村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第四回) /お知らせ

15)日本女性の服装(ヨーロッパにいる:村山注)が一番見劣りする。

16)日本の各地方都市は、いずれも小型東京であることを競い合っている。恐るべき画一主義。

17)観光化とはやはり歴史の「意識化」の一形式である。

18)トリノを世界でもっとも美しい都市とよんだニーチェ。

19)亡びるものは亡びるにまかせる感覚のないヨーロッパ人のこの過去への異常な執着心は、ひょっとすると、「自然」の暴威の前に裸身をさらすことのできない彼らの弱さに起因するのではないだろうか?

20)すべては自然のままに流されていく日本人の情緒的な生き方が、場合によっては外来文明との闘争を避けて通る有利な条件をも育ててきたのではないか。

出展全集第一巻 ヨーロッパ像の転換
15) P61上段より
16) P61下段より
17) P68上段より
18) P77上段より
19) P91上段より
20) P118下段より

日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

二週つづけてこの討論番組に出るのはテーマが緊急だからです。5月にはこのテーマのシンポジウムも計画しています。

番組名 :闘論!倒論!討論!2014

テーマ :亡国への道か?「移民大量受入」と日本(仮)

放送予定日 :平成26年4月12日(土曜日)20:00~23:00
         日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)
「Tou Tube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

パネリスト :50音順敬称略
  有本 香 (ジャーナリスト)
  小野寺まさる (北海道議会議員)
  河合雅司 (産経新聞論説委員)
  関岡英之 (ノンフィクション作家)
  西尾幹二(評論家)
  坂東忠信(元刑事・一般社団法人全国犯罪啓蒙推進機構理事)
  三橋貴明(経世論研究所所長・中小企業診断士)

司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

日本よ、今…闘論!倒論!討論!2014(350回目)

アメリカはいったいどうなっているのか?

放送予定日時:4月5日(土)スカパー217ch 20時~23時およびインターネット放送「So‐TV」

パネリスト 
 片桐勇治 (政治アナリスト)
関岡英之 (ノンフィクション作家) 
 田村秀男 (産経新聞社特別記者・編集委員兼論説委員)
 西尾幹二 (評論家)
 馬淵睦夫 (元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 三橋貴明 (経世論研究所 所長・中小企業診断士)
 渡邊哲也 (経済評論家)
 
司 会 水島 総 (日本文化チャンネル桜 代表)

日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

番組名:闘論!倒論!討論!2014

テーマ:「安倍外交とは何か?」

放送予定日:平成26年2月22日(土曜日)20:00-23:00
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So‐TV
「You Tube」 「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

パネリスト:50音順敬称略

 加瀬英明(外交評論家)
 関岡英之(ノンフィクション作家)
 西尾幹二(評論家)
 馬淵睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 三宅 博(衆議院議員)
 宮崎正弘(作家・評論家)
 宮脇淳子(東洋史家・学術博士)

司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

『新報道2001』出演のお知らせ

1月12日(日)放送『新報道2001』

ゲスト
*磯崎陽輔氏(内閣総理大臣補佐官)
*斉藤鉄夫氏(公明党幹事長代行)
西尾幹二氏(評論家)
*宮家邦彦氏(キャノングローバル戦略研究所主幹)
*冨坂 聰氏(ジャーナリスト)
*朴  一氏(大阪市立大学大学院教授)

靖国参拝の波紋と日米関係への影響

外交防衛課題で見る2014年安倍政権の行方は?

