当日録がかねて指摘してきた産経渡辺記者の偏向報道の実態を「つくる会」公文書が詳しく分析し、明らかにしました。下欄に掲示してあります。
日録コメント欄に「あきんど」の名でよく知られる方は池田修一郎さんといって、北海道在住者で、私は手紙を交す仲になったが、まだお目にかかってはいない。
このところコメント欄に宗教と政治をめぐるテーマで「橘正史」さんと「誤認官」さんのお二人がたびたび発言している。池田さんは「橘正史」さんと個人的に知り合いだそうである。私にファクスで彼の信仰のテーマに対する反論を送ってきた。
本日はこれを掲示する。
「橘正史」さんの信仰をめぐる所論は、コメント欄の4月24日3:32、25日14:44、28日02:32、29日21:42、5月1日00:24、1日10:47、3日02:09、3日02:44、などで、それらを見ていただきたい。
もうひとりの「誤認官」さんが書いているのは信仰のテーマでは必ずしもなく、宗教と政治運動の関係に集中している。(「誤認官」さんは日本会議の事務局の方ではないかと私は推理している。)「誤認官」さんにしろ「橘正史」さんにしろ、今度の事件の発端に関する真相を知らなさすぎる。近く時間を見て私は昨年夏に遡って、私だけが知る真実のいくつかを今のうちに語り伝えておきたいので、しばし待っていただきたい。お二人の疑問に全部答える必要も義務もないが、しかし私が真相を語れば、私の考え方の出発点が少しは分ってもらえるだけでなく、この問題の見方が大きく、新たに修正されるだろう。
信仰には非合理な要素がからみ、政治と関わるときに危うい面がつねに出てくる。皇室問題は歴史知識のテーマではなく、「信仰」のテーマだと私は先に書いた(『諸君!』4月号)。それだけにきわどい面があるのが常だ。私はすべてのファナティシズムとは一線を画す。懐疑を伴わない信仰を、ファナティシズムという。
なおこうした問題の設定は私の思想上の立場の表明であって、「つくる会」の姿勢とは関係がない。教科書の制作団体がファナティックであってよいわけはないが、しかしそれは私がどうこう言うことではなく、私が立ち去った今、残された会の理事諸氏が考えるべき事柄である。
私が心配しているのは日本の保守政治のこれからの流れである。進歩的文化人や左翼リベラリズムへの敵愾心で自己を保ってきたこの潮流は、ひたすら左ばかり見ていて、知らぬ間に右のファナティシズムとの境界線を曖昧にしてきた嫌いはないだろうか。
問答無用のファナティシズムは小泉純一郎にまっ先に現れた。昨夏の劇場型選挙を人はたいしたことではないと思っているかもしれないが、あのとき〈自由と民主主義〉は間違いなく危殆に瀕した。
一度あゝいうことが起こると、人の心は次第に同じタイプの局面の変化に慣れてしまうのである。それがこわい。私はただ「つくる会」の話をしているのではないのである。
「迷い」ということ
池田修一郎
岩田温氏の投稿(日録「怪メール事件」(四)4月24日付補説)は多くの識者にとって強い波となって響いた。正直私もその一人であります。
今までつくる会に対する思いは、何の迷いもないまま信奉し、そこに集まる方々を全て仲間として受け入れ、日本社会における矛盾を取り払う目的を一つにし、心を通じ合わせる事によって輪を広げていく事に、何の躊躇いもなく参加していたのが実体と言って良いでしょう。その中心に位置する西尾先生が今度、自ら会の内部の新しい危機と病根を提示し、最初はひどく衝撃を受けたのも事実です。
しかし、先生がそこまでして、つくる会の内部に矢を刺す何かがきっとあるのだろうと誰もが予測したに違いありません。
それに反応するかのように、若い岩田氏によって一つの組織の影響力の問題点が提起され、つくる会が抱えている重大な危険性が、多くの方に知られる事になりました。
当然それに対して様々な反応が起こり、新たな展開も生まれたわけですが、その反応の一つに、日本会議を仕切る中核の組織、日本青年協議会側からと思われる方面の非難は特に厳しいものとしてさまざまな意見が寄せられました。
私はつくる会にも日本会議にも全く縁のない立場でありますが、つくる会を微力ながらも日録を通じて支える気持は持ち続けてきたわけです。そうした立場の私にとっても今回の内紛は驚愕に値するわけですが、それよりも注目すべきは日本の保守層に深く関係する組織の実態を知る事の意味合いが、私には重くのし掛かったのが事実です。
組織側からの反応には様々なものがありますが、その中でたまたま私が知り合いでもある橘氏の投稿はよく知っている方であるだけに考えさせられ、注目に値すると思いました。
彼は谷口雅春師(氏とは言わず師と語る事に目を留めるべきです)の思想を噛砕くように切々と語られております。
その文中には「生長の家」の信仰を疑う事なく多くの若者達が日本の保守中道を支える為に、日頃から精神を鍛え励み、日本民族の真の在り方を問い、いかにしてこの国を守り抜くかを記しておられます。
