『GHQ焚書図書開封 9』の刊行(二)

GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書) GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書)
(2014/03/19)
西尾 幹二

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アマゾンのレビューより

アメリカは、どのように「対日宣戦布告」をしたのか?, 2014/3/25

By閑居人

GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書) (単行本)

「GHQ焚書図書開封」も九巻目を迎えた。日本人が二度と「白人」と「キリスト教文明」に立ち向かわないために、GHQが秘密裏に行った「日本人からの歴史の簒奪」は、本シリーズでの開示によって、隠されていた真実が静かに読者に浸透していきつつある。

本巻では、前巻に引き続き、「日米百年戦争」の一環として「ワシントン会議から始まる英米主導の第一次大戦後の国際関係の中で起きた様々な出来事」が主題とされる。「ワシントン体制と満州事変、満州国成立と国際連盟脱退、支那事変とその拡大、そして日米開戦に至るプロセス」が語られていく。
著者は、全体を二つに分け、前半では歴史的事件の概略を紹介する。後半では、昭和十八年に毎日新聞から公刊された「大東亜戦争調査會篇」叢書をもとに、アメリカが計画的に日本を追い詰め、「経済戦争」に踏み切ることによって、日本が軍事的に「先制攻撃」を仕掛けざるをえないところに、《いかに巧妙に、そしていかに執拗に》追い込んでいったかを語ろうとする。
「戦後われわれの視野から隠されてきた(或いは日本人が忘れようとして眼を塞いできた)、我が国が開戦せざるを得なかったあのときの国際情勢、気が狂ったようなアメリカの暴戻と戦争挑発、ぎりぎりまで忍耐しながらも国家の尊厳をそこまで踏みにじられては起つ以外になかった我が国の血を吐く思い」(本書まえがき)が、この「大東亜戦争調査會篇『米英挑戦の真相』」に、具体的に、冷静な筆致で描かれている。
解説を交えて、このことを語ろうとする著者の口調も冷静そのものである。それは、恐らく、著者が、「大東亜戦争の真実」について、公正で、深い洞察に充ち満ちた分析と考察を残した「大東亜戦争調査會」への敬意を禁じ得ないからだろうと思われる。

本シリーズの「第一巻」で、著者は、GHQが秘密裏に没収した「連合国軍総司令指令『没収指定図書総目録』」の存在とGHQの動機を解明している。
GHQが行っていた「検閲」については、江藤淳の一連の著作によって知られていたが、没収された図書については、つい最近まで着目されなかった。著者は、十数年前にこの事実に気づき、また、既に千数百点収集していた水島聡氏に勧められて本シリーズの刊行を決意した。
(参考までに言えば、隔月刊行雑誌「歴史通」2013,5は、七千冊以上の没収本のうち六千冊を、鎌倉の自宅の書庫に集めた澤瀧氏をグラビアと関連記事で紹介している。)
著者が書くように、この「没収図書の選定」に、法学界の長老牧野英一(刑法)、若き東大助教授尾高邦雄(社会学)、金子武蔵(哲学・倫理学) が関与していた事実は衝撃的なことだった。なぜなら、本シリーズを読めば理解できる通り、没収された書物は、いずれも当時の日本人の観察力の高さと知性と洞察力を証明するものであるからである。いわば「日本人の誇りと存在証明」というべきものを抹殺することが何を意味するか、「分からなかった」とは口が裂けても言えないことであるからである。
著者も触れているが、最近、渡辺惣樹氏が丁寧な解題をつけて翻訳した「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか」(米国陸軍戦略研究所、ジェフリー・レコード)は、戦前のアメリカ政治の正当性を擁護する「歴史正統派の論理」で、「経済戦争を仕掛けたアメリカは真珠湾以前に実質的に宣戦布告をしたも同然だ」という「歴史修正派」と同じ結論を述べている。「修正派」はアメリカでは少数派であるが、戦前の日本の主張とほぼ同様の考察を示している。こういったことは注目すべきことだ。

本書は、「GHQに没収された図書」を通して「日本を取り戻そうとする試み」の一環である、と捉えることもできるだろう。

『GHQ焚書図書開封 9』の刊行(一)

GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書) GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書)
(2014/03/19)
西尾 幹二

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アマゾンのレビューより

2014/3/25 By大サダトン (埼玉県和光市)

レビュー対象商品: GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書) (単行本)

