春の近況報告

 4月29日、春の叙勲で瑞宝中綬章というのを頂きました。御祝辞、御激励に厚く御礼申し上げます。

 本年5月に予定されていることを以下に列記します。

 『人生について』と題した新潮文庫の5月新刊が出版されました。解説は伊藤悠可氏です。この本はすでに皆さまご存知の『人生の深淵について』の同一本です。「長寿について」という一文を新に書いて「あとがきに代えて」としました。

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 連載続行中の『正論』の6月号(5月1日発売)ではまたまた連載を休みました。代わりに「中国、この腐肉に群がるハイエナ」(30枚)を書きました。ハイエナは西欧諸国のことで、とりわけイギリスのことです。ロンドンのシティを論じました。

 5月4日(月)午後8:00~9:55(BSフジ生放送)の「プライムニュース」に出演します。テーマは「昭和を創った人たち――三島由紀夫」で、共演者は村松英子さんです。約2時間に及ぶ番組で、時間を気にせずかなり話せると思います。三島の自決と日本の核武装断念の関係について語ります。

 5月6日(水)の私の「GHQ焚書図書開封」(日本文化チャンネル桜)の時間帯に「GHQ日本人洗脳工作の原文発掘――関野通夫氏と語る(一)」を放送します。

日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 (自由社ブックレット) 日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 (自由社ブックレット)
(2015/03/11)
関野通夫

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(二)は5月20日です。話題をよんだ「自由社ブックレット」の関野著「日本人を狂わせた洗脳工作――いまなお続く占領軍の心理作戦」をめぐって行われた対談番組です。翌日にはYou Tube になります。

 5月後半に私の全集第11巻『自由の悲劇』(第12回配本)が刊行されます。共産主義の終焉、ソ連の消滅という1989-91の劇的事件にそのつど私が心震わせ、歴史と未来を論じた一巻です。今の情勢はすでに予言されています。

 加藤康男著『昭和天皇、七つの謎』の書評を産経新聞に出します。

 私の全集の新しい内容見本が作成されます。全集はいま半分を越え、残りの11冊をどう読んでいたゞくかの大切な岐路に立たされています。

慰安婦と朝日新聞問題をめぐって

 8月5日に朝日新聞が慰安婦強制連行説の虚報を認めて以来、9月11日の社長の謝罪会見を経て今日までに、私は当ブログにはこれに関連する見解を発表していない。沈黙していたわけではない。沈黙したとしても引き出され、どうしても書かされるのが運命で、以下にまとめると今までに次のような発言をしているので、まとめてみる。旧作の再録もあった。

『正論』10月号―― 「次は南京だ」(これは良い題ではなかった。「朝日新聞的なるもの」に改めたい)

『正論』11月号――「ドイツの慰安婦と比較せよ」

文藝春秋臨時増刊 『朝日新聞は日本人に必要か』――「ドイツの傲慢、日本の脳天気」「朝日論説の詐術を嗤う」(1997年『諸君!』から二篇再録)

WiLL臨時増刊 『歴史の偽造!』――「外国特派員協会で慰安婦問題を語る」

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 以上のうち『正論』10月号「朝日新聞的なるもの」は近くここに掲示可能となる。

 今後の予定は、
 つくる会編 『史』に「外務省が逃げている戦後最大の外交問題」

 『WiLL』12月号 予定として、戦後の個人補償におけるドイツとの比較論の中で慰安婦のテーマが浮かび上った1995年-1997年頃の朝日の異様な意識操作について考えてみる。

「正論」連載「戦争史観の転換」について

 「週刊新潮掲示板」(2014年6月26日号)に次のようなおねがいを掲げた。多分、返事を言ってこられる方はいないだろう。

 ここは小さな簡単な探しものは効果をあげるのだが、そういう材料は今なにもないのに、何か出さないかと言われて仕方なくこんな掲示を作った。勿論、ご返事の期待は非常に少ないが、諦めてはいない。

