管理人による出版記念会報告(十八)

西尾幹二氏による画像説明(3)

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 皆さんに万葉集の話をするのは、私みたいな外国文学屋が言うのも変な話なんですけれども、万葉集というのは言うまでもなく、万葉仮名で書かれている。万葉仮名というのは、全部漢字でございます。従って、一番左に書いてあるのは万葉仮名なんですね。したがって万葉仮名で書かれた漢字ばっかりの本があったはずですよね。しかし、それは消滅して存在しません。

 それじゃあその次に、951年に村上天皇が宣旨を下して、訓み下すようにという命令を下したものがあるのですが、それを「古点」。点というのは訓点を打つということです。こういうことをやるのをそういう。一番古いのを「古点」、古い点というのですが、その「古点」というのも歴史上知られているようだけど、存在しません。何が存在するのかというと、古点本を移した次の写本にした「次点」、次の点という、次の訓点が唯一これが残っている最古のもので、これがわずか巻4の一部が残っているだけなのですよ。これが最古のものです。

 そして、万葉仮名を真ん中で平仮名にして、要するに訓点を打っているわけです。しかし、これも本当にわずかな中のわずかが残っているだけだと今もうしあげました。はい次

つづく

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 そうしてここに書いてあるように、これは鎌倉後期の書写、全巻を完備する最古の写本です。全巻を完備した最古の写本は「新点」といって、ご覧のように、カタカナでルビがふってあるのです。カタカナでルビがふってあるのが、鎌倉時代の「新点」というのです。こうして三段の変化を経ていますが、これは全部写本です。全部写本で、原典というのは、ギリシャの古典と同様に、一つとして残っていない。

 ギリシャもそうですよ、。ギリシャ・ローマの古典というのは、全部中世の写本なんですからね。如何に途中で間違いが発生しているか。われわれは如何にあやふやなものをたよりにして、過去の歴史と闘っているか、そういうことなんです、歴史というのは。どうぞ

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 これは藤原定家が書いたものですが、ご覧のように漢字がちらほら見えます。このように漢字がちらほら見えるのは、読みやすくするためなんです。つまり、もともと平仮名で書くんだけれども、漢字をちらほら、わずかばかり入れてる。ところが、現在の日本語は、漢字と仮名の混在率は最高度に多くて45パーセントなんです。漢語が45パーセント。これは古代に行くほど少なくて、定家の時代は10パーセントから15パーセントとか、そのぐらいなんです。それがだんだんだんだん増えて、江戸時代では30パーセントや、35パーセントくらいになって、現代は45パーセントが漢語なんですね。

 ということは、仮名の果した役割がどんどん小さくなってる。それと比例して、仮名遣いの問題がはげしく発生してくるわけです。それが私の本の一つのテーマでもありますね。はいどうぞ

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 これは有名な東大寺の戒壇院の邪鬼の像なんですが、神様の話が私の本で問題になっているのですが、カミという言葉は、ゴッドではありません。しかし神でもないんです。カミが神だと思ったら間違いですよ。神は中国語ですから。従ってカミという発音上のものが、カミだったわけですが、カミが何であるかはさっぱりわからないわけですよ。現代の国語学者、有名な国語学者の大野晋さんが新潮文庫に日本のカミの本というのを出しています。丁寧にしらべ、いろいろやっているいい本ですけれど、それでもカミが何だったかわからないんじゃないかと思っているのですが、カミはわからないけれど、鬼はわかっているのです。鬼の出典はわかっているんです。鬼は全部外来のものなんです。そして、鬼はこれは東大寺の戒壇院の鬼であります。四天王に踏み潰されている鬼。はいどうぞ

 鬼はしかし、そういう憎憎しいものだけではなくて、ユーモラスなものもあった。これは興福寺のユーモラスなほうの鬼です。はいどうぞ

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管理人による出版記念会報告(十七)

西尾幹二氏による画像説明(2)

つづく

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 次はモローです。モローっていうのは、装飾的な非常に前衛的な、なんていうか、細密画的で、モローのことは皆さんご存知だと思いますが、審美的な歴史画家。これは残虐なシーンですね。オデッセウスの一シーンです。私の本にとっては何の意味もありません。絵がおもしろいから出しただけでありまして、しかも近代の絵画がホメロスの、イリアスとオデッセウスをこんな風に描いているという、皆様の目を楽しませるためにだけ出したのでございます。