戦前我が帝国は米国からの悪辣な策謀に良く耐えたものだと感心する。国際連盟を隠れ蓑にしする英国。この英国を裏でコントロールし日本の満州利権を狙う米国。ろくに自国の治安を維持できず、国家の体をなしていないのに一人前に日本を批判しテロを加える中国、悪質な共産主義革命を輸出し近隣国を侵略するソ連。大日本帝国が直面した脅威と先人の苦労は日教組教育や歴史教育からうかがい知ることはできない。それにしても米国の策謀は悪質の一言に尽きる。宣戦布告と同様の対日経済制裁(石油、屑鉄、鉱石類等の輸出禁止)、パナマ運河通行拒否、通商条約の一方的破棄のみにかかわらず、事実上の軍事行動である蒋介石政権に対する空軍の派遣及び日本爆撃計画、日本が受諾困難と知りながら日本の主権と米国が日露講和会議で承認した日本の満州権益を事実上否定するハルノート等悪事に事欠かない。米国はなんら国益の侵害とならないフランス政府との合意に基づく南部仏印進駐に目くじらを立て、アイスランド、グリーンランド及び中東フランス領を平気で占領するばかりでなく、バルト3国やフィンランドを侵略するソ連に膨大な軍事・経済援助を提供する。米国は悪辣な侵略者や無責任・失敗国家(当時の中国)には随分と親切である。
 中国でうそをつく宣教師、反日記事で自国民をだます作家(ちなみにパール バック(この女性作家は中国で記事を書き本国に送っていた思われているが、実は安全で治安の良い日本にいて中国の現状を知らずに書いていたということがラルフ タウンゼントの「暗黒大陸中国の真実」で明らかにされている))もいる。
 今日平気でうその歴史本で金をもうける作家(半藤一利、加藤洋子、北岡伸一等)、米国の悪の系譜は今も日本に巣くっている。
 しかし米国の戦略は成功したのだろうか。大英帝国は解体し、東ヨーロッパとアジアの大部分は共産化し、共産主義からイスラムのテロリズムまで新たな脅威に対抗しなければならず、結局自らの国力を消耗させ、世界の警察官から転げ落ちようとしている。米国の世界での軍事行動を正当化する根拠は「平和の出来で侵略者日本とナチスドイツを打倒した」という実績であるがこれも崩れ去ろうとしている。しかしこの「虚構の歴史」を否定できず、世界中で米軍将兵が血を流し続け国家は疲弊する。米国は自らの悪行にはまり抜け出せないでいる。
- 3つの主張と2つの使命 ー
 西尾氏の著作を読んで確信することができた、戦前日本(今日も)の主張は
‘一 植民地の解放 二 資源と市場の独占の廃止 三 人種差別の撤廃ではないだろうか。
 そして我が国の使命あるいは天命は
‘一 欧米勢力の拡大阻止 二 有害な中華思想の破砕ではないだろうか。
 この主張と使命に日本の原点があるように思えてならない。

西尾幹二全集第9巻『文学評論』の刊行

 私の全集は過去の作品の集合ではなく、再編であり、再生であることを秘かに誇りにしていることを、今度出た第9巻『文学評論』ほどはっきり示した例はないだろう。今まではどの巻にも一冊ないし二冊の主要著作があった。今度はないのである。一巻ぜんぶばらばらのものを再編成した集合作品集である。愛読者の方でも知らない文章が多いはずである。その第9巻がついに出版された。あらためて目次を紹介させて頂く。

 文学評論は私の故地であり、根拠地である。私の発想の基本には文学がある。そのことにすでに気がついている方も多いだろうが、後半生の仕事から私を知った方は、これほどの分量の文学評論が書かれていたことはあまり知らないだろう。

 私はこの道へ再び立ち戻るかもしれない。やり残したテーマが私を待っているからである。本巻の「後記」を読んでいたゞくとそれが分る。

 全集発刊のペースはじりじり遅れていて、3ヶ月に1巻のペースは少しづつ難しくなっている。全巻講読の機会をとり逃がしていて、それでもまだ講読のお気持をお持ちの方は、国書刊行会の永島成郎営業部長(Tel 03-5970-7421)と相談して欲しい。9巻までを一度に購入しないでも毎月一巻づつ買って9ヶ月で追いつく、等々の便利な方法をいろいろ考えてくれるはずである。よろしくお願いしたい。

 また最寄りの図書館に買い入れ要請をして、そこで読んでいたゞくことも可能だと思う。

  目  次

Ⅰ 初期批評

 批評の二重性
 現代小説の問題(付・二葉亭四迷論)――大江健三郎と古井由吉
 日常の抽象性――開高健『夏の闇』をめぐって
 観念の見取図――丸谷才一『たった一人の反乱』と山崎正和『鷗外闘う家長』

Ⅱ 日本文学管見

 日本人と時間
 『平家物語』の世界
 『徒然草』断章形式の意味するもの
 人生批評としての戯作――新戯作派と江戸文学
 本居宣長の問い
 明治初期の日本語と現代における「言文不一致」
 漱石『明暗』の結末
 芥川龍之介小論
 漢字と日本語――わたしの小林秀雄

Ⅲ 現代文明と文学
 
 智恵の凋落
 批評としての演出――シェイクスピア『お気に召すまま』
 愚かさの偉大さ――黒沢明『乱』とシェイクスピア『リア王』
 オウム真理教と現代文明――ハイデッガー「退屈論」とドストエフスキー『悪霊』などを鏡に
 韓非子の説難
 歴史への畏れ
 便利すぎる歴史観――司馬遼太郎と小田実

Ⅳ 現代の小説

 八〇年代前半の日本文学
 老成と潔癖――現代小説を読む
 「敗戦」像の発見――明るい自由な時代の不安

Ⅴ 文学研究の自立は可能か

 作品とその背後にあるもの

Ⅵ 作家論

 高井有一
 柏原兵三 Ⅰ Ⅱ Ⅲ
 小川国夫
 上田三四二
 綱淵謙錠
 手塚富雄
 江藤淳 Ⅰ Ⅱ Ⅲ
 石原慎太郎

Ⅶ 掌篇

 大岡昇平全集の刊行にふれて
 平野謙と批評家の生き方
 「近代文学」について
 文壇の内と外
 三島由紀夫『青の時代』について
 一度だけの思い出
 ツルゲーネフ『父と子』
 私の読書遍歴
 私が出会った本――ニーチェ『悲劇の誕生』と福田恆存『人間・この劇的なるもの』
 ドイツ文学を選んだこと
 トナカイの置物――加賀乙彦とソ連の旅
 柏原兵三の文学碑
 近代文学 この一篇

Ⅷ 一九八八年文壇主要作品論評

 「新潮」 (一九八八年一~三月、同十月)
 
  告白の抑制――辻井喬『暗夜遍歴』
  言葉の届かぬ領分――高井有一「浅い眠りの夜」『塵の都に』
  健康な、余りに健康な――野坂昭如『赫奕(かくやく)たる逆光』
  自然人の強な生命力――八木義徳『遠い地平』
  生の暗部への対応――黒井千次『たまらん坂』、田久保英夫『緋の山』
  
 「海燕」 (一九八八年九月~八九年二月)
 