年末のお知らせ――講演の始末、その他

 12月8日の私の講演「大東亜戦争の文明論的意義を考える――父祖の視座から」について、ご所見をお寄せ下さる人が多数にのぼり深謝にたえません。その後あの講演を文字化し、プリントして、自ら再検証した処、話はあちこちに飛び、論旨に不明なところもあり、赤面の至りでした。聴き手の皆さまにご迷惑をお掛けしたと痛感しています。あんな不完全なスピーチからよく本意を汲み取ろうとして下さったと、申し訳なく思っております。

 そこでご報告します。あの講演は400字詰で120枚ありました。三分割し30枚論文を三篇作成し、『正論』2月号(12月25日発売)から「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因」(上)(中)(下)と題して掲載します。余計な処を削除し、新しい表現も加え、筋を明確に辿れるものに新装いたしますので、あらためて読んで下さい。

 加えて、日本文化チャンネル桜の私の「GHQ焚書図書開封」の時間帯に、同講演をやはり三回に分けて放映いたします。放映日は1月8日、22日、2月5日で、いずれも翌日にはYou Tubeにあがります。

 これらに伴い、私の『正論』連載「戦争史観の転換」と日本文化チャンネル桜の「GHQ焚書図書開封」通常番組は、その間休止させていただきます。いずれもしっかり連載の準備の勉強をしたいという思いからであり、急がず慌てず、前へ着実に進めるための一助になろうかと考えています。

 「GHQ焚書図書」⑧『日米百年戦争』はご好評をいただいていますが、今後の計画は、来年中に⑨『対日石油禁輸と経済封鎖の真相』、ならびに⑩『水戸学物語』です。

 『WiLL』1月号の六人座談会の「柳条湖事件の日本軍犯行説を疑う」後篇が当然2月号に期待されたはずですが、出ていません。私にもまだ不掲載の編集部からの理由説明は届いていません。残念ながら「遺憾」としか申し上げられないのが現段階です。

『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来た』の刊行

同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた 同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた
(2013/12/10)
西尾幹二

商品詳細を見る

 今月10日にこの新しい本を刊行する。表題には迷ったが、初めてこんな長い題をつけた。短い簡潔な題はいくら工夫しても意に添わなかったからである。

 テレビや新聞を見ていると、しきりに安倍首相の右傾化をアメリカは憂慮している、河野談話の見直しなどを日本政府が言い出したらアメリカ各界から総スカンを食う、などという声が聞こえてくる。むしろそうなってもいいではないか、という決意も必要だが、中国との関係が微妙な今、おそらく政府はそういう断固たる決意は示せないのだろう。

 テレビや新聞の圧倒的空気は、日本の今後の針路を従来路線の親米平和主義のままにしておこう、それでいける、という考え方である。これは「何もしないことなかれ主義」で、アメリカが日本を裏切るかもしれない可能性についても警戒ひとつしていない。バイデン副大統領が来日しても、民間航空機の対中国対応の日本との相違について、アメリカはいまひとつ煮え切らない。

 一説には、ケネディ大使は慰安婦謝罪と韓国和解を一方的に安倍さんに強制するのではないか、ということも言われている。韓国の日本侮辱に対する日本人の感情がないがしろにされるならば、恐らく反米感情が高まるだろう。ケネディさんはいい人だが、そういう人情の機微が分っている人なのかどうか、われわれには分からない。

 であれば、私のこの本の題は時宜に適っているのではないかと言いたいのである。「同盟国アメリカに」と最初につけたのは、私がただの「反米」ではないことを示したかったからである。私は本の中でも言っているが、「離米愛国」派なのだ。

 むかし朝日新聞を筆頭に日本の左翼は、反米で平和主義だった。ここでいう平和主義とは「何もしない」主義のことだ。今彼らはこの怠惰な、無気力で現状維持の、明日を考えない無責任な“ぬるま湯”イデオロギーを守るために、むしろ「親米」の旗を振るのだ。自分たちのこのイデオロギーを守るために、アメリカからの「外圧」を利用しようとするのだ。そうすると、日本の保守は腰くだけになる。そのことにNO!を言うのが、私の本の表題である。

 中身は次に示す「目次」でご判断ください。

目 次

まえがきに代えて
総理、歴史家に任せるとは言わないでください! 3

第一章 歴史の自由
同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来ている 12
「西洋の内戦」の歴史に日本はもう左右されないと世界に言うべき時ではないか 43
誤解したがる世界の目を日本人は静かに拒否する勇気を持つべきだ 71

