合は)形式的にも事実の上でも、両国の合意の上に成立した」と発言したことを巡り、閣下殿は発言を撤回しない藤尾氏を罷免してしまいました。
閣下殿ご自身の韓国訪問を恙無く終えようと、トカゲの尻尾を切った、無慈悲なご処分でした。プラザ合意で急激な円高を招来し、バブルの深因が形つくられたのは、閣下殿が首相在位の時でした。
ワシントン政府の言いなりに、「前川レポート」を作成して、日本国民の勤勉精神を骨抜きにする作業にも勤しまれましたね。「日の出るか傾く荘」で、来日したリーガン大統領にほら貝を吹いて興じられていましたが、ほらを吹かれ、謀られたのは我々日本国民だったのですね。
閣下殿の疑惑の数々を以下に列記します。
・殖産住宅事件で、旧制静岡中学時代からの東郷民安氏を裏切ったとされています。
・リクルート事件で、藤波孝生元官房長官が泥をかぶったといわれています。
・丸高グループ転換社債をめぐる脱税等の疑惑では本来、大蔵事務次官経験者のポストである公正取引委員長に国税庁長官を起用することでウヤムヤにしたとされています。
・国際航業乗っ取り事件にからむ小谷容疑者との関係では閣下殿の金庫番・太田英子女史がつっかえ棒役を果たしたといれています。
・角福戦争(昭和四十七年七月の自民党総裁選挙)の際の、「七億円中曾根派買収疑惑」。
福田派から二億円、田中派から五億円の計七億円を両陣営からごっつあんしたと云われています。
田中陣営は立候補断念料として計十億円を提示し、しかも田中側からは、「将来、 中曽根総理・総裁の実現に協力する」との条件つきだったといわれています。最終的に田中角栄政権が誕生した時に、中曽根派ぐるみ、田中派に身を売ったのは周知の事実です。
・富士銀行不正融資事件(羅臼疑惑)。
・最上興産疑惑。
・東京協和・安全信組事件(1993年)の山口敏夫元労相は閣下殿の側近。
・贈収賄事件(2000年)で逮捕された中尾栄一元建設相も閣下殿の側近。
・KSD事件(2001)の村上正邦元労相も、閣下殿の側近。
・イトマン事件(1990)に関与した亀井静香も、閣下殿の側近。閣下殿の首相在任時の最大の功績とされるのが行政改革です。就中、国鉄・電電公社などの民営化は高い評価を得ていたことを申し添え、これ以上晩節を穢し、日本国の国益を損なうお振る舞いのないことをお願い申し上げ、筆を擱く次第です。
叩頭叩頭
(西 法太郎)
九段下会議の歩みと展望 (五)
お知らせ
《来月の評論》特集 閉ざされた言語空間と「戦後神話」---60年目の再検証 「正論」9月号
___ 知られざるGHQの「焚書」指令と現代の「焚書」 30枚
特集執筆者 上記論文の私のほかに石井英夫、林道義、和田秀樹、西岡力、新田均
やっと書きあげました。写真もいれます。
マンガ嫌韓流 山野車輪 晋遊舎 ¥1000
5ページのコラム「外が見えない可哀そうな民族」を寄稿しました。
旧稿改作です。コラム執筆者は西村幸祐、大月隆寛、下條正男の各氏。
マンガ本体はよく描かれていて、私も知らぬこと多く、何箇所かで、
衝撃をうけました。
九段下会議の歩みと展望 (五)
今度日本の会社法改正(*1)が行われたわけですが、私が心配しているのは、中国が日本の企業に襲いかかってくる日が来るのではないかということです。その場合、技術を持っている日本の企業を買ってですね、技術だけさらって行って、従業員はみんな解雇しちゃうなんてことを中国はやりかねないと思うわけです。それに対応する日本の司法制度が、果してちゃんと機能しているんだろうかという疑問が最近沸き起こっていて、日本の裁判官のダメさ加減という問題が一つあるんです。ホリエモンの騒ぎの時に、クローズアップされた問題でございますけれども、リーマンブラザーズに何百億もうけられるなんておいしい話が転がっている国なんて、日本だけでしょう。
中国はこの10年くらいしか市場経済の経験がなくて、そういう意味では全く資本主義国としては小学生みたいなのに、まるで大人のような対応で世界の市場に乗り出している。そういうことが可能になっているのは、ごく少数の人間が支配権を握ることができて、人民を安く使えるというシステムが稼動しているからだろうと思います。
