理事会その後

石原隆夫
「つくる会」東京支部副支部長、1級建築士・設計事務所主宰

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 12月14日は、扶桑社が「つくる会」に突きつけた三条件への対応を話し合う理事会が開かれる日でした。理事会がどの様な結論を出すのか、私たちは固唾を呑む思いでいました。
「理事の皆様へ」で要請したように、「つくる会」の存亡を巡って理事達の熱い議論が為されているに違いないと思っていましたが、昨日までに集めた複数の情報によると、私たちの期待は空しかったと思い知らされました。

 会議は夕方6時に開かれ、7時からは忘年会が予定されていたというのです。

 これ以上はないと思われる重要な会議を、たった1時間で済ませようというのは理事会の信じがたい怠慢と言うべきでしょう。その上、忘年会が予定されていたとは・・・酒など飲んで浮かれている場合か、と思わず毒づきたくもなります。これでは最初から理事達には重要会議という意識が無かったのではないかとも思えるのです。その証拠に4名もの理事が欠席し、最初に緊急を要しない報告が延々となされ、福地副会長の緊急動議という形で本題が発議されたというのです。

 一般的な常識では会議の議題は事前に出席者に明示されているべきでしょう。だが、先月21日に扶桑社社長に要望書を出したとき、社長から突きつけられた三条件を巡り、先月末に開かれた執行部会では、三者協議路線は破綻したという福地副会長と会長との大激論(大喧嘩)が演じられ、流会となったと聞きます。その後、執行部会は開かれず、理事会への議題等の整理も出来ないままに14日の理事会となったそうです。そのような訳で、一理事(副会長)の緊急動議という変則的な形で重要議題が提起されたというわけです。

 いずれにせよ、重要な理事会の主要議題が、緊急動議などというやり方でなされるなどは奇妙というほかありません。しかも、福地副会長の動議で時間も延長され、宴会の開始が小一時間遅れたというのも間の抜けた話です。肝心の本題については多少の討論が行われたようですが核心的な意見はなく、某理事からこれは重大な問題提起なので次回にじっくりと討議するほうが良いだろうとの発言で継続審議となったようです。

 つくる会の今後を左右するであろう本理事会の経緯を固唾を呑んで見守っていた我々からすれば、なんとも気の抜けた話であり、当事者能力を欠いた理事会には猛省を促したい思いです。この大事な議論を今しないでいつ議論しようというのでしょうか。重要な決断を常に先送りした事で外部の容喙を招き、問題を大きくし深化させてきた過去の過ちを再び繰り返そうとするのでしょうか。

 この経緯から見えてくるのは、扶桑社から突きつけられた三条件は、理事達はそれほど深刻な問題と受け取っていないのではないかと言うことです。それとも見たくないものを突きつけられて見ない振りをしているのか、扶桑社がそんな事を出来るわけがないと高を括っているのか、教科書の内容や理念が変わっても教科書が出せれば良いと扶桑社に魂を売り渡す覚悟をしたのか、何とも判断がつきませんが、私たちの期待を見事に裏切った事は間違いありません。

 議論の途中で出た、西尾氏を執筆者リストから外したことについて西尾氏の了解を得たかどうかとの問いには、藤岡副会長からは明確な返答が無かったようです。教科書の理念を提示した創業者である西尾氏を無断で執筆者リストから外したとするならば、同じ執筆者としてはあるまじき行為と言わざるを得ません。

 以前、三者協議を厳しく批判して、扶桑社との関係断絶も辞するべからずと意見具申した東京支部、東京三多摩支部に対して、小林会長は「分派闘争」だと妄言を吐いたそうですが、私たちの信頼を裏切る「分派闘争」をしているのは会長自身とそれに同調している理事達ではありませんか。    

 14日には、ある理事は私達の発信する文書に対し「雑音だ!何とかならないのか」と発言したそうですが、本来ならば「つくる会」と「教科書」を守る上で共闘すべき執筆者と会員の関係を、「分派活動」で破壊する当事者能力を欠いた会長と理事達には、責任を取って早急に総退陣していただくべきでしょう。

 ところで継続審議となった動議の内容ですが、三者協議は扶桑社が三条件を突きつけたことで失敗に帰したのだから、「つくる会」は創立精神に則った正当路線に運動方針を変え、今後の苦難を予想してでも勇気をもって闘う新しい路線に即時に転換しよう、というものだったようです。

 これは将に私たちが望む路線であります。
「つくる会」と「新しい歴史教科書」を守るためには苦難の道をも覚悟してこそ、目的が達成されるに違いありません。全国の会員の皆様が心を一つにするならば、道は拓けるものと確信します。

「つくる会」の今への声

 本14日、命運を決する「つくる会」の理事会が開かれるもようです。コメント欄に大切な意見が出ましたので、ここに掲示します。

「つくる会」理事の皆様方へ

 小林会長が推し進めているいわゆる「三者協議」に於いて、さる11月21日扶桑社の片桐社長は以下の三点を小林会長と八木氏に申し渡したそうです。

(1)組織の一本化。
(2)藤岡氏と八木氏は教科書執筆者から降りること。
(3)教科書編集権は扶桑社にあり、それには執筆者選択権も含まれる。

この事は理事各位におかれましては既にお聞き及びかと存じますが、「つくる会」にとっては誠に由々しき事態と言わねばなりますまい。

 私たちは「三者協議」なるものの存在を知ったときから、「つくる会」が何故それに巻き込まれなければならないのか、合理的な説明を求めてきた事は、度々理事各位にお送りしたメールやFAXによってご存じのことと思います。

 しかしながら理事会は、理事会自身が合理的な判断を放棄したまま、小林会長に依る「三者協議」の既成事実化を付帯条件付きで追認してしまいました。

その条件とは(1)「つくる会」設立の趣意書に沿った教科書を作ること(2)藤岡氏を代表執筆者とすること、の2点でした。

 これを知った私たちは、なおも原点に戻って三者協議なるものに「つくる会」が参加しなければならない理由を会長はじめ理事会に問い続けましたが、今に至るまでどちらからも得心のいく説明を頂いておりません。要するに会長はじめ理事会自身に合理的な理由がないのだから説明など出来るはずもないと言うことでしょう。

