野口村の思い出 (二)

 我が家の押し入れの片隅に戦前の古い羊羹の木箱が保存されている。あちこち墨で汚れた、なんの変哲もない木箱である。野口村疎開時代に私が学校で使った硯(すずり)箱でもあった。

 箱の中に今は硯は入っていない。平べったい、黄褐色のきれいな石がひとつ蔵(かく)されている。那珂川の川原で記念に拾った手ごろの大きさの石であり、文鎮がわりに使われた。石には父の手で両親と私と私の兄が戦火を逃れて野口村に引っ越して来た日付が書いてある。昭和二十年七月二十八日。いうまでもなく終戦直前である。

 父は東京に勤務し、母と兄と私はそれまで水戸に疎開していた。兄は水戸中学一年生、私は国民学校(当時は小学校をこう呼んだ)四年生だった。

 昭和二十年七月十七日深夜、北関東は轟音に見舞われた。日立市を襲った米英艦隊からの艦砲射撃だった。今も当時の恐ろしさを覚えている人は少なくないと思う。夜11時15分から約一時間ほど、40センチ砲弾など870発が撃ちこまれ、日立の工場地帯は壊滅した。

 それは腹を揺さぶるようなもの凄い音だった。水戸市はまだ空襲を受けていなかったが、もう間違いなく次は水戸だと考えられた。父は地図を広げ、艦砲射撃の弾丸が届かないのは那珂川上流、栃木県境に近いある山村だろう、と当たりをつけ、上水戸駅から茨城鉄道という私鉄=今はもうない=に乗って、終点の御前山駅まで行って、そこはまだキロ数を測るとぎりぎり着弾距離の範囲内にかかるので、そこから那珂川を越えて、対岸の野口村上郷(かみごう)のあたりまで行こう、と言った。鹿島灘が米軍上陸地点とみられていたので、川さえ越えれば、米地上軍に追撃されても行方が遮られていない。もうそこから栃木県の茂木(もてぎ)までは歩いて行けない距離ではない。父は真剣な面持ちでそう計画を立て、家族の避難地を野口村と定めて、直ちに実行に移した。

 しかし勿論、そうして行動することに本当に合理的根拠があったわけではない。敵は海から来る。だから山へ逃げなくてはならない。その程度の判断である。誰にもその頃は何が最も確実かは分らなかった。上水戸駅から御前山駅までわずか二十二キロ走るのに、効率の悪いSL機関車は、石塚での給水時間を入れて三時間も要した。私達四人ははじめて見る土地、御前山駅に降り立った。駅前は閑散とし、桜の樹が緑葉を繁らせていた。蝉の声が静寂さにしみ入るようだった。それほどに何もない長閑な風景だった。

 御前山はこんもり木の茂った、丸い小さな山だった。切り立つ山崖の下の那珂川は濃い翠(みどり)色をたたえ、対岸はそれに反し大小さまざまな石の幅広い川原を形づくっていた。その川原の側が目指す野口村だが、なんとそこに橋がない。驚くべきことに、渡し舟で対岸へ渡るのである。勿論、橋はあったに違いないが、当時は台風のたびに洪水になり、橋は流され、畑も家も冠水した時代で、村の戦時予算には橋を再建する余力がなかったのに違いない。

 対岸に向けて太い鉄の針金が一本ピンと張られていた。船頭は櫂で漕ぐのではなく、手で針金をたぐるようにして小船を前へ動かした。

 景勝の地の風光には清爽とした趣があり、川面に映える夏の光りは小魚の鱗のように輝いていた。日照りの強い午後だったが、私たち一家は涼風に吹かれつつ、渡船場から小船に乗って野口村に渡った。行楽気分といいたいところだが、今でいうなら私たちはいわば難民の一種である。不思議なのは水戸から馬車に山積みされてきた大量の荷物をどうやって渡し船で運んだのかである。また、村の中心の宿場から一里も離れた上郷地区の農家の一室を借りて、わが家がその日のうちにいち早く生活を再開することにどうやって成功したのか、これも不思議である。なぜなら知人ひとりおらず、予め土地の人に打診するなどの手続きも一切なく、水戸の空襲をひたすら恐れて、未知の地に取るものも取あえず逃げてきたのが実情だからである。

野口村の思い出 (一)

(1)新・国民の油断(大).jpg
新・国民の油断
1月12日店頭発売。386ページの大著。
PHP研究所刊 ¥1500(特価)

(2) 平松茂雄氏との対談「領海侵犯は偶然ではない」Voice2月号
1月10日発売
特集・「日中友好」は終った、の中の一つである。
この特集には古森義久、岡崎久彦、櫻井よしこの各氏が執筆している。

(3) 講演加筆再現「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」諸君2月号
12月25日に店頭に出たので、これについてはすでに詳報した。

(4) つくる会第27回シンポジウム
国民の油断 ジェンダーフリー・領土・教科書

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親よりもすすんだ子供の性知識と野蛮な言葉狩り・映像干渉
伝統的家族・社会を蝕んでいくジェンダーフリー派のソフトファシズム
もはや尖閣にとどまらず、沖ノ鳥島から沖縄全域が脅かされている南西領土問題
そして、歴史だけでなくすべての教科に広がる教科書の反日・無国籍化
驚くべき写真やフィルムで次々に明らかにされる衝撃的な現実
あなたは、この亡国的状況に果たして耐えられるか?