では、いつまでそういうことが可能になるんでしょうか。という問題が一つと、もう一つはアメリカがいつまでそれを許すんだろうかという問題があります。僕はどうも、後者に疑問がある。非常に不安がある。つまり、アメリカは中国の現状を利用しようと考えていて、暴露しない、あるいはこれをとことん叩きのめすと言う考えを持っていない。
つまり、アメリカは中国の特権階級と手を結んで、利益をせしめようとしているという風に考えた方が、今の停滞した情勢を説明するのに分り易いと思っております。それが非常に心配で、先行を不透明にしている。先ほど言っているように、どうもアジアでは戦争をしない、戦争はしないどころか、アジアの悪と手を組むかもしれない、そして日本はいつ梯子を外されるか分らないという憂慮すべき思いも感じられる。表向きはアメリカは北朝鮮人権擁護法とか言ってですね、全体を一挙に動かそうとしている。北朝鮮人権擁護法は立派でしたが、そういうことをやると言ってですね、なかなか実行しないんです。
北朝鮮を爆撃すると言ってみたりしても、口だけですね。しかもあれ、爆撃だけされたら非常に困るんで、私は望んでいない。爆撃をするんだったら、海兵隊がきちんと上陸して平壌を占領して欲しい。それだったらば爆撃してもいいと思うのですが、爆撃だけされたら朝鮮半島は完全に反米一色になっちゃいますから、そうしたら、中国の意のままになってしまいますから。僕は爆撃なんていうのは、とんでもないんで、是非ともソウルにクーデターが起こることを期待しています。ソウルのクーデターをアメリカがうまく利用するようになってほしいと、勝手に思っているわけなんです。それも夢物語で、今のところはわかりませんが、そういうことが起こる可能性も刻々と近づいているような気も最近はないわけではありません。
しかし状況の変化をアメリカに期待しているというのも我ながら情ない話です。
以上いろいろ申し上げましたが、もう一つこれに加えて、私が憂慮しているのは、日米構造協議以来、アメリカの日本改造計画というのが、非常に露骨で、細目にわたりしかもドラスティックで、大体平成7年くらいから日本の国内への手の突っこみ方が激しくなってくる一方です。アメリカは日本のありとあらゆる分野に手をつっこんで、注文をつけている。
「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基く日本国政府への米国政府要望書」(2004年10月)というのをご存知ですか。電気産業から医療体制、薬品製造、商法、教育、なにからなにまで注文をつけている。われわれが世界に誇るべき医療保険制度、これはアメリカなんかとは比較にならないほど日本の方がいい。アメリカは医療保険制度はだめなんです。貧民切捨て政策ですから。それにもかかわらず、アメリカ式の導入まで求めてくるというような理不尽なことである。郵政も勿論そうなんです。郵政改革ももちろんアメリカの介入の結果ですけれども。
そういうことで、大体、今日は持ってきておりませんけれど、すべてペーパーでておりますから、これ全部ペーパーは隠してやっているんじゃないんですよ。もう米政府は全部、中国政府もそうなんでしょうけれども、全てのデータをわれわれが丁寧に読めばみんな分る仕組みになっている。突然起こる話じゃなくて、何年も前に起こっている話で、何年も前にアメリカは文章にして出しているんです。それを日本が読み解いて、そして警告して、これこれはNOだというそういうことがないできた。なくて日本の金融庁も経済産業省も、すべてのお役人が唯々諾々と言われたとおりの法案を、毎年のようにあげているわけですよ。イギリスのサミットの後にも日米のこの面の書類の交換が行われているはずです。
すべてアメリカの言いなりになっているというのが現状でありまして、これは私が一回論文に書きましたように、日本企業の株価をどんどん下げていって、アメリカの株価との落差がものすごく大きくなったところで、三角合併ということをやらせる。日本の株式会社を買い取るという、つまり一番日本の株価を下げ、アメリカの株価との大きな差ができるまで準備を整えて、10年ぐらいの忍耐で、あるいは15年ぐらいの時間をかけ、そして怒涛のごとく、アメリカが日本の買取を始めるんではないか。つまり日本の産業がすっかりアメリカに買い取られて、主体性を失ってしまうんじゃないかというような恐怖を私は抱いている。いいかえれば米中二つの谷間の中で、虎視眈々とこの国は狙われているというのが、私が憂慮している最大の問題です。