第二章「悪友」たちとは交遊を絶て
妄想と狂気をはらむ国・韓国 88
日本が「孤独」に強くなる心得 111
中国に対する悠然たる優位 116
防衛と侵略の概念 121
中国は戦勝国ではない 123
恥ずべき「日中歴史共同研究」 126
韓国も台湾も中国の持ち駒 128

第三章「反日」の不毛と自己防衛
「反日」は日本人の心の問題 136
「反日」で呼吸が合うアメリカと中国 147
悪夢のような中国からの大量流民 155
在日中国人と中国本土の国防動員法 162
沖縄県民は中国人になりたいのか 164
「核シェアリング」のすすめ 167

第四章 息切れするアメリカ文明と日本
不可解な国アメリカ 170
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ 172
新英語教育考 189
百年続いたアメリカ独自の世界システム支配の正体 199

あとがきに代えて
総理、迷わずに「憲法改正」に向かってください! 211
初出誌紙一覧 221

 話変わるが、12月8日の講演会をもって今回が7回目を数える私の全集刊行記念講演会はいったん中断する。全集は1月に第9巻『文学評論』を出したあと、次は4月に第14巻『人生論集』に飛ぶ。

 第10巻から第13巻は、思想的に私の人生の中期に入り、何が起こっていたかを知るためにテキストの総整理をしなくてはならない。国立国会図書館に現在約800篇の私の大小さまざまな論考が所蔵されている。その中に私の忘れている、まだ単行本に収録されていない未確認論文が約2割はある。それらを全部点検し、本格的「全集」の名に値するものに編成しなくてはならない。講演会は一年くらいはお休みにさせていたゞきたいと考えている。そういうわけだから12月8日にはぜひお出かけたまわりたい。

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
坦々塾事務局(中村) 携帯090-2568-3609
     E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
  

11月の私の仕事・お知らせ

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
坦々塾事務局(中村) 携帯090-2568-3609
     E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
  

 『WiLL』1月号(11月26日発売)に私が関係する仕事がたまたま二本載る。私の単独の評論(1)は決していい題ではないが、花田さんに押し切られた。六人関与の現代史研究会の討論原稿(2)ははるかに重大な内容である。分量が多いせいもあって5ヶ月待たされてやっと掲載される運びになった。今月のは前半である。

(1) 「17歳の狂気」韓国
 バスジャック犯を念頭に置いている。東北アジアを銃砲火器をもつ暴力団に囲まれた一台のバスと見立てている。仲間と思っていたバスの乗客の一人がとつぜん理性を失った。そういう譬えで語られている。

(2) 柳条湖事件日本軍犯行説を疑う
 西尾幹二・加藤康男・福地淳・福井義高・柏原竜一・福井雄三

 この現代史研究会の討論はかっては四人であった。討論は『歴史を自ら貶める日本人』(徳間書店)という一冊の本にまとめて本年世に送り出した。今回から6人体制とする。

 今回の討論の主役は加藤康男氏である。氏は張作霖爆殺事件をひっくり返す画期的な本を出して山本七平賞奨励賞をもらっている。

 私は戦後の日本史学者のやったことは100パーセント疑わしいと思っているので、これに断固として挑戦している人が出てくるとともかく嬉しい。加藤さんを応援するし、ここで彼の仕事の口火を切ることができたことは光栄である。私はコーディネーター役に徹している。

 『正論』1月号(12月1日発売)には私の連載が掲載される。

(3) 戦争史観の転換 第6回「ヨーロッパ500年遡及史」②
 本日やっと校正ゲラを修正して戻した。毎月30枚である。30回連載される予定である。だから思い切って歴史展望の尺度を大きくしている。

 今回はポルトガルである。誰も考えたことがない、知られていない中世以来のポルトガル史にわが近現代史を解く鍵の一つがある。これを精密に追い、かつ面白い読み物として語っている。