 片桐社長が申し渡した三点を理事会はどの様にお考えになるか、本日12月14日は、この件につき討議なさる予定と伺っています。

編集権も執筆者選択権も失い、藤岡氏も代表執筆者から降りる「つくる会」とは如何なる存在になるのか、じっくり討論していただきたいものです。

 理事各位は扶桑社が何を「つくる会」に望んでいるのか既にお分かりでしょう。
「つくる会」ではなく「つくれない会」なのです。

保守合同してより良い教科書を作ろうなどという甘言に乗った理事各位の責任は、
「つくる会」十年の歴史を歩んだ先人達や、既に「つくる会」の教科書で勉強している子供達や、採択してくれた自治体に対して限りなく重いのです。

 この期に及んでも、扶桑社に期待を寄せる理事がいるとは思えませんが、もしも
その様な行動を採る理事がおられるならば、お辞めになることを勧告します。

聞くところに依ると、理事会に殆ど出席しない理事や発言しない理事が多数おられるとの事ですが、何の為に理事をおやりになっているのか胸に手を当ててとくとお考え下さい。「つくれない会」になっては理事も用済みとなるのですから。

 本日の会議では全員の理事が発言なさるべきでしょう。そしてその発言録を一般会員に公表してください。私たちはそれを次の行動の為の判断材料とさせていただきたいのです。

 最後に一言申し述べます。

扶桑社がこの時点で最後通牒とも言うべき三点を明らかにしたのは、不幸中の幸いでもあります。あやふやな条件を提示されたのでは判断も付けがたいでしょうが、
これほど明確な侮辱を浴びせられた以上は、戦うしかないでしょう。

先ずは扶桑社に三くだり半を突きつけ、この様な仕儀に「つくる会」を追い込んだ小林会長には責任を採っていただくのが筋ではありませんか。

「つくる会」の理念と使命をもう一度再確認し、既に一人歩きを始めた私たちの「新しい歴史教科書」を守るためならば、今が決断の秋です。

Posted by: 石原隆夫 at 2006年12月13日 23:35

長谷川様

通りすがりの部外者が無責任なことをと思われるかもしれませんが、長谷川さんが書かれたことについて海外在住(在米)のものがいつも思っていることを一言。

分裂は弱さではありません。個々の問題について、たとえ考え方が正反対であっても、『西尾幹二』が群雄割拠する国は強い国です。絶対にアメリカにも中国にもロシアにも負けません。
群雄割拠の『自由』を否定する人、八木前会長や岡崎久彦氏たちのような人たちがいる国が弱い国です。

自分たちが乗る、いい車を作ろうとするからこそ、本物の車ができるのではないですか?国内メーカーが群雄割拠して競争するからこそ外国と太刀打ちできるのではないですか?

どんな強大国が相手でも自国は自国民で守り抜く気骨のある国であって初めて外国とまともな同盟関係が結べます。弱小国(英国)が超大国(フランス・スペイン)に存亡を賭けて戦い抜いた、その悪戦苦闘のなかで生まれてきたのがインテリジェンスですよね。岡崎久彦氏のすることはインテリジェンスの根本に矛盾しているとは思われませんか?

アメリカは心のどこかで深く日本を軽蔑しているのです、共和党政権であれ民主党政権であれ。軍事同盟の代わりに経済権益の妥協を日本に強いているのではありません。軍事も経済もあくまで自国の利益にそうよう日本との同盟を利用しているに過ぎません。だから対中関係(米中関係)は日本とは何の関係もないのです。アメリカの国益に照らし合わせてアメリカが考えることです。六カ国協議事実上中断から北の核実験にいたる一年余りの(米中)交渉のなかで、台湾に次いで日本が米中間の取引の材料になったのではないかと恐れます。

六カ国協議も『つくる会』騒動も郵政民営化選挙もつながってます。在米の人間から見れば、西尾先生・お一人がそのことを見通して孤軍奮闘されているように見えます。

人間は(自らの運命と)戦って初めて自分が何者か、自分が命を賭けて守りぬくものが何か、そして先人が残した叡智の意味するところは何なのか思い知るのではありませんか? 

私は『つくる会』に戦い続けてほしいです。本来政治とは関係のない、そしてそうあるべき『つくる会』が、つまらない出版社の政治的プロパガンダとは手を切って、自ら出版社になって何が悪いのでしょう?

Posted by: 秋の空 at 2006年12月14日 06:08

>秋の空さま
お久しぶりです。

お書きになったこと、よくよくわかります。

でも、現在その「つくる会」本体が八木・扶桑社グループの思う方向に動いていっているようです。会員としてはあまりに残念です。

教科書を出版してよい会社は、義務教育に関してはとても高いハードルが課せられていることをご存知でしょうか?今手許に詳しい資料がありませんが、会社としての実績や社長の資産提示など、ポッと出の弱小新規出版社には教科書を作る資格がないのです。

つまり、扶桑社はすべてのカードを握っているのです。
そして、八木・岡崎グループと扶桑社・産経グループが限りなく親密なのです。

Posted by: 長谷川 at 2006年12月14日 09:20

「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(八)

 言論人は反政府的であるべし、と決まっているわけではない。それは古い考え方である。それでも言論人と政治家とでは役割が異なる。言語で表現するのと、行動で表現するのとの原則上の違いがある。

 昔は言論人は反政府的ときまっていた。福田恆存のような、自分は「保守反動です」とわざということがアイロニーだった時代に文字通りの保守思想界を代表した論客が、選挙で何党を支持するのかと問われて、自民党と答えず民社党と言っていたのを面白いためらいと思ったことを覚えている。