そういう怖いアメリカに日本は安全保障の面で、中国に対抗するために全面的に頼らなくてはならないという矛盾した、絶望的な状況にあることは誰しも知る通りの現実であります。
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九段下会議の歩みと展望 (四)
お知らせ
《シンポジウム》
サマーコンファレンス2005道徳力創造セミナー
7月23日(土)本日!15時30分~18時
名古屋国際会議場(名古屋市熱田区西町1-1、Tel 052-583-7711)
基調講演: 西尾幹二
パネリスト: 兼松秀行、陰山英男、水野彌一
参加費: 入場無料
主 催: 日本青年会議所
代表連絡先: Tel 090-8991-7123(宮崎修)
九段下会議の歩みと展望 (四)
アメリカの企業を相次いで買収している中国企業はすべて国営企業か政府の一部門によって設立された企業であって、資本主義の原理で動いているわけではありません。それでも技術獲得には、熱心で、やがて日本の超優良企業をターゲットに敵対的M&Aを仕掛けてくる日もそう遠くはないでしょう。
どうしてそういうことが可能かということを考える必要があります。ある本によると、中国は三つの手段でこの巨大資本主義的国営企業と最貧層の賃金の安い労働力との併用をコントロールしている。つまり、もちろんこれは共産主義国家であり続けているということが前提で、そして、それが古代専制国家とどこか繋がっているということ、昔の古代のですね、それが中国の持っている現段階の少なくとも強みであるということでありますが、その源泉の一つは戸籍制度であります。
農民の戸籍制度と都市の住民の戸籍制度で人間を二つに分類してしまって、身分秩序というよりも、都市戸籍を持つものにはなんでもかんでも優位を与える。農村出身の者は、徹底的に不利になる。そしてそれで農村から都市へ流民のように這い上がってくるものには、戸籍はないわけですから、ほとんど何の保証もないような、つまり低賃金、そして奴隷労働、ということが実行されている。何年間かだけ許可して、都市に置いてやるということもやっているようです。ある時期が過ぎると農村へ追い返しちゃう。また別の違う労働力を入れる、つまりチェンジするということ、取り替えるということで、それでいつも賃金は安く使える。幾らでも農村に余剰人口、余剰労働力があって、それを都市へ自由に移動させて、そして2、3年居たらまた戻してしまうということで、そういうことが強権体制で可能になっている。
それからもう一つは清朝の時代から続いている人民支配の手段として、これは僕は加地伸行さんからもその話を聞いたことがあるのですが、トウアンというのがある。トウは木へんに当たり前の当をつけて档、われわれは使わない文字です。アンは名案、思案、案ずるの案なんですが、档案といい、記録ですね、その人の人事ファイル。生まれとか出生とかあるいは、経歴などみんな書きこまれたファイルで、全人民がそれを持っていて、警察が管理しているのかどうかなんでしょうがね、結局は。
ですから、何か犯罪でなくても、政府に楯つくちょっとしたことをやっても、例えば上司に楯ついて文句を言ったとかいうと、もう記録されちゃうそうです。だから政府が許可しないデモに参加したというと、それだけで記録されてしまう。そういう人事ファイルを党が握っていて、これに下手なことが書かれると、一生が不幸になるので、それに変なことが書かれないようにするのが大切で、いったんそれに書かれたら諦めて、反逆する側に廻ったりするんでしょうが、まあ、とにかくそういう名札がある。清朝時代から続いているやり方だそうであります。なんでも政府が自由に出来るシステムのひとつ、管理の仕方のひとつだといいます。そして、それがあるために、巨大な資金が中国共産党政府の手で自由になる。