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 これはちょっと珍しいんですね。弥生時代に絵文字があったということです。絵文字が出現していた。しかし絵文字が出現してから、実際の文字が誕生するまでに、通例1000年から1500年ぐらいかかっているそうですから。そうなりますと、これ、吉野ヶ里遺跡の発掘ですから、約2100年前ということになりますと、それから1000年から1500年といったらもう、源氏物語も超えちゃって、そのあとになっちゃうんで、日本で絵文字が出現するまもなく外から文字が入って来ちゃったというのが解りますね。でも、日本にも文字の端緒があったということで、これは面白い話ではないでしょうか。どうぞ

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 日本の神話というのは、どういうわけだか、映像というものがありません。日本の神話には映像といったら変ですけれど、表象の世界がないわけですね。画像がないわけです。伊勢神宮のご神体というのは、剣であったり、鏡であったりするわけでしょ。要するに、神様の絵を描かないというのが、日本の神道の伝統だったんですね。そうなりますと、時代がずっと下って今、天照大御神の絵なんていうのがあるのは、みんな近代のまがい物ですから。ところがここに珍しいのがあって、北斎の描いた天のうずめのみことなんです。北斎がこんな絵を描いていたというのが、おもしろいから出しただけでございます。

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 さあ、その次は皆様に是非お話したい。アレキサンドリア、今はイスカンダーリアというエジプトの街で、ここに古代に巨大な図書館がありまして、それが海中に没したというのが、私の本の中で大きなテーマになっているのは、ご記憶にあると思いますが、このイスカンダーリアの街の東側のこれは俯瞰図、全図でございます。ヘリコプターで撮った写真でございます。

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 ところが、ここで巨大な遺跡が海の中に没したというのは信じられていなかった。嘘だという話が多かった。これは1995年の発掘の姿です。発掘したら、あった、あった。海中に没したのは嘘じゃなかった。それどころか、ダイバーがスフィンクスの前にいる面白い写真ですね。石像はラムセス二世だそうでありますが、とにかくこういうものをですね、発見したのです。

 絵の真ん中に筋がありますのは、これは大きな書物を開いて、写真にしたから筋があるので、他意はありません。写真は一枚でございます。見てください。こうやってダイバーが発見している、だからここに図書館は確かに眠っていたんだと、海中に沈没したんだと、これは間違いないですね。どうぞ

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 そして、イスカンダーリア、つまりアレキサンドリアには180メートルという高さの塔があったということが知られていて、鏡で映されて、それが大きな灯台になっていた、伝説上の建物があったわけですが、それはもちろん無くなっているわけですが、これは1995年の発掘現場で、塔の脚の一つであろうと、たぶん一部であろうと、今推定されているんですが、こういう断片が海底から拾われている。ところが今ここは、港湾工事がどんどん進められていて、どれぐらい遺跡が発掘され、保存されるかは謎であるといわれております。

管理人による出版記念会報告(十六)

 舞台にご注目下さい。これから西尾先生に再び登場して頂きます。会場の皆さんは中央舞台右の大型スクリーンにご注目下さい。 大作『江戸のダイナミズム』の基調をなす、様々な時代、地域、文化から50枚ほどの写真を選び、さらに20枚前後に厳選しなおして、江戸のダイナミズム関連画像の解説をいただこうという趣向です。

 西尾先生御願いします。
(照明、すこし暗くする)

 西尾幹二氏による画像説明(1)
 

 説明というほどのことではございません。時間がないので、たったったっというふうにいたしましょう。

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 これは殷の後期のものです。これについて格別のこと、何も私は説明できません。知らないんです。ただ、格好が面白いから出しただけで、西暦前13世紀ぐらいのものだろうとは思いますが、私は無知でございます。どうぞ次へ。

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 これは重大なんでちょっと申し上げておきます。左の下にあるのは、古代中国の書物、本です、これが。当時の本というのは、こういうものだったんです。木簡で、竹の場合もあります。竹簡といいます。文字は漆で書いて、そしてなめし皮の鎖のようなもので、短冊状にいたします。秦の始皇帝が焚書にしたのもこのようなものでございました。それから当時の詩経や書経や春秋などが書かれたのも、みなこのようなものにです。これに書かれていたんです。これが書物ですよ。古代中国のね。はいどうぞ。