確かに人間は視点を定め、迷う事なくその方向に突き進む事に人生の美学を見出すケースはあると思います。つくる会の発足もそうした美学が無くして有り得ないと見る事は可能かもしれません。
しかし私はある種の違和感をそこに感じないわけにはいきません。
人生の美学の追求の前に、人間ならば誰しも起こり得る「迷い」の感情というものが有るのではないか。どうしてそれを許容できずに前進できるのか。私にはその点がどうしても疑問として生じないわけにはいきません。岩田氏が組織に関わった際に感じたものは、おそらく私のそれと近いものがあるのではないかと思うわけです。
組織をまとめる際に自然発生する理念の洗脳は、突き進めば進むほど心地良さが増し、後ずさりする意識を自分自身が恐怖と捉え深みに嵌るというの実態かと思うわけです。そうした一種の危険性を回避する要素として人間は迷う余力を持ち合わせていると言えるかもしれません。それが人間の自然であり、生きる力の源なのかもしれません。
おそらく組織側にとっては、その迷いこそは逃げと断じ、時には卑怯者扱いまでして、組織の正当性を保つことも有ることは容易に予測できます。
本来志を強くするという事は、同時にそれと同等の迷いや疑念というものがあって初めて人間の感情は保たれるのではないでしょうか。橘氏は文中でハンナ・アレント女史に触れております。私は女史の著作に接したことはありませんが、西尾先生の著書に『地図のない時代』という本があり、それを読んでアレント女史の思想にわずかながら理解を示す事ができた事があります。
その時の私自身の見解と橘氏のそれとを対比しますと、どこかはっきりと食い違う点があるように思えてなりません。
橘氏はアレント女史の『革命について』を題材とされ語られていますが、私がとり上げる題材は『イェルサレムのアイヒマン』について述べられた西尾先生の見解によるものである点、多少の論点のズレはいたしかた無い事とお許しいただかなければなりませんが、しかしながら一人の思想家の本質を探る上では、題材の違いはそれほど支障を伴わないとも考えられますから、私なりの意見を上げさせていただくことに致します。
アレント女史が『イェルサレムのアイヒマン』について語ろうとしたものの骨子として、人間の迷いというものを強調する部分があります。ユダヤ人であるアイヒマンが自らナチスの手先となって同族をうらぎる背景に、人間としての弱さや個人の生き様を訴える文章が登場しますが、西尾先生はアレント女史の作品に触れ、真の意味での言葉の自由というものを感じ取られています。
実はこの話をする前に『地図のない時代』ではホーホフートという「個人の責任」を主張する作家と、アドルノという「組織による個人への主体性の剥奪」を当然と考える哲学者の論争を持ち出しております。
両者の見解は答えの出ない闇の世界に入り込む在りがちな論争であると同時に、二つとも「迷い」のない思想の典型であるわけですが、西尾先生はそうした両者の見解が極と極の衝突によるところに問題の根本があり、どちらでもない「迷い」の中に立つ強さに鍵があることを説いておられます。そしてその闇を取り払う手段として、アレント女史の作品は大きな存在であるとも語られています。
つまり「個人」と「組織」の主張の対立がいかに不毛で、無意味なものかをアレント女史の作品は追求してくれているとおっしゃっています。
ある一定の方向から人間の感情を見定める事の怖さを、私は西尾先生の本から教えられました。そしてそこには「人間がいかに迷いというものを多用しながら生きているか」が示されているわけです。迷いというのは人間にとって自由がいかに大切かということではないでしょうか。
しかしそうした見解に比べ、橘氏の論点は一種の形にこだわり、「人間とはこうあるべきだ、こうしなければならない」という拘束感を感じさせているように思うわけです。
それは時に人間にとっては必要でもあり、又生きる上で都合のよい支柱となるでしょう。しかし橘氏が言うように、人間とはそれほどスムースに方向を定められるように作られているのでしょうか。
氏は迷いというものを感じた事がないのでしょうか。いやおそらく絶対有るはずです。そして氏の場合、所属する組織においては出来有る限りその迷いを打ち消そうとしているのではないでしょうか。もしそうだとしたらば若い岩田氏をとうてい説得することはできないでしょう。岩田氏が一番申されたい点はそこなのではないでしょうか。
ですから西尾先生にとっては、今回の「日録」を拝見していると、藤岡先生の迷いこそは人間の本質の部分であり、重要な要素であるとおっしゃりたいのではないでしょうか。そうした思いやりこと、人間の正しい教えとなり、いつの時代にも残しておくべきものなのではないでしょうか。
5/10 一部訂正