もう一つ、三番目には私有、土地の私有が一切認められていない。だから、土地は完全に党の自由になるから、今奥地でですね、ものすごい農民暴動が起っている。ダムを作ると言えば、政府がそう考えれば農民を追い立てても文句が言えないと。文句を言えないというよりも、農民も生きていかなきゃならないんで、暴動になる。それをまた警察の力で弾圧する。その一部がこの間、インターネット界に露出したわけでありますけれど、あれ、僕はアメリカが流したんだろうと思います。そういう推理ももうインターネットに早いうちから 出ていましたけれども、アメリカが流したんであろうと。
つまり、小泉擁護ですよね。小泉さんが靖国でいじめられているから、中国はひどい国だよということを、愚かな日本国民に教えてやろうというような、まあ、アメリカはいつでもそういうことをやるわけで、あんな情報はおそらくいっぱい持っているんだと思います、アメリカはね。それで、時たまぱっと播く、また出すだろうと思いますね。だから何時の出来事とかわからないですよね、あれは。何月何日、何処というのははっきりしないんですから。でも事実としてああいうことは、たくさん用意されているんだろうとは思いますけれども、宮崎さんのサイトにも、農民暴動はもの凄い数があるという話は、よく書かれていましたけれども、撮影している写真が無かったですね、今までは。
まあ、そういうことが行われていて、とにかく資本の移動というのが無い国で、通貨が自由化されておりませんから、全くわれわれは、中国でもって得たお金を他の外国のお金に替えることが出来なかった。普通考えられないことがおこっているわけで、そういう不自由な、拘束された状態の中で、政府特権階級だけが、自由に出来る巨額のマネーの蓄えを可能にしている。だからこそ、航空母艦を作るとか、アメリカの大企業を買い取るとか、計画が次々と出てくる。
スイスから見た日中紛争
お知らせ
《シンポジウム》
サマーコンファレンス2005道徳力創造セミナー
7月23日(土)15時30分~18時
名古屋国際会議場(名古屋市熱田区西町1-1、Tel 052-583-7711)
基調講演: 西尾幹二
パネリスト: 兼松秀行、陰山英男、水野彌一
参加費: 入場無料
主 催: 日本青年会議所
代表連絡先: Tel 090-8991-7123(宮崎修)
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スイスから見た日中紛争
平井康弘
バーゼル在住、30代男性
スイスのバーゼルで暮らしていますが、インターネットで日本の出来事はいつもみています。なかでも4月に起きた中国の反日デモは、こちらでもどうなっているのとよく尋ねられました。そしてその後の、日本の中韓対応の経緯については憂慮しています。
去年に今回の内閣が布陣されて以来、町村外相や中山文部科学大臣が竹島・尖閣問題や、歴史認識、教科書の記述を巡り中韓各国を牽制し、日本の立場をそれなりに主張してきたことは、今までの内閣に見られなかったことで、少しずつ日本も前進していると心強く思っていました。そしてこのような契機は、西尾先生やつくる会が各方面で着実に注意を促し、意識を向上してきたことも大きく寄与していると思っています。
しかし私が分からないのは、これだけ中国ともめているにも関わらず、自国中心の利己的で非寛容な行動がこれだけあからさまに展開されているにも関わらず、大事なのはお互いの将来の発展だ、話せば分かるなどと、説得力のない薄っぺらい声明を日本政府が能天気に出し続けていることです。それでわかるような相手であれば最初から苦労しないし、分からないような第一級の反日国家だからこそ、こちらもそれにふさわしい戦略、行動を展開していかなければならないのではないでしょうか。
霞ヶ関の知人と話していても、日本が世界から尊敬されるような国になるには、と幻想めいたことを本気で国家目標の第一に掲げるようなことがあり、あまりにも現実離れした、小学生がみるような世界観で他国と渡りあおうとしているようで、愕然とすることがあります。相手国の悪意・エゴが見えず、善意で臨めば相手も分かってくれ、皆が平和に仲良く暮らせるだろうという、型にはめられた一定の思考パターンが特定の世代の特定の層に浸透しているようで、ちょうど政府が、話せば分かると考えているのと通底しているようで、彼らの世界をみる目の甘さに空恐ろしくなります。一体世の中のどこにそのようなことを考えている国があるのでしょうか。どの国も生きるのに必死なのに、このような幻想を後生大事に掲げる日本はつくづくお人好しだと腹立たしくもなります。