 これも絵が面白いから出しただけです。次お願いします。

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 これはパピルスです。有名ですね。パピルスというのは葦を細かく裂いて縦と横に並べているもので、繊維が見えますね。文字はこれはギリシア語ですね。一番問題なのは私があの本に書いたように、文章がどこから始まるかがわからないんですよ。改行がないものですから、変なんです。詩でも、芝居でもなんでも、こういうように続けて書いてある。それだから、書写したときにおそらく、間違いが一杯生じる。パピルスというのはほとんど消滅してしまっておって、残っているのは稀有なんですから、中世期を経て、書写されてこっちへ来ている間に、間違いだらけになったに違いない。

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 そういうことで、当時のホメロスというのはなんだったのかというわけですが、これホメロスですけれど、ホメロスの肖像画があるわけないんで、これはレンブラントの描いたホメロスでありまして、もちろん想像図です。ホメロスは何年前の人かわからないんですよ。西暦前800年なのか、1300年なのか、1400年なのか何もわかっていない。ですけれど、この絵は17世紀、1660年代の絵でございます(笑)。

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 同じようにゼウスとテティウス、これはですね、おもしろいから出してみただけであって、フランスのアングルの絵です。かの古典派の画家アングル。イリアスの一景でございます。どうぞ


 画像の出展は最後にまとめて明示します。

つづく

管理人による出版記念会報告(十五)

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 つぎに黄文雄先生、ひとことご挨拶をおねがいいたします。

日本を呪縛する「反日」歴史認識の大嘘 日本を呪縛する「反日」歴史認識の大嘘
黄 文雄 (2007/04)
徳間書店この商品の詳細を見る

 黄先生は台湾ペンクラブ賞でデビュー以後、次々と文明論、歴史論を発表され、旺盛な著作で知られます。黄さんからは、日本文明と中華文明の差異は、西尾先生の文明観とどこが違うのか、などについてお話が伺えるかと思います。

 黄文雄氏のご挨拶

 西尾先生、本日はまことにおめでとうございます。

 私が初めてこの『江戸のダイナミズム』を手にしたとき、江戸のダイナミズムというよりも、どういう感じがしたかと言いますと、西尾イズムの宣言ではないかと思いました。しかし、それは集大成ではなくて、これから江戸のダイナミズムについて、どういう考えで、それから進化していくかということです。

 私はこの本を読みながら、他の方とは若干違う感想を二つ述べさせていただきます。一つは、私は実は、江戸の儒学に対してものすごく興味を持っています。それはどういう理由かといいますと、私は儒学専門ではなくて、歴史哲学をやっている者ですが、高校時代から国文の方も、歴史の方も宋の、理学―りきのがくですね、学校の履修として、かなり関心を持っていました。

 どういう感想を持っているかといいますと、江戸儒学と朝鮮の儒学と中国の儒学を比較してみると、儒学の中でとくに朱子学というのは、どちらかといいますと全体主義思想なんですね。そして、儒学というのはマルクス主義とそっくりなところがいっぱいあります。だから中国の儒学というのは、マルクス主義と非常に近いのではないかと思います。

 だからその実証として、アジアの共産主義革命の中で、なぜ儒教文化圏だけが成功して、そして今も崩壊しないのか、ということを考えながら分析すると、マルクス主義というのは、儒学とほとんど同じイデオロギーではないかと私は思います。その特徴としては、全体主義なのです。それは感想なのですが、しかし、なぜ江戸時代で、江戸のダイナミズムが出てきたかといいますと、同じ中国の方も、朝鮮の方も、日本の方も、儒学を国教としました。儒学は最初中国では宋の時代では禁学だったのですが、モンゴルの元の時代になってからオープンになったのです。

 しかし、同じ中国の方でも、朝鮮の方でも、日本の方でもなぜ江戸の儒学だけが違うのかといいますと、私の分析では、儒学というものは、原則、つまりたてまえと本音を使い分けるような学問なんですね。日本だけがなぜ、江戸ダイナミズムが出てきたかといいますと、それは日本の約300年間に渡って、江戸儒学以外に、伝統的な仏教思想の基盤、その土台があって、そして江戸中期から国学が出てきた。

