最高裁判所の建物内には初めて入った。外観は高速道路からいつも見ていた、コンクリートを打ちつけた侭の、材質を剥き出しに、飾りを省いた現代建築である。近寄ると砂岩をかためたような、ざらざらした粗い目の石材で、予想していたようなコンクリートの地肌のまゝではなかった。
なにかに似ているなと思った。裏口から入った。雨が降っていて、吹きっさらしの幅広い戸外の石段を昇っていて、あゝそうだ、ヨーロッパの古城だと気がついた。内部に入って、広間を見て、カルカッソンヌの中世末の城を思い出した。積木を組み合わせたような石組みといい、内部の天井の高い大広間のたたずまいといい、ヨーロッパの古城の模倣であることは疑いをいれないように思えた。
迎賓館はベルサイユ宮殿のイミテーションだし、東京都庁舎のモデルは、ノートルダム寺院だと私は秘かに信じている。現代建築家といえども、西洋の古い建造物に原像を求めているのがおかしいようでもあり、悲しいようでもあった。
弁護士さんが主任の内田智氏のほかに、五人集っていた。みなさんいずれもみな理念のための戦いに参じた、無私の法律家のかたがたである。口頭弁論に各5分の時間を与えられているのは、私のほかに作家の井沢元彦氏、そして主任弁護士の内田氏である。
最初上告人の控室に案内された。第一審では原告、被告の名で呼ばれる区別が、第二審では公訴人、被公訴人、最高裁では上告人、被上告人と名づけられ方が変わっていることを、このとき初めて弁護士さんの一人から教えられた。私は本当に何も知らないのだな、と思った。
平成17年6月2日午後1時、最高裁第一小法廷は開廷された。裁判官は五人、中央の裁判長席にいる方は女性である。訴えている上告人は9人の焚書された本の執筆者と、「新しい歴史教科書をつくる会」である。訴えられている被上告人は船橋市である。傍聴席の約半分が埋まっていた。知っている人の顔もあった。
裁判長が案件の名をあげ、上告人代表の内田弁護士が手短に応答した。そしてすぐに最初が私の口頭弁論の番である。
数日前に原稿用紙二枚の予定の発言内容の提出が求められていたので、三点に分けて箇条書きしておいた。しかし喋ったのはその約5倍はある。文章にはしておかなかったので、メモを見ながら早口で話した。録音は許されていないので、以下、記憶とメモに基いて書く。
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上告人の西尾幹二です。三点に分けて考える処を申し述べさせていただきます。
日本国民の一人として、日本国の公立の図書館から、理由説明もなく一括して廃棄された本のうちに、自著が含まれたことに、私は屈辱と怒りを覚えました。私の過去の全著作活動が公的機関から、理由もなく「差別」されたという感覚、私の人権が一方的に侵されたという強い認識をもったことをまず第一に告知しておかなくてはなりません。
第二点以下は私個人の感情ではなく、そこから離れた公的問題に絞ってお話ししたいと思います。
廃棄の対象となった私の本の9冊のうち7冊は、歴史にも政治にもほとんど関係がありません。私が「新しい歴史教科書をつくる会」に関わるより前の文芸書や人生論のたぐいで、私が会の代表であったというそれだけの理由によって、昔の本に遡って無差別な廃棄の対象となったのであります。
これはある集団に属していればそれだけで罪になる、という断罪の仕方であって、ユダヤ人であれば罪になるというナチスの論理、地主や資本家であれば罪になるという共産主義の理論を思わせるものがあります。「つくる会」に属していれば、それだけで、属するより前の書物までも罪になる、というこんな全体主義的な発想が許されてよいのでしょうか。
なにかに属している者はそれだけで罪になる、という「集団の罪」Kollektivschuldの概念に立脚して、1930年代に二つのの全体主義、ナチズムとスターリニズムは無実の人々を処刑しました。尤も、この「集団の罪」の概念は被害者である場合と加害者である場合とでは意味が逆になり、必ずしも一筋縄ではいきません。ドイツ人は戦後、悪いのはヒットラー「個人」であり、ドイツ民族という「集団」には罪はない、という詭弁を弄しつづけてきたのは周知の通りです。
ですが、本件のような被害者の立場からいえば、「集団の罪」を被せられるのは恐ろしいことで、私の本は私がなにかに属しているかいないかで判断されるべきではありません。
当件にナチスまで持ち出しては大袈裟に思われるかもしれませんが、決してそうではありません。体制の犯罪、自由の扼殺(やくさつ)は小さな芽から始まるのです。
図書館員の特定の思想をもったグループが団結して、しめし合わせて、歴史を消し去るということもあながちあり得ないことではないと思わせたのが本件であります。
さて、そこで焚書とは何か、歴史の抹殺とは何か、という三点目のテーマに移ります。