なぜ日本は相手に対して強くでることができなくなってしまったのでしょうか。お互いの対話や協調、将来の発展が大事という綺麗な社交辞令をいつまでも繰り返し、安易な妥協と謝罪を積み重ね、強い日本国家を創る活動を怠っていると、世界に占める日本の位置はいずれ覇権国家中国にとって代わる日も遠くないと危惧します。こちらでは、日本は中国と比べるとプレゼンスも民度も高く評価されていますが、それは物を言わない無害な国だからポジティブな評価しか返ってこないことの裏返しでもあるかもしれません。たとえ相手を敵に回しても国家として生き延びるほうが国家にとっては大事なことで、評価が高いからといって素直に喜ぶ気持ちにはなれない複雑な思いです。自分の国は自分で守る。これしかないのに、繁栄の絶頂にいる日本人にはこの原則が見えないことが多い気がしてなりません。
バーゼルで多くの同僚と、今回の反日ニュースについて話す機会がありましたが、中国の覇権思想が日本の歴史問題を利用していると見ている人もいましたが、大半は経済の先行きが不透明になるから、つまりとばっちりがこちらに及ぶから心配だ、というごく普通の感想が一般的でした。私は日本の今後の対応如何で向こう50年の国家の進路が決まる、日本人は今、試されている時期にあると答えていました。
共通の歴史認識を持つことの複雑さは、ヨーロッパ人は誰よりも肌身で実感しているようで、ドイツ人やフランス人、イギリス人の友人とそれぞれ話すとそれがよく分かりました。同時に、彼らは自国の立場からみた歴史観があってあたりまえの感覚を持っていて、他国の歴史観を強要されてきた日本の実情を話すと驚いて聞いていました。ドイツの友人だけが同情(同志?)の意を込めてよくわかると言い、ドイツも同様に将来を語ることができなくなってしまった、完全にあの戦争で国は潰れたと言っていました。しかし彼は彼でドイツのほうが日本よりよい歴史の解決の仕方をしたと思っている節がありましたので、ドイツのやったことと日本のやったことは違うし、ドイツは講和条約すら結んでいないから国家賠償は行っていないでしょう?とまぜっかえす場面もありましたが、今回の件で、欧米の世論を味方につけるにはそれなりにコミュニケーションの量と質が求められますが、その価値はあるのではないかと感じました。
バーゼルの春はゆっくりとやってきました。サマータイムで夜もまだ明るい庭のテラスでゆっくりしたり、週末、庭で子どもを遊ばせながら家族と時間を過ごすことができ、日本にはない長閑な時間を楽しんでおり、自分の幼少時代に帰ったような錯覚を覚えます。子供が子供らしく遊び、大人と子供に明確な境界があり、社会には一定の秩序があるところなど、古い日本の姿をみているようで、少し考えさせられています。
九段下会議の歩みと展望 (三)
今申し上げたとおり、中国には日本を威圧するという一つの単純な政治意志があるだけで、従って、日本の精神をいち早く打ち壊してしまいたいということがあるだけですから、靖国、靖国と言ったり、歴史認識と言ったりして日本の気持、意気というか、精神というものを叩き潰すというのが中国政府の一貫した政策になっていて、それだけの話だと、私には見えてなりません。最近も虐殺記念館を整備したり、南京虐殺史実サイトを最大手ポータルサイトが開設して、その式典を催したり、じつにしつこい限りで、彼らの意図ははっきりしています。
このことも、日本人はみんなわかってきたのではないかという気がします。幾ら鈍感な自民党のリベラル保守の先生方にも、分って来たんじゃないかという気がするわけです。しかし、どうしても不思議で仕方ないのは、先ほど申し上げましたように、中国が市場経済に入って来たのは、まだ10年くらいなんですね。鄧小平が、93年くらいでしょう、いわゆる国際的経済秩序に中国が参入すると宣言したのは。ですから、中国という国は、資本主義国としてというよりは、そういうポーズで市場経済の立場を取れるようになったのは、少なくともそういう顔を外見上しているのは、まだ10年の歴史しかない。