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パネリスト:平松茂雄、工藤美代子、中西輝政、西尾幹二、八木秀次

日 時  :平成17年1月23日(日)13:30開場/14:00開演/18:00閉演

会 場  :銀座ブロッサム
      東京都中央区銀座2-15-6
     地下鉄有楽町線 新富町駅 1番出口 徒歩1分
     地下鉄日比谷線・都営浅草線 東銀座駅 3・5番出口 徒歩8分

前売り券:¥1800下記にて発売中(当日券は2000円)
● ローソン(Lコード:39806)
● チケットぴあ(http://t.pia.co.jp)
(Pコード:603-656、取扱いはセブン・イレブン、ファミリーマート、サンクス)
(TEL 0570-02-9966・自動応答)
*つくる会会員の方は「史」11月号をご参照の上、お申し込みください。

主催・問合せ
新しい歴史教科書をつくる会
TEL 03-5800-8552
FAX 03-5804-8662
http://www.tsukurukai.com

(5) 講演「国家解体をどう阻止するか――ジェンダーフリーと南西領土問題――」
1月30日(日)午後6:00~8:00
長崎県佐世保市 アルカスSASEBO(JR・MR佐世保駅から徒歩3分)

参加費:¥1000
主 催 :日本会議長崎
連絡先:090-8295-8969朝永氏
     0958-23-9140北村氏
日本会議長崎事務局
〒850-0006長崎市上西山町19-3

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野口村の思い出(一)

 茨城県那珂郡野口村は私が終戦を迎えた小村で、今はもうない。合村していったん御前山村と名を替え、昨年、近い市町村が一体となって常陸大宮市となった。

 私が今住んでいる杉並区の隣人がたまたまこの地の出身で、そのご縁で「野口村の思い出」というエッセーを郷土の情報誌に書いてほしいとたのまれて年末に書いた。そういうわけで、以下は茨城県北部地域情報紙「すいぐん1000」第65号(2005年1月)にのった文章である。

 戦争中の日本が受けた敵の攻撃は空襲だけだと思っている人が大部分だろう。米軍だけでなく英軍も攻撃に加わっていたことも知らない人が多いだろう。さらに、敵の地上軍の上陸が迫っていて、地上戦の恐怖が現実に存在したこともすでに忘れられていよう。

 敵の上陸地点、すなわち日本のノルマンディーは、九州南部の日向灘、千葉の九十九里浜、神奈川の相模湾のほかに茨城の鹿島灘が考えられていた。日立市への艦砲射撃以来、鹿島灘はにわかに最有力視されるようになっていった。

 以下の文は『私の昭和史』を下敷きにして書かれている。

「新・国民の油断」の刊行(二)

新・国民の油断(大).jpg
目次

まえがき  八木秀次

第一章  子供を襲う悪魔の手
第二章  あなたの娘を“負け犬予備軍”にするジェンダーフリー教科書
第三章  親が知らない「過激な性教育」の現場
第四章  “ソフトな全体主義”の足音が聞こえる
第五章  「性差の否定」に医学的根拠はあるか
第六章  上からの白色テロ――地方・学校の実態
第七章  男と女の幸せとは

あとがき  西尾幹二

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あとがき

 普通の日本人は、「ジェンダーフリー」と聞いても「それ何?」と言うだけだし、「過激な性教育」の話をしても「一部の日本人が馬鹿なことを言っているだけじゃないの?」と本気にしない。

 いまの大学生が、まずほとんど知らない。本書が届ける、目を剥くほど人をびっくりさせる諸事実は、小学生と中学生にいまもろに浴びせられている病毒だが、大学生の世代はまだそれほどひどい経験をしていないらしい。「僕らは知らないなァ、そこまでの話は聞いていないよ」と、たいてい当惑げに答える。