 そして中国、韓国では絶対見られない陽明学が出てきて、そういうような多元的な思想、多元的な学の交流というのがあって、ダイナミズムが生まれたのではないか。確かに、西尾幹二先生の方が、ダイナミズムのコア、中心、その中心というのは、学問と言語だと。私はその学問の中で、いろんなものが入ってきて、江戸儒学は確かに国教だったのだけれど、その中に国学があって、仏教思想の土台があって、また陽明学が非常に広がってから初めてこれが生まれたのではないかというふうに思います。

 これから何年後、四年後、五年後、十年後、西尾イズムの集大成を私は期待しております。どうもありがとうございました。

 黄先生ありがとうございました。それでは8時10分までまたしばしご歓談くださいませ。

つづく

管理人による出版記念会報告(十三)

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 たいへん、お待たせ致しました。ここで乾杯です。

 乾杯の御発声は『江戸のダイナミズム』を出版していただきました、文藝春秋の代表取締役社長、上野徹(うえの・とおる)さんより頂きます。皆さま、お手元のグラスにお酒、ビール、ウーロン茶などをご用意下さい。

 それでは上野社長、一言ご挨拶よろしく御願いします。入り口付近が込み合っておりますので、どうぞ皆様前の方へおつめくださいませ。乾杯のご用意をお願いもうしあげます。

 それでは上野社長、ひとこと乾杯のご挨拶をお願いいたします。

 上野 徹 文芸春秋社長 乾杯の音頭

 ご紹介いただきました文藝春秋の上野でございます。この会の発起人の一人として、また版元からの御礼ということも合わせまして、発声のご挨拶をさせていただきたいと思います。

 西尾先生、『江戸のダイナミズム』どうもおめでとうございました。さきほどもご紹介がありましたように、これはわが社の『諸君!』という雑誌に足掛け四年、さらに先生の場合は推敲と注の製作に二年という、本当にご苦労でなった本であります。

 一人の思想家というのでしょうか、身を削るような長い思索と、研究の旅の結果が素晴らしいタイトルの本に結実したのではないかと思います。改めて先生には敬意を表したいと思います。先生もご本の中にお書きになっておられますけれど、日本の近代化というのはもう西洋史とは関係ないんだと。

 日本の歴史の中そのものから醸成されたものがあって、これが西洋に比べて早く、かつ先進的であるのは、日本の歴史に立ち返って、それをバネとした力がこれを生んだからだとおっしゃっています。

 このサブタイトル「古代史と近代史の架け橋」というのがこれだと思います。このテーマというか基調というか、それは本当に先生がおっしゃっていますが、テーマが何度も何度も繰り返されていて、時にはそのテーマが変奏曲のようにですね、何度も何度も繰り返されているのを読んでいると、だんだん自分の中にある一つのクッキリしたイメージが浮き立ってくるという、そういう仕掛けの本じゃないかと私は思っているんです。

 私は個人的には読んでいると、なんていうんでしょうか、交響曲っていうんでしょうか、交響曲というか、雄大なシンフォニーの中に身を置いているような感じがいたしました。先生がおっしゃっていますけれど、日本人っていうのは、なにかこう、何者にも左右されないある背景の中に生きている、あるいは先生の言い方を借りると、不思議な鷹揚たる宇宙世界、その中に生きているんだと。それを一生懸命、それは何なんだろうというのを、生涯を通じて追求したのが本居宣長だとおっしゃっています。

 ただ、しかしこの言葉というのは、やはり西尾先生にそのままさし上げていい言葉じゃないかと私は思っております。今なかなか思想的に混迷した時代に、西尾先生のこの本というのは、非常に貴重な、大事な本が出たのではないかと思っております。

 あまり乾杯なのでおしゃべりをしてもいけませんので、それではですね、西尾先生にこういう素晴らしい本を書いてくださったことへの感謝と、さらにこれからのご健康とご活躍を皆さんと共に杯を挙げて、乾杯したいと思います。よろしいでしょうか。では乾杯!