  主題不在の変奏――吉本ばなな『うたかた╱サンクチュアリ』、丸谷才一「樹影譚」
  時代の映像――安岡章太郎『僕の昭和史Ⅲ』、新井満『尋ね人の時間』
  日常と深淵のはざま――色川武大『狂人日記』、石原慎太郎『生還』
  世界像の明暗――中野孝次『夜の電話』、村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
  陰画の必然性――阿部昭『父と子の連作』、坂上弘『突堤のある風景』

Ⅸ 文芸時評
 
 「季刊芸術」(一九七〇年一~三月)
  「日本読書新聞」(一九七二年一~六月)
 文芸時評のこと
 共同通信配信(一九八一~八四年抄録)
 文芸時評家対談・座談会の記録一覧

Ⅹ 書評

評論

小林秀雄『感想』 桶谷秀昭『保田與重郎』 入江隆則『幻想のかなたに』 秋山駿『魂と意匠――小林秀雄』『山口剛著作集』全六巻 高橋義孝『文学非芸術論』 ベーダ・アレマン『イロニーと文学』 島崎博・三島瑤子編『定本三島由紀夫書誌』

小説

芝木好子『隅田川暮色』╱『貝紫幻想』竹西寛子『春』╱『読書の歳月』 上田三四二『花衣』╱『惜身命』 古山高麗雄『小さな市街図』 井上靖『本覺坊遺文』 柏原兵三『独身者の憂鬱』╱『ベルリン漂泊』 高井有一『遠い日の海』╱『夜の蟻』 立松和平『歓喜の市』辻井喬『暗夜遍歴』 中野孝次『はみだした明日』

追補一 桶谷秀昭・西尾幹二対談 戦後三十年と三島由紀夫

追補二 江藤淳・西尾幹二対談 批評という行為――小林秀雄没後十年

後 記

『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来た』の刊行

同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた 同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた
(2013/12/10)
西尾幹二

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 今月10日にこの新しい本を刊行する。表題には迷ったが、初めてこんな長い題をつけた。短い簡潔な題はいくら工夫しても意に添わなかったからである。

 テレビや新聞を見ていると、しきりに安倍首相の右傾化をアメリカは憂慮している、河野談話の見直しなどを日本政府が言い出したらアメリカ各界から総スカンを食う、などという声が聞こえてくる。むしろそうなってもいいではないか、という決意も必要だが、中国との関係が微妙な今、おそらく政府はそういう断固たる決意は示せないのだろう。

 テレビや新聞の圧倒的空気は、日本の今後の針路を従来路線の親米平和主義のままにしておこう、それでいける、という考え方である。これは「何もしないことなかれ主義」で、アメリカが日本を裏切るかもしれない可能性についても警戒ひとつしていない。バイデン副大統領が来日しても、民間航空機の対中国対応の日本との相違について、アメリカはいまひとつ煮え切らない。

 一説には、ケネディ大使は慰安婦謝罪と韓国和解を一方的に安倍さんに強制するのではないか、ということも言われている。韓国の日本侮辱に対する日本人の感情がないがしろにされるならば、恐らく反米感情が高まるだろう。ケネディさんはいい人だが、そういう人情の機微が分っている人なのかどうか、われわれには分からない。

 であれば、私のこの本の題は時宜に適っているのではないかと言いたいのである。「同盟国アメリカに」と最初につけたのは、私がただの「反米」ではないことを示したかったからである。私は本の中でも言っているが、「離米愛国」派なのだ。

 むかし朝日新聞を筆頭に日本の左翼は、反米で平和主義だった。ここでいう平和主義とは「何もしない」主義のことだ。今彼らはこの怠惰な、無気力で現状維持の、明日を考えない無責任な“ぬるま湯”イデオロギーを守るために、むしろ「親米」の旗を振るのだ。自分たちのこのイデオロギーを守るために、アメリカからの「外圧」を利用しようとするのだ。そうすると、日本の保守は腰くだけになる。そのことにNO!を言うのが、私の本の表題である。

 中身は次に示す「目次」でご判断ください。

目 次

まえがきに代えて
総理、歴史家に任せるとは言わないでください! 3

第一章 歴史の自由
同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来ている 12
「西洋の内戦」の歴史に日本はもう左右されないと世界に言うべき時ではないか 43
誤解したがる世界の目を日本人は静かに拒否する勇気を持つべきだ 71

第二章「悪友」たちとは交遊を絶て
妄想と狂気をはらむ国・韓国 88
日本が「孤独」に強くなる心得 111
中国に対する悠然たる優位 116
防衛と侵略の概念 121
中国は戦勝国ではない 123
恥ずべき「日中歴史共同研究」 126
韓国も台湾も中国の持ち駒 128

第三章「反日」の不毛と自己防衛
「反日」は日本人の心の問題 136
「反日」で呼吸が合うアメリカと中国 147
悪夢のような中国からの大量流民 155
在日中国人と中国本土の国防動員法 162
沖縄県民は中国人になりたいのか 164
「核シェアリング」のすすめ 167

第四章 息切れするアメリカ文明と日本
不可解な国アメリカ 170
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ 172
新英語教育考 189
百年続いたアメリカ独自の世界システム支配の正体 199

あとがきに代えて
総理、迷わずに「憲法改正」に向かってください! 211
初出誌紙一覧 221

 話変わるが、12月8日の講演会をもって今回が7回目を数える私の全集刊行記念講演会はいったん中断する。全集は1月に第9巻『文学評論』を出したあと、次は4月に第14巻『人生論集』に飛ぶ。