 ということは、つまり、かなり前からあった話ではあるが、教育現場を急激に襲ったのは、ここ数年なのである。「過激な性教育」の元年は平成四年と聞く。

 しかし、それは規模といい、巧妙な計画性といい、根が深く、決してただごとではない。特定の政治勢力が背後にあって、しかも、それがいままでのような反体制・反政府ではなく、「男女共同参画社会」というよく分らない美名の下に、政府権力の内部にもぐりこんで、知らぬ間にお上の立場から全国津々浦々に指令を発するという、敵ながらあっぱれ、まことにしたたかな戦術で、日本の国家と国民を破壊する意図を秘め、しかもその意図は遠く70年代の全共闘、連合赤軍、過激派左翼の亡霊がさながら姿を変えて、自民党政府を取り込んで新しい形で立ち現れた、にわかには誰にも信じられない、おどろおどろしい話なのである。

 「いまのこの時代に、そんな馬鹿馬鹿しい話が果たしてあるのか。けれども、もしあるとしたらキテレツ面白い話ではないだろうか」と、きっと読者の皆様は半信半疑になるであろう。まあ、その正否は本書を読んでから判断していただきたい。

 本書は、内閣総理大臣を長とする男女共同参画推進本部に、また官房長官を議長とする男女共同参画会議に、そして事務局の内閣府の男女共同参画局に、各地方自治体の関係部局に、さらに東京大学文学部などに事実を知らせ、公開状として質問し、即刻の現状の解消を求めている一書である。

 「総理大臣以下、あなた方はこの点に関するかぎり、とても滑稽なことをしていますよ。否、道を間違えています」と、はっきり申し上げておく。女だからと舐(な)めて、甘く見て、乗せられて、瞞(だま)されて、国家の未来を危くしている。敵はカラカラと嘲笑(あざわら)って、したたかですよ。

 私どもは、政界にも学界にも私どものオーソドックスな意見に耳を傾け、冷静に判断できる人が、いまだ少なくないことを信じている。常識はまだ生きていることを信じている。

 「ジェンダーフリー」の名において実働部隊によって行われていることは、あまりにはなはだしい反自然的人間誤解に基づく、思いもかけない文化破壊である。諸外国には例を見ない異常事、少子化で悩むこの国をさらに少子化に追い込み国家をなくしてしまう所業、日本発の新しいファシズムである。

 現に、すでにヒトラー流の文化統制が企てられ、進められている。革命後の公安委員会のような、処罰を振りかざしている「監視・影響調査専門委員会」までがすでに作られている念の入れ方である。表現の自由を平気で侵す憲法違反の動きに、総理大臣以下が知らず知らずうかうか乗せられている。

 委員に名をつらねた実働部隊の、大半が怪しげで無名な進歩的文化人の思想傾向や身元調査は十分に行われていないのではないか。無責任な官僚はこれがムードだといってわっと乗り、地方自治体の役人は中央からの指令に唯々諾々と従う従順な羊の群れにすぎない。

 皆さん、腹を抱えて笑うようなとてもおかしなことが、巨額の税金を使って大規模に、急速に展開されていますよ。黴菌(ばいきん)のような勢力がこれを動かし、あなたの町に、村に伝染病のように広がって、常識を壊し、家庭を破壊し、子供の未来を危くしていますよ。

 どうも政府自民党に思想がないということに、最大の問題がある。ただ田舎(いなか)の小金持ちをかき集めて「保守」だと称している、バックボーンのない日本の保守――最近の中央財界人も似たようなもの――には、私はほとほと呆れているが、私は彼らとは違い、国家の屋台骨が白アリに食い荒らされているような現下のこの事態を、黙って看過してしまうというわけにはどうしてもいかない。

 というわけで、『新・国民の油断』という警世の一書を編むことになった。

国民の油断.jpg
 『国民の油断』と題した本は平成八年に、歴史教科書問題を題材にして、私が藤岡信勝氏との共著で一度すでに出している。「新しい歴史教科書をつくる会」のスタートを形づくる記念的な一書である。売れ行きも良く、単行本が八万部、文庫が五万部も出た一種のベストセラーであった。

 『新しい歴史教科書』は妨害に遭って、いまの段階では採択に成功したとはいえないが、中学の歴史教科書の記述一般に、警告を発し、暴走に歯止めをかけ、揺り戻す役割を果たすことに成功した。

 そうこうするうちに、思いがけないところから、ものすごい新たな浸蝕が始まったわけだ。それが本書のテーマ「ジェンダーフリー」「過激な性教育」である。『新しい公民教科書』を脅かし、その趣旨に反する動きなので、『新しい公民教科書』の代表執筆者の新会長・八木秀次氏が関心を寄せ、打倒に情熱を注いできたのは当然である。

 本書は八年前とほぼ同じ精神を生かすが、同一の書名にはできないので、『新・国民の油断』と題することにした。

 本書成立に際し、次の数多くの方々のご協力、ご教示をいただいた。

 男女共同参画をも担当した元内閣府副大臣の米田健三氏、自民党参議院議員の山谷えり子氏、東京都日野市市会議員の渡邊眞氏、平塚市立大野中学教諭の野牧雅子氏には、基本となる考え方、資料、政界情報、教室情報をお教えいただいた。