本当にある種の圧力としてこの国が浮かび上がってきたのは、3年くらいの話なんですね。しかも、奥地はアフリカの最貧国に等しいていどで、それと先進領域と言っても、アジアの中心国程度の部分を抱えているという、これでどうして大資本主義国に割って入るようなことが可能になるのか、疑問でしょうがありません。
と申しますのは、普通の経済の通念から言うと、ご専門の方がたくさんおられるから、お伺いしたいところでありますが、高成長というのは、必ずインフレを招くわけですよね。貿易に携わっていないような業種においても、賃金の上昇が起るわけであって、つまり、高成長を遂げると、たとえば貿易に携わっている人の賃金が上るというだけではなくて、床屋さんの賃金も上るわけですよね。それが世界中の何処でも起っている経済の普通の法則だと思います。ところがどうもそうなっていないみたいですね。どうしてそんな奇妙なことが可能なのかというのが不思議でしょうがない。
われわれが1ドル360円時代のことを思い出せばわかるんですが、為替を固定性にしていた場合には経済が成長すれば、物価上昇は限り無く起るわけであります。それから変動性にすれば、当然為替が上昇するのは目に見えて、中国元というのがどんどん上っちゃうのはもう避けられないわけです。固定性にしているわけですね、中国は。だけれども、それならインフレ、物価上昇になって当然なのに、それがなっていないんですね。つまり、高成長の中でもデフレという経済の状態が、中国の社会を覆っているというのは想定外のことでありまして、何故そんなことが可能なのか。普通の資本主義国では有り得ないことが、有り得ているということが疑問であります。
さっき言ったように中国はにわかに航空母艦を作るとか、アメリカの巨大な石油会社を買うとか、それだけではなくて、日本が20年もかけてやっと成し遂げた成田空港よりもすごい空港を北京で3年くらいで作っちゃうというようなことが現に起っているわけですね、北京で。これは日本のODAだけでやっているわけではなくて、中国にそういうようなパワーがあるということが証明されたわけであります。しかも時間が早いんですよ。ものすごく早い、迅速なんです。
こんなことがどうして出来るのかというのは不思議で、中国という国を研究しないと、われわれはこれからどんな対策もたたない。アメリカと中国に挟まれていて、アメリカは中国をどう見ているかという問題と、アメリカが日本にどういうゆさぶりをかけてくるかという問題と、それから中国の経済がこのまま上昇していくのか、いかないのか。
と申しますのは、防衛とか外交とかいうテーマがわれわれの委員会の最大の興味でありますけれども、これからの時代は力というのが、今までもそうですけれど、力というのが軍事力だけではないんです。軍事力は使えない力ですから、むしろ経済の力。日本は経済が強いと言ってこれが政治や外交をやってきましたけれども、只の一度も、政治とドッキングさせて考えて来たことがなかった。経済そのものが政治の力だと思ってやってきたんです。しかしそうではなくて、経済を維持するにも政治力が必要になる。
経済をパワーとして維持する為には、政治意識というものが切り離せない関係にあるということが日本人にはどうしてもわからないで、ずっと戦後やりすごして来ているわけで、経済自体でもって政治力になっていると思い込んでいる。これは間違いなんです。それは湾岸戦争の時に、巨大なお金を払ってばかにされたり、国連の拠出金が多いから安保理の常任理事国いなれると思ったり、すべてのことを経済で外交するという日本の間違ったやり方が長年続いてきたわけですけれども、それがもうだめだと、今度こそ壁にぶつかった。
つまり、経済を維持する為にも、政治力が必要である。政治力を維持する為には軍事力が後ろに必要である。これは諸外国がみなやっていることです。中国は堂々とそれをやり出しているわけですから、今まで経済の力がなかったから、中国は脅威じゃなかったわけですけれども、中国は政治の力と経済の力と軍事の力をドッキングさせて、アメリカ型スタイルの国家として浮上しているわけであります。