 ヴァスコ・ダ・ガマがニュルンベルク裁判や東京裁判に深く関係しているなどと誰が考えたであろう、と今ひとりほくそ笑んでいる。スペインのインカ帝国、アステカ帝国破壊史はよく知られているが、ポルトガルのことは本当にあまり知られていない。

 今月はほかに全集第9巻「文学評論」の再校ゲラの戻しをした。大変な分量であった。

 12月10日ごろに思い切った長い表題の新刊の単行本も出すが、次回に詳しく報告する。

教育文明論 感想文・お知らせ

全集第8巻 感想文             浅野正美

全集8冊目の刊行となった本書には西尾先生が教育論について書かれた論文が一冊にまとめられている。既刊の全集中一番の大冊で、読了するのに毎日二時間を費やして三週間かかった。

冒頭から私事をお話する不躾をお許しいただきたいが、私は職業高校(商業科)を卒業してすぐに就職したため、大学というものがどういう社会なのかほとんど知らない。私が出た高校は学区内に八校ある公立高校の中で偏差値が下から二番目に位置していた。上位五校が普通科で、その下に工業科、商業科、農業科という序列になっていた。この固定化された階層は現在でもまったく変わらないのではないかと思う。

私が本書を読んで最初に驚いたのは、西尾先生が我が国の6・3・3・4の単線型教育システムの成果を大きく評価していることであった。門閥、貧富に関わりなく、能力と努力の結果によって平等に人間を選抜するこのシステムが、明治以降の国力増大に果たした役割を真正面から評価しているのである。これによって従来下層階級で教育の機会すら奪われてきた国民からも優秀な人間を発掘し、高度産業社会に貢献しうる人材に育て上げることができたということである。

私はかねがね三十数年の社会人生活を通して、教育というものがいかに不合理で不経済なものかということを痛感していたため、ドイツのような複線系の教育制度こそがその無駄から逃れる唯一の方法ではないかと考えていた。

私の勤務する小商店においても年々四大卒者の占める割合が増えてきたが、そのだれもが、本はいうに及ばず、新聞すら読んでおらず、まともな文章一つ書けない。経済学部を卒業しているにも関わらず為替や株式の値動きの理由を説明できず、仏文科を出ていながら、学生時代にバルサックもスタンダールも読んだことがなく、独文科を出ていながら、マンもゲーテも読んでいない人間ばかり見てきた。法政、中央、國學院といった一応は名の通った大学を卒業していながら、少なくとも私の勤務先に入って来る人間はみな例外なくこの程度なのである。大学とは一体何をしにいくところなのであろうか、この程度の人間に卒業証書を与えることが許される大学とは何のために存在しているのか、という問いが長い間私の中の大きな疑問であった。

大学教育にかかるコストが相当に家計を圧迫しているのにも関わらず、今や四大進学率は50%にまでなった。しかし、真に学問を修めるという目的を持った学生はその中のほんの一握りでしかなく、大半の大学生は社会に出るまでのモラトリアムとしての時間をただ無為に過ごしているように思われる。ある人は労働需給のアンバランスを解消する緩衝地帯として進学率向上を評価するが、それこそ本末転倒ではないかと思う。

こうしたどうしようもない大卒者ばかり見てきた私は、必然的に大学入学者の大胆な削減こそが問題解決に繋がるのではないかと考えてきた。大学教育に投資されている莫大な金銭は、直接の授業料だけでも年間数千億円にもなろうが、そのほとんどは何ら効果を生まない捨て金となっているという現実がある。もちろん授業料として支出された現金も国内で循環することによってGDPを増大させる効果はあるが、もっと直接的に消費財に回した方が国家経済への貢献も大きいのではないかと思う。私の考えでは、大学教育を受けるに値する人間は、今の大学生の中では十人に一人もいないと思う。真に高等教育を受けるに値しないような若者が大挙大学に押し寄せるという現状は何か不気味ですらある。