 また広島県廿日市市の主婦・長谷川真美氏、兵庫県加東郡の公務員・木藤勲氏には、地方に展開される男女共同参画運動の実態を内側から書いたレポートをお寄せいただき、本書に掲載することをお許しいただいた。巻末付録には、主婦粕淵由紀子氏が地方自治体の予算について調べた資料を掲載させていただいた。

 その他にも、私が参加している民間審議会「九段下会議」の「ジェンダーフリーと少子化の小委員会」のメンバー諸氏は、数多くの示唆に富む貴重なヒントと事実報告をお寄せくださった。

 いずれの方面にも厚く御礼申し上げる。

 本書のテーマは、PHP研究所学芸出版部副編集長の白石泰稔氏がかねて解明に情熱を注いでいた問題意識に沿っていて、本書もまた同氏の手で編集され、出版されることになった。編集過程の実務を担当したのは、フリージャーナリストの桜井裕子氏とPHP研究所学芸出版部の細矢節子氏である。末筆ながら、諸氏に深謝申し上げる次第である。

 平成十六年十二月八日

                               西尾幹二

「新・国民の油断」の刊行(一)

 八木秀次氏との対談形式の共著であるこの本(PHP研究所刊、¥1500)には、「ジェンダーフリー」「過激な性教育」は国を亡ぼす、という副題がついている。副題が示す通りグロテスクでショッキングなグラビア、図版、写真が一杯のっている告発的攻撃本である。

 今までジェンダーフリー派の本はたくさん出版されているが、反論本はまだ出されていない。ことに一冊で問題のすべてを引き受ける反撃の本、実例も豊富で、必要な科学的知識の手引きもあり、反論するための理論上のマニュアルにもなる本、そういう根本的な本を作りたいと二人は考えた。

 ジェンダーフリーとか性教育とかいうことになると、どうしても具体的な事例に目が奪われ、現象論になりがちである。それだけでは面白くないので、なぜこんな奇現象が起こったかという冷戦以後の政治史的解明をも試みているが、さらにそれだけでも性愛に関わるテーマは論じ尽くせない。

 八木さんと私とではアプローチの仕方が少し違う。私は種族と個体の生命、古代の生死観、宇宙の神秘にも関わる問題とみなし、愛とは何かから羞恥心とは何かまで、スタンダールの恋愛論からサデイズムの心理にまで説き及んだ。

 性に関する現代の露骨と隠蔽の二重性に、古代ローマ末期との文明論上の類似性を示唆したが、これはほんのとば口を書いただけで、これから以後にもっと深く考えてみたいと思っている現代文明の新しいテーマの発見である。

 ところでこの本には約10ページにわたって日録の管理人長谷川さんのインサイドレポートがのっている。彼女が約一年間広島県廿日市市で男女共同参画プラン策定ワーキングメンバーをつとめた体験記録が収録されているので、当日録の読者にはその点の興味をも引くであろう。

 「まえがき」は八木氏、「あとがき」は私である。
(二)に目次の概略と「あとがき」の全文を紹介する。

1月の私の表現

(1) 平松茂雄氏との対談「領海侵犯は偶然ではない」Voice2月号
1月10日発売
特集・「日中友好」は終った、の中の一つである。
この特集には古森義久、岡崎久彦、櫻井よしこの各氏が執筆している。

この2~3年でVoiceはすっかり甦った。ひところ目的不鮮明の雑誌になって、売行きの落ちた時期があったが、最近はそれ以前の代表的オピニオン誌の立場に再び復帰した。一層の発展を祈る。

(2) 講演加筆再現「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」諸君2月号
12月25日に店頭に出たので、これについてはすでに詳報した。

(3) 八木秀次氏との共著新・国民の油断――「ジェンダー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす――』
1月11日店頭発売。386ページの大著。
PHP研究所刊 ¥1500(特価)
これについては1月11日にあらためて詳報する。

(4) つくる会第27回シンポジウム
国民の油断 ジェンダーフリー・領土・教科書

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親よりもすすんだ子供の性知識と野蛮な言葉狩り・映像干渉
伝統的家族・社会を蝕んでいくジェンダーフリー派のソフトファシズム
もはや尖閣にとどまらず、沖ノ鳥島から沖縄全域が脅かされている南西領土問題
そして、歴史だけでなくすべての教科に広がる教科書の反日・無国籍化
驚くべき写真やフィルムで次々に明らかにされる衝撃的な現実
あなたは、この亡国的状況に果たして耐えられるか?