 この原稿を私は私の若い時代、60年安保騒動の思い出から始めたので、もう少し思い出を加えてみよう。さらに6年ほどさかのぼった昭和29年(1954年)に、私は大学1年で、第5次吉田内閣のたしか官房長官だった増田甲子七という人が駒場のキャンパスに来て大教室で講演をしたのを聴いたことがある。

 あの頃保守政党の政治家は学生にとっては「人間」ではなかった。会場は怒声で溢れていた。彼がなんの話をしたのか、まったく覚えていないが、次々と質問に立つ学生が「増田!貴様は・・・・」という調子で呼び捨てにするので、私はひどい連中だと秘かに彼らのほうに腹を立てていた。

 すると会場からひとり「失礼ではないか。呼び捨て止めろ」の声を挙げる者がいて、その一声で会場がサーッと波打つように静かになって、私がホッと安堵したのがはっきり記憶にある。

 当時の学生たちの「非常識」と「常識」の二面を見る思いがしたものだが、要するに保守政党の政治家は学生世論では悪の権化であり、人間の皮を被った化物なのであった。

 そのわずか2年前(昭和27年)の5月に皇居前広場で「血のメーデー事件」が起きていた。米ソ対立の代理戦争が日本の国内で白熱化していた時代だった。昭和35年はいうまでもなく60年安保で、アイゼンハウアー大統領の訪日阻止デモで私の友人の何人もが逮捕されている。

 そんな時代の空気をずっと吸って生きてきた私は、勿論まったく時代の風潮に反対であり、保守サイドに立つ私は彼らにとって裏切者で、悪魔の代弁者であったが、支持政党は何かと公式に聞かれると自民党とはあえて言わないで民社党と言った福田恆存の自己韜晦は非常によく分るのである。

 32歳の頃、私は国立大学の講師だったが、『国民協会』という自民党の新聞に一度だけ署名原稿を書いたことがある。誰かが見つけて来て、ドイツ文学界の中の私の評判はがた落ちになった。

 私だけでなく、政府に与するような議論を述べることに言論人は永い間逡巡し勝ちだった。いつの頃から情勢が変わったのだろうか。アメリカの影響だろうか。左翼が弱くなったせいもあろう。それでも、政府べったりの主張をする人間はみっともないという意識は、学者言論人の世界ではずっと普通だったし、今でも多分そうだろう。

 あの60年安保騒動の渦中にあった首相のお孫さんが総理大臣になったのかと思うと、昔を知る世代には感無量である。そして、知識人や言論人のブレーンの名が新聞に出ると、アメリカ型政治の影響であるとか何とかいわれても、半世紀でこうも変わるものかとこれまた不思議な思いが去来するのである。

 時代がどんなに変わっても、権力と知識人の間にはつねに一定の緊張が昔からある。また、なければいけない。言論人が個々の政策に口を出すのではなく、むしろ言論人が政権に黙って大きな立場から影響を与えるというくらいの存在でなければ意味がないのではないだろうか。

 言論人が政権にすり寄り、虎の威を借りて自説を補強するなどということは、最近の新しい現象かもしれない。それが言論の強化に役立つと考えるのだけは完全な錯覚である。

 それは次のような理由による。言論と違って、政治は無節操に変化するのを常とするからである。例えば安倍政権は拉致事件の解決のために中国と協議する必要上、靖国で妥協するかもしれないと不安がられている。私はそんなことはしない方が得策だという考えである。靖国で妥協してもしなくても、中国の北朝鮮政策は同じで、拉致が解決しないときは何をしてもしない。としたら、妥協したならば安倍氏は両方を失う可能性がある。そう思うからである。

 しかしそう思うのはどこまでも言論人の考え方である。政治家はまったく別の判断をするだろう。別の判断をしても仕方がないだろう。しかもそれを政治家は自分の責任においてやるだろう。言論人はこの種の政治的情勢判断を慎むべきである。民族の「信仰」の問題で他国との妥協はあり得るか否かの原則を応答すればそれでよい。

 新井白石や荻生徂徠が幕府から下問されて儒教の経書に照らして思想上の正否を述べ、それ以上口出ししなかったという態度にもこれは似ている。

 岡崎久彦氏が靖国の遊就館の展示内容をさし換えよという乱暴な発言をしたとき、文化界のある重要な立場にいる人が私に、岡崎氏は米大統領が安倍新政権にテコ入れするために二人で一緒に靖国参拝をする情報を知っていて、米大統領が参拝し易い条件をつくろうとしているのだろう、と言った。私は確かな情報か、と問い質した。すると彼は、いや、岡崎氏ともあろう人がこんな発言をするからにはそれくらいのことがあるのではないか、と、単なる観測気球をあげた。何から何まで人の好い、楽天的な、自分の好む方向を好意的に空想しているだけの話で、文化界にある人のこういう政治的観測、根拠なき情勢判断の甘さは何よりも具合が悪いと私は思った。

 言論人はこの手の政治情勢解釈を、できるだけ慎むべきである。言論人がある程度「反政府的」であらざるを得ないというのは、言論と政治の原則上の相違からくる。政治はどんどん揺れ動く。言論はそうそう揺れ動くわけにはいかないからだ。

 政治家のために言論人が奉仕すべきではなく、奉仕してもそれには自ら限界があるというのはここに由来する。

 竹中平蔵氏の運命をみても、政治に全面奉仕して、彼に残るものは何もなかった。不良債権処理と構造改革において政権の力で自分の理念を実行し得た、という自己満足は十分に残っただろうが、それが客観的に評価されるかどうかはまったく分らない。彼は政界に残っていても、安倍氏に相手にされず、もうやることがないと判明したので辞めたのだと思う。

 しかし彼は言論人であることを中止して政治家となった数少ない成功例である。彼は学者言論人にはもう戻れない。勿論、どこかの職場の一員としては戻れるだろうが、その言論活動は何を唱えても末永く「小泉」の名と結びつけて扱われることを避けることは出来ないだろう。