西尾先生も本書で再三指摘されているように、企業は採用する学生に大学で何を学んできたか、だれに教えを受けてきたかということを、少なくとも文系学生に対してはまったく問わない。法律を学ぼうが、経済や文学を学ぼうが、企業に入れば例えば営業マンとして働かされる。企業が見ているのは大学名だけだ。そうした新卒者は、企業内で無垢の状態から教育され、企業それぞれの社風に染められていく。私でも何かがおかしいと思う。

教育には無知が持つ闇から人間を解放するという崇高な使命もあったと思う。迷信や差別、迫害、詐術、風水、占い、新興宗教といったものは、人間の精神が抱く不安や恐怖といった心の闇につけ込んだ愚劣で非合理的な存在である。それだからこそ、人間は学問の習得を通して真理に近付き、こうした非合理的な思考を克服していかれると信じてきたのではないだろうか。しかし、世間を見渡して見れば、未だに多くの人間がこうした前近代的ともいえる闇から抜け出せずにいる。教育を受けることによってのみ得られると信じられた論理的に考え、合理的に判断するという行動規範が社会にしっかり根付いているかといえば、はなはだ心細い限りだ。さすがに錬金術や魔女狩りといった中世暗黒時代からは脱却できたものの、ここにも今日の教育の持つ限界を見て絶望的な気分になるのである。

西尾先生が6・3・3・4制を高く評価していることは先にも述べたが、その必然的な弊害についても率直に語られ、それに対する具体的な改善策も提示されている。弊害とは、東大を頂点とするピラミッド型のヒエラルヒーであり、戦後ますます強固になったこうした大学のランキングの固定化である。それはもはやテコでも動かない頑丈な構築物のように崩れないどころか、ますます強くなっている。人生における競争を受験一つに集約することの弊害。大学入学に向けた熾烈な競争を強いられている高校生の過重な負担。十八歳で輪切りにされてそれ以降交わることが極めて少なくなる実質的な身分制度。大学や企業における無競争のしわ寄せが高校生に無用の負担を強いている、等々。

西尾先生は本書に収録されている『「中曽根・教育改革」への提言』の中でこうした問題の本質的な原因を掘り下げているので以下に引用してみたい。

入学時点での大学名が個人の属性として一生ついてまわる日本人の「学校歴」意識・・・

日本の「学校歴」意識は、国民の広い範囲を巻き込んでいて、大学の受験生に限らないところに、問題があるのである。
一般社会において、どこの大学を出たから有利であるとか、評価できるかということは、現代では次第に意味を失いかけていると言われるし、また現実にそうであろうが、社会の現実と真理の現実との間には開きがあるのが常である。

アメリカでもヨーロッパでも、「学校歴」意識は存在するが、人間を評価する尺度が多元的で、複数化している欧米のような文明圏では、個人のこうした一属性がライフサイクルに作用を及ぼすかのごとき幻想によって個人が不安を覚えるということは少ない。

大学生以上の大人の社会全体が赤裸々な個人競争を避けるために、人生の競争の儀式を、十八歳と十五歳の子ども立ち押しつけている。しかも最近では十二歳へとだんだん年齢的に下の層へ押しつける圧力を強めていることが憂慮すべき問題なのである。
言い換えれば、大人の競争を避ける分だけ、子どもの世界が競争を肩代わりして、それが今日の日本の教育の病理のもう一つの様相を示している。

他人と違う存在であろうとする競争は共存共栄を可能にするが、他人と同じ存在であろうとする競争は、序列化した同一路線上での優勝劣敗の可能性しか残さない。
他人と同じ存在であろうとする日本人の競争心理(ないしは競争回避心理)は、平等が進めば進むほど、横に広がって価値の多様化をもたらすのではなく、同一路線にタテに並んで競い合う結果、「格差」をますます大きくするという特徴を持つ。戦後において高等学校や大学の数が増えれば増えるほど、学校間の「格差」が広がり競争が激化するという、経済の需要供給の関係では説明のつかない事態を招いたのも、この特殊な日本的競争の力学が作用している結果である。(以上698頁~699頁)