 私はいま月刊誌『正論』に『戦争史観の転換』と題した30回予定の大型企画を連載中で、日米戦争の背後に西欧五百年史、中世・近世の歴史の暗部とのつながりを発掘し、近現代史観の克服を試みている。ペリー来航以後に米国の侵略意志を見る百年史観は今までにも多い。だが(一)五百年史観は戦前に大川周明、仲小路彰の例があるが、戦後に有力な論考があったら教えてほしい。(二)江戸の朝鮮通信使は朱子学の優位で日本人に教える立場であったのに荻生徂徠の出現で日本の学問が動いて立場が逆転した。この転換に詳しい適確な本を教えて欲しい。

 さて、その「正論」の連載だが、ようやく第二章「ヨーロッパ遡及500年史」の④が仕上り、7月1日号にのる。これで8回目である。前途多難である。

 第二章はスペイン中世のスコラ哲学とインディアスの関係が主たるテーマだった。次の第三章はまだ予定の段階だが、「近世ヨーロッパの新大陸幻想」と名づけるつもりだ。イギリス、フランス、オランダ等の17-18世紀が世界史を決めるのはアメリカ大陸への幻想からだった。第四章は「欧米の太平洋侵略と日本の江戸時代」、第五章は「『超ヨーロッパ』の旗を掲げたアメリカとロシア、そして日本の国体の自覚」・・・・・というような大よその方向を考えているだけで、その先はどうなるか分らない。各4節づつ全8章、全部で32回を計画している。

3月後半の「日録」

 3月中旬からの「日録」を綴ることにしたい。

 14日に高橋史朗氏の新著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』という長い題名の本の書評845字を書いた。産経新聞文化部に送った。

 この日安倍総理が河野談話の「見直し」はしないと明言した。日米韓の三国会談をひかえてのアメリカからの圧力があってのことに違いないが、やっぱりそうかとがっかりする。

 クリミア併合へ向けて急展開するウクライナ情勢を横目に見て、「正論」5月号の原稿を書く。20日の情勢まで入れて「ウクライナで躓いたオバマはアジアでも躓く」(30枚)を書き上げた。雑誌の要望で題を短くする必要があり、「無能なオバマは日中韓でもつまづく」に改めた。

 私の家は建てて早くも17年経ち、外壁と屋根を洗浄することになり、建設業者が出入りし始め、20日から3~4日忙殺される。こういうことが起こると落ち着かない。実際の工事は5月末に始まる。

 日本文化チャンネル桜が『言志』というネット雑誌を作っていたが、今度紙の雑誌としても出版することにしたそうで、その第一号のために「日本はアメリカからとうに見捨てられている」を書く。わずか8枚だが、一日かかった。

 3月24日夜、私の呼びかけで、関岡英之、河添恵子、坂東忠信、河合雅司(産經編集委員)に産經新聞社に集まってもらって、「日本を移民国家にしていいのか」を世間に訴える移民問題連絡会をつくった。

 5月に『正論』編集部主催のシンポジウムを開き、それを皮切りに「年20万人移民導入」という自民党案に待ったをかける。

 26日午后3時から福井義高氏と対談。私の『正論』2、3、4月号の「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因」は私としては最近では最も充実した一作のつもりである。福井氏にコメントを付けてもらった。書きっぱなし、出しっぱなしではなく、一論文に、直接コメントで感想や異論を付けてもらうのはありがたい。編集長が同席し、面白いのでこれも雑誌に出した方がいいと仰有ったが、どうなることか。

 福井義高氏は欧米の現在のジャーナリズムや学会における第二次世界大戦観について幅広い知識に通じている。西尾の考え方はその中に位置づけてみると異端どころかむしろ正統派に属するのだ、といつも言っている。この点を検証してもらうのがポイントだ。