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パネリスト:平松茂雄、工藤美代子、中西輝政、西尾幹二、八木秀次

日 時  :平成17年1月23日(日)13:30開場/14:00開演/18:00閉演

会 場  :銀座ブロッサム
      東京都中央区銀座2-15-6
     地下鉄有楽町線 新富町駅 1番出口 徒歩1分
     地下鉄日比谷線・都営浅草線 東銀座駅 3・5番出口 徒歩8分

前売り券:¥1800下記にて発売中(当日券は2000円)
● ローソン(Lコード:39806)
● チケットぴあ(http://t.pia.co.jp)
(Pコード:603-656、取扱いはセブン・イレブン、ファミリーマート、サンクス)
(TEL 0570-02-9966・自動応答)
*つくる会会員の方は「史」11月号をご参照の上、お申し込みください。

主催・問合せ
新しい歴史教科書をつくる会
TEL 03-5800-8552
FAX 03-5804-8662
http://www.tsukurukai.com

(5) 講演「国家解体をどう阻止するか――ジェンダーフリーと南西領土問題――」
1月30日(日)午後6:00~8:00
長崎県佐世保市 アルカスSASEBO(JR・MR佐世保駅から徒歩3分)

参加費:¥1000
主 催 :日本会議長崎
連絡先:090-8295-8969朝永氏
     0958-23-9140北村氏
日本会議長崎事務局
〒850-0006長崎市上西山町19-3

謹賀新年(五)

 年末から年始にかけては独特な忙しさがある。それがいやで、正月は嫌いだという人も少なくない。そういう忙しい時期を津波のように襲ってくるのが年賀状である。

 準備が容易ではない。私は印刷と宛名書きまでは他人の手に委ねている。そこから先は自分の仕事である。ひとりひとりに寸言を記す。今年は約1000枚なので、全部にはとうていできない。

 しかしそれよりも時間を要するのは、元旦の配達から発送リストに合わせて、到来したか否かをチェックする仕事である。住所の変更も確かめる。7日ぐらいまでこれがつづく。そんなことをしなければ良いと思うかもしれないが、ある著名な作家から82歳になったので年賀状を止めるので来年から出さないでくれと書いてきたし、ある物故した私の先生の奥様のご家族から、母は養老院に入ったので、永い歳月のお付き合いを感謝しますと認めてあり、暗に来年から賀状は寄越さないでほしいという意味を認めてある。

 これらは今年のうちにリストから消しておかないと、来年も機械的に発送され、迷惑をかけることになる。一年間で住所を変更した人が少なくない。これらも今年のうちにリストの住所を修正しておかないと、来年は宛先不明で戻ってくる年賀状の山が築かれることになる。郵便局が旧住所でも届けてくれるのは一年間に限られるからである。

 それやこれやで、正月は賀状の山と格闘する時間がバカにならない。津波のように襲ってくるこの波に耐え、何とか泳ぎきると、もう休み明けの日常が始まっている。毎年こんな調子である。

 他の人はどうしているのだろう。やはり年賀状に苦労しているのだろうか。それでも昔と違って、年始回りをしないし、年始客も来ない。年賀状くらいは最後のつとめとも思う。

 昔は元旦に、近所の奥様が正装してお互いの家に挨拶回りしていた。母が応対していた。午後になると必ず羽子板の音が聞こえた。獅子舞いもあって、門付けといって若干のお金を包んで渡した。若い女性は大晦日のうちに髪結いに行って丸髷げに結ってもらって、初詣は必ず和服だった。

 大晦日は美容院も床屋も明け方までやっていた。初詣の神社の境内は、私の記憶では1975年くらいまで、女性の華やかな和服姿で一杯だった。私は正月二日か三日に何軒かの先生や先輩の家に年始のご挨拶に伺い、馳走に与った。

 あんな時代もあったなァ、と思う。会社や団体のお偉いさんの家ではやはり今でも、元旦から千客万来なのだろうか。私は世間のこの面には疎くなって、他家の様子がもう分らない。

 さて、年賀状に戻るが、今年来た中で、印刷されていた文言にハッとなって、私の目を射た一文があった。ご本人の承諾を得て掲載する。元『文藝春秋』編集長の堤堯氏からの賀状である。

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謹賀新年

台湾の命運が気になります。いまやアメリカは独立へ向けての住民投票にすら反対します。かつて米中国交回復のおり、二十年来の忠実な同盟国を冷酷に切り捨てました。日米安保も不変ではあり得ません。ここ数年が、日本の岐路と思われます。

今年も変らぬご健勝を念じております。
2005年元旦

堤  堯

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 住民投票の「住民」に傍点が付ってあった。アメリカは自国の流儀を他国に強制して恥じない。自国の法律を他国に当て嵌めることにも躊躇しない。北朝鮮人権法がそれである。しかし法を施行するかどうかはいつも自国の事情次第である。