ここに引用した中でもとりわけ「経済の需要供給の関係では説明のつかない事態を招いた」という個所に私は強い感銘を受けた。こういう鋭い比喩を読むと私の心はなぜか浮き浮きとしてしまう。経済学の初歩にして大原則である需要と供給の法則は、中学生でも知っている。買い手が増えれば物の値段は上がり、商品が過剰になれば物の値段は下がるという法則である。無原則に志願者を入学させることで経営を成り立たせている二・三流の私立大学は、これからも続くであろう少子化という試練の時代を向かえて、ますますその傾向を強くするであろう。現実に現在でも、名前を書いて簡単な面接試験と称するセレモニーさえ通過すれば、その内容がどうであれ入学できる大学は無数にあると言われている。大学生の裾野が広がるということは、その平均的な知性レベルは必然的に低下するだろう。大学の経営を維持するためだけに入学する(させられる)無意味な大学が日本全国あちこちに存在する姿は異様ですらある。

私は今でも、高校を卒業して大学に進学する価値のある人間は全体の10%もいないと思っている。しかもそうした優秀な学問的素養を持った人物でも、大学で学んだことが社会で生かされるという幸運に恵まれる人は極めて稀だと思う。私の考え方は、ヨーロッパにおける学問は学問として独立したものであるという思想に近いのかも知れない。

実は私は、我が国の東大を頂点とする固定化された大学の序列というものは世界の標準的な形だと思っていたので、本書を読んで初めてその誤解を解くことができた。我が国の大学の在り方こそが特殊であると言うことを知ったのは新鮮な驚きであった。序列の固定化は大学の画一化を招き、大学間の競争と個性を消滅させたという。学問に目的はなく、教えを乞いたい教授の元に参集する学生は見られず、魅力的な研究に取り組みたいということが大学選びの動機になることもない。その結果、自分が取れるであろうテストの点数で入れる範囲において、一番レベルの高い大学に入るということだけが、大学選択の唯一の基準になってしまった。

これを書いてきてふと原点に立ち返るような疑問がわいてきた。そもそも大学の存在理由とは何であろうか、ということだ。そこで学ぶということがそれ以降の人生において何らかの意味を持つのだろうかという疑問である。例えば字が読めなかったり、簡単な四則計算もできなかったりすれば、現代社会で生活していく上では非常な困難が付きまとう。職場で上司や取引先のいっていることを正しく理解する読解力や、国語、算数以外の最低限の歴史、科学、英語の知識、マナーといったことは、ほぼ中学卒業(遅くとも高校卒業)の段階で習得できるであろう。冒頭にも書いたように、私は大学生活というものを経験していないため、ここで問うていることは単なる愚問かも知れない。大学の機能の一つに研究がある。これは主として教授の専権事項だろうが、理系、文系を問わず、このような最先端のあるいは地味な学問に対して、最高度の頭脳が鎬を削ることは極めて重要なことだと思う。こうした研究を経済的に支えるためには国家の助成金だけでは成り立たないから、一定の数の学生から授業料という形でお金を徴収してそれに充てるということも理解できるのだが、すべての大学がそういう役割をきちんと果たしているとはとても思えない。

話しがあらぬ方向に脱線してしまった。西尾先生は大学多様化の一試案として東大合格上位校の合格者数に制限を加えるという大胆な提言をされている。そうして日本全国に東大と同じレベルの大学が複数存在することが健全な学問的競争を促し、現在のゆがんだ東大信仰をなくすことに繋がると訴える。先生はこうもいう。「東大を実際の実力以上に押し上げてきた力・・・」それは日本人のあの無反省な「相互同一化感情(コンフォーミティー)」の強さに外ならないと。
競争がないところに向上も発展もないことは、企業の競争を見れば一目瞭然である。