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乾杯の音頭までに上野さんを合わせて、7名のスピーチである。遠藤氏による朗読も15分。並みの講演会の半分は十分にある。しかも、並みの講演会ではこれだけのメンバーの集合はお眼にかかれない。

 ただありきたりの、出版記念パーティーに来たつもりの人には、ご馳走を前にして立たされた状態でのこの時間はちょっと長いと感じたかもしれない。でもこうやってスピーチを活字にしてみると、それぞれの方が、おざなりな挨拶ではなく、西尾先生のご本を読んだのちに、しっかり自分のご意見を入れられた貴重な内容のお話しだったことがわかる。

 できるならば、全員が着席してこれらを聞くことができたら、どんなによかっただろうと思った。(文・長谷川)

 (乾杯ののち)
 それでは皆さん、しばしご歓談ください。

つづく

管理人による出版記念会報告(十二)

 つづきまして「花束の贈呈」です。どうぞ奥様も壇上へお上がり下さい。この大作のご苦労に対して、またそれを支えた奥様にたいしての贈呈でございます。

 西尾先生には、呉善花(オ・ソンファ)さんから。奥様には石平(せきへい)さんから。

 そのあと、せっかく韓国と中国から駆けつけて頂きましたので呉善花さん、石平さんから一言ずつ祝辞も頂きたいと思います。呉さんも石さんも西尾さんが主宰する勉強会「路の会」のメンバーでございます。

やっかいな隣人韓国の正体―なぜ「反日」なのに、日本に憧れるのか やっかいな隣人韓国の正体―なぜ「反日」なのに、日本に憧れるのか
井沢 元彦、呉 善花 他 (2006/09)
祥伝社

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(花束贈呈おわる)。

 それでは呉善花(オ・ソンファ)さん、一言お願いもうしあげます。

 
 西尾先生、ほんとうにおめでとうございます。

 私にとって西尾先生には、ほんとうに大変お世話になっております。

 というのは、私は韓国では、親日派イコール売国奴とされております。しかしそうでありながら、日本で多くの方に助けていただきながら、なんとか著作活動をさせていただいております。そんな中で西尾先生には先頭に立って守っていただいております。そういう意味で、私にとってはかけがえのない大切な方です。このたびの新しいご本、本当におめでとうございます。有難うございました。

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 有難うございました。呉さんは『スカートの風』『女帝論』などで知られる評論家、拓殖大学の教授でもあります。

 つぎにデビュー以来、活躍目覚ましい在日中国人評論家の石平さんからひとこといただきます。

私は「毛主席の小戦士」だった―ある中国人哲学者の告白 私は「毛主席の小戦士」だった―ある中国人哲学者の告白
石 平 (2006/10)
飛鳥新社

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 ご紹介にあずかりました、呉善花さんと同じく中国人の親日家、売国奴の石平と申します。

 今ひとこと申し上げますと、実は私自身も江戸時代にすごく魅力を感じていまして、両国博物館も見物いたしました。江戸の儒学ひとつとってみても、深さといい、純粋さといい、またあるいは誠実さといい、おそらく同じ時代の中国の儒学をはるかに超えたものだと思います。そういう意味では、中国の儒学孔子の考え、論語の思想は日本で生かされた、日本で生きているという事実には、私にとっては驚きでありながら、また好奇心もあります。

 これから先生のご本を指南書として読みながら、もういっぺん日本の江戸時代の文化、哲学を勉強させていただきたいと思います。先生、どうぞご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

 ありがとうございました。石さんの近作『私は毛主席の小戦士だった』が各界から高い評価をうけております。

 それでは御降段ください。
 

つづく

管理人による出版記念会報告(十一)

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 そうしましたら、御本人の謝辞でございます。

 ここでは短めの挨拶を頂きます。中盤以降、もう一度、西尾先生には御登壇いただき、スクリーンに様々な関連画像とともに解説をいただく予定です。では西尾先生、お願い申し上げます。

 西尾幹二氏の謝辞

 突然の春の嵐で、歩くのもたいへんな折に、皆様ご参集いただきまして、心から御礼申し上げます。

  私は物書きのプロと思っておりまして、学者ではなくて、いわゆるライターとして生きてきたつもりでしたので、本を出したくらいで、出版記念会というものはやらないよと、ずっと言っておりました。ところがこの本に関連して、ある人が、先生、今度はお受けになってください。先生は明日にもお亡くなりになる可能性が常にあるのです、と、言った方が、しかも女性なので、愕然としたというよりも、卒然と悟ったということであります。