 北朝鮮にはせっかくつくった法を発動せず、台湾には法がなくても住民投票にまで無遠慮に干渉する。そういうことになるかもしれない。すべて自国のご都合主義だからである。

 9・11ニューヨーク同時多発テロまで、アメリカは中国を仮想敵国とみなし、包囲網をつくりつつあった。最大の敵はテロだということになって以来、対中国政策を緩和した。中国はその好機をつかんで、巧妙に立ち回り、経済維持につとめている。

 この両国の良好な関係がいつまで、どこまでつづくか分らない。

 堤氏の言う通り、日本は最悪のことを考えておかなくてはいけないのかもしれない。それでもアメリカが100パーセントの鍵を握っているのではなく、台湾防衛に日本がどういう意志をもちどれだけのことをするかひとつで、情勢は少からず左右されるはずである。

 「ここ数年が、日本の岐路と思われます」は、他の何人かから来た賀状にも認められてあった。戦後60年はやはり戦後50年とは少し違うようである。戦後50年は国会謝罪決議などというばかげた猿芝居に現(うつつ)を抜かしたが、さすがにもうそういう空気ではない。

 最後に、年賀状ではないが、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の「読者の声」に私と私の講演に関する記事があったので、転載させて頂く。宮崎氏を介して、筆者のご了解を得てある。

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(読者の声2)『いま日本は、いわゆる生ぬるい保守と「共産主義と一体化していた左翼進歩平和主義」とが対立しているものではもはやない。後者は例の゛週刊金曜日゛に屯するていどの矮小グループに転落した。代わりに保守が二つに割れて、日本改造の構想力をもつ行動的保守と、リベラル左翼にほぼ重なっている生ぬるい現状維持の保守、外交的にいえば中国不信派と中国眉態派、威嚇や恫喝に屈しない派と威嚇されれば無限に謝罪する派とに分裂し始めているといってもいいであろう。』以上は《愛国者の死》と題した西尾幹二氏の、坂本多加雄氏追悼文の一節です。年頭この論に接して自分らは”日本改造の構想力をもつ行動的保守”に連なりたいと誓い、また”中国不信派”・ ”威嚇や恫喝に屈しない派”でありたいと念じます。
西尾氏は昨年11月の福田恒存氏に関わる講演会で <文化や学問で人は果たして死ねるか>というマックス・ウェーバーの言葉を引用しています。この鋭い刃を持った言葉を日本の知識人に突きつけたのが福田恒存氏であると。命を懸けてというと誤解を招き反論を浴びるもの云いですが、旧制高校、旧制大学に蔓延った『知的あり方』とそこを拠所とした”知識人”が批判の的です。
微温的で、閉ざされた狭い世界で限られた仲間と薄っぺらな知識と軽薄な自尊心で民を啓蒙しているとうぬぼれている日本の”知識人”への痛罵です。知識や論を弄ぶ輩は所詮いのちを差し出してまで事を行なう覚悟はあるまいという卓見です。その意味で三島由紀夫は日本文化を守ろうと命を懸けた例外的な稀有の存在です。
『日本人が国境を越えた外のものに公平で、憧れをもって遠望し、近づいてくれば無邪気にこれを歓迎するのは、太古からの本能みたいなものではなかろうか。縄文以来といえばべつに証拠はないので大げさといわれるかもしれない。』(諸君掲載の西尾氏論文より)。
そんな無邪気な日本人はいつになったら福田氏の悟達に至れるのでしょう。
文化面だけではありません。80年代あれほどうまくいっていた日本的経営を守れず、90年代にグローバル・スタンダードというアングロ・サクソン基準で見事なまでに欧米に食い潰されボロボロにされた日本経済。それに手を貸したMBA帰りの同胞諸兄。日本の安全、国民生活の安寧を守ることが言葉や言論を以ってどこまで可能なのか。自らを助けることが出来る国に果たしてなれるのか。
それは何時になるのか。そんな自問自答を正月、半酔半醒の中でしています(笑)。
          (しなの六文銭)

 
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 私の昨今の意向をよくつかみ取って下さった一文にあらためて感謝する。この手の文が宮崎正弘氏のメルマガに掲げられ、私の日録の感想掲示板には出てこないのは遺憾である。

謹賀新年(四)

 空白の歴史のうちに足踏みしていると、退行するというか、途方もない方向へ逸れてしまうというか、思いもかけない不安が露呈するのは憲法の場合にも当て嵌まる。

 自民党案といい、民主党案といい、財界の案といい、最近出ている憲法改正案には、在日外国人の人権を認める条項とか、環境権とか、男女参画社会の基本権とか、妙なものが次々と並んで、今のままの憲法のほうがまだましだという思いすらしてくる。