 第10巻から第13巻は、思想的に私の人生の中期に入り、何が起こっていたかを知るためにテキストの総整理をしなくてはならない。国立国会図書館に現在約800篇の私の大小さまざまな論考が所蔵されている。その中に私の忘れている、まだ単行本に収録されていない未確認論文が約2割はある。それらを全部点検し、本格的「全集」の名に値するものに編成しなくてはならない。講演会は一年くらいはお休みにさせていたゞきたいと考えている。そういうわけだから12月8日にはぜひお出かけたまわりたい。

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
坦々塾事務局(中村) 携帯090-2568-3609
     E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
  

『GHQ焚書図書開封』8の刊行ほか

 9月1日発売の『正論』10月号に連載の第四回目が出ます。既報のとおり、同誌に「戦争史観の転換」という題の連載を始めて、今回は第1章の第4節に当り、「アメリカ文明の鎖国性」と題した一文を掲げました。古代ギリシアの奴隷制に照らしてアメリカ近代史を考察した今までまだ誰も指摘していない比較歴史論の観点を打ち出したもので、これについてもコメントしていただけたらありがたい。

 8月末に『GHQ焚書図書開封』⑧が出ました。アマゾンの説明文は次の通りです。

(内容紹介) あのとき、日米戦争はもう始まっていた!
昭和18、19年という戦争がいちばん盛んな時期に書かれた「大東亜戦争調査会」叢書は、戦争を煽り立てることなく、当時の代表的知性がきわめて緻密かつ冷静に、「当時の日本人は世界をどう見ていたか」「アメリカとの戦争をどう考えていたか」分析している。そこでは、19世紀から始まる米英の覇権意志を洞察し、世界支配を目指すアメリカの戦後構想まで予見されていた。
――しかし、これらの本は戦後、GHQの命令で真っ先に没収された!

戦後、日本人の歴史観から消し去られた真実を掘り起こし、浮かび上がらせる、西尾幹二の好評シリーズ。

※「大東亜戦争調査会」とは、外交官の天羽英二や有田八郎、哲学者の高坂正顕、ジャーナリストの徳富蘇峰ら、当時を代表する知を集め、国家主義に走ることなく、冷徹に国際社会の中で日本が歩んできた道を見据えた本を刊行した。ペリー来航からワシントン会議まで、英米2大国の思惑と動向、日本の対応など、戦後の歴史書にない事実、視点を提示している。

徳間書店¥1800+税

GHQ焚書図書開封8: 日米百年戦争 ~ペリー来航からワシントン会議~ (一般書) GHQ焚書図書開封8: 日米百年戦争 ~ペリー来航からワシントン会議~ (一般書)
(2013/08/23)
西尾幹二

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宮崎正弘氏による書評

憂国のリアリズム 憂国のリアリズム
(2013/07/11)
西尾幹二

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いまや東京裁判の議論をやめよう、日本は大目標を抱け
  安倍政権に欠けているのは世界的展望をもつ思想的哲学的主張である

   ♪
西尾幹二『憂国のリアリズム』(ビジネス社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 「こうなることは分かっていた」
 こうなる、とはどういうことか? それは米中の狭間に立たされる日本が「頼りにしていたアメリカがあまりアテにならないという現実が、やがてゆっくり訪れるだろうとは前から思っていた」と保守論壇の重鎮、西尾氏が述べる。
 その通りになった。
アメリカは「尖閣諸島に日本の施政権が及んでいることを承知しているが」としつつも「尖閣の帰属に関しては関与しない」と言ってのけた。つまり中国がもし尖閣諸島を軍事侵略しても、アメリカは日本のために血を流さないと示唆していることになる。(もっとも、その前に日本が自衛しなければ何の意味もないが)。。。

しからば、なぜこういう体たらくで惨めな日本に陥落したのか。
「そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かってすがりついて生きている」からである。日本は「この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている。この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないか」(49p)とされる西尾氏は、東京裁判史観の克服をつぎのように言われる。
「今さら東京裁判を議論する必要などない。東京裁判がどうだこうだと議論し、東京裁判について騒げば騒ぐほど、その罠に陥ってしまうからである。日本国民全員がより上位の概念に生きているのだという自己認識さえ持てば、それで終わるのである」。
「上位の概念」とは日本の伝統的思想、その宗教観である。

西尾氏は現下の危機の深化に関して次のように続ける。
 「中国が専制独裁国家のままであり続けていて、しかも金融資本主義国家の産業形態をも取り入れるというこの不可解なカメレオンのような変身そのものが、厄介なことに『ベルリンの壁の崩壊』のアジア版ということだった」と或る日、西尾氏は気がついた。
 そして氏の認識は嘗ての歴史のパターンを連想させる。
 すなわち「『ベルリンの壁の崩壊』から『ユーゴスラビアの内戦』へのドラマがやっと危険なかたちで極東にも及んできたのだ。私は昨今の情勢から、あり得る可能性をあれこれ憂慮を持って観察している」
その憂慮の集大成が、この論文集となって結実した。
 日本が直面する未曾有の危機を克服するために如何なる道筋が日本に残されているのか。奇跡のようにカムバックした安倍政権は、「歴史的使命」を帯びて、「中国共産党の独裁体制の打破」に挑むべきであり、そのために憲法改正は必須であると説かれる。
 ついでながら評者(宮崎)は「アジア版ベルリンの崩壊後のユーゴ」は、中国が仕掛ける尖閣戦争の蓋然性よりも、むしろ中国内部の大騒擾、すなわちウィグル、チベット、蒙古の反漢族騒乱が活火山化することだろう、と見ている。

 安倍政権で前途に明るさが見えてきたことは確かである。しかし「何かが欠けている」と西尾氏は嘆く。
強靭化プログラムは良いにしても、なにが欠けているのか?
 すなわち日本の深い根に生い立った、「思想的哲学的主張が見えない」。日本には「世界史的な大目標が必要なのである」。