  もっとも、私の家内は私が深夜風呂に入っているときでも、帰りが遅いときでも、常にどうかなっているんじゃないかと思っているようでございまして、葬式のことがたびたび話題になるのであります。いざというときに自分ではどうしたらよいのか、と。でも私は今、いたって健康で、残念ながらそういうときはすぐ来そうにもありません。

  それはともかくとしまして、私は28歳のときに、ドイツ文学の学会の小さな賞をいただいたことがあるんです。丁度28歳でした。これは修士論文をまとめたもので、それから大体二本が対象になりました。論文の名前が「ニーチェと学問」と、もう一つが「ニーチェの言語観」という二つでした。これでおわかりと思うのです。「学問」というのと「言語観」というのは『江戸のダイナミズム』の二大中心テーマです。私の28歳のこの仕事が真っ直ぐ今回の本に繋がっているということが、今にして言えると思うのです。

  まさしくこれは江戸の学問の話です。長谷川三千子さんとこの間Voiceで対談いたしました。そしたら長谷川さんが道元を持ち出されたのですね。そこでそれはちょっと違うんじゃないか、これは学問の話なんですよと、申し上げたのです。宗教にまで近づいた学問のテーマなので、いきなり宗教ではない。

 学問論ですね。それから言語に対する興味というのが中心であります。ですから私の28歳のときの自己探求からこの本がまっすぐ繋がっているということ。そしてその賞をいただいたときに推薦してくださった先生、審査委員長の先生、そのときの学会の代表の先生の名前を言いますと、皆さんああ、聞いたことがあると思われるでしょう。つまり、推薦して下さったのが秋山英夫先生、論文の審査委員長が高橋健二先生、それからそのときのドイツ文学振興会の会長が手塚富雄先生。これらの先生はもうおられないのであります。

 人生しみじみと無常を感じますのは、ああ西尾君よくやったねと、あのときの二論文からとうとうここまで来たんだねと、言ってくれる人はいないのであります。本日も多数のご参集をいただきながら、実はドイツ文学の関連者は数えるほどしか来ておられないのです。私が如何に、彼らと違う人生を歩んだか、そして如何に決定的に専門家嫌いであったかとあらためて思います。今度の本も徹底的に専門家を排撃しておりますけれども、私は専門家というものを認めない。専門家は全人的に生きていないからです。私は彼らから、如何にして離れようかと思った。あるいは裏返せば専門家にはなれないと言ってもいいのかもしれない、なろうと思ってもなれない。

 しかし、今回の本を書くにつけて、昭和のある時期の国語学の先生ですごい人がいるなということを知りました。橋本進吉以下ね。これは専門家じゃなきゃできない仕事です。さきほどお話くださった吉田敦彦先生も専門家なんです。ものすごい専門家なんですね。専門家じゃなくてはできない仕事というのがたしかにあるんですよ。それはまた偉大なんですね。しかし残念ながら、私は出来なかったのです。それには理由がある。文学研究なんていうものは誰がどうやっても学問にならないからです。だから私は物書きになった。私は物書きにすぎなかった。でも、物書きなりに専門家に反逆したかったというのが、今度の本でございます。

 どうも皆様、このような春の宵の大事なひとときを犠牲にしてお集りくださって、私のためにお祝いをしてくださることは、身に余る光栄でございます。あつく御礼申し上げます。有難うございました。

 有難うございました。西尾先生、しばし壇上にお残りくださいませ。 

つづく

管理人による出版記念会報告(十)

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 さて珍しい方がお見えになりました。福井から駆けつけて頂きました、チェコ日本友好協会副会長でいらっしゃいまして、福井県立大学のカレル・フィアラ教授でいらっしゃいます。

日本語の情報構造と統語構造 日本語の情報構造と統語構造
カレル フィアラ (2000/07)
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中・東欧のことばをはじめましょう チェコ語CD入り 中・東欧のことばをはじめましょう チェコ語CD入り
石川 達夫、カレル フィアラ 他 (2001/05)
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 カレルさんは、チェコの方でいらっしゃいまして、西尾さんは15年前にプラハでお知り合いになりました。チェコからこられて日本の学生におしえる日本語と、日本文学の研究をつづけておられます。

 カレル・フィアラ氏のご挨拶

 西尾先生の御本を大変興味深く拝読致しました。西尾先生は江戸時代の文化を当時のヨーロッパ・中国等の文化と比較なさいましたが、この比較の結果から、当時代の日本人の精神的創造力が西洋人の創造力に劣らなかったことが推察されます。