 私は3年ほど前、改正憲法からは「化け猫」が出てくるという論文を書いたが、不幸にも私の予言通りになってきた。

 私は今、憲法改正反対論者である。たゞ一点、9条の2項を削除する改正案だけを国民投票にかけて、それ以外は当分凍結するにしくはない。今の国会議員には新憲法を作成する力はない。

 そこで教科書のことを考える。「新しい歴史教科書」が普及し、それで育った世代が政治家の主流を占める時代になって初めて、憲法改正に取り組む資格が生じ、その時まで待つほうが安全だろう。今の政治家に任せていては危くて仕方がない。

 長い歴史の「空白」に漂っているうちに、次第に退行し、自ら正しい道を発見する本能を失い、当初は考えてもいなかった思いもかけない方向へ曲ってしまうことが起こり得る。日本の未来は恐ろしい。

 すでに確定した真実をも忘れた振りをして、前の嘘をよびもどして、平気な顔で嘘をくりかえすかと思うと、いつまでも昔のパターンにもどって、昔の習慣的思考にしがみつく――今の日本の光景である。

 中国の問題、東アジア共同体という妄想も今年は正念場を迎える。男女共同参画の理念委員会が次の五ヵ年計画を7月までに作定するという。そんなものを許していいのであろうか。

 平成17年(2005年)は本当に扉を開けて、国家意志を回復できるか、そうならずに一段と後退するか、雌雄を決する一年になりそうである。

謹賀新年(三)

 年末に皇位継承を考えるための懇話会が新設されたニュースがあった。メンバーには専門知識をもつ人が一人いるかいないかで、心もとない。女性天皇を認めるという簡単な答えで決着をつけようという官僚サイドの戦略が最初から見え見えである。

 万世一系の天皇の系譜を維持するには男系でなくてはならない。11宮家を復活して、将来に備える必要はたしかにある。そう正論を唱える人を私は支持するつもりだが、しかしすべては遅すぎるのではないか。

 11宮家を廃したのはたしかGHQだが、今上陛下が民間人と結婚なされたとき、旧宮家・旧華族は憤慨した。そして、皇太子殿下が東大出・ハーバード大出の学歴エリートと結婚なされたときには、旧宮家・旧華族は沈黙するのみで、もう反発の声さえなかった。11宮家を廃絶したのはGHQでは必ずしもない。天皇家自身が万世一系の天皇制度を無力にする行為を繰返してきたのである。

 そしてそれを諌める者は今まで誰もいなかった。なにしろ園遊会で日の丸・君が代の普及への努力を進言する者に、ネガティブなご発言をなさる陛下である。何かを恐れておられる。しかしそれが陛下のご意志だとなればどうにもならない。われわれの手に負えるものではない時間の空白が横たわっている。

 これもまた戦後60年を迎えた今年あらためて胸に迫ってくる空白の歴史の一つの帰結であるというほかないだろう。

 藩屏なき皇室はあり得ない、と私は言ってきたし、書きもした。しかしこういう言葉も、取り返しのつかない時間が経過した今、ないものねだりの強弁だったかもしれないとの思いも一方では募ってくる。

謹賀新年(二)

 この国はよく持ちこたえているとむしろ不思議に思える。アメリカと台湾の通報で日本は中国原潜の侵入を知ったらしい。侵入船が海域を離れてからやっと海上警備行動を発令するというおっかなびっくりの政府の措置を国民は笑ったが、この件を調べていて、私は石垣島、宮古島、与那国島が台湾のすぐ東側にあり、台湾防衛の拠点であることにあらためて強い印象を持った。

 中台戦争が始まれば、日本のこの三島を中国はただちに予防占領するだろう。アメリカの空母を近づけないようにするための、原潜による海域調査こそが中国の狙いである。

 それよりも、この件を調査中に私が知って愕然とした新しい事実がある。日本と台湾との空域を分けるラインが日本の領土である与那国島の上空を通っている。自衛隊機は与那国島に近づけない。近づけば台湾空軍がただちにスクランブルをかけるからである。自分の国の上空を平和時にすでに外国空軍に制せられている。

 関係者と話をしていて、異口同音に聞くことばは、日本の自衛隊はイラクやアフガニスタンに、また各地のPKOに、出て行く余裕はないということである。三島を含む西南諸島は丸裸である。自衛隊の事務連絡所が宮古島にあるだけで、隊員はひとりも駐留していない。