 学者言論人の政治との関わり方は難しい。前にも言ったが、黙っていてもその影響が政治に静かに作用しつづけるような存在でなければ本当は迂闊に政治について発言すべきではないのかもしれない。しかしその理想形態は孔子と魯国、ゲーテとワイマル公国のようなケースで、現代においてはほとんど不可能かもしれない。

 ここまで書いて9月26日を迎え、安倍新内閣の閣僚名簿が発表された。総じて私は好感をもった。経済閣僚の人選には竹中路線が感じられ、少し先行き不安だが、安倍氏が自分の思想的同志で固めたのは心強い。論功行賞などという必要はない。首相の意志がパッと伝わる陣形がつくられたのは能率的で、「党内党」がつくられたという趣きさえある。

 そこから当然問題が生じる。首相に力が結集するこの「集中力」は安倍氏のパワーに依るものではなく、前首相の野蛮な力の遺産である。前首相と異なる人柄の良さと明るさで野蛮の根はいま覆い隠されている。しかし「集中力」はいつかほどける時がくる。

 ほどけたほうがいい。ほどけて党内不統一が生じるのが自民党らしい民主的なやり方で、もし党内統一がますます強まり、国民を「束ねる」方向へどんどん進んだらまた別の危険が生じるだろう。

 自民党は昔から、陰と陽、明と暗、動と静のカラーの交替で危機を乗り超えて来た。前首相の遺産を受け継ぎながら、前首相とは正反対の仮面を新たに表に出して、世間の目に舞台を替えて見せるのである。

 野蛮の次は今回は礼儀正さである。パフォーマンスの次は地味な実務的効率の良さである。それで目先を替えて今回もうまく行くのかもしれない。

 いずれにせよ、閣僚の中に田中真紀子とか猪口邦子といったわれわれが嘲りたくなるような人物がひとりもいないということだけでも、ホッと一安心できてありがたい。

           (終)

内田智氏からの要求に対して

 「つくる会」の元理事の弁護士内田智氏が、去る7月10日付配達証明で、私のSAPIO記事(6月14日号)が職業上の不利益をもたらしたとして500万円を3週以内にみずほ銀行の自分の口座に振込むようにと、口座番号を私に伝えて来た。

 私は7月26日午後内容証明にて、私は八木グループから脅迫状を送りつけられた被害者であって、反証は正当防衛であること、内田氏は昨年11月会内部に小グループの意志形成をする上で主導的役割を果たし、また、会内部の人事に外部の団体の介入を許すような発言をし始めていたこと等から考えて、私への脅迫状や藤岡氏への公安情報利用の威嚇などに、たとえ彼自身が実行犯ではないにしても、責任意識をもつべき立場であることを伝えた。

 私は会を立ち去った理事たちグループの共同行動を批判したのであって、内田氏個人を誹謗するものではまったくない。誤解して氏が金銭を要求するのはまことに不当であり、理解できない。

追記 上記の文章に寄せられたコメントの中に、

内田弁護士の書面が本物で、内容が事実であることが確認されたか心配である。
事実であれば、弁護士さんの行為としては誠に疑問である。

Posted by: 田舎のダンディ at 2006年07月27日 08:10

 というご意見があった。相手が相手だけに尤もなご心配である。

 7月10日ある代表的な雑誌の編集長が八木秀次氏と打合わせのために落合った場に、内田智氏が現われ、500万円を振込めという私宛の件の書面を持っていて、八木氏に渡して報告していた。その際編集長にもそのコピーを手渡している。編集長からの証言である。

 第三者の編集長に私宛の配達証明付の文書のコピーを簡単に手渡すというのもよく分らない、不可解な行為である。

注:このエントリーに関する限り、必要以上のトラブルを避けるために、コメント欄を閉鎖します。
 7月28日

続・つくる会顛末記 (七)の2

続・つくる会顛末記

 

(七)の2

 集団思考は右にも左にもあり、運動の形態をとり、ひょっとすると徐々に重なり合い、合体する可能性もあります。つまり、今、保守的右翼的勢力と考えられているひとびとが、いつの間にかはっきり自己確認をしない侭に、中共の謀略にあって、知らぬうちに中国との他者意識を失い、中国の国家利益に奉仕することを知らずにせっせとやりつづけるというような可能性です。アメリカの出方いかんで日本人は頭に血がのぼりすぐそうなります。

 右と左は別だと皆さんは思っていますが、戦後永い間左が強く、左への反発と反感をバネにして、いまの雑誌や新聞がつくられ、ワンパターンで推移していますので、左右のどちらの側にもある同じ質の集団思考、同じ型の固定観念の形成に気がつかないのです。

 右も左も、自分が自由に考えなくなる点で、思考の形態が同じタイプということです。なぜ毎月、オピニオン誌は反中国、反韓国、靖国、愛国を飽きもせずにくりかえすのでしょうか。いくら叫んでも、現実が動かないからです。疲れて倒れるまで言いつづけるしかないのでしょう。

 それではダメだ、基本を正さなければ現実は変わらない、たしかそういう思いから教科書運動が始まりました。ところが、その教科書運動が採択の壁にぶつかって無力をさらしました。今回の紛争は無力感と絶望感と無関係ではありません。

 ですが、分裂ができるということは路線闘争があるということであり、力とエネルギーがまだあるということなのです。左の勢力は結集する力すらありません。ですから、左を叩くことはもうほとんど意味を失っているのです。

 いつまでもオピニオン誌が左と右の対立思考にこだわっている不毛を克服すべきです。それは冷戦の後遺症にすぎません。思想闘争における本物と贋物との対立思考に取り替えられるべきです。

 愚かな左はまだ確かに残っている。しかし、それを標的にしている限り、自分も愚かになるだけです。オピニオン誌の編集者に申し上げたい。愚かな左を相手にせず、右の中の真贋闘争に集中することが、大衆の意識を向上させることにも役立つはずです。