            西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」 (交通のご案内 別 添)

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

        17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

お問い合わせ  国書刊行会(営 業部)電話 03-5970-7421
FAX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
坦々塾事務局(中村) 携帯090-2568-3609
                 E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp

  

テレビ出演のお知らせ

 10月20日(日)放送「新報道2001」に出演します。

 今週、靖国神社例大祭が催され、安倍首相は近隣諸国に配慮して、靖国参拝の自粛を検討されているようです。しかし韓国は、日本からの歩み寄りの姿勢に一向に応じる気配を見せず、日韓関係修復への道のりが長期化するのではないか、と懸念が高まっています。

 フジテレビの「新報道2001」では、「日韓関係修復への道~なぜ韓国は喧嘩を持ちかけてくるのか~」をテーマに、討論を行う由にて出演を求められました。支障のない限り、出る予定です。

 出演日時 10月20日(日)午前7時30分~午前8時25分頃まで(生放送)

ご報告

 管理人です。
ここで前々回お知らせした、グレンデール市の慰安婦像設置について、
市議会の結果が出ました。
西尾先生のご指示により、私のブログから転送します。

残念なことに
先のエントリーで紹介したアメリカの地方都市グレンデールに
慰安婦像設置・・・・が決定したそうです。

・・・・・それにしても小さな街みたいですね。

本日グレンデール市特別委員会(現地7月9日)にて、慰安婦少女像の設置が可決されてしまいました。

現地からの情報によると

・現市長のみが反対で他の議員は賛成に投じた(賛成4、反対1)
・公聴会開会時まで決めかねていた女性議員1人がいた。
・100人の収容人員の会議室が満員で 驚くことに 韓国系らしいものが20人位? 残りは 日本人同志。
・韓国人の発言は7人 日本人は30人はゆうに発言していた
・韓国に行き 日本大使館前で写真を取られている Quintero氏 (元市長・現市議)はバタン死の行進など 自分の非を自己弁護する発言を含めナンセンスばかり。
・Quintero氏の発言で 注目した点は 総領事館と連絡をとったが反対はなかったと言った点。(真偽は未確認)
・市長は公共の場にこのような建造物が建てられることに反対するが、最終的に市は「日本人への非難ではなく、歴史的にこのようなことがあったと後世に伝えることに意義がある」との見解で閉会。
・事前に話がついていた感じ、出来レースのようであった。

とのことです。

承認されたことは非常に残念ですが、これまで現地メディアは抗議側の日本人を一方的にナショナリストと書いていたのが、採決を前に日本人の意見も記事に書くようになりました。
これは日本からの抗議メールの影響だと思います。
ニュースによると市長には約350通の抗議メールが届いたそうです。

また、たくさんの日本人が反対の声を挙げるために公聴会に集結したことは、大きな前進だったと思います。
この度立ち上がった現地の日本人の方々から、「日本からのたくさんの支援に心より感謝を申し上げたい」のメッセージをいただいております。

慰安婦少女像の除幕式は7月30日グレンデール市「韓国慰安婦記念日」に行われる予定です。

<関連記事>

Glendale approves Korean ‘comfort woman’ statue despite Japanese protest
http://www.glendalenewspress.com/news/tn-gnp-me-glendale-approves-comfort-woman-statue-despite-japanese-protest-20130709,0,7258435.story

Japanese nationalist protest of ‘comfort women’ sculpture fails
http://www.latimes.com/news/world/worldnow/la-fg-wn-japan-korea-comfort-women-20130709,0,920922.story

Korean-Japanese dispute over “comfort women” heats up in Glendale: Opinion
http://www.pasadenastarnews.com/opinions/ci_23621344/korean-japanese-dispute-over-comfort-women-heats-up
↑このニュースの日本語訳はこちら
http://sakura.a.la9.jp/japan/?p=4103