 こうした基調で貫かれた本書の肯綮部分は、評者(宮崎)の独断から言えば第三章である。
つまり日本の根源的致命傷に関しての考察で、第一にGHQが消し去った日本の歴史である。氏は過去数年、GHQの焚書図書を発掘し、それらがいかに正しい歴史認識の元に日本の国益を説いてきたかを縦横に解説されてきた労作群があるが、日本人のDNAから我が国の輝かしい歴史が消えてしまえば、GHQの思い通りに「敗戦史観」『日本が悪かった』「太平洋戦争は悪い戦争だった」ということになり、まして「旧敵国の立場から自国の歴史を書く」という恥知らずな日本の歴史家が夥しく登場し、負け犬歴史観で武装し、「日本だけの過ちをあげつらう『新型自虐史観』に裏打ちされた、面妖なる論客がごろごろと論壇を占拠し、テレビにでて咆える惨状を呈したのだ。
 ようするに「戦後日本は『太平洋戦争』という新しい戦争を仕掛けられている」のだ、と悲痛な憂国の主張が繰り返されている。
 一行一行に含蓄があり、いろいろと考えさせられた著作である。

『憂国のリアリズム』発刊

憂国のリアリズム 憂国のリアリズム
(2013/07/11)
西尾幹二

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 目 次

まえがき

第一章  いま目の前で起こっていること

第二次安倍政権の世界史的使命
よみがえれ国家意識
アメリカよ、恥を知れ――外国特派員協会で慰安婦問題を語る
国防のニヒリズム
原発は戦後平和主義のシンボルに外ならぬ

第二章  少し過去を振り返ってみる

「保守」は存在しない
ノンポリ中立主義の仮面の恐怖――NHKをどう考える
アリ地獄に陥ったアメリカ依存症――憲法改正の前に立ちすくむ
自民党への失望が生み出す新しい波
亡国の大勲位、中曽根康弘の許されざる勘違い
さらけ出された小沢一郎の正体

第三章 日本の根源的致命傷を探る

米占領軍(GHQ)が消し去った歴史
旧敵国の立場から自国の歴史を書く歴史家たち
日本人は本当の敗戦体験をまだしていない
戦後日本は「太平洋戦争」という新しい戦争を仕掛けられている
戦後から戦後を批判するレベルを超えて

第四章 皇族にとって自由とは何か

「弱いアメリカ」と「皇室の危機」
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体
背後にいる小和田恒氏を論ずる
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったのか
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂――山折哲雄氏の皇太子退位論を駁す
「皇后陛下讃」

第五章 実存と永遠

三島由紀夫の自決と日本の核武装(没後四十年)
吉本隆明氏との接点
ニーチェ研究と私――全集刊行を機に回顧する
宗教とは何か

あとがき

初出誌紙一覧

                    

まえがき

 こうなることは分っていた。アメリカと中国のはざまに立たされ、頼りにしていたアメリカがあまり当てにならないという現実が、やがてゆっくり訪れるだろうとは前から思っていた。ユーゴスラヴィアが火を噴いたとき、地球の東側にも同じタイプの火が点くのではないかと憂慮していた。核で維持された米ソの冷戦対立は地球の安定に久しく役立っていた。それが壊れたのだから、何が起こってももう驚くわけにはいかない。

 けれどもアジアに「ベルリンの壁の崩落」は決して起こらなかった。中国が全体主義独裁国家をいつまでも維持しつづけたからである。そして、私はふと気がついた。ああ、そうか、そうだったのだな、中国が専制独裁国家のままでありつづけていて、しかも金融資本主義国家の産業形態をもとり入れるというこの不可解なカメレオンのような変身そのものが、厄介なことに「ベルリンの壁の崩落」のアジア版ということだったのだな、と。

 尖閣沖で中国漁船が海上保安庁の監視船に衝突してきて、不意をつかれて民主党政権があわててばかげた、臆病な対応をした例の事件が起こったとき、私は戦後はじめて日本は外国から物理的直接攻撃にさらされたのだと解釈した。大げさな解釈だと人から嗤われたが、それほどにも米ソ冷戦構造下の日本は安定したぬるま湯の平和を与えられていたのだ、と私は言いたかったのである。そのあと日本人の商店やスーパーや工場を狙い撃ちした中国全土を挙げた反日暴動が起こったが、1920年代の五四運動の「日貨排斥」(日本商品ボイコット)にそっくり同じであることが興味深かった。もの言いまでよく似ていた。日本経済は支那との貿易に依存している。日本を苦しめ懲らしめるには商品ボイコットがききめがあるのだ、といった声が北京や上海に広がった。それは当時の日本の新聞が、支那の市場を大切にせよ、日本の未来がかかっている、と書いていたからである。今とそっくり同じである。そんな事実はないのに、日本のメディアがしきりにそう書きそれが支那に伝播したところまでよく似ている。戦前の日支関係に立ち戻ってしまったのである。

 尖閣に対する中国政府の強引な物言いや鉄面皮なやり方に日本人はいま少なからぬ驚きと恐怖を抱いていよう。しかし第一次大戦後、山東半島返還をめぐる中国の強引で、理窟も何もないもの言いはやはり同じであった。当時の日本は軍事力があったので屁にも思っていなかっただけだ。ただパリ講和会議で中国の肩を持ったアメリカのごり押しにはうんざりさせられている。イギリスやフランスの全権代表は日本を支持しているのに、アメリカの全権代表は西洋の法理論を知らない中国人に自国の法律顧問団を全面開放して、利用させ、ひたすらしつこいほどの日本攻撃に余念がなかった。日米戦争は1919年のこのときに始まっていたともいえるだろう。