 愚かな左を叩いている文章にはもう飽きた、という人は多いと思います。ほとんど同じ論調のくりかえしで、敵がまだいるからこの方が売れるというかもしれませんが、いつか必ず売れなくなります。その時期は近い。

 教科書問題はいま新しい路線闘争を求められているという意味です。採択の壁は左との戦いではなく、右の中の真贋闘争によって乗り越えられることでしょう。採択の目に見える成果が上らぬうちに、そういう新しい時代が近づいて来たのでした。

 他の政治思想のあらゆる部門において同じことが言えるように思います。黙して逆らわずでは駄目です。自分を危うくすることのない言論人は世界を動かすこともできません。世界を動かすことはまず世界を危うくすることから始まるのですから。

                       

「了」

続・つくる会顛末記 (七)の1

続・つくる会顛末記

 

(七)の1

 「つくる会」の出来事を振り返って全体を判断するにはまだ時間が少なすぎるかもしれませんが、なにか外からの力が働いたという印象は私だけでなく多くの人が抱いているでしょう。一つには旧「生長の家」系の圧力の介入があった、という推論を先に述べたわけですが、それは今までの仲間との癒着の油断であって、分り易いので目立っただけで、本質的な変化を引き起こしている原因ではないかもしれません。

 フジサンケイグループの影響力ということを言う人もいますが、これは影響を与えているというより、外から大きな影響をたえず受けている点で、「つくる会」と同じ位置にあるのであって、現代の世界の政治的謀略の対象としてつねに狙われている側にあります。

 「怪メール事件」の「怪文書2」は内容からみて間違いなく八木氏の手になるもの、もしくは宮崎氏・新田氏・渡辺氏との合作であって、それ以外には考えられませんが、「怪文書1」(党歴メール)は出所不明です。誰かが言っていましたが、公安なら「日本共産党」と正式に書くはずで、「日共」という単純化して書かれた点が中国人の手になるものらしい、という推論もあながち否定できません。勿論「怪文書1」も直接八木筋の手になるものとの可能性も否定できない侭です。

 要するに現代は何処からどんな力が働きかけてくるか予想がつかず、自民党総裁選を前にして靖国に並ぶ教科書問題のタームが政治的に小さいはずはないのです。「つくる会」は間違いなく、何の力かはまだ分りませんが、外からの幾つかの力の大きな作用をもろに浴びたのでした。こんなときに自分達が個人として、人間としてよほどしっかりしていなければ、本当にこなごなに打ち砕かれてしまいます。

 不用意に中国に出掛けて行って、若い事務員に会代表の立場で南京事件について現地の用意十分の学者と対話させた八木氏一行の軽率は、「つくる会」とは無関係であることを理事会で決し、「特別報告」が出されましたが、総会の名においてこれを世界に向けて宣言すべきです。ことに中国社会科学院に対話内容は会とは無関係である旨公文書で通報すべきです。何年か後に、どんなことで(内容では必ずしもなくその折の挨拶の表現のひとつで)中国側から利用されないとも限りません。

 今一番恐ろしいのは、政治家の力量不足を目の前にして、日本の内外で予想もつかない激変が起こることです。軍事紛争か金融問題か、それは分りませんが、あっという間に集団思考が先行し、ものを考えない大衆が主導権を握り、指導者なき羊の群が国際社会という狼虎の世界へほうり出され、国家的に二度と回復できない致命傷を負うことです。

 昨夏の小泉選挙を見て下さい。あの興奮のまゝで、もし日本が地域紛争にまきこまれたらどういうことになったでしょう。小泉は愚かな独裁者でした。任期が来て辞めるからみなホッとしていますが、紀子妃殿下ご懐妊がなければ、確実に「狂気の首相」は異常事態を出現させたはずです。

 そして、この国はいつでも、同じように違った条件で、同じような恐ろしい悲劇を惹き起こす可能性を常態として抱え、明日本当にとんでもないことが起こる不安を一日一日先延ばして誤魔化し、払い戻すべき借証文を質屋に入れて、高金利を払いつづけて生きているのです。

 これは70歳を過ぎた私が見ていて、死ぬに死ねない状況です。「新しい歴史教科書をつくる会」は理想を掲げて走りましたが、間に合わなかったのかもしれません。人間が育っていないのです。しかも、会の内部がそれをさらけ出しました。嗤うに嗤えない状況です。

つづく

続・つくる会顛末記 (六)の5

続・つくる会顛末記

 

(六)の5

 じつは今のシステムも本当は壊れているのかもしれません。あと何年かは保守すれば何とか使えるということでしょう。システムはどんなシステムでも予想できないトラブルが考えられることは常識です。一番の問題はトラブル発生時の即応体制にあります。そのため平時からの情報監視体制が不可欠です。「つくる会」は「保守体制」がまったくコンピュートロニクス社に丸投げの状況で考慮がなかった。つまり宮崎氏があまりにも安易に考えてきたことが問題です。

 新田氏がブログで「トラブルがないではないか・・・・」と書いているそうですが、こういう指摘は本質ではないのです。いまだにファイルメーカーを基本にしているのですが、ファイルメーカーは専門ソフトであり、その技術者が市場にたくさんいていつでも対応可という状況なら心配もありませんが、すでにマイナーなソフトになってきているのが問題なのです。技術者も減る一方です。それだけに、保守契約は大事な問題でしたが、何度も言いますが、実際には本来の保守契約ではなかった・・・・・これこそが最大の問題です。

 エクセルやアクセスなどの、マイクロソフトの汎用製品でつくればそういう心配はなかったでしょう。ある人が言っていましたが、某団体(30万人)会員管理ソフトは、汎用ソフトを使用して、開発に100万もかかっていませんし、保守費用も年20万程度だということです。「つくる会」のケースは知る人が知ったなら常識外なのです。新田氏の指摘「いま問題がないのだから・・・・」は問題の「表層」であり、およそ学者が口にすることばではありません。