新 し い 歴 史 教 科 書 を つ く る 会
つくる会FAX通信
第174号 平成18年(2006年)5月11日(木) 送信枚数 3枚
TEL 03-5800-8552 FAX 03-5804-8682 http://www.tsukurukai.com
3月29日付け産経新聞報道記事の問題点
FAX通信第173号(5月2日)で、3月28日の理事会の内容を伝えた3月29日付け
産経新聞の記事が「不正確」「歪曲」などとされていることについて、会員か
らどういうことなのか説明して欲しいとの問い合わせをいただいております。
以下に、理事会終了後、会を代表して種子島会長と事務局の鈴木氏が産経新聞
記者に電話で伝えた内容と、実際に新聞に掲載された記事とを対比し、問題点
を解説します。
■つくる会側の発表
3月28日の理事会は、午後8時40分に終了した。その後、理事間の和解の意味も
含めて事務局で急遽会場を用意し、懇親の場が設定された。その席で、午後9時
過ぎに、種子島会長と事務局の鈴木氏が産経新聞教科書問題取材班の記者に携
帯で電話した。まず、鈴木氏が、八木氏が副会長に任命されたことを告げたあ
と、会の新しい方針として、FAX通信第170号(3月29日)にも掲載された次
の項目を読み上げる形で伝えた。
1.法務、財務、人事、教科書制度・採択制度研究について担当理事を任命し、
それぞれのプロジェクトとして早急に取り組む。さらにブロック担当理事を任命
し、支部の採択活動の支援に当たる。
2.会長、副会長に担当理事を加えた執行部会を隔週開催し総会に向けた方針の
具体化に取り組む。
3.執行部会で検討された内容は4月、5月、6月の理事会で逐次決定し、総会に向
けた方針とする。
4.次期総会は、7月2日(日)に東京で開催する。
5.総会に向けた人事案件などについては6月の理事会で決定し、総会に提案する
以前に評議会に諮ることとする。なお、評議会は欠員補充等の人事を早急にはか
り、体制を強化する。
6.前記方針を実現するために、種子島会長を中心に理事会が一丸となって取り
組む。
7.前記方針の決定をみたので、藤岡、福地両理事に緊急に要請した会長補佐の
任を本日をもって解く。両理事のご尽力に感謝する。
次に、種子島会長が携帯電話を取り、「つくる会は、『創業者の時代』から
『組織の時代』の第2ステージに変わらなければならない。そういう立場で新し
い方針を決めた」という趣旨のコメントをした。
■3月29日付け産経新聞の報道記事 ※二重括弧を施した部分が、問題の箇所。
【見出し】
≪八木氏会長復帰へ≫/「つくる会」内紛収束
【本文】
新しい歴史教科書をつくる会は28日の理事会で、会長を解任されていた八木秀
次理事を副会長に選任した。≪7月の総会までに会長に復帰すると見られる。≫
同会の内紛は≪事実上の原状回復で≫収束に向かうことになった。
つくる会は先月27日、無許可で中国を訪問したことなどを理由に会長だった八
木氏と事務局長だった宮崎正治氏を解任。種子島経氏を会長に選任していた。
副会長だった藤岡信勝氏も執行部の責任を取って解任されたが、≪2日後に「会
長補佐」に就任していた。≫
しかし、地方支部や支援団体から疑問の声が相次いだことなどから再考を決め
た。≪藤岡氏は会長補佐の職を解かれた。≫種子島会長は組織の再編などを進
めた後、≪7月に予定されている総会までに八木氏に引き継ぐと見られる。≫≪
宮崎氏の事務局復帰も検討されている。≫
≪理事会では西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認された。≫種子島
会長は≪「会員の意見を聴いたところ、八木待望論が圧倒的だ。≫内紛はピン
チだったが、『創業者の時代』から第2ステージに飛躍するチャンスにしたい」
と話している。
■産経報道記事の問題点
上記報道記事は、会長と事務局の正式発表の内容と会の立場を無視した問題だ
らけの内容である。以下、5つの論点にしぼって指摘する。
(1)≪八木氏会長復帰へ≫(見出し)、≪7月の総会までに会長に復帰すると見
られる≫理事会では八木氏の副会長任命を決定しただけで、それ以外の決定は行
っていない。
なお、この点について付け加えておけば、種子島会長は理事会に対し「7月総会
で八木会長とする」ことを提案したが、討議の結果、それは含みとしておき、
会長は6月の理事会で決めること、「含み」の部分は対外的には一切公表しない
ことを確認した。従って、「含み」についても、理事は新聞記者に話すなどの
ことをしてはならないのは当然の義務である。しかし、理事の誰かがそれをリ
ークしたのである。そうでなければ、記者がその立場をわきまえず、特定のグ
ループと一体になっていたことの現れである。
(2)≪2日後に「会長補佐」に就任していた≫ 、≪藤岡氏は会長補佐の職を解