 27日前橋市に赴き、群馬正論懇話会の講演会で「歴史の自由を取り戻せ」と題して1時間30分語った。翌日新聞に出た内容案内を記しておく。

 西尾氏は、第二次世界大戦を戦った日本を「欧米列強の侵略を免れた唯一の国」とし、「欧米は侵略に『NO』を突きつけた日本を『悪』と決めつけた」と主張。「今もその流れは続いている」と自身の歴史認識を示した。

 安倍晋三首相は平成5年の「河野談話」の見直しを否定したことについて「アメリカの影響があった」とし、「アメリカは中国と韓国を利用して、自らが築き上げた戦後秩序を何としても守ろうとしている」と主張。「米政府は首相の靖国神社参拝に『失望』を表明したが、日本政府も中国の民主化に熱心でない米政府に失望したというべきだ」と訴えた。

 28日新潮社編集部と会談した。私の単行本『天皇と原爆』が8月に文庫化される件について話し合い、巻末解説に渡辺望氏をお願いするかねての提案が確認された。

 28日日本文化チャンネル桜でも移民反対キャンペーンを展開したいとの私の提案について、全面的に了解される。水島氏側でも同様の計画をもっていたらしく、4月以後のスケジュール調整をした。

 お花見のお誘いを各方面からいただいているが、参加できない事情は以上のような過密スケジュールのゆえであり、了承されたい。3月31日付で「GHQ焚書図書開封 ⑨」の『アメリカからの宣戦布告』が出版された。

慰安婦、オバマ、ウクライナ、フランクリン・ルーズベルト、日米開戦史

 3月14日に安倍首相は正式に河野談話の見直しはしないと表明した。その少し前に菅官房長官が談話の成立過程を政府内研究会をつくって検証すると言った。ワシントンのサキ報道官はこれを承けて首相の決定を「前進」と評価し、今後とも歴史問題を解決するよう日本政府を促していくと語った。すると菅官房長官は日を置かずに、談話の「検証」はするが、その結果いかんに拘わらず「見直し」はしないと重ねて強調した。

 日本ではみんな穏和しくしているが、これは大変な決定である。日本の名誉はこれで永久に救われないことになる。外地で慰安婦像の撤去のための地味な運動をしている日本人愛国者たちに、安倍さんは会わせる顔がないだろう。

 オバマ訪日を前にしてこの動きがきまっていくプロセスのかたわら、ウクライナ問題が進展し、クリミアのロシア支配が決まった。

 私が当ブログの更新を怠っているときというのは、雑誌〆切りの原稿に没頭しているときと思っていたゞきたい。慰安婦、南京、侵略概念という日本を苦しめる歴史のテーマと、ウクライナでアメリカが有効な手を打てず無力をさらし、中国が西太平洋を狙って不気味な沈黙を守っている情勢とはぜんぶつながっている。

 私は『正論』5月号(4月1日発売)に「無能なオバマは日中韓でもつまづく」という論文を出した。これは表紙に出る文字で、目次は少し違って、「ウクライナで躓いたオバマはアジアでも躓く」である。本当は後者が私の立てた題である。長過ぎて表紙に用いるのに具合が悪いので前者の題にしたと編集長が言った。

 私は慰安婦=河野談話問題とウクライナ=オバマ問題を一つながりのテーマとして扱ったので、毎日動いていくニュースを追う関係で時間がかゝり、当ブログはしばらくお休みになった。

 もう一つのより大きなテーマをこの論文にからめている。その話を少しさせて欲しい。フランクリン・ルーズベルト大統領の対日開戦の責任と中国を共産国家にしてしまったアメリカの戦後処理の失敗責任について、アメリカでも研究や議論が進展している。気鋭の歴史家・渡辺惣樹氏の『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(2013、草思社)は新しいアメリカの歴史の見方を紹介している重要な著作である。

 ところで私の「GHQ焚書図書開封 9」『アメリカからの「宣戦布告」』は3月のうちに全国の書店に出始めている最新刊で、アマゾンではもう売り出されている。渡辺さんの本と私の本とは結論が近づいている。それは何を意味するか。