 習近平が登場して中国の強引さと鉄面皮ぶりはさらに一段と倍化した観がある。尖閣はわが方の「核心的利益」だという。中国は領土問題でどこまでも「主権」を守るという。1953年の「人民日報」と1958年の中国発行の地図に尖閣は日本領だと記されていた事実が突きつけられたし、海底の石油埋蔵が見つかってから以降のにわか仕立ての領土主張であることは今や天下周知であるが、そんなことはいくら言っても蛙の面に水である。暖簾に腕押しである。つまり俺さまが俺のものだと言っているのだから、テメエたちはつべこべ言うな、とやくざのように暴言を吐いているのが隣国であり、この厚顔無恥は世界中にみんな分ってしまっているのである。が、それでも言いつづけ、実行しようとする。侵略国家とはこういうものである。中国は自ら侵略国家であることを世界に告知しようとしているといっていい。

 冷戦構造に守られていた日本人はすっかり忘れているが、戦前は世界中がみんなこういう無理難題をぶつけ合っていた。その代表格はアメリカだった。日本は一貫して受け身だった。アメリカ、イギリスはすでに有利な前提条件、金融、資源、武力、領土の広さの優越した立場をフル利用して、無理なごり押しを平然とくりかえしていた。日本はどんどん追い込まれた。それが戦前の世界である。尖閣紛争と中国の脅迫は日本人に大東亜戦争の開戦前夜の感覚を思い出させるのに十分であった。日本は当時も今もいかに孤独で、誠実に振舞っていることであろう。

 私は実は深く恐れている。アメリカは今だって自国のことしか考えていない。2013年6月7日~8日のオバマ・習近平会談で、尖閣についてオバマ大統領がどういう口調で何を語ったかは明らかにされていない。アメリカは強権国家に和平のサインを送って何度も失敗している。朝鮮戦争で北朝鮮が、湾岸戦争でイラクが突如軍事攻撃をしかけてきたのは、アメリカの高官のうかつな線引きや素振りやもの言いのせいだった。アメリカが軍事的に何もしないとの誤ったサインを与えると、中国のような強権国家は本当に何をするか分らない。八時間にも及ぶ両首脳の対談で、尖閣についてオバマ大統領は日中間の話し合いでの解決を求めたというが、話し合いなど出来ないところまで来ているのに何を言っているのだろう。アメリカの弱気、軍事的怯懦(きょうだ)、今は何もしたくないという尻込みしたオバマ大統領のことなかれ心理が読みとられると、習近平はこれは得たりとばかりほくそ笑んで、時機をうかがう態勢に明日にも入っていくかもしれない。そして本当に尖閣が軍事的に襲撃されるかもしれない。

 「ベルリンの壁の崩落」から「ユーゴスラヴィアの内戦」へのドラマがやっと危険なかたちで極東にも及んできたのだ。私は昨今の情勢から、あり得る可能性をあれこれ憂慮をもって観察している。

西尾幹二全集第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』刊行

 全集第七回配本第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』が刊行された。あゝだこうだと言っているうちに早いもので全体の三分の一近い7冊目が出たことになる。

 第一回配本のとき最初の月報を書いてくれたのは高校時代の友人の早川義郎氏(元東京高裁判事)だった。早川氏は私の処女作から読んでくれていて、あるとき西尾の三大作品は自分の読んだ限りでいえば最初に『ヨーロッパ像の転換』があり、三番目に『江戸のダイナミズム』があるが、自分の考えでは逸せられない二番目の傑作は『ソ連知識人との対話』である、と言ってくれたことがある。

 ソ連が政治史から消えて、有効性がなくなったと思うかもしれないが、そういう仕事ではない。書かれた直後に文芸評論家の入江隆則氏はこの作品を長い評論文章で論評してくれた。その中に次の表現がある。

西尾氏は、連日細部にわたって周到なメモを取り、さらに帰国後一年間、ソ連邦の歴史と地理を勉強し直すという作業を行っている。その結果、われわれにあまり知られていなかった北の国の素顔と、そこに住む人々の息づかいが生き生きと伝わる、好エッセイが生まれた。

 私が共鳴を感じたのは、まず西尾氏の人間への関心である。

たぶん西尾氏は、結論を急がないことによって、西側の人間のロシア紀行にあり勝ちな二つのタイプ、あらさがし派と賛美派という二つの怠惰を、遠ざけようとしているのであろう。実際、氏は、やや度が過ぎると思われるほど、あらゆる先入観を排して、ロシアという多言語多民族国家で住む人間に、なってみようとしている。相手の身になってみるのが、つねに有効な批評の方法だとすれば、西尾氏はここで、氏の批評感覚を十分に働かせているといっていいのである。

いずれにしても、彼等(ロシア人)の「劣等感と優越感の混り合った」「愚直さ」を、ここまで生ま生ましく表現し得たのは、やはり氏の文学者としての眼であって、その感受性の鋭さに、私は説得された。

 入江氏がこう言って下さった同作品を、ぜひあらためて今の時代の新しい眼で読み直してもらいたい。

目 次

Ⅰ ソ連知識人との対話(一九七七年)
第一章 トルストイの墓
第二章 一女流詩人との会談
第三章 フィクションとしての国家
第四章 中央アジアに見る国字改革
第五章 コーカサスの麓にて
第六章 ロシア喜劇の登場人物たち
第七章 愚直な愛国心
第八章 道徳的な、あまりに道徳的な
第九章 ソ連に〞個〝の危機は存在するか
第十章 世紀末を知らなかった国
第十一章 競争をあおる平等社会
第十二章 メシア待望
あとがき

Ⅱ 自由とは何か
真の自由には悪をなす自由も怠惰である自由も含まれている
ソルジェニーツィン氏への手紙――貴方は自由をどう考えているか

文明や歴史は複眼で眺めよ
 ソ連はソ連なりに「自分中心の世界像」に生きる――西側を憧れてなんか いない
 アメリカの長所は明日は弱点となり、その逆も真である
 戦後日本の農地改革は英仏などと同時代の改革だった
全体が見えない時代の哲学の貧困――〞知的遊戯〝が多すぎる
無思想の状況――むなしく飾り立てられた精神生活