 コンピュータ問題の真相を糾すには、Mさんより前に退職した二人の女性オペレーターに本当に新しいソフトに従来の要望、無理な使い方を積み重ねて、長大な時間を要したのか、事情をお訊ねすべきでしょう。それが人件費の加算を生んだ原因だといわれているからです。

 しかしコンピュータ会社の担当役員は「つくる会」の会員で、しかも「つくる会」の仕事を負った損害が原因で重役の職を解かれていると聞きました。コンピュータ調査委員会では、これ以上の追求は慎むべきであろう、争って得られるものはなく、当会のなおざりな対応にも責任がある、と判断されました。そして相手が責任をとっている以上、「つくる会」側がこの件で責任を問われぬまゝはおかしい、という議論になりました。これはしごく当然ではないですか。

 責任をとって理事が辞任するのは簡単ですが、辞任すれば会がなくなってしまうので、八木、藤岡、遠藤、福田、工藤、西尾の六人で100万円を罰金として会に支払い、謝罪の意志を表明することとし、宮崎事務局長は次長降格、給与10%3か月分カット、調査中なので当分の間出勤停止という裁定を会は自らに下したのでした。公明さを示すためにこの裁定を「つくる会」支部にも公表すべき、と言ったのは、八木氏と西尾であり、それに反対し、むしろ内々で辞職勧告とするよう慎重な道を選べ、と言ったのは藤岡氏でした。

 しかるに、新田氏らいわゆる四人組は、お前たちは宮崎に責任を押しつける手前、金を払ってごまかすという汚い手を使った、と居丈高に理事会で発言しました。私はこういうコンテクストの中で、こういう理窟を言い立てる人々とはとても席を同じくすることは出来ないと思って、それが辞任に至った直接の原因でした。

つづく

続・つくる会顛末記 (六)の4

続・つくる会顛末記

 

(六)の4

 驚くべきことに、「総額1728万円、月額17万円(保守料)」はあっという間に値引きされ、「1000万円、11万円」と決定されました。こういうことがますます謎を深めます。どういう仕掛けになっているのでしょう。簡単に700万も値引きするなんてことは、どうしても私には分らない。

 「遠藤報告書」の平成15年1月22日~(18)から平成17年4月7日~(28)までを読んでいたゞくのが一番手っ取り早い。

遠藤報告書1
遠藤報告書2

 ソフト開発購入代価と保守契約込みで1000万円になってみんなよかった、よかったと安心して、保守契約が「玉虫色」であったことは当時は誰も気づいていませんでした。ついに今に至るまで、きちんとした保守契約は具体的に決まらないままできました。常識的に業界では考えられない業者の不誠実を目の当たりにし、富樫氏は将来に及ぶ器械不調を考慮に入れて、第三者の専門家を交えてあらためて保守契約をすべきと考え、再度理事会へ提言文書を提出しました。が、また種子島、宮崎の両氏にはばまれて、彼女の提言は無視されました。

 宮崎氏は、理事会承認をいいことに、女史の進言を無視して業者からの請求書もまだ受け取っていないうちに、ただの口約束で、購入代金の一部525万円の支払いをすませました。いつも支払っている小口の支払い口座に投げこむという杜撰さで、この話を聞いて調査委員会のメンバーもあいた口がふさがりませんでした。

 事務的に一連の契約書関係書類、保守契約書等がなんとか出揃ったのは、理事会の承認からなんと5ヶ月も経った後になってやっとという始末でした。

 最初の頃はコンピュータに不具合が発生しても、業者は相談に乗ってくれていたようですが、だんだん応対が悪くなり、オペレーターは日常業務に支障をきたすようになりました。Mさんは毎日のように起こる器械の異常をノートし、約1年の記録データを残しています。それでも業者が面倒を見てくれる間は良かったのですが、だんだん手抜きになり、ついには、平成17年11月頃に、業者側から翌年3月で保守契約を解消すると通告してきたのです。契約は「玉虫色」で、会社側は保守する義務は必ずしもないと考えていたからでしょう。

 担当オペレーターのMさんは、業者の対応に苦慮し、宮崎事務局長に何度も相談するも、事務局のこの担当のT氏が会社と会を往ったり来たりするだけで、容易にらちがあきません。ついには、自分の担当する職務に自信がもてなくなり、会を退職するに至りました。

 今、コンピュータは正常に動いているといわれていますが、果してバグが改善されているのか、データーが正常に作動しているのかは、詳しく調査してみなければ分りません。いま別の人により保守が開始されたので、何とか動いているのが実情です。一定の保守がなされれば瞞し瞞し使いつづけることはできるでしょうが、「保守契約」のなかった曖昧な無契約状態のまま打ち捨てて来た罪は消えていません。

 それに、最初のこの玉虫色の曖昧さ、保守契約の点だけでなく金銭的にもはっきりしない宙ぶらの状態をかたくなに封印し、死守し、「公認会計士」の口出しを威嚇をもって退けた種子島氏と宮崎氏の姿勢に、何故? 何があるの? という不審の思いを抱くのは私ばかりではないでしょう。当時私が口出ししようとしても露骨に不快な顔で拒絶されました。

 種子島氏は会長になるや、コンピュータは動いている、問題はなにもない、と待っていましたとばかりに一早く宣言しました。そしてFAX通信にそのような意味の一行を入れておけ、と、事務局員に命じて、急遽一文が挿入されました。

 動いていれば問題がないということにはなりません。いつ動かなくなるかもしれない、それに対する用意ができていないまゝに放置されていた責任が問われているのです。

 じつは「遠藤報告書」には注目すべき記述があります。平成14年2月会社はサラリーマンK氏のソフトを継承しての作成は困難と判断し、独自システムの構築を提案しますが、宮崎氏は従来の機能を維持することをくりかえし主張しました。

平成14(2002) この頃種子島副会長は事務局長に対し、①旧システムをベースせず、全く新しいシステムを構築する、②ユーザー(つくる会)側の要望を一本化し同事務局長が折衡の窓口になることを事務局長に指示(宮崎事務局長は「記憶にない」)。