 日米開戦の責任をめぐる戦勝国の今の認識と敗戦国の当時の認識が接近してきたのである。敗戦国の見ていた歴史の真相を戦勝国も70年経って認めざるを得なくなってきたのである。

 当ブログの読者の皆様へ申し上げたい。『正論』5月号にすべて詳しい、突っ込んだ分析を展開されていますので、まずそちらを見て下さい。当ブログは私の考えの展開の場ではなく、私の活字世界の活動のご紹介の場です。

 私の考え方を正確に知っていただきたいので、以上のようにお願いする。

年末のお知らせ――講演の始末、その他

 12月8日の私の講演「大東亜戦争の文明論的意義を考える――父祖の視座から」について、ご所見をお寄せ下さる人が多数にのぼり深謝にたえません。その後あの講演を文字化し、プリントして、自ら再検証した処、話はあちこちに飛び、論旨に不明なところもあり、赤面の至りでした。聴き手の皆さまにご迷惑をお掛けしたと痛感しています。あんな不完全なスピーチからよく本意を汲み取ろうとして下さったと、申し訳なく思っております。

 そこでご報告します。あの講演は400字詰で120枚ありました。三分割し30枚論文を三篇作成し、『正論』2月号(12月25日発売)から「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因」(上)(中)(下)と題して掲載します。余計な処を削除し、新しい表現も加え、筋を明確に辿れるものに新装いたしますので、あらためて読んで下さい。

 加えて、日本文化チャンネル桜の私の「GHQ焚書図書開封」の時間帯に、同講演をやはり三回に分けて放映いたします。放映日は1月8日、22日、2月5日で、いずれも翌日にはYou Tubeにあがります。

 これらに伴い、私の『正論』連載「戦争史観の転換」と日本文化チャンネル桜の「GHQ焚書図書開封」通常番組は、その間休止させていただきます。いずれもしっかり連載の準備の勉強をしたいという思いからであり、急がず慌てず、前へ着実に進めるための一助になろうかと考えています。

 「GHQ焚書図書」⑧『日米百年戦争』はご好評をいただいていますが、今後の計画は、来年中に⑨『対日石油禁輸と経済封鎖の真相』、ならびに⑩『水戸学物語』です。

 『WiLL』1月号の六人座談会の「柳条湖事件の日本軍犯行説を疑う」後篇が当然2月号に期待されたはずですが、出ていません。私にもまだ不掲載の編集部からの理由説明は届いていません。残念ながら「遺憾」としか申し上げられないのが現段階です。

11月の私の仕事・お知らせ

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
坦々塾事務局(中村) 携帯090-2568-3609
     E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
  

 『WiLL』1月号(11月26日発売)に私が関係する仕事がたまたま二本載る。私の単独の評論(1)は決していい題ではないが、花田さんに押し切られた。六人関与の現代史研究会の討論原稿(2)ははるかに重大な内容である。分量が多いせいもあって5ヶ月待たされてやっと掲載される運びになった。今月のは前半である。

(1) 「17歳の狂気」韓国
 バスジャック犯を念頭に置いている。東北アジアを銃砲火器をもつ暴力団に囲まれた一台のバスと見立てている。仲間と思っていたバスの乗客の一人がとつぜん理性を失った。そういう譬えで語られている。

(2) 柳条湖事件日本軍犯行説を疑う
 西尾幹二・加藤康男・福地淳・福井義高・柏原竜一・福井雄三

 この現代史研究会の討論はかっては四人であった。討論は『歴史を自ら貶める日本人』(徳間書店)という一冊の本にまとめて本年世に送り出した。今回から6人体制とする。

 今回の討論の主役は加藤康男氏である。氏は張作霖爆殺事件をひっくり返す画期的な本を出して山本七平賞奨励賞をもらっている。

 私は戦後の日本史学者のやったことは100パーセント疑わしいと思っているので、これに断固として挑戦している人が出てくるとともかく嬉しい。加藤さんを応援するし、ここで彼の仕事の口火を切ることができたことは光栄である。私はコーディネーター役に徹している。