Ⅲ 世界そぞろ歩き考(一九七〇年代)
世界そぞろ歩き始め
中国の変貌
ヨーロッパの中の日本人
西ドイツの昨日と今日
垣間見た中国
ヨーロッパの憂鬱
日本と西ドイツのハイジャック事件
ヨーロッパ文化と現代
西ドイツからみたアメリカ像

Ⅳ ドイツ再発見の旅(一九八〇年代)
【小説風紀行文】
ベルリンの「古い家(アルトバウ)」と「新しい家(ノイバウ)」
マスルンカ夫人の一日
仮面の下の傲慢
祖国をなくした老人
【掌篇】
ミュンヘンで観た『ニーベルングの指環』
技術観の比較――日本とドイツ
人口増加に無力なヒューマニズム
「 福祉」に泣いたある政変
私もスイス嫌い
日本女性のセンス
ドイツの家
【教育現場】
ドイツの大学教授銓衡法を顧みて
個性教育の落とし穴
ドイツの子供たち
思わぬ副作用――西ドイツ教育改革・十五年目の現実

Ⅴ 東西文明論の書評十五篇
司馬遼太郎『ロシアについて』(文藝春秋)
柳宗玄『西洋の誕生』(新潮社)
ディエス・デル・コラール『過去と現在』(未来社)
手塚富雄『ものいわぬ日本を考える』(筑摩書房)
桑原武夫『伝統と近代』(文藝春秋)
鯖田豊之『生と死の思想』(朝日新聞社)╱『生きる権利・死ぬ権利』(新潮社)
加藤秀俊『イギリスの小さな町から』(朝日新聞社)
森有正『砂漠に向かって』(筑摩書房)
犬養道子『私のヨーロッパ』(新潮社)
小松左京『歴史と文明の旅(上・下)』(文藝春秋)
木村尚三郎『組織の時代』(潮出版社)
中村雄二郎『言語・理性・狂気』(晶文社)
新保満『人種的差別と偏見』(岩波書店)
鶴見俊輔『グアダルーペの聖母』(筑摩書房)
加賀乙彦『虚妄としての戦後』(筑摩書房)

Ⅵ 和魂洋魂
日本の宿命 比較論の落とし穴 西洋の没落 周辺文化 芸術の近代化 抽象と具象 国際指導力 国家意識 国籍 共同体意識 留学 文化観 科学の精神 詩魂の凋落 教養と行為 自己意識 無心 教育と平等 先進性と後進性 革命 権力 領土観 通と野暮 言葉と朗読 漢方医学

Ⅶ 放射線
女権論者へ 日本語と話し言葉 日本語教育のすすめ 教養の錯覚 無法社会 学校と階級社会 保守停滞の兆し 学校群の失敗 貧富の比較 イギリス病の一面 日本型経営の矛盾 人間の卑小化 島国の内と外 官僚的非能率 開放性と閉鎖性 外交としての留学 経済の奥にあるもの ソルジェニーツィンの発言 国境について

Ⅷ 直言
書店の革命 マンションの名称  日本人の長所は弱点 文化の輸出
中国からの留学生 実践家の方法 マンガと大学生 親しさに溺れるなかれ
米中ソへの警戒 礼儀の凋落 壁新聞という謎 再び「壁新聞という謎」

追補一 岩村忍・西尾幹二対談 中央アジアから世界地図を見る
追補二 内村剛介・西尾幹二対談 西側には理解できぬソ連の思想風土
後記

 西尾幹二全集は年四巻、三ヶ月に一巻づつの配本を原則としているが、今度出版社は、あらたにご購入をいただく方に今までの7巻をいっぺんに買っていただくのも大変なので、毎月一巻づつお届けし、七ヶ月で全集刊行のペースに追いついていただくように配慮してお届けする方法を考えている。国書刊行会Tel 03-5970-7421 FAX 03-5970-7427にご連絡下さい。販売部長の永島成郎氏に直接お問い合わせいたゞけると便宜を計って下さると思う。

オバマ・習近平会談、皇室の新しい兆し、そして私の新刊(二)

 『週刊新潮』6月20日号に「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」という目をみはらせる巻頭記事が掲げられている。日本の歴史の中で「幼帝」というのは何度もあった。小学生、中学生でも天皇に即位できる。摂政をつければ問題はない。今上陛下、皇太子、秋篠宮の三人による頂上会談が昨年来つづいていて、そこで煮つまった案だという内容の記事である。週刊誌といえども、ここまで書く以上、それなりの証拠があってのことであると思う。

 皇后陛下が雅子妃を見放した、という書き方である。何かとんでもない事件があってとうとう事ここに至ったのかもしれない。宮内庁も官邸も動いているという書き方だが、宮内庁長官はそんなことはない、と直ちに新潮社に抗議した。記事では雅子妃だけでなく、皇太子に対する両陛下の失望が公然と語られている。さりとて、皇太子は短期間でも一度は即位しないと、日本の皇室のあり方として具合が悪い。秋篠宮は兄弟争いの図を避けるために、即位を辞退している。かくて「幼帝」の出現ということになる。

 私の読者ならお分りと思うが、以上の流れは本当かどうかはまだ分らないのだが、実現すれば大筋において私が書いてきた方向とほゞ一致している。私はすべての焦点を「雅子妃問題」に絞って書いてきた。だから批判や非難も受けた。そして、雅子妃に振り回される皇太子の不甲斐なさにも再三言及してきた。私は「廃太子」(橋本明氏)とも「退位論」(山折哲雄氏、保阪正康氏)とも違う立場だった。そして、何度も天皇陛下のご聖断を!と訴えた。ついに「ご聖断」が下りたのだとしたら有難い。「幼帝」というアイデアは陛下以外の誰が出せるであろう。正夢であってほしいと祈っている。