 焦点の西南諸島に自衛隊員を割く余裕がなく――こう公言されている――なんでイラクやアフガニスタンに行く余裕があるのか。と言っているうちに、財務省が隊員と艦船を削減した。かの担当の女性財務官は災害出動は自衛隊の仕事ではないと言ったそうだ。これは正論である。わずかに抵抗するかのごとく、自衛隊は札幌の雪祭りへの協力の小さな部分を辞退したとの報に接する。どうせなら雪祭りからの全面撤退をすればいいのに、そして国民に危機を知らせればいいのに。しかし「愛される自衛隊」などという欺瞞に溺れているのは自衛隊自身なのである。災害出動なども止めてしまえばいいのだ。

 以上述べたことはいずれみな戦後60年の惰性を克服できず、「昔の名前で出ています」という調子のマンネリでやっていて、恥じる処がない現われである。

 いよいよ新しい扉を開けようとすると、手がすくんでドアの把手に手がかからない。いよいよ新しい歌を歌おうとすると、口は自ずと昔のリズムを口ずさんでいる。それが今の日本である。

謹賀新年(一)

明けましておめでとうございます。

 今年はいままで問題となってきたさまざまな分野で、左右が激突し、雌雄を決する年、というよりまだ生き残って悪だくみをつづけているマルクス主義の残党の息の根を止め、天地晴朗の日を迎えることができるか否かの年となりそうである。

 私は教科書採択の成否を言っているだけではない。それもその中の一つ、紛れもなく最も重要な、象徴的な一つであるが、他のさまざまな分野で扉を開けようとして、どうしても開けきれないで立ち尽くしている今の日本の歪んだ精神状況のことを言っているのである。

 拉致問題で日本の民衆はようやく目をさまし、国家の重要性に気がつきだしているといわれている。それはある程度そうであろう。けれども、どこまでも「ある程度」であって、いまだに何も変わっていないどころか、後退している光景さえみられる。

 李登輝が突如やって来た。けれども雪の京都を散策し、日本文化について語る彼を見たいと思っても、テレビは空港入国のほんの数景をちらっと出しただけで、なにかに遠慮している。中国の新華社の記者がぴったり張りついていて、しかもそれを日本の警察が、多分外務省の意向に添うてであろうが、むしろ守っているというのである。中国の秘密警察つきの年末のあわただしい日本再訪であった。

 昨年末に細田官房長官は政府官邸に「従軍慰安婦」と称する二人の外国人女性の正式訪問を受け、戦時中の日本軍部の犯した過ちに謝罪し、反省の弁を述べた。心あるひとは「あれ、おかしいんじゃないの」と思ったことであろう。

 「娼妓」は存在したが「従軍慰安婦」は存在せず、国家関与の強制行為、強制連行はなかったことは石原元官房副長官の証言によってはっきりと立証されたはずだった。間違いの元をなした謝罪談話の主の河野元官房長官でさえ、自分の談話が証拠に裏付けられていなかったこと、曖昧な憶測であったことを認めたはずだった。あれほど大騒ぎして、国家的恥辱をやっとの思いで言論界あげて克服したのは5年ほど前の出来事であった。

 わが政府首脳はあっさりこれを覆した。あまり深い考えもなく、まるで誰かにひっかけられたかのように、官邸に「従軍慰安婦」と称する女性を招き入れて謝罪した。これは彼の場合、国家行為となるのである。

 なにか何処かがおかしい。いよいよ新しい扉を開こうとすると、この国民はすくんだように後じさりする。そして歌い古した昔の歌をまた歌おうとする。

 中山文部科学大臣がある会合で教科書から「従軍慰安婦」の記述が減少したことを評価した。韓国がただちに妄言だと騒ぎ立てた。なんとわが政府首脳は韓国サイドに立ったのである。文科大臣は政治的願望を述べたのではなく、論証された歴史事実に忠実な評価を語ったにすぎない。

 なぜ前へ進めず、いよいよになると後ずさりするのだろうか。北朝鮮を再訪した小泉首相の行動に私は不審なものを予感した。金正日との間に「空白の十分間」の密談があったという予測を立てる人がいて、私はその可能性はあると考え、このサイトで論陣を張った。

 周知の通り、北朝鮮の遺骨返還はばかばかしい猿芝居に終わり、度重なる愚弄に、日本の国内ではもう話し合いの余地はないとの当然な声が高まった。経済制裁は野党を含む万人の声になった。しかるにひとり首相のみ抵抗する奇妙な図。川口元外相をアメリカに急派し、経済制裁はしないでくれ、と単独行動に出て、ブッシュ大統領をまであきれさせた。

 「空白の十分間」にやはり何かあったと考える方が妥当ではないか。この首相にして、あの官房長官あり。政府に統一意志はなく、北朝鮮は経済制裁に備えて闇金融ルートをすでに開いているらしく、いよいよ制裁となってももうきき目はないという話だ。