 『正論』1月号(12月1日発売)には私の連載が掲載される。

(3) 戦争史観の転換 第6回「ヨーロッパ500年遡及史」②
 本日やっと校正ゲラを修正して戻した。毎月30枚である。30回連載される予定である。だから思い切って歴史展望の尺度を大きくしている。

 今回はポルトガルである。誰も考えたことがない、知られていない中世以来のポルトガル史にわが近現代史を解く鍵の一つがある。これを精密に追い、かつ面白い読み物として語っている。

 ヴァスコ・ダ・ガマがニュルンベルク裁判や東京裁判に深く関係しているなどと誰が考えたであろう、と今ひとりほくそ笑んでいる。スペインのインカ帝国、アステカ帝国破壊史はよく知られているが、ポルトガルのことは本当にあまり知られていない。

 今月はほかに全集第9巻「文学評論」の再校ゲラの戻しをした。大変な分量であった。

 12月10日ごろに思い切った長い表題の新刊の単行本も出すが、次回に詳しく報告する。

西尾幹二全集第8巻『教育文明論』の刊行

 いま私の生活の最大部分を占めているのは全集の刊行と正論連載である。この二つを仕上げるために他の小さな仕事は次第に縮小せざるを得ないと思っている。

 全集は資料蒐集つまりテキストの確保にはじまり、編成、校正、関連雑務とつづく。正直、息が抜けない。

 今月20日にようやく第8巻『教育文明論』が上梓される。何のかんのと言っているうちに8巻まで来て、三分の一を過ぎた。

 月報は天野郁夫氏(東大教授)と竹内洋氏(京大教授)の二人の教育社会学者におねがいした。このご両氏と侃侃諤諤の議論をし合った往時(1980年代)が懐かしい。

 まず目次をご覧いたゞきたい。私の45歳から55歳にかけての脂ののり切った10年間の全エネルギーが「教育改革」の一点に注がれたのである。

目 次

Ⅰ 『日本の教育 ドイツの教育』を書く前に私が教育について考えていたこと

 今の教師はなぜ評点を恐れるのか
 九割を越えた高校進学率――もう一つの選別手段を考えるべきとき
 教育学者や経済学者の肝心な点が抜けたままの教育論議
 わが父への感謝
 競争回避の知恵と矛盾
 文明病としての進学熱――R・P・ドーア氏の講演を聞いて

Ⅱ 日本の教育 ドイツの教育

 第一章 ドイツ教育改革論議の渦中に立たされて
 第二章 教育は万能の女神か
 第三章 フンボルト的「孤独と自由」の行方
 第四章 大学都市テュービンゲンで考えたこと
 第五章 世界的視座で見た江戸時代以降の教育
 第六章 進学競争の病理
 第七章 日本の「学歴社会」は曲り角にあるか
 第八章 個人主義不在の風土と日本人の能力観
 終 章 精神のエリートを志す人のために
 あとがき
 主要参考文献

Ⅲ 中曽根「臨時教育審議会」批判

 自己教育ということ――『日本の教育 智恵と矛盾』の序
 どこまで絶望できるか
 「中曽根・教育改革」への提言
 経済繁栄の代価としての病理
 矛盾が皺寄せされる中学校教育
 校内暴力の背後にあるにがい真実
 臨教審、フリードマン、イヴァン・イリッチ
 「教育の自由化」路線を批判する
 「競争」概念の再考
 教育改革は革命にあらず――臨教審よ、常識に還れ――
 再び臨教審を批判する
 臨教審第二部会に再考を求める
 臨教審第一次答申を読んで
 なぜ第一次答申は無内容に終わったか
 「自由化」論敗退の政治的理由を推理する
 文教政策に必要な戦略的思考
 「臨教審」第二次答申案を読んで
 大学間「格差」を考える
 飯島宗一氏への公開状
 臨教審最終答申を読んで