 『週刊文春』6月13日号にも重大な記事がのっていた。読者アンケート1500人で、皇后にふさわしいのは雅子妃38%、紀子妃62%という結果を報じていた。皇室問題をアンケートで論じるのは間違いだが、各週刊誌とも堪忍袋の緒が切れた趣きがあるのが面白い。雅子妃は今月18日に予告していた被災地お見舞いをまたまたキャンセルした。

 私の新刊『憂国のリアリズム』のリアリズムというところに注目していただきたい。この本も6篇の私の皇室論を収めている。読んでいる方も多いと思うが、あらためて題名と出典だけを書いておく。

『憂国のリアリズム』の第四章「皇族にとって自由とは何か」
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」(THEMIS)
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体(歴史通)
背後にいる小和田恒氏を論ずる(週刊新潮)
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったか(週刊新潮)
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂
  ――山折哲雄氏の皇太子退位論を駁す(WiLL)
皇后陛下讃(SAPIO)

 私は皇室問題について書くのはもうここいらで止めよう、と思って、WiLLの担当者に昨日その話をしていた処へ、本日、『週刊新潮』の驚くべき記事に出合ったのである。

 間もなく出版される『憂国のリアリズム』と併せ読んで、問題の落ち着くところが何処であるかを皆様も占っていたゞきたい。

 『週刊新潮』の記事内容の続報を知りたい。

追記: 皇室典範の改正報道に抗議  「朝日新聞」6月14日号より

 内閣官房と宮内庁は連盟で13日、宮内庁長官が皇位継承をめぐる皇室典範改正を安倍晋三首相に提案したと報じた「週刊新潮」の記事は「事実無根」だとして、同誌編集部に抗議文を送り、訂正記事の掲載を求めた。風岡典之宮内庁長官は記者会見で「このようなことは一切なく、強い憤りを感じている」と述べた。菅義偉官房長官も会見で「皇位継承というきわめて重要なことがらで国民に重大な誤解を与える恐れがあり、極めて遺憾」と語った。週刊新潮編集部は「記事は機密性の高い水面下の動きに言及したものです。内容には自信を持っております」とコメントしている。

オバマ・習近平会談、皇室の新しい兆し、そして私の新刊(一)

 評論集が出しにくい時代なのに、つづけて何冊か出して下さるという版元があって、その編集をずっとしていて、今日ほぼ終った。題して『憂国のリアリズム』という。版元の名はビジネス社。七月初旬に店頭に出る予定だ。

 全集第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』もすでに出て、その内容報告もまだしていないのに、気になることが相次いで起こり、暇がない。

 習近平が登場して、中国の強引さと鉄面皮ぶりは一段と倍化した観がある。尖閣は中国の「核心的利益」だって? 1953年の「人民日報」と58年の中国発行の地図に、尖閣は日本領だと中国政府自らが記していた事実が過日突きつけられたが、そんなことはいくら言っても蛙の面に水である。厚顔無恥もここまで堂々としていると毒気を抜かれる。

 つまり、彼らは、俺さまが俺のものだと言っているのだから、テメエたちはつべこべ言うなとやくざのように開き直っているのである。先日のシンガポールの会議では、東南アジアの国々が怒った。中国が自分たちは対話の窓を開いているときれいごとを言ったからだ。海上侵略をしている国が対話を口にするのは、出席している欧米オブザーバーに聞かせるためなのだ。宣伝しつつ侵略する。昔から中国の体質はまったく変わっていない。孫文も蒋介石も、鄧小平も習近平もみんな同じだ。

 尖閣紛争と中国の脅迫は、私たちに大東亜戦争の開戦前夜の感覚を思い出させた。日本人はすっかり忘れているが、戦前は世界中がみんなこういう無理難題を吹きかけて来た。その代表格はアメリカだった。

 今日はその話は詳しくはしないが、日本はトータルとして受け身だった。アメリカ、イギリスはすでに有利な前提条件、金融、資源、武力、領土の広さの優越した立場をフル利用して、無理なごり押しを平然とくりかえしていた。日本はどんどん追い込まれた。それが戦前の世界である。

 私はじつは深く恐れている。アメリカは今だって自国のことしか考えていない。2013年6月7日~8日のオバマ・習近平会談で、尖閣についてオバマ大統領がどういう空気の中でどういう口調で何を語ったかは明らかにされていない。アメリカは強権国家に和平のサインを送って何度も失敗している。朝鮮戦争で北朝鮮が、湾岸戦争でイラクが突如軍事攻撃をしかけてきたのは、アメリカの高官のうかつな線引きや素振りやもの言いのせいだった。アメリカが軍事的に何もしないとの誤ったサインを与えると、中国のような強権国家は本当に何をするか分らない。八時間にも及ぶ両首脳の対談で、尖閣についてオバマ大統領は日中の話し合いでの解決を求めたというが、話し合いなど出来ないところまで来ているのに何を言っているのだろう。アメリカの弱気、軍事的怯懦、今は何もしたくないということなかれ主義が読みとられると、習近平はこれは得たりとばかりほくそ笑んで、突如尖閣を襲撃する可能性はある。

 オバマ大統領はいま国内の情報問題で行き詰まっている。軍事的知能に欠ける大統領だという説もある。アメリカの大統領の体質いかんで日本の運命が翻弄されるにがい経験をわれわれはつみ重ねている。日米安保は果して日本を守るためにあるのか、日本を束縛するためにあるのか、見きわめる必要がある。

 『憂国のリアリズム』はこういう問題点について、さまざまな角度から追究している。七月に入ったら、目次をここに掲示する。