最高裁判決
裁判所が新しい権利を認めることは滅多にないそうである。そう前から聞いていた。だから船橋の「焚書」事件(関連投稿・船橋西図書館焚書事件(一)・(二))
でも、一、二審どおりに、自分の政治的偏見で図書館の蔵書を好き勝手に廃棄した司書の減俸処分はすでにきまっているので、それでもうおしまいにされそうだった。著者たちを傷つけた償いをせよとまでいう私たちの要求は余計なことと見做されそうだった。
6月に最高裁で口頭弁論(関連投稿・最高裁口頭弁論(一)(二)(三)(四))が許されると聞いて、なにかが起こりそうな予感がした。弁護団は色めき立った。その段階で土橋悦子という司書個人への上告はなくなった。船橋市の責任に対してだけ最高裁が新たな判断を示すことになった。
既報どおり14日午前10時30分、最高裁は原判決破棄、高裁差し戻しの判決を下した。「つくる会」側の事実上の勝訴である。著作者の人格権を認めたのである。船橋市が著者に償いをせよという判決であり、金額は高裁で決定するという意味である。
当り前の判決ともいえるが、一、二審どおりに門前払いもあり得た。一、二審は一件を図書館内部の管理問題にとどめて、著者への権利侵害までは問い得ないとした。今度もこの程度でサラッと体を躱して終りにされる可能性は高いと見ていたのに、最高裁は「図書館における著作者の人格権」を認めた。
いちかばちかやってみようとした弁護団の勝利である。内田智弁護士を団長とした複数の熱心な弁護士さんたちの、3年に及ぶ努力と苦心の賜物である。
プライバシー権や眺望権、日照権に並ぶ法的保護に値する新たな人格保護の拡大である、と内田さんは記者会見で説明された。これを補って、高池勝彦弁護士はプライバシー権や眺望権、日照権はアメリカから来た概念であるのに反し、今度の権利はまだ名がなくても、日本独自の概念であることに意義があると付言された。
こういう分り易い説明のことばが新聞報道にはまったく出てこない。日本の新聞は気が利かないし、硬直していて、つねに表現不足である。弁護士さんからは今年の最高裁判例の特筆すべき一ページではないかとの言葉もあった。健全な司法制度が機能していることが証明され、日本が民主社会であることを証した一件、とは居並ぶ人の異口同音の言葉であった。
作家の井沢元彦氏は船橋市在住でこの訴訟の原告団代表をつとめて下さった。氏は記者会見で、右とか左とか関係なしにすべてのものを書く著作者にとって福音をなす判決であると語った。
私は二つのことを言った。人権の名において特定の団体に警察権を与えるかのごとき人権擁護法が鎌首をもたげて来ている今の時代に、民主社会の自由の原則を最高裁が再確認したという点が時宜に適い、意味深いものがあると思う。人権擁護法が通っていれば、土橋司書の行動を止めるすべはなくなっていただろう、と。
船橋市から著者たちにこのあと謝罪の言葉があるのかどうかを見守りたい。市が償いの金を払えばそれでいいというものではあるまい。図書館長の減俸、教育委員長の解任などの個人処罰がなくてはすまないはずだ。適用される法令の種類が異なるというなら、個人の責任追及は船橋市議会の課題になろう。
日本では官僚の個人責任が問われないでウヤムヤになるケースが余りに多い。新聞記者の皆さんはいつもそのことを疑問にしているではないか。私は土橋司書がこのまま免職もされずに居座るということにも納得がいかないものがある、と付け加えておいた。
ところで「日録」の「TVタックルもやっぱり詐偽だった」(二)7月14日付けのコメント欄の上から4番目に、土橋司書の異常行動に関する投稿が書きこまれている。
それによると、土橋悦子氏は自分が書いた創作童話『ぬい針だんなとまち針おくさん』(福音館書店、1999.6)を、船橋市内の図書館に分散させて35冊買入れさせている。
長年多くの人に親しまれて定番となった童話なら複数買い入れもあっていいが、自分の新作をこんなに大量に搬入させるのはどうであろう、と書き込み者は疑問を投げかけている。職権濫用は間違いあるまい。こういうことを平気でする人格なのである。船橋市議会での追及を期待しておきたい。
7/21一部修正