Ⅳ 第十四期中央教育審議会委員として

 講演 日本の教育の平等と効率
 西原春夫前早大総長への公開質問状
 大学審議会と対立する中教審の認識
 中教審答申を提出して
 有馬朗人東大学長への公開質問状

Ⅴ 教育と自由 中教審報告から大学改革へ

 プロローグ
 第一章 中教審委員「懺悔録」
  第一節 指導者なき国で理想の指導者像は描けず
  第二節 「教育改革」論議はなぜ人を白けさせるのか
  第三節 答申から消された文部省批判
 第二章 自由の修正と自由の回復
  第一節 「 格差」と「序列」で身動きできない日本の学校
  第二節 文部省文書のスタイルを破る
  第三節 公立学校と私立学校の宿命的対比
  第四節 入学者選抜は「大学の自治」か
  第五節 なぜ地獄の入口に蓋をするのか
 第三章 すべての鍵を握る大学改革
  第一節 混沌たる自由の嵐を引き起こすために
  第二節 私の具体的な大学改革案
  第三節 “競争の精神(アゴーン)”を忘れた日本の学問
 終 章 競争はすでに最初に終了している
  第一節 誰にでも開かれているべき真の自由
  第二節 効率から創造へ
 付 録 学校制度に関する小委員会審議経過報告(中間報告)抄録

Ⅵ 大学改革への悲願
 大学を活性化する「教育独禁法」
 講演 大学の病理
 有馬朗人第十五期中教審会長にあらためて問う

Ⅶ 文部省の愚挙「放送大学」

後 記

「侵略」非難は欧米の罠にすぎぬ

 月刊誌『正論』9月号(今店頭に出ている)に、「日本民族の偉大なる復興」(下)の「『侵略』非難は欧米の罠にすぎぬ」を発表しました。この論文はかなり野心的で、新しい考え方を掲げることを企画している内容のつもりです。(上)(下)読まなくても(下)だけでもいいので、これを読んだ方にこれに即してコメントしていただけたら大変にありがたい。

 ブログのコメントはブログにだけつけられるものでなく、活字現行にも応答していただきたいとつねづね考えています。よろしくおねがいします。

ひとこと申し上げる

 私はいま雑誌『正論』で始めた長篇連載「戦争史観の転換」に一番大きな精力を注いでいる。全部で30回、約1000枚近い予定である。

 最近はこのブログ「日録」のコメント欄にも書きこんで下さる人が多くなってよろこんでいるが、どうか『正論』連載の内容などをも踏まえて書いていたゞけるとありがたい。連載は始まったばかりだが、どんどん新しいことを言っている。6月号は2回目である。

 アメリカ革命やフランス革命はある時期に世界史にたしかに新しい価値をもたらしたが、それは人類の普遍的価値ではない。二つの革命が時代とともに人類に災いをひき起こした面もある。

 今でもまだ戦勝国のアメリカが日本に民主主義や自由の理念をもたらしてくれたと思っている人がいるが、それは正しくない。ヨーロッパの古い文明はまだ有効性をもっているかもしれないが、われわれはそれを必ずしも模範として学べばよいという時代ではない。いわんやアメリカはもう日本のモデルではない。

 最近若い人がアメリカに留学しなくなった。日本人が内向きになったからだという人がいるが、私は日本社会がもはやアメリカを手本にしてわが身を正そうとしなくなったので、若い人がアメリカに行っても得をしないと思うようになったためだと考えている。アメリカが世界の普遍性の代表ではなくなったのである。

 5月1日付の「日録」のコメント欄のいくつかに私は異和感を覚えたので、ひとこと申し上げ、どうか是非『正論』の私のアメリカ論をよんで下さいと申し上げる。

 私はアメリカを否定する者ではない。もっと距離をもって捉えるべきだと言っている。アメリカは「世界政府」志向のグローバリズムの帝国で、それに対し日本はどこまでも単一民族文化国家であり、異なる独自の価値観に生きている。

 世界のあらゆる文明はそれぞれが独自であって、特定の文明が優位ということはあってはならない。