 日本文化の特性は、戦国時代のヨーロッパ人の目にもよく見えました。第二次大戦期ごろ、イエズス会史の研究者であった神父Franz Josef Schütteが注目したように、戦国時代の日本で活躍した神父Luis Frois(1532-1567)とザヴィエルの後任Alessandro Valigniano(1539‐1606)は日本文化の高度を認め、それを基に、日本の事情に合った独自のキリスト教布教法として、いわゆる「適応説」を提起しました。

 天正年間の1582年から1585年にかけて遣欧された少年使節がポルトガルの王様とローマ教皇に日本事情を詳述する報告書を提出しましたが、この報告書も日本文化の特性を説明しています。

 1620年以降、日本で多くのカトリックの信者が殉死しましたが、そのとき、幕府はプロテスタントの主張に誘導されたようです。たとえばカトリック宣教師の一人、カローロ・スピノーラの日記から分かるように、彼は同じヨーロッパ人であるプロテスタントの信者に密告され、日本の植民地化を狙っているという容疑を掛けられました。これで幕府までもヨーロッパ宗教圏の縄張り争いの罠に嵌りかけたようですが、このことは、江戸時代に入ってからも、当時のキリスト教のヨーロッパがいかに分裂していて、いかに混乱していたかを示しています。

 また、ヨーロッパが産業革命の道を歩みだした後で、ヘーゲル哲学における「自」・「他」の融合で垣間見られるような全体主義の傾向が認められます。

 階級・階層を無妥協に対立させ、人権に対する暴力を励ましたマルクス・レーニン主義とスターリン主義、人種や民族の問題を排他的に解釈し、ホロコーストに導いたナチズムやファシズム、さらに文明衝突を予測し、文明間の対話を予め難しくした過激的な文明衝突論―これらが皆、西洋文明の中心主義における不条理や不釣合いによって支えられた危険な偏りから始まったかも知れません。

 日本では古来、西尾先生がお示しになったように、それぞれ異なる思潮が「寛容の衣に包まれて」共存していました。たとえば、中国で破壊された資料は日本で大事に保存され、五山仏教と禅の思想など本来の姿に近い形で生き続けています。

 たびたび急進的民俗主義者として批判される宣長の考え方も例外ではありません。決して攻撃的な排他的思想ではありませんでした。世界の規模で見ても、日本語の活用体系と係り結びの仕組みを学問的に記述した宣長は先端の文法学者でありましたが、彼は先端のテクストの研究者でもあり、また先端の哲学者・宗教学者・民俗学者でもありました。民俗学者としての彼はまさに、西尾先生のお言葉を拝借すれば、「シナの学問の支配する言語空間」を冷静に見直し、「儒学万能」の偏見への想像力を働かせながら、・・・「外国のものを排撃したのではなく」、「外来のものを無防備に崇拝する」日本人の悪い癖を問題にしただけです。

 また、西尾先生のご指摘のとおり、宣長の「日本魂」の捉え方自体が軍国主義的国家ナショナリズムの表れではなく、東アジアを広く包む中華思想に対し、この国、またこの国に住む族の繊細な文化アイデンティティを擁護する試みにすぎなかったようです。宣長の考え方のどこかが、同時代の人間であったヘルダーの個々の民族文化の擁護論にも何となく似ているのではありませんか。

 以上は一例だけですが、この例からも西尾先生の御本の面白さ、また江戸時代の日本人の創造力の深さがが窺えます。

 あの「平家物語」をチェコ語に訳されたばかりか、「源氏物語」の翻訳にも取り組まれ、まもなく完成と伺っております。『江戸のダイナミズム』もあっという間に読まれたそうです。それではカレル教授、ありがとうございました。

つづく

管理人による出版記念会報告(九)

 
吉田敦彦氏のご挨拶(三)

 西洋で文献学が犯す破目になった、このような近代の理性の物差しを当て嵌めて見ることで、古代の真実を卑小化したり、雲散霧消させてしまう誤りに陥ることを、『古事記伝』で宣長は、彼が「いささかもさかしらを加えずて、古より云傳えるままに記されたれば、その意も事も言も相稱て、皆上代の實なり」と言う、『古事記』に記された「上代の實」に、後の代の意、さかしらによる批判を加えることを断固として拒否することで、すでに先んじて18世紀に回避していた。