かれた≫
八木氏が会長に復帰する見通しとなった反面、藤岡氏はあたかも失脚したかの
ような書き方になっているが、そうした事実はない。もともと「会長補佐」は
会則にもない会長の相談役に過ぎないもので、2月27日の理事会が会長のみを選
出して散会したことから緊急措置として設置され、福地、藤岡の両名が任命さ
れていた。3月の理事会が八木氏を副会長に選任し、執行部が成立したので、役
目を終えて2人の補佐が退任したというのが事実である。これを、藤岡氏にだけ
言及し、あたかも権力闘争の結末であるかのように報じるのは悪意のある意図
的な書き方で、読者に誤解を与えるものだ。
(3)≪宮崎氏の事務局復帰も検討されている≫
理事会ではこうした話は一切出ていない。理事会では、種子島会長が、2月28日
に会長の指示したFAX通信の内容を宮崎氏が別のものと差し替え、理事会の
投票者の実名まで公表する背信行為をおこなったことに触れ、「これは本来懲
戒免職にすべきことだが、過去の宮崎氏の会への貢献と、今後更に会に対する
攻撃をさせないという現実的判断から、宮崎氏から出されていた辞表を受理し、
円満退職の形で処理したので了解していただきたい」という趣旨の発言があっ
ただけである。本来、事務局の人事は記事にするほどのことではなく、しかも
まだ決まっていないことまで書くのは、記者のニュースバリューの感覚を疑わ
れる。
(4)≪理事会では西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認された≫
理事会としてこんな確認など全くしていない。そもそも、会として特定の人物
の「影響力を排除する」ことを確認することなどあり得ないことは、常識的に
判断すれば明らかである。西尾氏に関する話題は新田理事が理事会に持ち出し、
影響力排除を決議しようとまで提案したものである。これについては、「西尾
先生は正しいこともおっしゃる」、「西尾先生の発言をとめることは出来ない」
など様々な発言があり、それだけで終わったものである。もし、記事の通りの
ことを理事会として確認したとすれば、全理事がそれに拘束されることになり、
そうしたことからも、あり得ないことが理解できるだろう。
(5)≪会員の意見を聴いたところ、八木待望論が圧倒的だ≫
種子島会長は、理事会直後の上記の電話取材では、このような話はしていない。
最後に、この記事の問題点を、総括的に述べておく。
第一に、3月28日の理事会決定は、会長人事ならいざ知らず、副会長人事を決め
ただけであるから、普通の感覚では15行程度のベタ記事(1段組み記事)扱いが
常識である。それを3段にまたがる大きな見出しを付け、大々的に報道したのは、
「八木会長復帰」を既成事実化しようとする記者の意図に発したものである。
新聞記者としては起こった事実を報道することに徹するべきである。報道を利
用して事実をつくり出そうとするのは、新聞という社会の公器の私物化と言っ
てよく、新聞記者のモラルとして絶対にやってはならないことである。
第二に、3月29日付けの新聞記事は、前夜の9時53分に「産経web」でネット
上に配信されていた。取材から配信までが極めて短時間であり、記者は予定原
稿を準備していたと考えられる。4月3日、記者は「藤岡党籍問題」のガセネタ
を信じ込まされていたこと、謀略をしていた一味の一員であったことなどを事
実上告白していたから、新聞記者の権限を利用した上記の党派的行動は最初か
ら計画的なものであった疑いが強い。なお、一般会員の間にも数日前から、
「八木会長復帰」の情報が流れていた事実がある。
第三に、つくる会としては、新聞報道がなされた3月29日の午前中に、種子島会
長、八木副会長の承認を得て、事務局から担当記者に対して正式に抗議した。
FAX通信第170号(3月29日)でも、特に上記の(3)と(4)について「明
らかに理事会の協議・決定内容ではありません」として会員に告知している。
なお、4月30日の理事会で種子島会長と八木副会長が辞任したことを、産経新聞
は全く報道していない。これは、教科書問題取材班が解散したことと関係して
いる。会の「内紛」には一切介入せず、「内紛」が収まるまでは会の報道を一
切行わないという産経新聞社の方針の反映であると考えられるが、「内紛」を
書き立ててきたのが朝日新聞ではなく産経の記者であったことを考えると、こ
れはむしろ歓迎すべき方針である。
周知の通り、産経新聞は「新しい歴史教科書をつくる会」の発足当初から、一
貫してこの会の試みを好意的に報道して下さった。今回、一部の記者の行動に
よってこのような事態に立ち至ったのは誠に残念でならない。しかし、会員各
位におかれては、産経新聞全体と一部の記者の行動を混同することなく、正確
な認識をお持ちいただくようお願いしたい。
5/12 追加