 種子島氏は海外に行く前に①②を言い置いて行ったのに事実はその通りになっていなかったと後で主張しています。二人のうちどちらかが嘘をついていることは明かです。

 「遠藤報告書」の第一稿がほゞ出来たとき、それを藤岡氏が種子島氏に伝え、種子島氏は「経緯はその通りだ」と応じ、ただし自分はこう言い置いて海外に行ったのに宮崎氏が守らなかった、と平成17年10-11月頃に証言し、この①②が報告書につけ加えられた、というのが真相です。

 平成14年3月に試みに第一次納品がなされましたが、二人の女性オペレーターがファイルメーカー使用の従来の機能が反映しておらず、不満を表明し、相談の結果ファイルメーカーを使用した折衷案で行くことになったそうです。会社はファイルメーカーを使用したことがないので分らない、と言っていたそうですが、オペレーター側の要望に妥協したようです。

つづく

続・つくる会顛末記 (六)の3

続・つくる会顛末記

 

(六)の3

 以下、富樫氏から最近私が聞き書きし、同時に重要な個所をご自分の筆でメモを書いてもらいましたので、両方を用いて叙述します。

 富樫氏は宮崎氏にいくら聞いても埒があきません。宮崎氏も「あなたがそんなに疑問があるなら、自分で業者に直接聞いてくれ」と言い、一緒に心配する風はない。つまり、宮崎氏はこの額にびっくりしていないのです。

 彼女は大変なことになったと考え、コンピュータ会社の業者に会う前にソフトに詳しい専門家の意見を聴取したいが、第三者に内情を知られるわけだから、田中英道会長(当時)に電話で知人のソフト専門家に調査を依頼してよいかと尋ねた処、「どうぞ、どんどんやって下さい」とのことで、はっきり覚悟ができて、小林図南(となみ)氏にたのみました。調査は1月21日に行われ、「システム環境報告書」と称され、1月27日の理事会に提出されています。どうかこれをクリックしてよく読んで下さい。1728万円を請求されたコンピュータソフトの能力に関する、第三者による査定、一人の専門家の判定です。

 平成15年1月17日、富樫氏は直接業者に会って質問をする場がセットされました。小林図南氏の報告書はこのとき間に合いませんでしたが、ともかく会社の担当者に面談したのです。なぜかその場に種子島氏が出て来ていました。

 以下富樫氏の文章です。

当日、種子島財務担当理事、宮崎事務局長も同席した。両名は、始終業者寄りの発言をし、ことごとく私の疑問を否定して、つくる会側の利益を代表するのではなく、まるで業者側の者であるかと錯覚するぐらい業者側の立場に立った発言であったので、私は、これまた驚愕の事態で、一体全体どうなっているのか一瞬わけがわからなくなった。

① 本来、契約条件は明確にして取引されるのが通常であるのにすべてが口約束ですすめられていることの異常性、
② この契約が相見積もりを取って選定し、決定したものでない随意契約で、しかも事務局の関係者に由来する契約であること、
③ つくる会にとっては相当な高額投資の案件であること、
④ 当初発注のSQLシステム仕様になっていないものが納入され、半素人が作成した従来のソフトに比して機能の向上が全くない同じものに1000万以上の投資額にのぼることをどのように解釈するべきか、
⑤ ①~⑤の疑問について宮崎事務局長、財務担当理事の種子島氏が全く私と見解を異にして、しかも私の疑問を種子島氏は、頭ごなしに業者の前で面罵したことにこの取引の不可解さが一層増した。

 それから面罵されたときどんな対話だったかを思い出して、富樫氏には以下の通り補足しています。よほど腹に据えかねたのだと思います。

 その時の応接室で業者と宮崎氏の前で種子島氏から言われたことは、以下のとおりです。

① 「あなたには会計のことは頼んでも、このようなことは頼んでいないので口出しするな。」
これに対して私は、このような投資に係わる契約は会の財産の変動を及ぼす事項であり、これは、まさしく会計領域に属しますと反論いたしました。

② 「ソフト開発というものは、当初予算よりオーバーするものであり、通常起こりうることだ。私がBMWの社長時代の10年程前に、当初3000万円の投資が5000万円になった契約をした経験がある。この金額が高いものではない。」と発言した。

③ 「財務担当の私に一番に相談すべきなのに、私の頭ごしに、田中会長、西尾名誉会長に相談するとはなにごとか。ビジネスの世界では、根回しというものがあることは、あなたは、知らないのか。女であってもそれくらいの常識は、知っているでしょう。」と言われてしまいました。

 今まで、種子島氏に相談しても、なにかと意見が違い私の進言を聞き入れてくれなかったので、直観的に、種子島財務担当理事をとうさず、田中会長、名誉会長に相談したことを不服として仰ったものと思います。

 日本の社会で「公認会計士」とは地位の高い、ビックな存在です。女性だからと思ってなめたのか、大変な侮辱です。彼女は企業その他で数多くの仕事をこなしていますが、「つくる会」ほどひどい扱いをした例はほかにないでしょう。

 1月27日に富樫氏は「新会員管理システム移行取引について」の文書を理事会に提出。小林図南氏の判定を添付しました。2月10日にも「同文書の理事会決定事項への提言」を出し、会計士としての道理ある正義の立場を貫こうとしました。

 しかし彼女は理事会には出席できません。代りに私がこの取引の異常性を訴えました。契約書もなにも揃っていなかった不始末、相見積りをとっていない努力不足、金額が高すぎること、契約は全面的に破棄すべきことを訴えました。私は二度の理事会で数字をあげ、書類をかざして叫んだのですが、そのつど会議室はシーンと静まり返って、なにも起こりません。

 種子島氏に全面委任、事務局長を今さら困らせることはできない、という沈黙で、静まりかえって誰もことばを発する人がいません。たゞ素頓狂な発言をとつぜんした人が一人いるのではっきり覚えています。