 その『古事記伝』のことを西尾氏は、「宣長の『古事記伝』は形而上学的衝動と言語科学的分析が両翼となって、当時の日本においてもなにか説明のできない、人知を超えた巨魁のようなものを露呈されました」(254~255頁)と言われる。『古事記』が露呈させたと西尾氏が言われるこの「なにか説明のできない、人知を超えた巨魁のようなもの」は明らかに、ニーチェが「ディオニュソス的なもの(das Dionysische)と名づけたものに対応する。

 つまり宣長は、西尾氏が『古事記伝』の両翼と言われる一方の翼の言語学的分析で、ヴィラモヴィッツ・メレンドルフに比肩すると同時に、他方の翼の神話的始原を志向して止まぬ形而上学的衝動では、それに批判の痛撃を加えることになるニーチェの卓見もすでに先取りしていた。西尾氏の大著を繙く者は、そのことをまざまざと感知させられ、それによって宣長の卓抜した偉大さに、あらためて心の底からの強い感銘を覚えさせられる。

 宣長の『古事記伝』の価値をわれわれ日本人にとって、どういう価値を持つか、それがわれわれに一番大切なことであるわけですが、世界の思想史の中でも非常にユニークなものであるということを極めて見事に、博覧強記をもって明らかにしてくださった。

 そういうことで、この本はいわば現代の学問の一つの頂点を極められた大作ではないかと私は感動をもって受け止めさせていただきました。西尾先生にそのことを、心より感謝申し上げたいと思います。

 吉田先生、ありがとうございました。

 上記の吉田先生のお話は、この日の為の原稿と、実際にお話になったテープを元に再現している。原稿の方がかっちりとしているが、当日の話し言葉のほうが、私にはやはりよりわかりやすいような気がした。

 内容を読まれてお分かりのように、出版記念会での来賓のご挨拶なのに、まるで吉田先生のミニ講演会のようであった。

 吉田先生といえば、神話については本当に大変権威ある先生でいらっしゃる。出版記念会に出席し、直にご挨拶いただいたことは、西尾先生にとっても、大変名誉なことではないだろうか。(文・長谷川)

つづく

管理人による出版記念会報告(八)

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吉田敦彦氏のご挨拶(二)

 

19世紀の後半から20世紀の前半にかけてドイツで一つの頂点を極めた、ヴィラモヴィッツ=メレンドルフを代表者とする西洋古典文献学は、古典古代の事象を文化人類学に照らし解釈しようとした。フレーザーらいわゆる英国ケンブリッヂ学派の能率家揃いの学者たちの膨大な著作などには、傲然として一顧も与えずに、原典の厳密な本文校訂を達成した。

 だが、一見すると「古代ギリシァのことは、あくまで古代ギリシァ語で」という、禁欲的な立場を見事に貫徹したように見えるヴィラモヴィッツ流のこの文献学は、西尾氏が「現代市民風の健全かつ凡庸な理性」(100頁)と喝破される、宣長の言う「後の世の意」を持って、古代ギリシアのことに終始対していた。それでその理性の常識ではそもそも、捕らえられようはずの無かった、明るい文明の表層の奥にある神秘と非合理の深層の把握がまったく欠落しているという、西尾氏が「想像を絶する一撃」と呼ばれる批判の痛打を、ニーチェから浴びせられることになった。

 他方で聖書解釈学の方は今や、西尾氏が「われわれはイエスが実際に語ったこと、本当に行なったことに、解釈学の研鑽を重ねることによって、いったいほんの少しでも正確に近づくことになるのでしょうか。それとも相対化された不可知論の空虚の中に、すべてが放り出されたままに終るのでしょうか」(104頁)と述べられて表明された、懸念のまさにその通りの袋小路に入り込む結果に立ち至っていると思われる。

 そのへんのことはたとえば、斯学のわが国における第一人者で世界的にも権威であられる、A氏の主著の一つを評して、門外漢だがきわめて慧眼のN氏がいみじくも、「猿がらっきょうの皮をせっせと剥いて行ったら、実が出てこなかったという本」と断じられた、至言に照らしても明らかであろう。

つづく
つづく