 高森氏が、「でも契約書も、請求書も、見積書もみんな後から追っかけて、富樫さんに作ってもらって、みんな間に合ったんでしょう。じゃあ、いいじゃないですか。」

 藤岡氏は財務の一件になるといつも完全に沈黙します。後で人から聞きましたが、「西尾氏がコンピュータのことで騒ぐのは、田中会長を困らせ、追い落とすための工作だ。」こんなことを言ったというのです。

 私が声を大にして叫んでもビクともしなかった会の空気、しめし合わせて私の質問を封じた壁のような抵抗――その背後に何があるのかいまだに私には分りません。

 読者の皆さんは、この「名誉会長」は我侭で、好きなように会を動かして来たといわれ、それを信じているようですが、コンピュータ問題に関する限り、てこでも動かぬもの、どうやっても開かない「開かずの扉」の前で私ははね返されました。誰が何を隠しているのか、私にはいまだになにも分りません。

 しかしこの謎がずーっとつづいていて、それがオペレーターのMさんを立往生させた平成16-17年のシステムの不具合の連発につながってくるのです。

つづく

続・つくる会顛末記 (六)の2

続・つくる会顛末記

 

(六)の2

 コンピュータ関係の専門の会社に依頼したのですが、それが平成13年10月でした。私が1000万円以上かかると聞いたのが平成14年11月頃、会が正式に「総額1728万円、月額(17万円)保守料」の仮契約書を提示されたのが平成15年1月で、つまり依頼が開始されてから金額提示までに1年以上かかっております。

 その間にオペレーターが今まで使っていたファイルメーカーを踏まえた上で、今以上に使い易くレベルアップしてほしいといい、あゝだ、こうだと新しい注文をつけ、時間がかかり、会社側の人件費がかさみ、えらい金額になったというのです。それにしてもおかしい。

 ファイルメーカーを止めさせて完全に新しくするか、ファイルメーカーをその侭使用しつづけるか――二つに一つが常識のはずです。そのことをきちんと教えない会社側も悪い。こちらは素人の集団で、事務局長は何にも分らないのですから、オペレーターの要求に合わせていけば人件費が最後いくらになるとかきちんと予め言うべきです。

 事務局長も問うべきだし、計算を口頭で言い合うのではなく、計算書を交すべきです。大体、複数の企業に依頼して、相見積もりをとって安い方にきめるのが常識ではないですか。クライアントの責任者である宮崎氏は余りにトンチンカンでした。大工を入れて自宅を改造するときだって口頭の約束で工事をすすめるなんてことはありません。これから述べますが、相見積もりをとるチャンス、契約を止めて別の会社に乗り換えるチャンスは他に幾度もあったはずです。

 私が伊藤哲夫氏に、12月1日のあの電話のときですが、「宮崎さんは実務社会で生きた経験がない。奥様の実家が財産家で、自分の印鑑を捺して不動産を買ったりローン契約を結んだりした経験もない。コンピュータ問題でもろに欠点が露呈した。」という意味のことを言ったとき、彼はこういう言い方に激昂したのです。尊重すべき昔の同志が侮辱されたと思ったのでしょう。ですが、日本政策研究センターが同じ目に遭ったら、彼はそれでも尊重しつづけるのでしょうか。

 先日ある人がDELLのデスクトップを使えば、会員管理システムなんか10万円でお釣りがくると言っていました。それはともかく、上等のソフトでも100-300万円程度を越えることはないというのが常識で、そのことを発注前にしらせ、この会社は止めた方がいい、安いのがいくらもあると警告していた人がいるのです。それが会の経理を見ていた公認会計士富樫女史でした。

 平成13年11月にファイルメーカーとまったく別の新しいシステム、高度の内容を盛り込んだSQLシステムを構築する約束で、会社側は自社の見積りを提示しました。最初それが750-900万円で、富樫氏は高額投資になるので他社との相見積りを取ること、執行部ならびに種子島財務担当理事の承認を得ることを進言しました。

 「つくる会」事務局再建委員会の「会員管理システム問題にかかわる調査報告」(平成17.11.12)、遠藤浩一氏が努力なさったので俗にいう「遠藤報告書」によると、種子島氏は口頭でこれを了承、相見積りの件は無視したようです。宮崎氏はともかく慎重にと思い、友人に見積りの妥当性を問うと、「会社との契約であれば安いし、妥当」との回答を得たので、踏み切ったと言います。

 ある人が「普通こういうのは100万までという答えが返ってくると思いますが、1000万の発注をするのに相見積りを取らないでいいのか、安く上げようとする努力が見受けられないではないか」(ブログ Let’s Blow! 毒吐き@てっく「作る会よ(元・現)いい加減にしろ!」参照)と言っていますが、宮崎氏が種子島氏に富樫氏の進言を伝えなかったとしても、実務家の種子島氏が相見積りを取るべきと自らここで立ち止まって考えべきではなかったですか。

 約1年半たって平成14年11月頃にソフトは完成し、納入されました。しかし約束していた高度なSQLシステム仕様ではなく、サラリーマンのK氏がサイドビジネスで作ったソフトとなんら機能的に変わらないものでした。富樫氏は経理の担当者として、契約書等の提示を求めましたが、一連の取引契約書類が一切なく、すべてが口頭で進められていたことを知り、唖然としました。そのときの代価提示類は、これまた口頭で1000万円程度と聞き、高額なので執行部の承認を求めるよう指示しました。

 私が富樫氏から「大変なことが起こっている」と伝え聞いたのは丁度この時期です。半素人のK氏がつくったのと機能的に大差ない代物がなにゆえにこんなに高額なのか、常識的に考えても納得がいかないので、彼女は早く契約書、見積書、請求書明細などを提出するように指示したのですが、とにかくなんにも揃っていません。

 年が明けて平成15年1月となり、仮契約書類が入手されましたが、「総額1728万円、月額17万円(保守料)」に富樫氏はびっくりし、「これはどうしたことか」と宮崎氏に問うたそうですが、彼は答えられない。

つづく